Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

八百万の神々の討論

 起きたら18時過ぎだった。


 テアトル新宿で「実録、連合赤軍」の映画を観ようと思ってたけど、この時間から行くと帰りのラッシュに巻き込まれるのでやめといた。
 もう一つ観ようと思ってまだ観てなかった「CONTROL」を観ようと予定変更して歩いて20分ぐらいで渋谷へ。 シネマライズにて観賞。平日の最終回は空いてていいですね、今度からは最終回に映画観ようかなとも思います。


CONTROL
http://control-movie.jp/Main.html


 ニュー・オーダーの前身バンドだったジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリスト、享年23のイアン・カーティスの生涯を描いた作品。


 「存在 それが何だというんだ 僕は精一杯 存在している」


 1976年、セックスピストルズによる伝説的なマンチェスター初ライブ。レッサー・トニー・トレード・ホールに集まったのはわずか42名だったが、のちに“マッドチェスター・ムーブメント”の旗手となる若き男たちが詰めかけた。(これは映画「24アワー・パーティ・ピープル」に描かれていたはず)ファクトリー・レコードの創設者トニー・ウィルソンや天才プロデューのマーティン・ハネット、ザ・スミスモリッシーシンプリー・レッドのミック・ハックネル、スティック・キトゥンズのバーナード・サムナーとピーター・フック・・・。
 田舎町でデヴィッド・ボウイに憧れるイアン・カーティス少年もその歴史的瞬間を体験していた。ギターもろくに弾けなかったが、音楽の道に進む決意を抱いていた。翌年、バーナードとピーターのバンドにイアンは加入。“ワルシャワ”となったバンド名は、ファクトリーと契約するころには(ナチスドイツ時代の将校用慰安所から)“ジョイ・ディヴィジョン”へと改められる。
 ヴォーカル兼ソングライターだったイアン・カーティスは、低い独特の歌声と聴衆をどこか煽動するような歌詞と激しいステージ上のパフォーマンスで、“ポスト・パンク”を代表するカリスマヒーローになっていく。


 モノクロで撮られた映像、肉体を持ったカリスマではないイアン・カーティスがそこに佇む。
 19歳でデボラと結婚し女子を一児もうけるが、バンドのインタビューをしたベルギー人女性アニークと愛人関係になり、その板挟みに苦しむ。初ライブの帰り道で大きな発作が起こり、てんかんと診断される、たびたびそれが原因で倒れる。
 しかしバンドは一気に売れていく。ジョイ・ディヴィジョンが次第にこんなにも大きくなるとは想像していなかったイアンは苦しみ始める、もう自分の手の負えない化け物になっているバンドとその状況、自分の家庭と愛人との関係の中で自分を見失っていく。


 アメリカでのツアーが決まる。アメリカに出発する前日、イアンはデボラと娘がいる家を訪れデボラに離婚しないでくれと言うが、アニークから離れられない本心を突かれ、デボラを家から追い出す。
 アメリカ出発の当日の朝、アニークが家に戻ってきて中に入ると宙に浮いた夫がいた。23歳だったイアン・カーティスアメリカツアーに旅立つその日に人生に区切りをつける。


 どっちかに決められないというよりは選べなかったことで彼は苦しむ、妻と愛人の間を彷徨う。
 そして、最終的には自分の周りの人間全てを裏切る行為で終わる。


 残されたバンドメンバーとしたら最悪な月曜日だったはずだ。アメリカでいよいよ世界に打って出るという時にヴォーカルが死んでしまうというどうしようもない怒りと哀しみ。残されたメンバーはのちにニュー・オーダーとなり「ブルーマンデー」を世に出すことになる。


 イアンはコントロールが取れなくなっていく、自分が冒したことも過去に起きた出来事に復讐されるように、てんかんは止められず、多くの人に求められていく中で自分が自分ではなくなる感覚が怖くなっていく。


 フォトグラファーである監督の画の構図はいいし、主役のイアン役のサム・ライリーも空気感というか存在感があって、ちょっとディカプリオに似てる顔立ちのような気もしたけど。今年一発目に観た「ミスターロンリー」ではマリリン・モンローだったサマンサ・モートンもイアンの妻の悲哀が出てた。


 神格化されるミュージシャンは死に急いだのか生き急いだのか若くして自殺したりしている。そういう人の方が人々を惹き付けてやまない。

 彼らは永遠に年を取らずに世代のアイコンとして、同年代が年老いていって若き頃に記憶と共に輝きを放ち、知らなかった世代が新たに知って(こっちが原因で神格化されるような気もするが)さらに存在感を増す。
 自殺するには表現で苦しんだよりは内面的な感情と外的要因(病気とかドラッグとか)が原因となっていて、彼らの苦しみは僕らにも共有される。

 こういう作品はミュージシャンというよりは一人の人間としての彼らの人生をドラマにしているのでより身近な人になる。


 この作品においてはモノクロだからより世界観が強固なものになり、彼らの音楽が彩りを与える。 


 帰りにツタヤでロッキンオンを立ち読み、フェスの特集と大物バンドの今年の動きなんかがありました。フジロックサマソニも行かないけど。 サマソニはコールドプレイだし、あんまし好きじゃないんだよなあ。嫌いでもないけど観に行く気もしないしな。フジロックは遠いしなあ。


 10月のレディオヘッドさいたまスーパーアリーナでの2daysあるライブはクリエイティブマンの先行で金払ったから半年後が楽しみだけどおかげで金が飛んだ、半年先って神無月ですよ。第一に今クリマンで申し込んでる人間のうち半年先には何人かはいなくなってるよ、この世から。


 半年先の予定って立てれるけどやっぱり怖いよなあ。


 まあ、なんだかんだ言っても2日のうちで「Fake Plastic Trees」聴けたらいいんだけどね。


 でも半年先に今後の見通しが経ってなかったらかなりやばいけど。死なない程度にやることやらないと。
 半年先ってすごく同じような日常な気もするけど全然違う日常にもなりえるから。


 神無月について(注・芸人さんではないです)


 以下・森見登美彦四畳半神話大系」より

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)


 その日、下宿の辞典で調べてみて、恐るべき事実を私は目の辺りにした。
 そこには、八百万の神々は出雲で侃々諤々の論争の末に、男女の縁を極めているということが書いてあった。たかが運命の赤い糸を結んだりほどいたりするために、諸国の神々がわざわざ一堂に会するという。あのラーメン屋で出会った胡散臭い神様が言っていたのは本当のことらしい。
 私は神々に対する怒りで震えた。
 もっとほかにすることはないのか。


 ↑ほんとだよ。