Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「片目の猿」と「グーグル八分」

 道尾秀介「片目の猿」の文庫を読み終わる。この人の作品は思いのほか読みやすいみたいだ。探偵の話なんだけどここでも前に読んだ「向日葵の咲かない夏」同様にミステリ要素をはらみつつ、最後の方でオチというか登場人物の秘密が明かされる。前回の時は「こう来るか」って言うのと「いらっ」て気持ちが同居したんだけど、今回は「ほうこうきたか」という風に思えた。


 道尾さんという人はトリックというか文章を読んでいると見落としてしまいがちな部分に仕掛けを施して読者を驚かすのが巧い人のようだ。人間は言われなければわからないことが多々あるし、言われなくても勝手に思い込んでしまうことがある。


 村上春樹1Q84」で印象的だった台詞の「説明しなければわからないことは、説明してもわからない」というのを思い出した。小説はオチとか読むとわかるというか説明してくれるんだけど、実際の生活で自分が理解できない事って説明されたからと言ってすべての事が理解できたりするものでもなくて、ふいにわかったり経験や失敗とかを通じてわかるという感覚があって。説明されてもわからないことは経験や体験を通した後に、ある種の経験値などがないと理解のしようもないことがある。


 そういえばクーリエジャパンでの村上春樹さんのインタビューで「1Q84」の主人公の青豆と天吾が月で出会うという小説二巻で語られていない話は結局どうするのだろうか。一巻目は百万部売れたらしい。となると二巻も百万部を越すのはすぐだろう。この数年で文芸作品でこんなにも売れた小説って他に何があったんだろうか? 
 内容をシークレットにしたことは本当にデカかったと思うしそれだけ待たれている作家も他にいないということなんだろうなあと思う。


 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズも月で建造される六号機や月になぜかいる渚カヲルなどキーワードとして月が出てきている。ほぼ同時期に村上春樹の新作と「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が発売、公開されたことはなにかのシンクロニシティが起きていると思う。


 「エヴァンゲリオン」のアニメが始まった年は阪神大震災とオウムの地下鉄サリン事件が起きた年としてあまりにも有名だ。つまりは何かの軸が外れてしまった年だったと思う。
 セキュリティの問題などもこの年ぐらいから強化されていったし、街に防犯カメラが置かれて自分たちを守るためにという流れができた。オウム事件にショックを受けた村上さんはサリン事件の被害者や関係者にインタビューをした「アンダーグランド」という本を出した。


 確かオウムを調べていくうちにオウムという教団がジャンクで作ったフェイクだったということが村上さん自身も自分もジャンクの固まりだみたいなことを思ったと感じたと言うのを何かで読んだ記憶がある。


 どちらもあの14年前のこの国の状況を一挙に変えてしまった事件の影響などがあって、それから14年経った今年のゼロ年代の最後の年に同じようなタイミングで新作が出たのは文化系トピックとしてはデカイと思う。


 シンジは父ゲンドウへの承認欲求はもちろん旧エヴァシリーズから続いてあるが、新劇場版ではそれが前よりも薄れている感じがする。父親の存在がデカイとしても今の時代にそれは合わないものとなってしまっている。絶対的な権力を持つ父的な存在などもはやこの国には存在していない事になっているのだから彼らに承認欲求をした所でシンジの孤独感はなくなるのかということ。


 だからこそ、「破」においてのシンジは父親にミサトに認めてもらいたいという気持ちではなくてエヴァに乗ろうとする。二人に認めてもらいたいという欲求はあるにしても前のシリーズよりも格段と薄い。彼は自分のために、自分が守りたい人がいるからエヴァに乗ろうと決意するそれが「破」での大きなポイントだ。
 アスカとレイ、そしてシンジという関係が旧シリーズよりも人間らしく、「繋がり」を誰もが求めようとしているのは庵野さんが今の時代の空気感を感じて描いているのだろう。その「繋がり」を求める事で強くなる、が同時に満たされない場合はもろく壊れてしまう。


 「破」で多くの人が泣いてしまうのはシンジが自分のために、自分の意志によって守りたい人を守るために動くという決意に心を揺さぶられているからだ。彼は「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」とは言わない、むしろ自分から向かって行く。心と心を繋げる為に動き出すという前シリーズとは違う展開を見せ、旧来の「エヴァ」を壊して行く。


