Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年7月24日〜8月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、2021年5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年08月掲載 短編小説『東京』(後半)


先月の日記(6月24日から7月23日分)


7月24日
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呉明益著『複眼人』を読み始める。わりと長い作品なので一日一章ずつぐらい読み始めていこうかなと思って、まず第一章を読み終えた。
ある島の様子が描かれ、そこで主人公のアトレは次男坊であるため、容姿端麗で魅力的だが長男でないために島にはいられない。この島では次男以降はある種の島送り的に舟に乗って外界へ旅立たなければならない。これはある意味で通過儀礼にも見えるが、姥捨山的なものに見える。どことなく古川日出男著『サウンドトラック』のことが思い浮かんだ。

LOFT9 SHIBUYAで開催の宇野維正×柴那典「緊急イベント 強行開催東京オリンピックと2021年音楽シーン」のチケットを取っていたが、「東京オリンピック」についてできる限り映像を見たりしない、ニュースも見ないようにしないようにしようと決めたのでイベントには行かないことにした。


7月25日
f:id:likeaswimmingangel:20210822074656j:plain岩井俊二著『零の晩夏』を読み終わった。
「モデルが例外なく死に至るという“死神”の異名を持つ謎の絵師ナユタ。その作品の裏側にある禁断の世界とは。渾身の美術ミステリー」という作品紹介はほぼ合っていた。
ここからネタバレをするが、岩井作品で言えば、『ラブレター』の舞台となった北海道も出てきたりするのもあるのだが、「ナユタ」の正体に関しても『ラブレター』的な要素があるようにも感じられた。
『ラブレター』では中山美穂がひとり二役を演じていた。その系統にある『ラストレター』では広瀬すずと森七菜の二人がかつての母親たち姉妹であり、現在のいとこを演じることで、終盤の主人公の小説家の福山雅治とすれ違う際に、演劇的な時間軸が交差する表現を可能にしていた。
「ナユタ」はある人物が二役ではないが、AとBのふたりで「ナユタ」だったという正体明かしが出てくる。その設定が『ラブレター』『ラストレター』に通じるものを感じた。なんとなくだが映画にしたら二時間半以上ありそうだし、ネトフリとかで一話40分程度の長さで八話ぐらいでやったらちょうどいい気がする。
個人的な希望としては『ウォーレスの人魚』を海外資本とかでぜひ映像化してほしんだけどなあ。

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『17歳の瞳に映る世界』をシネクイントで鑑賞。じつは先週の22日木曜日に観に行こうと思っていたが、その前日に2回目のワクチン接種をしていて起きたら38度ぐらいだったので、映画館に行っても検温でアウトだと思ってやめていた。というわけで気持ち的にはリベンジという感じも。
「友達も少なく、目立たない17歳の高校生のオータムは、ある日妊娠していたことを知る。彼女の住むペンシルベニアでは未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。同じスーパーでアルバイトをしている親友でもある従妹のスカイラーは、オータムの異変に気付き、金を工面して、ふたりで中絶に両親の同意が必要ないニューヨークに向かう。」
非常に淡々と進む。オータムに子供の父親のことも詳しいことをスカイラーは聞かない。聞かないがそばにいて、ずっと一緒に行動をしていく。その強い信頼感と一緒にいるという行為が素晴らしい。この映画における中絶を巡る問題は日本とアメリカの違いもあるが、アメリカは州によっても中絶ができるできないなど差があるということ、また南部などの農村部に多いキリスト教福音派の存在がわかっているかどうかということもある。彼らは聖書に書かれていることがすべてなので中絶などは認めないという社会的な背景がある。オータムたちが住むペンシルベニアでは両親の同意がいるが、彼女が診察を受けた病院では生むことが前提になっているため、彼女に渡されたパンフレットは養子縁組や生んだあとの支援などになっているのはそのためだ。だからこそ、ふたりはニューヨークへ向かう。この映画は説明をできるだけ省いている。行って帰ってくるの構造にはなっているので最後はふたりは遠距離移動のバスでペンシルベニアに帰る車内で終わる。彼女たちにとって自由であり金がなければなにもできないニューヨークは彼岸であり、オータムは自分の決めたことをスカイラーの助けもあって実行し、此岸であるペンシルベニアに帰るのだ。彼女たちは大人になったのかもしれない、あるいは。

一次通過していた「ハヤカワSFコンテスト」は二次通過ならず、だった。そっかあ、ちょっと夢見ちゃったよ。8月から12月までの小説新人賞に応募できるものや、したいものを改めて考えてスケジュールを改めて組んでみた。


7月26日
f:id:likeaswimmingangel:20210822074857j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822074902j:plain大塚英志著『物語消費論 「ビックリマン」の神話学』星海社新書を仕事が終わってから渋谷のジュンク堂書店に歩いて買いに行った。なぜか近くのツタヤ三軒茶屋店には入荷されていなかったせいで、夕方のロングウォーキングということになってしまった。
KADOKAWAから出ている『定本 物語消費論』がすでに絶版になっているようで、今回星海社新書として復刊された形。KADOKAWAの初代社長である角川源義は戦後にある種のリユースをしていたので、今回は講談社系の星海社リユースした形とも言えなくもないが、そもそも『物語消費論』は新曜社から出ていて、それが角川書店で文庫化という流れなので、この『物語消費論』は三つの会社から3ヴァージョン存在している。

朝から夕方までリモート中にいつもならradikoで前日の深夜に放送されたものなどを聴きながら作業しているのだが、たいていラジオ番組に「東京オリンピック」についての話になるので、できるだけ「東京オリンピック」に関しては見ないようにして、情報をこちら側から取りに行くようなことはしないようにしてるので、ラジオは時事ネタが一番ジャストな話題のため、ほとんどその話になっていて辛い。
それもあって、前日に「ハヤカワSFコンテスト」が二次通過しなかったのもあって、Netflixで『M-1グランプリ』を、Paraviで『キングオブコント』を改めて気になる王者が出た回を流しながら作業をしていた。そこにあるドラマとコンテストで勝つということ、王者になってもその後バラエティで活躍できるかと言われればそうではない、という現実も改めて思い知らされる。しかし、無意識のうちに自分の中で勝負事に勝ちたいという意欲が沸いてきたんだと感じる。だから、その2つのコンテスト番組を選んで見ているはずだ。バイきんぐやとろサーモンの優勝では泣いてしまったし、マヂカルラブリーが3年前の借りを返しにきて優勝するドラマとか見たら、泣くし、戦い続けて最前線にいることの凄さと意気込みに打たれてしまった。
小説の世界は華やかではないが、自分のやりたいことをなんとか自分のフォームに落とし込んで戦える場所に出ていきたい。そんなことを思うのはやはりコンテストでファイナルステージに進出しても得点が伸びずに最終決勝に進めない人たちの悔しさや涙を見たからだ。


7月27日
f:id:likeaswimmingangel:20210822075011j:plain芸人とはそもそも河原乞食であり、時の為政者に愛でられ寵愛され牙を向いたりして、利用され利用してきた。
「犬王」は「世阿弥」のライバルであったとされる。「世阿弥」は足利義満に寵愛されたことで、彼と父の観阿弥は義満に庇護されていき、ほかの座と比べても上のものとなっていった。しかし、義満が逝き、その次の足利義持の時代はまだよかった。しかし足利義持は申楽よりも田楽を好んでいた。さらに代が足利義教になると世阿弥たちには弾圧が加えられるようになる。
その流れについては古川さんの三島由紀夫トリビュート小説『金閣』で読んだ。三島由紀夫の『金閣寺』の「金閣寺」を建立したのが、「世阿弥」を寵愛した足利義満だった。

監督・湯浅政明×キャラクター原案・松本大洋×脚本・野木亜紀子×音楽・大友良英が実在の能楽師を変幻自在のイマジネーションで描く《ミュージカル・アニメーション》!

