Spiral Fiction Note’s diary

ライター&「monokaki」編集部スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『響 -HIBIKI- 』


 仕事終わりにTOHOシネマズ渋谷にて『響 -HIBIKI- 』を18時半の回を鑑賞。「欅坂46」の平手友梨奈主演ということもあり、高校生ぐらいのお客さんもかなりいたと思う。

これが映画初出演となる「欅坂46」の平手友梨奈主演で、文芸の世界を舞台に15歳の天才女子高生小説家を主人公にした柳本光晴の人気漫画「響 小説家になる方法」を映画化。出版不況が叫ばれる文芸界。文芸雑誌「木蓮」編集部に一編の新人賞応募作が届く。応募要項を一切無視した作品のため、破棄されるはずだったその作品に編集者の花井ふみが目を留めたことから、状況は大きくは変わり始める。「お伽の庭」と題されたその小説は、15歳の女子高生・鮎喰響によって書かれたものだった。主人公の響役を平手、編集者の花井役を北川景子、響が所属する文芸部の部長で、響の圧倒的な才能との差に苦しむ女子高生・祖父江凛夏役を、8年ぶりの実写映画出演となる「パコと魔法の絵本」のアヤカ・ウィルソンがそれぞれ演じる。そのほかの共演に高嶋政伸柳楽優弥ら。監督は「となりの怪物くん」「センセイ君主」の月川翔。(映画.comより)

 響のキャラクターは確かに魅力的であり、世の中には天才という者が確かにいる。そして、一人の天才によってそれまでのルールや世界は一変してしまう。例えば、将棋で言えば羽生善治という天才の出現によって奨励会で昔ならプロ棋士になれた人たちが夢叶わずに奨励会を退会したり夢を諦めたというのは大崎善生さんのノンフィクションを読むとわかる。今までの戦い方を変えてしまう天才が現れた時、新しい時代の天才と戦うための戦略と知性が必要になるからだ。
 国民的な小説家である祖父江(モデルは村上春樹しかいないだろう)を父に持つサラブレッドの凛夏はアヤカ・ウィルソンが演じているが、父が天才的な才能で国民的な存在である場合、彼女が秀才では天才にはなれない、しかし、ネームバリューは当然ながら出版社に利用されるし、利用しようと思えばできる。彼女は響のライバルのように見えるがライバルではない。
 小説家のリアリティーを感じるのは、かつて芥川賞を受賞し天才作家だった北村有起哉演じる作家だった。モデルは幾人か浮かぶ、芥川賞を取るまでは有名になるまでは天才的で時代の寵児のようでもあった作家たちがそうではなくなっていく、それでも彼らは書き続けるその理由は彼が語る部分も当然あるが、それだけではない、それだけでは書くことを続けられるわけがない。

 十五歳最年少の芥川賞直木賞候補という展開が、凛花も単行本デビューするわけで女子高生作家というのはやはり綿矢りさ金原ひとみの同時受賞を思い起こさせる。若くてもすごい書き手はいるけど、それを持て囃して彼や彼女を潰すことだってもちろんある。出版社の編集者が守れるかと言えば、守れない。サラリーマンである彼や彼女たちは一人の作家だけを担当しているわけではない、時代を変えるような天才作家ならまだしも、そうではない作家に対してそこまで労力を使えない現実はある。好き嫌いとかあるにしても、一人の編集者が年間に作る本が多くなればなるほどに、一人の作家と向き合う時間など多くならない。どうしても売れている作家というプライオリティが自然に発生してしまう。

 凛花芥川賞候補になるまで絶好という話を響にする。それぞれの作品が評価されるという件だが、芥川賞直木賞文藝春秋がやっている賞でしかなく、この賞を受賞したからといってその期間の日本の小説のトップということではない。そもそも本を売るためのフェアの一環なのだから、本当にすごい作品も受賞するけど、いろんな思惑や文壇的な力がゼロなわけじゃない。そもそも素晴らしい小説を選ぶというのは人間の感性がみんなバラバラなので、一番難しい問題だ。どこをメインにその作品を評価するかということがデカい。

 響は十五歳の女子高校生だ。響が十五歳の男子高校生だったら、おそらく蹴飛ばしたりパイプ椅子で殴ったら即刻終わるだろう。あと北川景子みたいな美人な編集者なんか....。