Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年11月1日〜2024年11月15日)

10月下旬の日記(2024年10月16日から10月31日分)

 

11月1日
木山捷平著『駄目も目である』に収録されている『苦いお茶』という短編を読み終わったぐらいで日付が変わった。講談社学芸文庫に同作が収録されていたので前に読んでいた。主人公が戦中に満州に渡って、終戦後にすぐ日本で帰れずに住んでいたホテルがあり、そこに住んでいた幼かった少女と東京で再会したという短編。
少女は当時まだ幼くて幼稚園児ぐらいだった。日本人の成人男性が一人で城内を歩いているとソ連兵に捕まってシベリアに送られてしまうということがあったらしい。子ども連れだと捕まえられないということがあり、主人公を初めてとする日本人男性は子どもがいる女性に少しお金を渡して、子どもを借りるということがあった。主人公は自分の商売に必要なものを買いに行く際に子どもを何度か借りていて、その時に数回ほど貸してもらっていたのが現在は大学生になったその娘だった。
当時のことを回想しながら、大学生になったその娘と主人公は居酒屋で飲みながら話をするという内容になっていて、満州での生活での描写も生々しくていいし、大人になった少女があることで啖呵を切るシーンもすごくいい。
日付が変わる時に10月下旬の日記をはてなブログにアップして、半年前の日記をnoteにアップした。


radikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながらアップの作業をしていたが、23時からの放送直後は野球好きの都築が大谷とか野球の話をずっとしていた。興味がないとかおかしいみたいなことを言っていたが、興味がないのでその手のトークは音としてだけ聴こえてきて内容は入ってこなかった。番組は25時に終わるので最後まで流していて、そのあとはもう寝ようと思って目を閉じた。

7時過ぎに起きてからradikoで『ハライチのターン!』を聴きながら朝のルーティンをしてから、リモートワークを開始。午前中のお供はそのままradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴きながら作業をしていた。
Slackで連絡が来ていた。今使っている会社から支給されているPCの電源ケーブルが貸し出しの時にちゃんと処理されていなくて、貼られている管理番号がそれぞれ違っていた。僕が使っている電源ケーブルは退職する人が使っていたPCのものだったので、揃えてレンタル先に返却しないといけないらしく、できるだけ早めに会社に持ってきてほしいとのことだった。
12時半ぐらいまでに引き継ぎで教わった作業がひと段落したので、来週行くとか悩むよりは早めに終わらせてしまおうと会社に行くことにした。
曇っていて夜から雨予報だったが外は寒くなかった。池尻大橋駅まで歩いていき、そこから半蔵門線九段下駅まで。日曜日にZAZEN BOYSのライブで日本武道館に行ったばかりだったので、珍しく一週間で二回もその駅を使うことになった。


パレスサイドビルの中にあるオフィスで午前中に連絡をくれた社員さんに連絡したら30分待ってくださいということだったので、とりあえずPCも持ってきたので作業をちょっとばかりしていた。
担当の人が来てくれたので持ってきたアダプタを自分のナンバーのものと交換して一件落着というか、会社に来た目的は終了。社員さんとPCのこととかちょっとだけ話をしてオフィスを出て、再び九段下駅へ。


最寄駅で降りてからTSUTAYA書店に寄ったら、ジャンプコミックスの中では『ギャグマンガ日和』以外では発売するたびに読んでいる松本直也著『怪獣8号』14巻が出ていたのと、新潮文庫の新刊のところにあった一條次郎著『チェレンコフの眠り』を一緒に購入。
一條次郎さんは新潮ミステリー大賞を受賞してから、基本的には作品を新潮社で発表していて、単行本と文庫になっているのは四作品あるが、デビュー作『レプリカたちの夜』からずっとこの『チェレンコフの眠り』の表紙のイラストのように動物が描かれているし、背後の色は青やピンクや黄色や赤とほぼ単色というのも統一されている。すごく異色の作家という印象があって、文庫では四作品全部持っているのはやっぱりこのデザインでシリーズっぽくなっているのも大きい。

ano - 絶絶絶絶対聖域 feat. 幾田りら / THE FIRST TAKE 


家に帰ったら小学館から封筒が届いていて、前に『ビッグコミックスピリッツ』にあのちゃんが出ていた時に買ってQUOカードを応募していたのが当たっていた。
その前に映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』公開時にあの&幾田りらが巻頭&特集で出ていた時も応募したら当たったので、二分の二で当たっている。思ったよりもみんな応募していないのかもしれない。でも、昔から懸賞運はいいから、送れば何かしら当たるし、当たる時は大抵応募したことすら忘れている。

リモートワークを終了してから、Spotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら晩ご飯というか、昼ご飯との兼用の食事を。
昼間に会社に行く時にはポッドキャストの『きしたかののブタピエロ』を聴いていたが、彼らの自主で配信していたポッドキャスト番組『バナナのてんぷら』の二年近くのものと、『きしたかののブタピエロ』になってからは他の芸人さんたちと順位を争って、一位になるまでを全部聴いたことで、帰る時にはついにレギュラー番組に昇格(事務所の先輩の三四郎ANN0の裏)の初回まで辿り着いた。
『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』も初回から聴き始めて毎週更新されるものに追いついたが、『きしたかののブタピエロ』も今月中にはそうなると思う。ラジオでコンビのトークを聴いているから、勝手に親近感もあるし彼らの漫才も見てみたいなと思うようになってきた。
今月末には『三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブin日本武道館』があるので、それを思いっきり楽しみたい。月が変わったので武道館グッズを当日受け取りで申し込もうとアプリの方で決済に進んで行ったら開場に近い時間帯はすでにいっぱいになって申し込めなくて、一番遅い時間帯でも13時15分から30分しかなかった。それももうすぐなくなるという三角のマークがついていた。開場は15時からで開演は16時だから微妙だ。
事前通販だと公式パンフレットが買えないのがネックだった。パンフはイベントの内容に触れるのだろう、それで武道館でやる当日からしか買えないことになっている。当日受け取りならそれも一緒で、ということなのだが悩む。
パンフ以外の欲しいグッズは事前通販して、パンフだけ当日の会場販売に並んだ方が逆に時間も潰せるという結論に至る。一人で行くので時間を持て余してしまうとたぶんイベント開始前に帰りたくなってしまうから。

ニッポン放送圧縮計画」を聴いて少し読書をしてから、ライティング作業を開始。12月上旬にある〆切まで時間はそこまでない。一つは友達から僕の日記を形にしてみたらと言われたのでそれをやってみる。すでに日記はあるからどう組み立てるかみたいな感じなので時間はそこまでかからないだろう。

 

11月2日
寝る前に市街地ギャオ著『メメントラブドール』を読み始めた。筑摩書房のサイトにある作品紹介には、

「私」にはいくつか顔がある。マッチングアプリでノンケの男を釣って喰っては「たいちょー」として行為シーンを裏アカに上げ、平日昼間はSIer企業の院卒若手正社員「忠岡」として労働しながら、新宿区住まいの家賃のために「うたちょ」の姿で男の娘コンカフェのキャストとして立つ元“高専の姫”ポジション――ペルソナたちがハレーションする、どうしようもない人間のどうしようもない梅雨明けまでの一ヶ月。

とあるが、読んでいて脳裏に浮かんだのは『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』で浅野いにおさんがインタビューで答えていた

2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。

ということだった。
まさに「露悪的で過激なこと」を描いている(ただ、作中ではいわゆる本番行為はしていなくて、男性相手に主人公がフェラチオをしているぐらいで、それを動画にしてアップして身バレするとかなので、その先にあえて行かない、描かないという判断を市街地さんはしていると思うし、故にあの長さで物語が終われているのだろう)。
そもそも単行本の帯コメントが太宰治賞の選考委員ではなく、金原ひとみさんっていうのがその「露悪的で過激なこと」に通じていると思うし、そういうことを望む人たちが手に取る確率は上がっているのだろうから、ナイスチョイスとしか言いようがない。
かつて村上龍さんはSMについて小説で書いていたけど、彼が今二十代なら女性にペニバンで犯されたり、トランスジェンダーの人との三角関係とか書いていただろうな、と思わなくもない。
たぶん、ヘテロのシスジェンダーの男性が主人公なら犯される側に配置しないと加害性をなくせない(実際に無くなるわけもないが、読み手にそのことを忘れさせる、薄めることはできる)し、語ることも難しい気がする。今の純文学系の流れや勢いのある書き手の人たちはヘテロのシスジェンダーの男性は減っているし、「平成」以降に小説家として名が上がる人たちは女性の作家になっている。
と考えたりしていた。もっと深いというか固有名詞をどんどん出すということは日記では書かないし、しない。そういうことはちゃんと意識的にも共有できる人とクローズな場所でしか話さないに限る。今度そういう話をしながらご飯を食べる日も決まったのでもう少し自分の中に溜め込んでおく。

6時半の目覚ましで起きる。radikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聴きながら朝の諸々の準備をしたので内容はあまり入ってきていない。まあ、レギュラー初回からポッドキャストで聴いているので、早かれ遅かれ今回の内容もわかるはず。
7時10分ぐらいに家を出る。小雨が降っていて、天気予報でもずっと雨だったので仕方なく傘を差して歩きだす。すぐにスニーカーやズボンが濡れてしまう。お供としてradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら日比谷へ向かう。


この間も通った道、渋谷から青山墓地を抜けて乃木坂と赤坂、首相官邸と国会議事堂を横目に日比谷公園を抜ける。公園に入ったら大きなトレーラーが入っていて、何かのライブの準備を始めるようだった。この雨の中、ライブか。中止にはならない方がいいけどスタッフさんもだけどお客さんも濡れちゃうなって思って通り過ぎた。
あとから調べたらsyrup16gのライブだった。行きたい気持ちはあったが、ZAZEN BOYSの武道館を日曜日に観て、そこから六日後にsyrup16gの日比谷野音はちょっと難しいので諦めていた。行かないと決めたら日程はすっぽりと抜けて忘れているものだなあ。最初にsyrup16gのライブを観たのは日比谷野音公会堂だった。


TOHOシネマズ日比谷が入っている東京ミッドタウン日比谷まであと数分という、日比谷公園を渡ったところで家を出て約二時間が経っていた。ずっと歩きながら聴いていたのは「三四郎ANN0」だったけど、地図をふと見て思ったのはザ・ペニンシュラ東京の横ぐらいに番組を放送していたニッポン放送がある。
無意識に番組を聴きながら数時間前まで生放送をしていたところに歩いてやってきていた。聖地巡礼か、と雨の中、心で小さく自分にツッコんだ。

ジャーナリストのエディ・ブロックに地球外生命体シンビオートが寄生したことで生まれたヴェノムは、強靭で真っ黒な肉体と鋭い牙を武器に、長くのびる舌で人を喰らう恐るべき存在でありながらも、エディと一心同体となって強敵カーネイジを倒し、世界の危機を救った。エディとヴェノムは深い信頼関係で結ばれたバディとなり、見事なチームワークで敵を倒していく。そんな彼らは、シンビオートを極秘に研究する施設に侵入したことで特殊部隊に追われる羽目になってしまい、さらには新たな脅威が地球外から飛来する。

『ヴェノム ザ・ラストダンス』をIMAXで9時45分からの上映回を鑑賞。雨も降っていたけど、金曜日からの公開で三連休の初日にしてはそこまでお客さんは入っていなかった印象。TOHOシネマズ日比谷では東京国際映画祭もやっているから、お客さんもそちらに流れているのかもしれない。
シリーズ三作目で終章というのは公開前から言われていたので、最後まで見届けようと思っていた。エディとヴェノムのバディもので、最後と言われたらもう二人は一つではなくなって、最後の別れを描くのだろう、と予想していたがそれをどう描くのかが興味あった。
ネバダ州にある「エリア51」にシンビオートの研究をしている施設があり、ヴェノムの仲間たちもそこで研究対象になっているという設定。今回は最終決戦がそこで行われた。『E.T.』のオマージュなんかもあったし、他にも宇宙人ものの映画からの引用やオマージュもあるのだろう。
エディは一度死んでいて、ヴェノムが寄生したことで蘇生したことで二人は一つになっていたのだが、その際に生まれた「アル物質」が暗黒世界の支配者で今は囚われの身になっているヌルをその牢獄から出すための鍵らしい。そのことで今回エディたちはヌルの支配下にあるシンビオートに狙われるという話になっていた。
どちらかが死んでしまうとその物質は壊れてしまうらしく、エリア51にいる特殊部隊たちもヌルの手先に襲われていく中で、エディかヴェノムを殺してしまう方がいいと判断するものも出てくるのもわかる。だが、物語の終盤ではドラマティックに二人で一つだった彼らの本当の別れがやってくる。思ったよりもヴェノムが選んだ方法が自己犠牲であり、涙を誘うようなものだった。
ヴェノム以外のシンビオートも研究員に寄生して、ヌルの手先と戦うシーンが後半の見どころなんだろうけど、ちょっとCGぽいというかこういうスーパーヒーローもののバトルシーンって何が起きているのか、わかりにくかったりするし観ていると正直飽きが来てしまう。それでいいシーンがあっても感動しにくくなるところがある。もうフィクションじゃんっていう頭になっている。なんかそこがもったいなかったように思えた。
三部作の最後にバディものとして締めるならやっぱりメインの二人の別れを描くのが一番の落とし所になるし、終わりとしても申し分がない。その意味ではしっかりと物語を畳んでいたのはすごく良かった。

外に出ても雨はまだ降っていて天気が悪かったので、銀座線に乗って渋谷方面に。土曜日だけどめちゃくちゃ混んでた。海外からの旅行者らしい人も多かったけど、東京ちょっと色々とパンクしかけてるなって思うことが最近増えてきて、これがオーバーツーリズムって言われるのもわかる気がする。
電車の中で脳裏に浮かんでいたのは前に観た『ジョーカー︰フォリ・ア・ドゥ』のことだった。批判的な意見が多いが、かつて庵野秀明監督がオタクに現実見ろ、と言ったことと今作は基本的には同じだし、誠実だと思う。だからエモさはないし、代わりにミュージカル風なシーンを入れている。「ぼくの表現はすべからく、夢を見せるためではなく、夢から醒めさせるためにある、と言える」という大塚英志さんの言葉にも通じている。

13時から舞台のチケットの劇団先行があったので、時間を気にしながら家に向かった。池尻大橋駅で降りてスーパーで昼ごはんを買う。時間にはまだ余裕があった。
前に夏帆さん目当てで観に行った舞台の脚本・演出が「た組」の加藤拓也さんだった。加藤さんが岸田賞を受賞した『ドードーが落下する』の改訂版をKAATで上演するというのを知って、チケットを取っていこうと思っていた。
先々週ぐらいの『情熱大陸』の生田絵梨花さんの回を見て次は誰かなって思っていたら加藤さんだった。おお、これは演劇に興味ない人にも知られてしまうやないか!
チケット争奪戦にはならないだろうけど、土日はすぐに埋まりそう。加藤さんを特集する『情熱大陸』の放送は3日(日)の遅くで、先行抽選とかあるかなって思ったら劇団先行が2日(土)13時から行われるということだった。これはたぶんきっとおそらくオンエア前に知っている人には買えるようにしてるっぽいぞ、と思って買えるようにスマホで時間を気にしながら帰っていたら、家に着く数分前に13時になってしまった。歩きながら公式サイトからローチケに飛んで行こうと思っている土曜日の昼の回を取った。
一緒に行こうと誘った友人とは来月も同じくKAATで『品川猿の告白 Confessions of a Shinagawa Monkey』を観る予定なので、来年一月に『ドードーが落下する』という流れ、タイトルが動物ものばっかりだ。

昼ごはんを食べてから、ライティング作業は夜やることにしていたので『ニッポン放送開局70周年記念 佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー超感謝祭2024~新時代~』を配信で購入して見始めた。毎週無料で聴いている番組だし、今後も続けてもらうためには何かしらお金は払いたい。でも、横浜アリーナには行かなくてもいいかなっていう人にとって配信はありがたい。
ゲストのキングコングの西野さんとのトークも、アンジャッシュの渡部さんとのトークのパートも佐久間さんだからこそのやりとりだし、最後のパートの少し長めのトークは最後の方でうるってきた。出会いがあれば別れはあるし、番組もいつか終わるという話。本当に会える時に会うしかない。


映画館のサイトを色々と見ていたら明日の昼からヒューマントラストシネマ渋谷フアン・ルルフォ著『ペドロ・パラモ』が上映されるというのを知ってチケットを取った。この作品はNetflixで配信するというのは前に見ていたけど、「ラテンビート映画祭」というものの一貫で特別上映されるらしい。大きなスクリーンでいい音で観た方がいいに決まっているし、3日の昼の一回だけの上映らしい。
昔、古川さんにオススメしてもらって、フアン・ルルフォの作品は『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』を読んでいた。ラテンアメリカ文学を代表する作家であり、ガブリエル・ガルシア=マルケスなどに多大な影響を与えている存在。
本棚から取り出して久しぶりに読み返してみたが、『百年の孤独』を先々月ぐらいに読み終えたばかりだったのもあって、比較してしまうが読みやすいし、生者と死者が混交する世界もよりシームレスに感じられた。
メジャーリーグで活躍している大谷がすごいのは野球にあまり興味がない僕でもわかるほどにニュースになっているが、それによって野茂英雄のすごさ(日系移民が排日運動の後に敵国民として強制移住させられて土地や財産を奪われたロサンゼルスの地で、日本からやってきた野茂英雄ドジャーズのユニフォームを着てマウンドに立ち、トルネード投法で野茂旋風を巻き起こしたという歴史的な意味、何よりも日本メジャーリーガーとしての先駆者であったこと、彼が活躍したことで日本人がメジャーに行きやすくなったということに関してはもっと評価されるべきだと思う)を改めて認識させられるのに『ペドロ・パラモ』を読んで感じることは近い。

 

11月3日
寝る前にAmazonプライムの『ゴールデンコンビ』(全五回)を見始めて、四話の途中で寝落ちしていた。起きてからその続きを見たら、ゲストで吉岡里帆さんが出ていた。個人的にはネプチューンの堀内さんとニューヨークの屋敷のコンビが一番好きだったのと、最初の方で落ちてしまったダイアンの津田さんと永野さんのコンビはもっと見たかった。

7時に起きた。今日は天気がいいみたいだからまず洗濯機を回した。radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いて、TVerで『ゴッドタン』と『ボクらの時代』を流しながら朝のルーティンを。
11時前には家を出るつもりだったので、それまでに『月刊予告編妄想かわら版』の原稿を進める。一回最後まで書いておいて数日置いてから最後の仕上げをする方がいいのだけど、まず最初に書くところが億劫になって遅くなるとどんどん余裕がなくなってしまうので、月初に一旦取り上げる作品については初見で書いておくことにしている。今月末にアップされる原稿なので、12月に劇場公開されるものになっている。
早い。来月の原稿は2025年01月公開の作品になる。もう少しで今年が終わるからあっという間だなとも思いつつも、まだ二ヶ月あるのかとも思う。いろんなことが不安だし、ポジティブシンキングでいられるような状態でもない、だけど、もうダメだから全部諦めてしまおう、やめちゃおうみたいなモードにもなれない。

ヒューマントラストシネマ渋谷までは50分はかからない。カーディガンを着ていてもちょっと寒いなと最初は感じるぐらいだったが、すぐに日差しは強くないものの汗ばんできた。
歩きながらradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いた。今週は春日さんがロケか何かの関係でおやすみらしく、日向坂46の松田好花さんという人が代わりに若林さんとラジオをやっていた。ああ、「オールナイトニッポンX」を今年度から新しく始めた日向坂の人みたい。確かに若林さんとも普通にトークもできてるし、話も上手で最後の方にあったエピソードトークもちゃんとしていて、パーソナリティーとしてやってきてる人なんだなって感じ、春日さんよりもしっかりと話せてる。
若林さんも一緒に日向坂と番組をやっているのもあってか、若い女の子だからと構えず、わりと自然体な感じで話しているみたいだった。それでも四十代のおじさんが二十代の女性と話す時はどうしても偉そうにしていなくても、ちょっとだけそう感じる部分は出てしまうし、気を使っている部分もなんかわかる。
若林さん自体は普通に話しているが、おじさんはどうやったらニュートラルに年下の女性だけでなく男性や、もうセクシャリティはどうでもいいのだろうけど違和感なく話せるんだろうと思いつつ聴いていた。まあ、違和感なく話せないんだろうな、でも、気をつけられる範囲で気をつけるしかない。

「ラテンビート映画祭」で6日からNetflixで配信される『ペドロ・パラモ』が一回限りスクリーン上映ということでヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。お客さんは十人ほどだったかなあ。
ラテンアメリカ文学の先駆者フアン・ルルフォの小説を、マジックリアリズムを映像化したらこういう感じのイメージのものだった。あと時間軸も現在と過去が交差していくので、現在は朽ち果てた暗い感じのコマラの町の残骸が、主人公の「おれ」の父だと母から聞かされていた男の少年期から亡くなるまではカラフルというか町が栄えている状態で対比も大きい。
というか観ている(昨日小説も読んだのもあるけど)とガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の直径の先祖というかマルケスフアン・ルルフォのこの小説を読んで参考にしたのがよくわかる。これなら同じくNetflixで映像化される『百年の孤独』も大丈夫そうだし、この路線で行くんだろう
マジックリアリズムというのは生者と死者がシームレスに混交する世界だし、そこにかつて居たものが死んでもなおそこに居たりする、だから過去・現在の時間軸が重なっている。でも、それって生きていると人生における時間は過去の比率が多くなっていくので、今を生きていても過去のことに支配されてしまうこともあるし、いなくなった人をいるように扱ったり、会話している人もいるのでそういうものなのではないか、と思うようになってきた。
マルチバースもそういう意味ではマジックリアリズムの中の亜種みたいなものだし、「35歳問題」みたいに未来がどんどんなくなって失われた可能性や自分にありえたかもしれない可能性へ思いをはすという想像力と結びついているので、どちらも僕には違和感はない。年齢を重ねて失ったものが多い人はマジックリアリズムマルチバースも普通に受け入れやすいんじゃないかな。
ただ、二時間ちょっとの映画だけどすごく魅せるシーンがあったかと思ったら説明もなく、誰やねんこいつみたいな人とか、ある人のその後とかが出てくるのでちょっとコンフューズする、で、その流れもあって眠くなる。映画は眠くなるものなので仕方ない、特にこの手の時間軸がいくつかあったり、重なる作品はほぼ夢の追体験に似てしまうので睡魔を呼びやすい、寝て起きても話はわかるといえばわかるし、わからなくてもさほど問題はない。時間もシームレスだし。
思ったよりも「おれ」の父親であるペドロ・パラモのキャラクターが傍若無人で横暴な権力者みたいな設定だったけど、そうなった理由がちょっとセンチメンタルすぎる。その裏でやっていることは酷いことばかりだけど、そこはオブラートに語られている気もする。
革命軍みたいなのがやってくるのは、ある時期のラテンアメリカにあったものだろうし、代表する作家たちも描いているように大きすぎる現象だったし、社会が変動していたからこその表現としてマジックリアリズムの小説は広まって読まれたんじゃないかな。

観終わってから「オードリーANN」の続きを聴きながら帰る。三連休の中日の渋谷は人がたくさんいた。平日でも多いので慣れてきた感じもする。でも、海外からの観光客を見ると何を目当てにしにきてるんだろうなと一瞬不思議に思うというか、魅力的なものそんなにあります?みたいな問いが心に生まれてしまう。
『ペドロ・パラモ』は現在と過去、生者と死者がシームレスに混交しているマジックリアリズムの作品だったけど、これを今書いている小説に持ち込んだらどうなるだろうか、ということを帰り道で思って考えていた。
著者に生み出されたある意味ではその分身(オルターエゴ)であるキャラクターが生み出したもう一人の自分を語り直すというスタイルだけだと自叙伝の見方の角度を変えただけになってしまう、でも、『ペドロ・パラモ』や『百年の孤独』みたいなマジックリアリズムとそれが組み重なったらどうだろう。
一回生まれてから作品の終わりのある時点まで時間の流れで書き終えてから考えた方がいいような気もするし、プロットで完璧に固めた方がいいのか。ただ、キャラクターの一人称と、彼が語る三人称で分けた方がいいのはわかる。

radikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きながら自分のライティング作業を。日記を元にした方を進める。

 

11月4日
6時過ぎに目覚ましで起きて、文化の日の振替休日で休みだったけど月曜日なので可燃ごみを出しに行く。カラス避けの緑のネットはずっと可燃ごみの日には集積所に出されているが、もうカラスの被害はしばらく出ていない。やっぱり春先のカラスの子育ての時期に餌とかの問題でカラスたちがゴミを食いあさっていて、ゴミ袋が破れて中がばら撒かれていたのだろう。冬になってきたし、春先まではカラスたちもおとなしいはず。
Spotifyポッドキャストでレギュラーになった『きしたかののブタピエロ』を最新回に向かって聴いているが、高野さんが歩いていると急に頭を誰かに強烈に叩かれたかと思って周りを見たら誰もいなくて、犯人がカラスだったというエピソードを話していたことがあった。しかも、その一回だけではなく二回あったらしい。彼はハゲていて髪の毛はないからきっと頭皮が太陽とかで光ってそれに何かしらカラスが反応して襲ってきたのかもしれない。

部屋に戻ってきて横になっていたらそのまま寝てしまって、気がついたら9時前だった。あぶねえ、これリモートワークがある普段だったら遅刻しかけていた。
午前中にやる予定だったライティング作業はお昼以降に回して、まずはトマトジュースとサプリを飲んで散歩に出ようと思ったらトマトジュースがなかった。帰りにスーパーに寄る理由もできたし、いつもの休みみたいに歩いて代官山蔦屋所までラジオを聴きながらの散歩へ。
昨日放送されたものは聴き終わっていたので、『きしたかののブタピエロ』の続きをSpotifyで聴きながら歩こう。と思ったのだけど、寝る前になんとなくイエモンの曲を久しぶりに聴きたくなったので、Spotifyで三曲を選んで聴いてInstagramのストーリーズにあげていたのをその流れで聴くことにした。

真珠色の革命時代 [Pearl Light Of Revolution] -Live Version- (2013 Remaster) 



THE YELLOW MONKEY – BRILLIANT WORLD 



THE YELLOW MONKEY – バラ色の日々 



THE YELLOW MONKEYでマイベスト3を選ぶならこの三曲になると思う。解散なのか活動休止なのかわからないけど、その前の僕らリアルタイムで聴いていた頃の後期のシングルカットされた二曲とライブバージョンがカッコ良すぎる『真珠色の革命時代』はなんかラテンアメリカ文学に合う気がするのは、パーティー的なもの着飾っている印象もあるし、スパンコールが輝く感じとか生者と死者が一緒にいるような歌詞みたいなことも僕にはそう思わせる。
三曲を聴いてからは「ブタピエロ」の続きを聴きながら歩いて代官山蔦屋書店へ。一応休みの日ということもあって午前中だけど、そこそこお客さんはいた。

市場における観客占有率が「0%に向かって」減少の一途をたどっている独立映画をテーマとした表題作ほか、映画のシーンナンバーをつけられた章が散らばる「セルロイドフィルムのための禅」、公務員試験予備校のあつまる鷺梁津(ノリャンジン)を舞台に、勉強はそっちのけで恋と音楽にのめり込む〈俺〉の物語「SoundCloud」など。

若者たちの苦い日々がオフビートに展開する7篇。
〈李箱文学賞〉優秀賞、〈若い作家賞〉受賞作家による注目のデビュー作!

海外小説の韓国コーナーのところにあったソ・イジェ著/原田いず訳『0%に向かって』という小説を手に取ってみた。帯コメントがライムスターの宇多丸さんに三島賞をデビュー作で受賞した大田ステファニー歓人さんだったのでおもしろそうだなって思った。あと映画関連の短編もあるっぽかったので購入。
買う時にどこの出版社かなって思ってみたら左右社だった。左右社の書籍はたまに購入するんだけど、ニッチすぎないけどメジャーでもないぐらいのところを抑えているイメージの出版社で装幀とかのセンスもいいと思えるところ。それもあって読もうと思えたところもある。

家に帰ってから昨日放送された『海に眠るダイヤモンド』二話をTVerで視聴。『正三角関係』にも繋がる長崎県に落とされた「ピカ」の話もあり、クリスチャンの家系である百合子(土屋太鳳)の家族は原爆の被害に遭っているのだろう。それもあって映画館でのシーンで百合子は子どもがいらないと言っている可能性がある。
1955年の端島では主人公の鉄平(神木隆之介)とトリプルヒロイン(朝子:杉咲花、百合子:土屋、リナ:池田エライザ)が主軸になっているが、現代(2022)ではホストの玲央(神木隆之介)と謎の老婆であるいづみ(宮本信子)という軸があるドラマだが、二つの時代を描いているのでトリプルヒロインのうち誰かが後のいづみなのだろう、しかし、誰がという謎を作ることで視聴者の興味を引っ張っていると一話を見た時には思っていたし、今回もそう思っていたけど、よくよく考えたら1955年に朝子も百合子も哲平が大学卒業後に端島に戻ってきているのだから22歳ぐらい、彼女たちは戦中生まれだから2022年だと1932年か1933年生まれだとすると90歳前後、さすがにいづみは70代ぐらいにしか見えない。
それで思い出したのが一話の冒頭でリナらしき女性に抱かれていた赤ん坊がいづみなのだろう。そう考えれば、父親が鉄平かもしれないが、1955年の端島はいづみの父と母たちの物語にということになるので、ちょうど映画を昨日観たばかりの『ペドロ・パラモ』と同じ構造ともいえる。

I's活動終了。椎名林檎がブレイクして東京事変で活動したように、anoもブレイクしてからバンド活動したら違ったのかもしれないが、この何年かでパンク魂を一番感じたバンドはI'sだった。
渋谷系に対して新宿系と名乗った椎名林檎。その新宿トー横にはあのちゃんのファッションに通じるような地雷系の女の子たちがたくさんいた。
椎名林檎は思想がないから思想があるようにも見えた。思想もなくて空っぽな器だからその都度、時代性をインストールしているようにも見えた。いや、もっと言えば時代性や大衆が欲しがっているものを察知してそのコスプレをしていたようにも思える。さらに日本の伝統文化的なものもミクスチャーして行ったが、それもコスプレと言えるのかもしれない。大衆の受け皿となる存在は何か空洞を抱えていないと受け皿にはなれない。
あのはゼロ年代以降のマンガ・アニメカルチャーやアイドルや自分が影響を受けてきたロックなどの音楽性をアノニマスという匿名性の中に入れてミクスチャーさせていった。椎名林檎からあのというラインで誰かポップカルチャー論書けばいいのに。

風呂に入っている時にSpotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』を聴いたら、ちょっと長風呂になってしまった。寒くなってくると湯船にのんびり浸かる。もしかしたら湯船に浸かっている時間は衣食住の中でもかなり上位に入るぐらい好きかもしれない。風呂キャンセル界隈みたいな言葉も聞いたりするけど、風呂に入るのめんどくさいなって思うことがない。

 

11月5日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら朝のルーティンを。リモートワークまでは読書の続きをしていて、中上健次著『地の果て 至上の時』の終わりが見えるところまできた。長かった。『岬』『枯木灘』とこの小説で三部作を成しているが、主人公が竹原秋幸ということは変わらない。改めて亡くなった青山真治監督の「北九州サーガ」における白石健次のモデルだなというのがよくわかる。
リモートワーク開始前に『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』に移っていたが、伊集院さんの野球に関する話と奥さんとの高級ホテルの朝食を食べに行った話など、本当に毎週聴いていてこんなにトークができるのもすごいけど、興味あることにしっかりと向き合うというかおもしろがっていることで人生が豊かになっているのだろうし、それがリスナーにいろんな影響を与えているのだろう。
長く続いてずっと聴いているリスナーがいる番組はその人たちの生活の一部になっているし、何らかの影響は確実に与えることになる。僕もラジオをコロナパンデミック以降聴くようになったことで明かに聴かないのが普通だった時よりも何かは変わっているはずだ。それが何かという自分ではよくわからないけど、前からの知り合いの人たちからすればわかりやすい変化はあるんじゃないかなって。

月初が三連休だと社員の人たちは前月末の締め作業関係が忙しいこともあるし、退職する人の引き継ぎ関連のこともタイミングもあって個人的にはさほど忙しくなくのんびりと作業ができた。
「伊集院深夜の馬鹿力」を聴き終えてから、フワちゃんの後釜の枠は毎月月替わりでパーソナリティーが変わるということに今のところ放っていて、11月は『ロングコートダディオールナイトニッポン0』だった。アマプラで配信されている『ゴールデンコンビ』に出ている堂前が内容のことを話していたが、相方の兎が全部ちゃんと見ていると話していて、仲がいいしお互いの仕事にちゃんと興味あるんだなって思って聴いていた。

