Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年4月16日〜2023年4月30日)

4月上旬の日記(2023年4月1日から4月15日分)


4月16日

レベッカ・ソルニット著/井上利男訳、東辻賢治郎訳『暗闇のなかの希望 増補改訂版 ─語られない歴史、手つかずの可能性』を数日前に購入していた。今数冊併読している本の中のどれかが終わったらこれを読み始めようと思うけど、今じゃない気がしている。

昨日までは起きてからの執筆に関連することを作業ということにしていた。執筆に関しては実際に書くことだけではなく、資料だったり関連する書籍を読むことも大事なことで、それも含めていた。
今日から4月の後半に入ったので、朝起きてから二時間は書けても書けなくても執筆の時間にして、夜とかに資料を読んだりするというふうにわけることにした。
近々では6月末〆切の「日本ファンタジーノベル大賞2024」に応募するために朝書いていく。休みだから平日よりは遅い時間に設定した8時から10時まで机に座って向き合う。登場人物一覧を見ながら修正して、大まかな流れは書いておいた。前に仮で決めていたこととは違う展開になりそう。プロローグの土台になるようなものは書けた。


歩いて道玄坂にあるユーロスペースに。鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン 4Kデジタル完全修正版』を鑑賞。
日曜日の11時からということもあり、わりとお客さんは入っていた。年齢層はやはり高め。鈴木清順生誕100周年記念で上映されている。「浪漫三部作」と呼ばれるのが『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』の三作品であり、『陽炎座』『夢二』は昔レンタルや劇場で観た記憶はあるのだが、この『ツィゴイネルワイゼン』だけは観たことがなかった気がしたのでこの機会に観ることにした。

士官学校教授の靑地(藤田敏八)と無頼の友人・中砂(原田芳雄)を中心に、靑地の妻周子(大楠道代)、中砂の妻と後妻(大谷直子の二役)をめぐる幻想譚が、妖しくも美しく描かれる本作。内田百閒の「サラサーテの盤」ほかいくつかの短篇小説を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として田中陽造が見事に脚色。1980年、東京タワーの足下に設営されたドーム型移動映画館シネマ・プラセットの初製作・上映作品として、単館上映としては異例の約10万人の動員を記録。第31回ベルリン国際映画祭審査員特別賞をはじめ、第4回日本アカデミー賞最優秀作品賞、1980年度キネマ旬報ベストテン日本映画第1位など、国内の映画賞を独占しました。(ユーロスペースサイトより)

陽炎座』『夢二』を観ているのでなんとかついていけた気がする。虚実が入り混じっていく幻想的な物語になっていた。靑地と中砂の関係性でいうと靑地は基本的には中砂に揺り回される(迷惑をかけられる)けど、付き合っていくというもので主人公の靑地よりも中砂のトリックスターのような存在感がインパクトを残す。
トリックスターというと日本神話ではスサノオの性質のひとつでもあるのだが、そう考えると中砂はスサノオ的な迷惑ものであり、同時に英雄的な人間だったのかもしれない。ただ、彼は英雄的な存在になる前に後半で簡単に死んでしまう。
だが、最後の最後のシーンも含めて、この作品において死者は生者であり、生者は死者という倒置的なものだったことが匂わされる。これはドラマ『熱海の捜査官』のクライマックスにも似ている。靑地と中砂の関係性で中砂が先に死んでしまう辺りは三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズ第1作『春の雪』における本多繁邦と松枝清顕のようにも僕には感じられた。
今作では三角関係が何度も出てくる。靑地と中砂と芸者の小稲、靑地と中砂と靑地の妻である周子、盲目の3人(流しの芸人のような、先達は麿赤兒が演じている)などがあり、性的な関係性は匂わせるがシーン自体はほぼない。だが、異様に食事のシーンやなにかを食べているシーンはそのメタファーのように見える。なにかなまめかしい。
死に惹かれてしまう中砂、彼の色気や欲望がこの作品を艶っぽくしているが、実際彼がどういう仕事でどのくらい稼いでいるかなどはまったくわからない。
幽幻のように怪しく描かれる世界は現実よりはあの世での物語のように見えるが、おそらくヒントもあるし様々な解釈は可能だろうけど、意味不明なものをただそのまま受け取るだけでいいのだろう。色気や艶っぽさみたいなものが明らかに今とは違う次元にあるように思える一作。

ユーロスペースを出て家に向かって歩きだしたらポツポツと雨が降り出してきて、そのうち豪雨とまでいかないが粒の大きな雨がザーザー降りになってきた。諦めて30分ちょっとずぶ濡れで家に帰ってすぐに風呂に入った。午前中に洗濯していた洗濯物が全滅していたのが一番嫌だった。ああ、無情。

 

4月17日
6時から執筆開始。登場人物一覧を見直しながら、昨日寝る前に思い浮かんだ設定を主人公に新たに書き込んだので、主人公と彼の幼馴染の10代での関係性や距離感が大きく変わった。こっちのほうがしっくりくるし、言い訳くささがなくなった気がする。余計にどのなるかわからなくなったけど。
二時間登場人物表にどんどん書き足していた。ある程度書き込んでおけば、あとからなんでこんな行動をするのかとか、こんなことを言うのかみたいなことがすんなり出て来やすい、僕はそういう書き方になっている。それをしないとやっぱり長いのは僕はまだ書けない。
主人公の父親のことをあまり考えていなかったが、1995年に亡くなったことにしたのでその時41歳で、今の僕の年齢に無意識でしていた。主人公の父親で40代の時のイメージが欲しいのでネットでその世代の役者さんを見ていて、この人がいいなって思って画像を貼り付ける。夕方前にスーパーに行った帰りにその役者さんが前と後ろにお子さんを乗せたママチャリで僕の横を通り過ぎていった。シンクロニシティということにしておこう。


先月末に映画『シン・仮面ライダー』を観て、金曜日に放送した『シン・仮面ライダーオールナイトニッポンGOLD』を聴いていて、昨日の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』でこのNHKで放送されたドキュメンタリーの話が出ていたので、環境音的に自分のパソコンで流しながらリモートワーク作業をしていた。庵野秀明という生き物、といえるような内容。
仮面ライダー第1号の本郷猛を演じた池松壮亮さんがラジオかなにかでドキュメンタリーはまだ使えるところだけですからね、と言っていたので放送されていない所で様々な意見のぶつかり合いなどが起きたのだろうなと想像ができて改めて怖くなった。


その流れで『アトランタ』シーズン3も流そうと思ったけど、1話だけでやめた。1話にいわゆるレギュラーメンバーが出てこない。最後の最後に今の主人公のアーン(ドナルド・グローヴァー)が出て来たけど、これは集中してみないとやっぱりダメなドラマだなって思った。GWとかに一気見したほうがよさげ。

夕方にオオゼキに行った時に広場みたいなところに「世田谷区長選挙」と「世田谷区議会議員選挙」の候補者のポスターが貼られていた。自民と維新が応援する候補という時点で若かろうが元財務官僚であろうが投票することはないので、区長選は現職の保坂さん一択しかない。区議会銀は50名に75名が候補みたいだけど、自民公明維新はもちろん、都民ファーストや参政党や政治家女子とかの人はいれない、立憲民主党もいろいろだし、共産党もなあ、どんだけ選択肢ありそうでないねん。

ひとつだけ明確なのは、今年が、新しく始めるための決別の年だということ。これはいくつかの占星術や占いで共通して書かれていて、そうかもなあと思ったことなのだけれど、何かを捨てることによって次のステップに向かうタイミングなのだと。いくつかの仕事は辞めたり減らしたりするかもしれないし、あれ、いなくなったかも、なんてことになるかもしれない。ただ、それは僕が別の場所で何かを始めたことのサインなので、そういうものかなと思ってもらえれば。

ひらめきのことば探し

charlieこと社会学者の鈴木謙介さんのブログを仕事が終わってから読んだ。Charlieとは立場とか全然違うんだけど、去年から始まった決別フェイズと3月前後からの新しい仕事や関係性みたいなものは、次のステップだと思っているし、同様に占いとかでそういう星巡りらしい。信じるとか信じないではなく、実際に自分に起きてしまっているので、そうならこの新しいステップの方へ行くしかないんだよなって。実際に過去のことは僕からではなく勝手に離れていっているから。

鈴木真海子 じゃむ (feat. iri) official music video

この曲の感じっていうか、揺らぎを。

 

4月18日
目覚ましが鳴る数分前に起きる。あの不思議な寝起き、意識がはっきりしてきてリリリンと目覚まし時計が鳴って生活のスイッチが入る。でも、その前に起きられているというのは体内時計とは違うかもだけど、無意識の時でも時計と変わらないものがカウントされていてその精度もかなり高い。人体の不思議。
起きてから2時間執筆をする。パソコンの前に書いたものを読んで書いて読んでちょっとずつ前に進める。GW明けぐらいに半分以上な進んでいたらかなりいいかなという感じかなあ、まあさすがにそれは無理か。


