5月30日、渋谷のwwwにてモエアンドゴースト×空間現代/ZAZEN BOYSライブに行く。楽しかったし気持ちよかった。ザゼンのリズムのカッコよさは狂ってる、「暗黒屋台の親父〜」と歌うThis is 向井秀徳はギターとシンセを操り、時には指揮者のように他のメンバーに指示を出す。カッコよすぎて笑ってしまう。
モエアンドゴーストと空間現代も初めてライブで観たけど何かが浮遊しているような感じでこちらとあちらの狭間で揺らいでいるような音だった。どちらも素敵だった。
向井秀徳さんと朗読ギグを、空間現代ともコラボしている小説家の古川日出男さんが客席にいらしたので終わった後にご挨拶しようと思った。ライブに来ていた映像作家の河合さんと終演後にロッカー前に会ったのでそのまま古川さんが物販の前にいたのでご挨拶を。古川さんのほぼ隣に菊地成孔さんもいて、なんかお得感あった。
モエさんの声や動きは黒田育世さんに似ているような気がしましたって古川さんに言ったら、その感じはわかると。でただようまなびやでも講師だった書家の華雪さんの動きも思わせるものがあるよなって少しだけお話をした。次に古川さんに会うのはアジカンのゴッチさんと小島ケイタニーラブさんと一緒に出るイベントかな、それもすごい楽しみにしてる。
二日前の日曜日にはテアトル新宿で『ディストラクションベイビーズ』を鑑賞する。エンディングのスタッフロールで流れるのは向井秀徳の『約束』、劇中の音楽もThis is 向井秀徳であり映画のオフィシャルブックを読むと古川さんが寄稿されていた。
確かにこの作品を観るとどこか中上健次的なものが感じられた。土着的というか地方都市が舞台だが、そこから逃れらることができないもの、兄弟というものがありそこには切れない関係性と暴力がある。古川さんが「わかる。ここに描かれている世界がわかる。しかし、もちろん、わからない。」と書かれていることの意味もわかる。『聖家族』でも兄弟、そして地方を回りながら戦っていたのを書かれていたから。
先月の終わりに『1993年の女子プロレス』を手に取って読んだ。プロレスものではないが一気に読み終わってしまった。800ページを越える分厚さだったが引き込まれてしまった。インタビューを受けている女子プロレスの選手の半分ぐらいは名前は知っていた。この著書を書いた柳澤健氏の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』も読んでいた。周りにプロレス好きとノンフィクション本を勧めてくれる方々がいたからというのもある。
女子プロレスラーという人間の生き様と彼女たちが所属していた全日本女子プロレスという団体ゆえに彼女たちが歩んだこと。人の一生を想う、複雑に交差し作用し合う人間の気持ちと行動。迫り来るものに心臓が激しく握られるようだった。そして、今の自分のだらしなさに憤慨もする。
新刊で出ていた同じく柳澤健氏の『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代も買って読んだ。こちらも読み始めると最後まで気になってくるから読むのが止まらなかった。
読んでいるとTHA BLUE HERBのBOSS THE MCのリリック「知らないことが残ってるのは 幸せだ それを忘れちまったら 生きた屍さ」てのが浮かんだ。『1974年のサマークリスマス』でパックインミュージック金曜二部を久米宏さんが肺結核で五回目で辞めることになって林美雄さんが引き継ぐ形で始まったって部分読んでて『俺たちひょうきん族』でブラックデビルだった高田純次さんが病気で休んで明石家さんまさんに交代した話を思い出した。
大塚英志さんが角川前社長とパーティでの売り言葉に買い言葉でメディアミックス見せてやるよって『摩陀羅』やる時に新人だった田島昭宇さんを連れて行って描かせたのはなぜかって聞かれた時に「その時、そこに居たから」って言われていて、実力や才能はもちろんだけど居てしまうことの意味を思う。だからこそ、そこに居なかった者として書けるものはきっとあるし、当事者ではない人が紡げる物語があるのだと思う、このところノンフィクション立て続けに読んでるから余計に。
