Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「ある光」

 インフルのダルさもほぼ治まりかけ、でも咳すると肺に衝撃が。気管支炎な気が日に日に高まるのでこれから寝て起きたら病院で薬もらうのとついでに気管支炎になってないか検査というか確かめておこうと思う。


 マスクをして食材買うついでに近所のツタヤへ。寝てばっかりだとどうも歩くのが新鮮というかまだ節々は普段通りではないことを思い知る。インフルで寝込んで観れなかったポン・ジュノ殺人の追憶」「グエムル-漢江の怪物-」を再度レンタルした。
 寝ているので阿部和重シンセミア」四巻読み切れると思っていたがタミフルか咳止めの薬かなんかわからんがやけに睡魔に襲われる。しかも長時間じゃなくて三時間とか一時間満たないぐらいしか寝れない、おまけに眠りが浅いのか夢をよく見る。


 今日はなんかバスケしてる夢、昨日は悪夢みたいなサスペンスムービー風を永遠と見るような感じで犯人を追いつめたら目が覚めて、速攻で犯人の手がかりのキーワードが頭から逃げていった。しかもその夢の主人公は二人ずつでキーワードもコンビごとに違って、一方は逆さ文字に、一方は読み方を変えると同じ意味で犯人がわかるという感じだったと思う。起きたらその二つのキーワードが逃げていった。


 その前の日は超高層ビルの最上階の何階かをぶち抜いた水族館のような縦長のプールを泳いでいて一番上を目指して顔を出すと空があってフェンスの所には最上階ペンギンの群れがいて、僕は気付いたらそのまま下に落ちてLCLの海みたいにそれに溶けて、気が付くと病室で何かを吐きかけたら目が覚めるという夢を見た。一時間も寝れなかった。


 今日のバスケは特に昔の光景だったりするけどその前の二つはネタとしては使えそうな、感じ。


 寝て過ごしていると「健全な肉体に宿る狂気」というのがけっこう何度も浮かぶ。弱ってると動き出せなかったりとかするからまずは体を普段通りに戻して多少は厳しくしていかないとやっぱりダメだなあって。体弱かった子が柔道とかそういうので体を鍛えるのはこういう気持ちなんだろうなって、ストイックに向かうのってと冷静に思ったりもする。


 インフルなんかになるのは完全に体の抗体が弱まってるからで、運動もして代謝とか上げたり体力つけないとやりたいこともできないし、へばっている場合でもない。三十路はもうすぐだ。
 本当にこの一週間は仕事先の人に休んで迷惑かけているけどこの数年で深夜帯で働いて思うけど深夜帯で長期間働いたらたいていどこかしら悪くする。二十代後半で健康だった僕ですら疲れが一気に出るようにインフルになったし、これはまじで抗体が弱まってるからだろう。
 ここ一、二年で特に笑えない高校時代の体重へリバウンドしてる、東京来た最初の頃からすると二十キロ以上違う。昔からの僕を知っていれば元に戻っただけだけど、東京で知り合った人からすれば年々デカクなってるとしかうつらない。森三中の黒沢さん並に年々デカクなってきてるし。


 いろいろと考えないといけないこともたくさんあるし、長期的なプランを立てないとやっていけないと思った。大事な事、プライオリティを考えて行動していくって事だけだな。そういうこと以外はあんまり考えなくていいような気がしてきた。あまりにも部屋で寝転んでいたら考える事がたくさんあって、暇ってのは考える時間ができるし、出来なかった事が浮かんでくる。


 この一週間は供犠として捧げよう。これが一年の始りでよかったんだろうな、このままでいいとか思ってんじゃねえぞって自分の人生に復讐されたというか平手打ちされるような、気付かされ考えさせられるような。
 どうせ三月までソッコーで過ぎるし、一年なんかあっという間に終わる。二十代になって時間の進む感覚は早まってる。小学生の頃の夏休みがあんなに長かったのにもうあんなに穏やかな日々はないんだろう。どんどん日々が進むスピードは速まる。


