Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年6月1日〜2024年6月15日)

5月下旬の日記(2024年5月16日から5月31日分)

6月1日
日付が変わってから5月下旬の日記をアップして、『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら寝落ち。
今日は『三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブin 日本武道館』の「爆湧きステッカー」の配布がニッポン放送のイマジンスタジオでやると先週の放送時に言っていたので午前中の予定を空けておいた。
昨日からちょっとだけ喉が痛かったけど治ってなかった。風邪の引き始めっぽい。この前は喉ちんこが腫れたように大きくなってしまったことがあったけど、それとは違う。ただ、その時も今回もタバコを四本以上吸ったあとになっている。毎日二本ほど吸っている時には喉を痛めていないから、僕の喉へのダメージは三本か四本を越えるとダメなのかもしれない。


5月31日放送分の『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら日比谷方面へ。ニッポン放送の場所を知らなかったけど、調べたらTOHOシネマズ日比谷が入っている日比谷ミッドタウンと目と鼻の先だった。
ステッカーを朝取りに行き、その後になんか映画を観ようとスケジュールを見たらジョージ・ミラー監督『マッドマックス:フュリオサ』が金曜日から公開が始まっていて、日比谷ならIMAXもあるので二日前ほどにチケットは買っておいた。


TOHOシネマズ日比谷にいつも行くルートではあったけど、赤坂から首相官邸方面に登らずに財務省前に六本木通りなのかな、真っ直ぐ進んでいくと国会議事堂がいつもとは違う角度で見えた。

そこからはいつも通り日比谷公園を横切って大通りに出ると日比谷ミッドタウンが見えてくるが、そのまま帝国劇場方面の信号を渡るとすぐのところにニッポン放送があった。
最初に通ったのは社員専用出口で車が出入りするところだったので、表に向かうとステッカーらしきものを手に取ってスマホで撮っている人たちを見つけた。


地下にあるイマジンスタジオを通ってスタッフさんから「爆湧きステッカー」をもらう。武道館もぜひと言われた。バチボコプレミアムリスナーで最初の先行でアリーナ席はゲットしているので心の中で行きますと言った。つい「ありがとうございます」と返してしまい、それが言えなかった。
混雑もしていないし、ほどよく人がやってきては笑顔で帰っていく。穏やかな休日感があった。スタッフさんは本当にお疲れさまです。

そこから少し引き返してTOHOシネマズ日比谷へ。11時30分からの上映回だったけど10時過ぎには着いていた。『三四郎オールナイトニッポン0』はすでに聴き終えていた。スペシャルウイークのゲストは佐久間宣行さんだった。お互いにイベントをやるし丁々発止なやりとりをしてほしいけど、横アリのチケット先行がトラブったのでイジれなくなったこともあり、その辺りのことで三人が話をするのかな。
二時間ちょっと歩いてきたから、アイスコーヒーを飲んで一休み。土曜日の午前中からで期待作でもある&IMAXなのでかなり席は埋まっていた。
中高生のボンクラ男子が好きそうな内容の映画ではある。バカバカしいし寝落ちもしないで最初から最後まで観れたけど、主人公の復讐に燃えるフュリオサ、そして女性たちが置かれている立場のことを考えると男性としては気まずい部分がある。
男性優位社会に対してのフュリオサの復讐劇であり、車やバイクが砂漠地帯を走り回るのでそういうが好きな人は最高に「ヒヤッホー!」みたいなテンションになるかもしれないけど、僕はそういうものがそもそも好きではないからノレないので、やっぱり犠牲になってきた女性たちの復讐劇でもあると思うと、居心地は悪い。
なんだろうな、わかるんだけどなあって感じ。IMAXの予告をいくつか観たけど、今年は『デッドプールウルヴァリン』『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が残りの大作系作品なのかな。

観終わってからミッドタウンの一階にあるアイヴァンでメガネのフレームにヒビが入っているのでみてもらって、交換のお願いをした。前は左目のフレームだったけど、今回は右目のフレーム。また二時間歩いて帰るのはしんどいので赤坂見附駅まで歩いて電車で帰宅。
喉の痛みは治っていなかったので家で風邪薬を飲んで喉にスプレーして夕方は仮眠しようと思ったけど、鼻水がどんどん出てきて息苦しくて寝るどころではなかった。起きている方が楽だ。
駅前のTSUTAYA書店まで夕方散歩。18時を過ぎていたけど家族連れやカップルや友達同士がたくさん歩いている。この街は生活する場所として過ごしやすいなっていつも思う。チェーン店もあるけど個人経営の飲食店もちゃんとある。下北沢が再開発で駅前が変わってしまったのもあるので、三茶はしばらくこのままを維持してほしい。


水道橋博士のメルマ旬報』でご一緒していた細田昌志さんが「小学館ノンフィクション大賞」を受賞した『力道山未亡人』を購入。
前作『沢村忠に真空を飛ばせた男:昭和のプロモーター・野口修評伝』は第43回「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」を受賞するなど評価も高かったので格闘技マニアやファンの人たちは今作も期待しているだろう。僕は門外漢だけど、前作もすごいおもしろく読めたので今作も楽しみ。

家に戻ってからご飯を食べて薬を飲んで早めに寝た。今日は自分のライティング作業を夜はしようと思っていたけど、無理はしないに限る。

 

6月2日
ダメだ。完全に体調崩した。鼻水がすぐに溜まって鼻で息がしにくい。ただ熱を計ってもいつも通り。股関節が痛くなったりしていないのに、なぜか背中が痛い。
目が覚めてから『オードリーのオールナイトニッポン』をradkoで聴きながら横になっていた。寝たり起きたりをちょっとずつ繰り返していき、10時過ぎに近くのドラッグストアで風邪薬と喉用のドロップを買いに行く。コンビニでおにぎりとスープを買って帰って食べて風邪薬を飲んでまた横になる。
力道山未亡人』を読みながら、時折寝落ちするというサイクル。夕方もコンビニに行ってざるそばを買ってきて食べてから風邪薬を飲んで読書の続き。

力道山未亡人』は力道山夫人だった田中敬子に主軸を置いたノンフィクションだが、彼女の家の話もしっかりとリサーチしているし、力道山界隈の人たちの話も聞いた上で符合するもの、しないものをきちんと選り分けて語られている。戦前・戦後に財を成した一家であったり、それ以前から財閥だったりとか、家の力みたいなものも感じる。
田中さんはお嬢様ではあるが、彼女が影響を受けた人たちとのエピソードを見ていると、明らかに一般人的ではない人たちが出てくる。サザンオールスターズ原由子さんが赤ん坊時代には田中家の二階に間借りしていたり、国際線のスチュワーデスになった際の同期には阿部譲治さんがいたり(阿部さんが搭乗員時代のことをもとに三島由紀夫が小説を書いている)、当時の芸能界や政界や裏稼業などが今と違ってわかりやすくつながっていたこともあり、人間関係が星座のように煌びやかにつながっていた。それを見つけて記すのもノンフィクションライターの腕の見どころだなと思う。
プロローグは力道山の弟子であるアントニオ猪木が亡くなって、安置されている遺体に田中さんが会いに行くところから始まる。この辺りの導入もすごくうまいし、力道山のことを知らない人でも入りやすい工夫がされていると思った。

 長過ぎるこの曲のイントロ、長過ぎるあなたのまつげ、長過ぎるレストランのメニュー、が、 もたらす、長過ぎるセックス。長過ぎる社会主義の、長過ぎる夢、がもたらす、長過ぎる孔雀の羽根。長過ぎるあなたの幸福、長過ぎるアメリカのテレビドラマ、が、もたらす、長過ぎる 灰色の二次曲線。長過ぎる恋愛の休憩時間、長過ぎる哲学の授業、長過ぎたあなたの今週に、 お疲れさまでした。こちら東京港区は赤坂、芸者さんと外車のディーラーが行き交い、力道山が刺されたる街よりお届けしております。
 国民の皆様の、週末の憂鬱を消し去る954キロヘルツ、悲しいクールミントの電波を、帝都随一のラジオ局TBSより。1分間のイントロに続く、90分間の生放送であります。

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇』P182より


菊地成孔の最終バンド<ラディカルな意志のスタイルズ>「反解釈0」より


十年近く前に赤坂見附駅近くのピカソドンキホーテ系列)でバイトをしていたこともあり、『菊地成孔の粋な夜電波』が震災後に放送開始して第一回から聴いていたので、力道山が刺された赤坂ニューランクォーターとかそういう単語は知っていた。

力道山未亡人』を読んでいても、僕よりも何世代か上の人たちが詳しいことのちょっと端の方を知っているから楽しめている部分はあるだろうなと感じる。知らなくてもわかるようにはちゃんと書かれている。

ラディカルな意志のスタイルズは二度ライブに行ったけど、現在は活動休止状態。今年は菊地成孔とペペ・トルトメント・アスカラールをしっかりやる一年と菊地さんも言われていたので、来年以降になればラディカルな意志のスタイルズのライブもまた始まるはず。

 

6月3日
5時過ぎに目が覚めて可燃ごみを出しに行く。外は涼しくてちょうどいい気温だった。もう少し寝ようと横になって二度寝モードに入ってわりとすぐに「緊急地震速報」のアラームが鳴り響いた。
久しぶりだなと思いつつ、大きな揺れに備えていたが部屋は揺れなかった。その後新TwitterことXを見たら能登半島の方で震度5だった。正月の地震の余震なのだと思うが、倒壊した建物はそのままで約半年が過ぎていて、放置されているとも言える状態になっている。政府が対応をしているとは思えないし、政局ややる必要のない大阪万博のせいで後回しにされているだろう。

Xで『ワイドナショー』に出ていた女性タレントの発言が炎上というか広がっていて、自分のTLにも動画が上がってきた。その女性タレントは裏金のことや政局を都知事選に持ち込んでいてうんざりと話していた。
小池都知事反自民と言いつつ前回の都知事選に出馬したのに関わらず、自民とべったりなことを考えれば批判されて当然なのだが、なぜか彼女はすでに出馬届けをしている蓮舫さんに否定的な発言をしていた。彼女と一緒に出ていたのが三四郎の小宮さんで、「蓮舫さんがすごい攻撃的で、あまり政治知らないけど怖い」と話しているのも動画で見た。
小宮さんが政治に関心がないのはラジオ聴いていてわかっている。そして、この発言も彼のキャラを考えればわからなくもないが、個人的にファンとしては『ワイドナショー』には出ない方がいい。
もちろんタレントだからオファーされたら出るだろうし、断る理由がなければ難しいのもわかるが、コメンテーターとしてちゃんと政治的なことやいろんなことを知っていて勉強してる人ならともかく、知らない人が出るとやはりまずい。
小宮さんは東京生まれ東京育ちでそこそこボンボンである。普通に考えたら保守側な思想やそういう環境にいてもおかしくない。この言葉が無意識から出たとしても今の現状ではこういうテレビなどで不用意に発言しない方がいい。そして、どうしてこういう発言で批判されるのかもわからないかもしれない。
テレビ局的にはどういう意図で呼んでいるのかはわからないけど、この手のワイドショー的な番組に専門的な知識がない人を出して、これが市民や一般人の考えですみたいなやり方はプロパガンダだと言われても仕方ない。
いちファンとして小宮さんはこの手の番組はもう出ないでほしいし、せっかくの武道館ライブもあるんだから、変な炎上に巻き込まれないようにしてほしい。元々思想が固まっていたり、強いのであればそれを表で言いたいというのはわかるけど、ない人の方が使う側に意向で利用されてしまう。特に芸人は周りの空気を察して発言するから、一番思想がない人ほどその現場の空気に巻かれてしまうから危険だ。

リモートワークを開始したけど、月初なのでわりとのんびり。朝も曇りだったけど、日が暮れていくにつれてどんどん天候が悪化した。
天気予報を見たらゲリラ豪雨になっているところがあって、それもこちらに流れてくるみたいな状況だった。実際には夕方過ぎにはゲリラ豪雨というほどひどくはなく、普通に傘を刺して歩ける程度の雨だった。


昼間の休憩中に駅前に行って、大塚英志(原作)×山崎峰水(作画)『黒鷺死体宅配便』29巻を購入。今回の各タイトルは大瀧詠一さんの曲名(『おもい『あつさのせい』『水彩画の町』『それはぼくぢゃないよ』『朝寝坊』』から。
気になって本棚から取り出した1巻は上京した2002年発売だった。その間に『松岡國男妖怪退治』『アライアズキ、今宵も小豆を洗う。』『代筆屋中川恭次郎の奇っ怪なる冒険』とかのスピンオフもあったりしたから大塚さんの作品の中では一番長いのかもしれない。高校生編がしばらく続くみたい。

