今日、仕事の先で一緒にレジしてたおばちゃんから聞いた話。おばちゃんが一才の時に母親が出て行った。その後連絡もなしに何十年も経って現在に至るが数日前にとある所から連絡があった。
クレジット会社からの連絡、それでお母さんが亡くなった事を知る。おばちゃんと叔父が親族で残っているから負債(返済額)を半分ずつ払ってほしいと。それで約五十年ぐらいなんら繋がりも消えてた母が生きていた事、そして死んだ事を知り、お金を払わないといけなくなったらしい。
しかし、クレジット会社とか生命保険会社とかにはそういう身辺調査とかする調査員がいて調べ上げるんだろうな、と思うとその仕事って極めて探偵的で、外部に委託すると金かかるだろうから自分の会社にそういう人いそうだし、竹野内豊が主演でやってた『氷の世界』のドラマみたいな感じなのかもしれない。
彼女や妻が家を出て行くというと村上春樹作品を思い浮かべるが、不在ということはぽっかり空いた空間をどうするか、何で補うか、あるいはそれを認めるか、諦めるか、もしくは壊れてしまうか。
事故や病気で亡くなってそれが確認できて、死体を見るとかそれはそれで喪失感はものすごくあるはずだし残念だし悔しいとしても、生きてるのか死んでるかのかがわからないということの方が精神的に徐々に浸食してしまい、その喪失の方がダメージがありそうな気もする。
神隠しに遭うように人が消える。そんな事がないとは言えないかもしれないけど、人はたいていの場合自分の意志でどこかに行けるし、何者かの意志や思惑で消えるように消される事もある。
喪失感というのは長い時間を過ごしているかどうかだけではないし、短い時間でも濃密な時間を過ごしていると互いの存在が空気のように当たり前に存在するようになって失われる時に猛烈な痛みに変わる。
自分にとってあるのが当然で、なければ生きていけないほどのものになっていれば、その喪失感のダメージはどうにかなるものではない。
例えば小説でも何でもいいけど、物語(フィクション)でそれらがいつの時代にも書かれるのは僕らは出会った人とはいつか必ず別れていくという宿命にあるからだ。そればっかりは誰にも抗えない。物語の中でそれを疑似体験する、想像する事は大事な事だと思う。
くるり−ハローグッバイ(Live
永遠と一瞬。一瞬という刹那の中に永遠が存在するような感じ。永遠のイメージは氷の中に閉じ込められたマンモス。思い出すように眺めているのは可能だ。だけどそれを取り出そうと氷を割ってしまえばマンモスの体も氷と一緒になって崩壊して形はなくなる。
フジロックでも大絶賛だったRadiheadのボーカルトム・ヨークの新バンド、しばらく活動しそうにないけどAtoms For Peaceのライブ音源が無料配信されている。
2010-04-15 - Oakland, CA - Fox Theater
最近気になった小説はまだ買ってないけど山崎マキコ『ちょっと変わった守護天使 』の表紙。この人の作品は『ためらいもイエス』ぐらいなんだけど文春文庫から出す時は人物の写真なのかな、ちょっと雰囲気があっていい。『ためらいもイエス』も表紙に惹かれて手に取った部分も大きかったし。
- 作者: 山崎マキコ
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サマソニに来た友人が持ってきてくれたCDを取り込んだ。
The Suburbs - Arcade Fire (Music Video)