Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『藝人春秋』

藝人春秋

藝人春秋

水道橋博士さんの周りにいる(出会った)藝人さんたちを描く事で博士さんの立ち位置が明確になってくる。人生の中心であるはずの自分ではなく周りを描く事で浮かび上がるその視線のありか。
客観性としてのもの、しかし部外者では勿論なくそこにいる。ルポライターとしての記録したいんだという思いが読んでいてまず伝わってくる。読んでいると博士さんがきっと彼らの藝人の人生を記すためにビートたけしさんに導かれて弟子入りしたのではないかと思えてくる。
藝人としての水道橋博士として、藝人ではない素の人間としての小野正芳が入り混ざる視線はとても優しく感じられ彼らを見ている視線は芸人さんや業界を外から見ている僕らに近いために同化しやすくも思えてくる。


文章のテンポは非常によくてスラスラ読める。途中途中で挟まれてくる小ネタもジャブとしてあって、書き癖というか入れないとダメだという藝人としての性(さが)なのだと思うが、でもその流れで最後の稲川さんの所で口調を使ってこの本を書く過程を話されているのでああ、だからかと思って自分の中に溶け込んでいく。そしてこの綴られた文章が世に出る必然を身にしみて思う。
いや出るための点と点が繋がり星座のように見えるまでの時間はやはりかかってしまうがそれ故に文章として文藝としての強度は増している。


そのまんま東
師弟関係≒親子関係、息子(弟子)は父(師匠)を殺せるか? いや師匠は弟子に殺されたいと思えるのか?
橋本さんが石原前都知事に見てしまう父の幻影、父殺しの通過儀礼。息子ブッシュが父ブッシュへのすべてを今までダメな自分の自信の回復のために起こした戦争、もろもろあわせて考えてしまう橋本さんと石原さん。僕はよく246沿いを走っていた東さんを見ていたが眼光は鋭かったのをよく覚えている。


甲本ヒロト
「中学時代、ラジオからビートルズが流れてきたからロックをはじめた!」
 それを意識したボクは何度もこう書いた。
「中学時代、ラジオからビートたけしが流れてきたから芸人をはじめた!」
僕は中学の時に見た野島伸司脚本『未成年』見て物語に興味持ってそれに関りたいと思ったけど、『未成年』の一話の冒頭はいしだ壱成さん演じるヒロトハイロウズのライブの警備員をしている所から始まった。あの時14歳の年だった。
14歳で出会った衝撃のままに進んでいきその二倍の28歳になって30が見えて現実的とか考えてしまうのが29歳問題なのかもしれないな。だけどそこを越えたらずっと14歳の魂は残るんじゃないか。


石倉三郎
「芸人から役者を始めて、やたら力んでいたのによぉ、ふっと力が抜けた気がするなぁ、芸人も役者も結局一緒なんだよ。売れるチャンスを待ってんのも役を待つのもおんなじ事だって!」ここで涙が溢れてくる。


草野仁
親子の遺伝子。草野さんが傲慢にならずにすんだのはお父さんがいたからこそ。が本質は格闘家である。それをうまく引き出した浅草キッドのお二人。ギャップが与える草野さんのすごさと面白さ。


古館伊知郎
マジメなトーンで違う事をいうのが面白い。これはマジメにふざけるということに近いのではないか。これができるにはかなりの知性と冷静さに技術が必要とされる。古館さんを見た時に感じるなにか冷たい視線とはその奥に隠されたものの反転だったのか。


三又又三
エヴァンゲリオン』風に言えば人の心の壁であるA.T.フィールドをやすやすとこじ開けるまでもなくするんと入り込んでしまう才能と気にしないガサツさがなければこれはできない。しかし、これは努力とかやり方を覚えるというよりは生まれ持った才能だとしか思えない。


堀江貴文
堀江さんは最初から宇宙を目指していた。
僕は早く出所してほしいと前から思ってる。なんで堀江さんの事が気になると言うかイヤな気がしないのかといえば言う事は真っ当だからでやり方が従来の方式とは違うから嫌われるんだろうなって。
三又さんの龍馬出資の話で思い出したけど堀江さんが収監された時にやっていた大河ドラマ龍馬伝』が人気で賞賛してたおっさん連中に堀江さんなんて龍馬みたいに価値観壊して新しいことしようとしてるんだから龍馬伝賞賛するなら堀江さんの本とか言動の本質とらえようよと思っていた。


湯浅卓
テレビでのキャラ立ちした湯浅さんを文章で書くとその胡散臭さは膨れ上がるのだなと思えてくるのは画的に会話が自慢話になっていってしまう彼のキャラ故なのだろう。
読んでて何か物足りないなあと感じていると次の苫米地の前フリのようになっていてなるほどと思う。それ故に哀愁さも増す。なにか『トカゲのおっさん』が浮かんだ。