ということで古川日出男さんの小説『平家物語 犬王の巻』のアニメーション映画が来年夏公開、その特報が出た。これは期待しかない。
嬢王蜂のアヴちゃんが「犬王」、これはヤバい。一度だけ「嬢王蜂」ライブ行ったけどそこに来ているほとんど8割ぐらいは若い女性たちだった。彼女たちに届けばそれはほんとうにすごいことになるんじゃないか、とも思う。
琵琶法師の少年の友魚を森山未來ナンバーガールの無観客ライブで踊り、東京五輪の舞台でも舞った。その意味でも彼が「世阿弥」のように思えなくもない、だが、ミュージシャンである歌い手のアヴちゃんが「犬王」であり、踊れる森山未來語り部としての琵琶法師であるのは反転しているようだが、そのことでそれぞれがより身体性を持つことになって、輪郭を強くしているようみたいだ。


平家物語』現代語訳が刊行され、アメリUCLAに渡米する前に書き上げられた『犬王の巻』は帰国後に刊行されたはずだ。
高知の竹林寺での「平家物語 諸行無常セッション」を向井秀徳さんと坂田明さんと古川さんでやった際に観に行って、その時に『犬王の巻』持っていったので帰りの空港で会った際にサインしてもらったという記憶がある。
平家物語』刊行された後にアメリカのUCLA(古川さん夫妻が渡米したのはトランプ就任直後だった。僕が遊びに行った3月にUCLAで古川さんが朗読したのは小泉八雲の「耳なし芳一」で、会場のスクリーンに映し出されていたのは小林正樹監督『怪談』の『耳無芳一の話』だった)に行かれて戻ってこられてから、『犬王の巻』と「平家物語 諸行無常セッション」があったから、『平家物語』とアメリカのロサンゼルスが結びついてる。
さあ、来年の夏のたのしみができた。

f:id:likeaswimmingangel:20210822075209j:plain第二次世界大戦後のフランスを描いたアニメーション映画『ベルヴィル・ランデブー』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。菊地成孔さんがかなりプッシュしていた(インターネットラジオ大恐慌のラジオデイズ」でも扱っていた)ので観に来てみた。確かにラジオでも言われていたが、フランス人がこれでどうだと言わんばかりに醜悪に描かれている。人間だけでなく建物や船などもディフォルメがすごくて、かなりいびつだった。
両親がおらずおばあちゃんに育てられているシャンピオンはいつしか自転車に興味を持ち始めて、やがてツール・ド・フランスを目指すためにトレーニングをするような若者になる。また、シャンピオンが幼少期に飼うことになった犬のブルーノも終始物語に登場することになるが、この犬まったく可愛くない。
ツール・ド・フランスに出場中のシャンピオンがマフィアに連れ去られてしまい、大会の車で彼を追いかけていたおばあちゃんとブルーノは追いかけていく。シャンピオンを追いかけていくおばあちゃんとブルーノは大都市のベルヴィルに辿り着き、そこでかつての人気歌手トリオのトリプレットの三姉妹の助けを得て、孫の救出に挑むというもの。話はかなり単純なのだが、人物からなにからデフォルメがすごいせいで、「クセがすごい」と終始言いたくなる画面で、違和感というかすごく変なものを観ているような気になってしまう。だからこそ、中毒性もあるのだろうし、拒否反応もでるのだろう。なんかすごく変なものを観たぞ、と思いながら歩いて帰ったが世界が少し歪んで見えた。


7月28日
水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」が公開されました。
短編小説『マミラリアデアルバータの白い骨』』です。


f:id:likeaswimmingangel:20210822075324j:plainリモートワークが終わってから渋谷に歩いていって、Bunkamuraのル・シネマでデレク・ツァン監督『少年の君』を鑑賞。弁護士の三輪記子さんとDMしていたらオススメされたので気になって観ようと思った作品。
中国のオンライン小説が原作となっていて、2019年の中国映画興行収入9位、青春映画ジャンルとしては歴代1位になったようだ。
かなり重厚な作品だった。中国におけるいじめや大学受験競争を描いているため、見ていて何度も苦しくなるような、目を背けたくなるようなシーンが多々ある。とくに主人公の男女ふたりがすごかった。内向的な優等生で進学校に通っているチェン・ニェンをチョウ・ドンユイ、母親に捨てられた不良少年のシャオベイをイー・ヤンチェンシーが演じているが、この二人を観るだけでも価値がある映画と言える。
「孤独な二人の愚かしいほどの崇高さが絶望の闇から抜け出そうとする青春譚」という言葉が浮かんだ。
いじめなどを取り扱っていることや途中でチェン・ニェンがいじめをしている同級生からされる残酷な行為は『リリィシュシュのすべて』に通じるところはあった。ある意味で「いじめ」のテンプレ的な描写とも言えるかもしれないが、見るのがつらい。
少年少女が大人になるために、境界線の向こう側に行くために供犠のような、自分の身代わりみたいな誰かを失ったりすることで少年少女は大人になるという王道な物語の構造をしているのだが、最後あたりの展開が現代的というか啓蒙的な作りになっているのが現代の中国で作られたのだなと思えた。
チェン・ニェンはなんとなく酒井若菜さんを彷彿させる顔つき、シャオベイはフィギュアスケート高橋大輔みたいな顔だった。高橋はめちゃめちゃ似てた。
二人がバイクに乗って疾走するシーンはウォン・カーウァイ監督『天使の涙』みたいだなって思ったけど、意識はしてると思うし、青春映画の一コマとしてバイク二人乗りはとても画になる。


7月29日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回は『KATSU!』一回目です。
『タッチ』から繋がる編集者のバトン、ということで現「週刊少年サンデー」編集長の市原武法さんが『タッチ』編集者だった三上信一さんから託されたバトンとは?
そして、今作の登場人物たちと「選ばれた」者と「選ばれなかった」者について書いています。

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燃え殻さんから『これはただの夏』をご恵投いただきました。『yomyom』連載中に読んでいたのですが、加筆修正されているようなので読むがたのしみ。「けもの」の音楽をBGMにして、この夏に読みたい一冊。
「monokaki」で燃え殻さんにインタビューさせてもらった時に、この作品のイメージとして教えてもらった映画があって、その作品もその時見返したら、なるほどなあって思ったのを思い出しました。

燃え殻『これはただの夏』PV full version


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仕事終わってからニコラに行って、エンダイブのオーブン焼きユダヤ風をいただく。いつものようにカウンターにいたら、役者をやっている藤江琢磨くんが来て、久しぶりにばったりだったけどお茶しながら話をした。この間のニコラでのイベントのライブもすごくよかったけど、来月公演予定だったライブが中止になってしまったので、その話とかをした。世の中にはいろんなことがある。表で言えることとそうではないこと、外部の人間は想像したり予想することはできるが、内部で起きていることは実は単純だったり、思いの外に入り組んでいたりする。藤江くんはきっと数年以内にいろんな人から注目される役者や表現者になっていると思う、この直感は当たるはず。
帰り際に、「けもの」の青羊さんも来店してきて少しだけお話をした。青羊さんと燃え殻さんとアアルトコーヒーの庄野さんのイベントをニコラでしたのが、20年の2月とかで、そこから青羊さんにはお会いしてなかった。本当に久しぶりだった。「けもの」の『ただの夏』からインスパイアを受けて燃え殻さんが書いたのが小説『これはただの夏』だった。ニコラがなければ出会わなかったかもしれない二人。その小説の発売日だから青羊さんは久しぶりにニコラに来たかったと言われていた。藤江くんに青羊さんとたまたまお店で会えたのはうれしかった。そういう場所がひとつでもあることはとても幸せなことだ。


7月30日
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イメージ・フォーラムで開催中「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」の『オールド・ジョイ』を鑑賞。A24の制作作品の中でケリー・ライカート監督『First cow』という作品がったのを覚えていて、気になったので観に来た。
もうすぐ父親になるマークの元にヒッピー的な生活を続けている旧友のカートから久しぶりに電話があり、二人はポートランドの外れの温泉がある山に向かうというもの。愛犬が出てくるが山に向かってからはマークとカートと犬が山を登っていく描写と温泉に浸かって二人がやりとりするというシーンがほとんどだったが、温泉に浸かっているマークに、ベンチのような腰掛ける場所でマリファナか何かを吸いながら自分に起きた出来事や夢について話すカートの場面が印象的で、その話の内容がどこか寓話的なようにも感じられた。途中動きが少ないのでウトウトしてしまったが、画的にも静の要素が強いので昼過ぎに観に行くと眠くなるかも。

イメージ・フォーラムからタワレコ方面に下っていき、ヒューマントラスト渋谷が入っているビルのところで元テレ東の佐久間宣行さんが信号待ちをされていた。ラジオの「オールナイトニッポン0」も聞かせてもらっていて、先日発売された書籍も購入して読んでいた。佐久間さんが福島県いわき市出身なので、去年古川さんとご一緒させてもらった際にいわき市も歩いていたこともあり、ルポルタージュ『ゼロエフ』を番組に宛に先々週ぐらいに送っていた。それもあって、お声がけして名刺を渡してご挨拶させてもらった。本は届いてないと言われていたので、ニッポン放送か番組のスタッフとかのところにあるのかな。でも、いきなり声をかけてしまったので失礼だったかもしれない。自分でもマスクしていて、テレビ番組とかでしか見たことないのに一発でよくわかったなと思うのだが、自分の特技のひとつが、テレビとかで見たことある人を現実で見てもパッとわかったり、一度会った人の顔はわりと忘れないというのがある。まあ、名前は忘れがちなんだけど。
映画を観に行く前に実は佐久間さんのYou Tube番組を見ていたので、それで顔を認識しやすかったのかもしれない。

