6月上旬の日記(2024年6月1日から6月15日分)
6月16日
日付が変わってすぐに上旬の日記をこのブログに、半年前の日記をnoteにアップして寝ようとするが、なかなか寝付けずTVerで『ゴッドタン』で四千頭身がゲストの腐り芸人セラピーを見て、昼間に見ていた『夜明けのラヴィット!』をもう一度流しながら目を瞑っていた。
『夜明けのラヴィット!』は『笑っていいとも!増刊号』みたいな月曜日から金曜日までの生放送を凝縮した編集版。相席スタートの山添寛の誕生日は一日の放送全部使ってお祝いをしていた。6月11日火曜日が彼の誕生日でその日の放送分も見ていたが、いろんな人に愛されてるなと思える内容だった。その一ヶ月後は僕が尊敬している人の誕生日だなって思って、さらにそのちょうど一ヶ月後ではないけど8月10日は亡くなった友達の誕生日だなって思いながら当日の放送を見ていた。
僕はほとんど人の誕生日を覚えていなくて、覚えているのも片手ぐらいだから、その中の一人のお祝いを伝えられないのはとても悲しい。
起きてから『オードリーのオールナイトニッポン』を流しながら朝からライティング作業を。昨日夜に構成をもう一度考えたから最初の方に前に書いた短編をうまく組み込めないか試行錯誤。なんとなく東京湾から始めたい気がしたから、その短編をリライトしていった。
10時前には家を出て渋谷方面へ。東急百貨店本店はBunkamura以外はすでに解体されている。この光景になってしばらく経っているけど、Bunkamura自体の解体はもう少し先なのだろうか。いろんな舞台も観たし、マルゼン&ジュンク堂書店に行くのが本当に好きだったし、あの大きな本屋は僕にとって大事な場所だった。
ヒューマントラストシネマ渋谷で黒沢清監督『蛇の道』を鑑賞。1998年に黒沢監督が手がけた同名映画をフランスに舞台を移してセルフリメイクしたリベンジサスペンス映画。以前の作品では哀川翔主演だったが、今作では柴咲コウ主演と男女も入れ替わっている。
愛娘が何者かに殺された父親のアルベールが知り合いになった精神科医の新島小夜子(柴咲)の助けを借りながら犯人を突き止めて復讐をしていく。
アルベールの娘はある財団の関係者に拉致されて無惨に殺されていたが、どうやら臓器売買なども関わっているようで、関係者を二人は捕まえて監禁しながら何が起きていたのか真相を暴いていく。冷静沈黙で無駄なことをしない小夜子がなぜアルベールに手を貸すのかは終盤まで明らかにされない。
財団の関係者を追い詰めていき、真相がわかる終盤の方でのアルベールと彼らの銃撃シーンがちょっとしょぼいというか、アルベールもプロでもないけど、相手はもうちょっとちゃんとした護衛とかボディガードつけとけやと思ってしまった。なんかユルユルというか危機意識がないけど、本当に臓器売買とかしてるような財団ですか、これは、という。
序盤から小夜子役の柴咲さん見てたら顔が前よりも中谷美紀さんに似てきたなあって思った。そういえば二人とも音楽もやってたなあ、というか二人ともある時期までの彼女たちが所属している事務所のスターダストプロモーションの主役級女優の顔系統だよなあって。竹内結子さんぐらいから少しラインが変わった気がする。
小夜子がなぜアルベールに手を貸していたのか、それがわかると彼女の行動は納得はできるのだけど、日本にいる夫に対してのやりとりとか諸々含めて、彼女のある復讐自体は終わってない感じになっていた。正直途中ちょっと眠くなった。
帰りにあおい書店に寄って発売された『MONKEY』最新号「ニュー・アメリカン・ホラー」特集号を購入。昨日ポストトークでもお見かけした柴田元幸さんとアメリカの小説家のブライアン・エヴンソン共同編集したもの。
ブライアン・エヴンソンの小説はどこか仄暗い感じがあって、現実と異界や少し異なる世界がシームレスに繋がっていく感じがあってホラー的なものとしても読めるし、柴田さんが共同編集したのもたのしみ。
家についてからとりあえず古川日出男さん連載『百の耳の都市』の最新回「夫婦善哉」を読む。古川さんが第40回織田作之助賞から選考委員になったことで、そのリスペクトを込めた小説になっていた。
ゆらゆら帝国「冷たいギフト」(Official Music Video)
夕方から作業の続きをしようと思った時にたまたまYouTubeでこの曲が上の方にあったので久しぶりに聴いたら、今の気分ととても合っていたのでSpotifyでゆらゆら帝国を流した。
6月17日
Creepy Nuts初の東京ドーム公演決定、ニューアルバム制作中
クリーピー東京ドームでライブやるんだ。すごいなあ。昨日、来週の三四郎の単独ライブに一緒に友達に集合時間とか終わってから飲みにいくお店を連絡していた。
亡くなった友達が生きていたら三四郎単独も一緒に行っただろう(去年の単独の後にその話もしていた)し、クリーピーも一回ライブに行きたいねって話してたから、東京ドームに行こうよって僕がラインをしてただろうなとありえた可能性について思った。
新TwitterことXを開いたら三四郎に一緒に行く友達から「クリーピーどうしますか?」ってDMが来ていた。とりあえず取れるかわからないけど応募はしてみようということになった。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』は外れて一緒にライブビューイングした人だし、僕はまだ一度も東京ドームに行ったことがない。
7時前に起きて可燃ごみを出しに行く。ネットがあるので今のところカラスも寄ってきていないし、荒らされていない。
前まではよく聞こえていたカラスたちの鳴き声もしないし、今のところはネットをするようになったこと、あとはカラスの巣立ちの時期が近づいているのでおとなしくなり始めていることなんかの相互作用なのかもしれない。
リモートワークが始まるまでにちょっとライティング作業をして、仕事を開始。やる気はあまりないけど、読まないといけないものがあるのでそれを読みつつメモっていく。
リモート終わってからライティング作業関連で今できているところを全部読んであることに関するアイデア出しをすることになったので、再度読み返す。読んでいる時にはそこまで浮かばないのでちょっと脳内に入れて放置。明日とか明後日ぐらいに何か気になったところをもう一度読んだりしたら、なんかワードが出てきそうな気がする。
グーニーズの有名な日本版のイラストは生頼範義さんが描いたんだけど、右のアメリカ版より評判が良くて、そのあとの商品のパッケージは生頼バージョンが多い。#午後ロー pic.twitter.com/x7IUz6heyW
— ハル太郎 (@haru9286) 2024年6月17日
テレ東のお昼の時間帯に映画『グーニーズ』が放送されたらしい。左のイラストは記憶にずっとあるし構図も色合いもカッコいいと思っていたけど、日本版だったんだ。右のも見たような記憶はあるけど、『グーニーズ』といえば生頼範義さんが描いた左側のイラストが浮かぶ。
少年たちの中で中国系アメリカ人のリッキー・ワン(データ)を演じたキー・ホイ・クァンは2022年(日本では2023年)公開の『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』でアカデミー賞助演男優賞を受賞する快挙を成し遂げたのも印象深いが、主人公のマイキーの兄であるブランドを演じていたジョシュ・ブローリンが『アベンジャーズ』のラスボスだったサノスを演じていたというのを知ったのが一番の驚きだった。
『83Lightning Catapult』#123 正論が嫌いで 自己肯定感が高いシャバいやつ
アイデア出しのために再読していたものが最後まで終わったので月曜夜のお楽しみな「ライカタ」最新回を聴く。
最初に相談を送ってきた人に対して相田&酒井コンビがわりと芯をつくというか直球でぶん殴っていたのでちょっと笑ってしまった。
正論が嫌いと言われてもそれが刺さっている時点で自分にとっての事実だし、それを認められないでそれを言ってくる人をディスるというか敵対心を向けてもロクなことにはならないし、自分の成長を止めるしきっかけを失ってしまう。
周りがそれでも認めてくれるような天才か突き抜けれるならいいけど、と相田さんも言っていたが、世界の99%以上は世界を変えてしまうような天才ではないので、諦めて多少の社会性を身につけながら少しずつ環境や周りを変えていく方が絶対にいい。
6月18日
『空気階段の踊り場』を聴きながら寝落ちしようと思ったら最後まで。その後の『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら寝落ちした。深夜に入った時点で雨の音がかなり聞こえていた。
起きてからペットボトルの回収日だったので出しに行くと雨粒がかなり大きく強く降っていた。昨日読んだ原稿から出したアイデアを再考しながら『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を流していた。
10時から駅前の皮膚科での検診を予約していたので9時半過ぎに出て、銀行に行って住民税を支払ってきた。裏金議員とそいつらが押す小池都知事の再選はなんとか防ぎたい、そもそも僕は一度も裏金脱税泥棒議員がいる自民党にもそこに所属する議員にも投票したことないし、小池含めて今まで都知事になった人に自分の一票を入れていない。いい加減みんな民主主義を破壊する人たちを当選するのをやめさせないと、本当に終わるし、税金だけ上げられていくだけなのに。
10時前に行って待っていたらすぐに呼ばれて、診断してもらった。今回は処方箋が出なかったので本当に診てもらうだけだった。ピロリ菌の除菌薬による薬疹、アレルギーの原因を調べるための血液検査をしたので、その結果次第で除菌を続けるか、やめるかも決まるんだけど、次の皮膚科の予約はその後ということになった。
皮膚科の前のキャロットタワーに寄ってTSUTAYA書店で新刊で発売日の古川日出男著『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を購入。
異様にポップなイラストの装丁になっていて、最初これを見た時は驚いた。通称「パンオペ」のこの作品はノンフィクションでありながらもフィクション的な要素が混ざり込んでくる形になっていて、連載で読んでいる時にはノンフィクション『ゼロエフ』における終盤の「ゼロエフ」が出てくるものがさらに発展した小説なんじゃないかなと思っていた。
しかし、大雨、雨雨雨。13時から渋谷で映画の試写があったけど、30分ちょっと歩いて行ったら全身びしょびしょになるから諦めた。もう読書だ、晴耕雨読しかない。
もう少しで読み終わりそうだったものから手をつけていく。フィリップ・K・ディック著『ジャック・イジドアの告白』を最後まで読む。主人公?というかディックがモデルらしき無職で居候の兄がいて、その妹が今でいうサイコパスなのかな、珍しくSFじゃないけど、妹夫婦の関係性や日常がどんどん壊れていく、妹と関わる人たちが壊されていく、みたいな作品。ディック作品の中では異質なんだけど、兄が神秘主義っぽいサークルとの関係性を持ったりする辺りは晩年のディックとも通じるのかもしれない。
