Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『園子温という聖杯』

 『情熱大陸』で園子温監督が特集された。30分では物足りないというのは仕方ないだろう。でも、これで園さんを知る多くの人がいるはずだ。『水道橋博士のメルマ旬報』vol.1にて僕の連載「碇のむきだし」は博士さんと出会うきっかけだった園さんについて書いている。
 連載タイトルも園さんの『愛のむきだし』から博士さんがつけてくださったものだ。園さんの『ハザード』を今はなきシアターN渋谷で観てから園子温監督を追いかけ始めたら今からするとあっという間に園さんは日本映画の救世主みたいな扱いをブレイクをしていった。それはいちファンとして遠くから観ているだけでも刺激的な事だった。このブログでもずっと書き続けていたし自分に見る目があったというわけではない。ただ、運良く反応できたのだった。僕は運だけはいいから。
 以下はその第一回目のものを再録した。園さんの情熱大陸やったしね記念ということで。


水道橋博士のメルマ旬報
著者:編集長/著者:水道橋博士
価格:500円/月 (税込)
発行:月2回(毎月10日/25日)発行
https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase



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10. 碇本学の『碇のむきだし』
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一日がつるつるしてしょうがない
町のどこかが
とがってさえいりゃあ
そこに服の裾でもひっかけてもがきてえ
   すべるだけの日曜日
 どこへ行こうか
      
            
園子温 詩集『東京ガガガ』より)



 2012年10月28日に『水道橋博士のメルマ旬報』編集長である水道橋博士と映画監督である園子温は酒を飲み語らい打ち解け合った。
 共に五十歳であり舞台は違ったが同じ時代を生きてきた2人の共鳴、この『水道橋博士のメルマ旬報』の創刊と『園子温 監督初期作品集 DVD-BOX』の発売というなにかしらのタイミングの合致、すべては誰かに整えられたかのような符号。


 はじめまして僕は碇本学(いかりもとまなぶ)と言います。今回このメルマガに参加させていただいた経緯を少し書かせていただきます。
 現在三十路な僕は東京に20歳の時に岡山県の端っこのほうから上京して映画の専門学校に入りました。その後フリーターをしながらシナリオセンターに通い、岩井俊二主宰『プレイワークス』に応募したシナリオを映像化に向けてその『プレイワークス』で開発しましたが映像化には至りませんでした。
 2006年11月に渋谷のシアターNという映画館で園子温監督『ハザード』を観て衝撃を受けました。それから園子温監督作品を観るようになりイベントに行ったり『愛のむきだし』のエキストラに行ったりし始めるようになりました。


 まあ、園子温にドハマりしたわけです。
 『愛のむきだし』が公開されその年の年末以降に話題になりツイッター上で水道橋博士さんに僕が東京フィルメックスで初めて上映された『愛のむきだし』のことを書いたブログを読んでくださいとツイートした所、水道橋博士さんがそれを読んでツイッターで僕をフォローしてくれたのです。


 その後、『冷たい熱帯魚』が公開の前日の2011年1月28日放送『小島慶子のキラ☆キラ』に出演された水道橋博士さんが『冷たい熱帯魚』についてお話をした時に僕がブログに書いた評が一番しっくりくると紹介してもらいました。
 そして今年になり園子温監督最新作『希望の国』の試写会に行った日に水道橋博士さんも試写に来られていてお話をさせていただいてそんな縁があって今回のメルマガ参加に至りました。
 僕は園さんに出会ってしまったせいで(良い意味で)映画は監督のものだな、しかも人を惹き付けるものがなければ監督は無理だ。うーむ、園さん脚本もご自身で書いてるしなあと思って脚本家になりたいという気持ちも先細りしていた2008年ぐらいに小説家である古川日出男さんの小説に出会ってしまいました。
 僕も小説を書こう、元々は物語を書きたかったのだから脚本でなくて小説ならひとりで全部できるし自分が監督として物語を作れると思いました。というわけで現在は小説家志望のフリーターです。この流れからメルマガに参加した僕が第1回において園子温監督のことを書かなくてどうする!!