トーク麒麟川島 人生でウケたベスト3 & 一番スベった瞬間



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浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』11巻が発売になっていたので映画見る前に久しぶりの青山ブックセンターで購入。終わらない夏休み、世界の終わり、圧巻の作画、クライマックスが近づいてきた。


7月31日
今日まで〆切だった「小説現代長編新人賞」には新作ではなく、前に書いたものをリライトしたものを送った。前は三人称だったけど、今回は一人称に変えたのだけど、大きくは変わっていないけど、下読みの人が読む時にどう感じるのだろうか。


8月1日
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一日中部屋にいるのはしんどいので、朝起きて散歩がてら代官山蔦屋まで往復して1時間半程度歩く。
代官山蔦屋にはやっぱり新潮社『波』が置いてあった。燃え殻さんの『これはただの夏』刊行記念特集があったのと、佐々木敦さんによる千葉雅也さんの『オーバーヒート』の書評が読みたかったのでGET。
千葉さんの『オーバーヒート』は『新潮』掲載時に読んでいたが、芥川賞も、ほかの芥川賞予想番組でも思いの外、上の世代にはそこまで受け入れられていないように思えた。いやあ、言葉と身体性ということについて書かれているし、それが受け手自身に大きくフィードバックする作品だから素晴らしいと思っていたが、感覚の差もあるのかもしれない。ただ、『デッドライン』『オーバーヒート』と続く単行本は『オーバーヒート』の装幀はあんまり僕には響かないので買わなかった。
で、千葉さんというと学者繋がりで岸政彦さんも同じく新潮社から小説が出ている。岸さんの『ビニール傘』は装幀デザインもいいなと思って買って読んだ。その後、岸さんは小説よりも社会学とかの文章のほうが小説というかエモいと感じられて、またマッチョ的なものも僕はあまり好きではないので読まなくなった。
『ビニール傘』と同年に出たのが燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』だった。どちらもタイトルと著者名が手書きの文字で表記されている。
この数年、小説だけでなく、映画でも手書きのものをよく見るようになってきた。手書きはどことなくエモい、また、その二つの小説の影響もおそらくあったのではないかと思う。岸さんはその後の『図書室』『リリアン』も同じ装幀のパターンを踏襲している。燃え殻さんの『これはただの夏』は前作と違うタイプのデザインになっている。たぶん、燃え殻さんは手書きのタイトルが増えてきたから今回は避けたんじゃないかな。
新潮社は時折、ヒットではないがブームというか装幀デザインの流れをしばらく続けている時期があると感じる。写真を使ったデザインとかもパッと見で新潮社っぽいというのがわかるから、パターンがあるのだろう。
イラスト系の装幀が流行ったら(これは中村佑介さんが装幀デザインを描いた『夜も短し恋せよ乙女』以降、一気に広まった印象)多くの出版社がそのラインに行った。出版社のサイトで発売予定の書籍の装幀を見ていると時折大きな波がやってきて、ほとんどがその流れに向かっていく時期を感じることがある。
書店に行くのが好きなのはたくさんの装幀デザインを直で見れるというのが僕の中では大きい。


8月2日
f:id:likeaswimmingangel:20210822080137j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822080155j:plain最近読んだ漫画。話題の『スノウボールアース』は『怪獣8号』同様にアフター『進撃の巨人』+世界的な環境問題のメタファ要素があるので現在性があり、ヒットしていくだろうし、どちらもアニメなんかにメディアミックスされてより一般的になりそう。
会社に久しぶりに行ったときに同じ部署の人に教えてもらった『スキップとローファー』『水曜姉弟』は自分からは読まないタイプの漫画だったけどたのしめた。前者はドラマ化とかするんじゃないかな。後者はノンアルコールドリンクの作り方のレシピが毎回載っているので、それもお酒好きな人にも興味持たれそう。
『アブラカダブラ』は庄野さんに教えてもらって全巻揃えたのでそろそろ読み始める。

f:id:likeaswimmingangel:20210822080236j:plain国境をまたぐ大運動会はそもそも興味がなく、仕事のBGMのradikoでラジオ聴いても大抵大運動会ネタなんで、ネトフリで「M-1グランプリ」を、Paraviで「キングオブコント」を昔のから流してBGM代わりにしていた。最終的に空気階段の単独ライブ『anna』DVDを買ってしまった。


8月3日
週刊ポスト」の連載が今月で終わることになった。先々月下旬に担当さんから会って話がしたいと言われたら、まあ、いい話ではないなと思ったけどそうだった。

いまのとこ『水道橋博士のメルマ旬報』もずっと連載させてもらってるし、『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』も終わりが見えてきたけど続いている。
そういえば、連載が終わるのが実は今回が始めてだ。ほぼ毎週原稿送ってゲラチェックのメールを担当さんとしていたのが、終わるのでそれはちょっと寂しい。
八月最後に取り上げるのは、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』とウエダアツシ監督『うみべの女の子』の二本。
前者は村上春樹さんの短編を元にしたもの、後者は浅野いにおさんの漫画を映像化したもの。
週刊ポスト」の読者層を考えれば、村上さんの世代だけど、最後に浅野いにお作品の青春映画をぶちこめたのでよかった。

映画『うみべの女の子』予告編 2021年8月20日公開


f:id:likeaswimmingangel:20210822124253j:plain「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」を先週に引き続き観に行った。今回はミシェル・ウィリアムズ主演『ウェンディ&ルーシー』を鑑賞。
この劇場プログラムが非常に豪華なメンバーだった。蓮實重彦長島有里枝町山広美、小谷田奈月、王谷晶、柴田元幸というメンツ。小谷田さんと王谷さんがいるのが偉いというかすごくいいと思う。
映画は人が生きるためには金がいるという現実を見せつけてくる内容で、不運な時には不運なことが重なり続けるが、やさしい人もいる。だが、あるものを捨てて旅立つことになるという普遍的な物語でもあった。

『ウェンディ&ルーシー』予告編



8月4日
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ニコラで信濃地鶏スモークと白桃のスパゲティーニをば。地鶏も白桃も長野産でほんと美味しかった。地鶏の歯ごたえと白桃のやわらかな甘さ。

f:id:likeaswimmingangel:20210822124452j:plain榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長真行寺弘道』を渋谷に行ったついでに購入。
シリーズ三巻目。前の二巻はインドのカースト制度を扱いながらも、日本での人種差別や格差も入れ込んでくる内容で非常に面白かった。というわけで五巻目まで読もうと思って、他の作品を調べていたら、五巻目はコロナについて書かれていて、小学館文庫から『DASPA 吉良大介』というシリーズが二巻出ているのだが、そこでどうやら「巡査長真行寺弘道シリーズ」と交差するらしい。それはシェアワールド的なものであっていいと思うのだが、なんだろう、人の名前をタイトルにつけないといけない呪縛なのだろうか、そこがどうしてももったいなく感じてしまう。
「刑事・雪平夏見シリーズ」がドラマで『アンフェア』になって大ヒットしたし、そういう可能性もあるか。
54歳でヒラな巡査長を映像化でイメージすると有名どこが浮かぶけど、そうじゃないんだよなあ。売れてない人がいい。映像化するときは阿部寛さんとか西島秀俊さんとかその辺りになりそうだけど、売れてない顔もわかんないけど、めっちゃ演技が上手い人だったらすごくおもしろいと思うのだけど。


