Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

快快『SHIBAHAMA』06/05 @東京芸術劇場

detune. / さとりのしょPV


 快快=faifaiの新作舞台=パフォーマンス『SHIBAHAMA』を観にゴリラWSをやって以来、いやはやゴリラ対人のガチンコボクシングを観て以来の池袋。西は東武〜みたいな『I.W.G.P』の歌が脳内リフレイン、しかし池袋駅は慣れていないのでもちろん迷子、方向音痴、いやはや芝浜、しかしここは池袋、僕は池袋の地下内の地図が脳内にないのうだから仕方ない。
 毎度来る度によくわからん、東口に西口に北口に南口に、つまりは、青龍、白虎、玄武、朱雀がいるってさ、でも池袋にいるのはいけふくろう猛禽類


 猛禽類は空中を生活の場とする生物の中で生体ピラミッドの頂点に立っていて、大型の高次消費者なんだってさ、ふーむ池袋〜。てなわけで芝浜に行く前に整体ピラミッドならぬ、池袋なのに『えびす整体』で体をボキボキ言わさない整体で体を調節、四時からの予約なのに四時七分に終わったので、はやっ、十分前に着いたからまあ、でもはやっぶさ。


 諸々食べたり歩いたりして東京芸術劇場の小ホール1に。快快の舞台って観るの何度目だ、四度目ぐらいか。テン年代はポップなものが時代を作るみたいなことを信じちゃえたのはゼロ年代の終わりに彼らの舞台を観たからだったし、こういう空気ってあるんだというか作っちゃえばいいのかって納得したり、すげえ身体性がやってきたよとか思ったり、だからなんだか足を運んでしまう。


 表現する場所に足を運ばす吸引力ってのがめっちゃ大事、これからは表現は今まで以上に金にならなくなるし、プロとして食える人もたぶん減っていく、うん、だってこんなにも僕らが発信できる機械や機会が溢れているし、選択肢は増えていくのだから。だからこその金になる吸引力、そこに引き寄せる磁場みたいなものは今まで以上に眩しくなるかもしれないよとか書いてしまおう。


 『SHIBAHAMA』は古典落語の芝浜で、なんていうのかな、まずは言葉があるよね、落語としての、それを抽出しちゃう、しかも重ねちゃったりリズムに乗せてダンサブルに、ダンサブル、うー、たぶん身体性ってことだよ、きっと。
 体の動きと言葉とリズムと音楽と照明と、その場所にある空気っつうのかな、マジでそれらは極彩色みたいなポップに彩られていて、時折バラエティー的なノリだとかさ、本気と書いてガチなボクシング、僕私ingじゃなくてさ、殴り合いだとかさ、なんでか演者のコージに最初に言われて人柱的なリングになってみたり、枠から対戦している二人がでないように。


 だから殴ってるから振りかぶったりステップとか体の反動、とか目の前だからスピード、うん躍動しちゃっててきちんと見てないと確実に当たるのがわかるから視覚がね。視覚に比重が置かれて、うん、だからゲストのDetuneのごーくんが歌っていた『さとりのしょ』はまったく聴こえなかったのだ。


 聴覚が普段よりも動いていなかった? リアリー? 視覚の方に意識集中、世界はバランスだね、と思う。でも、最初にゲスト紹介で彼が、Detuneのごーくんが歌った『星に願いを☆』はすげえ好きでアコースティック版で聴けてラッキーだとか思ってたわけじゃんか、マジで、ホントに、しかしだな、ボクシングの時に歌っていた歌は僕は聴いてる余裕なかったっす、いやマジ泣けったっす、スチャ?いいんや、ライブだねえ、うんライフだねえ。


 快快はなんだろうな、ポップなんすよ、で今回はそこにサイケなサイケデリック〜も加わってる。マジックマッシュルームやったみたいな、警察に駆け込んじゃう伊藤英明みたいな、僕はやったことないから想像だけどもたぶん、マジックマッシュルームを食ってないのに見ちゃうんですよね、ポップでサイケななんか、そういう種類の興奮だとかわけわかんないけど楽しーとか、意味って何だね?みたいな、俄然意味はあるだろうけど、混乱しちゃってぶっ飛ぶ感じ。


 イヤッホーと空間を作り替えちゃうパフォーマンス・カンパニーですよ、かわいくて勇敢なポップモンスターつうか、マイケルが死んで小沢健二が帰ってきたのはきっと偶然じゃないし、勝手に意味付けちゃっていいんだけども、だから付けちゃおう。
 王は新しい時代の前に死ぬことでもう一度自らの力を世界に誇示したし、王子は長い旅から帰還した。これはどうしようもない世界にポップなテロが咲き乱れる大きな流れだった。どうしようもない世界に極彩色のポップを。


 快快はその空間を、そこにいる人達を巻き込んで行く、誰も阻害しない、来るもの拒まずみたいな、そういう無邪気な優しさがあって、だから誰も傷つかない。そんな優しさがポップな散乱銃として飛び交っていて、すごい多幸感が溢れてる。そんなラブ&ポップなピースなヴァイブス、えっ窪塚君はもち好きっすよ、僕は好きっすね、うん。


 そっか快快はラブ&ポップなんだ。ジョーン、ヨーコみたいなノリとかね。なんか巻き込まれちゃったらいいんじゃない、面白そうなとこや人のとこに行くってのも現状を変える手段の一つだよなってよく思う。


 『SHIBAHAMA』はポップでサイケで楽しい、なんだろう幻覚トリック観てるみたいな極彩色な空間。いつも快快のパフォーマンスは楽しいけどこの楽しさは言葉じゃなくて五感で感じないと伝わらないし、説明できないのもなんだかいい。なんかわからないことや説明できないって事が世界には必要だし大事だ。しかもそれを構成しているのがポップとサイケ、世界は彩りに満ちてる、いや満ちてるんだけどそれを忘れちゃうんだ、毎日の中で。思い出すと足取りは軽い。

わ・を・ん

わ・を・ん

sono

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