Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『シェイプ・オブ・ウォーター』『アイ、トーニャ』試写


 公開初日、TOHOシネマズ渋谷の朝一の回で『シェイプ・オブ・ウォーター』鑑賞。主人公のイライザの顔が途中で変わる、それがすごくエロチックで、作品はファンタジーであるけどセクシーさがあって素晴らしかった。顔が変わるのは単純に、水に関するシーンで言葉を話せない彼女が半魚人(あるいは神)と交流し通じ合った時に「女」の表情になるのだが、それがとんでもなくエロい。
 言葉を話せない彼女と異星人のような人間ではない半魚人のような彼(たぶんオスだと思うのだけど、あれはついてるっぽいし)と通じるという部分で、僕が好きな映画『宇宙人ポール』『第九地区』と同じ構造があると思う。彼らは故郷(元いた場所)に帰っていくという点だ。宇宙人であれ半魚人であれ、彼らは例えば移民だったり言語が違う人種のメタファーとして見ることもできる。僕は彼らに何かを投影してしまう。
 故郷に帰りたいという気持ちよりも惹かれるのだけど、会話による意思疎通ができない状況でも彼らと関わる「人間」は「人間」として存在できるのか、という点にも自分の理想だったり思いを重ねている部分があると思う。
 『シェイプ・オブ・ウォーター』はまあ大好きなタイプの映画です。しかし、監督はロマンティックだなあ、と思う。



 18時からの『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』の試写を同じく渋谷で観る。内容がアメリカ!て感じが濃厚でした。実在のトーニャ・ハーディングがモデルなんだけど、彼女の家庭環境や結婚などアメリカの悪い部分もあるし、それを乗り越えてきた彼女とスケート協会が求めるもの、衝突ばかり。そして、驚くほどに彼女が手にしたものは本人が予期しないところから崩壊していってしまう。これはもしかしたら、彼女が、ということもゼロではないのかもしれないが、止めることはできない事柄だ。
 劇中でも語られるような、親和性のある親友か憎むべき敵になるかのどちらかしかない辺りもアメリカらしすぎる。『スリー・ビリボード』好きなら好きなタイプではないかなって。観客に対しての皮肉もバシバシとくる部分も今になって作る現在的なものがあった。
 栄光を手にしようとした瞬間に引きずり下ろされる、自分の大切だった人や知り合いのある種の善意(だと彼らは思っているし、無意識の悪意も混ざっているのかも)が、手を伸ばせばすぐ先にある王座への階段から投げ飛ばす。そして、それに群がるマスコミやテレビカメラ、それを楽しみに文句を言いながらビールを飲みながらピザを食べる。日本だって変わらない、新鮮な餌食はいつも大衆に捧げられて、飽きたらすぎ次の生贄が用意される。その生贄にいつか自分がなるかもしれない、なったらもう人生は終わるかもしれない、真実ではないレッテルのまま生きていくしかなくなるかも知れない。それぞれの関係者に各々の真実がある、細部は異なっている。誰かをバッシングすることで、それをしているメディアを見て憂さ晴らしをしている間に、僕らはどんどん人のことを大事にできずに信用できない世界にしていってしまっている。映画の中でトーニャが見つめる観客への視線は僕らをなんとか押しとどめるようなものがある。