Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年1月1日〜2024年1月15日)

12月下旬の日記(2023年12月16日から12月31日分)


1月1日新年を迎えてからTVerで『あちこちオードリー』とか見ていて、深夜二時ぐらいに寝た。前日の大晦日には古川日出男著『曼荼羅華X』の『新潮』連載時にあった「なかった」ことにされて単行本に収録されたなかったパートを読んだ。その舞台は東京湾に浮かぶお台場、埋立地だった。以前発表されていた『LOVE』『MUSIC』『ゴッドスター』『ドッグマザー』という東京湾岸から始まり京都へ舞台を移していく作品群に繋がるものを僕は連載時からそのパートに強く感じていた。
「小文字のx」と「Y /y」に出てくる小説家の男は最後に猫たちとレインボーブリッジを歩いて台場から芝浦に向かっていた。そのことがどこか頭にずっとあった。
元旦もレインボーブリッジは開放されていて歩いて渡れるというのもわかったので、目黒川沿いを歩いて天王洲アイルまでいき、少し北上して芝浦の遊歩道入り口からレインボーブリッジに入って歩いて台場へ。
台場からは北上する形で豊洲市場を抜けて晴海へ。東京五輪の選手村があった高層マンション地帯の先、晴海客船ターミナルがあった場所まで行くことにした。そこに辿り着けば勝どき駅まで歩けば一回乗り換えれば家まで帰れる、というルートにした。

第2回:碇本学(ライター)『二〇一八年のサマーバケーションEP』vol.1


『二〇一八年のサマーバケーションEP』vol.2〜あるいは二〇〇八年のスプリングバケーションEP〜


東京五輪が終わった翌年の2022年元旦までは『サマーバケーションEP』の舞台である神田川沿いを毎年歩いていた。その最終地点が晴海客船ターミナルだった。


去年はここから北上して東京タワーを右目に見つつ、豊川稲荷赤坂別院まで歩いた。


ノースルートとサウスルートがあって、基本的には選んだほうから反対側へはいけない。僕は東京湾を見たかったのでこちらにした。
元旦の太陽の光はまぶしくて、空気はとても澄んでいた。毎年歩いてるけど、元旦はほぼ晴れていて雨が降った記憶がない。
人がほとんどいないのもあるけど、歩いていると太陽の光が自分に降り注いでいて聖なる光に祝福されているような気持ちにもなる。



豊洲大橋から晴海に向かっているとかつてあったはずのの日は跡形もなくなっているかのように見えたが、あの塔のような黒くて細い建造物だけは見えた。



東京五輪の選手村として利用された高層マンション付近も歩いたが、住民もまだそんなにいない感じがした。その近くに建てられているスーパーも営業は開始しておらず、二年前の元旦にきた時にゴーストタウンだなと思ったけど、それは変わっていなかった。
二年前には工事中で入れなかった晴海埠頭公園は五輪開催に合わせて整備されていて何組かの親子連れが遊んでいた。この辺りの高層マンションはファミリー層向けなので、この先この辺りには子ども達がどんどん増えてくるだろうし、にぎやかな景色が広がっていくのだろう。だけど、基本的には富裕層と呼ばれる人たちになるだろうから、ある種他のエリアと比べるとかなり異なる街になるかもしれない。



上が今年2022年、下が2024年にスマホで撮ったもの。



上が今年2022年、下が2024年にスマホで撮ったもの。


上が今年2022年、下が2024年にスマホで撮ったもの。

スマホの充電がこの辺りで10%を切っていて、勝ちどき駅までなんとかもったが、電車に乗っている間に切れていた。家から勝ちどき駅まで4時間42分で22.79キロ歩いた。

家に帰ってから新年の挨拶のメールを書いたりした。ちょっとうとうとしていた。地震の揺れには気づかなかった。スマホでXを見た時に大きな地震が起きていることを知った。

毎年元旦恒例である新年会が18時からだったので家を出た。去年はそのお店の都合もあって違う店だったが、この6年ぐらいはそのお店で元旦飲んでいる。
お店にあるテレビでは毎年音声はミュートされているが「格付けチェック」が流れていて、それを見ているような見ないような感じで飲んだり食べたりしていた。今年は燃えている輪島の街並みだった。ご一緒する人の知り合いや親戚が能登とか津波が来るところに数名いるというので連絡をとっていて遅れて到着してきた。
東日本大震災から13年。今回の地震が起きた地域に住んでいる人たちの生活が元通りにはならないだろう。復興には時間もお金もかかる。その間にそこで暮らせなくて離れた場所で暮らすことになった人が帰って来れるわけではないし、以前のようなコミュニティは同じ形では再生はできない。また、地方や都市に分けれる問題かどうかはわからないが、震災後にはそれまで燻っていた問題などが表出してしまって、対立を生んだりもしてしまう。みんなが同じものを求めるわけではない、思想や意見が異なることで敵対することも出てくる。そういうものうまくまとめて話を聞きながら調整する役割が政府や市役所とかになるのだが、そこにも利権や思惑が出てきて一筋縄ではいかない。
だからこそ、13年前の教訓や反省を活かしてほしいとしか言えない。国や行政、政治家たちの行動や発言が復興にはほんとうに大事なものだし、なにをしてやらないのかを決めるという民意を聞いて反映してほしい。だけど、自分たちの利権や利益を手放さないのだとしたら、政(まつりごと)には一切関わらないでほしい。でも、そういう人をずっと選挙で選んできているという現実もある。とくに地方では地元とずっと権力を持って当選してきた政治家との関係性が強いため、変化は起きにくいし。かといって彼らに台頭できる党や政治家がいるかといえば見当たらないという問題もある。でも、最優先すべきは被災された方々が少しでも早く安心できる環境を作ったり、今後のことを相談できたり考えることができるようにすることだ。それができるのは個人ではないし、自助ではない。国家や政府や行政にしかできないことをちゃんとやってもらうしかない。それができないのであれば、彼らに政を任せてはいけないし、次の機会に当選させるべきではない。
四時間ほど飲んで食べて話した。一年の始まりがお祝いしにくい雰囲気になってしまった。被害に遭っている人たちにできるだけ早い平穏が訪れることだけを祈るしかない。

 

1月2日
起きたらちょっぴり二日酔いぽかった。前日に焼酎を少しだけもらって飲んだけど、たぶんそれだと思う。日本酒とかビールではこうならない。朝風呂に入ってから朝活がてら作業を少しだけした。

先月突如シングルをリリースしたgroup_inouのミニアルバム『HAPPY』がリリースされたというニュースをナタリーで見てSpotifyで聴いた。
パンチ力は前よりも弱い気はするが、メロディと詞は前よりも複雑になっているのかも。これはさすがに復活ライブとかやりそうだし、ライブをやってほしい。ラストライブも行ったぐらいは大好きなユニットです。

radikoで『空気階段の踊り場』を聴いたら、去年のイベント時に水川かたまりが慶應大学入学後に岡山弁で話していて、「お前はじゃがいも星人なのか?」と言った同級生の男性をついに発見していて、イベントで対面していた。そして、彼が今やっている仕事のことが明らかになって人生ってすごいなと思った。
かたまりの過去に起きた出来事の伏線が回収されたオチと彼の今の仕事もまさに現実は小説よりも奇なりというか、普通に書くと嘘くさいようなことが起きていた。そして、誰かの人生をまるっきり変えてしまった側の人はわりと覚えてないという悲しい事実。



13時から去年お世話になった方の仕事のちょっとしたお手伝いをする約束をしていたので一時間ほど歩いて原宿表参道方面へ。19時に終わったが一日ではやはり終わらず翌日も作業を手伝うことになった。

帰りにスーパーに寄って何か買おうかと思ったらどこもやってなかったので久しぶりに、コロナパンデミック前以来の松屋へ。カウンターとかが一人ずつで仕切られていてとても窮屈でなんか美味しいけど食事をしたいとは思えない空間になっていた。

 

1月3日
昨日から寝違えたのか首がちょっと痛かったのだが、まだその痛みは続いていた。初夢はたぶんまだ見ていない。
昼過ぎまで読書をしてから昨日同様にほぼ同じ道を通って原宿表参道付近へ。観光客がかなりいて一蘭は前日同様に行列ができていたし、ラフォーレがある交差点付近は人手が多かった。
目的地に着いたが、先方が30分ほど遅れるとメッセージが来たので付近をフラフラと歩いた。普段来ない場所なのでその付近の地形がちょっと頭に入った。先方が到着してから昨日の作業のお手伝いの続きをやった。単調な作業が続くのだが、中腰になったりすることが多く、腰もだけど背中がしんどかった。首の痛みはこれで増した気がする。19時前になんとか作業は終わったのでご挨拶をして帰った。

ano「YOU&愛Heaven」Music Video 


元旦に歩いている時は年末にやっていたラジオをradikoで聴いていたが、anoの新曲『YOU&愛Heaven』が突如元旦リリースされたのでそれを歩く前に三回ほど聴いた。今年もあのちゃんの快進撃は続くのだろう。そして、武道館とか大きなハコでライブをすると思う。その曲のMVが今日アップされていた。


公園通りは青くライトアップされていた。ちょっとだけ雨が降っていた。

 

1月4日
初夢はまだ見ていない。首の痛みはまだ残っていた。新TwitterことXを見ていたら社会学者の鈴木健介さんのブログが紹介されていたので読んでみた。「反体制より脱体制」という言葉はなんかすごく腑に落ちるものだった。

たぶん、社会が変わる瞬間ではなく、「変わった後」でしか世の中の変化は自覚されない。たとえば「いまどきもうこういうのないよね」「まだこんなことやってるの」と多くの人が思うようになるとき、社会はもう既に変わっていて、その変化に合わせて社会が作り直される。面白いことに、その「まだこんなことやってるの」と言い出す人たちは、ほんの少し前まで「こんなこと」の中にどっぷり浸かっていたのに、いつの間にか、自分だけが社会の先進的な変化の中に躍り出て、私はもう変わっているのに社会がついてこないみたいな顔をするのだ。

そうした、脱体制の中心、アイコンとなるのは、やっぱり「美しいもの」であってほしいと思う。「正しいもの」や「善きもの」が、誰かと誰かの対立を生み、お互いを奪い合うようになっているいまだからこそ、互いの正義を置いて集まれる美しいものを、人びとは欲していると思う。

能登半島地震でもさまざまな虚実入り混じった情報がXなどでは錯綜している感じがする。そこにちゃんと情報を届けたい人や、そうでない人、ある種特別なことが起きてしまった際の高揚感や正義感で人々は明らかにテンションがおかしいし、喋りすぎている(ポストしすぎている)ようにも思える。
震災関連だけでなく、それに関した万博中止(僕もさすがにその案には賛成だし、もともと開催すべきではないと思っていた)に関するものが怒号のように飛び交っている。ここぞとばかりの攻撃の応酬になっていて、やはり人類にはSNSは早すぎたというか、議論になりようもないもので言いたいことだけを言い続ける、そして「リポスト」や「いいね」が自己顕示欲を助長させ、さらにポストしていくという悪循環が生まれているように思えてきて、正直知り合いの人たちの何人かはもう見ていられない。もう病気だ。SNS依存がひどい。目の前でスマホをぶんどって投げつけて壊してあげたほうが幸せになれるのはないかと思えるほどだ。だけど、僕がそこまでする距離ではないし、その人たちにそこまで気持ちや思いを使いたいとも思えない。
もちろんSNSなどで震災における必要な情報なんかはポストされて広まるべきだけど、あまりにもノイズが多すぎて混線してカオスがひどい。


7時前に家を出てから半蔵門線渋谷駅まで、すぐに銀座線に乗り換えて末広町駅へ。毎年正月にお参りにきている神田明神へ。早い時間帯だったこともあるのか、人はさほど多くなくてすぐにお参りすることができた。
せっかくなのでお守りを自分用と人にあげる用に購入してから帰った。
10時前には家に着いたので、近所のスーパーに買い物へ行ってから昼ごはんを食べたら眠くなってきたので昼寝をした。起きてから自分の作業のための資料を読んでから、スプレットシートの作業を開始。

夕方過ぎに一度家を出て、営業を開始しているトワイライライトへ。書籍新年一発目は店主の熊谷さんも知っているし、ここでなにかを買おうと思っていてちょっと前からタイトルと装幀デザインで気になっていた中村達著『私が諸島である カリブ海思想入門』を購入。

19時から菊地成孔大谷能生による『迎春!!!!!!! audible Presents 「DOMMUNE RADIOPEDIA」【大百科117】〜 超文化大百科!! season 5-13 <聴く文化融合!!>菊地成孔大谷能生の「XXX et XXX」〜DOMMUNISM的接続【第6巻】「デューク・エリントン大河ドラマ」』を聴きながら作業の続きを。本当は観覧チケット買っていたけど行ったら終わらないので諦めて動画を流しながら。

 

1月5日
仕事始め、まだ初夢は見ていない。リモートワーク前に今やっている企画の一週間に一度のオンラインミーティングをした。これを上半期には形にしたいし、スタートできればいいので僕がやる部分に関してこれから詳細をもっと詰めていかないといけない。
リモートワーク中はradikoで『ハライチのターン』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『令和ロマンのオールナイトニッポン』を聴いた。
令和ロマンは「M−1グランプリ」を優勝したのでこの枠だが、やっぱり高比良くるまは声が藤井隆さんに似ている。声ということは顔も似ているし、骨格というスピーカーが近いはずだ。漫才での動き、体の使い方もどこか藤井隆さんぽいなと「M−1グランプリ」の時に思っていた。しかし、固有名詞とかがラジオ中に出まくるがツッコミの松井ケムリがちゃんと拾ってどんどん返していく。知識量もすごいし、反応も早い。
冒頭から映画『TOKYO TRIBE』の話とかわりと細かいところも知っていて映画も観ているのもわかるし、先輩のニューヨークが好きで彼らの「オールナイトニッポン」の熱心なリスナーだったこともわかったりして好感が持てた。「X(クロス)」か「0(ゼロ)」のレギュラーになってるもおかしくなさそう。


休憩中に銀行に行くついでにTSUTAYAによる。いつものルーティン。文庫新刊コーナーのところに西村賢太著『雨滴は続く』があった。単行本の時に読んでいたが、彼の最後の未完の長編小説であり、僕はこの作品から西村作品を読み始めた。
西村賢太の分身でもある「北町貫多」は読んでいると個人的には付き合いたくはないが、良くも悪くも人間臭くて今の時代からはこぼれ落ちていくような存在で興味深い。感情や本能のままに動ける人だった。最後に作中に出てくる女性のモデルになった新聞記者の方の文章が追加されていたのでそれも読みたかった。

ACIDMAN - 輝けるもの 


年末に『PERFECT DAYS』を観に行った時に映画『ゴールデンカムイ』の予告が流れていたが、主題歌がACIDMANのこの曲だった。前に武道館ライブに行ってから観ていないけど、この映画きっかけで若い世代にもまた聴かれるようになるのかもしれない。

 

1月6日
6時に目覚ましをセットして起きたが、もう少し寝たいので二度寝へ。起きたら9時過ぎていた。ちょっと寝過ぎたが仕方ない。とりあえず、軽くストレッチをしてからいつもの土日のように散歩へ出る。
radikoでいつもの『三四郎オールナイトニッポン0』は年始年末の番組編成のためお休みなので、もう一回『令和ロマンのオールナイトニッポン』を聴きながら代官山蔦屋書店へ。


来週の月曜日が成人の日だから10日ぐらいに発売の河出文庫が早めに出ていたっぽく、『平家物語 4』を購入した。これで古川日出男訳『平家物語』1〜4巻(河出文庫:古典新訳コレクション)が全巻揃った。今は3巻の途中で木曽義仲が討伐される手前ぐらい。
帰りは夕方から有楽町よみうりホールで向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブがあるのでZAZEN BOYSと向井さんのソロライブの動画から音楽を聴きながら。


去年も向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブで来たよみうりホールへ。渋谷から電車乗ると20分ちょっと近いのでありがたい。
第一部と第二部にわかれている構成だった。ZAZEN BOYSNUMBER GIRLの曲もかなりやってくれて、ZAZENの曲の中でも個人的に大好きな『Water Front』『Amayadori』が聴けたし、このソロでははじめてやったはずの『ポテトサラダ』もバンドとは違うサウンドだがとてもよかった。ニューアルバム『らんど』にも収録されていてMVも公開されている『永遠少女』が圧巻だった。
アンコールからはThis is 向井秀徳は黄色いパーカーを着てきて「Vaundyです」と言っていたので、彼の曲のカバーでもするのかなって思ったらそれだけはネタだったみたいで、七尾旅人『サーカスナイト』と松山千春『恋』のカバー、『KIMOCHI』をやって締めは『IGGY POP FAN CLUB』だった。
前からYouTubeで何度も聴いていた『サーカスナイト』カバーを初めてライブで聴けたのも新年早々いいことあったなって思えた。この向井ソロだけでやっている曲とかは音源化されていないので、これはこれで形にしてほしい。
終わってから客席にお世話になっている方がいらしたので新年のご挨拶をした。


本日から今年の営業が開始になったニコラに帰りに寄って、最初はビールとスナップエンドウ塩とレモンとオリーブオイルを、二本ぐらいビール飲んで白ワイン、最後はアルヴァーブレンドで。常連が数人来たのでカウンターで簡単な新年会というかいつもの感じになってたくさん話した。

 

1月7日

8時過ぎに起きてから歩いてヒューマントラスト渋谷へ。金曜から公開になった滝本憲吾監督&岡山天音主演『笑いのカイブツ』を。午前中の早い時間だったがそこそこお客さんは入っていた。

「伝説のハガキ職人」として知られるツチヤタカユキの同名私小説を原作に、笑いにとり憑かれた男の純粋で激烈な半生を描いた人間ドラマ。

不器用で人間関係も不得意なツチヤタカユキは、テレビの大喜利番組にネタを投稿することを生きがいにしていた。毎日気が狂うほどにネタを考え続けて6年が経った頃、ついに実力を認められてお笑い劇場の作家見習いになるが、笑いを追求するあまり非常識な行動をとるツチヤは周囲に理解されず淘汰されてしまう。失望する彼を救ったのは、ある芸人のラジオ番組だった。番組にネタを投稿する「ハガキ職人」として注目を集めるようになったツチヤは、憧れの芸人から声を掛けられ上京することになるが……。

「キングダム」シリーズなどで活躍する岡山天音が主演を務め、仲野太賀、菅田将暉松本穂香が共演。井筒和幸中島哲也廣木隆一といった名監督のもとで助監督を務めてきた滝本憲吾監督が長編商業映画デビューを果たした。(映画.comより)

岡山天音の迫真の演技とかはすごいと思うところがいくつかあるのだが、話の流れというか展開がどこかちぐはぐでエンドロールで脚本のところに四人名前があったのでそれでうまく統制がとれていなかったのかなと思った。
「笑い」にすべてをかけた若者であるツチヤは、観ていて僕はうまく感情移入できなかった。「笑い」が好きならまず言葉があるはずなのに、彼は挨拶とかお礼も言えない。そのことは彼がはがき職人になって投稿して自分を認めてくれたベーコンズの西寺に指摘されて直すように言われる。人間関係不得意であろうが、彼は自分が「笑い」にすべてを捧げているのだから、もっと言葉を大切にしてほしいと思ってしまった。
実際になにかをするためにはやりたくないことを我慢することもあるし、やりたくもないコミュニケーションだって不可避になるが、それをしようとしないから彼は嫌われていく、いや孤独が増していったように見えた。
すべてを変えるような笑いを作り出せていれば、それなら誰かが彼の足りないところをやってくれただろう。だが、まだそのレベルではない、独りよがりな若者の社会や世間とのうまくいかないことを描いているが、心に響きそうなシーンとかセリフがあっても最後の部分で僕には届いてこなかった。
どっちかというとピンク(菅田将暉)のほうが異才に見えてしまう。また、ベーコンズはオードリーを参考にしたのだろうと思える部分が多々あり、西寺(仲野太賀)と水木(板橋駿谷)の服装やスタイルは若林さんと春日さんをトレースしていた。ここに来るまでradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていたのもあって、なんというかちょっと乗り切れないところがあった。

#1 ラジオ好き必見! 伝説のハガキ職人 ツチヤタカユキとオードリー若林の経緯【作業用、勉強、睡眠用 



と書いたあとに調べたらツチヤさんが実際にハガキを送っていたのは『オードリーのオールナイトニッポン』であり、若林さんから実際に作家見習いになればと言われて上京したようだった。なるほど。オードリーっていうのは使えないからベーコンズって名前にしたのか、でもベーコンズの漫才指導は令和ロマンだと言っていたけど、その辺りもなんだろう。吉本が製作とかに入っているってことなのだろうか。オードリーの事務所の後輩ということならばヤーレンズになるわけだし。
上記のYouTubeでかつてラジオでツチヤのことを若林さんがトークで話しているのだけど、例えばこの映画が公開されるとなって、実際に発表されてからオードリーのラジオでこの映画やツチヤについて言及していた記憶がない。彼が東京から大阪に帰ってからは彼に触れないということにしたのだろうか、その辺りは詳しくないのでわからない。
でも、YouTubeにアップされているこのかつてのトークのところは映画にちゃんと出てくるので、映画を観たあとに聴くと内容が補完されていく感じがした。それにしても若林さんに本当に面倒を見てもらって気にかけてもらっていたんだなってことがよくわかる。
劇中で西寺は人見知り状態だった時期を乗り越えた若林さんがいいそうなことをセリフで言っていて(本人なんだからそりゃあ、そうか)、ツチヤはそれでも逃げる辺りはやっぱりしんどかった。実話だというのもあるだろうけど、彼が成長している感じがしないこともあって、実際には少しは変わってはいるけどカタルシスを感じさせる展開がないのでそこが乗り切れなさにも通じている。
ヒロイン的なミカコ(松本穂香)も上京前に童貞を捨てさせてもらって、自分を受け入れくれる存在だと思っているから東京から逃げ帰ったあとに刑務所から出てきたピンクが働いている居酒屋に誘ったんだろう、と思った。その際に彼女に彼氏がいること、ツチヤにはやりたいことがあってうらやましかったと言われて彼は感情をどんどん吐露していくことになる。そこから岡山天音菅田将暉のいいシーンにはなっていくが、彼女もツチヤの母親も基本的には彼を否定しない聖母みたいな存在になっているのはちょっと気になる(小説か映画用に作ったキャラクターなのかな)。みんながツチヤのことを甘やかし過ぎだろうと思うし、人間関係不得意だからってそれを通されてもやっぱり彼に対して感情移入しにくかった。なんというか素材は素晴らしいけど調理の仕方を間違えたような、作るべきものをしっかりと作らなかった感じの作品みたいに思えた。

古川さんの連載『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』最終回をよむために『文藝』最新号を買って帰った。
おお、最後にそういう着地なんだと思った部分もあるが、去年12月の角田光代さんとトークイベントでもっと時間軸を超えた大きな物語を書きたいという話をされていたので、最後に出てきたあの登場人物のことも合点がいった。この先、いくつかの時間軸でいろんな国や地域をえがく大作が書かれる始まりとしての『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』と意識される日が来るかもしれない。

21時からライティングに関するミーティングを一時間。次にやる作業が今までとは違うものになるので、その説明をしてもらう。聞いてみるとなるほどなあって思うことばかりで、知らないことを知れるのはうれしいしおもしろい。
課題はわりと難しいのでしばらく頭の片隅において、アイデアを転がしながら、なにか形になってくるといいなと思う。こればっかりは時間がどうしてもかかる。

 

1月8日

起きてから昨日同様に渋谷へ歩いていく。『笑いのカイブツ』があまりにもしっくりこなかったので、三連休最後の日に何か観ようと思って前日にいろんな映画館のサイトを見ていてクエンティン・タランティーノ監督『レザボア・ドッグス デジタルリマスター版』がホワイトシネクイントで上映中だったのでそれにした。
せっかくのリマスター版上映だし、映画館でなら観ようと。成人の日で祝日の朝10時からだけど、かなりお客さんが入っていた。年齢層はさすがに高い(四十代オーバー)が二十代の大学生ぐらいもちょこちょこいたと思う。

クエンティン・タランティーノの監督第1作で、宝石店強盗計画に失敗した男たちがたどる運命を、独特の語り口で緊迫感たっぷりに描いたクライムドラマ。

宝石店を襲撃するため寄せ集められた黒スーツ姿の6人の男たち。彼らは互いの素性を知らず、それぞれ「色」をコードネームにして呼び合う。計画は完璧なはずだったが、現場には何故か大勢の警官が待ち伏せており、激しい銃撃戦となってしまう。命からがら集合場所の倉庫にたどり着いた男たちは、メンバーの中に裏切り者がいると考え、互いへの不信感を募らせていく。

キャストには本作の制作にも尽力したハーベイ・カイテルをはじめ、ティム・ロススティーブ・ブシェーミマイケル・マドセンら個性豊かな顔ぶれが揃った。2024年1月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。(映画.comより)

最初の朝食での会話、話が進むごとに章仕立てというか、各キャラクター視点で裏ではなにがおきていたのかを見せるというやりかた、ポップだし物語としては倉庫で大半のことは起きているから、演劇ぽくもある。
終わり方としてはやっぱりあれがベストというか、あの終わり方でよかった。タランティーノ監督にとって長編第一作となったこの作品のエネルギーを感じたくて観ようと思ったところもあった。やりたいことをやる、自分の好きなものを爆発させるとなにかが生まれる。

今回の主役は、満を持して登場、
あの最悪の隣人、ポーキーです!