大塚さんの『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』も同じくノンフィクションであり素晴らしいものだった。徳間書店、ビルの二階、「場」というものに迷いこんだ「おたく」第一世代と第二世代たちの話。日本のアニメーションがジブリと角川に分かれて行った時に居た人たち。
1989年という大きな一年、昭和の終わる前後に確かになにかは終わり、「そこ」に居た子供は大人になってしまっていて、新しいなにかが始まる時に居た人々になった。日本のサブカルチャーやメディアミックスが海外では研究対象になり学部すらある今、資料としても読まれていくのだと思う。
そういえば、増田修氏『ロッキング・オン天国』も読んでいてノンフィクションばっかり最近は読んでいる気がする。ロッキング・オン大好きっ子ではないのと書かれていることには興味があったけど40歳とか上のどストライクな世代の方々の熱い反応をツイッターなどで見たが僕にはそこまで感じられなかった。ジャンルを越えてしまう熱量みたいなものはなかった気がするからだ。でも、面白いんだけどなあ、何か自分の中にあるスイッチを押してくれるかどうかだなあ。
『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』読み終わって、前に小説家の窪美澄さんにオススメしてもらって積読していた大崎善生著『赦す人 団鬼六伝』に手を出した。ノンフィクションに手招きされている時期なのかもしれない。
読み始めたらこちらも圧倒的に面白い。まず、団鬼六という人物が豪快だし人間として器が大きすぎる。彼の母親と著名すぎる小説家との関係とか、彼の一族に起きたことはもう現実は小説よりも奇なりという次元を超えている。
人生は遊んだもの勝ちやとある金はどんどん使うし、夜逃げも何回もしてる。しかし、団鬼六という人物が破格なのはこれ普通はもうダメだろうというところから何回も起死回生する、しかも前回よりも爆発的に。そして、SM小説の大家として世間でも著名な人物になっていく。これを書いているのは小説家である大崎善生さんで、二人は将棋という世界で交わっている。ここで書かれていることは小説家志望である僕には響くことがあまりにも大きい。さらっと最初の一作が書けてオール讀物新人賞の次点に残った団鬼六、ずっと小説家になろうと思っていて初めて書き出したらまったく書けなかった大崎善生という構図も書かれている。
しかし、人が集まる人というのはこういう豪快さと赦すという寛大さがあるのだろう。こういう人は世知辛くなっている現代ではなかなか現れないだろうな、とも思う。
『赦す人 団鬼六伝』も読んだし、水道橋博士さんも試写会で観て絶賛していた森達也監督『FAKE』を観ようと思った。前から観るつもりだったけど、どうも今の僕はノンフィクションというジャンルに惹かれているようだし、流れにいるときはできるだけ浴びた方がいいから。朝一の回が11時半だったので早めに出て10時過ぎユーロスペースについて整理券をもらう。5番だった。そのまま渋谷の本屋を数件回る。
7日だったので文芸誌である『新潮』『群像』『すばる』が出ているので後から買うにしても時間つぶしで立ち読みをした。まずは『すばる』を。蜷川幸雄さんが亡くなった追悼文を古川さんが寄稿されていたので2ページを読む。僕が蜷川幸雄演出作品を唯一観たのは古川さんが戯曲を書いた『冬眠する熊に添い寝してごらん』だった。
古川さんは小説を書く前には舞台の人だったし、清水邦夫さんの戯曲を貪るように読んでいたと前にも書かれていた、その演出をしていたのが蜷川幸雄さんだったわけで、古川日出男という作家の骨格というか最初に出会った言葉は彼らだったのだ。だからこそ、蜷川さんに戯曲を書いて欲しいと言われて半年悩んで古川さんは離れていた舞台の世界と向き合う、いや蜷川幸雄という存在に対峙し共に戦ったのだと思う。ずっと「現在」を生きていた人として蜷川さんのことを書かれていた。