8月5日
f:id:likeaswimmingangel:20210822124536j:plain今月20日から沖田修一監督で実写禍される田島列島著『子供はわかってあげない』上下巻を息抜きに読み始めるが、やっぱおもしろい(これだけ読んでませんでした)。
テンポというか間とか会話のリズムが絵柄にきちんと合っている感じがする。田島さんの『水は海に向かって流れる』は刊行時に読んでいるけど、あれはどこかが映像化に動いてる気がするんだよなあ、今泉力哉監督とかがやったらうまくいきそうな。オフビートというかゆるやかなリズムで日常と家族、一緒にいるということを描いていてとても好きな漫画だった。
ロロの三浦さんが脚本の『サマーフィルムにのって』は明日から公開だし、浅野いにおさんの『うみべの女の子』も20日公開だし、観たら素晴らしそうな青春映画が立て続けで公開される。まあ、年齢的には親の目線のほうが近いわけだから、10代や20代の頃とは違う見え方にもなってきてる。「あだち充論」でも『虹色とうがらし』以降はあだちさんの父的な目線というか、青春が終わった人の視線とか親子関係についてのエピソードが多くなったということを書いたけど、自分が『H2』をリアルタイムで「少年サンデー」で読んでいる時にうちの親父も「少年サンデー」読みながら主人公たちの親の方の視線だったのかなと思ったり。でも、そういう視線にならずに年齢とか性別とか関係なく、主人公に自分を投影させたりできる人のほうが多いんだろうか。僕は客観的にものを見てしまうから基本的には物語の構造とか文体(絵柄やコマ運び)とかが気になってしまう。


8月6日
f:id:likeaswimmingangel:20210822124639j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822124644j:plain『サマーフィルムにのって』をホワイトシネクイントで鑑賞。
青春×時代劇×SF=青春恋愛映画というかなり変化球に見えるが、すばらしい映画でした。20年代の青春映画のマスターピースみたいな作品になるんじゃないだろうか。
映画『桐島、部活やめるってよ』に出ていた若手俳優がその後に頭角を現したように、この作品のキャストたちも数年後にはそんな風になっているはず(と思わせるほどみんな魅力的)。個人的には眼鏡女子のビート板役の河合優実さんという女優さんは顔の系統が石原さとみっぽいし、なにかの機会でブレイクして大きな役をやっていくような気がした。主役の伊藤万理華さんはほんとうに素晴らしかった。
脚本がロロの三浦さんなので観たかった作品だけど、また、ロロとか知らない人に三浦さんの才能がバレちゃうんだろう。

ロロの舞台を観て感じる青すぎて爽やかで心地よさ(おおざっぱにいうとエモい青春)がこの映画にもあった。この間の「いつ高」シリーズファイナルでロロの青春は一区切りついたように感じたけど、三浦さんが映画やドラマで青春ものは続けていくなら、それはこの先も観たい。
映画作りの話だけど、映画とかに関わってる人にもそうでない人にも観てほしい。自分が好きなものにこだわってなにかを成し遂げようと奮闘する姿が青春なのかもしれない、年齢や時代や社会は言い訳にはなるけど、その先に、自分の手が届かない場所に一歩踏み出せば世界は変わるし、そこには自分ではない他者が確実にいる世界がある。


8月7日
榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長 真行寺弘道』を読んでいるが、三巻目はフェミニズムの話がメイン。
昨日の小田急線の事件の犯人が「幸せな女性が憎かった」というフェミサイド(性別を理由に女性または少女を標的とした、男性による殺人)を起こしている。
レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』を前に読んだのは、自分が今まで無意識に女性に対して知らずとやってきたことやあまりにも世間におけるミソジニーなんかについて知らなかったから知らないとダメだと思ったから。
水道橋博士さんが女性アイドルについてツイートしてプチ炎上した際に大盛堂書店でお会いしたときにこの『説教したがる男たち』を渡した。
たぶん、この手の問題は教育とかしかないと思うのだが、そもそも社会というか政治が崩壊している(与党の政治家の多くが日本会議所属している時点で夫婦別姓とかLGBTQに向き合うはずがない)。そういう構造を変えるには選挙しかないのだが、投票率は低いし、投票している年寄がそいつらに入れてしまっている。
プロパガンダというか声がデカかったり、テレビに出ていたやつに投票するやつが多いから大阪は橋下が勝ってしまうし維新ができてしまった。今のコロナで大阪の医療が崩壊しているのは明らかに橋下と維新のせいだし、誰が投票しているのかわからないが東京は小池が勝ってしまってオリンピックも含めて人災のオンパレードで誰も責任を取らない有様。
でも、小池も橋下も遡れば、石原慎太郎という人物が芥川賞を取り、メディアが石原を持ち上げ、その後彼が中曽根と近づいていったことがデカい。石原慎太郎のメディアミックス的なやりかたが自民党に持ち込んだと言えるし、石原はメディアミックスの作用で都知事にまでなってしまった。
現在の笑えない状況は文学とメディアミックスの功罪でもある。第二次世界大戦から文学とメディアミックスは国民に戦意高揚するために使われてきたわけで、そういうことをせめて物作りする人は知ってないと危ないし、知らないうちに大きな力に利用されて加担させられてしまう。民主主義が形だけで根付いていないから、フェミニズムのことも広がらないし、個人の権利を尊重するという当たり前のことができていない。だから、金メダルをかじるというパフォーマンスをやってしまうような人物が市長であり続けて、辞めさせられることもない。


松本:友達の家に行ってました。その友達の家庭教師が、漫画とかCDを置いていってて。生徒に「キング」って呼ばせてる変な家庭教師だったんですけど。

一同:(笑)。

松本:そのキングが、岡崎京子の漫画とかを置いていくんですよ。『リバーズ・エッジ』とか『pink』とか。オシリペンペンズのCDとかもあったな。キングの置いていったサブカルチャーに毎日触れていました。

三浦:えー。それが原体験なんだ!

松本:キングのおかげですよ。自分がいままで触れてきた漫画や音楽とは違うって思いましたね。わけわかんないのいっぱい置いてあって。友達に「これおもしろかったから、続き借りといて」って言ったら、キングが「それなら、これも好きかも」っていろいろ貸してくれたりして。

三浦:へー!

松本:どんどんキングに教育されていったのを、いま思い出しました。キングとは結局会わずじまいだったんですけど。

三浦:いい話だな。

 『サマーフィルムにのって』はオススメなんでたくさんの人に観てほしい。


サブカルチャーって兄や姉や上の世代からなにかをバトンタッチされるように下の世代に渡されるというか、媒介者みたいな役割の人がいるってのが大事だったんだと思う。
だからそれは「未知との遭遇」に近くて、人工知能みたいなものが「オススメ」するようなものとはやっぱり違う。
オダギリジョー出てるから観てようかなって『ハザード』観に行って園子温監督の表現に出会って、作品に内面が揺さぶられて終わった後に吐きそうになったことで人生変わっちゃうとか、たまたま貸してもらった『ハル、ハル、ハル』を読んで一気にハマって、それまで出ていた古川日出男作品を全部読んだりして、『サマーバケーションEP』をひとりでやったことが『ゼロエフ』の取材の同行するのに繋がった。
できるだけ他人からオススメされたものを読んだり観たり聴いたり行ってみるとかって、本来自分が手を出さない興味がないものだから、できるだけ触れるようにするとイレギュラーなことやエラーが起きる。そうやってはじめて外部が広がるっていうのは自分が経験しているからよくわかる。
人になにかを勧めるのって難しいことだけど、スマホやPCに出てくるオススメよりも誰かの世界を拡げたり、イレギュラーを起こす要素になる。それがその人にとっていい方向に向かうのか悪い方向に向かうのかはわからないのだけど、アルゴリズムに支配される予定調和よりはよほどいい。

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f:id:likeaswimmingangel:20210822125034j:plain銀座のヴァニラ画廊で田島昭宇 画業35周年記念展 <Side: A> 『Baby Baby』のサイン会に。きちんと申し込んで当てた。
以前に『水道橋博士のメルマ旬報』で「岩井俊二園子温の時代」という連載をしていた時に『多重人格探偵サイコ』最終巻のサイン会のときに連載のイラスト描いてもらえませんか?とお願いしたら引き受けていただいて六回ほどイラストを描いてもらった。
毎回田島さんと大船の飲み屋で待ちあわせして、原画を受け取りそのまま昼間から飲んでいた。
この先、作品集を出せるようにするために原画を田島さんとこに集めておきたいという話をされていたので、今回のサイン会で原画を持っていった。
5時ぐらいに僕の番は来たので、サインをしてもらって原画をお渡ししたら、原画のことで話せないかなと言われたのでサイン会が終わるのを7時ぐらいまで待つことにした。
GINZA SIXに蔦屋が入っていて、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』の単行本がヴィンテージということで初刷が千円で売っていた。それを同じフロアにあるスタバで読んで時間潰しをした。同じアメリカ産だが落差がひどい。
サイン会が終わってから田島さんと話をさせてもらって記念に写真を撮ってもらった。僕が丸いのはあるけど、田島さんが細いからこんな感じになってる。
『摩陀羅』や『多重人格探偵サイコ』を思春期に夢中で読んでたけど、中年になった今は田島さんと普通に話をしていたりする。不思議ではあるけど、人としてちゃんとやりとりできるぐらいの社交性があれば、たいてい好きだった人や影響を受けた人には(その人が生きていたら)会える。コロナはそれを少し難しくしてしまっているけど。


