Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

オモシロキコトナキ世ヲオモシロク

 古川日出男「4444」24話「いくらですかと運賃をきいてみます?」配信。


Twitterが一時アクセス不能状態に 〜 「Iranian Cyber Army」によるハッキング?
 昨日は繋がらないなあって思ってた。その後繋がると識者の人たちがハッキングされたとつぶやいていた。


 犯行声明本文「米国はアクセスによってインターネットを支配し管理しているつもりでいるが、それは違う。われわれは力によってインターネットを支配し管理する。イランの人民を刺激するのはやめろ。さもないと。さて、いま、禁輸国リストに載っているのはどっちの国か。イランか、それともアメリカか? われわれがアメリカを禁輸国リストに載せてやる。気をつけて」


 という感じのないようだったらしい。冷戦はソビエトの崩壊によって、寒さに負けたのか? 資本主義のグローバリゼーションという宗教の支配には勝てなかった。共産主義は過去の遺産。アメリカは敵を作ってはその敵を倒すという単純な物語を自作自演する、それを繰り返して世界の警察であるという自意識を持ち、世界をリードしていこうとする。
 だけども、その敵と名指しされる人たちや国が本当に悪かと言えば、もはや言いきれない。誰だって迫害され黒い宝石、石油をひたすら搾取され、自らの宗教を否定され同胞を殺され続ければ報復をしてくるのは当然の成り行きだ。


 黒沢清監督「トウキョウソナタ」で兄が米軍に入り戦火に派遣され、やがて届いた手紙には米軍からではなく、イスラム圏内から届けられて「僕はみんな(家族)を守るためにこちら側につくことにした」という趣旨のことを書いて家族に送ってきたのに違和感がないのは僕らはもう世の中のニュースが全て事実ではなくある種の虚偽も含まれていることやアメリカが正義だとは思えなくなっているからだ。


 きちんと読んでいないけど「スヌーザー」の年間ベストアルバム一位はGIRLS「ALBUM」だった。各種のメディアが彼らを絶賛しているのは次の流れやシーンを考える上でも重要で新しく、音楽性も評価できるからだろう。確かに非常に聴きやすい。一月のライブチケはとったので観てどこまで響かせてくれるのか楽しみ。


 バイオグラフィティーにはカルト教団から抜け出したボーカルというバッググランドとかもあんだけど、それはそれとして知らなくてもいいなあって思えるし、それを知って歌詞を見ると「女の子」の事しか書いてないっていう、暗さがない。
 少しだけ記事を読んでいてそうだなって思ったのは、確かに村上春樹著「1Q84」ともボーカル・クリストファーのバッググランドは似ている。色々と符合するのはたまたまだろうけど、同時代に実は世の中に現れてしまうことはシンクロニシティ、それは僕のような受け手にだけかもしれないけど、そこに意味は、ある。


GIRLS - LUST FOR LIFE


GIRLS - Solitude (Live at The Hemlock Tavern, San Fransisco - 06/06/2009)


 昨日は池袋で快快(faifai)のゴリラの最終日。ガチンコボクシングだった。石田衣良著「池袋ウエストゲートパーク」が堤幸彦演出で宮藤官九郎脚本によって一躍有名になった。「I.W.G.P」に設置された半円形の巨大なテント、三分一ぐらいはビニールで外からも見えてあとは白い。中にはゴリラのスナップや、前にあったゴリラの似顔絵で書かれた画用紙が飾ってあり、最終日はDJタイムで中は踊れる音楽がかかっていた。


 快快(faifai)の顔見知りのメンバーに挨拶をしてメインイベントの「ゴリラvs人間」ガチンコボクシングを待っていた。ゴリラに入っているメンバーのコージは元プロボクサーらしく、初めて知ったけど。どうなるんだろうって思いながら。
 僕がWS(ワークショップ)で着させてもらった子ゴリラのぬいぐるみを着た四人のメンバーによってテント内に四角形にロープが張られリングができる。ギャラリーは増えてテントの中は熱気が。これを観に来た人も、たまたま通りかかって入ってきた人も混ざり合って観客として。


 僕とかみたいな知ってて来る人よりもそうやって巻き込まれて楽しそうだから入ってきて見てるような人をいかに楽しい場に巻き込んでいくかって事が実はこういうイベントでは大事なんだろうなって思った。ポップな事やイベントはそれに関係していない知らない人を巻き込む力がないと盛り上がっていかないし、力が増さないと思う。それができていたのか? 


