Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「愛のむきだし」@東京フィルメックス

 起きてから渋谷まで徒歩で歩いていく、それから有楽町の朝日ホールへ。
 園子温監督最新作「愛のむきだし」が第九回東京フィルメックスの特別招待作品として上映され僕のような一般の人間が初めて観る事のできる日だった。



 朝日ホール前に着いたのは14時半前で、映画自体は16時から。15時から無料で園子温監督×宮台真司さん(社会学者)のトークイベントがあると二日前ぐらいにサイトで知ったので早めに行った。


 で朝日ホール前にいたらちょうど園子温監督がエレベーターから一人で出て来られたので声をかけさせてもらった。渋谷で何度かは見かけてはいるのだが声をかけさせてもらうのも一年前の「愛のむきだし」のエキストラの時で、実際にはきちんと話をさせてもらったのが二年とか前。


 以前のことを話してなんとなく思い出してもらえたような感じ?で名刺を渡させてもらって電話番号を教えてもらっていいですかって聞いたら、以前教えてもらった番号のままだった、変わってないんだなあ。
 前に教えてもらったのはロフトプラスワンでの園子温×山下敦弘×松江哲明×宮台真司トークイベントで実は最後の番号が違うらしく、マイミクのYukIさんから最終的には教えてもらった、まあかけれるわけも今まで一度も無く現在に至る。
 フリーペーパー「路字」vol.3で僕が書いた「下北沢七時十二分」という短編の中にその時の園さんとのやりとりを書いてます。アムロ状態のことを。
 「路字」が下北沢新聞で特集されています。



 まあ、園さんは中に入っていき時間まで待って十分とかそれ以上に押して園子温×宮台真司トークイベントが始まる。ネタバレするからということで質問のことでやりとりしたら遅れたらしい。宮台真司さんは映画にもちょいと出ているんだけど園さんへの質問が鋭いと言うか本質的なことで園さんもそうだと認めるのもなんだかなあと言ったり、宗教についてのことだったり、園さんがキリストは好きだとか、何度もキリスト教に入信しようとして教会に行くけど、でもなんかダメだと、善か悪かの二元論の世界についてのこととか話をされていた。


 しかも「愛のむきだし」は“これは実話の映画化である”とコピーされるように新興宗教に入った妹を脱会させた兄の話だ。そのことは二十年前に遡るらしいが、そのモデルの人は園監督の知り合いで盗撮界ではかなり有名な人らしい。宮台さんもその新興宗教から二人ぐらいを脱会させているらしい、宮台さんは独自の理論を使い、善か悪かの二元論の世界よりこっち側のなにもかが混沌とする世界へ戻すために二元論のダメな部分を理論的に語り脱会させたのだとか。


 そのモデルの兄は理論ではなく肉体で妹を脱会させたと園さんが語り、話を聞いているとこの二人は90年代の渋谷という街で同時期に活動していることを思い出した。ブルセラや援交などの女子高生をフィールドワークしていた社会学者の宮台真司氏と東京ガガガ(園子温公式サイトでご確認を)をしていた園子温氏は同時期に同じ街で活動していた繋がりがある、宮台さんが取材していた女子高生がサルベージされるように東京ガガガに参加していた子もいたと発言していたし。


 その当時、何度も渋谷警察署に捕まるから園子温監督は署のお偉いさんと仲良くなり飲みに行って署長と女の子のツーショット写真を撮って、その子は女子高生だからどうしようかなあって軽く脅して警察からの取締をユルくさせたとかね、以前聞きましたがさすがです。


 この二人の対談本出したら80〜00年代の渋谷とかってものすごく克明に荒々しく記録されるんじゃないだろうかと思う、出版社の人いい企画だと思います。


 その後、トーク終了し朝日ホールにて上映。キャストは西島隆弘(AAA)、満島ひかり安藤サクラ(父親は俳優の奥田瑛二、母親はエッセイストの安藤和津でおかんは劇場にいた。顔がお母さんにそっくりでお母さんよりも目が少し離れている感じの顔だった)、渡辺真紀子、渡部篤郎他で。お客さんの中には映画関係者らしい人がたくさん、海外の人も、僕みたいな園子温ファンと、あきらかに目立っていたのが多くの女子高生。西島隆弘ってそんなに人気あるんだなあと再認識した。