近年のアメリカの映画やテレビシリーズで政治的題材を扱って高い人気や評価を集めた作品に共通しているのは、製作者たちの本音は別として、少なくとも作劇においては党派性を前面に出していないことだ。ドナルド・トランプはアンチ・エリート主義を掲げ、それによって大衆からの広い支持を集めてきたわけだが、ハリウッドの業界人はそこで典型的な「エリートたちの勢力」の筆頭と見なされている。映画やテレビシリーズが広範な人気を得るためにはそうした人々も作品に巻き込む必要があるし、もしまだ「フィクションの力によって現実を変えること」を少しでも信じているならばなおさら、リベラル同士がお互いうなずき合うような作品ではなく、その外側に働きかけることに意義を見出しているのかもしれない。

さらに、ミもフタもないことを言ってしまうなら、映画は本質的に「見せ物」であり、観客はそこに啓蒙ではなく刺激を求めているという原則に、2010年代後半の「アイデンティティ・ポリティックスの時代」を経てハリウッドは立ち返ったという見方も可能だろう。人々が自分の時間やお金を費やしてまで(TikTokYouTubeのショート動画ではなく)長いフィクション作品で見たいのは、それが悪夢的な未来像だとしても、密かに抱えている願望だとしても、ドナルド・トランプ的なるものが勝利した後の世界なのだということが、ここ数年のヒット作の傾向からははっきりと伺える。

「現実はフィクションを超えてしまった」のか…アメリカ映画が大統領選を描けなくなっている、深刻な現実

宇野維正さんが寄稿した「現代ビジネス」の記事を読んだ。僕は取り上げられているテレビドラマシリーズはほとんど見ていないので、実際にどのくらいトランプが大統領になって以降変化があったのかわからないのだけど、こうやって定点観測している人が書いてくれているとありがたい。しかし、アメリカ大統領選挙のその結果はどうなるのか。
日本に関係ないわけがなく、かなり大きく関係してくる事柄だけに気になっている。トランプは実業家だから戦争をしない、という話もそうだよなって思えるところもある。カマラ・ハリスが女性初の大統領になったら何が変わっていくのか、どんな変化がアメリカにそして世界に起きるのかも見てみたい気持ちもある。接戦という話だけど、どちらになってもまた世界は揺れる。

リモートワークが終わってから、Spotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大)、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされているのを聴きながらベッドに横になったり、休憩ではないけど晩御飯食べるまではグダグダしていた。
「アルピーしくじり」のゲストは東出昌大さん。「アルコ&ピースオールナイトニッポン」のガチリスナーだったとわかるエピソードを冒頭から話し出していて、アルピーの二人も嬉しそうだった。不倫騒動とかやらかしたという印象があったり、山での生活など近年はいろんなことが話題になっている彼だけど、話を聞いていると人間力というか魅力たっぷりな人なんだろうし、会ったら好きになっちゃうタイプだろうと思えてしまう。今回は前編ということだったけどちゃんとおもしろくて後編も楽しみになった。
「あの粗品」は粗品が『オールスター感謝祭』とか休んだ後ぐらいの収録らしく、あのちゃんに体調を心配されていた。『民王R』の二話を見なきゃと思いつつも、二人が話しているのをカプ押し的な消費をする人もいるんだろうけど、ただいいコンビだなってうれしく思う。今日の深夜は「あのANN0」はお休み、ツアーの追加で大阪公演があり、9日土曜日は豊洲ピットで東京公演がある。豊洲ピットでのライブはチケットを取っているので今日はラジオを休んで無理をしないでライブを完走してほしい。

 

11月6日
7時過ぎに起きてから朝のルーティンをして洗濯機を回す。今日は15時に早上がりする予定だったので8時にリモートワークをスタート。radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』を作業用BGMとして流す。
「アルピー」は平子さんから酒井さんへの誕生プレゼントして松茸を渡して、そこから料理も含めての話。
「爆笑カーボーイ」はこの前の台風で名古屋まで行く際のエピソードを太田さんが話していた。海外からの旅行者も増えているし、新幹線が走らないかもしれないとか、遅れている時のみどりの窓口とか改札まで並んだりする際にもう少し上手く混雑しない方法とかないのかなって思う。そういう状況で新幹線とかに乗るということは今のところないから遭遇はしてないけど、周りがイラついている中で待つのはほんと嫌だろうな。
星野源ANN」は『ドラえもん』の主題歌を星野さんが歌ったものだったけど、その曲が新しいテーマソングになって終わるということからメールも来ていたりした。僕は『ドラえもん』の漫画もアニメも読んだり見たりしていないので正直みんなドラえもん好きなんだなっていうぐらいの気持ちしかないけど、長年曲が使われていたことで、星野さんのことを知ったり、このアニメといえばみたいに曲がなっていたことはすごい影響力だなって思う。

ガブリエル・ガルシア=マルケス著/鼓直訳『族長の秋』が来年二月に文庫で出るらしい。新潮社のマルケスの全集を数冊持っていて、その中に『族長の秋』もあるけど、装丁がカッコよかったら買いたい。
15時にリモートワークを早上がりさせてもらって渋谷まで歩いて向かう。そこから銀座線に乗って浅草へ。


先月頭に亡くなった友人が樹木葬されているところへ参ってきた。彼女の地元の秋田県に初めて行って、お昼は実家に呼んでもらってきりたんぽをご両親と一緒にいただいた。
お二人が11月頭に東京に来られるということだったので、もう一人仲の良かった友達がご夫婦でやっている焼肉屋さんに一緒に行こうという約束をしていた。
新宿や渋谷で待ち合わせして中央沿線にあるそのお店に行くという話だったが、入れ違いとか上手く待ち合わせできなかったから困るなと思って泊まっているところまで迎えに行って、一緒にお店に行くのが一番安全というか、いいかなって思って迎えに行った。
浅草は海外旅行者が多くて賑わっていた。
ホテルでお二人と合流して浅草線浅草橋駅まで乗ってから総武・中央線に乗り換えて目的地へ。その途中でお父さんがトランプが勝ったみたいとスマホのニュースを見て言った。日本もアメリカも変わらないというか、都市部に住んでいる人はリベラルだったら左翼寄りだけど、他はそうではない。アメリカに住んでいる日本人もほとんどが今回ハリスが勝った州に住んでいるという統計もその後出ていた。
女性の中絶問題や体の権利を訴えている人たちはリベラルな人たちで、そういうことはどうでも良かったり、キリスト教原理主義が多い南部の州とかはやっぱりトランプが勝っていた。僕らは思ったよりもフィルターがかかっていてハリスが勝つんだろうな、と思っていたが実際は日本で裏金があろうが何やらかそうが自民党が政権与党であるみたいなことと一緒だし、新自由主義が加速したことでより都市部ではない地域の鬱憤やどうにもならない怒りみたいなものが溜まっているとかも根底にあるんだろうか。
東中野駅で降りて友達が夫婦でやっている焼肉店へ。友達も時間が空いている時にテーブル席に来てくれてご両親と話したりしてくれて、お二人も楽しそうだった。
総武・中央沿線で新宿駅までご一緒してから別れた。渋谷に出てもう一回乗り換えるのがめんどくさかったから小田急線に乗って下北沢まで。たくさん食べて飲んで話せていい一日だった。

 

11月7日
家に帰ってすぐに寝たけど、一度深夜4時に目が覚めた。二日酔いにはなっていなかったが、喉と体の節々にちょっと違和感がある。風邪の引き始めかもしれない。可燃ごみの日だったのでゴミ出しして戻ってからまた眠った。
目が覚めたのは9時過ぎていた。休みの日だったのでしっかり寝て体力回復。朝の散歩をしようと家を出る。 BGMとしてradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら。昨日もそうだったけどかなり肌寒い。


代官山蔦屋書店に着くと『群像』最新号が出ていた。耳元から聞こえてくる佐久間さんの新刊『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』というビジネス峰の第二弾も出ていたので一緒に購入。前の本は20万部を超えているらしい、すごい大ヒットだ。ビジネス本って売れるものはそういう数字になると思うと、小説とかでそのぐらい売れるものはあまり多くないのでビジネス本を読むような人が仕事か教養ではなく、単純に小説を楽しく読んだりする習慣があったらなあ。
昔はビジネス本よりも仕事ができる人は小説も読んでいただろうし、教養だった部分もあるだろうけど、そこから今の世界を読み取ったりしていた部分はある。でも、今はメディアも作品も多すぎるし、個人の時間はスマホをはじめとして奪われ続けていって、ただの娯楽としての読書に時間を割く人が減っているのもわかる。その結果が今の社会の光景を作っているだろうし、戻らないんだろうなとも思う。


家に帰ってきて銀行とかで用事を済ませてから、今日発売だった詩人の菅原敏さんの詩集『珈琲夜船』(雷鳥社)を買おうとトワイライライトに寄った。午前中に来る予定だったのが遅れているというので選書フェアの準備をしていたイラストレーターの横山さんと一緒にコーヒーを飲んだりして時間を潰した。
届いたものを購入することにした。トワイライライトで詩集とコーヒーを一緒に購入すると特典のポストカード以外にもポスターがもらえるということになっていた。
寒くなってきたからあたたかいコーヒーを飲みながらページをめくって、ゆっくり一篇ずつ読んでいく冬のはじまり。

家に帰って昼ごはんを食べて前に買っておいた風邪薬を飲んで昼寝をしようと思ったけど、眠れなかったので前日買っていた安田佳澄著『フールナイト』9巻を読む。浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』同様に格差について描かれている作品で、絵のタッチもすごく好きだし、こういう作品は地上波のドラマでも配信用の作品になってかなりいいと思うのだけど。
そのまま『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』を読んだ。ビジネス本は一回目は流し見みたいにさらーと読む。時間をおいて気になるワードのところを改めて読んでみるというやり方をしている。一回目を読み終わって少し眠なってきたので夕方過ぎまで眠った。

じつはこれは驚異的な事実である。8月15日、の、天皇、と聞いて〈華やかな宴〉を連想する読者がかつて数多いた。むしろ、それを連想する読者しかいなかった。だがしかし、現在の読者は、同じ二つのデータ(日付と名詞)を聞いて、〈敗戦〉だの〈終戦〉だの政治的なもろもろだの権力だの責任だの平和だの未来だの過去だの、そういったものを想い描いてしまう。しかも、(いま言った)その過去には〈華やかな宴〉とその主催者の帝、は登場しないに近いのだ。

これだけで、その『超空洞物語』の読者が全員、現代にいることがわかる。

読者が現代にいることが証明される。

古川日出男のセルフ解説>超空洞、スーパーホロウ日本文学 #03 現代からその小説を生む

『超空洞物語』において始まりである「8月15日」の話。

『群像』2024年12月号に掲載されているいとうせいこう×古川日出男対談「バトンを勝手に拾う──古典と相生する文学」とエッセイ・シリーズ〈本の名刺〉特別編「超うつほ創作秘話」を読む。そのために今月号は購入した。
せいこうさんと古川さんは共に小説を書く、古典に取り組んでいる、そしてパフォーマーでもある。共通点というよりは向いている方法性や大きな意味での文学あるいは芸術に向き合っている人だからこその対談になっていた。前に『ミライミライ』が刊行された際にお二人のトークイベントに行ったが、小説に書かれているニップホップ(戦後ソ連支配下だった北海道を得て生まれたヒップホップ)の話は日本のヒップホップの黎明期、始まりにラップをしていたせいこうさんだからこそのやりとりがなされていた。こういう対談は文章に残しておくといいし、もっと長くてもいいけどね。

23時からradikoのリアルタイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながら読書の続きをしていた。喉の痛みもあって風邪薬を飲んでいたからラジオの音も小説の文字もどちらもあまり頭に入ってこなかった。早く寝落ちすればいいのにと思っていたが、日付が変わって少し経つまで落ちなかった。

 

11月8日
寒さで目が覚める。6時過ぎだった。空き缶とビンの回収日なので外に出しに行ってから7時までは布団の中でまるまる。radikoで『ハライチのターン!』を聴いていたが、喉のイガイガした感じはおさまっていない。前みたいに熱は今の所はなく、喉が腫れているだけみたいなので金曜日の今日に近所の内科クリニックで処方箋を出してもらっておくほうが悪化しないなと思った。
リモートワークを始めてから、クリニックが開く少し前に家を出て診てもらって処方箋を調剤薬局でもらって帰ってくるまでだいたい30分ぐらい。その時間昼休みから使ったことにしてリモートを再開。
同じ事業部の人たちも体調を崩していたり、諸々あって週に一回のオンライン定例は無くなったので、誰とも話すことなく作業をのんびりと進めた。
お昼はざるそばをコンビニで買ってきて食べる。飲んだり食べたりすると飲み込む時に喉の部分が痛みとはいかないけど強い違和感がある。
午前中の作業からのお供は『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』と『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を、14時台は『中川家 ザ・ラジオショー』のゲストが三四郎だったのでそこだけ聴いた。残りはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを。今日のリモートが終わるまでになんと本放送の一週間前までたどり着いた。もう、本編に至っては普通にタイムフリーで土曜日朝に聴いたことのある内容だった。

私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない。「それを物体にする人」が批評性を具えて、かつ〈美〉に対する徹底した思考(にして嗜好)を具有する時にのみ、こうした物体は現出する。私はひたすら感謝している。私はひたすら感動している。

しかし、「私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない」という通常のモードを、あえて裏切る作業をたぶん来月には実行する。たぶん来年の2月には、それを他者の目に見える形にする。ただし、その「目に見える形に」なった際には、その物体はそもそもの形態をとどめていない、ことになるはずだ。これはアートの領域での創作ともなる。

たぶん私は、来週から現実的な準備に入り、再来週から長い詩を書き出すことになる。

古川日出男の現在地>デザインが書物を生む 2024.10.26 – 2024.11.08 東京・埼玉・福島

リモートが終わってから更新されていた「現在地」を読む。『天音』に続いて長い詩を、アート系の創作を始めるんだ、そして2月には見える形になるというのは、古川さんの作家デビューが2月25日だからその月に合わせて何かしらのイベントや発表する機会があるのかなって思う。いとうせいこうさんとの対談でも感じるし、作家活動をずっと見てきていると小説を書くことが軸にはあるけど、文学であり芸術であること、小説以外の創作が増えているのは納得しかない。
古川さん自身が受けてきた影響なら、舞台(戯曲)とかも含めて総合的なものに向かっておかしくない。文学の拡張というのも違うか、そもそも歌と詩があって文学も舞台も生まれているから文字でできることから身体性の伴うもの、個人だけではなく複数人での創作といろんなグラデーションを行き来すること、そのことで軸の小説はより時代を越える強度も持たされるだろうし、そうしたいという気持ちが年々増しているのかなっていち読者としては思う。

Spotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら残し少なくなった中上健次著『地の果て 至上の時』を読み終わる。三部作最後が終わった。『百年の孤独』のマコンドのように、路地も消えていく。きっとそういう物語の終わりしかなかったんだろうなと思う。
主人公の竹原秋幸とモンぐらいしか心情がわからないように描かれている三人称であり、秋幸の父である龍造に関しては貴種流離譚的な物語であり、オイディプス的な面もあるにも関わらず、父殺しをするのかと思っていたがそれは成されない、というか、物語自体が父殺しを避けて終わる。
ただ秋幸や龍造の出自でもある路地は焼かれて消えていくという終わり方なのはこれを書いた時の中上の環境や考えがかなり反映されているのだと思う。父殺しをしない貴種流離譚の新しい形を模索していたのだろうし、その後に書く失敗作と言われてもいる『異族』でもそれを感じた。だが、失敗して中上健次は病気で若くして亡くなってしまった。

これまで、松本人志は裁判を進めるなかで、関係者と協議等を続けてまいりましたが、松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。そのうえで、裁判を進めることで、これ以上、多くの方々にご負担・ご迷惑をお掛けすることは避けたいと考え、訴えを取り下げることといたしました。

TwitterことXを見ていると松本人志さんが訴えを取り下げたという報道が出ていた。一部のメディアではすぐに復帰に向けてという話なども出ていたりした。
裁判で明らかにすると言っていたにも関わらず、訴えを取り下げたのは勝てないからか提示した賠償金も無理だと判断したのだろう。
明らかにすべきだったことを明らかにしないままであり、これで復帰するとしたら思春期の頃からダウンタウンに影響を受けてきた人間としてもカッコ悪い、ダサいとしか言いようがない。松本さん側を擁護する人たちがすでに被害師の女性へのセカンドレイプのようなことをSNS でもしていたが、事実を歪曲して文春が松本さんが無実だと認めたので訴えを取り下げたということをポストしていたりする。地獄でしかない。
僕自身は影響を受けていた映画監督の性加害問題が出てからは内容を知っていく中で擁護できないと思ってから名前も出さないようにしている。実際に起きた加害に直接関与していないし知らなかったけれど、彼のファンで応援してきたことでそういう加害性を強めた部分は少なくともあるかもしれない(実際どうこうではなく、ファンとして応援してきた人が何かを起こした時にそのことをどう受け止めるかは個人個人で違うのだろうけど、僕はそういう考えになった)と思うので、加害者側だという認識になっている。
今回のことも松本人志という日本のお笑いの世界における最重要人物が犯したこと、それのことに耐えきれないファンが行う二次加害やセカンドレイプ的なことをしていることが、どれほど正気ではないか、客観性を失っているのかがわからなくなっていることも怖い。お笑いの才能としての松本人志のすごさと今回のことは別にして考えないといけない。そこには好き嫌いではなく、法的にセーフかアウトかだったり、報道が出たあとに彼側が行っていた行動などを含めて擁護できない。特にファンの人や影響を受けた人は擁護もだし、被害を訴えている女性に攻撃するとか問題外で恥ずかしくないのかと自分に問いただしたほうがいい。
自分がどれだけ好きで影響を受けている人でも、何か過ちを犯したり間違ったことをしてもそれを否定したり怒ったりもせずに、そのことについて批判している人たちを逆に批判するとかは残念ながら客観視できていないし世界が見えてないのだと思うし、その人を最終的にはより孤独な裸の王様にするだけなのに、と思ってしまう。
今年の『M-1グランプリ』で松本さんが審査員復帰みたいなことがもしあるとしたら、僕はもう見ないと思うし、そもそも今回の件があって今後もしも復帰したからといって昔みたいには笑えないのはわかっている。そして、事務所の後輩だけではなくほとんど多くの現役の芸人たちはダウンダウン以降、影響下にある人が表立って批判できるはずもない。そんな勇気がある人はそもそも事務所から出て自分でちゃんと発言ができる場所にいる。
松本さんが復帰してしまうと一緒に出演する芸人たちは絶対に復帰を喜ばないといけなくなる、そうしてまたクローズな空間ができていく。それも考えると復帰しないことが一番お笑い界にとっていいことなんじゃないかなって思ってしまう。


友人Sとお茶をする予定だったので20時半過ぎにニコラへ。アルヴァーブレンド和梨マスカルポーネのタルトをいただく。三時間ぐらい仕事の話とか諸々としながら、生きるの大変だよねってことを話したりとのんびりお茶タイム。
Sも色々と大変なことがあるから話すことで少しぐらいストレスが減ったりしてくれるといいのだけど、誰かに話せるかどうかって大きいことだと思うし、溜め込んでしまうと自分の中で毒みたいに悪いものが染み出してしまうから、話せる人がいるなら話したほうがいいし、僕もそうしている。

 

11月9日
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら散歩がてら代官山蔦屋書店へ。今週の芸人さんのラジオでは流行語大賞の話と学祭での手抜き問題の話が多かったが、三四郎の二人もそのことについて話をしていた。
アサイーボウルについては何年も前に流行ったじゃんって色んな人が言っていたが、TikTokあたりでそれを知らなかった若い世代に知られてヒットしたらしい。世代格差というか情報格差みたいな気もする。もちろん僕も知らなかったけど。
あとは学祭での話とかもしていたけど、武道館イベントのゲストで出演するCreepy NutsのR-指定の扱いのひどさについてリスナーからのメールで本当にそうだよなって話しながらも雑な扱いをしそう。
僕は来年のCreepy Nutsの東京ドームで彼らのライブ自体は初めて体験するけど、『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』の際にR-指定のラップもDJ松永のDJプレイも観ている。R-指定を観るのが二回とも武道館だけど、今回の三四郎の方は普通にトークとかだろうからどういうやりとりをするのを楽しみにしている。裏でピザ作らされたらさすがに可哀想だけど。


代官山蔦書店に寄ったら山田詠美著『もの想う時、ものを書く』というエッセイ集が出ていたので気になって購入。芥川賞の選考委員をやっていた時に選評も掲載されていた。
家に帰ってから昼ごはんを食べてからちょっとだけライティング作業をしてから家を出る。
渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町で有楽町線に乗り換えて豊洲駅まで。歩いて10分ほどの豊洲ピットへ。ano TOUR 2024 追加公演「絶対聖域」のライブだったが、開場の30分以上前に着いたがグッズを購入する人たちもいたし、すでに開場を待っている人たちが多くいた。整理番号は1016番と早い方ではないが豊洲ピットはスタンディングで3000人ほど入るキャパなので悪いとは言えない番号。
あのちゃんに憧れだったり好きだからと彼女のファッションに近い格好や髪型の若い女性が多かった。僕みたいなおじさんもいたけど、若い男性はカップルで来ている人が目に入った印象だった。

ステージ前の最初のエリアというか、だったその後ろのエリアは少し高くなっていて区切るような柵がある、その柵の前に陣取った。あのちゃんが立つであろうステージの真ん中にみんな集まっていて、背の高い男性も多かったので見えるかなと不安にはなるがライブが始まればどうせその人たちはさらに前に詰めかけるので観やすくなるだろうなと思っていた。実際に始まるまではかなりパンパンだったが、ライブが始まって少しスペースができたし、画像にあるようにスクリーンで時折歌っている姿なども見えた。目視でも見えたがあのちゃんの体全体は無理で、上半身は見えるぐらい。
二曲目がクリープハイプの『社会の窓』だったのでちょっとビックリした。聴けるとは思っていなかったのとやるとしても序盤ですぐだと思わなかった。

愛してる、なんてね。[Unplugged]
社会の窓
ンーィテンブセ
デリート
Peek a boo
アパシー
(MC)
SWEETSIDE SUICIDE
AIDA
(MC)
涙くん、今日もおはようっ
普変
コミュ賞センセーション
スマイルあげない
F Wonderful World
猫吐極楽音頭
絶対小悪魔コーデ
ちゅ、多様性。
許婚っきゅん
(MC)
YOU&愛Heaven
<アンコール>
絶絶絶絶対聖域

『ちゅ、多様性。』がおそらく世間的にも一番有名な曲だと思うけど、ライブだと生音でちょっとドラムが走っていたような気もしたが、盛り上がりということに関してはアルバムに入っている『猫吐極楽音頭』の時のお祭り多幸感みたいなものはとてもライブ映えするし合っているなと思った。
アンコールで『絶絶絶絶対聖域』やる前の最後のMCで、メディアに出るようになってお茶の間に大衆に知られることで傷つけられることの話から、音楽で人を救えるとは思わないけど一瞬でも自分が救われること、おもしろくないから笑いたくない、クソみたいなジジイどもが搾取して、ズルいアイドルたちがいる世界、全員死ねばいい、みんなキモいと言いたいのに言えない、なんで思ったことを言っちゃダメなのということ、彼女自身がSNSなんかで誹謗中傷も含めて言われていることでえぐられてしんどい思いをしていることもしっかりと伝わってきた。自分は音楽にそういうものをぶつけるし嘘をつかないという意思表示をしていた。
クソみたいな生きにくい世界で素直に生きている人たちはズルい人たちによって傷つけられてしんどい思いをしている。そういう人たちが気持ちを叫べるような場所を、最後の方はモニターに映った彼女の瞳からいくつもの涙の筋が流れていた、彼女が作り上げた「絶対聖域」の中で何度も叫びながら世界へ咆哮しながら観客を鼓舞するかのように歌い、彼女はみんな生きてまた会おうと言って最後に泣きながら笑った。
最後のMC と『絶絶絶絶対聖域』はすごく感動もしたし、その姿を見て歌を聴いて体感した人たちの生きる糧に、生き延びようと思えるものだったと思う。とても優しくて強くて儚くてまっすぐな彼女の願いだった。

【緊急】遂に対面!RadioheadAphex TwinThe SmithsThe StrokesArctic Monkeys…数々のご無礼お許しください


行きと同様に帰りも有楽町線から半蔵門線に乗り換えて、池尻大橋駅で降りて歩いて家へ。YouTubeを開いたらこの動画がアップされていた。
レディオヘッドの悪口を言っていたら、レコード会社(BEATINK)がやってきたというもの。もう永野さん最高だな。前に取り上げたヴィンセント・ギャロ監督『ブラウン・バニー』Tシャツ着てる。この映画シネライズで観て最後がもうひどすぎて笑っちゃったんだよな。
タモリさんはジャズプレイヤーなりたかったけどなれなかったジャズメン気質なタレントだったけど、永野さんはロック気質のタレントなんだよな。タモリさんはすでに終わっていたジャズを引き連れて昭和と平成を、永野さんはヒップホップの台頭で一度死んだロックを令和に、だから令和のタモリさん的な人は永野さんイメージ。最初出てきたときどちらも気持ち悪がられてたけど、文化的に博識。

午前中に歩いている時になんとなく考えたこと、あのちゃんのライブを見てそれでいいんじゃないかなって思ったことがあったのでメモというかスケジュールも含めて変更することにした。来年の予定も含めてだけど、さすがにこれ以上はもうスケジュールは変えられないだろうから、やりたいようにやろう。

 

11月10日
7時過ぎにセットしていた目覚まし時計で起きる。喉の腫れは昨日のライブでほとんど声を出していなかったこともあるだろうし、薬も効いたのかほとんど違和感は消えていた。
radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』聴いてからTVerさらば青春の光が出ていた『ゴッドタン』を見てから、昨日夜やっていた『さんまのお笑い向上委員会』を流しながら山田詠美さんのエッセイの続きを。
8時半前に家を出て渋谷へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。先週は春日さんがいなかったがニューヨークに仕事で行っていたらしい。40分もかからないうちに道玄坂にあるTOHOシネマズに到着。今日はシネマイレージデイだったから1300円でチケットを一昨日購入していた。


一ヶ月前に鑑賞した『室井慎次 敗れざる者』に続く後編『室井慎次 生き続ける者』を鑑賞。公開日は11月15日からみたいだが先行上映ということになっていた。
前編の最後に室井が引き取って育てている男の子のリクの実の父親(加藤浩次)が刑務所から出てきたが、今回はリクのことと日向真奈美(小泉今日子)の娘である日向杏(福本莉子)という二人の子どもと室井慎次柳葉敏郎)が家族になっていく、彼が「父」になっていく姿を描いていた。
映画『カモン カモン』や『トップガン マーヴェリック』をはじめとしたかつての先進国における「父性」の問題、僕のように「中年」以上の結婚もせず子どももいない男性は果たして「父」になれるのか、「父性」は芽生えるのか、時間は限られている「家族」を築けるのかという主題を「踊る大捜査線」シリーズで室井慎次でやったのが今作だったと思う。
キーマンの一人である日向真奈美は室井の「父性」に対する「母性」の負の部分を担っているのだと思うし、室井は人を信じろと子どもたちに言い、真奈美は娘の杏に人を信じるな憎めと言って洗脳していた。その辺りは対照的だけど、悪のカリスマというか人を洗脳できてしまう日向真奈美という存在が2020年代に描くとどうしてもリアリティに欠けてしまう部分があると思った。
一週間前の先行上映にしたのはあるネタバレをして、シリーズのファンだった観客の呼び水にしたいんだろうなと思った。最後まで観ていればこの「踊る大捜査線」シリーズは青島をメインにリスタートするんだろうなというのがわかる。それこそが大事な部分なのだろう。
極楽とんぼの加藤さんがリクの父親役として後編にも出演しているが、北海道の出身だよな。この作品って舞台の秋田県出身の人がわりと出ている印象だったのでそこが違和感あって、最後にエンディングでかかる曲を歌っている大物歌手の方も北海道の人だから、そこも秋田県出身の人とかにした方が良くないかなって、いないのであれば「踊る大捜査線」シリーズの音でも良かったような。
二作品で「父」になろうとする室井慎次を描き、彼の人を信じろという教えは三人の子どもたちにしっかり引き継がれた。あとある青年が室井さんのおかげで帰ってくるシーンがエンディング近くにあって、その人は某有名コントユニットのメンバーなので秋田出身なのかなって思って今wiki見たら東京出身だった。そういうところはもうこだわらないのね。
これは「踊る大捜査線」シリーズファンが求めていたものかと言われるとたぶん違うし批判や否定もたくさん出るだろうけど、「父」になれるかということを描こうとしていることを僕は評価したい。


昼ごはんを買って帰った。ご飯を食べてから一息したらライティング作業をしようと思っていた。メガネの目尻のところにある金属パーツがちょっと前からゆるんでるなって思っていたので小さなマイナスドライバーで金具とフレームを繋いでる部分を締め直そうとしたらもう締まりきっていた。これはどうなってるんだと思ってよく見てみたら左側のフレーム側の金属パーツが金属疲労なのかほぼ折れかけていて触っていたら折れてしまった。
前使っていたメガネは度数が違うし、コンタクトレンズは使っていないのでこのメガネがないと色々と支障が出てしまう。買ったのはミッドタウン日比谷の中にあるEYEVANのショップだったけど、今から日比谷は遠いなって思っていたらそういえば前に青山の骨董通りを歩いていたらEYEVANのお店があったような気がするなと思い出して、ウェブで検索するとお店はあったので一度電話して修理できそうか聞いた。実際に見てみないとわからないとは言われたのだけど、すぐに持っていくことにした。

TOHOシネマズ渋谷まで歩いて行って帰ってきたばかりだったけど、骨董通りなら歩いて片道一時間もかからないし、日曜日の電車とかあんまり乗りたくないから歩いていくことにした。昨日の永野さんのYouTubeチャンネルを見ていたのでradioheadの『Kid A Mnesia』をSpotifyで聴きながら向かった。
対応してくれたスタッフさんが折れたパーツを一旦取り外してフレーム自体は破れたりしていないので、目尻の金属パーツを変えるだけで大丈夫と判断してくれた。一つは折れたものを修理に出して金属加工で繋げてもらうもの、二つ目は新品の同じフレームパーツと取り替えるというもの。一つ目は時間もかかりそうだし折れているものを修復してもすぐにダメになりそうだから二つ目にしてもらった。
前にも片方のフレームが割れてしまって交換してもらったことがあったが、その時同様に一つのパーツ交換だと定価の20%かかる。取り替える前に持ってきてもらった新品のフレームについていた値段を見て、この値段だったんだって思い出した。一万円は超えなかったけど、フレーム本体が十万とかしたらパーツ交換だけで二万とかするんだなって。
このブランドはミッドタウン日比谷もそうだし、今回対応してもらったスタッフさんも対応がすごく丁寧だから、次のメガネもここにしたいと思う。そういうことがブランドの価値だったりするんだろうな。

帰っていると大家さんからユニットバスの改修工事をやることにしましたとメッセージが来た。業者さんから連絡が行くように連絡先を教えてもいいですかとのことだったので承諾した。今月の後半ぐらいからちょっと僕の生活は変化することになるっぽい。
家に帰ってからようやくご飯を食べたけど、15時を過ぎた昼ごはんはなんか早めの夕ご飯みたいな気もするし、なんかこの後の晩御飯をいつ食べればいいか微妙になる。

「タイパ」という言葉が大嫌いだと書いた。何故なら、私の作家生活は、それとは対極にあるものだと思うから。
 私は、一貫して、美しい無駄が文化を創ると信じている。美しくて、役に立たないと思われるものに、あえて、手間をかけること。そういった行為こそが文化だと思うし、贅沢だと感じる。そのはしっこに文学というものが存在しても良いのではないか。世界を動かす読み物とは、また別の位置で。
 そんなふうに思って、自分の書いたものを読み返してみると、尊敬する先人たちの手による「美しい無駄」が、驚くほど私に染み込んでいて、そして、多大な影響を与えているのが解る。それを自覚し、理解し、後の人たちに伝えようとすること。美しい無駄という伝統の火を消さずに、先人に敬意を払いつつ前に進むこと。 
「文学をやる」とは、そのことに他ならないのではないか、と小説家デビュー四十周年の節目を前に痛感している。
山田詠美著『もの想う時、ものを書く』P410より

ライティング作業をradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きつつ進めて、寝る前に『もの想う時、ものを書く』が最後まで辿り着いた。
芥川賞の選考委員でもある山田詠美さんの毎回の選評も載っていてそれを通して読んでみるのもおもしろかった。最後まで今までのエッセイをまとめたものを読んでみると、最後のあとがきに書かれた「美しい無駄」というものが山田作品を読めばわかるし、「文学をやる」という姿勢だからこそ、彼女の影響を受けた作家たちが多くいるし、山田詠美という小説家はこれからも次世代に読まれていくのだと思える。

 