MOTHER2』で主人公ネスの家の玄関を
ポーキーが(とても下品に)ノックし、
すべての冒険がはじまりました。

ずるくて、よくばりで、ひきょうで、
おくびょうで、じぶんかってなのに、
どうしてだか、憎めないところもあって。
最悪のヴィランだけど、いつかのともだち。

良くも悪くも忘れられないキャラクター、
それが、ポーキー・ミンチです。

ホワイトシネクイントを出てすぐのところでほぼ日のポップアップショップ「ニューポーク・パルコ・シティ」があったので中に。
『MOTHER』シリーズに出てきた敵役(ヴィラン)のポーキーをメインにした展示とショップで、人気が長く続いているシリーズだからこそできることだなって思う。実際にシリーズ全部やっているとポーキーのことは好きにはなれないけど、主人公になれない側の人間の物悲しさをもっているキャラクターでもあり、確かに忘れられない存在だ。クリアファイルを三つ購入した。

夕方から作業を開始。途中夕食を買いに出たりしたが、街には人が多くて三連休最終日って感じで、数人は振袖を着ている女性と母親らしい人が歩いているのを見かけた。

作業中ダウンタウン松本人志さんが活動休止するというニュースが出た。降板した『ワイドなショー』に出演して経緯を話すという報道もあったりしてなんというか悪手というか、吉本興業自体もどうしたらいいのかわからないのかもなと思える。

Whitelands feat. Dottie - Tell Me About It (Official Video) 

 

1月9日
朝一で整骨院に行く。年末年始でガチガチになった肩甲骨や股関節をほぐしてもらう。臓器のところも胆嚢あたりが固いから肉とか油物を控えたほうがいいよ、と言われる。となると食事はどうしようか。カレーのレトルトとか肉とか焼いてお米を炊いて食べるという習慣をやめなければ。とりあえず、納豆と味噌汁とご飯、焼き魚とかなにか一品にしてできるだけ一日一食のドカ食いをやめるみたいなことから始めるのがよさげ。一色ぐらいはプロテインとかのほうがいいのだろうか。朝はトマトジュースは飲んでいるけれど。

リモートワークを開始。前日が祝日で三連休だし、先週金曜日が年始の初めだったこともあり、休みが多すぎて色々と作業が溜まっていた。とりあえず、スケジュールを見て余裕がないものから手をつけていく。読む文量もそこそこあるので集中力が切れやすい。チョコレート食べつつやる。一日で思ったよりは作業が進んだ。

作業中はradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』をお供に。お昼ご飯はスーパーで買った鯖の味噌煮と納豆をにして、TVerで『ラヴィット!』前半を見ながら食べた。ラジオもテレビも年末年始の特別編成から徐々にいつも通りのプログラムに戻ってきた。
テレビはないので、能登半島地震についての報道がどのくらいニュースでされているのかはわからないが、あまりしてなさそうな感じは新TwitterことXのタイムラインで感じる。
12年前の東日本大震災時のTwitterは緊急の情報が飛び交って拡散されていた。僕も地震当日はメールも電話をつながらないので普段はしないやりとりをTwitter上で行うことで連絡を取るなどしてとても助かった。
でも、今のXのタイムラインはそれぞれの正義とかがぶつかりあって罵詈雑言と自分の正しさを示そうとするものばかりで、おまけに松本人志の性加害問題に、能登半島地震後の復興における問題とかなり関わってくる(人材とか資材とか重機とか諸々)大阪万博中止や延期などの意見もあり、なんというか地獄絵図みたいな感じがしてどんどん見る気がなくなっていっている。まあ、SNSとは距離を取る潮時なのかもしれないなと思ったりもする。

リモートワークが終わってから、『新潮』に掲載された対談の小川哲+高瀬隼子「小説家は嘘をつく」というのが読みたくなったので駅前へ。
Spotifyで『あのと粗品の電電電話』最新回を聴きながら歩いた。去年の11月ぐらいの収録らしく、年末年始の忙しさの話はなかったが、二人とも番組にゲスト出絵したマキシマムザホルモンのことが大好きなのがよく伝わってくるトークになっていた。そういう素の部分が出るのがラジオ、トークのいい部分だなって思う。

小川 別に純文学をディスってるわけじゃなくて、現実として起こってることの話をするんですけど、結局、芥川賞を獲ったあと、みんな長篇書くじゃないですか。正確にはみんなじゃないけど、生き残っているほとんどの人は長篇を書いているんですよ。芥川賞の選考委員をやってる人たちなんて、芥川賞を獲ったあとは長篇をずっと書いていますよね。それも、エンタメとか純文学とかって区別のない作品を書いている方々です。吉田修一さんも、平野啓一郎さんも。僕が大学で教わっていた松浦寿輝先生もそうです。だから、何というか、「結局、みんなエンタメ書くじゃん」と思ってしまった。
高瀬 ああ……。
小川 そうしたところから、「じゃあ、最初からエンタメ書いたほうが早くない?」と思って、エンタメからスタートしたんです。

小川 純文学の作家の人たちを見ると、サッカーの日本代表を思い出すんですよ。
高瀬 サッカー日本代表
小川 サッカーの日本代表って、ワールドカップに出場するために三年間かけてアジアの予選というのを突破するんです。アジアのチームって日本代表より弱いチームがほとんどなので、なんとかして引き分けにしようと日必死に守ってばかりなんですよ。
――相手チームが攻めてこない。
小川 そう、攻めてこない。日本代表はその攻めてこない相手をなんとかして崩して1点取るというサッカーを3年間ずっとやり続けるわけですね。そしていざワールドカップに出場すると、「これまでの3年間でやったことを一回全部忘れて」って言われて、自分たちがやられていたことをやるんです。自分たちより強いチームを相手にしなきゃいけないんで、必死に守ってワンチャンスを生かすみたいな。
(中略)
小川 そう。純文学の新人賞でデビューした作家さんって、芥川賞を獲るまで200枚程度の中篇を書くという、よく分からない種目を必死に訓練させられて、それを突破した人が芥川賞を受賞するわけ。でもいざ芥川賞を受賞すると、別に200枚程度の中篇という分量自体には大して意味はないから。みんな結局長篇とかを書くわけですよね。予選と本戦でまったく違うことをさせられている日本代表と同じです。
『新潮』189-190P 小川哲+高瀬隼子「小説家は嘘をつく」より

小川さんの言っていることはほんとそうだよなってことしかなくて、純文学よりもエンタメの新人賞のほうが二作目以降を出しているとかの話もあった。wikiで各新人賞を見ると確かに純文学系の受賞作家は赤文字が多い。つまり追記されるようなことがない、二作目以降が出ていなかったり作家として続いていないという悲しい事実が確かにある。

 

1月10日
起きてからミーティング用に出すものがまだ終わっていなかったので作業をして、オンラインミーティングを開始。時系列に出来事をまとめたりしたことで流れも把握しやすくなった。毎回このミーティングは一時間ほどやっているが、確かに前進しているのがわかるのはありがたい。春先に形になるのを願いながら続けている。

それからリモートワークを開始。昨日の続きでできるだけ〆切が近い作業を終わらせていく。今日は大きなものが一旦僕の手を離れて確認してもらう段階になったので一安心。このあともちょっと〆切が近いものがいくつかあり、それは僕の得意なものではないので時間がかかりそうなので中旬と下旬でなんとか終わらせる。


仕事が終わってからニコラできんかんと甘夏とマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。柑橘系大好きなので甘夏のデザートはうれしいし美味しい。きんかんの甘さもあって、苦味のあるアルヴァーとも相性がいい。

今日も作業中はradikoをメインに。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『あののオールナイトニッポン』を聴いた。爆笑の太田さんは松本さん問題について芸人というものについて話をしていた。
あのちゃんは紅白での橋本環奈との「天使と悪魔の最終決戦」の再現をYOASOBI『アイドル』歌唱の際にやったことの舞台裏を話していた。演出で決まっていたと思いきや、そのこと自体は二人に任されたという感じだったのは結構驚き。ネットでバズるのはわかってるし、意図的に演出で入れていたと思っていたけど、最後には二人にやるかどうかは託されていたらしい。この一年で飛躍的な大ブレイクを果たしたあのちゃんのドキュメントとして自分で話す場所がラジオであり、もともとラジオも好きだったこともあってどんどんトークがおもしろくなっているし、彼女に起きていることを自分の言葉で話すことでファンも増えていっているのかなって感じる。
実際に僕もレギュラーになる前の単発ラジオであのちゃんに興味を持った。「オールナイトニッポン」というブランドは次にブレイクしそうな、するであろうと見込んだアーティストをちゃんと器用していて、彼や彼女が自分の言葉で話せる大切な場所となることでなんとなく聞いていたリスナーも知らずファンになっていく。そして、人気が爆発する流れを肌身で感じるように、パーソナリティーが話す言葉で現在進行形で聞ける特別な場所になり続けてきたのだろう。

 

1月11日
何かの夢を見て、初夢だから記録しておこうと思ったけど、寒すぎてすぐに目を閉じて二度寝。起きたら何かを見たけど何を見たのか全く覚えていなかった。寒くて布団から出たくない状態。
確か夜中にふと目覚めた時にメールを見たら、ずっと来ていなかったとある件に関する返信が来ていたのを見た気がしていたので、まさかそれが夢だったのかと思ってMacBook Airを起動したらそのメールは本当に来ていた。これで止まっていた作業は再開できるが、それにしても諸事情があるのはわかるが返信が遅すぎる。そして、その件に関する作業でできたものを送ってきてほしいという〆切がわりとすぐだった。もっと早く返信してくれていたら、こっちにもスケジュールの余裕とかあったわけで、なんというか不親切だし相手のことを考えてないんだろうなと残念な気持ち。今更言っても仕方ないので、反論もせずその〆切で提出するという旨のメールを出した。
とりあえず午前中にスケジュールに入れていた作業を開始する前に、この二ヶ月のスケジュールをその再開する作業に関して入れ込んで行ったり、すでに予定で入れていたものを変更して時間を確保した。
スケジュールを作ってから今日中に提出するつもりの作業を『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きつつ始めた。昼過ぎに一旦終わったので、外に出て請求書をプリントアウトして捺印してから、スキャンしたデータをスマホに保存した。


『新潮』の対談がおもしろかったので、小川哲さんの最新作である『君が手にするはずだった黄金について』を駅前の書店で購入した。発売した時から気になっていたが、なんか手を出していなかったもの。帰ってから原稿を読み返す前に最初の一編を読んだ。出てくる固有名詞が自分と近いものだったので、かなりリアリティを感じた。
原稿を確認して修正してから請求書と一緒に送信したのでとりあえず作業は終わり。

18時からGAGA試写室でジュスティーヌ・トリエ監督『落下の解剖学』試写があるので、15時半には家を出た。めっちゃさぶい。歩いて一時間二十分ほどの距離だが青山通を歩いていくが体がなかなかあたたまらないぐらい気温が低かった。

これが長編4作目となるフランスのジュスティーヌ・トリエ監督が手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞したヒューマンサスペンス。視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた転落事故を引き金に、死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻のあいだの秘密や嘘が暴かれていき、登場人物の数だけ真実が表れていく様を描いた。

人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。

女性監督による史上3作目のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。主人公サンドラ役は「さようなら、トニー・エルドマン」などで知られるドイツ出身のサンドラ・ヒュラー。(映画.comより)

二時間半近くある作品で、最初の三十分ぐらい過ぎたあたりか、ちょっとうとうとしてしまった。何分ぐらい寝たかわからなかったけど、なんか暑かった。えっもしかして風邪引いたのか?と思ってほっぺやひたいを触るが熱くはない。暖房がかなり強めにかかっているのか、試写室の中がかなり暑く感じられた。外がかなり冷えているのでその寒暖差でうとうとしてしまったのかもしれない。物語はさほど動いてはいなかった。
視覚障害を持つ息子と一家の愛犬の演技が後半すごいことになっていく。あの犬の演技力はどうなってんだろう。あることで仮死状態になっている場面とかは白目をむいているというか、死んでるのかもっていう感じの目になっていて、すぐに蘇生されるのだけどそのあとの目の感じとか動きが恐ろしいほどリアルだった。
夫の殺害容疑をかけられた妻、殺人なのか事故死なのかは裁判で争われることになり、被告人となった母のサンドラに対して相手側の弁護人の俳優がとても良い味を出していた。物語としてはサンドラが殺したのか殺していないのかということよりも、夫婦の間で何が起きていたのか、死んでしまった夫との関係性が裁判の中でどんどん明らかになっていく。
知り合いの樋口毅宏さんが試写で観た際に強く感銘を受けていた。夫側に共感できるところがたくさんあるというポストをしていたから、観ていて「ああ、なるほどなあ」と思った。妻は自分よりもお金もしっかり稼いでいるし、社会的にも認められていて有名であり、弁も立つからどんどん自分が惨めになっていき相手のことが怖くなってくるんだろうなと夫の気持ちもわかるような内容になっている。
パルムドールを取ったと言われるとそうなんだなあって感じで、ル・シネマで上映していても違和感のない感じのちょっと高級なタイプの映画かなあ。今の日本だとこういう作品って妻に弱い夫には共感されるだろうけど、それではヒットに結びつかないし、どういう売り方をしていくんだろう。
帰りも寒かったけど、来た道をそのまま歩いて帰った。スマホを見ていたら週末雪が降るかもってあって、週末までずっと冷え込むの嫌だなって思った。まあ、大雪にならなかったらいいけど。

 

1月12日
二度寝してしまった。リモートワーク開始前には起きたが、朝の作業をしている時間はなかった。昨日、寝る前に『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』を放送の半分である一時間聴いていたので、その残りからradikoで聴き始めて『ハライチのターン』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をBGMがてら流した。
先週がたいていの場合去年の録音だったりしたので、生放送は今回からという人が多かった。ラジオになろうとする都築、新婚だけどテンションがあまり変わらない岩井と澤部、旅行に行ったことと子供について楽しそうに話しているおじさんのおぎやはぎ、高校時代の同級生の話を古典小説のように毎年しているナインティナイン、正月は劇場に出たと話すものの休んでいた考察をリスナーにされるマヂラブ、いつもの放送に戻ってきていた。
リモート作業は通常運転、今日やるべきことはちゃんとやったので問題なし、中旬以降にちょっと忙しくなりそうな気はしている。

元日から言葉が出ない。ほとんど言葉を書いていない。おととい織田作之助賞(その選考委員を私は務めている)の短い選評をしたためただけだ。たぶん「書いてしまう」ことが恐ろしいのだと思う。なにか言葉を書きつけてしまう、残してしまう、そして発信してしまう、そうしたことをしていいのか? と2024年の1月1日のその時刻以降、自分が自分に問うている。問われているあいだは書けないが、私は締め切りは破らない人間だから、こうして「現在地」の更新の日が来て、私はとうとう文字を書いている。そもそも私は、別に談笑はできたし、当たり前に仕事用の、また私用のメールも書けた、友人たちと LINE も送り合えた。だが「書いてしまう」ことはできずに今日のここまで来た。

古川日出男の現在地』「海と火と、それから 2023.12.23 – 2024.01.12 東京・宮城・埼玉・静岡・福島・京都」

古川さんの公式サイトのブログが更新された。この後に続くことは『平家物語』における都落ちしていく平家たちがしたことについてだったり、海という場所の話だった。読みながら今ちょうど読んでいる『平家物語3』の平家たちがどんどん源氏たちに破れていく展開を思い出していた。

The Smile - Friend of a Friend 


仕事が終わってから外に買い物にいく時にThe Smileの次のアルバムからのシングルカットされたこの曲や今年発表された新曲をSpotifyで聴きながら歩いた。

また、この曲の ミュージック・ビデオは、映画監督ポール・トーマス・アンダーソンが手がけており、1月18日から25日にかけて、世界各地の映画館で行われる上映イベント 「Wall Of Eyes, On Film」 の中で初公開される。本イベントは、新作アルバムとポール・トーマス・アンダーソン監督とのコラボレーションを讃えるもので、シドニーからブエノスアイレスまで世界16箇所の映画館で上映が行われる。ここ日本では、坂本龍一氏が音響を監修したことでも話題の映画館、109シネマズプレミアム新宿にて2日間限定で開催が決定した。 

アルバム発売前に超高音質視聴&上映会が109シネマズプレミアム新宿で行われるので、今まで一回もやったことがないけど、新TwitterことXのbeatinkのポストをリポストするっていうのをやった。なんかプレゼントとかでアカウントをフォローして該当のポストをリポストっていう宣伝に加担するのはずっと嫌でやってなかったけど、これはもし行けるなら行きたいから恥を忍んだ。
で、109シネマズプレミアム新宿のシアター8ってところを調べたらプレミアム感はすごい、普通に行ったら6500円の席らしい、で座席数も100ぐらいか、22日と25日の2日あって、日にちも座席も当選者には選べずに当選者にはDMで知らされるとのこと。今のところリポストしている数を見ると800を超えている、2日でMAX200人だとしたら倍率は四倍程度、微妙だ。当たりそうだし、外れそうな微妙な倍率。

 

1月13日
今日もまた二度寝、十時を過ぎていた。さぶい、さむいではなくさぶい。夕方から雪が降るみたいなニュースを二日ほど前に見ていたが、そのせいか非常に乾燥して冷え込んでいる。
夕方に新宿に行く用事があるけど、天気予報を見ると雨っぽい。雪にはならないのかもしれないけど、もし降れば今年初の雪になる。


ラヴクラフトが書いた一連の小説が「クトゥルフ神話」として体系化されているが、彼の小説を田辺剛さんがコミカライズしたものは何冊品も出ている。小説は読んでいるが漫画は読んでいないものがもう何作か残っていて、資料として読もうと思ったままだった『クトゥルフの叫び声』と『インスマスの影』を昼ごはんを食べてから読み始めた。
古きものたちなどの描写は海に関する生物との融合隊みたいなものが多くて、グレイと呼ばれる宇宙人が一般化する前のタコ型、軟体動物っぽい宇宙人的なフォルムをさらに禍々しく邪悪にしたようなものになっている。
小説を読んでいる時にも描写はされているけど、田辺さんがそれを元にイマジネーションを用いて描いた古きものたちなどクトゥルフの神々や古の存在たちはこれを見てしまうともう焼きついてしまうし、海外でもこの漫画が読まれるとよりこのイメージが定着するだろうという強さがある。悪夢に出てきそうなものたちだが、このラヴクラフトから始まった「クトゥルフ神話」というものの広がりが一番興味深い。

二時半過ぎに家を出たら雨が降っていた。地面が濡れていたが傘を差すほどの雨ではなかったのでそのまま渋谷まで歩いていく。
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。今年初めての放送であり、生放送。年末の紅白や逃走中の話から年始のお休みにどこに行ったかという話をしていた。二人とも休みに行った旅行の話がたのしそうだったし、紅白をネタにした展開もおもしろかった。
小宮さんが「メタル」という単語を入れて歌手名や歌をいじると相田さんがすぐに「メタル」を入れて歌い出すという、打ち合わせとかしてなくてもそれがすぐにできてしまう辺りは、すごい安定感というかコンビの波長の合う感じがすごくおもしろい。


新宿三丁目に着いて時間があったので、紀伊国屋書店に行って店内をぶらぶら。来月観る予定の舞台『最高の家出』のポスターが貼られていた。ビジュアルを初めて見たけど、なんかすごくポップな作品になりそうですごくたのしみ。

今年三月に放送作家を引退する鈴木おさむさんが作・演出した『朗読劇「美幸」』を観るためにシアターマーキュリーへ。この劇場は初めてでマルイ本館の八階にあったんだが、最初バルト9がある方の別館と間違えて紀伊国屋書店から向かって歩き出したら、みぞれ混じりの雪が降ってきていた。服についたみずれっぽいものを見ていたらわりと白い雪もどんどん増えてきていて、風もちょっと横殴りの強いものだった。この量だと明日積もらないだろうなというぐらいの雪だった。


鈴木おさむの朗読劇「美幸」に酒井若菜、水川かたまり・浦井のりひろ・岩崎う大が日替わり出演(コメントあり) 

