Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』


 公開初日、ヒューマントラスト渋谷にて初回の『フロリダ・プロジェクト』を鑑賞。どうしようもない現実を描いて、ドキュンみたいな母親は娘をネグレクトはしないし愛してるけどそれ以外の部分は完全なる社会不適合者、彼女たちが住んでるモーテルは夢の国のすぐ近く。
 トム・ヨークがかつてディズニーの隣には世界中の飢餓で死んだ子供たちの骨でできたもうひとつのアイランドがあると皮肉を言ったが、僕らはそこに骨を積み上げることに知らずと参加してる、残念ながら。という気持ちを十代の終わりに植えつけられてる。僕はそういう所に無邪気に行けないし行きたい欲望がない、象徴ということがわかっていながらも。行くなら骸骨たちを踏みつぶしながら、それでも笑えるような鈍感さと強さがないといけないと思っている。
 ラストはある意味では最低な、しかしながらそれしかないだろうなと思う拍子抜けする終わりかただった。ショーン・ペイカー監督は『タンジェリン』に続いて社会が見たくない、ないことにしておきたい人物を主役にして映画を撮る。彼らは生々しく映画だとしてもあまりにも自己中心的で身勝手だ。でも、なにもかも管理されて人間農場の家畜に成り下がる僕らへの警鐘にも思えてくる。
 どうにもならないことはどうにもならず、サブタイトルに「真夏の魔法」とはクソダサいが映画をうまく言い表してる。魔法は解けてしまいあとはクソみたいな現実が待ってるだけだ。クソみたいな場所から這い上がるに最初からなにもなかった、奪われてしまった子供はある者から奪うしかなくなる。
 神様はそういう意味では抑止力だった。上から見られているという視点、自己の客観ができたが、残念ながら新しい神様はiPhoneだったりスマホだから僕らはセルフィーして自分語りすることに夢中だから、上からの視線は意識しなくなってる。彼らは奪うだろうし、持っている者たちは奪われないために壁を作るだろう、物質的な精神的な言語的な。それが今世界中で起きている。