Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

ワワフラミンゴ『映画』&スパイク・ジョーンズ『her』




 王子スタジオ1でワワフラミンゴ『映画』鑑賞。↑の画像にもあるが佐藤佐吉演劇祭とあるので映画とか撮ってる方だよなって思って終わった後に北村さんに聞いたら全然関係のない同姓同名の人でビルのオーナーらしい、紛らわしいw
 出演されている北村さんが知り合いなのでノー知識で観たが、一時間弱の中に二つの戯曲があった。観ながらフワフワとしているのに急にピントが合うようなズレがもたらす不思議な間と役者から放たれるあちらとこちらを行き来きさせる台詞。

 
 『映画』を観ながらミランダ・ジュライ著『ここにいちばん似合う人』が浮かんだ。ミランダ・ジュライの短編の読後感にちかしいものが目の前で身体性を活かしながら展開されているみたいだなと。しかし、ミランダ・ジュライの短編の読後感であって彼女の映画で感じるものではないのだった。それは不思議な感触で<間>と<台詞>に込められた複雑な伏線が掴み取られないように踊る。


 『映画』は観ていてたのしい作品だし戯曲を読めば台詞のやりとりも簡単そうに見えるんじゃないかなと思うが、ある種のシチュエーションコントを重ねることで読むだけでは伝わらない言葉が役者から放たれることで伝わる間とかかなり意識していると思うのは最近そんなことを考えていたから。
 『ごっつええ感じ』をリアルタイムで見て育ったせいかコントに対しての想いとかその間に関しては素人ながら気になってしまうし、この物語が孕んでいるような台詞などには現れないものを役者がいかに表現しているのだろうかと。『とかげのおっさん』を大人になって見たときの恐ろしいまでの衝撃とかあるのでシチュエーションコントとして演劇を考えてみると見えてくる伝わるものは変わるはずだしそっちのほうが作り手の意図や想いはシンプルに伝わるのかもしれないなあと思ったりした。
 この劇場は大通りぞいにあり、ドアの向こうには通行人や車が見える。『映画』はそのドアがあちらとこちら、彼岸と此岸で区切られたのを観客に意識させている所で上演してるから僕らは彼岸に近い場所にいるみたい。だから作品に出てくる彼女たちに違和感はなく入れ替わることにも違和感はない。
 終わった後に北村さんと少しお話をした。今月は演劇月だなあ。このあとも。


 

 終わった後に渋谷に戻ってシネマライズにてスパイク・ジョーンズ監督『her 世界でひとつの彼女』を。『脳内ニューヨーク』は好きだったし公開されている『グランド・ブダペスト・ホテル』のウェス・アンダーソン監督と共に特集もされていて、まあ似ているとは言わないけど作品から醸し出す雰囲気とか美術とかそういうのはちかしいので気にはなりますよね。『グランド・ブダペスト・ホテル』はとてもよかったのでこちらもけっこう期待してて。



監督/スパイク・ジョーンズ
出演/ホアキン・フェニックス(セオドア)、エイミー・アダムス(エイミー)、ルーニー・マーラ(キャサリン)、オリビア・ワイルド(デートの相手)、スカーレット・ヨハンソン(サマンサ)ほか


マルコヴィッチの穴」「アダプテーション」の奇才スパイク・ジョーンズ監督が、「かいじゅうたちのいるところ」以来4年ぶりに手がけた長編作品。近未来のロサンゼルスを舞台に、携帯電話の音声アシスタントに恋心を抱いた男を描いたラブストーリー。他人の代わりに思いを伝える手紙を書く代筆ライターのセオドアは、長年連れ添った妻と別れ、傷心の日々を送っていた。そんな時、コンピューターや携帯電話から発せられる人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声にひかれ、次第に“彼女”と過ごす時間に幸せを感じるようになる。主人公セオドア役は「ザ・マスター」のホアキン・フェニックス。サマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが担当した。ジョーンズ監督が長編では初めて単独で脚本も手がけ、第86回アカデミー賞脚本賞を受賞。(映画.comより)



↑主人公セオドアの元妻のキャサリンの人の顔が学歴もあって上昇志向でヤンデレ風な感じが世界中いそうだなと思いました。このキャサリンやってたの「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラだったのかまったくわかんなかった。



 スパイク・ジョーンズ監督『her』はちょっとウトウトしながら観た。OS1の人格であるサマンサの存在に新しいものは感じられないのは『多重人格探偵サイコ』でずっと人格とその容れ物である肉体の物語をずっと読んでいたからなのかもしれない。人格はプログラムなのか?ということについて。
 野島伸司脚本『世紀末の詩』に出てきた気がするが大事故でもはや見るにも耐えないほどの大怪我をしてしまった恋人とその恋人と見た目は変わらないが(クローンとか)中身は違う二人がいたらどちらを愛せるかという件があったと思うがそういうことを考えたりした。
 肉体がない人格だけに恋をするとなるとサマンサが一度しようとしたあのような出来事が起こるのはわかる感じだし、違う肉体だけどその人じゃなくても愛する人の心や人格を持っているとする他人はどうなのか?という問いに彼が示した反応は至極当然だろう。あんまりのれなかったけどLAには一度住んでみたいかなと思ったりした。


 結局、サマンサとの関係の中でセオドアは元妻への想いをきちんと克服というか乗り越えていく装置みたいな感じになっていて、サマンサとの恋は次なるものへの布石への価値観の変化みたいなものかも。なにがのれなかったんだろうなあ、セオドアに近しい状態にあると言えばそうなんだけどサマンサみたいなものにあそこまで感情移入するかどうかは実際わからないけど。


 恋愛ってのは社会的に許された狂気であるというのはわかる。耳から聞こえるだけのサマンサの声で他者から見れば一人でウキウキしてテンションの高いセオドアは変人だけど恋愛してる時はみんなそんなもので、あれは実際にはいるであろう人が透明だったらというだけなので恋愛自体がけっこうな狂気を孕んでいる。
 で、その狂気の時期ってのはある程度の期間が過ぎちゃうとモードが徐々に平穏な元の正常モードになっていく、それが愛に変わったと錯覚するのか興味がなくなったのかと思うのはその人次第だと思う。
 やっぱり恋は現在進行形だけど愛は過去形だと思うんだよなあ、愛は終わった後にだけわかる過去形の過ぎ去った気持ちに名付けたもののような気がずっと前からしている。これは記憶と時間というものについて考えているのでそんな考え方になってしまっているんだと思う。

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