七十代にして現役、マタニティスイミング教師の晶子。家族愛から遠ざかって育ち、望まぬ子を宿したカメラマンの真菜。全く違う人生が震災の夜に交差したなら、それは二人の記念日になる。食べる、働く、育てる、生きぬく――戦前から現代まで、女性たちの生きかたを丹念に追うことで、大切なものを教えてくれる感動長編。
『アニバーサリー』 新潮社サイトより
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小さくため息をつき、真菜は手にしたカメラで目の前にあるロープの張られた空き地を撮った。真菜は思う。
風景は自分が目を離した隙に、大きく変わってしまう。無くなってしまったものは、もう、どうやっても写真に写すことはできないし、撮りたいと思ったときに撮らないと、そのチャンスは二度とやってこないんだ、と。
風景も、建物も、どんなものだって、変化しないものはない。そのことを思うと、なぜだかひどく寂しい気持ちになるのだった。
窪美澄著『アニバーサリー』より
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「こんな時だから速度の遅い小説(メディア)が必要だからがんばって書き上げろ」と震災後のイベントに行った僕に言ってくれたのは小説家の古川日出男さんでした。いろんな言葉や想いがネット上には舞って流れていきます。
現在のメディアの中で速度の遅い小説という形を取る事で物語として文字を綴る事の中で言葉にならないものをなんとか伝えようとする、しかしそれは書く方も読む方も時間がかかる行為です。
だからこそ瞬発性はないが浸透性は高いのかもしれない、ふかくふかく読者の中に降りていく言葉や想いがその人の心の奥底にある湖に小さな小石を投げるように波紋を生んで今までとは違うその人の心のありようや感受性をもたらすことがきっと小説にはあるのだと僕は信じています。
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少しずつ豊かになって便利になった。
そして、同時に、何かが少しずつ損なわれていったのだ。自分の知らないところで。
(中略)
明るいものを、温かいものを、自分より後に生まれた人たちに渡していたはずなのに、それは自分が思っているよりも、ずっと冷たくて硬いものだったのかもしれない。真菜に言われたように、私たちは望みすぎたのかもしれない。もっと、もっとたくさん。二つの手のひらに載せられないものを私たちは欲しがったのだ。
『アニバーサリー』より
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窪美澄さんの四冊目の新刊『アニバーサリー』について少しだけ。前回の『水道橋博士のメルマ旬報』で取り上げた加藤シゲアキ著『閃光スクランブル』の帯に窪さんがコメント書いていて気になったこともあったり、この作品の終わりの場所は『閃光スクランブル』に繋がるような気もしているのでどちらも読むと僕のような楽しみ方もできると思います、間違った楽しみ方かもしれないですが。
戦前から東北東日本大震災までを母親になった女性を軸に描いている作品。戦前から戦争が終わり高度経済期を生きてきたおばあちゃん世代の晶子と95年に女子高生だった真菜という世代を交互に描き最後に結びつけていく。
1935年(昭和10年)に両国で花火大会があったその日に質店に生まれた晶子とイラン・イラク戦争が勃発し山口百恵の引退コンサートをした1980年(昭和55年)にサラリーマンと専業主婦(母は数年後に売れっ子の料理研究家になっていく)の両親の間に生まれた真菜という二世代離れた二人が現在まで生きてきた間に起きた大きな出来事として東京大空襲のあった3月10日、終戦記念日の8月15日、そして3月11日が出てくる。
戦争も原発も極めて男性社会が望んだものとして結果的に多くのものを奪い(もちろん経済的には与えはしたがその代償は大きかった)女性たちの人生は変えられてしまい、その日たちは区切りとして年表に刻まれた。
晶子よりは十歳ばかり年上の糸子が主人公だった渡辺あや脚本のNHK朝の連続ドラマ『カーネーション』を思い出す。
傑作ドラマで評価も高いので未見の方はぜひ!なのだがやはりこの小説で描かれる晶子が生きてきた戦前と戦後が描かれていた。ただ糸子は自分のやりたいことを父を認めさせ女系家族のようになっていく中で母としてよりは一家の父として機能していくようになりその結果として彼女は愛しい人とはうまくいかないなどこの小説とは違う方向性になっていくのだが印象深かったのはやはり終戦記念日の玉音放送の回だ。