 できていたと思う。あの空気感は興奮と期待と面白がろうとする人の熱がテントの中に萌芽していたから。


 最初はゴリラは全身ゴリラを着ていた。だから顔を殴られても顔へのダメージはあまりなかったと思う。だけど視界が悪すぎるのは見ていてわかる。ラウンドガールとなった梨乃ちゃんがゴリラ募金を集めていたりと。次第に白熱する試合。ゴリラを着ていても元プロボクサーの動きは対戦相手の人(ごめん、名前忘れた)よりもやっぱり速いし、パンチがどう見ても重い。


 でも、対戦相手の人間側が王者ってことになっていたのかな、彼も受けても応戦していた。ラウンドが進むにつれてコージもゴリラの上半身を脱いで戦い始めた。この辺りからけっこうなパンチを王者は喰らっていたし、コージも前半でのゴリラを着て動いた時の体力の消費が激しかったみたいでパンチを何度ももらって、二人ともかなりしんどい状態になっていた。


 だから見ていてコージに早く終わらせれやれって叫びながら見ていた。王者は空手をしていたみたいだけど、いくらなんでも元プロのパンチを何度ももらって、なんとか戦っているのだから早く終わらせてあげた方がいいと思ったから。だけども二人とも体力消費がひどくて最後まで戦いきった。偉い、拍手と歓声が半円形の中で響いている。






 それから僕らは一度テントから出てしばらく池袋で時間を潰した。本屋で東さんの処女小説「クォンタム・ファミリーズ」があったけどアマゾンで予約してしまったので買えなかった。なんだか歯がゆい。


 声援というか声を出していたら風邪引き始めの僕には応えたらしく、最後までイベント見れそうにないなって思って、DJタイムをしているテントに行った。ちょうどマイケル・ジャクソンがかかっていたぐらいで、いい感じのノリだった。
 ゴリラが出て行くのを見て少しして出て行った。前回にWSに着た時になんとなくゴリラがトイレの後ろの建物に行くのを見ていたのでそっちに行ったと思って行っていたらちょうどゴリラを着たコージが二階から降りてきたので声をかけた。


 一月のトラムの舞台に行くって話して、「君に届け」話をほんの少しした。「来てくれてありがとう」と言ってくれたけど、僕はこんな面白そうなイベントならやってきちゃうタイプの人間なので、こちらこそありがとうという気持ちだった。


 帰ったら風邪のせいか頭痛とうっすらとした吐き気があったから風邪薬飲んで寝た。起きたら頭痛と吐き気は治まっていた。


 ゴリラのイベントも快快のメンバーだけではなくバックアップしている人や企業とかがもちろんいて、なんだか不景気とか言ってるけどそういう楽しいイベントを楽しんでやろうってしている人たちはいる。
 面白い事がないわけではないし、家から出て行ってそういうとこに顔を出すのもいいし、自らアクションを起こすとか、方法はたくさんある。いろんな事を面白がっていけば寒空のしたでも熱気もあるし笑顔もあるし、面白い連中が、出会ってないだけでいる。


 僕がこのゼロ年代後半の数年で出会った人たちは自分たちの空間を作ろうとしていたり、世界を面白がっている人たちが多かった。飲み会やイベントやライブで会った人が大半だけど、その場所や繋がるイベント、ライブに行けば会えたし、外に出かけて行く事でその場所に行く事で会える事や繋がる事が面白かった。


 世界がつまらないとはまったく思えなくなったのが、この数年間。つまらないのはつまらない場所にいるからで、出て行けば楽しい、面白い場所はいくらでもあったし人もいた。世界がつまらないと言ってる奴はその言葉に呪縛されている事を理解していない。
 言葉には言霊がある、自身の内面が顕在化するのが僕らが対峙する世界だから。「死にたい死にたい」と言ってる人にハッピーな人間は近づいてはこない、同じような人間だけが近づいて来る。


