Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『カンバセイション・ピース』

 クッキーシーンに古川日出男『MUSIC』のレヴューを書いたのがアップされました。土曜日はABC六本木で『古川日出男ナイト ファイナル』です。雨が降ろうが槍が降ろうが、古川さんの言葉のフロウを受け止めに行きます。なんせファイナルだからね、文体が奏でる音楽。まあ雨でもいいけどさ、雨の六本木っていいしね。問題はサインしてもらった本が濡れる可能性があるのが異様に嫌だけど。


 「新世紀のラブソング」っていうタイトルで書いてたブログにコメントを書いてくれた大学生さんのブログ「I Say Yeah!」。


 「文化系トークラジオ Life」を聴きだしてcharlieとか関係している人の評論だとか批評を読んだりするようになって思ってたんだけど、僕はそういう文章まるで書けないんだよな。だから読んでると単純にすごいなって思う。論理的に考えるって思考があるかないかってのが書けるか書けないかに起因するんだろうな。僕のレヴューはエッセイに近いし。


 頼んでいた保坂和志カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』が届いた。いつも大抵の場合はあとがきから読んでしまうのだけど、ネタバレとかだったら読むの止めるが、読んでいたらあとがきではなく解説があった。保坂作品を読むならば『プレーンソング』→『季節の記憶』→『カンバセイション・ピース』と読み進めるとこの作家の成長の仕方がわかると。


 『プレーンソング』は読んでいるが『季節の記憶』を読んでいない。『カンバセイション・ピース』を読もうと思ったのは新潮文庫ってのと「小説家の私が妻、猫三匹と暮らし始めた東京・世田谷にある築五十年の一軒家。友人が経営する社員三人の会社が間借りをし、妻の姪も転がり込んだ。にぎやかだがゆったりと流れる日常のなか、お盆にやってくる陽気なイトコたちの昔話や、同居人たちとの会話から、かつてそこで暮らした人々の記憶が立ち上る。濃密な時間が流れ、過去と現在がつながり、生と死がともに息づく長篇小説。」って内容に惹かれたのが大きい。


 『ほぼ日』で糸井重里さんと保坂和志さんの対談が刊行時にあったみたい。『カンバセイション・ピース。保坂和志さんの、小説を書くという冒険。』ってやつ。それの追加インタビューってのを読んでる。


 気になる部分を抜粋というかコピペ。


「もともと、小説家に限らず、なりにくい職業っていうのは、なりたいと思っている人はなれないと思う。何年か後に、自分はなっていると思いこめるような人しか、なれない。」


「それでも、そういう偉大な人と同じ道を歩けるとは思っていないんです。同じ道ではなくて、ただ、自分で行くという。それはもう、誰かさんが歩いた道でもなんでもなく、自分が、そのまま今の自分を成長させていく、それが作家になることなんだと。」


「ほんとに作家になるという人は、そういう時に、「タネを埋めたんだから、桃栗は3年でなる。柿は8年でなる。じゃあ自分は何年後になってんのか?」って、そういう思いこみが、あったりすると思う。タネを埋めたら実は自然にできるよ、ぐらいの楽観的な人だったりするんです。」


「書いていないどころか、小説も読まないという日々だったんだけど。28歳になって、「ええと、このままでいいのかな?」と思って。あのね、28って、だいたいみんなが突然、将来について考えちゃう時期なんですよ。」


「ぼくにとっての小説家の修業期間って、「書いたこと」じゃなくて、「考えつづけていたこと」なんですね。テクニックなんて、どうにかなるんです。まったく文章に親しんでいない人とか以外なら、誰でも、書く時間をたくさん使えば、それなりのものにはなるんで・・・。時間さえかければ、それなりの文章になる。そのための基盤だけを考えてたっていう。そんなことが、ぼくが20代の頃にしていたことですね。」


 とりあえず「カンバセイション・ピース」から読み始めよう。今読んでる小説はいまいちのらないので少し経ってから読んだ方がよさげだし。「28って、だいたいみんなが突然、将来について考えちゃう時期なんですよ。」って、まさに今年。数年後にはなってると多少思ってる、多少じゃいけない。なってるもんだって思い込むこと。

MUSIC

MUSIC

プレーンソング (中公文庫)

プレーンソング (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

カンバセイション・ピース (新潮文庫)

カンバセイション・ピース (新潮文庫)