友人を誘っていたので開場前に8階で待ち合わせして劇場へ。初めて来たのだけど、キャパは100ぐらいかな、普段はお笑いライブとかをやっているところみたい。
タイトルが「美幸」なので鈴木おさむさんの妻である森山中の「大島美幸」さんのことを描いたものになるのかなと思っていたが、主人公の名前は「美幸」だったが、「大島美幸」さんとはまったく違う人のことを描いたものだった。
主人公の「美幸」のセリフを酒井若菜さんが、他のキャラクターなどを男性ブランコの浦井のりひろさんが朗読する形だった。
若菜さんは感情を込めないような感じで淡々と「美幸」としてのセリフを朗読していく。その淡々とした感じがやがて狂気に染まっていく、超えてはいけないラインを超えてしまう人の怖さみたいなものが漂っているようだった。実際に感情が露わになるのは後半の一部ぐらいだが、普通の人生を歩もうとしていた彼女がゆるやかに壊れていくのもあって、だんだんその狂気みたいなものが若菜さんの声や椅子に座っている状態の体から迸っている感じだった。
浦井さんは「美幸」が出会ってきた男性たちや弁護士などのセリフを朗読していく。彼女によって被害を受けた女性のパートナーだったり、彼女が傷つく要因を作る男性などを演じていくが、一気にボルテージが上がって怒る場面などもあって朗読劇における喜怒哀楽の怒や哀を多く担っていた。男性ブランコはコントも漫才もコンテストで上位に食い込んだり、毎年決勝に進出している凄腕だが、やっぱり演技力がすごいのだなと思えるものだった。
習字が得意だった「美幸」は幼い頃から漢字二文字で日記を書いていた。ある時期から自分が作った二文字でも日記を書くようになっていく。その中で作中で大きい役割を持つのが「顔晴」と書いて「がんがる」があり、二人が座っている椅子の奥のスクリーンに時折、それらの二文字が映し出される。
終盤に起きる「美幸」の復讐劇というか自分勝手な行為の中に「巨根」という単語を男性のある部分にタトゥーで入れようとするシーンがある。これは確かにおそろしく怖すぎるものだが、ギャグ的なことなのか怖いと思わせたいのかちょっとわからなかった。というか全体的に笑えそうなところと怖いところが混じり合っているので、どちらなのか釈然としない、噛みごたえはあるけど噛みきれないみたいな感じがずっと続いていた。
一時間四十分の上演時間だが、椅子の問題や空調の問題もあって、その時間集中するのが結構難しい感じがした。普段ここでやってるお笑いライブだったらここまで長尺のものはしないだろうけど、集中力を客に持たせないといけない場所であの内容でやるとしたら、たぶんここはあんまり向いていなかったんじゃないだろうか。
一緒に観た友人はもともと体調が万全ではなかったが、観ている時に貧血ぽくなってしまったようで、ご飯も食べずに解散することにした。

今回も永野節が炸裂‼️炎上覚悟で己の身を削った魂の叫び【しくじり放送室 】 


その友人と前にダウ90000のライブ「20000」を観にいくお誘いをした際に、ダウの番組に永野さんが出てくるのがおもしろいので見てと勧めていた。それで彼女も永野さんの動画をあれ以来けっこう見たと話をしていたので、帰ってからトンツカタン森本やニューヨークのYouTube番組にゲストで出てるのを見たりして、LOFT9で永野さんが出演するトークイベントがあったのでそれに行こうと思ってチケットを取った。
なんか、今年は永野さんのイベントとかをたくさん観るような気がする。上記の「しくじり放送室」は去年見ていたが、改めて見てみると彼が話している先輩芸人たち(ダウンタウン世代)とかが急に若手に優しくなったり、子供ができて今までと違うスタイルになったことについて、それまでよしとされていたことを信じてやってきたのに、裏切られたから謝罪してほしいみたいな気持ちが、お笑い業界だけじゃなく、けっこう今の四十代、ロスジェネと呼ばれた世代が社会的なことから一般の生活においても感じることに通じている気がする。だから、僕は永野さんの毒に惹かれている部分は間違いなくある。

 

1月14日
三日連続二度寝。寒過ぎて布団から出る気がしないから、目覚めてもすぐ目を閉じていたら寝ているパターン。9時過ぎに起きてから『君が手にするはずだった黄金について』の続きを読んだ。
表題作に出てくる主人公の同級生である片桐の話や、その次の短編『偽物』に出てくる漫画家のババリュージという人物は自分の中にある燻っているものに輪郭を与えるような、こうなりたくはないけどなる可能性がゼロではないという危機感であったり、何か焦げ臭い嫌なものを感じてしまった。
『君が手にするはずだった黄金について』のところで主人公の小説家が「作家は、むしろなんの才能もない人間のために存在する職業だ」というセリフがあり、そのあとに人間としての欠損、ある種の「愚かさ」が必要になると書いているが、それが『偽物』では反転して使われる部分があり、そこがゾッとする。前の短編でその部分を読んでいて、そうだよなと思っていた自分自身にいきなりラリアットされるみたいな、鈍い痛みがあった。


昨日ほどの寒さはない中、radikoで「M−1グランプリ2023」準グランプリだったヤーレンズの単発番組『ヤーレンズオールナイトニッポン0』を聴きつつ渋谷へ。冒頭からずっとボケ続けていて、固有名詞とかたくさん出てくる感じは先週の『令和ロマンのオールナイトニッポン』にも通じているというか、二組の頭の回転とボケ続けて、それを拾い続けて補足しつつツッコみ続けるというのは近いし、知性的だなと感じさせる。令和ロマンは慶應ボーイで芸歴もまだ若手で王者になったシンデレラボーイ、ヤーレンズは芸歴で言うと彼らよりも10年近く先輩であり長年売れなかったしラジオでも彼らと比べて学がないといっているという対比的な部分もある。ヤーレンズの二人は声の質が近いのでラジオだとちょっとハネにくいかもしれないと思ったけど最後まで楽しんで聴けた。
シネクイントで山下敦弘監督×野木亜紀子脚本『カラオケ行こ!』を鑑賞。八割ほどは女性のお客さんだったが、綾野剛ファンなのだろうか、原作漫画のファンなのだろうか。どういう層なのだろう。山下監督ファンという感じではないし、野木脚本ファンはもちろんいるだろうが、その辺はわからない。

変声期に悩む合唱部の男子中学生と歌がうまくなりたいヤクザの交流をコミカルに描いた和山やまの人気コミックを、綾野剛主演で実写映画化。

中学校で合唱部の部長を務める岡聡実は、ある日突然、見知らぬヤクザの成田狂児からカラオケに誘われる。戸惑う聡実に、狂児は歌のレッスンをしてほしいと依頼。組長が主催するカラオケ大会で最下位になった者に待ち受ける恐怖の罰ゲームを免れるため、どうしても歌がうまくならなければならないのだという。狂児の勝負曲は、X JAPAN「紅」。嫌々ながらも歌唱指導を引き受ける羽目になった聡実は、カラオケを通じて少しずつ狂児と親しくなっていくが……。

綾野が狂児を演じ、聡実役にはオーディションで選ばれた新星・齋藤潤を抜てき。「リンダ リンダ リンダ」の山下敦弘監督がメガホンをとり、テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」の野木亜紀子が脚本を手がける。(映画.comより)

漫画が未読なのだけど、狂児と聡実という年齢の離れて境遇もまったく違う二人がカラオケという場所を軸に気持ちが通じる、友人になっていくというものではあるが、どこかBLぽさは感じられるし、安心して見られる関係性のようだなと思っていた。
実際のところ、メインである狂児と聡実の関係性があり、聡実は合唱部の部長であるが、彼と同じソプラノの二年生男子との関係(聡実は声変わりが始まっていて前のようなソプラノが難しくなっていく。そのことで二年生男子との関係性が変わってくる。弟が兄に対して本気でやれよと怒っているのだが、兄の身体が成長期によって変わりつつあることを知らないみたいな感じであり、お前もそうなるで、と見ながら思ったりした)、聡実と彼が幽霊部員としてかけもちしている映画部(映画研究部?)の同級生の男性、聡実と狂児が所属する組みのヤクザたち、という風に基本的には聡実と男性の誰かというカップリングというか関係性が描かれている。
合唱部の副部長である女子や部活の先生(芳根京子)や母など女性は出てくるが、聡実の人生や行動を変える存在ではない、というのもBL的な雰囲気を感じる一因だったように思われる。
原作があるから、それに準じている可能性も高いが、もう中高生の物語にすら男女の異性愛ヘテロセクシャル)を描く必要性や求めている人は少ないということなのだろうか。実際昨今の性加害問題もあるので、そういう流れが加速するかもしれないし、そういうものを見たいとか思う人が減って、同性同士のイチャイチャ感的なものを楽しめれればいいという人が増えていても不思議ではない。
山下敦弘監督の劇場公開作品はたいてい観ているが、山下さんの描く男性同士の友情感みたいなものや友愛は描き方や角度を変えればBL的な消費はできるのかもしれない。だから、山下さんが監督なのはさほど違和感はない。
文学だって明治・大正辺りの今では文豪として知られる作家たちの交流は友愛としか言いようのないものがあったりする。そういうものがまとめられてBL消費的なものができると文庫化もされている。
今作では成長期で思春期を迎えている聡実だが、作中では恋愛に関するものはほぼない。副部長と二年生と彼が一緒にいる場面を狂児に見られる場面があるが、狂児からすれば三角関係であったり、青春的なラブコメ感を感じるものの、当事者の聡実はそう見えているかもしれないがそうではないとはっきり言えてしまう、ぐらいに距離を置いている。そのことによってこの物語はより聡実と狂児の年齢の離れたまったく違う価値観や居場所の二人がカラオケという閉じた空間の中で友情を育むという物語になっていて、よりBL的な消費もできるようになっていた。
野木さんが脚本だからそのぐらい原作とは違う部分を入れているのかなって思ったけど、聡実の母が焼き鮭の皮を取って父の茶碗に入れるところで「愛は与えるもの」みたいなセリフから、それが行動になったものとしてその行動を描写していたけど、そこは野木さんぽいと思った。実際はわからないけど。

もうすぐセカンドアルバムの出るThe Smileのファーストアルバム『A Light for Attracting Attention』をBGMに『平家物語 3』を読み終わる。次巻で最終巻の4で那須与一が登場する。僕の生まれた井原市那須与一が扇の的を射落とした軍功(褒美)でもらった領地だったところがあるので、「扇の的」というお菓子があったりして幼少期から存在だけは知っていた。

 

1月15日
二度寝がデフォルトになりつつある朝、6時台に目が覚めたが寒くてまた寝た。起きたら8時過ぎだった。そこからちょっとだけ作業をしてからリモートワークを開始。
昼過ぎに外に出ようと思って玄関でスニーカーを履こうと腰をかがめたら腰の左後ろを痛めたというか鈍い痛みが。ぎっくり腰でもないけどなんか痛い。ひねったのか、寒いせいで硬くなっていて負担がきたのか、わからないけど痛い。


リモートワークが終わってからニコラに行ってモンブランとアルヴァーブレンドをいただく。外の寒さで冷えた体も芯から温まる。腰はまだ鈍い痛みがあるけど、仕方ない。
水曜日にオンラインミーティングがあるので、その前に提出しておかないといけないものを夜に作業する。

作業後に17日に直木賞芥川賞の発表があるので、買ったけど読んでいない加藤シゲアキ著『なれのはて』を読み始めた。明日中に読み終わらなければ、発表までに間に合わない。加藤さんの小説はデビュー作から読んでいて、全部ではないがこの人はいつか直木賞とか大きな賞を取るだろうと思っていた。この『なれのはて』は今回の本命のひとつだと思うのだけど、なんでこの装幀なのだろうかと発売した時から思っていた。
正直、この装幀だから単行本で買うのはやめていた。彼の単行本の中では一番ヒドい装幀だと思うし、実際ネームバリューもあって実力もあるから売れるのはわかっている。今回が初めて講談社から出版する長編小説だから、他の出版社から出たものと差別化したかったのかもしれない。だけど、この装幀じゃなかったほうがもっと売れたと思ってしまう。
実際のところ、受賞すればそういうことは関係なくなるだろう。そして、最後まで読めばこの装幀だった意味もわかるのかもしれない。

再来週土曜日27日にLOFT9で『ありまよとアオヤギの給料日ラジオ  23年下半期よかったものSP』というトークイベントが開催されます。友人の有田真代さんとライターの青柳美帆子さんが毎月やっているラジオのリアルイベントです。
2023年下半期の作品を、「本(小説/その他)」「マンガ/TVアニメ」「映画/ドラマ」「旧作・ノンジャンル」にわけて語るというものになっていて、「本(小説/その他)」では書評家の三宅香帆さんがゲスト、僕も「映画/ドラマ」パートでちょっと出ます。
このイベントを機会に去年の作品を読み返したり見返したりするいいタイミングになるかもしれません。たぶん、そういうイベントだと思います。
LOFT9 の上には映画館のユーロスペースもありますし、前日の26日からはホワイトシネクイントで『哀れなるものたち』公開も始まるので、渋谷でトークイベントと映画を楽しむ土曜日とかどうでしょう? 

今回はこの曲でおわかれです。
Hedigan's - LOVE (XL) @ EPOCHS 2023 

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年12月16日〜2023年12月31日)

12月上旬の日記(2023年12月1日から12月15日分)


12月16日

ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』が来年新潮文庫で出るという話題が数日前に旧TwitterことXで出ていた。さすがに新しく出すならたぶん新訳になるだろう。文庫が出る前にこの『百年の孤独』を再読しておこうかなって。あとはポール・トーマス・アンダーソン監督がトマス・ピンチョン著『ヴァインランド』を映画化するらしいので、こちらも含めて年末年始で読めたらいいんだけど、どちらも分厚い。
なんといっても『百年の孤独』というタイトルがカッコ良すぎる、人の人生は百年ぐらい(祖母は103歳で健在だが)ということも考えたらこの「孤独」は誰もが抱えていくしかないものだよなって。文庫版になった時にダサい装幀だけにはしないでほしい。

8時過ぎに起きてからちょっと読書をしてから昼まで作業、というか今後のスケジュールの修正とやろうと思っていることを書き出したりしてみた。
仲俣さんが登壇したB&Bのトークイベントでも言われていたが、来年は『百年の孤独』文庫版が出る、ということは来年出る小説はこんな巨大である種伝説的な作品と戦うことになる。それは途方もない戦いかもしれないけど、戦える土俵にいる人が羨ましくもある。せめてその土俵に上がれるものは書きたい。それでもう一回『百年の孤独』を読み返したいと思った。
6月末までの執筆スケジュールと作品たちの関係性を書き出してみた。全部繋がっているからシェアワールドというかサーガみたいになっているけど、ひとつが出来上がれれば次につながっていく。

Syrup16g Fake Plastic Trees 




「PLANETS大忘年会2023」【第1部】2023年のカルチャーシーンを総括する座談会( 明石ガクト/成馬零一/吉田尚記/宇野常寛)を見に渋谷ヒカリエへ。今働いている会社は株式譲渡されて親会社が変わったが、コロナパンデミックになってリモートワークが始まった頃のオフィスはヒカリエにあったのでそれまでは週三ほど出社していた。このところ二年以上はヒカリエに用事がなくて足を運んでいなかった。イベントスペースとオフィスがある階層は違うけれど、慣れていたはずの場所は自分とは関係のところだなって思える雰囲気だった。
登壇者それぞれに三つずつ2023年のトピックというかキーワードを挙げてもらってのトークだった。『ゴジラ-1.0』の話も出て、その時に『シンゴジラ』は怪獣映画の可能性を広げたから評価できると宇野さんが言われていた。『ゴジラ-1.0』が今アメリカでヒットしているのも、映画界でのストの影響もあったりするし、日本のコンテンツがすごいというとは言いにくい、だが、いろんな状況が重なったことが大きいという話も出ていた。
そこから流れで「シン」から「-1.0」という震災と復興の躁状態の10年代から、コロナパンデミック後のタモリさんが『徹子の部屋』で話した「新しい戦前」の予感と気分についてのものになっているのではないかという話もあった。それはなんかすごくよくわかるものだったし、ウクライナやガザもそうだし、世界のどこかで起きている戦争に日本はまったく関係ないわけではなく、その飛び火はいつどこでどの国に広がるかわからない、そんな時代になってしまっている。だから、日本でもその「新しい戦前」というワードはリアリティがどんどん出てきていると思う。
宇野さんが出していたもののひとつに「MCU」フェーズ4の失敗というものがあった。このことが何を物語るかが、日本では語られないほどヒットしなかった。日本映画のガラパゴス化はさらに進んでいて、いわゆる洋画はどんどん観られなくなってしまっている。その中でなんとかヒット作や話題になっていたのが「MCU」だったが、それもディズニー傘下でスピンオフや映画につながるドラマをたくさん作りすぎてしまったせいで、一気に飽きられていってしまった。
また、フェーズ4の始まりで作るべきだった作品としての『エブエブ』と『バービー』が挙げられていた。ありえた可能性として、この二作品のようなものがフェーズ4にあれば、こんなことにはならなかったのだろう。
終わってから宇野さんにご挨拶をして歩いて帰ったが、渋谷は人が多すぎて早く進みたいのに全然進まないし、これはやっぱりなんか異常だし、こういうところに土日にはやっぱり来たくはない。映画とか観るなら平日が一番なのはそういうことが理由になっている。

夜に友達からお茶に誘われたのでニコラでのんびりと話をたくさんした。

 

12月17日
お茶が終わって日付が変わってから帰って寝たので、8時前ぐらいにのんびり起きた。とりあえず、読書とかする気分ではなかったので散歩へ。
9時ぐらいに空いている場所がないのでたいてい代官山蔦屋書店に土日のどちらかは散歩がてら歩いている。寒くなると聴いていたけどそこまで寒くはなかった。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』をBGMにしようと思ったが、スペシャルウイークでティモンディがゲストで野球をやるという回だったので、正直興味がわかずにSpotifyで今週聴いた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のゲストがラランド回をもう一度聴きながら歩いた。

Oneohtrix Point Never - Nightmare Paint (Official Music Video) 


お店二階の音楽コーナーにいくとBEATINK関連コーナーがあって、来年の2月と3月のポスターが提示されていた。
Oneohtrix Point Neverのライブにはジム・オルーク石橋英子がゲストというのを見てすごく行きたさが増してきたけど、2月28日っていうのがネックで、来年は閏年だから29日まである。応募するつもりのメフィスト賞は2月末〆切なので29日中に応募しないと間に合わないのでその前日はちょっとしんどい。


プロフェッショナル 仕事の流儀』 - ジブリ宮崎駿の2339日


TwitterことXで話題になっていたのをNHKオンラインで見る。スタジオジブリを一緒に立ち上げた高畑勲監督が亡くなったことが宮崎駿監督にかなり大きな影響を与えていたことがわかるものになっていた。
今年公開された『君たちはどう生きるか』における最後に出てくる大伯父をこの映像の中で宮崎監督は「パク(高畑)さん」と何度も言ってしまっていた。もともとキャラクターには実際のモデルは大抵いるらしいのだけど。亡くなった高畑さんを大伯父にしたことで、宮崎さんが彼の背中をずっと追いかけてきて、受けてきた影響を今作でなんとか一度終わらせようとしていたようにも見えた。
また、創作(映画)のほうにどんどん入り込んでいってしまい、そちらが宮崎監督の現実になり、みんながいる現実のほうに帰って来られなくなるという話も出てきていた。そのため、日常生活の方はどうでもよくなってしまうのだ、と。
創作の方に入り込んでしまってそちらが現実になることで、現実生活のほうが現実ではなくなるというのは古川日出男さんも同じようなことを言われていたから、何かの枠を超えて誰も辿り着いていないものを創作している人はやっぱりそう場所でものを作っているんだなって思えた。
大伯父の存在とかもだけど、このドキュメンタリーは『君たちはどう生きるか』の種明かしをかなりしてしまっており、これはこういうことなんでっていう感じがかなりあって、ジブリ側や宮崎監督がこう作ったのでこう観てということに誘導している気もしてしまう。もし、それが答えだとしても考察への対応だとしても、それをやられてしまうとある種の批評封じにもなってしまう。
作り手が種明かしをしてしまうと、それ以外の見方とかがダメではなくて、違うみたいなことになってしまう危険性もあるし、今は正解を求める時代なので批評とかが成り立ちにくなってしまう。ずっと書生的にジブリに20年とか通っている人が撮影しているからこそのものだけど、その人が作ったストーリー、展開でどう感じるかもコントロールはできる流れになっている。その人の本当の意志なのか、ジブリ側の要請かそれはわからないけれど。

「一緒にいていつも楽しかった。でも、僕ら、遊んでたのか? 仕事してたのか?どっちなの?ってすごく難しいバランスがあって、飯野さんを思う時、いちばん大きいところですね。これが仕事に偏っていたら、もっと違うものを作っていた気もするし、やりたくないことをやっていたら飯野さん的な作品は残せなかったかもしれないし。その難しいバランスに僕自身が何も力添え出来なかった後悔がずっとあります」

「たまにゲームの仕様もメモ書きしていたけど、適当にしゃべっていたときのほうが遥かに熱量が大きかった。そのあたりが仕事として機能しなかったのは、飯野賢治最高!と思うし、作品として残して欲しかったなとも思います。彼は自分をプロデューサーだと思ってただろうから、そんな役割の人を近づけなかったけど、本来は圧倒的にクリエイターだったはずなんです」

「『結局、飯野さんが作れたはずのゲームは作られなかったな』って、悔しい気持ちが強かったです。飯野さんの才能で作れたはずのものがたくさんあったはずで、何でもっとゲームに集中してくれなかったんだ……と飯野さんに怒りながら、泣きながら帰りましたね」

飯野賢治とは何者だったのか?第1回】『リアルサウンド』「怪物」「花束みたいな恋をした」の脚本家・坂元裕二氏に聞く風雲児との日々―“300万本売れるRPG”の顛末も明かされる

飯野賢治さんは名前しか知らないし、作ったゲームもしたことないんだけど、坂元裕二さんが脚本家として業界から離れていた時に生き延びるきっかけになっていたことなんかも語られている。そこだけでも2000年以降の坂元裕二復活の裏側にあったモラトリアムと友情の話でもあって、かなり興味深い。

 

12月18日
寒い。とりあえず6時台に起きるけど急激に寒くなったから布団から出たくなさすぎる。作業ではなく読書の続きをする。いろいろと併読していた作品が読み終わったので次の積読していたものに移った。
柴崎友香著『続きと始まり』、川井敏夫著『金は払う、冒険は愉快だ』、アンドレイ・クルコフ著『侵略日記』、テッド・チャン著『息吹』を追加。継続しているのは古川日出男著『平家物語 3』、大谷能生著『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』。いくつか併読して一章ずつというよりはある程度の区切りのよいところまでを読んでは違う本をちょっと読むみたいな感じにしている。
始業時間になったのでリモートワークを開始。いつも通りの作業で午前中にあったオンラインミーティングでわりと話をした。施策を考えたり、どういう運用するかっていう時にそもそも上の方でそのサービスとかをどういう方向に向かわせたいとか決まってないと、下の方って決めようがないよなとか思ったりもする。
リモート終わってからすぐに湯船に浸かる。冬は基本的毎日湯船に浸かっているが、一番リラックスできる時間かもしれない。
自分の作業を二時間ほどしたら体が冷えてきたので諦めて布団に入って、読書の続きをしていたら眠くなったので寝た。