昨日作業中にparaviでドラマ『杉咲花の撮休』を流していたら全話終わったので、今日は久しぶりに「撮休」シリーズ一作目となった『有村架純の撮休』を自分のパソコンで流しながら、リモートワークの仕事をする。
金曜日にしたインタビューの文字起こしの続き、録音データが入っているICレコーダーの再生と停止を繰り返す。その時に何か音や画像が流れているほうがなぜか集中できる。停止にしたときに無音だとなんか落ち着かない。
渋谷直角著『RELAX BOY』の有村架純特別カバーのものが家にある。カメラマンは佐内正史さん、スタイリストで伊賀大介さんというメンツ。誰かにもらったんだっけな、と思ったけどたぶん樋口毅宏さんだと思う。

「あっ、有村だ」。 予備校に行く途中、 俺は駅前で有村架純を見かけた。 急に鼓動が早くなる。 学校とはぜんぜん違う雰囲気の、彼女のカッコ。 かわいすぎる!  どうする? 話しかけるべき?  ・・・無理。俺はクラスのカーストで一番下。学校の誰もが崇める美少女に、軽々しく近づけない。 あ、目があった。向こうも俺に気づいた。 (うわ〜、最悪。渋谷に会っちゃった)。そんな表情の、冷たい目をした。俺は慌てて気づかないフリをする。話しかけなくて良かった・・・。 もしも話しかけて、あの目をされたら、俺は立ち直れない。 当然、有村も俺を無視して歩き出す。 ところが、俺も寄るつもりだったレンタルビデオ屋に入っていく。マ、マジ!?  ティム・バートンのコーナー。ウディ・アレンのコーナー。なぜか鈴木則文まで物色してる彼女。なんで? 映画マニアなのか? 「だったら」と俺は思う。きっと俺たちは楽しく話せる。有村に「観た?」 と訊きたい映画がたくさんある。タランティーノなら どれが好き? 小津は? 俺は今日、エルンスト・ルビッチの 『天国は待ってくれる』を借りにきたんだ。有村も好きかもしれないよ、一緒に・・・。脳内シミュレーション全開。 最初の一言めが難しい。 「やあ」じゃ馴れ馴れしい。「あれ?」で始めたら会話の展開が難しい。こんなことで悩むから、まともに女子と話せないんだ・・・。「え、渋谷?」。 まさか、 有村から話しかけてきた。「あ・・・、うん」「え、ぜんぜん気づかなかった! 私、目が悪いから」。優しい有村の言葉と表情。さっきの冷たい目は、目が悪かったからか。一気に勇気が湧いてくる。「え、え、え、映画好きなの?」。俺の質問に、 有村は少し困った顔をしたあと、 笑った。「んー、微妙。時間つぶしてるの。 待ち合わせしてて、ちょっと早く着いたから」。あ、そうなんだ・・・。「渋谷は?」。 優しく話しかけてくる有村に、「ゴメン!  俺、用事ある!」。 走って逃げ出した。「待ち合わせ」「誰と?」を考えた瞬間、急に怖くなったのだ。「このままココにいちゃいけない」。そんな絶望的な予感がしたのだ。俺には足りない。 何もかも足りない。 有村と向かい合うためのすべてが足りない。246沿いを走りながら、 自分自身が悔しくなって、恥ずかしくなって、泣きそうになる。でも。 それでも。至近距離の有村の視線と肌。 髪の匂いを反芻して。三宿交差点に辿り着いた時、思わず叫んだ有村への言葉は、走ってくるダンプカーの音にかき消された。
(妄想文 渋谷直角

↑は有村架純特別カバーの後ろ側の折り返しに書かれていた渋谷さんの文章。
有村さんがモデルになっているカバーの写真を見ると明らかにキャロットタワー前の世田谷通り沿いで撮影されている。文章に出てくるレンタルビデオ屋はキャロットタワーに入っていたTSUTAYA三軒茶屋店、レンタルフロアは3月で閉鎖されて今月末からユニクロになる。世田谷通りを少し走るとそのまま246になり、そのまままっすぐ歩道を走ると三宿交差点に出る。そこそこ距離はあるが、渋谷さんの文章の舞台は明らかに世田谷通りからほぼ一直線だとわかる。

昼前に家を出て麹町駅近くの出版社に伺って、ある部署の編集部の方々にインタビューをさせてもらう。先週金曜日から5日間で2回出版社に行ってインタビューをするという急に忙しいスケジュール。今日も編集者の方々がたくさん話してくれたのでよかった。
この2回ともお話を聞かせてもらったジャンルというか手がけている部門の作品は僕にはあまり縁のないものだったりするので、ちょっと不安なところもあったけど、それぞれのレーベルだとか出版している作品とかもろもろを調べておいて、ちょっと不思議に思ったこととか聞きたいと思ったことを先に送っていた想定質問をしながら入れ込んでいく。
無駄話のような話も肩慣らし的にはしたほうがいいし、緊張が早くとけてリラックスしていつも通り話せてもらうような状況にできるか。基本的にこちらは人数も少ないし部外者なのでその辺りは毎回意識するようにしている。
想定質問に対して答えを考えてくれていることが多いけど、そのあとに本音というか考えていない、普段思っているようなことなんかを引き出せると話はおもしろくなってくるし、話題が膨らんでいくことが多い。なんとか必要なことは聞いて、それ以上のことがどのくらい引き出せているのかは自分ではわからないところはあるけど、多少前よりは聞けるようになったような気はしている。

アウェイな場所に行って初めて会う人たちに話を聞くというのは思いのほか消耗する。単純に終わったあとに疲れがくる。僕は聞きに行く方だけど、芸人さんやタレントさんだったり、小説家でも大きな賞を受賞したらインタビューが続くことがあるというのは聞くけど、話を聞かれる方も1日に何回も同じような質問されたら思いのほか心身とも疲れが来るんだろう。

終わってから、永田町駅まで歩いて半蔵門線に乗ったら事故かなにかで電車が遅延していて、青山一丁目駅で停車してからしばらく動きそうになかったので降りて駅から出たら神宮球場よりも赤坂よりの青山通りのところに出た。
歩いて帰るには結構距離があるけど、諦めて歩いて帰ることもした。もともと仕事の日ではないけど、インタビューの日程が今日になったから出勤という形だったし、インタビューでちょっと疲れたから歩いてのんびり帰るのはちょうどいいかなって。17時過ぎには家に着いたけど、まあ文字起こしの続きや今日のインタビューの起こしは無理だなって感じだったので他の作業を19時までした。
仕事が終わってから他のライティング作業をしようかなと思ったけど、湯船に使ったら疲れが持って出たので積読しているものを読んでいたら、寝落ちしていた。

 

4月19日
目覚ましが鳴る前には目が覚めず、鳴ってから動き出すまで普段より時間がかかった。夢も見なかったからわりと疲れていたんだろう。
昨日は初対面でお会いした方々にインタビューしたし、帰りは青山一丁目駅から1時間ちょっとは歩いた。1日で約14キロは歩いていたので疲れでしっかり深く眠れたみたい。
いつもより少し遅い開始時間で執筆を始める。気持ち頭が重くてあんまり進まない。でも、この時間はパソコンの前にいることを習慣化しないといけないと思うので、それはクリアしているのでよいことにする。


リモートワークを開始して、引き続き文字起こしを中心に。『有村架純の撮休』を最終回まで流し終わった。最後の8話『バッティングセンターで待ちわびるのは』が会話のやり取りや終わり方も含めてすごいよかったなあって思って、クレジットを見たら脚本がロロの三浦さんだった。来月の舞台『BGM』もたのしみ。
その次はシリーズ2作目となる『竹内涼真の撮休』を流していた。1話の終盤で役者が3人並んだ上で、「この人役者なの?」みたいなやりとりがあり、竹内は本人役、メタフィクションが当たり前になってるからこそ活きるし、理解もしやすいのかもしれない。昔ある手法ではあるんだけど、今の方がリアリティも増している気がする。
2話でさらにメタフィクションが加速していた。カレーのルーを買いに外に出ると大河主演役者と間違われ続けていく。冒頭で妹がやってくるが、実の妹はこの間の『ゴッドタン』で大活躍していたけど、その子はでない。メタがこんがらがってきてもはやたのしい。つうか、『エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス』の世界が常態化してるわけで、あの映画が嫌いな人や認めない人やおもしろくないって人はそれが嫌なんじゃないかなと思った。


昼過ぎに休憩に出るついでに期日前投票所に行って投票してきた。自民と維新が応援する候補という時点で若かろうが元財務官僚であろうが投票することはないので、区長選は一択。区議会議員も政党から排除していって残った中で、自分がマシだと思える人に投票した。

『あののオールナイトニッポン0』をradikoで聴きつつ歩いていた。レギュラーになって最初のゲストは霜降り明星。3人のやりとりはいい凸凹感でありたのしいものだった。オープニングのディズニーランド40周年の話であのちゃん節が出ていて、行列とかに並ぶ意味がわからないと話していて、すごくよくわかる。僕も並びたくない。
ラーメンとか並んでまで食べたいと思わないし、それだったら並ばずに済むところでそこそこのものでいい。知り合いにも何人かラーメンとかの人気店に並んで食べるという人がいるけど、そういう人って別にグルメじゃないし、食が幅広いわけでもない人が多い気がする。美味しいとか以前に並びたい人なんだろうなって思うので僕は誘われたくない。

