Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年2月16日〜2024年2月29日)

2月上旬の日記(2024年2月1日から2月15日分)


2月16日
上旬分の日記をアップして1時過ぎに寝る。この二週間ほど精神的に安定していなかったというか、思いがけないことが起きると中々いつも通りにはできないし、荒れた海原がやがて凪になるのをただただ待つしかないと思い知らされた。
時間は過ぎる。そのことを待つ。だけども、状況や気持ちは日々変化していくから待つだけでも難しい時もある。
三週間前に友達は急に倒れて、翌朝に亡くなった。まだ一ヶ月も経っていない。実際に僕が亡くなったことを知らされてからは二週間少し、付き合いの長さといろいろと話したりしてお互いのことを知っていたことだけでも僕には彼女のような友達はほとんどいない。
僕は人生の半分以上を東京で生活しているからほとんど東京の人なんだと思う。ここで出会った人たちとの関係性しかないともいえる。生活する場所とそこでの関わり合いで人は生きている。地元にちょくちょく帰ってそこの友達ともよく連絡を取ったりする人なら、多少離れていても関わりは薄くはならないのだろうけど、僕はそういうタイプではない。地元の友達や同級生というのはもう知り合いと友達の間ぐらいのものになっている。
結局のところ、僕の東京生活の一部が失われたというのがいちばんしっくりくる。そういう関係性は作ろうと思って作れるものでもないし、20年以上長く続くぐらいには僕らは友達として居心地がよかったし馬も合った。それはどこかを探したら見つかるものでもないから、どうしようもない悲しみを連れてきて僕は途方にくれる。


起きてから少しだけ宮内悠介著『国歌を作った男』を読む。宮内作品はわりと好きで読んでいるけど、今作はゲームに関わる短編集ぽかったので気になってちょっと前に買っていたもの。

リモートワークを始める前にスマホで確定申告をやる。二、三年前からスマホでやるようになった。それまでは青学近くの会場に行って設置されているパソコンで記入してプリントアウトしたものを提出していたのでちょっとイベント感があったのに、なんかそこに行ってもスマホでやってくださいみたいになってしまった。
会場ではお年寄りにも説明していたけど、どう考えても無理だろ、としか思えない光景だった。チケットの電子化同様にある世代以上には難しいし、スマホありきっていう発想ってそれができない人を排除していく暴力にしか見えない。というか暴力でしかない。
首相官邸のご意見メールみたいなやつに意見を送ろうって新TwitterことXで誰かがポストしていたので、マイナンバーに銀行口座紐付け反対って話だったけど、裏金という名の脱税している政治家は当然ながら追加徴税して政治家は辞めさせた上で、政治家の資金の流れはウェブなどで国民が見れるように透明化する。当たり前だが政治家は公僕なので彼らの給与などは税金なので国民がそれを知っている必要があるし監視もしないといけない。そうしていないからやりたい放題になっている。そういうことをしてからマイナンバーと銀行口座の紐付けとかの議論をするべきだと送った。
多くの人が意見は送ったからといってプレッシャーになるかわからないけど見てるぞって伝えるべきだし、そもそもちゃんと選挙に行くしかないんだけど、何十年に渡って諦めを完全に彼らに植え付けられているから行かないために投票率は下がっていき、組織票を持っている自民党公明党とか統一教会のがんばりで彼らが勝ってしまい、彼らの思う壺になっている。
と伝えたところで投票に行かない奴は行かないし、それで税金上がりまくって生活苦しいとかいうのはマジで愚の骨頂なのだけど。それは左でも右でもない、当たり前のものが奪われていく、奪われてから取り戻すのは難しい。ちゃんと第二次世界大戦での敗戦の理由とかその際のメディアのプロパガンダとか学校で教えろよと思うが、まあ、そんなちゃんとしたことを権力側が教えるつもりはないだろうけど。


講談社繋がりになってしまうが、昼休憩の時に「メフィスト賞」特集の『本の雑誌』を買った。ペラペラとめくってみたけど、思いの外特集ページあまりないような気がするんだが。
今月末〆切の「メフィスト賞」はどう考えても間に合わない。毎度お決まりのパターンになりつつある、2月末〆切のメフィスト賞出せそうにないので3月末〆切のハヤカワSFコンテストに出せればモード。内容的にSFぽさはあるから応募はできると思うけど、長さも内容もだいぶ変える感じだなあ。もう、いろいろと進展できていない。

【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー 


クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』試写のお知らせが来た。IMAX特別披露試写会という形で二回だけやるみたい、最初の日はもう仕事で絶対に行けない日だったのでどうにもならないので諦めた。もう一日の最終日は行ける。
ただ、場所が全然馴染みがないというか行ったことのない所だった。予約だけソッコーでしたからたぶん観れるはず。

 

去年の「20000」をザ・スズナリで観てほんとうもおもしろかったので待ちに待っていた本多劇場でのダウ90000の単独ライブ。
亡くなった友達と去年やった「20000」をザ・スズナリに観に行って、次はタイトルは「30000」で本多劇場で開催というアナウンスが出ていた。チケット取れたら行こうと話していた。取れるかはわからないけど先行抽選を申し込んだ。

 

2月17日
日付が変わって寝落ちしたが、すぐに目が覚めて25時過ぎから10分遅れぐらいで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoのタイムフリーで聴く。先週の『赤えんぴつ in 武道館』について放送中はずっとバナナマンのお二人がリスナーからのメールも紹介しながら話していた。
音量を絞ってPC画面の光量も絞って横になって聴いていた。その間は眠くならなくて、最後まで放送を聴いた。この番組はいつも朝の作業中に聴いているから、ほぼリアルタイムで聴いたのは初めてかもしれない。


武道館ライブの本編最後でゲストのトータス松本さんが『笑えれば』を歌ったのを聴いて、ほんとうにいい曲なんだって泣きそうになった。


8時過ぎに起きてから頭を起こすために散歩へ。『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きつつ代官山蔦屋書店まで。イーユン・リー著『千年の祈り』を買ったのは前から気になっていたのと、タイトルになんか惹かれたから。
バナナマンの赤えんぴつ武道館ライブや福岡では博多華丸・大吉による福岡PayPayドームでの華大どんたくや『有吉の壁』のリアルライブイベントが有明アリーナであったし、明日はオードリーの東京ドームがある。
芸人さん関連のライブイベントが以前よりも一つデカい場所や箱でやっている感じは、なんか単純にすごいなっていうのと何かの終わりなのか始まりみたいなものなのかって思ったりもする。
三四郎の二人は『有吉の壁』ライブに出演していたのでそのことをフリートークで話をしていた。お笑い好きでいろんな芸人さんが好きな人はこういう大きなイベントが立て続けだから飛び回って楽しんでいるんだろうな。

TwitterことXで「くも膜下出血」に関するエッセイ漫画がバズって広がっていて、そのことに関するポストがトレンドに入っていた。とりあえずそのエッセイ漫画を読んでみた。
亡くなった友人の死因はくも膜下出血だったが、脳卒中の原因のところでは高血圧や糖尿病と同じように、「食事」「運動不足」「喫煙」「過剰な飲酒」という生活習慣が関係していて、遺伝的な要因もあると書かれていた。ほかのものでは40歳以上の女性に多いというのも見た。確かに友達はいろいろとそれらで重なる部分があった。
生存率は初回の出血で50%が死亡すると調べると出てくる。半分の確率というのは思いのほか高い、何らかの症状が出ていて病院に行っていればかなりの確率で助かっていたはずだけど、こればっかりは後から何を言ってもどうにもならない。
この漫画エッセイが広くリポストされているのだから、何らかの症状が出たりしたらすぐに病院に行って診察してもらって、放っておいてのちに急に倒れてしまって亡くなるというケースが少なくなることを僕は願うことしかできない。

今日中に提出するライティング作業のことについてこの数日考えているけど、なかなかよいものが出てこない。昼過ぎに数十分だけ昼寝をした。このところ横になるとすぐに寝たくなっていて、睡眠を貪っている。冬季うつな気がする。
起きてから作業を開始。浮かんでいることがちょっと弱いから、唸りながら書いては消していく。

明日の『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』の翌日の月曜深夜のオールナイトニッポンCreepy NutsがAdoの代わりに出演するらしい。
めちゃくちゃうれしいけど、この時期やタイミングでピンチヒッターということならやはり四月からのAdoの後に復帰とかはないのかなって思ったり、そもそもすでに世界的にブレイクしているからそれはないのだろうけど。
オードリーの東京ドームの翌日に彼らのラジオに影響を受けたCreepy Nutsの二人が電撃的に一夜限り復活してラジオをする、というのはすごくいい。

 

2月18日
昨日散歩の帰りに代官山蔦屋書店近くのサミットでイカ墨パスタを買って帰った。前から何度見ていて気になっていたけど、今まで一度もイカスミパスタというものを食べたことがなく、イカ自体もたくさん入っていたので食べてみたかった。
晩御飯で食べたのだが、その後、深夜帯に入るころにトイレに行って大をしたら気持ちいつもよりも便の色合いが違うような、かすかに緑っぽいような、なんかイカ墨を食べるとこうなるのか。ネットで調べてみるとイカ墨とか真っ黒い食べ物を食べると腸内細菌で悪玉菌が増えて茶色や緑色の便になることがあるらしい。人体の不思議。


14時まで作業を、頭がほとんど動かなくて進まなかったけどタイムアップで家を出る。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のライブビューイングをLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で観るために渋谷へ。
もともと東京ドームイベントが発表された時に行きませんかと誘ってくれた料理研究家の友達(NHKきょうの料理』に出るぐらいちゃんと売れてる)と一次から三次先行まで二人分チケットをどちらも申し込んだけど、取れなかった。でも、その日は空けといて久しぶりに飲もうって話になっていた。
その友達が今回のライブビューイングチケットを取ってくれたので、開場前にPARCOで待ち合わせして地下の寿司屋でのんびり食べて飲みながら、数年分の近況報告をした。Xではずっと繋がっていたし、お互いにラジオで好きな番組とか彼の出身である福島県の著名人でもある佐久間宣行さんの番組(アルピーの平子さんとのやつね)とかも見ているのでそういう話題はXやDMでしていたので久しぶり感はさほどなかった。でも、実際に会うのはコロナ前に飲んだ時だから5年ぶりぐらいだった。
40代を越えて東京で生き延びたおじさん(僕は未婚で子供なしと彼は既婚で二児の父)同士は環境とか立場とかは違うけど、価値観や嗜好はかなり近いし、同じ業種ではないからお互いのジャンルで言いたい放題できる部分がわりとあったので楽しく飲んで話せたのがうれしかった。

名前がLINE CUBE SHIBUYAになってからは初だったし、僕らの席は三階席だったが角度もあったため、スクリーンもかなり見えやすかったのでなにも問題はなかった。周りにはグッズのユニフォームを着ていたり、タオルとかを持ってきている人もたくさんいて、リトルトゥースの熱量を直に感じられた。
僕は四年ぐらいしか聴いてないからリトルトゥースと言いにくい感じは正直ある。毎週聴いているけど、長年聴いている熱量のある人たちがたくさんいるのがわかっていたのもちょっと関係していた。もちろん一人で聴いている人たちもたくさん来ていただろうし、友達同士で来ている人もいたし、男女も偏りはほとんどなかったと思う。年齢もバラけていて、大学生ぐらいから僕ら40代や50代というオードリーの二人に近い世代もいて、客層がかなりバラエティで豊かだった。
オードリーの東京ドームイベントに関しては、ラジオのイベントだしそもそもラジオ聴いてないとわからない話ばかりではあった。僕ぐらいでも十分わかるネタばかりだったのでこの数年で聴いている人なら問題はなかったと思う。
東京ドームとLINE CUBE SHIBUYAと全国の映画館でのライブビューイングと同時配信視聴者を合わせると16万人ぐらいがひとつのラジオイベントを楽しんだということがすごいし、集客力もだけどやっぱりグッズをかなりみんな買っている。普段タダで聴いているラジオだから、みんな課金したい。ちゃんとお金を払いたいと思っているというのが伝わってきた。これがたぶんすごい大事なことで、番組が継続する大きな力になっていくはずだ。
基本的にはいつものラジオの構成で、フリートークが若林、春日でそれぞれ一本ずつ、若林さんが体力作りも兼ねてウーバーイーツをやっていた話、春日さんが高校時代にいっていた長楽のポークライスについての話と実際に自分で作ったのを若林さんに食べてもらっていた。キサラのものまね芸人さんたちが要所要所で出てきたり、春日さんの新車ベンツを実際に持ってきたり、ラジオ聴いていると笑っちゃうことをしっかりやっていた。
ラーメン屋の煮卵は嗜好品だから春日家では注文させないという問題に、奥さんとも仲がいい家族ぐるみの付き合いのフワちゃんが煮卵の権利をかけて、実際のプロレスリングで春日vsフワちゃんをやった。映像に映った瞬間にしっかり鍛えてるなってわかる体にフワちゃんがなっていて凛々しかった。なんだかんだいってもフワちゃんは華がある。
あとこれで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』は4月以降も継続するだろうなって、オールナイトニッポンブランドはイベントをこの数年でどんどんやるようになったけど、そこでの貢献度というのもかなり番組継続には作用しているのだろう。いや、それが当然なのであって、尚且つラジオとしての人気も必要になってくる。
フワちゃんもあのちゃんも続けているからというのもあるし、ラジオが好きなんだろうなってわかるぐらいにトークもおもしろいし、始めた時よりもラジオパーソナリティーとして存在感が増してより魅力的になっている。もともと話せる人やおもしろいことを言えたとしても、オールナイトニッポンブランドで毎週やることの経験値がハンパないのもよくわかる。
イベント翌日の月曜深夜はリトルトゥースの申し子であるCreepy Nutsが一部の時間帯にAdo休みによる代打出演、そのあとの「0」はフワちゃんなので、深夜帯は東京ドーム話になるんだろうと多くの人が思っているはずだ。この辺りも含めてやっぱりイベントでの集客と利益も出して、ガッツリ話題を作って持続するやり方をニッポン放送がやっていると思う。火曜深夜は星野源さんの番組があるし、土曜日のオードリーまでその熱は続くことになる。ちゃんと熱は続く。
プロレスのあとは若林さんが自分のターンテーブルでDJ.WAKAとしてプレイをして、Netflix『Light House』での星野源さんとのコラボ曲を披露しようとすると星野さんが登場して大歓声、LINE CUBE SHIBUYAも大盛り上がりだった。星野さんがラジオとかでもこのイベントには出られないと前から話していたこともあったからゲストで登場はデカい。二人で『Orange』をやってYouTubeとかにも上がっている『Pop Virus』コラボ東京ドームバージョンを披露していた。
ラジオやそれぞれの活動などの伏線が一気に東京ドームで回収されていく感じもあり、最後は東京ドームで二人の漫才。僕は熱量の高いリトルトゥースではないけど、ライブビューイングでこの光景を見れたことはうれしかったし、こういうものを見れたことでもっとラジオが好きになっていくんだろうなって感じた。

松本人志の文春報道前から東京ドームイベントは決まっていたけど、出川哲朗生誕祭の横浜アリーナバナナマン(赤えんぴつ)の武道館、博多華丸・大吉の福岡PayPayドーム、『有吉の壁』の有明アリーナ、このオードリーの東京ドームとライブ動員できる芸人の時代になったと感じる。そこでマネタイズしないといけないということもあるのだろうが。今年に入ってから上記のかなり大きなキャパでのお笑い系のイベントが立て続けに公演されたというのは分水嶺になるのだと思う。
松本人志という師弟関係ではなく学校から芸人になって、天下を取るというスタイルと、それに憧れたフォロワーたちによる時代が平成は続いていって令和になって瓦解していっている。
結局「ニン」が時代とその人に合っているかが大事になっているのだろう。その「ニン」が伝わりやすく、「みんな」ではなく「あなた」に向けて届けるラジオを長くやっている人たちがより人気も増している気がする。やっぱり、松本さんが『放送室』を続けていたら、違う流れもあったのかもなと思わなくもない。
終わってからはマークシティ近くの大学生ばっかりな焼き鳥屋で飲んで話した。友達は家族だとファミレスになってしまうから、こんなにうるさくてガヤガヤした居酒屋最高だなって楽しんでいた。お互いにフリーランスの仕事もやっているし、その立場だからこそ話せることがいっぱいあった。なんだか話したいことも聞きたいこともまだたくさんあるから、東京にしがみついていたいなって思った。

いつもの緑道をSpotifyでこの曲を何度かリピートしながらほろ酔い加減で歩いて帰る。

 

2月19日
中目黒ブックセンターが3月に閉店 駅チカで親しまれた総合書店 - KAI-YOU

リリー・フランキー著『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』が本屋大賞を受賞した2006年には僕はこの中目黒ブックセンターでバイトをしていた。
本屋ということなら、文教堂書店三軒茶屋店でもバイトをしたことがあったけど、そちらはとうの昔に閉店していて、中目黒ブックセンターも閉店となればバイトしたことのある書店がどちらも消えることになる。
東京のわりと中心部に住んでいても書店がどんどんなくなっていて、欲しい本を買うのが前より難しいというか店がかなり限られてくるようになっている。
僕は書籍という形で欲しいので電子書籍はほぼ買わないし、本屋に行くのが好きだからできるだけ気になる書籍は買うようにしているが、微々たるものだ。無くなったらもう復活はしない。いろんなものが経済的な理由や後進国になってしまったことで失われていく。

春日家に平和が訪れたところで、ステージにDJブースが登場。若林がDJとなり、オールナイトニッポンのTM曲「ビタースウィートサンバ」に番組の名言をミックス。さらに、 TRFの名曲「EZ DO DANCE」にDJ KOOの名言をミックスさせて次々と披露するなど、華麗なDJプレイでリトルトゥースを魅了した。

そのまま次の曲にDJプレイは続くのだが、星野源の「Orange」(※星野と若林によるトークバラエティ『LIGHTHOUSE』主題歌)が流れ始めたかと思いきや、ステージに星野源がサプライズ登場。会場から驚きの大歓声が上がる中、星野の歌声が会場に響き渡り、同楽曲にfeat.MC.wakaとして参加している若林のラップも初披露された。

『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』ラジオ界史上最大規模! その挑戦に、合計16万人が歓喜の番組15周年記念イベント!<イベントレポート>

写真がたくさんアップされているので読み応えもあるし、状況がわかりやすいレポート。

9時からリモートワークを開始。低気圧のせいなのか、なんかすごいダウナーなモードでやる気が起きねえ、だけどなんとか終わらせないといけない作業だけは終わらした。


リモートのほうだけじゃなく、個人のライティング作業も遅れ気味になりつつあるものがあるので、やろうとは思うけど集中力が持続しない。なぜかと考えるとあることで引っかかっている部分があるのは頭ではわかっている。それでも明日には出さないとダメだろうなと思いつつ、仕事が終わってから外に出た。
ニコラに行って文旦とホワイトチョコ、マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。雨はほとんど降っていなかったので行き帰りで濡れなかった。
早く寝てしまって、早く起きて作業をすることにした。

 

2月20日
山田裕貴、4月から『オールナイトニッポン』月曜“1部”を担当!「リスナーさんたちのおかげで人生が変わっているような気がしています」

山田裕貴なのか、わかるよ、この間も横浜アリーナのイベントも成功させてたし、でも彼の担当は「X」だから「0」を現在担当している誰かか、あるいはレギュラーではない人の大抜擢だと思ってた。
星野源菅田将暉Creepy Nuts―Ado―山田裕貴だから、基本的にはミュージシャンと俳優というのがこの2016年から現在までの月曜一部ラインになっている。
山田さんがブレイクして俳優としても知名度も格も上がったのもデカいのだろう。大河ドラマで共演した嵐の松本潤がサプライズゲストで登場したりもしたし、大作とか話題作に出演するのでそのラインで普段ラジオに出ない俳優をゲストで呼べるというのも宣伝も兼ねて彼ならできるという部分はあるはずだ。
総合的に見ても納得でしかない。ただ、普段彼のラジオを聴いていないので、一部昇格して何回か聴いてみて、聴き続けるか決めようかな。

日付が変わってから寝たけど、ほとんど時間の経っていない1時30分過ぎに目が覚めたのでradikoでリアルタイムで『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴き始めた。上記の山田裕貴が一部昇格は7時過ぎに起きてから友達のDMで知ることになったし、山田裕貴Creepy Nutsの二人のところに来てトークしていたのは開始すぐの頃だったのでこの時は聴けてなかった。
聴きながら寝落ちした。起きてから4月からの月曜一部に山田裕貴昇格ということを知り、作業を始めてからもう一度タイムフリーで聴き直した。
『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』についてリトルトゥースな二人が触れるのかなと思っていたが、ほぼ触れずにレギュラー時代と温度感もテンションもあまり変わらない感じで二人のトークをやっているのもなんかうれしかった。
その後の『フワちゃんのオールナイトニッポン0』は家を出てから聴いたのだけど、冒頭で放送終わりのCreepy Nutsの二人がやってきて懐かしく感じる丁々発止なやりとりをしていて楽しかった。同時期にオールナイトニッポンやってたとか仕事で絡んだりすることもあるから同志であったり友達感があるのが伝わってくる。


気温が20度近くて春通り越して夏に近い暑さになっていて、渋谷に行くまで久しぶりに汗をかいた。副都心線新宿三丁目駅で降りて、紀伊国屋書店へ。
島田雅彦著『散歩哲学 よく歩き、よく考える』という新書が出ていたので購入。いつも散歩というか歩いているので、ここでいう哲学がどんなものなのか気になったので。


先週はモノノフな二人と観て、今日はいつもロロを観に行く友達と紀伊國屋ホールで『最高の家出』を鑑賞。
紫カラーを身に纏った人たちがたくさん来ていて、主演で座長の高城れにはほんとうに愛されてるなって改めて思った。同じ舞台を上演中に二回観ることあんまりないから物語の展開はわかっているので、今回は構造を把握しようと観ていた。
劇中劇的な「模造街」である夜海原商店街があり、外からやってきた主人公の箒やその夫がいる現実の世界がある。夜海原商店街を舞台にした劇は箱庭的な世界で外部と遮断されている。そこから外に飛び出してきた(家出してきた)港から住み込みで働ける場所を紹介された家出中の箒は劇場に辿り着いて演者として舞台に出るようになる。そこには外の世界に出たことのない主演女優のアハハがいる。
港はやがて外の厳しさを知って帰ってくる。箒も再び外に出ていく、という「行って帰ってくる」という物語の基本構造はある。そして、外に出たことのないアハハは箒と共に始めて舞台のセットの外側に出ていく。これは家出とも言える。二人がたどり着いた場所は、という物語になっている。
2回目だと「夜海原」というワードだけで涙腺がゆるんだりするパブロフの犬状態になっていた。前回は一列目という近すぎる場所だったけど、今回は5列目ぐらいの左寄りの席だったので前よりは舞台の全体が見えたのもよかった。
役割を演じるということ、記憶と場所のつながりを描いている舞台だけど、一緒に観に行った友達は舞城王太郎風味は初期の頃にあったけど、今回は村上春樹風味を感じたと話していた。
村上春樹作品では主人公の「僕」の妻や恋人がいなくなり、物語が動き出して始まるというパターンが多い。今回の舞台はそのいなくなる妻や恋人の側の物語だとも言えるだろうから、そう感じたのかもしれない。


副都心線で二人の家の中間地点ぐらいな中目黒駅で降りてから目黒川近くのカフェへ。前回会ってから数ヶ月ぶりだったので二時間ちょっとお茶をして、今日の舞台の感想とか小説の話とかをした。
この一ヶ月で僕が起きたことも聞いてもらって、形にするとしたらどういうものがいいかと思ったらすごくいいアドバイスをもらった。それは思い浮かばなかったのでそのパターンで一回やってみることにした。


家に帰ったら小学館から封筒が届いていて、前に浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』映画化の際に声優を務めたYOASOBIの幾田りらとあのが表紙特集号を買った時に応募していたQUOカードが当たっていた。

チャッモンチー 『世界が終わる夜に』を歌うあのちゃん 


映画の主題歌は二人のコラボ曲が二曲とすでに発表されているけど、チャットモンチーの『世界が終わる夜に』のカバーでもいいかもって思う。

元々懸賞運はいいので最近だと『MIX』とこのQUOカードと二回送って二つとも懸賞当たっている。小さい頃から『コミックボンボン』とかでも京本政樹さんがやっていた京本コレクションのフィギュアとかにも当たってたりして、宝くじとか競馬は買っても当たらないけど、懸賞系とかチケットの先行抽選とかはわりと当たっている。
このQUOカード届いて思ったけど、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』感がまったくない。YOASOBIは世界でも知名度が広がっているし、あのちゃんもその可能性があるので、もしかすると世界市場で価値が出たりすることもあるのかもしれない。

帰ってから作業をする前にスケジュールを色々と変更。
気がついたら二月が残り十日になっていたのでこのままスケジュールで入れたものはこなせないので、自分のやりたいことを入れ替えたりして調整してみた。お願いだからもうこれ以上イレギュラーなことはしばらく起きないでほしい。心身ともに平常状態でいられないといろいろと詰む。

 

2月21日
昨日は春みたいな陽気だったのに深夜ぐらいから雨が降り始めたらしく、起きたら寒かった。仕事前のオンラインミーティングは今週はなしになったので、自分の意見とかを書いたものをとりあえず送った。この数日で書いたものが入っているといいなと思ったし、それを見たいと思ったから。
リモートワークを開始したけど、低気圧のせいなのか微妙に頭痛というかダルい、風邪とかではないのはわかる。この数年で気圧とかで軽い頭痛とかが起きている感じだ。やる気はなくても納期はやってくる。この状態でできることをとりあえず進めておく。


昼休憩の時にお昼ご飯用の惣菜を買うついでにTSUTAYAに行ったら、村上春樹著『中国行きのスロウ・ボート』の単行本復刻版が出ていた。文庫では読んでいるし家にあるけど、単行本だと安西水丸さんのイラストが大きいからいいなって。
僕は本家の『中国行きのスロウ・ボート』からではなく、古川日出男著『中国行きのスロウ・ボートRMX』を先に読んでから、オリジナルを読んでいる。どちらもある意味ではここではないどこかに行こうとはするがいけない、海の向こう側にいけないという印象がある。どちらも好きな作品。

本多劇場で公演をやるダウ90000単独ライブ『30000』の先行抽選が外れていた。25日が一般販売らしい、本多劇場の席数と彼らの今の注目度と人気を考えると取れるか微妙、たぶん取れない気はするけど、やっぱり前回のザ・スズナリで観たこともあるので、本多劇場で観たい。
リモートが終わってから〆切を伸ばしてもらっているライティング作業を開始。頭痛とダルさがなかったらもうちょっと楽なんだけど、なんとか提出してから寝る。

 

2月22日
起きてから朝活がてら資料読みをしようと思ったが、このところ小説とかが読めなくなっていたのでそちらを。ファン・ジョンウン著『百の影』と宮内悠介著『国歌を作った男』を読んでみた。『百の影』は最初の一編とかはポエティックさもあり、ハン・ガン著『すべての、白いものたちの』を読んだ時の感じに近いかなと思った。
明日が祝日で休みなので普段はリモートワークのない木曜日だけど、仕事を開始。外は強くはないけど雨が降っている。低気圧のせいなのか、微妙に頭が痛い。ちょっとでも横になったらすぐに眠れそうな気がするのでサボらずに椅子に座ったままで作業をやる。

radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をタイムフリーで聴いたら、佐久間さんも『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』を現地で観ていたのでそこで起きたこと、裏側の話をしていた。
著名人の人たちや関係者の人たちの場所で観ていたらしく、朝井リョウ加藤千恵西加奈子という小説家&Creepy NutsのDJ松永と同じところだったらしい。DJブースが登場した際に、松永がいなくなっていたのでサプライズだと思ったらトイレに行っていたらしく、戻ってきたという話をしていた。僕もライブビューイングで観た時にDJブースが出てきた時は正直松永が出てくるんだろうなって思ってた。
ずっとオードリーと仕事をしてきた佐久間さんからの視点でラジオの超特大イベントの成功について聴けたのもよかったし、ラジオという内輪話、そこだけの人にしか通じない言葉が広がって行って16万人がイベントを楽しんだことの凄さが改めてわかった。