 

12月19日
寒くて6時過ぎに目が覚める。家を出るまでは毎週やっているミーティングの時に出す資料を書く作業を。思ったより進まなかった。


火曜日はユーロスペースはお得な料金で映画鑑賞ができるのでチケットを取っておいた。案の定、午前中だけど、年齢層の高いお客さんがかなりいてアキ・カウリスマキ監督を長年観てきた方々なんだろうなと思える客層だった。

フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー。カウリスマキ監督による「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」「マッチ工場の少女」の労働者3部作に連なる4作目で、厳しい生活の中でも生きる喜びと誇りを失わずにいる労働者たちの日常をまっすぐに映し出す。

フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、酒に溺れながらも工事現場で働くホラッパは、カラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。しかし不運な偶然と過酷な現実が、2人をささやかな幸福から遠ざけてしまう。

「TOVE トーベ」のアルマ・ポウスティがアンサ、「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場」のユッシ・バタネンがホラッパを演じ、「街のあかり」のヤンネ・フーティアイネン、「希望のかなた」のヌップ・コイブが共演。2023年・第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。(映画.comより)

淡々と物語は進む、その中に会話ややりとりでクスッと笑えるところがある。アンサやホラッペの主人公たちは若くはない。二人ともスマホとかをずっと見るわけでもなく、最新のものには興味がなさそうだ。
アンサの部屋ではラジオをよくつけているが、そこで流れてくるのはウクライナとロシアの戦争の状況であり、二人の日常の中に現在進行形の戦争が入り込んでくる。そのことは日本よりも国土が近いフィンランドのほうが恐怖だろうし、身近な戦争でもあるのだろう。
二人が惹かれ合い、再会するまではいつも通りの日常が描かれる。二人とも友人とのやりとり以外ではあまり人との関わり合いがない。社交的にも見えないが、孤独とは違うような振る舞い、一人でいることに慣れてしまってそれが普通になっている人間の生活の佇まい。そういう同じ気配や匂いを感じて二人は相手が気になったのかもしれない。

映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』特報解禁!【前章3月22日(金)・後章4月19日(金)全2章全国公開】 


三ヶ月後には「デデデデ」映画の前編が公開されるので楽しみ。ちょうど桜が咲き始めるか、暖かくなり始める頃だ。
家に帰ってから朝やっていた作業の続きを夕方過ぎまでやって、なんとか片をつける。別件で気になっていたことに関してようやくメールが来たのでそちらも一安心。


家から会食するお店のある麻布まで歩いていくことにした。一時間半以内には着く距離だったので、途中まで聴いていた『JUNK 伊集院光・馬鹿力』と『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を行き帰りで聴いた。

ZAZEN BOYS - 永遠少女 


六本木の蔦屋書店近くの坂の辺りがクリスマス仕様でライトアップされていた。ちょうど、その時にZAZEN BOYSのニューアルバム『らいど』収録の『永遠少女』のMVがアップされているのに気づいて、この先に駐車場の自販機でブラックの缶コーヒーを買って飲みながら、一曲丸々聴いた。
この煌びやかな場所で戦争のことを歌った『永遠少女』の歌詞はなんだか真逆だけど、繋がっていて僕の心を穏やかにしてくれた。また、ライブでこの曲を聴いてゆれたい。


今年やっていたゲームのライティング作業の仕事を振ってくれた編集者さんと忘年会も兼ねて、「天富良 よこ田」へ。何が食べたいと聞かれて、天ぷらと答えたらこのお店を予約してくれた。
コースだったので写真以外にも何点が出てきたが、最初はエビの足を揚げたもので香ばしくて最高級のかっぱえびせんみたいだった。本番というかそこからえびの天ぷらで始まって十品ほど天ぷらが出てきて、最後にももう一回えびの天ぷら。絞めは天丼かお茶漬けかが選べたので天丼を。途中から日本酒も二杯ほどいただいたが、美味しかった。
カウンターだったので揚げたものをすぐに出してもらったけど、そのタイミングもちょうどよかった。
隣には一人で来られたアジア系の観光客の女性の人がいたけど、天ぷらをあげている職人さんは、スマホの翻訳機能を使って、白子の天ぷらとかもろもろ説明をしていた。今は英語や韓国語や中国とか話せなくてもスマホでとりあえず、意思疎通や説明もできるし、海外の人も日本っぽいものを食べる時にもこういうやりとりをしてくれれば安心だよなって思いながら、その光景を見ていた。ある程度の金額の料理屋さんということもあるし、サービスの一環ではあるだろうけど、もっと東京や観光地だけでなく常態化していってるんだろうな。
来年もこんな風に忘年会もかねて美味しいものを食べに行きましょうと約束をして解散。日本酒で体も温まっていたので来た道を歩いて帰った。こういう日があるとうれしいし、なんとかやっていける。

 

12月20日
なんとなく今月に入る前に有給使っておこうと思ったのがこの日だったので、前日の美味しい天ぷらと日本酒で心地よい気分になって家に帰ってぐっすり寝て、特になにもない、予定を入れない日にした。


散歩に行った時に寄った書店で『SPECTATOR』最新号が出ていて、テーマというか特集が「文化戦争」で中をパラパラめくるとマンガで描かれていて読みやすそうなので購入した。

 来年の前半はぺぺトルメントアスカラールと、2期スパンクハッピ・レトロスペクティヴ、に費やされることになる。後半はラディカルな意志のスタイルズに集中するだろうけれども、こうして年間計画で集中しないといけない運動体ではなく、遊撃的にいつでもできる構えになっているのがクインテットとQN/Kだ。

菊地成孔の日記 2023 / 12/ 19記す>

60歳になった今年、去年から菊地さんは体の至るところに不調や事故に遭ったりで、本来予定されていたライが延期というか飛んでしまって後ろ倒しになっていた。
日記にも描かれているので来年の前半はペペトルトメントアスカラール、後半はラディカルな意志のスタイルズのライブがあるのが待ち遠しい。
スパンクハッピーはあまり思い入れがないし、ファイナルしかリアルタイムでないのもあって、そこはたぶんイベントとか行かない気がする。

しかし、なにもしない一日だった。

 

12月21日
6時台に起きたが作業ではなく読書を。リモートワークが始まる前に週一のオンラインでのミーティング、意見交換もできたし来週までにまたやるべきことをして、来年形になるようにやっていくしかない。
リモートワークでの作業は来年のスケジュールというか、もう年末年始のあとのことになっている。一月は冒頭が会社が休みなので給料も減るからちょっと嫌だけど、動いていないのだから仕方ない。
昼過ぎにめちゃくちゃ眠くなった。なんだろう、また気圧か「冬季うつ病」的な睡魔なのか、旧Twitterこと「X」が死んでいて仕事でポストするものができなかったり、予約投稿が勝手に削除みたいになっていた。このまま「X」も終わるのかなとどこかでワクワクしている部分もあったが、16時ぐらいには復活していた。


仕事が終わってからニコラでガトーショコラとクリスマスブレンドをば。来週までお店はやっているのであと二回は行くので、「よいお年を」とはまだ言わない。

──かつて小津安二郎が撮った東京をたどるドキュメンタリー映画『東京画』から40年、東京に対する印象はどう変わりましたか?

ヴェンダース 『東京画』は1983年の映画なので、だいぶ昔の話ですね。その時は小津安二郎が亡くなってちょうど20年後のタイミングでした。そして2023年は『東京画』から40年。当時撮影した東京をいま見つけようとしても難しいですね。いま観るとまるでイノセンスな時代のようで、もはや存在しない都市のように思えてきます。『東京画』に映っている東京は、今日のそれよりも小津時代のものに近いですからね。

──私たちはどこか、ルーティンを退屈なものとして否定的に捉えがちです。

ヴェンダース そうなんです。でも実は、ルーティンはある種の構造を与えてくれます。そして、その構造の中にこそ、本当の自由を見出すことができる。自分自身を解放してくれるスペースが生まれる。だから、日課を重荷としてではなく、自分を助けてくれる構造として理解するならば、多くの人がもっと人生を楽しむことができるのではないでしょうか。

ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー 「ルーティーンが与えてくれる幸せな人生」とは

今年一番最後に観ようと思っているヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』に関してのインタビュー。TOHOシネマズは年末年始やっているみたいだから、30日か大晦日に観れたらいいなと思っている。

 

12月22日
このところ恒例の寒くて目覚まし鳴るちょっと前に目覚める。リモートワークまで朝活がてら読書を。柴崎友香さんの『続きと始まり』と川井敏夫著『金は払う、冒険は愉快だ』は作品の内容もテンポも文体もまったく違うけど、どちらもそれぞれの日常に読者がうまく入り込んで、その視点で物語を読み進めていける感じのものになっていておもしろい。


リモートワークを始めて、昼休憩で外から戻ってきたら、Mephisto Readers Clubから第65回メフィスト賞受賞作 金子玲介著『死んだ山田と教室』全文掲載の「メフィスト」2023年冬特別号が届いた。
前回の須藤古都離著『ゴリラ裁判の日』も発売前に読めたけど、この形はすごくいいなと思う。単行本は来年五月ということなので半年後、そんなにかかるものなのかと不思議ではあるが、プロモーションだけではなく、ここから加筆修正とかするってことなのだろうか。

やりたいことは〈表現〉だけだ、私は。前回のこの「現在地」にも書いたが、たとえば連載中の『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を脱稿させるという先月後半の作業は、地獄に堕ちるに等しかったが、楽しかった。これは「苦しいが楽しい」の第1相である。じゃあ第2の相(フェーズ)はなんなのか、といったら、苦しんで苦しんで苦しんで執筆する数日間、というのを、保証してくれる金銭を、自分が稼いでいることである。1日に24時間、たとえば小説について考えなければならないとしたら、この24時間を、衣食住の面でサポートできるだけの金銭が〈いま、ここ〉に所有されていなければならない。だから、好きなことをやるためにお金が得られることも(事前に)やる。それは苦しい。これが「苦しいが楽しい」の第2相なのであって、そういう話をある初見の人に話したら「え? お金のことばかり考えてるんですか? 古川さんは」と言われた。めちゃめちゃ腹が立った。

古川日出男の現在地」 「好きなこと」のために 2023年12月22日

この「めちゃめちゃ腹が立った」という部分を読んで、古川さんには失礼なのだが笑ってしまった。初見の人は古川さんが書いている「第1相」のことへの想像がまったくないか、できない人だったからなのだと思う。
たぶん、ビジネス書とか自己啓発書は読んでいたり、読めても小説は読まないか読めない、読んでいても答えのあるようなものだけしか読んだことがない人なんだろう。ある程度の冊数のエンタメだけでなく純文学とか読んでいて、そんな質問はしないと思うし。


仕事が終わってから渋谷へ。金曜日の渋谷はクリスマスシーズンということもあって、ごちゃごちゃと人混みだらけ。目的地もわかっているので早く進みたいけど道いっぱいに人が歩いているのっで中々抜いていけないジレンマ。
日曜日に観る映画のチケットを買いに先にヒューマントラストシネマ渋谷に寄ってから、シネクイントへ。公開初日であり、A24作品ということもあるのかそこそこお客さんは入っていた。

SNSで流行する「90秒憑依チャレンジ」にのめり込んだことから思わぬ事態に陥っていく女子高生を描き、2023年サンダンス映画祭で話題を呼んだオーストラリア製ホラー。

2年前の母の死と向き合えずにいる高校生ミアは、友人からSNSで話題の「90秒憑依チャレンジ」に誘われ、気晴らしに参加してみることに。それは呪われているという“手”のかたちをした置物を握って「トーク・トゥ・ミー」と唱えると霊が憑依するというもので、その“手”は必ず90秒以内に離さなければならないというルールがあった。強烈なスリルと快感にのめり込みチャレンジを繰り返すミアたちだったが、メンバーの1人にミアの亡き母が憑依してしまい……。

主人公ミアを演じるのは、ドラマ「エブリシング・ナウ!」のソフィー・ワイルド。人気YouTubeチャンネル「RackaRacka(ラッカラッカ)」を運営する双子の兄弟ダニー&マイケル・フェリッポウが長編映画監督デビューを果たした。(映画.comより)

怖いところもたくさんあったけど、救いのない物語であり、呪われている「手」を握っての降霊術ごっこみたいな「90秒憑依チャレンジ」をしたミアが主人公。ミアは友人がダメだと言ったにも関わらず、その友人の弟にも「90秒憑依チャレンジ」をさせてしまったことでその日常が壊れていってしまうというもの。
人には見てはいけないことや知らなくていいことがある。この「90秒憑依チャレンジ」はドラッグだったり、アルコールだったり、とか依存症のあるもののメタファにも見える。ルールを守ってやっていればそこそこ楽しく遊びになるが、そのルールを守らなかったり逸脱してしまうとデッドエンドが来てしまう、あるいはその人間が壊れてしまってもう元には戻れない。
 A24は予算があまりかからないでアイデアでおもしろさがあるホラー作品でヒット作を何作品も出してきている。この映画はたしか北米の配給権を取って公開したものだと思うのだけど、ホラー映画ってエンタメであって、中高生から大学生ぐらいが何人かで観にいってワーキャー言い合うようなものが大ヒットに結びつきやすい。
今作もそういう要因はかなりあると感じたが、途中から「90秒憑依チャレンジ」によって壊れていってしまうものをどんどん見せられていき、主人公のミアが死んだ母の亡霊を見てしまうようになることで悲惨なことが連発していく。なんというか途中からダレたというか、怖いところもあるけど、あんまりハマれなかった。

 

12月23日
8時前に起きてからいつもの散歩に。『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら代官山蔦屋書店へ。「三四郎ANN0」は前回がなかやまきんに君ゲストで収録だったので久しぶりに生放送だった。小宮さんのアドリブトークでどんどん進んでいき、相田さんのフリートークがなくなったが、リスナーからのメールも「宗教」コントトークに進んでいく小宮さんを後押しをする形になってこのラジオの良さが出ていた。
お店二階の音楽コーナーにいくとBEATINK関連コーナーが前から常設されていたが、前になかったフリーペーパーが置かれていたのでもらった。Oneohtrix Point Neverが表紙、裏はトム・ヨークのTHE SMILEのセカンドアルバム『WALL OF EYES』というもの。

家に帰ってから送ってもらったワードファイルのデータを読みながら気がついたことを校閲モードで赤入れして戻した。なんか年末気分だと作業する気が起きないのがネック。

 

12月24日

寒くて目が覚める。目覚ましが鳴る直前の7時前だった。ちょっとだけ本を読んでから家を出る。『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』をradikoで聴きながらヒューマントラストシネマ渋谷へ。
本国アメリカでは四年前の2019年に公開されたケリー・ライカート監督×A24作品『ファースト・カウ』を鑑賞。二年前にイメージ・フォーラムで特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」というのがやっていて、『オールド・ジョイ』と『ウェンディ&ルーシー』は観ていた。それでA24と組んでいるというのは当時もニュースで見ていて気になっていたけど、日本では公開スルーされていた。
おそらく僕のようにA24ファンとケリー・ライカートのことを知っている人はこういう作品は観たくてたまらないので、朝一だが三十人ぐらいはお客さんがいた。

「オールド・ジョイ」「ウェンディ&ルーシー」などの作品で知られ、アメリカのインディペンデント映画界で高く評価されるケリー・ライカート監督が、西部開拓時代のアメリカで成功を夢みる2人の男の友情を、アメリカの原風景を切り取った美しい映像と心地よい音楽にのせて描いたヒューマンドラマ。

西部開拓時代のオレゴン州アメリカンドリームを求めて未開の地へ移住した料理人クッキーと中国人移民キング・ルーは意気投合し、ある大胆な計画を思いつく。それは、この地に初めてやってきた“富の象徴”である牛からミルクを盗み、ドーナツをつくって一獲千金を狙うというビジネスだった。

クッキー役に「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のジョン・マガロ。これまでライカート監督作の脚本を多く手がけてきたジョナサン・レイモンドが2004年に発表した小説「The Half-Life」を原作に、ライカート監督と原作者レイモンドが脚本を手がけた。2020年・第70回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)

男性社会や村社会的なものからはぐれて、あるいは意図的に逃避している男たち二人がとあることをきっかけに出会う物語で、非常に画が素晴らしく開拓時代当時の雰囲気が感じられる美術のよさもあって、何気ない日常が豊潤に描き出されている。
なにもない、持っていない男たちがたった一頭しかいない雌牛のミルクを盗んでドーナツを作って成り上がろうとする物語。ドーナツはすぐに評判になり、権力やであり牛の所有者にも認められる味だったことから、物語は崩壊へ動き出す。
クッキーとキング・ルーの二人は同性愛でもなく友達でもない、なんというか友情でもないのかもしれない絆というか親密さによってなんとか貧しさから、現状から脱出しようとする。そこにはミルクを窃盗することは悪いことだとわかっていても、二の次であり、クッキー自身は料理人だから作ったものが人たちに喜ばれる嬉しさがあり、野心を見せるキング・ルーは危ない橋をわたるのがうまいというよりも危機察知能力の高さで生き延びてきた野生味がある。
冒頭に現代であろう時代に発見されたものとラストの二人のシーンが重なることでおそらく悲劇は起きたのだろうなと想像させる内容にもなっていた。淡々と描くからちょっと退屈に、眠気は誘われる。だけど、その派手ではない映像は日常の延長線、かつてあった景色だろうなと感じさせてくれる。それだけでもケリー・ライカート監督の作品が他の作家とは違う、彼女の作品だとわかるのだからまさしく作家性が溢れているものになっていた。最新作『ショーイング・アップ』もA24の未公開作品特集上映で公開が始まったので今週中に観たい。

group_inou / HAPPENING 


group_inouが解散して数年経つのに突如リリースされたシングル曲、そのMVがアップされていた。なにかの狼煙だろう。あるいは思いつきで久しぶりになにか作ってみたってことなのだろうか、謎だ。歌詞は前よりもふざけてる感じはする。

「M−1グランプリ」敗者復活からTVerのリアルタイム視聴。ニッポンの社長とトムブラウンはもうなにやってんだか、声出して笑ってしまった。残念がらどちらかが敗者復活ということにはならなかった。トリッキーすぎるよ、最高だったのになあ。
そのまま本編を視聴。トップバッターの令和ロマンで笑ってしまった。好きな漫才だったし、彼らは『佐久間宣行のNOBROCK TV』や『ラヴィット』で見ていたり、『三四郎オールナイトニッポン0』にも松井ケムリが出ていたり、彼ら自身がパーソナリティーをやった「オールナイトニッポン」シリーズも聴いていたりしたけど、ちゃんと漫才を見たのは初めてだったかもしれない。他に好きだったのは真空ジェシカさや香は去年もだったけどなんか笑えないんだけど、なんでだろう。
決勝が終わって最終投票で松本さんまで三対三と同票だったけど、そこで令和ロマンに入った時に「おおっ!」と声が出た。そういう新しい何かが始まる瞬間だと本能的に感じたのかもしれない。
その後の千鳥さんが司会の反省会をYouTubeで見てから寝た。なんだか「M−1グランプリ」見初めて夜は他になんにもしなかった。ダメダメな一日だった。

 

12月25日
夢の中で僕はどうやら車に乗っていた。父が運転していたがその車は高級車で内装が革張りのようなもので、一気にしかし滑らかに加速した。外側のデザインを見ていないが僕はベントレーに乗っているとわかった。そんな中、母からの電話がかかってきた。電話に出ると夢から覚めた。

起きてから朝風呂に入って体を暖めながら体を起こす。ちょっとだけ読書の続きをしてからリモートワークを開始。年内の営業も自分は残り三日。来年のスケジュールとかも見つつ、年末年始にセットしておくこととか諸々やるけど、切迫感もないのでわりとのんびり作業をする。


20時から予約をしていたニコラでクリスマスコースをいただく。最初からビールを飲んでいたけど、お魚とお肉に合わせて白と赤ワインを出してもらった。すべての料理とデザートが美味しくて大満足だった。
今年でクリスマスコースは三年目、一年目ははじめてだったのもあって僕は皿洗いヘルプに入った。去年の二年目はどういう流れでやるべきかお店側もわかったので僕は皿洗いしなくてもよくなって、ひとりでコースに行くのはどうだろうと思って予約しなかった。今年はそもそもひとりでもいいし、いつまでコースをやるかというのもわからないわけで、食べたいと思っている時に食べておかないとダメだなと思って予約をお願いしていた。
ほんとうに食べにきてよかった。メインの魚とイモの料理と鴨肉も美味しくて、コースだからこそ出せるものだったりするだろうし、こういう機会に曽根さんが作った料理を堪能できた。デザートも二品あって、最後のショートケーキが最高の締めになった。コースが終わってからちょっと知っている人たちと談笑してから帰ったけど、ほんとうにいいクリスマスになった。

 

12月26日

起きてから昼にやる作業のために前にライティングしたものなどを確認してリストアップした。銀行にも用事があったので家から駅前に出て用事を済ませて、TSUTAYA書店で浅田彰著『構造と力』文庫本を購入。解説が千葉雅也さんというのも気になっていた。タイトルはよく聞くものだけど、正直読んだことがなかったのでこれを機会にしようと思った。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年1月号が公開されました。1月は『笑いのカイブツ』『カラオケ行こ!』『僕らの世界が交わるまで』『哀れなるものたち』を取り上げました。



久しぶりに江戸川橋駅で降りて神田川を写真で撮ってから護国寺方面へ。今年やっていたライティング作業で資料を読むことも必要だったので、編集者さんにお願いして出版社の一室で関係のある資料を読んだり、気になる部分はスマホでとりあえず写真を撮ったりした。
今までやっていたライティングした箇所の固有名詞と何年だとか諸々を資料で直接確認する必要もあったし、読まないとわからない雰囲気ともあるので時間はかかるだろうなって思って、とりあえず13-18時でお願いしてたけどあっという間に時間が経ってしまった。スマホで撮ったデータを元にまた原稿を書き直したりしないといけないけどこういう作業をしないと進めない感じもあるので疲れたけど、仕事したぞと自分に言い聞かせて電車に残って帰った。

 

12月27日

6時過ぎに目が覚めるけど、寒くて二度寝。7時半ぐらいに起きてから読書してからリモートワーク。昼休憩の時にTSUTAYA書店に寄ったら坂元裕二著『それでも、生きてゆく』のシナリオブックが出ていたので購入。ドラマを見てから読むか、読んでからドラマを見るか悩みどこ。
作業中は『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン』を。年末なので今年最後の番組だったり、収録だったりとみんな売れっ子だし忙しいんだろうなって。今年から始まった『あののオールナイトニッポン』はあのちゃんのブレイクがよくわかる内容だったし、彼女が出ているものは見たり聞いたりする一年だった。ポップなほうのAnoとしてのライブは観ていないけど、バンドI’sのライブには行けて熱狂を感じられたのはすごくよかった。
星野源オールナイトニッポン』では久しぶりのシングルリリースもあって、その一曲目の歌詞についての話とかを源さんがしていた。