こちらも残り二編になっていた木山捷平著『白兎|苦いお茶|無門庵』を最後まで読む。先々月発売の『新潮』に掲載された村上春樹著『夏帆』を読んでいた際に、右上にあった木山捷平短編賞募集の広告を見た。
高校で通っていた笠岡市出身の小説家・木山捷平のことをはじめて知って、彼の作品がいくつかまとまって出ている講談社学芸文庫を中古で数冊買って収録されている短編をちょっとずつ読んでいる。
地元の笠岡の少年時代に話や戦争中に疎開したり、戦後に実家付近へ帰ってきたことの話、戦前戦後に住んでいた東京の西荻とか中央沿線付近での話、戦中に木山が行っていた満州での出来事など様々な時代のことが書かれている。
場所は上記のものがほとんどで、私小説だから急に九州とか北関東みたいなところは舞台にならない(あるかもしれないけど、今のところない)。そういうことも含めて四十歳を越えた今の自分だからこの短編たちを楽しめている部分もあるのかなと思う。
市井のユーモアと現実感と人間臭さ(めんどくささ)みたいなものは正直渋いし、落語とは言わないけど趣というか味わいがあって、若い頃にこの魅力に気づけたのかは自信がない。
この『白兎 苦いお茶 無門庵』を読み終えてから、古川さんの『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の第一部まで読もうと開くと序文「ココアかカブトガニか?」がある。笠岡市にはカブトガニ博物館があるから、小さい頃からカブトガニには馴染みがあるから僕の中では繋がっていく。
火曜日はSpotifyで毎週聴いているポッドキャスト(『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』『あのと粗品の電電電話 』『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P ポッドキャスト』)が配信されるので、聴きつつ読書(「パンオペ」)の続きをしてから、昨日読んだ原稿のアイデア出しを送信してから自分の原稿をやる。なんだか異様にダルいというか眠かったのは雨で気圧がおかしかったからとしたら、明日から晴れそうだから大丈夫かな。
6月19日
目覚ましが鳴るほんの数秒前に起きる、すぐに目覚まし時計が鳴り出して止める。その瞬間、いや、数秒間の謎の空間というか自分の意識と時間の関係、不思議だけど何かがうまくいっているように思える。体内時計なのか、脳内時計なのか、わからないけど24時間という枠組みをちゃんとわかっている。そのことに少しだけ安堵する。
リモートワーク開始まで寝転んでダラダラ。radikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』を聴き終えて『JUNK 爆笑問題カーボーイ』途中からリモート作業開始、そのあとは『星野源のオールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』といつもの水曜日のルーティン的に深夜ラジオを流す。
「アルピーDC」は平子さんの先週のラウンジに行ったトークからの続きで後輩芸人と呑んで楽しかった話をしていたけど、座組としてありえそうだった。
「爆笑カーボーイ」は鶴光師匠のラジオ番組での替え歌についてニッポン放送が謝罪した件で、太田さんなりの考えを話していた。鶴光師匠といえばエロい話やネタだし、時代にどうこうではないはずなのに、今回なぜ謝罪したのかという視線が太田さんぽかった。
「星野源ANN」はラブホで「星野源ANN」を聴いてますというメールが時折リスナーから送られてくることは今まで何度かあった。今回は56歳の主婦の人(夫は60代)がそれをラジオで何度か聴いていて、意を決して「誕生日プレゼントいらないから今夜ラブホ行かない?」「ラブホで星野源さんのオールナイトニッポン聴きたいねん」と(10年レスな)夫に伝えて、今メールしましたという話がとても良かった。
「あのANN0」はツアー初日でライブをやったばかりなのに深夜に生放送をしているあのちゃん、ちょっとすごすぎる。ライブハイになっているのかなって思えるほど、テンションは高くてめちゃくちゃ喋っていた。もうこの人ラジオパーソナリティーとして実力ハンパないんじゃないかな、音楽が一番大事だし芸能界に興味ないからいつでも辞めれるって話しているけど、ライブとラジオは続けてほしい、ほんとに。
最後にイエンタウンバンドの『上海ベイベ』が流れた。番組で流れる楽曲はあのちゃんセレクトなのだけど、曲について解説とかどういう理由で選んだかはほぼ話さないのだけど、最初に流れ出して懐かしいなって思うのと同時にCharaさんが歌ってるとわかっているけど、一瞬あのちゃんとも声質似てるのかもって思った。カバーとかしても良さげ。
リモート中に『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX』のカドカワストア全BOX購入特典【複製原画16枚セット】が届いた。
西園弖虎&犬山犬彦&笹山徹の三人組はこの構図ではないけど同じ三人で同じ車のイラストがコミックの中でカラーになっていて、前にあった個展でポスターを買っていたのでなんかうれしい。
複製原画は元々3月に届くみたいな話が遅れて今になったけど、届いちゃうと「サイコ」本当に終わっちゃったなって気もする。遅れたのは問題ないんだけど、いまだにKADOKAWAのサイトがシステム障害で利用できない状況だけど、解決しないと物流だけでなくて作家さんへの支払いとかすべてが滞っていき、会社としても潰れるんじゃないか、そして、中国とか海外の大きな企業に買われるっていうオチがあるのではないかと思ってしまう。そうならないようにはしてほしいけど、原因を突き止めることができるのだろうか。
仕事が終わってから散歩がてらブックオフに行った帰りに246沿いの前までは大きな駐車場だったところがスーパーになっていて、オープンしてほとんど日が経っていないから一度も入ったことがなかった。どういう作りかを見ようと思って中に入ったらめちゃくちゃ混んでいた。しかし、このスーパーの名前って何て読むんだろう。
もしも、右目で見ているもの(対象物、事象、そして世界の展開)と左目で見ているもの(同じく対象物、事象、そして世界の展開)が完全に等しいのならば、ひとつの目で足りているはずだ、と言ってしまえている。
もしも右目で現在の現実を見ているのならば、左目ではコンマ1遅れの現実を、つまり過去を見てもいいのではないか。あるいはコンマ1早い未来を認識してもいいのでは? 私はどこかで、それこそが〈立体視〉の真実なのだと感じているのだ。
パンデミックそしてオペラ #01 人類はどうして立体視をしているのか
今読み進めている「パンオペ」の著者セルフ解説がアップされていた。これを見る前に明日の予定を決めていて、ここで書かれている〈立体視〉と関係があることだったのでなんという偶然、いや必然なのか、と思いつつも明日入れた予定はたぶん正しいのだろうと確信する。
ライティング作業を進めてから寝落ちするまで「パンオペ」と他に積読している本の続きを。
6月20日
深夜3時過ぎに目が覚めたのでとりあえず可燃ごみを出しに行き、そのまま『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をほぼリアルタイムで聴きながら寝る。
7時前に起きるが、カラスの鳴き声はほとんど聞こえていない。最近この付近はカラスがごみを漁って可燃ごみの日はゴミ袋が破られて中が路上に散乱するので、緑のネットを使うところが増えてきている。
カラスの子育てシーズンもそろそろ終わるだろうから、前よりは大人しくなるはずだけど、朝歩いているとゴミが撒き散らされて風でさらに撒き散らされているところもある。こういう場合の対策というのは区役所に言うべきなのか、各家庭やアパートやマンションの管理人がやるべきなのか。
野良猫たちを地域猫という名で生殖を管理したから、路上に野良猫がいなくなった。ここに住み始めた頃はたくさんの野良猫がいたし、放し飼いというか飼い猫だけど外に遊びに出てくる猫たちの交流や交尾があって次の世代が生まれていたが、地域猫として生殖機能を人間側が奪ったからもう子猫は産まれなくなり、残った猫は年老いて次第に死んでほとんど猫を目にすることがなくなってしまった。
猫の数がどんどんいなくなるのに反比例するようにカラスは増えていったし、黒い一族のゴミ漁りはより横暴に見えるほどに貪欲さが増してきたように思える。現在のカラスたちの反乱というかごみが氾濫する原因はやっぱり僕たち人間であることは間違いない。
8時半前に家を出て半蔵門線渋谷駅まで歩いていき、そこから一本で終点少し手前の清澄白河駅まで。目的の東京都現代美術館は駅から10分ちょっとだったけど、思いの外早く着きそうだったので一駅前の水天宮前駅で降りてから美術館を目指した。そうすると30分ちょい、隅田川を清州橋で渡って深川方面へ。この橋を撮っていたら見覚えがあるような気がしたので前に歩いたことがあるかもしれない。
東京都源田美術館に着くと会館の10時を少しだけ過ぎていたのでちょうどぴったりだった。ナイス判断。
行き来の間は最初しか聴いていなかった『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をお供に。佐久間さんがずっと好きだったけどタイミングやバンドが活動をしなくなったりして観に行くことができていなかったライブになんとかスケジュールを調整していった話をしていた。
例外的に何十年も演出をしながら自身も舞台に立つような演出家兼俳優の人や僕が中学生の頃にブレイクしてからずっと第一線にいるようなミュージシャン、彼らよりも前からずっと第一線に何十年といる人たちもいることはいる。でも、それは売れているとか親子で世代を超えてずっと聴かれているとか様々な要因が絡み合った奇跡の結晶でしかない。
当然ながら人はいつか死んでしまうし、それ(演劇とか音楽とかその他諸々のクリエイティブやパフォーマンス)をその人がずっと続けられるという保証はない。急にやめないといけない状況になったり、ジャンル自体が衰退したりとかいろんな危機は起こりうる観客として行くこちら側も結婚出産などの家庭環境の変化だけでなく、自身の体調や健康面のことなども年齢を重ねるたびに起きやすくなるから、行きたくても行けないという状況も生まれる。もちろん、そこには金銭面的な要因も入ってくる。だからこそ、好きなものを主体的に観れる、見に行ける時に行く方がいいよねって話だった。
東京都現代美術館ではこのたび、シンガポールを拠点に活動するアーティスト、ホー・ツーニェンの個展を開催します。ホー・ツーニェンは、東南アジアの歴史的な出来事、思想、個人または集団的な主体性や文化的アイデンティティに独自の視点から切り込む映像やヴィデオ・インスタレーション、パフォーマンスを制作してきました。既存の映像、映画、アーカイブ資料などから引用した素材を再編したイメージとスクリプトは、東南アジアの地政学を織りなす力学や歴史的言説の複層性を抽象的かつ想起的に描き出します。そのようなホーの作品は、これまでに世界各地の文化組織、ビエンナーレなどで展示され、演劇祭や映画祭でも取り上げられてきました。国内でも、当館で開催した「他人の時間」展(2015年)を含めた多くの展覧会に参加し、近年は国際舞台芸術ミーティング in 横浜(2018年、2020年)、あいちトリエンナーレ2019(2019年)、山口情報芸術センター[YCAM](2021年)、豊田市美術館(2021年)で新たな作品を発表し話題を呼びました。