ーー毎週一人で2時間のラジオとなると、ルーティーンのようなものができてくると思うのですが、1週間の過ごし方は変わりましたか。

都築:やっぱり休みの日ができると、ゆっくり休むというよりは「何かできるんじゃないか、どこかへ行ったほうがいいんじゃないか」と思うようになりました。元々インドアであまりアクティブではないんですが、外に行ったほうが何かがあるような気がして。そうして足取りが軽くなるのは間違いなくプラスなんですけど、やっぱりラジオが脳裏にちらつくのはちょっとだけ腹が立ちますよね(笑)。自分の後ろをラジオがついてくる感覚というか。

 普通に友だちとテニスをしに行ったり、旅行に行って美味しいものを食べたいだけなのに、電柱の後ろからラジオが俺を見てる。バレないようについてくればいいのに、俺の視界にちょっとずつ入ってくるんですよ。

ラジオ玄人の芸人たちから絶賛される『サクラバシ919』って? 木曜パーソナリティの四千頭身都築拓紀を直撃

ネクストラジオスター(ラジオモンスター)の一人である四千頭身の都築さんのインタビューがあった。彼の『サクラバシ919』は毎週たのしみにしているけど、この番組ではない他局で冠の番組とかもこれから先ありそうだし、そういうこともやってほしいなって思う。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #1 ゲスト:三代目葵マリー

アルピーの酒井さんと三四郎の相田さんのSpotifyポッドキャスト番組『83Lightning Catapult』はこの前再開するかどうかわからないと言っていたけど、アルピーの新しいポッドキャスト番組が始まった。これをやることは決まっていたから、『ライカタ』は終わったとかありえるのかな。


瀬田なつき監督『違国日記』試写状が届いた。公開までまだあるけど試写は早めに始めるということなのかも。とりあえず、3月中に観にいくつもり。原作の漫画は全部読んだし、これはみんなが推すのもわかるわって作品だったので、映画でどうなるか。

夜は月末にあるライティング仕事のために資料を読んでいくが、微妙に頭が痛いのは続いている。明日は雪が降るって数日前には天気予想が出ていたがズレたのか日曜日が雪かもってなっていたので、そこまで低気圧は続くのならしばらくは調子が悪いかもしれない。

 

2月23日

朝起きてから近くのセブンイレブンへ。最終金曜日なので朝日新聞古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されるので、月に一回の新聞購入。
今回最初に取り上げられていたのが、江國香織著『川のある街』だった。この本は発売してすぐの時にサイン入りを買っていたがまだ読んでいなかったのだけど、古川さんの時評を読んで読みたくなったので最初の数十ページ読んだ。江國さんのサイン味があるし、なんかいい。
朝活がてら月末の仕事のための資料を読んでいく。資料読みが終わってからその日までに提出する構成作業にかかるつもりだが、春眠暁を覚えずではないけど、文章読んでいると異常に眠くなる。

散歩がてら渋谷まで『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩いていく。冒頭でナイナイの岡村さんが乱入してくるという流れがあり、この番組にしては珍しい感じがした。ビックカメラの最上階のおもちゃ売り場に行ったら「隠密ガンダムエアリアル」が出ていたので買ってみた。
最近よくグーグルのディスカバリーに上がっていて気になっていた。プラモデルは去年からちょっとだけ復活というか作ったりする(SDガンダムオンリーだけど)ようになった。
組み立てるのも一時間程度だけど、最初にキャラクターのデザインがされて、そこからプラモデルにするためにパーツごとに成型されていき、主要な色ごとにわけられていく。それが大きな一つのプラパーツとなってパッケージされる。
購入した客はパーツごとにニッパーで切ったりして組み立てていく。完成させても色を塗らないでここまでのクオリティになるのに感心もするが、最初の時点でのプラパーツが子供の時よりも今の方が技術であったり、ある種の職人技で作られたものが継承されているのを感じる。


20時からニコラで扇谷一穂×山田俊二「20時にニコラで待ち合わせ」を観にいく。
山田からピアノを演奏して、扇谷さんがギターを弾きながら歌を、最後は二人で中村八大の『夢で逢いましょう』などを披露。なんだか気持ちがやわらぐ歌と演奏だった。お客さんの雰囲気もよかったし、どちらかのファンばっかりという感じではなかったぽいのもあのやわらぐ雰囲気になっていたのだと思う。

 

2月24日
起きてから昨日放送の宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』最新話をTVerで見る。このサムネで泣ける回とは思わなかったけど、物語の分岐が1995年であるのは正しい気がした。その年に起きた様々な事柄が現在に続くし、そもそも第二次世界大戦の敗戦から50年後だから。
ジャズとヒップホップは祖父と孫の関係だから仲良くできるしコラボできる、子供であり親である息子がファンクとR&Bだが、上とも下とも関係は微妙なところ。このドラマは昭和と令和を行き来する物語であり、今回五話で描かれた(明かされた)ことで平成の話は終わっているように感じられた。それは主要登場人物に関わる出来事だったから。


三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら渋谷へ向かう。小宮さんが迷惑メールとかの中にあった性交渉に関するアプリの話題の時に、「前まで合意がなかったみたいな言い方してるけど、同意がなかった時代なんてねえよ!」というド正論を言っていたのを聴いて笑ってしまった。
S・J・クラークソン監督『マダム・ウェブ』を鑑賞。お客さんは多くはなかったけど、キャストも女性がメインだからか、マーベル映画だけど女性客の方が多かった印象。
座席に座ったらなんかお尻が冷たいなと思って、腰を上げたらシートがどうも濡れているみたいで、劇場のスタッフさんに言って確認してもらってひとつ席をズラしてもらった。飲み物がこぼれたって感じじゃないんだよなあ、ちょうど座ったまま漏らしたんじゃないかなっていう丸い感じで濡れていたし、深く考えると嫌すぎるけど、帰ったらすぐにズボンを洗濯しようと思った。

マーベル・コミックスのキャラクター、マダム・ウェブを主役に描くミステリーサスペンス。原作コミックでは未来予知の能力でスパイダーマンを救う役割を担い、知性を武器にする点でもほかのヒーローとは一線を画するキャラクターとして知られるマダム・ウェブの若かりし頃の物語を描く。

ニューヨークで救命士として働くキャシー・ウェブは、生死の境をさまよう大事故にあったことをきっかけに、未来を予知する能力を手にする。突如覚醒した能力に戸惑うキャシーだったが、ある時、偶然出会った3人の少女が、黒いマスクとスーツに身を包んだ謎の男に殺される悪夢のような未来を見たことから、図らずもその男から少女たちを守ることになる。

主人公キャシー・ウェブ/マダム・ウェブ役は「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」「サスペリア」のダコタ・ジョンソン。キャシーが未来を救おうとする3人の少女を、「リアリティ」のシドニー・スウィーニー、「ゴーストバスターズ アフターライフ」のセレステ・オコナー、「トランスフォーマー 最後の騎士王」のイザベラ・メルセドがそれぞれ演じる。監督はテレシリーズ「Marvel ジェシカ・ジョーンズ」などを手がけてきたS・J・クラークソン。(映画.comより)

スーパーヒーロー離れが進んでいると言われている中で、新シリーズというか新しいタイトルの作品であり、特殊能力として未来予知を持つキャシーと彼女が主人公。彼女が見た未来予知で殺されてしまう三人の少女たちを救おうと奔走する物語となっていて、三人も元からの知り合いではなく、今回の件で友人になっていくが彼女たちを率いるというか導くのがキャシーであり、シスターフッド的な物語になっていた。
前評判があまりよくない感じだったが、スーパーヒーローもののひとつではあるが、ミステリーサスペンスというジャンルになっているため、ヒーローとヴィランの激しい戦いなどはない。
最終的にはマダム・ウェブとなるキャシーと三人もスパイダーマン的なスーパーヒーローになる未来が待っているという感じで終わる。

興行的にも批評的にも苦戦!? 『マダム・ウェブ』と『ARGYLLE/アーガイル』を褒めてみる【宇野維正のMOVIE DRIVER】 



宇野さんもYouTubeで触れているが、最後に描かれるその部分が正直邪魔というか、物語としてもそうしないといけない作品だけど蛇足感があった。
未来予知自体はキャシーがどうこうできるものじゃないので、急に見えてしまう、行動する前にビジョンが見えるというものなのだが、終盤のほうだと都合良すぎるというか動こうとするとバッドエンドになる未来予知がどんどん続くのでそれとは違う行動をすることで四人は死なないで済む。それもあってか、緊張感はなくなる。未来予知でわかっちゃうから死なないだろっていう。ただ、最後にマダム・ウェブになるビジョンは見えなかったってことなのかな。聞いているほどは悪い作品ではないけど、めっちゃ褒めるかと言われるとそうでもないっていう。
ただ、こういう作品もお客さんが入らないと続いていかないし、大作オンリーになってしまうし、その大作すら難しい状況になっていくので映画館で観るという選択は必要になってくると宇野さんも話していたが、ほんとうにその通りだと思う。

帰ってから洗濯物をガッツリ。明日は雪予報だけどそれまでに乾くのか。無理そうだけど、晴れているうちにできるだけ外で乾かしたい。
作業に入る前に、ライティング資料の読み込みを進める。21時から月に一回のライティング関係のミーティング。ミーティングで来月までにやる作業について話をしたのでこれで進展しそう。まだ雨は降っていなかったけど洗濯物を取り込んで室内干しへ。

サーカスナイト|ZAZEN BOYS × 七尾旅人 (2024.01.17 / うるさがた vol.3) circus night


先月LIQUIDROOMで観た「うるさがた vol.3」の最後のアンコールでのコラボ動画がアップされていた。

 

2月25日
日付が変わって2月25日。作家である古川日出男さんのデビュー作『13』が刊行された日なのでデビュー日で、去年は25周年だった。今日からは26周年目突入なのでお祝いメールを送ってから寝る。
古川さんからはお昼過ぎに返信メールが来て、書かれているメールを読んでもっともっと世界を、物語を歩行していきたいと思えた。お祝いメールを送ったのに、エールをもらったようでうれしくなった。


8時前に起きて傘を差してしつもの散歩に出る。代官山蔦屋書店まで歩いていったが雨はそこまで強くはないが傘はいるっていうぐらいの雨。
『オードリーのオールナイトニッポン』をraikoで聴きながら歩いた。東京ドームでのイベントについての話をわりと冒頭すぐから始めていたし、そこでの若林さんと春日さんのやりとりは達成感も感じられたし、あのすごい舞台を終えた余韻がまだ二人やスタッフや関係者、そしてリスナーを包んでいるように思えて、いつもよりもやさしい放送に感じられた。


代官山蔦屋書店では『ILLUSTRATION 2024』の刊行記念でいくつかのエリアで展示がされていた。僕はこのイラスト本を購入したことはないけど、毎年出ていると手に取って見たりはしている。
小説だけではないけど、書籍の装丁イラストでよく目にするようになるイラストレーターの人は年に何人かはいて、その画風やデザインが流行っているなとわかるような流れみたいなものがやっぱり書店に行って見ているとある。
森見登美彦著『夜は短し、恋せよ乙女』の単行本が出た時は装丁イラストが中村佑介さんだった。当時邦楽ロックを聴いていれば、アジカンのジャケデザインで中村さんのイラストの雰囲気は知っているぐらいだったと思う。
そんな中で書籍での中村さんのイラストは新しかったし、それまでの文芸のものとは違う、ライトノベルでもない新しい文芸のラインをあのデザインで提示することになったんじゃないかな。それが定番化しすぎてしまってイラストだらけになったのが現在ではあるので、正直この装丁すごいみたいに僕が反応するものはイラスト過多で減っている。

月末のライティング作業のための資料読みを進める。僕が生まれた頃の話だったりもするし、思いのほか頭に入ってきにくにい。昼ごはんを食べてからまた再開してなんとか夕方過ぎに読み終わった。これから構成作業に入る感じ。

19時から先日先行抽選で取れていたなかったダウ90000の本多劇場の単独ライブの一般チケット販売があったのでスタンバっていた。ちょうどにぴあにアクセスして日にも選んでぴあのパスワードを入力したら座席がないみたいな文字列が出て、リロードしたけど、全日程売り切れていた。これはどうにもならない。
ダウは今お笑いや演劇をちゃんと舞台に足を運ぶ人たちからしたら一番観たいユニットだし、人気もどんどんあがっていて一般、お茶の間に知られる手前になりつつあるだろうから、この機会に本多劇場で観たい人はかなり多いはずで、その争奪戦にやぶれてしまった。とりあえず、リセールには申し込んだけど難しいだろうな。

 

2月26日
朝起きて可燃ゴミを集積所に出しにいった少しの時間だけど、風がすごく強かった。部屋干ししていたTシャツやパーカーをすぐに外に出した。雨は降りそうにないし、風が強いのならパーカーの乾きづらい頭の部分とかもすぐに乾きそう。
資料読みは終わったので、構成するほうの原稿を一旦最初から最後まで読んでみて、そこからいらない部分や同じ部分とかを頭に植え付けるというか、馴染ませる。自分で文字起こししていないので、どの部分にどういう事柄があったのかがわかりにくいので仕方ない。
いつも通りにリモートワーク開始。昨日の放送だった『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAT NIGHT DREAMER』と土曜日の夕方のリリー・フランキーさんがゲストだった『川島明そもそもの話』も聴き終わっていたので、作業BGMとしてSpotifyのほうのPodcastで前にradikoでは聴いている『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のここ最近四回分と『あののオールナイトニッポン0』のここ二回分を流した。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年3月号が公開されました。3月は『ARGYLLE/アーガイル』『ゴールド・ボーイ』『デューン 砂の惑星PART2』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を取り上げました。


幾田りら×ano「デデデデ」主題歌ジャケットは浅野いにお描き下ろし、2枚並べて完成 

 原作者の浅野氏は、オーディションにはすべて参加し「あのちゃんは現場の雰囲気を一変させた」と即決だったと言うが、門出役が難航したそう。そんな中、プロデューサーから幾田の名前が出た際に「この組み合わせ以上のものはない。バッチリだと思った」とオファーしたと明かした。
 オーディションは2年半ほど前から始まっていたこともあり、浅野氏はこのタイミングでの2人のキャスティングに「すごく恵まれた」と満足げ。「お二人紅白出ているんですよ(笑)。オーディションの時、あのちゃんはもちろん有名になっていたんですが、ここまで有名になるとは思わなかった。幾田さんも、決まった後にYOASOBIの曲があれほど有名になって…すごいと思いませんか?同業の方に『どうやってこんなキャスティングしたの?』と聞かれるんですが、本当に巡りあい、たまたまなんです」と喜んでいた。

『デデデデ』幾田りら&あの、紅白コンビのW主演は「たまたま」 オファーした原作者も驚き「ここまで有名になるとは」

浅野氏の作品を初アニメーション化した本作。フォトセッションも終え、最後のコメントを求められた浅野氏は「ちょっと長くなります」と前置き、「足掛け5、6年、このアニメーション作業をずっと続けてきましたが、なかなか原作者と映像化というものの関係性というのはすごく難しいもので、なるべくノータッチでできるのであればいいなと思っていた」と、原作者としての立場から映像化にどれだけ携わってよいかという問題について向き合った。「蓋を開けてみると、もう、コンセプト会議から、脚本会議から、配役の会議から、アフレコ、そして曲、全て結局関わってきてしまうという状態になっていました」と制作に深く関わることになっていたと明かした。

漫画家・浅野いにお「原作者と映像化というものの関係性はすごく難しい」制作に深く関わった経緯明かす<デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション> 

同じ完成披露試写会での原作者の浅野いにおさんのコメントについて記事にしているが、ベクトルがまったく違う。原作漫画好きすぎるので、当然観に行く。
今までの浅野いにお作品の映像化って『ソラニン』『うみべの女の子』『零落』と僕が好きな作品ばかりだったけど、イマイチというか映像化してよかったことってアジカンが『ソラニン』という曲を作ったことぐらいしか浮かばない。
出来は悪くはないけど、さほど良くもないという原作ファンとしてはなんかもったいない感じがあるので、今作では期待している。このまま『おやすみプンプン』がアニメ化したりするかもしれない。『虹ヶ原ホログラフ』は10年前ぐらいに映像化していてもおかしくないミニシアター系な感じだったけど、企画が通らなかったのかもしれないとか思ったりした。
『デデデデ』のアニメ映画化が成功してくれたらいい。それで浅野さんの漫画ももっともっと売れてくれ。

昼休憩の時に外に出たら、風は依然として強くてどうも花粉が舞いに舞いまくっているらしくて、くしゃみが何回も出てしまった。寒かったり暑かったり風強かったり、どういう天気はもうわけわからない状態。
友達にLINEをした際に、亡くなった友達のアカウントとのやりとりを見たら、おそらくご両親が携帯電話の契約を解除したのだと思うけど、「Unknown」になっていてルームから退出になっていた。もう一人の友達とのグループも同様で3人だったけど2人になっていた。でも、facebookでは彼女のアカウントは残っていて、ご両親もそこまで知らないだろうし、アカウント削除するというそもそもないのかもしれない。
時折、スマホとか新しい番号にしたりする人もいて、「Unknown」になって退出する人もいるし、「人間関係リセット症候群」みたいにSNSとかのアカウントとかをすべて削除してしまう人もいる。そういう人はもう一回繋がるということもほとんどないのだけど、今回の場合は完全に彼女が使っていた携帯番号の契約が終わって、その番号と紐づけられていたものが解けたという形だということだけはわかる。
悲しみは日々少しずつ減っていくし、亡くなったことを考えない日はないけど、その濃さや深さはやわらいでいっているように思う。でも、こういう目に見える形だとやっぱり亡くなってしまったんだなとしみじみとしてしまう。


仕事が終わってからニコラでアルヴァーブレンドをいただく。明日は胃カメラの検査があるので夜は食事ができないので、一杯だけ飲んで帰った。

アートディレクター大島依提亜 知られざる映画ポスターの世界 

日本でA24が広まった理由のひとつは大島さんのポスターやパンフデザインだと思う。まずオシャレで他にはないものだったから目を引いたし、それがブランドイメージもあげていった。
単館系好きな人は何年も前からA24作品には注目していたけど、大島さんのデザインのポスターとかが効果的だった。僕は大島さんデザインなら興味ない映画でも観たりすることもある(当然外れることもある)し、わりとそういう嗅覚で反応している人はいるんじゃないかな。

The Weeknd, Madonna, Playboi Carti - Popular (Official Music Video) 



家に帰ってから朝やりかけていた文字起こししてある原稿の続きを読む。やっぱり四時間近くのものは文量がかなりある。今ある部分は三分の一ぐらいに短くするのでこれだけあると重複しているものや繋がりを考えて、まとめたりしてかなり削っていけそう。

 

2月27日

起きてから自衛隊中央病院で予約していた胃カメラの検査を受けにいった。今までバリウムは健康診断でやったことはあったけど、胃カメラは初めてだった。
カメラを入れる前に色々と説明を受けて、胃の泡をなくす薬を飲んでから喉付近の麻酔のための液体を飲み込まないようにしてガラガラとうがいした。すごくにがい。1分ぐらいやっていたら喉の感覚がどんどんなくなっていった。歯医者とかぐらいでしか麻酔をされないけど、なんだか痛みもなく死ぬ方法のひとつとして安楽死があるけど、最後にそういう死に方を選ぶ人が日本だとできないけど、海外にいるのもわかるような気がした。
すぐに検査室に入って横になって、口でマウスピースを加えて、口から内視鏡を挿入する形だった。喉から食道を通って胃の入り口に入るぐらいまでがほんとうにきつくて、ゴホゴホと咳き込んだりしたし、それで反射的に涙が出てきたりした。スタッフの人が背中をさすってくれて、呼吸のタイミングとかを教えてくれたのでなんとか耐えたけど、こんなにきついものだったのかと後悔し、早く終わってほしいとだけ思っていた。
寝転んだ先に胃カメラの機械やモニターとかがあって、メーカーがOLYMPUSでそのロゴを何度も見て、OLYMPUSが作ってるんだなって。モニターも目に入ったので胃に入ってから、呼吸も落ち着いてからは見たりできるようになったけど、自分の臓器の中を見るというのは不思議な感覚だった。
ピロリ菌感染しているかの確認もあったので胃の組織をつまむというのも何度かやったけど、それ自体には痛みはほとんどなかった。モニターで摘んだ部分から血が出ているのを見て、大丈夫なのとは思った。それも終わってから血が出た部分を守るために今日してはいけないこと(飲酒とかお風呂に入るとか、血流が良くなるとダメらしい)を説明されて、2回に分けてつまんだ部分を保護する飲み薬をもらった。
内視鏡で撮影した喉から十二指腸までの部分を見せてもらった。撮影した胃の部分ではピロリ菌によって胃粘膜がほんとうは赤い部分が白くなっていたりして、来週検査結果を聞く予定だったけど、ピロリ菌いますねとは言われた。今後は診察を受けてから抗菌薬などを処方してもらって一週間ほど飲んでピロリ菌がなくなるかどうかを診るという流れになるみたい。
抗菌薬を飲むのもいいけど、そのあとにピロリ菌がいるかどうかを確認するために胃カメラをまたやるとしたらそれだけがすごく嫌だなって思うぐらいには辛かった。
終わってからすぐに家に帰ってリモートワークの仕事を。

時間は連続しているのか、世界はほんとうにあるのか|早瀬耕 インタビュー

仕事中はradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』と『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていた。
空気階段の踊り場』のあとにSpotifyでのポッドキャストでアフタートークも聴いてみたが、鈴木もぐらのフィリピンひとり旅のエピソードトークを聞いていたら、早瀬さんの『未必のマクベス』のことを思い出した。この取材の時に初めて早川書房に行ったはずで、「monokaki」ではわりと早川書房関連のインタビューしている気がする。


夕方に一息ついていたら佐久間宣行著『ラジオパーソナリティ佐久間の話したりない毎日~佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2022-2023~』サイン本が大盛堂書店に入荷したとXにポストされていた。
休憩がてら渋谷に行ってお店に入ると残り一冊だけになっていた。発売日が29日になっていたからサイン本は先に書店に並ぶ形だったのかもしれないが、これが売り切れていたら無駄足になるところだったのでラッキー。帰ってからアルコ&ピースとの特別対談だけ読んだ。

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション DX COMPLETE BOX』は完全受注生産で全7巻&BOXセットで浅野さんのサインとシリアルナンバー付きで約5万らしい、価格は高いけど8月末に支払うと考えれば、しかしうーむ悩みどこだ。浅野いにおファンとしては絶対買いではある。
村上春樹著『『街とその不確かな壁』』特装版も10万だったし、これから漫画も小説もこういう特装版とかスペシャルバージョンは増えていくかなって思ってるんだけど、そこまで増えている感じはまだない。

「『リバーズ・エッジ』は当時、読んでたけど、正直怖かったです。怖いというか、なんでしょうね、その頃、自分で読んでたマンガは『笑う大天使』や『動物のお医者さん』とか、わりと平和な作品が多かったんですよ。だから岡崎さんのマンガのような胸がえぐられるような、人間の心の深いところを描く作品って、馴れてなかったせいもあって衝撃でした。だって、私当時、ものを知らない17歳でしたから(笑)。今回、改めて読み返してみて、名作だなと思いました。

 でも私が(CUTiEに)出ていたせいか当時、岡崎さんのマンガに出てくる女の子みたいなんだろうって、思われてたみたいな感覚があって。あるミュージシャンの人が「会ったら意外と普通の人だったって言ってたよ」って残念そうに言ってた雰囲気の話を聞いて、たぶんそういう期待もされていたのかもなって勝手に思っていました。直接はお会いしたことなかったけれど、人づてに「岡崎京子さんが『実和子、可愛い可愛い』って言ってたから、てっきり知り合いかと思ってた!」って聞いたことがあったんです。

岡崎京子作品『リバーズ・エッジ』『東京ガールズブラボー』も配信開始!市川実和子が振り返る90年代 


『dance alone(in,out) 〜岡崎京子さんのこと〜』 #1


『dance alone(in,out) 〜岡崎京子さんのこと〜』#2

岡崎京子さんの漫画の『リバーズ・エッジ』『東京ガールズブラボー』の配信が始まったらしく、当時『リバーズ・エッジ』が連載していた『CUTiE』でモデルをやっていた市川実和子さんのインタビュー記事がXで流れてきた。
僕は岡崎京子さんの漫画は純文学だと思っている。読み手の心の奥の方に染み込んできて侵食していく、岡崎さんという他者の存在を感じるし、そのことで自分の中のなにかが変わっていくから。そういう表現のことを僕は純文学だと思っている。『水道橋博士のメルマ旬報』連載中に岡崎さんについて書こうとしたけど、二回で進められなくなってしまったことがあったけど、その時の原稿はnoteにアップしている。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #2 ゲスト:三代目葵マリー

前回に引き続き三代目葵マリーさんがゲスト、すべてのエピソードが強い。次のゲストが映画監督の今泉力哉さんだと最後に発表されたが、このあと出るのすごい嫌だろうな。

胃カメラのせいか、胃の存在感がいつもよりあるような気がする。気圧のせいかまた軽く頭も痛い。いろいろとダウナーになりやすい一日だけど、夜は月末に提出するライティング作業の仕事の続きを進める。終わるかなあ、と不安にはなるけど、明日中には終わらしたい。

 

2月28日
起きてから昨日の作業の続きをした。閏年だから28日で2月は終わらない、四年に一度だから何かのサイクルが少しイレギュラーになりやすいのかもしれない。
リモートワークを始めた。今の会社は年度末が2月末なので今日明日と社員は大変そうだ。バイトの僕にはあまり関係がないけど。

作業中はいつもどおりradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流していた。
D.C.GARAGE」では平子さんが『オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム」を実際に観に行った話をしていて、売れる前から知っている付き合いというのもあるし、一緒に観ていた芸人たちの様子も話していたので、リトルトゥースも今回は聴くんじゃないだろうか。
爆笑問題カーボーイ」は爆笑問題が出たライブで吉本の芸人たちと飲んだことを太田さんが話していて、爆笑問題は今だに漫才をやっていてライブに出ていることで他事務所の芸人さんたちと交流もあるし、揺るぎない信頼にはなっているんだろうなって思える。太田さんに言ったことはラジオで話されてしまうわけだが。
星野源ANN」では前番組の緑黄色社会の『長屋晴子のオールナイトニッポンX』が終わることを話していたが、『EXITのオールナイトニッポンX』も終了するし、『山田裕貴オールナイトニッポンX』は一部に昇格するので、「X」だけでも3つは終了して枠が空くことになる。「0」は今のところ終了ということを言っている番組はないので、今回は「X」に新パーソナリティーがということなのだろうか。
「あのANN0」はいつもどおりの安定している感じ。『推しの子』のドラマとかの話はほとんどできないみたい、アニメ映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のことは話してはないけど、来月の公開が近づいたら話はするかもしれない。ゲストで幾田りらは来そうだけど、原作者の浅野いにおさんがゲストでもうれしい。

ランジャタイ国崎さんの権力(吉本興業松本人志)をいじる笑いとぶっこみ、正しすぎる道化師としての芸人の姿だなって。
ジョーカーだけがキングに対等に話せる(殺せもする)、王と乞食は表裏一体。差別があるから権威と階級が成り立ち、差別される主体が存在してしまう。日本では河原乞食から始まった芸(能とか)は権力に寵愛されるか迫害されてきた。『コードギアス 叛逆のルルーシュ』のルルーシュのように権力の外側から、あるいはスザクのように権力の内側から、革命や変革をもたらすものは現れるのだろうかと考えてしまった。
ジャニー喜多川問題と松本人志問題の決定的な違いはジャニーズのほうはメディアや広告なんかの芸能に関する様々なところが旧ジャニーズ事務所がもっていた利権を奪い合ってる。だが、松本人志問題ではそういう外部の人たちが吉本興業の利権を得れるわけではないので当事者たちの問題にしたがってるように見えるところだと思う。ハイエナのように利権を奪い合っている、そういう意味でも芸能という世界は一般的な世界の常識とは違うところで動いている人たちがいる、だからこそ常識の埒外のことがブラックボックスの中で起きていて常態化もしているんだと思う。