今までの終戦記念ドラマなどのイメージで天皇陛下の玉音放送を家族で聞いて日本が戦争に負けた事を知ると泣き崩れるという映像が脳内にあった。しかし、このドラマでは聞き終わると糸子は「さあ、ご飯の支度しましょう」と極めて普段の生活の延長線の行動をした。
そう戦争に負けても続いている日々は変わっていくけど終わりはしない。その事は僕にあの日以降の生活とダブって見えてああヤケにリアルだなと見ながら感じたものだった。
今作『アニバーサリー』を読んでいて窪さんが意識的にやっていると思ったのは、新潮から出ている第一作『ふがいない僕は空を見た』、第二作『晴天の迷いクジラ』の要素を掛け合わせて二つの時代を書いているということだった。『ふがいない僕は空を見た』では性的な衝動や行動は人間の性であり、それは子供を作る行為でもある、なぜわたしはここにいるのだろう?という存在意識の根本としてまずある。
故に家族を描く際に避けては通れない。それを今作では第一作『ふがいない僕は空を見た』で扱った出産という人の誕生をもう一度メインにしている。そう生命のバトンタッチを。
セックスをして子供が生まれたから家族になったの?なれるの?血の繋がりがあろうが個人個人の関係のなかで一緒に暮らすと言う事はどういうことなのか? 抱えきれなくなった想いの行く先はどこなのか、を窪さんは小説で書いていると思う。
第二作『晴天の迷いクジラ』からの要素としては辛かったら逃げてもいいんだよというメッセージや登場人物の行動、そして血の繋がった家族ですら居場所がなくても疑似家族的な血の繋がりもないけども関係性を築ける人々の元に逃げる、あるいは作れるのならそれでいい、死ぬよりは絶対に生きていけるその可能性はきっとあるからと。
最新作『アニバーサリー』は前二作で窪さんが書いてきたそれらと震災の後の人の心のありようや想い、不安を母になった真菜が感じている中で祖母ほど年の離れた晶子との関わりの中で少しだけ和らいでいく。
真菜が産んだ娘に対してこんな世界に産んでしまってごめんねという気持ちが少しでも青空に近づくように、書かれていて描写や台詞がふいに心の奥にある泉に小石が投げられて波紋が広がっていく。
しかし、この見上げた空は移ろいやすく放射能も舞っているのかもしれない。それでも真菜が再び抱きしめた娘と歩き出すこの世界には色彩があり音があり匂いがしている、肌が感じる風の揺らぎも。僕たちの世界にはそれがあるのだと読みながら再確認できた。
当たり前の事なんだけど文字を読みながら感じる五感の有り様はひどく敏感になるのはやはり文字だけだったりすると想像力を刺激して繊細さが増すのかもしれない。
『アニバーサリー』だけではなくて他の小説家さんたちの書こうとしていることやライター、編集者の方がいま形にしようとしている本について聞いていて去年あたりから僕がよく思う事を最後に。
数年後にはかなりの数が揃い出すと思うが今現在、特に五十代と四十代(後半)の作家群が2011年を経て書かざるえなくなったのはやはり1995年という時代だということ。それはただの近過去ではない。
彼らが二十代や三十代の頃に同世代が起こした世界の終わりに向けての事件を含めて日本が確実に変化した95〜11年という季節はやはり日本にとっては大きすぎた。
彼らの両親世代以上が生きてきた中で大きな出来事は明らかに第二次世界大戦だった。そして敗戦の後には高度経済成長があった。彼らがリアルタイムで見て聞いて感じて知っていた事。
2011年の震災と原発問題の風化される速さを思う時にあっという間に風化された近過去のあの時代(1995年)を語りなおそう、しなければいけないという書き手の人がたくさんいると思うし、実際に多くの人が意識しているのが伝わってくる。
『アニバーサリー』と『別冊 文藝春秋』連載中の『さよなら、ニルヴァーナ』で窪さんは自身の作家性や自分の資質をこれでもかと投入しさらに幅広い読者に届けれるようシフトチェンジというかパワーを増しているように思えるのだ。そうしなければ95〜11年という大きな季節を現在に繋げて語り出すことは難しく僕ら読者に届かすのは難しいのだろうと、僕は想像している。
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