星野源 - 光の跡 (Official Video) 




仕事を一時間早上がりして渋谷へ歩いて向かう。空に浮かんでいた満月がものすごく光っていた。

LOFT9で『宇野維正×柴那典 ポップカルチャー事件簿 「2023年徹底総括&2024年大展望」編』 を鑑賞。何度かチケット購入していたけど、原稿〆切とか用事ができていけずに配信で見るこということが続いていたので久しぶりの現場で。
『終わらない週末』から『Civil War』ティーザーから感じるものを柴さんが話されていてすごく同意した。宇野さんの旧ジャニーズのあとの怪談的な権力争い話がさいごにあった。昨日今日のあの話とは扱い方は違うのがよくわかったし、芸能界という場所におけるあるものを巡ることだから、それぞれのメディアも腰の入れ方が違うわけだ。
だいたいのこと表に出せないことばっかりだったが、お二人の音楽や映画やアニメや芸能に関しての知識と実際にライターとして取材していることから出てくる事柄は知らないことばかりだし、いままで見えていたことが違うものに、そういう角度から見るとだいぶ違ってくるなということがたくさんあった。
A24のとある最新作がすげえつまらなかったと宇野さんが言われていて、僕もそう思っていたけど、A24のプロデューサーいない問題、監督に好き勝手やらせてしまう問題とかもワインスタイン問題以降のアメリカ映画界のプロデューサーがいない、育っていないということにつながったりしているようで、物事には当然だけどいろんな側面や結果がある。単眼ではなく複眼で見るしかない、しかし、それが難しいし、何かに囚われてしまうとそれが非常に難しくなるなと思える、そう気づかせてくれるトークイベントだった。

 

12月28日
起きてから朝風呂に浸かる。寝ても疲れが取れていなかったりするし、目覚めにも風呂は気持ちよくてちょうどいい。
読みかけの本の続きを読んでからリモートを開始。今日が年内営業最終日だけど、オンラインミーティングもあって、来年初頭にすぐやることの打ち合わせをしたりいろいろと動いていった。
昼休憩の時に銀行に行って入金確認とかした帰りにツタヤ書店でトワイライライトで開催された豊崎由美著『時評書評』出版記念トークイベントで豊崎さんがオススメしていた月村了衛著『半暮刻』があったので購入した。内容紹介をされている時にこれはこの数年に起きたいろんなことを描いている作品だとわかったので読みたいと思ったものだけど、なんというか読み終わったらまた見え方が変わりそうだ。


22時過ぎてからニコラへ。年内最終日ということで常連さんたちがどんどん集まり始めて、毎年と同じようにたくさん飲んで話した。
「良いお年を」と言える場所がいつくかあるといいよねって思うし、そういう場所のひとつ。深夜三時には帰ったけど、夜風が心地よかった。

 

12月29日

9時前に目が覚めた。最終金曜日だったので近くのコンビニに行って朝食用のパンと一緒に朝日新聞を買った。月に一回の古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されているのが読みたかったから。
他者と自己の隔たり、それを溶解して自分ごとだと考えられるようになること、世界中で争いや格差が肥大していく中でそのことがより意味を持つだろうし、差別や戦争で儲けたい人にはそれが一番邪魔になるのだろう、と思った。

『令和ロマンの娯楽がたり』を見たがかなりおもしろかった。メンツもいい(男女比もほどよく、お笑い&演劇、バンド&ラッパー、元アイドル(ラジオ好きも兼ねる))し、レギュラーになったら見てみたい。たぶん、レギュラー化すると思う。
途中から登場したトリックスターとしての永野さんの重要性がよくわかるものでもあった。トリックスターは時として王になる(代表格はスサノオかな)から永野さんマジで王になるかもしれない、僕がタモリさんの後継者のひとりは永野さんじゃないかと思うようになったのが今年。
タモリさんはジャズだけど、永野さんはロックがベースでカルチャー関連は実は博識、ダウ90000蓮見との絡みもよい(ダウの番組での永野さんと蓮見さんの絡みが良すぎて、ダウの単独も観てみようと思ったきっかけになった)が、そのおかげでその若き才能がいろんなジャンルのおじさんやおばさんから搾取されるのをうまく防いでいける存在にもなりそう。

文春砲で「松本人志問題」が取り上げられていて、「M−1グランプリ」で優勝したばかりの令和ロマンがかわいそうだったり、損しているような声も聞くけど、おそらく彼らの能力の高さならこれからもお笑いでしっかり才能を発揮してポジションを取っていくことになるんじゃないかなって思う。
ただ、今回の問題でどう吉本興業が対応していくのかでいろんなパワーバランスが変わっていく。旧ジャニーズ問題も性被害の問題だけど、芸能界における権力争いがあるからあれだけ報道をいろんなところがやっている側面がある。
吉本興業も同様になにかが大きく崩れる可能性が高ければ、その利権や権力をめぐってメディアは報道を加速していくだろう。だが、それがないないなと思えばメディアはそこまで追求しない可能性もある。だけど、それでも芸能界に関する性被害問題は業界の構造とも関係しているので、しっかりとそんなものが崩壊、瓦解してルールが作り直されて、こういう被害ができるだけなくなるようなものにしないといけない。単純にそうならないと未来がない。誰も作り手にも出る側にもなりたくない、自分で配信できるから問題ないよって人もいるかもしれないけど、結局のところ、権力や利権に金という問題が絡む時に起きてしまうこれらの問題について「しょうがない」という言葉がでないような環境や構造を作らないと将来的にどこかでまた起こるし、続いていってしまう。
そして、ただひたすらに正義の側として声を挙げ続けるのも難しい側面がある。旧TwitterことXで正論を言うことで変わることはあるし、小さな波紋が大きな波になるかもしれない。だけど、ずっとXに張り付いて自分の思う正しさだけをひたすらネットの海に流し続けてもそこにも未来はないのではないかと思っている自分がいる。正義もまた暴力なのだ、という人が我を忘れてXでポストしているのを見ると、なんかそのせいで正しさが間違って伝っているようにも感じてしまう。

僕は園子温監督に影響を受けたし、脚本を書くのを手伝ってクレジットしてもらったりノベライズも書かせてもらったという恩はある。園監督のアトリエでたくさんの人と飲む機会や少人数の時もあったけど、報道にあったようなことは知らなかった(もしかすると僕も知っていると思われて言われていなかったのもしれないけれど)。でも、そういっても関係性が近かったりするような人は知っているのが当たり前だと普通なら思うだろう。この辺りはそれぞれの件で当事者との関係性や距離でだいぶ知っていることは違うと思う。彼らは共犯者はごくわずかな人を選んだ上でやっているはずで、わかっているからこそ関係性が近くても飲みには行かないみたいな人もいたのではないかと想像はできる。
松本さんの報道にあったものも園監督の件も実際に業界で有名だったとしても共犯者的に関わっている人は少ないだろうから、被害に遭った女性たちから話を聞いた業界の人たちが知っていたということだ。それはずっと見逃されていたわけで、そこに声をあげることもできず、あるいはしたくてもできなかった人もいたから今回のような性被害は続いていた&多くの人が犠牲になったということでもある。
結婚していようが子どもがいても、浮気をして家庭以外の男女関係がどうであろうが、当事者の問題であり、夫婦間のことであるから、そこの倫理観は問われるとしても他者からすれば大きな問題ではない。だけど、報道にあるような性加害をしていたとなると話はまったく違う。それは犯罪だということ、一緒に飲んだりして当事者同士が合意の上でセックスしようがなにをしようが問題はないけど、嫌がっている人を騙したり、人数の多い男性が女性を逃げられないようにしたり、話すと業界にいられなくなるとか脅しをしてしまえばもう犯罪でしかない。
僕は筋肉ムキムキになる前ぐらいまではずっと松本人志ダウンタウンの笑いに影響を受けてきた。ロスジェネとは「ごっつええ感じ」を思春期に見て育った世代とも重なると思っていた。園子温監督の『ハザード』に衝撃を受けて彼の作品を観るようになって個人的に知り合うことでいろんな人に会えるきっかけもできたし、人生において大きな影響を受けた。僕がわりと大きな影響を受けてきた人たち性加害者じゃねえかと思うとどうしようもない、やるせない。怒りよりもどうしたらいいかわからない気持ちが、いろんな感情が混ざり合ってそれをうまくつかめない。
かつて今よりは若かった僕の中にあった性的な欲望や破壊的な欲求、社会へ受け入れられていないような怒りで世界を斜めに見たり皮肉る、そういうものが彼らの創作に惹かれていったのかもしれない。その意味でも僕の中にもそういう場所にいたら、そういうところに組み込まれていたら、性加害に加担してしまう可能性があったかもしれない。そういう可能性をこれからも排除して否定するためにも、僕は擁護もしないし、やっぱり性加害したことについて事実であれば、それがいつのことだったとしても彼らはこれから罪を償うしかないと思っている。


昼過ぎに家を出てヒューマントラストシネマ渋谷へ。「A24の知られざる映画たち」という特集上映で先日観た『ファースト・カウ』のケリー・ライカート監督の『ショーイング・アップ』を観にきた。
A24ブランドでもあるし、ケリー・ライカート監督の注目度もあがっているのもあってか年末の仕事納めが終わったところも多いのもあるだろうけど、こんなにこの映画でお客さん入るだってぐらい入っていた。

「ウェンディ&ルーシー」などで知られ、アメリカ・インディーズ映画界で高く評価されるケリー・ライカート監督が、ミシェル・ウィリアムズと4度目のタッグを組んだ作品。芸術家の女性の思うようにならない日常や周囲の人々との関係を、時に繊細に、時にユーモラスに描く。

美術学校で教鞭を取る彫刻家のリジーは、間近に控えた個展に向け、地下のアトリエで日々作品の制作に取り組んでいる。創作に集中したいのにままならないリジーの姿を、チャーミングな隣人や学校の自由な生徒たちとの関係とともに描いていく。

主人公のリジーをウィリアムズが演じた。共演に「ダウンサイズ」「ザ・ホエール」のホン・チャウ、ライカート監督の「ファースト・カウ」に主演したジョン・マガロ、ラッパーのアンドレ・ベンジャミン、「フェイブルマンズ」のジャド・ハーシュ。2022年・第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)

残念ながら半分以上寝てしまった。『ザ・ホエール』にも出ていたホン・チャウや『ファースト・カウ』主演だったジョン・マガロも出ていて、A24作品っぽいなって思ったけど、なんだろう。前日遅くまで飲んでいたせいなのか、単調な流れではあるから眠りを誘ったのか。この映画について僕は語れない。

リモートワークの時にいつもradikoを聴きながら作業をしているけど、それがないので歩く時とか空いている(TVer見ない時とか読書)時に『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』と『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』は聴けた。都築はほんとうに「ラジオ」になろうとしている。番組がどんどんおもしろくなってるのが感じられた一年だった。マヂラブは僕があまり興味のないことを二人が話しているけど、ずっと聴けるのはたぶん二人の声が僕に合うからなんじゃないかな。



17時前に通称「ぷくいち」へ。年内最後の営業で予約ができないからオープン前に並ぼうと樋口さんに言われていた。樋口毅宏三輪記子ファミリーとご飯をすることになっていたが、すぐにみんなが揃わなくてとりあえず並んでいたので五人と告げて中に入ってビールとつまみを頼んで待っていた。
タクってきてくれて揃ってからたくさん食べて飲んで話をした。一番下の娘さんは初めて会ったけどもう一歳半で離乳食ではなく、だし巻きとか普通に食べてた。長男くんは前に会った時よりもずいぶん大きくなっていて、話もちゃんとしていた。両親がめっちゃしゃべるから、すごくおとなしくなるかしゃべりまくるようになるのか、どうなんだろう。
いろいろと共通の話題とか話をしたけど、世の中はほんとうに複雑だ。とりあえず、正義を振りかざしていくとマヒる、暴走するからその塩梅が難しいよねって話にはなったけど、やっぱり単眼ではなく複眼で世界を見ないとどうしても大事なものを損なったり、傷つけていくし、たぶん後悔することになるんだろうなって。

 

12月30日
有村架純と付き合っていて、彼女の実家に行く。彼女の部屋にいたと思ったらすぐに居間に場面が変わって、彼女の父親に交際の許しをもらった。その後、一人で彼女の家から帰る途中に、有村架純って熱愛報道あったよなって思う。あれってなんだったんだ?と思い出して目が覚めた。
どういう夢やねん! どういうきっかけやなんの影響で有村架純さんが出てきたんだ? 不思議すぎる。オチもなんなんだ?


7時半過ぎに家を出てTOHOシネマズ渋谷まで歩いていく。radikoで今年最後の『三四郎オールナイトニッポン0』を行き来で聴いた。四千頭身の都築が台湾に行く飛行機待ちの間に電話で出演し、去年から今年にかけての年越し番組での都築再びな感じになっておもしろかった。来年も『三四郎オールナイトニッポン0』は毎週のお楽しみなので、二人とも健康で今のままでゆるゆると続けてほしい。
年末の渋谷だけどまだ朝が早いからそこまで人はいない。『PERFECT DAYS』の上映はスクリーン1の小さなスクリーンだったが、半分近くは朝早いけどお客さんは入っていた。
ヴィム・ヴェンダース監督は数年前にル・シネマでレトロスペクティヴ上映があって、その時に代表作十作品は観ていて、好きな監督だし彼が日本をどう撮ったのか気になっていた。2023年の映画納めはこれにしようと前から考えていた作品。
水道橋博士のメルマ旬報』でご一緒していたスタイリストの伊賀大介さんが衣装でこの映画に参加されていることは知っていたけど、作中で翻訳家の柴田元幸さんが普通に役者として出演していて驚いた。

パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」などで知られるドイツの名匠ビム・ベンダースが、役所広司を主演に迎え、東京・渋谷を舞台にトイレの清掃員の男が送る日々の小さな揺らぎを描いたドラマ。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、役所が日本人俳優としては「誰も知らない」柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞した。

東京・渋谷でトイレの清掃員として働く平山。淡々とした同じ毎日を繰り返しているようにみえるが、彼にとって日々は常に新鮮な小さな喜びに満ちている。昔から聴き続けている音楽と、休日のたびに買う古本の文庫を読むことが楽しみであり、人生は風に揺れる木のようでもあった。そして木が好きな平山は、いつも小さなフィルムカメラを持ち歩き、自身を重ねるかのように木々の写真を撮っていた。そんなある日、思いがけない再会を果たしたことをきっかけに、彼の過去に少しずつ光が当たっていく。

東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが、東京、渋谷の街、そして同プロジェクトで改修された公共トイレを舞台に描いた。共演に新人・中野有紗のほか、田中泯柄本時生石川さゆり三浦友和ら。カンヌ国際映画祭では男優賞とあわせ、キリスト教関連の団体から、人間の内面を豊かに描いた作品に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞した。(映画.comより)

主人公の平山のトイレ清掃の仕事と毎日毎週の生活のルーティンを描いていく。その中で彼のルーティンが壊れてしまったり、変更しないといけないことが彼の側からではなく、外側の他者によって起こされていく。
あまり感情が出ず、言葉も多くは発しない平山だが、他者との関係性の中で感情は大きく動いて揺らいでいるのが役所広司という俳優からゆっくりとだが確実に強く観客に伝わってくる。
ヴィム・ヴェンダース監督らしく平山が仕事場がある渋谷に向かうまで自動車に乗って東京の街を移動するのはすごくよかったし、平山と関わる人たちも微笑ましい。
60歳とか近い平山が働かないといけない現実や、労働環境や問題なんかは出てこないし、オシャレなトイレの公共性やその意図であったり、今回はUNIQLOがかなり出資している作品だったりするのでその部分での批判もあるだろうなってわかる。
でも、なんか偽善ぽいかもしれないけど、富裕層がこういう風に社会が成り立っているのはこういう仕事をちゃんとしている人がいて、人と人の緩やかな交流やつながりがあるということを描く映画にお金を出しているのはまだマシなのかなって思う自分もいる。
そういうことも含めても、ヴィム・ヴェンダース監督が見た東京、そこにいた平山のルーティンとそれが時折変化する他者との交流は僕には届いたし、すごく好きな映画だなって思った。パンフ買おうと思ったら売り切れてた。

帰ってからTverで『全力!脱力タイムズ』を見たら、永野さんがまた出てきていいコメントをしてた。ちゃんと皮肉であり批評でもある毒を吐いていた。

夕方前に波木銅著『ニュー・サバービア』が太田出版さんから届いた。帯に推薦コメントを寄せた樋口毅宏さんからのご紹介みたいです。ご恵投いただきありがとうございます。
来年1月19日みたいなので少し早めに読ませてもらいます。

――価値観を揺さぶられるような出来事があったときに、それを受け入れられるかどうかが大事ですよね。年齢を重ねると、どんどん難しくなるような気も……。

わかります(笑)。でも、「知らなかっただけでしょ」「間違えていただけでしょ」という話だと思うんですよ。「厳しく指導することが正しい」と思われていたことが今ではパワハラになったり、「僕は君を守る」ということがじつはパートナーを家庭に閉じ込めていただけだったとか、いろんな変化があるじゃないですか。この10年くらいで社会的な常識のラインもかなり動いているし、「1回も間違えずに生きていく」みたいな幻想は捨てたほうがいいと思うんです。どういう場面でそう思うかは人によって違うだろうけど、「あんなことをしてしまって申し訳なかった」みたいなことって普通に起きるので。

アジカン後藤正文「正しさというものを疑いたい」朝日新聞の連載エッセーで日々の思いを発信

――よく言われることですが、日本ではミュージシャンや俳優などが社会的なメッセージを発しづらい雰囲気があります。そのことについてはどう感じていますか?

他の人のことはわからないですけど、僕自身は「それで売れなくなるなら仕方ないかな」と。「(政治的、社会的な発言に対して)そんなこと言わないで」とファンの人に言われることもあるし、それで自分たちの音楽が聴きづらくなるのは申し訳ないなという気持ちもあるんですよ。ただ、社会的な問題や人道的な問題に対して何か言うことで、自分の曲が聴かれなくなるような社会だったら、もうしょうがない。それは受け入れようと思っています。だって「子どもたちの虐殺をやめろ」と言うことで仕事がなくなったとしたら、そっちのほうがおかしいじゃないですか。大丈夫ですよ、そうなったらもう一度SHELTER(東京・下北沢のライブハウス)のオーディションから始めるので(笑)。また自分たちで場所を探してライブをやればいいし、商業的な成功がすべてではないですからね。自分たちも商業的なタイアップで曲を作ることもあるし、「偉そうに言うな」という話かもしれないけど、最終的には音楽は一人でも作れるから、という気持ちでいます。理解してくれたり、間違ったら諭してくれる仲間も周りにいますしね。

アジカン後藤正文「何度も炎上して燃えかすに」それでも社会の問題について発信・活動を続ける意味

ゴッチさんのインタビューを読む。彼は正しいことを声だかにいうのではなく、行動が伴っているし、言葉への信頼と責任を強く感じているのが伝わってくる。だから、彼のいうことは聞いてみようと思えるし、その上で自分でどう受け止めて考えるべきなのかという方向に僕らも向かえる。


STUTS - 夜を使いはたして feat. PUNPEE (“90 Degrees” LIVE at 日本武道館 June 23, 2023)


この曲にこの数年支えられていて、武道館ライブは最高だったし、この曲を生で聴けたことがほんとうにうれしかった。

 

12月31日
7時に起きる。昨日『PERFECT DAYS』を観たらシネマイレージのポイントが6になった。そこまで貯まると一回鑑賞料金が無料になる。来年の一発目でもいいかなと思ったけど、パンフも買えなかったしせっかくだから大晦日に二回目をそのポイントを使って観ることにした。
昨日よりは一段下の列の同じ番号の階段横。8時25分から上映と早いが年齢層は高い感じも同じだがそこそこお客さんは入っていた。
役所広司さん演じる主人公の平山は渋谷の公衆トイレの清掃まではスカイツリーすぐの家から自動車を運転して向かって、仕事が終わればまた帰っていく。自動車というものは一つの部屋であり、個人的な空間である。だからこそ、彼のパーソナルスペースとして誰かが乗ってくることは基本的に彼は好んでいない。
だが、規則正しいルーティンは他者によって破られる。そして、仕事先の後輩であるタカシ(柄本時生)や彼が熱を上げているアヤ(アオイヤマダ)が乗り込んでくる。また、姪っ子であるニコ(中野有紗)は家出して叔父である平山のアパートに転がりこみ、彼の仕事についてきてその仕事ぶりを見る。アヤとニコという平山からすれば娘同然の若い女性たちは車内でかけている彼がずっと聴いてきたカセットテープに興味を持つ。もちろん二人ともスマホを使っているし、車内で鳴っている曲もアプリで誰のどんな歌かすぐにわかる。彼はSpotifyも知らない、その必要がないから。彼の新しいものよりもずっと馴染んできたものとの生活は、時代遅れであり、彼女たちのような存在との交流が基本的にはないので新しいサービスや単語はわからない。だけど、それで彼はいいというスタイルを取っている。
一周り以上してカセットテープもレコードも形として若い世代に受けているのは事実ではあるが、この作品では懐古主義とも見える平山のスタイルをよいものでもなく、悪いものでもなく彼が選んだものだとして描いているので観ていてそこまで嫌だとかおかしいとかは思わない。
ある種の世捨て人である平山はどこか聖人君主のような描き方にはなっているが、ニコの母である妹ケイコとのわずかな交流で父親との軋轢があり、そのことで彼はなにかを諦めたか捨てたことがわかる。ケイコは運転手付きのレクサスでニコを迎えにくるのでかなり金持ちであるという描写はされている。おそらく平山自体もボンボンだった可能性が高く、父親が会社経営などしていたのだろうか、彼はそれを継がなかったり否定することで出ていって妹であるケイコが会社などを継いだようなイメージができる。
その意味で平山は競争社会から降りた人であり、そのことで日々の微細なことに喜びを見出し、トイレ清掃という仕事にも自分なりの誠意と誇りをもってやっているのだろうと観ていると感じられる。
製作はUNIQLO柳井正の息子で同社の取締役兼グループ上席執行委員である柳井康治だというのが確かにそういうものを描く上で引っかかる部分ではある。彼らは平井のような生活ではなく、明らかに妹のケイコの側の人間だ、ということだ。そういうこともあるので、これがある種の偽善のようなものだとしては、金持っている側は露悪的に振る舞うよりはまだそっちの方がマシではないかと僕が思った部分だったりする。
あと二十年とかして、自分がこのまま東京で生活をしているとしたら、おそらく独身で子供もいなく、仕事も平山のような清掃員などをやっている可能性はかなり高い。そういう視線でも平山を見ている自分がいた。
スマホは便利だが、Wi-Fiがなければ充電がつきればなにもできない。音楽だってSpotifyとかのアプリが機能しなければ聴くことすらできない。そういうこと無意識で多くの人は感じているだろう、やっぱり目に見えるものは安心する。カセットやレコードの再ブームも結局目に見えない配信サービスの裏返しにあるだろうから、それらの割合がどんな風に変わっていくのか、それによって人々の生活スタイルも変わっていくだろう。だけど、そのサービスやシステムからこぼれ落ちる人も出てくるし、そのための公共や福祉という側面はどんどんこの国ではなくなってしまっている。

