Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『オンリー・ゴッド』


 新宿バルト9で『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフン監督とライアン・ゴズリングが再タッグを組んだ『オンリー・ゴッド』を観に行く。


監督・ニコラス・ウィンディング・レフン
出演・ライアン・ゴズリング/ジュリアン、クリスティン・スコット・トーマス/クリステル、ビタヤ・パンスリンガム/チャン
ラター・ポーガームマイ、ゴードン・ブラウン/ゴードン他



タイのバンコクを舞台に、兄を殺され復讐を遂げようとする男の前に、神を名乗る謎の男が立ちはだかる様子を、レフン監督独特の映像美と過激なバイオレンス描写とともに描き出した。バンコクでボクシングクラブを経営し、裏では麻薬の密売にもかかわるジュリアン。ある日、兄のビリーが惨殺され、アメリカで巨大犯罪組織を仕切る母のクリステルは、ジュリアンに復讐を命じる。しかし、そんなジュリアンの前に、元警官で裏社会を牛耳っているという謎の男チャンが立ちはだかる。(映画.comより)


 ビジュアルはカッコいいし、音楽の重厚な感じもいいけどしばし眠りを誘う。因果応報つうか精神世界みたいな感じの映画でストーリーラインわりとジャンプショットみたいにパッパッパッと省略して進む感じかな。『ドライヴ』観て期待してみると物足りないと思う僕もいた。
 物語が淡々と進むのは前作もそうだし台詞で語らない感じもこのニコラス・ウィンディング・レフン監督作品だからなんだろうけども、チャン演じる無敵な感じの男との描写や赤と青の濃厚さがかなり現実世界よりも精神世界的に見えた。



 ジュリアンのおかんがもうね、なんだろうナイスキャスティングなんだろうけど。コートニー・ラブがずっと浮かんだよ、ビッチ的なというかなんか顔面の強さというかガンガン攻めて来るみたいな嫌な感じが。


Hole - Celebrity Skin



 神のような男チャンなのだが、確かに圧倒的に強いんだが見た目が普通のおっさんなのでかなり異質な。復讐するために、実際はジュリアンの兄貴が16歳の女の子をレイプして殺した事が発端のためジュリアンが兄の復讐といっても因果応報の結果みたいな感じもするし、このチャンはまさしく神の制裁みたい。



 映像的にはもうカッコいい。これたぶん予告編だけ観ると、短い時間だとすげえいいんだけどなあ。台詞が多くはないから多くを語らないし物語のストーリーラインも難しいわけじゃないけどやっぱり深層心理というか精神世界での戦いに似たなにかを感じた。
 『ドライヴ』はやっぱり何年後も残るし評価されると思うんだけど『オンリー・ゴッド』は西洋人が撮ったアジアの風景としての色彩をクローズアップした感じだからなんだか濃いよね。


 嫌いじゃないんだけど推せるってほどでもないというのが正直な感想。でもこのコンビならやっぱり『ドライヴ』オススメする。


 歩いてそのまま新宿のニコンサロンに行った。友人の只石の映像作品に参加しているカメラマンの神崎仁さんの写真展があると聞いていたから。普段、新宿はバルト9ぐらいしか行かないので駅前でも迷うというかGPSの地図は平面的な案内だから立体的に誘導してくれないから堂々巡りみたいな事をしてた。帰りに同じビルから出た時に「ここに出るんかい!」と思ったぐらいにすぐだった。


『The Long Goodbye』Music Video / Gotch


神崎 仁写真展『Our Street View』
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2014/01_bis.htm#04
写真展内容
作品は、車椅子の後部(肩の後ろ)に取り付けたデジタルカメラをリモコンで操作して撮影したものである。
車椅子で街を歩くとき、作者はあらゆる人・物を目にし、すれ違ってゆく。彼らの中で作者に視線を向ける人、向けぬ人が各々いて、そこには彼らそれぞれの状態があり、態度がある。
作者のみならず、人は各々が持つ個を態度に出したり隠したり、目まぐるしく変化させながら街を歩いているという事に気づく。また、私たちは、常に何らかの属性を表にして、無意識に変化させつつ行動している。
その視点に立つ時、街は、目まぐるしく無意識に変化する表面化した個の対峙ではないかと作者は考えた。その状態を写真にしたいと考え、作品にしたのが本展である。
自らの行動のログ(履歴)における、自分と自分以外の物事の対峙。その提供により閲覧者自身を、あるいは閲覧者から見た作者を発見できるのではないかと、作者は考えている。
カラー約95点(小約70点・大約25点)。(ニコンサロンサイトより)


