Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『3月のライオン 前編』


 観た感想は映画『聖の青春』でできなかったことをしているな、と思った。『聖の青春』は書籍はすんばらしいが映画は正直いまいち。


 村山聖をモデルにしているのは病弱な御曹司の二階堂で、二階堂を演じているのは染谷将太なのだが、これは特殊メイクで太った役をわざわざ染谷くんがすべきなのか?と思う。太っている若手の役者だと見栄えやネームバリューは少ないだろうけどそういう人がやったほうが違和感ない、だって痩せてる染谷くん知ってんだから違和感が先に来る。だから、なんか惜しい。
 で、村山聖のライバルだった羽生善治がモデルなのは宗谷冬司で、彼は加瀬亮が演じていてピシッとハマってる。
 島田の佐々木蔵之介も、後藤の伊藤英明もいい。あかり役の倉科カナものほほんとした巨乳で優しそうな雰囲気で思ったより漫画に近い。
 主人公の桐山の義理の姉・香子は有村架純で原作だともう少し美人で冷たそうな感じ、有村架純はかわいい顔なんでちょっと違う気がするけど漫画を読んでなければ違和感とかないんだろうなって思う。でも、有村架純の顔は、性格はどうかわかんないけど可愛い面構えだからなあ、あと未だに雅ちゃんって思ってしまう。先生役の高橋一生も漫画に近いかな。キャスティングは大成功なのでは。


 漫画がもともと好きな作品だったので、条件反射的に何度か泣いてしまった。漫画読んでなかったら泣かないのかあるいは涙もろいからすぐに反射的にそういうシーンで涙ぐむのかは不明。
 去年の『ちはやふる』の二部作ほど強い感じはしない。『ちはやふる』前編はチームものとして脚本が本当に素晴らしかったと思う。個々人の成長がきちんと描けていたし、思春期の真っ最中の人たち、通り過ぎた人たちに響くものになっていた。


 『3月のライオン』は主人公の桐山はもちろん成長するし、家族を失った少年はあかり達の家で疑似家族的な居場所に救われるし、彼女達を救おうとする。これは羽海野さんの前作『ハチミツとクローバー』でもそうだったが、桐山とはぐちゃんは天才肌というか一般的なレベルの人ではなく、才能があり普通の人たちでは見れない世界での戦いや苦悩を抱えている。
 『ハチクロ』が一般的に響くのは竹本という極めて平凡的な人間がいて、周りが異彩を放つ人だったから、彼に感情移入ができた。世界中の大多数は竹本側だからだ。尚且つはぐや森田といった天才達の話がある。才能のグラデーションがあってそこに片思いの連鎖があった。


 『3月のライオン』は大崎善生さんの『聖の青春』『将棋の子』を読んでいればわかるが、奨励会で勝ち続けプロになったもの達の高みの場所での戦いになる。感情移入はできるようになっている、『将棋の子』がひどく読者の心を打つのは羽生と村山たち新星が現れて駆逐されて行ったものたちが主人公だからだ。
 将棋の世界は勝つか負けるかだ。どんな世界もそうだって言うかもしれない。だけども、はっきりと勝ち負けがわかる勝負の世界。これが芸術だとか文学だとかになると勝ち負けってはっきりしない、判断基準が統一されない部分が大きい。そこにも地獄がある。勝敗がはっきりと見える世界も違う種類の地獄がある。


 主人公の桐山の近くに凡人らしい凡人がいない、将棋に関しての話になるが。だからこそ、あかりたち川本家の話が大事になってくる。勝負(才能)の世界と家族の話、これは羽海野さんが『ハチクロ』と『3月のライオン』で続けて描いていることだろうけど。映画では個人的に島田を演じた佐々木蔵之介さんが最高に良かったです。後編も観に行くけどね。
 あと、毎年のように元旦に『サマーバケーションEP』ごっこをやっていて、井の頭公園神田川の源流から川沿いに歩いて行って、隅田川へ出て最後は月島の晴海埠頭で東京湾を眺めている。この作品の舞台の一つは月島や隅田川沿いなので、ああ、毎年観ている風景だ、と思うと親近感。 『ハチクロ』は浜田山とか出てくるから神田川沿いで、羽海野さんは名前のように川沿いの物語でヒット作を出して海へ注ぐ場所で次なる作品を描いているのだなと、コミックが出た時から思っている。