11月11日
日付が変わってすぐに寝たはずだが、トイレに行きたくて目が覚める。二時過ぎだった。そのまま可燃ごみを出しに行く。地面が雨で濡れていて風も冷たい。喉はほとんど治ってきたが、昨日から上はTシャツだけではなくユニクロで前に買ったパーカーを寝巻きに追加した。
寒くなってくると実家にいた時から電気毛布を使っていたのだけど、去年ぐらいに電源の部分かにかが壊れてしまって使えなくなってしまってるはずだ。買おうと思いつつ去年はエアコンの暖房とかを使ったはずだけど、今年はどうしようか。
TVerで『有良クイズ』を見ながら寝ようとしたができずに、『夜明けのラヴィット!』を流しながら目を閉じた。やっぱり電気毛布あった方がいいかなあ。

7時過ぎに起きた。今日は11月11日と1が並ぶ日、たぶんポッキーの日とかそういう感じの日になっている。寝る前に読書をしっかりしたし朝の読書はしないでリモートワークの準備をしながら8時半ぐらいまでのんびり。
radikoでは日曜日の分は聴いてしまっているので、Spotifyでアップされた先週のラジオのポッドキャストをいくつか聴きながらリモートワークをする。一度聴いているから既視感ではなく、既聴感(という言葉もあるらしい)的なものがあって、Aさんがこう話したらBさんがこう返してみたいなことがわかる。何度も好きなラジオの同じ放送回を繰り返して聴いている人はもう内容ではなく会話のリズムとか声質の変化とかを楽しんでいるのかもしれない。
午前中に一件、仕事とは別件で個人的なことの連絡をしたが、ダメだった。仕方ないので返信をもらったらなんかスッキリした。返信が返ってくるまでちょっと心配というか嫌なドキドキ感もあったりしたが、こちらが勝手に思って考えたことを伝えても先方的にはNOみたいなことは当然起きるし、そうなったらという考えも一応していた。
しかし、人間というのは自分が可愛いのでいい返事をもらったパターンの方で脳が想像していく。で、ダメだったらそれが急激に萎んで消えていく。その可能性が潰えたら別のことを考えて行動するしかなくなる。
本当は夜に友達とネパール料理屋でご飯をする予定だったけど、ご家族が風邪を引いてしまって行けそうにないと前日言われたのでお店に予約のキャンセルをしていた。もちろん、家族の体調が大事だしそういう時に家を出て友達とご飯とかしてたら恨まれるというか捨てられてしまうかもしれない。そうなっては僕も困るというか、申し訳がない。
ちょっとだけ今日のことを飲みながら聞いてほしかったと思ったりしていたらお昼になった。


休憩時間中に池尻大橋駅方面のスーパーに行ったついでに駅のところにあるあおい書店に寄ったら、光文社古典新訳文庫からガブリエル・ガルシア・マルケス著/寺尾隆吉訳『悪い時 』が出ていた。寺尾さんはバルガス・ジョサ著『街と犬たち』などいろんなラテンアメリカ文学を訳されているし、一度古川日出男さんとのトークイベントに出演されていた時に話を聞きに行ったこともある。
百年の孤独』文庫化ヒットによってガブリエル・ガルシア=マルケスブームが再びきたらいいのだけど、彼の名前を知っている年長の人たちが懐かしくてまた手に取っていたりすることのほうが若い人が読むよりは明らかに多いのだろう。しかし、こうやって他の作品も新しく出たりするのはありがたい。

夕方過ぎてからリモートワークもそろそろ終わるかなって思っていたら、この前退職した人から引き継いだ作業がどうも僕のところで途中で止まっていることがわかり、なんとか進めてみたものの、諸々の問題があって思ったよりも進まなかった。それでも20時まえぐらいまで珍しく作業をしていた。よかった家での仕事で。これで出社していたら家に帰ったら21時とか過ぎていたかもしれない。ありがとうリモートワーク。
その仕事中に前にユニットバスの工事の下見にきた業者さんから電話がかかってきた。まだユニットバスが届いてから出ないと正確な工事日程が出ないらしいが、早ければ11月末に遅くても年内には終わる工事が始まるらしい。
引っ越しして空いた隣の部屋でリモートワークをする時間は使わせてもらって仕事をして、工事が終わってから夜は自分の部屋を使えるということになっている。だけど、机も椅子も隣に動かせないし、ベッドも冷蔵庫もそのまま。作業用のノートパソコンは持っていけるが他の生活用品は動かせないのでかなり不便になる。
大家さんが費用を全部持ってくれるので文句は言えないが、これから寒くなるけど、家具も何もない部屋で座布団ぐらいは持っていってダンボールか何かで簡易的な机で作業すると思うとなかなか大変になるだろうな、と思う。


Spotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』をお風呂に上がってから聴いた。ユニットバス交換するまで普通にこの風呂に入り続けてやる、と決めているわけではないけど、寒くなってきたら湯船に浸かりたい。

 

11月12日
朝起きてからradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながらルーティンの読書を開始。小林秀雄著『作家の顔』がようやく最後まで読み終わった。正直後半の方は読んでいても僕がわからないのもあるけど、おもしろみを感じなかった。
そのままブコウスキー著『詩人と女たち』の続きを。タイプライターを前カノに路上に投げられたりするチナスキー、女性が去っては新しい女性との関係が始まっていくのがずっと繰り返されている。やっぱり女性たちが能動的だけど、時代もあるのかもしれないが詩人ってそこまでモテるのかという不思議な気持ちに。まあ、盛っていてもいいんだけど、ある種の私小説だからそういうものに書かれたいという欲望を持っている人も少なからずいたのかもしれない。
9時前に家を出て歩いて10分ほどの歯科クリニックへ。上の左一番奥の歯がかけたのが舌で触るとわかるほどだったので、これはただ欠けただけなのか虫歯なのかを診てもらおうと日曜日夜に予約をしていた。
先生に診てもらったら前に詰め物をしていたらしく、その記憶がなかったけど欠けた部分のところから虫歯になっているとのことだった。とりあえず詰め物を取ってみて神経まで虫歯が進行していたら神経を取ってとかしないといけない。そもそも親知らずだから抜くという判断もありえるのだけど、削ってもらったら神経に届いていなかったようで新しく詰め物をしてもらってこの一日だけで大丈夫ということになった。
歯をチェックしてもらったら歯石をとったほうがいいよ、と言われたので近いうちに行くことにした。いやあ、ナイス判断だった。これを放置しておいて虫歯が進行していたら歯を抜くか神経取ってからの対応になっていた。
元々今日は10時15分から駅前の皮膚科クリニックの予約を入れていたので、その前の時間に歯科クリニックを入れていた。虫歯の治療がすぐに終わったので一旦家に帰ってから時間潰して駅前へ。
予約していても混んでいるみたいで30分過ぎたぐらいに呼ばれた。胸近くにできているできものというかニキビみたいなものがなかなか治らないのだけど、もうええでしょ、と言いたくなるぐらい治っていかない。薬を塗り忘れていることも多いけど、普通治るよねって思う。塗り薬も同じやつを出してもらって次の予約は来年一月初旬になった。吹き出物は潰したほうが早く治るんじゃないかなって思うけど、そこは悩む。


15時半から虎ノ門ヒルズにあるオズワルドシアターで映画の試写があったので、13時ぐらいに家を出た。月替わりで11月担当の『ロングコートダディオールナイトニッポン0』を聴いて歩き出したけど、そこまで乗れない。声が自分に馴染んでいないからなんだろうけど。
オズワルドシアターまでは約二時間、その間に聴くものをどうしようかなって思ったけど、今日夜にSpotifyで配信される『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』の前回配信分をおさらいがてら聴きながら歩く。着く前に終わってしまったので、そこからは音楽を選んで聴いていた。

ジェシー・アイゼンバーグが監督『リアル・ペイン~心の旅~』をオズワルドシアターで試写鑑賞。ジェシー・アイゼンバーグが監督だけでなく、脚本、制作、そしてマコーレー・カルキンの弟のキーラン・カルキンとのダブル主演作。
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジーキーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。

という内容だが、ジェシー・アイゼンバーグ自身がユダヤ人系アメリカ人で自らのルーツに触れる旅路がインスピレーションの源となっているらしく、実際の祖母がポーランドに住んでいたのかはわからないがよくポーランドを訪れていてポーランド語も堪能らしい。
同じ年生まれのいとこのデヴィッドとベンジーが祖母の生まれ育ったポーランドを訪れてツアーに参加する。そのツアーではユダヤ人の悲しい歴史である強制収容所を訪れることになる。
正反対の性格の兄弟のように育った二人、しかし現在の生活も真反対であり、誰にでも好かれる社交的なベンジー、しかし問題もよく起こしてしまう。彼の影に隠れるような大人しい性格のデヴィッドはこの旅の中でそれまでベンジーに抱えていた気持ちを吐き出すことになる。祖母、ユダヤ人の歴史を知ることで彼ら自身の痛みとも向き合おうとする物語になっていた。
ジェシー・アイゼンバーグキーラン・カルキンは41歳と43歳と僕の下と上の年齢であり、この世代の祖父祖母世代は第二次世界大戦の時代に生まれていて、戦争を体験している人もそれなりにいる。祖父母と孫は隔世遺伝的に仲良かったりするようなもので、戦争の話を聞かされていたりする。
ちょうど祖父母世代が第二次世界大戦経験者というのも僕らぐらい40代までぐらいだろうから、彼や彼女が味わったこと思い出したくないこと、墓まで持って行こうとしたこと、そういう痛みを知ろうとするのも僕もわかるし、ジェシー・アイゼンバーグが描いていることにすごく共感できた。
全編作中でかかっているのはポーランド出身のショパンだった。それが作品のムードを作っているのもよかった。
日本でやるとしたら日系移民の子孫の人がアメリカとかから広島や長崎にやってきて原爆ドームや旧浦上天主堂を訪れたりするような物語になるだろうか。
実際に強制収容所のシーンではそこにいた人たちの靴が一箇所に集まっているところも映されていたが、『関心領域』にも同じようなシーンがあった記憶がある。
アメリカのロサンゼルスのリトルトーキョー近くにある全米日系人博物館に行った時にも強制移民させられた人々のものだった鞄や靴がたくさん展示されていた。その膨大な靴の数、どれだけ多くの人たちが命を奪われたのか、そのメッセージだけでも強く奥の方に響いて何かを鳴らし続けることになる。
ジェシー・アイゼンバーグが監督をするのは今作が二作目、前作である監督デビュー作『僕らの世界が交わるまで』は母と息子の関係性を描いていた(父も出てくるけどほぼいないに等しい)し、『リアル・ペイン~心の旅~』は祖母と孫(男子)という関係性であり、どうもジェシー・アイゼンバーグの作品は息子と母(あるいはグレートマザー)との関係性を描こうとしているっぽい。まあ、まだ二作品だからわからないじゃんということになりそうなものだけど、デビュー作にすべてが詰まっていると言われるけど、作家性の主軸はそこに出ていると思うので、このパターンで彼が物語を作っていく、語っていくんじゃないかな。
キーラン・カルキンがとてもよかった。ベンジーという人間の魅力と弱さ、ある種のトリックスター感も含めて素晴らしい演技だった。


帰りは電車でもいいかなって思ったけど、上映が終わったのが17時でこれから電車に乗って渋谷方面に向かうと混みそうだなって思ってまた歩いて帰ることにした。

帰る時に『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大後編)がいいタイミングでアップされていたので、それを聴きながら帰る。不倫とかがあってから山での生活を始めた東出さんの狩猟生活とかの話になっていった。
臭いが強いからビジエが苦手だという人がいるけど、それは仕留めてすぐに処理をしていない肉だとそうなってしまうとか、本当にいろんなことを勉強もしているし、その上での実際の狩猟経験があるのですごく聞いていておもしろいし、この人の魅力がより伝わる内容になっていた。
聴き終えたぐらいで『あのと粗品の電電電話』がアップされていたので聴いて、『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』を待っていたけど、家に着くまでは更新されなかったのでCreepy Nutsとか星野源さんとかの音楽を聴きつつ、やってきた道を引き返すように戻って行った。
日が暮れるのは早いけど、まだ夕方になっても寒くはなかった。汗も出てるなって感じるほどでもなかったのでこのくらいが歩くのにはちょうどいい。
「ひとりぼっち集団」は千鳥の大悟さんとの飲み会の話をしていて、やっぱり国崎さんは一人で充分話せちゃってるし、トーク能力も高い。伊藤さん本当に帰ってくるのだろうか、あとダウンタウンチルドレンと言える影響下にある世代の千鳥さんや国崎さん辺りは松本さんが復帰するかどうかをどう思っているのだろう。特に同じ事務所の千鳥は否定できないだろうし、芸人にとって彼の復帰問題は踏み絵になってしまっているように見えてしまう。

浅野いにおさん作詞・作曲でanoと幾田りらが歌う新曲『SHINSEKAIより』がリリースされるらしい。ほう、二部構成の映画を18話のアニメシリーズに再構築したものがボックスに入るという話だったが、そのための新曲。なんだか『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は終わらないみたい。「デデデデ」ファンにはうれしい一年だった。


寝る前に何冊か併読しているものの中に、中上健次著『鳳仙花』を加えた。少し読んでからwiki中上健次のページを見て刊行された年などを見ると『鳳仙花』は1980年で僕が生まれるよりも前だった。この前読み終わった『地の果て 至上の時』は1983年で生まれてはいた。たった3年の違いだけど、『鳳仙花』の方が読みやすいと僕には感じられた。
『群像』でのいとうせいこうさんと古川日出男さんの対談の中で、

古川 僕の中では中上の重要な作品の系譜は、『紀州 木の国・根の国物語』があって、『千年の愉楽』があって、『奇蹟』がある。一方で『宇津保物語』とか、『南総里見八犬伝』を踏まえて大失敗した『異族』とか、読者からもこれは無惨な失敗だと思えるさくひんに対して、どう向き合うか。自分がやっても失敗するかもしれないという恐怖を持ってやることが、読者としてのお返しかなと思ったんです。
いとう なるほど、それは面白いですね。つまり、バトンを勝手に渡されていくということですよね。勝手に渡されていくことにすごく意味がある。

というやりとりがあった。それで『千年の愉楽』も並行して読んでみることにした。中上健次の作品はある程度は揃えているが、読もうと思えるタイミングとかもあるし、実際に読んでみようとチャレンジしてもその時には読めなかったものもあったりする。今は読める時期に入ってきているはず。
『異族』は執筆中に亡くなっているので未完の作品だけど、やはり漫画原作として書かれていた『南回帰船』同様に紀州からもっと広くアジアに目を向けようとしているし、それまでの彼自身のドラマツルギーを更新しようと企んだけど失敗したと言われても不思議ではない内容だったし、実際に読んでみて傑作だとは言えるものではなかった。
中上健次自身も50歳になる前に死んでしまうとは思っていなかっただろうし、それらの失敗を踏まえて辿り着くであろう小説や物語がたぶんあったはずで、そういうものを古川さんやいとうせいこうさんたちが引き継いでいるのだというのはわかる。読者として彼らの小説を読んでいるから。

 

11月13日
6時半に目覚ましで起きる。寒い。トイレに行ってから布団に戻ってから朝活がてらライティングモードに移行したいが無理。radikoで[『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながらもう少し惰眠を貪る。平子さんが『ラヴィット!』で買った絵の話とか関西弁の話をしていた。
8時前に布団から出て、とりあえず朝のルーティンとしてトマトジュースやサプリを飲んだり、仕事前の一連のことをやってから机に向かってリモートワーク開始。作業用 BGMがてらradikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流していた。
先週お休みだった「あのANN0」は藤田ニコルの結婚式には行けなかったが二次会に行った話とか、仕事が多忙な中プライベートなトークがあったりした。端っこにいて華やかなモデルたちと絡むこともせずにメイプル超合金の安藤なつさんとずっと一緒にいたというあのちゃんらしいエピソードもあるけど、交流がある藤田ニコルをお祝いしたいという気持ちはちゃんとあるし、あのちゃん自身も成長なのか変わってきている印象を受ける。

リモートでは引き継ぎで教えてもらったことの続きをやっていたらすぐに時間が過ぎていった。ZOOMで手順とかは見せてもらったけど、実際に自分でやるとなると合ってるのかどうかわからないし、問題はやり方の流れを書いてもらったものを見ていてもそれにリンクしてあるサイトというかページに自分に権限がなかったりして入れなかったりして進まないとかがちょこちょこある。
親会社が変わってからレンタルしているPCも変わったり、組織が変わったりしていくと前は使えたものや権限があったものが使用すると費用が発生するとかで、あまり使わなくなったりしているといつの間にか僕のアドレスでは使えなくなっていたりしていた。そのことを知るためにはその作業をしないといけないので気づかない。
経理関係とかのことだったり、支払関係のことをしばらく外部発注していなかったのもあって、使えなくなっていることにまったく気づかなかった。で、引き継ぎで今回やることになった作業でそれらが必要だと知る。また、申請して承認を待つみたいな感じになる。
今までいた人がいなくなって、その仕事をやっていなかった人たちが引き継いでいく。慣れるまでの時間もあるし、すぐできる人も何回説明されてもできない人もいたりする。
一人の人がある作業を重点的にしていて、他の人がまったく関わっていなかったり、作業の流れを認識していないとその人がいなくなってからこんな風に困ったことになる。
辞めて転職して行った人とこの前会社に行った時にちょっと話していたらだいぶ前に辞めることは伝えていたけど、人件費とかの問題ですぐに引き継ぎの人を入れたりしなかったことで今回混乱しているのもわかった。
まあ、どこだってそんなもんだと思うけど、正社員が少なくて派遣が多くてちょっとアルバイトだったりすると派遣の人が長年やっている仕事ってその人しかできないものが多かったりするし、ただ別の人が派遣されたからなんとかなるわけでもない。わかっているはずなのにね、企業ってやつは。まあ、僕はバイトなんで特に発言権もないし、やることが増えても労働時間がちょっと増えるだけなのでさほど問題はない。他の人がしんどくなったりすると働きにくくなったりするからそれだけが心配。



A24の公式オンラインショップで購入していた『Everything Everywhere All At Once Screenplay Book』が作業中に届いた。先月末にアメリカから発送されていて、なぜか先週ぐらいから成田空港で止まっていた。連絡先を教えてくれって輸入配送手続きをする業者さんからメールが来て伝えていたけど、その後連絡がなくて急に届いた。
思ったよりも大きい! あとタイトルと監督名(ダニエルズ)の書体がいい(他のScreenplay Bookはこういう書体ではない)。発送用の段ボールケースもA24仕様なのもいい。
購入手続きした時は本体が$60で発送料が$24で、一ドルが140円だったから約12000円いかないぐらい。朝ニュースを見ていたら一ドルが155円台になっていた。そのレートだと13000円をわずかに越えるぐらいになる。
個人でアメリカから商品を買ってもそれだけの差は大きいなと思うと、海外から輸入したらこの円安によってどんどん厳しくなっているだろうし、日本自体が貧しくなっているから昔だったら普通に海外輸入していたものも他の国に買い負けるとか起きてくる。
いいものだけじゃなくて、中ぐらいの食品とかが買い負けるとどんどん普通の家庭や大きな企業じゃない飲食店なんかはもろに影響を受けてしまう。給料は上がらないのだから余計に外で買い物したり食事をするのも減っていくなど、結局不景気が長引くという悪循環に陥っていく。こんな景気にした人たちに責任を選挙で取らせないのだから、どうにもならないのだけど。

ヒロ・ムライとA24がサムライ映画『Bushido』製作へ ─ 『ミッドサマー』アリ・アスターもプロデュースに 

アトランタ』シリーズやその主演のドナルド・グローヴァーが音楽活動する際に名乗っているチャイルディッシュ・ガンビーノのMVなども作っているヒロ・ムライさんがA24と組んでサムライ映画を撮るらしい。なんか実写版『サムライ・チャンプルー』みたいになりそうな、なってもいいんだけど。日本で撮影するのかもしれないし、日本人俳優も出るかもしれない。そう考えるといろんな役者さんがヒロ・ムライ作品に出れる可能性もあるし、そこからアメリカへ、世界へのチャンスを掴めるかもしれない。

最近『アトランタ』シリーズを見直していて、シーズン3の4話でアーン(ドナルド・グローヴァー)たちメインキャラが誰も出ず、ある白人男性と娘が住んでいる家に黒人女性がやってきて、自分のひいひいひいお爺さんたちはあなたの祖先に奴隷として使われていたからその金を、賠償金を払えと抗議しにくる。そのムーブメントはどんどん広がっているようで白人系の人たちは自分たちの先祖が行った奴隷を搾取したことを償わされていくという内容で、かなりインパクトがある。
白人からすれば先祖が行ったことを言われても、ということなのだけど彼らがある程度豊かな生活をしていい大学に行っているのもそういう歴史の連なりにあるのだから、責任はあるだろうという皮肉であり、このドラマは時折メインキャラが出てこないがこういう世相を反映したエピソードを入れてくるのがシーズン毎に増すようになった。
そういう作品の監督がヒロ・ムライさんなので、『Bushido』がどうなるのか怖くもあるが観たい。

 

11月14日
目覚めが悪い、何か夢を見ていような気がするがまったく思い出せない。今日は休みでお昼から予定を入れているのですぐに起きなくてもいい日。横になってradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴く。
佐久間さんがYouTubeの案件で『グラディエーターⅡ』に出演しているポール・メスカルとデンゼル・ワシントンのインタビューをすることになった話をしていて、ちょうど土曜日にIMAXで観るつもりでチケットを取っていたのでナイスタイミングな話題だった。
どういうことをインタビューで二人に聞いたのかはラジオで聞けばいいのだけど、終わった後にデンゼル・ワシントンが好きらしい寿司について、オススメのお店を聞かれた佐久間さんがいくつかお店を伝えてその場にいたスタッフさんがメモをしていたらしいのだけど、佐久間さんみたいにいろんなお店に通っていて、さらには食通の人と知り合いで教えてもらっている情報から先に出したお店は予約がおそらく取れないから人聞きではあるが聞いた情報をデンゼル・ワシントンに伝えると大喜びだったらしい。
トークの中で10年ぶりとかに日本に来たらしいデンゼル・ワシントンについて、日本の食事が好きじゃないと来るわけがない(トム・クルーズは別として)と言っていた。実際に円安で洋画がヒットしなくなっている日本に海外のスター俳優が来るメリットはもはやない。あるとしたら本当に日本が好きだったり、食事で好きなものがあるかだけ、というのもそこまで大袈裟ではないのだろう。
佐久間さんはここで情報としてデンゼル・ワシントンにある寿司屋のことを伝えた。もちろんインタビュー自体がうまく行っていて、二人がかなりテンションを上げて話してくれたことも大きいだろうが、トドメというか食という武器が最後に出た。食というツールでデンゼル・ワシントンは完全に機嫌をよくしている。
仕事ができる人だから食にも詳しいとは限らないけど、こういうことを聞くとやっぱり知識だけではなく実際に足を運んでいるとか、そのことで知り合った人からのネットとかには出ていない情報を知っていることが大きいんだなってわかる。


12時半ぐらいに外苑前駅近くのGAGA試写室に着くイメージで11時半前に家を出る。「佐久間ANN0」でも曲をかけていたとんねるずの『一番偉い人へ』を聴いたり、Creepy Nuts星野源さんの曲で好きなものを選択して聴きながら初冬の散歩を。渋谷の宮益坂を上って青山方面に向かって歩く。青山通り沿いで行列が出ているなって思ったら「I'm donut ?」だった。やっぱり今でも並んでるんだなあ。
GAGAの前に着いた時にはまだ試写の受付も始まっていなかったので、青山墓地をぶらぶらと歩く。僕が好きな『アンダー・ザ・シルバーレイク』という映画には墓地が出てくる。そこからインスピレーションを受けて日本を舞台にする赤坂と青山メインで墓地なら青山墓地だなと思っているし、日比谷とかに行く際にはここを抜けて乃木坂に出たりするので知っている人のお墓があるわけではないけどちょくちょく足を運んでいる。
GAGA横の通りをまっすぐに歩いていくと僕が日比谷に抜ける時に歩いている十字路に出る。そんな風に地図というよりも歩いて位置を体で把握している。『アンダー・ザ・シルバーレイク』はGAGAが配給していたから冒頭では「GAGA」のロゴが出る。そういうことが僕の中では繋がっている。

1974年に映画化作品が全世界を熱狂で包んだ官能文学の傑作「エマニエル夫人」を、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した新鋭監督オードレイ・ディヴァンが、新たな解釈で現代に甦らせた作品。主演は、『燃ゆる女の肖像』(20)、『TAR/ター』(23)のノエミ・メルラン。2024年、スペインのサン・セバスティアン国際映画祭にて、オープニング作品としてワールドプレミアを迎えた話題作。エマニュエルは仕事でオーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるが、ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流は、彼女を「禁断の快感」へといざない――。

オードレイ・ディヴァン監督『エマニュエル』試写で鑑賞。『エマニエル夫人』を観たことがない実はない。だが、今作は『エマニエル夫人』のリメイクではないとのこと、元々は小説があってそれを1974年も映像化している。今回も原作を元にオードレイ・ディヴァン監督が現在の香港に舞台を移して描いているのが今作ということらしい。
主演のノエミ・メルランは魅力的なのだけど、なんだろうな裸のシーンや性行為のシーンもあるけど官能的っぽいとは思うけど官能的ではない、というか。エロティックさが感じられない。
監督があえてそういう作りにしているのかもしれない、フェミニズム的な解釈でそういう演出になっているのかもしれない。だとしてもジェンダーで違いがあるのかもわからないけど、これって女性は観て官能的でエロティックだなって思えるのだろうか。
僕はまったく思えなかったし、香港を舞台にしているけど前半はずっと高級ホテルの中でのシーンが続いて、最後の方でようやく香港らしい場所が景色になっている。ヨーロッパから来た白人であるフランス人女性が仕事でホテルのことを調べている、働いているのはアジア人がほとんどで、見方によっては白人に支配されているアジア、というか、昔の香港そのもの感もあるのでその辺りはエキゾチックな雰囲気を出したかったのだろうけど、もう少し撮り方はあったのかもしれない。
一番気になる存在がケイ・シノハラというホテルにずっと滞在しているけど謎の人物であり、観ている間ずっと最近どこかで見たばかりの人だなって思いつつ思い出せずにいた。帰ってからネットで調べたら二日前に試写で観た『リアル・ペイン』にも出演していたウィル・シャープさんという俳優だった。二作品で受ける印象がまったく違うから同じ人だとすぐにはわからなかった。
もちろん、昔の『エマニエル夫人』のような官能的なエロティックなものを現在でやるとしたらという挑戦なんだろうけど、もっと踏み込んでもいいような気がした。単純にこの監督と僕の考える官能的なものやエロティックというものが違いすぎるだけかもしれない。


歩いて帰っている時に池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら明日発売の講談社文庫がすでに出ていて、書こうと思っていた長嶋有著『ルーティンズ』を購入した。
長嶋さんの小説は誰かを好きになったり、思いたいなという気持ちだったり、家庭とかを持って誰かと一緒に生活をしたいなと思わせるものが多い。そういう気持ちにさせられる小説家だと僕は長嶋さんぐらいしか思い浮かばない。


夕方過ぎてからニコラに行って、アルヴァーブレンドと黒いちじくとマスカルポーネのタルトをいただく。タバコを三本ぐらい吸って一服して曽根さんたちと少し話をする。一週間のうちでのんびりしていて落ち着く時間。

 

11月15日
SHINSEKAIより / ano × 幾田りら


日付が変わってから浅野いにおさんが作詞作曲した『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のアニメ用の主題歌が配信でリリースされた。
凛として時雨のTKが作曲した『絶絶絶絶対聖域』と比べるとインパクトはあまりないけど、幾田りらとanoがそれぞれアーティストというより声を当てた門出と凰蘭として歌っているような楽曲だった。

 世界初のコンピュータのバグは一九四七年、ハーバード大学のテストコンピュータに紛れ込んだ一匹の蛾によってもたらされた、とされる。ここにも別種の、二つの異なる位相にあるレベルの、他方から他方への侵入、言い換えれば異なる二つのレベルの〈交流〉が見られる。コンピュータからすれば、蛾とは思考不可能な、語り得ない対象だ。一匹の蛾(バグ)、それはコンピュータに不可逆な全的変容をもたらすかもしれない、予測不可能な外的要因、すなわちコンピュータにとっての〈外部〉に他ならない。

木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P298-299より

 シミュレーション世界を変容させるバグ、それはもしかしたら霊や怪異のような存在としてこの世界に現象するのかもしれない。この視点を一九九八年の時点で取り入れていた瞠目すべき小説作品こそが鈴木光司の『ループ』に他ならない。『リング』三部作の掉尾を飾るこの作品は、コンピュータで再現された三次元の仮想世界が重要な役割を果たす。そこでは、『リング』と『らせん』の舞台であった世界が実はシミュレーションの世界であったことが明かされる。この、『ループ』 と名付けられた仮想世界を律するのも、メタレベルとオブジェクトレベルという存在論的に異なる相容れない二つの秩序と、それら秩序の間の断絶である。作中、シミュレーション世界を制作した研究所のスタッフが次のように発言する場面がある。

 研究所のスタッフにとって、この仮想世界「ループ」は認知可能です。でも、「ループ」に生きている知的生命が、創造主であるわれわれを認知するのは、絶対に不可能なのです。彼ら にとって、われわれはまさに神そのものでしょうねえ。ループの内部にいる限り、彼らは世界 の仕組みまでは理解できない。唯一可能になるとしたら、外部に出ること。ほかにはあり得ません。

木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P311より

寝る前に併読していた小説を読んでいる時にふと目に入ったこちら。残り四分の一ぐらいになったまま放置していて、寝るまでに読み終わろうと何故か思えて最後まで読んでいたら深夜一時半ぐらいになっていた。

木澤さんが最後のあとがきで書いていることは「外部」が消えてしまった世界のことなんかを考察しているのだけど、その中に鈴木光司さんの『ループ』を引き合いに出している。以前に僕も『ループ』のことをもう少し考えたら「平成」というものがもう少しわかるんじゃないかなって思ったことがあった。そもそも書こうと思った作品のことを考えていくと構造的には「リング」シリーズにおける『ループ』みたいな設定になるなって感じたのだった。その頃にはマーク・フィッシャーの著作も読み始めていたし、「幽霊」という概念のことを考えていた。
貞子(リングウイルス)がビデオテープを再生して見てしまうと一週間後になくなってしまうという呪いだったのに、映画シリーズのヒットによって本当にコンピューターウイルスの方に拡散されていく存在となってしまった。映画シリーズにおける「貞子(リングウイルス)」と鈴木光司さんによる「リングシリーズ」の貞子はまったく同じではないというのが実は大きなことだけど、ほとんどの人がイメージする貞子は映画の井戸やテレビから出てくる存在になってしまっている。
小説の方ではネタバレしているが引用したように『リング』『らせん』の物語はシミュレーション世界での出来事であり、それを作った世界が現実世界になっている。『リング』の映画を観たり、小説を読むとホラーなのだけど、シリーズを読んでいくとSF 作品だった、SF的な構造で作られていることがわかる。僕はそれがすごく面白く感じたし、ちゃんと語られていないけれど「平成」という時代を表象する作品の一つだと思っている。
『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』の装幀はいいなと思っていたが、蝶ではなく蛾(バグ)が描かれているのもとてもこの書籍をしっかりと表している。小説でもいいし、映画でもいいけど、舞台となっている世界以外の別の時間軸の世界や可能性世界も描く際に蛾を出してみるというのは最初のコンピュータバグ的な意味合いとしていい。蛾を潰してしまったあとに手で触ってみたりするとわずかに残ってしまう鱗粉、それが他の世界や可能性世界を仄めかすのはいい入り口だなって。

8時前に起きてからちょっと朝のルーティン。来週頭に健康診断があるので検便のためにトイレで設置して二回のうち一回を取ろうとしたが、難しい。なんだろうなあ、毎回検便のやつって取れたなと思ってもケースに入れると思ったよりも取れてない気がしてしまう。便が柔らかい人や下痢気味の人にとっては難し過ぎないか、検便で取るの。
リモートワークを開始。昨日寝る前の読書タイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴いていたので、『ハライチのターン!』から開始し、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』といつもの金曜日の作業用BGMを作業のお供に。
引き継ぎされた作業を流れを書いてもらっている資料を見ながらやっていたらあっという間に時間が過ぎていく。お昼になって休憩がてら駅前のスーパーの惣菜を買いに行った時に書店を覗いたが、昨日『ルーティンズ』文庫版を買っていたのでめぼしいものはなかった。
夕方から引き継ぎ関連の作業をオンラインで繋いでやっていたが、思ったよりも時間がかかってしまった。でも、人に伝える時に再確認できていることで多少は自分の中で固まってくる感じもする。ただ、本当に合っているのかという疑問は頭から離れない、自信は回数をこなしてOKが続かないと出てこない。

リモートワークが終わってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら小休憩。得意なものが一番トークとかでも話せるし語れるということから、ロン毛の方の布川さんが「風俗」にはメチャクチャ行ってるからって話出してから何故か「風俗」を「風(ふう)」と言い出すくだりはなんかよかった。
風俗関係のお仕事をしている人からのメールとか多かったりするのは、二人が「風俗」とかに行くのも普通に話していることで親近感があったりするのかな。

