Spiral Fiction Note’s diary

ライター&「monokaki」編集部スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『魔法なんて信じない。でも君は信じる。』


 昨日の25日に『水道橋博士のメルマ旬報』vol.38配信されました。連載させてもらっている『碇のむきだし』で書いている小説『夢幻ガール』も四回めになりました。
 挿画イラストいつもほんとうに僕も楽しみにしてますが西島大介さんに書き下ろしてもらってます。原稿送って西島さんから帰ってくるとは本当にワクワクしてます。自分の書いた小説を読んで西島さんがどういうイラスト(登場人物の楓)を描いておくってくださるのかと。


 メルマ旬報vol.4で西島さんとライターのさやわかさんが先生をされていた『ひらめき☆マンガ学校』二学期について書いていたのですが、発売日と原稿の〆切が合わずに〆切の方が早かったので西島さんにお願いをしてゲラをお借りしてそれを読んで書いたのでした。
 そして、そのゲラをずっと返しそびれたまま二年程が経って今連載のイラストをお願いしているというこの状況。
 西島さんにゲラをお借りしたままですいません。お返ししますと今号の原稿を送らせていただいた後にお伝えしたら「いいよ、ゲラあげるよ」というお返事をいただいたのでもぐりのひらマン生徒としてはうれしい、たのしい、大好きじゃないですが前に書いたメルマ旬報の原稿をこちらのブログに再録して誰かにこの本が手に取ってもらえたらなと思って載せます。






↑ゲラと本を比べてみたりした画像


All those moments will be lost in time*DJまほうつかい




水道橋博士のメルマ旬報』vol.4掲載より

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わたしたちはこの砂漠の中にばらまかれた一粒の麦のようなものだろう
無限の時間と無限の空間にただ圧倒されるだけの存在
この世界はこの星を無視つづけるしこの星はこの村を無視つづける
つまり世界全体とわれわれとはほとんど関係がない


つまり世界がわれわれを無視つづけるのと同じように
われわれもまた世界を無視つづけているわけだ…
しかし例えば一冊の本を読むことはそれに抗うことだよ
一冊の本を著すこと 一篇の詩を詠むことは
世界に無視され消えてしまうことをこばむ行為だとわたしは思う
広大すぎる世界に圧倒されないようふんばっているんだな……
西島大介著『世界の終わりの魔法使い』より

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もうすぐ2012年も終わりますね、そんな駆け抜けて師走な第四回『碇のむきだし』です。
第一回から園子温監督、窪美澄さん、樋口毅宏さんの作品について書いてきましたが今回は西島大介&さやわか著『西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガ家にはなれない。かけがえのない誰かだけが、君をマンガ家にする。』(講談社BOX)についてです。
いやあ、オレはマンガ家になるつもりないしさ、興味ないという方もいるでしょうけどこの本は二冊目、正式に言えばこれは二学期の記録で一冊目の一学期である『西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガを描くのではない。そこにある何かを、そっとマンガと呼んであげればいい。』と続けて読むと創作論でもあり良質な仕事論です。
だから本当はビジネス本のコーナーに置かれたらよいのになあと思います。
マンガの描き方を専門的に技術的に教えるというよりはどうマンガ業界でデビューしていくか戦っていくか生き残っていくかということを講師である西島さんとさやわかさんは生徒に課題を通して実践させていきます。