2017年の『NEW YORK TIMES』の記事では、
チャンス・ザ・ラッパーとASAP Rockyの名前が挙げられていましたが、
ケンドリック・ラマーも2017年ごろにはタックインしているのです。

なので、2022年にタックインしていること自体は驚くほどのことではないのですが、
やはりアルバムの表紙でTシャツの裾を入れていることには、大きな意味を感じます。
タックインされた腰に差し込まれた拳銃の表すものとあわせて、
ヒップホップのファッション史の分岐点として振り返ることになるのではないかと思います。

ヒップホップといえば、ぶかぶかのTシャツ。
そんなイメージを覆してタックインしていくラッパーたちの存在。
2010年代のなかごろからTシャツの裾をめくる大きなうねりがヒップホップの世界にもあった。
と同時に、じつはヒップホップの人たちも90年代以前はタックインしています。

Tシャツをめくるシティボーイ 第21回  東京の若者たちが2012年にTシャツの裾を入れたのは、なぜなのか / 文:高畑鍬名(QTV)

パン生地くんこと友人の高畑鍬名くんの連載最新回、今回はニューヨークタイムズの記事やケンドリック・ラマーなどを取り上げていてアメリカでのタックインの近年におけるファッションの変化を取り上げていた。
確かにケンドリック・ラマーのアルバムとかのジャケットとかでタックインしてたわ。ヒップホップアーティストというとブカブカの服を着ているイメージだったけど、この10年以内にだいぶ変わったということだよな。BTSのスタイルから菅田将暉のファッションとかなり現在に近づいてきている。


坂本龍一著『音楽は自由にする』文庫版。単行本が出た時に読んでいた気はするがせっかくなのでもう一度読もうと思った。YMOの演奏は 「WORLD HAPPINESS 2011」の時だけかな、坂本さんの演奏を観たのも。戦後のカルチャー的なものを作り上げた人たちがどんどん向こう側に行ってしまうので、彼や彼女たちを主人公にしたドラマも作られるんだろうなと。
朝ドラは大泉サロンを舞台に「24年組」と呼ばれた少女漫画家たちを、萩尾望都さんと竹宮恵子さんを軸にやってほしいし、そういう声は他でも聞いたことがある。少女漫画もだし日本の漫画の革命のひとつとして「24年組」がいて、今につながるものがここから生まれている。
70年代の学生運動敗北の季節(彼らが支持した劇画のヒーローたちは破れ去っていった。その亡霊として肉体を持ったのが上杉和也。彼は最初から80年代ラブコメを体現することになった上杉達也にバトンタッチして死んでしまったという話を「あだち充論」で書いた)の同時代に少女漫画では手塚治虫石ノ森章太郎たちの影響を受けた少女たちが描き手となって新しい漫画の可能性を模索していた。
萩尾さんと竹宮さんの自伝を何冊か読んでいるとご存命の間はドラマにしろ映画にしろ映像化はできないだろうなと思う。
で、朝ドラが「24年組」なら大河ドラマYMOで、いや、細野晴臣さん主役(星野源さんが主演)でやればはっぴいえんどYMOもできちゃうし、日本の戦後音楽史になる。星野さんは役者としては大人計画所属だから、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』で大河ドラマを一回書いている宮藤官九郎脚本でいけるだろうし。こっちはそんなに揉めずに映像化できそうな気がする。とか書いても実際に人間関係はそんなに外から見えるほど単純ではないし、個々人それぞれのその関係者の人たちの思惑や考えや異なる記憶があるから難しいのもわかっているけど。

 

4月20日
朝の仕事が休みなのでちょっと遅く起きる。可燃ごみをだしてから執筆を開始。登場人物の過去の出来事や関係性を前に修正したこともあって、作っていた家系図もちょっと変更するところがでてきた。
家系図はいつも作らないけど、今書いているやつは前から書いていたものと合わせてA面とB面という感じでありえた可能性の一つともう一つという設定にしているので、できるだけ辻褄をしっかりしておかないと書いている時に混乱してしまう。でも、家系図あっても詳細決めていくとそれでわりと悩む。


2時間経ってから、散歩がてら歩いてヒューマントラスト渋谷まで。今日は映画は観ないのだけど、前にメンバーズカードを更新して1100円で映画を観れる割引券をもらっていたので、その引き換えに。明日から公開のショーン・ベイカー監督『レッド・ロケット』を購入した。
帰る途中に代官山蔦屋書店によって新刊をチェック。今日もかなり歩いたけど、日中の気温が25℃とかになっていて汗だくになってしまった。梅雨の前にプチ夏が来るのはわりとしんどい。

NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』の先行でチケット取れたとのメールがきた。うれしい。野田地図はメアド登録だけで会員になれて、先行でチケット取れる確率がかなり高いのでありがたい。
第7回『キル』、第19回公演『エッグ』、第20回公演『逆鱗』、第21回公演『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』、第23回公演『Q:A Night At The Kabukiinspired by A Night At The Opera』、番外公演『THE BEE』と7回目。『THE BEE』だけだな、野田さんが出演していないやつ。今回は出演だけど、だいたいいつもおばあさん役みたいな気がする。
舞台で松さんを観れるのはうれしい。一生さんは『フェイクスピア』が取れなかったので07年の劇団、本谷有希子『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』で観た以来のはず。


夕方にニコラがオープンした直後ぐらいにコーヒーを飲みに行ったら、わりとお客さんが多かった。カウンターで常連友達がいたので話していたら、上のトワイライライトから降りてきた二人の常連もやってきたので、のんびり話をしていた。2時間ぐらいがあっという間だった。
帰ってからは土曜日までに出すライティング仕事の課題をやる。今日と明日で〆切までには間に合わせてしっかりしたものを出す。

 

4月21日
前日寝る前にラブクラフト著『時間からに影』とそれを田辺剛さんがコミカライズした『時を超える影』2冊を再読していた。ありがたいことに悪夢も見なかった。
前に『時間からの影』を読んだ時よりも「クトゥルー神話」の世界観がわかり始めたからか理解ができたし、眠さにもやられなかった。そのあとに漫画を読むと細部やビジュアルが描かれているのでより世界観が広がっていった。しかし、ここに出てくる「大いなる種族」がいわゆるタコ型のエイリアンイメージなので、ゴシックホラーというよりはSF的な雰囲気が増している。
問題は一回でもコミカライズされたものを読んだりするとそのビジュアルを頭から話すことは難しくなってしまうので、小説を読む際にもそのイメージが浮かぶ。それはいいことなのかどうなのか毎回ちょっと考える。
起きてから執筆を開始。牛歩な進みだけど、登場人物たちに関しても前よりも想像が深くなっているような気がする。不思議な力を持つ女系一家が出てくるけど、主人公の男性が彼女たちに庇護されていく、そのことである事件や出来事が解決するというのは村上春樹作品でよく見られる構造だし、性的搾取感もあるのでそうならないためにどう展開させるのか、登場人物の置かれた環境や関係性をもっと深掘りしてそちらに寄らないようにしたい。意識しないと絶対にそちらに引っ張られる感覚としはわかる。

執筆時間が終わってから朝から夕方過ぎまでのリモートワークを開始。先日のインタビューの文字起こしをしながら、ちょくちょく他の作業をしていく。ウェブサイト関連で2件インタビューの文字起こしがあり、もう1件個人仕事の文字起こしと構成がある。
なんで今月3件も文字起こしが集中したのか、自分で文字起こしをしていくと話を聞いていたことを再度確認していくのでいいのだけど、思いの外集中力は持続しない。この話聞いたしなあというのが心のどこかにあるのかもしれない。
でも、構成原稿にするために文字起こししないと、でもまだ時間には余裕あるし、みたいな気持ちの間で揺れている感じもある。早くやったほうがいいのはわかっているけど、こういうのは自分のバイオリズム次第だから、やる気が増すのを待ちながらやっているところはある。
朝の執筆はどちらかというとまず椅子に座ってパソコンの前にいることでなにかが進むのを祈るような気持ち。リモートの仕事はそれとは気分的には違うから、やっぱり期限とバイオリズムがデカい。


郵便が来たと思ったら小学館からの封筒があって、懸賞応募ありがとうございます、という文章が書かれた紙とあだち充著『MIX』の図書カードが入っていた。
コミックスの20巻が発売になった時に出ていた『ゲッサン』には特製カバーがついていたので一緒に購入していて(コミックス最新刊出るといつもこの特製カバーつくという売り方をやっている)、図書カード当たったらいいなと思って『ゲッサン』の応募ハガキを送っていた。昔から懸賞運はいいのだけど、当たる時ってたいてい応募したことすら忘れている場合が多い。送ったのを覚えているものは当たった記憶がない。


