チャールズ・ブコウスキー「パルプ」がどこにもないのでアマゾンで買った。定価の倍だったけど、新品と変わらないのならいいかって思った。九年前の作品はすごく売れてないと店頭にはない。ブコウスキーを読んでる同世代ってどのくらいいるんだろうか。
いつも通りにあとがきだけを先に読んだ。柴田元幸さんの訳者あとがきに、安原顯さんが作品の評価を。この「パルプ」はブコウスキーの遺作、遺作ってのはデカイなあ。今年は海外作品の方が読んでる。
- 作者: チャールズブコウスキー,Charles Bukowski,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2000/03
- メディア: 文庫
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「少女七竃と七人の可哀想な大人」も佳境。主人公の七竃と幼なじみの雪風は旭川にいる、まだ高校生だ。二人とも一目を引くかんばせ、そして二人の少女と少年のかんばせは大きくなるにつれて似てきた。七竃の母は辻斬りのように町の男たちと衝動的に寝る、そして生まれたのが七竃だった。人間関係の狭い地方都市で一際目立つ存在は畏怖である。
平凡な世界にとって人と違うということは彼らから忌み嫌われ、疎まれ、嫉妬され、阻害される。世間体という共同体が見えないバリアを張っている田舎では異物は排除しなければ、その共同体は破壊されることを意味する。いつもここは居心地が悪いと思っている人間はそこの境界線を出る事で少し救われる。
- 作者: 桜庭一樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2009/03/11
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子供がある意味ではそこで守られている。共同体が境界線がバリアとなって、彼らを世界から守る。彼らが連れて行かれないように。だから、ふいに彼らはその境界線から飛び出してしまうし、連れ去られてしまう。その境界線を越える年齢が14歳だったり、17歳だったりと通過儀礼の年齢に彼らは、彼女らは飛び出してしまうことがある。世界と出会ってしまった後には、今まで居た場所に張り巡らされていたバリアが実感できるようになる。だからそこは彼らが居た場所として後にするものになる。彼らは、彼女たちは逃げたのではなく、旅立ったのだと。
おそらくはジュブナイル作品を書くとすればそこが大事なことなのかもしれない。通過儀礼としての殺人、あるいは誰かがそれを変わりにすることで少年に通過儀礼をさせたのを書いたのが村上春樹「海辺のカフカ」だった、カフカは殺人を代行してくれる人がいて、自分は夢のような場所で姉のような母のような女性と性行為をするという手を汚さない通過儀礼をする。僕がたぶんこの作品を読んで「はあ?」って感じたのは結局の所はおいしい部分だけを持って行ってやりたくないことを他人に代行させてしまっているからだった。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/01
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- 作者: 村上春樹
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14歳を巡る冒険は未だに続いている。それはかつて14歳だった者への、過去からの手紙として。「エヴァンゲリオン」はまさしくそうだ。アスカの名字が惣流・アスカ・ラングレーから式波・アスカ・ラングレーに変わった。名前変わっちゃってるし、やっぱり新劇場版はパラレルワールド臭いな。前作「序」のカヲルの台詞はまさにそうだったし。
ちなみに前の方に書いた境界線の話は大塚英志「僕は天使の羽根を踏まない」で主人公三人(麒麟、犬彦、カオス)が光りの獣に見つからないように結界がある場所で育てられてそこで居心地の悪さを感じていたという設定で、これは民俗学を学んでいた大塚さんが漫画に民俗学的なことを取り入れた部分から。
でも、最近まで知らなかったけど「エヴァ」に乗れるチルドレンって「母親のいない(母親の魂もしくは肉体と魂がEVAのコアになっている)14歳の子供」なんだよな。でアスカのおかんが狂ったのは「EVA接触実験の失敗による後遺症で精神を病んだことで人形をアスカであると思い込み」とあるのでアスカのおかんの正常な魂は「エヴァ」に取り込まれて廃人と化しているから、アスカは母の魂がある二号機とシンクロするっていう、裏設定があるんだなって。
しかし、新劇場版でその設定を活かすのか変更するのか、アスカってそう言う意味では母からネグレクトを受けている。そういう意味でも「エヴァ」とはシンジとアスカの母の魂が宿る場所で彼らを守る砦でもあって、でも子供はやがて親からの庇護の外へ出て行かないといけない。そう考えると新劇場版でも「エヴァ」は世界から消えるかもしれないし、ひょっとするとミサトが加持リョウジの子を宿して母になるってのも展開としてはあるのかもしれない。
「少女七竃と七人の可哀想な大人」の七竃の母は産んでからすぐにちょこちょこと旅に出てしまい、ほぼ育児放棄してる。