天気予報を見たら風が強くて晴れだったので冬用の薄い毛布を洗って干した。昼過ぎには乾いたので、もう少し厚めの毛布も洗って干したが夜には乾いた。風が強い人は厚手のものがすぐに乾くので助かる。
昼休憩の時に家賃を振込に銀行に行ったらくしゃみが止まらなかった。花粉が舞い踊って飛び交っているみたいだった。目はかゆいし、鼻はむずむずする。薬を飲んだり、花粉用のメガネをつけるほどではないけど、春先にかけてもっと花粉が飛ぶだろうから、これからしんどくなりそう。


TSUTAYAを覗いたら新潮文庫の新刊のところに安倍公房著『飛ぶ男』が出ていた。安倍公房が亡くなる前にパソコンで書いていて、フロッピーディスクに残っていた未完の作品らしい。こういうテイストの装丁で新潮文庫は安倍公房作品を揃えているのはいい。

世間から代表作(古川の代表作)と目されているだろう小説は、ある。だが自分がかなり思い入れを持っていた作品が外れていたり、ほぼ誰にも注目されていなかったタイトルが入っていたりする。その、ほぼ誰にも注目されていなかった、というか実感としては「誰にも読まれていないな」と感じていたのは『ノン+フィクション』で、この作品のことを私は、あとがきで、

〈この本は旅行記でありかつ短編集である、というのが実体にいちばん近い。エッセイ集を依頼されたが、いわゆるエッセイ集には全然なっていない。なにしろ小説として構想され、書かれ、雑誌に発表された原稿が四篇も収録されているし、さらに未発表の小説が一編。おまけに戯曲まである〉

と説明している。それはまあ、エッセイ集を頼まれたのにエッセイ集になっていないし、書名もノンフィクションと言い切らずに non と fiction の間に「+」の記号が入っているし、なんとも鵺のような存在なのであって、致し方なし。しかし……しかしだ。だからこそ「古川日出男の作品だ(要約不可能だったり越境的でありつづけたりする)」と言い切れるのではないか、とは、いまとなっては言い切れる。

古川日出男のセルフ解説>
【本流探索】わが四半世紀の自著10冊

古川さんの「セルフ解説」がアップされていて、ご自身が選んだ10冊のタイトル名が載っていた。たしかに『ノン+フィクション』は読んだことあるけど、古川作品で代表作という感じはあまりない。ノンフィクションということなら、『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ゼロエフ』があるけど、この作品を選んだことをご本人がこう書かれているともう一度読み返したくなる。

「福島芸術講」に古川さんが出品した『作文(一)〜(三)
こういう「作文」があったことを知らなかったので読んでみた。『ゼロエフ』で行ったことのある町の名前がいくつか出てきたことで親近感を感じた。今度福島に行くときはいつだろうか、きっとまた行くことがあるんだろうけど、行ったら行ったでまた歩きたい。
来月下旬には東大で「福島芸術講」成果報告会があるみたいなので行こうかなと思っている。

明日の取材までに前々回の取材の時のものをまとめて出すので、そのライティング作業を夜はやる。コンパクトにまとめる。こういうイメージでと前に言われて読んでいた書籍のことをイメージする。〆切はあるからとりあえず目の前の作業を終わらすことだけに集中する。でも、終わらないものは終わらない。

 

2月29日
起きてから昨日の作業の続きを始める。いつものオンラインミーティングを一時間ぐらいやってから、再度続きをやるが、昼過ぎまでには終わらない感じだった。
諦めて、渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町駅で降りてから今月からやっているライティング仕事で、今月3回目の文藝春秋社へ。約束時間よりも早く着いたので近所を時間つぶしで歩く。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を行き来で聴いた。「オールナイトニッポン0」の月から金までのパーソナリティーは4月からの改変も変わらないっぽい、今の時点で誰も終了というアナウンスがないから大丈夫だろう。
15時から文藝春秋社の会議室というか応接室みたいなところで19時までインタビューというか取材で、いろいろと話を聞かせてもらう。途中で地震があってちょっと揺れた。千葉の方が震源地らしかったが、最近は四国でも珍しく地震があったし、元旦の能登地方もかなり被害があったがその報道もかなりなくなっている印象があるが、地震が多いなと感じる。

19時少し過ぎて取材が終わってから、編集者さんと会社を出て駅に向かおうとしたら小雨が降っていた。帰ってから明日3月からのスケジュールを見直して、この取材のライティング時間を加えていった。
3月は今やっている構成関連のライティング仕事が二本終わってくれたらかなり助かるんだけど、どうなるのだろう。

今回はこの曲でおわかれです。
【公式】星野源×若林正恭『Pop Virus feat.MC.waka』

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年2月1日〜2024年2月15日)

1月下旬の日記(2024年1月16日から1月31日分)

 

2月1日
先月下旬の日記をアップしていたら一時を過ぎていた。最後に載せているCreepy Nuts菅田将暉による『サントラ』の動画を見ていたら涙が出てしまった。
寝ようと布団に入った。寝るのは怖い。目を閉じてそのまま起きなかったらと前から思っていたけど、友達が急に倒れて亡くなってしまったことでその恐怖が増したような気がする。でも、泣き疲れたのか、すぐに寝落ちしたが三時過ぎに目が覚めた。トイレに行きたいというわけでもなく、部屋が寒いわけでもなにか夢を見たわけでもなく、ただ目が覚めた。
木曜日は可燃ごみの日だからゴミ箱からゴミ袋を取り出して集積所に持っていった。外は寒くて、空は曇りだったけど雨がちょっと降りそうな夜空だった。起きてから雨は降ってなかったから、僕にそう見えていただけかもしれない。

7時に起きたけど、作業はする気はしなかったから寝転んだまま、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をタイムフリーで流した。ゲストはCreepy NutsのDJ松永だった。
日本という枠を飛び越えて世界で新曲がバズっている話もあったし、ラジオを辞めてメディアもほとんど出なくなったこともあったのかめちゃくちゃ喋っていた。それこそ松永だなって感じがしたし、佐久間さんとのやりとりはなんだかうれしくなって笑ってしまった。二人の波長というか信頼というか、歳の差もあるけど認め合えているからこそのトークの流れとテンポとテンション、その友達ではないけどわかっている者同士の温度感が心地よかった。

ラジオを聴きながら、僕は去年11月末に受けた健康診断の結果が入った封筒を出した。E判定で要検査になっていたものがあった。胃粘膜の萎縮の可能性があり、ヘリコバクター・ピロリ菌検査をしてくださいというものだった。
2月か3月のどこかで一緒に送付してもらった紹介状を持っていって診てもらおうと思ってはいたが、友達が急に亡くなったと伝えられたのに、それを先延ばしにはできないよなって。家から行けるところで消化器内科はどこがあるかなとネットで探していた。歩いてさほど遠くない距離に自衛隊中央病院があったのでサイトを見てみた。
紹介状があっても科によっては初診を受け付けられない場合があると書かれていたので、すぐに電話をして確認をした。消化器内科は問題なかったので来週行くことにした。亡くなった友達のお父さんが自衛隊勤務だったと聞いていたからそこにした。シンプルだけどそういう繋がりというかきっかけみたいなものが今は欲しかった。


9時過ぎに家を出て渋谷に向かった。1日は映画サービスデーで鑑賞料金が安くなるので二日前にはチケットを取っていた。26日から公開されているヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をもう一度観ようと思っていた。
東京国際映画祭、オズワルドシアターでの試写、26日の公開初日、今日とスクリーンで観るのは四回目になる。それほどにこの映画に僕は惹かれている。
平日の10時だがサービスデーというのもあってお客さんはそこそこ入っていて、客層は26日同様にファッションが好きそうな若い人が多めに感じられた。
冒頭の頃はモノクロだが、主人公が外の世界に冒険に出ていくとカラーになる。色彩を取り戻すというか、知るというか、彼女の服などの衣装、街の景色や船の内部なども凝ったデザインがされており、カラフルであるからこそ世界の開かれた可能性と暴力性を感じるものになっていた。だから、ファッションやデザインに興味がある人は間違いなく、惹かれるものがあると思う。
主人公であるベラは、自殺して命を絶った女性だったが天才外科医ゴッドウィンによって、妊娠していた彼女の胎児の脳を入れ替えられて蘇ったという設定になっている。だから、身体は成熟した女性だが、脳や心は胎児のものであり、精神は肉体の年齢とズレがあった。やがて、彼女はゴドウィンの屋敷の外に、世界を知りたいとい思うようになって飛び出していく。そこで自らの身体のことのことを知り、セックスなどの快楽や知識を得ていくことで成長していく。
創造主であり父でもあるゴッドウィンはベラが大事であるからこそ、屋敷から外に出ていないかないようにしていた。今作で出てくる主要人物たちはベラ以外は基本的に男性たちであり、誰もが彼女を何かで縛ろうとする。それは男性至上主義であり家父長制的なもので、女性は男性に従い、妻や娘は夫であり父の所有物という発想が根本にはある。
ベラは胎児から成長していく。その無垢さと未経験さによる発見によって、それらの男性社会的なものを蹴飛ばして蹴散らしていく。もちろん、フェミニズム的な映画であるが、女性だけでなく男性もその家父長制的な考えや役割を求められて辛い思いをしている人は世界中にいるはずで、主人公のベラを見ることでスカッとするだろうし、生き方すら変わるという人もいると思う。
ベラはセックスによって性的な快楽も知るが、自分の体は自分のものであり誰かに許可を取る必要などないのだと知り、その思いを言葉にしていく。私の体は私のものであり、誰のものでもない、というシンプルなことを。
同時にベラは本を読んで他者と語りあい、自分とは違う人たちとも触れ合っていくことで世界の複雑性を知っていく。そういう成長があったあとで、自分の秘密をゴッドウィンに確かめる行動を起こすことにもなる。
ゴッドウィンと教え子で彼女の成長を記録していたマックスにベラが「モンスターたち」という場面が後半には出てくる。だが、同時に彼女はゴッドウィンの行為を自分が考えた末に許し、彼のような医者になりたいと告げることになる。

僕は一度亡くなったベラ(ヴィクトリア)の姿を見て、昨日連絡をもらって亡くなっていたと聞かされた友人である彼女のことがよぎった。でも、彼女は自ら命を絶ったわけではない、それでも重なってしまう部分があった。
26日に観た時にはヨルゴス・ランティモス監督のブラックジョークやブラックユーモア、男性中心社会の欺瞞や女性を卑下する思想や言葉にベラは感じたままのことを言うことで強烈な皮肉となっていたシーンは笑っていたけど、今日はうまく笑えなかった。
そして、後半にベラが「モンスターたち」と告げてから一度屋敷を出て、ゴッドウィンを許すという流れまでのシーンでずっと涙が止まらなかった。
どうしてだろう、なぜ自分がこのシーンにここまで反応しているのかわからなかった。たぶん、ベラが自分で考えたことを相手に伝えて、尚且つこの先の自分の人生をどう生きるかを決めたという場面だったからだろう。もうそのことは亡くなってしまった友達がもうできなくなってしまった、ということなのかもしれない。
最後にベラが行う行為をどう受け止めるか、感じるかというものがあるが、自由を手にした彼女は同時に非道にもなるし、冷酷にもなれるという描写に見えた。自由とはただ賛美されるだけではなく、恐ろしいものなだということを最後の最後にヨルゴス・ランティモス監督は観客に突きつけてくる。だから、彼は信用できる監督だと思うし、彼が撮る作品なら観たいと思う。そういう信用があるかないかは非常に大きなものだし、僕には一つの判断基準になる。


東急百貨店本店は複合施設に建て替えられるため、元の建物を少しずつ解体している。通るたびに見ているがまだあの建物自体が無くなってしまって更地みたいな状態にはなっていない。
Bunkamuraコクーン歌舞伎とか何度も一緒に舞台を亡くなった友人と観に行ったけど、その建物すらなくなって違う新しい建物になっていく。
渋谷という街は戦争で破壊されたり、地震で壊れないから周期的に再開発をしてスクラップ&ビルドを繰り返してなんとか延命し続けている。だから、思い出を呼び起こす建物もだって生きている間に姿を消してしまう。それが悪いともいいともいえない。ただ、そういうものだから。

星野源 - 光の跡 (Official Video) 


亡くなった友達は2002年に出会った時からラーメンズバナナマンが大好きで、彼らの単独ライブにも毎回のように行っていてそのライブのDVDとかもたいてい買っていた。そういう繋がりもあって、バナナマンと仲のいい星野源さんの曲を流して帰りは歩いていた。
『光の跡』の歌詞がいなくなくなってしまった彼女を思い出させて、歩きながら泣いてしまった。もう、昨日から涙腺が壊れてしまって、なにかあると涙が出てきてしまって止めようがない。
なにか彼女について書き残したいと思って、彼女が住んでいた地域を舞台にしてもいいし、物語を僕なりに書きたいなと思った。なにかを残したいと今まで思うことはほとんどなかったけど、今はそう思う。

 

2月2日
スマホの目覚ましが鳴って起きる。顔を洗ってタオルで拭いて鏡に映った自分を見る。友達が亡くなったという事実がふいに僕の中で浮かんできて、喪失感と悲しみに襲われる。どうにもできない。このまましばらく涙腺は壊れたままでなにかと彼女のことを思い出すたびに涙が出てくるだろう。
人間の体は70%か80%ぐらいは水分でできていると聞くから、涙は枯れることはないだろう。それでも生きている僕たちの日々は続いていくからご飯も食べるし風呂にも入るし、コーヒも飲むしいつもと変わらない日常を送っていく。
作業をしたいけど、頭がぼんやりとしていた。でも、リモートワーク開始時間前には机に仕事用のノートパソコンと自分のMacBook Airを並べていつものスタイル。自分のPCではradikoを立ち上げていつも聞いている番組をタイムフリーで流した。


昼の休憩時間の時に外に出る。星野源さんの『光の跡』を繰り返して聴きながら歩いた。駅前のツタヤで大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 起 ―東京原爆編-』を漫画の新刊コーナーで手に取ってレジに向かおうと思ったら、スマホにメッセージが来た。
亡くなった友人のお母さんからで今度お会いすることになる日のことについてだった。メッセージを見ているとお母さんが通話ボタンを押したのか、電話が来たので取った。『東京オルタナティヴ』はとりあえず棚に戻してキャロットタワーの二階の通路部分に出てお話をした。
もう一人仲良くしていた友達から言われたこともあったし、もし可能であれば集合場所に集まる一時間前ぐらいに彼女が住んでいた部屋に伺えないかと聞いてみた。何度か遊びにおいでよと言われていたけど行っていなかった。家主がいなくなってしまったけど、その部屋を僕は見ておきたかった。彼女の居た景色をやその場所を。
お母さんはぜひいらしてくださいと言ってくれて、部屋には彼女の喉仏の骨だけは置いてあると教えてくださったので、手を合わせたいということともう一人の友達も時間が合えば一緒に伺っていいですかとお願いをした。
彼女は亡くなってすぐに火葬されてしまったから、僕らは最後に彼女の顔を見れなかった。喉仏の骨を見ても亡くなったという時間は沸かないかもしれないけど、それでも僕はその骨に会いたいと思ったし、会わないといけないと思った。
通話が終わってから、お母さんから彼女の住んでいた部屋の住所をメッセージで送ってもらった。すぐにもう一人の友人に電話をした。伺う時間のこともあるし、会うのが来ることが怖かったりもするだろうけど、たぶん、僕らが彼女の一部に会える最後のチャンスになるということだけは確かだった。あとはその友達の気持ちもあるし、無理強いはできなかったけど、一緒に行こうと誘った。
僕はキャロットタワーの二階の通路と踊り場みたいなところでお母さんの時とその友達との時も電話しながら泣いていた。もう、涙が止めるのは無理だったし、変な目で見られても気にもならなかった。
電話が終わってから店内に入って、読めるかわからないけど、もう一度手にした『東京オルタナティヴ』をお会計して建物の外に出た。その帰り道に知り合いにばったり会って少し立ち話をした。知り合いの人とこんな風に話せることはありがたい。
どうしたってしばらくはこの状態だろうからどうにもならない。彼女の家に行って、喉仏の骨をこの目で見て、お母さんと一緒に彼女が行くはずだったライブに行って、それから多少涙腺の線はゆっくりといつも通りに戻っていくのだろう。

昼ごはんを食べてからリモートの作業に戻ったけど、当然ながら作業には集中はできない。radikoで流れてくるいつもの番組のパーソナリティーの声は聞こえるけど、内容は頭に入ってこない。なにかふいに思い出しては涙が出てくるから夕方すぎると少しだけ頭が痛くなってきた。
仕事が終わってから、自分のGoogleフォトのデータを残っているものを過去から見返して、彼女が写っているものを選んだ。一緒に舞台とか行っても看板だとかは撮っても彼女を撮るということはほとんどなかったので、一緒に遊びに行った時のものがわずかにあるだけだった。それをセブンイレブンコピー機で写真としてプリントアウトした。今度部屋に行く時にお母さんたちに渡すことにした。

 

2月3日
起きてから資料を少し読む。残念ながらあまり頭は回っていない。諦めて散歩に出る。『三四郎オールナイトニッポン0』のタイムフリーを聴きながらいつもの代官山蔦屋まで歩く。冒頭から小宮さんのテンションが高く先週みたいな感じもあったが、スペシャルウィークゲストのレイザーラモンHGさんが登場してから、めちゃくちゃおもしろくて、何度か歩きながら吹き出してしまった。
三四郎の単独ライブには亡くなった友人と去年初めて行った。相田さんがアキレス腱断裂していたので、用意していたネタはできなくなってしまっていた。コントの時には車椅子に乗っていたり、漫才の時には松葉杖を使っていたりした。それはドキュメンタリーであり、そのハプニングをネタにすら小宮さんが取り入れて単独は無事に終わった。
僕らは大満足で草月ホールから青山一丁目駅のところにある銀座ライオンで飲んで食べた。去年は彼女と草月ホールでのお笑いライブを7月は三四郎、9月はハナコ、10月は岡野陽一の単独ライブを観た。三四郎の時から銀座ライオンに行くのが定番になった。
「来年は相田くんのギブス外れてるかな。それも観たいね」と笑いながらお酒を飲んでいた。毎年彼らは単独ライブはやっているみたいだから、来年の2024年も一緒に行くつもりだった。このラジオでおもしろい回があったらラインで聴いてみてよとラインしてたから、そっか、そういうことをもうできないのか、今日のレイザーラモンHGさんゲストすげえおもしろいのにこのことをラインできないなと思ったら、笑いながら泣いてしまった。
家に帰っても『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』は聴けなかった。僕が彼女のお母さんと一緒に行くライブはバナナマンのふたりが単独ライブでやっていたフォークデュオ・赤えんぴつの武道館ライブだから、普段は普通に聴いているバナナマンのラジオを聴くのをためらってしまった。

17時に友人であり、仕事を一緒にしている友達と渋谷のマークシティの裏の方にあるシーシャ屋で打ち合わせもかねて会う約束があったので16時には家を出た。道玄坂を下って行ったが異様に渋谷は混んでいた。待ち合わせまで時間があったから、宮益坂下に移転したル・シネマに行った。19時前にバス・ドゥボス監督『here』を観るためのチケットはすでに取っていた。その回では監督と主演俳優のお二人がゲストで来てQ&Aと終了後にパンフにサインをしてもらえるとサイトに書かれていたので、先にパンフを買っておこうと思った。移転してからは一度も来ていなかった。気持ちとしては今シネクイントが入っている劇場が渋谷シネパレスだったみたいな感覚に近い。
『here』パンフと去年末に二回観たけどパンフが売り切れで買えなかったヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAY』のものもあったので一緒に購入した。
偶然なんだろうけど、『PERFECT DAY』で役所広司さん演じる主人公の平山はスカイツリーのお膝元である押上に住んでいる設定で、その付近や隅田川を渡った浅草が彼の日常として描かれていた。亡くなった友達が住んでいたのはそこからほんの少し南下したエリアで、13日に会った時に『PERFECT DAY』観たけどほとんど同じエリアじゃないかなと聞いたら、「なんかそうらしいね、観てみようかな」と言っていた。なんだろう、なんでも結びつけなくてもいいんだろうけど、結びついてしまうのは。
パンフを持ったままでシーシャ屋に行って、彼はシーシャを吸い、僕はIPAのビールを二杯飲んで、打ち合わせも兼ねて話をした。映画が始まる20分前に僕だけ店を出て新生ル・シネマに向かった。


9階の劇場は天井が高く、気のせいか前のル・シネマっぽい天井の形、波打ってるみたいな感じで、座席も新しくてキレイだった。お客さんもほぼ満席になっていた。今作『here』の前の長編『Ghost Tropic』も同時に日本で初めて公開がされていて、映画好きな人にかなり興味を寄せられているのがわかる感じだった。

世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

2023年・第73回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門にて最優秀作品賞&国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)をダブル受賞した。(映画.comより)

僕はこの映画についてはほぼ書けることが実はあまりない。始まって10分もしないうちになぜか急に汗ばんできて、吐き気を催した。ヤバいと思って席を立ってトイレに行った。指を突っ込んでなんとか吐こうとしたが、胃液がわずかばかり出たぐらいだった。顔を洗ってから席に戻る。そのあとは睡魔に襲われて、時折目が覚めて美しい映像と音楽があり、また眠りに落ちて行った。
何度か歩いているシーンや雨が降っているシーンを観た。最後の20分ぐらいは戻ってこれて観れたけど、大事な部分をほとんど観ていないし、話がどういう流れだったのか理解できていない。でも、美しい映画だった。
Q&Aのあとにサイン会があった。来てくれてありがとうと伝えて、お二人にサインをパンフにもらった。土曜夜の渋谷は人混みで溢れていて道玄坂を抜けていくまでに時間がかかった。公開中にはもう一度ちゃんと観に来ないといけない。

 

2月4日
目覚ましの音で目が覚める。雨が降っているような音がしたから外を見たら、やっぱり降っていた。週明けには雪が降るかもしれないとニュースで見たが、このまま気温が下がればほんとうに雪は降りそうだった。
昨日聴けなかった『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoで流しながら次の仕事で必要な資料を読んでいた。番組の30分過ぎた辺りで設楽さんと日村さんの曲対決で、設楽さんがCreepy Nutsの新曲で、日村さんが星野源さんの『光の跡』だった。友人が亡くなったと彼女のお母さんから連絡をもらってから、その翌朝からバナナマンとも仲のいい星野さんのニューEPの一曲目『光の跡』を何度も何度も聴いていたから、不思議な気持ちだった。うれしいのかかなしいのか、よくわからない。


15時半に今日限定でやっているアアルトコーヒー×ニコラ「喫茶アアニコ」に行く。庄野さんがネルドリップで淹れたアアルトブレンドとニコラのオペラをいただく。
16時からは庄野さんとニコラの曽根さんの雑談、トークの「アアニコ」にそのままスライドして話を聞いて、打ち上げにいつもの美味しい打ち上げに参加。お店を22時ぐらいに出てまたニコラに戻ってお酒飲みながら深夜3時半ぐらいまで残ったメンツで話をしていた。

 

2月5日
8時過ぎセットしていた目覚ましで起きて、二日酔いはなかったけどお店でタバコを吸ったりしていたので匂いがついていたので一旦シャワーを浴びる。湯船に浸かりたかったけど、仕事の時間を考えるとそんな余裕はなかった。
リモートワークを開始して、月曜日朝なのでいつも通りradikoで日曜放送の『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をタイムフリーで聴く前に、土曜日深夜の『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていなかったのでそちらから流しながら作業をした。

雪が降るというのは数日前から天気予報で見ていたが昼過ぎにご飯を買いに出ようと思ったら、みぞれっぽいなと思った雨は家に帰るまでに雪に近い感じの白いひらひらしたものになっていた。
TSUTAYAを覗いたら江國香織著『川のある街』という新刊が出ていた。サイン入りだったのと川沿いの物語なら読みたいなと思って買った。


19時半からLOFT9で開始される「平成ノブシコブシ徳井 #敗北からの芸人論 トークイベント vol.11 ゲスト:永野」のチケット取っていたが、雪がかなり強くなって積もり始めていたので諦めた。これから深夜に向かってもっと降るみたいなので積もるしたぶん地面は凍ったりして渋谷まで歩いていくのは危険だし、こういう時に電車に乗るのもどうせロクなことはない。
土曜日の友達の家に行くのとライブまでは僕は病気も怪我もできるだけ避けたい、その日もし行けなくなるのが一番現状で起きてほしくないことだから。コンビニに行って焼きラーメンを買うだけ買って家にすぐ戻った。


The Birthday - なぜか今日は 


家に帰ってからこの曲をなぜか聴きたくなった。

トークイベントは後日配信を買って観ることにして、家でできる作業をやることにした。ちょっとずつちょっとずついつもの生活のリズムに戻していかないといけない。
明日は新しいライティングの仕事も始まるし、でも、こんだけ雪が降ったら昼過ぎに家を出ても雪は溶けてないだろうし、時間に余裕みて動かないと遅刻したりしそう、初日からミスが起こりやすい環境なので用心していかないといけないなって思う。

 

2月6日
6時ぐらいに目が覚めて、ペットボトルの回収日だったので外の様子を見ようとドアを開けて見る。もう少し積もっているかと思ったが、これは外出れないなというほどではなかった。ペットボトルの入った袋を両手に持って集積所に行く途中に一度滑って転けそうになる、あぶねえ、やっぱり下の方が凍っている感じで油断すると滑る。
そこから今日のお昼から仕事に必要な資料を読み始める。10時過ぎに一度駅前に行こうと思って部屋を出るとアパートの隣の一件に住んでいる子供が雪だるまを作っていた。


15時から文藝春秋社でお仕事。どのくらいぶりかわからないけど、かなり久しぶりに来た。19時まで仕事をしてから編集さんと一時間ちょっと飲んでから半蔵門駅で電車に乗って家に帰る。
脳みそをフル回転する仕事だから、知らないうちにカロリーを使っているみたいで結構疲れてて、部屋に帰ってちょっと寝転んだらうとうとしてしまったので、湯船に入ってすぐに寝た。

 

2月7日
6時に起きて作業を開始。明日中には終わらしたいけど、いろいろとスケジュールが大変になってきた。今日はもともと出勤日だったけど休みにして、下旬の別日に出勤する形にしてもらったのは余裕が少しでも欲しかったから。それで明日行くつもりだった自衛隊中央病院へ行くことにした。
家から歩いて20分ぐらいのところにある自衛隊中央病院は初診なので8時半から受付とサイトを見たら書かれていたので、それよりも30分は早く行けばいいかなと思って7時半には家を出た。雪はほとんど日陰以外は溶けていて転んだりする心配はなさそうだった。
歩きながら『星野源オールナイトニッポン』をradikoで聴きながら向かった。星野さんの誕生日祝いでバナナマンの日村さんと放送作家のオークラさんが毎年恒例プレゼントを持ってやってきた。日村さんが武道館のこと、音楽についてずっと質問しているのが微笑ましかったし、土曜日のことを考えながら歩いた。


入り口で中に入る際に必要な紙に記入して、受付の人にサインと入った時間を書いてもらった。出る時には病院の受付の人とかにサインと時間を書いてもらわないと外に出れないらしい、セキュリティがちゃんとしているなと思いながら病院へ。
8時前に着いて予約なしの人用の整理番号を取ったら5番目だった。そこから終わって出るのは10時半ぐらいになった。そのぐらいの番号だったので、呼ばれるのは早かったりしたので、8時半とか過ぎて行っていたら帰るのはもっと時間がかかって12時近くになったのかもしれない。知らない場所は早く行くに限る。
消化器内科の先生には、受付で渡していた紹介状と健康診断の結果のバリウム検査の画像も見てもらったので、胃カメラで再検査する日程と検査後の説明をする日をいくつか提案されたので、都合のつく日に予約を入れてもらった。当日に胃カメラとかは元々無理なのはわかっていたので、ここがスムーズに進めばこちらとしてはありがたい。
自衛隊の人も何人か受診を待っていたりしたのもあってか、待つのが長くなっても文句とかおじさんとかおばさん言いそうだけど、結構みんな大人しくなっていた気がする。
家に帰る前にオオゼキによって昼ごはんの材料を買って帰ってから洗濯をした。昼すぎてから作業を再開した。


16時少し過ぎてからニコラに行って栗と木苺、ブルーベリーのエクレアとバレンタインブレンドをいただいた。いつものアルヴァーブレンドはこの時期はバレンタインブレンドになっていたのでそちらにした。わずかな苦味はあるけど、軽いのでさーと飲めるから、アルヴァーとアイノブレンドの間ぐらいかな。
曽根さんと由賀さんと日曜日のこととかいろいろと雑談をした。帰ってから『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら再び作業をした。

