Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『レディ・プレイヤー1』『百年の秘密』


 『レディ・プレイヤー1』をTOHOシネマズ新宿のIMAX3Dで観てよかった。スピルバーグはやっぱりスピルバーグ、近未来でバーチャルな世界がメインでもスタンドバイミーやETやグーニーズ的なものあるから、小学生ぐらいの子どもいる人たちは一緒に映画館の大スクリーンで観せてあげてほしい。
 映画に出てくるバーチャル世界のオアシスを作り上げた創始者であるジェームズ・ハリデーはまさしくスティーヴン・スピルバーグ彼自身だろう。
 20世紀という映像の世紀に、世界中の多くの人に映画の楽しみを提供しつづけた彼にとってのある種の遺言みたいな部分もあると思う。だからこそ、これから成長していく子供たちが観たらきっといいと思う。
 あとはみんな大好きサイモン・ペグも出てたし。



 ナイロン100℃『百年の秘密』を本多劇場にて鑑賞。
 長生きして百年、今なら八十年、何年でもいいんだけど、僕らが生きている時間の中で関わる人たち、起こる出来事、自らの感情や想いや託したいものが大事な人に届くのだろうか、繋いでいけるのか、残念ながらそれはわからないし叶わないこと人の方が多いと思う。生きている時間や出来事や感情や想いたちがあまりにも眩しくて色彩豊かで目を瞑ってしまったりそのことが当たり前すぎて忘れてしまう。いつかは死ぬ、終わりがある、どうしようもない現実が訪れる。無情に終わる、だからこそ、終わるまでの色彩をもっと知りたいし感じたい。それを計画性もなく突然無情さがすべてを絶ちきる。思春期の頃から僕はその無情さみたいなものをなぜか受け入れてしまっている。
 三世代とかなら百年、一世紀の時間を描ける。一族は栄枯盛衰するし、人々は愛し合い憎み合う。長生きするものいるし、短い人生のものも。記憶はやがて共有されなくなり、細部は異なっていく。自分たちが死ぬまでで感覚としてわかるのがおそらく自分を気転にした前後百年、ただたいていの場合は祖父母・父母・自分、それがズレて父母・自分・子で自分の孫となるとどうだろ。百年の相続税、いや百年の想像力。
 自分がやりたいものでもあるし、最近だと『ミライミライ』はそういう作品だった。『百年の孤独』だったり、ヨクナパトーファ・サーガや紀州サーガ、神町サーガとかそういう小説に惹かれるのも過去、現在、未来が同時にあるように感じられるから。『百年の秘密』はそれを舞台芸術として完璧な感じでやっていた。