苫米地英人
湯浅さんを読んで最近のことを読んでからの苫米地さんのサラブレッドの中の本当に一握りである華麗なる一族とそのディベート能力が展開すると確かに嘘だろ?からこの人マジでヤバい、すげえと思う部分が自分の中で肥大していく、が脳裏の一部では出てくる「洗脳」という単語に反応している部分があるのである種の冷静さがある。だけど本人目の前でひたすら湯水のように話されたらたぶん無理だと読みながら思う。


三又〜堀江〜湯浅〜苫米地の四人の流れは掴みとしてすごくよくて三人は藝人さんじゃないけどそこにある過剰さや振り切ってしまっているものは藝人さん同様に知りたいと思うし本当かよ?っていうバランスをうまく描き出されていてこの四つが中間にあることで前と後がさらに活きる構造だと思う。


テリー伊藤
絶対に出たくないと思える会議、怖すぎる。こんな修羅場いや地獄から笑いは作られる。喜劇と悲劇は紙一重、いや見方によるだけなのか。
セックスでまばたきするなの話は面白すぎる。


ポール牧
人を可愛がる、いや実際に子どものように父として振る舞える彼のひょうひょうさ、しかし子供が成長するには父が老いていくこと力を失う事を実感することが必要悪なのかもしれない。そしてその事によって父の苦悩は万能感すらあったものが失われるときの痛みを考えると想像を絶する。


甲本ヒロト
「いや談志がやっているアナーキーってわかるんだぁ。理屈じゃないんだって。昔はロックはアンチ主軸だったのが、今は王道でド真ん中なの。(以下は本で確認してください。すごく良い部分です)」



爆笑“いじめ”問題
博士さんの時代にはたけしさんがいて、僕らいわゆるロスジェネと呼ばれた世代が思春期の頃には「ごっつええ感じ」が全盛期だった。僕がテレビを見て涙を出して転げ回って笑ったのはその番組で東野さんの頭をかた焼きそばに見立ててあんかけをいきなり押さえつけてかけるというものだった。それが何度も繰り返され熱かったあんは冷えていくがそれでも繰り返される。その日から僕の中で東野幸治さんは輝く芸人になった。
いじめの問題。『桐島、部活やめるってよ』はいじめはないが明らかで本人たちも自覚しているスクールカーストがある。だがあの中でもし虐められても決して虐めをしない人間が二人いる。
前田とキャプテンだ。自分のしたいことがわかっている故に最強で実は最初から最後までまったく変わらない位置にいる彼ら。いじめをする人間が何かを真剣でやっていたら、周りなんか気にしないほどの強さがあればそんな事をしないと思う。だけどそんな強さをたいていの人は持てない。


北野武松本人志を巡る30年
この二人がいるということの祝福と呪縛の狭間で。そして哀愁が笑いになるということを日本の文化に完全に定着させたのもこのお二人だと思う。
僕は小学生の頃はとても面白かった人気者だった友達とコンビを組んで吉本に入りたいと内心思っていた。藝人さんに憧れている部分はあってそれは完全にダウンタウンさんの影響だった。だからこうして博士さんの文章やその他の事でその辺りが繋がっていることがとても不思議で面白く思える。


稲川淳二
一度だけ稲川さんの怪談ライブをいつも観に行っているというバイト先の人と観に行った事があって、稲川さんがステージに出てくるとみんな「ジュンジー!」「ジュンちゃ〜ん!」ってまるでアイドルのライブみたいに声援をあげていて僕も初めてだったけどそう勇気を出して言ってみたらすごく気持ちよくなった。
でも、本来怪談とか怖し苦手で稲川さんが話をしてたり心霊写真について解説してるとビビリまくりで恐かったのをよく覚えている。
でも、終わってみるとなんだかすっきりした気持ちになって終わった後の会場のロビーにはファンの人の笑顔が溢れてて、稲川さんのいうようにエネルギーがその場に居た人の中にプラスに働いているのを思い出した。


あとがきに出てくるあの人について
タマフル』におけるサタデーナイトラボ「大林宣彦監督降臨!」で大林監督が「ベテラン少年監督」=「ある種の作家は年を取れば取るほどやんちゃになっていく」=「それが芸術」&「ただそこで正気が保てるかがベテランの作家」とあったのを思い出す。