東京都現代美術館で開催中の『ホー・ツーニェン エージェントのA』を観にきた。木曜日は仕事する気がない、休みの日で何か映画を観に行こうと思ったけどピンとくるものがなくて美術館とか何かないかなって探していたら、これがあった。
Facebookで知り合いの人がこの展示を観にいきていて、《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》VR体験というのがすごくよかったと言われていたのも覚えていたので、前日にウェブでチケットを取って、このVR体験も一緒に申し込みしておいた。
入り口付近にあった映像のインスタレーション(アルファベットのAからZまで一つずつクリックしていくとそのアルファベットの単語から始まる文字が出てきて、さまざまな映像とナレーションがスクリーンに映し出される&ヘッドフォンから音声が流れてくる)をZまで見て聞いていたら、10時30分過ぎになったので、VR体験予約の集合場所に行って説明を受けて40分まで待っていた。反対側にVRで見ることになる映像も普通に映し出されていた。それが上のもの。実際にVRで見るとまったく違うのでこれはぜひ体験をした方がいい。
僕が申し込んだ時間帯は三人だったのでVR体験する場所へ。それぞれが区切られた畳の上に座布団がある場所に正座してVRのヘッドセットを装着して開始。全部で30分もかからないものとなっていた。
装着して最初に正座してると「大東亜共栄圏建設について考察した京都学派の哲学者たちの対話」している宿の一室のような場所に自分が記者として同席している場面になる。速記ができるので自分の手を動かすと机に置かれているノートに文字が書ける、その間は哲学者たちが話している言葉が聞こえてくるが、手を止めると会話は聞こえなくなり、彼が感じていた心の声が聞こえてくるという変化がある。
座布団の上で立ち上がるとその一室から体が浮かび上がるように空に向かっていく。わかりやすくいうと幽体離脱したらこんな感じじゃないかなという視線になる。やがて空の上に向かっていくとガンダムのザクのような兵器が何体か飛んでいてある方向に向かっている。自分の手や体を見てみるとどうやら自分もその群の一つの兵器になっているのがわかる。最初空に浮かんでいる時に下に目線を向けるとただの空で少し足がすくんだ。地に足がつかない状態は落ち着かない。
一度哲学者たちのいた場所に正座をして戻る。そこから座位にすると体が畳に沈んでいき、その部屋の下に落ちていくと刑務所が下に見えてきて自分の体が最終的には牢屋の中にいる状態に置かれる。狭くて汚い部屋には太陽が入るわずかな隙間があり、横になっているその地面にはダニやゴキブリのようなものが時折動いているのが見える。居心地は悪い。しかし怖さはあまり感じなかった。おそらく、これは視界以外に嗅覚も刺激するようなシステムがあるとトイレも独房にはあるからおそらく臭いし、より牢屋って感じが増したんじゃないかな。次第に慣れてきたのでまた空に上って行った。今度は足はすくまないので360度のんびりと見渡した。バグなのかそういう仕様なのか、周りの兵器たちがどんどんパーツが緩んでいき離れていった。空の上で破壊されるわけでもなく、一機の機体がそれを成しているパーツに散らばっていくような感じで、自分もそうなっていたのかはよくわからなかった。
その空から部屋へ、さらに地下へもう一度下っていく時に『SPEC』シリーズの劇場版最後での当麻が落ちた無間地獄みたいだった。当麻はいろんな時間軸の中でずっと空から地面へと落ち続けていた。自分が体験している状態はそれに近いのではないかと思った。
そもそも「東南アジア」と呼ぶようになったのはいつか? どうしてそう呼ばれるようになったのか。大東亜共栄圏という思想。戦争と侵略と歴史のインスタレーションだった。
この二つは「時間」をテーマにした映像のインスタレーション、実際には動画なのでずっと動いていて無限感がある。ずっと見ていると目が回るし、時間という概念とかこの身体みたいなものが揺らぐような気持ちになった。
東京都現代美術館に前に来たのは去年の2月に開催されていた『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』展だった。
東京都現代美術館からわりと近いところに住んでいる友人に前からこの日に行くという話をしていたので、一度全部観終わってから展示室から出てから合流して二階のカフェでお茶をした。
二人とも普通にビールを頼んで飲んだこともあって、駅近くでビールでもという話になって美術館を出た。清澄白河駅方面に歩いているとどこかからか薪を焼いているような臭いがしてきた。近所で釜焼きのピザでも焼いてるのかなとか思っていて進んでいると消防車のサイレンの音、右側の方から黒々とした煙が空に昇っていた。火事が起きているようで警察が道路を封鎖していて、サイレンの音も増えていき、立ち止まった人たちが黒い煙にスマホを向けていた。
帰る時にニュースを見たら自動車工場で火事が起きて何度か爆発も起きたとのことだった。人に被害がでてなければいいけど、自動車工場だからガソリンとかオイルと可燃性のものがあるし火の勢いが一気に増すものが多いから一気に火事になったのかもしれないなあ。二人でその黒い煙を見ながら夕方から空いているクラフトビールを出す店を目指して歩いた。
この時一緒に飲みにいった友達のことはここに来る前から頭に浮かんでいた。仕事だろうけど、時間とか作業に余裕があればラインでもしてお茶かまた飲みにいけたらよかった。でも、それはもう叶わない。彼女は1月末に亡くなってしまったから、会いたくても会えない。彼女の形見分けを受け取りに蔵前に行ったのは3月だったから、もう三ヶ月経っている。
時間は思ったよりも早く過ぎていく。職場の人たちみたいに毎日のようにやりとりだとか一緒にいたわけでもないけど、時折舞台を観に行ったり飲んだりしていたから、その場所に行くことや名前を見ると彼女がいなくなったことを嫌でも思い知らされてしまう。ずっと、このままなんだろう、僕の東京の一部はやっぱり永遠にこのまま損なわれたままだ。
【Live】Creepy Nuts - のびしろ
この曲は一回生で聴いてみたい。歌詞に隅田川が出てくることがやっぱりデカい。
昼過ぎに家に帰ったら思いの外疲れたのか、ご飯食べて横になっていたら寝落ちしていた。夕方過ぎに起きたので、ニコラに行ってガトーショコラとアルヴァーブレンドをいただいてからタバコを三本吸った。
家に帰ってから今日のことを日記に書いてから、「パンオペ」の続きを読んだ。そんな一日、休日、現実逃避。
6月21日
金曜日、週末、昨日は休みだったしぐっすり寝れたけど、朝から雨が降っている。夏至なのに雨。日照時間が一年で一番長いのに雨。その後のニュースで今日から梅雨入りしたことを知るが、もうこれだけ雨が降っているから気分は梅雨モードでどんより、気圧の問題もあるのか驚くほどやる気は出ない。
寝る前にradikoで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いていたので、寝転んだまま途中から続きを。そこから『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』とリモート作業に入ってもBGM的に流していた。
そういえば、毎日ラジオを聴いているけど、都知事選の話をしている人が誰もいない、お昼とか帯番組だと政治の話もしているはずだけど、僕が聴いている芸人さんやミュージシャンがやっているものでその話をしている人は皆無だ。書きながら気づいてちょっと驚いている。政治的な話をリスナーが求めていないこともあるだろうし、それで誰を支持するとかしないとか、余計なことを言って炎上されるのは番組としても困るんだろうな、とか思ったり。アメリカ大統領選挙で俳優が自分の支持政党をはっきり表明するみたいなことは日本ではやっぱりないもんなあ。
ヨルゴス・ランティモス×エマ・ストーンの映画「憐れみの3章」予告編は謎がいっぱい
ヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』の公開日が今月初頭ぐらいに9月27日と発表された頃に三ヶ月ちょっとだから試写会そろそろだなって思ったら来ていたのですぐに申し込んだ。来月の試写がすごくたのしみ。
サーチライト・ピクチャーズは2019年からはウォルト・ディズニー・カンパニー傘下なので、試写は虎ノ門にあるオズワルドシアターになっている。そこは場内に入る前に警備員の前でスマホとかの電源を切るのを見せて、さらにそれを封筒に入れられて封をされる。終わったらまた目の前で開けてもらうということで試写での隠し撮りとかを防いでいる。
そこまでしなくてもと思わなくもないが、実際試写に行くとスマホとかアップルウォッチとかが光っていることは時折あるし(マスコミ試写だからこそ余計にお前何してんねんって思う)、最悪着信音が鳴ったりする。大抵は50代や60代の男性である。
映画館でたまにスマホ依存症なのかスマホで時間やラインとかの着信がないかチェックするバカがいるが、二十代とかなら親の教育とか環境が最悪なので可哀想だなと思うけど、映画館でもそのくらいのおっさんはわりとガキ同様にやらかしてくれる。
というわけでオズワルドシアターでの試写はかなり映画を観る環境としてはありがたい。一月公開だった『哀れなるものたち』は去年ここで試写を見せてもらった。同じくサーチライト・ピクチャーズ関連の宣伝しているところが同じなので、今回の試写状も来たのだと思うのでありがたい。
試写にはいけなかったけど、映画館で観た山田太一著『異人たちとの夏』をイギリスでリメイクした『異人たち』も本当に素晴らしかった。
『哀れなるものたち』『異人たち』は今年観た作品の中でも僕は大好きなので、『憐れみの3章』も出来が良いといいなって、そうするとサーチライト・ピクチャーズの映画は打率がめちゃくちゃいいということにもなる。あとサーチライト・ピクチャーズはパンフが統一されているので集めたくなるし、中身も非常にいい読み物が入っているので、その辺りも非常にレーベルとして応援したい。
没後一周年にあわせて、ミラン・クンデラのいくつかの文庫本のカバーに絵を使っていただきました。
— 横山雄 (@yokoyamaanata) 2024年6月20日
まずは『笑いと忘却の書』『別れのワルツ』『緩やかさ』が並びます。 pic.twitter.com/f2D1CVI5Nj
昼休憩の時に傘をさして駅前に。TSUTAYA書店でミラン・クンデラ著『緩やかさ』と幸村誠著『ヴィンランド・サガ』28巻が出ていたので購入。
『緩やかさ』は著者のミラン・クンデラが亡くなってから一年経っているが、今作と前に出ている文庫二冊はこのデザインで統一された。ニコラ友達な横山さんが装幀イラストを手掛けているが、これは本当にいいデザインになっていると思う。
