Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』


2011年4〜6月にフジテレビ系深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放送された全11話のオリジナルアニメーションの劇場版。 宿海仁太(じんたん)、本間芽衣子めんま)、安城鳴子(あなる)、松雪集(ゆきあつ)、鶴見知利子(つるこ)、久川鉄道(ぽっぽ)の小学生6人は大の仲良しで、「超平和バスターズ」と名乗り、秘密基地に集まって遊ぶ楽しい日々を過ごしていた。しかし、ある夏の日、芽衣子が事故で亡くなり、残された5人の心は離れ離れになってしまう。時は流れ、高校1年生になった仁太の前に、死んだはずの芽衣子が成長した姿で現れる。その姿は仁太にしか見えず、芽衣子は超平和バスターズのみんなに願いをかなえてほしいと言うが、その願いが何であるのか芽衣子自身も思い出すことができない。離れ離れになっていた超平和バスターズは、このことをきっかけに再び集い、芽衣子の願いをかなえようとするが……。TVシリーズで描かれなかった過去の出来事や、TVシリーズ最終話から1年後の成長した仁太らの姿も描かれる。(映画.comより)




一年後が舞台だけどまあアニメシリーズの総集編な部分もあり、一応メンマ視線なのかな。超平和バスターズの面々が一年後にめんまへの手紙を書いて集まりそれを届くように燃やそうとする、その手紙を書く中で各自が一年前の出来事とめんまが死んだ頃を思い出しながら現在の時間軸と展開していく内容。
アニメ版にはなかったエピソードもあるけどまあ目新しさはあまりない。アニメシリーズの最後の泣きながら自分の気持ちを伝えるしゃべり場な感じだけはどうも好きになれなかったし、まあ年代的なものもあれが響くかどうかと言うのはあるんじゃないかと思っている。大学生や高校生ぐらいは当事者感覚で見れただろうし、僕のような三十代に入った人間からすると通りすぎた過去から呼ばれているようで少し恥ずかしいというか距離を取ってしまう。もっと年代が上に行くと親目線で見れるだろうからまた違うのだろう。



めんまという存在についてアニメ放送時から考えることがあった。同時に世の中のフィクションにゾンビがよく出てくるようになったのはリーマンショック後からな感じ、なんとなくだけど。
幽霊は実体のないものであって、僕は過去とは亡霊だと思っている、メタファー的な。亡霊(幽霊)は基本的に成長しない。めんまは一応じんたんたちと同様にちょっと高校生になってる感じはビジュアル的には仕方ないのかもしれない。ゾンビは一度死んで甦っているが意志はない感じ、死んでるのも死ねない、動き続けるという近過去の呪縛や終わらない昭和のメタファーだったりもするのだろうなってイメージ。世界的にももう二十世紀から二十一世紀になってもまだ向こうに引きずられているイメージがゾンビかなって。


過去という亡霊から人は一生逃れられないし過去を清算するのもやっかいだ。ただ、そんな亡霊と増え続けるそれらを抱えながら人生はいつか終わるし、突然終わる。めんまが突然亡くなったように不慮の事故はよく起きるしそれはどうにもできない。
途中からじんたんの母親とめんまの話の生まれ変わりの事で、四十とかのじんたんが二十台前後の若い女の子をめんまの生まれ変わりだとその娘にも信じさせ、周りの超平和バスターズの面々も巻き込んで結婚するみたいな、おっさんの若いと付き合ういいわけ肯定な物語を思い浮かべていた僕はこの汚れちまった哀しみをどうしたらいいのだろうか。
もちろんオチは若い女の子との間に生まれた子がめんまの生まれ変わりですが。これはまあこの手の転生ものの王道な気はしますが。
あと『ハチクロ』同様に実写ドラマしそうな気がしてなんか嫌です。キスシーンとかないからアイドルはやりやすいだろうし。
あと、「あなるが可愛い」という言葉に潜む下ネタを原案である超平和バスターズチームがぶちこんだ嫌みではないかと勘ぐりますね。AFでもいけるよ、じんたんみたいな大人の悪意が…
ああ、僕の汚れちまった哀しみに。