トム・ヨークのライブチケットがS席18000円で高いとか新TwitterことXで見て思った。違うんだよ、もうそれが世界では普通で円安で海外からしたら安いぐらいになる。日本だけが物価が上がったのに給与が上がってないからより高く感じるだけの話だ。
そもそも「失われた三十年」で就職氷河期世代を見殺しにしたじゃん。正社員になれずに派遣やバイトしかなくて精神的にも肉体的にも病んで結婚も子供も諦めた世代がいたでしょ。正社員を取らないから結局給与も底上げしなかった(派遣という名の搾取企業が売り上げを上げていって)から、そのぶり返しで今の大学生が求人倍率1.7倍とかになっている。でも、それでも人がいない。中間管理職世代を取ってないし、育ててないから真ん中がいない。そして物価は上がったが給料は上がっていない。個人の税負担は増え続けているのに、法人税は下げ続けてきた。そんなことしたら個人消費は伸びないとかわかっているはずなのに、政権与党は手を打たないし、経済連からの組織票も欲しいから個人から税金を取ることだけはすぐに法案を通す。
新自由主義が当たり前になってるから若い世代からしたら、僕ら世代の就職してない人たちは努力しなかったとかそういう考えに自然となってしまう。パイがなかったんだから努力以前の問題なところもあったし、その犠牲の上でお前らの父親や母親は正社員だったんだぞとかいう憎悪を抱いている人もいるはずだ。もう僕らは捨て駒にされたしどうにもならないから君らはちゃんとした世界にしてくれよ、邪魔はしないからとしか言えない世代もいるわけだけど、もうそれもきっと届かないんだろうな。とか書いていたら雨が強く降り出した。


『83 Lightning Catapult』が一月に急に休止して、一ヶ月ぐらいで復活するかも、しないかみたいな話をその時に相田さんと酒井さんが話をしていたが、なんか六月になっていきなり復活した。
ただ、トークを聴いていると予算削減もあり半年間はやるけどスポンサーとかがつかないと続かないということを言っていた。ポッドキャストアワードとか取っていたけど、わりと厳しい感じではあった。ポッドキャストが乱立しているし、色々と予算とかも難しい部分があるんだろう。とりあえず、アップされたら聴いていくしかない。
スポンサーつくといいんだけど、でも、『三四郎オールナイトニッポン』が武道館でやるぐらいだから、どっかやってくれるんじゃないかなって楽観的には思ってしまう。

風邪薬も効いたのか咳も止まりかけてきた。ただ、喉がやられているので声が掠れている。とりあえずいつもの体調に戻りかけているので助かる。
ライティングの仕事関係の連絡も来たし、止まっていたものが動き出しそう。20時過ぎから土日で読む予定だった原稿を読見始めたらゲリラ豪雨になって部屋の中にも大きな雨音の連続音が聞こえていた。原稿はとてもおもしろかった。

 

6月4日
6時半の目覚ましで起きる。ペットボトルの回収日なので外に出る。ちょうどいい気温。地面が濡れているが湿気は感じない、空気はひんやりしているが日はちゃんと出ている。
昨日の9時以降は何も食べずできるだけ飲み物も飲まず、ちょっと水は飲んだぐらいだったので起きたら喉がすごく乾いていた。
ピロリ菌の除菌治療から二ヶ月後なので(除菌薬飲み始めて五日後で薬疹出てストップしたけど、一応菌が残ってるか検査はすることになった)8時半から自衛隊中央病院尿素呼気試験検査の予約を取ってもらっていた。このため夜も9時以降は食べないようにしていて、朝食もNGっだった。8時前に家を出て病院に向かう。

予約もしていたし、受付が始まるちょっと待ってから二階の検査できるエリアへ。最初に普通に息を吸って、10秒ほど息を止めたのちに渡された呼気採取バッグに息を吹き込む。その後、渡された錠剤を一つ水で飲み干してから部屋で左側臥位の姿勢で5分、ソファに座って15分したらまた同じように呼気採取バッグに息を吹き込んだら終わり。9時半には会計も終わって外へ。


日曜日にチケットを取っていたけど風邪がしんどくて観れなかった映画のチケットをもう一回取っていたので渋谷へ歩く。劇場が開くまで時間もあるし、お腹も減っていたので道玄坂松屋へ。
牛焼きビビン丼に生野菜をつけたけど、正直丼が美味しくなかった。前に食べたのはキムカル丼だったのか、間違えた。それかネギたっぷり旨辛ネギたま牛めしにすればよかった。失敗。

PARCO渋谷のホワイトシネクイントで富名哲也監督『わたくしどもは。』を鑑賞。予告編で気になった作品だった。明らかに死後の世界というか、志願と彼岸の狭間を描いているような世界観は好きでもあるし、主演の小松菜奈松田龍平も好きなので観たいと思っていた。
お客さんは十人いなかったかな。ほとんど女性ばかりで年齢も高かった印象。その人たちはどこに惹かれて観ようと思ったんだろう、役者のファンなのか、監督なのか、ちょっと掴みにくい。
『わたくしどもは。』は無駄をなくしたドラマ『熱海の捜査官』みたいだなって観ながら感じていた。「熱海」も此岸と彼岸の狭間を舞台にした話だった。場所が熱海から佐渡ヶ島になったという感じだ。実際の地名ではあるが、そこは間のどちらでもない世界である。「熱海」は監督で脚本を書いた三木聡さんによるある種の無駄と過剰さがたのしい(『ツイン・ピークス』オマージュも)作品だった。
観ていると画とか構図はカッコいいんだけど無駄を削ぎ落としすぎていてちょっと純文学チックなところもあり、個人的には無駄が欲しいなって思ってしまった。あと此岸と彼岸の狭間を描く作品はトンネル出がち、どちらにも出てくる。トンネルというのが出入り口があって、輪廻転生に向かうみたいなイメージもあるし、通路という意味でも子宮だったりへその緒のメタファになっている。だから、こういう作品だと出したほうが意図や世界観が伝わるし、この先に別の物語や彼らの物語があるんですという感じも出せるのでやっぱり使うよなって。


家に帰る前に代官山蔦屋書店に寄ってみた。ファッション誌『FRUiTS』のコーナーができていてバックナンバーが豊富に揃っていた。何気なく手に取った一冊が1500円だった。海外からの観光客も多い店だし、神保町の古本屋で90年代のファッション誌が売れているという話も聞いたので需要は国内外であるのだろう。

コロナ禍以前は、中国からの観光客が全身「オフホワイト」とかで原宿あたりを歩いているわけですよ。全身同じブランドで固めるとだいたいサーカスの衣装みたいになるんだけど、「オフホワイト」や「ヴェトモン」の場合は初心者が全身それでそろえてもかっこよく見えて、これはある種のファッション革命じゃないかと。1980年代にも例えば全身「コム・デ・ギャルソン」(以下、「ギャルソン」)みたいな人はいましたが、初心者がやるとダサく見えたので。

1990年代の東京のストリートファッションはどう変化してきたのか 「STREET」「FRUiTS」「TUNE」の青木正一インタビュー前編

青木:そんな雰囲気はありますよね。コロナでファッション的にも欲求不満になっていると思うので。いつも1人か数人の天才的ゲームチェンジャーが大きくファッションを変えてきたので。DCブームは川久保玲さんと山本耀司さんだし、裏原系も藤原ヒロシさんと数人じゃないですか。ファストファッションも2、3社。そこからの脱出はデムナとヴァージルだったり。原宿の天才待ちですかね。

原宿ファッションは復活するのか 「STREET」「FRUiTS」「TUNE」の青木正一インタビュー後編

創刊者の青木さんのインタビューを見つけて読んだらすごくおもしろかった。90年代以降のファッションの一つの流れもわかるし、ファストファッション、そしてコロナパンデミック、中国旅行者などを経てまた新しい流れが来るんだろうなと思えるし、場所性の問題も感じる。
インタビュー記事自体が2022年で2年前だから現状はかなり変わったり、何か新しい動きは出てきているだろう。ここで名前がでてきていたオフホワイトのヴァージル・アブローは21年には亡くなっていたりする。僕でも聞いたことがあるファッションデザイナーだった。僕がファッション詳しくないので知っている人は今どんなものを追いかけているのか、おもしろがっているのかは知りたくなる。

少し前から書店で見かけていて気になっていたジョン・バージャー著/金聖源訳/若林恵訳『第七の男』をとりあえず買ってみた。若林さんが前に出した『さよなら未来』とかすごくよかったという印象が残っているので、たぶんおもしろいだろうなという気持ちで、著者の人についてはまったく知らない。

Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:ディズム)と『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』のポッドキャストがアップされていたので聴きながら積読している本を数冊読んだ。
ディズムさんはTRPGの配信などで有名な人らしい。トークの中で平子さんが『ストレンジャー・シングス』で主人公たちがやっているゲームがTRPGですかって聞いていて、今だとそれでわかる人が多いんだなってそっちに感心した。
日本だとプレイ模様を文章化して小説にしたのが『ロードス島戦記』であり、ラノベ黎明期の作品で有名だが、そのままラノベに組み込まれてしまったのである時期まではTRPGの遊び方とかプレイを紹介していた文化が途切れて日本ではそこまで広がらなかったんじゃないかなって思う。
『あのと粗品の電電電話』はお休みだった。色々あったから仕切り直しとか、一回休みを入れたのか、単純の本編というかテレビの『あのの電電電波』の収録がなかったり、間が空いていてトークすることがないとかなのかもしれない。

 

6月5日
7時過ぎに起きるが、まだ喉がちょっと痛い。その後咳の回数が増えることになるのだけど、まだ風邪は治っていないらしく、最後に咳にきた感じになった。
まだ無理ができないので朝の自分の作業はしないでリモートワークから開始。水曜日は深夜帯に放送した『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで流しながら仕事をする。

星野源ANN」は先週のことがまるでなかったぐらいにいつも通りの放送になっていた。なんか一安心。「あのANN0」は先週は幾田りらゲストで来週は東野さんだからゲストいない通常回。
当たり前だけど単発の時からレギュラー始まってからも全部聴いているけどあのちゃんの一人話本当に上手くなったと思うし、めちゃくちゃ話せててすごいラジオパーソナリティーになってきたなって思う。
昔、乗っていたタクシーから見えたマンホールに大量のカラスが集まっていて、一緒にいたマネージャーの人に言ったらその人には見えていなかったという話があった。今回もその話を人形とか怖い話で届いたメールからしていたけど、あのちゃんはあれは六次元とか違うところのものが見えちゃってたという言い方をしていて、そのマンホールに大量に集まるカラスはなんとなく僕には『SPEC』の映画の最終決戦の地獄の蓋が開いたものにちょっとイメージが重なる。
見えるけど見えない、あるけどない。みたいなことは次元が違うみたいなものは多少納得ができるし、そんな風に考えているところがある。ただ今の段階では実証できないし、あるであろう四次元や五次元や六次元に僕ら三次元の存在はいけないし届かない。でも、そういうところのものが波長なのか何かが合って見えることはあるんじゃないか、あってもいいんじゃないかと思う。ただ、行き過ぎるとオカルトになったりヤバいから、そんなことがあるかもねぐらいで止めておいた方がいい。

渋谷から電車で2駅の三軒茶屋界隈は、都心の賑わいと住宅街のリラックスした雰囲気が理想的にミックスされている。メインストリートは茶沢通りで、ファミリーマートの屋上から突き出た巨大なゴリラが目印。しかし、この通りにあるのは、象徴的な撮影スポットだけではない。気さくなレストランや居心地の良いカフェ、地元の八百屋や魅力的なパン屋も並ぶ。

2024年、世界で最もクールな30のストリート

記事によると茶沢通りは世界で九番目にクールなストリートらしい。確かにコロナパンデミックが収まってからはこのゴリラビルをスマホで撮っている海外旅行者らしき人を見かけるようにはなった。
下北沢と繋がっているところもデカいんだろうけど、でも、海外の人も来るからと言って資本が入って通りにチェーン店とか増やしても意味がないし、個性がなくなるし、住んでる人も来る人も求めてないし、そういうことをすると土地代とか上がって個人経営のお店が減るからいらんことはしないでほしい。

夕方に下北沢のB&Bに行ってみた。ニコラの曽根さんが書いた小説『死者のテロワール』刊行記念の選書フェアが始まったので棚を見にきた。入り口すぐのところに大きく展開されていた。
僕も昔大盛堂書店さんで選書フェアをやらせてもらったことがあったけど、あのことは何にもわかっていなかったのですごいと思っていなかった。でも、今はわかる。こういうことをしてもらえるのは本当に一部の人だけだし、すごいことなんだよなって。これから一ヶ月フェア開催なのでB&B に寄ったらぜひ。


家に戻ってからリモート再開して終わってからニコラへ。いちじくとマスカルポーネのタルトとアイスコーヒーをば。
選書フェアのこととか曽根さんと話をしたけど、思ったよりも自分の喉がやられていて声がかれていたの早めに帰った。

 

6月6日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを出して部屋に戻る。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら横になっていた。喉がまだ痛い。鼻が詰まって噛むと黄色い鼻水が、うがいして痰を吐き出すと黄色いものになっているのでもうそろそろ治るのだとは思うけど、まだ長引いてる。
カラスが外で鳴いていた。一羽じゃない、数羽の鳴き声。可燃ごみの日はよくごみを漁っている。僕が出しているごみの集積所はカラスよけのネットがないので、袋を嘴で突かれて穴が開けられて食えそうなものを引き摺り出して食べて、それが散らかってしまう。
ごみが置かれているところが道路に面しているが、そこが一軒家の塀の横であり、ネットをつけるならその家の塀につけないといけないのでつけれていない。元々我が家のアパートの横には大家さんのおばあちゃんの家と畑があった。亡くなって土地が売られて一軒家が四戸建った。大家さんの親戚のおじちゃんとかが見てくれてはいるが、ネットに関しては人の家の一部なので言えないと前に言われていた。
カラスの鳴き声というかたぶんトークを遠くに聴きながらまた寝て8時過ぎに起きて、家を出た。集積所はカラスが荒らした後でゴミが散らかっていた。僕はそれを片付ける余裕も時間もないので、申し訳ない気持ちで通り過ぎる。でも、それは僕のやるべきことではない。大家さんの親戚であるおじちゃんが管理人みたいなことをしてくれているので、ごみを持って行った後に掃除をしてくれているのを知っている。でも、それだと根本的な解決にはならないし、味をしめたカラスは可燃ごみの日には喜んでやってくる。
ネットをつけるしかないと思うし、その家の人に相談するしかないと思うのだけど、僕は共益費を払っているからやってもらっているけど、そこには含まれていると思う。四戸の一軒家の人たちは当然買っているのだから、そんなお金は払っていないだろう。だとしたらネットをつけるしかない、でもおそらくこのままだろう。カラスの繁殖期が過ぎて寒くなれば大人しくはなる。それまでの辛抱だと思っているのかもしれない。