8月8日
f:id:likeaswimmingangel:20210822125238j:plain小説を何冊か並行して読んでいるので、ちょっとジャンル違うものも混ぜようと思って、與那覇潤著『平成史』を『SMAP 25 YEARS』をBGMにしながら読んでいる令和三年夏。

ceroの新曲『Nemesis』はその前の『Fdf』の流れもあって非常に好きな感じでこのまま次のアルバムが出るといいなと思う。
明日のスタジオコーストのワンマンライブはチケットを取ったのだが、今の東京コロナの状況だとチケ代はもったいないけど行くのをやめようと決めていた。さきほどナタリーを見たらサポートベースの人がコロナに感染したので明日のライブは延期になっていた。
映画館は換気もしっかりしてるし、両隣が一席ずつ空いていれば(販売をしていなかったら)ほぼ完璧だからクラスターはでない。上映中に話すことはないから飛沫は飛ばない。映画料金はこの時期は一席ずつとか空けるなら上乗せしちゃったほうがいいとは思う。一応、映画館でアイスコーヒーを買う&映画がよかったらパンフを買うということでできるだけお金を使っているけど、それも微々たるものだ。
ライブはコロナになってから今の所行ったものに関しては席ありか、スタンディングでも四角に区切られて四方が空いている感じになっていて密集を防いでいるし、お酒も出していないから基本的にはクラスターが出にくいとは思う。
ただ、出演者とかが感染してしまうとどうにもならない。だが、これはほんとうに時と運による。本人がよほど無自覚でマスクしてないとか集団で飲み食いとかしてない限りは運が悪かったとしかいいようがないかもしれない。軽めな症状らしいのでよかったが、たぶん自分のことを責めちゃうだろうから、周りがケアしないといけなかったりするんだろう。
延期された公演日時が決まったらしっかりライブを聴きに行こうと思う。でも、いい加減ライブ中にビールとか飲みたいんだけなあ、これもどのくらい先になったら解禁されるのだろう。
まずは生き延びるしかないのだけど。
一番の問題はローチケから延期とかのお知らせが一切来ていない。




8月9日
昨日から朝起きたら2時間机に座って執筆するというのを始めた。2日目の今日は祝日だったが、6時前に起きてゴミを捨てに行ったりしてから6時15分から執筆を開始した。
先々日の土曜日にとある用事でラインをした友人が、会社に行く前に朝起きてから2時間執筆する時間を作っていると話をしてくれた。このままでは今月中に書き終わりたい小説も難しいかもしれないと思っていたので、僕もやってみようかなと伝えるとしばらくの間は朝起きて作業に入る時、終わった時をラインで伝えあうことにしないかと提案された。一人でやるよりはそちらのほうが続きそうなので、友人にお願いして始めたのが昨日だった。まずは100日続けようと言われた。
人間がなにかを習慣づけるためにはそのくらい続けないといけないというのはなにかで読んだ記憶がある。ワンクール(3ヶ月)と10日ぐらいと考えると長いようで短い、11月15日がちょうど100日らしい。その時点でしっかり書き続けていれば三つほど新人賞応募の原稿が完成し、一つは途中まで書くことになる。毎日少しずつ書かないといけないとわかっているのに、どうしても休みとか時間があるときにまとめて一気に書いてしまうので、今回の習慣づけで少しでも日々重ねていきたい。


8月10日
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DC/PRG『20 YEARS HOLY ALTER WAR - MIRROR BALLISM Tour LIVE』が届いた。完全受注生産なので、クレジットで先に支払いだけをしていた。DC/PRDGのラストライブのスタジオコーストには行った。そこで菊地成孔さんはこんなことを言った。

 

 混乱と無秩序のフィールドに於いては、意識的、知的、社会的、投機的な上半身の判断が全て無効化し、無意識的で衝動的で、反射的な、全身の判断しか残らないからだ。こんな楽しいことがあるか。俺は混乱に対してワクワクしかしない。頭がおかしいのかもしれないね。
 演奏やMCだけではなく、更にその物的証拠を出そう。我々の最後のプロダクツは、20周年ツアーを完全パッケージしたCD7枚組ボックスだが、オマケがついてる。それを買った人だけが、あれ、印鑑みたいのなんていうの?オレあれずっとネット実印だと思ってたんだけど、まあまあまあ、それによって、先週の大阪PARTY2と、今日のライブPARTY1がストリーミングできる。最新技術の、360度、天球儀式で録画された、キャッチ22が収録されているとか、いないとか。
 しかしそんなもんじゃ混乱とか無秩序なんてとても言えないね。最大のおまけを見せよう。(*ポケットの中で、指に指人形を4つはめて)ジャジャーン!!これだ。「DC/PRG元老院指人形セット」(*しばらく説明。箱も見せる)!!あまりの混乱と無秩序に、ワクワクするしかないでしょ!
 これが1000セット売れると、うちの会社は首がつながる。今はどこの音楽事務所も首の皮一枚なんだ。でもオレはクラウドファウンディングとかああいうのは絶対にしない、あれはコジキか株屋のやる事だ。コジキも株屋も立派な仕事だけれども、オレは水商売の子だ。最高の素材を集めて、調理して、お客さんに旨いもんを出して、それを喜んでもらって、もらった金はどんどん、水に流れてゆく。水はけがいいからね、調理場ってのは。詳しくは情報解禁を待って欲しい。1箱税込2万5千円でご提供いたします!!
 さて、混沌が生じさせる、集団的な無意識の集積場、行き場は一つしかない。それは、名付けるのが非常に難しいが、高い確率で、愛と呼ばれるものだ。今我々は、愛を、即物的に掴める、あるいはすでにしっかり掴んだ状態にいる。つまりこう言うことだ。諸君、ワイルドに生きよう。人生は短い。他人からの反感なんか恐れて守りに回って生きてても、チンケな想定より良いことは何もないぞ。
 そして歌うことと踊ることは、人類が言語よりはるか先に手にした、最初の教養だ。プリミティヴな教養は学校では教えてくれない。ワイルドになる事でしか、我々は祖先の姿に戻れない。音楽と完全に同化して踊っている間、人類は他の何事もできない。読書も食事も、投資もツイートも、セックスも、妄想すらできない。そのことを知ってから、オレの人生は決定したんだ。4つか5つの時だったと思うよ。
 ちょっと数を数えてみてくれ。諸君らは今いくつで、20年前、幾つだった?簡単な計算だろ。君らはこの20年間で解放されたかね、それとも拘束されたかね?我々は解放戦線に立ち続けた。
 そうやって20年もブランドを維持してれば、多くのプレーヤーが入っては去って行くのは避けられない。キューバ移民も、カンザス出身のユダヤ系も、ミックスブラッドの若いラッパー達もいた。大友が辞めた時は、「あいつらはもう終わりだ」と言われたよ。笑ったぜ。舐められたら、笑うべきだ。笑ってから、余裕で倍返しだ。俺は生まれてからずっとそうしてきた。つまり、もうこんなことは、今日の演奏を聴いて嫌っちゅうほどわかっているとは思うが、改めて言わせて貰う。
 こんなセリフは、Gラッパーかプロレスラーのビッグマウスみたいだと思われるかもしれない、だが事実だから仕方がない。DC/PRGは、いま、ここにいる最後のオレたちが最新で最強だ。もう一度言うぞ。デートコースペンタゴンロイヤルガーデンは、ここにいる俺たちが最新で最強だ。諸君らのジャッジはいかがかな?
 客席に若い音楽家がいたら、特に君達に言いたい。オレみたいなのがこんな凄い奴らを束ねてたなんて、自分でも信じられない。でもイマジネーションをしっかり持ち、原理を知り、チームワークというものさえ知れば、きっと誰だってできることなんだ。オレにできたんだから、諸君らにも必ずできる。それも知ってほしい。別に頑張らなくたっていいけど、諦めるな。
 我々はカオスの中からしか生じ得ないミュージカルやオペラを21年間上演し続けた、やろうと思えばまだできるが、博打はやめどきが肝心なのは言うまでもない。諸君らが我々の最後のフロアだ。旅路の果てに合流してくれた諸君ら全員に、シェイクハンドとキスを送りたい。この仕事をしてると、キスのやめかたがわからなくなる時が多々あるんで困るよ。感傷的になる気はさらさらないが、オレは今夜のことを一生忘れないから、諸君らにもそうして貰えると気分がいいぜ。