 
 最初に舞台挨拶で園子温監督、西島隆弘満島ひかり安藤サクラ、渡辺真紀子が壇上へ。上映が始まる237分にわたる園子温最新作が。


 ストーリー
 敬虔なクリスチャン一家に育ったユウ(西島隆弘)。優しかった神父の父(渡部篤郎)は、ある出来事を境にユウに懺悔を強要する。心優しいユウは父の期待に応じるべく懺悔のために毎日「罪作り」に励むようになる。いつしかユウの「罪作り」はエスカレートし、気づけば彼は女性ばかりを狙う天才的な盗撮のカリスマになっていた。
 そんなある日、運命の女・ヨーコ(満島ひかり)と出会いユウは生まれて初めて恋に落ちる。しかし二人の背後には謎のカルト教団の魔の手が近づいていた。


 園監督自身の体験や取材した実話をベースに“快楽と苦痛”“真実と嘘”“キリスト教新興宗教”“理性と本能”といった世間と人間に内在する二面性をモチーフに描いた映画。


 実際の公開は来年の一月下旬ユーロスペースからロードショー、前売り券が2000円で当日券は2500円みたいですね。
 まあ四時間ですし、あとこの内容の日本映画を、世界基準でもこういう映画を観れる事はほぼないのでこれでも安いんだと思う。
 まあフィルメックス1300円でしたけどめっちゃお得ですねえ。公開されたらまた観に行くけど。今回は英語の字幕付きでした。


 前半部分は盗撮とかそういう箇所があるのでコメディというか笑いの要素を含んでいてかなり速い、二時間経つと、チャプター3の前に10分休憩があった。二時間があまりにも速い。変幻自在のジェットコースター。



 上映後のQ&Aで園監督も言ってたけどあんな盗撮してるやついねえし、カンフーと盗撮合体させたのは、本当に盗撮してるやつを撮ったら女性が本気で引くからというのとそこに疑問を持たれると嫌だったかららしい。


 園作品にはよくモノローグ(独白)があり、主人公やメイン登場人物の心の声が映像と同時に観ているものへ伝えられる。


 今回もメインの三人のモノローグがあり、そのことを開始前の宮台さんとのトークの中でモノローグが多い理由に最初にこの人が何を考えているのかを観ている側にきちんと出しておくことが後半でこいつがなんでこうなるのとかなんでこう動くのとかに違和感がなくなるからだと園さんが言っていた。あと園さんが何にも語らない事で語る事や映像で語る事は好きではないと述べていた。そんなことは相米慎二まであとのやつはその頃の残像をなぞっているだけだと。


 後半はコメディタッチからシリアスな感じへと移行する。
 物語のキーワードはキリスト教、罪作り、盗撮、アクション、カルト教団、三角関係、女装、脱出、勃起、パンチラ、家族、愛。


 性的な表現はもちろんのこと、映画の中でも一番パンチラ多い映画なんじゃないかな。かと言って後半のシリアスさは激動し沸騰していく。


 「紀子の食卓」ではレンタル家族を描きながら現在の家族の崩壊を、その先の希望を少し提示した。
 今作でも「家族」というキーワードがとても大きくのしかかる。主人公・ユウの家族だけではなく、ヨーコや小池の過去にあった壊れた「家族」の記憶、そしてそれがもたらす彼女たちの哀しみ。


 板尾創路(小池の父役、この事に関しては板尾日記3に書いてあったような気がする)、岩松了、ジェイ・ウエスト、深水元基古屋兎丸堀部圭亮、倉本満津留、宮台真司という園さんと関係のある人が所々で現れている。岩松了さんはとてもおいしい役ですね、笑ってしまうわ。


 カルト教団から妹を救おうとする「変態」である兄、脱退させようとする者とそこにいようとする者、兄のいうこっち側に戻ってこいは「変態」も当たり前に存在する世界、二元論ではない混沌とした世界。善と悪、白と黒では分ける事のできない曖昧な混ざり合う世界、兄の叫びが響いてくる。


 物語の最終、二人がバスにいるシーンの後半から明らかに満島ひかりの表情が変わる、何かが生まれかわったような気がした。終盤ある出来事が終わりヨーコとユウが会うシーン。
 部屋に入りユウを見つけるヨーコに窓からの日が差す、とても美しいシーン。もうそこからの二人のシーンははっきり言うけど号泣、映画館で泣く事はよくあるけど鼻水も止まらないぐらいの号泣は久しぶりに。涙も拭かないで観ていた。本当に凄い、あのシーンは。