 出て行けないのは出て行くのが怖いからだろうし、世界に受け入れられなかったらどうしようみたいな不安がある人もきっと多いんだろう。当たり前の話だけど受け入れてくれるっていう受け身な時点で問題はあると思う。
 自発的にそこに行って潜り込んで楽しんでいれば気の合うやつは現れるし、いなかったら別の場所に行けばいい。受け入れられる方が実は稀な事なんだ。だから一度築いた居場所にがんじがらめになってしまうのかもしれない。


 「欲しいものが手に入らないのは当たり前なんだ」というGIRLSの音楽のように、でもひたすらにその「女の子達」の事を歌っていく。だからこそ楽しいんだ。欲望があるってこと、楽しもうってしていること。見つけた居場所だって永遠じゃないってこと、関係性は互いの努力や理解がなければすぐに崩壊してしまうこと。


 だから、面白い事があって、世界は繋がっていて楽しいって僕はひしひしと感じるし、そういう場所に行ってそういう人に会いたいと思う。そうしていれば僕も次第にもっと世界を面白がっていけるから。
 悲惨な事や悲痛で世界が埋め尽くされて、人生には哀しさや別れ、最終的には母胎からこの世に産み落とされた瞬間に「オギャー」と産声のカウントダウンを始めた瞬間から死に向かっていく。


 誰も逃れられない。当たり前だが人は死ぬ、生命は生まれては死んで行くというサイクルからは逃れられない。それだけは真実で誰にも変えられない、そうだからこそ楽しむべきだし、面白がるべきなんだ、人と出会って話して別れて行くべきなんだ。死ぬまでパーティは続けられるし、何があっても踊り続けることはできる。


 面白い事がないなんて嘘だろ? オモシロキコトナキ世ヲオモシロク。

トウキョウソナタ [DVD]

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ALBUM

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「岡山弁コンバータ」による岡山弁版。↓


 古川日出男「4444」24話「なんぼーじゃろうかと運賃をきいてみます?」配信。


Twitterが一時アクセス不能状態に 〜 「Iranian Cyber Army」によるハッキング?
 昨日は繋がらんなあって思ってた。その後繋がると識者のもんがハッキングされたとつぶやいとった。


 犯行声明本文「米国はアクセスによってインターネットを支配し管理しとるつもりでいるが、せーはちごーとる。われわれは力によってインターネットを支配し管理する。イランの人民を刺激するんはやめろ。さもねーと。さて、いま、禁輸国リストに載っとるんはどっちの国か。イランか、せーともアメリカか? われわれがアメリカを禁輸国リストに載せてやる。きゅーつけて」


 っちゅう感じのねーようじゃったらしい。冷戦はソビエトの崩壊によって、寒さに負けたのか? 資本主義のグローバリゼーションっちゅう宗教の支配にゃー勝てなかった。共産主義は過去の遺産。アメリカは敵をこしらえてはその敵を倒すっちゅう単純な物語を自作自演する、そりょー繰り返して世界の警察であるっちゅう自意識を持ち、世界をリードしていこうとする。
 じゃけども、その敵と名指しされるもんや国がほんまに悪かと言やー、もはや言いきれん。でーだって迫害され黒い宝石、石油をひたすら搾取され、自らの宗教を否定され同胞を殺され続けりゃー報復をしてくるんは当然の成り行きじゃ。


 黒沢清監督「トウキョウソナタ」で兄が米軍に入り戦火に派遣され、やがて届いた手紙にゃー米軍からではなく、イスラム圏内から届けられて「わしはみんな(家族)を守るためにこちら側につくことにした」っちゅう趣旨のことを書いて家族に送ってきたのに違和感がねーんはわしらははあ世の中のニュースが全て事実ではなくある種の虚偽も含まれとることやアメリカが正義だたー思えなくなっておるからじゃ。


 きちんと読んでいねーけど「スヌーザー」の年間ベストアルバム一位はGIRLS「ALBUM」じゃった。各種のメディアが彼らを絶賛しとるんは次の流れやシーンを考える上でも重要で新しゅー、音楽性も評価できるからじゃろう。確かにでーれー聴きやすい。一月のライブチケはとったけん観てどこまで響かせてくれるのか楽しみ。