講師であるマンガ家の西島大介さんとライター・編集者であるさやわかさんについて。
西島大介さんは2004年に早川書房で『凹村戦争』を刊行してデビュー、その作品自体が小説のレーベル(ハヤカワSFシリーズJコレクション)から出たマンガという事で異色であった。
担当編集者の塩澤さんも文芸の編集者だったためネームではなくシナリオを書いてやりとりをして単行本を出したこともあり、従来の新人賞を取ってマンガ誌に読み切りを描いて、それが好評で連載開始という一般的なデビューではないこともあり『ひらめき☆マンガ学校』(以下『ひらマン』)に繋がる。
元々批評などの文章も書いていたのが作風の中にも見てとれる。
前回の樋口毅宏作品について書いた時に引用した『I Care Because You Do』などもそうだがサンプリング・オマージュがマンガに取り込まれている。
他には『世界の終わりの魔法使い』シリーズ、こちらは『スター・ウォーズ』サーガ的に現在編が三冊、過去編が一冊出ており現在過去未来の三部構成のサーガになる予定。
ベトナム戦争ボーイミーツガールを描いた『ディエンビエンフー』(9巻まで刊行)、n次創作のように世界が増殖していくSF作品『アトモスフィア』や書いて出版社に渡したはずの原稿がなくなったその経緯を描いたドキュメンタリーである『魔法は信じない。でも君は信じる。』などがある。
3月11日の震災後に住んでいた東京から故郷である広島に家族で移住した後には、巨大な湯沸かし(爆発したあれ)のある街で除染と除霊をテーマにしたボーイミーツガールな『ヤング・アライブ・イン・ラブ』や寓話的な小さな島の小さな「くらやみ村」に離れた街から「ひかりの木」を植えないかと打診され……という『すべてがちょっとずつ優しい世界』を発表している。
僕が初めてマンガを読んだのは十年前に刊行された大塚英志×東浩紀の編集による文芸誌・批評誌であった『新現実』vol.1に掲載されていた『サーフィン・オン・サイン・ウェーブ』だった。
この作品がデビュー作に結びついたそうだ。
そのことについて今作の内容にかかわるのでのちほど。


ライター・編集者であるさやわかさんは『ユリイカ』『QuickJapan』などにも文章を書いているが最近初の単著である『僕たちのゲーム史』(星海社新書)を刊行した。
帯には「スーパーマリオはアクションゲームではなかった!」というインパクトがある文字に惹かれて手に取るとそんなにゲーム好きでもない僕でも最後まで一気に読み終わって何かすっきりしてしまう読み応えと内容でした。

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本書は、ゲームと共に生きてきた「僕たち」のための本です。
僕たちの暮らしの中にゲームが登場して、30年ほどの時が流れました。
本書ではその歩みを辿ってゆきますが、ソフトの売り上げ、あるいはハード戦争といった事柄に重心を置いた記述はしていません。
なぜなら、日本のゲームは、「ボタンを押すと反応する」という基本を巧みにアレンジしつつ、一方で「物語」との向き合い方を試行錯誤してきた歴史を持っているからです。
このような視点でゲーム史を編むことで、「スーパーマリオのようなゲームはもう生まれないのか?」「最近のゲームはつまらなくなったのでは?」といったあなたの疑問にもお答えできるようになりました。さあ、ゲーム史をめぐる冒険の旅に出ましょう!
amazon 内容紹介より)

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この新書はゲームをしてなくても問題なく読めるように書かれているというのが実は大きなポイントです。
この日本のゲームに置ける歴史はもちろん他の分野とも呼応している。
僕らが生きてきた時代の中でそれは社会の変化や経済や新しいテクノロジーと共に移りゆくからイヤでも呼応しているし関係しているから、だからわかる。
僕はいまゲームから遠く離れているけど読む事でいろんなジャンルの事を考えるきっかけにもなった。
こういうある特定のジャンルについてきちんと書かれている本が様々なジャンルであるともっと多角的に総合的にものごとを見る目ができるんじゃないかと読みながら感じました。


西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガ家にはなれない。かけがえのない誰かだけが、君をマンガ家にする。』の前に一学期である『西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガを描くのではない。そこにある何かを、そっとマンガと呼んであげればいい。』について触れておこうと思います。
二冊とも読んでもらえるように紹介できたらなと思います。


『ひらマン』について西島さんは、

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2008年の夏、KOBOCAFEにてたった1日だけ開催した「西島大介の一日漫画教室」が、約一年間の「学校」としてパワーアップして帰ってきました。
 

絵が描けなくても、お話が作れなくても、素人でもセミプロでも、未成年でも大人でも、参加者全員が、マンガ家になれてしまう「ひらめき☆マンガ学校」。
勝ち残りサバイバルではない、全員生き残り形式のマンガ講義。