仕事が終わってからヒューマントラスト渋谷でショーン・ベイカー監督『レッド・ロケット』を鑑賞。何度か予告編を見ていて気になっていた作品。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』『タンジェリン』どちらとも観ていたのでやっぱりこの作品も観ておこうと思った。
ショーン・ベイカー作品はどちらかというと見たくない現実を突きつけてくるタイプのものであり、それは心地よさとは逆のベクトルの映像作品であることは過去二作からもわかっていた。

「タンジェリン」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」で支持を集めた米インディペンデント界の俊英ショーン・ベイカー監督が、口先だけの元ポルノスターの男を主人公に、社会の片隅で生きる人々を鮮やかに描いたヒューマンドラマ。

2016年のアメリカ、テキサス。元ポルノスターでいまは落ちぶれて無一文のマイキーは、故郷である同地に舞い戻ってくる。そこに暮らす別居中の妻レクシーと義母リルに嫌われながらも、なんとか彼女たちの家に転がり込んだが、長らく留守にしていた故郷に仕事はなく、昔のつてでマリファナを売りながら生計を立てている。そんなある日、ドーナツ店で働くひとりの少女との出会いをきっかけに、マイキーは再起を夢みるようになるのだが……。

実際に過去にポルノ出演経験があり、その映像が流出したことで一時表舞台から姿を消していたこともあるサイモン・レックスがマイキー役を演じ、インディペンデント・スピリット・アワードやロサンゼルス批評家協会賞などで主演男優賞を受賞。共演は、主に舞台で活躍してきたブルー・エルロッドと、ベイカー監督が映画館でスカウトした新人スザンナ・サン。2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)

アルコ&ピースの平子さんでいわき市を舞台にリメイクしたら、風景とかもすごくよくて映えるだろうし、日本版ができるんじゃないかなと関係ないことを観ながら思っていた。
テキサスの湾岸の工場エリアとかの雰囲気とかが、勿来発電所だったり、いわき市小名浜の湾岸とかも主人公のマイキーが自転車で走っていたけど、平子さんが自転車で走っていても絵になりそうだし、どこか僕の中で重なるものがあった。

落ちぶれたポルノスターのマイキーは再起を試みようとすると言っても同級生の母親が元締めのマリファナを昔のように売ったりして金を稼いでいるし、離婚届を出されていると思っていたレクシーからはまだ夫婦のままだと言われて、義母との関係性も多少なんとかなっている感じだが、邪魔者であることには変わりがない。
ただ、元ポルノ女優だったレクシーは未だに体を売ってお金を稼いでいることがマイキーと義母の話の中でわかるシーンがある。義母とすれば家に金を入れてくれれば、娘は体を売らないで済むため、マイキーが今後も稼いできて二人がこのままだったらいいなとは思っている。この辺りは感情よりも生活を取るというリアルな感じがある。
レクシーが昔子守をしていた隣家の息子(名前を忘れた)とマイキーは意気投合し、彼の運転でストリップバーなどいろんなところに行くことになるが、物語の終盤で彼とのドライブにおいて決定的なことが起きてしまう。いろんな意味で彼は巻き込まれた側の人で可哀想ではあるが、どうにもできない事柄が起きてしまう。

予告編でもマイキーとかなり年の離れた少女が遊園地でデートしている映像が見れる。ドーナツ屋で働くもうすぐ18歳になるストロベリーが今作においてはヒロイン的なポジションであり、マイキーにとっては再起をかけるための女神のような存在となる。
最初は自分がポルノ俳優だったことを隠し、嘘をついていたが最終的にはストロベリーにはバレてしまい、それでも刺激的な年上の男性であるマイキーに彼女は惹かれていく。
マイキーは居候の身だが、レクシーに求められるとセックスをしていたが、ストロベリーとの関係が深くなっていくと求められても、断るようになる。現金なやつだと思う。そして、マイキーとストロベリーは恋人のようになり、野外も含めていろんなところでセックスをするシーンが出てくる。ちなみにこの映画はR-18だが、それはこのセックスシーンよりも終盤におけるマイキーのあるシーンのためだと思われる。
マイキーはストロベリーをポルノ女優のスターに育て上げてポルノ業界に華麗に復活しようと企み、彼女もテキサスを捨てて彼と一緒にロサンゼルスに行こうと決意する。この時点でマイキーは取らぬ狸の皮算用モードであり、お前結婚してるぞ、それにまだ未成年だけどアメリカの法律でもアウトじゃね?みたいなことを思うのだが、因果応報というか隣人の息子のあるトラブルとその後のマイキーの行動によって、さらに悲惨な状況が翌日にはストロベリーとロサンゼルスに向かうはずの彼に訪れる。

ショーン・ベイカー監督『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』と『タンジェリン』同様に性的な問題と搾取、そして貧困問題が描かれているところは共通している。そして、主人公たちはある種傲慢であり、自分の決めた道を突き進んで破滅していく&周りが巻き込まれてしまう、という展開は共通している気がする。
『フロリダ・プロジェクト』はディズニーランドすぐのモーテルに住むシングルマザーと子供たち、『タンジェリン』はトランスジェンダーガールの男と金のことを描いていた。どこか静止できない、見て見ぬふりをしてしまうような現実問題をショーン・ベイカー監督は描いているので、観終わるとなにかえぐられるような感覚になる。
ノンフィクションではなく、フィクションに落とし込むことで歪さがより鋭利に観客に届いているのではないかと思える。『レッド・ロケット』のラストシーンはどう捉えるかでだいぶ違うと思うのだけど、僕はマイキーの見た夢というか願望だからこそカラフルであり、現実ではそうではなかったのではないかと思った。

 

4月22日
気温の寒暖差がすごい。週末は寒くなるとニュースで見ていたがTシャツで寝ていたせいか寒さで目覚める。ちょっとうとうとしながら、昨日〆切で提出したライティング作業のものをdogsに記入するものだったので、誤字脱字などを修正して説明が足りていないところを追加していたらすぐに2時間が経ってしまった。朝の執筆の作業は昼に移行することにして散歩へ。

三四郎オールナイトニッポン』シリーズの年末恒例のなかやまきんに君ゲスト回は多くの人にはオススメできないが、好きな人はたまらない大好物な珍味回と言われている。今回のゲストのあばれる君は放送開始後、五十分過ぎぐらいから珍味増し増しになっていった。四千頭身の都築やバッドナイスの常田も電話で参加して、くだらなくてよかった。
出かけた時にradikoで聴きながら歩いていたら爆笑してしまった。まだ、マスクをしているけど、声が出てしまって周りを一瞬確認したんだけど、一回笑ってしまうとなんか扉が開いた感じになってしまって、その後も数回声を出して笑ってしまった。これを聴いて好きならゲストなかやまきんに君回もいけるはずだし、何らかの方法で聴いてほしい。


ご飯を食べてからライティング仕事の作業を少ししてから、坂本龍一著『音楽は自由にする』文庫版を高校生時代の終わりまで読む。学生運動の時代の高校生であるこというのは後年の坂本さんの運動などに積極的に参加する大きな要因になっているのだろう。
今日は神宮外苑の樹木の伐採の抗議運動が神宮外苑近くで行われている。オンライン署名はしたけど、自分は足を運んでいない。この問題と東京五輪誘致のさまざまなブラックボックスで解明されていないことは繋がっていると思うが、政治家たちや利権関係者は知らぬ存ぜぬで伐採して再開発をするだろう。
もちろん、市民運動は意味があると思うが、どうやってそういう何かを決めていく立場の人間たちや組織を揺るがせるのか、声を上げていくことだけではなく、それ以外のことについても何かが必要なのかの話もメディアが取り上げて興味のない人にまず届かないと伐採や再開発は止められないのだと思う。
あれだけWBCとかで盛り上がった人たちが日本中にいるのに、ヤクルトスワローズの本拠地である神宮球場も含んだ再開発に声もあげないし、興味もないということが今の日本の政治不信と政治などについて考えることを拒否し続けた結果のひとつのように思える。
夕方過ぎにドラッグストアで買うものがあったので、近くではなく池尻大橋のほうに出かけていった。緑道沿いから旅客機が飛んでいるのが見えた。

帰ってからの続きを21時までゆるゆるとやる。そこから隔週毎に行っているオンラインミーティングで1時間少し話をして、今後のスケジュールや〆切を決めた。休みのような休みではないような、でも充実感のある1日になった。

 

4月23日
昨日ミーティングで打ち合わせをした方に今回も提出したライティング作業のものが好評だったのでうれしかった。フォーマットを用意してもらってそこをいろんなパターンや可能性なんかを考えて書いていく。あとは先方がどの選択肢や方向性がいいのかを選び、気になった部分や指摘された箇所について話して進めていく、というやり方だからか僕はほとんどストレスがない。
そのことを昨日ミーティングが終わって寝る前に考えていたけど、パターンをいくつか土台を元に広げていく、選択肢を用意(執筆)していくのって自分の執筆だと大変なことになるのはどれかを最終的にジャッジしないといけないからだろう。決定権が僕にはないので、ストレスがないということはけっこうありそう。
また、寒さで目が覚めてから朝活として執筆を開始。改めて自分で書いていくといろんな選択肢があるので、迷う。やっぱりなにかを決めるということが大変だなって思うし、仕事や作業を進める上で一番重要なことなんだって思う。


