Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『青天の霹靂』



監督・劇団ひとり
出演・大泉洋/轟晴夫、柴咲コウ/花村悦子、劇団ひとり/轟正太郎、笹野高史風間杜夫など




お笑いタレントの劇団ひとりが、自身の書き下ろし小説を初監督で映画化。売れないマジシャンの男が40年前にタイムスリップし、生き別れたはずの両親との出会いを通して自分の出生の秘密を知っていく姿を笑いとユーモアを交えながら描く。39歳の売れないマジシャンの晴夫は、母に捨てられ、父とは絶縁状態。ある日、父の訃報を聞いて絶望した晴夫は、気がつくと40年前の浅草にタイムスリップしていた。そこで若き日の父・正太郎と母・悦子と出会い、スプーン曲げのマジックで人気マジシャンになった晴夫は、父とコンビを組むことに。やがて母の妊娠が発覚し、10カ月後に生まれてくるはずの自分を待つ晴夫は、自身の出生の秘密と向き合うこととなる。主人公・晴夫役で大泉洋が主演。劇団ひとりが父・正太郎に扮し、母・悦子を柴咲コウが演じる。(映画.comより)


 今日から公開初日。TOHOシネマズ渋谷にて9時半の回。三、四割ぐらい埋まってたかなあ。舞台挨拶とあるとかは満員だろうけど渋谷では思ったよりも埋まってなかった感。この所映画の宣伝で大泉洋さんがたくさんテレビ出ているのを見ているが、どちらかというとそれでお腹いっぱいになってしまっていたりはしないか? 
 劇団ひとりさんは小説の評価もあるしやはり曲者で評価もされているし、吉本の芸人さんの映画よりも断然よいと思うのだが。実際観た感想はとてもよかった。
 時間も90分ぐらいだし物語の構造もしっかりしている。ただ、タイムスリップして自分が生まれる前の両親に会うという物語というのも事前にわかっているし宣伝等で流されている『命かけて子供産むような母親じゃ、つじつまあわねえんだよ』という台詞が出ちゃってるのでほとんど物語わかっちゃってるのがもったいないような気がしなくもない。



↑このシーンで悦子が正太郎に最後にいうシーンで彼女はわかってんだってわからすのとか説明台詞にならないしいいなって思った。劇団ひとりの知性というか芸風にも通じているような、小説は未読だけどこの辺りも伏線じゃないけどうまく書かれているのだろう、たぶん。



「青天の霹靂」に描かれた腐らずに生きること
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishimorimichiyo/20140522-00035554/
↑ライターの西森さんが書かれていた文章。


「希望に胸ふくらませた幼少時代とは裏腹に、この世代以降の人にとって、自分の両親を超えるどころか、両親と同じような「普通」を手に入れることはけっこう難しいことなのは筆者自身も実感しています。」
 ってあるんだけど僕らの両親世代の「普通」がもはや当たり前でなくなってしまった現在について考える。
 戦後生まれぐらいの人間がただ日本の歴史においてレア中のレアな時代を過ごせただけなのでそんな「普通」はシカトしておきたい。僕の父は67歳ぐらいなのでちょうど戦後に生まれている。戦後復興と共に育って日本の堕ちていく途中で死ねる人たちだ。バブル後の責任だったり自分たちが受けた恩恵が生んでしまった負の遺産の責任も取らずに後回しにできる世代だとも言えるだろう。
 ただ、父はその「普通」でなかった人なので僕にとっては世間で言う所の「普通」というのはなんとなくわかるけど実体験としてはないというのが本音でもある。
 ネクタイを結んで会社に出社して恋愛結婚して家族を作ってみたいな「普通」の人生を年功序列で年を取れば給料が上がるという会社に務めてもいなかった。それもただの幻想なのだろうけど。
 祖父母の世代は戦前、戦中、戦後を体験しているしその前の世代だって第一次世界大戦とか明治維新だったりとかを体験して目まぐるしく世界が変革するのを体験し今よりも混沌としていたと思う。彼らの世代の「普通」はやっぱりレアすぎるのでその価値観に押しつぶされないようにはしておきたい。



 『青天の霹靂』は『千と千尋の神隠し』同様に主人公が別次元or別時間に行くと名前を与えられ、新たに名付けられる。
 ペペや千として新しく生まれるように過ごしていく。前者は主人公自身の出生と父と母に出会うことである意味で自分のダメな人生の呪いを解いていく。
 新しく名付けられ過ごした時間は鯨の胎内あるいは死者の国で過ごしたことに近い。英雄神話や世界中の民話にある一度黄泉の国に行き帰還するものたちを思わせる。
 物語の基本的なモチーフ。つまり王道的な物語。新しく名付けられた過ごした時間から元いた場所に名前に戻ると二つの名前と時間が再統合される。『青天の霹靂』はそういったきちんとした構造もあるので安心して観れる作品だと思う。口コミでどこまで広がるかがヒットに繋がるかどうかかな、ただ渋谷が人いなかっただけってこともあるのかもしれないが。