ヒューマントラストシネマ渋谷で9時半から『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』を鑑賞。木曜日はTCGカードで1200円だし、もう一回は観ておきたいと思っていた。さすがに平日の朝一ではお客は四人ぐらいだった。
原作である漫画版とはラストが違うものになっている。漫画を描いている原作者である浅野いにおさんが映画版のラストも提案しているので、原作改変ではない。
漫画版がAであれば、映画版はBというありえた可能性の終着というか、漫画を読んでいるとこういうパターンの終わりにしたんだ映画版という感じではある。
公開日に観た時は泣けたのだけど、今回は泣くこともなく普通に観ていた。実際には母艦と呼ばれている東京上空に浮かんでいる宇宙船がこの作品の世界ではいるのだけど、なぜこうなってしまったのかという種明かしがされる。

母艦が来る何年も前に主人公の門出とおんたんが小学生時代に偵察としてやってきた侵略者がいた。その侵略者を助けた二人は彼らの道具を使ってプチ世直しをし始める。おんたんは特には加わらないものの、門出はその正義によっていき世直し的に悪い人間をその道具を使って懲らしめていく。ある政治家すらも殺すし、電車の脱線事故を起こしてしまい多くの人を殺傷してしまう。門出は学校に来なくなり、転校することになる。勇気を振り絞って会いにきたおんたんの前で門出は自宅のマンションから飛び降りて、死ぬ。これがおんたんが最初にいた時間軸である。
侵略者がやってきた最初の時間にポイントのようなものが打たれており、おんたんにそこにいけばそのポイントが打たれている過去に今の自分の意識を飛ばせると教える。この時間軸では門出を蘇らすことはできないことも侵略者に言われていたため、兄のひろしにも協力してもらって侵略者がやってきたある場所に三人で向かうことになる。ひろしは「世界を変えろ」と妹を別の時間軸に送り出すのだった。
そして、この物語は門出が死んだ世界から意識が飛ばされて上書きされたおんたんと死なないですんでいる門出がいる世界だったことがわかる。そして、最初の世界では偵察にやってきた侵略者はこの地球は侵略する価値もないと報告すると話していたので母艦は現れていない。しかし、おんたんがやってきたこの世界では門出も死ななず、二人はずっと親友として成長していく、もちろん宇宙人を見たりすることは共通しているが細部は異なってしまう。そして、母艦に乗ってきた侵略者たちは元々は人類より前に地球に住んでいた生物で一度は離れたものの帰ってきた存在であることも明かされる。
だが、この門出が死なない世界では偵察した侵略者からの報告は届かなかったのか、侵略すべきに変更されたのか、母艦がやってきている。この物語で母艦がやってきたのはおんたんがやってきて門出が死なないようにしたための結果の一つだったことが明かされる。

漫画版ではラストは映画では死んでいる門出の父が侵略者の残したタイムマシンを使って更なる並行世界に飛ぶ。母艦も来ず大惨劇が起きていない世界で大学を卒業した元気な門出やおんたんたちが仲良くやっている別の可能性を見せて物語は終わる。
漫画版でも門出を救うためにおんたんが並行世界からやってきた存在であり、彼女の門出を救いたいという気持ちが世界を終焉に導くというのもので、映画版でも基本的には同じだが、父はすでに亡くなっている。映画版では更なる並行世界には行かず、東京やなど大きな都市が壊滅していく。門出とおんたんと仲良しな友達たちはなんとか生き残っている、世界は終焉しなかったが多くの人が死んだ世界で。セカイ系の果てのような終わり方をする。
そう考えると今回の映画版の方がすんなり受け入れやすい。漫画版はおんたんだけではなく門出の父も並行世界を移動するので、より複雑になっているし置いてけぼりにされたと思った印象がある。
今書いている小説って「デデデデ」を意識したわけではなかったけど、母艦の代わりに違う次元から来た「星の獣」とある一族の話なので、正直あるキャラは並行世界を移動していることがわかるみたいな終わりにしようとは思っていた。このぐらい映像がポップでキャッチーでなんとかわかるけど、文章だけだとどのくらい説得力があるのか、母艦の代わりではないけどカブトガニがちょっとしたきっかけにもなればなって思っている。

映画館までとみ終わってからも佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きつつ歩く。ヒューマントラストシネマ渋谷が入っているココチビルの反対側を原宿方面に歩いているとヴィム・ヴェンダース監督『Perfect days』に出てきたトイレがあった。こんなところ、近くを通っているのに今まで気づいてなかった。

国芳の団扇絵 ―猫と歌舞伎とチャキチャキ娘』

原宿駅近くにある太田記念美術館へ。原宿方面はあまり足を運ばないので色々と風景が変わったなと思うし、海外旅行者がめちゃくちゃいる。
浮世絵専門の美術館で、今まで何度かSNSでも見ていたけどきたことがなかったので、せっかくなので時間もあるので来てみた。
館内は写真禁止。海外の人もわりと来ていたけど、ルールを守っていた。僕も撮影できないことでちゃんと展示されている絵とキャプションを読めたし、多くの美術館とかでも今はSNSで拡散してもらえるから撮影OKになっているところがあるけど、やっぱり撮影させない方がちゃんと集中して観れていい。
もちろん、浮世絵という古いものを展示しているからフラッシュとか光とかもダメそうだしなとも思うけど、しっかり観てくださいという美術館の意思表示がされていてよかった。
江戸時代とかに描かれたものだけど、色彩がカラフルで構図もカッコいい。男女が色気もあるし、歌舞伎役者のものが多いから今でいうライブのグッズみたいな側面もあったんだろうし、それを見て舞台とか観に行けていない人は想像もしたんだろうな。
隅田川とかの風景も多かった。浅草付近とかが舞台の絵とかモチーフもあったりして、今の隅田川テラスとはまったく違う世界が見れるのもなんだかよかった。

帰りに記念に蕎麦をかぶってしまった猫(1873年歌川国政(四代)が描いた『しん板猫のそばや』)のアクスタを買った。前から気になっていた。これもそうだし、猫とか化粧品とか擬人化されたものを描いた絵がたくさんあって、コミカルだしポップだった。

想像してたよりもちゃんとした装幀だ。『百年の孤独』という感じもするし、豪華=永遠ではない感じもする。永遠に続くわけではない、その儚さのようなものを僕は感じた。
ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』初文庫化だから、やっぱりマルケスに影響を与えたフォークナー『響きと怒り』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』辺りは一緒に展開してほしいし、日本だとやっぱり大江健三郎作品、中上健次作品、そして阿部和重作品と古川日出男作品はマジックリアリズムとサーガ的な主題を引き継いでいるのでこの機会に読まれてほしい。

 

6月7日
このところ木曜日から金曜日に日付が変わる時間帯はradikoでほぼリアルタイムで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いている。それだけに集中しているわけではなくて、何か読書しながらBGM的に流しているのでどういう内容だったかを詳しくは語れない。でも、ちょうどいい。テンション高いし声が若いので本来は苦手なのだけど、慣れてきたのもデカそう。慣れるまで聴けるかというのは大きいことだなって思う。
今は数冊併読しながら読んでいるけど、ハン・ガン著『別れを告げない』は読み応えというか、明らかに何かが違っていて音が入ってこなくなる。他の本はエッセイとかもあるんだけど、済州島4・3事件を生き延びた母を持つ女性小説家が主人公であるが、詩ではないが、文章のリズムやセンテンスに詩のようなものも感じながら、歴史と対峙する時に身体や思考にまとわりついてくる黒く重い暴力や悪意みたいなものもあって、ハン・ガンという作家の決意とそれでいて僕のようなそれらの事件などに詳しくない人間にも読み進めれる筆力はやはり素晴らしい。

7時過ぎに起きた。まだ鼻と喉、そして時折咳き込んでしまう。風邪が長引いている。熱はないので日常生活にはさほど問題はないけど、鼻水がたまるがちょっと嫌。変異したコロナという可能性もゼロではない。やっぱり外に出る時にはマスクをした方がいいかもしれない。暑くなってきたからしんどいけど、もしものことを考えると仕方ないかなあ。
リモートワークをいつも通りに開始する。今のところ仕事が立て込んでいるわけでもないし、〆切が近いものも特にないので通常運転。今月で上半期が終わる。あっという間だけど、一年もあっという間に終わる。
下半期にはいくつかリモートワークではない、僕がやっているライティング関連でなんらかの形になったりするものがあるし、来年は去年手伝っていたゲーム関連のお仕事もおそらく形になる。
僕の仕事は一つの部門というかそのためのお手伝いなので僕がやりましたという感じにはならないだろうけど、仕事の枠が広がるためにもちゃんと世に出てほしい。そして、僕自身のことももう少しちゃんとしないとヤバいなという危機感は日々強まっている。


昼の休憩の時に駅前の西友へ。その前にツタヤ書店で寄藤文平著『デザインの仕事』文庫版が出ていたので読みたいと思って購入。
黒鷺死体宅配便』シリーズの装幀デザインをずっとされているし、広告や商業など大きなデザインもされているのでいろんなところで寄藤さんのデザインを見る機会は多い。エッセイとか小説ではないものを気軽に読みつつ、『別れを告げない』のような思い小説を読むのが僕にはバランスがいい。

リモート作業中はradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』といつも通りなプログラム。「ナイナイANN」の横アリにあのちゃん出演するみたい。それもあって、前のスペシャルウイークでゲストで呼んでいたのかなと思ったり。
作業が終わってから今月分の「予告編妄想かわら版」の原稿に手をつける。四作品とりあえず下書きみたいな形で書いておいて明日以降に見直して加筆修正する。今回は四作品すでに予告編がYouTubeにアップされているので早めにできるので助かる。
終わってから、自分の原稿で考えていることをメモしたり、設定で変えないといけないところを修正していった。土日からもう少しこの原稿に時間が使えるようになるはず。

 

6月8日
日付が変わってすぐに寝たと思ったら深夜2時前に目が覚めた。特にトイレに行きたいというわけでもなく、なぜかわからないが短時間で起きてしまった。とりあえず、radikoで『バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら目を瞑って横になっていた。声は聞こえるけど内容はあまり入ってこなかった。番組が終わる頃にはもう一度眠りに落ちていた。
7時過ぎのアラームで起きてからちょっとだけ作業をして8時過ぎには家を出た。TOHOシネマズ六本木までは一時間半弱なので、いつもの散歩がちょっと長くなるぐらいの感じ、『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。
行き来で「三四郎ANN0」を聴いていて後半部分の最後の方で相田さんのフリートークで、おぎやはぎの小木さんとこの数ヶ月よく会うみたいな話をしていて、小木さんから見かけたら声かけろよと言われて、そのトークの内容がまさに「THE おぎやはぎ」みたいな展開でおもしろかった。来週は佐久間さんゲストだけど、『オールナイトフジコ』が生放送しているから終わり次第来るから、前半ははんにゃの金田がゲストということだった。いや、佐久間さん途中からっていうのはゲストオファーしてる時からわかってたろ、と思うけど、金田は武道館のゲストだから呼ぶのは問題ないか。
先週はニッポン放送のイマジンスタジオに行ってステッカーもらいに行ったんだけど、なんかあっという間に一週間過ぎていった。ちょっと日々が過ぎるのが早すぎる。

昨日から公開が始まったルカ・グァダニーノ監督『チャレンジャーズ』を鑑賞。元々気になっていた作品で主演がゼンデイヤだし、予告編とか観てもテニスの試合とどうやら女1男2の三角関係が繰り広げられるみたいでおもしろそうだなって思っていた。

2024年暫定ベスト1! ルカ・グァダニーノ新作『チャレンジャーズ』が必見である理由【宇野維正のMOVIE DRIVER】


昨日この動画も観ていて期待度はさらに上がっていた。

テニス選手のタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)は誰もが恋する華やかなさと容姿を持ったトッププレイヤーだったが、試合中の怪我で選手生命がたたれてしまう。怪我の前に知り合っていたジュニアテニスでタッグを組んでいたパトリック(ジョシュ・オコナー)とアート(マイク・ファイスト)の二人が自分に好意を寄せていたこともあり、彼らを同時に愛することを新しい生きがいとして見出していく。
怪我の前にはパトリックと交際していたが、怪我後にはアートのコーチになり、やがて結婚して一時をもうける。物語はそんなライバル関係のパトリックとアートが三十代を迎えてのあるトーナメント(チャレンジャー)の決勝戦で戦っている流れの中で、最初の出会い、数年後、現在へと三人の関係がどうなっていったのかを描く。
今年ぶっちぎりでセクシー&クールな作品だった。宇野さんの動画でも言われていたけど、セックス自体の描写はないけど、非常に官能的なものがあり、テニスの試合とかのラリー自体がもうSEXのメタファみたいになっていて、テクノぽい音楽も合わさってどんどん観ているとテンションが上がって高ぶるものがあった。しかし、どうにも所々で笑ってしまうようなファニーさもあった。
人間の性的な部分と関係性におけるものって当事者は真面目なんだけど第三者から見たら間抜けだったりすることがある。そんなものもちゃんとあって、非常にバランスのいいカッコいい映画だった。
今作の脚本を手掛けているジャスティン・クリツケスという人は『パスト・ライブス 再会』のセリーヌ・ソン監督の夫らしい。夫婦揃って三角関係を描いているのもなんだかおもしろい。男女で見える景色や描こうとするものが全然違うので二作品合わせて楽しめるし、今年はこの二作品はマストになっているなと感じた。帰りにパンフは購入した。

