『水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」
ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、2021年5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。
「碇のむきだし」2021年10月掲載 短編小説『(I'm not)by you』
先月の日記(08月24日から9月23日分)
9月24日劇団☆新感線『狐晴明九尾狩』をACTシアターで鑑賞。
中村倫也vs向井理という陰陽師対決だが、タイトルからやビジュアルからして大方の内容はわかる、大味なストーリーであるものの休憩を挟んで魅せる三時間。ところどころにギャグパートがあるのは戯曲担当な中島かずきらしい、というか。映画監督の堤幸彦同様にシリアスになりすぎたくないのだろう。
中村倫也と向井理の陰陽師の衣装が見事できらびやかで映える。180をゆうに越えるライバルである向井理がラスボスとして存在感を発揮するし、中村倫也のかわいらしさを感じさせるキャラクターもよくて、ふたりの関係性もBL的な消費もできるだろうな、と思った。ふたりの友情の結末で隣の席の女性が号泣していた。悪い意味でなくすごく精神的なデトックスになったはずだ。
狐ということで吉岡里帆がどんぎつね的な連想か出演していた。悪くはないけど、吉岡里帆じゃないといけないかなあ、とちょっと思ってしまった。理由は陰陽師対決であり、彼らの友情と知恵比べを含めたBL的な空気が強いので、吉岡演じるキャラは強いインパクトにはならかったという面はあったと思う。
音響と照明が物語の節々でアクセントのように効いてくる。目の前で殺陣を含めて動き回る。大掛かりな舞台装置や大音量な音楽に演出効果を高める照明はやっぱり舞台の魅力であり、配信しても味わえない熱量があった。陰陽師が術を唱えたりするシーンでの照明の光や舞台装置がその世界観をしっかり表現しているのも観ていてたのしかった。
劇団☆新感線今まで観てこなかったから一度ぐらいは古田新太さんがメインのものも見たくなった。
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」10月号が公開になりました。10月は『TOVE/トーベ』『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』『かそけきサンカヨウ』『ビルド・ア・ガール』を取り上げました。
『平家物語』 第二回「娑婆の栄華は夢のゆめ」を見た。女たちの『平家物語』、いや、この『平家物語』の主役は女性たちでもあるのだ、とはっきりと宣言しているのがわかるような気がした。
9月25日
『MIRRORLIAR FILMS Season1』をバルト9にて鑑賞。
それぞれ違う監督が撮った短編映画が九作品。安藤政信ファン歴25年なので、安藤政信監督&出演作品を『さくら』目当てに行ったんだけど、九作品全部たのしめた。
『さくら』は山田孝之×森川葵×安藤政信出演だからまあ画的に強い。色彩を強くしてる感じは蜷川実花っぽくはある。
『無題』の藤原知之監督と出演していた奥村心結さんの舞台挨拶つきだった。『無題』は創作についての問題提議に感じられる内容ではあるが、監督の話だと感動ポルノ作品の否定とか批判ではなく、自分への自問自答のような作品だと話をしていた。
枝優花監督『Petto』も最後の辺爆笑しそうになったけど、メインの女子高生ふたりがとてもよくて、長編で観たくなった。
一発目の武正晴監督『暴れる、女』は主演の友近さんが最高だね。藤山直美さんみたい、『顔』みたいな映画を友近さんでやってほしい。
『充電⼈』はコントみたいな設定だけど、短編だからこそインパクトあったし、『B級⽂化遺産』はスケボーでひたすら町を逃げまくるやつなんだけどたのしかった。
『INSIDE』は母親に閉じ込められて家の外に出たことのない少女が外に(世界)出ていくというわりとわかりやすいオーソドックスなもの、三吉彩花監督『inside you』はアート寄りな気もするが、普段から撮られている存在である人が撮る側を主役にした作品。
山下敦弘監督『無事なる三匹プラスワン コロナ死闘篇』はまあ微笑ましいバカなやつらが愛おしい感じのする、山下組メンツ出ててうれしい作品だった。
「Season4」まで全36作品やるみたいだけど、短編から発展して長編になったりしたらいいよなあ。
『水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」2021年9月24日号が配信されました。
今回はtoeの好きな曲のタイトルから取った短編小説『レイテストナンバー』です。「ことばと新人賞」に応募したのだけど、結果が出たので受賞していないことはわかったので少しだけ修正してこちらでアップ。
9月26日
お借りしていた萩尾望都著『銀の三角』を読む。
過去現在未来が同時に存在しているような、多次元的なものも感じた。それはクリストファー・ノーラン監督『インターステラー』や浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデでデストラクション』で描かれているものにも通じているし、人類が開拓していく先としての「宇宙」や「ネット空間」にも近いものを感じる。
80年代のSFというジャンルの想像力と西アジア的な地域の「千夜一夜物語」みたいな風景や伝説が入り交じる。砂漠というものが宇宙での惑星を喚起させるというのもあるのだろう。僕が幼少期に読んでいた『摩陀羅』にはこの要素が含まれていた。とくに『摩陀羅赤』において。
この物語の主人公のマーリーはクローンという形で再生もするし、時空も越えていく。最終的にラグトーリンがマーリーの前に現れて、「パントーはいない。運命の糸がすべてほどけたので……結び目だったパントーもほどけていなくなった」と告げる。これって三島由紀夫の最後の小説である「豊饒の海」シリーズを彷彿させる。
「豊饒の海」シリーズの最後『天人五衰』において、尼になった聡子が清顕という人のことは知らないとシリーズの狂言回しであり、「転生」に翻弄された本多繁邦に告げたのに似ているようにも思えた。
大塚英志さんの『木島日記もどき開口』を久しぶりに読みたくなったので『木島日記』シリーズを再読しようかなと思う。
物語論をフィクション内で語るというか、入り組んでいる構造ではあるが、大塚さんの小説作品の中ではこれが圧倒的なんじゃないだろうか。
発売時にはインタビューもさせてもらったのだった。
「『木島日記』復活!『木島日記もどき開口』は柳田國男vs.折口信夫の「仕分け」バトルです」
9月27日
松尾スズキ著『人生の謎について』を読んでいたら、ドラマ『演歌なアイツは夜ごと不条理な夢を見る』について書かれていた。
当時劇団員だった温水洋一さんがヘルニアのためにドラマに出れなくなって、代わりに入団したばかりの阿部サダヲさんがドラマに出たという話が書かれている。
『オレたちひょうきん族』における「タケちゃんマン」のライバルとなる「ブラックデビル」は当初は高田純次さんだったけど、高田さんがおたふく風邪になってしまい、さんまさんが「ブラックデビル」をやったら人気が爆発してそのままさんまさんがキャラクターを演じるようになったという話に通じるような気がした。もし、温水さんがヘルニアをやらなければ『いだてん』で阿部サダヲさんが主演ではなかったかもしれない。才能と実力、それと運は別物だし、全部が必要なんだよな、生き延びるには。
認知症になっているお母さんとの記憶や思いもとてもいいし、お母さんの「口」についてのところが沁みた。松尾さんがかつて住んでいた家に現在住んでいる音楽ライターさんとはよく近所ですれ違うのだけど、いろんな歴史(人の営み)を再認識する。
二度目の結婚をしてからの松尾さんは現在の確か年はわりと離れていたような気がする奥さんによって人間らしい生活をするようになったんだなってわかるし、『GINZA』で連載されていたエッセイがまとまったものだが、去年からのコロナのことも後半には多く書かれている。演劇はもろにコロナの影響を受けた。その当事者のひとりとしてのドキュメントにもなっている。
松尾さんの小説『宗教が往く』はすごく好きだけど、伝染病が蔓延する話だし、今読んだら前よりも深く刺さるかもしれない。
書店で「TOKYO GRAFFITI」の表紙に「古川日出男」という名前を見つけ読んだら、歌人の伊波さんが選ぶ「古川日出男」ベスト3の紹介だった。
日出男さんにこんなんありましたよ、と教えようと思ったらまるっきりウェブに載っていた。そんな時に日出男さんから今日たまたま「はらこ飯」をスーパーで売っているのを見かけたという画像がスカイプで送られてきた。晩秋の阿武隈川からもう10ヶ月経っていった。あっという間だ。
それでも『ゼロエフ』が発売になったのは2月だったし、何度か読み返して、僕自身もそこにいたりするので、すごい昔のような気もするし、つい最近のような気もする。
僕だったら、ベスト3には『ドッグマザー』を入れたいのだけど、いきなりこの作品を読んでと言っても難しいかもしれないから、導入として『LOVE』を入れるかもしれない。でも、実際にベスト3を選ぶとなるとその時々で変わってしまうし、誰にオススメするかでだいぶ違うものになりそうだ。元旦にずっと歩き続けて、『ゼロエフ』につながった部分もある『サマーバケーションEP』は外せない。