2023年映画マイベスト
01:『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
02:『スパイダーマン : アクロス・ザ・スパイダーバース』
03:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー : VOLUME 3』
04:『PERFECT DAYS』
05:『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』
06:『イノセンツ』
07:『ザ・ホエール』
08:『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
09:『AIR/エア』
10:『キリエのうた』

今年のマイベストはこんな感じ。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『スパイダーマン : アクロス・ザ・スパイダーバース』は四回、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー : VOLUME 3』は三回、『PERFECT DAYS』『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『ザ・ホエール』は二回劇場(スクリーン)で観た。映画は劇場とそこに行って観るという体験がセットだし、それが僕にとっては大事なことで映画ということ。必然的に好きな映画は回数が増える。「エブエブ」は『アンダー・ザ・シルバーレイク』以来DVDを買うぐらいには好き( A24ショップでスペシャルエディションを購入したがリージョン違うからたぶん日本では観られないけれど)な作品。
A24はシネマライズで2013年公開のハーモニー・コリン監督『スプリング・ブレイカーズ』からわりと気になった作品がそこの作品だったりして観てきたが、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『アンダー・ザ・シルバーレイク』みたいな作品は少なく、十作品観たら当たりは二作品ぐらいと実は打率は低い。だが、当たりは低いが作家性はそれなりに高かったりはする。だから、次作とかほかの映画会社でいい作品を撮る監督がちょこちょこいるというレーベルにもなっている。

毎年元旦は東京湾に向かって歩くというのが決まりごとになっていて、明日はどうしようかなと思っていたがルートは決まったのでそれとちょっと関係する小説を読みながらのんびり過ごすことにした。

小説を読みながらradikoで『川島明のねごと』を聴きながら、NHKプラスで『第74回NHK紅白歌合戦』のano出演だけは見ようと思って曲順から合わせて見た。
司会の有吉さんとは番組で共演しているのは知っていたけど、浜辺美波とも昔共演していたらしい。そして、もう一人の司会の橋本環奈。確か、橋本環奈が世に出たのは「奇跡の一枚」と呼ばれる写真からだったが、アイドル時代のあのも同様に「奇跡の一枚」と呼ばれる写真があり、その対比として「天使と悪魔の最終決戦」と言われていて、今でもネットで検索すると出てくる。

Twitterを検索したらやっぱり「天使と悪魔の最終決戦」の話題を出している人がたくさんいた。そこからは毎週日曜日に聴いている『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をBGMに読書の続きを。


元旦に歩く場所が出てくる小説を読み終えたら旧TwitterでYOASOBI『アイドル』で出場歌手のアイドルたちとのコラボで橋本環奈&anoも一緒の「天使と悪魔の最終決戦」を踏まえた演出があるみたいなのでそこだけ見てみた。これはコラボ企画として圧倒的に強いわ。紅白でしかできない演出だった。

それでは皆さま良いお年を。

2023年はこの曲でおわかれです。
I's - " 永遠衝動 " LIVE at 渋谷WWW X 

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年12月1日〜2023年12月15日)

11月下旬の日記(2023年11月16日から11月30日分)


12月1日
日付が変わって、寝る前にはてなダイアリーとnoteの日記を更新した。
起きてからちょっと読書してからリモートワークを開始。でも、夕方から映画に行こうと思っていたので15時半には早上がりさせてもらった。仕事も溜まっていなかったので問題なかった。歩いて渋谷まで行くと師走に入った金曜日の街は賑わっていて、人手が多いのもあってなんだか暖かく感じられた。
シネクイントでリドリー・スコット監督×ホアキン・フェニックス主演『ナポレオン』を鑑賞。公開初日ということもあって、お客さんは平日の夕方にしては入っていたように思う。

グラディエーター」の巨匠リドリー・スコット監督が「ジョーカー」のホアキン・フェニックスを主演に迎え、フランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの人物像を新解釈で描いた歴史スペクタクル。

18世紀末、革命の混乱に揺れるフランス。若き軍人ナポレオンは目覚ましい活躍を見せ、軍の総司令官に任命される。ナポレオンは夫を亡くした女性ジョゼフィーヌと恋に落ち結婚するが、ナポレオンの溺愛ぶりとは裏腹に奔放なジョゼフィーヌは他の男とも関係を持ち、いつしか夫婦関係は奇妙にねじ曲がっていく。その一方で英雄としてのナポレオンは快進撃を続け、クーデターを成功させて第一統領に就任、そしてついにフランス帝国の皇帝にまで上り詰める。政治家・軍人のトップに立ったナポレオンと、皇后となり優雅な生活を送るジョゼフィーヌだったが、2人の心は満たされないままだった。やがてナポレオンは戦争にのめり込み、凄惨な侵略と征服を繰り返すようになる。

ジョゼフィーヌ役に「ミッション:インポッシブル」シリーズのバネッサ・カービー。「ゲティ家の身代金」でもスコット監督と組んだデビッド・スカルパが脚本を手がけた。(映画.comより)

期待が高かったこともあるんだが、戦場シーンが長かくてかったるいなと思ってしまった。ナポレオンとその妻となるジョゼフィーヌとの関係がメインにはなっていた。やがて皇帝へとなったナポレオンは子宝に恵まれず、他の女性との間には子供ができたことでジョゼフィーヌが妊娠しない体ということで離婚することになる。フランスという国を統治している皇帝だから、世継ぎが生まれないといけない、という理由からだった。その後も二人の関係は友人として続くが、ナポレオンが愛し続けたのは彼女だったというもの。
結局のところ、玉座を守るために愛する女性との関係を切るという行為はその位や財産などを持っている立場になってしまうとよくある定番ネタみたいに描かれてきたものだし、実際のところ昔は当たり前のようにあったと思うけど、今作のナポレオンは彼女と離婚してから一気に落ちていくように見えるように描いている。
ナポレオンはフランスや皇帝という玉座を自分の血族で繋げていきたいと思わなければ、子宝には恵まれなくても愛する女性と添い遂げられたのだろうなと思わせられる。戦争や権力というものに固執する男性の愚かさを体現した一人の男としてのナポレオンの物語だった。だから、男の愚かさをナポレオンが体現しているということかもしれない。
三時間近くある上映時間は長く感じたし、北野武監督『首』同様に歴史上の人物を新しい解釈で描いたという部分は共通しているが、どちらも僕には響かなかった。なにか物足りないという印象だけが残った。


帰ってから絲山秋子著『神と黒蟹見』を読み始めた。連作短編集のひとつめだけを読んでみた。「黒蟹県」という架空の県を舞台に描いているし、主人公のこの県に転勤してきた人物の仕事は何かの営業なんだけど、その売っているものもなんか架空のものっぽくて、どこからどこまでが架空のなにかなのか?がわからなくなるけど、不思議と違和感がなくなっていく。
たぶん、自分がニヤニヤしながら読んでいるんだろうなと思いながら進めていった。やっぱり絲山作品だから車を運転するシーンが出てきたのもうれしい。


今月あとスクリーンで観たいのは『市子』『VORTEX ヴォルテックス』『PERFECT DAYS』『ファースト・カウ』『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』ぐらい。
『ナポレオン』がいまいちだったので、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』が最後になるかなと思うんだけど、期待している。22日公開は他にも『ファースト・カウ』『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』があって、どちらもA24作品なので、このどちらかでもいい、最後はいい作品で締めくくりたい。

 

12月2日
今日見た夢はなぜか星野源さんが出てきて、一緒になにか作業なのか企画をやるというものだった。どんな内容かはわからなかったが、そこまで緊張せずに星野さんとなにかを話していた気がする。有名人が出てくる夢というのはまったく見ないわけではないが、最近見た夢ではなかったので新鮮。

星野源 - 地獄でなぜ悪い (Live at Nippon Budokan 2015) 


一度だけ水道橋博士さんプロデュースで園子温監督芸人デビューイベントが行われた時の打ち上げに行った際に星野さんがいらしたが、まったく違う席だったのでお話はできなかった。
星野さんが出演している『地獄でなぜ悪い』の冒頭辺りの暴力団同士の戦いシーンにはエキストラで出ているので、同じ作品に出ているとは言えなくもない。
星野源オールナイトニッポン』は毎週聴いているけど、夢に出てくるのはちょっと不思議。


起きてから散歩がてら家を出て代官山蔦屋まで散歩。いつも通りな感じで土曜日の朝は『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。先週は小宮さんが急遽お休みだったが、今週は復活。同窓会に行った時の話はおもしろかった。昔、同級生の女の子たちに半年間無視されたことの詳細とかやっぱり笑ってしまった。

三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2023/12/01/金 27:00-29:00 


再来週のスペシャルウィークゲストも発表になって、師走恒例の珍味回にしかならないなかやまきんに君だった。なかやまきんに君ゲスト回はYouTubeに転がっているので聴いて笑っちゃう人はこの珍味大好物になるに違いない。

 戦争と戦後というテーマは、この2作の主人公がそれぞれに「特攻隊」の生き残りであることによって導入される。『ゴジラ-1.0』の敷島は零戦の特攻隊員、『鬼太郎誕生』の水木は陸軍兵士で決死攻撃を命じられ、生き残る。

『鬼太郎誕生』は、原作(『墓場鬼太郎』)にはない水木の戦争経験という改変を行うことによって、むしろ、南方戦線で決死隊に所属し、左腕を失いながら生き残った作者水木しげるの経験に寄り添うものになっている。この2作品においては、特攻隊/決死隊のトラウマをいかに乗り越えるかという物語と、日本の「戦後」をどう乗り越えるかという物語が重ね合わされている。

 しかし、この共通点にもかかわらず、この2作品の「戦後の乗り越え方」は正反対であるように私には思われる。

ゴジラ-1.0』について、私はこちらの記事で書いたが、この作品が「民間のプロジェクト」を強調したのは、この作品が持つ「日本再興」というナショナリズム的な衝動が、再軍備化的な回路(つまり敷島の特攻死の再演)で表現されてしまっては、グローバル市場で売り込むにはあまりにも陰惨なものになるからだと考えた。つまり、この作品の「民間」は口実であり、底に流れる衝動は日本の再軍備化である(それが言い過ぎなら、権威主義的な国家である)。

 興味深いことに、『鬼太郎誕生』もまた「民間」の物語である。だが、この「民間」の意味は『ゴジラ-1.0』とは正反対である。舞台となる哭倉村を支配するのは龍賀一族であり、一族は財界を支配し、龍賀製薬を経営している。

 だが、そこで強調されるのは、国家や官僚的なものと対立関係におかれる「民間」ではない。そうではなくまったく逆に、強調されるのは、戦時国家の権力と戦後の「民間=資本」の権力の連続性だ。
 そのことは、物語の核となる薬品「M」によって表現される。Mは摂取した人間が数日間不眠不休で働けるようになる薬剤だ。それが日清戦争後の戦争で使用されることで、龍賀製薬はあれほどの権力を握ったらしい。そして劇中では、戦後の経済成長にMが役立っていくだろうという見通しが語られる。

 つまり、Mが暴いてみせるのは、戦時中の軍事国家権力と、戦後の「民間」資本権力が地続きであるということだ。そしてそれらが地続きである歴史がいかにして抹消されるかということだ。(私はこの作品を見ながら、旧日本軍による人体実験とその歴史の否認を想起せざるを得なかった。)

 そして、地続きの権力に虐げられ、その存在が抹消・忘却される人びとも、また地続きで同じ人びとだ。水木しげるが発明した「幽霊族」が表現するのは、そのような人びとの歴史的な存在なのだ。

どちらも“特攻隊”の生き残りが主人公だが…『ゴジラ-1.0』に感動した人が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』もすぐに観るべき理由

何冊か著作を読んでいる河野真太郎さんが『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』について書かれているものを読んだ。どちらの主人公も戦争のために命を捨てろと言われ、死ななかった(死ねなかった)二人であり、彼らは何かを損なったまま戦後を生きていた。
たぶん、2023年を語るカルチャーとして『ゴジラ-1.0』と『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は代表格になると思うし、2011年は東日本大震災と『魔法少女まどか☆マギカ』が結び付けられたように、これらはガザ侵攻と結び付けられるんだと思う。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 3』がカドカワストアから届いた。あとはラストの「4」だ。
コミックス13巻「Daydream Believers」からコミックス18巻「Evilspeak」までを収録。2012年発売 17巻(弖虎VS全一の京都決戦)刊行時にTSUTAYA渋谷店のサイン会で田島さんに初めてサインもらっていたのをペラペラとめくっていて確認した。
TSUTAYA渋谷店のサイン会は最終巻まであるものには全部行ったのもあって、『水道橋博士のメルマ旬報』の僕の連載でイラストを描いてもらえませんかとお願いして、実際に描いていただいたりしたのも、そこから始まっていた。

 

12月3日

午前中に作業をしながら、その作業に関するミーティングをしてから家を出た。渋谷PARCOでHATRAの物理店舗「LIMINALITY STORE」がオープンしていて、この日が最終日の12月3日だったので寄ってみた。
デニムグラフィックなどでもHATRAと関わりの深いAlbatro Design謹製の活版印刷カードダスが目当てだった。カードダスは博物標本シリーズとジオメトリーシリーズのふたつが展開。店員さんに言って千円分百円玉に変えてもらって、一回200円を五回やってみた。ロブスターとクマノミの博物標本シリーズのほうは型押しで後ろ側にも形が出ているものとなっていた。ひとつの図柄でもカラータイプや白地や黒字など何種類もあるみたいだった。
菊地成孔さんのバンド「ラディカルな意志のスタイルズ」のユニフォームを作っていて、TシャツやパーカーなどもHATRAが手がけていて、ブランドの正規の服は買ったことはないが、バンドTシャツやパーカーは買っているので、実物も見れてよかった。

友人であり、元上司でもある有田さんから連絡をもらって、イベントの手伝いかなと思ったら出てと言われたので、登壇することになりました。
「ありまよとアオヤギの給料日ラジオ📻 23年下半期よかったものSP」の映画とドラマパートのとこでちょっと出ます。
トークイベントも今までたくさん足を運んだけど、出る側ではなかったのでロフト9に登壇することはこの先もないだろうし、記念にという気持ちもあったりします。しかし、下半期で何を選ぶか迷い中。



今年いろいろとコントライブを一緒に観に行ったノンと渋谷駅前で待ち合わせしてからユーロライブへ。ラブレターズ単独コントライブ「38」最終日を鑑賞。
一番下の写真は大きな実物サイズのぬいぐるみなのか、剥製なのかわからないけど、「キングオブコント2023」でラブレターズがやったネタで出てきたシベリアンハスキー
今回の一発目の掴みのネタは「キングオブコント2023」で披露したコントの反対側、結婚の挨拶に来た男に対応するお母さんが隣の部屋がうるさいから壁を何度も叩く、シベリアンハスキーも鳴くというものだったが、その壁を叩かれていた隣の部屋の男のネタだった。掴みとしては非常に面白かった。
コントが終わって次に行く時のBGMがgroup_inouの『Maybe』だったのはちょっとテンションがあがった。
父親とその兄の叔父が息子の演劇の舞台を観に行ったコントは、弟から「おもしろくなかった」という言葉を引き出そうとする兄のやりとりで、これは性格が悪いなって思えるけど笑えた。このコントを作っていたのはダウ90000の蓮見さんだと最後の挨拶の時に言われて納得してしまった。
全体的に最後の方に行くにつれて、僕はそこまで笑いが連発するということはなくなっていった。単独ライブでずっとファンの人が大半だろうから大きな笑い声はずっと聞こえていた。だけど、その差異みたいなものも僕には次第にノイズみたいな感じで、そこまでだかなって思ったのがたぶん響いた。
終わってからノンと昼間からだが飲もうということになって、探したがちょうどよさそうなものがなくて、結局PARCO渋谷の地下一階にあるドイツビールのお店に行った。飲んで食べて話していたら21時ぐらいになっていた。今年のコント納め終了。

 

12月4日
早起きをしてみようと5時に目覚ましをかけて一旦起きてみたものの、軽く酔いも残っていて頭が回りそうにないので可燃ごみだけ出してきて、7時までまた寝た。
12月から3月までのライティング仕事のスケジュールや自分の応募するものを書く時間を再考してみたが、やっぱり早起きして書く時間を作っておいたほうが余裕もあっていいし、習慣化できればいいなと思ったのだが。さすがに飲んだ翌日からスタートは難しい。
いつもの時間からリモートワークを開始。起きてからすぐに湯船に浸かったりしたのもあって、酔いはすっかり抜けていつも変わらない感じで作業ができた。5時に起きた時に朝風呂に入ればよかった。
気がついたら今年会社に行ったのが二回ぐらいしかなくて、このまま今月も行く予定はないので、コロナパンデミックが終わったみたいな感じになっているが、僕としては出社しなくていいのは助かっている。
混み合う時間の半蔵門線にはやっぱり乗りたくないし、行き来の時間がどうしても今のリモートになれているともったいなく感じてしまう。そもそもコロナ期間に会社もレイアウト変更したりしているので、みんなが出社したら席が足りないということになってしまっているので、出社しろとは言われないのできっとこのままだろう。


休憩時間の時に駅前のTSUTAYA三軒茶屋店に行った。山本貴光著『文学のエコロジー』は前から気になっていたので買うつもりだったけど、入り口のコミックの新刊を見ていたら『怪獣8号』最新刊の11巻が出ていたので一緒に購入。
漫画は時間がそこまでかからないが、批評系の文章は時間がかかる。小説とかを何冊か併読して読んでいるので、それらの山が崩れたら次に組み込んで読む感じかな、来年辺りになりそうな。


仕事が終わってからニコラに行ってシュトーレンとアルヴァーブレンドをいただく。温かいコーヒーが沁みる。シュトーレンもこの時期になったらお店で食べるようになって何年ぐらいだろう、季節のデザートなので習慣にはなってきている。

家に帰る前にオオゼキに寄ったら、店内で流れている有線から懐かしのジ・オーディナリー・ボーイズの曲が流れていた。
家に帰ってから作業を22時までして一旦終了。

 

12月5日
5時に起きれそうにないので一旦6時起きにしてみた。ペットボトルの回収日だったので外に出してから布団に入ったら出たくなくなって、うとうとしてたら寝てしまい、気がついたら7時20分を過ぎていた。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』8時25分からの上映回のチケットを取っていたのだが、歩いて渋谷まで行ってから副都心線乗るとたぶん間に合わないとわかったので諦めて最寄駅から電車に乗った。満員電車だった。渋谷で乗り換えたら8時前には着いてしまってバルト9がまだ空いていないぐらい余裕ができた。
二週連続バルト9に来るなんて十数年振りな気がする、先週に引き続き火曜日でキネゾーデイでチケ代は1400円とちょっとお得。
家を出てからバルト9に来るまでradikoで聞いていた『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』でもテレビプロデューサーの佐久間さんが絶賛していた(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でも触れていたことかな、たぶん)こともあり、伊集院さんも観に行っていてトークで話されていたが高評価だった。
8時半初回でもわりとお客さんいたのがヒットしてる作品だなと感じた。上映回数も増えていると思うし、先週観たシアターよりも大きなシアターだった。
一度観ているので話の展開や伏線がわかっていることによって最後だけでなく、いろいろと泣きそうになるポイントが増えていた。涙もろいので仕方ない。だけど、最後の最後に残ってしまったあの人物のエピソードは一度目でも泣けたけど、今回の方がより沁みてしまった。「忘れないで」と言う言葉の重みがもっと深いところに触れた。
戦前も戦後の復興からも、そして腐敗臭しかない今の社会、ごく一部の富裕層が自分たちの利益のために立場の弱い人たちから奪ってきたことへの警告もあるし、そんな社会の在り方でいいのかという問いも強く含まれている作品だし、家父長制を持続することで損なわれてしまう人の気持ちや願いについての話にもなっている。
目玉おやじのような幽霊族という存在しているけど、人間が見ようとしていないから見えない存在というのはたとえば社会的弱者と呼ばれたり、マイノリティーの立場と重なってくる。彼らはいろんなものを奪われたり、権力によって消されてしまう者たちであり、それを見ようとするのか、見ないままでいるのかということを問いかけてくる。見ようとする意志を持てるのかどうかで社会は変わってくるのだというメッセージでもあり、まさに僕らが生きている現代に起きている事柄のほとんどのことに突き刺さってくる。やっぱ凄い映画だと再確認した。

世界の終わり / THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 


渋谷駅まで電車で戻って家まで歩いて帰っている途中で、旧TwitterことXでチバユウスケさんが食道がんのため死去したというポストを見てしまった。その場ですぐにこのYouTubeに上がっているTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのラストライブの最後に演奏したこの曲の動画を見た。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのベースであるアベフトシさんが2009年に亡くなった時に当時付き合っていた彼女さんが「アベフトシが亡くなっちゃったよ」と連絡をしてきた。たぶんその頃はまだLINEも始まっていなかったからメールかMIXIのメッセージだったか、とても悲しんでいた。そのことも一緒に思い出した。
影響に関して僕は直接じゃない、でも田島昭宇さんがミッシェルとブランキー大好きだからその影響が『多重人格探偵サイコ』には詰め込まれていた。その影響をずっと受けてきた。だから、今日はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを聴きながら『多重人格探偵サイコ』を読み返すことにした。なんだか夜から作業するつもりだったけど、なにもしたくなくなってしまった。

 

12月6日
5時半に目覚ましをセットした。一度目が覚めるがやっぱり布団の吸引力、というか出たくなさすぎる。習慣というのはたしか三ヶ月続けないといけないらしい。こんなことなら夏が終わりかけの9月ぐらいから早起きモードにするべきだった。三日坊主にすらならない。諦めて7時半までまた寝た。なんだか最近めっちゃ眠い。
起きてから週一回のミーティングをやった。一時間ほどだけど毎週することで企画は練り上げられてきているし、手応えとまではいかないけど形がかなり見えてきている。
いつもの時間からリモートワークを開始。radikoでラジオを聴きながら作業。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『BEFORE DAWN』『星野源オールナイトニッポン』を。燃え殻さんがDJな『BEFORE DAWN』はスピードワゴンの小沢さんがゲスト回だった。
小沢さんと燃え殻さんが初めて飲んだ時に樋口毅宏さんを小沢さんがサプライズで呼んで、そこから燃え殻さんに小説を書きなよということを言われて、cakesで連載するという流れがあった話をしていた。二人の会話のテンションとテンポが非常に聴きやすかった。水曜日は前日の深夜帯のラジオで好きなものが多いし、TVerでも見たいものがわりとあるので作業BGM的な物には困らない。