 人にとって一日の長さ、一週間、一ヶ月、一年の長さ自体は変わらない。嫌な事をしていると時間は遅く進んでいるように感じる、好きな事や好きな人と一緒にいると時間は早く進んでいるように感じる。年をとっても若々しい人は時間が早く進んでいるから年を取らない。嫌な事をしている人の方が長い時間を感じて老け込むのが早いんだろう。
 同じ一時間でもそれが三十分ぐらいに感じるのと一時間半ぐらいに感じるのでは前者は人生の砂時計が三十分過ぎた感じで、後者は一時間半過ぎているんだから後者の方が体感時間は多いから老けるのが早いんじゃないかなって勝手に思う。


 嫌な事もしなければいけないし、嫌なやつと一緒にいないといけない事はザラにあるけど、最終的に選べるんだ。絶対的なことではない、嫌なら逃げ出せばいい、逃げた分の過去は一生着いてくるしその清算をいつかしないといけないけど動き出す時に、どうしてもという時に僕は逃げ出す事が悪いとは思ってない。ただその分代償は高くつくかもしれないけどねとは思う。

 
 いまいちまとまらないけどなんだか嫌な時間を増やすよりも早く過ぎてしまう時間、それも自分にとって好きな事や好きな人と楽しむ事で時間をできるだけ消化したいし、願いや希望も昇華させてイロトリドリな世界で。



 金曜日は人に移らない状態には完治しているのでシアタートラムで快快(faifai)世田谷区芸術アワード"飛翔"受賞者公演「インコは黒猫を探す」を観に行く。けっこう顔見知りの方々と劇場で会う事になるのだろうな、今年になって初めて会う人も多いので挨拶もしないと。


『体力をつけよう、体力を 希望とか絶望なんかより 体力の方がずっと私を救う ぴーす』


 つうかこのキャッチコピーさ、今の僕にとっては超正論。


 今日は昼間寝ててオザケン復活のメールで起こされた。
 小沢健二ライブ活動再開!13年ぶり全国ツアー決定
 

 僕ぐらいの年齢だと彼のイメージはダウンタウンと「HEY!HEY!HEY!」のトークで絡んでいたのを小学校低学年ぐらいでテレビで見たあの感じかな。
 僕は二十歳過ぎてポップなものを聞こうかなって感じで聞いた感じで、まあ純度の高い文化系な人は彼が好きな人が非常に高い確率で多いし、僕が「文化系トークラジオ Life」を聴きだしてから知り合った人はたいてい好きだしね。
 そういう人が周りに多いから僕はなんだか純度の低い文化系だぜって思ったりする。こないだ見た「仮面ライダーW」で半身が黒で、半身が白なファングジョーカーみたいに斑な気持ち。


戦場のボーイズライフ 小沢健二ニコニコ動画(秋)2


小沢健二 - ある光


↑この二曲が後追いとしては大好きなんだが、映像見るとオザケンそっくりな友人を思い出してしまう。


 彼が季刊誌「子どもと昔話」で連載していた小説『うさぎ!』を何話か読んだ事があるが、グローバリズムや資本主義にアンチを叩き付けるような内容だった記憶がある。
 小沢健二のその発想はradioheadトム・ヨークにおそらく近い、僕は「snoozer」でのトムのインタビュー読んでディズニー一生行きたくねえと思った。最近は薄れたけどやっぱり行かないというかそういう場所に興味はない。


「ディズニーの後ろには世界中の飢餓や戦争で死んだ子供の骨で出来たもうひとつのアイランドがあるんだ」みたいな発言だったと思うけどね、グローバリズムが世界中の子供を殺しているみたいな事を言いたかったんだろうし、そういう部分が「Kid A」とかには現れている。歌詞なんかすげえ悲惨だけどライブだったらめっちゃ踊れてしまうリズムと共に。