今なら、『サマーバケーションEP』、『ドッグマザー』、『冬眠する熊に添い寝してごらん』or『ミライミライ』かなあ。『ゼロエフ』は別格として。
9月28日
「『キッズ・リターン』でボクシングのシーンを撮っている時に、控室でボーッとしていたら武さんが入ってきて。『絶対に安藤くんは売れると思う。だから、これから安藤くん自身でよく考えてやっていかないとな』と言われたんです。漫才ブームのころの話もしてくれて『突然お金を稼げるようになって、ちょっと感覚がおかしくなるようだった。俺はこれじゃダメだ、今後どうしたらいいか考えなきゃいけないと思った。だからいまがあるんだ』と話してくれました」
Radiohead - Live in Saitama (October 2008)
このライブを観ながら原稿書いたらすごくノリノリになってしまいテンションが上って、思いもしないアイデアが出てきてしまった。Radioheadの音楽は執筆する際にはすごくいいのかもしれない。やっぱり『Kid A』『Amnesiac』ぼ楽曲が流れると一気にアドレナリンが出るのがわかるし、その流れで『The Bends』辺りのギターロックが来るともう室内で頭を振ってしまいそうになる。
9月29日
「漫画家本」で何度かお仕事をさせてもらったライターの島田一志さんのインタビュー本『コロナと漫画』を家賃振込みに行った際に購入。装丁のイラストは浅野いにおさんの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のワンシーンから。ちょうど買って帰っていたらスマホの画面に、この書籍でインタビューされているさいとう・たかをさんが亡くなったというニュースが出た。
9月30日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回『KATSU!』三回目が公開になりました。
今回は主人公の里山活樹の実父である赤松隆介という存在から見える「空虚な中心」について書いています。
「空虚な中心」が物語の中心として展開している村上春樹原作、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』論にもなっています。村上春樹作品から宮崎駿作品へ、戦後日本社会を代表する表現者に通じる「母性のディストピア」のことも触れています。
連載の残りは『クロスゲーム』『アイドルA』『QあんどA』です。
『朗読劇「湯布院奇行」』最終日に新国立劇場の中劇場にて鑑賞。
若い女性が多かったが、主演が成田凌さんだからなのだろうが、意外と老若男女と幅広い層がお客さんで来ていた。なんだろう、TBSラジオリスナー的な感じなのかしら。
私小説とフィクションの狭間で漂うような、物語になっていた。虚実の揺れが包み込んでく幻惑的な感じがしたが、原作を書いているのが燃え殻さんなわけで、そこからすでにペンネームと本名の狭間が生まれてる。だから、登場人物たちが違う顔や役割をしていることに違和感はない、人格やキャラクターのマスクは向き合う人や世界に対して付け替え可能だが、やがて境界線は崩壊してしまう。最後にスクリーンに映し出された新聞記事は蛇足というかないほうが個人的にはよかった。
現実と虚構は混ざりだして、さらに別の層を生む。それを物語ともいうし、日常とも言うのかもしれない。
成田凌&黒木華&コムアイ、映像と音楽が魅惑的だから、またやってほしいし、別の出演者の組み合わせのバージョンでもガラリと印象が変わるかもしれないので観てみたい。
舞台が始まる前と間の休憩中に久しぶりに読みたくなってカバンに入れていた長嶋有さんの『サイドカーに犬』を読み終えた。これ何回読んでもたのしいな。
10月1日
羽海野チカ著『3月のライオン』16巻。
今回は主人公の桐山零の将棋の戦いというよりもヒロインである川本ひなたの川本家における家族の話。そして桐山が目指すべき倒すべき7大タイトル独占という異形を成し遂げた宗谷冬司の家の話も展開されていく。
どちらも心があたたまる、ほっこりする話であり、これが羽海野チカという漫画家が支持されて多くの読者に期待されている大きな要因のひとつではあると思う。
棋士という極限まで集中力が必要で戦い続ける彼らを取り囲む日常を丁寧に描くことで彼らの戦いがより際立つ。
才能や天才という言葉では片付けられない努力し続けていく彼らの姿、同時になんともないけど人が生きるためにはどうしても必要な人との関わりと日常がこの漫画の魅力であり、『ハチミツとクローバー』から続く羽海野チカの素晴らしい魅力だと思う。
仕事が終わってから電車で永田町駅まで行って、地下通路が繋がっている赤坂見附駅のビッグカメラがある出口に出て、すぐ近くにあるバー「TANTE」に。
友人の隆介くんともともと打ち合わせというか話をしようと前から決めていた日だったが、この日から緊急事態宣言は解除されてお店も営業を再開するということなので数年ぶりにお邪魔した。
文藝春秋の目崎さんに一度連れてきていただいていて、マスターの齊藤さんともフェイスブックで繋がっていたり、何度か青山方面や赤坂でもばったりお会いしていたので久しぶりという感じはしなかった。
お酒は斎藤さんにお任せして二時間ほど話し込んだ。お店も雰囲気もいいし、大人って感じはするけど、もう半年もすれば四十になってしまうのでこういうお店にたまには行ってたのしめるようにならないとなって思う。
10月に入ってこれから半年経つと2022年4月になる。年度が変わるというのもあるけど、スタッフをしているウェブサイト「monokaki」を運営している「エブリスタ」の親会社がDeNAからメディアドゥになったりと、いやでもこれから変わっていくことは決まっているし、「PLANETS」のメルマガで連載されてもらっている「あだち充論」ももう半年もすれば終わるというのが見えている。
というわけで半年間集中して作った執筆スケジュールをこなしていこうと思う。あとはSNS断食じゃないけど、あまりやらないようにしようと思っていて、ツイッターには原稿料もらっているものがネットに公開されたりしたらお知らせでツイートする程度で、フェイスブックはこの日記をアップした時ぐらい(知り合いに対しての生存確認目的)で、インスタグラムは観たり読んだりした作品についてアップしてもいいのだけど、そうすると結局今までと変わらなくなるから、一旦止めてみようかなと考えている。
10月2日
朝の作業が終わって、散歩がてら代官山蔦屋書店まで行った。
もう出ているかなと期待していたレベッカ・ソルニット著『私のいない部屋』があった。できるだけカバーが折れていないものを吟味し、エンタメが読みたいと思ったので伊坂幸太郎さんの新刊『ペッパーズ・ゴースト』と一緒に購入して家まで再び歩いて帰った。
そして、家に帰って「さあ、読むぞ」と思ったら、製本ミスっぽくてページの上の箇所が糊かなにかでくっついたままだった。
写真みたいな箇所家いくつかあって、完全にミスってた。これはさすがにダメだと思って領収書に書いてある番号に電話して、交換してもらうことになった。久しぶりにこんな製本ミスしたのを見た。カバーばっかりに気を取られていたし、中身を読む前から買うのだけは決めていたから、ページをパラパラとめくらなかったせいで気づけなかった。
22時にリモートが終わり、それまでSNSも見ず、スマホもできるだけ触らないようにして「キング・オブ・コント」の結果を見ないでいた。
放送が終わってから(テレビがないので)Paraviで「キング・オブ・コント」が配信されていくのを順通り見て行った。蛙亭はとてもおもしろかったし、トップバッターじゃなかったらもっと上位だと思ったのだけど。空気階段は圧勝で、好きなコンビなのでうれしかった。
決勝でやった二本目のコンセプトカフェについては前の単独ライブ『anna』のDVDに20分以上ある長尺のものを見ていたので、そこまで笑わなかったが、他のコンビよりも笑えてたし、みんなも空気階段が一番おもしろかったというのに文句はないだろう。その後、Paraviでの大反省会も見ていたら、午前3時近くになってしまった。
そうなると自分はなにをしているんだろう、これからどうすべきかというヤバい状態になってさらに眠れなくなってしまった。とりあえず、ビル・エヴァンスの『オータム・リーフ』を流しながらなんとか眠った。
個人的な1stステージの得点をつけるとすると、空気階段:97点、そいつどいつ:95点、ザ・マミィ:94点、蛙亭:94点、ニッポンの社長:93、男性ブランコ:90、うるとらブギーズ:89、マヂカルラブリー:89、ニューヨーク:89、ジェラードン:88
10月3日
TOHOシネマズ渋谷にてダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンド最終作となる『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』を鑑賞。