 <菊地成孔の日記 2021年4月4日 午前4時記す>より


ライブで上記のことをバンマスである菊地さんがステージから語った。僕はこの最高のラストライブを観てしまったのだが、思う存分楽しんだのだから、その気持ちの表明としてBOXセットを買おうと決意した。

ハヤカワSFコンテストの二次選考の講評(結局一次止まりだった)をメールでお願いしていたのが、送られてきた。わりと辛辣というかしっかりと小説について講評を書いてもらっていた。
ストーリーの起伏と構成力が水準に達しておらず、ゼロ年代渋谷系サブカル批評的なうんちくや小ネタなどで都市空間を記号として描こうとするのはオールドスタイルであり、二つの物語が交互に展開する設定が物語の面白さや驚きの演出に寄与していない、と書かれていた。読んでいてダメージをくらうというのは内心ではわかっていたことを他人からはっきり指摘されたからだと思う。
唯一褒められた?のは書き慣れているようで読ませる力はあること、これだけの分量をかきあげたのは努力の結果だと感じます、という点だった。

四年ほど連載をさせてもらっていた『週刊ポスト』の「予告編妄想かわら版」を最初に越えをかけてくださった編集者のNさん(いつもやりとりをしている編集者のTさんの上長)から今までありがとうございましたとメールが来た。Tさんに連載が終わるということを打ち合わせでされた時に、「PLANETS」で連載している『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』を小学館さんで書籍化とかできないですかね、とダメ元で聞いていたのだが、いくつか無料部分を読んだが編集さん自体がほとんどあだち充を読んでいないので自分が担当になってということにピンとこなかったと正直に書かれていた。

このメールが立て続けにくるのは正直しんどい。だけど、自分の力の足りなさが他者を通じて示されているだけなので、ただの現実だ。残念ながら現実はたいていしんどくてやっかいだ。問題はめっちゃ絶望というほど落ちることもなく、今の所は希望もないし先は明るくもないけど、どこかでなんとかなるだろうという気持ちがある。これがなくなったら普通に誰にも何も言わずに自殺でもすると思う。
なまぬるい絶望と希望の中で漂っている、というかたぶん今書いているやつにこの気持というか自分自身をもっと反映させちゃえばいいんだろう。なにかを創るのはある意味でセラピーだ。物語の中では死んだり生き返ったりさせることで、自分の内面の奥に行けるかもしれない。行ってしまって帰ってこれない人もいるのだろうけど、そこまで降りて戻ってくるにはまず体力と集中力がいる。朝起きて二時間の執筆が100日続けてルーティンとして定着する頃にはなにかが身についているといいのだけど。


8月11日
「佐久間宣行のNOBROCK TV」【トーク若槻千夏がハマらなかったMCとは?

佐久間さんのYou Tubeチャンネルを見るのはこのところ楽しみの一つだが、今回の若槻千夏さんとのトークもおもしろかった。若槻さんのバラエティ番組におけるひな壇での戦い方、MCにハマる方法などある種仕事論としても聞ける。第一線で戦い続ける人はやはりクレバーであり、物事を冷静に判断しているのだなと感じた。

昨日に引き続きテンションが落ちる連絡があり、いろいろとやってらんねえなと思ったけど、それもこれも今の自分の力のなさを思い知らされた形でしかない。しかし、僕の知り合いは僕がやっていることに興味がないんだなって。そのことに傷ついたほうがいいのか、気にしないほうがいいのか。


8月12日
最近は與那覇潤著『平成史』、呉明益著『複眼人』、ウィリアム・フォークナー著『土にまみれた旗』を併読していて、そのラインナップと一緒に榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長真行寺弘道』を読んでいた。
三巻目のそれを読み終えたので、シリーズ四巻目『エージェント』と最終巻『インフォデミック』を揃えた。
山本さんからオススメされた葉真中顕著『ロスト・ケア』と前に読んだ『愛についてのデッサン』が面白かった野呂邦暢のミステリ短編集を買った。
中公文庫はわりと戦前戦後の作家のこういうリユースがうまいなと思う。こうやってパッケージが変わることで、知らなかった作家と間に合わなかった世代が出会うということもある。それはとても豊かな読書だと思うのだけど、ある時期を過ぎたらそういうものも難しくなっていくのかなと思ったり、もする。

このところ「やってらんねえなあ」と思うことが立て続けにあったのだが、かといって絶望するほどでもないし、微妙にやっていけちゃう気もするし、でも、しっかり絶望して沈みまくったほうが今後のためにはいいのか? だとしてもこの時期に精神的に落ちて身体的にも引きずられたら、生命的に危険だしなあ、と思っていたらつい部屋にある『ファイト・クラブ』を手にとってしまっていた。
ファイト・クラブ』のメッセージは「自分の人生を取り戻せ」ってことだったはずだ。取り戻せってことは奪われたということだが、コロナ以前の生活や環境にはもう戻ることはないので、取り戻しようがない。
まあ、心身ともやばくなるとさすがに耐えれそうにないので、できるだけ外に出て散歩してる。あと最近は早起きするようになった。早起きは三文の徳というけど、三途の川の渡し賃は六文銭という。2日で三途の川を渡れる。もう2日で戻しの渡し賃になる。4日で行き来できる。つまり、此岸と彼岸を。創作とかってその中間にいるようなものだから、渡し賃を稼ぐために早起きするのは都合がいい。


8月13日
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私設研究機関「渡来超能力研究所」の所長・渡来暦は

世間からオカルトマニアの変人と噂されながらも、超能力の解明に明け暮れていた。

ある日、研究所の壁面からまるでテレポーテーションのように

突如出現する記憶を失った謎の少女・ノア。

ルーツを辿る唯一の手がかりは

「ノア、必ず帰ってこい。渡来超能力研究所で待つ」

と書かれた血まみれのメモ。

時を同じくして、首相官邸ではテロ組織が超能力でも無ければ

不可能な手口で総理を人質にとり、立て籠もるという事件が発生。

渡来は、ノアやテロ組織ら超能力者を、三次元の肉体を持ちながら

四次元世界に干渉できるように進化した新人類"4Dimetor"と推論し、事件の真相を追う。

一方、政府の「国立研究所」では何やら不穏な気配が立ち込めていた。

失われた記憶、血まみれのメモ、テロ組織の目的、国立研究所の闇...

あらゆる謎が、パズルのピースを埋めるように次々と解き明かされていく。

 『-4D-imetor』を観に家から紀伊国屋ホールまで歩いていった。原宿駅があんなに変わってるとは知らなかった。あとたぶん紀伊国屋ホールはじめてな気がする。来たことがあるとしたら春風亭昇太師匠の独演会なんだが、記憶がない。
『シン・エヴァ』や『TENET』や『ひぐらしのなく頃に』みたいな繰り返す日常や次元を越えて未来から現在にコンタクトするという話をできるだけわかりやすく、二時間切る尺で展開してたね。
生駒里奈さん見てたら鈴木奈々さんに見えてきて、顔似てるから骨格がスピーカーと考えると声も似ちゃうよね。
ダンスしてたから殺陣というかアクションの動きがしっかりしてた。
村田さんはメイクもあるけど、イエモンの吉井さんやドレスコーズの志摩さんみたいな雰囲気で色気あった。
お客さんリピーター多いのか笑うポイントで反応する人は早かった。
4D的な見せ方は舞台だとあんな感じになるよなあ、と思った。わりと舞台的な表現だったから、正直驚きはないんだけど、話に沿った舞台の表現で観ていてたのしかった。
主役の人とかアクションシーン終わりでタイムリープして戻っても息切らさずにふつうに演じてて、生駒さんもだけどすごいなあ、と感心。

f:id:likeaswimmingangel:20210822125832j:plainありま猛著『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男』を読んだ。「PLANETS」連載の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』で勉さんについても何度か書いているけど、この漫画を読むと千鳥の大悟さん主演でドラマとかやったらすごくおもしろそうな気がしてきた。