 バイオグラフィティーにゃーカルト教団から抜けでーたボーカルっちゅうバッググランドとかもあんじゃけど、せーはせーとして知らのうてもええなあって思えるし、そりょー知って歌詞を見ると「女の子」の事しか書いてねーってゆー、暗さがねー。
 ちーとだけ記事を読んでいてそうじゃなって思ったんは、確かに村上春樹著「1Q84」ともボーカル・クリストファーのバッググランドは似とる。色々と符合するんはたまたまじゃろうけど、いっぺん代に実は世の中に現れてしまうこたーシンクロニシティ、せーはわしのような受け手にだけかもしれんけど、そこに意味は、ある。

 昨日は池袋で快快(faifai)のゴリラの最終日。ガチンコボクシングじゃった。石田衣良著「池袋ウエスイガートパーク」が堤幸彦演出で宮藤官九郎脚本によって一躍有名になった。「I.W.G.P」に設置された半円形の巨大なテント、三分一ぐらいはビニールで外からも見えてあたーしれー。中にゃーゴリラのスナップや、前にあったゴリラの似顔絵で書かれた画用紙が飾ってあり、最終日はDJタイムで中は踊れる音楽がかかっとった。


 快快(faifai)の顔見知りのメンバーに挨拶をしてメインイベントの「ゴリラvs人間」ガチンコボクシングを待っとった。ゴリラに入っとるメンバーのコージは元プロボクサーらしゅー、初めて知ったけど。どうなるんじゃろうって思いながら。
 わしがWS(ワークショップ)で着させてもろーた子ゴリラのぬいぐるみを着た四人のメンバーによってテント内に四角形にロープが張られリングができる。ギャラリーは増えてテントの中は熱気が。こりょー観に来た人も、たまたま通りかかって入ってきた人も混ざりおーて観客として。


 わしとかみたいな知ってて来る人よりもそうやって巻き込まれて楽しそうじゃから入ってきて見てるような人をいかに楽しい場に巻き込んでいくかって事が実はこうゆーイベントでは大事なんじゃろうなって思った。ポップな事やイベントはせーに関係しょーらん知らん人を巻き込む力がねーと盛り上がっていかねーし、力が増さねーと思う。せーができとったのか? 


 できとったと思う。あの空気感は興奮と期待と面白がろうとする人の熱がテントの中に萌芽しとったから。


 最初はゴリラは全身ゴリラを着とった。じゃけん顔を殴られても顔へのダメージはあまりなかったと思う。じゃけど視界が悪すぎるんは見ていてわかる。ラウンドガールとなった梨乃ちゃんがゴリラ募金を集めとったりと。次第に白熱する試合。ゴリラを着ていても元プロボクサーの動きは対戦相手の人(ごめん、名前忘れた)よりもやっぱりはえーし、パンチがどう見ても重い。


 じゃけど、対戦相手の人間側が王者ってことになっとったのかな、彼も受けても応戦しとった。ラウンドが進むにつれてコージもゴリラの上半身を脱いで戦い始めた。この辺りからけっこうなパンチを王者は喰ろーとったし、コージも前半でのゴリラを着て動いた時の体力の消費が激しかったみたいでパンチをなん度ももろーて、二人ともかなりしんどい状態になっとった。


 じゃけん見ていてコージにはよー終わらせれやれって叫びながら見とった。王者は空手をしとったみたいじゃけど、なんぼーなんでも元プロのパンチをなん度ももろーて、なんとか戦っとるんじゃからはよー終わらせてあげた方がええと思ったから。じゃけども二人とも体力消費がひどくてしめーまで戦いきった。偉い、拍手と歓声が半円形の中で響いとる。


 せーからわしらはいっぺんテントから出てしばらく池袋で時間を潰した。本屋で東さんの処女小説「クォンタム・ファミリーズ」があったけどアマゾンで予約してしもーたけん買えなかった。なんだか歯がゆい。


 声援っちゅうか声をでーとったら風邪引き始めのわしにゃー応えたらしゅー、しめーまでイベント見れそうにねーなって思って、DJタイムをしとるテントに行った。ちょうどマイケル・ジャクソンがかかっとったぐらいで、ええ感じのノリじゃった。
 ゴリラが出て行くのを見てちーとして出て行った。前回にWSに着た時になんとなくゴリラがトイレの後ろの建物に行くのを見とったけんそっちに行ったと思って行っとったらちょうどゴリラを着たコージが二階から降りてきたけん声をかけた。


