Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『キングスマン ゴールデン・サークル』

 公開初日、TOHOシネマズ渋谷初回の回を。金曜日公開にこれからなっていくようだが、前作は素晴らしかった『キングスマン』とはいえ映画好きじゃないとたぶん知らないだろうレベルなので、まあお客さんもまあまあという感じなのは仕方ない。
 前作の大ヒットを受けての続編だったのだと思う。そんなわけで前作で死んだと思われていた人物が二人復活し、物語に大きく関わって来る展開になっている。労働者階級出のエグジーは前作のラストでスイスのお姫様を助けたことで付き合っている。今回は彼女の父と母、王と妃に会うシーンがあったりして、最後のシーンを含めて考えると孤児(に近い、労働階級の少年)が前作でハリーに出会って英国紳士(ヒーロー)として育て上げられて、今回も世界を救って、王となる準備を済ますといった感じだろうか。








 イギリスのキングスマンアメリカのステイスマンという二つの兄弟みたいな組織と麻薬組織の戦いになる。アクションはより派手になっているが、どこか雑な感じがしてしまうのは前作でワクワクした部分を越える興奮はないので、そう思えてしまったのかもしれない。ちょっとキングスマンが無敵すぎるのが問題点ではあるのだろう。ステイスマンという存在とトランプみたいなアメリカ大統領を描くこと、利益しか考えない上に人の命をどうとも思っていない大統領はやはり粛清されるべきだが、今作では一応その展開も含まれているのはイギリスからのメッセージだろうか。そのアメリカに追随するような日本はどうなのだろう。首相の首を継ぎ変えても日米の戦後からの、敗戦からの関係性は変わらないままかもしれない。

 本音と建前というもの、そして今の日本に蔓延るネトウヨやダメなリベラルということについては宇野常寛著『母性のディストピア』と宮台真司二村ヒトシ著『どうすれば愛しあえるの』を読むとなぜこんな状況になったのか少しわかる。

 映画はこのようなエンタメをしちゃっていいし、その中にアイロニーもあってもいい、客が求めているのを提示するのは大事だけど、客の意見だけに向いているものはつまらなくなってしまう。損得関係だけが優先されて法外の部分が排除されていく世界では誰もが生きにくいし、枠の外へ出ることが出来づらいのが問題だ。などと考えているこの頃。