『ヴィンランド・サガ』はもう28巻なのか、まだ28巻なのか。最初は『週刊少年マガジン』で2005年に連載が始まって、過ぎに『月刊アフタヌーン』で連載が再開されたのだけど、来年で連載開始20年なのでそう考えると28巻は多いとはいい難い。ただ、物語が激動するので気分的には50巻以上続いているんじゃないかなって錯覚している。しかし、毎回新刊を読むためにこの物語の最終地点、クライマックスまであと何年、十数年かかるんだろうと思ってしまう。連載ではなくコミックで追いかけているが、最後まで読みたい数少ない漫画作品。
菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール
— Bureau Kikuchi(ながぬま) (@H_Naganuma) 2024年6月21日
結成20周年記念アルバム
Pubis Angelica(「天使乃恥部」) USB、香水2種セット、予約スタート致しました。 発送は10月上旬の予定です。https://t.co/8Lz3NdiIgZ
菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 結成20周年記念アルバム『Pubis Angelica(天使乃恥部)』の詳細が出ていた。CDとかじゃないんだ。USBなんだ、しかも香水とのセット。いいお値段だなあ、音源自体は発売後にサブスク解禁すると菊地さんが新TwitterことXでポストしていたけど、やっぱりブツとしてほしいよなあ。
いくつかのライティング仕事関係で僕がやっていたその先の状況になっていて、いつ出るか進んでいるのかとかわからない感じになっている。それに伴って原稿料とかいつになるかも発売が決まらないとわからないというか決まらない。そういうのがわかるとすぐにでも予約したいのになあ。でも、8月頭まで予約受付中だからその頃にはいろいろわかっているはず。
それにしても関わっていた仕事が結局いつ表に出るとかわからないとかってすごい変なことなんだけど、どうなんだろう。下っ端で権限とかないからどうしようもないんだけど、僕からの信頼は減ってるけどね。
リモートが終わってからSpotifyで『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴いたら、バカバカしくて笑ってしまった。そういうことでストレスもちょっとは減っていたり、癒されているんだろうな。
夜はライティング作業の続きをして、寝る前に「パンオペ」と他に一緒に読んでいる書籍を少しだけ読んだ。
6月22日
寝る前に読書していてうとうとしてきたので寝た。目が覚めてぐっすり寝たなと思ったらまだ1時半過ぎだった。自分でも驚くほど時間が経っていなかった。
スマホを見たらちょっと前に一件メールが届いていた。迷惑メールかと思ったら映画の宣伝をしている方からの試写の案内だった。
【10/4 日本公開決定!】2週連続全米1位『CIVIL WAR』(原題)US版90秒予告
通常の試写だけでなく、グランドシネマサンシャイン池袋の日本最大級のIMAXでの完成披露試写会もあったのでそちらをすぐに申し込んだ。あのサイズで観れるというだけでワクワクする。
アメリカの内戦を描いた作品だが、今回の都知事選の諸々を見ているともうタガが外れてしまったことだけはわかる。アメリカのような銃社会ならすぐに実戦になりかねないが、日本はそれがなくSNSによる助長で断絶と分断が増している。ように見えるが実際それが可視化されているのがネットだけなので実際にどこまで及んでいるのかが一番大きなポイントになってくるんだろう。
そのままradikoで『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』の音量を聞こえるか聞こえないかぐらいにして横になっていたらまた眠っていた。
起きてから昨日夕方には都知事選の投票券が届いていたので、もう蓮舫さん一択で他は入れる人いないので期日前投票をしようと思って茶沢通り沿いにあるいつも投票に行くところに行ったら、そこは30日からだった。昨日からの期日前投票は世田谷区だと世田谷区役所しかまだ始まっていなかった。
家に一度戻って投票券を置いてから渋谷へ向かう。緑道の候補者のポスターが貼られている掲示板はN党には荒らされていなかった。
この後に新TwitterことXで見てリポストしたのが下記のものと東浩紀さんがリポストしたもの今回の掲示板ジャックに関してよくわかるものだった。
最近よくいる「制度をハックする」系の人たちがドヤ顔で「賢い俺らが制度の穴を見つけてやったぜ」みたいに言ってる「制度の穴」っていうのは、制度を作った人たちがバカだったんじゃなくて、必要以上に窮屈な社会にしちゃいけないって発想で「ここから先は国民の良識に任せる」と決めた部分なのよ。
— Hiroshi Yamaguchi (@HYamaguchi) 2024年6月22日
オウム真理教は、最初お笑い枠だった。
— なん・抜け首・佐川 (@nankuru28) 2024年6月21日
テレビ、メディア、学者たちの「承認」的な「受容」があった。
その後選挙に出て、酷い結果を受けてからの暴走が止まらないになった流れだったと読んだ記憶がある。
都知事選挙のあれこれを見てると怖い気持ちになってくる。
前にガーシーが出馬して当選してしまったことが確実に今回の都知事選の掲示板ジャックが起きたことに繋がっている。彼に投票して当選させてしまった人は自分たちが生きる社会の制度を自ら壊すのに加担してしまったことに反省すべきだし、おもしろがるということの恐ろしさはオウム真理教が力を持った歴史を学んだほうがいい。
もっと遡れば選挙をフェスだとか言い出したりしたことがここまで事態を悪化させる最初のトリガーだったとは思う。
地下鉄サリン事件が起きた頃はまだ中学生で岡山の田舎だったのでピンとはきていなかったけど、メディアがオウム真理教や麻原をお笑い枠として持ち上げて消費していた。そして勢いづいた彼らは選挙に立候補するも全員落選し、サリン事件が起きた。そして、彼らは良くも悪くも純粋だったが、「失われた30年」によって貧しくなっていったことで稼いでいる人や数字を取れる人が勝ちだということになってしまった。だから、数字や金を稼げるなら良識なんかいらない、社会的な秩序を壊すという方向に向かってしまった。
僕も中年なので十分大人だけど、こんな社会にしてしまったことを恥じないといけないし、こういう社会をどう少しでもまともな世界にできるか知りたい、考えたい。でも、あまりに混沌してしまった社会では生き延びるだけでも大変で、みんな考えることを放棄したり、余裕がないところでそういう奴らが隙間や余白をハックしてシステム自体をこわしてしまう。もっともっと壊れてしまう、止める方法は何があるんだろうか。
ヒューマントラストシネマ渋谷でヴィム・ヴェンダース監督『アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家』を10時の回。何度か予告編を見ていて気になっていた作品。
ヴィム・ヴェンダース監督と同じ1945年に生まれたアンゼルム・キーファーの生涯と現在を追ったドキュメンタリー映画で、彼は戦後ドイツを代表する芸術家らしい。
この作品は3D対応なので入り口でもらった3Dメガネをかけて鑑賞。90分ちょっとと短くてコンパクトなのだが、開始20分ぐらいで爆睡してしまった。正直どのくらい寝たかわからないけど、起きたらアンゼルム・キーファーの80年代ぐらいになっていて、自分でナチスの敬礼を揶揄する写真を撮っている場面とかだった。戦後生まれということもあって、ドイツのタブーにあえて触れて議論を巻き起こそうとしたりしていたみたい。
行き来で『三四郎のオールナイトニッポン0』をradikoで聴いていた。今日22日から単独ライブが始まるのにその日の午前3時からいつも通り2時間の生放送をやっているのもすごい。来週は広島での単独終わりのため東京に帰れないのでさすがに録音らしい。
今日も録音にしてくれって言っていたけど、二週連続はできないから今日は生放送にするしかなかったっぽい。明日ライブを観に行くので楽しみだけど、色々思うことはある。
映画が終わってからなんか頭がすっきりして渋谷を抜けて家に帰った。それでも家に帰るとまた眠くなってきて夕方まで寝てしまった。もう梅雨に入ったけど春みたいに眠い、頭痛とかはしないけどこの状況は気圧のせいなのかもしれない。
夕方に散歩に出てradikoで『川島明 そもそもの話』(ゲスト:ザ・パンチ)を。「THE SECOND」で戦った東京ダイナマイトのハチミツ二郎さんが二人にかけた言葉が粋でカッコよかった。そういう先輩だからこそ慕われているんだろうし、芸人が好きな芸人なんだろうなって。
夜は雨降るみたいだからちょっと曇っていて歩くにはちょうどいい気温だった。夜は「パンオペ」の続きとライティング作業。
6月23日
起きてから前日の続きのライティング作業と読書の続きをして10時半前に家を出る。小雨が降っていたが、傘がいるようないらないような微妙な感じだった。
渋谷を越えて青山通りに出てそのまま皇居方面にまっすぐ歩いていく。梅雨入りしたので湿気があるから気温のわりには汗がどんどん出てきていた。
目的地の草月ホールに着いたが、待ち合わせの時間よりも早かったのでそのまま近くの豊川稲荷赤坂別院に。草月ホールに来るとセットみたいに寄ってお参りをしている。
最近は海外の旅行者の人も増えてきたけど、英語表記とか説明ないけど、スマホとかで紹介サイトみたいなものがあって読んできたりしているんだろうか。
三四郎単独ライブ「道徳の日本男児 其ノ玖」の二日目の昼公演に。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のライブビューイングに一緒に行った友達を誘っていたので、入り口で待ち合わせして中へ。
草月ホールはキャパが500人くらいかな、後ろの方の席でも観やすいちょうどいい大きさの箱だと思う。お笑いライブだとやっぱり声が聞こえるかどうか、演者の動きが見えるかというのも大きいので、ここで観るのが僕は好き。
去年の単独から観に来ていて、一緒に観た友達は1月末に亡くなってしまったので今年は一緒に観ることはできなかった。ライブの幕間映像を収録中に相田さんがアキレス腱を断絶してしまったことで、前回のライブは本来予定していた漫才やコントができなくなってしまっていた。松葉杖をついたままの相田さん、ドキュメンタリー的な出来事や要素をうまくネタに入れながらの単独ライブはおもしろかった。亡くなった友達も来年は松葉杖をついていない相田くん観れるかなと言っていた。それもあって、今回はなんとしても行きたかった。
ラジオ好きでお笑い好きな料理関係の仕事をしている友人に話したら、行きましょうということになった。亡くなった彼女の形見分けで譲ってもらった指輪をつけてライブを観ていた。
始まる数分前に前の方に座っていた女性が倒れたみたいで、「誰かお医者さんとかいますか?」と上がった声に「看護師です」という女性が二人前の方に行って対応をされていた。医師の人もいたらしく、一度場内から出た女性を診てくれたらしい。命に別状がなくて本当によかった。
