Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『Club Tropicana』

 夜に郷太さんの『噂のメロディ・メイカー』を読みながらYou Tubeで聞いてたワム。
Wham! - Club Tropicana




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自分の中にある「ヘンだな」とか「イヤだな」とか、マイナスの部分こそが商売になるってことです。そういうことを大事にしようってことです。でもそればっかりだとお金にはならないしダメなんですね。それだけだと閉じちゃっているから。
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 シナリオの木皿泉さん講義は面白いしなるほどなあと思う。
 お昼にツイートしてけっこうお気に入りにされている『月刊シナリオ』の木皿泉さんの講義の一文。僕は木皿脚本好きなんだけどここでお金になるならないというお話をされていてとてもいいなと思ったのでツイートした。物書きの人がお金について話をすることはとても重要なことだと思うから。『ふがいない僕は空を見た』が売れて窪さんは子供の大学費用ができたと言われていて、僕はよかったと思ったし、樋口さんが『雑司ヶ谷R.I.P.』で図書館に新刊でしばらくの間は貸すの猶予してくださいと書いた時もそうだよなあ、売れなくなるもんねと意図がわかったし。
 作家にとって本を売る事とか出す事で生活していくということやお金についてきちんと言える作家さんのほうが信頼できる感じがあって。だからこそ、出たら買いたいとか応援したいというものに繋がると思う(僕が少数派だとしても)のは昨今のアイドルと同じ構図だろう。音楽の世界は無料でダウンロードするとかの状況が思いのほか早かったからきちんと自分でマネタイズしたり売っていくという中でお金について自分の意見を言ってファンだったり同士を見つけて細分化したジャンルの中でもきちんと欲しい人に届ける意識を前面に出しているように思う。



 スパイク・ジョーンズ監督『her』は肉体を持たない相手との恋愛というか想いの話で昼間観たワワフラミンゴの演劇『映画』は輪廻転生じゃないけど役者に与えられた名前が前半と後半の物語で入れ替わっていた。身体と名前ということについて考えてるのはこの肉体は一つでも名前はいくつもあるから。『多重人格探偵サイコ』の雨宮一彦という容れ物は統合人格によって何人もの人格が宿っている、人体実験の果てに。でも本来の肉体は久保田拓也という人物だった。やがて雨宮の肉体が消滅する際に雨宮一彦という人格は西園弖虎に受け継がれた。肉体は弖虎で中には雨宮が宿っている場合、どちらが彼なのか。
 フィリップ・K・ディック作品における多重人格的なもの、分裂人格のように物語の中の人物は彼でありまたもう一人も彼である。その分裂しながらも肉体はひとつであるというのはインターネットでの振る舞い方でいくらでも分裂していく自我を予見してるみたいだった。では、精神は肉体に宿るか否か。


 韓国映画『怪しい彼女』は老婆が二十歳の肉体に戻って現在の韓国で老婆のままの人格で破天荒さで人々を巻き込んでいくコメディ映画だった。肉体は若返っても老いた精神はそのままである。故に二十歳の女の子が老婆の口調で常識で生活して人と関われば当然ズレが生まれてくる。だからコント的だ。『怪しい彼女』はコントとしてみるとかなり秀逸であり現在の韓国社会への老婆から見た視線の皮肉だったり古き良きものと新しいものの共存はできるのかという問いかけにもなっている感じがする。ただ、日本よりもよりアメリカナイズされている韓国だからなのか凄いバカっぽさ(褒めている)もある。
 たぶん、日本で『怪しい彼女』やっちゃうとあの陽気さや明るさは出ない。ましてや地方舞台にしたら基本的に救いのようないものになると思う。彼女たちの古き良きいい時代というのは戦後社会の戦争が終わった後のことになるから。もう対応年数が過ぎてしまったそのシステムの延命は意味がない。

Final: 25th Anniversary CD+DVD Edition

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噂のメロディ・メイカー

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テンプル・ストリート

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ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

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雑司ヶ谷R.I.P. (新潮文庫)

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