 神崎さんとは今月、只石の作品に関わった(出演した)方々を集めた新年会で一度お会いしただけだったしわりとすぐに酒飲んで話をして今日会うのが二回目だった。
 彼は車イスに取り付けたカメラで撮った写真を展示していた。僕が観たいと思ったのはその視線だった。

 
 視線。世界にはいろんな細部がある。多角的なものの集合体としてこの世界≒時間は存在していると思う。物語でもある大きな出来事があったとしてそれを<事実>だとするならばそれを体験した人や見聞きした個人の中で同じ出来事でも違うものに、違う感じ方で細部が異なる。それは個人における<真実>であり、出来事の細部は異なる。その集合体が今僕らがいる場所だ。


 僕が好きで尊敬している小説家の古川日出男作品にはいろんな動物たちが出て来る。犬、猫、鴉、豚や猪を始めてとして異系の魔物だったり人間の視線とは違う時間軸がある。そうやってレイヤーが重なった先にある物語には時間が流れている。それは偽史みたいな世界小説だ。僕は時間というものに幼少期からある意味で囚われている。だからこそ様々な視線という個別な時間は気になってしまう。



 古川さんの代表作であるメガノベル『聖家族』が新潮文庫から上下巻で発売。サグラダファミリアをライバル視したと古川さんがいうような時間を巡り、家族を巡り、東北六県を巡る。大きな物語、鳥居の先にはなにがある?


 神崎さんの写真の展示はカメラが捉えた高さにあってそのまさしく視線を追体験できるような感覚になる。もちろん展示でそれは狙いとしてあるわけだがそれ故にカメラに気付いている撮られている人の視線も追体験することになる。写真の展示というのは不思議なものだなあと思う。
 先週ワタリウム美術館で観賞した斉藤陽道写真展『宝箱』を観た時も写真を観ているのに望み込まれているような結局のところ自分の内面を観るはめになってしまう、はめというのは違うのかもしれないけど他者の視線が撮った世界は自分の中に入って咀嚼しながら返って来るんだなと思っていた。
 写真展「Our Street View」というのはまさしくその通りなんだろうなと腑に落ちた。あと神崎さんの知人の笠原さんという方もいらしたので三人でいろいろと話をしていた。
 こうやって観に来た人といろいろと話すのはかなり精神的に疲れるだろうなと、あとまったく知り合いでもなく写真展を観に来る人との会話はどこに向かうかもわからないし、技術的なことやどうでもいいような会話にも付き合わないといけないから疲れるわこれはと思った。


武山友子写真展『甘い憂鬱』
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2014/01_shinjyuku.htm#04
写真展内容
午後の夕立、明け方の青、旅先の部屋、……
写真に写ったのは私自身なのだと思う。
どこか孤独を感じている。
だけど、誰も私の孤独を知らない。

カラー30点(予定)。(ニコンサロンサイトより)


 お隣で同時に開催していた武山さんの写真展を観に。
 色彩の感じが何かに近いなあと思って写真を見ながら思いだしていたのはグザヴィエ・ドラン監督『わたしはロランス』を観た時に感じたようなもの。西洋的なビビッドな感じに近いのかなと思ったりした。日常の写真だけど幻惑的なものが漂う感じはその色彩にあるのかもしれないなあとか思いながら。
 武山さんが在廊されていたのでお話をさせてもらったらこれはどこどことわからないように意識されたらしい。固有名詞を排除するというのはゼロ年代的な景色の感覚の延長かもと思ったりしながらいろいろとお話をさせてもらって、神崎さんと武山さんと笠原さんと一緒にご飯を食べに行った。


 こうやっていろんな繋がりができるのは面白い。





逆行過ぎた。


 お二人の展示は2月3日まで!