 というわけで話を戻しましょう。
 アメリカの短編小説の名手といわれ、日本では村上春樹がほとんどの作品を翻訳していることで有名な小説家であり詩人だったレイモンド・カーヴァーの小説『愛について語るときに我々の語ること』を引用すれば『園子温について語るとき我々の語ること』が『愛のむきだし』以降に圧倒的に増えてきたのはこの数年です。
 しかし、園子温監督はデビュー作『自転車吐息』(ぴあフィルムフェスティバルスカラシップ作品)が1990年だから実質20年以上のキャリアがある。
 ぴあフィルムフェスティバルに入選した『俺は園子温だ!』は1985年、ぴあフィルムフェスティバルグランプリ受賞『男の花道』は1986年であり、『俺は園子温』から数えると監督歴は27年になります。
 

 園子温作品は今、大きく3つの時代に区切ることができる。
 僕の感覚だと1985年『俺は園子温』から1999年『うつしみ』までの第一期、2001年『自殺サークル』から2009年『ちゃんと伝える』の第二期、2011年『冷たい熱帯魚』から現在までという感じだ。
 松江哲明モルモット吉田著『園子温映画全研究 1985-2012』(洋泉社)という園子温監督作品を網羅し語られている本があるので『園子温 監督初期作品集DVD-BOX』を購入された方はぜひ読まれると作品群の流れや時代背景等がわかりさらに物語が立体的に自らの中に染み入ってくるようになります。これを書くのに大変参考にさせていただいています。


 『園子温映画全研究 1985-2012』では第二期が『エクステ』で終り第三期が『愛のむきだし』で始まっています。そちらの方がピンとくる人は多いのかもしれません。
 『愛のむきだし』の評価の高まりと共に「埼玉愛犬家殺人事件」をベースにした『冷たい熱帯魚』で温泉宿の人のよさそうなおじさんだったりする役どころが多かったでんでんさんに連続殺事件を起こしている殺人者を演じさせ、東北・東日本大震災が起き原発が爆発した年に東電OL殺人事件が元ネタになっている『恋の罪』が公開され、福島原発事故後にそれまで書いていた原作通りの展開をやめてすぐに震災後の世界での物語に1週間ほどで書き直し被災地に行って撮影し主演の染谷将太二階堂ふみが第68回ヴェネツィア国際映画祭にて新人賞にあたるマルチェロ・マストヤロン賞を受賞した『ヒミズ』、そして現在公開中である20XX年に架空の県である長島県(広島+長崎+福島)に大地震により原子力発電所に事故が起きた世界を描いた『希望の国』、来年3月には初のエンタメ作品である園子温監督のフィルムに対しての想いや『BAD FILM』や『奇妙なサーカス』、『愛のむきだし』の流れをくみそれらを彷彿させる『地獄でなぜ悪い』が公開される。


 編集スタジオにお邪魔させていただいて編集中の『地獄でなぜ悪い』を観させてもらったのですが、楽しくて仕方がないです。内容等はまだ言えないのですが観賞後に思ったのは「絶対に絶対に絶対にタランティーノが悔しがって嫉妬して賞賛する」作品だと。きっとタランティーノがやりたかったことを大部分やってるような気がしました(僕の勝手な思い込みですけど)。これは映画館で観ながら爆笑して楽しめる作品です。今から公開が楽しみな作品です。
 今や日本映画界の中で異質であり圧倒的な存在感を放ち、世界的にも評価されている映画監督である園子温、現在の活躍ぶりは言うまでもないのですがその活躍ぶりから過去に撮った作品がまとめて出されることになったのが前述した『園子温 監督初期作品集DVD-BOX』です。
 収録されているのは第一期にあたる映画作品と『俺は園子温だ!』を撮る前に撮った本当に最初の作品である『LOVE SONG』やミュージックビデオなど初めてDVD化されたものばかりです。


 前置きが長くなりましたが今回取り上げる作品はそのDVD-BOXに収録され撮影されて17年眠っていたために誰も完成版を観たことのなかった『BAD FILM』という作品です。『BAD FILM』に関しては予備知識として園監督がしていた「東京ガガガ」という活動について知っておく方がさらに作品を楽しめるので園子温著『非道に生きる』から園さんが書いた「東京ガガガ」についていくつかと取り上げてみます。


 『部屋』が単館ロードショーで異例の大ヒットした後、映画製作を手伝ってくれていた日本映画学校のスタッフ数人と渋谷駅のハチ公前に立っていた時に目の前のスクランブル交差点を旗で覆ったら面白いよねということになり本気でやることになった。
 「東京ガガガ」第一弾決行は1993年5月3日午後4時20分。ハチ公前の交差点はゴールデンウィークの真っ最中、人と車のごった返す中を総勢二十名の若者が突如現れ、信号が青に変わるなり路上に飛び出し爆竹を鳴らし発煙筒から火を噴かせ、拡声器で「ガガガ!」と叫びながら交差点を渋谷のスクランブル交差点を完全に占拠した。詩が書かれた大小さまざまな旗を振り回し、30メートルにもなる大きな横断幕が道を覆ってそこにはこう書き殴られていた。