三四郎が最初に出てきて、そのことに触れた後に来週の広島公演に行く人と聞いたら十人ぐらいいた。武道館のチケットを取っている人っていうことに対しては場内の八割近くが手を挙げていた。僕もその一人だった。
正直なことを言うと今回の単独ライブは前回よりもおもしろくはなかった。確かに僕も何度も笑ったしおもしろかったけど、何本も漫才をやったけどあまり出来上がりが良くなかったように思えたし、オチとかも弱かったし練習不足だろうなというのはわかった。周りは大爆笑してた。
僕もそうだが、ラジオのファンクラブに入っている人がほとんどだろうし、場内にいるのはファンがほとんどだ。僕と一緒に観に来た友人もラジオは聴いているがそこまで三四郎の大ファンではない、あとから話をしたら隣の女性が大爆笑していて温度差を感じたと話していた。
もちろん、その女性は三四郎が好きだし、おもしろいから笑っている。単独ライブに来る人は基本的には厳しいことは言わないだろうし、ネタについてもそこまで批評的な視線ではないのではないかと思う。そこにそうでもない人がいると温度差を感じるのは仕方ない。
三四郎が好きで毎週ラジオを楽しみにしていて、嫌な仕事や家事をなんとかこなしてライブに来る時点でハードルは下がっているはずだし、やはり観客自体も優しい。ほとんどの売り切れるようなお笑いの単独ライブやミュージシャンのライブはそうなると思う。また、今は批評性とかが悪口と言われてしまうような時代で、ファンの人は批評を攻撃だと思う人も増えているということも関係しているかもしれない。
カルト化しやすい時代ではあると思うし、ファンビジネスというものは基本的にはそうなる。だからこそ、多少の批評性か客観性があるといいなとは思う。でも、熱狂的になればなるほど、ファンは盲目になってしまうから難しい。
前回はアキレス腱断絶というハプニングがドキュメンタリーとして組み込まれたことでより身内感は増したし、イレギュラーさを三四郎とスタッフが見事に昇華していた部分があった。だから、それと比べてしまったので去年より見劣りした。
去年草月ホールでお笑いライブを観た帰りは青山一丁目駅にある銀座ライオンで感想を言いながらひたすら飲んで話をしていた。今回も一緒に行った友達にそのことを話して、ここにさせてもらった。
ライブは2時間だったが5時間近くここで飲んでいた。ひたすら美味いビールを飲み続けた。同年代でフリーランスで価値観も近くて男同士だから話せることを、実際に会っているからこそ言い合えることを飲みながら話していた。タチウオの炙りが白身だけどプリプリとして非常に美味しかったし、やっぱりビール飲みながらのソーセージとか最高。もう、ビール好きとしては銀座ライオンかキリンシティが一番飲むのは最高の場所だ。
6月24日
昨日ひたすらビールを飲んだのに二日酔いにもならずにいつもの時間に目を覚ました。とりあえず、シャワーを浴びた。ビールだけだと二日酔いにならないの不思議。
昨日帰ってすぐに寝てしまったので、radikoで『川島明のねごと』(ゲスト:ダンブラムーチョ)と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をBGMとして聴きつつ少し早めにリモートワークの作業を開始。
午前中には聴き終わってしまったので、YouTubeの『鬼越トマホーク喧嘩チャンネル』で昨日観に行った友人からオススメされていたゲストが囲碁将棋とヤーレンズの回を流していた。夕方までそのまま令和ロマンゲスト回を流して作業、ある程度まで進んだし、メールも送らないといけないところにも送ったし、作業としては思ったより進んだの一安心。
ある編集者が、今年、とは2024年だがその初めに「ふり返ると、あのパンデミックの頃の世界は、まるでSFでした」と私に語った。私も同意した。そして、SFだったということは〈異世界だった〉ということでもあり、それは記録に価するはずなのだけれども、どうも2020年の頭から夏にかけての記録以外、容易には出てこない。私はそれを「もったいない」と思う。異世界は異世界として、書物の内側に保存(アーカイブ)したほうがいいと思う。そして、あれほど世界中の人びとが〈死〉と隣り合って生活していた異世界とは、たぶん〈他界〉とも言い換えられる。この現実の社会に持ち込まれる〈他界〉を、私はどんなふうに認識したか? 捕捉したか? 私は「これってオペラだな」と思ったのだ。
パンデミックそしてオペラ #02「土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都」
今読み進めている「パンオペ」について古川さん自身の解説。古川さんの初期作品は「東」京が舞台のものが多かった。それは福島から上京して東京という場所、首都についての物語で、同じく上京したものとしては古川さんの小説を読むことで東京を再発見していった部分がある。
東日本大震災以降には、1000年に一度のと言われたこともあり、1000年前の日本は? 小説家としての大先輩である紫式部が書いた『源氏物語』があり、首都が、皇居が移転する前にずっと日本の中心だった京都について書かれることがより増していった。今回の作品がオペラな理由もここで書かれているようにコロナパンデミック以降に持ち込まれた〈他界〉〈異世界〉であることが大きかったのもすごく納得できた。
夕方前にASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2024「ファン感謝サーキット」 開催決定という知らせを見た。ライブハウスを回るものらしく、なんとリキッドルームでの公演もあったのですぐに先行抽選の申し込みをした。
前に新代田FEVERでライブを観れたのもかなりのレアだったが、リキッドルームは好きな箱だし、アジカンここで観たい。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『生者のマーチ』
この曲をライブでもう一回聴いてみたい。
6月25日
目が覚めてから寝転んだままで寝落ちして途中まで聴いていた『空気階段の踊り場』を聴きながら、朝のルーティンを。声優の大塚明夫さんがゲストとして出演して二人のライブ告知の音声録りをしていた。大人の貫禄や色気みたいなものがあるダンディな声だった。
『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら作業の続きをしてから9時前に家を出た。
気温はさほど高いとは思えないが汗がどんどん出てくる。湿気だ。暑いのもしんどいけど湿度が高いとやっぱり歩いて移動するにはちょっと厳しくなってくる。
行き帰りには『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていた。通常回だが指原莉乃がゲストだった。二人本当に仲良いんだろうし、普段から遊んでいるのがわかって、なんかわちゃわちゃしているけどそれが嫌ではなくていい関係だなって思った。大事だよね、こういう関係性、作ろうと思って作れるものでもないし。
10時前に宮益坂下に着いて、ル・シネマのチケット売り場が開くのを待っていた。火曜日はサービスデーで1200円とお得。平日だし内容的にも高齢者が多かったかな、僕の前で売り場が開くのを待っていたご夫妻っぽい人はBunkamuraの株式優待券みたいなのを持ってたし、ル・シネマぽいとも言える。
予告編で観て気になったのと試写で観た人の評判も良かったアレクサンダー・ペイン監督『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を鑑賞。
1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校が舞台。生真面目で皮肉屋で学生や同僚からも嫌われている教師ポールは、クリスマス休暇に家に帰れない学生たちの監督役を務めることになった。母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生のアンガス、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見る一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしたメアリーという、それぞれ立場も異なり、一見すると共通点のない3人が、2週間のクリスマス休暇を疑似家族のように過ごすことになる。
ポールが最後に取る行動で泣いてしまったのだけど、彼は教育者として若者の未来を優先した。だけど、学校という場所は彼のような教育者だけではなく経営者も必要なのもよくわかる。
舞台は1970年、今から50年前の時点で有力者や裕福な家の子供たちがどれほど自分が恵まれているかわからないまま、大人になって親と同じような振る舞いをしていくのが描かれている、その再生産が続いていく。
新世紀になってから、リーマンショック以降から、新自由主義とグローバリズムとでそれはさらに加速して金を稼ぐこと数字を取ることが勝ちで正義になってしまった。実家が太いことはそれだけでおそろしく有利に働いていく。親もわかった上で教育を施し投資していく。そこから転げ落ちた人は、最初から裕福ではない人には手は差し伸べられない。そこから這い上がるために手段は選ばなくなる。そういう光景のことも思ってみていた。
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年7月号が公開されました。7月は『先生の白い嘘』『お母さんが一緒』『墓泥棒と失われた女神』『デッドプール&ウルヴァリン』を取り上げました。
【2024年新潮文庫の100冊】
— 新潮文庫 (@shinchobunko) 2024年6月24日
ガルシア・マルケス/鼓直 訳
『百年の孤独』
いよいよ明後日、文庫版発売
ビギナー必携
池澤夏樹さん監修
「『百年の孤独』読み解き支援キット」
本日より無料配布開始!https://t.co/Nci7Cjjr47
HTML版とPDF版を用意しましたので、使いやすい方をどうぞ! pic.twitter.com/8OY2aeUyqx
帰りに書店を二軒ほど見たがやっぱり発売日が明日なので『百年の孤独』文庫版は入っていなかった。夕方に新潮文庫のアカウントを見てセブンイレブンに行ってプリントアウトした。
火曜日はSpotifyのポッドキャスト番組『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』がアップされるので夕方から聴きながら読書&ライティング作業を。
ル・シネマでも知り合いの人が偶然同じ回に観に来ていたので挨拶して始まる前にちょっとお話した。その帰りに三茶でちょこちょこ会うことが増えてきた知り合いの人とばったり会って立ち話をしたし、夕方にセブンイレブンに行った帰りにも知り合いの人に会った。全員僕よりも年上の男性だけど、街中で知り合いの人に会って挨拶すると、ここに住んでるんだなって気持ちになる。