自分の作品用のライティング作業をするが、『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』を読み終わったこともあって、「蛾(バグ)」が出てくるシーンと蛾が潰れて手についた鱗粉というエピソードを入れることにした。〆切まで一ヶ月を切っているけど、そういうネタも入れつつ進めていく。

今回はこの曲でおわかれです。
千葉雄喜 (Yuki Chiba) ー 誰だ? (Dareda?)  [Official Music Video]

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年10月16日〜2024年10月31日)

10月上旬の日記(2024年10月1日から10月15日分)


10月16日
日付が変わるまでブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』の続きを読んでいた。16日になってから10月上旬の日記をアップして、半年前の日記をnoteの方にアップした。24時から放送されていた『アルコ&ピース D.C.GARAGE』をradikoで聴きながら眠る。


6時過ぎに目が覚めるが、寒くなってきたからか布団の中にいたい感じが強くなっていたので7時前まで寝転んだままで「D.C.GARAGE」を聴きながらのんびりしていた。
そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら少しだけ朝の読書をしてからリモートワークを始める。
太田さんはTBSの『お笑いの日2024』の即興漫才のシークレットゲストで登場してかまいたちの濱家さんの相手だったが出てからずっと暴れていて、何度もケンコバさんに絡みに行って落とされかけるという件をやっていた。漫才らしい漫才にはなっていなかったけど、ここまで大物で年長者の漫才師が暴れているという光景を事務所が違う(人数的にも吉本興業が半分以上を占めている)人たちはどう感じていたのだろう。
吉本興業に対して「犯罪者ばっかりの事務所じゃねえか」とテレビで言えるのも太田さんしか正直いないはずだ。彼がそういう発言をすることである意味ではガス抜きにもなるし、自分たちでは触れらない話題をそんな感じでネタにしてくれる他事務所の先輩というのは彼らにとってもかなりありがたいのではないだろうか。いかにケンコバが受けてくれてうれしかったということをラジオで話していた。

作業中に構成をお手伝いしたモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(10月25日発売)の見本が届いた。
電子書籍版も出るけど、パッと見で目に入ってくるピンクのタイトルに惹かれて書店で手に取ってもらえるとうれしい。やっぱりこのピンク色のタイトルはインパクトもあるし、でも黄色とかみたいに目に痛くない優しい感じもあっていい。

「爆笑カーボーイ」を聴き終わってからそのままradikoで『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を作業用&外出時BGMとして聴く。
星野源ANN」では劇団☆新感線の舞台を大阪に観に行った話やエッセイが重版決定したこと、スペシャルウイークのニセ明のことなんかを話していた。
「あのANN0」はひろゆきの「それってあなたの感想でしょ」が小学校とかで禁止になったというニュースから、あのちゃん自体はひろゆきとロケもしていたりするのでちょっと彼に対してはやさしさが出ていた。小学生がそういうことを言い出すと諸々教育にも支障が出るから仕方ないけど、ひろゆき自身のことはいい人なんだけどなって感じで話をしていた。この番組のスペシャルウイークのゲストはファーストサマーウイカさんなのでとてもたのしみ。


休憩で外に出たので駅前のTSUTAYA書店で楡周平著『サンセット・サンライズ』文庫版と『MONKEY』最新号を購入。
『サンセット・サンライズ』は明日映画のマスコミ試写に行くのでちょっとでも読んでおいて、原作をどう映像化したのか知りたいなと思ったから。読めなくても試写を観た後に読んだらいろいろと発見はできそう。
『MONKEY』vol.34は連載シリーズ『百の耳の都市』が読みたくてGET。今回は中島敦の同名の作品を基にした第18回「文字禍 The Mega Letter Disaster」が掲載されている。この作品については、

再来月に発売される「MONKEY」誌のために私は自分の連載『百の耳の都市』の最新話を書いて、つい昨日(2024/08/08)入稿したのだけれども、そこではパレスチナ問題をガザという語もイスラエルという語も出さないで書いた。だから、それはパレスチナ問題の小説ではない。しかしパレスチナ問題の小説なのだ、と感じる人は感じるだろうし、そうした認識につらぬかれて愕然とする読者も生まれるかもしれない。それはもちろん政治的行動だ。しかし、この小説はもちろん政治的行動を意識させる小説ではない。単に〈行動〉を感じさせるだけ、だろう。

古川日出男の現在地』 到着・出発 2024.07.27 – 2024.08.09 東京・埼玉・京都・福島

と前に書かれていた。実際に読んでみるとこれまでの『百の耳の都市』とは違うとか異質というわけではなく、このシリーズで世界中のいろんな都市が描かれているので違和感はなく、パレスチナ問題をこうやって小説として描けるのだ、読者に提示できるのだ、ということがわかるものだった。

リモート作業が終わってから晩御飯を食べてから自分のライティング作業をする。寝る前に『サンセット・サンライズ』を少し読んでおこうと思ったけど、プロローグと第一章の部分だけ読んだらうとうとし始めたので無理せずに寝た。

 

10月17日
起きてから朝の読書をしてから近所の整骨院へ。普段は月曜日とかに行っているのだけど、スポーツの日で休みだったし、火曜日は出社したりして来るのが珍しく木曜日になってしまった。
足首が硬いのでちゃんとストレッチというか、動かしてから歩かないと固いままで歩いているので可動域が狭くなってしまい、筋とか腱とか全身に繋がっているからそのせいでより僕の身体の固さに繋がってしまっている。この一週間はほとんど風呂上がりにストレッチや家を出る前の運動とかしていなかった。そうすると結局肩甲骨が固まってくるし、最終的にはまた腰に来たりするのでもうちょっと気をつけないといけないなと思う。

家に帰ってから10時半前までライティング作業をしてから渋谷方面に向かう。起きてからパソコンの方で聴いていた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をもう一度スマホアプリの方のradikoで最初から聴きながら歩く。目的地は虎ノ門近くのワーナー・ブラザーズ映画内幸町試写室。
場所は虎ノ門駅と新橋駅の間ぐらいで日比田公園も近い場所にある。今までも何度かは行った場所であり、六本木駅を過ぎて俳優座の前を過ぎていくとなんとなく場所を思い出した。
マップアプリでは徒歩だと二時間十分ほどだったので、「佐久間ANN0」は九十分で終わってしまうのでそこからはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』に変更して歩く。13時からの試写だったので12時半から受付で数分前に着いたので近くのコンビニに行ってコーヒーを買ったりしてから受付をした。

楡周平原作の「サンセット・サンライズ」(講談社)を菅田将暉主演で映画化。書いたドラマは必ず注目を集めるといえるほど、期待と信頼を一身に浴びる宮藤官九郎が脚本を手がけ、『正欲』(23)の岸善幸監督との異色のコラボレーションから生まれた本作。都会から移住したサラリーマンと宮城県・南三陸で生きる住民との交流や、人々の力強さや温かさをユーモアたっぷりに描き、その背景にあるコロナ禍の日本、過疎化に悩む地方、震災などの社会問題と向き合いながら豊かなエンターテインメントに転化させたヒューマン・コメディ。

Story
新型コロナウイルスパンデミックで世界中がロックダウンに追い込まれた2020年。リモートワークを機に東京の大企業に勤める釣り好きの晋作(菅田将暉)は、4LDK・家賃6万円の神物件に一目惚れ。何より海が近くて大好きな釣りが楽しめる三陸の町で気楽な“お試し移住”をスタート。仕事の合間には海へ通って釣り三昧の日々を過ごすが、東京から来た〈よそ者〉の晋作に、町の人たちは気が気でない。一癖も二癖もある地元民の距離感ゼロの交流にとまどいながらも、持ち前のポジティブな性格と行動力でいつしか溶け込んでいく晋作だったが、その先にはまさかの人生が待っていた—?!

観る前は映画『釣りバカ日誌』的な釣りをメインにしたコメディ要素のある物語かなと思っていた。実際は東日本大震災以後の三陸に住んでいる人たちと東京に住んでいた主人公が交流するだけでなく、コロナパンデミックの最中が舞台なのでその時に盛んに言われていたソーシャルディスタンスであったり、東京から来た人はコロナを持っているから来ないでください、みたいなことがあったこともちゃんと描いていた。
数年前のことなのにもうだいぶ前みたいなことのように思えてしまうけど、こういうことは映像や文章に残していないと残っていかないし、よほど被害に遭ったりしていない人以外は忘れてしまう。
作中で登場人物の一人が「東京から来る人はコロナを持ってくる」というのは誤解だと正論で話すものの、それを聞いていた別の人物は「田舎の人はイメージなの。テレビとかで見たイメージで東京の人のことも見ているの」みたいなことを言った。この辺りの感覚は実際にそうだろうし、特にテレビとか限られたメディアで情報を得ている高齢者なんかは受け取ったイメージが真実のように感じてしまって、誤解が生まれたりすることになる。
東日本大震災以後であり、コロナパンデミックを描いた映画の中でもトップクラスの出来だと思う。実際に菅田将暉演じる晋作は釣りがしたくてテレワークになったことで三陸の町にやってくるが、よそ者の彼に対してコロナパンデミック中だったこともあるし、彼に家を貸した百香井上真央)とかの関係を疑われたり(誤解に誤解が加わったり)しながら、町の人たちとの交流の中で少しずつ関係を築いていく。
そこまでだったら今までにもあったようなものだが、そこからもう一つ展開があり、そこは原作者の楡さんが経済小説を書いていることも関係していて、地方再生とビジネスの話が入ってきてもう一捻りあるのでそこからさらにブーストがかかる。

宮藤官九郎脚本でいうと同じく三陸と東京を舞台にした『あまちゃん』があるが、そことは違う角度や方向性で三陸(および人口が減っている地方自治体)の復興やこれからの取り組み、そして地方と東京との関係性がクドカンらしいセリフとテンポで進んでいく。
終盤近くで僕はかなり泣いてしまった。そこまでに笑う部分もたくさんあったけど、晋作と百香の関係性においても新しい関係性を模索しているのも素晴らしい。ここは原作とは違うみたいで、クドカンと監督が公開の2025年に見ても違和感のないものにしたのではないだろうか。
そして、東京からやってきた今までほとんど感情を露わにしてこなかった晋作が感情を爆発させるところ、それを受けての町の人である人物が三陸を、東日本大震災で被害に遭った地域の人間として心の底を見せて話すシーンはもう気がついたらどんどん涙が流れていて止まらなかった。
もちろん東日本大震災で被害にあった人たちや近い人はこの映画を観ても現実はそんなに簡単じゃないよというかもしれない、でも、こういう希望の見せ方もあるだろうし、被災地だからとどこか後ろめたさとかある人たちが感じている気持ちを実際に宮城県出身宮藤官九郎山形県出身の岸善幸監督が東北の人間として東京に、そして日本全国に伝えたいものだったんじゃないかなと思った。
観終わって公開したらヒットしていろんな人に届いてほしいと思えたし、こういう笑えて泣ける、その上で働き方や生き方を考えるきっかけになる作品が多くの人に影響を与えるんじゃないかなって、届くといいな。きっと届くはず。
あとスタッフロールを見ていたら衣装が伊賀大介さんだった。伊賀さん本当に映像も舞台もドラマもいい作品にどんどん関わられている。

観終わってからスマホを見ると西田敏行さんが亡くなったというニュースが入ってきていた。『釣りバカ日誌』のことを少し考えていただけになんかビックリした。
福島県郡山に何度か行っているけど、「ミューカルがくと館」という多目的音楽ホールには郡山出身の西田さんが『もしもピアノが弾けたなら』でレコード大賞を受賞したときにゴールドディスクが寄贈されていた。


15時半前に試写が終わった。夕方からもう一件予定があってその場所が目黒駅付近だった。料理研究家Hさんに誘ってもらったイベントだったのだが、電車に乗ってしまっても18時前集合まで時間をかなり持て余すのはわかっていたので、試写室があるビルから目黒駅まで歩くことにした。
マップアプリで見てみると一時間半ほどの距離、今月頭は体調を崩していてあまり歩けなかったのでこの機会に距離を稼ごうと思ったのもある。
きしたかののブタピエロ』を聴きながら東京タワーを横目に三田方面から白銀台をまっすぐ進んでいくと目黒駅近くに出て、目的の目黒ホリックホテルに着いた。
17時過ぎだったが、まだ時間があったのでマップアプリを見ているとそのホテルのある通りをまっすぐ歩いていくと目黒川に出るのがわかったのでそこまで行ってみた。そこで「ああ、ここに出るんだ」と見たことのある川沿いの場所だった。その通りにはビジュアル系バンドの聖地である鹿鳴館があったりして、こうやって普段こない所に来ることで聞いたことのあった場所がわかったり、位置関係がわかるのも歩いていく楽しみではある。
18時前に料理研究家Hさんがやってきて、開場は18時からだったけど、ライブ自体は19時だったこともあり、お互い腹が減っていたので通りを歩いてすぐのところにあった焼き鳥屋に入ってライブが始まるまで飲んで食べた。ほどよく食べたものも美味しかったし、しっかり歩いてきたらビールが美味しくて三杯も飲んでしまった。

7月に初のソロアルバム「dive into」をリリースした Smooth Aceの重住ひろこがリリース記念ライヴを開催。 ライヴ音響に YMO高橋幸宏矢野顕子らの数多くの作品で知られ、 今回のアルバムのプロデューサー、エンジニアの飯尾芳史、 演奏には Smooth Aceデビュー当時から録音、ライヴで多数共演している 旧知のギタリスト石成正人、 初顔合わせとなるキーボード松本圭司、 そして「dive into」でも素晴らしいソロを聴かせる サックス矢口博康を迎えて 「dive into」の歌世界をライヴで聴かせる「live into」。

“1st album 「dive into」 リリース記念” 重住ひろこ(Smooth Ace) ソロライヴ 「live into」

僕たちのチケットはテーブル席だったが、他のほとんどの席やソファ席とかも埋まっていた。年齢層は僕らよりも上の五十代とか六十代が多かくて、若い人はほとんどいなかった。メインである重住さんがベテランで長く活動されていることもあって、そういう客層だったのだろう。Hさんと重住さんがだいぶ前からの知り合いということでライブに、で僕が誘われたという形だった。
申し訳ないけど、重住さんの曲とかをちゃんと聴いてきていなかったが、さすがに歌もうまいし表現力も豊かでYMO関連や CMなどの商業系のお仕事を長年されてきた人の実力というか凄さを見せつけられた。あと演奏陣三人もめちゃくちゃ演奏が素晴らしくて知らない曲でもやっぱりリズムに乗ってしまう。こういうまったく知らなかったミュージシャンの人のライブでここまで気持ちよくなるっていうのはプレイヤーの人たちの実力がすごいということなんだな、とわかる。やっぱり商業の第一線でやっている人ってすごいんだなって改めて思う。


ライブ終わった後にHさんがここ数年行きたくても行けていなかった飲み屋さんが中目黒にあるというのでタクってそのお店へ。
美味しいつまみをつつきながら飲んで話す。今日は久しぶりにビールたくさん飲んだし話もしたし、楽しかったなあ。こういう感じで飲んだり本音を話せる人がいるのはありがたい。何人かそういう人がいて、たまに飲みながら話せるというのはすごく幸せだし、大切な時間だなって思う、っていうかわかる。お店の前で別れて僕はちょっと酔いどれのまま歩いて帰った。一日で21キロちょっと歩いていた。さすがに歩き過ぎた。

 

10月18日
日付が変わった頃に家に着いてそのまま泥のように寝る。6時過ぎにちょっと肌寒くて起きたので、ビンと缶の回収日なので外に出しに行く。ビールを飲み過ぎたのか腹がくだっていた。食べるよりも飲む量が多かったから仕方ない。体調を崩した時用に買っておいたポカリを飲んで横になって、radikoで『ハライチのターン!』を聴きながら目覚ましを8時前にセットし直す。
目覚ましで再び起きたら二日酔いでもなく、いつも通りな感じ。ポカリありがとう。『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』を聴きながらリモートワークを開始。最近は同じ事業部で来月仕事を辞める人がいるので、その人がやっていた作業を何人かで引き継ぐことになったので教えてもらっている。
画面共有して流れを見せてもらうとなんとなくはわかるのだけど、結局自分で時間をかけてやらないと覚えられないし、何度かやっていかないと覚えられないな。すでに一回やってみたけど、僕がやることになる作業も思ったより時間がかかってしまった。どのドライブに必要なデータとかがあるのか、データを格納するのかとかその辺りは慣れるまでやるしかない、というわけで今週は教えてもらうことが多くてちゃんと疲れる。

マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』も聴いたけど、作業が溜まっているから内容はあまり頭に入ってこなかったが、来週のスペシャルウイークのゲストがリボルバーヘッドとFUJIWARAフジモンさんだった。
一年前かな、本当はこの組み合わせでスペシャルウイークのゲストだったが、フジモンさんが車でのことがあってゲスト発表する手前で出られなくなって、代わりにきしたかのの高野さんが出るということがあった。その時からマヂラブの二人が話している内容からゲストがフジモンさんだったのはわかっていたので、今回ようやくという形になるみたい。

仕事が終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。コーヒーをおかわりしてタバコで一服。喉をやりがちなのでやっぱりタバコを吸うならニコラとかに来た時にコーヒーを飲む時だけにしよう。

家に帰ってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、併読している本をちょっとずつ読んだ。ライティング作業もしないといけないけど、昨日飲んであんまり寝てないせいか、歩いた疲れがどっと出たのかやる気が起きずに読書をしていたら寝ていた。

 

10月19日
6時過ぎに起きる。もうちょっと寝たい。7時に目覚ましを再セットしてradikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聞きながら横になっている。少し肌寒い。30分番組だから寝落ちする前に聴き終わってしまい、続けて『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を流していたら寝ていた。すぐに目覚ましで起きることになったけど、ちょっと追加で寝ただけ気持ち的にはスッキリした。
夕方から雨予報だったが昼間は30℃近くまで気温が上がるというのを見たのですぐに洗濯機を回す。洗濯が終わるまで「バナナムーンGOLD」を聴きながら、木山捷平著『駄目も目である』とブコウスキー著『詩人と女たち』をそれぞれ読み進める。
『駄目も目である』は選集なので収録されているものはすでに読んでいるものだが、二回目になるともう少し味わいを感じる。なんだろうなあ、地味なんだけどあるといいなって、季節でいうと秋っぽい、きのこ類が鍋とかに入っていると美味しくなるみたいな、メインではないけどあるといいなみたいなものが木山捷平作品にはある。
ブコウスキーは50歳を過ぎて女性とは四年ほど性的な関係がなかったチナスキー(ブコウスキーの分身)が朗読会とかで出会った女性と、みたいな話でほとんど私小説に近いと思うのだけど、ブコウスキーのイメージとかはこういう作品で広まった部分はあるんだろうな。しかし、酒飲みまくっていたのに長生きしたよなあ、体強かったのはデカい。

洗濯が終わって急いで干して家を出る。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら宮下公園近くのヒューマントラスト渋谷へ向かう。マップアプリだと徒歩だと50分ぐらいかかることになっている。
家を出たのは9時前、観に行こうと思っている映画の上映開始が9時45分からで微妙に間に合わない感じだが、いつも歩いている感覚だと40分前後ぐらいなので間に合う。でも、ちょっと気持ちは早足な感じで「三四郎ANN0」を聴きながら急ぐ。

冒頭からラブレターズの『キング・オブ・コント2024』優勝に関してのトーク三四郎らしいイジり方や小宮さんの話の展開の感じも嬉しいのも伝わってくるし、弾けていてよかった。そして、来週のスペシャルウイークのゲストはふっての都築さんだけは決まっていたが、もう一人(一組)は未定だったけどラブレターズになったと発表。すごくいい、楽しみだなあ。でも、この三人って今のところ11月の三四郎の武道館ライブのゲストではないというか、名前が出ていない。スペシャルウイークで武道館ゲストとして発表するような気もする。
昨日、YouTubeで見たさらば青春の光のサブチャンネルで、『キング・オブ・コント2024』を見ないで予想するみたいな動画で最後にラブレターズが優勝したとわかったら森田さんはモルックで溜口さんが同じチームだし古い付き合いということもあって、感動していた。
東ブクロさんはファイナルに残っていたファイヤーサンダーのこてつが従兄弟でもあり、複雑な気持ちだったと思うがその収録をしている飲み屋に集まっていたさらばと動画スタッフたちはみんな喜んでいた。
ずっと辞めずにやってきた仲間、知っている人が苦節を乗り越えて優勝したこと、もう芸人だけでなく佐久間さんとかお笑いに関係している業界人もラブレターズの優勝に感動して喜んでいた。それは彼らの「人(にん)」というのが一番なのだろう、おもしろいけどテレビとかでブレイクしないとか、ずっとコントをやり続けているとか、あとは本当に二人が嫌われていない時点でいい人なんだろうし、人間として好かれているということが本当にわかる王者誕生だった。

創作関連の何かを続けることは難しいし、辞めたらそれがいけないということでもない。ただ、辞めない人はいわゆる売れたり結果を出して飯が食える少数の人で、あとは辞めたら他に何もやることがない人、辞めることを放棄した人ぐらい、他の人はどうしても家族や個人の人生を考えて食べられないと辞めていく。
僕も後者のタイプだから同じように辞めない人に感情移入しやすい。前者の残っている人たちはその難しさがわかっているからこそ、余計に応援するし結果が出れば自分のことのように喜んでいる。
いろんなジャンルで起こっていることだけど、自分がどうにもならないままで辞めないでいる側だから、ラブレターズのことで感動してしまう部分も正直あったと思う。彼らみたいに戦えてないということはわかっているけれど。

Story
目まぐるしく変わりゆく世界で、変わらない友情など存在するのだろうか―。!
今からXX 年後、日本のとある都市。
ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。こんな幸せな日常は終わらないと思っていた。
高校卒業間近のある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込む。そこでユウタはどんでもないいたずらを思いつく。「流石にやばいって!!」と戸惑うコウ。「おもろくない??」とニヤニヤするユウタ。
その翌日、いたずらを発見した校長は大激怒。学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまう。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。
2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ...。

予告は何度か劇場で観ていた空音央監督『HAPPY END』をヒューマントラストシネマ渋谷のシアター2で鑑賞。週末とはいえ10時前の上映で30人ぐらいは入っていたので単館系作品としては注目度があるんだなと思った。年齢層はかなりバラバラだったし、男女率も半々に近いように見えた。
映画の公式サイトでの著名人からのコメントのところで批評家の佐々木敦さんが「ここには『キッズ・リターン』の北野武と『牯嶺街少年殺人事件』のエドワード・ヤンがいる。」とコメントされていたが、確かにそれがこの映画の説明としてはわかりやすいのかもしれない。

高校が舞台なので、主人公のユウタとコウにとっての敵というか理不尽なシステムや理解してくれない大人というのが学校&校長(佐野史郎)みたいな構造になっているが、物語が進んでいくとそういう簡単な方向に向かわないのもちゃんとしていた。
高校の中に監視システムのようなものが導入されてしまい、それに反抗する撤回するように声を出すメンバーの一人に普段からデモ活動などをやっているフミ(祷キララ)がいて、コウ(日高由起刀)は彼女に感化されるようにその行動に加わっていく。コウは在日3世であり、母は選挙権がないと言っている場面もあるし、永住権の証明書を持っていないということで警察に夜歩いているだけで家まで同行されてしまうなど、理不尽な思いをしていたこともあり、一緒に音楽をやっていてユニットを組もうと話していたユウタ(栗原颯人)と次第に距離や思想のズレが出てくることになる。
この二人の少年は空音央監督の父である坂本龍一の二つの側面の体現者のように見えた。ユウタは音楽家としての部分を、コウは社会活動家としての部分を担っているように思えたが、さすがに意図的にそういうキャラクター配置にしていると思う。その二人が一人になっていた存在が日本を、世界を代表する音楽家だった坂本龍一だった。
ユウタとコウの家庭には母親はいるが、父親の存在はない。おそらくどちらもシングルマザーで母一人子一人という家庭設定だろう。監督の父である坂本龍一の二つの側面を子どもたちが受け継いでいる、体現するように見える展開だが、ここには父性がない。監督自身は坂本龍一の息子ではあるが、ユウタやコウのような環境だったのではないかと、それが投影されているのかもしれないと思った。実際のところどうなのかはわからないけれど。

物語自体は近未来を舞台ということにしているが、ここで空音央監督は父である坂本龍一の影響をしっかりと出し、自分の作品に落とし込んでいる。それだけだったら天才の息子でクリエイティブな人なんだなって話になりかねないが、この映画はショット(画)がいいし、作中に鳴っている音楽も良かった。
佐々木さんがコメントしていたようにエドワード・ヤン的な映像美や構図の素晴らしさがある。そして、メインの二人がそれぞれの道を歩み始め、それでも十代の終わりで18歳になった彼らはまだ終わっていない、何かは終わってしまってもまだ未来がある、可能性があるのだという終わり方はやはり『キッズ・リターン』を彷彿させる。そういうところでもエモーションがあり、エターナルな青春映画になっていた。
メインの二人以外で仲良し五人組の中にいたアタちゃんは『ロストサマー』で主演をしていた林裕太さんでお調子者の良いポジションだったし、ミン(シナ・ペン)とトム(ARAZI)など日本だけでなく、多様な出自を持つ人たちがキャスティングがされている。クラスの同級生もどのくらいか、10人以上は多国籍な出自の生徒たちがおり、それは確かに東京の現在でもあり、近未来ではもっと馴染みがあるものとなっていくものだろう。
実際に東京を歩いていると小学生たちが何人かいると親御さんのどちらかが日本以外の国の出身なんだろうなと思えるミックス(最近はハーフとは言わなくなった)の子どもがいることが多い。そういう同級生がいることが当たり前の子どもたちは幼い頃から僕らよりも多様性が近しいものだし、差別的なことを見たり、友達が置かれている状況などで感じることはあるのだろう。そういう環境にいるから差別的な人間にならないというわけでもないし、そういう環境にいたからこそ差別的になる人もいるかもしれない。でも、そういう子どもたちが未来を担うし、僕らみたいな古い世代なんかではわからないものや繋がりを提示できるんじゃないかなって思う。この映画はそういう部分でもちゃんと未来に向かっている。
あと校長の秘書的な役割の平という役どころを以前は「ぺろぺろ」(会田誠さんによる命名)という名前で活動していた矢作マサルさんで、けっこういろんなシーンに出ていたので、ちょっとした顔見知りなので良かったなと思った。いい映画に出てるのは大事だよね。

夕方駅前のキャロットタワーに行こうと家を出たら今日明日は「三茶de大道芸」だったので、近所の商店街でもパフォーマンスが行われていて、駅前は大きなステージと人だかりができていた。
住み始めて10年以上経っていて、自分が積極的に参加したりするわけではないけど、サンバもだしこういう祭りみたいなことがある町はいいなって思う。個人がやっている飲食店もまだ多いし、住んでみたら下町感も多少あって人工的な味気ないところでもない。こういう町の魅力ができるだけ続いてほしい。

Scene♯2(前編) トーキョー・シネマテック 「来てるね、未来 デザインにシビれるSFコスチュームから、技有り着こなしSFルックまで」


家に帰ったら宇多丸さん×伊賀大介さんの第二弾がアップされていた。本当に前の時にも日記に書いたけど、編集者はこのトークを対談本にして出したほうがいい。映画とファッションのいい教科書にもなるし、それぞれのジャンルを目指している若い人には本当に知らないことを知るきっかけになるし、絶対にやったほうがいい。

夜はもうライティング作業。今やっているものをしっかり最後までやる。月末まで決めたスケジュールでなんとかする。あとは体調崩さないとかそういうことをしっかりやる。


夕方に駅前に行った時に買った燃え殻著『明けないで夜』を寝る前に読む。燃え殻さんのエッセイは日中というよりは夜にのんびり読みたいような感じがする。日常に起きる事柄や誰かとの関係性ややりとり、忘れられない光景や言葉は日中というよりは陽が沈んでから、世界が暗闇に染まっていくと自分の中に蘇ってきたり、不意に現れたりする。そんな読者の孤独と寄り添ってくれるエッセイになっていると感じる。
燃え殻さん自体が体験したこと、忘れられないことが綴られているのに、どこか他人事ではないように思えるのは彼の視線や人との接し方や距離が文章として伝わってくることも大きいのだと思う。
どこか頼りないような、ずっと抱えてきたものが決して晴れることはないような、どうしてこんなことになってしまったんだというような諦めに似たような、そんなものもエッセイから感じられるが、それでも時にはどこかの温泉街に仕事をブッチしてでも逃亡して、あるいは馴染みの飲食店やバー、知り合いに会うことのない場所へ燃え殻さんは逃避行する。そうやって日々を乗り越えていく、それを読んだ読者は逃げられなくてしんどくなって、ギリギリのところでいる人には逃げていいんだという希望にもなる。
ずっと逃げ続けることはできないけど、死んでしまうかもしれないほど追い詰められていたら逃げたほうがいい、誰かに迷惑はかけるとしても誰もが誰かに迷惑をかけて生きている。もちろん、そういう時に「仕方ないな」と言ってくれる人がそばにいればいいのだけど、そんな人がいてくれる状況なら逃げたいと思うほど追い詰められないかもしれない、だから、背中を押されるのだろうし、いざとなったら「ここから」出ていけばいいんだと思える。そういう優しさと夜に忍び込むような自分を消したいと思う時に、孤独だなって感じる時に寄り添ってくれるのが燃え殻さんのエッセイだと思う。

 

10月20日
7時過ぎに起きる。肌寒いので布団に入ったままでradikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』とTVerで『ゴッドタン』を流しながら朝読書。

 ずっと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついているように思われるので、夢との堺目は一そうおぼろげになってしまう。それほどうつろいやすい現実の記憶とは、もはや夢と次元の異ならぬものになったからだ。
 きのう逢った人の名さえ定かに憶えていない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び起されるさまは、今朝通った見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のほうがあざやかなことにも似ていた。人の名は三十歳をすぎると、剝落する瀝青のように次々と忘られてゆく。それらの名が代表している現実は、夢よりもはかない無用のものになって、日々の生活からこぼれ落ちてゆくのである。

三島由紀夫著『奔馬豊饒の海・第二巻―』P10より

『春の雪』が読み終わったのでそのまま「豊饒の海」シリーズ第二巻『奔馬』に突入。冒頭すぐにこういう文章があった。「過去は無数の変容に歪んでみえる」という文章もだが、未来は可能性や輝かしいものには見えず、過去に可能性などを求めてしまうというレトロピア的な感性がここでは語られているように見える。
豊饒の海」を執筆している時点で小説家の三島由紀夫としては最後の作品だと決めていたはずだし、書き終わったら本名の平岡公威として死のうとしていたのだから、ここで書かれている事柄は彼の死生観だけでなく、残り続けるものにしようと思っていたのだろう。実際に三島由紀夫という名は残り、作品も読まれ続けている。
第一巻である『春の雪』ラストで主人公の松枝清顕が死んでしまい、彼を京都に迎えに行き東京に連れ帰った親友の本多は今作では20年の時が経ち、38歳で子どもはいないが所帯を持ち、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっている。
第二巻以降から本多は清顕の生まれ変わりのような存在に出逢いながら、しかしその人物はなんらかの出来事で死んでしまうという展開になっていく。三島は本多ではなく、松枝清顕の方が近いとは思ってしまう。ただ、三島にとっての本多はいたのだろうか。

8時半過ぎに家を出る。肌寒いので薄手のカーディガンを着たけどそれでも風は冷たくて秋というよりも冬に近づいているようだ。数日前に30℃越えの観測史上一番遅い真夏日だと言っていたのに、寒暖差が激しすぎる。みんな体調を崩してしまう。結局、夏場にまた流行りかけたコロナはどうなったのだろうか、今年のインフルエンザは大丈夫なのだろうか、もちろん選挙は投票もするけど、そういう情報が入ってきていない気がする。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら、いつものように代官山蔦屋書店まで朝散歩。この前オードリーがメインでやったライブがあって、事務所の先輩である原口あきまささんとはなわさんも出てくれたらしく、ライブや打ち上げの話なんかをしていた。
オードリーの二人が「M-1グランプリ」で敗者復活からの準優勝をしてからブレイクしていくまでの売れない時に可愛がって面倒を見てくれていたのがその二人と亡くなった前田健さんだという話はラジオでも何度もしているし、多少オードリーの番組を見たりしている人がいたら知っている。
打ち上げの時にマエケンさんと「今、しゃべりたいなあ」と若林さんが言ったら、先輩二人も涙したっていう話があって聴きながら泣きそうになってしまった。今年に入ってから僕の涙腺はあまりにもゆるすぎる。
蔦屋書店について小説とかを見ても欲しいものはなかったのだけど、今月末に応募するために書いている小説の主人公のイメージにしている人に関係する書籍があったのでこのタイミングかなと思って購入した。脳内では勝手にその人の写真が使われた装丁が浮かんでいた。このイメージが実体化したら、そうなればいいなと思う。