一学期から三学期まで通して参加していただければ、参加者それぞれの方法で「マンガ家」になってしまっているはず!
マンガの可能性と不可能性を探る実験場「ひらめき☆マンガ学校」、
みなさんの参加をお待ちしています。

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と公式サイトに書いています。


応募総数が135人いて合格者は16人。
僕も実は応募してたんですけど落ちました。
マンガは書けないんですけど創作論とかの勉強になるだろうなって思って、で今はもぐりの生徒みたいな感じです。
イベントとかに参加したりするとそういう扱いになるんです。
生徒は僧侶やキャバ嬢、主婦に大学生に会社員にすでにデビューはしているマンガ家など多種多様でした。
まずは一巻である『西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガを描くのではない。そこにある何かを、そっとマンガと呼んであげればいい。』を。
第一章「描く 絵について」、第二章「完成させる コストについて」、第三章「読ませる 物語について」で成り立っています。
始まった当時にはマンガ家と編集者が揉めていることがニュースになっていたり、ブラックジャックによろしく的なことが起きていました。
西島さんは先ほど書いた『魔法は信じない。でも君は信じる。』の原稿消失事件などもあり「マンガとは何か!?」という違和感を強く持つようになりました。
それを持ったままでマンガの先生になればというさやわかさんと共に先生として募集した生徒をマンガ家にするという企画が始まったのでした。
読み手はマンガ家を自分の職業に置き換えたりすればいいので有効に使える講義が載っています。


第一章「描く 絵について」は時折マンガ誌に下絵のまま載っているマンガ(『ハンター×ハンター』とか)について掲載されたらそれはもうマンガだよねと。
絵とはなんだろうと。すでに売れている人のマンガの下書きマンガにペン入れして自分なりに書いてみたり実践していきます。
第二章「完成させる コストについて」ではマンガのコマに背景をどこまで書くべきなのか時間とコストについて逆に空白などをどう使うか。
ここではとてもわかりやすく『魔法先生ネギま!』というマンガの1ページを自分の絵柄で30分でペン入れする、終わると15分で、最後は3分でするという実践をします。
魔法先生ネギま!』という作品は丁寧に作られていてアシスタントもたくさんいて背景も3DでモデリングされたCGが使われている作品です。
生徒の作品も載っていますが西島さんの時間ごとに書いた作品も載っているのですがそれを見るとお手本のページからなにを重要だと思って西島さんが書いたか何を省略しているか、そういうものが時間ごとによけいに際立ちます。
それはどんな仕事にもいえることが端的に現れていました。
時間をかければそれなりのことはできるのは普通です。
しかしそんな余裕がある仕事なんてほとんどないのが現状です。
だったら限られた時間の中でその仕事を達成するために完成させるために優先すべきことや切り落としていくものも時間がないならないだけ顕著になってくるのと同じです。
あとは締め切りまでに描ける雑誌で連載しようというのもコストと対価についての話です。週刊なのか月刊なのか季刊かなど。
第三章「読ませる 物語について」は西島さんが物語は書けなかったという話からデビューの経緯など。
物語がどうしても書けなかった西島さんは音楽評などでライターもしていたのでその文章を批評的文字表現としてマンガのキャラクターのふきだしに落とし込んで主人公たちに言わせたのが前述した『サーフィン・オン・サイン・ウェーブ』でした。
それを読んだ塩澤さんにこれを一冊書き下ろせれば本が出せますよと言われた話など。

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担当編集者となる塩澤快浩さんに出会ったのは、紛れ込んだとあるパーティー
紹介された「SFマガジン」編集長は、想像したよりもずっと若くて、二十代半ばの僕からすると「お兄さん」みたいな印象。
その頃の僕は、今よりもずっと真剣な読者で、初対面だったにもかかわらず、塩澤さんに生意気にも批判の言葉を浴びせてしまった。
そう、まだ二〇世紀のこと。
その一ヶ月後、塩澤さんから電話がかかってきた。
「それだけのことを言うんだったら、何かやってみたら?」というわけで、僕は「SFマガジン」音楽欄の文章を担当することになった。
当時の僕は、雑誌に小さなイラストを描いたり、頼まれるまま雑文を書いたり、時には映像を作ったり。
できることなら何でもやった。
お金は全然なくて、どうやって生きていたのかよく覚えていない。