2時感40分という長尺であるが、終始アクション展開が続き、どんどん派手さを出していくのがさすが。大人気アクションシリーズとして世界中で公開されて、長年のファンも多いのもよくわかる。ダニエル・クレイグがボンドを演じて5作目だけど、僕にとってリアルタイムでのボンドは彼だし、2012年にロンドンに一週間ほど行った際には有名デパートに『スカイフォール』の巨大な登場人物のポスターが展開されていた記憶がある。それもあってか、ロンドンだとわかるシーンを見るとちょっとだけうれしい。知っているから。
前回に引き続きヒロインのマドレーヌ(レア・セドゥ)で、彼女を最初に認識したのは『アデル、ブルーは熱い色』だった気がするが、今作でも途中から誰かに似てるなって思ってたんだけど、本田翼と似てるんだ。顔の系統がふたりは近いんだと思う。
物語としてはヒロインのマドレーヌ、ボンドが引退後に「007」となっていたノーミ(ラシャーナ・リンチ)や少しだけボンドと任務を遂行するパロマ(アナ・デ・アルマス)など女性陣の活躍も目立った作品だったし、マドレーヌがボンドに黙って隠していたことが一応最後に死んでしまったようにしか見えないボンドを引き継ぐものとなっている感じもして、いろんな配慮も感じられた。
デカいスクリーンでしっかりとしたアクションをこれでもかこれでもかと立て続けにやって飽きさせないのはさすがだし、そうそうにないと思う。決戦の地となる場所や監督が『IT それが見えたら、終わり。』などの共同脚本も手掛けたキャリー・ジョージ・フクナガということで和テイストな部分もあったりした。
しかし、最後にジェームズ・ボンドウィルリターンだっけな、帰ってくるという文字があったけど、次からは新生ということで新しく語り直すのかな。
岡山 井原 火の見櫓と消防機庫。
— たてものきろく (@t8mono) 2021年10月2日
消防団のマークって消防署と同じかと思ってたんだけど違うんだな。こちらは消防団の。由来は→ pic.twitter.com/51HnaBy1va
寝る前にツイッターを見ていたらタイムラインで流れてきたのだが、場所が井原市かあ、と思って画像をよく見たら、見覚えがある景色というか僕の地元、出身地の高屋町だった。
10月4日
先日、隆介くんと飲んだ際にオススメされた谷口ゴロー著『『坊っちゃん』の時代』がバリューブックスから届いた。田河水泡について描く『みずのあわ』は「群像文学新人賞」には間に合わないので来年2月の「メフィスト賞」に応募することにしたので、青春群像ものよりはだいぶ変えると思う。こちらもある時代を描いているが、同時代の人たちが実は近い所にいるけど史実では関わっていなかったするのをフィクションとして描くということに関して参考になればいいな。
大塚英志原作&森美夏著『八雲百景』5巻が出ていたので休憩中に行った駅前のTUTAYA三軒茶屋店で購入。『北神伝奇』『木島日記』に続く民俗学ロマンシリーズもこれで完結。『北神伝奇』では柳田國男、『木島日記』では折口信夫、この『八雲百景』では小泉八雲が狂言回しとして登場している。途中で出てくる女になりたいという少年の正体がわかるのだが、なるほどここでも三部作として伏線を、関わりを回収したのか。
『みずのあわ』もちょっとそんな感じにしたいという気持ちはある。大正アヴァンギャルド時代を生きて大成していく若者たちとそうならなかった者たちみたいなものたちをうまくやりたい。だから、田河水泡が狂言回し的なポジション。
10月5日日付が変わってからすぐにradikoで『空気階段の踊り場』の生放送を聴く。
「キング・オブ・コント2021」を空気階段が優勝したということもあり突然決まった生放送。放送の最後には鈴木もぐらさんが高校時代からずっとライブで追いかけ続けていた銀杏BOYZの峯田さんがスタジオにサプライズで登場して『エンジェルベイビー』を弾き語りした。泣いちゃうよ、泣いちゃったよね、空気階段と峯田さんのつながりもあるし、もういろんな思いや時間が重なって圧倒的に美しい空間が、そこにいる空気階段がうれしすぎて泣いているのが容易に想像できてしまって。峯田さんも「キング・オブ・コント」を家でイノマーさんと見てたよって言っていて。『「家、ついて行ってイイですか?」』でオナニーマシーンのボーカルでイノマーさんの最後は放送された。その時、峯田さんも何度か見舞いに最後のライブにも一緒に出ていた。もぐらもイノマーさんと一緒にステージに立ったこともあったし、この番組についてもラジオで熱く語っていた。なんということもなく、さりげなく「イノマーさんと見てたよ」と言う峯田さんのやさしさがその短い言葉に現れていた。
あとこういう時にはしっかりしてるように見える水川かたまりよりもパンクロック大好きだった鈴木もぐらが熱いコメントというか想いを語るというのが定番になっているので、そこで語ったあとに『エンジェルベイビー』を流そうとしたら(去年も「キング・オブ・コント」の際に同じくだりをやっていたのだが)、峯田さんが乱入してきてくれたわけで、そりゃあ、泣くよ。ほんとうに「キング・オブ・コント2021」優勝おめでとうございました。
画像はParaviの『激動の1日 〜キングオブコント2021の舞台裏に完全密着〜』(https://www.paravi.jp/watch/79277)のワンシーンより
銀杏BOYZ - エンジェルベイビー (Music Video)
銀座線に乗って銀座駅で下りてシャンテに久しぶりに行って、12本のオムニバス映画『DIVOC-12』を鑑賞。
『DIVOC-12』は、ソニー・ピクチャーズによる新型コロナウイルス感染症の影響を受けているクリエイター、制作スタッフ、俳優が継続的に創作活動に取り組めることを目的として製作されたオムニバス映画であると同時に、作り手各々の挑戦の記録。
藤井道人監督『名もなき一篇・アンナ』、志自岐希生監督『流民』、林田浩川監督『タイクーン』、廣賢一郎監督『ココ』、上田慎一郎監督『ユメミの半生』、ふくだみゆき監督『魔女のニーナ』、中元雄監督『死霊軍団 怒りのDIY』、エバンズ未夜子監督『あこがれマガジン』、三島有紀子監督『よろこびのうた Ode to Joy』、山嵜晋平監督『YEN』、齋藤栄美監督『海にそらごと』、加藤拓人監督『睡眠倶楽部のすすめ』。
出演者は横浜流星、松本穂香、小関裕太、富司純子、藤原季節、石橋静河、小野翔平、窪塚洋介、安藤ニコ、おーちゃん、清野菜名、高橋文哉、蒔田彩珠、中村守里、中村ゆり、髙田万作、笠松将、小川紗良、横田真悠、前田敦子といった豪華で多彩な出演陣。
12作品どれも違ってたのしめたのだが、『死霊軍団 怒りのDIY』はたのしくてバカバカしいから80分ぐらいになるといいよね。主演の清野菜名がアクションをやるのはいいなと改めて。『あこがれマガジン』は主演の小川紗良&横田真悠がすごくよかった。小川さんは四年前ぐらいに主演映画の関係でメルマ旬報忘年会に呼ばれて来た際にご挨拶した程度だけど、いまや役者&監督&作家だもんね。すごい才能だ。
『名もなき一篇・アンナ』はなんか僕らが昔観てた岩井監督の短編みたいな懐かしさを感じた。詩的な短篇という感じでこの尺だからこそ映える映像だと思う。『タイクーン』は途中から出てくる窪塚くんが存在としてズルいけど、世界観は一番好きな、短編だから説明や背景端折った強さがあった感じだった。『ココ』がいちばん真っ当にコロナに対して描いていたのも印象に残ったけど、笠松将は佇まいがいい。
帰ってから今月から「あだち充論」で取り上げる『クロスゲーム』を全部再読。リアルタイムでは連載がはじまって少ししか読んでいなかった。上京してからは週刊の「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」は立ち読みすらしなくなっていたから。
『クロスゲーム』はサンデーワイドコミックス版全9巻を購入していたのだが、何年か前に一度読んでからはなかなか読み返すことができていなかった。
改めて最初から最後まで読んだがあだち充作品において野球×ラブコメとしては最高峰なのではないだろうか。逆『タッチ』を描いてほしいと編集者の市原さんにあだちさんは言われたという話があるが、今までの要素もほとんど入ってるし、『MIX』は果たしてこの作品を越えれるのだろうか。
そして、7巻でまさかの製本ミスを発見。第108、109、110話の三話の辺りでなぜか第108話の扉が110話になっており、扉のあとには第108話になっているが数ページ進んだら途中から第110話になるという怖さ。とりあえず、「サンデーうぇぶり」でこの3話だけログインボーナスでもらったコインで読んで内容を確かめた。
朝渋谷に向かう途中に大森南朋さんとすれ違い、渋谷に帰ってあつお店で三池崇史監督を見かけた。ちょっとだけハードボイルドな日常だった。
10月6日
仕事終わってからニコラで「秋刀魚とフェンネルのラグー スパゲティーニ」とトスカーナ地方の白ワインをいただく。食事の話からシェフの曽根さんとソムリエのユカさんと話していたら、「情緒」か「情報」かという話になった。色気というものがあるかないかは「情緒」だし、いわゆるサブカル的な人は「情報」だから色気がある人が少ない。食と性というのは密接的な関わりがあり、色気のある書き手や表現者はそういうものが現れている。それはミシュランとか食べログで高評価の店を知っているという意味ではもちろんない。それはただの「情報」でしかない。だから、同じ「食」や「性」について書いていてもそこに醸し出されるものがまったく変わってくる。僕は「情報」の方なので色気とか「情緒」に欠けている。今からなんとかなるかと言われたら難しいだろう。でも、それを意識しているかいないかではかなり違ってくるはずだ。それはある種センスと呼ばれるものかもしれない。僕はそのセンスがないことを認識しながら、意識的にフェイクであっても醸し出させるようになれるだろうか。
