Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「20世紀少年ー第二章ー最後の希望」

 元シネアミューズイーストウエストヒューマントラストシネマ文化村通りで「20世紀少年ー第二章ー最後の希望」を朝一の回で観に行く。日曜の朝だからかガキ(小学生)が多かった。あいつらの両親よりも少し上の世代が主人公のような気がするが。
 あんまり期待していなかったけど楽しめた、長いとは思うけど。小泉響子役の女の子とサダキヨ役のユースケ・サンタマリアがおいしいなって思った。第二作の主人公であるカンナ役の平愛梨は可でも不可でもない感じ、あの不自然な髪型を維持しなくてもいいとは思うんだけどなあ。


 小日向文世さんやARATA六平直政さん、佐藤二朗さん甲本雅裕さん田中要次さん石丸謙二郎さん石橋蓮司さんと味のある脇役の俳優さんが出ていて脇を固めているのはかなり魅力的だ。


 ガキがわかっていても展開を言ったりおかんに何か言っているのが耳障りだったけど。“ともだち”っていう存在とかは見ていて僕が三時間以上勧誘されて、それ以来そいつとは縁を切った嫌いなとある宗教団体への皮肉にしか見えなかったのだけど作者の浦沢さんはそういう意図があるんだろうか。
 クリエイターは宗教や信仰的なものにイメージや影響を受けてもあんまりハマらない方がいいと思ってて、それは自分が作るものにおいては、本人が創造でのその作品においての神みたいなものだからさらに上に創造主を作ると何かがおかしいような気がする。
 

 神話や世界中に溢れる昔話もいろんな部分が共通するのは、世界中に広まった人間たちが同じようなことを想像し物語ったからだと思う、神や創造主がいたわけじゃないと思う。
 “オウム真理教”がジャンクのかき集めのハリボテ宗教であってもあれだけの人を集めたのは人の中にある救われたいとい思う心をうまく揺さぶったからで、誰もが欠けた心のピースを埋めるためにその欠片を探している、でも信仰や自分よりも上の存在を認めることで大地に立って安定しようとする。人の心など安定しない、一生揺れ続けるのに、安定しようともがく。だから一生揺れるものだと思っていればいいのに。水面にずっと浮かんでいるようなものだろう。一番幸福だったのは胎内で羊水に浮かんでいる時だったろうに、まああの時は呼吸しなくても済んだんだけど。


 宗教をモチーフにした話は書きたいと思う、それは宗教の強さと包容力、同じぐらいに怖さと中毒性を対比してなぜ人は神を信じるのか信じないのかをいろんな人が書いてきたように僕なりの解釈をしたい。タイトルだけは「空に堕ちるようなそんな夢を見た」ってやつで七年ぐらい前から決まっているけど、専門の時からなんとなく物語はイメージであって。


 三茶に帰ってから太子堂のゴリラビルのとこを斉藤歯科の方に曲がって「Baker Bounce」というハンバーガー屋に行った。軽く一時間近く待ったために、その前の夜七時に起きてからバイト(6連チャンラスト)行って寝ないで映画観てだったので立ってたら何度かフラついた。人がけっこう並んでいて有名なお店みたいだった。
 まあ人に誘われない限り並んでまで何かを食べようとは思わない食に興味ない人間なのでたまにはいいかなと。たいてい並んだら腹減るんだから不味かったら逆に凄い。で待って中に入ってベーコンチーズバーガーを頼む。


 ハンバーガーはだいたい千円少しぐらいの値段で値段は高め、マックのハンバーガーだったら十個は食べれるんだけど、マックはポテトの糞みたいに臭い匂いとトム・ヨークの発言以降、僕は大の苦手になり嫌悪感を持ってしまったので基本的には行かないし差し入れで買ってきてもらったら申し訳ないのでいやいや食うぐらいだけど、高いものはそれなりの理由があって肉は炭火で焼いた匂いがしてきて本当に肉汁が溢れ出す。
 大きさも充分でひとつハンバーガーを食べるとお腹が一杯。並ばないで食べれるなら一人でもたまに懐に余裕があれば行きたいけどどうせ並ばないと行けないので本当に気が向いたら行こうかなって感じ。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13004780/


 「めちゃイケ」でナイナイと小栗旬が食っていた西友の隣に出している屋台焼きそば屋は客がけっこういた、ツリボリはいつも通りだった。


 ABC(青山ブックセンター)のイベント告知を見て「森達也『マジョガリガリ』(TOKYO FM出版)刊行記念
森達也×糸井重里トークショー「『マジョガリガリ」を考える」ってのがあって行こうかなと思う。
http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200904/20090401.html


 糸井さんも昔から好きだし、森達也さんも「A」「A2」観てから影響受けて著作何冊も読んでてお二人が話すことに凄く興味はある。青ブクの本店なら歩いてでも行けるし、昔シナリオセンターに通ってた時は時間つぶしでよく行っていた。


 西島大介さんのホームページに五月から連載する作品の前口上みたいな文が載っていて西島さんらしい文章で新連載に期待値が上がる。僕も去年から書いていた小説は「ゼロ年代」最後の年に向けたものだったから、何か嬉しいものがある。
 http://www.simasima.jp/


ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて」
神様はいない。けど、いた。'90年代の終わり頃に。
もちろん麻原彰晃じゃなくて。
リチャード・D・ジェームス、庵野秀明、そしてYOSHIKI
これが僕の神さま。なんてことだ、三人もいる。
'90年代の話を書こうと思う。本当のお話、本当の物語を。
神さまに、置いてきぼりにされた瞬間を。
'90年代のどんな事件より、どんな災害より、
もっと決定的に世界を終わらせてしまった出来事を。
彼がステージに姿を現してくれなかったあの日のことを。
あのテレ東のアニメの最終話を。解散と突然の悲劇を。
ほんのちょっと遅れてやってきた、本当の結末。
三人の神さまに、この物語を捧げる。
アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥー。


そろそろ夕方のテレビが始まる。
急いで帰らなくちゃ。
ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて。(西島大介


 そう、もう僕らのゼロ年代は終わるんだ。僕らの? 彼らの? みんなの? 誰の? 僕らにとっての僕らは誰が含まれるんだろう、でも僕らのゼロ年代だ、そう終わるんだ。今年はもうワンクールが終わろうとしてる。あとはスリークールを残すだけ。
 20世紀が過ぎ去って新しいミレニアムが訪れてってでもその価値観? あるいは表記はキリスト的西洋価値観、世界観だけど。別に毎月28日で13ヶ月で一年を構成したっていいんだよ、でも彼らにとって「13」って数字は真昼の月のようなもの、存在しているけど見ないでおく、あるいは目を伏せる数字、数字的因果律
 たぶん、世界に13ヶ月が取り入れられた時に今のこの文明は終わっている、あるいは価値観が逆転している、ぐるんぐるん回って変革している、でももうその時も僕らはいないかもしれない、だから僕らって誰だ? 
 僕にとっての僕らと君にとっての僕らはたぶん違うから。僕はそれを認めているんだ、だから僕らのゼロ年代が終わっていくのを眺めている、あとスリークールを、春が吹いて、夏が燃えて、秋が揺れて、冬が凍える、ただ漠然として崩落していくツインタワーを眺めていたのはもうだいぶ昔だ、だからあの頃に読んでいた小説の内容を覚えていないんだ、覚えてないんだ。

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