塩澤さんから『凹村戦争』の企画を持ちかけられたのは、二十一世紀になってからのこと。
西島大介著『凹村戦争』文庫あとがきより

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最後にはナタリーに参加者である生徒をマンガ家として登録したから、みんなマンガ家だっ!という「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」っていう終りで二学期に続くんですけどね。
名乗るとそれはその職業なのか問題も表れてきます。
でようやく今作『西島大介のひらめき☆マンガ学校 マンガ家にはなれない。
かけがえのない誰かだけが、君をマンガ家にする。』の話に。
第一章は「需要について」、第二章は「媒体について」、第三章は「卒業について」です。


第一章では「自分が間違っている」でも「社会が間違っている」でもない第三の道として「戦う場所が間違っている」という考え方をしていく。
その中で生徒同士の「格付けしあうマンガ家たち」と評して生徒に企画の意図を伏せた上で「自分以外の15人を、今後マンガ家として活躍しそうな順番に並べて、各人についてその理由を書いてください」というアンケートを取り全員分を集計しランキングにして発表しその理由もガンガン本人に言っていく。
めっちゃ凹む〜、つうか普通に考えてもきつすぎる、故に本質を突いてしまう。
上から順に上位三人を「マンガ家一人前」とし四位から十位までは「マンガ家半人前」、十一位以下は「人間以下」とされる、二学期になってめっちゃきびしくなりすぎ。
ここでのランキングは順位とその理由に比例してなかったりもする。
そしてランキング毎に課題(生徒の課題は特別付録として巻末に三作品が収録されています)を出しそれを読んだ9人の敏腕編集者(マンガも文芸もジャンルは分かれている)が読んで「自社の媒体に掲載できるか、それとも自社の賞に応募してきたら二次選考くらいで落ちるのか、または一次選考で落ちるか、そしてその理由」などのリアルな意見をアンケートで答えます。
そして彼らを呼んでの授業で生徒たちは自作の課題について編集者からの忌憚ない意見(アンケート)をガツガツぶつけられていくという第二章「媒体について」に繋がっていきます。


「格付けしあうマンガ家たち」というのが出てきたので話は少し逸れて加地倫三著『たくらむ技術』(新潮新書)の話を、まあそれが「格付けしあうマンガ家たち」の元ネタに繋がるわけで。
加地倫三という名前にピンとこなくてもテレビ朝日の『ロンドンハーツ』『アメトーーク!』のプロデューサーだというとピンとくる人もいるかもしれませんし、両番組でスタッフなのにたまにテレビに映っていて指示を出してたり爆笑している人です。
この間の『ロンドンハーツ』スペシャルのドッキリVTRで酔っぱらったターゲットに呼ばれたロンブー淳さんが部屋に入ってきた瞬間に、加地さんは理由をひとことも話すことなくアイコンタクトをすると、それで淳さんは「ああドッキリね、了解」と理解したという瞬間が放送されていて改めて「この人たちとんでもない信頼関係と共犯関係を続けてるんだな」と思わされました。


新書では勝ち続けるために一定の負けをしておくとか、勝っている時にきちんと次の一手を打っておくとか、気配りやしたいことのために必要なスキルや言葉遣い、行動などについて書かれているが面白いことをするために必要なものとして体験から書かれているのでもちろん納得。
まあ実際に番組も面白いしそういう裏側がしっかりあるんだなと得した感じです。
一度『アメトーーク!』の観覧が当たって「竜兵会vs出川ファミリー」を観に行った時に涙が出てひき笑いになってしまうぐらいに笑いまくったんですがその時フロアにいた加地さんもかなり視界に入りました。
ステージというかスタッフの中では最前線にいる感じでカンペ出しながらすごく笑って楽しんでいるのを見てこの番組が強い理由がわかったような気がしてたんですが新書を読んでさらに納得したというか。
そりゃあ面白いものに貪欲な人がプロデューサーで演者と意思疎通してれば強いわと。
仕事論でもあるけどやりたいことをするために何がプラスαできてるとうまくいくかって考えるきっかけになる一冊でした。
だから『ひらマン』と共にオススメです。