10月7日
『ボクたちはみんな大人になれなかった』試写を京橋テアトルで鑑賞。原作の燃え殻さんにご招待してもらった。渋谷の大盛堂書店の書店員の山本さんも来られていた。大根仁監督も来ていて、一番前の席で観ていた。満席になっていたので椅子も数席出して増員していた。試写も本日ともう一日みたいだから駆け込みで増えたのかもしれない。
映画はNetflixでも配信されるし、同時に映画館でも公開される。
コロナが猛威を奮って夜の街から人がいなくなった現在から、主人公の佐藤誠(森山未來)の人生が逆再生的に展開されていく。原作小説とはその部分がかなり違うので、佐藤の人生を変えた「ブスな彼女」だった加藤(旧姓:小沢)かおり(伊藤沙莉)との出会いは後半になっている。小説には出てこない人物として現在の佐藤の恋人の石田恵(大島優子)がいるのだが、彼女とは2011年の震災時には付き合っていたという設定になっているが、現在においてふたりの関係はほぼ終わりかけている。
物語は時間が遡るので、佐藤が勤める会社の上司であり社長の三好英明(萩原聖人)と佐藤と同学年で一緒に会社に入った関口賢太(東出昌大)の三人も現在の時点において、大きくなった会社の社長、まだそこに勤めているが偉くなっている佐藤、すでに会社をやめて独立している関口が描かれて、そこに至る過程も描かれていくことになる。
佐藤がかおりと出会う前にエクレア工場で働いている時の同僚であり、のちに新宿でバーの店主となる七瀬俊彦(篠原篤)は物語の最初と最後に連なる存在であり、篠原さんは橋口亮輔監督『恋人たち』で非常にインパクトがあり覚えている俳優さんだったが、今作においては僕がいちばんシンパシーを感じる人物であり、それはなにものにもなれずに、周りの人たちや知り合いたちの人生はそれなりの変化が起きていて、取り残されているように感じているという存在だからだ。
この『ボクたちはみんな大人になれなかった』は90年代的なサブカルチャー的なものに慣れ親しんだ人たちは懐かしいものがたくさん出てくる。だが、それは記号であり、本質ではない。例えば、「ケンジ」と言えば、大槻ケンヂの人もいるし小沢健二の人もいる、僕の上世代はそうだ。僕は降谷建志だった。そういう違いはあっても、記号なのでわからなくはない。観ながらこの映画におけるそれらの記号が懐かしいのは団塊ジュニア世代の僕よりは何歳か上のお兄さんやお姉さんたちである。燃え殻さんもその世代だ。でも、燃え殻さんの小説を読んでいる時にはこの記号、「情報」はあるとしても「情緒」というか色気のようなものが感じられた。燃え殻さんの作品にあるのは「情緒」という色気やスキみたいなものなんじゃないだろうか。僕にはまるでないものだ。そして、この映画を観ている最中に何かが原作と比べて足りていないと思ったのだが、やはりそこなんだと思う。
かつての恋愛ということであれば、『花束みたいな恋をした』の舞台設定は僕よりも数歳下の世代であるし、あの作品で取り上げられたサブカルチャー的なもの、記号には馴染みがあるものもないものも半々ぐらいだったが、主人公の麦と絹は僕だと思えたし、二十代中頃で付き合った彼女とのことを思い出させた。麦と絹の人生の歩みは、僕が歩まなかった人生と歩んだ人生という形にも感じられた。
『花束みたいな恋をした』に情緒はあったのか、と言われるとどうだったろうと悩むが、でも、あの頃の僕らだったと思わされた。映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』は世代の違いはあるものの、僕の物語ではないし、強い共感は得なかった。そう考えれば、燃え殻さんの小説だってそうだ。しかし、映画には感じられなかった「情緒」や色気というものが僕を惹きつけた。
映像化の難しさは実はそういう部分なのかもしれない。濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』は原作にない要素をかなり入れて再構築しているし、原作の村上春樹作品への批評的な部分があるにも関わらず、村上春樹作品を読んだ時に感じるものが映画にはっきりと漂っていた。それは原作や村上春樹さんの核というか芯にあるものが映画にもあるからなんじゃないかと思う。
映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』は原作小説になかった要素や展開を作っているのだが、燃え殻さんの小説にあるものがあまり感じられなかった。もしかしたら、僕が感じられてないだけなのかもしれない。
今までルーティン化していた事柄がどんどん崩れ落ちていく。去年タロット占いに行った時に2020年プラスマイナス10年分、2015年から2025年まで「人生の棚卸し」というものをもらっていたのだが、2021年は「今まで習慣のように繰り返された「古いパターン」「習慣」を手放す年です。」と最初に書かれていた。まさしくな状況になりつつある。もう、周りに流されるまま他力本願で行くしかない。同時に今の自分が出来ることに集中するしかないのだろう。しっかし詳しいことは書けないけど占いがドンピシャで笑えてくる。
10月8日
仕事が終わってからパルコ渋谷まで歩いていく。金曜日の渋谷、緊急事態宣言があけた渋谷の街はいつもどおりだと思えるほどきちんと猥雑で人がたくさんいて、それがうれしかった。コロナの猛威が完全に終わったわけではないけど、こんなものだと思う。
ホワイトシネクイントで園子温監督『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』のチケットを発券したが、入場まで30分以上あったので暇つぶしに10Fの屋上の庭園みたいなとこに行って夜景でも観ようと思ったらすごく人がいてライブをやっていた。
検索してみると「アート、ファッション、音楽、フードなどあらゆるジャンルのフレッシュなクリエイターが参加するカルチャーの祭典〈P.O.N.D.〉は、昨年に引き続き渋谷PARCOで開催します。」「前身イベント「シブカル祭。」のフィロソフィー「あたらしい才能の発見と応援」を引き継ぎ、〈P.O.N.D.〉には「Parco Opens New Dimension」、常に“新しい次元を切り開いていくイベントでありたい”という想いが込められています。日頃からたくさんの人が往来する渋谷PARCOが、さらにカオスになる10日間。」というものらしく、ライブで歌っている女性は髪型からして水曜日のカンパネラだった。コムアイが脱退して二代目主演・歌唱担当として詩羽という人になったとニュースかなにかで読んだが、どうやら彼女らしい。燃え殻さんの朗読劇でコムアイを観たばかりだったので、初代と二代目の歌を続けざまで聴いた形になった。詩羽はなんとなくFKA Twigsっぽい雰囲気に感じられたけど、意識しているのかどうだろう。パリピというか若い世代のお客さんが楽しそうにノッていて酒を飲んで友達とかと話しているのを観れたのがよかった。こういうパーティーはどうしたって必要だ。
園子温監督『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』を鑑賞。
始まって一時間ぐらいで6人ぐらいの客のうち2人が出ていった。登場人物の誰一人感情移入できなかった。なにかがすべてチグハグだった。
園さんは脳梗塞で死にかけて、1分とか心臓が止まっていたという話をラジオで岡村靖幸さんとトークの中で言われていたが、死にかけて一度あちらに行ってこちらに戻ってきたのだから園さんは英雄神話構造みたいに王になるはずだと僕は思っている。
しかし、この映画はまだ再生できていない、まだあちら側の地獄にいるようだ。これでは園子温監督復活とは言えないと思いながら観ていた。「地獄でなぜ悪い」と言いたいけど、この地獄は良くない地獄だ。早くこちら側へ帰ってきてほしい。
いろんなものが破綻していて、その破綻が魅力に見えなかった。園作品をほぼ全部観ているという人以外には勧められないと思ったし、今園さん周りにいる人たちは園さんにきちんと本音や意見とか言えているのだろうか、プロデューサーもアメリカの人だろうけどうまくいっているようには感じられなかった。
ニコラス・ケイジのギャラが高すぎて、ほかのところが削られまくったのか。負の局面を乗り越えて、覆してきた園監督だけど、女性の登場人物にご自身を重ねるというか、女性をメインにすることで物語がどんどん展開していったという側面があったと思う。だが、今作では日米のヒロイン的な女性にはそれはたぶんない。
本来はメキシコで撮影という話が園さんが倒れたこともあり、日本での撮影をニコラス・ケイジやプロデューサーが提案したという。作中のマネキン姿の女性の顔についたお面のようなものを剥がしながらヒロインをニコラス・ケイジ演じるヒーローがひとりずつ顔を見て探していくというシーンがあり、その中のひとりとニコラス・ケイジは結婚したらしい。ニコラス・ケイジが日本、日本人女性好きというのは有名な話だが、メキシコじゃなくて日本での撮影にしたのは園さんのためでもあったかもしれないが、ニコラス・ケイジの個人的な趣向によったのではないかと邪推してしまう。つまり、この映画で唯一得をしたのはニコラス・ケイジだけだ。
