Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『シスター』

The Mirrazがニューアルバムでファッキンな世界の頂点へ
The Mirrazがニューアルバム「TOP OF THE FUCK'N WORLD」を9月8日にリリースすることが発表されたとのこと。


The Mirraz / シスター


The Mirraz / イフタム!ヤー!シムシム!


 ↑『シスター』はホントにいいし、The Mirrazアークティック・モンキーズのパクリバンドって言われてるし、ボーカルもそれを公言してるけど彼らは外部に開かれてるしリリックもいい、僕は好きだ。
 ラッドウィンプスを前は聴いてたけど何度か聴いてる内に閉じている世界、君と僕で完結してしまうセカイ系的な歌詞に僕は次第に共感できなくなっていった。


 今だと『クイックジャパン』の表紙になっている神聖かまってちゃんが若い世代(二十歳前後)に支持されてるみたいだ。リスカとかそういう行為がある種のリアリティを持ってしまったのかもしれないが、そういうもの、自傷行為ヤンデレツンデレ等々はゼロ年代に文学や映画やドラマでやっていたのに音楽はテン年代、十年代でもいいけど遅れてやってきている。


 水曜日に批評家の宇野常寛さんと僕と同じ年の大長さんと話をさせてもらったけど、ゼロ年代が八十年代の反復で、テン年代に九十年代の反復が来るだろうと。
 その時に僕らの年代、三十前後のロスジェネと呼ばれた世代の最後尾にいる世代が実際に影響を受けたのは九十年カルチャーであったことを当事者として語ることが大事ではないかという話。


 エヴァ小沢健二だけではなく九十年代に僕らが思春期に影響を受けたものはるし、語らないといけないのに上の世代が語れていないことは確かにある。その語らなければならない人や文化が今に完全に繋がっていることをやりつつも新しいものを宇野さんは作ろうとしているのを話を聞いて思った。


 以前に『文化系トークラジオ Life』で東浩紀氏が出演した回で東さんが「新しいシーンを作ろうとしているやつにしか興味がない」と言っていたのを思い出した。


letting up despite great faults - our younger noise (live).MOV
 
 来日したら観に行きたいな。でもどっかで聴いた事ある感じのバンドに似てるんだけど名前が出てこない。
 

『シモキタサウスゲート7』
 僕は待ちぼうけをくらっていた。南口の階段を下る無数の靴が目の前を通り過ぎて行く。待ち人は来ず。夕方の五時過ぎ、風はひんやりとしていて空はもう暮れかけている。そんな空には重々しい灰色の雲が浮かんでいてもうすぐ雨が降る、そんな雰囲気だった。
 僕の背中には「GATE 7」とペイントされている白い鉄板のしきりがある。いつも僕はその「GATE 7」を見ると何番まであるのかと思う、でも主に南口しか使わない僕は他の「GATE」を知らない。
 「GATE」は「門」だから、この先には何かが待っているのかもしれないし、開けていくと新しい世界が広がっているのかもしれない。「門」とか「鳥居」とか「GATE」だとかそこを越えていく事で何かが、世界が変わるような事があるのかもしれない。まったく違う、此処ではない何処かへ繋がっているそんな神秘的なものを僕はそれらに感じてしまう。異空間への通路みたいな、過去・現在・未来を繋ぐそんなものがあるのなら僕はどこに向かうのだろう。
 雨がぽつりぽつりと落ち始めてきた。目の前を歩く人のスピードが速くなった。僕は空を見上げる、雨に打たれているこの感じは青臭いけど生きているのを実感する。もう型オチみたいなiPodの第三世代をポケットから取り出して適当にシャッフルしてみる。メニューで「日付と時刻」の設定をいじった。
 西暦は「2000〜2099」までぐるぐると「カチカチ」と回すと変わる。僕は一度マックスの「2099」年に設定して目を閉じてみる、雨粒が大きくなっているのを肌で感じた。その年まで僕はおそらく生きていない、約百十歳近い自分の想像ができない。きっと死んでいる世界、僕がいない世界。僕はきっと存在が消えて大気に溶けている、きっと世界と混ざり合った僕は空気中にいる、世界を俯瞰しながら移動しているかもしれない。
 その世界は今のように空気はもはや澄んでいない、塵なんかが舞っていて灰色の世界、地球上に何かが起こって人類は地上にはあまり出なくなっているそんな未来。パカッと地面にある扉から這い出てきた子供たちは宇宙服のような防護服に顔はガスマスクに似たもので覆い隠されている。子供達は五人いて久しぶりに地上に出てきたからはしゃいでいる。雪合戦のようにこの灰色の世界で遊ぶ。彼や彼女達はまるで「スタンドバイミー」みたいに冒険に出かける。一人の子供が書庫で読んだ「雪」を探しにいこうと言い出して地上に出かけた。地面の扉を開けて彼らは冒険に出かける、そんな風景。
 脳内でその物語の一部を作ってそこで終わった、雨がどんどん強くなっていく。僕のようにここに立って待ち人待つ人はいなくなった。みんな雨宿りできる場所に移動していた。僕は動かないでまた「カチカチ」と西暦を動かした。
 二十年後ならばどうだろうと。「2029」年、遠くて近い未来。健康ならば僕はまだ健在だろう、そんな世界。
 今僕が立っているこの場所は「GATE 7」は消えている。この辺り一帯は再開発されていて見た事もない建物が、駅ビルが建っている。僕の知っていたこの町は変容している、いろんな考えや思惑や力が働いて。でも変わらないものはないから当然の事だ、いいかわるいは別にして。僕は夢追いフリーターだからその駅ビル工事のバイトをしているかもしれない、やりたい事が叶っていないとなると。
 地下の駐輪場なんかの工事の手伝いをして日銭を稼いだりしている。で、深夜作業をしていて仲良くなったバイト仲間と口論になってスコップの一撃をくらって倒れてしまう。で困った彼はこれからしようとしていた壁の広告のパネルを埋める後ろの空洞に僕を埋め込んでさらにコンクリ流し込んでパネルをはめ込む。僕は壁の中に閉じ込められてしまう。
 それから数年後、僕にとっての待ち人の君がもうお母さんになっていて娘と停めていた自転車を取りにやってきた時に大きな地震が起きる。二人にケガはないが、パネルの後ろにいっきに流し込んだコンクリにはひびが入ってパネルが落ちてくる、その音で振り返った君に壁に閉じ込められたかつて僕だったものと出会ってしまう。
 なんて悲観的な妄想だろう、これもきっと君が来ないからだ。僕は雨に濡れながら立っていたけど腰を下ろして「GATE」に背中を預けて座り込んだ。
 雨はどうやら止みそうにない。髪の毛はシャワーをしてるみたいにびしょびしょになっている、雫が服をさらに濡らす。急に雨が止んだみたいだった、でも目線の先の地面はまだ雨で打たれていた。視線を左側にうつすと君が立っていて赤い傘を僕に差し出してくれていた。僕はイヤフォンを外した。雨の音が再び聴こえ始めた。僕も君もなんだか困ったような顔をして笑った。僕は立ち上がってポケットからiPodを取り出して「カチカチ」と西暦を「2009」年に戻した。

NECESSARY EVIL

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Letting Up Despite Great Faults / レッティング・アップ・ディスパイト・グレイト・フォールツ

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批評のジェノサイズ―サブカルチャー最終審判

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