Spiral Fiction Note’s diary

ライター&「monokaki」編集部スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『ヒミズ』

 園子温監督最新作『ヒミズ』公開初日。バルト9にて観賞。
 今作を観るのは二度目で最初に観せて頂いたのは去年の八月だった。夏に観てからずっとこの作品が離れなかった。そう以前と以後というライン、境界線ができてしまった。


映画『ヒミズ』予告編


 原作は古谷実古谷実というと一部の人の中では『稲中』のギャグ漫画で止まっている人も多いのかもしれないが今作の原作漫画である『ヒミズ』以降特にゼロ年代と呼ばれたディケイドにおいて彼はこの国にある不穏な空気を描き続けてきた作家であったのは『ヒミズ』以降も読んでいる人ならば周知の通り。

 
 園子温監督にとっての初の原作ものとして映画化が発表された時に誰もが園子温×古谷実の組み合わせに心躍りながらも『ヒミズ』というゼロ年代の絶望の国の若者を描いた漫画がかなりダメージのあるものになると思った事だろう。僕もそうだった。


 しかし、去年のあの3月11日に東北地方太平洋沖地震が起こり、それによって福島原発問題が引き起こされた。
 地震後すぐに『ヒミズ』の脚本は地震以後の世界に変更されロケ地も被災地を含む3.11以後の『ヒミズ』として撮影される事になった。



監督・脚本 園子温 キャスト・染谷将太二階堂ふみ、渡辺哲、吹越満神楽坂恵光石研渡辺真起子黒沢あすか、でんでん、村上淳、他



ストーリー・15歳の少年・住田祐一は、実家の貸しボート屋に集まる、震災で家を失くした夜野さん、田村さんたちと平凡な日常を送っていた。住田のクラスメイトの茶沢景子は、大人びた雰囲気の住田が好きで猛アタックをかける。疎まれながらも彼との距離を縮めていく茶沢。ある日、借金を作り蒸発していた住田の父が帰って来た。金をせびりながら殴りつける父親の暴力に耐える住田。ほどなく母親も中年男と駆け落ちしてしまい、住田は天涯孤独となってしまう。



 最初に観た時よりも泣いてしまいました。初見の時は泣きそうにはなったんだけど今回は何度か泣いてしまった。
 あと僕は渡辺哲さんの演じる夜野の行動や台詞で笑ってしまうんだけど内覧初号の時は客席の他の人もけっこう声を出して笑っていたが映画館ではみんな身構えていたのかほぼ笑い声はなかった。


 間違いなく染谷将太二階堂ふみのこの二人の演技は映画館の大きなスクリーンで観た方がいい。なぜならこの映画は青春映画としてこの先残る作品になるから。そうこれは地震後の少年と少女の物語、青春映画だから。


 そして脇を固めるのは園組といっていい園さんの作品に出ている人達。園さんにかつて同じ役者さんを使うのはなぜですかと聞いた時に合う人とは何度もやりたいと言われていたしね。



 原作との大きな違いは地震後というのと漫画では住田と茶沢の同級生である夜野が地震で全てを失った中年になっている事だろう。そのことに関して園さんはいろんなインタビューで住田と茶沢以外に中学生を入れると二人を中心に描くのにいろんなエピソードがいったりするし二人中心に観れなくなるようなことを言われていたと思う。僕はホームレスとして住田の家の貸しボート屋の近くにテントを張って住んでいる彼らを取り入れた事はすごくしっくりときた。
 漫画で住田にしか見えない一つ目の化物は映画ではいないがその不穏な空気の具現化のようなそれは放射能が飛んでいる地震以後の世界として僕らの前にある。


 僕が初めて観た去年の八月にちょうど宇野常寛著『リトル・ピープルの時代』を読んでいた事もあって僕は映画を観ながらビッグブラザー(大きな父)が滅んだ後に誰もがリトルピープル(小さな父=老若男女問わずに決断し影響を与える存在)になった世界での住田と彼の両親の事を考えていた。


 園子温監督は今までの作品の中で「家族」を否応なく描いてきた。それは園さんが父に対する様々な想いや気持ちの反映でもあったろうし時代とも関連していたのだと思う。詳しくは速水由紀子さんがインタビューした『AERA』の園さんのインタビューを読めばいい。
 だからこそ園さんは絶賛された『愛のむきだし』のあとに亡き父に捧げた『ちゃんと伝える』を作ったのだろうし、「家族」をテーマにした『紀子の食卓』というレンタル家族を描きながら現代の壊れすぎた家族を描きその先の希望を妹(吉高由里子)に託したのだと思う。