12月の『エッシャー通りの赤いポスト』に期待したいし、この次の園さんが脚本を書かれてアメリカ本土で撮影するハリウッド映画で完全復活して次のフェーズに突入するのを待っている。
今作では血しぶきが飛び散るという描写がほぼなかった。僕は以前『地獄でなぜ悪い』が公開された時期に洋泉社のムックに寄稿した文章で園子温監督作品の「血」について書いていた。園監督の「血」とは「詩」であるというものだ。今作ではそれもなかった。ということは園監督はまだ詩人として息を吹き返していないのかもしれない。
園監督の欲望としての「血」。園監督の映画は血が凄いというのはよく言われている。では、なぜ園監督作品では他の作品よりも圧倒的に血が流れるのだろうか。園監督がスプラッター映画好きというのももちろんあるが、彼にとって血は詩と同じであると語っている。『自殺サークル』での女子高生が電車に轢かれたときの打ち上げ花火みたいに血が噴き出すのは詩的な比喩として演出されている。それは園監督にとっては「詩」であるからだ。
ヤクザの抗争のクライマックスでもこれでもかと血飛沫が舞っている。それはかつてジーパンを履いた朔太郎と呼ばれた園監督の詩的表現の乱舞に見える。血は人間が生きている間は体内閉じ込められている液体だ。詩は個人の思想や感情の表現として内部から外部へアウトプットされるものである。それが同じだと園監督は言う。
普通ならば血は人間の内部から吹き出すようなことはない。つまり血は事故や事件などに遭わない限りは肉体に閉じ込められている存在だ。それを解放するように、詩が書かれて朗読され個人という内部から外部(世界)へ放たれるように園監督は血を肉体から解放する。そこにはずっと描き続けている「血の繋がり」からの逃れることのできない家族という関係からの解放も含まれているのかもしれない。だから映画の中で血はこれでもかと流れ飛び散っていく。
10月9日
昨日歩いて帰った道を引き返すように渋谷に再び歩いて、タワーレコードと山手線を越えてヒューマントラストシネマ渋谷で『草の響き』を観に来た。
上映初日で斎藤久志監督と主演の東出昌大、出演した奈緒の三人の舞台挨拶がある回だった。ちょうどお昼からで観やすい時間帯だったし、チケットが取れたから。
『君は永遠にそいつらより若い』でも好演していた奈緒が東出昌大演じる工藤和雄の妻の純子を演じている。佐藤泰志の原作の短編小説では出てこなかった存在であり、短編を2時間近くの作品にするためには新しい要素を入れるしかない。それもあってか和雄と純子、そして和雄の同級生であり地元に残って教師をしている友人の大東駿介演じる佐久間研二との三人の関係はすごくよかったし、新しい要素として入っていて成功していると感じた。
主人公の和雄は東京で編集者などの仕事をしていたが、精神的にまいってしまい、妻と一緒に自身の故郷である北海道の函館に帰ってきて営業の仕事をしていたが、そこでも仕事が合わずに精神的に病んでしまった。病院を訪れた彼は医師から毎日走りなさいと言われて走るようになる。同時に函館に転校してきたスケボーに乗るのが上手な高校生と彼と友達になった男女の話も同時に展開されていくのだが、再生に向かっていたように見えた彼らは最後のところで崩れ落ちていき、高校生も友人になにも告げることなく消えてしまう。
佐藤泰志の原作小説になかったものが多く取り入れられている、舞台も八王子から彼の故郷の函館に変更されている。違うとも言えなくもないのだが、佐藤泰志風味は残されている。しかし、佐藤さん自身が最後は自殺してしまったようにこの作品はあまり精神状態が悪い時に観るのはオススメできない終わり方になっている。
10月10日
起きてから10時まで作業をして散歩がてら代官山蔦屋書店に行こうと思ったのだが、ふいにたまにはいつも行かない場所に行ってみようと下北沢にあるB&Bまで行ってみようと茶沢通りを下北方面に向かい、鎌倉通りを登っていって10時半ぐらいにB&Bがある一帯についた。雨が小ぶりになってきていたし、まだ早い時間だからか人はあまりいなかった。お店は11時開店みたいでまだ開いていなかった。残念。待っているのもどうしたものかと思って来た道を戻った。雨は強くなってきてかなり濡れた。三軒茶屋に戻ってからTUTAYA三軒茶屋店に寄って、西友で買い物をして家に戻った。雨はほとんど止んでいた。
前日に『草の響き』を観たのもあって、また佐藤泰志作品を読みたくなった。『海炭市叙景』を読もうと思ったのだが、買ったままの(収録されている小説は文庫で持っているので)『佐藤泰志作品集』の最初に収録されているからそちらを読もうと思った。
前から『ワインズバーグ・オハイオ』『海炭市叙景』『オリーヴ・キタリッジの生活』みたいな作品を書いてみたいと思っていたので、自分の地元である井原市と高校で通った隣の瀬戸内海に面した笠岡市を合体させて井笠市という架空の市を舞台に書こうかなと思ってスケジュールを考えたりしていた。
10月11日
ちくま新書からでている『まんが訳 稲生物怪録』を読んだ。前にも『まんが訳 酒呑童子絵巻』が出ていて読んでいるが、絵巻物をまんがのコマにしてセリフを入れていくというプロジェクト。今作では稲生平太郎という武家の子息が体験した怪異についての物語であるが、読み勧めていくとどんだけ稲生平太郎って奴は図太いのだと思えてきて、それもおもしろくなる。怪異気にしてないようにしか見えないから。
朝晩とリモートワーク。翌日が健康診断のため夜は食事ができないのはちょっとしんどい。リモートワーク中はYou Tubeで『菅田将暉のオールナイトニッポン』で松坂桃李がゲストで来た回をまとめたものを聴いていた。しかし、飾っていないこと自分が好きなのものを話すことで魅力が増すというのがよくわかる松坂桃李ゲストだなあと改めて思った。
10月12日
健康診断のために病院がある北参道まで歩いて行った。
朝起きて作業をしてから行こうと思っていたのだが、3時には目が覚めてしまったのでそのまま起きて作業して6時半には家を出た。病院までは1時間少しとアプリが教えてくれたので早く着くけど仕方ない、寝落ちするよりはマシだと思って。僕が予約したのは朝一の8時20分からだったが、北参道には7時40分には着いてしまい、さすがに早すぎたの周りをうろちょろして時間を潰して8時に病院の4階の受付に行ったらスタッフすら誰もいなかったので待合室にある椅子に座って待っていたら10分前にスタッフの女性が現れて、健診表と尿検査と検便のものを渡した。胃の検査のバリウムもあったのでそれだけ実費で支払い、着替えて一通り検査をした。バリウムがいつもよりもしんどかった。なんでだろう。終わったら口元から白い液が漏れていた。
最初に待っていたせいかいろんなものが最初に呼ばれていく流れになり、途中待ち時間がかなりあるだろうと思って持ってきていた読みかけだった榎本憲男著『エージェント-巡査長 真行寺弘道』を開くと名前を呼ばれるみたいな感じだった。最後の方は時間の調整もあるか、身体測定とか待つ人が多い場所に行ったので時間ができたので読む時間も取れて終わる前には読み終えることになった。「真行寺」シリーズの第四作は経済についての話になっており、なぜ国は税品を払わせたいのかという話もおもしろかったし、ビットコインなどこれから主流になっていくであろう新しい金銭の支払いでなにかがイニシアチブを取るかでその国の経済や他国との付き合いが変ってしまうか、あるいは従属させられるかというのも興味深かった。
終わるのは12時過ぎるかと思っていたが一番乗りだったせいもあって、11時少しには健康診断が全部終わってしまった。
朝家を出る時に昼過ぎにはなるだろうと思って、バルサンを焚いていたのですぐに帰ってもなんだなと思って、これから観れる映画を検索するとTOHOシネマズ渋谷で木村拓哉主演『マスカレード・ナイト』が間に合う時間だったので副都心線で渋谷駅まで出て劇場に向かった。やはり、というかキムタク主演だからか平日の午前中といえお客さんのほとんどが女性であり、そのほとんどが女性の二人連れだった。予告編が始まる前で高いキーのおしゃべりがいろんなところから聞こえた。うーむ、すごくうざったけど、文句を言える筋合いではないから微妙な気分。
映画は前作も劇場で観ているが、不思議とこのシリーズの長澤まさみはまったく魅力的に感じない。キムタクを観る作品なのはわかっているのだが。犯人があの人だったのはそこまで意外性はないのはキャスティングの時点でいかにもな人を排除していき、多少の意外性を考えるとその人しかいない。つまり、最後に木村拓哉と向き合って画になり、尚且つ向きあえるぐらいには有名で演技力がある俳優ということになるので、メンツを見るとほぼわかる。沢村一樹はいい意味ですごくかませ犬感を出していた。犯人を演じた俳優さんの役どころというか設定が「ううん、これは大丈夫か?」と思ったのだけど、いろんな意味でリアリティが薄かったけど、世間的にはいいのだろうか。
10月13日
昨日四作目を読み終えてしまったので、そのままシリーズ五作目『インフォデミック』を読んだ。コロナになってからほぼリアルタイムで書かれているのがすごい。この榎本さん書くスピードがとんでもなく早いんじゃないだろうか。