日差しは強かったけど歩けないというほどの気温ではなかったのでまた来た道を歩いて帰った。汗だく手前ぐらい、Tシャツがびしょびしょになるということもない、額とかには汗をたくさんかいていたけど、まだ梅雨入りしていない。夏ではないのにこの暑さ。
真夏はたぶん外に出ないほうがいいような酷暑なんだろう。今のうちに外歩いたり散歩しておいたほうがいいのかなって思ったりもする。

帰っている時に友達からラインが届いて、トム・ヨークのソロライブのチケットが取れたので支払い票の画像が添付してあったので家の近所のセブンイレブンで支払いだけ済ませた。
これで11月23日はトム・ヨークのライブを東京ガーデンシアターで観て、翌日は「三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブin 武道館」と今年の終わり近くに大きなイベントが連日続くことになった。
トムというかレディオヘッドを最後に観たのはさいたまスーパーアリーナだったから、2008年。16年前だ。最初に観たのがアルバム『Kid A』『Amnesiac』が出た後のツアーでの日本武道館が2001年、次が2003年の「サマーソニック」だから三回しかないのか。

『Lift』はYouTubeなんかに昔のライブ映像で演奏しているものがアップされているが、セカンド『The Bends』に入るかぐらいだったか見送られた、あるいはサード『OK Computer』辺りに収録されると言われていたらしく、オリジナルアルバムには入っていない名曲と呼ばれている。
『OK Computer』の発売20周年記念で『OK COMPUTER OKNOTOK 1997 2017』という盤でようやく収録された曲。トムのソロでやらないことはわかってるんだけど、セトリも毎日変える可能性もあるしサプライズ的にやってくれないかなと勝手に期待している。もし演奏するとしても自分が行く日にやるかという運も必要だけど。

――吉田さんの思う『デデデデ』という作品のテーマを教えて下さい。

吉田:この作品のテーマは、かなり中川ひろしのセリフに集約されていると思うんです。彼は、真っ当なことを言うだけではなく、その裏に優しさや思いやりが見え隠れして、素敵なキャラクターです。

世の中がどういう状況になったとしても、そこで生きるしかない人たちにとっては、今を大切に生きていくことしかできない。そこが、すごく実感として伝わってきました。

日々を丁寧に生きていく。終末だからって何かを破壊したり、無軌道になったりするのではなく、今まで続けて来た日常をより愛おしく、大切に思って生きていくっていうことを貫いている作品だと思います。

アニメ映画『デデデデ』シリーズ構成・脚本、吉田玲子インタビュー

『デデデデ』は漫画とアニメ映画ではクライマックスがまったく違うものになっていて、原作者である浅野いにおさんが映画でもオリジナルな結末を描いてそれを元にしているので、原作殺し的なことにはなっていない。原作者がしっかりとコミットして作られた幸運な作品でもある。
声優オーディションの際にスタッフ側にいた浅野さんがあのちゃんの声を聞いて凰蘭(おんたん)に決めたことでこのアニメは勝った部分があると思う。実際あのちゃんがブレイク前に決まっているので、YOASOBIの幾田りらは主人公である門出ということは決まっていたとしても、あのの快進撃が進んでから、前章と後章でそれぞれアーティストである二人がコラボする曲ができたのもその副産物に見える。

漫画のラストを読み返してみたのだけど、『デデデデ』の漫画版においては門出の父親が重要な役割を果たしている。それを簡単に言えば「父性」なのだけど、彼が起こした行動でクライマックスは地球滅亡に向かっていた終末感とはぐるりと反転する。
しかし、映画版では原作で描かれた「8.32」と呼ばれるディストピアにはなっておらず、父は「8.31」で亡くなっているので漫画版のようなラストには向かわない。
その違いは漫画版ではあった「父性」が、映画版ではないということだ。どちらのエンディングもある意味では「if もしも」的なありかえるかもしれない可能性の一つだなと思わされるものだが、漫画連載中には鳥飼茜さんと再婚して彼女の子供との関係性も『漫画家入門』というエッセイで浅野さんは書いていた。しかし、映画公開に至る前には離婚しているので、漫画版にあった「父性」というか父的なふるまいから離脱したことで、オリジナルなエンディングに向かったのではないかと思ったりする。

夕方から「予告編妄想かわら版」に手をつける。もう一度文章を見直したり消したり追加したり、とりあえず、明日請求書を作ってから編集さんに送ればいい。


昨日読んでいた寄藤文平著『デザインの仕事』の中で寄藤さんが大塚英志著『多重人格探偵サイコ・フェイク』の装幀は最初はピクトグラムを使ったものにしようと思っていたという話をしていた。僕はこの書籍の写真を使ったデザイン非常に気に入っていてカッコいいと思っているので、全然違うものになる可能性があったんだと思って、久しぶりに棚から取り出してみた。
大塚さんに一人でインタビューに行った帰りに恥ずかしいけどお願いをしてサインしてもらったこともあって、特別な一冊だったりする。久しぶりにめくってみたら各章のタイトルがすごく珍しいというか何かの書籍のタイトルかなと思えるものばかりだった。
大塚さんは大江健三郎中上健次の小説タイトルを「サイコ」のノベライズにおいては章タイトルにしていたこともかつてはあったので、これもそうなのかなって思って検索したが誰かや何かのタイトルとしては出てこなかった。だったら、この章タイトルを今書いている小説に使わせてもらおうと思った。もちろん内容を模倣したりパクるわけではない、設定が違いすぎるからそれも無理なんだけど、影響を受けた人の作品からのオマージュというか、僕なりの遊びであり、何かを継ぎたいという気持ちもあって。
多重人格探偵サイコ・フェイク』をradikoheadのアルバムを『KID A MNESIAC』(『Kid A』『Amnesiac』の20周年盤)から歴代のアルバムを聴きながら読むことにした。

 

6月9日
6時半過ぎに起きてから、「予告編妄想かわら版」の原稿を見直して加筆修正をしてから、請求書を作ってコンビニ行ってプリントしたものに捺印して、さらにスキャンしてスマホにそのデータを流してからGoogleドライブに入れる。
原稿と請求書を編集さんに送ったら8時半前だった。とりあえず今日は特に予定はないけどいつもの散歩がてら家を出る。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。気温は23℃ぐらいかカーディガンを羽織っていたが風もあるのでちょうど良かった。風邪はほとんど治ってきたので鼻水は出ないし喉の痛みもほぼ消えたが、時折出る咳が辛い。咳が出ると咳き込んでしまってちゃんとダメージを受ける。

オープンしたばかりの代官山蔦屋書店だが、すでにお客さんは多かった。家族連れも多いがやはり海外旅行者らしき外国人の姿も多いのがこの店の特徴だと思う。まあ、9時からオープンしている店って代官山付近ではあまりないというのも大きいと思う。あとは犬の散歩がてらスタバに寄ったりとか、いろんなお客さん同士の交流も見える。
でも、小説のエリアは年々小さくなっているし、本が好きな人が集まる場所ではないとも思う。それでもお店を維持するためにいろんなイベントや店内のスペースやエリアを変えている。個人的には海外小説とか人文系の書籍もある程度あるのでなんとかお店を続けてほしいので、気になったものは買うようにしている。
二階の音楽コーナーのエリアが『スター・ウォーズ』の新しいドラマシリーズか何かのポップアップストアになっていた。『スター・ウォーズ』はわかんない、エピソード1,2,3,7,8,9は映画館で観てるけど、オリジナルというか「旧三部作/オリジナル・トロジー」は物語をなんとなく知っているだけで最初から最後まで全部を観ていない。
世代的にも生まれる少し前と幼稚園ぐらいの頃にオリジナルは公開されていて、SFとかにさほど興味がないまま育ったのでストーリーやキャラだけ知っているまま、「旧三部作/オリジナル・トロジー」の前日譚というか親世代の物語である「新三部作/プリクエル・トロジー」は高校生や東京に上京していたりしたので観たし、次世代を描いた「続三部作/シークエル・トロジー」は2010年代後半に公開されたので、映画館で映画観るのが好きな人間としてほとんど興味はなくても、映画のお祭りとして参加したという感じだった。
あと「スター・ウォーズ」のドラマシリーズは「Disney+」で配信されているので、そのチャンネルに加入しているのでそもそも見れない、見るために加入したりと思っていないこともあり、まったく何が起きているのかわからないままだ。この新シリーズ『アコライト』もその三部作と関わっているのか、サーガにおけるどのあたりのものなのかは知らない。
ストリーミングサービスでの配信は興味があれば加入して見るしかないのだけど、興味がないと何も知らないまま終わっていったりする。そのため人気になったり話題になってもごく一部の界隈で盛り上がるだけで、大きく広く届くものになりにくい。『スター・ウォーズ』というビッグタイトルでさえ、もう知らない人や世代にはなんのことかわからなくなっている。細分化していく、共通項が減っていく、もちろん個々人の自由や選択の結果なんだけど、この辺りの塩梅って難しいなって思う。


代官山から帰ってきて、12時近くまで昨日の読書の続きをしてから12時から開店する近くの本屋のトワイライライトへ。宮崎智之著『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』を購入。
数年前に幻冬舎から単行本で出たものを今回ちくま文庫で増補新版としてリユースされたもの。偶然だが読み終えたばかりの寄藤文平著『デザインの仕事』も今月刊行のちくま文庫で、どちらもいい装幀だし中身も興味があるものだった。
一度だけ筑摩書房へは作家さんのインタビューに行ったことがあり、作家さんの写真を隅田川テラスとかで撮影した。今年亡くなった友達の家が蔵前にあったことで、Googleマップを見ていたら、彼女の住んでいたマンションと筑摩書房ってわりかし近い場所だったんだなって思ったことがあった。

Fishmans MELODY



夕方までライティング作業の続きをしてから『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』を読み始めた。一度外に出たが夜から天気が崩れると天気予報にあったように曇り空でTシャツだけだと少し肌寒かった。でも、まだ梅雨入りはしないらしい。
文庫は三時間ほどで読了した。以前単行本で出た際に読んだ部分は懐かしく、コロナのことも書き残すことの意義を強く感じたし、同時に自分が当時のことを忘れてしまっていることに時の早さも感じた。
今回追加されている新章に関しては「35歳問題」を宮崎さんとは同学年として越えたこともあり、もっと読みたかったというのが正直なところだった。帯コメントには吉本ばななさんの言葉があり、W解説として山本貴光さんと吉川浩満さんの解説が入っているのだけど、個人的には帯コメントがばななさんなら解説は彼女の方がいいような気がしたし、W解説も読めば二人と宮崎さんとの関係性もわかるけど、その文章文は新しい章にもう一つか二つエッセイがあった方が僕個人としてはうれしい。なんというか宮崎さん以外の名前や文章がいくつかあるとちょっとノイズぽく感じる。
新章に書かれていることだけど、僕もずっと「寂しい」まま(の状態)で生きているなとこのエッセイを読んで思えたし、「悲しい」は傷や痕として残るというのもすごくわかるものだった。今の自分は「寂しい」よりは「悲しい」状況が続いているなとより自分の輪郭がくっきりした気がした。
また、最後に息子さんとのことで書かれていた「旅行者」というものは、宮崎さんの文章(エッセイ)によって僕や読者は「旅行者」になれるし、誰かの書かれたものを読みたいという気持ちとそれは繋がっていると思う。いろんな人が書いたものをたくさんの人が読むことの豊かさがそこにあることも伝わった。宮崎さん自身が断酒しないといけないほどに飲んでいた時期があり、私生活が破綻した後に立て直して行ったこともわかるし、それは物書きとしても人間としても再生したのも文章から伝わってくる。それが僕にはちょっと眩しすぎる。

 