 なのであえて「LIFE」の全盛期のメンバーでその頃を曲をやる意味ってことはデカイ。たぶんもうどうにも立ち行かなくなってて、世界がね。ポップなものでカラフルな世界への移行というかそういう力強いものが必要だと考えているんじゃないかな。ゼロ年代で世界がここまで暗くなってしまうなんて思えなかったし、だからこそのポップスが今必要なんじゃないかな。


 ブログ 「快快ゴリラWS@池袋西口公園」に、


 佐々木敦著「ニッポンの思想」に次の十年代を「テン年代」って中で書いていて芸術とかそういうものに回帰していくんじゃないかっていう話があって「テン年代」は「天然」でもあるみたいな。
 快快のメンバーはなんかそういう感じで、すごいオープンな感じで受け入れてくる気がしてて全然「A.T.フィールド」がないみたい。たぶん、いろんな人と触れ合っても楽しめるっていう核っていうか英語だとコアっていうものがあってそのぐらいじゃあ傷つかないよみたいな柔軟性がそう感じさせるのかもしれない。だからある種の「天然」的なものを感じる、勝手に。


 今アメリカで次の音楽シーンが地下で一気に盛り上がって新しいムーブメントが起こるそんな予感が音楽誌でも言われてて、実際にそう言われているアーティストの音楽を聴いているとなんかが起こりそうな気がする。
 でもロックと言うよりもそれらはけっこうポップスであったりもして、なんでそういう感じなんだろうなって考えてたんだけど日本でも95年以降のある種の「病む」ブームみたいな精神的に傷つく事がもはやマジョリティみたいな光景。
 それを吐露する人の増加とか経済の悪化がさらに加速して誰もが病んでしまっている風景がこの十年にもの凄く表立っていて、アメリカだと911という事件が確実に影を落として傷ついて、さらには疑心暗鬼になってみたいな空気の中で過ごしたティーンが二十代に入ってきたりして表現活動をし始めた時にもうそんなんいいじゃんっていう方向になっているとしか思えない。


 この十年の反復ではなく、違う方向性として無意識化でポップなものを求めてそれを天然だったり、ある人は意識的にしていくのが次のディケイドに起きるムーブメントみたいな気がしている、というか感じている。
 次の十年代の「テン年代」はポップな表現で彩られていくような、意識的に無意識的にそっちに引っ張っていく人たちが主役になるんじゃないかと思う。だからそれが無意識的じゃないのならば意識的にそっち側に移行していくことで心に色彩が描けるような面白い十年代になっていくんじゃないかなと思うし、僕もそちら側で楽しめるだけ楽しめるように。



 みたいな事を書いているんだが。


 この十年期(ディケイド)ってポップの復権というか本当に帰ってくるんじゃないかな、ポップなものが。マイケルが死んだのっていかにポップが素晴らしいものだったかをみんなに思い出させるために必要だったんじゃないか。
 新しい時代の前には古い時代のカリスマは生け贄のように差し出されて、新しい時代は始まると昔から思っている。カリスマは時代を作りはしない、指針や方向を示すけど。カリスマは巨大な磁石のようなもので僕ら民衆は砂鉄のように強力な磁場に吸い寄せられる、その力が増えれば増える程に新しい時代の方向性は決まっていく。時代を作るのは民衆であり、カリスマ的な人物は大きな力を集める人柱のように時代に捧げられる。


 神や仏を数えるのに用いるのに使うのは「柱」だ。


[HD] Radiohead - Saitama 2008 [TV Broadcast]

 ↑これ行かなかった埼玉の二日目っぽい、「just」してるし。You Tubeで見るとかなりの大画面。二日間のセトリは「ボディ・アンド・ソウル」でフォーラムは「radiohead@国際フォーラム 10/08」に。

殺人の追憶 [DVD]

殺人の追憶 [DVD]

グエムル-漢江の怪物-(スマイルBEST) [DVD]

グエムル-漢江の怪物-(スマイルBEST) [DVD]

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)

シンセミア〈1〉 (朝日文庫)

LIFE

LIFE

KID A

KID A

ニッポンの思想 (講談社現代新書)

ニッポンの思想 (講談社現代新書)