藝人春秋と題されたこの作品の裏テーマは父と子と思春期(14歳)の衝動であるように思える。師弟関係というものは疑似親子でありながらも実際の親子よりも時には強く結ばれ兄弟子・弟弟子という兄弟の中にいる。誰もが父親の愛を欲する。
そのまんま東さんが『ビートたけし殺人事件』を書く事で象徴的な父である師匠を殺す事ができていたために県知事になる際に事務所を辞め師弟関係を解消できたように感じられる。
石倉さんの章もドラマを通す事で博士さんの父子、そして父(博士さん)子(たけしくん)に繋がりドラマで師匠の過去にダイブする事で現在の自身の親子に言及していく。
草野仁さんでは親子のDNAのどんなに無視しようとしてもできないもの、切っても切れないその遺伝子。戦争を体験した親を持つ人とその子どもの間にあるもの。
博士さんの同級生なヒロトさんの章は読み手自体も十四歳に戻ってしまう。そこにヒロトさんの大ファンのスズキ秘書さんがいるので客観的にも見ることができる。
夢を叶えた人とそれにひかれ人生を変えられた人という立場でありながらどちらも少年に戻れる、いや少年の魂をきちんと引き連れて年を重ねている。これこそが12歳の少年とマッカーサーに言われた日本のある種の成熟の形ではないのだろうか、違うかでもいいとも思うんだよなあ。



三又さんはネタ的にもだが中性的であり兄であり姉である。しかもローショーンまみれでここは入れなくない?という隙間に入り込んでそこで居場所を作れてしまう。近所に住んでて何してるのかわからないが顔は異様に広い人というか、これはいろんな所に顔を出すということ以前に生まれ持った天性のものがデカく努力とかの問題ではない。親戚とかにいるときっと面白いのだろうが身近だと大変そうだ…。


談志師匠とヒロトさん。思春期の時に好きだった人をずっと追いかけていたいという気持ちがきっとずっと思春期を持ち続けて心の奥の小さな部屋にその灯火が残り続けるのだろう。


堀江さんはダメになった日本、象徴的な父などいなくなった世界でもはや殺す価値のある父がいない日本の中で新しい価値観を作りだそうとし昭和の亡霊のような平成という時代にその亡霊に宇宙にいくのを遮られた。早く出所してほしいと思うのと出てきた彼と亡霊たちの次の戦いはどうなるのかが気になる。まるで視えない戦争は始まるのか?


湯浅さんは苫米地さんのかませ犬に見えてしまう。これはおそらくどうしようもない。あとこのお二人に関しては僕はほかの方々ほど惹かれなかったのはなんだろう。ホワイトカラーを嫌悪してるとは自分では思わないのでたぶん胡散臭さをもっと楽しめばよかったのだと思う。あと僕が彼らをほとんどテレビとかで見てないので威力が半減しているのかも。
そして彼はサラブレッド中のサラブレッド、この二人の章は単純に普通から見れば大丈夫なのか?真実と虚実が交ざり合いすぎてるように思える。


裏方であった人が表に出てきて完全な存在になるというテリーさん。そういえばテリーさんが関っている番組を知らずと見てきていたからかテリーさんが出演者として出てきても何の違和感もなく受入れられたのはまさかそれも含めて大きな番組作りだったのか。『血と骨』を連想させるテレビの父親。
ポールさんの話は憧れてしまう一種の親子関係、年長者に可愛がってもらえるというものがあり、器の大きさと同じほどの何かを抱えていらしたのだと思うとそれを埋めれるような可愛がってもらえる人という存在も同じように大事だ。



自分がなぜ生きているのか考える時、思春期。性と死と生の中で射精した後のようなまどろんだ気持ちの中で袋小路に陥る。いじめ問題から見えるもの。ドラマを見ていてどうせ人は死ぬじゃんと思えた時に僕も楽になったのを覚えている。


たけしとひとしを語る、それはもうお笑い好きな人には自身のお笑い感と人生観を露呈してしまう二大巨頭。そしてそれを博士さんが語ることで僕らファンにも冷静に伝わりながらこの二人が時代を切り拓いていったことがわかる。
稲川さんの話は目に見えないものについて。稲川口調で『藝人春秋』を出す流れを書かれているのは照れ隠しなんだろうなとも思いつつ、それが効果的に響いてくる。


いつか水道橋博士著『天才 北野武』読みたい。きっとそれが博士さんがビートたけしに惹かれたある要因なのではないかとすら思えてくる。
一族の中で物書きが現れてその一族史を記すようにたけし軍団の中で書き手の方はたくさんいるけども、それが博士さんがすべきことなのだろうと思うし次に『藝人春秋 ビヨンド』出ないかなと、首を長くして楽しみに待っていよう。