「ここからは先は左右なし上下なし東京ガガガ夕刻のガガガ」


 この「無意味・無目的・無宗教」の運動体である「東京ガガガ」は回数を重ねる度に口コミで広がり伝播して人数がどんどん膨れ上がっていった。
 次の決行日を留守電に入れるとそれが瞬く間に広がっていった。まだインターネットのない時代だった。最終的に数は2000人を越えていたという。それだけ多くの人間が集まるのにデモ申請もしないから毎度のように園子温は渋谷警察署に捕まるようになった。


「今度の日は天皇誕生日だからやめてくれ。その代わり来週は暴れていい!」と警察から電話がかかってきたりしていたようです。いやあ、僕も警察嫌いですけどこの電話の内容はすごく人間らしいというか可愛いですよね、警察官も大変だなって。時には警察署と東京ガガガでカラオケ大会をしたり
 園さんが警察署のお偉いさんと飲みに行ってお偉いさんの隣りにいる女の子と写真を撮って「この子未成年なんですけど。ねえ?」と脅してみたりしていたそうです。
 2000人もの人数が集まった「東京ガガガ」を率いる園さんはこんなに人がいるんだから『ベン・ハー』みたいな大作を作らないともったいないと「香港返還の直前、20世紀末の東京・中央線で、沢山の人々が暴走し、愛が疾走する」というコンセプトで作られることになったのがこの『BAD FILM』でした。
 日本人の自警団であるカミカゼチームと中国人の自警団であるバイホウバンが高円寺などで抗争していく物語です。
 中央線電車を東京ガガガの要員で占拠し満員電車にして撮影したり新宿のアルタ前で乱闘したりするのですが出ているのは皆素人で撮影しているのも東京ガガガというメタフィクションでありドキュメンタリーでもあるという不思議なもの。
 撮影はフィルムではなくHi8だった。園さんの持っていた500万を投じ使い果たしたが未完のままで今年2012年に完成した。
 東京ガガガ、その後については朝日出版社(アイデアインク)から出ている園子温著『非道に生きる』をお読み下さい。園子温という人間についての本ですが創造する人へ、生きる人へ向けられたものです。『非道に生きる』を読むと世界の感じ方や生き方にイヤでも影響が出てきますのでご注意を。


「この映画は近未来の高円寺を舞台に繰り広げられる悲しくも激しい物語である」と園さん演じる北史郎のナレーションがあります。出演しているのは東京ガガガのメンバーであり役名もほぼ演じている人の本名であると思われます。しかし、園さんは北史郎という役名でこの『BAD FILM』には出ています。
 園子温監督スカラシップ作品『自転車吐息』において園さんが演じた主人公は北史郎でした。そして『BAD FILM』以降、園子温監督は自身の作品に出演することはなくなった。この作品によって園子温は演じる自分、自らの作品の中で映し出されるのをやめる。と書いていたら園さんが撮ったピンク映画『性戯の達人 女体壺さぐり』に出ていたという事実を思い出しましたが黒歴史ということでなかったことにして。
 その作品は上野のピンク映画を上映しているとこで観ましたけど完全にふざけますよ、完全に。


 DVD-BOXには作品解説や東京ガガガの詩集も入っているのですが『俺は園子温だ!』の監督コメントに
『「そうだ!自分を撮れば一番安上がりだ。それに自分が面白いと思っているものができるんじゃないか」という発想。
 実はそれが一番安上がりな方法なんだよね。自分が出るのが一番。
 他の人を巻き込んで映画を作ると飯をおごったり、あれこれ大変なことも起きるけど、ひとりでやると実は楽だった・・・。楽ってのはデカイ(笑)。
 事実、僕というひとりの人間を使えば、この映画に対して一番情熱を持っているわけだから、あとはそれを撮ればいいだけなんです』
と書かれています。