地元に戻っても絶対にこういうことは起きない。そもそも田舎で歩いている人がいない、この年齢で。みんな車に乗ってるし、日中は仕事しているから僕みたいに歩いてフラフラしている人と会うことはない。だからこそ、ここが自分の住んでいる場所だなってより思える。
6月26日
昨日は毎週聴いているポッドキャスト渋滞日だったが、日付が変わってからは『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源のオールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』『BEFORE DAWN』と深夜放送も大渋滞。「アルピー」を聴きながら寝ようと思ったが、「爆笑カーボーイ」冒頭で寝落ち。
起きてから早めにリモートワーク作業を開始。「爆笑カーボーイ」の続きを聴いてから、「星野源ANN」は先週の「ラブホにて」というメールを送ってきた女性から、その後旦那さんからもらった手紙の話という続きが届いていて、それがすごくいい話だった。10年ぶりの営みをするきっかけがラブホで「星野源ANN」を聴くのが流行っているからと誘った奥さんの行動、そのことでこの10年のことを旦那さんが申し訳なかったこと、この先はもっと仲良くしようというものだった。一つのラジオ番組でこのご夫婦はこれから先仲睦まじい状態でいけるんだろうな。
作業を一旦止めて「星野源ANN」を聴きながら自衛隊中央病院へ。先々週にピロリ菌の除菌薬を飲んでいるときに薬疹が出たので、その抗生物質のアレルギー反応について血液検査をしていた。結果は三つとも陰性だった。こうなると二回目をやるかやらないかは正直怖い。
どれかが陽性なら、それを外して違うもので除菌というのはまだ気持ち的にはいけるんだけど、全部陰性だとまた薬疹が出る可能性があるし、今度アナフィラキシーが出たら重症化するかもしれないという話も聞いていたので、二回目はしないことにした。
年に一回、健康診断を受けてはいるので、いつものバリウムではなくピロリ菌がいることを伝えて最初から胃カメラにすることで、胃がんとか諸々の早期発見できるようにするのがベストだろうということになった。
それ以降でまた二回目をやる気が起きたらやってみる。しかし、除菌も簡単ではないんだなあ。
最高だった。あなたにとってどうしようもない日々やどうしようもない自分がいてもキモくても情けなくても、この日この場所この瞬間を音楽に吠えたこと誇らしく思えるようなそんな一瞬でありたいものです pic.twitter.com/UWj03K0Zrn
— あの (@aNo2mass) 2024年6月25日
昨日の時点であのちゃんの新TwitterことXのポストが、ライブでのことだったけど写真も良くて文章も彼女らしくて、いいライブだったんだろうなと思えるものだった。
リモート再開後に「あのANN0」を流しながら作業。粗品の初のライブツアー初日の対バン相手があのちゃんのバンドである「I’s」だった。
I'sとanoはA面B面でもなく、ジキルとハイドでもなく、互いに補完しつつも、パンクかポップスかという違いなんだけどアイドルだった過去は活かされているしデスボイスでシャウトするし、稀有なミュージシャンだと思う。I'sがもう少し広がるといいんだけどなあ、カッコいいからね。ただ、この人はいつでもやめそうだし消えそうなざわつきを観客に与えてるし、やめるときはパッといなくなる覚悟で活動していると思う。
radikoで聴いていたら最後のCM明けであのちゃんが号泣していて、何が起きたのかよくわからなかった。その後に17LIVEの動画を見たら、粗品の曲を流している時とCM中に二人が話している時に先に粗品が泣き出して、それをスマホとかで撮っていたはずのあのちゃんが号泣し始めて、CM明けているのに最初気づかずに泣いていた。
今回は最初からあのと粗品がかなり本音で真剣に音楽の話をしていて、『あのと粗品の電電電話』の延長線、熱血版とも言える内容になっていた。
粗品はあのちゃんは音楽だけでなく、他のジャンルでももっと評価されるべきだと熱弁していた。テレビにも出ているから自分で作詞作曲してライブも毎年全国いろいろと回ったりしていても本気でやっていないと思われている、認められていない、誰にもわかってもらえていないと思っていたらしいあのちゃんが粗品の言葉と涙で感情が爆発して号泣していたということだったみたい。
なんだかすごくいい光景で見ながら泣いてしまった。この二人はカプ推し的な扱いとかもされているが、親友であり戦友であり仲間なんだなってよくわかる放送だった。きっと、「あのANN0」の放送回でも屈指の、記憶に残るものになったと思う。
このことに対して批判的な言葉や普段の粗品がいわゆる先輩芸人に対しての言動なんかがあるので、違和感を持つ人はいるんだろう。僕もあのちゃんのファンだから盲目になっているのか、どうだ? 男女の性別とか関係ないところで友達でいれる人がいることってすごいことだから、たぶん自分にも重ねている部分はあったのだろう。そのぐらいは冷静に考えれている。
遅めの昼休憩に出た時に駅前でガブリエル・ガルシア=マルケス著 /鼓直訳『百年の孤独』(新潮文庫)を購入。いい太さ。装幀デザインもいい。タイトルが抜群というのもデカい小説だとは思う。
人間なんてどんだけ生きてもたかだか百年、一世紀、その間出会った人とはすべて別れていく、どんなに大事な人だって嫌いで仕方ない人だって、僕自身も死ぬことから逃れられない、その間の生きる孤独を、誰かと共有できるといいね、できないだろうと思いながらもそんな希望、いや夢を、それが簡単に潰されていく、絶望もしていく、何が起こるのかわかりはしない。それでもその孤独だけが私の生きている実感であり、証拠なのだから。
リモート終わりにニコラでミルリトン・アブリコ(あんずのコンポートとアーモンドのタルト)とアルヴァーブレンドをば。
カウンターに懐かしい人がいて久しぶりに話をさせてもらった。東京ではに場所での生活やご家族のこと、なんだかとてもやわらかな穏やかな空気がそこにはあった。
鈴木:ちなみに「5月のうみ」も、映画からインスパイアされた曲です。よく「五月病」っていうじゃないですか。実際、4月に新生活が始まり、ゴールデンウィークを経て気分が落ち込んでしまっている人が周りにたくさんいたんです。そのことを歌詞にしようと思ったタイミングで、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観たのもあって、そこでインスパイアされたことを一緒にして書いていきました。
──なるほど。歌詞にある〈カメラロール見返し/あの日見た木漏れ日〉は『PERFECT DAYS』を彷彿とさせますね。例えば前作に収録された「R」は、出産されたレイチェルさんのことを歌った曲でした。今回そういうパーソナルな経験、出来事からインスパイアされた曲もありますか?
鈴木:パーソナルという意味では、全体的に日記っぽい歌詞になったなと思います。例えば「紀尾井茶房」という曲も、実際に行ったことのある同名の喫茶店を歌った曲。ニッポン放送でお仕事があった時に空き時間があって、タバコが吸える喫茶店をGoogleマップで探していたとき、偶然見つけたのが「紀尾井茶房」でした。行ってみたら雰囲気がめちゃくちゃ良くて。店内に小さな本棚があって、そこに並んでいる文庫本は読み放題だったり、会社員の方がお昼休憩でのんびりしていたり。「この雰囲気、曲にできそう」と思ってメモしておいたんです。
鈴木真海子が切り取る日常の情景 心の揺らぎにも向き合った2ndアルバム『mukuge』を語る
夜は鈴木真海子セカンドアルバム『mukuge』を聴きながら、7月からのスケジュール予定を更新。結局、この半年はやろうと思っていたことがほとんどできなかった。あとやろうとしていたことも全然間に合わなかった。自分が悪いんだけど、せめて下半期はがんばろう、ちょっとはやる気を出したい。
6月27日
6時過ぎに起きて可燃ごみを出しに行く。まだごみ袋は溜まっていなかったが、緑のネットから小さな袋を引っ張り出したそこまで大きくはないカラスが袋を破って中身を突いていた。近づくと逃げたので自分のごみ袋をネットの下に入れてから散らかっているごみと破られたごみ袋を足でネットの方に寄せてカラスに悪さされないように奥に押し込んだ。
ゴミの量とか中身を見ると多少わかる。確実にファミリーのものではないとそうなると限られるのだけど、自分がこういう光景を目にしてから「うちのだ」とか思わない限りは直らないのだろうし、そういう時点で直らないというか気にしてないのだろう。こういう些細なことは気にしたくないけど、誰かがやってくれているとかカラスに漁られるみたいな想像力ないやつは仕事できると思ってるけどミスもちょこちょこあるし、誰かが犠牲になっていたりやってくれていることに気づかないだろうな、と思うことにする。
月末までに提出するものややらないといけない作業が急に増えたので普段はリモートワークしない木曜日に作業を開始。水曜日深夜は聴いているラジオが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』しかない。一時間半だからすぐに聴き終わってしまう。
TVerでいくつかチェックしている番組を流すが短いものばかりだったので、あとはYouTubeで『三四郎のオールナイトニッポン』のゲストがはんにゃ金田とシズル池田回の詰め合わせを流していた。18年から毎年ごと追加されていて24年までで約8時間あるので長さとしても最適、あと何度聴いても笑える。どんどん噛めば噛むほどに味が出るようなゲスト回だなって思う。
休憩時間に駅前の銀行に行って家賃を振り込んでから書店へ。木爾チレン著『みんな蛍を殺したかった』&田辺青蛙著『致死量の友だち』(共に二見文庫)を購入。
二冊とも単行本で読んでいるけど、同じタイミングで文庫版になったので一緒に買おうと思っていた。お二人ともデビュー作から読んでいるし、著者自身のことも知っているので応援の意味も兼ねて。文庫版になったことでもっと広く読まれるだろうし、届いてほしい読者が触れるきっかけが増えるといい。何気なく手に取ったけど、二人ともペンネームだなあ。
【永野×ルックバック】「コンプレックスの果てが一番面白い」嫉妬や挫折の向こう側にあるものとは?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#2】
仕事が終わってからこちらを。一回目は取り上げた作品にあまり興味がなかったのでちゃんと見ていなかったが、今回は映画化に合わせてだと思うが藤本タツキ著『ルックバック』からライバルは必要かというテーマでトーク。
出演している永野さんと声優の鷹村さん二人とも引きこもりで天才の京本側だった。おそらくディレクターが求めていた流れではないのだろうが、二人のキャラクターがよくわかるトークになっていた。この組み合わせすごくいいんじゃないかな。
From Q presented by Aston Martin Ginza | 2024/06/23/日 19:00-19:55