TOHOシネマズ日比谷まで歩いて2時間なので日曜日の散歩を。映画は11時過ぎからなので9時ぐらいに家を出て、渋谷から六本木方面の道を途中で青山方面に斜めに向かっていくと青山墓地に入る。夜にはほとんど来たことがないけど、青山墓地は緑が多いし、静かなので歩道を歩くのは気持ちいい。青山陸橋から東京タワーが見えた。
日比谷に着くまではずっとradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。ゲストはTRFのSAMさんとDJ KOOさんだったけど、なんか二人って仲悪いのかなって勝手に思っていたけどトークを聞いている感じだと仲良いんだなってわかった。
DJ KOOさんの過去にいろいろやっていたことが最悪すぎておもしろかった。他の3人にツッコまれまくり。この人根っからのボケの人なんだろうな、ツッコまれてしまうことを普通にやってしまっているし、良くも悪くも人には愛されるだとも思った。SAMさんってこんなにしっかり喋るんだなっていうのも初めて知ったかも。


TBS前を通って赤坂をすぎて首相官邸と国会議事堂を横目に見ながら日比谷方面に。何度も通っている場所だし、日本という国家において重要な場所なんだけど、警備手薄じゃないっていつも思う。
立っている警察官は後ろを向けたままでずっと同じ方面を監視している人もいるし、あれって本当に格闘技とかやってたらすぐに拳銃を奪取できるだろうし、すぐに制圧されてもひと騒動起こしてそちらに警備を回させるとか注意を引き寄せることってある程度の技術や集団ならできるんじゃないかなって思ってしまうのだが、実際のところはどうなんだろう。

奇妙礼太郎 - 「散る 散る 満ちる feat. 菅田将暉Official Lyric Video 


友人とLINEをやりとりしていて、この曲をおすすめされたのでYouTubeで議事堂横を通り過ぎる時に聴いた。『菅田将暉オールナイトニッポン』をやっている時に菅田くんがファンだということで一度奇妙礼太郎さんがゲストで来てセッションとかしていたので、その流れなんだろうなって思う。

日比谷ミッドタウン内にあるTOHOシネマズ日比谷で藤井道人監督『Village』を鑑賞。友達の杉山さんがキャスティングで関わっているので観ようと思っていた。15時ぐらいから日比谷公園でのニッポン放送のイベント『ラジオパーク』にも行きたかったのでTOHOシネマズ日比谷でこの回で観るのがちょうどよかった。
予告編も見ていたし、「月刊予告編妄想かわら版」4月号でも取り上げたが、閉鎖的な場所での人間関係を描いたものなのだろうと思っていた。「妄想かわら版」ではちょっとSF的なオチがあるんじゃないかなっていう風にちょっと逃げたんだが、さすがにそちらではない物語展開だった。

「新聞記者」「余命10年」の藤井道人監督のオリジナル脚本を、横浜流星主演で映画化したヒューマンサスペンス。「新聞記者」「ヤクザと家族 The Family」「空白」などを手がけ、2022年6月に他界した河村光庸プロデューサーの最後のプロデュース作品。

美しい集落・霞門村(かもんむら)に暮らす片山優は、村の伝統として受け継がれてきた神秘的な薪能に魅せられ、能教室に通うほどになっていた。しかし、村にゴミの最終処分場が建設されることになり、その建設をめぐるある事件によって、優の人生は大きく狂っていく。母親が抱えた借金の返済のため処理施設で働くことになった優は、仲間内からいじめの標的となり、孤独に耐えながら希望のない毎日を送る。そんな片山の日常が、幼なじみの美咲が東京から戻ったことをきっかけに大きく動き出す。

優役を横浜、美咲役を黒木華が演じるほか、古田新太中村獅童 、一ノ瀬ワタル、奥平大兼、作間龍斗杉本哲太らが顔をそろえる。(映画.comより)

村(社会)とは生贄を常に必要している。そして、掟などに関して暗黙の了解を破れば村八分にされてしまうか、次の生贄となってしまう。そういう人や一家を決めておけばストレスや怒りは上の村長など何かを決める権限のある人や家には向かわない。そして、誰もが生贄になりたくないので、決まった攻撃対象を中傷し卑下していくことで自分がターゲットにならないようにしている。
今作ではゴミの処分場を作ることに反対していた優の父が村からハブられるようになり、最終的には人を殺めて火をつけて自分も死ぬという事件を起こしたことで、優と母はその汚名をずっと着せられている状態であり、借金などもあり優は母を捨てて村から出ていくこともできないというジレンマに陥っている。
そこに東京に出ていた幼馴染の美咲が帰ってきたことで優は少しずつ人生を好転させていくことになるのだが、村長の息子である透が美咲のことを気に入っていたことで悲劇が加速するというもの。
ゴミの処分場やもろもろの関係性などは原発問題を置き換えたように見えるし、実際にそういう意図があるのだろう。閉鎖された狭いコミュニティで起きる因縁と利害関係というものは絡み取られると逃れるのは非常に難しいものとなってしまう。そういう嫌なリアリティが描かれている。

誰かを殺したいと思うor誰かに殺されると感じるなら、まずその集団から逃げ出す以外方法はない。どちらかが起きれば復讐と怨念の連鎖が続いてしまい、最終的には滅びしかなくなる。また、嘘をつく、後ろめたい行動はデメリットしかない。正直者が馬鹿を見るとはいうが、実際のところ、損得で考えても嘘をつくとつき続けることとそれを成り立たせるために嘘を重ねるのでどう考えても得ではない。そして、嘘は何度も繰り返し、それがコミュニティで共有されてしまうと関係者みんな嘘をつき続くことになり、その世代ではバレなくても次世代などでわかってしまったり、外部の者から指摘されるなど、なんらかの綻びで公になってしまい、最初の嘘からは想像できないほどの被害を与えることになってしまう。ということをこの映画では描いている。これらは原発の安全問題もだし、自民党政治における安倍政権以降の責任を取らず、嘘をついても国民が忘れるのを待つ&もはや国民も「考える」ことを放棄していくとそれらが許されてしまったかのようになる、という最悪の悪循環として僕らの現実としてある。
だが、藤井監督作品はどうも生真面目すぎるところがあるように過去作品も今作からも感じられる。その日本人的な生真面目さは連合赤軍みたいな内ゲバか総括などの内部へ向かってしまう質のものなのでハッピーエンドには向かわないと思う。その意味ではもっとユーモアが必要になってくるのではないか、たとえば元芸人さんの脚本家やコント作家みたいな人と組んで脚本を書いてもらったほうが、そのユーモアが余白にもなるし、悲劇がより悲劇として観客に響いていろんな問いや問題を投げかけることになるんじゃないかなって思った。




映画を観終わってから日比谷公園に向かってニッポン放送主催のイベント『ラジオパーク』に。毎週聴いている『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』的な佐久間さんがMCで、「0」の水曜日を担当しているあのちゃんとラフ×ラフがゲストなのを観れたらいいなと思ったけど、1時間以上早かったのでとりあえず、ステージ正面の撮影用のカメラがセッティングしてあり、カメラマンさんがいるところの後ろ側で様子を見ようと思ったら、なんか急に人が増えてきて動けなくなってしまった。基本的には座ってみるエリアなんだが、カメラがあるので高くなっていてその後ろは立ち見になっていた。
ラブライブオールナイトニッポンGOLD』公開収録が始まったら、僕の周りはそのファンであるラブライバーだらけですげえ声を出しまくっていた。声出しできるようになってよかったね、と思えるぐらいは余裕を持てる日々を今は過ごしているんじゃないかなって思った。あとはアニオタや声優オタな人たちが大挙してきていたので、普段交わることもないし見たりする光景でもないので、出演していた声優さんたちよりもラブライバーの反応を見ていた、

大盛況の2日間! 土田晃之中川家新内眞衣、佐久間宣行、あの、ラブライブ!、山崎育三郎、三宅裕司、イルカ ほか 次々登場「ニッポン放送ジオパーク in 日比谷2023」

佐久間さんとあのちゃんトーク内容はSNSとか書かないで的なアナウンスがあったので、書かないけどひとつわかったのは『あののオールナイトニッポン0』の選曲は全部あのちゃんがやっているということ。
途中、あのちゃんがテレビの出演した際に「北海道を代表するミュージシャンといえば?」と聞かれたあのちゃんは「イースタンユース」と答えてスタジオがシーンとした(演者もスタッフもわかってなかった)という話があったので、選曲はマジでガチなんだなとわかった。終わったから永田町駅まで歩いてさすがにそこからはさすがに電車で帰った。

 