家に帰ってから昼ごはんを食べてライティング作業をしようかなと思っていたら、友人AからLINEがきた。Aが数日前に旧TwitterことXに『SUPER HAPPY FOREVER』という映画をたまたま時間が空いたので観たらすごく良かったとポストしていて、それを見ていたのだけど、その映画に関して僕が好きであろうということと監督と感性が近いと思うから観に行ってみてというものだった。というわけで映画館のスケジュールを見たら16時半ぐらいからの上映があったのでチケットを取った。
下北沢駅のところにあるK2エキマエシネマは歩いて30分もかからないので16時になる前に家を出た。昨日から「三茶de大道芸」が始まっていて、演奏をしていたり、緑道沿いの道では露天というか工芸品などの出店が出ていて人で溢れていたので茶沢通りに出るまでいつもより時間がかかってしまった。

Story
2023年8月19日、伊豆にある海辺のリゾートホテルを訪れた幼馴染の佐野と宮田。まもなく閉館をするこのホテルでは、アンをはじめとしたベトナム人の従業員たちが、ひと足早く退職日を迎えようとしている。佐野は、5年前にここで出会い恋に落ちた妻・凪を最近亡くしたばかりだった。妻との思い出に固執し自暴自棄になる姿を見かねて、宮田は友人として助言をするものの、あるセミナーに傾倒している宮田の言葉は佐野には届かない。2人は少ない言葉を交わしながら、閉店した思い出のレストランや遊覧船を巡り、かつて失くした赤い帽子を探し始める。

夕方からの上映だったがお客さんが半分以上は入っていた。二十代ぐらいだったりと若い人が多かった。二日続けて「HAPPY」がタイトルにつく映画を観ることになるとは思わなかった。
昨日の『HAPPY END』は近未来を舞台にしていることもあるけど、少年たちが未来へ向かう物語であり、その舞台においては現在進行形で進んでいった。今日の『SUPER HAPPY FOREVER』は現在の妻を亡くした主人公の佐野とその友人の宮田が熱海のホテルに宿泊している所から始まり、五年前にそのホテルで佐野と妻となる凪が出会った時間軸になり、最後には現在に戻って凪との思い出の赤い帽子を探しているが見つからない佐野の姿と、その赤い帽子の行方が描かれるという構成になっていた。
そのため、今作の方が過去に物語の比重が置かれていて現在の佐野はメランコリックな感じがあり、過去の彼はロマンティックな感情を抱き始める、恋の始まりを感じている若さに溢れた姿であり、凪を失ったことで彼の青年期が終わったかのようにも見える。オススメしてくれた友達はそういう感覚の部分が僕の感性に近いと思ったのかな、たぶん。
佐野と凪が出会って時間を共にするわずかな時間、凪は佐野からもらった赤い帽子を翌朝散歩に出た時に無くしてしまい、探し続けるが見つからない。二人ともその日に帰ることになっていて朝食を一緒に食べようと約束していたが、探し続けていた凪がホテルに戻るとチェックアウトを過ぎた11時になっていたのだが、その後に佐野と再び会うという偶然だけどそれが運命のように感じられる瞬間が訪れる。そして、そのホテルには五年前からベトナムからやってきて働いているアンという従業員がいて、凪は滞在時に彼女と会話を何度かして交流をしていた。そして、現在佐野と宮田がやってきた時にはホテルは月末で閉館が決まっており、ベトナム人の彼女たちは佐野たちが滞在した翌日に退職することが決まっていた。
凪はホテルを出る時にアンに赤い帽子がもし見つかったら持っていてほしいと頼んでいた。いつかこのホテルにまた来るからと。物語の終盤では佐野と凪の出会いの日とその翌朝を描いてからホテルを退職するアンの物語になっていく。その終わり方がとても良かった。赤い帽子がキーアイテムだったのでヴィム・ヴェンダース監督『パリ、テキサス』ぽくもあるなと思えた。
刹那と永遠の中に想いは残る。偶然が重なることで人は出会うし別れていく。登場人物たちがなんだか気になってしまう。彼らが佇んでいるシーンはどこか詩的であり、現在から過去、そしてそれを繋ぐ赤い帽子という構図がどこか物悲しくも美しい、
でも、僕らもそんな時間を生きているし、触れたことはある。だけど、それはもう手には触れられなくて記憶の奥底にしかない、いつか大切な人の顔も声も後ろ姿も薄れてぼやけていく、それでもどこかに残ると信じている、いや残っていると思わないとこの現実はあまりにも辛い。だから、僕たちは物語を作り、言葉を紡ぎ、音を奏でる。そして果てる。

ドレスコーズ【LIVE】「スーパー、スーパーサッド」(from 『ドレスコーズ+柴田聡子inFIRE』) 


タイトルからの連想でこの曲のことが浮かんだので帰る時に聴いた。
スマホにメッセージが届いていて、アパートのことに関することだったので折り返して大家さんと電話。もしかするとユニットバスを交換するかも知れず、その場合は隣の部屋が来月退去するので工事期間は隣の部屋を使ってもらうかもしれないと言われる。そういえば、たまに見る占いで10月のところで「居場所が動く」とあって、引っ越しとか何らかの「生活環境の変化」を感じるイベントが起きそうですとあったのを思い出した。もしかしてこれ当たるのでは?

 

10月21日
目が覚めてトイレに行って時計を見たら深夜の2時過ぎだった。寝てから一時間も経っていなかった。部屋が思ったよりも寒いからそれでトイレが、ということもありそうな。そのまま日付は変わっていたので可燃ごみを出しに行く。布団に入って目を閉じていたら今度はぐっすり。
7時前に目が覚めたので朝のルーティンがてら読書を少ししてから朝食がてら飲んでいるトマトジュースを一杯飲んだ。一年ほど飲んでいるので今年の人間ドックの時にちょっとは血液の状態がいいといいけど、今年になってからタバコを吸うようになったのでプラスマイナスで考えたらマイナスなのかもしれない。
いつもの時間からリモートワークを開始。と日記で書いていて僕はずっと「リモートワーク」としているけど、人によっては「テレワーク」という、結局違いってあるんだっけ。そんな疑問が沸いたのは映画『サンセット・サンライズ』で主人公の会社がコロナパンデミックに入って「テレワーク」を社員にするように促したのを見たからだと思う。
調べてみると「テレワーク」も「リモートワーク」も意味はほとんど変わらない。だけど、「テレワーク」は厚生労働省によって定義されているが、「リモートワーク」は定義されていないらしい。どうでもいい情報。

昨日夜にradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』は聴いてしまっていたので、作業用BGM はSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを流していた。でも、ずっと同じ声が聴こえているとつまらないというか、飽きちゃうのでYouTubeのダウ90000の動画とかTVerで『やりすぎ都市伝説』を流して凌いだ。
昼休憩で駅前に行ったけど、気になる本はなかったので帰り道のから揚げ屋さんでカレーと一緒に食べる惣菜のメンチコロッケを買った。

昭和の高度経済成長期と現代を結ぶ、70年にわたる愛と青春と友情、そして家族の壮大な物語!

本作は、1955年からの石炭産業で躍進した長崎県端島と、現代の東京を舞台にした70年にわたる愛と友情、そして家族の壮大な物語だ。

戦後復興期から高度経済成長期の“何もないけれど夢があり活力に満ちあふれた時代”にあった家族の絆や人間模様、青春と愛の物語を紡いでいく。同時に、現代の“一見して何でもあるけれど若者が夢を持てない時代”を描き、過去から現代に通じる希望を見つけだす、時代を超えたヒューマンラブエンターテインメントである。

昼ごはんを食べながら昨日から始まった日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』一話を見る。塚本あゆ子監督×野木亜紀子脚本で現在の物流問題を扱った映画『ラストマイル』は大ヒットして興行収入でもよい成績が上がっているが、このコンビによる初めての日曜劇場は戦後日本の高度経済成長を支えたエネルギーを産出していた端島と2018年の東京を、70年のスパンで描くというある種の「サーガ」ものになっていた。
「サーガ」は三世代ぐらいを描く、人間生きてもたかたが百年、祖父母・父母・自分、父母・自分・子供、自分・子供・孫、その想像力が必要だし、物語ならそれを伝えられる。大江健三郎中上健次が「サーガ」的なものとして、現在読まれることは減っているだろうけど、僕が好きなのは彼らの物語は百年を超える想像があるから。
冒頭の2018年に出てくる謎の婦人であるいづみ(宮本信子)が、1955年の端島にいる朝子(杉作花)と百合子(土屋太鳳)とリナ(池田エライザ)というスリーヒロインのうちの誰の後の姿なのか、色々と匂わせつつ今のところは誰かわからない演出がされている。ただ、最初に羽島から子どもを連れて船で逃げようとしているリナの姿があったので、普通に考えれば彼女なのだろうけど、その謎も今後の楽しみになりそう。
このドラマはぜひヒットしてほしいし、オリジナル作品で戦える人たちが結果を出してほしい。原作ものが悪いわけではないが、原作ありきではないと企画が通らないとかそういうことをしていては誰も幸せにならないと思う。今クールはこのドラマは最後まで見る。


先週出社した時に神保町の東京堂書店に寄った時に大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を買っていたので、最近の併読の中に入れて読み始めていた。
大江健三郎さんの擬似自伝と言われている作品で、「ギー兄さん」という人物が出てくる。「ギー兄さん」は他の作品でも出てくるし、大塚英志著『摩陀羅 天使篇』でもここから取られたであろう「ギー」という青年が出てくる。だから、僕は先に「ギー」の方を知った。
『海に眠るダイヤモンド』の2018年の時代に出てくるいづみを演じているのは宮本信子さんだから、伊丹十三監督のことがちょっと脳裏に浮かんだ。
「ギー兄さん」のモデルは伊丹十三監督と言われている。大江さんの妻が伊丹さんの妹なので義理の兄弟であり、高校時代に大江健三郎は年上の伊丹十三によってランボーの原語の詩集を与えられるなどの文化的な手ほどきを受けたとwikiにも載っているほどであり、人生で大きな影響を受けている。偶然だけど、僕の現在の読書とドラマが何かシンクロしているような気がした。

リモート終わってからSpotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』最新回を聴きながら少し読書。ラインギフトを受け取れなかったというリスナーからの相談メール、そういうのをあんまりしたことないけど、ナマモノだと受け取り期限が少ないんだなということを知った。PayPayかも使ってないし、お会計する時に割り勘にして半分とかぺいぺいで相手に送るみたいなこともないんだよなあ。

それからライティング作業に。夕方にリモートワークで作業している時に思いついたことがあって、昨日観た『SUPER HAPPY FOREVER』の構造みたいなものって、自分の作品でもできるだろうし、前に書いて新人賞に応募しても一次選考は通過したけど二次にはいけなかった作品をその構造に当てはめてリライトできそうだった。
何年か前に書いているので使えるのは登場人物とエピソードだけだし、それ自体もコロナパンデミック前の出来事を描いていた。だから、最初はまず現在のことを追加で書いてから、過去のことをアレンジしてリライトして、最後にその物語に通じる、映画だと赤い帽子だったけど、そういうアイテムでもいいしメインの登場人物と関わりのあった人物で締めるというのもありだなって。とりあえずその作品をその構造に分けて登場人物たちのキャラクター表を新たに作成した。今書いているものが一番だけど、これは来年とかに執筆できたらいいかな。

 

10月22日
6時過ぎに目覚ましで起きるけど、疲労が取れていない感じがした。昨日そんなに歩いてないし、どういう疲労なのだろう。トマトジュースとビタミン剤を飲んでから布団に戻ってradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら寝転んだまま読書。
井伏鱒二著『荻窪風土記』を読んでいると「阿佐ヶ谷将棋会」という集まりのことや太宰治も出てくるが、木山捷平の名前もちょこちょこ出てくる。この前どのくらいぶりかわからないけど、『山椒魚』を読み返したし、実は読んだことのない『黒い雨』もこの次ぐらいには読まないとなって思うようになった。
続けて木山捷平著『駄目も目である』である収録の『下駄にふる雨』を。こういう短編集とかは読める時には一編全部を読むようにしている。木山捷平作品は講談社学芸文庫に収録されていたものをわりと読んでいるけど、彼の短編は確かに噛めば噛むほど味が出るというか派手さはないものの、市井における生活の色や匂いや音がちょうどよく届いてくるし、ユーモアがあって温かみも感じられる。
その後に三島由紀夫著『奔馬』、中上健次著『地の果て 至上の時』、大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を読むとこちらは重厚で読んでいると疲れてしまうような描写や展開だったりする。
興味がある小説や作家から興味が広がっていき、いろんな小説家の作品に触れるようになると好き嫌いや合う合わないということはあっても、いろんな作品があることが素晴らしい。現在進行形の作家たちもこれから出てくる作家たちもいるし、すでに作品を残して亡くなった作家たちもいるし、よりどり緑で興味の赴くままに読書という終わりのない趣味は自分が死ぬまでは続くだろうなって思う。


10時を過ぎたのでとりあえず、今回の選挙の投票日である27日はZAZEN BOYSの武道館ライブということもあり、いつも投票日より前に期日前投票しているので行ってきた。僕の投票する選挙区の候補者を見ると選択肢は一人しかいなかった。政党に関してはこのエリアには出馬していないところに入れた。そこがこれ以上その政党の議員を減らすと自民党公明党や維新とかヤバいところにちゃんとしたことを言える人が減ってしまうのだけはどうしても避けたい。
脱税とかしている政党に入れる意味もわからないし、禊も何にもしてないけど、それでも投票に行く人の多くは今までのように彼らに入れて政権与党のままにするのだろうな、とは思う。
失われた30年がさらに終わらなくなり、誰も責任も取らないままだ。安倍政権は僕にはオウム真理教と裏表の関係にしか見えなかった。オウム真理教がやったのは日本国に住んでいる人たちへのテロリズムだったが、安倍政権もそれをやっていたと思っているし、今でも国賊だと思っている。
しかし、国賊が政権与党なら是正されることもないし、そもそも第二次世界大戦による敗戦以降、この国はアメリカの属国でしかないのだからアメリカに逆らわない政治家や政党に権力が集まるようにできている。その構造やシステムはもう変わらない。結局、明治維新も侍のクーデターだったわけだし、国民の諦めや意識が変わらないのは民衆による民主的な革命が起きたことのない国だからなんだろうなって韓国の映画や小説に触れると思う。でも、諦めないし大きなものに何も考えずに従うのだけは嫌だ。


13時までライティング作業をしてから渋谷へ。最近は前日深夜放送のラジオを聴き終わっていたら、Spotifyポッドキャストで『きしたかののブタピエロ』を聞いて散歩している。今は2023年10月放送分、やっと一年前までたどり着いた。
シネクイントのポイントカードが一枚溜まっていたのでPARCO渋谷内のホワイトシネクイントでヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』の鑑賞チケットに交換。
オズワルドシアターの試写で観て、公開日の夜とその翌日朝に観ているのでこれでスクリーンで観るのは四回目。同じキャストが三つの章ごとに違う人物を演じているのだけど、昨日思いついた作品はこの映画とは違うけど、現在―過去―現在みたいな流れにしようと思ったのでなんかイメージが沸きやすいかなって思った。
ということで最初の章が上映中はずっとそのアイデアのことを考えていたので話をちゃんと観ていなかった。でも、もう内容はわかっているので問題はない。個人的にも3、2、1という順番で物語としては好きということもあった。やっぱりラストでの悲劇的すぎるが故に喜劇になってしまう件で笑ってしまった。
文章だと役者が同じだけど違う役をやるという表現はできないから、まったく違う三つの物語だけど、出てくる登場人物の名前は同一のものを使うみたいなことになるのだと思う。そう考えると叙述トリックみたいになりかねない。

家に帰る頃にSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされていた。
「アルピーしくじり」は特別編ということでこれまでの過去回を振り返るというもの、一回ブレイクみたいな感じなのかな。「あの粗品」は粗品も前回よりは元気な感じに聴こえたけど、ずっとポケモンのキャラクターの話だったのでポケモンを通っていない人間としては知らない固有名詞の連発だった。やっぱりポケモンとハリポタはちょっと下の弟妹世代が第一世代なんだよなあ。だから、まったくわからないまま

寝る前に今日からテレ朝で始まったドラマ『民王R』をTVerで見る。前作を見ていないけど、今の政治状況への皮肉にあってコメディとしても楽しめた。このドラマにあのちゃんが出ていて、一話ではかなり大事な役割で前に出る状況が多かったけど、この人演技もできちゃうしどんどん進化しているように感じる。
火曜日はテレビではこのドラマにMCの音楽番組『あのの電電電波』に、Spotifyでは『あのと粗品の電電電話』が配信されて、深夜帯で『あののオールナイトニッポン0』とあの無双状態になっている。
次にツアーする時にはもう武道館クラスでやるんじゃないかと期待している。そういう大きな区切りの後に一度芸能活動休止とかちょっと休みをとるタームに入るんじゃないかなって思ったりもする。
ここまで露出して働いているのって異常だし、肉体的もだけど精神的に大丈夫なのだろうか、とちょっと心配になる。でも、彼女は音楽をやりたくて活動しているのはわかっているから、ある時期に音楽活動だけに移行したりするかもしれない。
ファンとしてラジオとか色々と楽しませてもらっているので、大きな力や思惑にではなく、あのちゃんが選んだ方向に向かえるといいし、そのために今死ぬほど仕事をしているのかもしれないなって思う。

 

10月23日
6時過ぎに起きるけど、今日もなんだかすぐ起きて何かやるっていう感じではなかった。寝転んだままradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていたら寝落ちして8時前に起きた。『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら朝読書を少ししてから、リモートワークを開始。
「爆笑カーボーイ」は亡くなったピーコさんの話を太田さんがしていて、「あれほど優しい人いない、残酷なほど優しい」と語っていた。その後には西田敏行さんの話になっていて、太田さんが好きな人やものを語る時、なんでこんなに心に刺さるんだろう。太田さんも優しい人には違いない。

何かの番組でピーコさんと対談した時に、「今こうしてたくさんテレビに出始めて、とんでもなく忙しいでしょ? でもね、消費される側に回るとね、たとえどんなに暮らしが豊かになってもね、5年もすれば枯渇するのよ。それは覚悟しておきなさい。あなたが30年以上かけてインプットしてきた経験や知識も、一度すべて空っぽになるから。私もそうだった。全部の引き出しがすっからかんになった。だけど忙しいとインプットが追い付かない。それからが勝負なのよ」と言われたことを、今でも折に触れて思い出します。

追悼・ピーコさんとの記憶「人として、男として、オカマとして」 ミッツ・マングローブ

TwitterことXのタイムラインにこの記事のことがポストされていた。こうやって亡くなった時に優しいって言われるような人にはなれないだろうけど、それでもちょっとは優しい人になりたいって、一番難しいよね。

部屋の中はちょっと寒いぐらいで窓の外も曇っているのかなんだか薄暗い気がする。天気予報を見ると午後から雨っぽい。家で作業をするし、休憩時間も自分で自由に決めているから雨ができるだけ降っていない時間に出ることができるのはありがたい。
「爆笑カーボーイ」の後はいつもの『星野源オールナイトニッポン』ではなく、『ニセ明のオールナイトニッポン』(ゲスト:雅マモル)を。星野さんのオルターエゴ的な存在のニセ明で番組をずっとやるというスペシャルウイーク企画で声優の宮野真守でもある雅マモルと一緒に放送するというものだった。
僕は正直ニセ明をあまり楽しめていないのもあるのだけど、そこにもう一人加わることでよりカオティックさも出ていたし、真面目にふざけているんだろうなと思えた。でも、好きか嫌いかというよりも合うか合わないかと言われたら合わない。でも、最後まで流して聴いた。


傘がいるかいらないかぐらいの雨の中、休憩に出て駅前に向かう。本日発売になった古川日出男著『超空洞物語』をTSUTAYA書店で購入。『群像』掲載時に『うつほ物語』というタイトルで読んでいたが、この新しいタイトルと装幀で完全体になったように思える。
パッと見で装幀が水戸部功さんだとわかるが、『群像』で連載していた『おおきな森』以降で単行本化した四冊(『おおきな森』『ゼロエフ』『の、すべて』『超空洞物語』)全部を水戸部さんが装幀を手掛けている。
古川さんのデビュー10周年記念(2008年)でもあったメガノベル『聖家族』単行本は菊地信義さんが装幀を手掛けていた。そして、それ以降のデビューから2013年(『南無ロックンロール二十一部経』)、2018年(『とても短い長い歳月(THE*MEGA MIX 作品集 PORTABLE FURUKAWA)』)、2023年(『の、すべて』)という周年時には古川さんも代表作になるような作品を執筆して刊行しているが、2013年以降は菊地さんの弟子筋である水戸部さんが手掛けている形になっている。それだけでも特別な時には水戸部さんが装幀をやっているという認識だった。『群像』に掲載した四作品が単行本化される際には水戸部さんが装幀をやっていると考えたら、その作品たちは古川さんにしたら記念となる周年の時に出すほど力を入れている作品ということでもある。

家に帰ってきてからお昼ご飯を食べながら、『あののオールナイトニッポン0』を聴き始める。スペシャルウイークはフワちゃんの前に月曜「ANN0」を担当していたファーストサマーウイカがゲストだった。
後者は大河ドラマの二番手になり俳優としても世間的に知られるような存在になった。前者はポストひとつで芸能界から葬られた。フワちゃんの件におけるXの炎上はなんというか、かつてミゼットプロレスのことでいろいろと文句を背景もわからずに言って、それを食い扶持にしていた小人の人たちの仕事を奪ったことに似ているようにも思える。ミゼットプロレスに関しては差別とかがあるから違うのだろうけど、他者や外部が勝手な正義感で当事者たちを苦しめるという構造は変わらないと思うし、そういう陰湿さみたいなものが政治とか社会への不満として権力に向かわないところが日本らしくて最悪。
あのちゃんとファーストサマーウイカの二人はアイドル時代からの知り合いであり、なんか地下芸人が売れて地上波のバラエティに一緒の番組に出てるみたいな戦友意識も感じる内容だった。
ファーストサマーウイカが「ANN0」をやっているときはわりと下ネタが多かったけど、ゲストでやってきてそのテンションが久しぶりに聞けたのも嬉しかったし、あのちゃんとの凸凹に見えるようなやりとりは不思議と耳心地が良くて、下ネタもどんどん話すし、共通言語がある人たちなんだなってわかるのもよかった。90分ぐらいあっという間だったなあ、またゲストというのもあるけど、「あのANN0」のイベントやることがあったらファーストサマーウイカをぜひ呼んでほしい。


リモートワークが終わってからニコラでアルヴァーブレンドで一服。カウンターで小一時間ぐらい、アイノブレンドもお代わりして、タバコもちょっと吸った。
前に来ていた常連さんが8年ぶりに来たという話をうれしそうに曽根さんが話していて、その人も色々と大変なことがあったけど、だいぶ期間が空いても来てくれたことがうれしかったのも伝わってきたし、最悪なことが起きてもやっぱり生きていればまた会えるし、話せるということだけが希望というか、なんかそういうことだと思う。

【祝!KOC優勝】ラブレターズ 芸人人生を変えた言葉ベスト5!太田光代社長からの衝撃の一言・憧れのバナナマン設楽から得た教訓・師匠大竹まことから授かった金言の数々


家に帰ってからYouTubeで『佐久間宣行のNOBROCK TV』のラブレターズゲスト回を。いやあ、一位から五位まで本当にすごいなって思う言葉だったし、その人が言ったからこそラブレターズの二人に届いて響いたんだと思えるものだった。しかし、一位と二位の二人の言葉はしびれるし、特にその人たちの影響を受けている二人には金言であり、指針になったのもわかる。
いやあ、ずっとコントを作り続けてきて形ができあがったけど、コンテストで勝ち抜けない、芸人として売れきれない理由を突破する言葉もかけられていて、その言葉にハッパをかけられてこの数年で溜口さんがどんどんキャラクターを強くしていった。それが優勝に結びついているとか、長くやっている人ということだけでもすごいのに、周りにいた人たちの言葉をしっかり受け取って実行する人たちだから栄光が微笑んだんだろうな。

 

10月24日
7時過ぎに起きて朝のルーティンの読書をしながら、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を流す。今週スペシャルウイークのゲストは手越祐也さんだったが、出てくるエピソードが豪快だった。佐久間さんが「松方弘樹さん」の名前を出していたけど、その場にいた身も知らない人と飲んだり、その人たちの飲み代を奢ったりと昭和の映画スターみたいな豪快なことをしているという話とか、人間・手越祐也の魅力が伝わってくる内容になっていた。
僕は元NEWSでアイドルというぐらいの認識しかなかったけど、これを聞いちゃうと気になるというかファンになってしまうような人だった。このラジオ自体がマスコミ関係やエンタメ業界の人たちもたくさん聴いているから、手越さんの露出どんどん増えるんじゃないかな。

横軸だけを意識していると相対的になる。要するに「誰が・誰よりも・何々だ」の罠に落ちる。それでは駄目だ。絶対的な芯が欠かせない。そういう絶対性に自分を(あるいは自分以外のいろんな人たちを)触れさせるのは? ひとまず縦軸だ、と私は直観しているのだった。それは同時代性ではないのだから、時間が前か後ろに伸びる。未来あるいは過去。実際にたどれるのは? 過去だ、と即答できる。

だからこそ、と振りかぶりはしないけれども、私は日本最古の長篇小説である『うつほ物語』(かつては『宇津保物語』との表記で紹介されることも多かった)に直接に対峙した。しかし、それだけでは「古典やってる」のひと言で、やはり同時代アディクトの趨勢からは黙殺される……はずだろう。だったら「古典やってる」を「超・古典やってる」に変えるという手しかない。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #01】

発売になったばかりの『超空洞物語』の著者解説がアップされていた。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの楽曲をSpotifyでリリース順に流しながら、単行本を読み始める。
半分過ぎたところで一旦読むのをやめて、お昼のご飯を買いに外に出る。夕方から天気が崩れるみたいなことだったけど、曇り空でちょっと湿気があるけど暑くはない。
昼ごはんを食べてからも菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴きつつ、15時までライティング作業をする。元々長編にするつもりでその第一章にする予定だったものをそこだけ独立させて成立させようとしているから、当初作っていたキャラクター表も他の章と関わる人物とかも減らしたりしてできるだけシンプルにしようと思っていた。やっぱり内容に関わる人物はちょっとだけでも出さないとエピソードが作れないので、登場人物はそこそこ多くなってきた。
長編にするときのタイトルはすでに決めていて、それぞれの章タイトルは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのアルバムから取っていた。しかし、今回独立させたのでそこも変えた。個人的には今つけているタイトルから伝わる「喪失」というか何かが損なわれた感じがちゃんと伝わるようになるといいのだけど。

15時過ぎに家を出る。目的地は有楽町だったのでTOHOシネマズ日比谷に行く時の道程で計算したら二時間半以内には着くイメージ。湿気があるせいで一応寒くなると思ってきてきたカーディガンのせいで汗ばんでくる。
最初の一時間はまた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。聴き終わってからは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新アルバム『天使乃恥部』を聴きながら歩く。いつもの青山墓地、乃木坂に赤坂に首相官邸に国会議事堂を通り過ぎる。


日比谷公園を横切っていたらずっと工事中で中が見えないようにしていた壁がなくなっていた。結局、噴水もそのままだし、大開発って感じではなかったのかな。緑の芝生の部分はなんか思ったより面積がない感じがした。両脇とかの通路がわりと広いせいなのか。


有楽町駅近くの目的地に着いたのが17時過ぎで、開場が18時15分と約一時間ほど余裕があったので周りをブラブラしていた時に、そういえば八重洲ブックセンターが新しくなったけど一度も行っていないと思ったので行ってみることにした。
大通りを東京駅方面に向かって歩いていく。海外から来た人が有楽町も多いけど、このエリアだと彼らは何を求めているんだろうか、ほんのたまにしか来ないし、来ても映画関連の時か有楽町ホールのライブぐらいなのでよくわからない。
途中、地下通路を降りると地下街が広がっていた。奥の方に八重洲ブックセンターの新店舗があった。やっぱり何階もあって自社ビルなのかデカい建物だった時の大きさを知っているとこんなに小さいのって思えるサイズになっていて、在庫数もまったく違うし、駅を利用する人がよって新刊とかを買うみたいなお店なんだろうな。

18時を過ぎる頃には有楽町の方へ戻っていて、有楽町マリオン別館七階にある「I'M A SHOW」に開場時間が来てエレベーターで上る。今日は『天使乃恥部』リリースのレコ発的な菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール公演を鑑賞。
ずっと楽しみにしていたので来れてよかった。初めての会場だったけど、天井も高くて作りはホールみたいな感じに近い、座席は前から三列目の真ん中エリアの通路寄りの場所だったので弦楽四重奏チームの正面に近い、真ん中に立っている菊地さんもすごく見えやすいいい席だった。
エレベーター出てすぐに「I'M A SHOW」になっていて、そこでチケットの確認とワンドリンクのお金を払って引き換えたドリンクチケで飲み物を頼んでから中に入るという導線だった。やっぱり開場すぐは人がたくさんいるから追いついていなくて、正直この導線はあまりよくない。入り口付近が渋滞していたからそこはちょっとストレス溜まりそうだし、そこだけは気になった。
お客さんはさすがに年齢層が高くてやっぱり四十代五十代が多くて、二十代とかは少なかった。女性は着飾っている人が多いのも菊地さん関連のライブの特徴だなって思う。ドレスコードがあるわけではないけど、菊地さんの音楽を好きな人はやっぱり衣食住にこだわりがあったりするのだろうし、特に色気のある菊地さんだからこそ女性はよりオシャレをしてきているんじゃないかな。


『色悪』という曲は以前は『機動戦士ガンダム サンダーボルト』のサントラに入っていたものだったが、今回のニューアルバムではサルサ風にリアレンジされていて菊地さんが歌っているバージョンになっていた。
前のはわりと激しい印象があったが今回のものはサルサ的なリズムだし菊地さんの歌い方も艶やかっぽさがあってよりエロティックであり悲惨さも増しているように感じた。うーん、色っぽい。


アンコールの一曲はテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のエンディング曲である『大空位時代』が演奏されて、この曲の題名を英語にしたものを長編のタイトルにしていたりして、そこから独立させた作品には今はこのタイトルをつけているので今聴けたことはうれしいというか、聴けるかどうかは僕には大きかった。
そして、最後はアルバムでも最後に収録されている『天使乃恥部』が演奏された。座ったままでの鑑賞だったけど、ライブハウスとかスタンディングで聴いたらお客さんすごく踊って楽しめただろうな、どちらもペペのライブではやるので今度はスタンディングでずっと踊っていたいなとも思う。

昼前にモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』の編集者の目崎さんからお声をかけてもらっていたので、コンサートが終わってすぐにエレベーターで一階に降りてから丸の内線に乗って四谷三丁目駅まで。
スナックアーバンに着くとなぜかアニソン括りのカラオケが始まっており、目崎さんと乾杯して他のカウンターのお客さんが歌っているのを聴いたり、ちょっとお話をさせてもらった。アニソンということで徳永英明さんの『夢を信じて』とH2Oの『想い出がいっぱい』を歌った。カラオケしたのいつぶりだろう、たぶんコロナパンデミックが始まるよりも前だ。

もう一軒、荒木町猫目というバーに目崎さんに連れて行ってもらった。名前だけは聞いたことがあったのは文壇バーだからなんだと思う。新宿にあるけど、このお店はその二軒目らしい。すごくシックな作りになっていて落ち着いた雰囲気だった。
文壇バーと言われる所には初めてきたのかな、作家さんのエッセイとかでもうなくなってるんだろうけど風花とか名前ぐらいは聞いた事ある程度、実際に今も飲みながら交流している作家さんもいるだろうし、編集者さんも足を運んでいるんだなって思いつつ、ある種のロマンみたいなものが残っている場所って印象がある。
ナミビアの砂漠』のポスターが貼ってあって、山中瑶子監督が前に働いていたらしい。おお、めっちゃ今注目されまくってる人だ。文化的な場所にいてちゃんと作り続ける人ってすごいな、大抵その雰囲気だけを満たされちゃたり、いろんな人の話を聞いてしまって勘違いとかすることもあると思う。たぶん、僕はそういうタイプだ。
ほどよく飲んで話してから目崎さんと一緒にタクシーで三茶方面へ。そういえば、スナックアーバンに行くし、と思ってタバコを持ってきていたけど、どこでも吸わなかった。一軒目も二軒目もスタッフの女性以外、ご一緒した男性は僕と同世代かその上だったけど誰も吸ってなかった。とりあえずタバコを吸いながら歩いて家に帰った。

德永英明 - 夢を信じて 

 