6月10日
眠気が来たと思ってすぐに横になった。目が覚めたのは深夜の3時過ぎだった。やっぱり長時間睡眠ができない。とりあえず、月曜日は可燃ごみの日なので出しに行くと少し小雨。いつもの集積所のところに緑色のネットが置かれていた。おそらく管理人のおじさんがセットしてくれたのだろう。両端が紐タイプで柵に結んで収集が終わったら片付けられるタイプのものみたい。これはありがたいと思いながらネットを上げて奥にごみ袋を入れてネットを少し袋の下に敷かれるようにして家に戻った。
再び起きたのは7時半ぐらい、カラスの鳴き声は聞こえている。ネットがあるからおそらく被害は減るだろうなと思った。リモートワーク前にコンビニ行こうと部屋を出たら雨が止んでいたが、ネットの端っこにあったごみ袋が引っ張り出されてごみが少しばかり散乱していた。やはりカラス頭がいい。だが、いつもよりはマシだと思える光景だった。敷地内を出ると反対側の駅方面の他の集積所に数羽のカラスが集まっていた。そこにはネットがない。ネットの効果は確かにあったのだとわかった。
夕方過ぎにコンビニに行く時に管理人のおじちゃんが高圧洗浄機でごみが溢れて汚れたところを掃除していた。白い跡のようなものはカラスのフンらしき中々取れないから高圧を使うらしい。ネットはやはりおじちゃんが設置してくれていたが、カラスの被害は出ていたので、二人で子育てのシーズンで餌に対して執着している時期というのもありそうだなということを話した。
いつもよりはごみ袋が破られた数も少ない。正直端っこにごみ袋を入れた住人がもう少しネットの方に押し込んで、ネットを袋の下にかますとかやればカラスもすぐに諦めたと思わなくもない。この辺はおじちゃんも誰かわからないからねえと言っていたが、被害が少なくなっているので、カラスも次第に諦めてここはあまりいい餌場ではないと思わせれば良い結果になりそう。

リモートワークをいつも通り開始して、いつも通りな時間に休憩に入る。家を出る前に洗濯機を回して、銀行に行って通帳記入。帰りにTSUTAYA書店で翻訳家の村井理子著『ある翻訳家の取り憑かれた日常』を購入。村井さんの名前は知っていたが、なんとなく日記らしいので翻訳家の日常はどんなものか読んでみたいと思った。

顔は知っている人が書店の店内にいて、名前が出ない。顔は明らかに知っている。というか前に会った時よりは確実に痩せていて細くなってるけど顔は間違いない、でも、名前が出ない。メディア関係の人だし、ペンネームだから余計にごちゃごちゃする。
スマホを出して調べればキーワードでたぶんわかるけどそれはやりたいくない。結局名前が出ないままその人がお会計した後にお会計して、外に出てしばらくは僕の前を歩いていた。その人が違う方向に行ってから名前を思い出した。でも、あの時わかっていても話しかけてなかった気はする。

リモートワークは忙しくないし、どこかやる気が出ない。悲しいぐらいやる気が出てこない。風邪はほとんど治ってきたが、やはり時折咳き込んでしまう。
沖縄などではコロナの感染拡大が起きており、KP系統の変異株の可能性が示唆されている。SNSなどでもニュースなどにあまりなっていないが、今増え出しているコロナは変異株の可能性があるのではないという人たちもいる。高熱は出ない、咳が続くなどの症状で今までとはどうやら違う。
僕も症状としては熱は出なかったし、喉が痛くなってから鼻水が出てから咳が出るようになってきた。うーむ、ワクチン打ったのだいぶ前だし、変異株ならもう効かないかもしれない。ただ咳が出るぐらいだから、家を出る時はできるだけマスクだけしておく。ぐらいしか対応ができない。

菊地:DC/PRGで、いきなりタイトルだけをいきなり抜いて『構造と力』というアルバム名にした。もっとシンプルなことをわからせたいということだよね。この本が主張してる「力」とは全く違う、というか、はるか後方にある、構造そのものが産む力のことね。要するにエンジンの馬力を生むようなイメージでしかなかったんだけど。「新しい構造(ここではポリリズム)から、新しい力が生まれる」と誤読して、アカデミズムの人にバカなの? 利口なの? わかんねえや、って思われたかったと同時に、アカデミシャンが音楽について、どれだけ分かってないかもそれで浮き彫になるし。
 オレは世間の流行・風俗を唾棄せずに乗っかるんだよね。この本は難しいのにめちゃめちゃ売れたっていう話自体が、もう楽しくてしょうがなくて。みんなわかんないのに持っているっていう。こんなヤバいことあるのかって感じだよね。
(中略)
 だから、浅田さんの著作にも遅効性があった。でも同時に、浅田さんは大スターでピカピカに輝いていて引きがあったんだよ。どんな言葉で説明してもいい。強度でもいいし、キャラ立ちでも何でもいいんだけど、とにかく強みがあって引きがあった。

 だから「訳がわかんないけど、手に取りたくなる」「分かったような気にさせる、なんて生やさしいもんじゃねえ」っていう(笑)。なんか、まばゆ過ぎて目を瞑ってしまうっていうかさ。もちろん、今でもそうですけどね。80年代にはいろんなスターがいたんだけど、普通はスター性自体は遅効性と結びつかない。時代の徒花として結局は消費されて消えていく。だけど『構造と力』は、あとで時限爆弾のように遅効性を発揮していくんだよね。爆発はしないんだけどさ。スター性と遅効性を併せ持つ事例はそんなにないんだけど、浅田さんは間違いなくその一人だと思います。

菊地成孔×荘子it『構造と力』対談 「浅田彰さんはスター性と遅効性を併せ持っていた」

結局、浅田彰さんの『構造と力』文庫版買ったけど読んでないや。この対談読んでちゃんと読まないといけないなと思った。菊地&荘子コンビは一言えば十わかるぐらいの教養や価値観、センスだったりするので永遠に話ができそう。

仕事が終わってからスケジュールとしては自分のライティング作業の時間を入れているのだけど、やる気がまったく起きない。〆切はどんどん近づいているし、余裕は無くなっているのはわかる。自分の執筆スケジュール記入したワードデータを見直したりする。
夏過ぎの予定はたぶん無理なくいける。問題は今月応募しないといけないやつだけだ。
ダメだ、やっぱりスイッチが入らない。諦めて『ある翻訳家の取り憑かれた日常』を読み始める。2023年1月から12月までの一年間の日記。知らない誰かの日常を覗き見、覗き読みする。
翻訳家である村井さんもメンタル的なことで書けない日があったり、読んでいないが亡くなったお兄さんのことで、何年も経っているけど心に澱のようなものを抱えている。今はどうも小説を集中しては読めない、だから書けない気がする。今は昨日の宮崎さんのエッセイもそうだし、ノンフィクションなら読める。この状態から抜け出したい。

【絶品ホルモン】佐久間PとNOBROCKTVスタッフが、ラランドニシダをゲストに招いて、絶品ホルモンを食べながら決起集会してみた


寝る前に佐久間さんのYouTubeのサブチャンネルとして始まった『BSノブロック〜新橋ヘロヘロ団〜』の第一回を見る。おじさんばかりで焼肉を食べながら話をするだけ、ダラダラとしていてなんかちょうどいい。「NOBROCKTV」の裏方である放送作家やスタッフがどんな人かというのもトークの中でわかったりする。この人たちはちゃんと夢とかやりたいことをやってるんだなと羨ましくもなる。
動画を見て誰かと焼肉がっつり食べに行こうぜって感じにはならないけど、月に一回とか二回ぐらい友達と飲んだり、話をする時間は取れているから、僕としてはだいぶ助かっているんだろうな。

 

6月11日
起きてからradikoで『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きつつ掃除したり洗濯機を回したり、ちょっと作業の資料を読んだりする。
8時過ぎに家を出て『フワちゃんのオールナイトニッポン0』(ゲスト・有田哲平)をBGMにして渋谷まで歩く。有田さんがプロレス好きなのもあるし、フワちゃんもプロレスのリングに立っていたのでその話がわりと多かったかな。生放送ではなく録音だったけど、たぶんそれで良かったんじゃないかなと思う内容だった。

10時からの上映回を観にきたが、新宿武蔵野館自体が開くのが9時45分だったので、一度外に出てその付近をブラブラしていた。何度も行くほど通っていないが、あの辺りだとメディア関係の人間がよく打ち合わせをしていた喫茶西武が去年の夏に移転してしまっていてちょっと寂しい。移転先も新宿らしいけど、どこか知らない。そこでロロの三浦さんにインタビューをさせてもらった。そのあと帰ろうとしたら、『水道橋博士のメルマ旬報』でもご一緒していたプロレスラーのスーパーササダンゴマシン(マッスル坂井)が他の席で作業をしていらしたのでちょっとだけ挨拶したら、「お腹減ってる?」と聞かれて分厚いサンドイッチをご馳走してもらった。それだけで坂井さんめっちゃいい人っていう印象が残り続けている。


どのくらいぶりかわからないぐらい来ていなかった新宿武蔵野館入江悠監督×河合優実主演『あんのこと』を鑑賞。座席はほとんど埋まっていた。流石に平日の午前中一番最初の回だから僕よりも明らかに上のシルバー世代が多かった。男女比は半々に近かったかなあ、彼や彼女からすると主人公の杏はおそらく娘というよりは孫世代だと思うのだけど、観終わって日本でもこんな不幸なことがあるんだなって感じなのか、リアリティは感じたのか、ちょっと気になった。
そもそもどういうきっかけでこの映画を知って観にきたのだろう。入江監督のファンって感じでもないし、河合優実がその世代に知られているにはまだ早い気がする。やはり実話を基にしていることが大きいのだろうか。
2022年6月の新聞記事に着想を得て作ったという作品。主人公の香川杏はホステスの母と足の悪い祖母と三人で団地住まいしていた。しかし、杏が小学校を不登校になってから母親から12歳の時に体を売らされてからは、売春をして稼いでくることを強要され、彼女はその時に知り合った男の影響で麻薬を始めてヤク中になっていた。
ある日、杏と一緒にいた男がシャブを打つとオーバードーズで倒れてしまう。それをきっかけに警察で事情聴取を受けることになる。その時の刑事の多々羅(佐藤二朗)は人情味あふれる男で、麻薬中毒者だった人たちを集めた自助サークルをやっており、杏をそこに誘う。小学校の途中から学校に行っていなかった杏は難しい漢字などは読めなかったり書けなかったりする。そんな彼女に多々羅と自助サークルを取材している週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)は勉強を教えたり、介護施設で働けるように手を貸して社会復帰できるように促していく。杏は毒親と言えるだろう母親の支配から多々羅と桐野の協力によって初めて人の温かさを感じ、人を信じることを知り更生の道を歩み出すのだが、というストーリー。杏の父親の話はまったく出てこなかったのだが、多々羅と桐野が仮初の父というか、彼女にとってはおそらく体を売るようになってからは女として、女(性的な)として見ることなく、接してくれた年上の男性が彼らだった。
杏は介護施設で働き始め、海外から日本にやってきた人たちと一緒に小学校からの勉強を始めていき、次第に明るい未来に希望を見出すようになっていく。しかし、コロナパンデミックによって彼女が手に入れたい場所は奪われていき、彼女は孤立していってしまう。そして、多々羅があることをしているのではないかという疑惑で近づいていた桐野はそのことをスクープし、自助サークルもなくなってしまい、杏が頼りたい、助けを一番求めたい時に多々羅は彼女に手を貸すことはできなくなってしまうことになる。

観ていてとても苦しかった。杏自体だけのことだけでなく、母親との関係性というか母の存在によって彼女の未来は最初に潰されていることが。そして、男にだらしないであろう母の呪縛に彼女は縛られ続けている、母としては産んだのは自分だから、娘の体は自分のものであるという謎の主張をしている。また、母は祖母の世話も杏に押し付けていた。そして、母は杏のことを時折「ママ」と呼んでいた。その依存が娘の人生をひたすら壊していく。
人は孤独でも生きていけるが、孤立したら生きていけない。出入り自由なコミュニティがいくつかあるといいと思う。ある一線を越えないために、あちら側に飛び出さないためのセーフティネットとしてのコミュニティが必要になる。
例えばそれは僕にとって一つはニコラである。誰かにとっては近所のスナックである、というようなコミュニティが絶対にいると思う。そして、一つの場所だけだとそこでの関係性が難しくなったり、無くなったり損なわれてしまうと依存しきっているとかなりヤバい状態になってしまう。だからこそ、リスクを拡散というか、そういう場所がいくつかあるといい。
一つだけだと例えばそこがカリスマ的な存在によって成り立っているとそこにいる人たちは自然と支配されていき、おかしなこともおかしいとやがて言えなくなり隷属してしまう。そう、客観性が失われてしまう。それを避けるためにもいくつかのコミュニティに、出入りが自由なところにいるのが大事だと僕は思う。あるいはいくつかのゆるやかな距離感の友達や知り合いがいることがセーフティネットになる。