このシリーズの主人公の真行寺がオーディオマニアで音楽好きという設定もあってか、今作ではコロナが蔓延し、自粛警察があふれ出た時期に音楽フェスをやろうとしたミュージシャンの話になっている。しかし、これまでの4作品に出てきた人物たちが絡み合っていく話にもなっているのでシリーズで読んできたものとしてはひとつの終焉のほうにも感じられる。だが、実際のミュージシャンをモデルにした登場人物たちはそのままの名前は使えないのでなんとなくその人だとわかるような名前に変えられているので、そこがなんかくすぐったいというか違和感があったりする。四作目のほうが個人的にはおもしろかった。
10月14日
仕事を一時間早く上がらせてもらって、渋谷で副都心線に乗って池袋に。地下通路で2b出口直通の東京芸術劇場へ。「東京芸術祭2021」参加のロロ『Every Body feat. フランケンシュタイン』を鑑賞。
古今東西のポップカルチャーをサンプリングし、「ボーイ・ミーツ・ガール=出会い」の物語世界を立ち上げる劇団ロロ。高校演劇活性化を目指した『いつ高』(2015〜)シリーズなど、若者たちの賑やかな喧騒、瑞々しい心模様を描いてきた彼らが、メアリー・シェリーのゴシック小説『フランケンシュタイン』を大胆に翻案、シリアスな新境地に臨む。 死者のパッチワークから生み出された怪物は「悪しき存在」だったのか。創造主・フランケンシュタイン博士の罪、皮膚のつなぎ目が露呈する死者と生者の曖昧さに迫るロロ版『フランケンシュタイン』。そこに息づく「怪物」の正体とは──。
「ボーイ・ミーツ・ガール」をポップに描き続けてきたロロ。脚本・演出の三浦直之さんもテレビドラマの脚本や映画『サマーフィルムにのって』などでも注目されているし、今作には出演していないが朝ドラ『なつぞら』の番長役でお茶の間にも知られるようになった板橋駿谷さんなど、劇団の知名度だけではなく個々の活躍も広がってきた。
今年の6月に上演した「いつ高シリーズ」もひとつの区切りをつけた。鑑賞した後にロロの青春が終わったのだと僕は思った。劇団メンバーも三十代になっており、青春を描き続けた彼らも次のステップやフェーズに入る時期でもあるのだろう。
『Every Body feat. フランケンシュタイン』は以前までのロロのイメージで観に行くとかなり異なる印象だと思う。ポップさよりもシリアスさやある種の破壊や混沌を今までのフォーマットを使いながらも融合させていこうとする試みのように見えた。
フランケンシュタイン自体がいろんな人間の身体をつなぎ合わせたパッチワークであり、今作にもそのつなぎ合わせるということが大きな軸となっている。時間や場面が幾度となく変わっていく。その意味では物語がどう展開しているのか繋がれているのかはっきりはわからなかった。しかし、それもつながれてひとつの物語になっていく。
今までだとロロを観終わったあとのポップでエモいと感じられる気持ちとは違う気持ちになる作品だった。過渡期という言い方が合っているのかわからないが、メタモルフォーゼしている最中の姿を見せてもらったような気がする。
I.W.G.P.こと池袋ウエストゲートパークは黄色いテープで囲まれて入れないものの、その周りには数人ずつの友人知人たちが片手に缶ビールを持って雑談していた。ロロを観に来ていた友人Kと僕もコンビニで酒を買って飲みながら舞台の感想や最近の出来事について話をした。その後、副都心線に乗ったが、彼の自宅が中目黒駅方面だったのでそこまで一緒に乗って、また下りてから中目黒駅付近で酒を買って互いの創作の話やほとんどこの二人でしか話せないことを酔っ払いながら話をした。
彼からのアドバイスで文章において書きすぎるので、普段使わない筋肉を使ったらということで「短歌」をやるのと、ちょっとやってみたいなと最近思った20分ぐらいの短い短編映画というか動画を来年取ろうと決めた。
短歌ってどうやって書くんだっけなと思いつつ、歩いて変えるには気持ちよく酔っ払っていたのでタクって帰った。起きたら軽い二日酔いだった。
10月15日
昨日も乗った副都心線で新宿三丁目駅まで。紀伊國屋書店本店を覗こうと思ったら、一階エリアが改装中で、二階から上の部分が改装しつつも前とは違うエリアというか、ジャンルになっていた。二階には文庫本は残っていたが、単行本などの書籍は四階に移っていた。
その後、TOHOシネマズ新宿に向かったがちょうどお昼になったので途中の「いわもとQ」で鶏天そばの盛りを食べた。やっぱりここの天ぷらは美味しいし、そばも普段そばを食べないけど、ここのは美味しく感じる。これで500円しないというのもすごい。
本日公開のおたのしみだったドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『DUNE/デューン 砂の惑星』をIMAXで鑑賞。予告編を見ている限りでは大画面で観ないダメだなと思える感じだったこともあるし、渋谷にはIMAXないし、六本木は4DXだったため新宿へ。13時の回だったがほぼ満席になっていた。さすがの期待値というか、SF小説としても有名で何度も映像化されている。ホドロフスキー監督で実写映画化が予定されたが、それは頓挫されている。しかし、その時の美術や造形などはのちのハリウッド大作に活かされているというのを前になにかで観た気がする。
ど真ん中のSFサーガというか英雄神話の話だった。序破急という意味では今作「Part1」はまさに「序」であり、ここから物語が本格に動き出すというところで終わっている。もともと小説も文庫で三冊あるのだし、今作だけで終わるわけないんだけど。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレードランナー2049』がかなり好きだった。あれも英雄神話構造っぽいけど、実は主人公は世界を救う英雄ではなかったという結構衝撃のある終わり方だったりして、あのドライさが好きだったりする。『メッセージ』は劇場で観たけど爆睡したからあんまり覚えていない。
『DUNE』の続編というか「Part2」は来年には公開してほしいものだけど、どういう公開プランになっているんだろうか。
10月16日
起きて作業をしてから散歩がてら代官山蔦屋書店に向う。目的は資生堂の企業文化誌『花椿』の最新号(無料)だった。
コロナが蔓延する前に渋谷のオフィスに出社していた際には、近くにあった青山ブックセンター本店でもらっていたのだが、リモートワークになってからは近くだと代官山蔦屋書店ぐらいしか置いていない感じだった。さすがの資生堂というかこれを無料で配れる企業体力もだし、特集だけでなくファッションもカルチャーの扱いもカッコいい。麗しいというべきか。ちょっとここで文章書けたらかなりすごいんじゃないかなと思う。レベルがだいぶ上ったりするのもあるし、時代的なセンスがあったり最先端にいなければ無理だろうなと思ったりする。
いつも小冊子みたいな薄い文庫本が小さな袋に入っているのだが、今回はポストカードが三枚。それぞれのQRコードがついていて、そこからウェブサイトに行くと三枚のカードに書かれているミュージシャンの音源が聴くことができる。参加アーティストは「上原菜々恵」「冥丁」「UNKNOWN ME」というセレクトもいい。「冥丁」は最近環ROYのリミックスをやっていて名前を知ったばかりだった。
ただで『花椿』をもらうのはやはり後ろめたいので特集コーナーにあった「村上春樹」作品セレクトの中から、名前は知っているけど今までなぜか手にとっていなかった『回転木馬のデッド・ヒート』を購入した。
実はお店に行く時に西郷橋のところでロケをしていて、欄干にもたれるようにしている男女がいた。出演者の俳優さんなのだろう、顔はよくわからなかったが、男性の方は長身ですっきりとした顔だったので坂口健太郎じゃないかなと思ったが、女性の方は顔が見れなかった。
坂口健太郎というとTVerで予告とか見る新しいドラマが始まるからそれなのかなって思ったのだが、帰りにもまだ撮影をしていて通る時に女性の顔が見えたのだが、おそらくだが広瀬アリスだった。坂口主演ドラマを検索して出演者を見てみたが、広瀬アリスの名前はないので、そのドラマではないだろう。窪田正孝主演『ラジエーションハウスⅡ』という作品に広瀬アリスが主演しているみたいだからそちらのほうかもしれない。西郷橋のところは雑誌のモデルさんの撮影とかドラマや映画の撮影をよくしているが、場所柄芸能人がいても野次馬になる感じでもないってのがあるんだろうか。
10月17日
昼ごはんを食べてから『佐藤泰志作品集』に収録されている『海炭市叙景』の続きを読んだ。この光や虹色という使い方による心象風景と少年の中に芽生え始めた性への渇望と戸惑いのようなものがうまく絡み合っていて、読んでいるとすごく印象に残る。
『きみの鳥はうたえる』などもこんな風に深いところに降りてくるような描写があったと記憶している。この作品集をゆっくり少しずつ読んでいけば、また以前読んだ作品も再読し、なにかを再発見できるのだろうとうれしくなる。