話を『ひらマン』も戻しますが第二章「媒体について」では<「かけがえのない誰か」を探して>というくだりがあります。
先ほどのランキングの後に書いた課題を敏腕編集者に見てもらい意見をもらってからの授業です。
媒体を、読者をいかに考えるかという問題です。
これはすべての仕事に通じる話ですよね。
すべての仕事にはお客さんがいるわけですから。
でも、9人の敏腕編集者でもひとつの課題に対して意見はまったく違ったりするわけです、そこで出てくるのが<「かけがえのない誰か」を探して>です。
他人の意見はもちろん参考になるが人に合わせるのが絶対ではないという話。
そして自分を変える意思がない時には逆に考えて「自分を変える」のではなく「誰かを変える」と「戦う場所を変える」ことにつながると先生たちは生徒を導いていきます。


自分 × 編集者 = 大活躍


って感じで本書には出ています。
西島さんの場合だと編集者に塩澤さんが入りデビュー作『凹村戦争』になるわけですね。
そして最後には次の課題が出されます。
それは「三者面談をします。あなたの作品を一緒に作ってくれる“誰か”、商品にしてくれる“誰か”を連れてきてください」というものです。
そして第三章に繋がっていきます。
わりとネタバレもしてますけど読んで自分に当てはめて考えて実行するのが一番有効なこの本の使い方だと思います。
だから実践的なビジネス本でもあるわけです。
もっと売れて広まっててもいい本だと思うんですけどね。


『ひらマン』生徒の中にはもうメジャーなところでどんどん活躍している人たちもいます。
谷川イッコさんは「谷川ニコ」というペンネームでコンビマンガ家の原作担当として『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(スクウェア・エニックス)が大ヒットしてます。
先生である西島さんの販売部数をすでに越えているという……。
しまどりるさんはテーブルトークRPG企画『レッドドラゴン』(星海社)にプレイヤー兼ビジュアルデザイン担当として参加しています。
丸木戸サドルさんは『普通の恋』でPFFぴあフィルムフェスティバル)第21回スカラシップを獲得し木村承子名義で監督した『恋に至る病』で商業映画デビューしている。
ふみふみこさんは『女の穴』(徳間書店)で単行本デビューし『ぼくらのへんたい』(徳間書店)『さきくさの咲く頃』(太田出版)と単行本を発売し好評です。
以前に西島さんが先生であるさやわかさんの悩み相談をツイッターでしていてそれをお気に入りにしていたので引用させてもらいます。

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先日のさやわか先生の悩み相談ですが、「僕たちのゲーム史」に続く二冊目どうするかという内容。
僕が思うに、二冊目の著書をイメージする時は三冊目四冊目その先までを具体的にイメージするとうまく行きます


西島の場合だと、デビューの「凹村」→「せかまほ」→「ディエンビエンフー」という流れ。生徒のふみふみこさんだと、「女の穴」→「へんたい」→「さきくさ」という流れ。123とジャンプする感じをイメージ。
勝負かけてシリアスに決めるのは3作目か4作目でOKで、二作目は一作目の印象をキープ


西島の凹村→せかまほも同様で、装丁で使った色数が一緒(白地に青、白地にピンク)。
デビュー作の印象をキープしたまま二作目はファンタジー
「SFだけじゃないんだ系は似てるけど」ってことで作家性を立てつつ長期連載となるディエンビエンフーへ移行。
連載化したDBPのカバーはカラフル


というわけで、さやわか先生の二冊目はなんとなく「ゲーム史」ぽくていいというのが西島考えです。
批評家としてのガチ評価を狙う重めでシリアスな本は三冊目移行にずらして、「あーゲームだけじゃないんだ、こっちも守備範囲?でもこの人の文章好き」的な反応で二冊目は十分!