それから『新潮』を手に取る。同じく古川さんが書かれている連載小説の『ミライミライ』第二回を読む。北海道が舞台、第二次世界大戦後の日本だが、北の大地は日本とインドの領土として、そして天皇制はなくなっている違う戦後、だから「元号」はなくなっている。これは天皇小説のひとつでもある。
「ニップノップ」のDJの産土がいかにウブスナとなったのかという前回の一話の長さに比べるとかなり短いのだが、ここに書かれているのは名前をめぐる物語であり家族の変化と居場所についてだと思った。
産土は家族の形態が四回変わる。父が違う妹が出来る、音楽とどこで出会ったのか。ここには兄であるということ、父親の不在という意味でもやはり古川日出男作品に書かれているものと戦後民主主義的なものがやはり書かれている。
ユーロスペースに開場する20分ほど前に行ったらフロアが人でいっぱいだった。かなりの盛況のようだった。整理番号早めに取っていてよかった。最初に呼ばれるので席に座っていると前の列の席の人が荷物を置いてどこかに行っていたみたいで、緑色の服を着た人がそこに座ろうとしてその荷物に気づいた。で、僕を観た。僕は「KIMONOS」のTシャツを着ていてそれを見て「おっ!」と指差したのはThis is 向井秀徳その人だった。
古川さんの文章を読んで、向井さんに会うというのは面白いというか繋がっている、しかも日曜日には映画も観ていたから。そんなリアリティよりもリアルな出来事があって映画が始まった。
監督:森達也
2014年にゴーストライター騒動で日本中の注目を集めた佐村河内守をとらえたドキュメンタリー。監督は、オウム真理教を題材にした「A」「A2」の森達也。聴覚に障害を抱えながら「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの作品を手がけたとし、「現代のベートーベン」と称された佐村河内。しかし音楽家の新垣隆が18年間にわたってゴーストライターを務めていたことや、佐村河内の耳が聞こえていることを暴露。佐村河内は作品が自身だけの作曲でないことを認め騒動について謝罪したが、新垣に対しては名誉毀損で訴える可能性があると話し、その後は沈黙を守り続けてきた。本作では佐村河内の自宅で撮影を行ない、その素顔に迫るとともに、取材を申し込みに来るメディア関係者や外国人ジャーナリストらの姿も映し出す。(映画.comより)
この映画はまずどういう姿勢というか気持ちで観に行くかでかなり印象が個人ごとで違うだろう。真実とは何か? だとか佐村河内氏が本当は耳が聞こえているか? 作曲をしていたのか? ということは確かに重要な部分である。
しかし、ドキュメンタリーは嘘をつくというように、モンタージュ理論でもなんでもいいが、撮影されたものをどう編集するか、あるシーンの後にどんなシーンを表情を画を続けるかという文体のようなもので鑑賞する側に与えるイメージはある程度は操作というか、感情を動かせるものだ。
ドキュメンタリーは真実だと思っている人が多数だとは思わないが、どうも世間的にはドキュメンタリーは真実を映していると思われている節がある。カメラで人を撮るということ自体がすでに暴力性を孕んでいる。撮られているという意識を無にできる人は稀か撮られることが当たり前になってもう空気みたいに思えるほんのわずかな人だけだ。
だから、カメラに撮られることそれが日常の風景であってもやはり何かは変わってくるのだ。ここでは森達也というドキュメンタリー作家が佐村河内家に入り込んで日本や海外のメディアが取材や打ち合わせに来る時にもカメラを回している。
森と佐村河内の二人は一息つくようにベランダでタバコを吸う。佐村河内家に来た取材者やメディアの人や森にはケーキのデザートが出る。彼らのもてなしがある。新垣がテレビや雑誌に出ているのを無言で見つめる佐村河内夫婦。森は新垣のサイン会に潜り込んで彼にもカメラを向ける。ここにはやはり撮るという暴力性があると思う。