ひとりになるとアパートは急に静まり返った、隣の物音もしない。女の人は夜の勤めだというし、昨夜は二時頃から例のことがはじまった。いつもどおり、近所のことなんかはばからない声をあげ続け、僕にはそれが何時間にも思えた。でも厭な声ではなかった。かえってあけっぴろげで、自分たちの時間をめいっぱいの快楽で満ちたような充実した声だった。僕は蒲団の中で、その声が終るまで耳を傾け続け、ふたりの身体がどんなふうにからみあったり、離れたりするのか、頭の中で思い描いた。そうすると、僕の皮膚は火照って、耳は敏感になってしまい、自分のペニスをそっと握りしめたりした。ペニスは温かくて血が脈打ったようになり、でもそのうちうとうと眠ってしまった。ふたりだけの愉しみの残りが、今、隣の部屋にまだ残っている。そして、ふたりはその底で眠っているのだろう。僕は女の人とは一度顔をあわせたことがあるが、その時、にっこりと僕に笑いかけたものだ。化粧もしていなかったし、小柄なただの三十近い女の人だった。男の人には会ったことがない。
まだ、僕は性を知らない。いつかその場に出会うことだけがわかっている。遠い未来のような気がする。でもその時僕は、深夜隣室から響いてくるあんな喜びの声を、自分のものにすることができるだろうか。
そう思った時、一瞬、僕の胸深くに、亀裂のような虹色の光が、走り抜けるのを強く感じた。住み馴れた仙法志の町の小さな自宅から、この街に来た後、時々はっと感じる光だ。どこからどこへ走り抜けるのか、自分でもわからない。父も母も今の学校の先生にも話したことはない。心が疼き、ペニスが熱くなった。隣りの女の人も深夜、これに近い一瞬の輝きのようなものが身体を走り抜けるのかもしれないと、想像してみた。虹色の感覚がよぎると、周囲が真新しいものに見える。でもそれは一瞬だ。
『海炭市叙景』「一滴のあこがれ」より
矢野さんは古川さんの『ドッグマザー』単行本刊行時のイベントの時にご挨拶させてもらったのが最初にお会いしたときだが、それ以来お会いしていないと思うけど、ずっと『新潮』編集長として文芸誌を牽引されてきているのがほんとうにすごい。
ただ、長年ずっと編集長をされているし年齢的にもそろそろ編集長を辞められても不思議ではない。矢野さんじゃなくなる『新潮』ってどういうものになるのか想像できないほど、しっかりブランドを守りながらも時代に合わせて刷新されてきたのだと思う。
来年のおたのしみ。
10月18日
朝起きてすぐにいつもより寒いと感じた。気温も上がらないので洗濯物を干しても今までのようにすぐには乾かなくなっていくだろうなと思う。洗濯物をできるだけためずにすぐに処理しておこうと決めた。
朝晩とリモートワークだったが、朝早く起きた時間と休憩時間などを使ってようやく「あだち充論」の『クロスゲーム』第一回の原稿を仕上げる。
現在『ゲッサン』で連載中の『MIX』があだち充の集大成になるのだろうが、その前に「週刊少年サンデー」で週刊連載していた最後の漫画となっている『クロスゲーム』のほうが今のところは集大成的な要素が全体にあると思える。コミックスでも17巻までで連載は約6年とコンパクトにまとまっている。
主人公の樹多村光(コウ)の幼馴染だった月島若葉が小学5年生の時にキャンプに行った際に下級生を助けようとして溺死しているが、彼女がそのまま育っていたらとみんなが思うほど似ている滝川あかねというキャラクターが高校2年になって登場する。彼女をコウも含めて月島家や小学校の同級生だった人たちは、「幽霊」だと思うのだが、そこでの「幽霊」という存在は僕が「平成」という時代に感じていたものであったりするので、ちょっと掘り下げたいなと思ったりしている。
10月19日
寝る前に村上春樹著『回転木馬のデッド・ヒート』を読み終わった。収録されている作品の一部は『象の消滅 短篇選集 1980-1991』『めくらやなぎと眠る女』にも収録されているものがあったので、どこか懐かしい気持ちになった。村上氏はこの『回転木馬のデッド・ヒート』冒頭でこれに収録されている作品は小説ではないとことわりを入れている。人から聞いた不思議な話をその人達とはわからないように修正はしているが、そのまま書き出したものだと言っている。これが本当か嘘かなのかはわりとどうでもいいのだろう、読んで読者になにかひっかかってしまうものがあれば、それでいいのだから。
『野球場』は他の短編集には収録されていないはずなのだが、どこかで読んだような気がした。友人のイラストレーターの彼の友人知人の奥さんや恋人と寝るのが趣味というか癖になっている人の話は『めくらやなぎと眠る女』で一度読んでいるのだが、やはり嘔吐と家にかかってくる謎の電話のモチーフは村上春樹長編小説の一部というか、モービル的な気がする。不穏さというのは村上春樹作品に感じられるものであるが、それが現実世界と共鳴したことで世界的な作家になったということはあるのではないかなと思ったりする。『雨やどり』は「セックスが山火事みたいに無料だった」ころの話。ある女性のつかの間の休息の日々に起きた話で、セックスがなんだか身体性を伴っていないというかお金になるというのと同じで記号的な扱いみたいで、バブルとかかつてはそういう記号性が著しく高くなった時代があったのかもしれない。
というわけで起きたら10時だった。9時から歯医者の予約をしていたので、まずは歯医者に電話をして謝った。歯科医の先生が電話に出たので寝過ごしたこととわびをいれて、本日は空いている時間はあるかと聞いたら夜のみしか空いていなかったので、スケジュールを見て再度予約しますと言って電話を切った。
もともとは歯医者が終わったら渋谷に出て、岡田准一主演『燃えよ剣』を観ようと考えていて、すでにチケットは取っていた。火曜日はシネマイレージデイなので1200円で鑑賞できるから。
平日だけど、僕と同じ用にシネマイレージデイということもあるのか、そこそこお客さんは入っていた。岡田くん山田涼介とジャニーズが出ているというのもあってか女性客が多かった。僕の席の一つあけた左隣におじいちゃんと孫(少年)が座っていたのだが、性行為などのシーンで女性の裸が何度か出てくる(わかりやすくはなく、乳房が出るぐらいだから小学低学年ぐらいだろうから何かはわからんだろう)とこはいいけど、血飛沫飛びまくって人死にまくるけど、保護者が一緒だったら観れたんだろうか。あと土方歳三が過去を回顧しながら語っている感じで新選組が誕生した経緯なんかを説明していくけど、あれは大人でもなかなかわからない人はわからないぞとは思った。
僕も正直なところ今まで新選組に興味がなかったから知らなかったけど、会津藩預かりで新選組は生まれているんだが、時の政権によって会津藩は振り回されていたのがよくわかる。そして、それが零戦を配置していた基地が置かれ、のちにそこが原発になったという歴史もその後にあるのだから、会津藩もとい福島県はペリー来航以降の明治維新に向かっていくという大きな出来事以降、近代になってもずっと中央集権にひどい目にあっていると思えた。
もちろん、原発を誘致した際に町が発展し潤ったというのはあるとしても、去年古川さんの『ゼロエフ』の取材で福島県を歩いていたから、余計にそんなことを思って観てしまった。ただ、原作が司馬遼太郎なので、司馬遼太郎史観と言われるように彼が描いた小説をそのまま史実と取られるのも違うのだろうけど、坂本龍馬の英雄視とか、でも、尊皇攘夷が叫ばれた幕末に会津藩と新選組は歴史に翻弄されたのは間違いないのだろう。
岡田准一という存在がなかれば、映像化はできなかっただろうし、鈴木亮平演じた近藤勇もいい味だったが、藤堂平助を演じたはんにゃの金田、スパイ的な役割を果たした山崎丞を演じたウーマンラッシュアワーの村本が共にいい味で印象に残った。あとは斎藤一演じている役者の顔がすごく面構えだなって思ったんだが、松下洸平という最近名前を何度か目にするようになった役者さんだった。斎藤一は会津藩との関わりものちにあったし、警視庁に採用されたりする人で新選組の中で生き延びた人のひとりにはなるんだよね。
新選組の中でもそれぞれの思惑や願望があって、それがいつしか亀裂を生んでしまう。組の中でも土方のある種厳粛な掟に逆らえば、殺されたりしていく。組織っていうものの恐ろしさでもあるし、小さなコミュニティの中では誰が誰と仲がいいか、外とどのように繋がっているか、どこまで許せる関係性なのか、利害は通じているのか、その辺りは規模が大きくなればどうしても一筋縄ではいかなくなってしまう。近藤や土方という多摩のバラガキたちの夢が幕末に花開いたように見えたが、大きな歴史の波に飲み込まれていった。いや、変革期にほかの人達同様に歴史という大河の中で戦いながら、剣と共に死ぬしかなかった人たちだったという気はする。
『燃えよ剣』を観たあとにはウェス・アンダーソン監督最新作『フレンチ・ディスパッチ』試写を虎ノ門にあるオズワルドシアターに行く予定だったが、映画終わってから約2時間空いた16時からだったので、渋谷から虎ノ門は歩いても1時間20分以内だったので歩くことにしていた。スクランブル交差点前の大盛堂書店に寄って、水道橋博士著『藝人春秋Diary』サイン本を購入。那須川天心の回のとこで自分の名前が出てきているけど、「平家物語」に関することだったりする。あと僕の地元の井原市は那須与一が扇の的を射て褒美としてもらった領地のひとつである。そのため、昔から那須与一には親近感がちょっとだけあった。
渋谷駅から宮益坂を上って、青山学院大学前の246をまっすぐに青山方面に向かって、途中骨董通りで曲がっていく。地図アプリを見ながらだったが、骨董通り沿いの途中のカフェで藤原ヒロシが数名でお茶をしているのが目に入った。藤原ヒロシを初めて見た。そのまま六本木ヒルズまえを通過して、東京タワーを時折見ながら神谷町方面から虎ノ門ヒルズに向かった。ほんとうに普段来ない場所なので馴染みがなさすぎて新鮮だった。問題は試写をやるはずのオズワルドシアターが全然見つからなかった。あとはわかりにくい、虎ノ門ヒルズ近くをぐるぐる回ってしまった。