4月24日
前日に16キロぐらい歩いたのでぐっすり眠れた。目覚めもよくて起きてから朝活として執筆作業をしてから、リモートワークを始めた。
寝る前に世田谷区長選挙の結果は出ていて、現職の保坂さんが勝っていたのを確認はしていた。もしかして自民公明維新が応援している29歳ぐらいの元財務省かなんかの人が当選したら世田谷区めっちゃしんどいって思ったけど、保坂さんボロ勝ちしていた。まあ、やっぱりなんだかんだ言っても世田谷区はリベラルな人が多いし、自民公明とかの組織票は衆議院参議院では大きいかもしれないけど、区長選ではまったく効果がないということなんだろう。
でも、保坂さんも年齢的に高齢だし次回は5期とかになるなら、後継者的な人を育てたり、後押しする形でうまく交代してほしい。たぶん、僕が今の部屋に越してからはずっと保坂さんが世田谷区長だ。だから、3回は保坂さんに入れているはず。
14時から自分が所属しているセクションだけでなく、今期に関する全体ミーティングがあったのでいつぶりか覚えていないけど、出社。九段下駅で降りてから竹橋方面に。


大きめの会議室というか部屋で2時間ぐらいミーティング。ちょっと眠くなったけど、今の会社の雰囲気はよさそうなのが伝わるものだった。普段出社しない人も僕を含めて何人もきていて、フリースペースもほとんど埋まっていたのでミーティーングが終わったらすぐに会社から帰った。
普段人がいない場所で仕事をしているのもあって、人がたくさんいるのはちょっとしんどい。あと人が多いとどうしても暑い。そういうのは仕方ないけど、文字起こしとかああいう人がたくさんいるところで集中してできる気がしない。
九段下駅まで戻って電車に乗って帰宅。小学生の帰宅時間らしくて子供がたくさんいた。あんな年齢の時から電車に乗るのが普通っていうのは田舎育ちの僕には想像もできないけど、環境ってデカいよなあ。帰ってからリモートで作業を再開。

確か「いだてん」の現場だったと思うのですが、桃李くんから「ゆとりで『ハングオーバー!』みたいなの、やれませんか?」と提案されました。
それが3人の総意だったのか、記憶は定かではないのですが、世代論が通用しない海外で走ったり飲んだり吐いたりするまーちん、山路、まりぶ君の姿が目に浮かんで、水田監督に相談して「ゆとりインターナショナル」という仮題を付けました。しかし、コロナ禍になり海外ロケは当分ムリ。だけど、見渡せば東京もじゅうぶん多国籍、多言語だし、ネットで世界と繋がっているし、ムリして風呂敷を広げずとも、生活圏の中でインターナショナル感が出せたら、そっちの方がドラマの世界観を踏襲できるのではないかと思い直し、八王子~高円寺間で起こる国際問題を描きました。

「ゆとりですがなにか」映画化!岡田将生松坂桃李柳楽優弥宮藤官九郎らが再集結(コメントあり) 

クドカン脚本作品でドラマやって映画するのって木更津以来?

 

4月25日

夢を見た。なにか食事か大人数でいる時にトイレに行きたくなって、そこの個室に入ったがどうも狭い。左右の幅が便器に座ると肩幅ちょうどぐらいで圧迫感がある。ズボンとパンツを脱いでふんばってみるが出ないので諦めて元の席に戻ったが、どうもお腹の調子が悪い。恥ずかしいがまたトイレに向かってふんばってみるが出ない、なんか嫌だなって思っていたら目が覚めた。

そのあと実際にトイレに行ったが大はほとんど出ず、何の夢やったんやと思うほどだった。でも、年齢を重ねていくと漏らすという話はラジオとかでもよく聞くけど、こういう感じで肛門筋だとか締まっていないといけない部分が緩んだりして漏らしてしまうという状況に陥るのかなって思う。
起きてから執筆をしてから昼前に外に散歩に行って2時間ほど『JUNK 伊集院光の馬鹿力』を聴きながら歩いた。帰ってからは今日中に終わらせないといけない作業を14時から開始。固有名詞が多いからその度に調べたり、メモ的に記載していくのでやっぱりそれが時間かかる。

BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年05月号が公開されました。5月は『EO イーオー』『TAR/ター』『宇宙人のあいつ』『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を取り上げました。

岸辺露伴 ルーヴルへ行く』は安藤政信さんが出ている&音楽がドラマに引き続き菊地成孔&新音楽制作工房なのでたのしみ。
ドラマのエンディング曲だった『大空位時代』は菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのオーチャードホールでのライブで聴けたけど、菊地さんが歯の治療等でサックスが吹けないので「ラディカルな意志のスタイルズ」も「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」も秋以降にならないと始動しない。
「ラディカルな意志のスタイルズ」は音源はしばらく出さないのでライブのみでしか曲は聴けない。『大空位時代』収録予定だった「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」のアルバムも延期になっているので、たぶん秋以降になったら音源かライブで聴けるようになるはず。

 

4月26日

 映画というものには、何か現実と虚構の境を飛び越えてしまうようなところがあると思います。そういう強い磁力みたいなものを映画は持っていて、撮影現場で人が死んだりすることもある。「現実」とか「虚構」というのはあえて境界を設けるための言葉で、もともと現実は虚構で、虚構も現実で、境い目はないんです。そういう言葉の境界を越えた本当のことが、映画には映ります。『ラストエンペラー』の中でも、間違いなくそういうことが起こっていたと思います。
P228より

無音の日々
 人は非常時には、普段なら切り捨てていたようなレベルの情報もすべて拾うようになります。全方位に過敏になるんです。そうすると、音楽というものはできなくなってしまう。感覚の許容量を超えてしまうんですね。音楽が消えただけでなく、あの騒々しいニューヨークで、音がしなかった。誰もクラクションを鳴らさないし、ジェ ット機も飛んでいない。ものすごく静かでした。針が落ちただけで人が振り向くぐらいのぴりぴりした感じが、ニューヨーク全体を覆っていた。そんなときにもし誰かがギターなんか弾いたりしたら、殴られかねません。ああ、こういうふうになるんだなと思いました。
 やがて歌が聴こえて来たのは、諦めからです。テロから3日経って、もう生存者はいないということをみんなが理解したとき、ヴィジルという催しがありました。ろうそくを持って街のあちこちに立って、黙禱をする。音楽が現れたのはそれからでした。 喪に服するために、葬送という儀式のために、初めて音楽が必要になる。芸術の根源を見たようでもありました。

坂本龍一著『音楽は自由にする』文庫版 P287-288より

寝る前に読み終わった『音楽は自由にする』で気になった部分をメモしていた部分。2008年ぐらいまでの語り下ろしなので、この後の話は『新潮』で連載していた『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で語られていたのだと思うけど、こちらも新潮社から単行本にはなるはず。

一昨日ぐらいから頭皮がなんとなくかゆい。髪を洗っていないという感じでもないし、なんだろうなって思っていたが、起きてから顔を洗う時に鏡に映った左瞼の上の方の皮膚の皮がむけていて、日曜日のラジオパークに行った時にガッツリ日焼けしたから皮がむけていて痒くなっているんだとわかった。わかると安心する。
リモートワーク開始までに執筆をしたかったけど、今日中に終わらして送らないといけない原稿があったのでそちらを優先した。余裕持ちすぎたらダメだなって改めて思うから、次回以降のものはやり始めて二週間以内に第一段階は終わらすとか決めないといつかスケジュールがパンクして〆切が守れなくなってしまう。


雨だったけど、休憩中は外に出て大塚英志著『木島日記 もどき開口』上下巻を書店で購入。かつてKADOKAWAから一冊で出ていたものが今回星海社から上下巻で復刊された。
刷数の問題や紙の高騰などもあるが、2冊買うと5500円。高いと感じるけど、日本が本当に給料が上がっていないのに物価のみが上がっているからそう感じられてしまう部分はある。失われた30年でいろんなものやサービスをどんどん安くして給料は変わらなかったのに、世界中で物価は上がって給料も上がっているのに日本だけは取り残されている。そういうのをこういう時に強く感じてしまう。


漫画の『恋する民俗学者』では柳田國男はまだ詩人の松岡國男だった。それは「偽史三部作」シリーズより前の時代の話。これから出ると言われているかつて『月刊ニュータイプ』で連載していた『試作品神話』も一冊に纏まって出るみたいなので非常に楽しみ。あの頃はイラク戦争の話を笹山が、いや急に作者の大塚さんが作中に出てきて読者に問いかけていた気がする。今まで単行本とかになってないから、時折立ち読みをしていただけで内容が思い出せない。

アナが四年ぶりの新曲『きっといつか』をリリースした。なんか懐かしい気もするし、アナっぽさはあって聴いているとノスタルジーと現在地が心地よく交差していくような、雨の日にとても合う一曲だなって思った。

私の友人は中学生の娘に、
「ママ全然わかってない。Tシャツ出してるとバカにされるんだよ」
と言われたそうです。

Tシャツの裾をインしている娘に、
「それダサくないの?」と聞いたときに即答された言葉。
「ママ全然わかってない。Tシャツ出してるとバカにされるんだよ」

この同調圧力の存在。
私が裾認証と呼んで喜んでいた顔が見切れている写真には、
Tシャツ出してるとバカにされる世界の同調圧力の感じが写っていない。
そんな気がしてきたのでした。