真実はどこなのか? 最後の12分ほどは試写会でもネタバレ厳禁ということになっていたようだが、観客の頭にあった疑問の一つは明かされているように見える。ただ、幾重にも重なっている物事がそれすらも「FAKE」なのかもしれないと思わせてくるのが厄介だ。
そして、森達也は佐村河内夫婦にカメラを向けながら日本のメディアの騒動の仕方などにも皮肉的な視線を向けているようだ。日本のメディアは思想がないから、バラエティなんかだとその場に呼んでその素材をいかに使えるかしか考えていない。だから、神輿に乗せるときは盛大に尻尾を振って、何かあればバッシングして手のひらを返す。だって、思想や考えがないのだから数字になればいいし、何かをして謝罪している個人を叩き潰しても何とも感じない。いくらでも生贄は現れるのだから。
森達也作品で最初に観たのはオウム真理教を扱った『A』だった。そこで僕は衝撃を受けた。彼らが起こしたテロや事件は最悪だし許すことはできないものだとしても、やはりメディアの報道というものに疑問は持つきっかけにはなった。どうも真実だったり本当のことをメディアは正確に伝えるものではないということを。
今作『FAKE』でも、佐村河内の父が語る話はそのことを端的に示していたと思う。新聞やニュースで報道されたものが本当だとほとんどの人は信じてしまっているからだ。それが親友であってもそちらを信じて長年の友と縁を切ることだってある。おそらく東京などの大都市圏よりも地方の人の方がメディアの報道を信じる人の確率は圧倒的に多いだろう。そうでなければ、今の内閣総理大臣が我が物顔で嘘をつき続けているのにそのポジションに居座ることができているわけがない。報道する側のリテラシーとそれを受ける側のリテラシーの低下、疑心暗鬼、勝手な自粛と猜疑心、巧妙に張り巡らされた罠に僕らの国は陥っているようにしか思えないのだ。
しかし、何か正しいことがあったとしても、それを否定する大声で嘘つかれてしまったら、その嘘が信じられて正しいことが嘘になってしまうことは多々ある。
『FAKE』で森が佐村河内夫婦にふたりを撮りたかったんだと思うという。それは嘘ではないと思う。そこにある夫婦のそれぞれを想う気持ちはスクリーンから伝わってくるからだ。しかし、森監督自身が最初からそう持っていたとは思えない。撮り続けて佐村河内家にいて二人との間に信頼関係ができたから余計にそう思えたし、言えたのではないだろうか。最後の12分とかのシーンだって、きっとそういうことなのだろう。
あと、佐村河内氏がご飯の時に1リットルの豆乳パックを飲んでからじゃないと箸をつけないというシーンがあるがあそこは新垣の雑誌とかのシーンと同じく場内で笑いが起きていた。同時にあのシーンで笑ってからあの夫妻にある空気とか彼らに対しての親近感が観客に強くなったとも思った。
メディアのあり方、虚実と一組の夫婦。観た人間の中で中で様々な想いが巡る作品だった。これから始まるものがあるだろう、観客の中で物事に対しるものの見方が変わるし考えないといけなくなるから。やはり観るべき作品の一つであるのは間違いない。
終わって劇場を出ると次の回の人たちでフロアが人で溢れていた。出てすぐに『水道橋博士のメルマ旬報』チームで『1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記』を上梓されたてれびのスキマさんがいた。少しだけお話をした。きっとめちゃくちゃ楽しまれるのだろうなと思いながらネタバレになるから映画については話せなかった。
トイレに行って出る時に向井さんがいたのでご挨拶をした。wwwライブと『ディストラクションベイビーズ』観ました、今度のリキッドルームのワンマンも行きますというと低い声でThis is 向井秀徳は「それはありがとうございます」と言った。ユーロスペースを出ると緑色の服を着た向井さんが小雨の中ビニール傘を差して坂を登って行っていた。