天才バンド / 天王寺ガール【Live at LIQUIDROOM 2013.12.10】


「あのANN0」終盤でこの曲が流れた。あのちゃんがツアーで大阪でライブするというのもあって、この曲なのだろう。
奇妙礼太郎は震災後ぐらいに何度かライブで観に行っていて、その頃は奇妙礼太郎トラベルスイング楽団だったか、この天才バンドも観ていると思う。『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』や『菅田将暉オールナイトニッポン』とかにもゲストで呼ばれていて素晴らしい歌声を披露していたし、バナナマンの二人も菅田将暉もファンだけど、いつも通りな感じの奇妙さんでそれもよかった記憶がある。

 

2月8日
起きてからすぐに作業開始。今日中には出さないと行けなかったけど、自分の感覚では夕方前には終わりそうな感じだった。文量はだいぶある。もっと削ってもよさそうな気もするし、まとめてもいいところはあるけど、テーマであったり他の人の意見も正直聞いてからザクザク変更したい気持ちもあった。
いろんなことが連絡不足じゃないかなと思えなくもないけど、それは僕の仕事ではないのでまずは素材として出せるものを提出してから、判断してもらって意見をもらったほうがいい気はしている。
昼前に毎週やっているオンラインミーティングをやった。今週は僕がやる作業はほとんどなかったので、来週他の人がやった作業によってどう動くかとか決まりそう。
30日から仕事がほとんど手につかない状態ではあるけど、忙しくてそれが紛れるかというとそうでもない。仕事であったりなにか作業をするために大事なモチベーションであって、そこにはもちろんお金もあるし人間関係における信頼とかもある。小学館の漫画編集者の人たちが亡くなった漫画家さんに対しての声明を出していたのを読んだらちょっと泣けたけど、今ある程度心に響けば涙は容易に流れてしまう精神状態ではある。

15時前には作業が最後まで終えたので提出してから渋谷に歩いて散歩に行った。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩いた。番組本第三弾が出るらしい、そういえばAdoが月曜一部卒業したあと誰がなるかって話とか 「オールナイトニッポン」レーベルの番組をいろいろと聴いているけど誰も言及しないな。


19時半から『水道橋博士のメルマ旬報』でずっとお世話になっていて、現在もWebサイト「BOOKSTAND 映画部!」での『月刊予告編妄想かわら版』も担当してもらっている原カントくんさんとマルコで久しぶりに飲む約束をしていた。
最初に金のポテトサラダと前菜盛り合わせとか色々と頼んで、あとはずっとビールを何杯も飲みながら、いろいろと話をさせてもらった。回転の問題もあって二時間ぐらいでラストオーダーになったので、そのあとは原さんが「寒い、タクシー乗って帰ります」というのを邪魔しつつ一緒に歩きながら話をして大通りに向かった。
原さんは人に誘われないと飲みに行かないというので、数ヶ月に一回は飲みましょうって話になって、次誰を誘うか話をしたりした。こういうのってほんとうに会わなくなるとずっと会う機会がなくなるので、そういう感じに意図的に会うのがちょうどいいんだろう。

 

2月9日
8時過ぎに起きた。ライティング関連の作業はしないで半からすぐにいつものリモートワークを開始した。もともと水曜日は出勤予定だったけど、自分が作業をしていなかったことで切羽詰まって休ませてもらって、代わりに下旬の本来休みの日に出勤するスケジュールに変更させてもらっていた。それで火曜水曜木曜と週の真ん中三日間仕事をしていなかったので、いつもならセットしておくものを忘れていたりとかしたのですぐにそのフォローをしたりしたけど、前週から休もうと思っていたらもう少し準備してたんだろうな。まあ、大きめの作業がない時期だからこそ休ませてもらったものもあるし、タイミングとしては助かった。
radikoで『ハライチのターン』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』と木曜深夜に放送したラジオ番組だけで夕方までBGMは事欠かない金曜日。

内田 他者との共同生活にはもうあまり興味がないですか。

小泉 もともと無理みたい。女性は家庭を守るためにいそいそ働いて、みたいなドラマをたくさん観ていたから、自分でもできると思いたかったけど、この人じゃ無理だったな、この人でも無理だとやっていくうちに、あ、できないのは自分なんだとわかりました。

 でも樹木さんと対談したときに私へのアドバイスとして、「あのね、愛する人と手を繋ぐとか、体が触れ合うとか、そういうことをしてほしい。私はそれをしなかったから病気になった気がするの」っておっしゃったんですよ。

内田 ああ、それは本当に母の心からの声ですね。

小泉 確かに、自分の心を柔らかくすることって人と関わることでしかできない気がします。なかなか私にはできないんですが、でも樹木さんのこの言葉を胸に刻んで生きていきます。

「あなた、足を掬われるわよ」“危うい若者”にスパーンと…内田也哉子本木雅弘夫妻が見ていた“20代の小泉今日子” 内田也哉子x小泉今日子対談

ちょっと前に見かけていた記事を読んだ。小泉今日子さんが樹木希林さんに言われたこと、手を繋ぐとか体が触れ合うことの大切さを言われているのがすごく目に留まった。お互いに大切なパートナーでも普段からスキンシップしない人もいるだろうし、長年いると昔のように触れ合いが減るということもあるのも頭ではわかる。
でも、なんというかリモートワークとか出勤しなくて個人的には非常に助かっているけど、人間ってある程度の距離感や身体性を肌身で感じないと他者との関係性もだけど、自分自身のなにかが損なわれてしまうのだろう。だから、異性愛でも同性愛でも、そういうものでなくても誰かと触れ合うことはかなり生きて行く上で大切なのかなと思ったりした。まあ、その相手を見つけるのがめちゃくちゃ困難ではあるという問題が先にあるのだが。


休憩中に駅前のTSUTAYAに行くと上田岳弘著『K+ICO』という新刊が出ていた。装幀デザインの雰囲気もいいし、ウーバー宅配員とTikTokerの男女とそれを取り囲むシステムについてらしいと前に見ていたので、たぶん僕が興味ありそうなものなんじゃないかなと鼻が効いた。

今月はそのフロンティア大使の仕事を2日続けて、この2日めというのは中学1年生、2年生に向かっての講演会だった。この時はネクタイを締めず、しかし全身で対峙した。というのも、中学生たちがこちらに真摯に、全身で向き合っているのがわかったから。そして、講演後の質疑応答の時間、式のお終いに「まとめ」の言葉を口にしてくれた二人の生徒のおかげで、真剣な語りはきちんと昇華されたこともわかった(郡山ザベリオ学園中学校のこの生徒たちの理解力、受容力の高さには、いまも感動させられている)。

たぶん私は、真に新しい〈制度〉が芽生えるための地平に、こうして立ちはじめたのだと想像する。

そうやって中学1、2年生の前に立った翌日には、高校1年生から3年生までの間の十代後半の自分がしてきた活動を、高校1年生になると同時に受けとめた幾つも年少の、しかし現在は50歳となる人間に会って、たとえ幼かろうが自分が「生きてきた」ことには、消滅をまぬかれて他者に手渡された要素(もの)もあった、と実感できた。言葉を換えるならば、自分の人生はぐるりと結ばれはじめている。

古川日出男の現在地」2024年2月9日『結ばれるもの』

夕方に仕事が終わってから古川さんのブログが更新されていたので読んだ。この数年、地元福島で開催される小説賞の審査委員やこのフロンティア大使などを古川さんは地元のために活動をより積極的にされている。
今回はネクタイに関する文章だけど、ご自身の立ち位置と求められるもの、そういうものが嫌だったり、あえてそういうものに突きつけていた生理的なNOみたいなものを解除というか、関係性や関わり方で変わって行く、意識的にチェンジするような気持ちなのかなと思えるものだった。
『文藝』で連載していた『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』も最終回を迎えたので、単行本に今年中にはなると思うが、春ぐらいには新しい連載を、ということもこのブログで前に書かれていた。OSがバージョンアップされるのかもしれないし、また次なるフェーズに入る小説になるんじゃないかな。

 

2月10日
前々日からどうしようかと考えていた。15時に墨田区蔵前に行くことは決まっていたが、電車に行こうかどうか。歩いて行くなら三時間半とマップアプリでは出た。そのぐらいは歩けなくはないが、そのあとに一番大事な予定があるということもあって体力使っても大丈夫かというのが気にはなっていた。
でも、我が家からその墨田区の友達の家まではアプリでは15キロほど、そう考えると雨とか雪が降っていないし、気温が高くないのならほとんど問題はない。亡くなった友達が写った写真を入れたアルバムを持って行くつもりだった。うちから友達の家まで一緒に歩いて、その距離を経たものをご両親に渡したいと思った。それは自己満足でしかないが、自己満足でいいだろうし、まだ生きている僕のこの肉体を使う、動いて歩いてその距離を圧倒的に感じる、把握したいという気持ちがどんどん強くなっていた。
11時に家を出ればよかった。午後2時半に友達の家の最寄駅でもう一人の友達と待ち合わせをしていた。だけど、初めての道は多少不安もあるし、余裕を持って行きたかったので10時半には家を出た。
赤坂見附までは馴染みのある246沿いをApple Musicで赤えんぴつの曲を聴きながら歩いた。途中ABCが入っている建物の一階のトイレを借りて自販機でヤクルト1000を買って飲んだ。汗はそれなりに出て暑くなってきたので上着を脱いだら、すぐに汗が冷えて寒くなってきたのでまた着直したりした。日陰にいくとどうしても上着はいるぐらいにはなった。


亡くなった友達とは去年、三回赤坂御所の反対側にあった草月ホールでお笑いライブを観ていたから、その前も通りたいというのがあって、皇居の下側を通ろうと思っていた。夜は武道館に行くから、上側はそちらのラインでいいかなって。
草月ホールを過ぎて反対側に歩道橋を使って渡ってから豊川稲荷にお参りをした。参拝客はそこそこいたけど、並んでも順番はすぐに来たので滞在時間はそこまで長くかからなかった。


そのまま青山通りをまっすぐ進んで内堀通りから皇居のお堀沿いを南下していく。何十人もの皇居ランナーに抜かされていきながら桜田門のところから皇居外苑に入ってから神田方面へ向かった。
世田谷区の我が家からロラン・バルトの言うところの「東京の空虚な中心」である皇居の下側を、左寄りの半円を通ってスカイツリーがすぐの墨田区まで行くというのは僕には意味があった。


神田川を越える時の橋は見覚えのある浅草橋だった。反対側には神田川隅田川に合流する地点があり、そこにあるのは柳橋でそれもこの浅草橋の場所から見えた。
東京オリンピックが終わった翌年の元旦まで何年も続けていた元旦に井の頭公園神田川の源流から川沿いを歩いていき、柳橋の先で隅田川に合流してからは隅田川沿いに歩いていって、月島の先の晴海埠頭まで行くという古川日出男著『サマーバケーションEP』の舞台を、物語をトレースするというのをやっている時に何度も通っていた浅草橋、そう考えると友達の家はそこまで遠くない場所だとわかった。隅田川の向こう、墨田区はここからならさほど遠くはない。


浅草橋から隅田川寄りの国道6号線を北上して蔵前駅を目指した。途中で6号線だと気づいた時はびっくりした。古川日出男著『ゼロエフ』での取材の時に国道6号線を宮城県から福島県に入り、海沿いの津波被害を多く受けた、もちろん原発もあるけど、そこを通って茨城県まで古川さんと田中くんと僕の三人で歩いていたから。確かに福島でも日本橋まで何キロとあったはずで、あの道からここまで繋がっている。そう思うとなんだかいろんなものが無意識だったけど、繋がっていて僕の中で結ばれていく感覚があった。
2時前には蔵前駅の待ち合わせ出入り口に着いたので、今日お邪魔する予定の友達の家の住所を頼りに一度確認しに行って駅前に戻ってきてから隅田川テラスに降りてぶらぶらしていた。

待ち合わせしていた友達と合流して、亡くなった友達のマンションを訪れた。亡くなった友達は1月26日の昼頃に急に倒れて、翌日27日の朝には亡くなり、民間の火葬場ですぐに火葬されてご両親と実家に戻った。友達はスマホとかの暗証番号をちゃんと書き残していたらしく、それでロックを解いたお母さんから僕に連絡が来たのは亡くなって四日後だった。お母さんと電話で話したら、娘が好きだったバナナマンがやる「赤えんぴつin武道館」に一緒に行きましょうとお誘いを受けた。僕は断る理由はなにもなかったから、一緒に行きますと答えた。
そして、その後二度ほど連絡をした中で、結局一度も遊びに行かなかった彼女の家にお邪魔させてもらえませんかとお願いをした。喉仏の骨は部屋にあるからぜひと言ってもらった。だから、もう一人の二十年以上付き合いがある友達にも連絡して二人で最後に彼女に会わせてもらうことになった。
彼女のお父さんとお母さんに出迎えてもらって、僕らは彼女が写った写真のアルバムなどをお渡しした。9、10日と日本武道館で開催される赤えんぴつのライブ、昨日は彼女の会社の同僚の人と、今日は僕とお母さんは行くことになっていた。彼女が大好きだったバナナマン、彼らの単独ライブでバナナマンの二人はフォークデュオ「赤えんぴつ」に扮して歌っていた。バナナマンも三十年近くライブをやっているから、曲数は毎年の単独ライブで一曲やっていてもフルアルバム二枚分ぐらいはあった。

彼女の喉仏の骨は両手に収まるガラスの蓋つきの瓶の中にあった。話を聞いたら、東北のほうと京都の一部では喉仏の骨だけはお墓などに入れずに仏壇などに置いていると教えてもらった。火葬されたあと喉仏の骨だけはご両親が彼女の部屋の片付けをするために上京した時に一緒に持ってきていて、リビングのテレビの台に置かれているようだった。
お父さんとお母さんと僕らは彼女の話をした。たぶん、泣くだろうなと思ったけど涙はあまり出なくて、お母さんが明るい人でクヨクヨしないって言われていて、お父さんは言葉多くはなかったけど、友達のことを本当に大事にしてきたのが伝わってきて、なんとかできるだけ泣かないで話をした。
お父さんから彼女の死亡届のコピーも見せてもらった。いろんな手続きで必要だから手元にあったそれには、お母さんから連絡をもらった時には脳梗塞で亡くなったと言われていたが死因はくも膜下出血と書かれていた。
僕はお母さんからスマホを渡されて、今日のライブのチケットの分配をした。そういう手続きもペーパーレスになってきているけど、ある程度上の年齢の人には難しいし、スマホがないとどうにもならないというのは転売されないためのセキュリティというのはあるけど、やっぱり人間にやさしくない。
僕は最初からお母さんに「私を武道館に連れて行って、帰りもほとんど家に一直線で帰れるところまで送って」と言われていたので、ライブも一緒に観るけど、普段彼女がやっていたことを代わりにやるのが役目だった。
コロナパンデミックがおさまってきてから、バナナマンの単独ライブは復活したがいつも彼らが単独をやる俳優座は座席数が少なくチケットはずっと取れなかった。だから、彼女もこの数年はバナナマンを生では観ることができていなかった。それなのに、赤えんぴつの武道館ライブは9日と追加で決まった10日どちらもゲットできていた。最後に会った1月の時にも赤えんぴつの話をしていたから、すごくたのしみにしていたのはよく知っていた。
彼女とお母さんはもともと一緒に行く予定だったけど、娘がたのしみにしていたライブだけは亡くなったけど絶対に行くと決めて、両日にそれぞれ誰か娘と仲良かった人に頼んで一緒に連れて行ってもらうことにした。10日がライブとかよく行っていて、お母さんにも名前を何度か言っていたから「イカリ」として認識されていた僕になった。
彼女の自宅に滞在したのは30分ほどだった。僕はお母さんを武道館に連れて行かないといけなかったので、最後に喉仏の骨に手を合わせてから、蓋をあけて彼女の白いその骨を見た。一緒に来た友達が耐えきれなくて号泣して、僕も泣いて、お父さんとお母さんも泣いた。お父さんは自宅に残って三人で部屋を出て両国駅に歩いて向かった。友達は大江戸線一本で帰れるので、九段下駅に行くのはこのルートにした。


武道館に着いてから、お母さんは物販のカセットテープとサイリウム(ペンライト)を買おうと思っていたけど、タオル以外は全部売り切れていたので残っていたタオルだけ買った。お母さんは娘にはカセットテープ本体を、自分はそれについているダウンロードコードで音源をダウンロードして聴くからと言われたので、ネットでも販売というか再販してほしい。たぶん物販ではすぐ売り切れてしまっていて、欲しがっている人はたくさんいるだろうから本当にお願いしたい。
電車に乗っている間も武道館の開場待ちをしている間もいろんな話をした。お母さんもオールナイトニッポンやJUNKのラジオリスナーだったから、そういう話もしたし、もちろん大抵は彼女のことを話した。

昨日お母さんと一緒に武道館に来た同僚の人とは友達は家族ぐるみで仲良くて一緒に旅行も行くほどだったらしい。僕もその人のことはほとんど知らないし、なんとなく知っているぐらいで、その同僚で後輩の人も僕のことを聞いているかもしれないが、なんとなく知っているぐらいだろう。そんな風に誰かを中心にした関係性というのは蜘蛛の巣みたいに広がっていて、交わらない部分がたくさんあって知らないことも多いものなのだろう。
お母さんは友達が同僚の人たちにすごく可愛がってもらっていたのがよくわかったとおっしゃっていた。仕事中に倒れて、というのもあるから会社の人や仕事関係の人には亡くなった事は当然伝わっていて会社の人たちだけではなく、仕事関連の人たちからもいろんな話を会社の人たちを通じて聞かせてもらったと言われていた。
お母さんはロックが解除できてからもラインなどは娘と相手のプライバシーの問題だから見ていないと言われていた。実際に彼女のスマホを見せてもらったら、ラインのアイコンに未読の数字がかなり残っていた。
僕は偶然というかライブに行く相手に選ばれたから連絡をもらって、亡くなったことを知った。もう一人の友達もなんだかんだ付き合いは続いていて三人で春先に会おうと元旦にグループラインで連絡したばかりだった。おそらく、彼女の知り合いのほとんどは亡くなったことを知らない。知りようがない。
僕は上京してからすぐ知り合いになっていて、ここまで22年と付き合いの長い友達が亡くなったのは初めてだった。共通の知り合いもいないわけでもないけど、その人たちにわざわざ伝える理由も正直見つからなかった。もう付き合いはないのだからこちらから伝えるのも違う気がした。この日記を読めば彼女を知っている人には誰かわかるけど、そういう人たちは誰も読まないだろうから知る事はないだろうし、なんかそれでいい気がしている。

お母さんは前日の赤えんぴつのみが出演しているライブを観ていた。10日はゲストにchelmico乃木坂46三浦大知トータス松本が出演するという初日とは趣向の違う日になっていた。二日ともアリーナの席で、この日は五列目50番代というかなりステージ近くの席だった。
アリーナの真ん中に円状の小さなステージもあり、オープニングや時折赤えんぴつの二人はそこでも演奏をして歌った。その時は自分たちの席よりも後ろにそのステージはあったので首を180度近く後ろに向かないと見えにくい場所ではあったが、前方には大きなスクリーンが三つあったりしたので表情とかはそこで観ることができた。
少し危惧していたのはこの日のために赤えんぴつの曲を繰り返して聴いていたけど、歌詞の内容的に人が亡くなっていたり、いなくなっている内容のものがちょこちょこあり、これはこの状況で耐えれるかなと不安に思っていた。
ゲストの人たちと赤えんぴつが一緒に曲を歌ったり、トークをしたりするのも楽しかったけど、後半の方でステージにいた全員がはけたあとに中央の巨大なスクリーンにある映像が流れた。
中村倫也演じるカフェのマスター、黒木華演じるカフェのバイト、そのバイトに恋をしたいつもナポリタンをいつも頼む客のドラマ風な映像が映し出された。お母さんは昨日も観ているから、映像が映ってすぐにこれは放送作家の永井ふわふわさんの話なんだよって教えてくれた。ふわふわさんの実話であり、今の奥さん(バイトの女性)と結婚したエピソードを曲にした『よしこちゃん』に繋がるドラマだったようだがこの日はすでにその曲は披露されていた。だから、お母さんも途中から昨日と違うわと言っていた。
若い二人が店内からいなくなったカフェでマスターがアルバムを見ている悲しげな表情、帰り道で路上で演奏している赤えんぴつに彼が一曲やってくれないかなという入り方で曲の演奏が始まるという演出になっていた。
正直ヤバいと思った。赤えんぴつの知識がほぼなくても、この一週間で聴いていた感じではこの流れでいけそうな曲は『それを胸に』というものだけだった。この曲は幼稚園から一緒だった男の子と女の子、やがて二人は高校生になって付き合いだして大学を卒業して結婚する。だけど、妻はある日交通事故で突如なくなってしまうという内容だった。
どう考えてもこの曲は大事な人を亡くしたばかりの人には刺さりまくってしまう。僕ですらそう思うんだから、お母さんには響いて刺さりまくってしまう。案の定、そうなるわけだがお母さんも泣いてたし、僕もそれ見るし歌詞でも泣いちゃうし、基本的にはずっと悲しみよりも楽しいと思える素晴らしいライブだったけど、この曲だけはどうしても僕らは耐えきれなかった。
アンコールはゲスト全員と赤えんぴつで『自転車』を歌い、最後はステージから客席に向かってハート型のメッセージの書かれたものが飛行機のように飛ぶながら舞い降りてきて、金と赤のキラキラしたテープとか色々飛んできた。昨日もいくつかお母さんはゲットしていたみたいだけど、今日の方がステージには近いからたくさん取れたみたいでほんとうによかった。

映像で出演していた中村倫也さんと黒木華さんも会場にはいたみたい。



ライブが終わってから、僕はお母さんを半蔵門線押上駅まで送ることにした。ライブの最後に上から舞い飛んできたハート型の小さな紙吹雪とかはお母さんが火葬される前に少しだけ切っていた彼女の髪の毛を入れたパックに一緒に入れていた。そうやって友達の一部も武道館にお母さんは連れてきていたから、電車の中でそれを見せてもらった。小さなそれに入っている髪の毛を僕は触った。喉仏の骨を触った時みたいに実感がうまく沸かなかった。それは骨であり髪の毛であり、友達だった彼女の一部だったという認識が僕の中であまりうまく像を結べなかった。
押上駅で降りてから駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗るお母さんを見届けて、半蔵門線で反対側にある僕の家の方の電車に乗った。

【MV】Creepy Nuts - のびしろ(NOBISHIRO) 


去年三月には『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』を亡くなった友達と観に来ていた。それから一年も経たないのに初対面のお母さんとなんで僕が彼女の代わりにバナナマンを観に来てんだよと思った。あんなに楽しみにしてたのに、なんでだよって。
だけど、それが無理だから僕が代わりに誘ってもらって行くことになった。こういうイベントだったりはある種の儀式みたいなものでもあるし、区切りにもなりやすい。そう思えば一緒にお母さんとライブを観せてもらえたのはありがたかった。
最寄駅に着いてから、そのまま家には帰らずにその前にニコラに寄ってビールを飲んで献杯をした。

 

2月11日

前日の友達の家と武道館に行くのは決まっていたけど、いろんな気持ちになるだろうなって思っていたのでやさしい作品を観たいなと思っていた。とりあえず予告編の雰囲気もよかったし、三宅唱監督の新作なので観たかった『夜明けのすべて』の朝一の回を二日前には取っていたので、TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
やっぱりというか、さすがに松村北斗ファンらしき若い女性が八割ぐらいだった。隣の女性は瀬尾さんの原作単行本を手元に持っていたが、始まる前にその本と松村さんの切り抜きか何かと一緒にスマホで写真を撮っていた。そういう意味でも過去作である『きみの鳥はうたえる』や『ケイコ 目を澄ませて』の三宅監督の今までの作品を観ていた層ではない所に届く座組になっているわけで、新しい観客に届くと三宅監督もまた一段と違う景色や場所に行くことになるのかもしれない。

「そして、バトンは渡された」などで知られる人気作家・瀬尾まいこの同名小説を、「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化した人間ドラマ。

PMS月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さんは、会社の同僚・山添くんのある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添くんだったが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになる。

NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた松村北斗上白石萌音が山添くん役と藤沢さん役でそれぞれ主演を務め、2人が働く会社の社長を光石研、藤沢さんの母をりょう、山添くんの前の職場の上司を渋川清彦が演じる。2024年・第74回ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品。(映画.comより)

大きな出来事というか、例えば誰かが死んだりとかわかりやすいものがあって物語が転がっていくのではなく、藤沢と山添の二人を中心に彼らの仕事と生活を軸に日々の微細なものを描いていて、それがとても好ましく見えたし、彼らの抱えている問題や症状に対しても他の人たちも過剰にはならずに、かといって無視するわけでもなく、適度な距離で向き合ってくれているという内容だった。
あと『ケイコ 目を澄ませて』同様にフィルム撮影しているみたいで、映像に少しざらめというかフィルムにしかないものがデジタルのクリーンさではない人間らしさというか優しい感じがした。
藤沢と山添の関係も恋愛に向くこともなく、かといって友達でもなく、同僚として一定の距離がありながらほどよい向き合い方なのもとてもよかった。少し泣きそうになるような状況や場面もあるけど、二人の関係のようにある種ドライで泣かせるという意識は強くなくて引っ張りすぎない、そういう部分もとてもいいと思う。メジャーな作品だとここで泣いてくださいみたいな無粋なことをしがちだが、この作品はしっかりそこを抑えていた。

三宅「もし自分の周りの友達にパニック障害の症状が出た時に、そこで第三者としてなにができるのかが大事だなと。当事者気分を味わうみたいな方法もあるけれど、どこまでいっても第三者でしかないのが映画の限界だし、映画のおもしろさだと思うんですよね。映画なんてはなから全部他人事なわけですから。実話だろうがなんだろうが映画になればフィクションだし、でも他人事なのにもかかわらず第三者としていつの間にか巻き込まれていくっていうのがおもしろさかなと思います」

三宅「そうです。中国の本屋に行くと『えっ、こんな本の翻訳までしてるの?』と驚くわけですよ。『一体こんな本、誰が買うの?』と思っちゃうような、日本でも部数が伸びなさそうな本が翻訳されている。でも、『うちの国では、なんか出せばそれなりの人口がいるんで買う人がいるんです』と。“これをやっても売れないかもな”と思う国と、“これをやったら売れるかもな”と思う国とでは、質はともかくとして、描ける夢の量やヴァリエーションが違ってきますよね。小さい世界の大きいマスを取ろうとするのがドメスティックな仕事だと定義するなら、そうじゃなくて、大きい世界を意識しながら今まで通り質のいいものを作れば、きっとどこかに届くはずだ、と思える。大きいマーケットででっかく売ろうとすると、それは巨大資本と組まなければいけないわけですけど、日本の外にマーケット自体はあるぞと。興味を持ってくれる人が、この国とこの国とこの国に何人はいるよねっていうことさえわかっていれば、自分の比較的小さい映画でも成立させることができるかもなっていうことを、今回いろんな国で上映してもらって実感しましたね」

正解でも不正解でもない”アクション”の連鎖が物語を動かす。三宅唱監督『夜明けのすべて』を貫く映画の原理【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

宇野維正さんのこの連載というか、監督へのインタビューシリーズはいつも読み応えがあるし、取り上げられている監督の新作は観に行こうと思って観ているので信頼しているんだけど、今回の三宅監督のものも非常に良かった。
映画を観る前に読んでいたけど、観終わってから改めて読み返してみると、この映画がなぜあんなにも今痛みや辛さを抱えている人に寄り添う作品になっているのかがわかる。この映画はそういう人にとってのお守りみたいな作品になるだろうなって思う。

【ライブレポート】「赤えんぴつ in 武道館」バナナマン30周年彩るドラマチックな2日間(写真24枚 / バナナマンのコメント到着) 

