Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ゴースト』

小学生の低学年の頃は子供だけで学区内を出て遊びにいくのはダメだった。
でも何人かの友だちで自転車でその境界線を越えて遊びに行くのはドキドキした。
見つかったら怒られるけど未知の世界と言うか広がっている世界に足を踏み入れる事の興奮の方が増していた。
広がるパロラマ、知らない匂いがした。
少しずつ移動距離も知識も増えていくと行動距離は広がり町を、市を、県を、越えて動けるようになる、もう国だって越えられる。
二十歳を過ぎて東京に出てきた時に僕には知り合いは誰もいなかったし、友だちらしい友だちは誰も上京してなかった。だから一旦ゼロになって二十代は始まった。
時間の波は止まることなく膨大に増え続けてその中に巻き込まれていく、
時間が季節が一年が過ぎていくのが感覚として早くなっていく。
自分自身の時間の地層が積み重なる、
過ぎ去っていったそれはゴーストのようにいつも片腹にあり僕らは時折ゴーストに付きまとわれたりしながらも未来に進む。
僕らの時間は少なくなっていく。
やがて消えゆき肉体の残り時間は消滅する。
人の死は肉体の、その個人の死が第一段階にあり、その人の事を知っている人達の中に残された記憶が存在する限りはまだ世界に存在している。
やがて僕が死に、僕の記憶を持った人達も死んでしまうと僕の死は第二段階に入る。
第二段階の死は記憶の死。
世界の記憶から消えていく、その時人は本当に死んでいくのだろう。
だけども今はネットがある、死んでも僕らが残した文章や何かはネットのどこかに潜んでいて、それらのシステムが崩壊し消えない限りは。
という事は現代の僕らは第二段階の死の先も世界に残りうる。
好きな、
興味のある世界にダイブしていくとその界隈や周辺の人達と知り合いになっていく。
知り合いや顔見知りの人が増えていくと、
時折世界というのはどうやら思っていたのよりも狭いのかもしれないと思え、シンクロしているのを知っていく。
動き出したら繋がって連鎖していく。
シンクロを感じて繋がっているのを知った時に少しだけ時間の波に抗えるような気がする。とんでもない事や哀しい事があってもなんとかこの世界を楽しめる、面白い事は起きていくんだと思える。
そのためには動き出さないといけない、点と点の間を動いて見えなかった線に気付く。僕が東京で出会った人たちはそういう人が多い。
面白そうな人達に近づいていって話をしにいってそこに入って巻き込まれていけば面白そうな事が起きていく。面白い事がないなんてことはない。
面白い事ばかりだ。
僕らは革命なんて起こせないけど、
だけど世界に深くダイブすることはできる。