Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

salyu × salyu『s(o)un(d)beams』ツアー最終日 中野サンプザ 5/6

 コーネリアスにプロデュースを依頼し二年越しで完成させたsalyuのニューアルバム、名義もsalyu × salyu(サリュバイサリュ)としてのアルバム 『s(o)un(d)beams』のツアー最終日の中野サンプラザに昨日行ってきた。
 今回のアルバムのプロデューサーはコーネリアスこと小山田圭吾氏に作詞陣は坂本慎太郎(exゆらゆら帝国)、七尾旅人いとうせいこう国府達矢という布陣。salyuリリイ・シュシュ名義でデビューした十年前から彼女をプロデュースしていたのは小林武史氏だった。


 CDJ04/05で彼女の歌声に惹かれてイベントやツアーには毎回観に行っている僕と青木とsalyu自体はほぼ聴いた事のないイゴっちと三人で観た。しかも一階席の五列目のど真ん中という最高な位置で観ることができた。


 今までのsalyuとは違い、「多重録音技術を前提に一人が複数のパートを歌い、最高で8声のハーモニーを奏でる」という彼女が今作を作る上でのテーマと彼女がこの数年興味をもっていた「クロッシング・ハーモニーの理論」から作りだされたアルバム『s(o)un(d)beams』はアルバムで聴くと合唱団にいたことが歌うことの始まりだったsalyu

 絶対的な武器として楽器として自分の声で勝負していこうとする彼女の意識の高さとそれを可能にしたコーネリアスのプロデュースが素晴らしいのだが聴いてみればみるほどにこれをライブでどうやるのか表現できるのかと思うものだった。


 「salyu × salyu sisters」と名付けられたかつての彼女の合唱団時代の友人たち三人とsalyuの四人でやることで「多重録音技術を前提に一人が複数のパートを歌い、最高で8声のハーモニーを奏でる」をライブ可能にする。salyuが歌うのはメインだがそれぞれ四人が対等な声としての楽器としてハーモニーを奏でる。三人はタンバリンやクラベスやウィンドチャイムやハーブなどの楽器も演奏していた。そしてバックバンドの高井康生(G)、ASA-CHANG(Dr)、鈴木正人(B、Key)の3人の計7人でライブは表現された。


salyu × salyu「続きを」(from "s(o)un(d)beams")special movie

↑この動画だと三人だけど。


salyu×salyu _SailingDays_full ver.


 ちなみにsalyuとsistersの四人はみんな同じ髪型にしてたマッシュルームカットで同じような白の余裕のあるワンピースのような衣装。
 インタビューを読むとsalyuに誘われた三人は髪型を同じにし会社を辞めてまでこのツアーに参加しているらしい、つまりマジでやっている。リハーサルにツアーとかこのあとのフェスとか考えたら会社勤めながらは無理だろうけど。


 ライブが始めると真ん中に置かれていたメトロノームを鳴らし始めてsalyuがアカペラで『It's a Fine Day』を歌い始めた。


セトリ
1. It's a Fine Day(Janeカバー)
2. ただのともだち
3. muse'ic
4. Sailing Days
5. 心
6. 歌いましょう
7. 天使と羊飼い(コダーイ作曲)
8. グライド
9. レインブーツで踊りましょう
10. s(o)un(d)beams
11. Hostile To Me(Lali Punaカバー)
12. 新しいYES
13. Mirror Neurotic
14. 奴隷
15. 続きを


アンコール1
16. HALFWAY
17. to U


アンコール2
18. Hammond Song(The Rochesカバー)


 天井が降りてきた電球の明かり等暖かい優しい照明が曲と合っていた。正直言うと『ただのともだち』を四人で歌っているのを聴いた時点で一言「これはとんでもないな」と隣りのイゴっちに言った。観たことのない聴いたことのない世界が目の前で完全な意志の元で表現されていた。


 だから、ずっとsalyuを観てきたと言ったって言い過ぎではないぐらいにライブを観ているけどこの次元に行ったのかと驚愕した。彼女の声は本当に魅力的で緩やかにしなやかなのに強く優しい、小林武史という日本を代表する一流のプロデューサーと組んでやってきて自身が作ろうとしたものはそれらを完全に糧に、経ていた。ポップであることとメジャーシーンでやること、そして自身が作り上げようとした世界や音楽に彼女は経験を得て辿り着いてそれを表現できるアーティストになってしまっていた。


 コーネリアスが作曲してプロデュースしているのに彼の新しいアルバムと言う感じはあまりしない。コーネリアスという人と組むことでsalyuが作り上げたアルバムや楽曲というのがすごく伝わるライブだった。しかし『奴隷』の圧巻振りは凄まじかった、このレベルものがこんなにも近くで聴けるなんてなんか感動した。