 『BAD FILM』は2000人という大所帯であり彼らとやった作品では出るしかないし現場にいて一緒にいることで彼らはカメラで撮られている意識と「東京ガガガ」の活動とが一緒くたになり現実と虚構の境界線が不透明になっていたのではないでしょうか。そして物語の終盤に北史郎が辿る運命はまさしくその後の作品に園さんが出なくなる因果が含まれていると考える事もできます。
 また日本人対中国人という構図は極めて現代的なモチーフであるために17年前の作品であるが極めて現在的です。
 園子温監督と同年代で90年代に若者に影響を与え時代を作った岩井俊二監督『スワロウテイル』は移民の話だったのでモチーフは近い、つまり当時彼らが感じていた事はわりと近いものだった。その表現の仕方やベクトルは違っていた。そして二人ともいち早くフィルムからビデオカメラという表現方法に移っていた。
 そして彼らが90年代に見えていた世界が今少しずつ現実のものになろうとしている。フィルムでないHi8で撮影したのも大きいが当時大人気だった『進め!電波少年』をかなり意識して作られているだろう。


 ハンディカムで一般の人も撮影するのが一般的になり始めた頃。『進め!電波少年』はそれを活かしアポなしで無謀な企画を芸人さんたちがさせられていた。それはドキュメンタリーであり新しい娯楽への回路を示していた。
 携帯電話が普及しカメラ付き携帯電話がでてきて、今やスマートフォンの時代になり個人が情報発信していく現在の前時代に『進め!電波少年』はテレビ番組という枠の中で体現しその欲望の導火線に火をつけていた。
 『BAD FILM』は大きなストーリーはあるがそこには「東京ガガガ」という集団によるドキュメンタリーな部分がかなり大きい。ゲリラ撮影であり素人でも撮影できるHi8が映し出す風景は極めてメタフィクションな視線の先にあるようにみえる。
 日本人のカミカゼチームと中国人のバイホウバンの対立。しかしながら会話はしなければ何も伝えることができない。互いのチームには中国語ができる通訳の満留と日本ができる通訳のファーロンがいる。彼らによって互いのチームのボスの言葉が翻訳され相手のチームに伝わる。
 翻訳すると元々の言葉の意味や色はまったく同じであるということにはならない。細部はわずかに少しずつ異なっていく。


 最古から人々の言葉は他の言語を話す民族に伝えるためにその言語に訳され徐々に最初の言葉の持つ意味から少しずつ逸脱してしまうことは多々あった。
 イエス・キリストヘブライ語で話していたためにギリシア語を話す事はできなかった。新約聖書の著者であるパウロは書簡をギリシア語で書いていたという。新約聖書福音書も書簡も黙示録もギリシア語で書かれました。福音書のイエスの言葉はギリシア語への翻訳です。それははじめから神の言葉の翻訳だと考えられている。
 現在の世界を形作ったキリスト教新約聖書ですらその言葉は伝わる、書かれるまでに形や意味を変えている。物語が大きく展開していく時に二つの集団の窓口である二人が集団の意志とは関係ないことをし始めたらどうなるか、あるいは個人の意志によってその言葉の翻訳を意図的に変えて伝えるとどうなるか、二人が組んでしまったらどうなるのか。
 伝わらないことと伝えること。


 なにか大手メディアの報道に似ていませんか? 
 あるいは評論というものについても。しかし今はその大きな窓口だけはなくなってきて個人の情報発信がネットにより一気に拡散されるので大きな顔で嘘をついている人の嘘はまかり通らなくなってきました。
 評論は作品にとって必要な回路です。物の見方を知るための道標があるほうが作品を深く理解できるからです。しかし評論の方が強くなりすぎると本来の意味から意図から外れ違う解釈で受けとられる事もあります。
 作品も批評もその対応するバランスが大事です。物の見方を知る術はないよりはあったほうがいいと僕は思います。それらを知った上でそれを完全に信頼するのではなく自分だったらこう思うとかあれはこういうことだったんじゃないかと考えさせてくれる、考える手助けになる批評は作品と共に大事なものだと思っています。
 また、どちらのチームも男女混合ですが極めてホモソーシャル的な愛情関係によってチームの結束はできています。観ていただければわかるのですがそのホモソーシャル的な関係図にいないものは否定するものは排除されていきます。男女間の恋愛問題は皆無になっています、物語にはそこはまったく描かれていません。


 園子温とは何者なのでしょう?
 なぜ園子温作品はひたすら疾走するのでしょう? 
 さまざまな作品の中で主人公たちは「かけ出して 今は怪我して 投げ出して 傷だけ増して くり返し進むかけ足で この調べ架け橋で(Dragon Ash『百合の咲く場所で』より)」という具合に駆けていくのでしょうか?
 『BAD FILM』を観ながら浮かんできたのは園子温とは人の形をした聖杯であるのではないかということでした。
 園子温聖杯説を言っている人はまだいないと思うので言ってみます。
 他にそんなこという人いないんでしょうけど。
 園子温は聖杯である。