裾認証によって顔が見切れているタックインの写真は、
あまりにもノイズがなく、まるで虫ピンでとめた標本だった。
そんな気がしてきたのでした。

音がない。
声がない。
街のざわめきがない。

ママ全然わかってないと言った少女たちの会話、
Tシャツをめくるシティボーイたちの会話、
私は彼らの会話、悩み、同調圧力をTシャツの裾と一緒に写したい。
Tシャツの裾と街のざわめきを記録したい。
そう思うようになりました。

Tシャツをめくるシティボーイ 第22回 ストリートスナップ・肖像権・モザイク / 文:高畑鍬名(QTV)

パン生地くんこと友人の高畑鍬名くんの連載の最新回。今回はTシャツのタックイン&アウトの話からストリートスナップにおける肖像権の話を展開している。
マスクが当たり前になった時には人の顔にモザイクはかけないという感じになっていたが、それも慣れてしまうと顔がマスクしていても認識はできるのでそこにモザイクが、という話も出ていた。そういうもんなんだって驚いた。確かにストリートスナップってコロナパンデミックでまったく違うものになっただろうし、そういうことを考えたことがあまりなかったので新鮮。

リモートが終わってから3時間ほど〆切がある作業をずっとやってなんとかデータを送れた。この数日文字起こしをずっとやっていたせいか体の特に背中が痛い。同じ姿勢でずっとやっているからだと思うんだけど、猫背がさらに悪化してしまう。とりあえず湯船に浸かったら疲れがドッと出た。

 

4月27日

8時過ぎに起きてから執筆を開始。お昼前から別件の文字起こしを進める。
15時から護国寺でライティング仕事の打ち合わせ&作業があったので渋谷から江戸川橋駅まで電車に乗って、神田川のところの出入り口から地上へ。先月末に来た時は桜が咲いていたけどもう新緑になっていた。
3時間の打ち合わせ&作業をしてからみんなでようやく初めてご飯にいく。終わったあとは同じ方面の方にご同伴して三茶までタクシーに乗って帰る。車内でもいろいろと話をしていたら、すぐについてしまった。帰りにニコラに寄ってコーヒーを飲んでちょっと酔い覚まし。

 

4月28日
リモート作業開始前に1時間ほど執筆。リモートのほうでインタビューしたものの途中までやっていた文字起こしの続きを。諸事業でタイトルを先に決めないといけなくなったので、とりあえず最後まで文字起こしをしてから何がいいかを考える。この記事と関連することもあるのでフックがあるタイトルがいいんだけど、何個か候補を挙げてみて一番わかりやすいものにした。
記事に使い画像を選んだり、自分でできる範囲で画像の処理をしたりしていた。仕事をしているけど、なんかしている感じがあまりない。昨日の護国寺での仕事はずっと同じ場所にいて数人と3時間近く打ち合わせとかをやっていたから、一人でリモートをやっているとその落差があるのかもしれない。


休憩の時にご飯を買いに行くついでにツタヤ三軒茶屋店に行ったら、前までレンタルエリアだったところが本日からユニクロといてオープンしていて賑わっていた。いやあ、ユニクロいるかなあ、渋谷とかでたらあるしさ、レンタルだとか書店の営業をし続けてくれていたほうが僕としてはありがたかったけど。なんか微妙な気持ち。
柳瀬博一著『国道16号線―「日本」を創った道―』&原武史著『「線」の思考―鉄道と宗教と天皇と―』が出ていたので購入。一緒に読むとおもしろそうな、繋がって広がっていきそうな今月の新潮文庫新刊。
新潮文庫ってどのくらいかわからないけど、この数年かなノンフィクション系のものはおもしろそうなものがたくさんあって、装幀デザインもいいものが多いんだけど、なぜか小説は装幀でいいなって思うものがかなり少ない。


コミックスの新刊のところにあった安田佳澄著『フールナイト』5巻も。珍しく続けて買って読み続けている漫画。なんだろうな、読んでいるとミレニアム前後の植田博樹Pがやっていた『ケイゾク』や『QUIZ』なんかの金22時のドラマが浮かんでくる。


夕方にそうだ、今日の朝刊買わないと!って思って近くのコンビニに行ったらまだあったので朝日新聞を買った。新聞を買うのってどのくらいぶりだろうか、まったくわからないぐらいぶり。
今月から古川日出男さんが文芸時評を始めるから読みたくて。大江作品のことから始まっていくつかの作品を取り上げていたが、佐藤究さんの『文藝』に直木賞受賞後初の長編第一作『幽玄F』のことも書かれていて読みたくなった。読もうと思ったままで読んでなかったからGW中に読もう。気になるワードが書かれていたのも大きいけど。

文字起こししている時に、作業用のPCではなくもう一つの自分のPCでなにか流そうと思ってparaviで映画『箱入り息子の恋』を再生した。星野源夏帆主演の作品で二人とも好きなんだけどなんか一度も観たことがなかった。で、内容はそこそこひどいとは思ったんだけど、ポスターとかビジュアルにおける夏帆さんの顔の雰囲気というか視線とかの感じになにか違和感があった。観ていたら作品の中で彼女が演じた役は視力がほとんどなくなっている役柄だったので合点がいった。
もともと夏帆さんは好きな女優さんで、僕の好きな顔というのもあるんだけど、作業しながら見ていて時折文字起こしのためのインタビュー音声を止めると映画の音が聞こえてくる。その時に、あれもしかしたら声が好きなのか、と思った。
でも、顔が似ていれば声は似ているし、声が似ていれば顔も似ている。というか骨格がスピーカーみたいなものだから、そうなるはずで。声が好きだったら顔も好きな可能性が高くて、顔が好きなら声も好きな可能性が高い。と昔から思っているのだけど、だとしたら声だけのマッチングアプリみたいなもので好きな声だったら顔も好きな可能性ありそうな、そういうものはすでにあるのかもしれないけど。この数日アナの新曲『きっといつか』を聴いていたせいかそんなことを思ったりした。

 

4月29日

本日は朝活的な執筆が夜に回して、起きてすぐに渋谷まで歩いてから副都心線新宿三丁目駅まで乗ってから、朝のTOHOシネマズ新宿で『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』IMAX3Dにて鑑賞。
吹き替えで観るつもりはそもそもなかったので字幕の回にしたが、親子連れがわりと多かった。親御さんが海外の方(欧米系ばかりだった。中国ではさほどヒットしていないという話だったけどアジアではそこまでマリオヒットしていない、浸透していないってことなのかな)の親連れもわりといたし、席はほとんど埋まっていた。内容的にはお子さんでも十分楽しめるものだった。

世界的人気の任天堂のアクションゲーム「スーパーマリオ」シリーズを、「怪盗グルー」「ミニオンズ」「SING シング」シリーズなどのヒット作を手がけるイルミネーション・スタジオと任天堂が共同でアニメーション映画化。イルミネーション創業者で「怪盗グルー」シリーズなどを送り出してきたプロデューサーのクリス・メレダンドリと、マリオの生みの親でもある任天堂宮本茂が製作に名を連ねる。

ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージが、謎の土管を通じて魔法に満ちた世界に迷い込む。はなればなれになってしまった兄弟は、絆の力で世界の危機に立ち向かう。マリオとルイージに加え、ピーチ姫、クッパキノピオドンキーコングヨッシーなど原作ゲームシリーズでおなじみのキャラクターが多数登場する。

監督は「ティーン・タイタンズGO! トゥ・ザ・ムービー」でタッグを組んだアーロン・ホーバスとマイケル・ジェレニック、脚本は「ミニオンズ フィーバー」のマシュー・フォーゲル。オリジナル版の声の出演には、マリオにクリス・プラット、ピーチ姫にアニヤ・テイラー=ジョイ、ルイージチャーリー・デイクッパジャック・ブラックら。日本語版ではマリオを宮野真守、ピーチ姫を志田有彩ルイージ畠中祐クッパ三宅健太キノピオ関智一が務める。(映画.comより)

『アラジン』(2019)でジャスミン姫がアラジンのパートナーでありつつ、自分は父である王の跡を継いで王になると宣言したことはすごく大事なことだった。女の子はただ王子様を待つのではない、自分が王様になることだっていいんだというメッセージをディズニーが発していた。時代が変わろうとしているのだなって思えた。
今作においてピーチ姫はクッパに捕らえられていない。ピーチ姫はマリオと共に攻めてくるクッパたちと戦うことになる。姫だから父母である王と王妃がいそうなものだが、いない理由も一応設定がされていた。
ピーチ姫は果敢に戦いまくり、途中からドンキーコングも参戦し、この世界に来るときにはぐれたルイージを救うためにマリオは姫たちに協力してもらって戦う。ラスト辺りでは謎の土管からピーチ姫やクッパたちがマリオたちが本来いた世界のブルックリンにやってきてラストバトルという感じなので、MARVELぽくもある。