 途中でリリイ時代の曲である『グライド』をsalyuが歌った。去年の末に突如復活したリリイ・シュシュのライブ(『All About Lily Chou-Chou』)をまったく同じ中野サンプラザで観たものとしてたは前回のリリイのライブはあまり響かなかった。
 十年経ってもはやsalyuとしての認識の高くなっているというのもあったし、まず『リリイ・シュシュのすべて』の映画を作った岩井俊二氏を二十代半ばより下はほぼ知らないほどに時間が流れている。


 小林さんとしては『リリイ・シュシュ』プロジェクトをこの11年に再始動させようとしていたのかもしれないし、水面下では動いているのかもしれないが、それよりも僕はsalyu ×salyuの二枚目が聴きたいしライブが観たいと思った。また小林武史の元でsalyuとしてアルバムをだしてまたコーネリアスか彼に近い人にプロデュースをしてもらってsalyu × salyuの活動をしてもらいたと思う。


 salyuの曲の『新しいYES』も嫌いではないけど彼女達のハーモニーの流れだとかなり色合いの違うものだなあって思った。アンコールに入ってからはsalyu ×salyuの楽曲は全てやったのでsalyuの曲に、北川悦吏子監督映画『ハルフウェイ』の主題歌だった『HALFWAY』を歌う、時期的には合っていたと思う。
 で、ピアノとsalyuだけで『to U』を歌う。この日のライブからするとかなり異質なというかピアノとsalyuだけでコーラスもいないから。しかし、この歌の歌詞は前からだったけど3.11以後の世界ではまた違った意味を持ってしまった。


to U - Salyu Live @Budokan


 僕は人にもともとがんばれとかあんまり言わない人なんで震災以後の「がんばれ」的なものには少し辟易してるし、「ひとつになろう」とかって『エヴァ』のシンジが阪神大震災のあとの世界においてその『人類補完計画』で人類が一つの個と個の境界線がなくなり自分がなくなって他の人も自分でという溶け合うを拒んだ世界だった。のになあとか思ってしまったり。


 僕が「がんばれ」とか言われる立場だったら絶対にうざいとしか思わないと思う。最初はまだいいけどがんばりようもない所やどうしようもない問題に立たされている時に言われる「がんばれ」ほど無責任で言ってる奴の自己満な言葉はないと思う。
 被災した人の日記にお前らも家を失い家族や友人を津波に飲み込まれて生死もわからない、仕事も何もかも失って俺らと同じような立場になってそれでも「がんばって」と言えるのならその言葉を聞けるよ、俺がお前らに望むのは俺らと同じ境遇になることだというのを読んだ時にそれはそうだろうなと思った。
 僕もそういうことを言うだろう、その気持ちは少しはわかる、少しだ、僕は彼じゃないから完全にわからないし、あとは想像の問題だ。
 しかし僕らは家も仕事も家族も友人も目の前で自然の猛威の前で失っていない。その場所からしか言えないし語れないし書けない。


 この無慈悲で無平等な世界をまざまざと見せつけられたという事だ。そんなことは思春期に入る頃にはわかっていたし、それでもどうにか僕は、君も生き延びてきた。この世界は差別でいっぱいだし、おかしなシステムの上に成り立っているがそんなことは僕らには知らされずに知らないような仕組みの上で成り立っている。


 誰かの事を愛するというのは最上級の差別だと思うし、その人のためになにもかも失えたり誰かを殺せるほどの感情はその人が自分よりも上で他者はさらに下にしかない。だからこの世界から差別は永遠になくならないと昔から思う。キレイごとで無くなるとは言えるが無くなる時はこの世界から「愛」という概念で消えてまさしく自分と他人の境界線が消えて溶け合った世界だろう。誰がそんな世界を望むんだろう? これは単なる戯れ言だけど。


 ただsalyu ×salyuの世界のハーモニーの中で僕らは溶け合って空間の中に凝縮された、そして終わりを告げ僕らはそのハーモニーの世界から現実世界に帰還する。だから終わった後に語るべきことや話したいことがあった。


 新宿で青木と帰り道が違うので別れてからイゴっちと渋谷のサイゼリアでビールを飲みながら深夜の二時前ぐらいまで話してた。大学生かと思ったりもしたけど。それでも話したい事や聞きたい事やお互いのやりたいことや将来の事はこんな時代だからこそ話すべきだったし、話したかった。そしてこの現実の続きを。

s(o)un(d)beams

s(o)un(d)beams