オズワルドシアターはディズニー系らしくて、いつも行くような試写とは違って警備員さんがちゃんといて、スクリーンのある部屋に入る前に荷物チェックされるし、スマホも目の前で電源を切ったのを見せて、それを渡すとスマホが入るぐらいの封筒に入れて糊付け部分にあるシールを剥がして封をして返してくれる。つまりシアター内ではスマホは一切使えないということになる。すげえ、ちゃんとしてるなあって思った。で、映画が始まってもその警備員さん中にいてスマホだったり飲食しないようにチェックしてた。セキュリティちゃんとしてるなあと感心した。
ウェス・アンダーソン監督の記念すべき第10作目を飾る最新作 20世紀フランスの架空の街にある米国新聞社の支局で活躍する、一癖も二癖もある才能豊かな編集者たちの物語。 ストーリーは三部構成で展開し、画面のいたるところにはウェス・アンダーソンらしいユニークな演出が散りばめられています。
■監督・脚本:ウェス・アンダーソン
■キャスト:ベニチオ・デル・トロ、エイドリアン・ブロディ、ティルダ・スウィントン、レア・セドゥ、フランシス・マクドーマンド、ティモシー・シャラメ、リナ・クードリ、ジェフリー・ライト、マチュー・アマルリック、スティーブン・パーク、ビル・マーレイ、オーウェン・ウィルソン、クリストフ・ヴァルツ、エドワード・ノートン、ジェイソン・シュワルツマン、アンジェリカ・ヒューストンほか
いつもどおりパット見はポップでオシャレなウェス・アンダーソン監督作品なのだが、その裏にはいろんなメッセージやメタファーやアイロニーが巧妙に仕掛けられているなと感じるのだが、こういう時には英語や他の言語のネイティブでなければ深いところではわからないというもどかしさも感じる。
映像だけではなく登場人物たちが雄弁に話していくので情報力がとんでもなくある&字幕を見るという行為も追加で入ってくるので処理が追いつかない。
故にウェス・アンダーソン監督がこの映画でやろうとしていることを一見でわからないなとは感じた。しかし、過剰であるのにデザインなどによって抑制されポップさと鮮烈さも同時に描写されていくのは、もうウェス・アンダーソン節としか言いようがない唯一無二のものだ。
そして、キャステングがエグすぎる、なんだこの豪華すぎるメンツは。
つい先日『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観ていたからそこで前作に引き続いてボンドガールを演じたレア・セドゥもいるし、『DUNE』の主人公のティモシー・シャラメも学生運動をしている学生として『DUNE』とは全く違う雰囲気でいい、そして、アカデミー俳優フランシス・マクドーマンドもいるし、もちろんウェス・アンダーソン作品の常連たちもたくさんいる。
一回ではあまりにも映像を追うので精一杯だったので劇場公開されたらもう一回は観に行かなくてはと思った。しかし、こういう作品を作れる才能があって、それをきちんと具現化して世界中にファンがいるというのはすごいことだ。日本だとやっぱりウェス・アンダーソンみたいな人はいないと思う。
10月20日
朝イチからエブリスタの親会社になった新しい会社の人たちとZOOMで打ち合わせ。今後のことなどを聞かせてもらう。個人的に今年は流れに身を任すことにしているので、流れに逆らわずに流されるつもり。
休憩中に駅前まで行って、舞城王太郎最新刊『畏れ入谷の彼女の柘榴』が出ていたので購入。三年前に単行本で出て、今年文庫版が出ている『私はあなたの瞳の林檎』『されど私の可愛い檸檬』と同じイラストレーターさんが描いたイラストを使って、シリーズ的になっているもので、この装丁ラインはとてもいい。
舞城さんもデビュー20年。メフィスト賞デビュー作家の中でも覆面作家で顔を出していないので実際はどんな人なのかわからないが、いち作家いちジャンルを謳うメフィスト賞を体現するひとりであるのは間違いない。
10月21日
新国立美術館で開催中の「庵野秀明展」の日時指定券を事前に購入していたので、10時の時間帯の入場指定だったので10時に着くように8時半過ぎに家を出た。もちろん徒歩で向かった。地図を見たら六本木ヒルズよりちょっと北にあるというのがわかったし、その距離なら1時間ぐらいなものだからちょうどいい運動になる。地図アプリを見ながら行ったので、根津美術館やブルーノート東京辺りを通ったりして、途中で青山霊園の中に入って抜けていくような場所があったりした。歩いていてなんとなく青山の普段行かない場所と知っている場所の一部がまた重なったのであの辺りも縁がないけど場所のイメージが前よりもできるようになったと思う。
10時少し前に新国立美術館について「庵野秀明展」の10時入場の列には100人近く並んでいたけど、10時になって開場が始まって10分もしないうちには中に入れた。すぐに奥さんである安野モヨコさんの庵野さんの絵が飾られていた。いろいろエリアごとに文言はあるのだけど、それはエヴァっぽい自体やスタイルになっているのだけど、会場で見たほうがいい。
庵野秀明という創作者の始まりとして実家にあった両親が仕事で使っていたミシンが最初の方に置かれていた。メカというものとして最初に庵野さんの身近にあったものなのだろう。そして、幼少期に影響を受けた特撮やアニメ作品など、円谷プロなどから借りて展示されている特撮マニアなら大好きなものが展示されている。そして、庵野少年が最初に撮った作品や絵コンテや美術部の時に描いていた油絵などもあった。
そして、大阪芸大時代の有名な庵野さんがウルトラマンを演じた作品や『風の谷のナウシカ』の巨神兵などの参加していた作品の絵コンテや映像、そこから仲間たちと作って世に出ることになったGAINAXとそこで作った作品たち。エヴァンゲリオンと実写作品たち、最後にはこれから公開される『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』のコーナーがあって展示は終わる。
出口前で庵野秀明グッズをちょっとだけ購入した。新国立美術館は乃木坂駅と直結なのかすぐなのだが、また歩いて青山方面に向かって歩き、青山霊園を過ぎて表参道方面に北上していつも歩いている渋谷方面に。結局家に帰った時にスマホのNIKEアプリで距離を見たら18キロ歩いていた。
夕方からニコラに行って久しぶりのビールにサルシッチャとラウドのクロスティーニをいただく。久しぶりにニコラのお二人とかなり話せたのもよかった。
10月22日
仕事の関連でアガサ・クリスティーの代表作のひとつである『そして誰もいなくなった』を読み始めた。なんとなくオチは聞いたことがある、知っているのではあるが、ミステリー小説の中でもベストの上位に来るほどの名作であるので一度きちんと読んでみたいと思っていた。
よくよく考えるとウェブサイト「monokaki」が2018年にローンチした日にスタッフとして参加して働き始めたのだが、当時関わっていたメンバーは全員転職して「エブリスタ」からはいなくなっており、一応僕だけが残っている。僕もやめればタイトルどおり「そして誰もいなくなった」状態になるのだが、親会社が変わったのでサイトの運営方針なども変わるかもしれないが、どっちにしろ今の所最後の人であるので後片付けをするか、引き継ぎをしないといけない状態だったりする。そう思うとなかなか皮肉なタイトルだなと感じる。
10月23日
起きて作業をしてから散歩に。家を出る前に今日は天気っぽいので洗濯機をまわしていく。代官山蔦屋書店で「ことばと」vol.4出てないかなと思ったけど、まだだった。以前に『複眼人』を読んでいた台湾の作家・呉明益の新刊『雨の島』というのが出ていて、装丁もよさげだったので購入した。最初の『歩道橋の魔術師』から読めよ、とは思うのだが、日本で訳されて出ている『複眼人』や『雨の島』はなんかマジックリアリズム系の長篇なのでつい手に取ってしまう。
歩いて来た道を戻って、家に着いたので選択が終わっていた洗濯物を干してから、期日前投票しちゃおうと思って、家に届いていた投票所入場券を持って近くの投票所に行ったら、期日前投票は23日(日)からだった。そっか、明日からか、仕方ない。明日起きたら期日前投票しに行こう。自民公明維新を除いていけば、もう選択肢は決まっているし、比例もそれらを補完しないところで、今回いろんな選挙区で候補を減らすことで野党共闘にかけようとしたとこに入れるというのは決めている。
【転生チートでぶち壊す異世界ドラフトライフ】綾羽光陰×担当編集対談
友人の編集者の鈴木隆介とボードゲームクリエイターの綾羽光陰さんの対談というかインタビュー。どういう経緯で綾羽さんがゲームクリエイターズラボ第一期生に応募したのか、選出されてそこからどう編集である隆介くんと作品を作り上げていったのかがよくわかる流れにまとめられているので非常にわかりやすい。
ゲームのシステムを考えることや、なにかとなにかを組み合わせることで効率化したり、システムのバグを発見してしまう話はおもしろい。
今月はこの曲でおわかれです。
灰色ロジック - see the sea (Official Video)
Park Hye Jin - Let’s Sing Let’s Dance (Official Video)