Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『再生』二回目


 岩井秀人×快快『再生』を先週土曜日に引き続き2回目を観に行く。出演者の交代もあった。もちろん内容は同じだけど、誰かが誰かの代役はできてもその人だけしかないものや他の演者との関係性や空気みたいなものはその人だけのものがあるので変わればもちろん前とはなにかが異なる。
 だから個人というものがすごく際立っている舞台なんだと思った。それぞれのカラーとか繰返されることで露わになっていくもの。セリフはほぼないがそこにあるのは踊りと叫び、ああこれってやっぱり儀式で、太古にはきっとこんな儀式が世界中にあって雨乞いだとかいろんな願いを込めていたんだろうと。
 儀式とは神話の反復だというけど、祭りもそうだ。もはや意味すらも忘れられて形だけ残っていく。本来の祈りや願いはなくなっても人はそれをする。ハレとケ。儀式や祭りはいつも通りの日常とは違う非日常だから。快快にある多幸感は日常に潜んでいるものを爆発されていくような色彩がある。
 『再生』はそう考えると快快だからこそ浮かび上がるものがあって、なんだかわからないけど感動したり怖くなったりする。身体性をみせつけられると舞台というのは非日常の空間でやっぱり祝祭みたいなものなんだろうと。だから関わる人たちはそこに神秘的なものを見たり感じたりするしさせる。
 未だに太鼓のリズムみたいに脳内で音が流れてる。叫びは太古に生きるために必要だった。獣に襲われて弱さを出したら襲われてしまう時に叫ぶ、威嚇する。やがて叫びが笑いに転化して人は笑うようになった。笑うことはこの残酷で平凡な日常を生き抜くために必要だった。叫びと笑いで生き延びる。