河合優実さんは鈍牛倶楽部に所属しているのでスタッフロールでちょっと知っている名前の人たちの名前があった。稲垣さんは週刊誌記者=ジャーナリストという役どころだが、彼が暴くものも関して、僕はいろいろと思ってしまった。
鈍牛倶楽部の方と直接的に付き合いがあったわけではないが、かつて所属していた人に僕はお世話になっていたし、影響も受けてきた。その人は性加害で問題になって表舞台から消えている。僕はもう彼の名前を出せない。被害にあった方々からすれば僕は加害者の側の人間だろう。そういうことが行われていたことを知らなくても、加害に加わっていなくても、彼と関わってそれなりの時間を過ごし、作品にも参加してクレジットもされている。だから、僕は加害者の側だという意識が性加害のニュースが出てからずっとある。だから名前を出すことは二次加害になるので出せない。
そして、稲垣さんがかつて所属していたのは事務所の問題もある。そのことが終盤の方で脳裏をよぎった。この作品における杏の希望を打ち砕く一つの出来事はそういうことを思わせる。このキャスティングも兼ねて、どういう気持ちでこの作品は作られているのだろうか、と思った。鈍牛倶楽部もかつて所属していた人が性加害問題を起こしているわけで、そのことへの事務所としてのアンサーなのだろうか。そのあたりは実際どうだったのだろう。
稲垣さん演じた桐野は彼なりの正義、ジャーナリズムとしての正しさとしてあることを記事にする。そのことで一つのコミュニティは崩壊する。そして、被害にあっていない少女に手を差し伸ばす人物は不在となり、ある悲劇が起きてしまう。
少女に悲しいことが起きてしまった後にその現場に駆けつける桐野は慟哭していた。僕はそのシーンを観ていて正直ムカついてしまった。その程度の覚悟ならば正義を振りかざすな、ジャーナリズムとしての正義を敢行したらどうなるかぐらいの想像力を持っておけよ、甘えるんじゃない。
正義は簡単に人を殺す、ぶちのめす、そんなこともわからない奴がジャーナリストなんかできるのか、年齢的にも20年以上はやっているだろう。そこにリアリティがまったくなかった。だって、わかっていただろう、そうなることもその可能性も。
もちろん杏と多々羅と桐野の三人で楽しく飲んだりご飯を食べたりしていた。だからって自分が行ったことでどうなるかわからないってことあるか、そのぐらいの覚悟なら安い正義は遂行すべきではない、彼女の起きた悲劇は個人的に悲しいのは理解できるしわかる。だけど、その程度の覚悟はやっぱり僕には理解できないというか、ジャーナリストだとは思えなかった。


新宿武蔵野館で映画を観ようと思ったのはもちろん近くで『あんのこと』をしている映画館は他になかったのもあるが、11日なら12日発売予定の書籍も紀伊国屋書店本店ならあるのではないかという気もしていたからだった。
お目当ての講談社学芸文庫の中上健次著『異族』が出ていたの帰りに寄って購入。単行本の時の装丁は菊地信義さんによるものだったらしく、講談社学芸文庫シリーズのデザインも菊地さんによるものだ。菊地さんが亡くなってから弟子筋の水戸部功さんが引き継いでこのシリーズを手掛けているのも個人的にはかなり熱い。『異族』は中上健次が執筆中に亡くなってしまったので未完だが、こちらも未完の漫画原作『南回帰船』と併せて読みたいと思っている。『南回帰船』は大塚英志さんのインタビューを大塚さんの事務所でさせてもらった時に(何回かしている)、インタビューが終わって事務所の本棚を見せてもらった時に「これいいですね。まだ持ってないんですよ」と言ったら大塚さん数冊あった中から一冊お土産がわりにくださった。
僕はある小説の新人賞の座談会で「この人は間接的に中上健次の影響を受けているんじゃないか」と言われたことがある。実際にそれは当たっていた。大塚英志さんと古川日出男さんの影響を受けて小説を書いたら、そうなるのは正しいと自分でも思う。そして、間接的な影響を受けていても何かをぶっちぎるようなものを書いてない限りは需要はない。この人が書いているものを応募できる新人賞はほとんどない、的なことも座談会で言われた。自分でこうやって書いてみるとそれに呪縛されていたのかもしれないと思うし、ぶっちぎるような、こいつヤバいなって小説じゃないから形になっていないのだとわかる。だとしたらやっぱりそこにはちゃんと辿り着きたい。

家に帰ってからご飯を食べてから読みかけだった村井理子著『ある翻訳家の取り憑かれた日常』の続きを。一年の日記を書籍化したものだが、昨日までで10月まで読んでいたのですぐに読み終えてしまった。
最近は小説を集中して読めなくてノンフィクションやエッセイばかり読んでいる。村井さんの日記は人(動物)の匂いが濃厚で、家族のこと地域のこと仕事のこと、全部自分に返ってくるのがどこか心地いい。たぶん、『異族』を読み始めると何か別のフェーズに行く気がしてきた。

【緊急配信】元NGT48中井りかから連絡がきたので、新婚の夫を呼び出して焼き鳥を食べながら不満を聞いてみた


昨日サブチャンネルの一回目が公開されたばかりなのに、第二回が緊急で配信されていた。中井りかの結婚相手が佐久間さんの後輩ということで、たぶんあの人なんだろうなって思ったらそうだった。そして、二人が付き合うことになるきっかけを作ったのは三四郎の相田さんだったが、付き合っていることは言わなかったらしい。誰かに言いそうだから、という理由で。これは金曜深夜の『三四郎オールナイトニッポン0』のスペシャルウイークのゲストが佐久間さんだからこの話題もトークになるんじゃないかな。
佐久間さんが気に入っている新橋のお店で飲みながら話すみたいなゆるいチャンネルみたいだが、今回の件で佐久間さん関連の人が何か発表したいとか公表する時にここで言いたいみたいなことになったり、佐久間さんと美味いものを食べて飲みたいみたいな芸人さんたちが自ら志願してきて飲み食いしながらトークみたいな方向になるかも。ここに出るのが夢とか目標みたいなことになっていくこともありえそう。

『83 Lightning Catapult』 #サウナの主

復活二回目、半年以内にスポンサー見つからないと終わり、という予算削減。前までのスタジオではないと一回目に話してたけど明らかに以前と比べて音質が悪い。音声コンテンツが乱立したからそれが如実にわかるようにもなった。スポンサー見つかるといいな。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #17【ゲスト:しみけん】

前回のカンパニー松尾さんの次がしみけんさんっていうAV業界の有名人が続く。数年前、水道橋博士さんとしみけんさんは一緒にバラエティ番組で共演していて共著も出している。その際のイベントに行って打ち上げに参加した帰りに家の方面が同じだったのでタクシーでしみけんさんと同席させてもらったことがあった。
ものすごく腰の低い丁寧な方だけど、話し出したらめちゃくちゃおもしろい。哲学的なこととエロや下ネタがコンボで発動していて、その知性と好奇心を強く感じさせられた。あとクイズがめちゃくちゃ得意らしいけど、いわゆる表のテレビとかには出れないから地下のクイズ番組とかあったら勝てるのになとも言われていた。裏の世界のことばっかりのクイズ大会なら負けないって言われていた気がする。
アルピーの二人としみけんさんの会話のテンポや話題の理解度やノリ加減とツッコミがちょうどいいから、とてもいい組み合わせだと思う。

夜はもう何も作業しないで、読みかけだった本の続きを読みながらSpotifyで配信されたPodcastを流して聴いていた。『あのと粗品の電電電話』も先週お休みだったけど今週から復活してよかった。明日からちゃんと色々とやろうと思えるぐらいには心にゆとりが持てたのでいい一日だったと思う。口唇ヘルペスが治りかけてきたと思ったらもう一つできたけど。

 

6月12日
6時過ぎに起きてシャワーを浴びて目を覚ます。radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』をBGMに早めにリモートワーク作業の準備からスタート。一時間後には『JUNK 爆笑問題カーボーイ』へ。
8時半前に家を出た。目的地までの行き帰りは『星野源オールナイトニッポン』を聴いていた。ゲストは三浦大知さんで、のんびり二人がコーヒーを淹れて飲んだりしながらのトークになっていて、いつものスペシャルウイークとは違う雰囲気というかテンポだった。


先週、ピロリ菌の除去ができたかどうかの検査を受けたのでその結果を聞きに三宿自衛隊中央病院へ。予約をしていたので最初に診察してもらったが、やっぱり除菌できていなかった。五日目で薬疹出て除菌の抗生物質飲めなくなっていたから、ワンチャンできてるかもってことで検査したけどやっぱりダメだった。
飲んでいた抗生物質の何が薬疹を引き起こしたのか調べないと、次にもう一回除菌するにもどれがダメだったかわからないとできないし、二度目の除菌をしなくても抗生物質のどれかにアレルギーが出るか調べないと今後処方箋をもらってそれを飲んでしまうとアナフィラキシーショックが起きてしまう可能性が高い。
担当医がすぐに手配をしてくれて血液検査をすることになった。検査に必要な分の採血をして、結果はまた二週間後ぐらいに。病院には二時間もいなかった。朝一でタイムカード切らずに作業をしていたのは、休憩が一時間なのでオーバーする分は先に作業しておこうと思ったからだったけど、時間的にはちょうどぐらいになった。

帰ってからの作業中には「星野源ANN」を聴き終わってから、『あののオールナイトニッポン0』のゲストが東野幸治さん回を流していた。
あのちゃんがメイプル超合金の安藤なつさんが友達で甘えさせてもらっているという話をしていたが、それを聴いた安藤さんがそのやりとりを新TwitterことXにポストしていた。あのちゃんにとって安藤さんがいるからこそ、乗り越えられたり呼吸ができる瞬間や日々があるんだなって感じるトークだったし、その証拠の写真だなって思える。


リモートワークが夕方過ぎに終わってからニコラへ。ニコラのSNSで鮎入ったとお知らせしていたので、今日行くしかないなってことで、毎年この時期のお楽しみな鮎とズッキーニのスパゲッティーニ きゅうりと肝のソースと白ワインをいただいた。カウンターにはニコラ友達な二人も来ていたので食事をしつつ話もできてよかった。

夜はやっと自分のライティング関係の作業を再開した。
あと夕方に届いていた「特別区民税・都民税・森林環境税通知書」の納税の金額を見て、心の底からムカついたがもちろん払う。だが、裏金とか脱税して法律的にアウトな泥棒の奴らが議員すら辞めずにのう脳としているし、クソみたいな自分たちを守るためだけの法案とかを数の論理で通そうとしているのか心の底から軽蔑するし、マジで逮捕されてほしい。そのためにも自民党が応援する連中が落選する方向でなんとか持っていくしかない。
僕は現都知事に一度も投票したことはない、今回も当然ながらあんな嘘つきには入れない。まだ、マシな人に一票を投じる。大阪の維新も最低だが、東京も現職都知事が最悪だ、基本的に石原慎太郎以降でまともな都知事がいた記憶がないけど、つまり東京都民になってからまともな都知事が就任していたことがない。それでも僕は投票をする。現政権や元都知事がこのままなら僕らの負担だけが大きくなるだけなのだから、絶対に落とすしかない。

ZAZEN BOYS - 自問自答 @ TOUR MATSURI SESSION 


ZAZEN BOYSの武道館ライブの先行抽選の結果が出た。当選していた。新TwitterことXを見ても落選した人皆無なんじゃないかなってぐらいみんな当選していた。まあ、先行は絶対に行きたい人しか申し込まないし、そこである程度は埋まっている方がいいのかもしれないとか思いつつ。
この時のベースの吉田さんが最後のワンマンツアーは観に行っている。その後MIYAさんにベーシストが変わってからも観に行っているけど、武道館サプライズで吉田さんが何かで参加するんじゃないかなとちょっと期待している。

 

6月13日
『あちこちオードリー』を見ながら寝落ちした。目が覚めて時計を見たら深夜の1時半だった。自分でも驚くほどまったく眠れていなかった。可燃ごみを出しに行くとすでにカラスよけのネットが敷かれており、その中にごみ袋を入れて奥に入れて袋の下にネットをかますようにした。このまましばらく眠れないかなと思ったけどすぐに寝れた。
7時前に目覚ましが鳴る前に起きる。まだカラスの鳴き声はしていない。
今日のスケジュールと今月いっぱいどういう感じか確認する。下旬はおそらく忙しくなる。今やっているものとかはじまりそうなものは7月から本格化したり動き出すので準備しないといけなくなるはず。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のゲストがアンジャッシュの渡部さん回を聴きながら朝の読書。やらかしていろんなものを失った渡部さんだったが、徐々に復活の兆しを見せ始めている。千鳥の『トークサバイバー』で当時のことを話したり、佐久間さんのYouTube企画なんかにも出ているので、佐久間さんには恩義を感じているんだろうし、ありがたいという気持ちがあるのが伝わる。
もちろん、失敗してもそのことに対して謝罪したり、やりなおしができる社会の方がいいけど、今は一度の失敗でSNSやいろんなところで追い詰めていく。死刑ではなく、私刑のように匿名の誰かがその個人が執拗に攻撃するのも見る。そんな状況だと失敗したことを認めないでずっと批判されてもそのポジションを取り続ける人も増えている気がする。当人がやってしまったと思っても、その人を支持している人が離れてしまうことを恐れる。お金が集まらなくなるから、誹謗中傷や差別的発言をポジションとして続ける人もいる。
僕が幼かった頃にはまだ政治家は謝っていたし、責任をとって辞任していたが、今はもう謝ることもしないし辞めなくなっている。おそらく失敗が許されない、認めると終わるという社会になったことでそういうことは加速している。
渡部さんは芸人だから、一度自粛をしてからメディアに出ることで禊をすることができる。そのためにはもちろん本人の能力があるからだし、周りの人が何かをしてあげたいと思える人であるとかいろんな要素はあるものの、その点では芸人は何かをやらかしても謝罪して自粛することからもうワンチャン復活できることがある。その寛容さみたいなものがなくなっているから、どんどん相互監視の生きにくい社会になっているなって思う。

第171回直木賞芥川賞候補作が発表された。

候補作十作品の中で唯一読んでいるのは朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』のみだった。
直木賞候補作はどの作品も読んでいない。候補者の名前は知っているし、書店でも作品は見かけているが手がどうも伸びない。自分の小説への興味が薄れているわけではなくて、今売れてるとか評価されてるみたいなことがどうでもよくなっているのかもしれない。もちろん本を売りたいというのはわかるし、他にも本屋大賞とかフェアを展開したりといろいろあるんだけど、それを見ても手を伸ばして読みたいと思えなくなっている。

