Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

千手観音かずこという武器

likeaswimmingangel2008-12-05

 ハードデイズナイト。
 昨日の昼間は専門学校の友人・青木にその前の夜に急遽「明日の昼間は暇?」という一声で、休みだったから中野駅で青木の友人の舞台を観に行く事になった。


 インパラプレパラート 第九回公演「笑われガスター」 中野・ザ・ポケット 12月3日〜7日


 とある国のコメディアンを描いたお話。何にも面白い事を言っていないのに周りのみんなは爆笑してしまう。国の中では貴族と平民が争うようになっていた。平民を煽っていたのは友好条約を結んでいた隣国の王子。
 貴族を倒すために森に住むという魔女に会いに行くガスターたちだった。そこで魔女と間違え続けられた薬師と喋れない足の不自由なムヒという女の子に出会う。ダメすぎたメタボな王子が王としての通過儀礼を終え、ガスターがみんなにもう戦いをヤメようと言うとみんなが爆笑してしまう、王子はそれを観て彼を平和の象徴として彼をその国の名誉あるコメディアンとして認めるのだった。
 やがてムヒと再開し、彼女だけがガスターの話を笑わない唯一の人だとわかり、二人は急激に仲を深めていく。しかし隣国の王子は自分が追い出した妹の姫を捜すように自らの父である王に言われるのだが画策した王子は姫がガスター達の国に捕われていると言いがかりをつけこの国を手に入れようとする。


 という流れでしょうか。キャラクターの名前がガスター、ポポン、エスタック、チョコラ、カコナール、ムヒ、ベルサーチ、ティファニー、ラルフローレン、ロレックス、ドルチェとかだったなあ。あとはわりと踊ってたかな。ナレーション代わりの語り部の使い方も巧くて劇とうまく融合してた。


 基本的に友人の友人の舞台なのでフラットな気持ちで観れた。感想としては金を払って観る価値がある舞台だった。孤独というものと誰にも理解されないということをヨーロッパの貴族社会をモチーフにテンポ良く描く世界観は観やすくていい。


 その後新宿へ出てタワレコに行くとなにやら狩野英孝のイベントがあるらしいので観ていこうかという話になった。19時から高校の友人・翔史のユニット・後月(しつき)主催のライブイベント「REINCARNATION」が両国であったのだが中々イベントが始まらずに19時過ぎたら狩野英孝が出てきた。生で「すたっふ〜〜」を聞いて一通りのネタを観たのでタワレコを出て青木と別れて両国に向かった。


 狩野英孝が面白いとかはあんまり思わないんだけど、やはり今あれだけテレビに出てイベントとかに出ているからだろう、場の空気を掴むのがうまい。場慣れしているというのが大きいのだろう、ああいう表舞台に出る人間は人前に出るということを回数こなしている奴ほど強い。


 両国駅を降りるとちゃんことか焼き鳥の匂いがした。しかし住所を知らず東口徒歩2分ぐらいという恐ろしくアバウトな情報しか知らされておらず、二十分ぐらい歩いて見つけた。入るとかなり客が入っていて座るともなかったのでこれだけいたら大丈夫だなあと一瞬帰ろうかと思ったがさすがに翔史のユニットの最後まではいようと思った。アコースティックがメインの4バンドのイベントだった。


 翔史のユニットの相方は僕らの高校の先輩で僕のバスケ部の先輩でもあってこの二人はもう十年以上前から知り合いだったりする。彼らは翔史がギターを弾いて、学さん(僕と名前が一緒なのだが昔からみんながそう呼ぶので呼んでいるんだけど自分も学さんなので違和感はある)はボーカルのみというユニット。二人ともヴィジュアル系が好きだったから、そこら影響を受けているのはわかる感じがする。ヴィジュアル系をフォークギターで鳴らして世界観を日常に近づけて歌うフォークデュオというのがわかりやすいのかもしれない、まあ僕のイメージだけど。



 初めてのイベントであれだけ客が集まっているのは大成功だろう。翔史たちの知り合いがいっぱい来ているので終わったらすぐに帰った、知り合い一人もいないからいても居心地が悪いし。


 舞台もライブも観るといいなあって思う。生ものだし、僕のやってる表現とは違うから。足運んで金払って観るのでつまらなかったら知り合いだと本気で罵詈雑言吐いてやろうと思うけどね。


 高校の頃から10年が経って友人のライブを東京で観るのはなんだか不思議な気持ちです。あの頃から考えると東京にいることも不思議だし、まだあの頃に抱いた夢とかにしがみついている自分もいるし。
 ここには居たくないないって気持ちがずっと地元に居るときからあって、大阪の大学に行って辞めて地元に帰って、結局は東京に出てきて、思いだけが存在してて何者でもないままの自分だけがいる。


 東京に出てきてもう7年とか過ぎてて、この2年ぐらいは色んな人に出会ってその繋がりの中で自分が少しずつ変わっているような気はする。


 そういう繋がりを通して短編小説を書かせてもらいました。19日に発売される「音楽誌が書かないJポップ批評 コブクロ 恋愛ソングで泣く!」 [別冊宝島]に載ってます。まあまだ手元にないんで本当に載ってるのか僕も少し疑心暗鬼ですけど。あとすっごく短いので立ち読みで数分以内に終わりますんで気が向いたら本屋で読んでください。


 なので先月はコブクロを人生で初めて真剣に聞いて歌詞を読んでということをしていたんだけど、コブクロの世界観って地方的な匂いがしてロードサイド化している場所へも届くし上京組というか地元を離れた人の応援歌でもあってノスタルジーが凄くあるから団塊の世代とかにも受け入れられるものがある。


 つまりコブクロが売れているのは全世代的に受ける要素が何個も重なり合っているからだと聴きながら感じた。
 二人の雑誌のインタビューも読んだりしたんだけど小渕さん(小さい方の人)が大半の作詞作曲していてお母さんを早くに亡くしてるんだよね。
 コブクロ=子袋=子宮を連想させる。胎内への回帰、揺るぎない安心への希求としての歌、それはある種の子守唄。だから人はコブクロに癒されるのかもしれない、自分を受け入れてくれる優しい場所へと誘う歌に。


 ウィキペディアコブクロ調べたらコブクロって01年にデビューしててデビューの日が僕の誕生日だった、ちょいとシンクロ。大学で大阪にいた時にアメ村のビッグステップでイベントしてて歌ってる凸凹の2人組がいたけどあれってひょっとするとコブクロだったのかもしれないなあ。


コブクロ君という名の翼



 「アメトーーク」は森三中・黒沢メインの黒沢ナイト!!だった。黒沢さんが女芸人ではダントツに面白いと思うんだけどなあ。森三中は二人が結婚して芸人ではなくなってタレントになってしまったので、女であることを捨てろとは言わないけど女芸人の女の部分が増すと面白くはない。黒沢さんにはこのまま千手観音かずこのキャラでやっていってほしい、あのキャラはやっぱり面白い。