聖杯とは、
1.キリスト教の儀式である聖餐に用いられる杯。カリス。
2.キリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯。
3.中世西ヨーロッパの聖杯伝説に登場する杯。
共観福音書によれば、最後の晩餐でイエスはパンを裂き「私の体である」と言って弟子たちに与え、杯を取って「私の血である」と、弟子たちにその杯から(ワインを)飲ませたといわれる。
聖杯伝説・イギリス・フランス・ドイツなどを中心に、聖杯を捜し求める騎士の物語、あるいはそれをモチーフにした奇跡譚が数多く語られた。
これを聖杯伝説という。伝説中で聖杯(Holy Grail)は、最後の晩餐のとき用いられた杯、または十字架上のイエスの血を受けたものであり、聖遺物のひとつとされる。
アリマタヤのヨセフがキリストの磔刑のさいのイエスの血を聖杯で受けたとし、ヨセフはその聖杯とともにアヴァロンの島に渡った。
また、アリマタヤのヨセフはイギリス最初のキリスト教会を作ったと信じられていて、その場所は現在のグラストンベリー修道院とされている。(wikiより参照)


 90年代、園子温は「ジョン・レノンイエス・キリストは最高のロック・スターだ」と公言していた。園作品を観ると何度もキリスト教的モチーフは使われており、園さんがキリスト教に入信しようかなっと言っているのを僕は実際に何度も聞いています。
 東京ガガガには女子高生から左翼のセクト新興宗教の信者あらゆるジャンルの男女が集まっていた。それが2000人を数えるほどでそこには「無意味・無目的・無宗教」の運動体であっても各個人には意味や目的や思想がある。ただ園子温と暴れたいだけの人もいただろうし、ある種のイベント性≒祝祭性を求めて日常から少しだけはみ出したい人もいただろう、様々な想いがそこにはあったはずだ。
 若者たちがすぐに過ぎ去っていってしまう青春時代やモラトリアムな時間に芽生える衝動を、汗や血や精液や経血なんかが垂れ流された街。渋谷、高円寺、新宿などの街に落ちたそれらを受け止めていったのが園子温だったのではないか。


 器としての園子温
 聖杯に流れ出し溜まったものが未だに園子温という人間を動かし続けてあるいは駆け出させている気がしてくる。
 東京ガガガはいつしか新鮮味を失い、園さんはまとめ役として暴れたいだけの若者たちのために奉仕するような感覚になりやがて資金も尽き東京ガガガをやめることになった。終わった東京ガガガのメンバーは現在様々な場所に散らばっている。
 過ぎ去ったあるひとときが懐かしく思える人もいればこれを観て興奮する人、参加もせず知る事もなくまったく触れてなかった人たちもいる。でも、やっぱり僕も前述の『園子温映画全研究 1985-2012』の著者の一人である松江哲明さん同様に『BAD FILM』と特典映像で収録されている東京ガガガの記憶映像を観ると参加できなかったのが悔しくもあり参加できなかったことはよかったとも思えた。
 あんな祝祭性、楽しいイベントに参加してしまったらもう人生でそれが最も輝いてみえてしまって大事な想い出になってしまうから。それと引きかえにある時代の瞬間という刹那にしかないはずの熱量や想いや疾走感はその聖杯に注がれた。


 注がれた聖杯である園子温は疲れ果ててその祭りを東京で終わらせた後には初めての商業映画である『自殺サークル』という作品によって完全に世界を射程に入れ加速を始めた。
 商業映画である『自殺サークル』以降、園子温はひたすら役者を追い込んでいき、そしてその役者は開花していったということはよく知られている。
 園子温監督最高傑作と言われている『紀子の食卓』(未見の方はぜひ)で新人だった吉高由里子を、『愛のむきだし』では満島ひかりを、『恋の罪』では神楽坂恵を、『ヒミズ』では二階堂ふみが一躍世間で注目される女優になっていった。
 まったくの新人で無名だった吉高由里子は第28回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞受賞するが事務所的にはまったく力を入れられているタレントではなかった。受賞後に所属事務所の偉い人から監督に電話があり「あの子は本当にすごいのかどうなんだ?」と聞かれ「あの子は逸材だ」と答えたという話がある。
 園子温監督の演出と演技しごきによって一気にステージが上がり女優として開花していった彼女たち。
 色がついてない人の方が演技指導をすると染まってないだけにどんどん作品に必要な演技ができるようになるということなのかもしれない。『BAD FILM』は2000人近い「東京ガガガ」のメンバーの中からメインの登場人物たちも出演していた人間の99.9%は素人だという。
 園子温が作った映画の中で彼らが生き生きとしているのがよくわかる。商業映画に行ってからはプロの役者と映画を作っているわけだがその中で新人だったりまだブレイクしていない役者の中にあるほとばしる煌めきを園さんは嗅覚で嗅ぎ付けているのではないだろうか。