8月14日
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沖田修一監督『子供はわかってあげない』先行上映をテアトル新宿にて鑑賞。
さきに田島列島さんの原作漫画を読んでいたので期待値は高かった。予告編も良い感じだったし、監督が沖田さんということもあり、前から早めに観ようと思っていた作品だった。客入りは雨のせいもあるが、後の上映で舞台挨拶があったりと朝一の回は四割ぐらいか。僕ももう人のことは言えないが男性で中年以上が多かった印象。となると上白石萌歌のファンなのか? どういう客層なのかよくわからない。テアトル新宿付きの映画ファンというのもいそうではあるが。
結論から言ってしまうとどこか上滑りしている感じが終始してしまった。オフビートというかちょっと会話や登場人物が思っていることなんかのズレで笑いは起きるのだけど、なんというか狙いにいっている、いや、それが悪いわけではないだろうから考えられるとすれば原作である漫画から映画用の脚本にする際になにか置き換えるべきものがうまくできていなかったのかもしれない。原作漫画でのいくつかのネタは省略している。主人公の美波(上白石萌歌)の父であり、かつて新興宗教の教祖だった友充(豊川悦司)を探す際に、美波は同級生で書道部のもじくん(細田佳中太)の兄の探偵である明ちゃん(千葉雄大)に頼むというシークエンスがある。漫画では教団内部の人間もいなくなった教祖を探しており、明ちゃんに頼みに来るという探偵いらなくない?という話があったりするのだが、教団側のエピソードがなくなっている。おそらく、グダグダな展開である漫画の心地よさなどになっているそういうエピソードが時間的に削るしかなかったため、キャラクターと物語がうまく噛み合っていない印象を受けた。
田島列島さんの描く漫画、そのラインみたいなものと物語が呼応しているからこそ成り立っているともいえる。それを実在の人間が演じるとズレが生じてしまったのではないかと思った。あと、上白石萌歌は映画を撮った頃はほっぺがまんまるでちょっとリスっぽい顔であるのだが、見ていると三四郎相田周二と同一人物なのではと思えてきてしまった。すごく似ている。
冒頭が美波と再婚して新しいお父さん(古舘寛治)ともじくんと共通の趣味である共通項になっているアニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』という作品が流れるのだが、それがけっこうきつい、わりと最初にこのアニメが何分か流れたことできつくなった感じがあった。このアニメでは生き別れになった父のもとに息子を主人公のKOTEKOが探し出して会わせるというエピソードで、物語における美波と実の父の友充に会いにいくという内容を最初に紹介しているわけだが、ここがけっこうさぶいと感じてしまった。沖田監督作品ではあまり人に勧めにくい気はする。上白石萌歌目当てならいいのかもしれないが。


8月15日
朝7時台に起きて二時間机に向かって小説を書く。あまり進まないが継続するためにこの起きてからのルーティンを実行する。
あだち充論」の原稿が進まず、あだちさんの父親や母親、そして兄である勉さんのことなんかをフックに『KATSU!』二回目を書こうと思ったので、勉さんの弟子だったありま猛さんの『あだち勉物語』と勉さんがかつて描いた『実録あだち充物語』を再読。昼間にちょっと昼寝をしたら最近早起きだったからか、夕方のリモートワークまでぐっすり寝てしまった。明日も早起きだけど、「あだち充論」を早めに仕上げないとやばい。〆切は今日15日だったから。


現在のコロナのことも、2011年からの東日本大震災における自然災害と人災も、東京オリンピックを誘致する際に言っていた復興五輪という嘘も、地球環境の変化による大雨による自然災害も、敗戦を終戦と言い換えてしまったことも、いろんな要素が古川日出男さんのノンフィクションの『ゼロエフ』には内包されている。このコロナ禍で開催された東京オリンピックがあった2021年にもっと読まれてほしい一冊です。
↓ノミネートされてます。

「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」


と言っても発売時に実家に送っても「あんたの送ってくる本は難しくて読めない」とか言われるし、その時に送っていたお世話になってる人はなんの反応もないノーリアクションだったし、三月に古川さんとの対談させてもらった動画は笑っちゃうぐらい全然見られてなかったし、夏になってからなんだこのコンボはって感じで悪いこととかテンション下がる連絡が立て続けてやってきたので少なからずダメージをうけて「やってらんねえな」と思ったりもしていた。
今までずっといろんな友人知人知り合いとかの作品を読んだり観たり聴いたりして、SNSとかでもRTとかしていたけど、どこかで『ゼロエフ』読んでくれたり、SNSとかでRTとかしてくれないかなって期待はあったけど、それは古川さん関係や関連の人ぐらいだった。
自分がやってるから、相手もやってくれるだろうというのは甘えでもあって、自分が誰かに期待しているのと違って、自分は特に期待もされてない(興味をもたれていない)のだなとわかって、というかしっかり認められた気がする。
とりあえず、そういう状況になれば振り切っていくか、病むかというどちらかになるかもしれないけど、病むほど自分はまだ絶望できないし、絶望しきれない。まあ、自分に期待ができる状況に持っていくしかないので、一日であるルーティンを作ってやり始めた。それを続けていけば、11月の半ばには100日を越えるので習慣として完全に定着すると思う。そこからうまくいけばちょっとはおもしろくなる気がしている。


8月16日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130228j:plain大江健三郎著『静かな生活』を読み始めた。解説は伊丹十三監督、伊丹監督による映画での「イーヨー」は渡部篤郎さんだからそのイメージだったけど、大塚英志著『摩陀羅 天使篇』の大江響のモデルだよなあ、と今更思った。


8月17日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130256j:plainジェームズ・ガン監督『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』をヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。平日で小雨だったが、十数人ぐらいは10時台でもお客さんは入っていた。
SNSで過去の投稿が問題となって炎上し、表舞台から消えてしまい、もう戻ってこれないかもと思っていたジェームズ・ガン復帰作。昨日一応『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』を観たけど、痛快なシスターフッド映画だった。DC映画では来年ロバート・パティンソン主演『THE BATMANザ・バットマン-』公開みたいだけど、どうなるかなという気持ちもあり前哨戦みたいな思いもあったりした。
途中から、あれこれは福田雄一監督がやらかした時の映画と同じ感じだと思い始めた。やりすぎて過剰なバカ映画(褒めてる)はエンタメとしては至極真っ当で正しい。だけど緩急がない(笑いとしてはキャラクターが不意打ち的に死ぬぐらい)し、ひたすら高カロリーなストレートを投げ続けるのでお腹いっぱい。太りすぎて動けなくなれば、あとはカロリー責めをすればいい、もうソファーから立ち上がれないし砂糖や炭水化物の依存症になっている。というアメリカ的エンタメとも言えるかもしれない。一応、アメリカという国を皮肉り、体制批判もしてちょろっと味変をしてくる。頭をからっぽにしてバカ映画が観たいならオススメかもしれない。ジェームズ・ガンが動物好きなのはわかったよ(笑)。
アメリカ的なヒーロー(彼は犯罪者ではあるが)が戦うべき敵は共産主義でもなく、中国でもない。 彼らの敵は最終的にアメリカ自身であるのだが、その姿は具現化できないため、今作では「スター・フィッシュ計画」というものがあり、アメリカが宇宙で発見したヒトデ型の宇宙生物が一応姿彼らの敵として存在する。これが微妙だった。そのため、アメリカ的な正義を行使するかどうかで仲間割れ、あるいは考えの不一致でスーサイド・スクワッド内でバトルが起きたりする。その辺りで物語ができないというのもかつての「世界の警察」だったアメリカの国力の衰退を思わせる。


8月18日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130349j:plainスティーヴン・キング著『書くことについて』を朝少しずつ読み返している。前に読んだときよりおもしろく感じる。
最近は朝早く起きて、二時間は机に向かい、書けても書けなくてもPCの前にいる。100日続けるとそれは習慣になるというからやってみようとはじめて11日目。起きてすぐに家から出れるぐらいに寝起きはいいので、わりと向いているのかもしれない。100日目は11月の中旬ぐらいだから、すぐといえばすぐだ。その間に出したい新人賞の〆切は三つぐらいあるからちょうどいい。続ければたぶん出せる。


8月19日
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NHKプラスで『コンテンツ・ラヴァーズ』を見た。『水曜日のダウンタウン』紹介のダウンタウンのふたりのイラストにおける体躯差のイジり方よいね。この番組のイラストを描いてる長場雄さんがそれぞれ紹介される番組の出演者の特徴を捉えていてすごい。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130543j:plain休憩中に飛浩隆さんの『零號琴』文庫版を買ってきた。単行本の帯文は「想像しえぬものが、想像された。」だったけど、文庫版は「それは日本SFの呪いか、それとも希望か。」になっていた。呪いは祝いに、希望は絶望に、いつでも反転する。