菊地成孔さんがゲストを招いてトークする月に一回のラジオが始まっていて、初回を聴いた。ゲストはテリー伊藤さん。アストンマーチンがスポンサーなのでラグジュアリーな感じにしたいみたい、選曲されている曲も優雅な感じのものだった。月に一回だったら良いんじゃないかな。
ニコニコ動画が止まったままなのでビュロー菊地チャンネルも入ることも聴くこともできないので代わりというか、ちょっとはこのラジオにチャンネルの会員も流れてきそう。しかし、ニコ動がこのまましばらく動かないとなると直木賞と芥川賞の受賞の発表と受賞者のスピーチの生放送無理だな。
23時から『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』を聴きながら読書の続きを。先週の菅田将暉ゲスト回が関西では一番の聴取率だったらしく、続きがめちゃくちゃテンション高かった。めっちゃ嬉しいのも伝わってくるし、ちゃんと調子に乗っているのが若さだし、それができるうちは調子に乗っていた方がいい。
6月28日
雨の音、強い降り方だなとわかる音で起きる。資源ごみの日なので段ボールを持って出て行く、大きな雨粒がすぐに体を濡らすので急いで部屋に戻る。
『ハライチのターン!』を聴きながらリモートなどの準備をしていた時に、そういえば今日は最終金曜日だと思って、再び家を出てコンビニに。
朝日新聞の朝刊を購入。古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されるのが最終金曜日、二回目か三回目だけ買い逃したがそれ以降は毎月忘れていない。川上弘美著『明日、晴れますように』についての箇所で、
ここでは物語の大部分が二〇一〇年に展開していて、それは当然ながら「東日本大震災の前年」なのであって、自分たちはいま現在震災後の世界を生きているわけだが、これはダム湖にも似ているのだなと体感してしまう。何かが深く沈められ、その水底には汚れのない感性の十歳の子供たちがいる。この子供たちの生きる”世界”をきちんと覗ける。最後に読者は感じるはずだ、後世に何事かを伝えるためには「大人から子供へ」との発想では駄目だ、と。いまは大人になってしまった人間の中にいる”かつての子供”から現在の子供へと受け渡さなければならない。この「子供から子供へ」の連なりこそが真の希望だ。
とあり、他に取り上げた作品にも通じていたのだが、すごく腑に落ちた。いや、何かがカチッとはまるような、わかったように思えた。
今月は雉鳩荘の庭にまだ若そうなアナグマが遊びに来て、お腹を見せてのんびり毛繕いして、なんか股間もあらわで、雄だなーこれーとわかってしまって、そういう野生の観察に感動した。そして今週から私は本格的に長時間の歩行トレーニングに入った。まだ肉体はついていかない。しかし、すでに野生≒自然の観察ははじまっているし、じきに私自身も野性に返るだろう。どんどんと世界は色彩を変える。そんなふうに感じられたり予感を持てたりするのは、どんどんと私が自分にまとう色を変えようとしているからだ。
呪文はたぶん、ひとつしかない。歩こう歩こうずっと歩こう。
歩けるかぎりは。ひとまず、うん、まだいける。
『古川日出男の現在地』刊行とお礼参りと校了と校了と校了と、校了と 2024.06.15 – 2024.06.28 東京・埼玉・京都
こちらはリモート後に読んだブログだが、古川さんはまた歩いていろんなものを見に行くのだろう、そのために必要な歩くための身体と気力、少しずつでも歩けば進める。僕は小説家としての古川日出男という人に出会ったことで、東京を歩くようになった。歩く速度で死ぬまでこの世界を見て感じていたい。
リモートワークを始めても窓の外はずっと雨が降り続けていた。「ハライチ」の後は『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』と作業BGMに。
「ナイナイANN」で岡村さんが仕事をした女優から「インティマシー・コーディネーター」という言葉を聞かされて、初めてその職業や役割を知ったと話していた。コロナパンデミックの時の風俗に関するトークで炎上して、番組から降りていた矢部さんが翌週に駆けつけて怒るということで、なんとか鎮火して二人でナイナイとして復活した背景があるので、そのことを話しているのを聞いていると「なんで知らないんだ?」と正直思ってしまった。
映画やドラマや舞台などではインティマシー・コーディネーターがハラスメントについて演者やスタッフに説明会したり、現場で間に入ることは数年前から日本でも増えてきている。バラエティではさすがにインティマシー・コーディネーターが入るようなことはないのだろうけど、やっぱりそういうことが起きたあとに反省はしても、知ろうとか思わないんだろうし、誰かが教えてあげるとかがないのかなあ。
『アメトーーク!』あれから5年…激動の同期芸人(キングコング&山里&ノンスタ&ノブコブ&ダイアン&久保田…ギスギスの同期)
ラジオを聴き終わってから昼ごはんを食べながらこちらを視聴。最後に蛍原さんが「次は4年後、4年以内に」と言ったら、今回から裏番組の関係で初めて参加した山里さんがすぐに周りを見ながら「生きてようなみんな」と言っていたのがとてもよかった。
休憩中に雨だけど傘をさして駅前に言ったら、マーク・フィッシャー著/坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎訳 『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』が出ていたので確保してきた。思いの外分厚かった。
すでに亡くなっているフィッシャーに関する書籍はおそらくこれで最後になるんじゃないだろうか。P-VINEから出ているマーク・フォッシャーの書籍は全部持っているし、最初がジャケ買いみたいな出会だったのもあるけど、こういう装幀は好きだ。前に書いた長編には彼の著書をアイテムとして出したこともあるし、色々と影響は受けている方だと思う。願掛けでもないけど、新しくスケジューリングしたことが成功するために必要なアイテムだと思ったので家に。
📣ロロ新作続報①📣
— ロロ (@llo88oll) 2024年6月28日
公演の詳細情報を解禁しました🔥
劇と短歌『飽きてから』
8/23(金)〜9/1(日)
渋谷・ユーロライブ
👇特設サイトOPEN👇https://t.co/9jxItPABQO
原案:三浦直之 上坂あゆ美
脚本・演出:三浦直之
短歌:上坂あゆ美
音楽:Summer Eye
出演
亀島一徳 望月綾乃 森本華…
ロロの新作公演『飽きてから』詳細が出た。衣装が神田百実さんだった。あのちゃんの衣装やスタリングをしている方だが、伊賀大介さんのお弟子さん。
伊賀さんは前にロロの舞台の衣装をしたこともあったので、師弟でロロの舞台の衣装をやったことになる。なんか知らんが勝手に嬉しい気持ちになった。いつもロロを観に行く友人にラインして行く日時を仮で決めた。あとはチケットをなんとか取るのみ。
リモートが終わった頃に雨が弱くなっていたのでコンビニでアイスコーヒーを買ってきて、玄関を開けっぱなしにして換気扇を回してタバコを吸った。吐き出された紫煙がいつもより白く見えた。
7月からのスケジュールや予定を確認して連絡とか諸々した。半年はあっという間だったし、思ったよりはゆっくりだったような、なんだか時間の進み方が変だった。リスタートとはいかないかもしれないけど、前半がぐうたらだらだらだったので、ちょっと気を引き締める。
本を読んでいたらうとうとし始めたのですぐに閉じて目を瞑った。気がついたら、起きたら一時間も経っていなくて深夜の1時過ぎだったからradikoで『JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』の音量を絞って聴こえるか聴こえないぐらいにして目を瞑っていた。途中で寝落ちしていた。
6月29日
目覚ましで起きたけど、あまり動きたくないので寝転んだままスマホをいじっていたら、新TwitterことXでこんなポストを見かけた。
#三四郎ANN武道館
— 三四郎のオールナイトニッポン0【毎週金曜深夜27時〜】 (@SanshiroANN) 2024年6月28日
第二弾ゲスト発表!
/
👐レイザーラモンHG
🍕R-指定
\
🎫オフィシャル2次先行【先着】
7月12日(金)18時スタート!
アリーナ・スタンド 両席種 販売します!https://t.co/k8mTycxhjZ
◎爆湧きスポット 全国拡大
こちらも詳細はHPまで🗺#三四郎ANN0 pic.twitter.com/lG6uYVTWjB
第二弾のゲストが発表になっていた。ライザーラモンHGとR-指定だった。RGさんはあるあるを歌いたいライブを一度観に行ったことがあるけどHGさんは初めてだ。R-指定がゲストなのは嬉しいが松永は? 後は松永と菅田将暉がサプライズでもいいから出てくれたら最高だなあ。
9時から上映する映画のチケットを取っていたので8時には外に出る。『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴きつつ渋谷に向かうが、天気予想では曇りだったが霧雨のような雨が降っていて10分くらいしたらそこそこ降ってる状態になってきた。ここで傘をコンビニで買うにしてもしばらく先に行かないとお店がない、雨はどんどん強くなっている。雨雲レーダーを見ても歩いている付近は雨が降っていることにはなっていない、なんだこれ。渋谷の道玄坂に近づく頃には雨も止んでいて傘の必要はなくなったが微妙に濡れたままでヒューマントラストシネマ渋谷へ。
『チェーンソーマン』などでも知られる藤本タツキ原作読み切り漫画を映画化した『ルックバック』を鑑賞。元々長い作品ではないので映画自体も一時間と短い。お客さんは朝一だったけど七割方埋まっていた。入場者特典として原作者の藤本タツキの原作ネームを全ページ収録した冊子がもらえた。
小学四年生の藤野は学年新聞で四コマ漫画を連載し、クラスメイトから称賛されていた。ある日、担任から同学年の不登校の京本の描いた四コマを載せたいと言われる。京本の描いた四コマは藤野と比べると圧倒的な画力があり、ショックを受けることになる。卒業式の日に担任から京本へ卒業証書を渡しに行ってほしいと言われた藤野は京本の家に行き、そこで二人は初めて出会う。やがて、二人は一緒に漫画を描くようになり、学生中にプロデビューするのだが、高校を卒業して連載を始めようとするときにずっと藤野に頼っていた京本は自らの画力をもっとあげたいと美大に行きたいと言い出す。正反対な二人が漫画を描くことで繋がっていき、世界と出会う物語だが、終盤にすべてを壊すような悲惨な出来事が起こってしまう。
2021年7月19日
藤本タツキ『ルックバック』朝起きてFBを開くと数人の知り合いがこの作品について投稿していたので、寝起きすぐで一気に読んだ。確かにこれは『インターステラー』的な要素がある。終わらない日常、からのその繰り返しとフローチャート的なトゥルーエンド探し、あるかもしれなかった現在とは違う可能世界、そういう想像力は当たり前になったというかわかるという所に来たのかな。
叙述トリックじゃないけど、この辺りの表現は映像か絵とかの描写がいちばん強くインパクトがあって、受け手にダイレクトに届いて響くんだろう。ただ、京アニややまゆり事件などを彷彿させるし、このことを指摘している人もいた。その辺りは編集部の判断だろうが、うーむ。