 短期間で、例えば2、3年という時間の中で2000人という人と交わって戯れるような経験は普通ではできない。名前も出身地もわからないけど何か一緒にしている人たちがたくさんいただろう。その人数を経たことで園さんが個人の中にある何かを嗅ぎ取れるようになったと考えるのはまったくの間違いだとは思えない。
 多くの汗や血や精液や経血を受け止めた園子温という聖杯から溢れ出す愛や憎しみや怒りや慈しみや嘆きや喜びやさまざまな感情が彼と出会う人の何かを揺り起こし発動させている。それは演出する役者にも現場のスタッフにも映画を作る関係者たちにも、そしてもちろん僕たち観客にも。
 聖杯からドボッドボッと溢れ出すものを受け止めるのは今度は僕たち自身だ。
 『冷たい熱帯魚』を観た当時に書いた文章だが、
「本当に凄い表現とか作家性とか作品って麻薬なんだよ、生温くないし優しくもない。だけどそれを知ってしまうと後には戻れない。体が痺れてしまうし惹かれてしまうし嫌悪してしまう。一度味わって逃げ出せばもう味わいたいとは思えないし、それを乗り越えたらその刺激がまた欲しくなる。」
 園子温という聖杯から溢れ出たものは受け手の中の何かに強烈に訴えかけてくる。それを体感させてくれる17年前に作られ今年2012年に完成した作品がこの『BAD FILM』だ。


 最後に『園子温について語るとき我々の語ること』でよく出てくるのはこれだけ映画業界も厳しくなってくると原作ものばかりになってきたのに園子温は現在『ヒミズ』を除いてはオリジナルで映画を撮り続けている、しかも年に二作ぐらいの頻度という驚異的なスピードで作品を撮り続けているということ。これに関しては『ゼロからの脚本術 10人の映画監督・脚本家のプロット論』(誠文堂新光社)の園さんのインタビューでオリジナル脚本のこだわりについて答えているので参照します。


「今のプロデューサーは、ベストセラー原作か、もしくは有名な俳優を2人ぐらい揃えればいいというだけの単純な発想しかない人が多い。度胸がないというか、担保が欲しいんですね。担保としての原作があって、有名な俳優がいる。そういう意味では『愛のむきだし』なんて、完全に担保なしですよ。原作がなくて、俳優もなるべく新人の、本当にこれからという人をキャスティングしたわけだから。でも、そういうふうに自分で発掘した人と面白いものを作る方が、新鮮で楽しいんです」


 また、オリジナルを実現するためには、まずあらすじをしゃべってみるのがいいと思います。それで反応がなければ、そのアイデアはやめたほうがいいとも言っている。これらの事が現在の日本映画界のアンチテーゼとして最も有効に働いている。また今の日本映画は自分の半径何百メートルしか描いていない、コンビニまでの距離にしかない。それじゃあつまらないと園さんはよく言います。
 2007年3月20日新宿ロフトプラスでの園子温×山下敦弘×松江哲明×宮台真司トークショーにおいて園子温監督が叫んでいた事を僕は忘れてない。
「俺にハリウッドで撮らせろ!!!!!!」
 もうハリウッドだって充分に射程距離だろう、園子温監督がハリウッドで撮るのだって。その時僕たちは目撃する。もしかしたらニューヨークを、北京を、イスタンブールを、オスロを世界中のどこかの街を疾走している園子温監督作品を。



東京ガガガ 東京ガガガ
サイダー飲んででかけよう
風鈴屋台が角曲がる
東京ガガガ 東京ガガガ
ついていこう
ヘリコプターが団地をよぎる
保健所のおじさん 犬を追う
東京ガガガ 東京ガガガ
ついていこう
園子温 詩集『東京ガガガ』「東京ガガガ」より)

園子温 監督初期作品集 DVD-BOX(SION SONO EARLY WORKS: BEFORE SUICIDE)

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非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)

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けもの道を笑って歩け

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園子温映画全研究1985-2012

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希望の国 [DVD]

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毛深い闇

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