10月25日
帰ってすぐに寝たが、二時間ほどで目が覚める。気持ち悪い。普段はビールしか飲まないけど、スナックでジャックダニエルソーダ割りとか飲んだからだと思う。飲んだのも三杯程度なんだけど、単純にウイスキーが合わないのだろう。冷蔵庫にあったポカリを一気に飲んでトイレ行ってからまた寝る。
7時過ぎに起きたら気持ち悪さはほとんど消えていた。でも、まだ怠かったので朝のルーティンはせずにもう一時間寝ることにして、radikoで『ハライチのーターン!』を流して聴いていたらすぐに落ちた。


リモートワークを始めてもろもろの作業をしていた。その時に今日朝日新聞を買う日だったと思い出した。昼まではオンラインミーティングとかあったりしたので昼休憩の時に買うことにした。
昼休憩で外に出て惣菜をスーパーで買った帰りに最寄りのコンビニに寄って朝日新聞の朝刊を購入。最終金曜日に古川さんの文芸時評が掲載されるのでそのためだけに月に一回新聞を買っていて、もう一年以上は経っている。
古川さんがご自身の近況を書いているブログでこの時評を書くために月に四十作品近く新作小説(単行本として刊行されたもの、文芸誌に掲載されたもの)を読んでいるということを書かれていた。その大変さとかかっている時間を考えると本当に頭が下がるし、続けられていることがほぼ奇跡みたいなものだと思う。この時評は少し経ってからウェブでも見えるようになるのだけど、やっぱり最初に形になったもので僕は読みたい。

休憩の時に駅前のTSUTAYA書店に寄ったら、モーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。 「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』が新刊コーナーに置かれていた。関わった書籍を書店で見るとなんか早く誰かに手に取ってもらいたいなと思うし、マジで売れてほしい。

リモートワークは仕事も溜まっていなかったのでのんびりと進めていた。午前中からradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(ゲスト:パンサー 向井慧)、『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ゲスト: FUJIWARA 藤本敏史リボルバー・ヘッド)、『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』と続けて聴いていた。
おぎやはぎの二人と向井さんの組み合わせはもう向井さんがおもちゃにされている(悪い意味ではない)感じで、終始楽しそうで何度か笑ってしまった。「マヂラブANN0」は一年前にゲスト予定だったけど車でやらかしたため来れなかったフジモンさんが登場、でこぼこというかぼこぼこなリボルバー・ヘッドとのやりとりも楽しかった。「都築サクラバシ」では明日ゲスト予定の「三四郎ANN0」の話もしていたけど、本当に彼はラジオでの存在感がどんどん大きくなっている。

仕事が終わってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、昨日書いていなかった日記を書いたりした。
そこから自作のライティング作業に取り掛かる。書いているうちにラストの方の展開が浮かんできたのでなんか最初と最後が繋がる感じになったらいい。円環の輪に見えるけど、角度を変えたらそれは螺旋だったというのが望ましい。

ラストシーンに関することで地元の井原市にあるリニューアルされた平櫛田中美術館のサイトを見ていたら、「鏡獅子」が今年の二月から展示が開始されていた。その期間が5年半の予定で、予定ってどういうことだと思って見てみたらこの「鏡獅子」は国立劇場に展示されていたものだから、建て替え期間の間は田中さんの地元にある平櫛田中美術館に貸すということらしく、建て替えも色々と問題があったりするのでいつまでかかるかわからないから予定になっているみたい。



僕が知りたいのはここにおそらく展示されているであろう「転生」のことだったが、ウェブ見る限りではちょっとわからなかった。
前に帰郷したのは2022年11月でその時にはまだ平櫛田中美術館はリニューアル工事中で館内には入れず、コロナパンデミックも終焉していなかったこともあり、本来美術館で展示されているものが井原駅構内に一部展示されていて、そこに「転生」もあった。そのことを小説に組み込みたいと思ったのだけど、どうしようか。

190枚の小説に対して、何を、幾つ掘って書けるのかはわからない。しかし、言いたいことがある時には、届けたい。そもそも小説であってもなんであっても、私は届けるためにやっている。時には届かないが、そうしたら自分の全表現のひとつひとつを〈うつほ舟〉に入れて流す。その〈うつほ舟〉とは何か? それは『超空洞物語』内に書いてある。また簡単に調べることもできるだろう。

私は〈うつほ舟〉に入れて、いま現在ではない時間に、たぶん未来に、それからここではない場所に、それは国外かもしれないし彼岸かもしれないが、全部を流す。そして信じる。信じて、籠もって、眼前にある(かなり膨大な量の)仕事をこなして、しかし来年(とは2025年だ)そして来年度(とは2025年4月からだ)へ、自分を「執筆する運動体」にと変じられるように、飛ばす。

古川日出男の現在地』Super Hollow Japanese Tales 2024.10.12 – 2024.10.25 東京・山梨

寝る前に最新回がアップされていたので読む。「うつほ=空洞」のことを『超空洞物語』を読んでから考えている。空虚なのもの、損なわれてしまったもの、人が生き続ける限りは抱えていくもの、そして東京の空虚な中心のこと。

 

10月26日
寝ようとしたらメールが届いていた。A24からのお知らせのものだったが、ポッドキャストをアップしたという内容だった。

A24ポッドキャスト「Episode 42: Andrew Garfield & Harris Dickinson」

A conversation between A24 leading men and resident Brits, Andrew Garfield and Harris Dickinson, stars of We Live in Time and upcoming Babygirl.

The A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris DThe A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris Dickinson | Official Video HD


A24制作の映画にそれぞれ出演するアンドリュー・ガーフィールドとハリス・ディキンソンのトークポッドキャストYouTube動画で配信されていた。定期的に配信されA24のポッドキャストは映画に出演している俳優や監督の二人がトークするもので、エマ・ストーンなど豪華な顔ぶれが今までにも出ている。
フローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドが共演している『We Live in Time』は予告編観てかなり気になっているが、アメリカとかで秋公開だったのでそろそろ観れるのだろうけど、現在のところ日本公開は発表されていない。
もし、アカデミー賞候補に作品賞や主演男優賞や主演女優賞で入りそうなら日本でも3月か4月に公開になる可能性もあるけど、お願いだから日本で公開してほしい。

目覚ましで6時過ぎに起きたけど、まだ惰眠を貪りたかったので8時にセットし直して再度寝る。その間にすごく変な夢を見たような気がする。BLっぽい内容だった気もするし、少し不思議な世界観だった気もするし、夢だから摩訶不思議で辻褄が合っているはずもないのだけど、もしかすると寝る前に読み終わっていた古川さんの『超空洞物語』の物語に何か影響されたんじゃないかなって思う。
『超空洞物語』は『うつほ物語』を古川さんがマッシュアップしながら、新しい物語に生み直しているのだけど、作品の構成としては「光る筆」と「琴が鳴る」というパートが交互にあり、その間に著者である古川さんがこの作品について補足している「超空洞」というパートも入ってくる。
この小説は何の話かと言われたら、「芸術」についての物語だと言える。ここでの「芸術」には音楽と美術があり、鳴っているし視えてくるものがあり、最終的には古川さんの名前を多くの読書の好きに認識させて唸らせた『アラビアの夜の種族』にも接続するような展開になっていく。つまり幻視者としての古川日出男が日本文学の黎明期に存在した『うつほ物語』を現在、2024年に新たな語り口で現出させたと言える。そういう作品を読んだ後には僕自身の「うつほ=空洞」の中に陥っていても何もおかしくない。

noteに「書籍ミニ感想」という感じで短い感想を書いたものをアップするようになったので上記のことを含めてアップしてみた。

9時を過ぎてからいつものように散歩へ出る。土曜日のお供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。楽しみにしていたスペシャルウイーク。
三四郎オールナイトニッポン」10周年記念の武道館ライブまであと一ヶ月。先行でチケットを取ったのが4月ぐらいだが、開催の3日前にならないとスマチケのダウンロードが可能にならないのでアリーナというのは分かってるけど、どの辺りなのかわからないけど楽しみ。
武道館でライブを観る機会は何度もあったけど、一人で行くのはDragon Ashの初武道館以来だと思う。たいてい誰かと行っているから。
スペシャルウイークのゲストは最初に二席の都築だけが発表されていて、もう一人(一組)は決まっていなかったが、「三四郎ANN」ファミリーのラブレターズが『キング・オブ・コント2024』王者になった瞬間に内田Dがマネージャーさん(たぶん、大竹さん。『ゴッドタン マジ歌ライブ』に出て演奏して歌っている、大竹まことさんの息子)に連絡して出演が決まった。
ファミリーなんだから、優勝すると思ってなくても最初から出演オファーしろよって最初の時に言ってたけど、そりゃあそうだよなって思う。都築さんはラブレターズとの絡みは今までなかったみたいだったけど、ネクストラジオスターに、もはや「ラジオ」になろうとしてる彼がいることでラブレターズの二人もどんどんテンションが上がっていくし、三四郎の二人がちょこちょこちょこちょこ導火線に火をつけるように誘導していくのでどんどんバカバカしくなる。これが「三四郎ANN」の一番の魅力だし、ノリだけで10年やれていることが謎だし、すごい。
『オードリーのオールナイトニッポン』は若林さんの成長の記録でもあったからどんどんリスナーを惹きつけて、共感を得ながら熱心なファンを生み出していった。『三四郎オールナイトニッポン』は小宮さんのMC 能力も向上してるし、やったらとりあえずのことはできてしまう相田さんというお笑い能力は明らかに上がっている二人だけど、それが世間的には理解されていない、されないようにしているのかラジオでのトークは成長を感じさせないことが強みになっていると思う。めちゃくちゃおもしろい時とそうでもない時の落差がここまで激しい芸人のラジオもそうないだろうし、内容も大抵ちょっとしたら忘れてしまう。そのぐらいのラフさも含めて僕はたのしめているし好きだと思える理由だったりする。
今回も最後の方で五人のトークが加速していって、都築がいることでラブレターズの二人も爆発していった。都築がゲストで一番生きるのはやっぱり「三四郎ANN」だなあ、バカバカしすぎる(褒)。このまま武道館ライブにこの三人呼んでほしい。

代官山蔦屋書店に着いたらお客さんがたくさんいて、星海社のミステリーカーニバルという作家さんが来てサイン会をやるという催しが開催中だった。開始の少し前だったみたいで建物の間の通路のところにテントみたいな感じで、それぞれの作家さんごとのエリアが作られていてお客さんが開始するのを待っていた。
阿部和重さんの『ブラック・チェンバー・ミュージック』が文庫上下巻で出ていた。単行本の時の装丁の方が良かったなあ。急いで今買わなきゃってことでもないので月末過ぎたら買おうかなって思う。
帰り道にあるスーパーに寄って昼ごはんのようの惣菜を買って、「三四郎ANN0」を時折笑いを堪えながら、何度か普通に笑ってしまいながら家に帰っていく。思ったよりも寒くなってきていて、汗はかくけどやはりもう秋らしい風だったりして歩くのはちょうどいい。
家に帰ってから昼ごはんを食べて14時からライティング作業を開始。もう今日はこれだけの予定。できるだけ進めることと、昨日のアイデアをどう組み込むかを考えつつ。

ジャンプ作品なのに表紙が“花一輪”。担当が「編集部に衝撃が走った」と語る、マンガ『夏の終点』作者の素顔は?

夕方過ぎに休憩しようと思ってスマホを見ていて気になった記事。読んでみたらこの『夏の終点』というマンガが読みたくなったので30分ぐらい散歩がてら外に出ようと思って池尻大橋駅の本屋に行ってみたが置かれていなかった。諦めきれずに三茶駅前のTSUTAYA書店にも寄ってみたがなかった。こんなにないのかって思ってもう一度記事を見たら上下巻で下巻が出たのが7月ぐらいだったから、新刊コーナーはどちらもあるが、新作以外の作品の在庫はどちらもそこまで多くないから置かれていないということなんだろうな、と勝手に理解した。

――いよいよ10月になって、武道館公演があと3週間後に迫っています。向井さんが武道館に立つというのは、まったくもって初めてのことですよね。今回、どういった経緯で武道館公演に至ったんですか? 

向井 ライブ制作をずっと一緒にやってもらってる人がいるんですけど、その人から「この会場がとれました」とか、「この会場でやってみませんか」と連絡があるんですね。今回に関して言うと、「日本武道館の日程がとれるかもしれないけど、申し込んでみませんか?」というふうに、ライブ制作のプロフェッショナルとして提案があった。ライブというのは、そうやって始まることが多いんですね。たとえば日比谷野外音楽堂ではほんとにずっとライブをやってますけど、「何月何日にライブをやりたいんですけど」っつっても、できないわけよ。野音は週末しかライブができなくて、せっかくなら過ごしやすい季節にやりたいと思う人が多いから、抽選になるわけよ。その抽選に申し込んで、とれた場合にはライブをやりましょう、と。今回の日本武道館も同じような形で、現時点で空いてそうだから、エントリーしてみましょうという話になったんです。 

――それがいつ頃のことだったんですか? 

向井 もう、1年くらい前にはそういう話があったんだけど、それがちょうど『らんど』の大詰めの時期だったんですよね。「これ、予定通りリリースできんのか」って状況だったから、ライブツアーをどうするかとか、そういう組み立てはまだ曖昧な時期だったんだけど、でも、ぶち込んどくか、と。 

――せっかく話があったんだから、と。 

向井 12年ぶりのアルバム『らんど』を、2024年の初めのうちにリリースしたとして、その年の秋口ぐらいに日本武道館があれば、なんか楽しいじゃない、と。そういう具合のもんです。本来なら、もっとストーリーを作っていくものかもしれないんだけどね。アルバムならアルバムをリリースして、ツアーを組んで、その最終公演を日本武道館でおこなう――これだとわかりやすい物語としてヤマが作れると思うんですけども、そんな先のビジョンはまだ見えてなかったんですね。だから、何とも言えないところもあるんだけど、抽選にエントリーしてみるかってことが、今回の始まりです。結果的には、アルバムを無事リリースすることができて、日本各地でワンマンのツアーをおこなうことができて、夏が過ぎてひんやりしてきたっていう、まさに季節の移り変わりにあわせて日本武道館公演ができるというのは、ストーリーをつくることができたなと思っていますけど。 

向井 上京のときはもう、ひとりでも多くの東京の人間をぶち殺すぞっていう思いで出てきたはずなんだけど、ある線を越えると、すごく遠ざかっていくような気がずっとしてるんですね。あるラインを越えると、こちらに興味があるのかないのかよくわからない、そんなぼんやりとした人たちがその場にいるだけではないかって感じがするんです。手応えを感じることが出来なくなる。だから、ほんとはリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいし、届いていると思えるし、コミュニケーションができているような気がするんですね。こんなことを話してたら、「売れないバンドマンがそんなことをほざきやがって、1万人入れてみてから言えや」って言われるかもしれんけどさ。1万人の人たちが興味を持ってくれるというのは、すごいことだと思います。すごいとわかっているからこそ、言ってるんだけどね。

Zazen Boys - 永遠少女 Live at 日比谷野音 5.26 2024 


帰ってきてからライティング作業の続きをして、途中で休憩して明日の武道館行くので関連する向井秀徳さんへのインタビュー記事を読む。
武道館でやるとしてもすぐにやろうとしてもできず、申し込みして取れたらということなんだ、と初めて知ったこともあったし、だからこそ明日の武道館ライブでのZAZEN BOYSを楽しみまくって堪能しまくろうと思った。
あと引用した後ろの方でリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいってのは観客として観に行っているだけでステージに立ったこともないけど、よくわかる。聴いている側としてもリキッドルームでのライブが一番楽しめるし、コミュニケーションできていると感じる。実際にZAZEN BOYS以外のライブでも個人的にはリキッドルームが一番体感としてライブを楽しめる場所だったりする。

 

10月27日
6時過ぎに一度目が覚めた。トイレに行ってから布団に戻る。室内の温度が下がっていてもう少し寒くなってきたら冬に突入する感じなのだろう。今のところはまだ布団に入っていれば暖房もいらないけど、リモートワークで机に向かって椅子に座っていると少し肌寒いと日中でも思うようになってきた。
寝転んだままで TVerで『ゴッドタン』を流して、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いていたらもう少し寝たくなってきたので再び寝る。
寒くなってきたこともあるのだろうけど、最近は一発目の目覚めですぐに行動に移せない。何か気だるいというかめんどくさいというか、そういうものが確実にある。でも、このままだと諸々進まないこともわかる。
8時過ぎにもう一度起きる。朝のルーティンはしないで20分過ぎに家を出る。薄手のカーディガンを羽織っていても寒いが、10分も経てばちょうどいいぐらいになってくる。とりあえず、いつもの日曜日の朝の散歩は『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながらということが多いのだけど、月に一回放送の『ヤーレンズオールナイトニッポン0』(ゲスト:コットン)が深夜に放送していたのでそちらをお供に。


9時ちょうどに代官山蔦屋書店に到着。昨日同様に星海社のミステカーニバルリーのイベントのテントみたいなものが通路のところに置かれていた。さすがにまだ作家さんたちもいないし、星海社のスタッフさんが数人いて準備を始めはじめたぐらいだった。
昨日も来ていて小説で気になるのはなかったし、土日なので新刊はないことはわかっていたけど、昨日夕方に書店で探していた『夏の終点』がもしかしたら二階のコミックフロアにあるかもと思っていたらあったので購入。
自動レジになっているのでTポイントではなくVポイントになったポイントをちょっと使って現金で購入した。袋はいつも使っているバッグに入っているのでそれを使うことにして、会計をした。お釣りがちょうど550円になるように支払いをした。そうすると小銭が出てくるところにお釣りの500円と50円が出てくるのだが、なぜかそのコインが出るところの底の丸くなっている箇所が一部開いていてコインが二枚そのままそこを勢いよく通過して床に落ちていった。500円玉は足元に落ちてきたのですぐに捕獲できたが、50円玉は弧を描くように自動レジの下に入っていった。
会計を始めた時に近くにいたスタッフさんがちょうどお客さんからの電話に出て注文についてのやりとりをしていたのを横目で見ていた。自動レジの下を覗くとどうも50円玉みたいな銀色の輝きをしたものは見えるが手を伸ばしても微妙な距離だった。スタッフさんは電話対応をしていた。これはどうすべきか、悩む。もし500円玉だったら声をかけて回収するけど、50円玉っていうのは微妙だ。しかもVポイントで80円ぐらい使ったからそれを考えると諦めても損はしていないような気もするし、ああ、どうしよう。とそのスタッフさんを見たらファイルを見ながらその対応の続きをしていた。諦めよう。うん、粘りたくないって気持ちが勝ってしまった。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年11月号が公開されました。11月は『ヴェノム:ザ・ラストダンス』『本心』『ドリーム・シナリオ』『正体』を取り上げました。


家に帰ってから少しだけライティング作業をして昼ごはんを食べて、家を出るまでもう少し作業の続きをした。
13時半過ぎに家を出る。渋谷までのお供はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』にした。スペシャルウイークで若林さんの愛車のマウンテンバイクを欲しいと手を挙げた人たちが数人出演するという企画で、芸人さんとテレビスタッフさんが参加するというものだったが、最初にオープニングから聴き始めた時に若林さんと春日さんの声の通りがいつもと違う感じがした。なんというかいつものスタジオよりももっと広い場所で音を録っているのかなって思えた。
毎週聴いているというのもあるんだろうけど、ニッポン放送の地下にあるイマジンスタジオという大きめのイベントでも使う(「三四郎ANN 」爆湧きステッカーをもらいにいったけどそこそこデカかった)場所で今週は放送をしていることがわかった。広い空間での音の広がりとラジオのそこまで広くないスタジオでの音の広がりはやっぱり違うし、慣れていくというのはそれがノーマルな状態になるからちょっとでも違うとその差みたいなに違和感を持ちやすいのかもしれない。


半蔵門線渋谷駅から乗って九段下駅で降りて日本武道館へ。今日はZAZEN BOYSの初めての武道館でのライブだった。いつも一緒にザゼンとかのライブに行く友人A と合わせて二枚チケットを取っていた。残念ながらアリーナではなくスタンド一階席だったが、南東エリアのC列という前の方だったので見やすいので問題はなかった。
先に着いていたAからラインをもらっていたが物販がかなり並んでいるみたいだった。僕は事前に会計だけして当日受け取りにしていたのだけど、着いてから事前受け取りは全く人が並んでいなくて、すぐに頼んでいたDANBIRA黒Tシャツを受け取れた。来月の三四郎ANN武道館も事前に支払って当日受け取りがあったので、これなら待たなくていいからまた利用しよう。
早めに集合していたので近くのコンビニでビールを買ってきて、開場まで待つエリアに座ってビールを飲みながら今回のライブのこととか諸々話していた。前回一緒に行く予定だったアジカンリキッドルームライブは僕が体調不良で行けなくなってしまい、二人でライブに行くようになって初めて僕が行けない日だった。お互いに年齢的にも体に気をつけないと行けないおじさんになっているので、そういう話題も増えてきた。


いつもZAZEN BOYSのライブに行くと僕たちは周りにザゼンのファンってほぼいないというか、会わないのになんでライブにはこんなにいるんだろうって話をするのだけど、今回はさらにキャパが大きな武道館がソールドアウトしている。
日本中から、さらには海外の人もこの数年ライブで見る回数は増えてきているのでそういう人たちが集まってきていた。本当にこういう人たちと普通に出会うってことがないのが生きていて不思議だ。
古川日出男さんとThis is向井秀徳さんは一緒にコラボもしていたりするから、古川さん界隈の人はZAZEN BOYSも好きだし聴いている人がいるけど、そういう関係がない場所でZAZEN BOYS大好きみたいな人に僕は会ったことがほぼない。まあ、Aともよく言うけどZAZEN BOYS好きな時点でいわゆるマジョリティ的なものとか好きじゃないだろうし、HENTAI寄りな人が多いのだろうから普段から好きとは表立っていっていないだけかもしれない。
ライブは17時過ぎに開始されて終わったのが20時半前だった。三時間半近くセトリを見ると37曲もやってくれていた。ニューアルバム『らんど』の曲はほとんどやったと思うが、それにしても過去の曲だったりここ数年の単独ライブでも演奏しなくなったような曲もやってくれたのはうれしかった。
『MABOROSHI IN MY HEAD』『I Don‘t Wanna Be With You』『安眠棒』『6本の狂ったハガネの振動』辺りは久しぶりに聴いたと思うし、『Honnoji』からの『半透明少女関係』の流れはめちゃくちゃ盛り上がっていたし、最高に楽しかった。最後はこちらも久しぶりな『KIMOCHI』で回るミラーボールに反射するライトが作った光の珠が武道館の中を照らしていた。

ZAZEN BOYS初の日本武道館ライブの映像と音源を完全収録!ボックスセット発売 

終演後に外に出たら今日のライブのボックスセット発売のお知らせをもらった。Blu-rayにCD三枚組らしい。Blu-rayは見れないけど、CDあるならちょっと欲しいかも。
九段下駅に行くまでに外は小雨が降り始めていて、予報をちゃんと見ていた人たちの傘が開いてしまったのもあって混雑もしていて歩くのも遅いのでそこそこ時間がかかってしまった。駅でAと別れて電車で池尻大橋駅まで乗ってから、帰りにスーパーで晩御飯を買って帰った。
今日はZAZEN BOYSのライブが良すぎて楽しすぎたし、ライブ終演後にスマホを見たら今回の選挙で自民党公明党過半数我の見通しだったのでぐっすり寝れそう。いい日だった。

 

10月28日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを集積所に出しに行く。地面が雨で濡れていて、風もひんやりとしていた。憂鬱な月曜日、出社しなくていいのはありがたい。でも、もう少し眠っていたい。8時過ぎまでTVerで『有吉クイズ』流しながらウトウトだらだら。
リモートワークを開始して少し経ってから昼休憩を前借りというか先に使うことにして近くの整骨院へ行くことにした。
昨日の武道館ライブは開始してすぐに僕たちスタンドもアリーナの観客も立ち上がったが向井さんが「座って座って」みたいなジェスチャーをしたのでほとんどの人は着席する形でライブを観た。This is 向井秀徳からすれば椅子があるんだからのんびり座って楽しんでくれ、長丁場だからということだったのかもしれないし、そもそも映像を撮影していたから観客が着席してくれている方がやりやすいということもあったのかもしれない。
途中で休憩のような佐内さんの写真スライドが舞台のスクリーンに写っている時間以外はほとんどの人は座っていて、一部の人は立って観ていた。人それぞれだし自由でいい。ただ、立っている人がいると後ろの人は観にくいということもあったりするし、音に揺れているとそれなりに幅をとるなど左右の人に迷惑をかけることも起きてしまう。この辺りは確かに難しい。
僕らは座ったままでリズムをとって体を揺らしていたけど、三時間を越える時間椅子に座ったままというのはそもそも背中にも良くないし、動いているのでダメージはそれなりに蓄積する。それで整骨院に早めに行って座ったままで固まってしまった部分とかをほぐしてもらった。

すぐに戻ってからリモートワークを再開。来月公開する記事の準備をしたり、いつもやっている業務をやっているとすぐにお昼になった。整骨院帰りにコンビニに寄っていたのでそれで昼食を取って家にいた。
14時過ぎに大家さんと業者さんがユニットバスを見にきた。以前、僕が湯船に浸かっている時に伸びをしようと足に力を入れて少しヒビが入ってしまった。そのことはお伝えしていたのもあって、隣の部屋が空くのでユニットバス交換しませんかというお話をもらっていた。
僕が住む前に住んでいた人も10年以上住まれていたと聞いていたし、僕も12年越えているので住んでいるアパートはおそらく30年近くは経っているのだと思う。昔は畳の部屋だったのを今のフローリングとユニットバスの部屋にリフォームしたとも聞いていたので、ユニットバスとかもそれなりに時間は経過しているはずだ。
施工する業者さんとその窓口になる会社の人に大家さんに僕とおじさん四人が狭いところで、施工する業者さんが色々とサイズを計ったりするのを見ていた。実際に今のユニットバスを取り外して、新しいものを入れてもそれぞれ業者さんが別々らしく、うまく作業が組み込めても五業者さんが仕事をして最低でも五日はかかると言われた。
水回り関係の人もだし、ユニットバスを取り外して新ものを入れる業者さん、玄関すぐにユニットバスはあるが、出し入れするために壁の一部を取り払って入れて修復する業者さんなど作業する人が五人(五業者)必要とのことだった。
大家さんと窓口の人と施工業者さんが話していたけど、そもそも今入っているタイプと同じサイズのユニットバスがあるかどうか、あってもそれが納品されるが二、三週間はかかるらしい。在庫があったらあったで見積もりが出て大家さんが工事するかどうか決めて(今の所僕には負担はないことになっている)、OKが出たら注文して、届く時期に合わせて作業をする業者さんに作業の依頼をする。でも、その依頼がそれぞれの人たちがすぐ来れるかもわからないから、実際に工事すると決まってからでないとどのくらい今あるユニットバスを外して新しいものにして工事が完了になるか期間がわからないらしい。
もし、作業をすることになれば、その工事時間は隣の部屋を使わせてもらってリモートワークをするということになる予定だけど、でも、生活するために必要なものである冷蔵庫とかベッドとかは自分の部屋にあるから夜は工事中の部屋に戻らないとご飯も食べれないし寝ることも難しい。
自分がどうしたいというよりも大家さんが見積もりを見て決めることだし、うちの部屋にあるユニットバスと同じサイズのものが在庫なければ工事もできないのでこちらとしてはとりあえず風まかせというか、お任せしますとかし言いようがない。


リモートワークが終わってからスーパーに行くついでに池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら、太宰治賞受賞作の市街地ギャオ著『メメントラブドール』が出ていた。12月にある今年の太宰治賞の〆切に間に合うようにスケジュールは組んでいる。やっぱり応募するので前年の受賞作は読んでおこうと思っていた。
ページあたりの文字数も多くなくてページもそこまで多くないので薄いなって思ったけど、税別で1400円だったからそこそこ刷っているのだろう。選考委員ではない金原ひとみさんが帯文を書いているのは題材的に彼女にコメントもらう方が届く人には届くという判断だろうな、これわりと珍しいことだ。

 バスタオルで頭を拭きながらテレビをつけると、選挙速報がやっていた。ああ。なんだ。なんだよー。なーんだ。<街1番の中華屋から人がいなくなる>とは、さながらラジオ版の「君の名は」のような話だ(新海誠関係ないよ)。

 この週末にライブやパーティーを行ったミュージシャン、DJ、パーティーオーガナイザーは、心中がどうだったかは別として、尊敬すべきだし、この週末を「選挙があるからなあ」と言って、ライブブックから外したミュージシャンは、心中がどうだったかは別として、呪われるべきだ。あの選挙の決定よりも、「天使乃恥部」のレコ発は先に決まっていた(当たり前だが)。またしても引いたわけだ。

 与党の連立が過半数割りした。良いんじゃないの。09年のアレの二の舞でなきゃさ。蓮舫にまた仕分けされるのはマゾヒストには楽しいだろうけど。というか、政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ。政治家というのは公約を守ることが原理的にできない(全政治家が公約を守ったら、政治は5年間で必要なくなる)、故に、公約を信じ、裏切られることが政治に没入する原動力となる。マゾヒズムは最強だ。「遊園地に連れてってくれるって約束したじゃない!裏金はもう貰わないって約束したじゃなあああああああああああい」と泣きながら直訴する。こんな気持ちの良いことがあるか。

菊地成孔の日記2024年10月28日記す>

菊地さんの日記最新回。冒頭から引用した最後の箇所前まではこれから執筆されるという『刑事コロンボ』についての話だった。
「政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ」というのはそうかもしれないな、と読んで思ってしまった。でも、マゾの方が生きている感覚は強いんじゃないかなあ、精神的にも肉体的にも。100%マゾなんて人はいないし、対峙する人や状況によってマゾとサドの度合いは変わるだろうけど、それでも比較的どういう状況でもマゾ度が高い人の方が痛みにどこかしら快楽を得るとするなら生において生き残りやすいのかもしれない。

Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』を聴きながら夜のライティング作業。とりあえずこの番組は半年の復活だったが、スポンサーとか付くかどうかで継続するかみたいな話は最初にあったのを毎週聴いていてすっかり忘れていた。色々と難しいらしくて、どうもこのままだと終了しそうな雰囲気がある。続いてほしい。

 

10月29日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら朝読書のルーティンを。ブコウスキー著『詩人と女たち』はブコウスキーの分身である50歳を越えたチナスキーがいろんな女性との関係を描いているほぼ自伝なのだが、日本だとわからないし時代的なこともあるのだけど、どんだけ詩人モテるんだよ、と思わずにはいられない状態になっている。まあ、ページをめくるたびに酒を飲んで女性とセックスして喧嘩して別れて、また仲良くなって別の女性と出会って関係を持ってバレて修羅場になって、を繰り返している。
チナスキー自身ももう若くないこともあって、そこに哀愁みたいなものもあるし、ずっと郵便局で働きながら詩や小説を書いて発表していたブコウスキー自身が郵便局をやめて文章を食えるようになったのが50歳ぐらい。彼の破天荒さは文章にも出ていたからそれに惹きつけられる女性もそれなりにいたのだと思う。
実際に出会った女性にいつか君のことを僕の小説に出すよみたいなことを言っている。流石に名前を変えて出しているのだろうけど、著者の分身を出した私小説系の作品はその辺りの塩梅が作家によってかなり違う気がする。ノンフィクションとは違う以上本当にあったことばかりを書けないし、実存する人物をそのまま出すのは気をつけないと後々エライことになる。

あなたが動けば世界が変わる。ザ・ゾンビーズ・シリーズ最新作!
オチコボレ男子高校生だった南方は、仲間たちとのある約束のために大学に進学した。「君たち、世界を変えてみたくはないか?」高校の生物教師のこの言葉をきっかけに、仲間たちと周囲の不条理に立ち向かった彼らは、「殺しても死ななそうだから」という理由で「ザ・ゾンビーズ」と呼ばれていた。だが高校卒業を機にメンバーはそれぞれの道に進み、チームは解散。南方は大学でどこか物足りない日々を送っていた。
そんな折、同級生の結城から「友人の北澤と、その家族が行方不明になったので探してほしい」との依頼が。胸に秘めていた本能を揺さぶられた南方の前に、学内最大のサークルを仕切るカリスマ志田、志田を狙う謎の女子、そして北澤を追う男たちが現れる。大学に迫る危機、そして北澤失踪の真相とは?