 私は、二期スパンクハッピーのみならず、自分が作り出した運動体が、人々を狂わせ、人生を変えてしまう力を自覚しています。それは、「作品が愛されること」には違いはないのですが、愛にもし、質量というものがあるとしたら、二期スパンクハッピーのそれは絶大なものがあり、凡俗な言い方が許されるならば、作り出した私の思惑を遥かに超えて、人々を狂わせ、磔にしたまま、永遠に古びない。という、恐ろしい力が漲っており、時折私は、もう20年も前の作品である楽曲を聴くたびに「ああ、もう、自分は、言いたいことの全てをこの頃、既に言い終わってしまっていたのだ」と、慄然とします。

 この20年以上、厳密には1995年から、つまり、21世紀の助走から現在に至るまで、基本的にカルチャーは変わっていません。20世紀のようには。真綿で首を絞めるように我々を覆う抑鬱感は、その事と関係していますし、二期スパンクハッピーの永遠とも思える命は、そんな新世紀の姿を予見しています。

 私がまだ40代だった頃、巷では渋谷系と小室系が時代を席巻している時代、私はポップミュージックというものが何か?自分がそれをするのだったらどうしようか?という金属のようなアティテュードが、湯水のように沸いていた、奇跡のような季節でした。


<「二期スパンクハッピー」という運動体によって、人生が狂ってしまった全ての皆様へ。そして「なにそれ聴いたことない」という全ての皆様へ>


菊地成孔×岩澤瞳の“第2期”SPANK HAPPY全5作品サブスク解禁、菊地が思いつづった5000文字(動画あり) 


SPANK HAPPY-ANGELIC 


菊地さんが前から言っていた“第2期”SPANK HAPPYのSUN』を解禁が始まった。この時期は菊地さんも書かれているようにご自身が四十代だから今の僕と同じぐらいだろう。
今から20年前の二十代前半の僕は菊地成孔という存在を知らなかったし、SPANK HAPPYすら知らなかった。
上の世代の人と話していると結構好きだったり、ハマっていた人がちょこちょこいる。ODこと小田朋美さんとのFINAL SPANK HAPPYには間に合ったが、第2期に人生を狂わされてしまったり、影響をとことん受けてしまった人にはおそらく物足りない、全く別物だったのだろうということは感じた。

終わってから作業をしながら『あののオールナイトニッポン0』を聴いた。フジテレビで一緒の競馬番組をやっているアナウンサーの佐野瑞樹さんと東京ホテイソンが告知なしのゲストで登場。佐野さんは『めちゃ2イケてるッ!』にも出ていてずっと見てきたし、今だとフジテレビの『オールナイトフジコ』でも見ている。あのちゃんと佐野さんのやりとりはちょっとバラエティもありつつ、どこかドキュメンタリー的な感じもちょっとする。
先週の放送で佐野瑞樹さんとデッカちゃんが似ている、今金髪のあのちゃん、あのちゃんと佐野瑞樹を合体されたらデッカちゃんというトークをしていた流れもあるんだろうな。そういう展開を翌週に続けてもってこれるのもすごい。なんか波に乗っている感じだ。
来週には彼女のあの名義のアルバム『猫猫吐吐』が発売になる。今年からのラジオで十二分に楽しませてもらっているのでアルバムは予約している。
バンドのI’sしかライブは観ていないけど、この人の切実さというか自分と社会や他人との間に生まれる齟齬や不理解や不寛容へ怒りを向けて、納得したくないという揺るぎなさはパンクロッカーのそれだと思うし、他の人が憧れるような光と闇のどちらも深いなと感じている。

 

12月7日
寝る前に古川日出男著『の、すべて』単行本を読んでいたせいか、夢に政治家が出てきた。いつも通り内容は覚えていないが、どうやら政治家らしい人と一緒にいるという状況だった。でも、起きてから僕がその人物(男性)を政治家だと思えたということは、忘れてはいるが一緒にいた場所や言葉遣いなんかでそう思わせたということなのだろう。
夢日記は目が覚めてすぐに、一分以内ぐらいには書き始めないとすぐに消える。手ですくった砂がどんどんこぼれ落ちていくのと近い。
今回は目覚めてから、変な夢だなと思って続きが見れないかなとすぐに二度寝したせいでより夢の輪郭があやふやになったというのが原人だとは思うのだけど。

 私がこの連載で、そして「庭プロジェクト」で提案するのはいま後退しつつある人間が孤独に世界に触れられる回路をつくることだ。プラットフォーム上に乱立する(速い)共同体から、実空間の(遅い)共同体に撤退するだけではなく、個人が個人でいられる場所を、個人が事物とコミュニケーションを取る回路を回復することなのだ。それは共同体の一員として承認されなくても、その場所に関与できることと同義なのだ。
『群像』2024年1月号掲載 宇野常寛連載『庭の話』P219より

目が覚めてから『の、すべて』を読み進めてから、買い物に出た。スーパーに寄ったりしてから書店に寄ったら『群像』最新号が出ていたので購入。
宇野さんの『庭の話』最終回も掲載されているし、野間文芸賞を受賞された川上弘美さんと最初の担当編集者である宮田毱栄さんとの特別対談があったり、阿部和重さんの新連載『Wet Affairs Laeking』や東浩紀さんのロングインタビューもあった。

宇野さんの連載最終回を読んでから、残りわずかになった『の、すべて』の第4楽章である最終章の最後の部分を読み始めた。連載で最初から最後まで読んでいたので筋はわかっているもの、改めて一冊として読んでみるとそのボリュームにも圧倒されるし、恋愛と政治と宗教とテロについて書かれたこの作品は非常に現在の、今の状況を彷彿させるものだなと感じるところが増えていた。シンクロしているように感じた。
政権与党である自民党、岸田内閣の裏金疑惑は普通に考えればもう彼らは終わりだ。自民党もさすがに次の選挙ではどうにもならないと思う、ほかにいないという人だってそれでも自民党に投票するかというとしないと思う。それでもするのは思考停止か彼ら同様にその利権や何か美味しい思いをしている人たちなのだろう。
第二次安倍政権になってからはあからさまに三権分立を踏みにじって、自分たちの意のままにしてきたんだから、しっぺ返しというか過去に復讐されるに決まってる。
あの無駄な国葬とかも顧みてもらって、税金二重取りなインボイスもやめてもらって、世襲議員も仕組みを変えて続けてはできなくして、解党してもらえたらいいかなと個人的には思う。となれば、次の選挙はかなりの大局になる可能性が高く、『の、すべて』はスサノオ知事と呼ばれていた都知事時代にテロに遭った主人公の大澤光延が新党を立ち上げて、というクライマックスになっていく。こういうカリスマ的な人が出てきたら自民党への恨みつらみ、統一教会問題なども含めて、盤石だった自民党がひっくり返る可能性がある。その部分とのシンクロを感じながら読み終えた。だけど、そんな政治家は今いない。それが日本の悲劇でもある。だけど、カリスマを求めないほうがいいことも小泉政権の時の弊害を考えればわかることでもある。
今日は木曜日だから基本的には休みにしているので作業もしないまま、家を出た。


ジュンク堂書店池袋本店で開催された古川日出男×角田光代 古川日出男デビュー25周年記念トークイベント「古典から、私たちの物語へ」に行ってきた。90分お二人がしっかり『源氏物語』と『平家物語』、小説家としての言葉と物語へ向き合い方などを話をされていた。真逆なタイプだからこそ深い話になったのかもしれない。
『女たち三百人の裏切りの書』単行本刊行のときは新潮社のラカグで江國香織さんと古川さんのトークがあった。お二人とも憑依型というのもあるんだけど、江國さんと古川さんめちゃくちゃ資質というか作家としてのタイプ似ているのがわかった。インプットとか考え方とか、アウトプットされる物語の表面だけを見ているとそれはわからない。
角田さんが古川さんと真逆というのが今回はよくわかる組み合わせだった。『源氏物語』を訳してからの角田さんの小説への向き合い方も聞けてよかった。角田さんは今までは注文があって連載をしてきたけど、もうそれも今やっているゲラが終わってからあとのものは全部断ったと言われていた。『源氏物語』を現代語訳してから小説の書き方がわからなくなって書けなくなっていたとずっと思い込んでいたけど、そうじゃなかった。書きたいものだけを書きたいということに気づいたと話されていた。今後角田さんが書かれる作品はたぶん今までとは違うものになるはずだし、どのくらい先になるかわからないけどその小説はすごく読んでみたい。
源氏物語』はフィクションだから、物語ってなんなんだろうという問いを考えだしてしまったと角田さんは言われていた。『平家物語』は実際に居た人たちの話というのも違いがあって、古川さんは書きながら鎮魂をしていたのだと、そういうものたちを押さえ込まないと訳せなかったと言われていた。だから、書き終わった時には鎮魂は終わっていて、新しい小説に取り書かれたところはあったんじゃないかという話もあった。
また、コンプライアンスとか言葉だけを他から取り入れても、その意味や中身があやふやなままみんなが使っていることで、言葉が壊れていくという危機感についても話されていた。なんとなく使ってしまっているような言葉に「ちょっと待てよ、そもそもこの言葉ってどういう意味があって、軸はそもそも共有されているのか?」と問わないことで、言葉が壊れてしまっていることに敏感にならないとダメだし、自分も気をつけないとダメだと思えたのが個人的には聞けてよかった。
終わってから持って行った『女たち三百人の裏切りの書』文庫版とジュンク堂で購入した巴御前表紙な『平家物語 3』と『現代語訳「紫式部日記」』にサインしてもらって今年最後のご挨拶をした。

副都心線で渋谷まで帰って、いつも通り歩いて帰った。行き来はradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』と昨日PCの方で聴いた『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。歩く時は音楽よりもラジオ番組の方が心地良くなってきている。すべてはiPod nanoが壊れていつも聴いている感じで音楽が聴けなくなったことが大きいけど、Spotifyは3ヶ月のお試し期間で使っていたから、このまま有料で使うかやめるかちょっと悩んでる。

 

12月8日
寝る前に『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』のCreepy NutsのR-指定ゲスト回を聞きながら寝落ち。翌朝6時半になんとか目覚めたが作業はせずに横になっていた。この数日で早起きしようとしていて、どうもできないのはなんとなくやる気が起きないからなのか、単純に寒さに負けているのか、多分合わせ技なんだろうなと思いつつ、作業はやらなくてもちょっとずつ早く起きるようにしていこうとradikoで『ハライチのターン』を。それから『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』の途中でリモートワークの時間になった。作業中は「メガネびいき」から『ナイティナインのオールナイトニッポン』と『マヂラブのオールナイトニッポン0』と繋げていった。
仕事は近々で急がないといけないものがないので、頼まれていた作業をゆっくりとやっていた。その作業がわりと眠気を誘うので昼前はちょっとしんどかった。睡眠時間は足りてるはずだし、この眠さみたいなものはなんなのだろうかと思って調べてみると「冬季うつ病」というのが出てきた。また冬は副交感神経が優位になるから眠くなりやすいとも書かれている。
「冬季うつ病」は気持ちが落ち込んだり、疲れやすい、甘いものが欲しくなる、活動量が低下、眠気が強く睡眠時間が長くなるという症状らしい。眠気が強くなるぐらいしか当てはまるものはなさそう。早起きするのも時間をもう少しズラしてみて、そこからやってみて調節してみたほうがいいかな。


ルイス・コールとジェネヴィーヴ・アルターディのポップユニット「KNOWER」のライブが来年3月に東京LIQUIDROOMで行われるとのことだったので、BEATINKのサイト先行でチケット販売が11時からあったのでサイトにアクセスして購入画面になったら混み合っているのでお待ちくださいっていう表示のまま待っていたが、画面が変わった時にはすでに売り切れになっていた。
枚数をかなり限定してるんだろうけど、やっぱり人気あるなあ。これで取れたら行こうかなって思っていたから今後はどうするか、ルイス・コールはサンダーキャットのライブでのドラムしか観ていないのでちゃんと観たいという気持ちもあるし、LIQUIDROOMぐらいの箱で観たさもある。

ポール・トーマス・アンダーソン監督の次作はピンチョン著『ヴァインランド』らしい。前にも『LAヴァイス』を映像化してるし、ほんとうにピンチョンファンなんだな。読みかけで止まったままだし、映画になるならちゃんと読み通しておきたい。ただ、ピンチョンは異常に読みにくい。情報量とか溢れんばかりで掴んでいてもなんか圧がすごくて知らぬ間に手を離していて、何を読んでいるのかわからなくなる。

リモートワークが終わってからちょっと休憩。スケジュールを見ると明日明後日の土日かなりがんばらないとダメだなと思うとやる気が起きない。
20時を過ぎてから作業を開始。土日のライティング作業に集中するために月曜日には出したいものを先にやってしまうことにした。こちらは毎週ミーティングもやっているからどうすべきか、何を求められているのかがわかるからやりやすいのかもしれない。

その間に、来年3月に起動させる新作のスターターが揃いだし、来年6月に完成させる短い作品の核が(もしかしたら)把捉でき、その先の、もっと巨大な小説、その1行めを、雷撃に打たれるように書いた。書いてしまった。しかし、ここからどのように発展させるのかは不明だ。考えなければならないのは、どこで、どのように、具体的に形にするか、である。

古川日出男の現在地」馬鹿返上 2023.11.25 – 2023.12.08 東京・埼玉

前日のイベントの時にも古川さんが今後書きたいものとして話されていた物語の時間も1500年とか幅広く、ワールドワイドな舞台になりそうな巨大な物語の一行めは書かれたのだとわかった。
『アラビアの夜の種族』『サウンドトラック』『聖家族』『おおきな森』『の、すべて』に続くような新しい大聖堂が、聖典が何年か後に形になるのを楽しみに生きていける。

 

12月9日
7時前に起きた。やっぱり目覚めが悪い。単純に起きてやろう!みたいなモードに移行しにくい。すぐに作業は諦めて、8時過ぎに家を出て9時にオープンの代官山蔦屋書店まで散歩がてら歩き出す。
お供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。毎年ニッポン放送の年越し番組は7年連続で三四郎が担当していた。当然今年の年末と来年の年始となる番組も彼らだと思っていたら、今回はやらないらしい。残念だけど、二人もラジオで解放だ!と叫んでいたように、リスナーもある種解放されるわけで、新しい年始の始まりを聴いていた人たちは迎えるんだろう。

代官山蔦屋書店の二階フロアのCDやレコードコーナーはより小さくなってしまったが、「KNOWER」のアルバムが販売していたので購入してしまった。ライブには行けるかはわからないけど(そもそもチケット取れるかわからないし)、なんというか物(ブツ)として欲しいなと思っていたので、あったから買ったみたいな感じ。
行って帰っての歩く距離は一時間半でプラスでお店に寄っていたり、家to店to家だけではないので実際には二時間ほど歩いていた。目覚めの悪さを考えると起きてすぐに散歩かランニングに強引に出て体を動かして身体と脳を目覚めさせた方がいいのかもしれない。起きてすぐに家を出るのは、起きてすぐに作業するのと同じぐらい難しそうだが。脳みそを回すためには先に体を動かすほうがいいかなあ。

樋口 『VORTEX ヴォルテックス』、拝見しました。これまであなたは近親相姦、レイプ、ドラッグなど、センセーショナルな題材を取り扱ってきましたが、これらすべてを封印した本作がいちばん残酷に見えました。

ギャスパー アルツハイマーは、今まで扱ってきた殺人やレイプというテーマよりも身近で普遍的なものだし、すでにたくさん描かれているテーマでもあります。でも実は、私の父からも今回の作品が今までの中でいちばん暴力的だと言われました。アルツハイマーで亡くなった母を思い出して、辛かったのかもしれません。

樋口 今作のパンフレットに、「人生はすぐに忘れ去られる短いパーティーだ」という一文だけを記したそうですが、これはあなたの中にずっとあったテーマのなのでしょうか?

ギャスパー ある映画祭の時に、ひと言でこの映画を表現するとしたら?と聞かれて、このフレーズが一番ぴったりくると思い選びました。私の母の時もそうでしたが、生前は写真などの思い出がたくさんあるけれど、本人がいなくなるとその人にまつわるものはどんどん消えて、後に残るものはほとんどなくなってしまう。そういう意味を込めています。

樋口 まさに本作のラストは、それを印象的に表すシーンでした。

ギャスパー・ノエ(映画監督)×樋口毅宏(作家)
過激描写はひとつもないのに、「最も残酷な映画」と言われる理由とは?

帰ってから今月観ようと思っている映画のひとつであるギャスパー・ノエ監督『VORTEX ヴォルテックス』、監督に樋口さんがインタビューしていたものを読んだ。これと『市子』は上旬で観たい作品だったので早く観に行かないとだ。

大澤 「なんとなく、考える」の初回(二〇〇八年)で、「五二歳のときにまだ批評家でいるのかと考えると、それだけは勘弁してくれという気持ちになる」とあります(『ゆるく考える』所収)。まさにそれが今年。さきほどおっしゃった残りの人生の時間という話につなげてみると、長編小説『クォンタム・ファミリーズ』(二〇〇九年)は村上春樹経由の「三十五歳問題」がモチーフでしたね。
東 三十五歳なんてまだ若いのにね、(笑)。
大澤 十五年ほどの前のあの小説には、統計的世界観、訂正可能性、分身、デジタル・ロマンティシズムといった『訂正可能性の哲学』の基本ツールがほとんどそろっているんですよね。なにより、ファミリー・ロマンス、「家族」の脱構築の物語になっている。ちなみに、「二〇二三年」に並行世界とネットの関係は認知されるという設定で、まさにこれも『訂正可能性の哲学』が出た今年。
東 それは気づいていなかった。
大澤 三十五歳問題は、その年齢を境に、なしとげられるはずのこととなしとげたことの総量を、なしとげた「かもしれなかった」ことが追い抜くという認識です。さっきの小林秀雄につなげると、彼の登壇作「様々なる意匠」(一九二九年)に「彼が科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった」という有名なフレーズがありますよね。小林は初期からそれを「宿命」というキーワードにしています。柄谷行人なら「単独性」。
東 その問題については、僕はちょっと違う解釈をしています。科学者にもなれたろう、小説家にもなれたろうという発言は、アイデンティティを自分が決められるものとして想定しています。でも現実には、自分で自分は科学者だと思っていても、他人から見たら軍人でしかないといったこともあるわけです。結局、自分のアイデンティティは自分では決められない。他者が決める。あるいは歴史が決める。自分はこれこれに「なれた」かもしれないという問いかけ自体が、アイデンティティについて考えるうえでまちがった前提のように思います。「かもしれない」はむしろ他者によってもたらされるものなんです。

 『群像』2024年1月号掲載 東浩紀ロングインタビュー(聞き手=大澤聡)「批評=楽しさをもとめて。東浩紀の二十五年」P69より

東 (中略)僕は自由な個人をあまり信じていないんですよ。今回の本にはコミュニタリアニズムの話は出てきませんが、家族論はコミュニタリアニズム脱構築しようという提案でもある。自由な個人なんて存在しないし、誰にが自分が生まれ育った共同体の限界の中でしか行動できない。それでも、人間はその自分が所属する限界そのものを「訂正」することができる。その一点において私たちは自由なのであって、共同体への所属を切断し、単独者になることで自由になるわけではないんです。
 現実にいま、すべての伝統、たとえば親や地域や会社からすべて切断された「自由な個人」なるものはネットにたくさん出現しているわけですが、彼らはじつに動員や陰謀論に弱い。それこそ現代社会の病理です。
(中略)
東 あともうひとつ、「私にとって家族は重荷でしかなかった」」という反応についてですが、僕としては、誰にもが「親」になる、なんらかの人間関係を身に纏わなければならない、その立場に立った時の話をしているつもりなんです。自分が子どものとき、親が嫌だと思った人は多いと思います。でもそれでも多くの人は「親」になる時がくる。生物学的な意味で子どもを作らなくても、生徒、弟子、部下、読者、なんでもいいのですが、自分の影響を受けた下の世代に囲まれる時が来る。その意味で「家族」をどうつくるかを考える必要が出てくる。その意味で「家族」をどうつくるかを考える必要が出てくる。子どもの立場からしか考えられないのは、日本社会全体に蔓延しているある種の病理かもしれません。
大澤 懐疑論者から懐疑を突きつけられる立場に立てというさきほどの話ですね。成熟の問題。被害加害の問題もそうです。つねに被害者になる不安から考えてしまう。
東 むろんそれは大切なんですが、自分が加害者になる可能性も考えて。初めて本当の暴力防止につながるのだと思います。

『群像』2024年1月号掲載 東浩紀ロングインタビュー(聞き手=大澤聡)「批評=楽しさをもとめて。東浩紀の二十五年」P74-76より

お昼過ぎてもやる気が起きない。ご飯を食べてからしばらく経ってから30分ほど寝てみる。わりとすぐに寝て目覚ましで普通に起きれる。
それから『群像』に掲載された東さんのインタビューを読んだ。気になった部分は自分で文字起こししようと栞を二箇所いれた。それから夕方前に机に座ってからその箇所をキーボードで実際に打ってみた。この箇所が気になった部分だった。
「三十五歳問題」と「親」になるということ、引っかかるというのは僕がこの数年考えていることだからなんだと思う。実際に生物学的な「親」にはならなくても、自分よりも若い世代の人と仕事をしたりすることも増えてくるわけで、立場というものも変わったりするし、いつまでも自分が若い立場ではないというも大きい。それをもっと自覚しないとダメだなっていうのはあるにはある。
このロングインタビューは東さんの著書だけではなく評論や思想関連の本を読んでいないとわからない単語や言葉も出てくるが、それでも読めるようなものになっていると思う。
17時になってから『川島明 そもそもの話』のゲストがさらば青春の光東ブクロを聴きながら、重い腰を上げて作業を開始。土日でできるところまでやろうというよりは、ここまではやるという感じに気持ちを切り替えた。
ライティング作業で3月からものと、8月からもの交互になるような感じで〆切があったのが先月までだった。8月からのは一旦終了したが、3月からのものは今後の作業に関して一月から新しい形でやることになったので12月がまるまる空いてしまった。
毎週みたいにあった〆切に急かされていたものがなくなって、自分で〆切を作ってそこに向けてやるとなるとサボる、やる気をどう維持させるのかが難しいってことなのかも、と思った。それに「冬季うつ病」みたいなモードも加わっているということがあったりするのだろうか。ともかく、それが意識できたらから、文字にできたからできそうな気がしてきた。

 

12月10日
6時半に目が覚めて7時までは横になっていた。そこから一度起きてから作業を開始。5時に起きるのは無理なので一旦6時台に起きられたらいいということにした。結局、目が覚めて仕事をやろうと思えるまでに時間がかかるから、まずは起きることを優先。
作業を開始して、『オードリーのオールナイトニッポン』や『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』をBGMがてら聴いた。オードリーの東京ドームライブは現地チケットはまったく取れなかったが、LINE CUBE SHIBUYAや全国の映画館でライブビューイングがあるらしく、LINE CUBE SHIBUYAなら渋谷だしチケット取れたらそこでもいいかな、と誘ってもらっていた友人と話を昨日してした。
ラジオの放送前にライブビューイングの話が出ているのはいいのか悪いのかわからないが、渋谷なら行き来が近い。東京ドームに行って5万人とかの大観衆が溢れて帰りとかめっちゃ時間かかりそうだからライブビューイングのほうがよいかなと思っている。

