Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「20世紀少年なんていらねえよ、夏」

 常盤貴子さんは中学ぐらいから好きで、丹波哲郎さんが祖父役で出てたホームドラマぐらいからファンだった。僕はあの手のキレイなんだけど哀しそうな目が好きだ、実際にはそうそういないものだが。


 常盤貴子さんが所属する事務所のホームページで出演情報を何年も見ながらどんどんその事務所・スターダストプロモーションがデカクなっていくのを感じた。タレントも増えていくし、主演クラスも増えていった、映画の制作にもかかわるようになり、ヒットを飛ばし、バーターとして次世代の若手をどんどん主演クラスと引っ付けてドラマや映画に出して売っていった、悪いとは言わない、正しい株式会社の在り方だと思う。


 主要な主演クラスだと松雪泰子常盤貴子中谷美紀竹内結子柴咲コウ沢尻エリカ、若手だと北川景子夏帆とかがいて、なんとなく顔というか目の感じが似ていると昔から思っている。売れる目力なのか、大多数が好きになる憧れるような顔の形なのかもしれない。


 何かで読んだけど美しいと思うのはまとまっている顔、なのでいろんなものの平均値に近ければ近いほど人は美しいと思うらしい、だから美人とかカッコイイと呼ばれる人は平均値に近くてバランスのいい顔だという事になる。
 だから不細工だといわれる人はそのバランスが悪いからということになる。まあ、人は完璧なものをもとめるわけではなく、アンバランスなものを好んだりするので、美人だからみんなから好かれるわけでもない、という当たり前な事実がある。というか美人すぎると人から避けられるというか怖いもの知らずしか来なかったりするので、そのアタックに押し切られてアンバランスなカップルが成立することが多々あるらしいが。


20th Century Boy


 そんなわけで土曜日の朝一でその常盤貴子さんが出ている「20世紀少年」の映画を渋谷に観に行った。原作はカンナが出てきて少し経った所で読まなくなったので今回の第一部は読んでいる部分だった。
 常盤さんのコンビニでの仁王立ちシーンはファンとしてはスタイルええわあと思うのだが、他のメンバーに比べて常盤さんが10歳ほど若い、のでなにか違和感が。ユキジは僕のイメージだと松下由樹さんだったんだよなあ。


 常盤さんが一番輝いている美しいシーンはなんといってもドラマ「美しい人」の夕暮れのプールの鼻血だと僕は思う。


 そんな違和感を感じながらも映画を観る。原作に忠実な作り、時折少しだけ監督の堤さんの画っぽい感じも出るが今作は堤マジックをかなり封印しているようだった。なので、別に堤さんがやらなくてもよかったんじゃないのかという疑問もあるのだが、映画はおもしろかった、三部作まで観に行きそうな気がする。


 映画に関しては第二部の初めからの回想ということで始まっているうみほたる刑務所にいるオッチョ(豊川悦司)と漫画家(森山未来)が独房で話をする所から過去へ(第一部)の回想で始まる。これはこういう流れの方がわかりやすいので説明をしている構成だ(初めて観る人も多いならこの作りの方が観やすい)し、原作ファンにも二部への期待をもたせるようにしている感じだ。第二部からある意味の本編、第一部は過去あるいはなぜ第二部の世界になったのかの説明と流れという位置づけ。


 ケンヂ役の唐沢寿明さんも原作の感じを壊さずにやってます、宣伝もかなり日テレでしてたし、主役って映画と宣伝をやらないといけないのでしんどそうだけど。先週の「ガキ使」の村上ショージの舞妓さん教室ではゲストとして舞妓のカッコでダウンタウンやショージさんと絡んだりして、奇跡的な笑いも起こしたりと主役さんは大変です。
 映画の主役は宣伝きちんとしないといけないと思うし、映画を観てもらう為のプロモーションを嫌がるような主演クラスは映画にたいしての愛がないと思うのでそんなやつはやらない方がいいと思う。
 唐沢さんはきちんとやってるので作品にたいしての責任をもってるだろうし、三部作までやり遂げるだろう、そういう部分って役者じゃない部分だけど表に立つ人には必要な部分だろう。


 映画は普通に面白い、原作に忠実だし、一応終わった後には第二部の予告も流れていた。堤さんがあまりお遊びをいれてない辺りは堤ファンとしては残念だ。「H2」のドラマの中で原作のあだち充さんと編集者らしき人を出したりとかそういう遊びとか好きなんだけど、この作品でそれをやると原作の世界観を壊すからできないよなあ。やっぱり堤さんじゃなくてもよかったんじゃないか?と思ってしまうのだが。


 役者でいうとARATAはおいしい役どころだなあ、「蛇とピアス」でもメインのキャラを演じるはずだし、彼は映画にたまに出ては印象的な役どころが多いな、「実録、連合赤軍」もそうだったし。


 堤ファンとしては「トリック」「ケイゾク」も好きだけど、一番好きなのは渡部篤郎主演「愛なんていらねえよ、夏」だったりする。かなり名作だと思うんだけど周りに好きだと言う人がいない、あの渡部さんは最強だと思うんだけどなあ、低視聴率だったけど。


Life- Ayako Ikeda (愛なんていらねえよ、夏)



 「20世紀少年」の漫画の終わりは人づてに聞いた。映画ではどうするのか期待だ。
 ケンヂたちが少年時代に書いた予言の書を軸にそれが実際の出来事になって「ともだち」は世界を滅ぼそうとする。やがて「ともだち」を止めるために立ち上がったケンヂたちはテロリストとして指名手配されながら21世紀になる前に「ともだち」の計画を阻止しようと戦いを挑む、みんなにやばくなったら逃げろと言って。彼らは死ぬなと、生き延びろと。彼らはヒーローでもなくてただの人だから、生きる事が大事で、大事な人を残して死ぬつもりはさらさらない。だけど覚悟はしている。


 そこには原作のメッセージがあると思う。ケンヂはすっかり忘れていた「予言の書」のことを。自分が言ったことおこなった事を自分自身が忘れたとしてもまるで過去が未来に復讐するように、自分に返ってくる。
 バタフライ理論のように自分がした行為や言動が知らぬうちに何かに影響を与えることはこの世界では当たり前のようにある。知らないうちに誰かを傷つけるし知らないうちに勇気づけたりしている、引き蘢ってネットで何かを書き込むだけでも誰かに影響を与えることもある、人と人が何かで繋がれば嫌でも何かの影響や変化を起こすことがある、それがこの世界で、それを怖いと思うのなら人と触れ合う事は不可能になってしまう。


 人と人が触れ合うといい事も悪い事も含めて変化は起きる、それを恐がっては何も始まらない、そして何かの形で自分に返ってくる、それは「希望」かもしれないし「絶望」を伴うものかも知れない。


 「希望」の話をする時に「絶望」を抜いては語れない、等しく存在するものだから。