と、大雑把ですが、常に青春って123ジャンプくらいの余裕は持ちたいものですね。
ひらめき☆Twitter講義おわり。生徒諸君役にたったかなーーー?がんばってね

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これを読むだけで西島大介という作家が意識的に戦略を持って勝負しているのがわかりますね。
戦うための下準備ややるべきことをきちんとして万全に備えておくというのは前述の加地さんとも共通しています。
それがあるのでイレギュラーな事が起きても対処ができるというふうに。

僕は『ひらマン』もぐりの生徒みたいなことを自己紹介のとこにも書いていて、西島さんとはお話もさせてもらったりして思うのはかなりこの企画というか本は実効性のあるものだと実感を持って思っています。
第二章「媒体について」の<「かけがえのない誰か」を探して>はまさしくこの連載に繋がっています。


自分 × 編集者 = 大活躍 を僕に当てはめると、
碇本学 × 水道橋博士 = 『水道橋博士のメルマ旬報』連載になります。編集者というのは別に違う業種でも人でもなにかに置き換えれます。


自分を見出してくれる人と出会う、声をかけてもらうorかけていくというのはぶっちゃけ行動しかないじゃないかなって思ったりします。
自分のやりたい仕事や希望している課に行きたいとか思ったらその時に誰にそれをプレゼンするとかアピールするとかって実力以上に大きかったり次に繋がるように思います。
これだけがんばっているんだから何にも言わなくてもわかってくれるはずというのは妄想に過ぎません。
もし相手もわかっていても声出さないと給料もボーナスも待遇もあげてくれないかもしれないですよね、だって言わないからそのままでいいやって都合よくされちゃう可能性の方が高いわけです。
やるべきこともして声にも出すってのは人間関係のレベルもありますがしないとわりと「なあなあ」なまんまです。
部長とか何言っても伝わらねえわってなったら社長と仲良くなって言った方が早いですしね、社長の秘密握るとかもろもろやり方はあるはずだし単純に可愛がってもらって意向を聞いてもらうとか、まあそれはそれで危険なんで(周りから何言われるかわかんないですけど)クビになるぐらいの覚悟を意識した方がいいのかも。
でもそのぐらいの危険でやめとこうってなるならそこまで強い想いじゃないのかもしれないしとか思います、僕的には。


この「碇のむきだし」という連載は博士さんが園子温監督と会って意気投合したのをツイートされていて「50歳まだまだこれからじゃあ」って博士さんがなっているのを見て感化されたのもあって博士さんも園さんも二〇歳上なんで「おっさんどもにずっと突っ走らせてたまるかあ!」ってのもあったし「ついて行きたい!」ってのも同時にあったりしてややこしい感情になってました。
それで僕からメルマガを始めるなら小説の連載とかさせてもらえませんか?と博士さんにお願い(プレゼン?)のメールをしました。
ええ、無謀ですとも、普通だったらしないと思います。
こないだばったり樋口毅宏さんにお会いしてその経緯を話したら「お前なあ……」って顔をされました。
でしょうね!
だろうね!
飽きれるよね!!
「いや、全然良いですよ!と言うより、頼もうと思っていたくらいです。」と僕のお願いメールに関して博士さんにそう返信していただいてそれが発売された『藝人春秋』での石倉三郎さんと浅草キッドのお二人のやりとりに通じているなって本を読んでいて感じたりラジバンダリ〜(古いか…)。


で、今号から園さんの連載も開始という……、点と点が繋がっていきますね。

凹村戦争 (ハヤカワ文庫 JA ニ 2-1)

凹村戦争 (ハヤカワ文庫 JA ニ 2-1)

世界の終わりの魔法使い (九龍COMICS)

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I Care Because You Do

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僕たちのゲーム史 (星海社新書)

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

AKB商法とは何だったのか

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一〇年代文化論 (星海社新書)

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