前日のライブについての記事がアップされていた。やっぱり乃木坂のペンライトとか持っている人たちがたくさんいたし、僕がアイドルに興味を持っていないからわからないけど、その人気と根強いファンがいるんだなってことはよくわかった。
星野源さんも映像で出演したし、森山直太朗さんは電話で出演したし、バナナマンとゆかりのある人たちはわりと出ていた。
一緒に行った友達のお母さんと話してて、奇妙礼太郎さんも来てもおかしくないのにねって言われてていて、設楽さんが好きでゲストにも来てたし、赤えんぴつの歌も作ってくれそうな感じもするし、トータス松本さんとかもいるし、バランスのこともあったりしたのかな、わからんが。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 4』がカドカワストアから届いた。コミックス19巻「GO AHEAD!」からコミックス24巻「THE END + ONE」までを収録。BOXもこれで全巻出てすべて揃った。


西島大介作「ディエンビエンフー」シリーズの「フンくんぬいぐるみ計画」のクラファンをしていたので返礼品のフンくんぬいぐるみがひとつ届いた。偶然だけど、英志さん関連で僕が読んでいた漫画家さんのものが同日に届くというこの謎のタイミング。

フジエタクマ 『same』music video 


知り合いの藤江くんの新曲のMVがアップされていた。なにかちゃんと届けようとする意志というか気持ちの強さが声に出てるように感じた。


忘年会か新年会をしようと話をしていたまま、お互いにスケジュールの都合が合わないままだったけど、亡くなった友達のこともあったので長年の付き合いである親友のイゴっちと3月ぐらいに飲もうかとラインしていたら、急遽今日飲もうということになったので、飲んだで食べて話して話して、二日連続なニコラになった

 

2月12日

ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』をシネクイントで鑑賞。正直三連休の全部なにかを観るというのはやりすぎだし、その時間分をライティング作業したらのちのちだいぶ楽になるとは頭ではわかっているんだけど、たぶん、部屋でずっと一人というのがどこか怖いというか、人混みの中にいたほうが安心する部分があるんだと思う。
この作品が気になっていたのはシネクイントによく来るから何度も予告編を観ていたのもあるけど、トーキング・ヘッズのボーカルギターであるデイヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』のスパイク・リー監督による映画版を以前ホワイトシネクイント観ていたこともあって、彼がどんなパフォーマンスを昔していたのかを観てみたかったのがデカかった。
僕はトーキング・ヘッズというバンド名を知っている程度でこのタイトルの曲はあれだなとかはわからないぐらい、そんな認識で観に行った。『アメリカン・ユートピア』の出来を観た感じであれば、曲を知らなくてもきっと楽しめると思った。もちろん、昔から知っている人ならより楽しめるはずだけど、僕みたいな人でもおそらく問題はない。
客層は1983年のライブなわけで高いといえば高いけど、僕よりも若いであろう二十代ぐらいの人たちもそこそこいたので、年齢層が高い客層だけには固まっていなかった。

1980年代の音楽シーンに変革をもたらしたアメリカのロックバンド「トーキング・ヘッズ」が1983年に行った伝説のライブを記録したドキュメンタリー。

キャリア絶頂期にいた彼らが全米ツアー中の83年12月にハリウッドのパンテージ・シアターで敢行したライブの模様を収録。バンドのフロントマンであるデビッド・バーンの躍動感あふれるパフォーマンスに、彼を象徴する衣装「ビッグ・スーツ」、エキセントリックなダンスとエキサイティングな演出による圧巻のステージを映し出す。

後に「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を受賞するジョナサン・デミが監督を務め、「ブレードランナー」のジョーダン・クローネンウェスが撮影を担当。2023年には、1992年から眠っていた本作のネガを基に、バンドメンバーのジェリー・ハリスン自らサウンド監修を手がけた4Kレストア版としてリマスターされた。(映画.comより)

曲知らなくても日本語訳がちゃんと字幕で出てるのもあるし、何曲かは知っていたりしたので曲に関しては何ら問題なく楽しめた。トーキング・ヘッズとサポートメンバーそれぞれがよくこんだけ動けるなぐらい動いてるし、『アメリカン・ユートピア』がそりゃあ、作られることになりますわなと納得できるライブパフォーマンスだった。
もちろん演奏や歌で聴かせるものだけど、演出や動きとかで見せるという意識もあって、単純にカッコよかった。映画館だと音響システムがいいのもあって、リストアされているものあるけど音がめちゃくちゃいい。映像も本当に1983年のライブとは思えないクオリティだった。

Talking Heads - Once in a Lifetime (Official Video) 



今作はA24によって劇場公開されているので、最初と最後には「A24」のロゴが出る。今年のA24日本劇場公開作品ではこの作品を超えるような、勝てる作品というと『パストライヴス』ぐらいなんじゃないかな、大丈夫かと勝手に心配してしまった。これはGAGAが関わっているが、ファントム・フィルムハピネットが一緒になってハピネットファントム・スタジオになってから、A24の日本公開作品の配給を一気に担うという報道が去年あった。アリ・アスター監督『ボーはおそれている』以降はそうなるのではないかと思う。
アメリカ本国で劇場公開してから、その興行成績を見てから日本では半年や1年後に公開になるという話も聞いた。同時公開や少し遅れるのならリアルタイム感はあるけど、それだけ空いてから公開するとどういう作品かもわかってしまうし、A24のオフィシャルサイトではアメリカ版のソフトが出てしまうので輸入しちゃえば買えてしまうぐらいの期間なんだよなあ。なんかそういう流れは残念ではある。

 

アメリカンポップスが零落した理由は明白だ。「(扇情的な衣装や動き等々を)エロいんじゃない。かっこいいんだ」とか言い始めてから一直線に落ちている。シンプルに言うけど、エロいで良くない? ブリトニーもビヨンセもエロかったよ普通に。そして「エロいもんはカッコいい」のではないの?

K-POPが素晴らしいのは、なんてことはない。普通にエロいからだ。日本の坂の人たちもあれは普通にエロい。芸妓さんたちの舞と一緒だ。エロけりゃいいってもんじゃない。エロくてクオリティが高いので素晴らしい。アメリカのリベラルとフェミニズムは何がしたいのかマジで全くわからん。いつかはっきりするかもしれないと思って70年年代からずっと見守っていたが、やっぱ何もないことがわかって義憤に近い感情に駆られている。バイデンは「ワールドリベラリズム」をアジェンダ以上に標榜し、中国のCO2排出を抑えさせると宣言したが、結局また空爆だ。こんなことだからまだトランプ期待論が消えないのである。

単に傷ついた人主体の社会把握に僕は反対だ。ルッキズムがどうのとか多様性がどうのとか全くパワフルにもポジティヴにも聞こえない。引かれものの小唄だ。いいじゃん見た目で判断されたって。僕だってされてるし、してるし、音楽市場の多様性のなさ(特にジャズに対して)に上げたり下げたりされ続けているけれどもなんとも思わんよ笑。

菊地成孔の日記記 2024年2月5日~11日記す>

映画を観終わって帰ろうとスマホを見たら、菊地さんの日記がメールに届いていた。「エロくてクオリティが高いのが素晴らしい」ということに尽きるんだろう。カッコいいはエロさに内包されているのに、それを強調して外側に出したらダメになったという話なんだと思う。

夕方からライティング作業を開始。いろんなことが起きるし、スケジュール通りには行かないけど、ありがたいことに〆切があるからどこかでエンジンはかけないといけないし、書けば終わるという単純さもある。
この数日での体験とか思ったこともここで書いたことで多少整理はできるんだけど、それをどうにかして違うものに流し込みたいし、そのために今やるべきことを終わらしていく。しかし、この一月二月がいろんなこと起きていて月日が過ぎるのが早過ぎる。

 

2月13日
朝活がてら次のライティング仕事の資料を少し読んでからリモートワークを開始。radikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』をBGMにして仕事を。
空気階段の踊り場』はもぐらさんがダイエットに成功したため、かたまりさんが金を出して韓国旅行に行く前に収録をしていた内容だったが、トークの中で「作家のながいさん」ってワードがあって、もしかしてこの「ながいさん」は『赤えんぴつ in 武道館』で歌われた『よしこちゃん』の元ネタになった構成作家の永井ふわふわさんなのか?と思って検索したらそうだった。この数年番組を聴いていたけど、自分が意識していなかったものとか単語って耳に入ってもするりと抜けていて、認識していないものだなって改めて思った。夕方から新宿の紀伊國屋ホールでの舞台を観に行くので一時間早めに上がらせてもらって渋谷まで歩いて副都心線新宿三丁目駅へ。

ももいろクローバーZ高城れにの初単独出演&初座長を務め、劇団ロロの三浦直之が作・演出を手がける『最高の家出』を紀伊國屋ホールにて鑑賞。
ももクロファンのニコラのお二人、いつもロロの舞台を観ている僕という三人で観に行った。それぞれに自分の推しというかずっと観てきたものがどう融合するのか、舞台うまくいくのか、大丈夫なのかという心配も正直あった。
席が一列目のほぼ真ん中であり、曽根さんが座った場所の横で高城れにが立ち止まって演技をするぐらい、近すぎる位置で観ることになった。

【あらすじ】
結婚生活に疑問を感じ、家出をした立花箒(高城れに)。
 道中、無一文になり途方に暮れていたところ、出会った藤沢港(東島京)に「住み込みの働き手を探している劇場がある」と聞き、劇場を訪れる。そこで与えられたのは、舞台上に作られた“模造街”で、ある役を演じる仕事だった。
この劇場ではたった1人の観客のために、7ヵ月間をかけてひとつの物語を上演しているのだが、港が家出したせいで、箒は代役を務めるハメに。
 舞台の主演蒔時アハハ(祷キララ)は「相手役が変わるならやらない」とゴネるが、物語の幕は上がり、箒とアハハはチグハグな関係のまま芝居を続ける。
演劇と現実の区別がつかなくなった男、眠りを忘れて働き続ける裏方、舞台上だけ雄弁な言葉を失った俳優。箒は奇妙で愉快な面々に振り回されながら、次第に劇場での暮らしに心地よさを覚え、アハハとの友情を深めていく。
 そんなある日、劇場に箒の夫・向田淡路(尾上寛之)が現れ、さらに港も戻ってきて、“模造街”の秩序が崩れはじめる……。
 舞台上と舞台裏、それぞれの”家出”が重なり合って生まれる、ファンタスティック迷走ストーリー!

ロロが以前公演した『BGM』『父母姉僕弟君』『マジカル肉じゃがファミリーツアー』という旅シリーズ三部作というものがあったのだけど、そのアップグレード版にと過去に誰もやったことのない、進んだ人がないアイドルとしての人生を歩んでいる高城れにが加わることでより身体的なものが強固になったというか輪郭がしっかりしたような印象をもった。最後まで鑑賞するとメインビジュアルの三人にとっての「家出」物語になっていることもわかる内容になっていた。

 忘れていくこと、なにか形が残るもの、跡がわずかにあるもの、日々積み重なるもの、家族に自分が含まれる前のこと、シリアスにならずにどこか懐かしくてポップさのある物語だった。

 移動すること過去と現在が交差していく。過去は地層のように重なっていき現在の足元にあるイメージ、掘り起こすとそれは化石みたい。化石はその時の想いや景色を孕んでいて、現在からの光でミラーボールみたいに光る、あるいは光らない。
 ロロ的想い出小旅行。三部作的な旅シリーズで一番好きなのは実はこれ。新しい次元に入った感じを受けた。

 白昼夢のような此岸と彼岸の境界線が曖昧になって入れ替わるように進んでいく。
 いつか会えなくなってもまたいつか会える、またね、じゃあ、こんどね、ごめんね、ありがとう、いつかまた巡りあうまでハローグッバイ、過去と現在とありえた未来がそこにあり、僕らは今日を日々を。

ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』

6年前に書いたブログだが、三部作のことに触れている。

 

東日本大震災以降の東北を巡る旅において沿岸部で津波などの被害がなかった箇所は少なくて、そのことはかつてあったものが失われてしまったことを語らずとも観客に感じさせるものでもある、前回はまだ三浦さんはそのことを台本に書けなかったという。時間が経たなければ言えない言葉もあるし、受け入れられない思いもある。そのことが強く伝わるものだった。
人間はいつか忘れてしまうし、忘れられてしまう。だからこそ、誰かといた記憶やその場所は時間の地層に埋没していく。それを掘り起こすことで過去と現在が同列に並ぶ、存在できる。それは演劇だと可能になる表現であり、演劇的な演出をすることで観客に届くものとなる。
人生においてゆるやかな風が吹いている、そんな心地のよい距離感で笑い合っている(いた)人と一緒にいた景色が観客それぞれの中に浮かんでくる、そんな舞台になっていたと思う。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年5月1日〜2023年5月15日)

去年KAATで再演した『BGM』について書いたもの。
 


ロロを今まで観たことがなくて興味がわいたのであれば、この無料公開している「【無料公開】ロロ『BGM』(2023)」を観てほしいのだけど、『最高の家出』をすでに観た人が観たらいろんな部分での共通点やあの場所のことの意味をもっと深く感じるのではないかと思う。

今回の舞台は超メジャーなももいろクローバーZ高城れにさんが主演で座長であり、パルコプロデュースという演劇ではかなり大きな座組になっている。そこに三浦直之さんがどういう作・演出で挑んでいくのか、それらがいかに掛け合わされていくのかが楽しみだった。
ももクロスターダストプロモーションという芸能事務所の大手中の大手に所属し、日本中で名前と顔が知られているアイドルグループである。三浦さんが主宰である劇団ロロは演劇が好きなら知っている知名度のある人気劇団だ。三浦さん自身が脚本を手がけた映画やドラマも素晴らしいが、ももクロと比べればやはり一般的にはまだ知られていない。その組み合わせによって悪い方向に行ってしまったら、ロロらしさが消えてしまうのかもと思いもしていた。また、高城れにさん自体もももクロファンからすれば滑ることをやりがちであってちょっと不安な部分もあると聞いた。故に彼女が特攻隊長になって新しい壁をぶち破ってきたのだとは想像はできる。それは勇敢であるが、見守る人からすれば心配をかけるじゃじゃ馬感もあるのだろう。
それらの心配は今回の舞台を観ているうちに杞憂だとわかった。どちらのよさも出ていてそれが掛け合わされた素晴らしい作品になっていた。一緒に観ていた二人も終わった後にいい舞台で安心したと言っていたし、ロロの舞台も観たくなったということだったから、大成功だと思った。

上記で旅シリーズ三部作について書いたものは今作にも通じている。ロロは記憶と場所について描いてきたし、宮城県出身の三浦さんが再演の『BGM』で東日本大震災にやっと触れることができたのだけど、そのぐらい時間がかかるものだった。高城れに演じる立花箒たちが最後に訪れるあの場所は「夜海原」という名前で以前のロロ作品にも出ていた場所だった。
個人的な話だが、ある小説の新人賞で最終選考というか、最後の二人に残ったけど、落ちた。それで連絡をもらってその出版社にいき編集者さんたちに1月末に会った。受賞した人は僕よりも10歳近く下の大学生だと言われた。そして、その年の3月に東日本大震災が起きた。受賞作はその年の5月か6月には出た気がする。その作品に書かれた舞台はあの津波で根こそぎ流されて消えた東北地方のある町だったとのちに知ることになった。
かつてあったけど無くなってしまったもの、そういうものを形に残したり、残そうとすることは一つの創作のエネルギーにもなるし、そうしないといけない人もいる。いけない、いやそういう鎮魂の仕方もあるし、残った側の人として形にすることで癒されたりすることもある。今作『最高の家出』における「夜海原」はその記憶と場所に関するひとつの象徴にもなっていた。
高城さんはアイドルを続けて行く中でどんどんメンバーが減っていく、かつてあったものが失われて行く中で活動を続けてきて、新しいスタイルを手にしている。誰かにとってはももクロは昔の彼女たちのイメージのままだったりするだろうし、昔のメンバーがいる時の思い出やあの時がよかったみたいなことを言われてきただろう、だから今作における人の記憶と場所の問題や役柄にもかなり深くシンクロできたのではないかって、僕は観終わってから思ったりもした。
まあ、いつもロロ行く友達と来週も観に行くから、その時はこの作品の多層構造みたいなものにもう少し意識的に集中して観てみたいところもある。
最寄り駅まで帰って三人で居酒屋で感想を話しながら飲んだり食べたりして楽しかった。なんだか最近珍しく人と会って飲んでばかりだ。そのおかげでだいぶ助かっている。

 

2月14日
朝風呂に入ってから作業開始。昼からの仕事の資料読み。たくさんあるけど、今日の取材分はなんとか読み終わる。
『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いて半蔵門線渋谷駅まで行って、永田町駅で降りてから文藝春秋社へ。先週の取材の続きを14時から18時半までみっちりやった。
お相手にずっと話してもらっているけど、ここまで人と酒も飲まずに長時間話すことはないとは言わないけど、そういう場合はほとんど友達や知り合いであって、仕事相手の場合はそれなりの緊張感があるので、終わってから一気に疲れが来る。

19時前には文春を出て永田町駅まで歩いて電車で帰宅。晩御飯を食べてから「予告編妄想かわら版」の原稿を書いた。日付が変わる前に明日の日付にした請求書のPDFをセブンイレブンコピー機のプリントアウトアプリを使って、印刷して捺印したものをスキャンしてスマホにデータ保存した。
原稿は朝起きてから見直してから提出するので、とりあえず寝ることにした。最近、本は買ってはいるけど、前みたいに集中ができないから読めない。仕事の資料は読まないとしょうがないのもあるけど、たぶん今長編の小説への集中力がまるでなくなっている。でも、出ていたら買う。買わないと新刊はすぐに店頭から消えてしまう。

 

2月15日
起きてから昨日書いたBOOKSTAND映画部!で月に一回連載している「予告編妄想かわら版」の原稿を読み返して、それぞれの予告編をもう一度見直してから加筆修正。昨日作っておいた請求書にハンコを押したものをスキャンして原稿と一緒に担当の人に送付。
リモートワークをいつも通り開始して、深夜に放送した『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら作業した。
佐久間さんの後輩のディレクターとその元カノ話のエピソードについてのフリートーク。去年11月に別れたのに何度も会っている二人、その元カノが佐久間さんと後輩が飲んでいるところにやってくる。佐久間さんにその元カノがなにか相談があると後輩が言うので、帰りたいけど帰れなくなってしまう。やってきた元カノはこの人とこうやって会うのは止めたほうがいいでしょうかと佐久間さんに相談するというものだった。後輩のキャラもいいけど、だから別れることになったんだなってわかる二人の関係性の話が相談でも出てきたりして、なんかすごく人間くさい、めっちゃヒューマンだなって思うエピソード話だった。人間ってわがままで矛盾してるもんな、他人事だからちょっと微笑ましくもあった。



仕事が終わってから、三階のトワイライライトで本日発売の『MONKEY』を購入してから二階のニコラへ。マスカルポーネチーズをたくさん使ったティラミスとアルヴァーブレンドをいただく。甘すぎないけど程よい甘さのティラミスと深煎りのアルヴァーがよく合った。
今回の『MONKEY』はいつも楽しみな古川さんの連載『百の耳の都市』だけでなく、柴田元幸訳のフィリップ・K・ディック『プリザビング・マシン』が掲載されているので気になっていた。
柴田さんがディックを訳したのを他では読んだり見た記憶がないから新鮮だし、ディック作品は好きで読んでいるけど、このタイトルはピンとこなかったからどんな短編かなと思っていた。ある機械(プリザビング・マシン)に楽譜を入れると動物や昆虫が出てくるという話で、最終的にはその楽譜から生まれた特殊な生き物たちが自然に順応したり死んだりするけど、主人公たちが最後にそれを機械に戻したらどんな楽譜になるかみたいなSFぽい話、たぶん、ディックの代表作の一つである『ユービック』に近い想像力で書かれているんじゃないかな。あれはずっとものが退化していくというか時代を遡っていくものだけど、近いものは感じた。
明日から確定申告始まるし、今回の分で友達のことと「赤えんぴつ in 武道館」についても書けたから2月後半に入ったら気持ちも徐々に変わっていくかな。

今回はこの曲でおわかれです。
バナナマン−フォークデュオ・赤えんぴつ「誕生花」

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年1月16日〜2024年1月31日)

1月上旬の日記(2024年1月1日から1月15日分)


1月16日
日付が変わり一月上旬の日記をアップしてから、第一火曜日が集荷なしで、去年の12月の第三週火曜日に出してから溜まっていたペットボトルを出しにいく。風が痛いぐらい寒かった。先週の土曜日のようにまた雪が降る可能性もあるのかもしれない。
デフォルトになってきた二度寝をして8時半に起きた。12時前に上映する映画のチケットを昨日ウェブで取っていたので家を出るまで作業をやる。


キャストも気になっていた東野圭吾原作&飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。シネマイレージデイは大人料金一般が1300円で観れる日だったが、平日の昼前でもそこそこお客さんは入っていた。
WEST.の重岡ファンが多いのだと思うのだけど、女性が多いが男性の年配の人もいたりしたので、東野圭吾ファンの人もたぶん足を運んでいたのだろう。

人気作家・東野圭吾が1992年に発表した同名ベストセラー小説を、「禁じられた遊び」の重岡大毅主演で映画化したサスペンスミステリー。

劇団に所属する7人の役者のもとに、新作舞台の主演の座を争う最終オーディションへの招待状が届く。オーディションは4日間の合宿で行われ、参加者たちは「大雪で閉ざされた山荘」という架空のシチュエーションで起こる連続殺人事件のシナリオを演じることに。しかし出口のない密室で1人また1人と参加者が消えていき、彼らは互いに疑心暗鬼に陥っていく。

オーディション参加者の中で1人だけ別の劇団に所属する久我和幸を重岡が熱演し、中条あやみ岡山天音西野七瀬、堀田真由、戸塚純貴、森川葵間宮祥太朗が同じ劇団に所属する個性豊かな役者たちを演じる。監督は「荒川アンダーザブリッジ THE MOVIE」の飯塚健。(映画.comより)

最終オーディションが行われる別荘での合宿の一日目に参加する人数分のアガサ・クリスティー著『そして誰もいなくなった』が置かれていて、全員がオーディションに関係があるのかと読み始めるシーンがあった。この超有名なミステリー作品のオチを知っていると、この物語もそれをトレースする展開なのかなとつい思ってしまう。もちろん、それとは違ったわけだが、ミステリー好きな人からすればこの本が出てきた時点でおおよそのオチは紐つけた人もいるだろう。展開をミスリードする形で『そして誰もいなくなった』は出されているアイテムだが、逆に考えれば犯人やトリックの考察はできるはずだ。
主人公であり、舞台のオーディションの三次までいった久我(重岡)は劇団にはまだ所属していない外部者なので彼以外が犯人である。この作品は予告編を見ると舞台のワンシーンなどが出てくることもあり、構造として幾つかの層がありそうだなとはわかる。
犯人とトリックがわかってからは、より『そして誰もいなくなった』が出ていた意味がわかった。二時間もない中で密室劇だからこそ、余計な場面もあまりなく進んでいくので非常にわかりやすい。密室劇にするために雪に閉ざされた山荘というシチュエーションが彼らに課されたことでミステリーとして成り立っているし、登場人物も限定されているので意識があまり散らないのもよかった。
重岡さんは『溺れるナイフ』で演技を観たことがあるぐらい。あとは『ラヴィット!』で楽しそうにゲームをしている姿の印象があるが、顔がすごくL’Arc〜en〜Cielhydeにそっくりだった。まさに顔の系統は同じだし、声も近いだろうから歌もうまいのだろう。
わりと満足できた映画だった。僕がまったく東野圭吾作品を読まないできたから新鮮だったのもあるかもしれない。犯人やトリックの使い方もわりと王道なミステリーぽい、メフィスト賞作家とかの個性がありすぎたり、突飛な発想のミステリーのほうが読んでいる数が多いせいか、ちゃんとしてるなって思った。真っ直ぐなエンタメとしてのミステリーって意味で。

今日発売になった乗代雄介著『旅する練習』(講談社文庫)をあおば書店で買った。『旅する練習』や『それは誠』が芥川賞候補になっているのに受賞していなくて、なんでこの人がまだ芥川賞受賞してないんだろ、と思う人が乗代さんという純文作家であり、選考委員の中にこれらの作品が理解できない評価できない人がいるっていうのも考えものだなって感じる。
文学賞は権威や力関係とかもろもろあるんだろうけど、さすがに『旅する練習』や『それは誠』が候補になって受賞していないというのは選考委員の読む力や理解力を疑ってしまう。あるいはこういう作品を評価したくないという意志がありそうにも思えてしまう。

「そもそも1年頑張りましょうねというお話だったので、私の中では達成するときが来たというか。1年で終わることは決まっていたことで、あとはスケジュールがヤバいですっていう、それだけです。マジで毎週楽しいし、距離も縮まったからね。それだけとしか言えない(笑)。よろしくなーということです。ぜひ最後までお付き合いいただけたら」と呼びかけていた。

Ado『ANN』3月末で終了へ「めちゃくちゃ楽しいんだけど…」 

『Adoのオールナイトニッポン』は放送開始後に二、三回ほど聴いてから聴かなくなっていた。前年のCreepy Nutsが一部昇格したものの音楽活動専念するために一年で卒業して、あとを継いだのがAdoだった。記事の中でも一年はという話があったみたいだし世界ツアーをやるならスケジュール的には難しいのは仕方がない。
現在、二部(オールナイトニッポン0(ゼロ))は月曜日から金曜日までがフワちゃん、あの、佐久間宣行、マヂカルラブリー三四郎
ここから月曜一部に上がる可能性を考えてみると、一度一部に上がって霜降り明星と一部と二部が入れ替わった三四郎が一番有力な気はするが、たぶん彼らはもう一部にという気はないと思うし、二部でこれまで通りやっているほうがおもしろいラジオを続けていけそうには思える。
三四郎は毎年恒例になっていた年越し番組をやらなかったが、何年間も続けて担当していたので彼らの貢献を考えれば再び一部にあがってもなんら違和感はない。僕が今一番好きなラジオが『三四郎オールナイトニッポン0』であり、お金も払いたいこともあってファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」になっているのでこのままでいてほしいという気持ちもある。でも、ニッポン放送のモルモットと自虐的にいう彼らが今まで貢献してきたことを考えると一部はかなりありえるんじゃないだろうか。
人気や影響力を考えるなら、テレビプロデューサーの佐久間宣行さんの一部昇格っていうのが一番現実味があるものの、月曜一部あがるとTBSラジオ『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』が裏番組になってしまう。佐久間さんは伊集院さんのラジオを聴いて育ってその影響力も何度も話してきているし、テレビ番組も一緒にやっていることから裏ではたぶんやらない気がする。
フワちゃんとマヂラブのラジオはおもしろいし、毎週たのしみにしているが一部の実力や人気かというと違うだろう。
去年の人気爆発と勢い&ミュージシャンということを考えれば、あのちゃんが一部に昇格し、Adoからあのへ、『あののオールナイトニッポン』が一番しっくり来る。あの、三四郎、佐久間宣行で一部に行く可能性があるかなと思うが、まったく別のところから一部をやる人が選ばれる可能性もある。菅田将暉Creepy Nuts→ Adoという流れで月曜一部は担当してきたので、ミュージシャンか俳優という可能性もある。
あのちゃんとか二部の誰かが上がると二部が一枠空くので、令和ロマンかぱーてぃーちゃん辺りの新世代、オールナイトニッポンポッドキャストをがんばっている人たちから引っ張るってこともありそうだよなと妄想は膨らむ。
Adoが語ったことからすれば一年と言われている以上、次はもっと早く決まっていた可能性があるので、そうなると去年大ブレイクしてあのちゃんではないかもしれない。あのちゃんが一部昇格か、Creepy Nutsが一部へ復帰が個人的にはうれしいかも。

家に帰ってから駅前のスーパーに行くに最新回が配信されていた『83 Lightning Catapult』をSpotifyで聴いていた。最初から全部聴いている好きな番組だが、来週以降お休みになって二、三週間後に復活するかもしれないししないかもしれないという話が出ていた。
人気がある番組だろうし、打ち切りってことではないと思いたいが、なにが起きているんだろう。三四郎オールナイトニッポン一部に昇格することがあっても、この番組が終わるとかではないだろうし、相田さんと酒井さんも詳細がわかっておらず急に言われたということを話していた。
物事は急に終わることもあるし、水面下で進んでいることもある。当事者の預かり知らないところでの動きが、急に現実化することもある。新しい番組は始まるし、続いていた番組は終わる。それは色んな理由や思惑があってどうにもならないこともあるし、足掻いたら覆ることもある。二年以上やっている番組だから、どうしてこうなったのかアナウンスはさすがにしてほしいが、Spotifyがどういう対応をするのかはわからない。
 