 終わった後はこれで四時間という感じはしなかった。ただ四時間経った事はケツの痛さで感じたけど。
 園さんやっぱり凄いやって、天才でも異才でもなく鬼才だと改めて思った。これは海外の映画賞でかなりすごいことになるんじゃないのかなあ、日本でヒットしてほしいけどきっと多くの人は観ないんだろう、でもこの映画はあまりにも異質だけど人間の本質をむきだしにしているから観た人の中に色濃く残るし、このレベルの映画は世界でもそんなにないと思う。


 来年から始動する次回作はノルウェーアメリカだっけな、その共同出資で日本人があまり出ない作品らしい。そういえばロフトプラスワントークの時にハリウッドで俺に撮らせろって叫んでたような気が・・・。


 とりあえず「愛のむきだし」の布教活動をしていきたいけど、僕の周りの人間はほぼ観ないだろうけど創作関係のことをしている人は絶対に観た方がいい、確実に何かが壊されて新しい何かが生まれてくるから。そうじゃない人も映画としてここまでのモノってないし、僕が号泣したところって本当に凄いから、prayがrelieveあるいはsaveされる。


 僕は「愛」って言葉が一番嫌いだし使わないし存在を疑ってさえいる。その理由はたぶん「愛」というものをどこかで求めてはいるけど僕には与えられない、見つけられないものだと思っていて、ましてや僕自身の中に存在などはしていないし目の前に転がっていることもない。
 ちまたに溢れる「愛」なんて言葉はただの前戯でしかないと思っている。でもどこかの誰かと誰かはそれを「愛」を見つけれるんだとは思う。
 世界中の全ての人にそれは見つけれないし、見つけれるとしたらこの世界の有り様はなんだとしか言えないから。でも号泣をしていたあのユウとヨーコのシーンに僕はなぜかそれを感じられた気がした。


 帰ってから自転車をこいで下北沢まで行った。気持ちは「自転車吐息」で写真を撮りに行った。ちなみに「自転車吐息」は園子温監督がぴあフィルムフェスティバルで賞を取って作ったスカラシップ作品。園さんがらみのブログ→「自転車吐息」



 下北沢から見える東京タワー、デジカメ買ったから撮ろうと思ったけど望遠じゃないとダメなのかなあ、小さくしか写らない。肉眼で観たけど映画中はメガネしてて外してたから近視ですごく滲んで見えた。


 今読んでいる古川日出男著「13」もキリスト教がある種のキーワードになっている。何かがリンクする、シンクロニシティが起きている感覚、今日ものすごい作品を観た、影響は、もちろん、される、受ける。
 今年中に起きたシンクロシティを僕の中に出来上がったイメージと想像で紡いだ小説を完成させる、最終形にする。そのための下北から見える東京タワーの写真だったりこの間目黒川沿いを歩いて東京湾へ出てそこから東京タワーへ歩いたこと(「Love fall」)はそれを完成させるpiece。


 劇場で専門の同級生に二年ぶりぐらいに偶然に会った。園さんの映画だから僕がくるかもしれないと思っていたらしい。帰りにツタヤによるとマイミクでバイトが同じだったNOBUに久しぶりに会ったりした。園さんにも久しぶりに会えたし。


 自ら動くと何らかのことは起きるし誰かに出会うし、そこからシンクロニティが始まって世界が繋がっているのを肌で感じれる。そういうことをここ数年ですごく強く感じる、宗教も神様も信じていないけど。動き出せばいろんな人と繋がって、世界は思いのほか狭くなってくる。


 あと一日で師走、09年を疾走するための準備とストレッチを始めていこう、そういう気持ちにさせてくれた映画だった。


 でも「愛のむきだし」は猛毒になりえる、ある人には。それだけ強烈で異質、しかしある人には・・・。


 古川日出男「13」冒頭
 この世には毒蛇というものがいないことをあたしは知っている。人は、ある蛇によって死に、ある蛇には影響を受けないで(咬まれても)平気で生きる。そして後者の毒を無毒とみなす。決めたのは人の側だ。けれど、試してごらん。人間の唾液を他の動物に注入すれば、ある種の動物は死ぬから。それじゃあ、人間は有毒? あたしはそれを本で読んで学んだ。
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REMIX 2005-2008

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13 (角川文庫)

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