 被災地の映像を使っているのでけしからんとかそうやって話題作りするのはダメだと思うみたいな感想もあるらしいのだけど、はあ?みたいな。
 被災地の映像を瓦礫の街の映像を使って嫌な人も確かにいるだろうけどこうやって残す事も意味があるし風化させるよりはいいと思う。


 創造は現実と共にあるのであって現在を描く時に東日本で東北や東京でガイガーカウンターが鳴ってない、放射能や瓦礫や被災してる人がいない現実を描く方が嘘じゃん。起きた事をきちんと取り込んで進むべきだし、園さんのようにすぐに作品の中に活かして作れるタイプの創造者もいるし、地震で何も作れなくなってしまう人もいる。


 遅かれ早かれ地震以後の創作物はその現実の先を表現していくし、ずっと僕たちの国家やシステムが臭いものに蓋をし続けてきた結果がこれなんだから。
 表現は夢を見させるためではなくて夢から醒ますべきためにあるのだと思う。これは僕が好きな漫画原作者であり編集者の大塚英志さんの言葉だけど。



 なぜ茶沢は住田の事をあそこまで想って行動できたのか。
 住田は父が来る度に金をせびられ暴力を振るわれ、お前早く死んでくれといつも酔うと言われていて、ついには母も出て行ってしまう。
 住田にとってクズな両親から生まれた自分はクズにならないために普通な人生を送りたいと思っている。母性すらもなく父性もない家庭で彼は生まれ育った。
 茶沢の家庭はどうかというと彼女もまた両親が作っている「あれ」によって彼女もまた住田同様の事を両親に思われている。


 住田も茶沢も崩壊して終わっている家庭で思春期を過ごしている。茶沢は住田にどこか自分の分身のような何か、半身のように思っているように感じられる。
 今作では家族で食卓を共にするシーンはもはやない。前々作『冷たい熱帯魚』での冒頭での冷凍食品をチンして家族で食べているシーンは冷めきった家族、崩壊しかけの家族の象徴だったがもはや『ヒミズ』においてはその家族の問題すらも終わっている。


 そんな住田の元に集まってテントを張っているホームレスたちは小さなコミュニティだ。血の繋がりももはや意味もなく痛みしかない、学校に友だちもいない住田にとって小さな国だ。だからこそ彼は彼らを拒否しないで受け入れる。だから茶沢も彼らと仲良くできるのだろう。


 茶沢家の問題についてはおそらく脚本ではあって撮影はされているのだと思う。しかし結末は語られてはいない。僕は茶沢家のあの問題は例のあれは最初に観終わって後にずっと考えていたが原発問題のメタファーみたいに思えてきた。解決は見えない、どうなるかはまったくわからない問題。
 だって最後のシーンが終わっても茶沢は家に帰ればあの問題が眼前にあるかもしれないのだから。終盤までに解決されているのかもしれないしされてないのかもしれない。


 住田はヤクザの組長や茶沢に「お前は今少し病気なんだよ」と言われるように自分から選択肢を減らして最悪の道に進もうとしている。
 視野があまりにも狭くなりすぎて自分事以外はまるで見えてない。だから茶沢の事がうっとしいだけで彼女の問題には気付けない。


 母性のディスピトアの先にある少年と少女。
 だから終盤で茶沢は住田に二人の将来の事を「想像」してと言う。彼らの家庭にはいわゆる「普通」な家庭ではないのだから彼らはいつかくるかもしれない互いの未来の家族や家庭について自分たちの家の事を思うのではなく「想像」することでしか前に進めない。


 漫画版では住田と茶沢はセックスをしてたはずだが映画版ではない。園さんの映画は暴力的な描写や性的な描写が多いが今作では性的な描写はない。彼らはまだセックスを知る前の少年少女であり、あえてそこは描かれてないのだろう。
 青春映画のとしての痛みを自分という存在に向き合う思春期を染谷×二階堂のコンビが瑞々しく演じている。


 彼らが最後にセックスをしないのはきっと将来の事を「想像」しようとするが、そこにセックスという行動が介在してしまうと彼らが拒否したい、守ってもらえるはずだったはずなのに守ってくれない、くれなくなった彼らの両親のように子供を孕んでしまう存在に自分たちがなってしまう可能性がある行為だから彼はそれを回避したのではないかとすら思える。