エンジンがかかるまでに時間はかかったが作業は昼過ぎまでやってひと段落。直したりもしないといけないが、一旦日曜日中にやりたいところまでできれば御の字。家からまったく出ていなくて散歩もしておらず体を動かせてなかったので、14時過ぎに散歩に出た。

散歩のお供には昨日もPCで聴いた『川島明 そもそもの話』を。今週のゲストはさらば青春の光東ブクロ同志社大学入学後に先輩だったカズレーザーとコンビ組んでいた話とか、鬼ヶ島問題とかも川島さんがガッツリ聴いていた。
事件後に干される形になった時に気にかけて、何度も飲みに誘ってくれた先輩芸人の話も初めて聞いた。その「ネクスト・リーダー」的な人は粋でカッコいい話ばかり聞く人だ。燃え殻さんが小説を書くことになった一番最初のきっかけを作った人でもある。彼は他者の人生をいい方に変えまくってるし、人に慕われる人というのはそういう人なんだなってわかる。

家に帰ってきてから寝るまでは作業の続きを。とりあえず、今日中にやらないといけないところまではなんとかできた。これで喪が明けたじゃないけど、「冬季うつ病」ぽさも徐々になくなっていけばいいのだけど。

 

12月11日
6時半に起きて可燃ごみを出してから30分ほど横になったままでTVerで20分ちょいの短い番組を見たりしてから起きる。昨日の夜にやっていた作業の続きをしたいが、一旦どういう内容だったかを思い出すために再読した。赤文字で追加する箇所や指摘があった部分のことを考えていたら仕事の時間になってしまった。

TVerで学ぶ!最強の時間割』アメトーーク!新ネタ採用か⁉︎無口になったAD時代&恩人ダチョウ倶楽部の『どうぞどうぞ』誕生秘話

ラジオは昨日有吉さんのサンドリも川島さんのねごとも聴いてしまっていて、月曜の朝は作業中に聴くラジオがないなと思って探したら、土曜日に配信していたチェルミコのポッドキャストの最新回があったのでスポティファイで聴いた。
そこからTVer限定の動画(番組)でゲストというか講師としてテレビ朝日プロデューサーの加地倫三さんが出演しているのを見た。『アメトーーク!』や『ロンハー』や『テレビ千鳥』を手掛けてきたお笑い好きな人なら知っている裏方の人物でもある。やっぱり長女番組をやっているとどう守るかではなく、攻めるのかということだったり、企画を出して行くかという戦術というかやり方もしっかりと話してくれているのでとてもおもしろい。


昼すぎに休憩がてら外に出た。年明けに創元SF短編賞の〆切があるから書けたらいいなと思っていたので、テッド・チャン著『息吹』という短編集を買ってみることにした。

来年、前章と後章と二つに分けて浅野いにお原作漫画『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション』がアニメ映画として公開される。物語のメインとなる門出とおんたんをYOASOBIの幾田りらとあのが声優担当することは発表されていたが、漫画が連載されていた『ビッグコミックスピリッツ』で二人が表紙と対談したものが掲載されていたので久しぶりに購入した。
映画が公開したらYOASOBI×anoコラボ曲とかやるだろうし、オールナイトニッポンをやっていたYOASOBIがあのANNN0にゲストとか、あるいは浅野いにおさんがゲストということもありそうだな。そうなったらうれしいけれど。

二人のグラビア写真を撮っているカメラマンが塩原洋さんとクレジットされていた。ヌードモデルの兎丸愛美さんの写真をよく撮っていたので名前を覚えていた。
兎丸さんは『水道橋博士のメルマ旬報』が終わった時にモデルの仕事をやめると言っていた。その後もアカウントもなくなったりしていて、ほんとうに活動をやめたんだと思う。どこかの町で普通に暮らしている彼女が元気で幸せだといいなと元メルマ旬報で同じ連載陣であり、彼女を連載陣に引き込んだ人間としては願っている。兎丸さんの写真を見るようになってから写真展とかに行ったり、写真に興味を持つようになったのも僕には大きな影響だった。

リモートワークが夕方に終わってからは昨日のライティング作業の続きを。明日の夕方までに提出すると連絡したのでなんとか終わらす。
しかし、これは一回提出してもまたいろいろと調べて裏を取ったり確認しないといけないことが書けば書くほど出てくる。この仕事をしっかり集中して今月中には一旦最後までやれれば来年形になるのが少しは早くなるはずだと信じて書く。

 

12月12日
なんとか6時に起きてから作業を開始。夕方までに提出するためには朝一からやるしかない。今月入ってからスケジュールを組んでいたものの、その通りには全くできず進んでいなかったので自分が悪い。「冬季うつ病」なのかどうかはわからないけど、眠さとだるさはあった。でも、自分で最初に提示した〆切は10日だったけど、無理だったから今日の夕方に変更してもらったという経緯がある。
遅れるとわかっているなら先に連絡して了解を得ているほうがいい。連絡しないままズルズルと放置するほうが信頼もなくなるし、物事は厄介な方へ転がってしまうのはわかる。僕自身はそういうことはほぼしたことはない(あったとしたら忘れている)のだけど、自分が受け取る側だったりすることはあるから、それをされたことはあってやっぱりその人への信頼はなくなってしまった。
ほうれんそうとはよく言うけど、ちょっと問題が起きかけている、起きそうな時に連絡をしておけば基本的には大事には至らない。火がついて燃え始めたとしてもさらなる延焼は食い止められる。大事なのはそういうリスクヘッジ。つまり素直に現状を伝えて対応してもらう、了解してもらうこと、嘘をつく方がリスクは高くなる。ごまかせるかもしれないが、それが常態化していくといつか足元をすくわれて転げ落ちてしまう。
ライティング作業は自分の作品とか自分が書きたいものではなく、商業的な他の誰かの意向が大事なものだとそちらの意見を踏まえた上で進めていかないといけない。その塩梅を探るのが難しい。
土台を作る仕事をやっているから、その元となる物とかは共有されていても自分の理解のなさや筆力も関係してくるし、相手が求めるレベルまでいけるのかどうか、かなり手探りでやっているから不安はつきまとう。
作業はradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』とSpotifyポッドキャストで『chelmicoオールナイトニッポンPODCAST』『83 Lightning Catapult』を聴いた。
誰かの声を聴いている方が僕は作業がはかどる。意識はMacBook Airの画面に集中しているから、話している声や内容がすべて入ってくるわけではないし、集中が増すとなにを話していたか飛んでいるような感じにはなるけど、誰かの声や音がある空間のほうがリラックスできる。でも、カフェとか実際に人がいてそのリアルな話し声が聞こえると集中はできない。たぶん、作業自体は一人じゃないと難しい、でも、無音だと寂しくてなにか音がしていてほしいということなんだろう。


ano -「普変」/ ano 1st TOUR 『トキメキ偏愛♡復讐ツアー』at 恵比寿LIQUID ROOM 


午前中に明日発売になるanoファーストアルバム『猫猫吐吐』が届いた。
なんとなく発売元のトイズファクトリーの通販で頼んでいたら、前日に届いた。一通り先ほど挙げたラジオを聴き終えてからCDをiTunesに取り込んでアルバムを流しながら作業を続けた。


ほかにも頼んでいたものが届いて配達の人のノックでフッと集中が切れた。昨日は藤谷治著『新刊小説の滅亡』が、これは仲俣暁生さんがやっている「破船房」で取り扱っているもので、前にお茶をさせてもらった際に話を聞いていたもの。
今日届いたのは鈴木涼美著『トラディション』は木村綾子さんが店主のコトゴトブックスで販売していたので購入した。鈴木涼美さんの小説ってちゃんと読んだことがなかったんだけど、装幀がいいなと思って。
知っている方々がわりとご自分でお店やネットを使った通販とかで作品を広げていこうとする人が年々増えているなと感じる。出版業界、大きな出版社もこの先安泰ではないだろうし、僕らには当たり前だった出版流通も成り立たなくなっていく。こうやって個人で少数ロットで刷ったものを自分で販売していくにはネットが普及した今ならやりやすくはなっているはずで、これは大正や昭和初期とかの作家たちが同人誌を作っていた流れとシンクロする、進化系なんだろうなって感じる。


16時半前になんとか今回提出分まで終わって見直しができたのでデータを送信して家を出る。かなり寒くて雨が降ったあとだったのでアスファルトが濡れていて、風も冷たかった。歩いて1時間20分ほどして六本木駅すぐのアスミック・エース試写室へ。かなり久しぶりだと思うんだけど、コロナ前じゃないかな、前に来たのは。

『ミッドサマー』で一躍映画好きに知られることになったアリ・アスター監督最新作『ボーはおそれている』試写。



A24の悪いとこの割合高め&いいとこ低めでごった煮にして、不条理と悪夢とマジックリアリズムで味付けしたみたいな作品だった。ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』や宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』が近いかもしれない。
179分だから実質三時間と長いし、ほんとうに悪夢を見ているみたいに、あるパートから次のパートへ移っていく際に繋がりもわからなかったり、どういう意味があるのかわからないことの連続。
もしかしてあれってこういう意味なのかなとあとから思えなくもないことはあるけど、説明はされないので観た人の脳内で補完する、いや作り上げていくような部分もある。怪死した母の葬儀に行こうとするも様々なトラブルに巻き込まれてしまうボー、最後に実家であり息子が来るまで葬儀はしないという遺書があったため、彼が母と対面する時には…みたいな話だと思いきや、その後もかなり長い。というか悪夢は実家に帰ってからの方が酷い。やっぱりキリスト教的だったり神話的なモチーフを入れ込んでいて、A24ってやっぱり新しい神話を作りたいんじゃないかな。万人にはウケないだろうし、『ミッドサマー』がおもしろかったという人でも賛否はわかれそう。


Pharrell Williams, Swae Lee, Rauw Alejandro - Airplane Tickets (Official Video)


終わって外に出たら雨が降っていた。小粒だったので来た道をそのまま歩いて帰った。

 

12月13日
6時過ぎに起きて小説を朝活がてら読む。リモートワークの前に週一回のミーティングをオンラインで。打ち合わせで設定等について諸々修正することになった。前に提出した設定とかは僕が好きなテイストだったけど、先方にはあまりしっくりこなかったみたい。だったら、こういうものは自分の書くものに活かしたり使えばいいやって思うから問題はない。
リモートワークは午前中には終わらしたい仕事があったので集中して終わらした。休憩中に仮眠したのもよかったのか、昨日の疲れとかは残らず、午後からはわりとのんびりとゆっくり作業ができた。


仕事が終わってからニコラでモンブランとクリスマスブレンドをいただく。


家に帰る前に書店でオカヤイヅミ著『雨がしないこと』上下巻を買って帰る。
「雨」という主人公と周りの人たちを描いた漫画。岡崎京子さんの『チワワちゃん』は「チワワちゃん」と呼ばれていた女の子が東京湾で死体で発見されて、彼女のことを知っている人たちにとって彼女がどんな人だったか、どんなエピソードがあったかをそれぞれの視点で語っていくことで、いなくなった彼女の輪郭を描いていく、『ゴドーを待ちながら』スタイルだった。『雨がしないこと』は「雨」はいて、彼女とその友達や仕事先の人たちの交流を描くことで「雨」がどういう人なのかを描いている。空虚な中心ではなく、芯としている「雨」を中心にした群像劇、だけど、読み感は『チワワちゃん』を僕に思い出させた。

『あののオールナイトニッポン0』2023/12/12/火 27:00-28:30

ゲストはクリープハイプ尾崎世界観さんでアルバム『猫猫吐吐』にも収録されている『不変』は尾崎さんが作った曲。
あのちゃんもラジオでクリープハイプのことが好きなことやエピソードを何度も話してきているからこそ、尾崎さんがゲストで曲をどういう風に考えて作ったかを聞いたあのちゃんが泣きそうになるというハプニングもあったり、ミュージシャン同士の創作の話もしっかりしていてアーティストトークもあったりと今までのゲスト回とは違う感じだった。
あのちゃんと尾崎さんの組み合わせの相性はすごくよかった。

読み終わってから今月掲載の予告編妄想かわら版の原稿を書いて提出。もう今回で29回目だった。もともとは『週刊ポスト』で連載していたものだったが、週刊誌は売り上げも落ちていて購買者の中高年向けの記事にどんどん寄って行った中でコロナパンデミックが来てリニューアルも兼ねて文化欄が刷新するのに伴って終わった。
水道橋博士のメルマ旬報』をやっていた博報堂ケトルの編集者の原さんにお願いをして、Webメディアの「BOOKSTAND映画部!」のほうで続きをやらせてもらえることになって、この回数。月一回だからもう2年半近くになっている。続けさせてもらえるのは本当にありがたい。

 

12月14日

6時に起きて可燃ごみを出してから朝活がてら読書をしてから、8時半ぐらいに家を出て渋谷へ。
副都心線 新宿三丁目駅で降りて伊勢丹出口から出てテアトル新宿へ。今日はサービスデーなのでTCGメンバーカードで鑑賞料金が1200円になるので、チケットを取っておいた戸田彬弘監督『市子』を鑑賞。

「僕たちは変わらない朝を迎える」「名前」などの戸田彬弘監督が、自身の主宰する劇団チーズtheaterの旗揚げ公演として上演した舞台「川辺市子のために」を、杉咲花を主演に迎えて映画化した人間ドラマ。

川辺市子は3年間一緒に暮らしてきた恋人・長谷川義則からプロポーズを受けるが、その翌日にこつ然と姿を消してしまう。途方に暮れる長谷川の前に、市子を捜しているという刑事・後藤が現れ、彼女について信じがたい話を告げる。市子の行方を追う長谷川は、昔の友人や幼なじみ、高校時代の同級生など彼女と関わりのあった人々から話を聞くうちに、かつて市子が違う名前を名乗っていたことを知る。やがて長谷川は部屋の中で1枚の写真を発見し、その裏に書かれていた住所を訪れるが……。

過酷な境遇に翻弄されて生きてきた市子を杉咲が熱演し、彼女の行方を追う恋人・長谷川を「街の上で」「愛にイナズマ」の若葉竜也が演じる。(映画.comより)

偶然だけど、前日に読んでいた『雨がしないこと』でメインの「雨」と彼女の周りの人を描くことでより「雨」という人物の輪郭があらわになって行ったように、『チワワちゃん』で死んでしまった「チワワちゃん」を知る人が語ることで空虚な中心となった彼女の多角的な面が浮かび上がったように、「市子」という女性がいなくなったことで恋人の長谷川が彼女を探す中で、かつての彼女を知っている人たちから見えた「市子」とのエピ祖ソードによって輪郭が顕になっていくというものだった。
何らかの事件に巻き込まれたのか関わっていることで刑事が長谷川を訪ねてきたこともあり、長谷川は刑事が調べている恋人の過去について知ることになる。
時代は遡って、市子が小学生だった頃の同級生たちから見た彼女や関わったエピソード、高校時代の彼氏であったり、彼女に思いを寄せていた男子、新聞の配達所で住み込みの仕事を一緒にしていたパティシエを目指している女友達、などの章が描かれて徐々に「市子」の隠していた秘密と彼女がなぜ姿を消したかという理由が明らかになってくる。
プロポーズされて姿を消すとなると思い浮かぶ理由はさほど多くなく、思い浮かんでいた一つがやはりその理由ではあったものの、「市子」と名乗っていた彼女は以前「月子」と名乗っていた時期があり、それがなぜなのかが明かされていくと彼女がずっと抱え込んできた罪と隠されていた謎が観客にもわかるようになってくる。それはとても心苦しいものであり、悲しいものだった。
もうひとつ出したワードがあるけど、それを出すとネタバレというかわかる人にはわかってしまうので出さないが、この僕らが生きている社会でも起きているだろう問題であり、それに関しては改善されていないと思えるものだったりするのでよりやるせなく、せつない。そして、あのラストの意味を考えるとより市子という人物が生き抜くということが切なく思えてしまった。

もう一本映画を観ようと思っていたが思ったより『市子』の内容が濃かったのでお腹いっぱい感もあって諦めて家に帰ることにした。
昼ごはんを食べてからネトフリで配信が始まっている『終わらない週末』を観始めた。オバマ元大統領夫妻もプロデューサーとして関わっているみたいなことを旧Twitterで見ていて気になっていた。

人気ドラマシリーズ「MR. ROBOT ミスター・ロボット」のクリエイターとして知られるサム・エスメイルが監督・脚本を務め、ジュリア・ロバーツマハーシャラ・アリイーサン・ホークケビン・ベーコンらが豪華共演したサスペンススリラー。

アマンダと夫のクレイ、息子アーチーの一家は、のんびりと週末を過ごそうとレンタルした豪華な別荘にやってくる。しかし、到着して早々に世間では不可解なサイバー攻撃によって携帯やパソコンが使えないという事態が発生する。そしてアマンダたちのもとには、別荘のオーナーだというG・Hと名乗る男が、娘を連れてやってくる。彼らはサイバー攻撃から逃れるために、自分たちの持ち家である別荘にやってきたという。世界の崩壊が刻一刻と迫るなか、2つの家族は恐怖と向き合い、自分たちの置かれた状況を受け入れていくが……。

原作は全米図書賞にノミネートされたルマール・アラムの同名小説。アマンダ役をジュリア・ロバーツ、夫のクレイ役をイーサン・ホーク、彼らの前に現れる別荘オーナーのG・H役をマハーシャハラ・アリが演じた。Netflixで2023年12月8日から配信。(映画.comより)


Civil War | Official Trailer HD | A24 


『終わらない週末』はA24の新作で予告編が公開された『Civil War』も見ているせいか、アメリカという国の終わりの予感みたいなものを嗅ぎ分けて先に映像化しているような怖さを感じる。
夕方に睡魔に襲われたので途中で停止して少し寝ることにした。やっぱり眠気に襲われる。うーむ、「冬季うつ病」ぽさはまだある感じ。

18時半に目覚ましをかけていたので起きてから歩いて下北沢のB&Bへ。出演する仲俣さんにお声がけしてもらった「藤谷治×田中和生×仲俣暁生×倉本さおり フィクショネス文学の教室 in 本屋B&B 〜2023年末番外編〜」を見にいった。
皆さんが今年読んだ新刊小説についてお話をされていたのだが、僕が一番気になったのは田中さんがオススメされていた村田喜代子著『新古事記』だった。原爆を作った人たちと一緒に生活していた一人の日本人の血が流れている女性を主人公にしたものらしく、年末に読もうと思った。来年公開が決まったクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』とも通じるだろうし、第二次世界大戦時のロサンゼルスの日系移民の収容とかも気になっているのでこの小説はその辺りも書いてありそう。

 

12月15日
6時に起きてから朝活がてら、昨日途中まで観ていた『終わらない週末』の残りを仕事が始まるまで観ることにした。主人公のアマンダ夫妻と息子と娘ら一家が別荘をレンタルしている家主のG・Hとその娘たちが男女に分かれてそれぞれに行動をすることになる。
父二人は息子のアーチーに起きたある出来事を解決するためにG・Hの知人宅を訪ねることになり、そこで世界に何が起きているのかを知る、いや正確なことはわかっていないが、完全に秩序が奪われてしまったことを知ってしまう。
アマンダとG・Hの娘はいなくなったアマンダの娘のローズを探しにいくが、大群で現れた鹿たちに囲まれてしまう。そんな中大好きなドラマ『フレンズ』の最終回がネットも遮断され配信サービースで見れなくなってしまってずっと文句を言っていたローズはたった一人である場所を見つけることになる。
いろいろな予測はできるが実際にアメリカで何が起きているのか、戦争なのか内戦なのか誰が仕組んでいるのかは明かされない。基本的にはG・Hの家をメインで展開されており、カオスな状態になった街などはあまり映像としても出てこないものの、終末的な状態に陥ったことはわかるものとなっている。G・Hが語るのは情報などが遮断され、人々に情報が行き渡らなくなることで起きる疑心暗鬼、そして、それによって起きるだろう略奪や市民感の対立や民間戦争状態になるように煽って、どこかの国が、あるいは何ヶ国かでこの国を破壊しようとしているのではないかというものだった。だが、これも予想であり、本当なのかはわからないだが、一番怖いのはやっぱりオバマ元大統領夫妻がこれをプロデューサーとして関わって作っていることだろう。『フレンズ』最終回が見たくて仕方なかったローズがたどり着いた場所は、この映画を配信しているネトフリによって過去の遺物となってしまったものが、形があることの意味を問いかけるものとなっており、すごい皮肉も感じてしまった。

リモートワークを開始してBGNはradikoを。寝る時半分の一時間だけ『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』残りを聴いてから、『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』を続けて聴いた。
面白かったのは火曜日の『JUNK 爆笑問題カーボーイ』のゲストがミキで、去年の「THE MANZAI」でのビートたけしからの酷評を再びいじられていたが、「おぎやはぎのメガネびいき」でもイジられ、裏番組である「ナインティナインANN」の年末恒例の「岡-1グランプリ」にゲストで出ていたミキの昴生おぎやはぎに対して文句を言いまくっていた。去年の一件が今年の「THE MANZAI」の収録があり、さらにミキが呼ばれなかったことで先輩たちがイジることでネタになって昴生が暴れることで笑いにどんどん膨れ上がっていすごいことやってるなあって、笑いってこういう回収もあるんだなって思えて最高に笑った。

仕事が終わってからトワイライライトに「豊崎由美×マライ・メントライン『時評書評』出版記念トークイベント」を聞きに。時事ネタを豊崎さんとマライさんが話をしながら、その時事問題からオススメの本を豊崎さんが紹介するという流れだった。
「頂き女子りりちゃん」の話からホストの売掛金問題などに話は展開していった。その時に紹介されたのが月村了衛著『半暮刻』という作品でまったく知らなかったが、豊崎さんの紹介がとても興味が出たので読んでみるつもり。月村さんは『機龍警察』シリーズを数冊読んでいるぐらいで、それ以外の作品は正直タイトルと装幀が全然惹かれないものばかりなので、読んでいなかったからまったく目に入っていなかったということもあると思う。でも、こういう時に信頼している人がオススメしていて興味を持てば読むきっかけができるのがうれしい。
豊崎さんとマライさんの会話のテンポや間、合いの手が心地よくて、あっという間に90分が終わった。豊崎さんの新刊『時評書評』にサインしてもらってご挨拶をして帰った。

今回はこの曲でおわかれです。
ano「猫吐極楽音頭」MUSIC VIDEO 


アルバムで聴いたけど、MVの映像のイメージがすごいのでこの曲はビジュアルを見た方がいいのかもしれないなって思った一曲。