あらすじ・ある事件をきっかけに報道局からイベント事業部に異動することになったテレビ局員、守谷京斗(もりや・きょうと)。異動先で出会った吾妻李久美(あづま・りくみ)が祖母から譲り受けた、作者不明の不思議な古い絵を使って「たった一枚の展覧会」を実施しようと試みる。ところが、許可を得ようにも作者も権利継承者もわからない。手がかりは絵の裏に書かれた「イサム・イノマタ」の署名だけ。守谷は元記者としての知見を活かし、謎の画家の正体を探り始める。だがそれは、秋田のある一族が、暗い水の中に沈めた秘密に繋がっていた。
1945年8月15日未明の秋田・土崎空襲。
芸術が招いた、意図しない悲劇。
暴走した正義と、取り返しのつかない後悔。
長年秘められてきた真実は、
一枚の「絵」のミステリから始まっていた。

戦争。家族、仕事、芸術……すべてを詰め込んだ作家・加藤シゲアキ「第二章」のスタートを彩る集大成的作品。「死んだら、なにかの熱になれる。すべての生き物の成れの果てだ」

加藤シゲアキ著『なれのはて』の続きを仕事が終わってから読む。日付が変わって最後の第7章前まで読んだのでそこで止める。
地方で権力を持つ一族を巡る問題が政治家にも通じているあたりは渡辺あや脚本『エルピス』を彷彿させるし、戦中戦後の復興と生き延びた人たちの復興と喪失の物語という部分では、映画『ゴジラ-1.0』『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』で描かれたことにも通じているなって感じられるところもあった。同時代性なのかもしれない。戦後復興において築かれたものが瓦解していく中で、第二次世界大戦経験者の世代が減っていくこともあって、今それらの時代をある種のファンタジーとしても描かれるようになりつつあり、同時に今の問題につながるものがそこにあるという危機感もあるのだと思う。
冒頭にスケルトンのエレベーターで報道部があった3階ではなく、異動先のメディア事業部がある38階へ、初出勤するシーンはどう考えても主人公の守谷の「象徴的な死」であり、欠損したところから物語は始まっている。
守谷は吾妻の祖母から譲り受けた一枚の絵がきっかけとなり、記者時代の能力を活用して絵と猪俣家の謎を解いていくことになる。それらを吾妻と探っていくことで彼は水を得た魚のように生き生きとしていく。
「象徴的な死」であり「鯨の胎内」であるメディア事業部の中で、再生するために絵の謎を紐解いていく、それらは「英雄神話構造」が当てはまるだろう。章ごとの間に過去の出来事が挟まれて挿入されていくことで物語は現在と過去を行き来していくと、どんどん層となって積み重なって豊穣な物語へとなっていく。

 

1月17日
起きてから『なれのはて』最終章を読んで読了。ほかの直木賞候補作品を読んでいないので比べれないが、この作品が受賞するんじゃないかなと思える力作だった。
層が重なっている感じで僕はすごく好き。最後の方の吾妻と彼女の母、その母と祖母の関係性であったり、終わり方はかなりベタなものになっているし、全てが結び付かなくてもいいのではないかなと思ったけど、これが加藤さんなりのエンタメであり、ベタもちゃんと入れ込んでいくという意志なのかなって。
近年の直木賞でこの作品に近いのは佐藤究著『テスカトリポカ』や小川哲著『地図と拳』のような、歴史と地域性を描いたエンタメ小説だと思う。
もし、直木賞を受賞したら「Q.今作において、創作物と創作者自身の関係性にも書かれています。「罪人のもたらすもの全てが許されないのだとしたら、その方が歪んでいるのではないだろうか」という文章が作中にありました。私自身もずっと影響を受けてきた創作者の行った行為が社会的に許されるものではなかったことで、その人物が作った作品もなかったことにされていく、表立って言えないという状況を強く感じています。ここで書かれた創作物と創作者の関係性において、私自身もそうであってほしいと思っています。
加藤さんご自身も事務所の問題などでそれらのことを考えない日はないとは思いますが、ここに込められた気持ちや考えがあればお伺いしたいです」という質問をしてもらおうと思って、ニコニコ動画の友人にこの文章を送った。


『なれのはて』読書中はずっとTHE SMILEの曲をSpotifyで流していた。その中でもこのライブで演奏した一曲がよくて何度も繰り返して聴いた。いやあ、セカンドアルバム『Wall of Eyes』楽しみ。と思っていたらBeatinkで募集をしていた『Wall of Eyes, On Film』が当選していた。恥を忍んで該当ポストをリポストしてよかった。いい音響システムであるところでニューアルバムが聴けて、MVも観れるなんて最高すぎる。

いつも通りリモートワークを開始。仕事中はradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『出川哲朗オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン』を流してBGMがてら聴いていた。
出川哲朗オールナイトニッポン』は横浜アリーナで開催された還暦イベントについてのものだったけど、エピソードとかを聞いているとほんとうに出川さんって愛されているんだなって思うし、結局最終的に人間ってそれが大事っていうか。やったことがかえってくるし、年老いてからその人が偉いから力があるからではなく、慕ってくれる人がいるような人間になれた、もうそれはとんでもなく素晴らしいことで、出川さんやゲストのホリケンさん中岡さん飯尾さんとのトークもあたたかくてよかった。
そこから引き続きの『あののオールナイトニッポン0』では出川さんの生放送あとにきっと来るであろうと先週の時点で話していたあのちゃん、しかし今週は収録だと言っていたのに海外に仕事でいるのに何かを繋いで生放送を開始。出川さんたちが来てもあのちゃんはいないのに、生放送はしているという不思議な空間に。前に出川さんがゲストに来てくれて、「生放送じゃないとオールナイトニッポンだと認めない」という発言があったからこそ、今回のようなことをやったわけだが、非常に賑やかでおもしろい冒頭だった。


リモートワークを少し早く上がらせてもらって恵比寿へ。
A16という早すぎる番号だったが、家を出てLIQUIDROOMに着いたのが開場の2分前すぐに会場の方へ降りて中へ。一段上になっているところの一番右端をGETする。これなら見やすいし荷物や上着があっても問題ない。開演前に芥川賞を九段理江さんが受賞したのを知る。直木賞加藤シゲアキさんが取ったらいいなと思っていたが、選考がすんなり決まらないようでライブスタートするまでには発表されなかった。

最初は七尾旅人さんのバンドセットからスタート。
ソロでのイメージがあったし、曲も多くはないけど聴いたことがあったけどバンドでの演奏はロックバンド的な感じではなく、なんというかアヴァンギャルぽかった。七尾旅人&ポエトリーリーデング&バンドセットで独自な世界観がさらに濃くなっていた。知っている曲だと『Rollin’Rollin’』をやったけど、音源とはかなり違う歌い回しになっていた。

セットチェンジの間にスマホを見たら直木賞受賞者が発表されていた。お二人とも作品を読んだことがないのでなんとも言えない。ZAZEN BOYSが出てきてライブが再開。
ニューアルバムからの曲とアルバムが出るまでの12年間で磨きに磨きをかけ続けてきた楽曲と半々ぐらいでいいバランス。本編最後に『永遠少女』を、この曲はしばらく本編締めになるだろう、大事な曲にすでになっている。
パッと見で海外の人、欧米系の白人のお客さんが数人は目に入った。旅行者って感じではなかったから在住の人かもしれないけど、音にはノッていたりした。向井さんがソロで出るライブに行った時にもナンバーガールを聴いて興味を持ったという二十代ぐらいの白人の人もいたし、ZEZN BOYSも歌詞は理解しにくいかもしれないけど、彼らの鳴らすサウンドが届き始めているのかもしれない。
最後にアンコールでZAZEN BOYS七尾旅人が一緒に『サーカスナイト』をやってくれた。これがほんとうに素晴らしかった。今年一発目のライブは向井秀徳ソロだったが、その時にも『サーカスナイト』カバーをやっていたので、ライブ二回で別バージョンを二回も聴けたのもとても幸せだった。

 

1月18日
映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』本予告解禁!【前章3月22日(金)・後章4月19日(金)全国公開】 


「デデデデ」は東日本大震災後の見えない放射能をメタファとして空に浮かんだ宇宙船に、それを巡る陰謀論や市民間の分断と差別の助長を加速させるSNSと少女たちの物語×SF的な想像力といえる作品で大好きなんだけど、アニメ映画としてヒットするかはちょっと見えない。
コミック12巻を前後編でやるなら、前編は女子校から大学入学後辺り、後編はこの世界の謎を解く感じかな。
いくらとあので主題歌は当然として、日本のアニソンが世界を取るのがさらに当たり前になるであろう2024年にこの作品と曲はどこまで広がるか。


起きてから散歩がてら代官山蔦屋書へ。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。来週はさらば青春の光がゲストらしい、昨日の『あちこちオードリー』のゲストがさらば青春の光ラブレターズだったけど、ラブレターズがライブ前みたいな話をしていたから、去年の単独ライブは12月で観に行ったから収録自体は一ヶ月ほど前のものなのだろう。
家に帰ってから昨日買っていた『オードリーのオールナイトニッポン トーク傑作選 2019-2022』を読み始めた。僕が今みたいに生活の中でラジオを聴くようになったのはコロナパンデミック以降、出社しないで家で仕事をするようになってから。2020年入ってからだったと思うので、この19年あたりのことはあまり知らないというか聴いていない部分なのでちょっと新鮮。
基本的にradikoはプレミアムに入っているけど、ラジオ番組自体にお金は落としていない。『三四郎オールナイトニッポン0』はファンクラブに入っているのでわずかだけど払っているが、他の番組ではそういうこともない。それもあって、自分が聴いているラジオ関係の書籍が出たらできるだけ買うようにはしている。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の番組本は収録されているもの全部ラジオで聴いていたので、知ってるこの話とは思うものの、文章で読むと声で聴いていた話もちょっと違うものとなるし、自分の読むスピードで速さを調整できたりもする。『菊地成孔の粋な夜電波』の書籍からラジオ番組関連本は意識的に買うようになった。

体がちょっと怠かったので夕方前にちょっと仮眠したらだいぶよくなった。そこから家を出るまで作業をやる。
今月末に提出するものを少しでも進めておいて、がっつり取り掛かるのは来週からだけど、これを仕上げないとあとあと大変というか、またスケジュールが読めなくなるので〆切のデッドラインだけは超えないように、その上でちゃんとしたものを出さないといけない。


19時前に家を出て代々木上原へ歩いて向かう。一時間かからないぐらいの距離だったので、Spotifyで『あののオールナイトニッポン0』の出川哲朗乱入回を聴きつつ歩く。
毎週やっているミーティングの打ち合わせと新年会を兼ねたご飯。代々木上原駅近くのイタリアンレストラン「konel」へ。
三人で行ったのだけど、そのうちの一人が知り合いの食通の人たちからよく聞くお店なので行ってみたいと予約をしてくれたので、なにも知らずに向かった。基本的にはコースで出てきて、その中でおでんの具材を言われた中から二つそれぞれ選んだり、メインとかパスタも何種類かあってその中から選ぶというものだった。
お店の雰囲気もよいし、料理も美味しかった。僕らは三人並んでのカウンター席だったけど問題なくて、話もしやすかった。お店の人もしっかり料理について説明してくれるし、ちょっとした気遣いの声掛けのタイミングも会話の邪魔をしない感じでそこも居心地のいやすい空間になっていた。


帰りはそのまま来た道を引き返していく。行きの時は駒場東大前より北の道は初めて通る場所で知らなかったのもあったけど、帰りは一度通っている道だから行きよりは時間がかからずに帰れた。

 

1月19日
二日酔いもなくちゃんと目覚ましが鳴って起きる。〆切が近いライティング作業に関する資料を少し読んでからリモートワークを開始。
前日木曜日の深夜に放送された『ハライチのターン!』『おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千等身 都築拓紀のサクラバシ919』と盛りだくさんなラジオをradikoのタイムフリーで聴きながら作業を。休憩時間とか仕事が終わってからも聴いて全部聴き終えた。
おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』がどちらもおもしろくて、おぎやはぎはかつて働いていた会社の先輩か上司みたいな人とゴルフ場で再会したことをきっかけに、昔世話になったなになにさんの話をしてメールを募集するという展開、もちろんハガキ職人たちが名前を偽ってメールを送ってくる流れで馬鹿馬鹿しくてよかった。
ナイナイは出川さんの還暦イベントの裏話も含めて話もしたし、亡くなったエスパー伊藤さんとの話、何度も番組で流している反町隆史の『ロイヤルミルクティー』という曲に関してまた触れていた。

知っている編集者さんからお仕事に関する依頼のメールが届いた。日程的には受けると春までの期間がかなりキツキツにはなりそうだけど、たぶんやったほうがいいなと思うのでやりたいという返事をした。あとはいろいろなところの許可とか承諾が出たらやることになると思う。こういうのは全部タイミングだなって思う。

――岩井監督のどの作品にも、雪をはじめ、灯台や街、鉄塔など、象徴的なモチーフが登場すると思うのですが、それは「絵」として見た時にも重要な要素になっていますよね。

シンボルとなるような場所を探したり、そこに芝居をくっつけたりしながら映画を作っているんだろうとは思いますが、なぜか?と訊かれたら自分の中でも説明がつかないこともある。だから学生時代の初めの頃なんかは、どうも形にならない、なんだかサマにならないなあ、と。頭の中にあるイメージは風景に近いものだったから、風景画を描いた時期もあったんです。

ところがいざ自分が描いてみると、なかなかうまくいかない。そのまま油画を極めようとその方向へ進んでいたら、僕はひょっとするとアンドリュー・ワイエスのような絵を描いてたんじゃないかな、という気もしますけれど。でも、映像を撮っていくうちに、「風景というのは、ただの風景に過ぎない」という感覚が出てきて、風景を表す媒体として「人」が必要だということにたどり着いたんですよね。

――映画『Love Letter』、『ラストレター』、『キリエのうた』の3作品では、俳優さんが2つの役を演じていることも特徴的です。「一人二役」に込められた意味はあるのでしょうか。

もちろん物語の都合もあるんですが、根底では、「誰か=自分」というドッペルゲンガーみたいなものが好きなんだと思います。ただ、ドッペルゲンガーをいま直球にやってもチープすぎますよね(笑)。一時期、流行りすぎて、何かのサスペンス大賞の時だったと思うのですが、審査員の荒俣宏さんが禁じ手にすべきだと書いてるのを読んだことがあります。

でも、きっと初めは人の心を強烈に引きつける何かがあったわけですよね。だから自分なりに今風にアレンジしているんだと思う。そもそもまっさらから何かを作り上げるというよりは、神話や童話などをお手本にしたり、使い古されたネタを元にしたりして、現代に融合させたらどうなるだろう?とか、そういうのを考えるのが好きですね。

映画監督・岩井俊二の「風景」を紐解く─記憶が、映画を生み、そして誰かの風景になる

岩井監督の写真も良い感じだし、インタビューもちゃんと作品と岩井さんの思い出や原風景みたいなものとの関係性を聞いていてよい内容だった。


鈴木真海子『からから』が配信されていた。なんとなく彼女のアルバムをレンタルして聴いてから、そこからチェルミコも聴くようになったけど、ソロもやっぱりいいな。

 

1月20日
起きてから今日〆切の作業のライティングのことに関して考えたくて、散歩へ。とりあえず、作業に関することに関するメモをFacebookに自分だけ見れるようにポストして、歩きながら読んで、しばらく放っておくことにした。
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていたら、この間の出川さんの還暦イベントの話を小宮さんが、相田さんは四千等身の都築と収録終わりに健康ランドに行った話だった。やっぱり還暦イベントは横浜アリーナ遠いしなって思ってちょっと躊躇してしまったのが悔やまれる。絶対に観ておくべきお笑いイベントだった。イベントの裏側を出演者の人がそれぞれの立場から、出川さんとの関係から話しているからより魅力的に感じるのもあるんだろうな。
ライティング作業に関することについて読んだメモを時折思い浮かべて、どうしたらいいかなってちょっと考えて忘れて歩くみたいなことで、脳内でなんかいいアイデアになったり、浮かんでくるといいなと思いつつ、代官山蔦屋書店へ。


年末年始で結局のところ、ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』を読み終わることができなかった。新潮社から出ているマルケス全小説シリーズは他には『落ち葉』『コレラの時代の愛』『愛その他の悪霊について』は家にあって、海外小説のコーナーを見ていたら『族長の秋』がこのシリーズでは『百年の孤独』以外に残っていたので、持っていないしなんか目が合った気がしたので購入した。『百年の孤独』が今年文庫になるという話があったから、シリーズの単行本も増刷したり刷りなおしたりするといいのだけど。

浅田弘幸『完全版 I’ll-アイル-』“青春漫画“としての魅力「かけがえのない、心から安心出来る居場所をつくりたい」

中学から『I'll』を読んで高校時代はバスケ部に入るぐらい好きな漫画。『スラムダンク』もリアルタイムで読んでいたがあまり響かなかった。僕よりは少し上の人が本当のドストライクだったと思うけど、いわゆるドメジャーなものへ興味が向かないっていうのは思春期のころからあったんだろう。
『I'll』も「月刊ジャンプ」で連載していてヒット作だったわけだけど、やっぱり『I'll』好きと『スラムダンク』好きは違うタイプだと思う。
僕が聞き手になったcakesの田島昭宇さんのインタビューを読んだ、この記事を書いた島田さんから『漫画家本』シリーズの執筆を依頼してもらって何度か書かせてもらった。島田さんは西島大介さんの『世界の終わりの魔法使い』の最初の編集だったりして、僕が好きな漫画家さんと一緒にお仕事をされている編集者さん。

家に帰ってきてから、ちょっとだけ読書をしてから作業を開始。

ごぶごぶラジオ | MBSラジオ | 2024/01/19/金 25:00-25:45

ダウンタウン浜田さんの番組に息子のハマオカモトが乱入したというのを新TwitterのXで見たので流してみた。何年も前に父息子二人でのラジオが正月早々にあったのを聴いたことがあった。
相方である松本さんが性加害問題で取り沙汰される中で、フェスをやるという父に対して、普段呼ばれる側のミュージシャンからの苦言やアドバイスをしにきた感じだった。いろいろと状況的に難しい中での出演だろうけど、ちゃんとしている息子だなって思えるし、親子の会話はその関係の良さを感じさせるものだった。

『オールナイトPodcast土曜日 令和ロマン』  ③ 表と裏の二元論(ゲスト:佐久間宣行) 

佐久間さんがもし自分の枠を譲るならという話から、ANNはもっと雑多ものであってほしいというのはご自身がそういうものの影響を受けてきたからなんだろう。令和ロマンはレギュラーで聴きたいけどなあ。
月曜一部がAdoが卒業という話から、自分が一部に行くと入り時間も早くなるから仕事に支障が出るかもって話もされていて、伊集院さんの後ろだから嫌なんじゃないかなって勝手に思っていたけど全然違った。

日付が変わる頃に作業は終了。やり方がこれでいいのかわからないけど、これが叩き台になって次のミーティングで意見とかもらえたら、より輪郭が増すんじゃないかなと思って送信。

 

1月21日
7時過ぎに起きて、トイレで用を済まして玄関のドアを開ける。起きた時から耳に届いていたがやっぱり雨がザーザーと降っていた。ほんとうなら二時間ほど歩いて日比谷に行こうと思っていたけど、この雨だとさすがにしんどいので渋谷から電車に乗ることにして、8時半まで読書をした。
最近は『私が諸島である』をようやく読み始めた。他には『続きと始まり』『金は払う、冒険は愉快だ』『平家物語 4』『〈ツイッター〉にとって美とはなにか』『オードリーのオールナイトニッポン傑作選』を並行して読み進めている。
柴崎友香さんの『続きと始まり』は東日本大震災から、そしてコロナパンデミック期間のことを描いていることもあって、能登半島に大きな被害をもたらしている大地震のことを考えるというか、思い浮かべるきっかけにもなる。同時に東日本大震災もコロナのこともどこか記憶の中で、日常生活の中で薄れていくのを食い止めてくれるような、忘れてはいけない風化させてはいけないものについて、なんというか歯止めのようなものを自分の中に与えてくれる。


傘を差して渋谷まで、雨はしばらく止みそうにない。大粒でもないので服がびちゃびちゃになるほどでもないが、傘はないとしんどいという振り方。半蔵門線渋谷駅から隣の表参道駅で銀座線に乗り換えて銀座駅まで。
TOHOシネマズシャンテについたのは9時半前だったが、50分から劇場がオープンだったので目の前の東京ミッドタウン日比谷内のTOHOシネマズ日比谷に行ったりして時間を潰してから再度シャンテへ。
金曜日に公開したばかりの新作映画であるジェシー・アイゼンバーグ監督『僕らの世界が交わるまで』を鑑賞。A24作品でもあるのと、主演の二人の感じも予告編で見ていいなと思っていた作品。
お客さんはそれなりに入っていたと思うが、年齢層は高かった。A24作品が好きそうな感じではない、シャンテ自体についているお客さんのような気もするし、ジュリアン・ムーアが60歳越えているから彼女と同世代ぐらいの人が気になったということなのだろうか。やっぱり日比谷という土地柄、シャンテという劇場だからの客層だと思う。同じ作品でもホワイトシネクイントでやっていたら客層は中年以下、僕ら40代から20代ぐらいがほとんどになるんじゃないかな。

ソーシャル・ネットワーク」「ゾンビランド」シリーズなどの俳優ジェシー・アイゼンバーグが長編初メガホンをとったヒューマンドラマ。アイゼンバーグがオーディオブック向けに制作したラジオドラマをもとに自ら脚本を手がけ、ちぐはぐにすれ違う母と息子が織りなす人間模様を描く。

DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母エブリンと、ネットのライブ配信で人気を集める高校生の息子ジギー。社会奉仕に身を捧げる母と自分のフォロワーのことで頭がいっぱいのZ世代の息子は、お互いのことを分かり合えず、すれ違ってばかり。そんな2人だったが、各々がないものねだりの相手にひかれて空回りするという、親子でそっくりなところもあり、そのことからそれぞれが少しずつ変化していく。

アリスのままで」のジュリアン・ムーアが母エブリン、ドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」シリーズのフィン・ウルフハードが息子ジギーを演じた。「ラ・ラ・ランド」「クルエラ」の俳優エマ・ストーンが製作に名を連ねる。(映画.comより)

息子のジギーは同級生のライラのことが気になっている。彼女は友達たちと政治的な話をよくしており、温暖化や差別問題や格差について自分の意見をはっきりと言える知性的で政治的な関心のある少女だった。
ジギーはライラの近くで話を聞いているが、内容についてはまったくわからないのに、彼女に同意すると急に話しかけて、理由を聞かれても当然答えられない。そんな時でも自身のネットライブ配信では二万人ほどのフォロワーがいると自慢するものの、ライラたちはそのことに関心がなく響かない。
彼はライラが作った搾取の構造について書いた詩に自分で音楽をつけてライブ配信し、それでそこそこの投げ銭をもらえたと伝える。当然彼女からすれば彼は搾取の構造を理解しておらず、勝手に詩を使って私も搾取しているなど伝えるが、ジギーはなぜ彼女が怒っているのか理解できない。という息子のラインがある。

母のエブリンはシェルターで保護した女性とその息子に普段通りに接するが、その息子であるカイルの母への献身や優しさに感動する。
カイルはジギーと同じ学校の高校生であり、母に暴力を振るう父が経営している自動車整備の仕事を卒業はやりたいと話す。シェルターに来る前も父の仕事を手伝っており、その仕事が好きだった。だが、エブリンはカイルの能力の高さや優しさから大学へ進むことを提案し、協力すると伝える。
最初はただの親切だったが、エブリンのおせっかいはカイルにとっても迷惑なものとなっていく。エブリン自体が自動車整備の仕事をブルーカラーの仕事であり価値を認めていないというのがどこかで滲み出てしまっていた。カイルははっきりと自分の進路については自分で決めると伝えることになる。という母のラインがある。

この二つのラインが同時に展開していくのだが、この作品でもおもしろいなと思うのは、今はわかり合えない母と息子の関係であるものの、息子のジギーがライラに惹かれていく中で彼女の政治的にも興味を持つが、それは彼の母と同様だったり近いものであり、母のエブリンがカイルへあれこそ手助けしたいというのは彼が理想の息子のイメージであり、息子との距離感がわからなくなっていることで彼を疑似息子的に感じて接しているところだった。お互いにないものねだりというよりは、身近な人への気持ちや距離感がわからなくなったことでそれを第三者に見て惹かれたり、関係性を持とうとしているところだ。
この母と息子が物語の軸であることもあって、この一家の父はかなり存在感がないし、二人からも蔑ろにされている感じがしてかわいそうではあった。
もともとジェシー・アイゼンバーグがラジオドラマ用に書いていた脚本を映画用に書き直したものらしいので、実際にはもっと長くて細かいディテールや関係性も描かれていたものをメインの二人に集約したのだろう。なんというか短くまとまっているようだけど、語り足りていない感じもするし、10話ぐらいのドラマの6、7話ぐらいな内容にも感じて、ちょっと物足りなかった。

META TAXI #15 | 向井秀徳 × ランジャタイ 国崎和也、ナナヲアカリ × 寺田てら、東問 × 東言 


行きは『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていたが、帰りは『META TAXI』のThis is 向井秀徳×ランジャタイ国崎を。
国崎さんがナンバガザゼンと向井さんのファンというのがストレートに伝わる内容であり、いつもみたいにボケまくるのではなく、ファンとして向井さんに話を聞いたり、自分のお笑いに向井さんの曲がもたらした影響なんかをうれしそうに少し恥ずかしそうに話しているのがとても好感が持てた。いつも通りのペースだけど自分にとって嬉しいことを言われたら、そのことをちゃんと伝えるみたいな向井さんという二人の組み合わせはなんか俺得感がすごくあった。

──作中にはSNS発信で承認欲求を満たしたり、収入を得たりする登場人物も現れますが、小川さんは現在の「X」のようなSNSをどのように見ていますか?

