Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

ファイナルフォームライド

 前日土曜は新宿で同級生と飲み。会う度会う人にに言われる何かデカクなったという言葉、ただデブるというよりはプロレスラー的なガタイのよさという何かが大きくなってしまっている僕は何処に向かうのだろう。


 帰りに友人宅によってさらに話をして帰る。いろいろと人生には起こるらしい。周りの変化はやはり刺激的というか置いてけぼりというかまあ刺激がないよりはいいんだろう、刻は止まらない。


 オアシスのギャラガー兄弟の兄・ノエルが脱退。これで名実共にオアシスは終わっただろう。カートが銃で頭をぶち抜いた年にデビューしたある意味で最後の全世界的なロックバンドは、ノエルの手によって終焉した。


Oasis - Stand By Me - Live @ Brussels 2000


 弟・リアムは兄ノエルの脱退によって「Champagne Supernova」の歌詞のようになってしまったのかもしれない、あるいは呪いをかけられた。


 さよならオアシス。



 朝八時前に起きる。こないだ観に行った映画「 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」の本編のディケイドが最終回なので観てから選挙に行こうと。しかし普段酒飲まないのに飲み会の時だけ飲むので二日酔いがひどい。



『「空気」と「世間」と「レントゲン」とあと何か』
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090818


「ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル」
2009/08/24 ザ・シネマ・ハスラー
仮面ライダー ディケイド オールライダー対大ショッカー」
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090822_hustler.mp3



 前の回でこれは絶対に最終回で終わらないなって思ってた。最後の五分トイレの便器の上で「ファイナルフォームライド」してた。出たら終わってたので選挙に。あれれれ〜思ったよりも人がいなかった。


 帰ってから最後の五分確認。消化不十分な終わり方、最終回なのに次回予告か?みたいに12月の劇場版に続く・・・・、あっそうなんだ。糞だな。


 こないだ映画観に行った友人のH氏が今年はライダー映画四本やるみたいな構想があったって言ってたけどマジだった。


 今やってる劇場版「オールライダー対大ショッカー」がもはや笑うしかない超ご都合主義で映画としたらマジでひどい。
 シナリオ的に無茶苦茶だし、12月の劇場版で終わるってことは今やってる映画版はなんなんだよ、これもパラレルワールドですから問題ないっすってことか。ショッカーの人間魚雷とかギャグでしかない。


 「全てを破壊し、全てを繋げ!」というキャッチコピーだが、もはや破壊以外はしていない。


 子供のことを考えてないと思ってしまう。僕が映画を観るようになったのは中一でそれまで劇場に行った事がなかったし、まず我が家では映画館に行くという習慣もなかった。幼い頃に映画館の存在すらよくわかってなかった。


 我が家には中二で親父に成績がよかったら買ってもらう約束で買ってもらうまでビデオデッキなかったので映画と言うものに触れる事ができるようになったのが中学だった。


 絶対にいるでしょ、「ディケイド」を楽しみにしてた子供。うちみたいに親が映画館に連れて行かない家庭なら劇場版を映画館で観れないし、DVDがない家だってあんだろう、そういう家の子は続き観るのずっと先延ばしになるか観ないままだ。


 例えば、親に虐待されている子、ネグレクト(育児放棄)されている子がこの番組をすげえ楽しみにしててこの最終回観たら、きっと思うよ、「ディケイド」に捨てられたって。うちは放任主義だったが、父が。


 その子供の絶望を想像しろ、せめて本放送で一応の決着は着けろ、それがせめてもの責任ってやつだろ、この国の大人が誰も責任を取ろうとしないのを本能的に子供は嗅ぎ取るんだ。


 村上春樹1Q84」で印象的だった台詞の「説明しなければわからないことは、説明してもわからない」という言葉があるが、つまり説明しなくてもわかることは本能的にわかるのだ。


 そういうのがイラつく、関連商品売ってなんぼ、映画館に客呼んでなんぼ、DVD売ってなんぼってのはわかるよ、ボランティアじゃないから。営利目的の企業だからさ、でもガキに夢を作品の中で売らないでどうすんだよ。


 そいつらが未来の作り手になってくんだよ、そいつら置き去りにして旧来の大人のファンが金出してくれるからってそこをターゲットにしてなんか始まるかよ、始まんねえだろ。


 いつだって作り手は次世代に夢とか希望とか目に見えない想いを託す事でしか本当の未来を作る事なんかできないだろ、作り手は自分よりも下の若い連中に響くものを作ることで新しい未来の想像を、創造を繋げていくんだよ、それが本当の意味でのクリエーション、クリエイターの魂だろ。


 黒澤明の作品を例に出せばわかるはずだ、彼の作り手の魂は息子に遺伝したか? してないだろ。しないんだよ、こればっかりは。


 創造する人間の作り手としての遺伝子はその人間の作った作品の中に宿っていて、それを観たり聴いたり触れたりした受け手の中で共振した次世代の人間に宿って受け継がれるんだ、それが性交における遺伝子の次世代へのバトンタッチとは違う、作品を介した創作者の遺伝子のバトンタッチなんだ。


 だから日本ばっかりじゃなくて世界中に黒澤明の映画に影響されたチルドレンたちがいるんだよ、彼の作品から受け取った遺伝子を自らの中で新しい形にしてさらに次へ次へと繋げていく。


 「全てを破壊し、全てを繋げ!」って何もかも破壊しても、明日に繋がらないなら新しい創造=想像は生まれやしないんだ。