TwitterことXを見ていたら金城一紀さんのポストで13年ぶりの書き下ろし小説が出るというものだったが、「大学生になった南方が活躍する物語です」という一文、「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」じゃん!!! えええ、復活するの! まさかシリーズ最新作が読める日が来るとは。
もともとシリーズ一作目『レヴォリューションNo.3』と二作目『フライ、ダディ、フライ』は講談社から刊行されていたが、『フライ、ダディ、フライ』が岡田准一堤真一主演で映画化された頃に一作目と二作目が角川書店から新装版になって刊行されて、三作目『SPEED』が刊行された。のちに『レヴォリューションNo.0』というゾンビーズの結成前夜のものも出た。僕は講談社で刊行された時からリアルタイムで読んでいて、青春小説といえばこの「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」だった。
金城一紀さんはデビュー作『GO』で直木賞を受賞して、その作品が宮藤官九郎脚本&窪塚洋介主演で映画化されたことで当時二十代前後の人にも届いていて、その流れにこのシリーズがあったというのは多かったし、同世代から少し下の世代は二十代前半から十代後半で読んでいて影響を受けているのではないかと思う。この新作は12月に刊行されるらしいので『GO』から読み直そうかな。

12時過ぎまで作業をしてから家を出る。夕方から雨予報だったけどまだ雨は降っていなかったので傘は持たずに渋谷駅へ。ニコラの曽根さんからお誘いしてもらった舞台を観るために山手線に乗って鶯谷駅まで。鶯谷駅で降りたことが今までなかったような気がする。13時半過ぎに南口改札まで曽根さんと待ち合わせしていたけど、早く着いて待っていたら徐々に小雨が降り出してきた。
集合したので駅から8分ほどの距離にある「SOOO dramatic!」というイベントスペースへ。行く途中に東京キネマ倶楽部があって、昔二回ほど来たことがあったのでその時は地下鉄入谷駅を使ったのかもしれない。

明日のアーは5年目で一度それまでの整理をしました。
以降、超ショートコントを乱れ打ちする時期に入り、昨年”出し物”という形で完成を迎えました。10年目の今年、ここらでまた一度整理をすることにしました。

アーは草野球みたいな市井のコントユニットだと思ってました。でも年を経て言語化が進むとこれは「ユーモア(くだらなさ)の探求」なのだと分かってきました。ユーモアとは何か。それは「入ってきた情報が期待を下回ったときの喜び」です。
であるなら、ここは自己表現ではなく「ただユーモアがある」場が望ましい。そう考えて現代のユーモアの雄である漫画家・芸人のおほしんたろう氏を脚本協力に迎えました。今はおほさんとネタを出し合って脚本の会議をしています。

新しい情報が入ってきてはそれが期待を下回る、そんなことが目の前で繰り返されることはあなたの人生でそうありません。ぜひその喜びを一度体感してみてください。

この公演はこれまでのアーの成果を整理して発表する公演です。ユーモアとは何かがわかるような内容になっています。その一端を今話すとすれば、それは生きることに他ならないんです。過剰だとお思いでしょう。どうか私達に期待をしてください。

私達はあなたの期待を軽々と下回ってみせます。
それがユーモアに他ならないのですから。

明日のアー主宰 大北栄人

開演の15分ぐらい前に会場について着席して待っていたけど、最終的には四十人ぐらいは平日の昼間なのに入っていたので、まずそれがすごいなと思った。観客は全体的には若くておしゃれな人が多かった印象を受けた。
ニコラの常連のピアニスト山田の知り合いの俳優さんが出ているということで、曽根さんがチケットを取って、一人行けなくなったので代わりに僕が誘ってもらった。
舞台美術デザインをしているファッションブランド「sneeuw」の雪浦聖子さんが手がけていて、雪浦さんとニコラも昔テイクアウトの時に一緒にやっていたりとチケットを取ってから色々と関係がある人が関わっているとわかったらしい。
僕はほぼ前情報は入れずに『整理と整頓と』を観に来ていた。Instagramを数日前に見ていたら知り合いのライターさんがこの公演を観に来ているというのを知って、「明日のアー」ってわりと注目されているのかもと思ったぐらい。
ただユーモアがある場所、コントの乱れうち&ある種哲学的な問いが混ざり合ってカオティックになっていく。過剰だけど不意に入ってきた情報が期待を下回る時の緊張と緩和の差で思いがけず笑ってしまう。
観ているとコントでのやりとりがくだらないなって思い始めるぐらいで次の出演者がさらに畳み掛ける、あるいは荒唐無稽なことを言い出したりする、叫び出したり、小道具で小ボケを続けたりとくだらなさ≒ユーモア満載だった。最初はどういう感じなのだろうとちょっと構えていた部分はあったから僕自身の反応は鈍かったところがあったかも。
脚本・演出の大北さんが作ったというぬいぐるみを動かしながらちょっと進行のように最初は笑いについて自身の考えを話していた。コントが始まって繰り広げられていく中でも、時折ぬいぐるみから発せられることはちょっと哲学っぽいような問いでもあり、ユーモアについて語っているスタイルで、その組み合わせも緊張と緩和みたいでより観客がコントに入りやすいものになっていた。
ショートネタをどんどん披露していく、TikTokみたいなショートネタが流行っているように短いものをひたすらやられるとインスタのリール動画みたいに見始めると目が離せなくなる感覚にも似ている。大事なのは観ている人が飽きないこと、集中力を切らせないこと、それが90分の公演でやれてしまっているのがすごかった。
活動して10年と言われていたけど、試行錯誤があって今の形になっているとしたらこの形はすごく現在進行形で今時代に届くものになっていると思った。
途中で出てきたネタでインティマシー・コーディネーターを取り扱っているもので、女優のマネージャーが性被害を受けるシーンだからインティマシー・コーディネーターを呼んでくだい、そうじゃないとできないですみたいなことを言う。それを言われた監督とプロデューサーが「じゃあ呼ぼうか」となって、元左官のインティマシー・コーディネーターとか前職が全然違う男性のインティマシー・コーディネーターを呼ぼうとするとそのマネージャーが困惑するというか、差別ではないけどその前職でインティマシー・コーディネーターってみたいなミニコントは印象的だった。皮肉的だし確かに今は少ないけど映像業界でインティマシー・コーディネーターと取り上げられる人って女性だけだし、そういうところを突いているのもインパクトがあった。他はわりとバカバカしくてあんまりいい意味で覚えてないんだけど、おもしろかったのは間違いなくてすごく楽しめた。


終わってからせっかく鶯谷に来ているのだから、地元の店でも行こうということで駅にもわりと近い喫茶デンというタバコも吸える喫茶店へ。コーヒーを飲みながら曽根さんと感想とか、日曜日の選挙のことなんかを話しつつのんびりした。
帰りはもう普通に雨が降っていて、池尻大橋駅で電車から降りて歩いて帰っていたらかなり濡れた。


家に帰ってからびしょ濡れになっていたので湯船に浸かってから、Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:JOJO)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回になった『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』が更新されていたので作業をしながら聴いた。
「アルピーしくじり」は世界各国の風俗に行っているJOJOさんがゲスト、日本でもいろんなプレイとかしてその好奇心が海外に出ていったみたいで、こういう時は興味はあるけど潔癖症でそういうお店には行けない平子さんがわりとマジで話を聞いている印象がある。
「あの粗品」はちょっと粗品が元気ないような気もしなくもないけど、この二人のトークのコンビネーションは好きなのでこのポッドキャストとテレビの『あのの電電電波』は続けていってほしい。
「国崎ひとりぼっち」は二週間に一回の更新になっているけど、二人でやっている時とほぼ変わらないし、国崎一人でも二人の時とあまり変わらないという謎な現象が起きているし、トーク能力もすごいじゃんってことだけがわかってしまっていて、相方が復帰したらどうするのだろうと他人事ながらちょっと心配になる。

 

10月30日
広島行きの新幹線に走って間に合うかどうか、車体のドアが閉まろうとしてその隙間に手に持っていたバッグを滑り込ませて強引に開けようとしたが開かず、新幹線は勢いを増して走り出す。このままバッグを持ったままで走っていてもプラットフォームの幅も無くなってしまい、レールがある方に落ちてしまうとわかる。もう手を離すしかないと諦める。ドアが完全に閉まって新幹線は速度上げていく。
という場面で目が覚めた。どうして広島行きだったんだろうか、とは思った。そもそもどの駅から乗ろうとしていたのか覚えていないし、こだまなのかひかりなのかのぞみなのかもわからない。
地元に一番近い新幹線が乗れる駅は福山駅だから、東京から西日本に向かって乗れば福山駅以降は広島方面になる。なんかわからないけど、まだ帰ってくるなとか帰りたくないみたいな心理的なことなのかもしれないし、今月頭に新幹線に乗って東北に行ったから、その時の新幹線のイメージが残っていたのかもしれない。夢を見ていてその途中で目が覚めると何かが少しだけブレているような気がする


寝る前にradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていて、それでも眠れなかったので『JUNK 爆笑問題カーボーイ』も少しだけ聴いたのだけど、内容的に夢に関係しているとは思えないし。起きてからは「爆笑カーボーイ」を途中から聞き直しながら朝読書で三島由紀夫著『奔馬』の続きを少し読んだ。
18歳で亡くなった親友だった松枝清顕の生まれ変わりではないかという青年に出会った38歳になった本多。彼がそう思うようになったのは清顕が死ぬ間際に本多に言った「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」という言葉通り、その青年と滝の下で出会ったことと清顕と同様の場所に三つのほくろがあったことで、彼を清顕が輪廻転生した姿ではないかと思うようになっていく。
同時に冷静な頭もあるので、裁判官の自分がそんなことを言い出したら頭がおかしくなったと思われてしまう。また、清顕の最愛の人だった聡子に彼が生まれ直したと言いに行こうとしても、それはすべてを絶って仏門に入った彼女の迷惑でしかないのだと考えるなどまだどこか客観視できている部分がある。
やっぱりどうしてもこの作品「豊饒の海」シリーズは三島由紀夫の最後の小説だということはもう頭から追い出すことはできないし、そのことを知った上で読むのだから、描かれている宗教的な概念などはただのフィクションとは言い難いというか、死ぬことを決めた書いた人間の想いの強さやその先に求めていたものが、この作品に何らかの特殊な膜のようなものをまとわせているようだ。それを込みで読むという不思議な小説だし、魅力でもある。
三島が手がけた舞台『サロメ』のエナカーンの生首、自決した後に首を切り落とされた三島由紀夫、その生首たちが見ていた世界、視線、あるいは次元とその膜は繋がっているのだろうか。

—『地面師たち』で大根監督にインタビューをした際、人道的な撮影スケジュールとお話されていましたが、通常製作時間はおおよそどれくらいなのでしょうか?

髙橋:作品ごとに適正な撮影期間を求めるようにしているので、当然一概には言えないのですが……直感的に申し上げると4か月〜6か月ぐらいがドラマシリーズにおいては多いかもしれません。

僕が入社する前から、Netflixは1日の撮影時間の上限を12時間に決めたり、撮影をしない日を必ず週1回いれたりしていて。そのためほかの現場と比べて撮影期間はどうしても伸びてしまいますが、それは業界全体を底上げしていくために必要なコストだと思っています。

Netflixが日本ではじめて『彼女』で導入したインティマシーコーディネーターがいまやあらゆる作品に参加したり、業界全体にポジティブな影響を与えていると感じていたのですが、やはり意識していたんですね。

髙橋:日本の映像業界に良くなってほしいと考えているのは業界のみなさんも同じなんですよね。ただ、そのなかでNetflixはグローバルカンパニーならではの視点で「日本の製作現場のために、こんなことができるんじゃないか」という提案ができている部分があるのではないでしょうか。

インティマシーコーディネーターや、17歳以下の未成年の撮影参加者(演者)へのケアをはじめ、現場ごとにどのようなサポートが適しているのかは日頃から考えていることですし、後学のため一緒に仕事をしたクリエイターに話を聞くこともつねにしています。俳優やスタッフの方が働きやすい環境を可能な限り提供することは、良い作品づくりのために必要なことですから。

Netflix話題作に関わるプロデューサー、髙橋信一の思考。『地面師たち』『ONE PIECE』製作の裏側

リモートワーク開始前にこの記事を読んだ。この高橋さんというプロデューサーさんが岩井俊二監督の製作プロダクション「ロックウェルアイズ」にいたということでちょっと親近感。少しだけ「プレイワークス」に関わっていただけだけど、岩井さんのところから日活に入って、Netflixという流れらしいけど、白石和彌監督と一緒に作品を作ってきたのが大きかったのかなあ。
ネトフリの撮影環境は働く人たちにとってすごくいいものだし、撮影期間中にも週に一回は休みがあったり、インティマシーコーディネーターや未成年のケアなど制作会社としてすごく正しい状態になっている。そうなると余計にそうではない日本の映像業界との落差が出てくるし、良くなってほしいという言葉は嘘ではないはずだけど、ヒット作が出ないので利益が出ていないという経営状態だとスケジュールはほとんど取れずにスタッフや演者は寝ずに撮影みたいなままというのは続いていると思う。
ネトフリみたいに環境を整えて撮影しようというテレビ局や映画制作会社ってあるのだろうか、製作委員会方式の弊害もありそうだし、株式会社なら働いている人よりも株主の意向が大事だとしたら、そういう人たちが製作環境をよくしようと動かない限りは改善されない気がする。そして、そういう不満がある人はよりネトフリでの作品に参加したいと思うようになるだろうから、人気も実力もある人のスケジュールは配信系に持っていかれる、という悪循環をどこが破って正せるか、一気にやってしまえばその会社の株式ではなく、株が上がるんだろうけど、どこかやってほしい。そうすれば嫌でも他は追従するはずだし、東宝あたりがこの手の問題しっかり取り組めば業界も多少良くなるんじゃないかな。

リモートワークを開始。部屋の中はちょっと肌寒いし、外を見たら地面はまだ濡れていて小雨が降っていた。週末の連休は台風が来るとか来ないとかで雨っぽいし、もう少し寒くなりそう。体調崩さないようにしないとだ。radikoで『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を休憩するまで作業BGMとして流す。

星野源ANN」では、正月に放送される野木亜紀子脚本スペシャルドラマ『スロウトレイン』の話もちょっと出た。『オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム』の頃に撮影が忙しいという話が出ていて、その収録が突如亡くなった日があって、それでスケジュールが空いたから東京ドームのイベントに出れたという話をしていたのだけど、このドラマの撮影だったんだ。どうも舞台的には冬っぽいから今年の二、三月辺りで撮影していたと考えると放送は一年とは言わないけどわりと時間が経ってからになる。
その前に映画『ラストマイル』も撮影があって夏終わりに公開だったわけで、その結果が出る前にはスペシャルドラマを撮っているし、そのまま今放送中の『海に眠るダイヤモンド』も撮影しているということになる。TBSが全面的に野木亜紀子さんの脚本を信頼して、一緒に新しい作品を作り上げようとしている、託しているんだなって決意みたいなものも感じる。『スロウトレイン』は松たか子さん主演だし、土井さんが演出らしいので楽しみでしかない。
「あのANN0」はドラマをさっきまで撮影していたというあのちゃんがそのまま深夜の生放送。渋谷のハロウィンやりません宣言について諸々とトークをしていたが、個人的にも渋谷には行くし、昨今の海外からの旅行者の増加で人が多すぎるのは辟易しているけど、渋谷区がやっていたイベントでもないし、行政とかがハロウィンやるなとか言い出すのはちょっと違うんじゃない?とは思う。実際にお祭りっていうのは政治とかそういうものを入れたら意味合いが変わってくるし、もう自然発生で渋谷に集まってくるゾンビたちのことで警察とか出したくないみたいなことなんだろうが、だったらちゃんとした広場を日本の中心に作るべきだった。でも、ないからスクランブル交差点に集まるわけで日本の首都が都市設計を間違えているというお話。


昼休憩で外に出て駅前のTSUTAYA書店を覗いたら、『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』&浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』第3集が出ていたので購入。「ムジカ」が月末発売だった気はしていたが、前者の方はいつ出るか知らなかったけど、ちゃんと浅野いにおさんのインタビューがあるからコミックスの発売日に合わせたんだな。僕みたいな人が買う層だし、それが正しいと思う。
「ムジカ」第3集を読むと人権のことが軸になりながら疑似家族のことも出てくるので、前作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』とはその辺りは意識的に扱いを変えているように感じる。「デデデデ」は少女たちの青春譚がメインだったから、最初のうちは主人公の門出の家族の問題はあったけど、そこまで深掘りはしていなかった。浅野さんが結婚して離婚したことが今回の疑似家族を取り扱っていることに何か影響はしているのかもしれない。とあるキャラが大事なものを守るためにボコボコにされるシーンでそう感じた。


リモートワーク終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドで一服。昨日まで雨が降っていたせいか、お店が火曜日は休みだったのか、そういう要因が集まったのかはわからないけど、予約が数件入っていて忙しそうだった。

Bro (V-GOD Remix) (feat. JJJ & VaVa)


夜は読書をせずにライティング作業をする。31日に応募するのは無理なので、太宰治賞にスライドさせたこともあって、ちょっとだけ余裕はできた。
来月以降の予定に関してラインをしたけど、まだ先方の都合もあって日時は決まらなかった。でも、連絡が来ないなと思ってラインしたら、向こうは送ったつもりになっていたりしたことが判明したりするから、やっぱりリマインドは大切だなと思った。

 

10月31日
6時過ぎに眼が覚めて、トイレに立った流れで可燃ゴミを外に出しに行く。風がひんやりとしていてTシャツだと肌寒い。
昨日、寝る前に少しだけ喉に違和感があったが、悪化していないらしく大丈夫みたいで安心した。午前中は予定はなかったので横になったままでradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたら布団の魔力で、包容力に負けて寝てしまった。起きたら8時半を過ぎていた。
午後から予定が入っていたけど、木曜日は基本的には休みだということにしているので散歩に出る。寝落ちしたので最初から「佐久間ANN0」を聴きながら代官山蔦屋書店へ。佐久間さんラジオの横浜アリーナイベントが週末に終わったばかりだったのでその話題が大きかった。まだ配信を買っていないが、週末の三連休のどこかで買って見るつもり。

書店についても気になる最新刊は出ていなかった。新刊の平台のところにノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの重版した小説が並んでいた。これを機会に読む人が増えるといい。
実際にノーベル文学賞を受賞したということでその作家の小説を手に取るというのは本好きで小説を読んでいるはいても、そこまで本を読まない人がどこまで関心があるのか、実際に読んでみようと思うのか、僕には予想がつかない。
K-POP韓国映画Netflixなどの配信系で韓国の作品に触れているような人たちが小説も読んでいるのか、興味を持っているのか、これで多少可視化されるのだろう。


家に帰って昼ごはんを食べてから12時半に家を出て渋谷に向かう。明治通り沿いにあるBS12が入っているビルの前集合ということだったので歩いて50分ぐらいだから、聴こうと思ったままでまだ聴いてなかったCHARLI XCX『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』をお供に向かった。


YouTubeで配信している「BOOKSTAND TV」の収録があり、編集者の人から見学も兼ねてお声がけしてもらっていた。13時半に着いて時間が多少あったので、近くにある映画『PERFECT DAYS』にも出てきたトイレに行ったりしていたが、半になっても編集者さんが来ないのでラインしたら、収録が始まるのは13時半ではなく15時半だったらしく、メールで伝えるときに間違えていたことがわかった。バッグには財布しか入れていないし、今日は暇な時間はないだろうと思って読みかけの小説とかも持ってきていなかった。これではさすがに二時間は時間を潰せないので、とりあえず帰ることにした。
編集者さんからライン通話があったが、近くで救急車が走っていてあんまりよく聞こえなかった。でも、謝っているのはわかったし、時間は戻らないので気にしないことにした。
というかこういう時に(待ち合わせ時間に相手が遅れるのは慣れているし、なぜか僕と待ち合わせすると人は遅れがちになるので)僕は怒ることもないし、自分は言われた通りの時間にちゃんと集合場所に行っているので何ら責任もない。それ以外の要因で起きたことは僕のせいではないし、怒ったところでいいこともあまりない。
僕が出演者なら時間を潰す以外ないけど、そもそもただの見学だし、夕方から別件があったので帰るという選択肢しかなかった。
帰り道でも『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』の続きを聞いていたので二枚組のニューアルバムを通して聴きながらの散歩になった。

書くという行為は、相当に複雑だ。そこに紙があるから、その紙を意識する。ペン先にインクをつけるから、インクを意識する。私は今回は『超空洞物語』執筆用にガラスペンを使用しているのだけれども、そのペン先の溝のうねり(そこにインクが保持される)を意識するし、ペンの軸も当然ながら意識する。

それは運動をすることに似る。というか、運動そのものだ。私はつまり、その『超空洞物語』を手書きで生み出そうと努めながら、〈書く〉というその瞬間には、1)運動していた、2)思考していた、3)表現していた。これらが融合する時間があった。また、ペンを走らせていると、その音がある律動のような感覚をもたらす。つまり私は書きながらずっと「聴いていた」のだし、もちろん書かれた文字を紙上にそのまま確認しつづけていたから「視ていた」という行動もずっと伴われていた。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #02】

家に帰ると『超空洞物語』についての古川さんのセルフ解説02がアップされていた。平家物語』現代語訳もそうだったし、『紫式部本人による現代語訳』であったり、昔書かれた物語に関する執筆の際には古川さんはPCでの入力ではなく、自らの手で文字を原稿用紙に書いているというのは言われていた。
僕自身はメモ程度はするが、執筆する際に手で書いたことはない。そもそも文章を書き始めた時にはPCでキーボード入力することとほぼ同義語だった。
ペンや筆で文字を書いて執筆するのでは体の使い方も変わるし、文章のリズムも違う。『平家物語』は口承文学ではあるが、一つにまとめられた際には筆で紙に書かれたし、『源氏物語』だって『うつほ物語』だってそうだった。キーボードで打つこと、フリック入力することはたかだかこの数年、数十年のことでしかない。
文章を書くことと体の動かし方、その前後、最中での思考の動き、五感を使うことについて古川さんほど現役の作家でやっている人はいないだろう。PCを使わずにデビューからずっと手書きという人はまだ現役で残っているかもしれないけど、基本的にはPCで書いていて、作品によって手書きという人はあまりいないはずだ。

20代のクリエイターの子たちに話を聞いても、 本当に何も希望を感じてない。その中で無理やり前向きなメッセージを発信していくのは難しいので、正直に思ってることをそのまま言う。これこそ冷笑なのかもしれないですが、個人で何をしたところで何も変わらないんだから、自分が変わるしかないんだよって。それを、僕は昔から描いている。だから自分を変えるのが一番手っ取り早いとしか言いようがない。
 ものすごく具体的なことを言っていいですか。僕の場合ですが、ちゃんと仕事をすることが重要です。仕事をするのが、全ての解決方法になる。もっと端的に言っちゃうと、お金だと思うんです。お金を得るには仕事、仕事をしていればお金は得られる。だから自分の人生で大きな部分を占めるのが仕事なんですよ。それ以外のことに目を向けると、解決しようもない問題があまりにも多すぎて、病気になるかもしれないとか、将来が怖いとか、それって解決しないじゃないですか。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P28-29より

 2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。『MUJINA』の描き方は、 かなり主観で内部に入り込んだ描き方になっていってます。『デデデデ』が俯瞰的だった理由の一つに、震災があったときに東京にいたから、被災当事者じゃなかったということもあるんです。でも、今って、誰もが世の中全体がやばい世界観の当事者になっているから、主観目線での混沌とした世の中にリアリティを感じてくれる読者がいるんじゃないかなって。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P30-31より

浅野いにおさんのインタビュー部分を読む。「そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています」というのは読んでいてわかるというのはおこまがしいけど、露悪的で過激なことというのはそうなんだと思う。
昔でいうところの「セックス、ドラッグ、ロックンロール」ではないけど、そういうものの現在進行形のもの、でも、そういうものが今一つはアートと融合したり、アイドルとかそういうカルチャーに入っていくと露悪的にはなりにくい気はする。
ドラッグで廃人になるのもスマホで廃人になるのも結果は変わらないとしても刺激を求め続けてより強いものを求めるようになったら基本的には壊れてしまうか、途中で逃げるしかなくなる。その手前でエンタメにできるようなもの、になっていくのかな。


いつもは14時ぐらいまでにTVerに長すぎるオープニングが配信される『ラヴィット!』だが、今日はハロウィンパーティーだったらしく夕方過ぎても配信されずに20時過ぎてほぼ全編があがっていた。
キングコングの西野さんがスペシャルゲストで登場し、「イジリNG」という言葉によってより前回よりもさらにイジるという展開。西野さんはプロデューサーなら佐久間さんであったり、この番組のMCである川島さんだったり、東野幸治さんみたいな人たちの企画や番組だったりするとよりおいしくイジることができるし、西野さんも嫌がりながらもそれを楽しんでいるように見える。

水道橋博士のメルマ旬報』で連載している時に、西野さんが中心になっていた「渋谷ゴーストバスターズ」についてインタビューをさせてもらったことがある。
本当に気さくなおもしろくてカッコいい人だった。今や芸人さんでもオンラインサロンやクラファンをするのは普通になってきたが、西野さんは誰もやっていない時にやっていたので批判もされたりしていた。でも、最初にやっていないことをどんどんやっていったからこそ、お金もちゃんと集めてクオリティの高い作品を作ることもできている。
先日、ニコラの曽根さんと喫茶店で話をしていた時に「ファン」と「信者」についての話を少しした。オンラインサロンとかクローズな場所だとどうしても外部から見えないこともあって、「ファン」がどんどん「信者」化していくことはあると思う。「信者」はお金も出すしイベントとかにもしっかり足を運んでくれるので、主催者は彼らの意見や言動を無視しにくくなるし、彼らが求める教祖になっていくということもある。トップが動かしているように見えて、「信者」たちによって動かされていく集団や団体というものになる可能性はあるんじゃないかなって。
「ファン」は気まぐれだから、ちょっとしたことですぐに離れてしまう。でも、健全さを考えたら減ったり増えたりする「ファン」をできるだけ増やすことがカルト化しないためには必要なんじゃないかなって。「信者」が増えていくとその集団はどうしても暴走してしまうのではないかと思う。
西野さんはいろんなことをやっていることで、一つずつの顔であるし代表でも教祖にはならずに済んでいるだろうし、集まっている人も「信者」にはならないバランスでいるんじゃないだろうか。プロジェクトがどんどんデカくなっているし、動くお金も大きくなったら関わる人たちが増えるから「信者」ではなく仕事仲間や理解者が増えているなら、それが一番いいことだろう。

ライティング作業関連の進捗と今後のことについてことで連絡を待っていたが、まだ諸々と詳細については検討中でもう少し時間がかかるということだった。こちら側としては待つしかないし、特に何もできない。
今日は編集者さん関連では時間を間違えられる、今後についてまだ決まらないという、月末だし来月以降に関してのいい流れができたりしたらいいなと思っていたけど、そんなに甘いものではないらしい。
明日から11月突入、後厄もあと二ヶ月。短いようで長いけど、太宰治賞に二作品応募することだけが優先順位で一番高いものとしてやっていく。

今回はこの曲でおわかれです。
【MV】Creepy Nuts - オトノケ(Otonoke) 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年10月1日〜2024年10月15日)

9月下旬の日記(2024年9月16日から9月30日分)


10月1日
一昨日ぐらいから少しだけ右肩がだるく感じていたのが少し広がっているような気がする。喉の痛みや咳は出ていないけど、これは風邪の引き始めなのか、コロナウイルス的なものなのかわからない。
10月1日日付が変わってからこの日記の9月上旬をアップして、noteの半年前の日記をアップした。


元々仕事をする日ではなかったけど、夕方に会社の自分が所属しているセクションのキックオフ的なものがあるらしく、リモートしてお昼過ぎに向かうというスケジュールだった。

昨日のお昼に書店で買っておいたマーク・フィッシャー著/セバスチャン・ブロイ訳/河南瑠莉訳『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』の最初にある『資本主義リアリズム』刊行時のフィッシャーのインタビュー箇所だけを読む。
元々本国イギリスではこのブログに書いていたものを一冊に綴じた『K-PUNK』が出ていて、日本の翻訳版では三つに分けてリリースされていた。
一冊目の『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』は原著の第一部と第二部を、二冊目の『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』は第三部と第四部を、この三冊目は第五部と第六部と第七部を取り扱っている。
二冊目が一番分厚くて他の二冊を足した文量よりもあって太い。最後の『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』が一番薄いが書籍本体価格はほぼ他の二冊と変わらない。刷り数が減ってしまったのか、最後まで買う人はそこまで多くないのか、需要と供給のバランスだろうか、割高に感じられてしまうが仕方ない。

リモートワークを始めた。朝からradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いて、TVer出川哲朗さんがゲストな『あのちゃんねる』を楽しんでから、午前中は何をBGMにしようかと思っていたら、首筋が痛いというか怠い、全身の節々は痛くはないが、体を触ったら明らかに熱があった。
昼休憩の前に熱を測ったら37℃後半だった。三ヶ月前には初めてコロナに罹患して、二ヶ月前には高熱を出す風邪を引いた。正直そこまで違いはわからなかった。外に行くのを諦めて、とりあえず家にある栄養ゼリーなんかを摂取してから風邪薬を飲んで、休憩中だけ寝ることにした。
その後も熱はあまり下がらずに38℃を越えてたので、夕方からの出社は難しいと上司的なポジションの人に伝えて部屋の中でzoomでそのキックオフを見た。

仕事を18時に締めてから熱を測るとまだ38℃を越えていた。これはあかんなと思って、とりあえず横になっていた。
Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:麻生競馬場)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回更新の『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』を寝ながら聴いていた。
直木賞候補にもなった麻生競馬場さんは「タワマン文学」と呼ばれるものの筆頭株と言えるような存在で名前は知っているが小説は読んだことがない。トークはちゃんとできていた。
慶應出身者の鼻のつく振る舞いは慶應出身者じゃないとリアルに書けないとご自身から話されていた。これは長年の謎なのだけど、僕も数人知り合いがいるが慶應大学を出ていわゆる名前が通っている大きな会社にいるエリートな彼らは、接してみたら実際にはいい人ではあるのだけど、どこか人を下に見ているという、舐めているというか、本人に自覚はないまま自分たち以外を以下省略な割合が他の大学出身者たちに比べても異様に高い気がする。他の大学、昔でいう六大学の中で慶應大学だけそこが突出している。
麻布競馬場さんは元々旧Twitter時代にツリー形式で小説を投稿して10万とかいいねが付いたことで作家デビューしたらしい。だから、やっぱり新しい作家さんの側の人なんだろうな。ただ、トークの中で家には両親の本がたくさんあってどれを読んでも良かったし、月に二冊は本なら買ってくれたと話しているので、発表自体が旧Twitterであったとしても幼少期から読書に慣れ親しんでいて、基礎教養的な部分は押さえているのだと思う。
結局のところ、生まれ育った家や環境における文化資本がのちに形になるということだろう。もし、彼の家が本がなくて買ってもらえていなかったら、いきなり旧Twitterで書こうとしても書けなかったはずだ。

薬を飲んでSpotifyを子守唄がてら流していると、自然と寝落ちする。起きたら熱を測る、を繰り返す。熱が39.9℃になった時はさすがに明日朝近所の内科クリニックに行くしかない、と諦めた。ただ、咳も出ていないし喉も痛くないし、節々が痛いということもなくて熱のみが出ている。可能性としてはコロナかインフルか風邪。7月の時みたいに検査してもらってどの症状なのか特定してないといけない。週末に遠出するつもりだから、その予定を辞めるかどうかの判断はその結果次第。

 

10月2日
7時前に起きて熱を測る。まだ38℃台なので下がっているとは言い難い。9時前に内科クリニックに行くことにして、その時間まで寝転んで朝のルーティンで読書の続き。
BGMがてらradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』と『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を途中まで聴く。
いつもの内科クリニックに行って、症状を伝える。コロナとインフルどちらも検査できるキットで、綿棒みたいなものを鼻の奥に突っ込んで粘膜を取って20分ぐらい待った。院長先生がやってきて、コロナでもインフルでもないと言われて、喉を見られる。大抵高熱が出るのは扁桃腺が腫れた時だった。ここには今の家に住んでからずっと通っているので、先生にも何度も診てもらっている。
症状に関しても、熱以外出ていないから解熱剤しか出せないね、と言われた。ただ、コロナやインフルでないなら、週末の予定は問題ない。とりあえず、夕方まで薬を飲んで大人しくしておくことにした。
お昼寝のお供として『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで。

星野源ANN」は本の話と新刊『いのちの車窓から2』について、僕も短い感想をnoteに数日前にアップした。反応がかなり良くて驚いた。


あのちゃんが着ているパジャマはgroup_inouでお馴染み「イルカのイルカくん」のもの。inou側から送られてきたらしいので、おそらくDJのimaiさんが送ったのだろう。これであのちゃんとgroup_inouがコラボとか、『あのちゃんの電電電波』に彼らがゲストになったりしたらどちらのファンでもある僕としては嬉しい。

この日は19時からアジアンカンフージェネレーションTour 2024「ファン感謝サーキット」のLIQUIDROOMのライブだった。狭いキャパだがありがたいことにチケットが取れていたので、いつもライブに行く友人Aと行く予定だった。
高熱が出てから最初に心配だったのはこれで、熱が下がるのかどうか(二時間近くライブ観てられるのか)とコロナやインフルだとうつす可能性もあるしライブハウスは密集地帯になるので行くこと自体がダメだから自粛するしかないということだった。
結局、16時前になっても38.8℃ぐらい熱があったので友人Aにラインした。無理して行ったことで迷惑かけるのは一番問題だし、今回は諦めるしかなかった。