 だから「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」はとても今の時代に合っていると思う。これは「繋がろう」とする意志の物語になっているから。「1Q84」は「エヴァ」同様に多くの謎が残されて説明されないままに二巻が終了している。かつてのボーイミーツガールが大人になって経った一度の握りしめた手の温度を忘れられずに日々を過ごしている。二巻終了時だとまだこれから先あるだろうっていう感じが濃厚に漂って終わっている。


 月で再び彼と彼女は出会うという村上さんのインタビューがそうなら天吾が青豆を救いにもう一つの月へ行くのかもしれない。その時はシンジのように「繋がり」をもとめて動くのかもしれない。「1Q84」はどう考えても消化不良のまま終わってしまっている。「破」でマリが落ちてきてカセットウォークマンが27曲目を再生しだしたぐらいで終わっている。


 道尾秀介直木賞候補の「鬼の跫音」を読み出した。これは短編集らしいが、前から思うんだけど短編集で直木賞とか芥川賞の候補ってどうなんだろうなって。しばらくはこの人の作品を出てるだけは読んでみようかなって思う。古川日出男さんの新作も出ないし。「半島を出よ」はやっぱりどうも読む気がしないから。


 去年は古川日出男さんの作品を出てるやつは全部読み切ったけどデビューから最新作まで一気に読むと伝わってくるものがあって、それは十年とか作家を続けているだけでもの凄い事なんだけど、実は書いている事は一緒なんじゃないかっていうこと。
 古川さんも言ってたけど物語が違うから違うように見えるけど書きたい事は実は同じだって。でも、書き方とか表現は変わっていくし変化はしているけど伝えたい、という根本の芯は揺らがない。


 ずっと残る作家さんとかクリエイターって表現は変わっていくけど、レベルも上がるしパッと見は変わってしまっていってるように見えるけど根本的な部分はあまりブレないんだと思う。


 庵野さんもそうだと思うんだよなあ、でも旧劇場版の最後で完全に暴走してしまった。庵野秀明というクリエイターである自分がファンや客に対して全てを受け入れられて圧倒的に支持される中で最後にアスカの口を使って拒んでしまった。
 多くの人にトラウマを残して、あるいはなかったことにされた。だからこそ、語り直す必要性があったと思うし、今の方が切実に「繋がり」は大きな問題になっているから。


「文化系トークラジオ Life」「日本のネットは進化したのか」Part3配信。
http://www.tbsradio.jp/life/2009/07/2009628part3.html


 プロデューサーの黒幕氏が「実は数日前からLifeのサイトはなぜかグーグル八分にされています。」ってサイトに書いていて、僕はああそういう言葉もあるんだなって思ったんだけど。そういう言葉もあるんですね、ネットって。僕グーグル使わないんで余計に知らなかった。
 とりあえず、今「Life」のアクセスが激変すると大変なので協力したいです。このブログを「エヴァ」系で検索してきた人には「Life」のスピンオフの「エヴァ」「序」と「破」について語っているのをオススメします。


 やっぱりcharlieの「破」論とか録音してたら早めに出して欲しいです。2日間で「破」は五億行ってます。今日は確か日テレで「序」のテレビカット版がするので土日はまた客数が伸びるからネットで「エヴァ」関連調べている人が多いからそういう人にアクセスしてもらえれれば文化系トピック好きな人が新しいファンとして「Life」を応援してくれると思う。


 「片目の猿」っていうのは小説の中に出てきててなんか猿がいっぱいいるんだけどみんな片目しかなくてたまたま両目の猿が生まれた。でも他の違うと言う事でのけ者にされたその両目のある猿は自ら片目を潰して他の猿と同じように片目の猿になった。
 その猿が失ってしまったのは片目じゃなくてその猿が本来持ち合わせていた自尊心だったという話。世界が狂っているからといって自ら狂ってしまう必要はない、世間に無理に合わせて心を殺すのは最終的には自分を失ってしまうということ。

片眼の猿―One-eyed monkeys (新潮文庫)

片眼の猿―One-eyed monkeys (新潮文庫)

鬼の跫音

鬼の跫音

13 (角川文庫)

13 (角川文庫)

サウンドトラック

サウンドトラック

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

聖家族

聖家族