この作品ではマリオたちがピーチたちのいる世界に異世界転生して、現実世界に戻ってきてクッパを倒すという話になっている。エンドクレジットを見るとマリオたちが異世界に飛ばされた土管があったところにヨッシーの卵が一緒に飛んできていて殻が割れそうになって「ヨッシー」という声と共に映画は終わるので間違いなく続編は作られると思う。あとマリオはマンマ・ミーアって言っていたし、彼ら一家はイタリア移民だったかな。そういう設定とかもう忘れていた。
完全にニンテンドウパワーをイルミネーションがよりポップに作り上げていた。これはファミコンから始まったゲームカルチャーが世界中に浸透したっていうことのわかりやすい事象。任天堂×イルミネーションで『MOTHER2』をこのテイストでネトフリとかでアニメシリーズやったらいけるんじゃないかな、と思った。

幼い頃に友達の家とかではマリオシリーズやったりしていたが、記憶では我が家ではマリオ関係のソフトは買った記憶がない。『ゼルダの伝説』はやったことすらない、任天堂というと『MOTHER』シリーズだけは3まで全部やってクリアしているが、他のRPGでも全作やっているのは『MOTHER』だけだし、僕は任天堂的なものはハマらなかった。最初に買ってもらったゲームソフトは『がんばれゴエモン2』だったし、思い出してみたらKONAMIのゲームばっかりやっていた。『悪魔城ドラキュラ』『グーニーズ』『コナミワイワイワールド』『魍魎戦記MADARA』『ラグランジュポイント』は記憶にある。僕は昔からメインストリーム的なものを摂取していないのだ。コナミだって人気メーカーだったけど。

「Xへの手紙」で小林秀雄が、読むことをめぐって興味深いことを書いている。「すべての書物は伝説である。定かなものは何物も記されてはいない。俺達が刻々に変って行くにつれて刻々に育って行く生き物だ。俺は近頃ニイチェを読み返し、以前には書いてあった文字が少しも見当らないのに驚いている」。書かれてあるはずの文字が見当たらない。そのことに戸惑いながら、どこかで当然だと感じている。
 人は、紙に印刷された文字の奥に見えない意味を、目で文字を追う以上の手応えをもって経験している。強く心を揺さぶられるような読書経験によって、文字の層ではなく、その奥で生起していることを実感する。「人はなぜ悩むのか』でも同様のことが起こっていた。
 およそ三十年を経て、この本を読み直し、先の一節にふれ、驚いたのは、述べられているのが他者への愛であるのに、読み取っていたのは、自己への愛だったからである。
 誰かを愛せないことに悩んでいたのではなかった。愛してくれる人もいた。困難だったのは、自分を受け容れること、自分を愛することだった。岩井の言葉を借りれば、自己と 「運命をともにしてみる」という覚悟だったのである。

若松英輔著『藍色の福音』P344より

家に帰ってからもう少しで終わりそうだった『藍色の福音』を最後まで読む。小林秀雄の著作は彼の妹の夫だった田河水泡関連として買ってはいるが読んだものは多くないので、これは若松さん流れから小林秀雄を読めという流れなのかなと思ったり。この本はキリスト教の話とかもあるんだけど、基本的には魂について、自分と他者との関係性などを考えるとてもいいテキストだと思う。なにか苦しんでいたり、耐え難い悲しみを感じている知り合いがいたらプレゼントしたくなるような一冊だった。

 

4月30日
昨日『藍色の福音』を読み終わってからようやく村上春樹著『街とその不確かな壁』のページを開いて読み始めた。寝るまでに第一部までは読み終えた。すでに読んでいる人の感想などを断片的に見ていたが、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』を合わせたような作品だと僕も思った。
村上春樹作品だと『1Q84』のBOOK3までは長編作品は読んでいたが、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『騎士団長殺し』は読んでいない。短編集の『女のいない男たち』『一人称単数』は読んでいた。今回は新潮社で他には文藝春秋やデビューした講談社と出版社で村上春樹の原稿をもらえる、書き終えたら連絡が来る編集者というのがいるとは聞く。その人たちは他に仕事をしていなくて(そんなことがあり得るとは思わないが)、村上春樹から原稿を取れるということに価値があるということらしい。
村上さんはデビュー以降、文壇からも距離を取っていたし、同業者の小説家(村上龍は別だと思うのだけど)や編集者や出版社を信用していなかった。だからこそ、自力で海外で出版する方法を見つけ出してきちんと世界でも売れて名前の知られる日本人の小説となった。だが、その反動というか村上さんから原稿を送られてくる編集者たちはちゃんと赤文字を入れていたのだろうかと思ってしまう。今作でも「老い」を認められないとしか思えない設定などに関しても編集者がもっと前から赤字であったり、作品を玉稿として扱ってもいいけど、編集者の意見があったのかというとなかった感じがどうしてもしてしまう。もちろん、編集者が赤を入れても意見を言っても聞かないということは起きていたのかもしれないけど、やはり、今作を読んでいてもなにかがちぐはぐなイメージを受けてしまう。かつて書いた中編『街と、その不確かな壁』を語り直したいという気持ちだったというのはインタビューで述べられているが。その中編は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に改作されていることもあり、どうしてもデジャブ感が強い。最後まで読んでみるつもりだけど、今のところ響いてはこない。


起きてから執筆をしてから散歩がてら渋谷まで歩いていく。東急百貨店渋谷本店は少しずつ少しずつ解体されていっている。その姿を渋谷に来るたびにちゃんと見ておきたいなという気持ちになる。
散歩中には『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴いて歩いていたら、春さんがフワちゃんのプロレスの話をしていて、そういえばプロレスが番組内で放送された『行列のできる相談所』を帰ってからTVerで見る。なぜだかわからないが涙が出てしまう。ほんとうにすごいなフワちゃん。涙脆さは年々異様に加速している。すごいことをしているのもわかるんだけど、感動するの早すぎるだろと思うんだけどパブロフのイヌみたいに条件反射的に泣いてしまっていた。感動するだろうという予想の時点で臨界点にほぼ近づいていて、その映像が始まったらすぐに臨界点突破して涙が出ているような気が。

西島大介著『コムニスムス』サイン入り特装版が届いた。数日前にネットで頼んでいたもの。
一年前に西島さんと飲んだ日が一話の配信が始まった日だったはずで、書籍化したら800Pとすごく分厚くなっていた。ベトナム戦争を描いた『ディエンビエンフー』の正当続編の『コムニスムス』ではポル・ポト時代の4年間が描かれていく。


「優秀なカメラマンは優秀なスナイパーになれる」が再び出てくる。鏡は自己愛を増幅させる。スマホは鏡でありカメラであり、自己愛と自己顕示欲を増幅させ、オートフォーカスで自分にも他人にも焦点が合うから、下手でも多少弾丸は当たってしまう。

12冊の本から考える 演劇・大震災・LGBTQ …… ロロ主宰・三浦直之×花田菜々子対談 

ロロの三浦さんが『ゼロエフ』取り上げてくれているのうれしいな。

『まつもtoなかい』をTverのリアルタイムで見る。世代としてリアルタイムでずっとSMAPを見ていたから、すごい大ファンですとは言えないけど好きな人たちでバラエティやドラマは見ていたし、曲もシングルならほとんど知っているというのは今考えるとすごいことだ。
「平成」を象徴する現在の上皇SMAP安室奈美恵という人たちはみんな亡くなっていない。「昭和」の終わり前後には手塚治虫美空ひばりが亡くなった。だけど、上皇は違うとしてもSMAP安室奈美恵は解散と引退という形で表舞台から消えた。亡くなっていないのであれば再結成も復帰もできる。そこが「昭和」と「平成」を象徴する人たちの違いだとずっと「令和」に入る時に考えていた。
中居さんも木村さんも僕よりも10歳上なはずだから51歳とかだと思う。芸能人で人前に出る人だから確かに同世代の人たちよりも若々しい。でも、何十年も体が自由なわけではない。年齢を重ねればどうしても最後や終わりについて考えるはずだし、SMAPは自らの意志で解散はしていないはずで。だから、条件が整って時間が経てばみんなが揃う日も来ると思って待っているファンの人たちが多いのが今回改めてよくわかった。
実際に何も知らされずに香取くんの歌収録だと思ってやってきていた観覧の人たちは中居くんを見て泣いていた。新しい地図のファンクラブの人たちに募集がかかって、当選してきた人たちは中居くんが目の前に現れて驚いて、そして歓喜の涙を流していた。それはテレビというエンタメのいいところでもあり悪いところでもある、そういう画を撮りたいし放送したいという欲望は間違いなくあるから。
昨今のジャニーズ事務所の問題の報道に関してもテレビ局の忖度問題とかもあった上で、この放送がある。だけど、今回の放送が風穴を開けることには間違いなくなるはずで、いろんなことはあるけれど、待ち続けている人たちのためにも5人が揃った姿を見れるといいなと思う。

今回はこの曲でおわかれです。
Thundercat & Tame Impala - 'No More Lies' (Official Visualizer)