2021年9月3日
「ジャンプ+」で以前読んでいた藤本タツキ著『ルックバック』も出ていたので一緒に購入。ここで書かれている「可能性世界」的な構造は『インターステラー』や浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』にも描かれているのだが、そのことを普通に受け入れることができるようにもなっている。
同時に現在が悲惨で救いがたいから四次元というか多次元に感じられる場所にあるような、ありえたかもしれない未来と過去と現在が同時に存在するようなものをもとめているのかも。
上記は『ルックバック』がジャンプ+に掲載された日とコミックスを買った日に書いた日記より。
『ルックバック』&『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』という今年公開されたアニメ映画はどちらも二人の少女×クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』(あるいは『魔法少女まどか☆マギカ』)的な要素がある物語になっている。悪意(&闇落ち)についての描き方が真逆だと感じた。僕が王道エンタメ(ジャンプとか)にあまりハマらないのはそれがあるんだろうなと思った。
前者は京アニ事件的な要素を入れ込むが創作することで起きてしまう闇落ちには触れないし、おそらく触れられない。事件を彷彿させるが、それによって傷つけられるのは藤野と京本の側である。彼女たちは被害者であり、加害者ではない。
だが、創作というものは諸刃の刃であり、その過程でうまくいかず誰かを妬んだり羨んだり、最悪な場合は精神疾患になって被害妄想にもなりうる。だから、自分の作品を盗んだと被害妄想になってしまった侵入者が現れて悲劇が起きてしまう。
『ルックバック』はそちらへの視線は当然ながらないし、描かない。だが、大きな事件の後に時空や次元を超えるような展開になっていき、もう一つの可能世界を描くことになった。そこでも被害妄想を抱いた男が侵入するものの、漫画を続けていない藤野によって京本は助けられ、二人が一緒に漫画を描くかもしれない可能性を見せることになる。Haruka nakamuraの美しい音楽もあり、感動を呼ぶし泣いてしまう。だが、僕が泣くのは条件反射なので、泣きながらもやっぱり僕はこちら側ではない、と思ってしまった。
後者はある特殊な力を得た小学生の門出が「正義」という美酒に酔い最終的には多くの人を殺してしまい、自ら命を絶ってしまう。それを止められなかったおんたん(凰蘭)は二人が出会う前に現在の最悪な状態を知っている自分の意識を飛ばすことで、門出が命を絶つことを未然に防いでいたことが映画の前章終盤に明らかにされていた。
元々おとなしい自分の意見の言えなかったおんたんは、もう一つの時間軸では明るいなんでも言ってしまう毒舌の性格を作り出して門出を救うことになる。そして、彼女が門出が自ら命を経ってしまう運命を変えたことで、世界の因果が変わってしまった。元いた世界では侵略者の母艦は地球(東京)には来なかったが、こちらの世界ではそのことによって彼らがやってきたことも明かされる。門出を救ったことで終末を呼び寄せてしまった。そんな中で彼女たちは仲良く終わりかけの世界で青春の日々を過ごしているのがこの作品の背景だった。
その意味でも「デデデデ」はセカイ系と言えるし、基本的には「まどマギ」アップデート&原作者の浅野いにおさん作品に見られるアイロニー多めのものとなっていた。こちらはおんたんが罪の意識を持っていることが大きい。
『ルックバック』は藤野&京本という藤本タツキのペンネームから取られた二人の少女が共に漫画を描いていくストーリーだが、一度京本を失いながらも、別の時間軸で再び邂逅する展開があるので、再統合された印象を持つ。英雄神話構造にもおそらく当てはめることもできる。そう考えると王道的なストーリーだと言える。だけど、やっぱりあの悪意(&闇堕ち)について触れないというのは、僕にはしっくりこない。
藤本さん自体はそのことを考え抜いているかもしれないが、表現としては描いていない。やっぱりそれがジャンプという漫画の王道であるところで戦い続けていることは関係しているのかもしれない。
藤野の声優を河合優実がしていることも話題の一つになっているが、今年は主演作『あんのこと』もあったし、これから公開される『ナミビアの砂漠』もあるので、まさに「河合優実の年」になっている。あのちゃんを「デデデデ」のおんたんの声優にブレイク前に選んでいるように、ちゃんとヒットする作品はそういう奇跡みたいなうまいタイミングがあうようになっている。それを引き寄せられる人だからこそ売れるんだろうし、表舞台で活躍できる器なのかも知れない。
夕方過ぎになんとなく散歩。radikoで『川島明そもそもの話』(ゲスト:椿鬼奴)を聴きつつブラブラ。陽が落ちるのがだいぶ遅くなってきたから17時過ぎでも明るい、気温は下がらず湿度はあるからすぐに額に汗が浮かんでくるのがわかる。
鬼奴さんはコンビを解散したあとに入ったユニットで芸名の候補を出されて、「鬼」か「泥」の二択になって「鬼」にした。だけど、これだと性別もだしなんだかわからない、先輩である放送作家からの助言もあり、芸名を女性だとわかるように「椿鬼奴」に改名したと話していた。名前の変革も人生、その人が辿ってきた道と共にある。
帰ってご飯を食べて読書の続きをしていたが、何度かうとうとしてしまって、どうも文章に集中ができない。せっかく何も仕事関係のことをしない日にしたのに、諦めて寝た。
6月30日
7時過ぎに起きたので最初は『さらば青春のがTaダ、Baカ、Saワギ』を最初に聴いてから、洗濯機回したり朝のルーティンをやった。先週はまだ始まっていなかった家の近くの期日前投票所が本日30日8時半からだったので、『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら向かう。
半になったぐらいで着いたら、最初に来た人が投票箱が本当に空かどうかを確かめるということをやっていて、少し待ちみたいになっていた。十人もいなかったが60代ぐらいのおばさんが「前はこんなことなかった。いつまでかかるの?」とかおじさんもぶつくさ文句を言っていて、管理委員の人が「もう少しお待ちください」って謝っているのを見てすごく嫌な気持ちになった。
こういう奴らが四年前の公約を一つも果たしていない現職に入れてさらにひどい地獄にするんだろうな、利権まみれで関東大震災時における朝鮮人虐殺への追悼文も送らないあの人に投票するのだろう(石原前都知事も最悪だったが、あれでも文学者の端くれだったので追悼文は送っていた。日本の出版業界におけるメディアミックスで成功したのは菊池寛、石原慎太郎、角川春樹、角川歴彦の四人。石原が芥川賞を受賞しなければ芥川賞と直木賞はここまでメジャーなものになっていなかった。ただ一つの出版社の賞なのに、日本文学における権威があるものみたいにみんな誤解するようになったのは石原が『太陽の季節』で受賞したことがきっかけになっている。その意味でも芥川賞と直木賞を受賞した作家はなんらか政治的なことにちゃんと言及すべきだし、しないといけない。その賞が話題になって大きなニュースになったのは石原慎太郎のおかげ(せい)であり、彼はそこから都知事にまでなってしまった。メディアミックスの恐ろしさもあるが、彼に権力を持たせてしまったきっかけの文学賞だからこそ、後継の人たちはちゃんと政治にコミットしてほしいし、言った方がいい)。
イライラする必要もないところで「待たせるなんておかしい」みたいな厚顔無恥な顔をしている人は、実際にそういうことをしたことがないだろうし、できない。コンビニのレジの人に怒っているおじさんやおばさんはレジ周りの操作とか対応はほぼできないはずだ。僕はコンビニバイト経験あるけど、あの頃と比べても今はやることがありすぎて大変だとわかる。わかっている人はよほどのことがない限りは怒らないし声も荒げることもない、そもそも声を荒げることが下品だ。それに生命とかかかるような時ならわからなくもないが、たかがレジの対応や待たされるぐらいで怒れる下品さ、品のなさは今の日本そのものだ。
漢字を間違えるのも嫌だし、ひらがなでもいいとのことだったのでひらがなで名前を書いて投票を済ませる。利権まみれで自民党とも繋がっていて追悼文も出さないし公約も何一つ実現させていない現職もだし広島で色々とやらかしているプチ橋下徹みたいな人も選ぶわけがないので、選択肢は最初から一人だった。
神宮外苑再開発も晴海埠頭の選手村(現:晴海フラッグ)などの大型の再開発を主導している三井不動産グループに都幹部が天下りしていることもテレビなどではちゃんと報道されない、当然ながらマスコミも広告関係もそれらに加担している。だから、スポンサー対応としてそれらは多くの人は知らないまま投票日が近づいている。
神宮外苑の木々を切るとかってSDGsとか言ってるのに、それを特集するテレビ局は文句言わないの? やっぱりブームに乗るだけで単語を使いたいだけなんだろう、そもそもスポンサーが切る側にいたら言えないよね。そもそも都心部にある樹齢何十年、人間よりも長く生きることになる豊かな緑を破壊するっていうのは何の想像力もないし、バカなんだろうな。利権によって簡単に破壊するとかとんでもない話だけど、そういう奴らが高収入で金持ちでキャンプとか自然豊かなところに行って休暇を楽しむとかちゃんとディストピアだけど。現職が優勢とか報道することで自分たちの守りたいものが透けて見えるし、どうしても今のシステムを壊されると困る人たちがいるんだろうな、素晴らしいね、新自由主義、報道の自由度がどんどん落ちていくだけ。
神宮の木々、森のことを考えていたら『通過』の古川さんが朗読しているバージョンが聴きたくなった。
空間現代(Kukangendai) - 通過 [Remixed by 蓮沼執太 / feat. 古川日出男]
投票後は家に帰らずにそのまま「オードリーANN」聴きながら代官山蔦屋書店まで行って店内を見て、何も買わずに帰りのスーパーで昼ごはんを買って帰った。散歩しながらラジオを聴いているのが一番自由な気持ちになるし、リラックスできる。
家に帰ってから月に一回の『ヤーレンズのオールナイトニッポン0』を聴きながらご飯を食べて「パンオペ」の読書の続きを。
夕方からライティング作業を進める。来月の中ごろ〆切のものを先に手をつける。終わらせそうなものから、ちょっとずつ。後回しにしないようにスケジュールを組み直した。
今日で2024年上半期は終わる。下半期の執筆スケジュールも数日前に立て直したけど、実際のところはどうなるかはわからない。とりあえず、上半期にできなかったことを一つずつでも終わらせていくしかない。
都知事選の期日前投票してきたら、この曲が聴きたくなった。期日前でも投票日でもいいから投票行こうよ。
今回はこの曲でおわかれです。
Gotch - The Age (feat. BASI, Dhira Bongs & Keishi Tanaka) - Music Video