「めっちゃブルーやわあ」と言い出したのはダウンタウンの松本人志こと松ちゃんであると思うし、本人もそんなことを以前テレビで言っていたような気がする。
笑い番組や芸人さんが生み出すギャグなどに著作権は存在していない、あってもないのと同じようなものだ。類似番組やネタや罰ゲームは横行する、そして視聴者は何度も見ると飽きてしまう、おまけに今の時代は クレーマーと言っていいような保護者やPTAのおかげで過激さも出せずにテレビが面白さを失っていく。
芸人がイジられるのはご飯を食う為だし笑いの為なのだ、しかしそれがイジメに繋がると平気で言える人はどんな人間なのだろうか?昔から不思議だ、単なるアホだと思うけど。
イジられる芸人はそれはおいしい事であり、ご飯を食べる仕事だ、それを子供に教えられると思うし、真似する子供はどこにでもいる、過度にやりすぎるのは親が教育できてないバカな親子の家だろうし、クレームによって番組が潰れて飯を食えない芸人が出る事の方が生存権を脅かすイジメよりもひどい仕打ちだ、そのことに気づく人はそんなことをしない。
僕はお笑いが好きなのでそう思う、イジメに繋がるかもしれないとしてもだ、でも人間が社会を築いて平和だったことなんてないし大人の世界でイジメがなくなったことはないだろう、バラエティのせいにできたらどんだけ楽でわかりやすい世界だろうか、この世界はわかりにくい世界だ。
様々な感情があって、想いと行為がそのままになることに現れる事も歪んで現れることもある、わかりやすさを求めていったら善と悪という分け方しかできなくなってしまう。グレーゾーンを排除したら人間の生きづらさがさらにましてしまう。わかりやすさやいいわるいとかで分けていくとそこにいれない人や区分できない人は息苦しくなるだけだ。
「ガキ使」は罰ゲームを考えるという企画、今までこの番組が出してきた罰ゲームが他の番組で使われている、ならば新しい罰ゲームを作って試そうというやつ。松本さんが考えそうな企画だな、と思う。
今は森達也著「メメント」を読んでいる。森さんの本は読みやすいし森さんの考えが率直に書かれているので、自分自身も考えることができるし、世界の見方ということを考えるきっかけにもなった。「A」「A2」はやっぱり衝撃的だったなあということがデカイ。当たり前だと思っていた事を違う角度から見てみると違う世界の色や考え方があることに気づく。
メディアが大きくなりすぎた今、メディアを一方的に信じる事は自分の考えを消して操られるような無意識のうちにマインドコントロールされるようなものだ。おばちゃんが小泉元首相にキャーキャー言ってたことはそういうメディアの伝え方で伝播していったからなのだろう。信じるなとは言わないけど疑ってまず自分で考えていかないとダメだとは感じる。
平気で国や政府、行政は僕ら国民に嘘を付くから、しかもメディアを使って周到に。
フリーターが増えて問題ですと言われても正規雇用を増やせなくなったから、フリーターを増やして会社の人件費を削減して純利益を上げて景気をよくしようとしたのはこの国だ。フリーターの僕は思うけど、フリーターやっててまじめに年金とか保険料払う気はしませんよ、年金制度の破綻とか言われても破綻するでしょうよ、払ってたらしんどいもん、遊んだりとか趣味に費やすよ自分の金は。
数十年先の将来のことを考えることができるだろうか? 年金制度は破綻するだろうしそんなものに金払うなら今やりたいことも金を使いたいと思う人が増えて当然だ。
正規雇用減ってるんだから、国民のライフスタイルが一気に変化した、させたんだから。制度も変えるべきだし、ベーシックインカムとか生存権を守るために国が動きべきだと勉強もあんまりしてない僕でも考える。
「戦争だけが希望」というものもまったくわからないわけではない、それが論争になるのも。
団塊の世代だっけな、この数年で定年退職するぐらいのうちの両親ぐらいの年齢より上の人がいなくなれば確か年金の問題は解決すると何かで読んだような気はするが、姥捨て山じゃないがそんなことをできることもなく。昔は貧しい農家とかだと飯の食いぶちを減らす為に山へ祖父や祖母を捨てにいったと民俗学関係の本で読んだが祖父や祖母はそれを受け入れるしかなかった、孫や子供を生かす為に自分が死ぬ事を受け入れた。
今のフリーターやニートが年を取り、生活ができなくなったりすると生活保護や例えば年金で保護されるとなるときちんと収めていた同世代は反発するだろう、自分たちはまじめにやってきたのにやってなかったやつらの尻拭いをして飯を食わせないといけないなんてイヤだと。そして、僕らフリーターやニートは将来的に働けなくなったりして犯罪に走る可能性も示唆されている、まあ可能性はデカイよな、食えなくなったら人はなんでもすると思うし。
などとありきたりなことを考えていた。
大塚英志原作「東京ミカエル」という漫画があり、塀で囲まれた渋谷の中で目覚めた17歳の少年少女たちが生き延びて18歳になれるかどうか、これは大人になる「通過儀礼」だ。時折彼らは武装した兵士に間引きされる、つまり殺される。18歳になれるものはわずかだ。という漫画がある。
「バトル・ロワイヤル」以前にあった漫画だったかな。「東京ミカエル」を元ネタに渋谷でもいいけど、塀で囲まれた場所で団塊の世代ぐらいの人と二十代から三十代のフリーターとニートを戦わせる、殺し合いをさせてある期間生き延びた人だけが元の生活に戻れるという話。
まあ、そこには政府の年金問題解決のために団塊の世代を減らして、フリーターやニートもある程度は減らす間引き的な狙いがあるという設定。政府は彼らを殺さないが数を減らす為の政策の一環として。
だけど、団塊とフリーターニートの一部には団結してこの制度を政府に歯向かう勢力というか団体ができてくる、もちろんその街には武器はいたるところにある、殺し合いをさせるための武器が。その武器が政府に向かうし、一部には赤軍の生き残りなんかも混ざっていて(赤軍は団塊の世代だっけな、曖昧だ。まあフェイク偽史にしたらいいのかな)超法規的処置で仲間を刑務所から出そうとしたり北朝鮮に行かせろなんて言い出すかもしれない、終わらなかった青春を取り戻そうとするかもしれないし、その街に独立政権を作るかもしれない。まあ、主人公がいるとしたらそういう所には身を置かずにその街から出て行って自分の街に戻るかもしれない。独立政権を作るってなるとなんだか「AKIRA」の最後みたいだけど。
そういう話をちょっと考えているけどこれはかなり資料とか読み込んで創り上げるのに時間がかかりそうだし、表現力がいるよなあ、「半島を出よ」を少ししか読んでないけどあんな感じになるのかもしれない。