4月7日
『新潮』2024年5月号に掲載されている朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』を昼過ぎに読み始める。もう半分残っているが、結合双生児を描いた小説。主人公はその双生児の姉妹であり、それぞれの視点で物語っていく形式になっている。彼女たちの叔父と実父との関係が彼女たちの状況よりも先に描かれるのだが、その関係性もかなり特殊なものであり、ちょっとビックリするものになっていた。
朝比奈さんはすでに三島由紀夫賞を受賞しているのだが、今作は芥川賞候補になるだろうし、たぶん取るんじゃないかな、取ろうとしている意欲みたいなものを感じる。
今まで気にはなっていたが朝比奈作品は読んだことがなかった。話に聞いているものだと『あなたの燃える左手で』では移植された人種の違う他人の左手のことを描いていようだし、『私の盲端』では20代で人工肛門となった女子大生の物語だという。もちろん著者が医師であるからこそ描けるものでもあるのだろうけど、今回の「サンショウウオ」も含めて人体に起きたこと(あるいは変化や欠損、それを補うこと)による自分と他者の境界線や、心はどこに宿っているのかということを描こうとしているのかなと思ったりする。

4月9日
起きてから朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』の残り半分を読む。
結合双生児の話だけど、読んでいる時は気づかなかったというか完全に忘れていたけど、萩尾望都さんの『半神』とそれを元にした野田秀樹さんがやっていた「夢の遊民社」の舞台(専門学校の時に授業で見せられた)も同じく結合創成時の物語だったことを少し時間が経ってから思い出した。
朝比奈さんの他の作品のことを聞いている感じと今作を読んでみると、自分の肉体だけど他者や外部性との関わりの中での「自我」についてこの人は書きたいのだろうし、軸というか中心にあるんだろう。

と読んだ感想を日記に書いていた。読んだ時にこれは候補になるだろうし、受賞するんじゃないかなと勝手なことを思ったが、やはり候補にはなった。
自分のこと(身体)なのに、自分ではない、あるいは他者であるのに自分のことである。ということを描いていて、それが精神でないことが医師であることも、時代も関係しているのだと思う。
自分のこと(身体)が(精神)になってしまえば、世紀末にありふれて当たり前になっていった多重人格(解離性障害)を描くことになる。実際にその症状で悩んでいる人も苦しんでいる患者さんはいるのはわかっているが、もはやそれは当たり前のものになった。ソーシャルネットワークの普及と常態化によって、複数アカウントを持つこともSNSごとに違う自分を使い分けたり演じ分けることはさほど珍しいことではなくなった。
解離性障害はカジュアルなものになった。だから、ミステリでもサスペンスでも多重人格は使いにくいものになった。特別なことではない。そもそもフィリップ・K・ディックなどのSF作家たちが描いてきたものはSNSやネットを予見させていたし、さらに多重人格的なものがあった。ディックは双子の妹が生後間もなく亡くなったことで、ありえたかもしれないもう一人の自分というもの、LSD神秘主義が混ざり合ってスピリチュアルなものとSFが混ざり合っていき、現在の社会を予見したようにも見えてしまう。
サンショウウオの四十九日』で描かれたものは、一見すると最初はこれは多重人格的な、内面に違う人格があるかのように思わせるのだけど、実際に結合双生児の話であることがわかる。
精神的な分裂や多重性はもはや僕らにとって驚くべきことではない、だが、身体性における欠損や他者性というのは日本が戦争から遠く離れて、記憶がなくなっていくにつれて驚くべきものになってきたのかもしれない。傷痍軍人とか体の一部が損なわれたりする人を見ることが減っていったし、障害を持っている人を町中でたくさん当たり前のように見かけるわけでもないから。
双子たちと家族の話が、そして彼女たちの身体を想像することになる。それは文学が担っていた他者の悪意などが心の奥底に沁み込んでくる嫌さとは違うのだけど、近しいものがあった。だから、その意味で正統派な純文学だと感じた。あとはまともな装幀にして単行本になればいいと思う。

一度コンビニに出たがいつも集会や飲み会のように集まっていたカラスたちはネットのためいなかったし、どうも鳴き声もしない。やっぱりよく鳴いていたのは餌のありかを伝えていたのかもしれない。コンビニ方面に向かうとネットのない集積所のごみ袋は破られて中が散乱していたし、建物の上の方で二羽のカラスが空中戦を繰り広げていたので縄張り争いなのだろう。だとするとよく鳴いていたのは餌のありかを教えているわけではなかったのかもしれない。
ライティング作業を始める前に昨日届いた悲しい「特別区民税・都民税・森林環境税通知書」のことで担当部署に連絡して、四期での納税をマックスな11ヶ月に分納にしてもらう。
今までも何度も分納にしてもらって納税しているが、担当してくれる人は丁寧でしっかり対応してくれている。脳裏でどこかこの人たちは正社員とかではなく派遣だったりするのかも、と思う。そういうことが増えていろんなものが瓦解して、派遣をするところに金が入るけど、一部の人以外はみんな貧しくなっていった。みんな怒ったりするならちゃんと投票するしかない、権力者はそれすら奪いかねないのだから。しかし、高えよ税金。なんでみんな泥棒している政治家に怒りを向けないのだろう。あいつらがやってるの脱税だぜ。


昨日注文していた大塚英志著『二層文学論 古層の実装』届いた。『昔、ここにいて 今はもういない。』は神保町に買いに行ったが、今回はAmazonで。自主出版の形でKindleにもあるみたいだが、やはり装幀の感じも好きだし紙で揃えたかった。

コロナの影響で心身共に痛んでいた五味栞は、知人の提案で
とある自主映画製作を手伝うため、群馬へと誘われる。
そこには、かつて五味が参加していた撮影現場で罵声や怒号を
日常的に役者やスタッフに放っていた監督、坂根真一の姿があった。
しかし、坂根は名前を変え、別人のように温厚な振る舞いを見せながら監督をしている。
坂根の影響で心に傷を負った五味はその姿を信じない。
過去と現在が混じり、それぞれの思いが交錯していく。
人は本当に変われるのか。  (一部、恫喝や暴力の表現があります)

先日観た『あんのこと』もそうなのだが、ある事柄に関する加害者の存在があり、この舞台でも撮影現場でハラスメントを行ってきた映画監督が、その音声をSNSで暴露され仕事を失ったという設定になっていて、共通しているのは加害者とどう向き合うのか、その人が犯した罪ややってしまったことを許せるのかということがテーマの一つや物語の大きな核になっている。この二作品における加害者となる人物はどうしても僕の中ではある人物を思い出させる。
栞は撮影現場で直接的に暴力を振るわれていないが、存在を認められていなかったりした。また、他の演者やスタッフが監督から暴言や暴力を振るわれることに声をあげたかったか怖くてできなかった。その暴力が振るわれる空間がとても嫌だったし、その環境自体がハラスメントで彼女は病むきっかけになっていく。
作品の中でも彼女に対して監督が、お前になんかしたか?と問うシーンがある。確かに彼女は直接的ではない、間接的な暴力やハラスメントを感じている。その場合どうしたらいいのか? 彼女は怒れなかったことに、止められなかったことに、監督への嫌悪も自分自身への嫌悪を感じていた。
坂根は仕事がなくなり身を潜めていたが、あることで名前を変えて新しい現場で監督を始める。そこにいたスタッフを見て栞は驚く、かつて彼が暴力を振るっていた現場にいた人たちがスタッフとして参加していた。しかし、誰も名前を変えた彼を昔の名前では呼ばず、彼自身も温厚で怒ることもなく、役者にも丁寧に接していく。何かがおかしい状況の中で栞にとってのかつての現場のこと、今の現場のこと、が交差していく。
今作では加害者になったハラスメントを起こした人物は元の職業や業界に帰ることはできるのか、たとえ反省していたとしてもそれを関係者や他者は許すことができるのか、許されていいのか、という問題を扱っていた。
少しだけ最後のシーンが漫画原作で震災後にストーリーが変わり被災地で撮影されたあの映画を彷彿させた。確かに最後に走っていくシーンがある作品は何作かあった。この舞台の最後のシーンでの撮影シーンもちょっと近いメンタルというか気持ちがある気がした。
なぜ日本映画は最後に主人公を走らせるのか、もちろんそこに躍動感とエモーションがあるから、観客が感情を乗せやすいということもわかる。ある映画プロデューサーは映画は最後は主人公を走らせろ、そうすれば観客も感情が乗るという話をしていたと聞いたことがある。めちゃくちゃ正しいと思う。同時にそれに心が動くほどの純粋さはやがて消える。僕にはもうない。
僕はある時期から最後に走らせて無駄にエモーショナルな場面にするのは正直苦手になってきた。逃げとはで言い切れないけど、最後に感情を爆発させる、気持ちを乗せる方が終わり方としても終わった感じがするし、観客をある程度騙される。うまく騙せばいいけど、やっぱり、走った後に疲れて倒れ込んだり、叫び続けたら声が枯れてしまうし、叫び終わった後の静寂を考えるだけで恐ろしい。
この舞台はハラスメントにおける加害者ではなく、被害者とも言えない微妙な立場の人の言葉にできない気持ちをなんとか表現しようとしていてそこが素晴らしいと思ったし、初めてのモダンスイマーズの舞台だったが、要所要所で笑いも起きる話は25年続く人気劇団だと納得もできた。だからこそ、あの終わりだけはちょっと残念だった。

23時からradikoのタイムフリーでラジオ大阪の『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴く。ゲストはなぜきたのか謎な菅田将暉
以前にもCreepy NutsのR-指定と大阪出身者が来ている(作家さんが二人のオールナイトを担当していたこともあるとは思う)けど、「オールナイトニッポン」でのパーソナリティーとしての菅田将暉を数年間は聴いていたの、なんというか声を聴くと安心するし、都築とのトークもところどころ笑ってしまうもので雰囲気もすごく良かった。でも、半分過ぎで寝落ちしてしまった。

 

6月14日
7時前に起きてから「サクラバシ919」の後半部分から聴く。スタッフでミキサーの韓国の人の生歌披露する展開になり、上手すぎて笑ってしまう感じになっていた。なんかすごくいいゲスト回だった。それを聴きながら朝読書、ちょっとずつ読み進めていた第65回メフィスト賞受賞作金子玲介著『死んだ山田と教室』を最後まで読み終わる。

第65回メフィスト賞受賞作『死んだ山田と教室』PV 



表紙の写真モデルの金髪の子が誰かに似てんなって思っていたけど、このPV見たらわかった。菅田将暉の弟の菅生新樹だった。映像で見ると兄弟顔も声もけっこう似ている。
ミステリー作品が多いメフィスト賞だが、今作は青春もの。しかし、主人公である山田は夏休みに交通事故で亡くなっており、クラスの中心だった彼が死んでしまったことで二学期の2年E組の教室は静まり返っていた。担当の花浦が生徒たちに話しかけるが、みんなのアクションはない、そんな時に教室のスピーカーから死んだはずの山田の声が聞こえてきた。どうやら山田の魂はスピーカーに憑依してしまったようで、声だけになった彼と同じクラスの不思議な日々が始まる。という作品。
PVには出てくるが、一年経っても山田はスピーカーに憑依しており、同級生たちは卒業式を迎える。果たして山田はなぜ成仏できないのか、同級生だったクラスメートたちは山田との関係をどうしていくのか、という後半の展開がおもしろかった。その手があったかというある生徒(和久津)の行動が物語をクライマックスへ導いていく。
ミステリーでもサスペンスでもないが、いい意味でタイトルや設定を含めて読者に最後にあっという仕掛けが入っていた。メフィスト賞なの納得という作品だった。
賞金とかはないけど、受賞すれば絶対に書籍化はするし、この前の『ゴリラ裁判の日』からはこんな感じで発売前からPVを作って販促もしてくれているので、その辺りはすごくいいなって思う。

リモートワークを開始してからはそのままradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(ゲスト:オリエンタルラジオ藤森慎吾)、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ゲスト:タカ&トシ)、『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ゲスト:おいでやす小田)を聴きながら作業。
「メガネびいき」は結婚したばかりなのに「不倫を阻止しよう」みたいなノリで呼ばれた藤森さん。一人になってから伸び伸びしている感じもあり、ちゃんと遊んでモテてきたんだろうなと感じさせる。三四郎のラジオに出た時は同世代の距離感だったからもう少しカジュアルさもあったけど、おぎやはぎは先輩だからよりおもちゃにされていた。
「ナイナイANN」はタカ&トシに何も思い入れがないし、彼らの番組もほとんど見てきていないのだけど、声のトーンはわりと好きかもしれない。
「マヂラブANN0」はマヂラブ同様に「M-1グランプリ」で一気に跳ねて売れっ子になったおいでやす小田があまりにも仕事を断らずに休みも取らずに働きまくったことで、迷惑がかかったというマヂラブの二人が、小田に休みを取らせようとする回。
小田さんはブレイクするまで十九年間ずっと休みみたいなものだったから仕事があるだけでありがたいし、休みがいらないということを言っていたようで、それによって同じ事務所だったりすると小田さんあんだけ働いてるんだから、休みくださいって言われても困りますみたいなことがあったのか、そういう雰囲気になっていたらしい。この辺りは正直難しい。小田さんのいうことも確かに納得できるものもある。でも、さすがにもう休みが欲しいと言い出したことで今回の一緒に休もう企画に呼ばれていた。働き方って本当に難しいし、他人と比べるべきではないけど、やりすぎたりやらなすぎると周りとの軋轢が生まれてしまうのでとても厄介。