 僕は発信しない傍観者ですが、観察はしています。Twitterから「X」になり、インプレッション数がお金に直結する仕組みができたことで、「いかに目立つか」を追求する流れが加速している。党派性が強まり、極端な意見を言う人が増えて、本当は反対でも賛成でもないのに極論を言うとインプレッションを稼げるので、そこに乗っかっていく人が増えて──と極論のインフレ状態になっています。SNSという場所は、最終的に必ずそうなる運命なのかもしれませんね。

 SNSでは案外、自分の主張をろくに持たない人の方が強い点も興味深く見ています。「みんながこういうことを言いたがっている」という内容を、極端に言い換えて代弁するのが、最もインプレッションを稼げる方法だからです。つまり「主張のない人ほど極端なことを言う」というねじれた状況になっている。インプレッション欲しさに発信していた極論が次第に内面化され、過激化していって、それがお金にもなってサバイブしていく人が作家の中からも現れたりしています。良いか悪いかはともかく、そういう魔境みたいな場所になっているなと見ています。

──SNS発信を一切していないのは、若手の小説家としては珍しいですね。

 デビューしたての頃は担当編集者に、プロモーションのためにやった方がいいとよく勧められました。そのたびに「東野圭吾も、村上春樹も、宮部みゆきSNSはやってないじゃないですか」と反論していました。SNS発信と作品の売り上げは関係ないでしょうと。

 これは僕の持論なのですが、作家がプロモーションのためにSNSをやるなら、炎上しなければ意味がない。タイムライン上で誰かと派手にけんかをしたり、極論を言ったりして、僕を知らない人の目にも触れるくらい炎上しないと、既存の読者にフォローされているだけでは知名度は上がりません。でも編集者は、炎上は嫌がるのです(笑)。面白いこともあまり言えないタイプなので、小説家は小説だけを読んでもらってやっていければ、それが一番いいですね。

小川哲「今のSNSは主張なき人々の極論がインフレする魔境状態」 

何かを発表した時のプロモーションとしてSNS使うならバズらないと、炎上しないと広がらない。そして炎上した後にこの場合なら編集者や出版社は責任を取らない、作家だけが炎上して潰れていくみたいなことは確かにあって、PRも含めて出版社の仕事だったのが、自分で発信できるようになったら、自分でも宣伝するのが当たり前というかやって当然みたいな感じにはどうしてもなってきている。
メリットとデメリットを考えたらやらないほうがいいようにも思える。ただ、「悪名は無名に勝る」という言葉もあるように、誰がそれをしたかで結果は大きく違ったりもするから、一概には言えないのが難しい。
ただ、個人的には新TwitterであるXでプロモーションのために自分のポストを何度もリポストしているのを見ると、やらなきゃいいのになって思うし、なんか悲しい気分になる。
一回ぐらいはタイムラインにもう一度みたいな気持ちもあるだろうからギリだけど、何度も同じポストをリポストするのは恥ずかしいからやめた方がいいとは個人的には思うし、インプレッションを稼ぎたい人の手助けをしたいとは一切思わない。

夕方から作業を開始。9時前から確定申告のために去年の領収書とかをまとめたり、計算したりと毎年恒例の作業。もうスマホでできるから家にいて申告はできるがめんどくさいのは変わらない。この時期にみんな確定申告で大変な思いをするわけで、キックバックとか抜かしている政治家どもの裏金作りへの憎悪、苛立ちは高まるだろう。
安倍晋三が首相の時からずっと政権与党は国賊だったし、国民へ対してのテロをしていたと思っているので、彼らは自分と相似形のオウム真理教の死刑囚たちを一気に死刑にしたと思っている。そうすることで彼らとは真逆で正義ですよという顔をするために。
それでもこんな状況でも自民党が次の選挙で勝てばこの何年、何十年で起きたことの責任は取らずになかったことにされるけど、多くの人は選挙すらいかず、自民党とかに入れるんだろう。
確定申告の怒りやめんどくささを考えたら、キックバックとかぬかして脱税してる奴らを許すことに繋がる彼らが政権与党でいることに違和感を感じない、自分の選挙権を行使しない人たちはもう何も自分の頭で考えることができない人なんだろう。

 

1月22日
起床してからいつもより一時間早くリモートワークを開始。いつもより一時間早めに上がらせてもらって17時に家を出る。
渋谷までは歩いて行こうかと思っていたのだけど、開場案内が18時なので余裕だったのに、グッズの販売が17時からとアナウンスがあったのでできるだけ早く着いたほうが並んだりしなくていいやと思って池尻大橋駅で乗車して渋谷で副都心線に乗り換えて新宿三丁目で降りてから歌舞伎タワーへ。地下にあるZepp Shijukuはシネマスタッフのライブで一度訪れたことがあったが、映画館の109シネマズプレミアム新宿は今回が初めてだった。


The Smileのセカンドアルバム『Wall Of Eyes』発売記念の上映イベントに当選した。
TwitterであるXでBEATINKのアカウントでイベントに関するポストをリポストした中から抽選で、というものだった。上映イベントをやることになったシアター8は調べてみると全席で80席程度、22日と24日の二日でどちらの日程は向こうが決めるので選べない形になっていた。
この映画館、名前の通りプレミアムなお値段で普通の席が4500円、中央の一番見やすくてシートのグレードが一段上のものは6500円という価格設定になっているラグジュアリーな、多分この使い方であってるだろう、抽選で当たったので無料というお得さもあった。

17時50分前には9階のグッズ売り場に着いて、『Wall Of Eyes』のCDとカセットテープ、ステッカーとZINEを購入した。袋は今回用の特別仕様のものだった。
CDは26日発売だったのでちょっと早めに買える感じだが、他のグッズはこの上映イベントがある二日間限定の発売だった。上映会にあたってなくてもグッズだけは買える形になっていた。

当選のDMを見せてチケットと引き換えになるので、10階に移動して待っていたら18時から引き換えになり、2番目に並んでいたのですぐ自分の番になってチケットを渡された。
DMでは座席は抽選と書いてあったが、その後中に入ってみてわかったのは並んだのが早かった人から一段グレードが高いシートの一つ前の列の席のチケットを渡されていた。僕もE-5とほぼド真ん中で観やすい場所だったので早めにきて大正解だった。
チケットのQRでラウンジに入れる。そこではポップコーンやドリンクが無料でもらえる。それがプレミアムのひとつであるのだけど、僕はポップコーンの匂いが嫌いなのでアイスコーヒーだけもらってシアターに入れるまで写真とかを撮っていた。TOHOシネマズ新宿のゴジラの後頭部が見れる高さだった。
多くの人がポップコーンをもらっていたが、The Smileの新譜の音源をいい音で聴きながら、そこでポップコーンの匂いがしていいのか? 匂いって記憶と結びつくから曲と匂いが重なっちゃうよ、いいの?って思ってはいたが他の人にその場で文句いう権利も義理もないので黙っておいた。
ここのシネマは坂本龍一さんが音響に関して監修しているところで、かなり音に特化した映画館らしく、上映前に亡くなるどのくらい前なのかかなり痩せている坂本さんがシアターについて話す紹介動画のようなものが流れた。

Wall Of Eyes, On Film【イベント内容】
ザ・スマイル『Wall Of Eyes』全曲試聴(サラウンド・サウンド) ※世界初公開
ザ・スマイル『Wall Of Eyes』レコーディング・セッション 未公開映像 ※世界初公開
ザ・スマイル「Friend Of A Friend」35mmフィルム上映 ※世界初公開
ザ・スマイル「Wall Of Eyes」35mmフィルム上映
トム・ヨーク「ANIMA」ショートフィルム上映
レディオヘッド「Daydreaming」35mmフィルム上映
レディオヘッド「Present Tense」上映
レディオヘッド「The Numbers」上映

最初にサイレントでThe Smileのメンバーがレコーディングしている様子の映像がどのくらいか10分ほど流れてから、アルバム『Wall Of Eyes』が一曲目から流れ出した。スクリーンは一曲ずつアルバムジャケのようなトム・ヨークたちがデザインした絵がAI的ななにかで動くようにしているのかアニメーションみたいに動いていくものがそれぞれの曲に用意されていて、映像と音でニューアルバムを通して体験をした。
サウンドシステムがよすぎて気持ちいいから寝てしまうそうになるが、なんとか踏みとどまった。リクライニングシートになっているのもあって心地良すぎた。音はなんだろう、異様にクリアだなって感じた。

The Smile - Wall Of Eyes 


『Friend Of A Friend』『Wall Of Eyes』35mmフィルム上映も素晴らしかった。『ANIMA』のショートフィルムはネトフリで観ていたけど、大画面でいい音響で観れたのでより不気味さと世界観が届いてくるものになっていてすごかった。
終わってから9階で鑑賞後にポストカードをくれるというのでもらってから、電車に乗って帰った。


お腹も空いていたし、ビール飲みたいなって思ったので家に帰る前にニコラによってグリンピースとパンチェッタと温泉卵、真鰯とエンダイブのオーブン焼きとビール、最後にアルヴァーブレンドをいただいた。
平日の夜遅くだけどお店はずっと混んでいた。みんな夜も普通の飲んで話して楽しんでいる感じだ。またコロナやインフルが流行っていると聞くけど、そこまで感染したり影響はでてないのか、もう気にしないでもいいやって世間の空気感なのか、どうなのだろう。

 

1月23日
起きてから朝の作業は昼以降にスライドして、シネマイレージデイで鑑賞料金が安くなるので実写化された『ゴールデンカムイ』を観に歩いて渋谷へ。

明治末期の北海道を舞台にアイヌ埋蔵金争奪戦の行方を描いた野田サトルの大ヒット漫画を実写映画化。

日露戦争での鬼神のごとき戦いぶりから「不死身の杉元」の異名を持つ杉元佐一。ある目的のため一獲千金を狙う彼は、北海道の山奥で砂金採りに明け暮れていた。そんなある日、杉元はアイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った「のっぺら坊」と呼ばれる男は、捕まる直前に金塊を隠し、その在処を暗号にした刺青を24人の囚人の身体に彫って彼らを脱獄させた。金塊を見つけ出すべく動き始めた杉元は、野生のヒグマに襲われたところをアイヌの少女アシリパに救われる。彼女は金塊を奪った男に父親を殺されており、その仇を討つため杉元と行動をともにすることに。一方、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉と、戊辰戦争で戦死したとされていた新選組副長・土方歳三も、それぞれ金塊の行方を追っていた。

「キングダム」シリーズの山崎賢人が杉元、「彼女が好きなものは」の山田杏奈がアシリパを演じ、眞栄田郷敦、工藤阿須加玉木宏舘ひろしら豪華キャストが個性豊かなキャラクターたちを演じる。監督は「HiGH&LOW」シリーズの久保茂昭。(映画.comより)

漫画もちゃんと読んでいなくて、主人公の杉元とアシリパがわかっている程度。原作コミックは完結しているが、今回の映画化で何巻ぐらいまでをやっているのかわからないけど、かなり続けないと終わらないだろうなという序盤、始まって最初の戦いや二人の関係性が強まって認め合えた感じぐらいで終わった。
アシリパ役の山田杏奈が思いのほか違和感を感じなかったのもデカいかもしれない。財宝をめぐる戦いでアクションシーンも派手なものもたくさんあったが、ヒグマとの戦いのシーンも見応えがあった。何回かヒグマが出てきたのもあって去年観た『コカイン・ベア』を思い出したりした。
原作である漫画ファンがどのくらいOKなのかこうじゃないだろと思っているのかはわからないけど、実写化としてはかなり出来がいいようにも思えたし、当然ながらシリーズ化するだろうけど、このクオリティなら一安心じゃないかな。
杉元が無敵すぎるじゃんとか、アシリパアイヌに関しての言葉や知識をちゃんと通訳というかわかりやすくて伝える役目だったりはするけど、その辺りは漫画的であるし、漫画を通ってなかった人にも観やすい作りになっていた。
味噌というものを知らないアシリパがうんこだと言って、食事の際に味噌を入れる入れないみたいなほっこりするシーンがあったし、ジビエ的な野生の動物の肉を食べるシーンが何度もあったのも大きなことかもしれない。一緒に食事をするということは他人を、自分ではない誰かのことを知る上で大切なことだし、信頼関係がないと一緒に食事は難しい。二人の関係性や絆を食を通じて描いているところは漫画から通じているはずだけど、食事のシーンもよかった。

映画を観終わってからタワーレコード渋谷店へ。 ZAZEN BO YSの12年ぶりのニューアルバム『らんど』のCDを買いに。昨日のThe Smileもだけどフラゲする形になった。
Spotifyで音楽も聴くけどやっぱり使い勝手が悪いし、ブツとしてCDがあったほうが僕はうれしいし、それを自分のiTunesに入れて聴く方が自由だ。あとアーティストを応援する形としてもCDとかでアルバムを買いたい。アルバムっていう単位が配信ではこのままだとなくなるような気もしてしまう。それは嫌だからパッケージされた形としてのアルバム、それも手に取れるものを好きなアーティストが出したら買う、ということ。それしかない。

ZAZEN BOYS - 永遠少女 



H&Mの前の、昔ドンキがあったところでばったり知り合いに会った。そこで立ち話を30分ぐらいした。その人も週刊誌で取り沙汰されている人と関係のある人の知り合いで、大丈夫かなと心配していたので会って話せてよかった。
同時に僕も園子温監督の性加害問題の時に知らないことばかり出てきて、でも、外から見れば近い距離にいる、仕事をしている人が知らないわけないじゃんみたいに見られるんだろうなって思っていたので、その話をしたらすごく頷いていた。
結局、実際に話せる人って限られてしまう。こうやって対面では話せるけど、それをSNSとかに乗せるのは新たな問題が起きる可能性があるよねって。立ち話してちょっと一緒に道玄坂を上がるまで歩きながら話して別れた。みんないろいろとある。

帰ってからご飯を食べて洗濯をしてから作業を開始。
2月から始まる新しいライティング作業の日程も決まったので健康に気をつけながら、目の前にあるものをどんどん終わらしていく。

 

1月24日
日付が変わった瞬間にホワイトシネクイントのサイトのウェブチケット購入画面で金曜日に公開が始まるヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』のチケットを取る。
ポストカードが欲しくてムビチケを買っていたのだけど、今までムビチケって買ったことなかったけど、硬貨とかでスクラッチくじみたいな部分を削ると暗証番号が出てくる。裏面にある購入番号とその暗証番号を記入すると買えた。でも、なんとなく買ったって感じはしない。すでにお金は払っているんだけど、交換したみたいな気になる。
radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝る。でも、3時半とかに目が覚める。トイレに行くけど寒すぎる。

7時過ぎに起きるけど、気温が明らかに昨日よりも下がっている感じがする室内。朝風呂に入りたいが諦めて作業用の資料を読んでからリモートワーク開始。
『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流しながら作業。あのちゃんのラジオの来週スペシャルウィークゲストは三四郎の小宮さんとレインボーのジャンボたかおの二人らしいのですごくたのしみ。Spotifyで『あのと粗品の電電電話』を聞いてからTVerで『あのちゃんの電電電波』と続けて聞いたり見たりする水曜。彼女の番組が火曜辺りに集まっている。『推しの子』の実写化にも出演することが発表されていた。
あのちゃんの金髪はこのためらしいが、何週間か前にどこかのニュースサイトがこの実写化を報じていたが、このクラスの作品はどうしても漏れちゃうだろうし、情報統制はそもそも今の時代には無理だなあ。漫画もアニメも読んでいないのでどういう話かわかってないけど。

人に感動を与えるにはまず、自分が一番よく知っているストーリーを語らなくてはいけない。

韓国語の企画ならば韓国人に一番グッとくるようでなければならない。だからまず自国でのヒットが大切なんです。

Netflixには視聴者の好みを分析して、居住地域とは関係なく、似ている番組をレコメンドする機能があります。視聴者が求めているのは「発見」なので、Netflixはそのための需要を満たし、視聴者は「発見」を楽しむ。そういう仕組みです。

だからまずは日本人が日本ローカルでリアルに感じ、インパクトのある作品を作る。グローバルの観客を見つけるのはNetflixのシステムが勝手にやってくれる。そういう考え方ですね。 

「自国でヒットしたけど世界では空振り」でもOKです。特にコメディやお笑い番組、バラエティは地域色が強いので、その地域でヒットすれば成功と考えています。 

逆に「自国ではダメだったけど世界ではヒットした」という作品は求めていません。韓国ではウケなかったけどヨーロッパではウケた、みたいな企画はダメですね。ヨーロッパ独自のコンテンツ制作部があるのだから、そっちに任せたほうがもっと良い作品になるはず。

ヒット連発、Netflixアジアの制作トップは韓国人女性。成功の理由は「世界を目指さない」こと

SNSで流れてきたこのインタビュー記事。ローカルな作品だからこそ、その地域や国でヒットするものだからこそ世界でもヒットするし、そこでもヒットしないものはそもそも他にも届かないという話でもある。
ハリウッドのストの影響が出てくるのは今年来年公開の作品たちだろうから、アジアの作品がアメリカとかにどこまで食い込んで広がっていくか、さらに世界に広がっていくかという一年にはなりそう。

ZAZEN BOYSにMIYAという名の殺し屋が入ってもう5年経ちましたけど、MIYAが入ってきたときに、テンションという名の……テンションヌという名の風がビュービュー自分の中に吹いてきたわけだ。私はすごく盛り上がったんですね。「よし! 新たなるZAZEN BOYSの自己アピールをやったろうじゃないか!」と。盛り上がりすぎて、NUMBER GIRLも再結成したろうかい、というところまで行って、そのまま電話したわけだよ、NUMBER GIRLのメンバーに。「俺は今盛り上がっている。そして金が欲しい。金稼ごうぜ!」と。このノリで行ったら1億円くらい稼げるやろうと思い込んだ。そういうテンションヌを、私は大事にしている。そんな感じで、NUMBER GIRLは一定期間でパッと、タラタラせずにやり逃げしようと考えていたんだけれど、やっぱりコロナ禍がありまして。ビュービュー吹いていた風が、一気に止まった。

このアルバムに対しては、もう「この通りよ」って言うしかない。私の好きなものを皆さんに押し付けるつもりもないですし。ただ、抵抗感……あるいは「向井の顔が気色悪いから見たくない」という嫌悪感でもいいんだけど、1mmでもあんたのハートを揺らすために俺はやってんだ、と思う。「俺にはこの世がこう見えてるけど、どうっすかね?」ということを、自我の権化野郎は歌いたいし、問いかけたい。音楽を、テレキャスターを通してコミュニケーションを取りたいし、それによって目に見えない触れ合いが生まれたらうれしい。これは私がバンドをやっている大きな理由の1つですね。

ZAZEN BOYS「らんど」インタビュー|なぜ新作完成に約12年の年月がかかったのか?向井秀徳が明かす“地獄の自我”

昼間外に出て銀行に行って買い物したりする時はずっと『らんど』を聴いていた。向井さんのインタビューも読んでみると、ほんとうにずっとずっとずっとずっと待っててよかったなって思うし、鳴っているリズムが心地よい。

リモートワークが終わってちょっと一息。
月末までに提出するものをやらないといけないが、土曜日にちょっとだけ出るイベントの準備というか観ていない作品をチェックしたり、選んだ作品のことを考えたりする。まあ、何を話すかは決めてないとどんどん脱線しそうだし、言いたいことだけは決めてないと余計に混乱するだろうな。

 

1月25日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年2月号が公開されました。2月は『ダム・マネー ウォール街を狙え!』『瞳をとじて』『ボーはおそれている』『落下の解剖学』を取り上げました。


起きてから散歩がてらradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら、代官山蔦屋書店まで歩く。ゲストはDMMで配信されている『インシデンツ2』にメインで出ているさらば青春の光の二人だった。来週のスペシャルウィークのゲストはCreepy NutsのDJ松永と発表された。
偶然、昨日夜作業している時に『田中みな実あったかタイム』をYouTubeで以前の放送回を聴いていて、メインは永野さんゲスト回だったが、その後に年始と今年一発目のDJ松永ゲスト回を聴いていたので、なんか勝手にシンクロした気がした。Creepy Nutsは世界でも新曲がバズっているからこれは「オールナイトニッポン」復帰なんかないだろうなって、音楽活動に専念するって卒業してすぐに結果が出た感じですごい。


新刊とかを見ていたが特に買うものもなく、旧山手通りから目黒川方面に坂を下ってドン・キホーテに。ソックスとかを購入したけど、いつも買ってるブランドのやつ。これはドン・キホーテ系列のピカソでバイトしている時からずっと変わらない。


家に帰る前に最寄駅の銀行に行って通帳記入をした。新書でちょっと気になる『1976年の新宿ロフト』というのがあったので読んでみたが、前にロフトを立ち上げた平野さんの回顧録を読んでいたのもあって、読み始めて一時間ちょっとで読み終わるぐらいの厚さだった。

土曜日のイベントのためにネトフリで『最後まで行く』とアマプラで『イニシェリン島の精霊』を観た。なんかわからないが今日は作業をやる気がまったく起きなくて、夜にイベント等のメモとかを書いたりしたぐらい。たぶん、寒すぎるのと〆切が近くなってきたから現実逃避したかったのだと思う。週末が結構大事なんだけど、イベント終わったあとにやる気が出るかどうか、かなあ。

 

1月26日
起きて新TwitterことXを見ていたら、朝日新聞に古川さんの「文芸時評」が掲載される最終金曜日だとわかったのですぐにコンビニへ行く。


朝日新聞の朝刊と『装苑』最新号を購入。あのちゃんの衣装の話とかもあったし、『哀れなるものたち』の衣装とかも掲載されていると前に見ていたのでたのしみだったもの。
装苑』に載っていたあのちゃんの衣装とスタイリングしている神田百実さんのインタビューを読んだら、伊賀大介さんのお弟子さんだった。師弟どちらも古着好きでカスタマイズ好きみたい。伊賀さんの師匠は熊谷隆志さん、僕が十代の頃にKjや浅野忠信さんや安藤政信さんの服カッコいいなと思ってたら熊谷さんがスタイリングなことが多かった。それで熊谷さんの名前や弟子の伊賀さんのことを知るようになった。
スタイリストって師弟関係で弟子は独立していくから、年代ごとに独立した弟子を主人公にしたファションクロニクルみたいな小説とか漫画あるのかな、ファション詳しい人が監修入らないと無理だろうけど。

いつもの始業時間からリモートワーク開始。夕方からの月に一回の全体ミーティングのことをすっかり忘れていて自分の作業をずっとしていた。気がついた時にGoogleカレンダーを見たら終わっている時間だったけど、オンラインミーティングのアドレスをクリックしてもやっぱり終わっていた。自分はなにか発表したり伝えることはなくて、話を聞くだけだから忘れちゃったとしても、これも集中力の欠如なのかも。きっと寒さのせいだ。

仕事が終わってから19時前に家を出てPARCO渋谷へ。金曜日の夜だし渋谷に向かって行くと人が多くて、道玄坂ユーロスペース前の坂道降っていくと先日も立ち話した人とばったり会って、「またかよっ!」と言われた。
ホワイトシネクイントで本日から公開されたヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』を鑑賞。東京国際映画祭、オズワルドシアターでの試写、今日はホワイトシネクイントと三回目になるが、スクリーンで観たい素晴らしい一作。あとはパンフも買いたかったのもあるので劇場に足を運びたかった。

上映まで時間があったので店内をブラブラ、上の階のドミューンでも『哀れなるものたち』の特集をしていた。映画を観るからドミューンのほうに遊び行けないのがちょっと残念。

Unfurling the Unusual Costumes of ‘Poor Things’

この映画でエマ・ストーンが演じるベラの衣装はほんとうに色鮮やかで美しいものばかりだった。僕は女装したいとか思ったことはないのだけど、最初に映画祭で観た時にこういうドレスとか衣装を着れたらすごい気持ちいいんだろうな、カッコいいなと正直思った。
公開初日の20時の最終回だったけど、お客さんは後方エリアは全部埋まっていた。前のエリアも後ろ側の方は埋まっていてお客さんはかなり多く、若い男女のカップルも多かった印象。オシャレな人が多かったのはきっとこの映画のファッションの部分にも興味を持っている人がいるっていう証左だろうなって思った。男女比は半々ぐらいかな、たぶん。

世界公開もまだなので内容については詳しく書かないけれど、性と生を肯定する開放の物語だった。公開後にはフェミニズム関連で取り上げられる可能性が高いかなと思うけど、エマ・ストーンがとんでもなく魅力的だったし、衣装とか室内や船や街のデザインもポスタービジュアルも素晴らしかった。エマ・ストーンは主演助演賞を衣装もアカデミー賞は流石に取るだろうなと思う。
ひとつだけ最後にある人物に対して主人公のベラが行う行為はちょっと疑問があって、あれは監督としてあえてあれをやっているのか、観客がどう捉えて考えるかみたいなことなのか、彼女がされたことに対しての行動だからなんら問題はないと思っているのか、その辺りだけは気になった。
トム・クルーズの映画同様に主演がプロデューサーを兼任することでできることがあって、トム・クルーズの映画が顕著だけど、普通なら主演が断る命がけなシーンを自分がプロデューサーだから責任も持てるしOKが出せる。エマ・ストーンも今作ではそれに近くて、映画に必要だからプロデューサーとしても俳優としてもOKを出してるんだと思った。俳優部が権限を持つことでできる表現は間違いなくあって、それもこの映画の魅力を増すことにはなっていた。
10月28日 東京国際映画祭の「ガラ・セレクション部門」でジャパン・プレミア上映時

『哀れなるものたち』試写を虎ノ門にあるオズワルドシアターで。ディズニーの会社なのでここは受付後にセキュリティの前でスマホの電源を切らされ、そこを封筒に入れられて封をされる。何度か来てるけど、そういうのってここだけな気がする。
この前東京国際映画祭で『哀れなるものたち』を観た時みたいに爆笑は起きてなかった。男性による女性の支配やモノ扱いしていることへのアイロニーやブラックユーモアを笑っていいのかって問題なのだろうか、理解してない可能性もなくはないが。そういう部分では映画祭で色んな国の人がいる状態で観れたのはベストだった。ただ、あの時は上映開始後20分ぐらい遅れてきた人たちがスマホのライトで席を探すというのがずっと途切れなかったので集中しにくくて目障りだった。冒頭の大事なシーン観てない時点で映画観る資格はねえとは思う(どう考えてもどんな映画でも冒頭が最後につながっていくわけでそれ観てないと判断しようがない)。
試写が終わったあとに宣伝会社の人に挨拶しようと思ったら、その人と女性の方が話していて、ちょっと待っていたら出てきたうちの親父と年は変わらない女性に宣伝会社の方が挨拶して感想を聞き始めた。僕もその衣装デザイナーでスタイリストの方は名前も顔も知っていたし、その人が関わっている映画も何作も観ていたので、挨拶を待つ感じで近くにいた。そこでその人が感想を話される時に今作でも強く感じる部分のことを言われていて、ちょっとだけ会話に入らせてもらった。あと映画祭では爆笑だった部分のことを話したら、周りが笑ってなかったけど爆笑だよねってその人も言われてたので、やっぱりその感覚なんだよなと思った。とてもカッコいいし爽やかな話し方の方だった。名刺だけお渡ししたけど、少しだけお話しさせてもらえてうれしかった。
11月21日 オズワルドシアターでの試写時

試写の時にお話をさせてもらったのは北村道子さんで映画の公式サイトにコメントも寄せられていた。
ホワイトシネクイントで観ている時は展開はわかっていたのもあって、かなり笑いやすい状態になっていた。ブラック・ユーモアやジョーク的な男尊女卑がひっくり返るところはやっぱり笑ってしまった。この作品はそういうところが本当にうまい。

一度身を投げて死んでしまったベラをある方法で蘇らせた天才外科医ゴッドウィン・バクスター、創造者と創造物、父と娘のようなこの関係性は創作の問題とも関係している。それは加藤シゲアキ著『なれのはて』が直木賞を受賞した時に質問してもらおうと思った質問にも通じていた。
ゴッドウィンがベラに施したことは外科医としての研究と好奇心によるもので、彼のやったことを道徳的に考えると否定される、悪魔だと言われる可能性が高い。だが、そうやって蘇ったベラは精神が肉体に追いついていき、子供から大人へと成長して知識を得て世界や他者を理解していくことで、父であり神であるゴッドウィンを許すという考えに至る。僕がこの映画がすごく好きなところ、響いたのはそこが大きいのだとおもう。


アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』という映画はすごく好きで、公開時にパンフを買ったら古川日出男さんが寄稿されていたのもうれしかった。エマ・ストーンも娘役で出演していた。
真っ赤な表紙にバードマンが描かれているイラストもカッコよかった。その時はフォックス・サーチライト・ピクチャーズだったが、のちにウォルト・ディズニースタジオ傘下になって、サーチライト・ピクチャーズに社名が変更されている。フォックス・サーチライト・ピクチャーズからサーチライト・ピクチャーズに名前は変わったがパンフのデザインは基本的に同じ形式で引き継がれていて、右上に社名が同じ感じで入っていて統一感があるものとなっている。かつて単館映画館の代表格だったシネマライズでも、上映作品のパンフにはシネマライズとナンバリングがされていたので、それに近いデザインでもあるし、揃えたくなるものになっている。
アメイジングスパイダーマン』のヒーローとヒロインはあの悲しいシリーズ二作目での打ち切り後、ハリウッドを舞台にした作品にそれぞれ出演していた。
エマ・ストーンが出演した『ラ・ラ・ランド』とアンドリュー・ガーフィールドが主演した『アンダー・ザ・シルバーレイク』はそれぞれハリウッドの光と影を描くような表裏のものになっていた。2019年3月にロサンゼルスに遊びに行った時には、時間があったので『ラ・ラ・ランド』に出てくるロケ地を回ってみた。グリフィス天文台もアスレチックコースから上った。やがて『アンダー・ザ・シルバーレイク』が公開されると見覚えのある場所ばかりが出てきた。ロケがかなり重なっていた。ハリウッドが舞台だから当然ではあるのだけど、やっぱり一度見たことある景色が出てくると映画への没入感も高くなった。
アンダー・ザ・シルバーレイク』は早すぎて評価されなかった映画だと思っていて、マイベスト5には入る。僕がA24の映画に前よりも強く興味をもつきっかけになったのもこの作品だった。『バードマン』もマイベスト5に入ると思う。『哀れなるものたち』もそこに食い込みそうなくらい好き作品。エマ・ストーンがプロデューサーで主演じゃないと撮れなかった作品でもあるので彼女の俳優としての魅力とプロデューサーとしての能力の高さに心から拍手をしたい。