 園子温監督の作品は過激な描写だと言われる事が多いがそれは物語を補強する要素であって全てはないし、描くもののために必要な装置のひとつでしかない。だけどもそれがすべてのようにいう人もいる。
 突き進めて表現していけばある意味で過激な描写な内容になるのはその人が真摯な思いで考え抜いて創作していけばそうなるんじゃないかと思う。だからこそ届く速度と強度がある。


 でんでんさんと渡辺哲さんの『冷たい熱帯魚』での邪悪なコンビがまた見せてくれるのも園さんファンとして嬉しい作品でもある。
 「終わりなき日常」が「終わりなき非日常」になったと園さんもインタビューで言われているけど宮台真司さんも出演されたりしている。『愛のむきだし』に続いてですね。前は新興宗教を新徒に説く役で今作はテレビの中で社会学者として原発について語っている。


 園さんは原発三部作だっけな、次の作品にもう取りかかっている。今回は子供が主人公だったので彼らには責任はないってのもあって救いのある終わりだったけど次作はまったく救いのないものらしい。


 恐ろしくも観てみたいというか劇場に観に行くんだけど。
 園さんの作品は咆哮し彷徨する感情の行き先に辿り着かせてくれる。


 追記


 深夜のツイートから。
 僕は園さんに出会えてある種のラインを超えさせてもらったし尊敬してるからひいき目な部分もあるから否定や苦言をいう人の意見がわからなくもないんだけど。震えるような作家性の狂気を見せつけられる人にしかない匂いと表現にしか僕はもう惹かれないんだ。


 作家性なんて狂気でしかないだろう。それまでの価値観を壊す凶器になり、それが新しい境界線の向こうへの狂喜になりえないのならば、それはただのマニュファクチュアな創造にしか留まらない。速度がなければ届かない、強度がなければ残らない。僕が欲しいのは狂える速度だ。


 『ヒミズ』に関して茶沢の家の絞首台の件って最後まで描かれないのは原発のメタファーにすらなりえると思っていて、解決なんかしないよ、すぐそこに終わりはあるって。だけどそれがあるけど茶沢は住田を支える。住田はそれに気付けないけどその茶沢に救われる。だから住田を想う事で支える事で茶沢はなんとか立ってると思う。


 茶沢が冒頭でヴィヨンの詩を読んでるけどヴィヨンは司祭を殺して諸々犯罪を重ねて捕まって絞首刑宣告され後に減刑され後に追放される。ヴィヨンの詩と絞首台はセットなんだろう。で住田も茶沢に借りたヴィヨン読んでいた、だから住田と茶沢は二人合わせて現代のヴィヨンなんだよ、きっと。
 

園子温監督関連エントリー
自転車吐息
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20081128


愛のむきだし」@東京フィルメックス
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「ちゃんと伝える」
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090825


冷たい熱帯魚』@東京フィルメックス 11/27
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20101127


『夏休みの終わりに』
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恋の罪
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20111114


 去年観てすぐに『ヴィヨン全詩集』を購入してた。


「零細卑近事のバラッド」


牛乳の中の蠅、黒白が わしには解り、
衣装を見れば 人間が わしには解り、
お天気が良いか悪いか わしには解り、
林檎の木で林檎の味が わしには解り、
樹脂を見て その樹が わしには解り、
全てが同じである時に わしには解り、
働き者だか怠け者だか わしには解り、
わし自身の事の外、何も彼もわしには解る。


襟飾を見て胴著が何か わしには解り、
長い修道服で坊主だと わしには解り、
召使を見れば 主人が わしには解り、
覆面の被れで 尼僧が わしには解り、
泥棒が隠語で喋るとき わしには解り、
宮仕への道化の美食が わしには解り、
葡萄酒は樽だけ見れば わしには解り、
わし自身の事の外、何も彼もわしには解る。
 

馬と驢馬、その区別が わしには解り、
奴等の荷物と積荷とが わしには解り、
ビエトリスでもベレーでも わしには解り、
計算し、寄せ算をする算盤珠が わしには解り、
幻想も また 睡眠も わしには解り、
ボヘミヤ人の異端邪説が わしには解り、
大本山ローマの権威も わしには解り、
わし自身の事の外、何も彼もわしには解る。


選者の君よ、要するにあらゆる事が わしには解り、
顔色の艶々しいのも錆いのも わしには解り、
全てを 亡ぼしつくす「死」も わしには解り、
わし自身の事の外、何も彼もわしには解る。

愛のむきだし [DVD]

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ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)

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リトル・ピープルの時代

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