『ブクロさいこー』と叫んだのは『I.W.G.P』のマコトの最終回の台詞ですが八月の中旬、終戦記念日の前日に僕は池袋ウエストゲートパークいや西口公園でのんびりと友人を待ってました。
巻を増す毎に読み応えなのなくなっている石田衣良著『I.W.G.P』が一番面白かったのは三巻目になる『骨音』収録の「西口ミッドサマー狂乱」だと思います。これがシリーズで最高によいと僕は思ってる。
数年前に石田衣良さんのサイン会に行った時に「小説家になるのに一番必要なのは何ですか?」と聞いたらあの超絶スマイルで「一回書き始めたら最後まで書き切る事、それを続ける事しかない」と言われた。たぶん、それが正しいのだと今は実感する。それしか道がなく、草原なのか山林なのか、あるいはモーセのように海を割ってでも進むしかないんだろう。
だいたい最近池袋に行く事があるのは快快(faifai)の舞台観に行く時だけだったりはするのですが、ゴリラの着ぐるみ来てゴリラの気持ちを知るWSとか、こないだの『SHIBAHAMA』とか。
『MY NAME IS I LOVE YOU』『インコは黒猫を探す』『Y時のはなし』とか過去に観た作品。『Y時のはなし』は11月に京都で再演するみたいです。ミニフライヤーに書いてあった。
夏なのに今年はあんまり蝉が鳴いてる感じがしない。西口公園で座ってたけど全然蝉がうるさくなかった。家の近所でもあんまり鳴いてないし数年前に冷夏でその時の影響で今年蝉が少なかったりするのかな。どうだろう。
待ち合わせした友だちとベンチみたいなのに座って話をしてそれから目の前にある東京芸術劇場へ。一階ではタイかどこかの東南アジア的なシルクロードみたいな演奏をしていたのでしばらく聴いた。
地下一階の小ホールへ。『Spicy,Sour,and Sweet』という日本の快快とタイのパフォーマンスグループのB-Floorのコラボ。
芸術監督 野田秀樹
初めてB-Floorを観た時、ある女優が壁にバンバン当たって倒れるという動きを繰り返しており、一見ムダな(笑)、その身体の使い方が非常におもしろかった。そしてふと、日本でかなり自由なパフォーマンスを展開している快快とコラボレーションしてみたらどうかと考えた。当事者は大変に違いない。でも無責任に言わせてもらえば、衝突も反発もすればいい。真の文化交流は、そこからしか生まれないと思うから。
とサイトにあった。
客席は北側と南側のように分かれていて、真ん中が演者の舞台になっている。なんというのかな、オランダの国旗みたいなトリコロールみたいな分かれ方をしている。で、始まったのがB-Floor『Flu O Less Sense』 から。
もちろんタイ語で台詞を言うのでわからないし意味は把握できない。が動きや表情、小道具の皿や照明や使われている映像なんかで感じる。すごくメッセージ性があるように見えたし、使われている映像もクーデターみたいなそういうものでああ言葉がわかったらもっと伝わるのにと思った。
そして時間感覚がわからなくなった。すごい動き回るし、どのくらいの時間やったんだろうか、あの体力は凄いなあと感心。ダンスというかパフォーマンスをする人の体の滑らかさとか身体が躍動するのを観るのは楽しいし凄いなって毎回思う。
終わってから快快×B-Floorコラボレーション作品『どこでもdoor』を観る。タイトルの「どこでもdoor」が出てくるんだけど、凄く説明し辛い。簡単にいうとポップな身体性が溢れて衝突して煌めくような。
快快×B-Floorのメンバーが入り交じっていて、3人×3みたいに同時進行的に動いたり台詞を言ったり交わったりまた分かれたりとかする。そこに床に出される映像とかの絡みなど。
あるグループの3人を観ていると他の二つの動きを捉えきれない、が全体像を観ていると個々のグループがぼやける。それは『Flu O Less Sense』の時もそうだった。多面体の中を光線が当たっては反射していくような、色んな角度に乱反射しているような、同時多発的な感じ。
世界はひとつだけどその中で同時進行で起きている事なんだかそういう事を考えたりしながらも、観てた。やっぱり彼らはポップでハッピーなマシンガンを撃ち続けているような感覚。もちろん客席にいる僕らはそのマシンガンに撃たれている。
快快の舞台と言うかパフォーマンスは生で観てほしいなって毎度の事思う。刺激的だしね。
終わった後に友人と話をしたんだけどあれって映像にするとやっぱり伝わらないんだろうなって、リアルタイムで観る事で、空間を共有するから感じれるものってのが大きい。
頭に浮かんだ言葉とか想いとかを字という形で示した時にその言葉が死んでしまうような事に似ている。
想いを伝えようとしてラブレターを書いても想いの全ては伝えられないし言葉では表現できない何か。伝えきれない部分、だけども伝えようとするためには何らかの形にしないといけない。
その時、全ては伝えきれないし表現しきれない。その隙間。それが他者に受け取られた時にさらに伝えようとした人が伝えたかった事全ては伝わらないし、あるいは違った解釈や受け取られ方をする。
そういうディスコミュニケーションがあり、それでも伝えようとするコミュニケーションの狭間に僕らはいる。なんだかそういう事を考えてしまう。
小説なんかは頭に浮かんだ物語の断片や考えた話を字にして現している、それは死んだ言葉たちの墓標みたいなもの。お墓参りに行った時に名前がないと誰がそこに眠っているかわからないから名前があってそれを読むことでそこにある言葉が浮かんで意味を持つような、そんな感じ。
演劇や音楽のライブはリアルタイムで空間を共有できる強さがある。それを意識的にやっている人達は開放的というか閉じた世界で物事を考えないのかもしれないなあとか。
早朝に仲俣さんとツイートでやりとりしてて「なんというか、君らの世代なりの『爆裂都市』(石井聰互)みたいな話を読みたいんですよ。ものすごくラジカルであるように見えて、じつは世代的な生い立ちの記憶がほのみえるような。」と言われて前からそういうものを実は作りたいと思っていたからそれをなんとか形にしたいと早朝から思っていたんだ。
快快やB-Floorとは違うけど僕は僕なりのやり方で。
group_inou - MAYBE
group_inou - COMING OUT
↑group_inou的なある種の過剰さを孕んで暴走(ラジカル)に見えて実はかなり冷静に世界を観ているような小説的な感じでやろうとするのが僕の感覚としては正しいんだと思うんだよなあ、なんでかって聞かれても感覚的な問題だから答えようがないんだけども。
自らの内に響き届く、身体的な表現と感覚と空間、言葉の奥行きとその形(デザイン性)と意味に出会うと世界が変わっていく。
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