 

1月27日
12時からLOFT9で『ありまよとアオヤギの給料日ラジオ23年下半期よかったものSP』があり、「映画/ドラマ」パートで出演することになっていたので11時までにLOFT9へ向かった。
友人であり、元上司の有田真代さんとライターの青柳美帆子さんが毎月やっているラジオのリアルイベントの第二回。
2023年下半期の作品を、「本(小説/その他)」「マンガ/TVアニメ」「映画/ドラマ」「旧作・ノンジャンル」にわけて語るというものになっていて、「本(小説/その他)」では書評家の三宅香帆さんがゲストだった。
楽屋に案内されて、有田さんと青柳さんにご挨拶した。青柳さんは初対面だったので名刺交換から、三宅さんもすぐ来られたのでご挨拶をして名刺交換をした。三宅さんとは仕事でのやりとりはあったけど、実際お会いしたことがなかった。有田さんとも映画の試写で会ってから二年近く経っていたので、このメンバーに僕が入っていて大丈夫?とは思ったけど、楽屋で今日の流れとかについて話をしていたらなんかこのままでいけばよさげだなって思えた。
まあ、有田さんと青柳さんのイベントだし、僕はプレッシャーとか感じることはないから人前で話すことはほとんどないからそこは心配だった。でも、こういうのって始まったらなんとかなるというか、いつか終わるから気にしてもしょうがないなって。
有田さん進行とかうまいし、青柳さんも雰囲気が華やかで場が明るくなるので、よほど変なこと言わなきゃ大丈夫かなって思ってた。
僕より前に出番のあった三宅さんもトークスキル高いし、三人とも好きなものに対しての熱や想いが高くて強いので彼女たちが話している時にその好きってのが伝わってくる感じがして、それがお客さんにも伝わるし、もっと聞かせてくれって感じになるんだなって、関係者席でビールを飲みながら観ていた。
自分のMacBook Airも持っていって、何を言うかメモしてたけど、それを見ながら話す余裕はなくて、終わってから見返したらメモしてて言おうと思っていたことけっこう言えてなかったとちょっと反省。
トークイベントって08年ぐらいから観に行くようになったけど、観客の側と登壇側が見えるものは全然違うし、トークイベントって最初から語りが上手い人、場の空気を自分の側に寄せられる人とかじゃない限りは慣れってあるんだろう。
終わってから入り口でお客さんに四人で挨拶をした。何人か顔見知りの人もいたので嬉しかった。終わってからプチ打ち上げを麗郷へ。数回きたことあるけど、なんかザワザワしてて店の中うるさくて、料理は美味しいから打ち上げとか数人で来るにはほんとにいい。昼からビール飲みながらえび入りやきめし食べるのか最高だし。しかし、LOFT9にいる時からずっとビールを飲み続けていたので帰ったら睡魔がすごかった。
21時から月一のミーティングをオンラインでやるまで風呂に入って仮眠したら、酒抜けたので助かった。

 

1月28日
昨日、半分までしか聴けてなかった『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら朝の散歩へ。来週のスペシャルウィークレイザーラモンHGさんみたい。どうなるんだ、この組み合わせ。たのしみではある。


代官山蔦屋書店の一階のガラス壁部分にThe Smile『 Wall Of Eyes』の大型ショーウィンドウが展開されているとXで見ていたので写真をパシャリ。

The Smile - Friend Of A Friend (Official Video) 


先日の109シネマズプレミアム新宿での上映で観ていたポール・トーマス・アンダーソン監督のMVもYouTubeでアップされていた。

蔦屋書店の二階の音楽フロアは規模が縮小されていてThe Smileの新譜も置いてはあるけど、もうちょっとスペースとってプッシュしなよってぐらいの扱いなので、ショーウィンドウの落差がひどい。
CDもカセットテープもこの間の上映会の時に買ったし、実はブルーヴァイナルのレコード版もBEATINKの通販で買ってしまっているのだが。二階にブルーヴァイナルのレコードは一枚ぐらいは置かれていた。もう少し前は音楽フロアが広かったからよかったんだけどなあ。


帰りにあおい書店池尻大橋店に寄ったら明日発売の新潮文庫が並んでいて、燃え殻著『夢に迷ってタクシーを呼んだ』を買った。

出井 ハインリッヒさんは本当に自分らが面白いと思ってることのみを、かなり純度の高いまんまネタにしてる。なるべく薄めず。ランジャタイもそう。国ちゃん(国崎和也)はお笑いの能力自体は全部めちゃくちゃ高いんですけど。漫才となるとね、ああなるっていうのがすごく面白い。

楢原 国崎さんは掛け合いが全くできない人なので。トークの能力高いんですけど、流れで面白いことを言うのがめちゃめちゃ苦手。エピソードトークの完成度高いけど、じゃあこの二人でダラダラ喋って面白い話をしましょうってなったらできない(笑)。だから漫才やるにしても、相方が伊藤幸司じゃないとだめなんだろうな。国崎さんが表現したいことの邪魔をしないから。

出井 僕らからすると「東京にはこんなに知らない面白い芸人がいっぱいいるんだ」って、衝撃だったですね。いかに自分たちが大阪の狭い世界でやってたのかと。その狭い世界の上下で一喜一憂したりしてたんだっていうのは、思い知りました。メイプル超合金とか知らなかったもんな、こっち出てくるまで。モグライダーも知らなかったし、ランジャタイも。そういう面白いなと思った人たちがみんな受け入れてくれたので、うれしかったですね。

楢原 うれしかった。

出井 東京で初めて錦鯉さんと一緒になった時に、(渡辺)隆さんが「なんか大阪から来たやついるらしいな」って僕らのネタを客席で見てくれたんですよ。それで後輩に「ああ、おもしれえじゃねえかよ」「あいつら大阪に追い返せ!」みたいなことを言ってたというのを聞いて。よかったなぁって。

楢原 吉本時代は同期でも、あいつは1軍、こっちは3軍みたいな、見えない上下があるのが窮屈だったんですけど。東京出てきたら、事務所も年齢も関係なかった。等しく全員売れてなかったので(笑)。

出井 同世代の芸人もっといっぱいいたんですよ。ケイダッシュステージに10組~15組ぐらいいたかもしれないですけど、もうほとんどやめちゃった。漫才師でいうと、僕らとトム・ブラウンしかいなくなっちゃった。

――同世代の芸人さんがやめていく時、どういうことを思われましたか。

楢原 偉いと思いました。

出井 全然やめることが負けとか失敗じゃないので。むしろそっちの方が……

楢原 絶対に賢いよね。錦鯉さんがやっぱり悪い例じゃないですか。ずっとやってたら売れるんじゃないかってみんなに思わせてしまった。本当はそんなわけなくて。だって錦鯉さんはずっと面白かったから。面白いってみんなに言われてて、本当に早く見つけてあげてくださいよっていう中で順当に見つかっただけだから。でも地下芸人はみんな自分を錦鯉だと思ってるんですよ。

「芸人界はどうしても男社会なので…」M-1準優勝・ヤーレンズが先輩女性芸人から学んだ「大切なこと」ヤーレンズ・インタビュー

松本さんが「M−1グランプリ2023」の最終投票で一票入れた令和ロマンは彼の真逆である学生笑い出身慶應ボーイ(髙比良くるまは中退、松井ケムリは法学部を卒業しており、父が大和証券グループの副社長であるため実家がかなり裕福)だった。ヤーレンズは脱関西吉本して東京に出て、トム・ブラウンや錦鯉やランジャタイやモグライダーたちが地下芸人で日の出を見ないときから事務所の垣根なくやってきたコンビ。去年決勝行けなかったこの二組が毎月一緒に新ネタライブをして磨き上げて、23年の決勝で一位と二位で競うというドラマが生まれた。
この二組のそのドラマというか決勝進出とその流れを見ているとシステム(お笑い芸人育成学校)の対応年数みたい問題、NSCの第一期であるダウンタウンの天下をとっていこうの吉本興業の在り方みたいなものに対して、時代が変わったという印象を持つ。松本人志の性加害問題が表沙汰になる前に、もう何かが壊れ始めていて、内側や外側からそうではない人たちが「M−1グランプリ」という競技で一位と二位になったのは偶然ではないのだろう。

META TAXI #16 | Aマッソ 加納愛子 × 凪良ゆう、向井秀徳 × ランジャタイ 国崎和也、ダ・ヴィンチ・恐山 × なか憲人 


向井さんと国崎さんのトーク第二弾、今回も国崎さんのThis is 向井秀徳への熱い思いが溢れている対談、第一回よりもお酒を飲んでいるせいか向井さんが国崎さんをどんどん受け入れている気もする。音楽とお笑いが一緒にライブやフェスに出ることの話があって、国崎さんは一緒にはできないと話していて、受け取る側の感じ方が音楽と笑いでは違うし、袖からではなく客としてZAZEN BOYSのライブは観たいとも言っている。
かつてZAZEN BOYS立川志らく師匠の対バンイベントを二回観ているけど、向井さんそのこと忘れているのか言わなかった。でも、志らく師匠が「M−1グランプリ」審査員の時にランジャタイを高く評価していことを考えるとなにかが繋がっているし、同時に落語家とお笑い芸人で考え方も違うっていうのもわかる。

ヤーレンズのインタビューでは先輩の女性芸人であるDr.ハインリッヒについて影響を受けたと話をしていて、彼らは芸人界の男社会において後輩の女性芸人と飲む時にはハインリッヒさんの視点を意識していると語っていた。
僕は30歳以降のフリーター、バイトにおいて自分を呼んでくれた店長やLOFT9のイベントに声をかけてもらった有田さんが編集長だったのでスタッフとして呼んでもらったりしていて、僕の上司や上長は偶然なのか女性しかいない。たぶん、そのことが多少なりとも僕のフェミニズムへの関心とかにも関係はしているし、もともと部活動における先輩後輩関係とか男性社会のホモソーシャルなものが嫌いなのもあるけど、時折自分の言動とかに女性軽視があったり、昔ほんとうにわかっていなかったなと思い返すことが多々ある。自分がマシだとは言えないかもしれないけど、同世代や上の世代の男性のそれらの解像度はけっこうヤバいんだろうなって思わなくもない。たぶん、東京でこれだと地方はさらにひどいだろうなとは想像はできる。

あとインタビューでも出てきた「同世代の芸人はほとんどやめちゃった」という話はどのジャンルにもあって、僕もやめないままそこにいる側になっている。
去年ぐらいから新しく始まったゲーム関連のライティング仕事とか、僕が辞めてなくてまだライターとか言って続けているから振ってもらった仕事でもある。僕ぐらいの年齢だったら成功してる人は忙しいし単価が高いから新しいプロジェクトで新規に頼むのが難しい、でも、小説とか映画好きで物語のことを知っていて書いたりできる人を探すのはけっこう難しい。もちろん執筆料だとかライティングの費用やお金が発生するし、プロジェクトだと社内や部署でその人を推薦しても誰やねん?ってなればもちろん通らない。僕はノベライズを書いていたりドラマの脚本でクレジットはされているので、ゼロの人ではないという認識はされるので、じゃあ、書けそうならお願いしてみようかって感じで通る。
やめないことのメリットってたぶん、周りがいなくなることぐらいで、だからってチャンスがそうそうあるわけでもないし、結果を出さなきゃその先もない。声をかけてもらうタイミングとか運の要素もかなりある。

 

1月29日
夢を見た。こういうのは初めてだったので起きてメモだけ残した。男女が二人ずつの四人がある場所にいた。男性のうち一人は僕であり、もう一人は芸能人かなにか有名な人物で年齢も僕と変わらないぐらいだった。でも、顔はほとんど見えなかった。女性二人も顔はほとんど見えずどういう顔のタイプなのかわからなかった。つまり、その時点で僕は自分以外の登場人物の顔がわからないままだったが、もう一人登場人物がいた。僕ら四人はどうやらラブホテルの待合室にいるようだった。男女それぞれのペアではなく、四人で入るれる部屋を探しているみたいで、複数人プレイをしようとしているようだった。もう一人の人物は僕らがやってきたラブホテルの従業員で制服を着た年嵩の男性だった。彼が四人で入れるところがあるかを電話で聞いてくれている。僕らはそれをソファとかに座って待っているというものだった。夢は従業員が電話していて、どうも四人を受け入れてくれるところがないという感じで頭を振ったところで目が覚めた。
すぐに夢占いで検索してみた。
まず、複数人での性行為は恋愛のトラブルの暗示の可能性があるらしい、パートナーがいる場合はセックスに関するすれ違いやマンネリが起きているということらしい。
相手が芸能人や有名人であるなら自分の願望夢である可能性が高い、ファンではない場合は自分を投影しいぇいるらしい。
相手の顔がわからない場合は、あなた自身がそのセックスをどう捉えているか振り返ってくださいというものだった。
問題はこれらはセックスをしている場合であって、夢ではする手前の状態なのでこれらはあてはまらない。この夢なにを意味しているのかまったくわからない。

いつも通りにリモートワークを開始。日曜日の麒麟の川島さんと有吉さんのラジオは当日に聞いていたので、Tverで見ていなかった番組をBGMがてら流そうと思って探していたら、金曜日に放送が開始された宮藤官九郎脚本ドラマ『不適切にもほどがある!』第一話を見ていなかったのでそれにしてみた。

1986年――。小川市郎(阿部サダヲ)は、“愛の鞭”と称した厳しい指導をするのが当たり前な昭和の体育教師。さらに、野球部の顧問も務め、生徒たちからは「地獄のオガワ」と恐れられていた。その一方、家では男手一つで17歳の一人娘・純子(河合優実)を育てながらも、娘の非行に手を焼く普通の父親でもある。最近は市郎の帰宅時間をやけに気にする純子が、男を家に連れ込み“ニャンニャン”するのではないかと心配していた。ある日、市郎はいつものようにタバコを吸いながらバスで帰宅中、ついウトウトしてしまう…。目を覚ました市郎の目に飛び込んできたのは、パンツが見えそうなスカートを穿き、耳からうどんを垂らした女子高生がバスに乗り込んでくる姿だった。その姿に違和感を覚え指摘する市郎だが、乗客たちから車内でタバコを吸う市郎こそおかしいと言われ、口論になってしまう。逃げるようにバスを降りた市郎が目にしたのは見たこともない異様な格好をした人々と、なんとなく変わっている景色だった。なんとか見つけた馴染みの喫茶店に飛び込むが、事態を飲み込めない市郎は動揺してカウンターにいた犬島渚(仲里依紗)のビールを勝手に飲み干し、またもや口論になってしまうのだった…。一方、純子は向坂キヨシ(坂元愛登)から突然告白されていた。キヨシは、社会学者である母・サカエ(吉田羊)と共に令和から昭和にタイムスリップしてきた中学生で、街中で偶然出会った純子に一目ぼれしてしまったのだ。純子は“ムッチ先輩”こと秋津睦実(磯村勇斗)に密かに思いを寄せているにもかかわらず、キヨシを家に連れ込もうとするが…!?昭和の「当たり前」は令和の「不適切」!?“昭和”から“令和”にタイムスリップしたことで改めて感じる人々とのギャップや共感を描く、意識低い系タイムスリップコメディがスタート!


河合優実って前から山口百恵さんや石原さとみ系統の顔だと思ってたけど、髪型とか雰囲気をちょっと変えると中森明菜ぽくもなるんだな。市郎が喫茶店のトイレで現在と未来が繋がっている穴を見つける時にそこに貼られていたのが小泉今日子さんの40th ANNIVERSARYのポスターとかつての80年代のものが両側にあった。宮藤官九郎脚本だと『あまちゃん』と『監獄のお姫さま』にも出演しているので、今作でラスボス的なのかサービス的な演出で小泉今日子さんは出てくると思う、いや期待はしたい。
ドラマを見ていてかつての昭和の常識が令和ではまったく通じない、ギャグにすらなってしまう。不謹慎で炎上案件になるという落差で笑ってしまう作品になっていて、クドカンらしいし、同時にすごく攻めている姿勢も感じられた。途中でミュージカルみたいになるのとかは急に違和感があるから目が離せなくなるところか演出も楽しんでやっていそうだなって思えた。
このドラマを見ていて、なんか見覚えがあるよなって思えたのは、同じく宮藤官九郎脚本だった山下敦弘監督の映画『1秒先の彼』とちょっと通ずるところがあるからだろう。どちらもバスが大きな役割を果たしていたりするし、時間というものがドラマを大きくうご描くギミックになっている。『1秒先の彼』はあまり話題にはならなかったけど、その脚本を宮藤さんが書いたことでこのドラマに繋がったり、ヒントにはなったんじゃないかな。

『東京オルタナティヴ』連載開始時に大塚さんにお話を聞かせてもらったのが2017年9月で、もう6年半近く経ってた。あの頃は『北神伝綺』『木島日記』『試作品神話』の小説が改めて刊行されるとは思わなかった。『東京オルタナティヴ』の「結」となる連載の再開もたのしみ。

登場人物の名前にも、『フランケンシュタイン』とシェリーの要素が散りばめられた。ベラの別名「ヴィクトリア」は、フランケンシュタインの名前である「ヴィクター」の女性形。ゴッドウィン・バクスターの名は、シェリーの父親の姓である「ゴッドウィン」と、彼女が思春期の約1年間を過ごした「バクスター」家から命名された。

ちなみに『哀れなるものたち』原作でベラの書簡が言及している(すなわち著者のグレイ自身が種明かしをしている)ように、回顧録のパートは『フランケンシュタイン』のみならず、エドガー・アラン・ポーやジェイムズ・ホッグ、ブラム・ストーカーなどの作品も参照・引用したものだ。グレイは意図的に、この物語をゴシック小説として紡ぎ出したのである。

そして『フランケンシュタイン』が、のちにフェミニズム小説やフェミニズム批評における重要な作品として位置づけられたことも忘れてはならない。グレイがゴシック小説の形式でフェミニズムの物語を描いたことは、この作品単独ではなく、下敷きとなった『フランケンシュタイン』と深いつながりを持つと考えるべきだろう。単純に物語のパロディを試みたのではなく、テーマ性や文体も含めて、シェリーと同じことをやろうとしたのだと。
なぜギリシャの鬼才監督は『哀れなるものたち』を映画化した?奇書と称される原作小説との比較から探る

この記事は映画のネタバレも含んでいるけど、『哀れなるものたち』がよりよくわかるものになっていて読んでよかった。作品のディティールに関する部分とヨルゴス・ランティモス監督が描いてきた「力」のことも含めて、『ロブスター』『聖なる鹿殺し』『女王陛下のお気に入り』を見返したくなった。

 

1月30日
今日は夢も見ずに起きたが、どうも頭がスッキリしない感じ、活動したがらないというか。起きてすぐに作業を開始しようと思ったけど、やる気が起きないのでとりあえず散歩へ。radikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながらまたいつもの代官山蔦屋書店まで歩く。お店に入ってある地点に行くとradikoが切れる。ネットが遮断されるのか、お店のWi-Fiに繋いでいないのかわからないけど、聴けなくなる。たいてい一度外に出てからSpotifyのアプリで音楽を流しながら入る。そうすると音は途切れないんだけどなんでだろう。
ちょっと気になる書籍があったのでタイトルだけメモをした。エッセイみたいだった。なんだか最近小説を読むのが遅くなっている、たぶん集中力の問題なのか、物語にうまく入れないのかはわからないけど。

先日、柴崎友香著『続きと始まり』を最後まで読み終わった。まさに今読むべきな一冊だった。コロナパンデミック期間中の話でもあり、東日本大震災から10年近く経った時期が舞台になっていた。最後にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、戦争が現在進行形になっている時期に終わる。
能登半島を中心とした大地震が元旦に起きたばかりだが、そのことを思い浮かべるし、簡単に風化されてしまうことや、過去の大きな出来事によって得た教訓も活かされているとはいいにくい面を報道やニュースで目にする。いろんな場所が綻んでしまったことで、声を上げることが難しかったり、正しさを声高にいうことで当事者も周りも傷つけあうということがSNSで可視化されてしまっている。
普段の生活の中で感じる小さな違和感や人には伝えにくい気持ちを柴崎さんは丁寧にこの長編小説で書かれていた。こういう作品が今なにかに傷ついている人や自分の声や意見を周りの人や誰かにうまく伝えられない人に届くといいなと思う。きっと、そういう人に届いた時にその人たちの気持ちはふわりと包まれて一人ではないという気持ちになると思うから。

Bleachers - Tiny Moves (Official Music Video) 


YouTubeのトップページをスクロールしている時に出てきた女性になんか見覚えがあると思ったら、やっぱり『哀れなるものたち』のフェシリティー役で出演していたマーガレット・クアリーだった。
『哀れなるものたち』では体の動きが敏捷というわけではない役所だったので、このMVで軽やかに踊っているのを見るとなんか不思議、あのあとにすごい成長したみたいな気にすらなる。

夕方前にもう一度ちょっとだけ近くを散歩してから作業を開始。今日明日で最後まで終わらせないといけないものだけど、なんとかなりそうというか終わらす。

 

1月31日
本日提出予定のライティング作業があったので起きてから作業を開始。夜までになんとか終わらせたかったけど、いつものリモートワークもあるから難しそうだなと思った。できるだけやってみてから先方に連絡しようと思った。
いつもの時間からリモートワークを開始したが、そちらのライティング作業がどうしても気になってしまった。ちゃんと作業のスケジュールをカレンダーに入れていたけどちゃんとコツコツとやっていなかった自分が悪いのはわかっている。リモートが終わってどのくらいできるか考えていたら、夕方に一件のショートメールがスマホに届いた。
友人の携帯番号から発信されたそれには、友人(の名前)の母という文章から始まっていた。数日前にラインをして既読にならなかったので今朝、元気か〜とラインしたばかりだった。友人である彼女は26日に突然倒れて27日朝に脳梗塞で亡くなりましたと文章は続いていた。嘘だろと思わず声が出てしまった。その文章はご連絡いただければ有り難いですと続いていた。
絶対に認めたくはなかったけど、僕にできるのは彼女の携帯番号にかけることしかなかった。最初は誰も出ずに留守番電話に繋がったので自分から切った。どこかでちょっとホッとした自分がいたが、すぐに彼女の番号の方から電話がかかってきて、出たのは彼女の母親だった。初めて話すその女性から娘は亡くなりましたと告げられた。
信じたくないけど、ほんとうなのだとわかった。ご両親は27日には東京に来られて彼女はすぐに火葬されて、骨となってご両親とともに実家に帰り、親族だけで葬儀は済ませたと教えられた。そうか、もう彼女の顔を見ることもできないのだとわかると泣いてしまって声が出なかった。
東京で住んでいた部屋の退去などでこの先も東京に来ることがあると言われたので、なにかお手伝いができることがありますか、と聞くと思ってもいなかったことを提案された。
お母さんはそれが娘の供養になるとは言わなかったが、彼女が楽しみにしていてチケットを取っていたライブに一緒に行きませんかと僕を誘ってくれた。僕が断る理由はひとつもなかった。でも、ずっとそのライブ中に泣いてしまうだろうなと思った。それでも、僕ははじめて会う友達のお母さんとそのライブの時間を一緒に過ごすことしかできない、だったらそうすべきだと思った。そのライブの日にどこで待ち合わせるのかと泣きながら話している自分が不思議だった。
友人である彼女に最後に会ったのは今月の13日で「朗読劇『美幸』」を一緒に新宿で観た時だった。あの日は気温が下がって初雪が降って寒かった。彼女は風邪を引きかけていて貧血気味だと言っていたので、いつもみたいに舞台を観た後に飲みにも行かずに駅で別れた。それが彼女と会って話した最後の日になった。
二十歳で上京して映画の専門学校に入学したが、学校に行く前にバイトを始めたお店で彼女とは出会った。話してみると入学した学校の先輩だったが、僕よりは年齢はひとつ下だった。入学後は先生のアシスタントをやっていて僕のクラスを担当していたし、バイト先でも学校でも付き合いがあったから先輩後輩というのはすぐになくなって友達として付き合うようになった。
学校を卒業してもバイト先の友達数人とは繋がっていて、何年かは数人で飲んだりするのは続いていたが、この十年近くは彼女と僕ともうひとりの友達の三人で会うことが増えていた。もう一人の友達は結婚して子供が生まれたのでしばらく会う機会が減っていたけど、お子さんがちょっとずつ大きくなるにつれて一緒に連れて来れるようになったので、みんなでスカイツリーにも上ったりもした。
元旦の三人のグループラインでは桜が咲く頃にお子さんも含めてみんなで会おうという約束をしたばかりだった。
僕はお母さんとの電話が終わってから、そのもう一人の友達に伝えないといけないと思ったけど、電話を切った途端に涙が溢れ出てどうにもならなかった。だけど、このまま伝えないということはできないので、少しだけ待ってから電話ができるかなとラインをしたらすぐに電話がかかってきた。僕は亡くなった彼女の名前を出して、お母さんから連絡が来てと言うと、嫌だ聞きたくないと言われた。もう、僕の泣き声ですべて伝わってしまっていた。僕らは泣きながら彼女のことを話した。その友達は最後だからこそ顔を見たかったと言った。お母さんが僕に連絡をできたのは彼女のスマホの暗証番号が書かれた紙が見つかってロックが解除できたからだと言われていた。でも、ラインとかは娘のプライバシーだけでなく、相手のプライバシーにも関係することだから見ていないということだった。僕に連絡をしてきたのは、僕とよく演劇や舞台を観に行っていて、名前をお母さんに言っていたことで僕の名前を電話帳で見つけたのか、そのライブに誘おうと思ってショートメッセージを送ってきたようだった。
ランジャタイとかが屋のツーマンライブのチケットが取れたら行かないかと誘っていたけど、土曜日の一般販売ではぴあにつながっても即完で販売枚数は終わっていた。次に行きたいと話していたダウ90000の本多劇場の公演はなんとしても取るとラインしていたが、数日経っても既読にはならかった。数日既読にならないことはこれまでも何度あったけど、五日以上経っても既読にならないから元気かと今朝ラインしていた。僕がLOFT9のイベント前にチケットが取れなかったとラインした時点で彼女はすでに亡くなっていた。そのことを知らないまま過ごしていたことに気づいて、どうしたらいいのかわからなくなった。
彼女の肉体はもう焼かれてしまって、この世のどこにも存在しなくなってしまった。もう一人の友達もご両親から連絡がすぐに来なかったのは仕方なかったけど、顔だけはもう一度見てお別れを言いたかったと泣きながら何度も言った。
葬式は残された側にとって大事な儀式だ。亡くなった人がもういなくなったと理解してお別れをいうための、残された側にとっての必要な儀式だ。僕らはもう記憶の中やかつて撮った画像の中での彼女しか会えないし見えない。そのことがどうしてもつらい。
上京して二十一年、3月には二十二年目になる。人生の半分以上東京で生活している。その暮らしの最初の頃に知り合って、ずっとずっと友達だった彼女が死んでしまった。どうにもならないのはわかっている。でも、少しでも考えると涙が止まらない。
そこからもう仕事なんか手につかなかった。今日中に提出予定だったライティング作業に関しては、先方に事情は言わずに、〆切日を来週にしてくださいとだけメールした。
ひとりではいたくなかった。温かいコーヒーが飲みたかったからニコラに行って、ビールを二本飲んでからコーヒーを飲んだ。彼女の話も二人に聞いてもらった。彼女とも観劇後に一緒にお店にも来たことがあったから、二人とも知っていた。話していると泣いてしまっていたけど、誰かと一緒にいる、話せる空間はありがたかった。
お店を出て家に着いた頃に僕が帰ってすぐに知り合いが来たと連絡があったので、引き返して彼女の話はしないで映画の話とかを久しぶりにあった友達と話をした。それでかなり気持ちが落ち着いたけど、帰る時に気がついたら涙が自然と流れていた。彼女の声を歩きながら思い出してみた。まだ思い出せる。だけど、この声はやがて思い出せなくなる、僕には聞こえなくなってしまう。そのことだけはどうしてだかわかっているから悲しくてやるせない。

去年3月に彼女と一緒に観た『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』で聴いたこの曲を最後に。
【MV】Creepy Nuts × 菅田将暉 - サントラ