 一月のトラムの舞台に行くって話して、「君に届け」話をほんのちーとした。「来てくれてありがとう」と言うてくれたけど、わしはこねーな面白そうなイベントならやってきちゃうタイプの人間じゃけん、こちらこそありがとうっちゅう気持ちじゃった。


 いんだら風邪のせいか頭痛とうっすらとした吐き気があったから風邪薬飲んで寝た。起きたら頭痛と吐き気は治まっとった。


 ゴリラのイベントも快快のメンバーだけではなくバックアップしとる人や企業とかがもちろんいて、なんだか不景気とか言うてるけどそうゆー楽しいイベントを楽しんでやろうってしとるもんはいる。
 おもれー事がねーわけじゃーねーし、家から出て行ってそうゆーとこに顔を出すのもええし、自らアクションを起こすとか、方法はようけある。いろんな事を面白がっていけば寒空のしたでも熱気もあるし笑顔もあるし、おもれー連中が、出おーてねーだけでいる。


 わしがこのゼロ年代後半の数年で出おーたもんはうちたちの空間を作ろうとしとったり、世界を面白がっとるもんが多かった。飲み会やイベントやライブでおーた人が大半じゃけど、その場所や繋がるイベント、ライブに行けば会えたし、外に出かけて行く事でその場所に行く事で会える事や繋がる事が面白かった。


 世界がつまらんたーまっとう思えなくなったんが、この数年間。つまらんんはつまらん場所におるからで、出て行けば楽しい、おもれー場所はなんぼーでもあったことじゃし人もいた。世界がつまらんと言うてる奴はその言葉に呪縛されとる事を理解しょーらん。
 言葉にゃー言霊がある、自身の内面が顕在化するんがわしらが対峙する世界じゃけん。「死にたい死にたい」と言うてる人にハッピーな人間は近づいてはこねー、おんなしような人間だけが近づいて来る。


 出て行けんんは出て行くんがきょーてーからじゃろうし、世界に受け入れられなかったらどうしょーみたいな不安がある人もきっとおいーんじゃろう。当たり前の話じゃけど受け入れてくれるってゆー受け身な時点でもんでーはあると思う。
 自発的にそこに行って潜り込んで楽しんでいりゃー気の合うやつは現れるし、いなかったら別の場所に行けばええ。受け入れられる方が実は稀な事なんじゃ。じゃけんいっぺん築いた居場所にがんじがらめになってしまうのかもしれん。


 「欲しいもんが手に入らんんは当たり前なんだ」っちゅうGIRLSの音楽のように、でもひたすらにその「女の子達」の事を歌っていく。じゃけんこそ楽しいんじゃ。欲望があるってこと、楽しはあってしとること。見つけた居場所だって永遠じゃねーってこと、関係性は互いの努力や理解がなけりゃーすぐに崩壊してしまうこと。


 じゃけん、おもれー事があって、世界は繋がっていて楽しいってわしはひしひしと感じるし、そうゆー場所に行ってそうゆー人にえーてーと思う。そうしていりゃーわしも次第にもちーと世界を面白がっていけるから。
 悲惨な事や悲痛で世界が埋め尽くされて、人生にゃー哀しさや別れ、最終的にゃー母胎からこの世に産み落とされた瞬間に「オギャー」と産声のカウントダウンを始めた瞬間から死に向かっていく。


 でーも逃れられん。当たり前じゃけど人は死ぬ、生命は生まれては死んで行くっちゅうサイクルからは逃れられん。せーだけは真実ででーにも変えられん、そうじゃからこそ楽しむべきだし、面白がるべきなんだ、人と出おーて話して別れて行くべきなんじゃ。死ぬまでパーティは続けられるし、なんがあっても踊り続けるこたーできる。


 おもれー事がねーなんて嘘じゃろ? オモシロキコトナキ世ヲオモシロク。


 出身が岡山だけど広島の県境の瀬戸内海よりなのでここまで岡山弁って岡山弁ではないし、広島弁とのリミックスな感じでもあるし、これはけっこう岡山の中心部な感じなのか、あるいは老人が使っている岡山弁なのかな。