脱稿して、その少し後に、それから数時間後にも、ほとんど超常現象と呼べるものが雉鳩荘から徒歩10分圏内で、また雉鳩荘内の仕事部屋で生じた。そういうのも久々だった。要するに「俺は、書いている」との実感が俗世的なリアリティ、リアリズムを破壊しながら邁進したわけだ。そして「俺は、書きあげた」との体感はマジカルなリアリティとして噴出して、それはハイパーリアリズムを許容したわけだ。脱稿して、「あ。傑作だ」と感じた。思わず担当編集者のキさんに「傑作になったと思います」とメールをしてしまった。そんなことを自分から書いた経験は、たぶん過去にない。つまり結局のところ、私は過去には書いていなかったし、書けるはずもなかったものが今回書けた、ということだろう。そこでの学びは本当に大きい。

古川日出男の現在地』「ポータブル極楽浄土プレイヤー」2024.05.25 – 2024.06.14 東京・埼玉・神奈川・静岡

仕事が終わってから古川さんの更新されたブログを読む。手書きで書いていた新作の手応えはかなりあるみたいなので、読みたい。どんな物語になっているのか、いやどんな小説なのか読んで味わいたい。
ジャンルに分けて安心するのではなく、混沌としているこの世界で分けれもせずに混沌としている一冊の書物、それを「小説」だと古川さんは言い続けていて、それはずっと読み続けてきたからわかる。すごく心の奥の方で僕は理解できていると思う。

黒沢:そもそも『蛇の道』のリメイクをやる以上、「主役をどうするか」という課題があったわけです。なにしろ、(オリジナル版の)哀川翔という強烈な主人公に代わる人を探さなければいけない。哀川さんのイメージが付きまとうことが避けられない以上、フランス人でよく似た方向性の俳優を探すのではなく、そもそもまったく異なる人物像にしたいと思いました。

小夜子が日本人女性で、復讐に関わる人たちがフランス人男性というだけで、彼女だけが別の地平にいる感じがしますよね。哀川さんが演じたオリジナル版の主人公は、まさに「復讐」というシステムを象徴するような特殊なキャラクターでしたが、小夜子はフランスにいる日本人女性であるというだけで、より得体が知れないし、男たちの外側からシステムを操っているかのような印象もある。

黒沢清はなぜ、『蛇の道』を自らリメイクしたのか? 26年前の復讐譚がフランスで蘇る

来週観に行くつもり黒沢清監督『蛇の道』についての監督インタビューがあったので読んだ。黒沢監督の作品を劇場で最初に観たのは『回路』からで、当時大阪に住んでいたから難波の映画館で観た気がする。それ以降は全部ではないが七割近く劇場で観ているので、新作を楽しみにしている監督の一人。
ビデオで観た『CURE』と上京してから監督のテーチイン付き上映で観た『アカルイミライ』、舞台を映像化した映画のスピンオフ的な『予兆 散歩する侵略者』が好きな作品。今回リメイクした哀川翔さんが主演した『蛇の道』は観たことがないので、オリジナルと今作を比べられないので、フラットで観れそうかなと思う。

夜は自分のライティング作業のために資料を読んでいたらあっという間に時間が過ぎてしまった。でも、読んだことでふわふわしていたものの輪郭が出てきた気がする。でも、書かないとどうにもならない。あと半月で基盤というか形ができるといいんだけど、風邪も治ってきたしなんとかいけるかな。
『異族』を少しずつ読んでいると、こんなにも読みにくいはずの文章が思いの外読める。いろんなものを読んできた集積かもしれないし、自分の読書レベル上がってきたんじゃないかなって。確かにおもしろいし、設定というか登場人物たちが興味深い。名前がなくて「シナリオライター」と表記される人物、物語る人がそこに配置されていることも漫画原作も同時期に書いていた中上さんのシャドウ的なものだったりするのかなと思ったりした。
中上健次の『異族』は古川さんが書かれていた「小説」だ、それは間違いない。こういう作品こそがある種の現実へのテロへとなる表現でもある。そして、古川日出男作品も同様に、だからこそ憧れている。

 

6月15日
深夜4時過ぎに一度目が覚めて、radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』をタイムフリーで追いかけて聴いていたが、ゲストの今や大河俳優になったはんにゃの金田と『オールナイトフジコ』の生放送終わりで駆けつける佐久間さんが出てくる前に寝ていた。

三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | 2024/06/14/金 27:00-29:00 

起きてから『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を流しながら資料読みの続きを8時過ぎまでする。9時オープンの代官山蔦屋書店へ散歩がてら「三四郎ANN0」を聴きつつ向かう。はんにゃ金田が先に登場してトーク、今回は「三四郎ANN0」名物な珍味回になっていった。
一時間過ぎてから佐久間さんが登場し、金田が嘘を織り交ぜてぶっ込んでいくし、それに対する佐久間さんの返しと三四郎の絡みも最高だった。歩きながら何度か声を出して笑ってしまう。
しかし、佐久間さんのYouTubeのサブチャンネルでの後輩のディレクターの三宅さんと元アイドルの中井りかさんの結婚に関して、実は二人を結びつけたのが相田さんなのに、口が軽そうだからと付き合っていることも言われずにいた話をゲストで呼ばれたらしたけど、きっとそういう展開にはならないだろうなと話していたけど、その通りになった。まったくその話題については出なかった。


リソグラフ + 活版印刷の前衛作品 The Avant-Garde of Risograph and Letterpress

ALBATRO DESIGNと竹尾による活版印刷リソグラフの展示が今日から開始だったみたいで、ちょうどいいなって思って見にきた。
菊地成孔さんの新バンド、と言っても音源は出ておらず、ライブも三回ぐらいしかまだやっていない「ラディカルな意志のスタイルズ」のバンドメンバーユニフォームをファッションブランド「HATRA」が手がけていた。「HATRA」では「ALBATRO DESIGN」の実験的なグラフィックをプリントしたデザインの服も販売しており、「ラディカルな意志のスタイルズ」のポストカードセットも「ALBATRO DESIGN」の活版印刷したものがあった。それで知っていたわけだが、まずデザインが非常にかっこいい。


気になったデザインのポストカードを購入した。例えば自分の書籍とか何かを出せることになったら、こういうデザインがいいけど、おそらく商業的にやると難しいしお金もかかりそう。カバー(元々再販のためにある)とかなくて表紙の型紙に活版印刷の押しとデザインがあってもいいけど、そういうのは個人出版とかではあるのは見かける。
もし、商業出版できたら個人でこういうポストカードを作っておいて、イベントとかできてくれた人にプレゼントするとかがいいんじゃないかな。
書店でも最近はサイン入りの書籍が並んでいる。もちろん、著者のサイン入りはその作家好きなら嬉しいし、新刊が出たからといってイベントが毎回あるわけではない。また、サイン入りの書籍は入荷した書店は出版社へ返品ができないので売れなければ在庫になってしまうリスクもある。年々増えているのを見て、なんだか微妙な気持ちにはなる。どっちの気持ちもわかるんだけどさって、感じ。
だから、自分でお金払って作っておいて何かイベントとかがあれば来てくれた人にあげたり、その場で書籍を買ってくれた人にはサインとかナンバリング入れるとかルールを決めておけば、新作が出るたびか何年かごとに新しいデザインのものを作ると集めてくれる人がいるかもしれない。そういうのもおもしろいかもしれない。

昼ごはんを食べて、少しだけライティング作業をしてから家を出る。渋谷の道玄坂を下っていくが人手が多い。暑いし汗が噴き出る。夏としか思えない。副都心線西早稲田駅まで乗ってそこから歩いて早稲田大学へ。
一年の年明けすぐに退学したので、自分が通っていた大学以外で大学に足を運ぶようになったのは2008年以降に小説に興味を持って文学系のイベントとかに行くようになってから。たぶん、古川さんと村上さんの母校でもある早稲田大学が一番回数が多いと思う。次が東大か慶應で、インテリでもない映画専門学校しか出てない自分がこういう所に来るのはとても不思議な気持ちになる。
十代で小説とかにもっと興味を持って、商業高校ではなく進学校に通って六大学とかに入学していたら全然違う人生だったんだろうけど、それはそれで小説とか映画にそこまで興味を持たない人生だったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
自分がブルーカラーという意識はずっとある。だから、ブコウスキーレイモンド・カーヴァーにはシンパシーを覚えるんだと思うけど、そういう文学みたいなものって僕らぐらいでもギリギリで下の世代に行けばその影響力はあまりないだろうなって思う。で、影響受けていて書ける人は恐ろしく優秀で書ける人たちがいるなって、どちらにも当てはまらない、いつもどこかでハシゴが外されているような気がしている。そういう鬱屈とした気持ちとかはやっぱりYouTubeとかには向かないなあって。

2.ピエール・フォルデス監督作のアニメ映画「めくらやなぎと眠る女」(原作:村上春樹)特別上映会
日時:6 月 15 日(土) 17:00~19:30 (16:15 開場)
場所:早稲田大学大隈記念講堂
上映:17:00~18:50
ポストトーク:19:00~19:30
登壇者:ピエール・フォルデス(オンラインによる登壇→登壇決定)
村上春樹
柴田元幸(モデレーター:早稲田大学特命教授・国際文学館顧問)※追加登壇決定
進行:権 慧(早稲田大学国際文学館助教
※英→日の同時通訳あり。

村上春樹の六つの短編小説(『かえるくん、東京を救う』『バースデイ・ガール』『かいつぶり』『ねじまき鳥と火曜日の女たち』『UFOが釧路に降りる』『めくらやなぎと、眠る女』)をピエール・フォルデス監督が受けたイマジネーションで一つの作品へと昇華したアニメ映画となっていた。
2011年の東日本大震災後の数日後の東京から始まる物語で、六つの短編はそれぞれの登場人物は同一人物ではないが、映画の中ではAの作品の登場人物がDの作品の登場人物でもあるなどの組み合わせによってバラバラで一つずつの短編が有機的に連なって長編と新しく組み上げられていた。
世界でも人気らしい「かえるくん」のインパクトもあるが、終盤に『ねじまき鳥と火曜日の女たち』へと繋がっていく流れも非常に違和感もなく、村上春樹作品感が強く出ていた。
上映後には本当はオンライン参加だったピエール・フォルデス監督が来日してきており登壇することになって、原作者である村上春樹さんも登壇し、翻訳家の柴田元幸さんも追加で登壇するというとても豪華なポストトークになった。
この辺りの詳しいことは何かの記事で出ると思うのだけど、村上さんはこの数年映像化されている『バーニング』『ドライブ・マイ・カー』と今作は非常に満足していると話をされていた。短編はそれだけだと映画にはならないので、どうしても監督が何かを足さないとできない。その想像力や足されるもので新しい作品になっていくのがいいと、長編はどうしても映画にするには長すぎるでカットするところがたくさん出てきてしまうので、監督の継ぎ足す、その人の要素がうまく交わらないので向いていないと思うということも言われていた。実際に『バーニング』『ドライブ・マイ・カー』も一つの短編だけではなく、他の短編の要素も組み合わせているので、今作と創作方法としては近い。
柴田さんから映像化してほしい作品を聞かれると、『アンダーグラウンド』をやってほしいと答えていた。あのままのノンフィクション的なラインなのかフィクションとして再構築するかはわからないけど、あれは映像化してほしいと。内容的にもかなり難しいとは思うけど、誰かが今回の話を聞いて動き出す人はゼロではないかなって思ったりする。
ピエール・フォルデス監督は最初は何かの短編を映像化させてほしいと村上さんに頼んでOKをもらったが、読める短編小説を読めば読むほどにどれもやりたくなっていき、いくつかの作品を映像化してもいいかと再度お願いしてOKしてもらったそう。
今作には六つの作品が選ばれたが、最初はそれぞれを一つずつ映像化しようと思っていたが、映像化するまでに考える時間がたくさんあったことで、一つずつが、そこに出ている登場人物が他の作品の誰かでもあるように結びついていったらしい。その作品ごとの間を埋める作業というか、想像力や監督の個性が村上さんが映像化に求めているものだからこそ、いい作品になったんだと思う。
終わってからカメラを撮っていた方が郡山での『ただようまなびや』でもお世話になった方だったのでご挨拶して少しお話をさせてもらった。僕が初めて村上春樹さんを見たのは『ただようまなびや』だったりする。
外に出ると『新潮』元編集長だった矢野さんがいらしたのでご挨拶、お会いしたのは何年振りかわからないけど、下手したら10年振りぐらいか。お疲れ様でしたと言いたかったのと、最近文庫化されたアンディ・ウィーホル著『ぼくの哲学』の翻訳している方が「落石八月石(オチイシ・オーガストムーン)」という名前の方で、その書籍の担当編集者が矢野さんだったので、僕はオーガストムーンって実は矢野さんなのでは?と疑っていた。聞いたら、違うよって言われた。そりゃそうか。
小雨まで行かないポツリポツリとした雨が降っていたが傘はいらないぐらい、そのままきた道を戻って西早稲田駅まで歩いて、渋谷方面へ。
六つの短編小説を組み合わせていく、そのやり方はとてもいいなって思ったし、それによって監督の個性も出るのに村上春樹作品だっていう感触がより増していくのもおもしろい。

今回はこの曲でおわかれです。
この世界に二人だけ /ano