単行本刊行時のインタビュー
なぜこんな物語を書こうとしているんだろう?|飛浩隆 インタビュー



8月20日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130650j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822130646j:plain漫画家のみなもと太郎さんが亡くなったというニュースを見た。みなもと太郎さんのことは大塚英志さんが高校生の時にまんが家だった時代のお師匠だったというのを「新現実 問題外増刊」で読んだ時に知った。
大塚さんのギャグ漫画『トマト暗殺団』はみなもとさんの影響を感じるし、ここで紹介されているみなもとさんの漫画を見た時に最初に脳裏に浮かんだのは『落第忍者乱太郎』だった。大塚さんはみなもとさんによって高校生だった自分がいきなりデビューさせられた経緯も話しており、田島昭宇さんに「あ、来週から『MADARA』ってまんが隔週で連載ね」と言って、本人の意志とは関係なく連載させたり、いきなりデビューさせている大塚さんの芸風の源がみなもとさんだということになっている。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130743j:plain濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』をシネクイントにて鑑賞。
14時少し前の上映回だったが初日ということもあり、かなり席は埋まっていた。と言っても左右一席ずつ空けているので観る側としてはちょっと安心。原作となった村上春樹さんの『ドライブ・マイ・カー』が収録されている短編集『女のいない男たち』も読んでいたが、短編小説を元に約3時間という尺にどんな風に映像化したのかが非常に興味があった。だから、劇場で観たいと思っていた。
冒頭の主人公の家福悠介(西島秀俊)と妻の音(霧島れいか)のシーンから『女のいない男たち』収録の『シェエラザード』で書かれているエピソードが登場する。音がセックスをした後の寝起きに見た夢を家福に語るというものなのだが、その後妻はその内容のことを忘れてしまう。起きてから家福が今度はその夢の内容を反復するように妻に語り直す、そして彼女はそれをノートに書き留め、それが溜まっていくとひとつの物語=脚本になっていくということが明かされる。ここで「語り」という主題のひとつが提示されており、なおかつ夫婦には4歳で亡くなった娘がいたのだが、その後ふたりは子供を持たないと決めたこともわかってくる。
つまり、セックスと夢で見たものを妻が語り、さらに夫が語り直すという行為そのものが子供を失ったふたりの「再生」の儀式であったことがわかる。だが、妻は夫以外の男性とも寝ていたことを夫は知っていたが、見て見ぬ振りをしていた。そして、家福に今夜話があると言ったその夜に、夫が家に帰るとくも膜下出血を起こして倒れていた妻は既に息を引き取っていた。ここで妻は「いなくなって」しまう。村上春樹作品における妻やパートナーの女性が「いなくなる」というエピソードの反復とも感じられる。もう、彼女が彼の元には戻っていない、そのぽっかり空いた空洞を抱えて主人公は生きることとなる。
物語は二年後に、広島の芸術祭に家福がオーディションから上演までを演出家として『ワーニャ伯父さん』を担当することになり、愛車のサーブで広島までやってくる。芸術祭の担当から規則で滞在中は家福自身に車は運転しないでほしいこと、そして芸術祭が雇ったドライバーが運転をすると言われる。妻との思い出のある愛車を運転できないのは嫌だった家福は断るが、結局素晴らしいドライビングテクニックを持った寡黙な渡利みさき(三浦透子)が運転手となる。
舞台のオーディションには妻の音と関係があったらしい高槻(岡田将生)もやってくる。そこで音に関する話をふたりがしたりするのだが、なにかが制御不能というか逸脱してしまっている高槻は舞台に出演するために滞在中にいろんなトラブルを起こしていく。
村上春樹作品を換骨奪胎しながら(短編『ドライブ・マイ・カー』以外の『シェエラザード』『木野』の要素に音の寝物語として挿入され&『ワーニャ伯父さん』などの演劇も取り込み)、日本語だけでなく数カ国語と手話も劇中内の演劇では使われていく。そして、原作にはなかったみさきの地元へ赤いサーブで向かった際には、村上春樹作品における「いなくなる妻」への言及がされる。作品全体が村上春樹への批評にもなっているし、村上春樹作品の結晶体にも思えてくる。
というかこれ凄すぎないか。


8月21日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130849j:plain孤狼の血 LEVEL2』の怖さとかを剥奪した宣伝ポスター。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130949j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822130954j:plainウエダアツシ監督『うみべの女の子』をヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。個人的には同じく浅野いにおさんの漫画『零落』を映像化したものが観たいと思っている。
『うみべの女の子』の小梅役の石川瑠華さんは、『猿楽町で会いましょう』を観たときも思ったんだけど、笠木忍さんを彷彿させるものがある。顔は可愛らしいんだけど、同時に他者の嗜虐性を刺激するものがあるように感じる。
映画の磯辺と小梅はまさしく磯辺と小梅だった。小梅が『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のイソベやんTシャツ着てて、その磯辺つながりかい、と笑いそうになったけど。磯辺役の青木柚さんは磯辺にしか見えなかった。あさの作品におけるあの顔を実写をやるには抜群だ、というか磯辺そのものに見えた。
初恋よりも先にセックスを重ねていく二人の青春恋愛物語。
触れ合うことで互いの空洞が擦れて熱を帯びて濡れていくからこそ、自分が個であり他者をしっかり感じることはあるし、事後のあとでしか話せない言葉っていうか言語や本音もある。占いとか相手が自分のことを知らないからこそ知り合いには言えないことが言えるのに似ているような。
個の身体が膜が重なり合うだけなのに相手を自分の一部のように思ってしまうと、いつしか心が離れていく。
うみべの生と死の狭間で死んだ兄の亡霊を見る磯辺と欲望に忠実なあまり自分の想いを気付けない小梅の性春狂想曲としての『うみべの女の子』だった。


8月22日
f:id:likeaswimmingangel:20210822131207j:plain金曜と木曜の出勤を入れ替えたので、金土日休みで朝起きて二時間はパソコンに向き合って、散歩がてら渋谷まで歩いて映画観たら、また歩いて帰る三日目。今日は「予告編」を観たときに、『レディ・プレイヤー1』みたいだし、これは観なくていいかなと思ったけど、あまりにも評判がいい『フリー・ガイ』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。
NPCがある日自我を持ち始めて、ゲームのモブキャラでしかなかった主人公のガイが世界を変えていくというストーリー。
ゲームの世界と現実の世界の二層構造だけど、これがうまい組み合わせで展開していてド直球なエンターテイメント作品になっている。
また、ガイが人を傷つけない手段でレベルを上げて世界を変えようとするのぺこぱの誰も傷つけない漫才にも似ている。
自分の人生において、自分が主役のはずなのに疎外感を持っていたり、脇役みたいだな、とかいつも同じ毎日を過ごしてつまらないと感じている人には響く(つまりほとんどの人に)作品になっていて、エンターテイメント恐るべしと思う。
デッドプール』の死なない無敵のヒーローを演じたライアン・レイノルズが主人公だから、殺しても殺してもいつも通りなNPC(モブキャラ)に説得力もあるし、あいついつかやらかすなという期待も沸く。ゲームやITに関わった人は現実社会の物語もより楽しめるだろうし、誰が観てもたのしめるエンターテイメント作品だと思う。


8月23日
f:id:likeaswimmingangel:20210822215159j:plain金曜日に『ドライブ・マイ・カー』観終わった後にサントラのカセットテープも買った。
言葉で「物語る」ということと「演じる」という誰もがそれぞれの役割の中でしていることが村上春樹作品の要素を使いつつ、見事に構成されていて心地よかった。
主人公の家福は俳優でもありながら、舞台『ワーニャ伯父さん』の演出をすることになるんだけど、そのさまざまな要素が古川さんを彷彿させた。
観た感想を古川さんに送ったら、前に試写で見ていて数日前に新聞に映画評を書かれたものが掲載されたと教えてもらった。そのデータを送ってもらったんだけど(PDFだから何新聞に掲載されたかわからない)、記者の人から僕と同じように映画を観てから古川さんのことが浮かびましたって言われたというのも教えてもらった。
言葉で「物語る」って部分と朗読劇とか画廊劇で自ら出ていて、同時に演出もしているっていうのがあるから、イメージが直結した部分があると思う。
あとは「村上春樹」的なもの影響下にありながら、村上さんとは違う表現スタイル(朗読とかパフォーマンス的なもの)とかもあって、その流れがあるからそう思う部分もあるのかもしれない。




今月はこの曲でおわかれです。
Kings Of Convenience - Rocky Trail (Official Video)