その後は病院でもらった解熱剤を飲んで寝て、三時間ほど寝て起きてを繰り返した。汗はかなり出るが、熱がなかなか引かない。夜には39℃台に上がったりしていた。それでも咳も出ないし、喉も痛くないし、節々もさほど痛くない。謎すぎる。
友人Aからライブの状況と体調を気遣ってくれているラインが届いていた。アンコールでゴッチさんが一人で『ソラニン』を弾き語ってからのオアシス『ワンダーウォール』のカバーをやったらしい、ああ、めちゃくちゃ観たかったし聴きたかった。

 

10月3日
起きると体は熱っているというか熱くて、37℃台後半だった。ただ、ずっと寝ているせいで腰とか背中がちょっとずつ痛くなってきた感じがあった。
正直熱が出ていること以外は問題がない。ただ、原因もよくわからないし、外に出て急に倒れたりしたら迷惑もかけるし、何かが起きてからだとそれは良くないので基本的には部屋の中にいた。
横になってradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。高三の娘さんとの夜の散歩、今までに何度もラジオのトークで話されているが、こういうお父さんはあまり多くないのだろうし、聴いている同じように娘がいる父親からは羨ましがられているんじゃないかなと、未婚で子どももいない僕でも思う。
聴き終わる頃にリモートワーク開始。座っている方が気持ち楽。ただ熱はあるので集中力はずっと続かないから最低限やらないといけないことをして、ちょこちょこ休憩を取りつつ進める。
熱が出てから基本的にはSpotifyきしたかのポッドキャスト『バナナの天ぷら』をBGMにしている。僕よりは年齢が下の、見た目はおじさん度が高い二人のトークはもう慣れてしまって聴き心地がいい。昼休みはもう寝る。18時までなんとか粘る。
熱は38℃台に上がったりするが39℃台には行かなくなってきた。夜になってから体が前よりもだいぶ楽になったように感じた。37℃台前半になってきたので安心。
日曜日にお邪魔する友達のお母さんとメッセンジャーでやりとりをする。このままなら明日体調が落ち着けば問題ないだろう。行きの新幹線はネットで見てもまだ余裕だったが、帰りに乗る予定の新幹線が空席がなくなっていたので、一つ遅い便を慌ててネットで押さえた。
一ヶ月前ぐらいに駅周辺のホテルが軒並み空室なしになっていて、帰りの夕方前の新幹線が満席になっている(自由席がないため売り切れ)のはなんでだろう、と思ってお母さんに聞いたら「大曲の花火」というのがあってその影響がないかなって。なるほど、しかし、みんな花火とか好きだよね。

 

10月4日
7時前に起きてすぐに熱を測ると37℃前半で落ち着いてきたなと一安心。ただ、昨日夜ぐらいから頭痛はあったのだけど、顎下のリンパがあるところが両方張ってきたような、左側は触るとちょっと痛くもある。唾を飲み込むと喉に違和感がある、喉も腫れてきたような気がする。ようやくなんらかの症状が出てきたのではないかと思いつつ、とりあえずこんにゃくゼリー食べてから風邪薬を飲む。
朝のルーティンはしないで、radikoで『ハライチのターン!』を聴いて、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』の半分過ぎた頃からリモートワーク開始。椅子に座って作業しているとまだ少し体が熱があるのはわかるけど、他の箇所はいつものとあまり変わりがないような気がする感覚。続けて『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を作業中に流していた。イベントのキャパ1000の箱が先行でほとんど無くなりそうらしく、ちゃんと銚子に乗る都築もいつも通りでらしくてよかった。あと年の離れた弟のエピソードもたまに出るけど、それもほんわかする。
午前中に週に一回のオンライン会議があったのでそこで話をしてわかった。声がかすれていた。やっぱり喉にきてるんだというのもわかったし、昨日に至っては人とほぼ話していないから声帯を使ってないからだろうなと悲しくなった。
お昼休みに渋谷駅に行ってネットで予約した6日の帰りの新幹線チケットを受け取って、明日の行きの分も購入。この体調なら行けるだろう。ただ異様に汗をかいた。気温はそこそこ高かったけど、体の熱を下げるためにいつもより汗が出る量が多くなっていたんだと思う。

帰ってからは『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴きながらリモート作業を再開。夕方過ぎに熱を測ってみたら38.0℃あった。これはまた夜ぶり返すの?っていうことが脳裏をよぎり、ネットで「熱が下がらない」を検索するとマイコプラズマ肺炎とか気管支炎とかの可能性も出てきて不安。
そもそも明日福島に行ってから秋田に行くのだが、どうしよう。しかも土日だから病院は空いていない、リモート作業を一旦中抜けさせてもらって徒歩数分のいつもの内科クリニックへ行くとすぐに検診してもらえた。喉を診ると赤く腫れてきているようで、先生も扁桃腺が腫れてきてるから、いつもみたいに抗生物質を出すのでそれを飲んだら治ると思いますと処方箋を出してくれた。
目の前の調剤薬局で処方箋を出して受け取るときに、前に抗生物質でアレルギー出たという話をされてましたねと聞かれた。ああ、ピロリ菌の除菌の時に薬疹が出て、原因がわからなかったやつだ。でも、抗生物質三つとも血液検査したけど、どれも陰性だったからその時の薬疹の原因はそれではないとわかっていたので、そのことを伝えて、三種類の血液検査の結果を画像保存しておいたのをみてもらって問題がないのを確認してもらった。こういう所ちゃんとしてくれて助かるなと思いつつ、先生も前に扁桃腺が腫れた時に出したやつだからって言っていたからたぶん問題はないんだけど、どちらにしろありがたい。
二日前に高熱が出ているのになぜ扁桃腺が腫れていなかったのかは謎だけど、その時に抗生物質出してもらってたらもう治ってたんじゃない?と思わなくもないのだけど、まずはこれで大丈夫なはず。
病院行って薬局で薬をもらって帰るまで30分ぐらいしかかからなかった。帰ってから作業の続きを。なんか来月ぐらいから辞める人とかの関係で仕事の量が変わりそうな感じになってきた。まあ、融通のきく仕事なのでそのくらいは大丈夫かなって思えるぐらいには前向きな気持ちになってきた。やっぱり心身ともに抵抗力つけないとダメだなって、たんぱく質を取らないとダメっぽいし、肉とか魚しっかり食べよう。
ライブに一緒に行く予定だった友人Aもランチ友達な友人Sからもラインもらったりして心配してもらっていて、申し訳なくもありありがたかった。独り者だと倒れたりすると発見された時には手遅れパターンが多いから、体調崩した時には誰かに伝えておくとか、SNSに書いておいたりするのは大事だな。

The BONEZ - Straight Up feat. Kj -【Official Music Video】



Dragon Ash - Straight Up feat. JESSE - 【Official Music Video】



【解説】Dragon Ashまさかの「公開処刑」アンサー! 「Straight Up feat. JESSE」に号泣! 


日曜日にTOHOシネマズ渋谷で『Cloud』観る前に白石和彌監督『十一人の賊軍』の予告編が流れた時に主題歌がDragon Ashでカッコいいなと思っていた。その曲がリリースされていて、前にリリースされたThe BONEZのものは聴いていたけど、対になるというか同じタイトルで相手のボーカルがfeat.で入ってそれぞれのバンドの曲調でミクスチャーロックをやっているのはおもしろいしカッコいいなって思った。 
公開処刑」の後もKjはちょこちょこラップぽいことは参加した曲とかでもやっていたけど、ここまで表立ってがっつりラップをやっているのも確かにかなり久しぶりだ。
解説動画もDragon AshのMV が出てあまり時間が経たないうちに出しているのに内容が充実していた。ここで話されていることだったけど、ロック冬の時代が来てラップの時代になって、と時代が変わっていったけど、今ミクスチャーロックがまたきてる感じなのかな。だとしたらその最前線でずっとやってきたKjとJESSEが組んだこの曲が新時代の始まりを告げるようにも思えてくる。

金曜日の夜はSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』更新日。明日の準備をしながら流していた。もう四年目に突入らしい。夏に一気に初回から配信最新回まで追いついてリアルタイムで聴くようになったけど、それと同じようなことをきしたかのポッドキャストでやろうとしている。彼らは僕よりは年齢は少し下だけどおじさんといえばおじさん。
フワちゃんが消されてしまってからは僕がラジオやポッドキャストで聴いているパーソナリティーで女性はあのちゃんだけになっている。芸人さんが多いから割合的にも男性が多くはなるだろうけど、自分に合う合わないとか、聴いているけど聴き逃せるみたいなものが男性の方が多いのか、この辺りは年齢で変わったりするのだろうか。

わたしは目を閉じて波の音に耳を傾けた。海の中には無数の魚たちがいて、お互いを食べ合っている。飲み込んでは排泄する果てしない数の口と尻の穴。この世は全て穴に尽きる。食べて排泄して性交するだけだ。

チャールズ・ブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』P238より

寝る前に読書をした。その中の一節、ブコウスキーらしすぎてメモしてしまった。

 

10月5日
7時過ぎに目覚ましで起きる。体温計で熱を測ると37.2℃と下がっている。昨日もらった抗生物質扁桃腺の腫れなどを抑える薬が効いているみたいで一安心。寝る前に今日福島と秋田へ行く準備はたいてい終わっていたのでradikoで『きしたかののブタピエロ』を聴きながらスマホを寝転んだまま見ていた。

『ジョーカー』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。満席だった。しかし、この映画をポップコーン食いながら観てるやつの気が知れない。
コメディアンになりたかった道化師(ピエロ)のアーサーがジョーカーになっていく様を観ながら、何度も泣けてきた。
関係ないけどNetflixで見てるドラマ『アトランタ』出演者が二人出ていて嬉しかった。
アーサーと自分の小説をパクられたと京アニを燃やし、殺戮をした青葉が重なる。彼が小説家志望だったのか、原作者になりたかったのかは知らないが、彼は物語を作ろうとしたがなれなかった。
宮崎勤にしろ、少年Aにしろ彼らの部屋には書きかけの、終わらすことができなかった小説があったと言われている。
僕が今、週三でスタッフをやってる「monokaki」はエブリスタのオウンドメディアだ。エブリスタにしろ、カクヨムにしろ、なろうにしろ、小説を簡単に書ける小説投稿サイトのプラットフォームだ。
小説を、文章を書くことはセラピーになる。しかし、一部の人間には被害妄想などの精神的なダメージを与え、最悪な場合は深刻なことになる。しかも、小説を書くプラットフォームは読者(ユーザー、ユーザーとかコンテンツと言い出した時に出版業界界隈は大事なものを失ったと思う)から直接反応がある。普通に精神がタフでないとそもそも耐えきれない。
表現なんて恥ずかしいものを人に晒す、自意識と自己顕示欲が否定される、その時、アーサーのように大事なものがどんどん崩壊していく。コンテストで賞を取ったり、編集者から声をかけられてデビューできるような人間は文章も書けるし、比較的精神がタフだ。そうじゃない人は負のスパイラルに陥る。まあ、デビューしてから病む人ももちろんいるが。
負のスパイラルに入った人たちは作品をパクられた、誰々さんにSNSで誹謗中傷を受けているなどの被害妄想がますます増して精神が壊れていく。実際に作品がパクられたり誹謗中傷をされている人もいるからさらに複雑に問題が入り交じり多層化してしまう。
小説投稿サイトというプラットフォームは大塚英志的に言えば、アガルタの門を開いたという感じだろうか。門を開いて神≒悪魔に願いを叶えてもらえば、同じぐらいの罪を背負うことになる。例えば、転生し七回愛するものを自らの手で殺めるという罪を。
ジョーカーとなったアーサーはゴッサムシティにカオスを解き放つ。
ただ、暴力がそこにはある。
貧しいものたちが富むものたちから奪う。残念ながら今の世界とリンクしている、いやしてしまっている。そして、わかっていたけど見ないようにしていた青葉の問題は僕らではなく、僕の問題に直結してしまう。その感覚。
僕は運がいいというだけでダークサイドに落ちていない、という認識がずっとある。出版関係の知り合いが増えれば増えるほどに、ほとんど高学歴で名前の通るいわゆる一流な出版社とか大手企業な人たちの知り合いが増えていく。僕に大概優しいのは、本来的な資質なのか、余裕があるからなのか、自分が舐められてるだけなのか。
ただ、そこにたいしてさほど怒りもなく憤りもないのは、壊れてしまうほどにはたぶん落ちていないから。ただ、たまに思うのは精神的にタフすぎるのか、そもそも最初から壊れている可能性も頭をよぎる。
アル中みたいなもんで、体が丈夫じゃないとアル中になる前に人は死ぬように、壊れていても体が丈夫すぎれば気づかないままかもしれない。
ジョーカーから青葉を見いだした以上は、このジョーカーみたいにダークサイドに堕ちて尚且つ時代性ともリンクしても、ほとんどの人には共感されることもない彼に向かい合えってことだろうか。
SNSをずっとしていると酩酊状態になっているから、みんなアル中だ、まともな判断も議論もできるわけもないのに、とこの頃思う。

Facebookの過去の思い出で2019年10月5日に『ジョーカー』を観た時のことが出てきた。もうすぐ公開の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』はもちろん劇場で観るつもりだけど、公開が始まっている海外では酷評だったり賛否両論みたいな感じになっているらしい。前作でジョーカーに感情移入した人が歓迎しない形になっている、っぽい。それはたぶん作品としては正しいような予感しかないのだけど。

熱はさほど高い状態でもなく、あとは何ら問題がない感じなので今日明日で東北へ行って帰ってこれるだろうなと思った。昨日38℃越えてる時点で渋谷まで歩いて行って帰ったし、節々痛いとかそういうこともあったら体を動かすのはしんどいけど、熱だけなら汗がどんどん出るぐらいなので水分取ってればいけるし、今年の酷暑みたいな暴力的な気温でもないのでそこで体力を奪われることもない。
10時30分に渋谷駅を出て大宮駅に着いてから、11時25分の東北新幹線に乗って12時17分に郡山着という切符を買っていた。でも、電車が事故とかで遅延したりするかもしれないので大宮に11時前には着いておきたいなと思っていた。
こういう時は間に合わない時刻になるよりは早く着いて待っていたい、余裕を持っておくことが大事、という考えなので10時前に家を出ればよかったけど、9時半にradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら早めに渋谷へ向かって歩き出した。携帯番号に「060」が追加されるというニュースから小宮さんがトークを開始。僕とか40代以上の人間が若い頃からずっと携帯番号をかけていないと「090」を使っていて、その下が「080」になっている。だから、「090」だと40代以上のおじさんおばさんと言われるみたいなニュースも見ていたが、そもそも若者と番号交換しなくないか? LINEとかなら番号知らなくても登録できるし、仕事で名刺渡すことがあっても相手が帰って登録しようと思った時にあの人「090」世代なんだって思う前にたぶん話してる時もわかるんじゃないかなって思いながら聴いていた。
荷物は背中のバックパックと方がけの財布だけ入れているタバコいれサイズのポシェットだけ。ただ、一応MacBook Airは持っていくことにしたので重さのほとんどはそれ。
渋谷に着いたので湘南新宿ラインで大宮へ、早く着いたからこれは一本早く郡山に行けるかもなって思って新幹線乗り場のスタッフさんに聞いたら、僕が乗る予定の前の便は全席売り切れで空席なしになっていた。自由席がないので自分の買った切符の時間までのんびりと待つことにした。と言っても30分ぐらいなので、トイレとか軽く食べたりと問題なく過ごした。

大宮駅から郡山駅までは50分ほどなので郡山に行くのはそこまで距離を感じない。東日本大震災以降に郡山には年に一回とは言えないけど、七、八回は足を運んでいる。もちろん行く理由や目的があるからだが、この距離の近さも大事だったんだなと改めて思う。
実家が岡山県広島県の県境近くにあり、新幹線で帰る時には広島県福山駅で降りて少し岡山方面に戻る感じになる。新幹線で品川から三時間半ぐらい、駅から実家まで車で30分ぐらい、つまり四時間以上かかる。やっぱりこういう時間っていうのはデカい。三四郎は広島でレギュラー番組をやっているが、広島が一番遠いと言っている。
広島空港から広島市までが遠いから、新幹線になるがそうすると東京から四時間近くかかる。僕の家もそうだが、岡山空港まで東京から一時間程度で帰れてもそこから車で二、三時間かかる。広島空港も岡山空港もその近くならいいけど目的地次第ではかなり使い勝手が悪い。
日本中で営業で行っている三四郎が他の地域なら飛行機で行ってもそこから大きな都市(県庁所在地など)があったりする場所が近いこともあって、広島がどういう行き方にしろ一番遠くにあると感じると話しているのをそうだろうなと思いながら聴いている。

12時20分前に郡山駅に着いた。13時半から講義が始まる予定だったが、駅から講演会があるけんしん郡山文化センターまで歩いて20分ぐらい。のんびりご飯を食べてるわけにもいかないし、向かっておいて着いてからそのことを考えることにした。
もうすぐ着くかなって頃に小雨が降り始めた。文化センターの手前にセブンイレブンがあったので、腹ごしらえした方がいいかなって思ったけど、お腹いっぱいだと話を聞いている時に眠くなるかもしれないけど、インゼリーと栄養ドリンクを買った。とりあえず、昼ごはんということにして持ってきた薬を飲もうとして愕然とした。今日の昼以降から三食分の合わせて五回飲むように二種類を持ってきたと思っていたら、一種類だけだった。それぞれ五個ずつに分けたのに、なぜか片方をおいてきて、もう片方を二倍もってきていた。飲んでたら家に帰る頃には完全に体調が治っていると思っていたのに、夜の抗生物質まではとりあえず、一種類を飲むしかない。

けんしん郡山文化センター の五階にある集会室に13時過ぎには入って着席した。かなり広い部屋で二百人ぐらいは入る広さで、この日はどのくらいなんだろう百人以上の人が参加するほど盛況だった。
終わる予定が15時だった。僕が秋田に行くために東北新幹線郡山駅から仙台駅に向かう新幹線の発車時刻が15時58分だった。終わったらできるだけ早くここを出て駅に向かわないといけない。20分ぐらいは見ないといけないのでどれだけ遅くなっても15時30分に出ないと乗れない。
ダメ元で始まる前に古川さんにご挨拶できないかなと思ったけど、始まるまで集中しないといけない時だったので無理だった。それはそうだ、いや、こちらの都合で無理なことをスタッフさんにもお願いしてしまった。申し訳ない、なんかすごく恥ずかしい。古川さんの準備の邪魔をしてしまった。こういう時に自分本位になってものを考えてしまうのは僕の悪い癖というかところだ。こういう部分は僕がある程度関係性ができたり、やりとりをするようになった人への甘えみたいなもので、今までも似たようなことをやってきてしまったし、そのことで信頼を失ってきたことも僕の知らないところでたぶんあった。始まるまでそのことを考えていた。
会場に古川さん夫妻のお知り合いでイベントでよくお会いする方がいらしたので、ご挨拶して同じ長机に座った。三人座りで真ん中が空けられていて二人座る感じになっていた。開始するまでお話をさせてもらって、ちょっとリラックスできた。ありがたい。
〈令和6年度 第76回郡山市民文化祭参加行事〉〈郡山市制施行100周年記念事業〉〈郡山市フロンティア大使就任記念〉文学講演会「郡山を文学史に残せるか[基礎編]」という色々とおめでたいことがいくつか重なった中での古川日出男さんの講演会だった。

話は古川さんのお家のことから。家業の椎茸農家であることや少し年上の兄や姉の存在が大きかったことを話されていた。お姉さんが図書館から借りて帰ってきた本を読み始めたら最後まで面白くて一度も読むのをやめずに読み切ってしまった経験、物語の世界に入って帰ってくるという体験とほんの面白さを知ったこと、高校を出て家業を継いだ兄は映画好きで車が運転できた兄に連れられて小学生だった日出男少年は一緒に映画を観に行っていた。毎週のようにそこで名画座みたいなところで二本立てとかたくさんの映画を観せてもらったこと、兄と姉がいなければ古川さんの作家としての骨格や軸みたいな部分はできていなかったのだろうとわかる内容だった。
高校生になって演劇部に入って戯曲を読み漁って自分で作・演出をするようになり、一緒にできそうな友達をスカウトして県大会で勝てるような作品を作ったこと、その時の仲間や後輩が今も繋がっていて、『ただようまなびや』開催の時に手伝ってくれたこと。その時演劇に誘った友達も高校を卒業後に古川さん同様に上京してきて、ある日手紙が届いた。
「日出男はボルヘスを読むといいよ」と書かれていた。それが彼の最後の言葉になってしまう、彼はその手紙が届いた後に事故で亡くなってしまう。
残された言葉は遺言であり、古川さんはボルヘスを読むようになり、そしてラテンアメリカ文学と呼ばれる多くの南米出身の小説家たちの作品とも出会うようになっていき、それが自身の小説家になるもう一つのルールに原点になっていく。
話はそこでガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』のことに展開していく。僕は聴きながらちょっとワクワクしていた。古川さんの『百年の孤独』論とも言える話も聞けているなと思って。
今という時代のその価値観だけで物事を見てしまうと何がダメなのか? という話も出てくる。二宮金次郎二宮尊徳)像を久しぶりに見たときに、書物を読みながら歩いているのは現代だとスマホ歩きとも言えなくないか、と思って他にも同じように思った人がいるのかと調べてみるといたりする、だが、その人たちは歩きスマホを推奨するようになるので二宮金次郎象は撤去した方がいいという極端な主張をしている人もいる。
でも、二宮金次郎が薪を背負ったまま書物を読んでいるのはその当時の貧しい家の子供は労働力であり、学校に通えなかったからであり、彼はそうやって勉強しながらやがて立身出世していったという、その姿勢を見習えということで像が学校などに建てられているので、歩きスマホに似ているが内実はまるで違う。こういうことも話しながら目の前にあることや物をその時の常識や考えで見ない、「時間の流れの中で見る」ことが大事だと。
百年の孤独』は史実を取り入れながらもマコンドという架空の町の栄枯盛衰を描いている。何年も振り続ける雨の描写、そんなことは起きないけど、ここでは起きていると思わせる場所、神話みたいに思える。マコンドが郡山に、舞台を生まれ故郷にはして神話を書くことはできるのか、という作家としての問い。代表作は30歳の頃に書いたものをあげられている。自分の故郷を舞台にした小説を書きたいし、まだまだ代表作と呼ばれることになる小説を書くつもり、今回はその「基礎編」としての話。
古川さんが郡山を舞台にした二篇の掌編作品がプリントされた用紙が参加者が座った席には置かれていた。侍が刀を持つことを禁止された時を舞台にしたもの、高倉健主演映画の舞台が郡山だった時を舞台にしたもの、前者は明治維新後の世界の混乱でもあるし、あの頃の日本列島にあった様々な藩の人たちは方言がそれぞれ強くて一緒にいても話ができない、結局話にならなくて刀を抜くしかなかった可能性はあったのではないか、だからこそ識字率は高く読み書きでのやりとりは大事だったのかもと言われていて、なるほどなと納得。
後者はファニーなちょっと笑える設定ではあるものの、「東北のシカゴ」と呼ばれるほど治安の悪かった郡山と「東北のウィーン」というようになった現在の落差のことでもあった。若い人なら「東北のシカゴ」と呼ばれていたことは知らない、でも「東北のウィーン」だったり音楽が盛んだということは知っているかもしれない。そうなると昔の歴史の上に成り立っている、イメージを変えなくてならないという動きや運動があった、そういう長い歴史で物事をみると味わいも変わるし、街の見え方もグラデーションする。
基本的には講演会なので、古川さんは物腰柔らかで時には笑いを誘うような言い方だったり、ネタというか郡山の人ならわかるような話をしていた。いろんなところでしっかり自分の考え方やテーマについて話すことがあって、やっぱり場の空気を捕まえている感じがするし、そういううまさみたいなものはやっぱり舞台をやっていたことなんかが大きいのかなって思ったり。

周りの参加者の人たちは話に何度も頷いたり、メモを取っている姿も真剣だった。最後に『平家物語』現代語訳の平清盛が亡くなる時の描写を朗読。入道が最後に体が燃えるような熱で悶え苦しんでいる様、彼がそれまでの常識を破って新しいことに挑戦した革新者だったこと、その罰を受けるかのような壮絶なシーンが続く。
古川さんの朗読しているシーンが激しいのだけど、僕はかなりフラットに聞けた。もちろん朗読されている場面では入道がまさに地獄に落ちんとしている、恐ろしい場面だが、そこに怒気のようなものは声から感じられなかった。声の大きさによって勢いも感じるのだけど、講演会で年齢層が高い人が多く、地元ということもあるのかもしれないけど、時折感じられる「ヤバい、持っていかれる」という怖さみたいなものはなかった。わりと冷静に聴いていた。
古川さん自身がいつもよりもエンタメに寄せているというか、入道の最後がすごかったことがわかる朗読であり、彼の恨みつらみみたいな怨念みたいなものを吐き出すシーンではないから、というのもあったのかなあ。
朗読自体はやっぱりすごいし、いいものを聞かせてもらった。いつもと違うのはその部屋の広さだったり、客層とか講演会というスタイルも関係していて、彼岸や此岸の境界線に連れていくのではなく、ちゃんと聴いていて怖いかもドキドキする、入道最後こんなことになっていたのかと聴いている人に伝えるフォームだったと思う。

やっぱりお役所的イベントでもあるのでちゃんと15時に終了。書籍も販売していて購入者には古川さんがこの後サインをしますというアナウンスもされていた。サイン会に入っちゃうと挨拶無理だなって思っていた。
トイレに行って戻ってくると古川さんの奥さんがいらしたのでご挨拶したら、先ほど時間がなくてごめんって言われて時間ないなら今会うって控え室に連れていってくれた。いやあ、ありがたいし嬉しい。すぐに控え室にいた古川さんに挨拶をして今回の感想とこれから秋田に行くことと、『群像』最新号に掲載されるノンフィクション『四年後に歩く』を読むの楽しみにしていることをお伝えできてよかった。
そのまま荷物を持って、一階へ降りて郡山駅に向かう。15時30分前には仙台行きの新幹線乗り場に着いた。これであとは仙台まで行ったら秋田新幹線に乗り換えれば今日の目標は達成。


郡山駅から仙台駅までは40分ぐらい、秋田新幹線に乗り換える。仙台駅から終点である秋田駅までは二時間二十分ほどとわりとかかる。その時間のほとんどを持ってきていた中上健次著『地の果て 至上の時』を読んだ。かなり読み進めたと思ったけどまだまだ終わりが見えない。
古川さんの話を聞いてから中上の紀州サーガ三部作の三作目を読みながら秋田に行くというのは不思議だった。でも、とても読書に集中できた。


秋田駅には19時10分ぐらいに到着。予約していたホテルは駅から歩いて18分ぐらいとマップアプリに出ていたのでそれに頼ってドーミーイン秋田へ。着く前に何か食べようかと思ったけど、居酒屋さんが多いし、最悪コンビニで何か夜食買おうかなって思った。とりあえず荷物置いて楽になりたい一心でホテルへ。
チェックインして部屋に。ドーミーインだから夜鳴きそば食べるなってどこかで思っていたけど、21時30分からだった。うーむ、まだ20時にもなっていないし、食べたいけどそうすると待つ時間わりとある。
飲み物なんかを買いに駅方面のコンビニに行って帰ってきてから、せっかく天然温泉大浴場もあるし、ひとっ風呂浴びてくるかと11階へ。
新幹線にずっと乗っていたのもあって背中がガチガチだったりしたから、温泉が気持ちいし入ってよかったあ、といい気持ち。でも、入った時はいいんだけど出た後にその日の疲労が可視化っていうか体がわかるあの感じ、今日めっちゃ疲れてるなって大浴場から部屋に戻って寝転んだら感じてしまった。
持ってきていたMacBook Airwi-fiに繋いでTVerで『夜明けのラヴィット!』を見ていたら21時半前になったので一階のフロントを通り過ぎてレストランへ。

ドーミーイン名物の夜鳴きそばをいただく。そばって言ってるけどラーメンですね、醤油ラーメンかな、ちぢれ麺も美味しかったしスープも全部飲んでしまった。
これだけでは足りないなと思っていたので、コンビニでおにぎりを買っていたので部屋に戻ってそれを食べてから抗生物質と二つのうちの一種類の薬を飲んだ。
今日聴いていなかった『バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoでかけて聴いていたら寝落ちした。

 

10月6日
6時にセットした目覚ましで起きる。15分から朝食が始まるのに合わせていた。一階のレストランに降りてバイキング形式の朝食を取った。いぶりがっこクリームチーズを添えた小鉢とか秋田っぽいものも取ったが、基本的には焼き魚にウインナーに鮭の炊き込みご飯ときのこが多い味噌汁みたいな普通なものに。
チェックアウトは11時だが、10時には駅の東口で友達のお父さんの車に拾ってもらうことになっていたので、部屋に戻ってからradikoで『永野のオールナイトニッポン0』を聴きながらチェックアウトの準備を始める。永野さんが「ANN0」登場した放送は途中、カミナリのたくみに電話を繋いだりしながら、永野さんらしい発言でYouTubeでの無双とはまた違うトークでしっかり楽しませてくれた。


待ち合わせの秋田駅東口にギリギリに着くのは自分的には嫌なので、9時前にチェックアウトして駅に向かう。
駅前のロータリーみたいなところでのんびり待っていたら、お父さんから電話がかかってきて、ホテルのロビーにいますとのこと、連絡の行き違いか、東口に来ていますとお伝えしたら引き返してくださることになった。
すぐに車が到着して、3月頭に形見分けを引き取りに亡くなった友達が住んでいた蔵前のマンションでお会いして以来ぶりにお父さんとお会いした。助手席に座ってお父さんが運転する車で秋田駅から実家へ。
秋田駅周辺はさすが県庁所在地のあるところの駅だから開発も進んでいたし、大きな駅だなって思った。離れていくと自然が多くなるし、うちの実家もそうだし、全国のロードサイドにあるようなチェーン系の大型店が並んでいるのでどこか既視感がある。日本中の国道沿いにある風景というのはそこまで大きくは変わらない。かつてファスト風土化(評論家の三浦展が導入した概念。 地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていくことを、その象徴であるファストフードに喩えて呼んだ。)と呼ばれた景色。

車で20分ほど移動した場所にある実家について、お母さんとも3月以来ぶりにお会いすることができた。一階のリビングのテーブルに三人で座って話をした。仏壇に友達の写真があり、彼女の部屋にあったクローゼットというか棚がそのまま持ってこられていて、あの部屋の一部がそこに移設されていて、お母さんが飾りつけをされていたのでかわいかった。
お二人とも元気そうなのが何よりだった。友達のことを話しながら、どこか客観的にというかこの状況が不思議だなって思っている自分もいた。友達の実家に来ているのに本人はいない、今年2月に初めて会ったご両親と一緒に話をしている。
一月末に亡くなったことを知らせてもらった時にも思いもしなかった光景がある、というかそこにいる。蔵前のマンションを退去する時にも彼女の喉仏の骨は持ってこられていたけど、実家の仏壇にもあって、見せてもあったし触った。前みたいに涙は出ないけど、なんだかそうすることで亡くなっていることを僕自身が再確認しているようなところもあった。お父さんお母さんも骨の一部はお家にあるので、樹木葬をして他の骨は納骨しているけど、近くにいると感じやすいんじゃないかなって。
お昼はきりたんぽを出してもらって三人で一緒に食べた。初めてのきりたんぽを友達の実家で食べることになるとは思いもしなかった。お米から作ってるから、お茶碗ないというかお米はいらないんだって理解した。具沢山で鶏肉も美味しかった。おかわりもいただいた。
車に乗って三人で彼女が樹木葬で埋葬されている場所へ向かう。どんどん山道になっていく。「熊注意」の看板もあって、出るらしい。杉がたくさんあって、秋田杉というみたいで高くそびえている木の形、上方の尖り方みたいなものは今まで見たことないものだった。
途中トイレ休憩がてら道の駅に寄ったり、お供えする花を買ったりしながらドライブ。お母さんが一度、乗る前に発進してお父さんと友達が話し続けていてお母さんがいないことに気づくまで時間がかかった話をお母さんが楽しそうに思い出して話してくれた。
思い出というのは場所と紐づいていく、いつか形が変わってしまってもその場所に来るとその時誰とそこにいたとか、どんな話をしたとか音楽を聞いていたとか、思い出す。


夏が終わって秋に近づいているのでまだ樹齢が若い桜の木は大丈夫かと思うぐらいに葉もなかったけど、これから時間をかけて幹も太くなっていくのだろう。友達の骨が納骨されているところのプレートに水をかけて手を合わせた。お父さんとお母さんは買ってきた花をキレイにお供えしていた。
お二人は八月に納骨して以来ぶりだったみたいだけど、三人で一緒に来れてよかった。確かにここに来るまでの山道は雪が降れば除雪車で除雪はしてくれるかもしれないけど、その道から脇に入るようなこの墓地に入るところまでは除雪はしてくれないだろうから車で来るのは難しくなるだろうし、そもそもこの辺りも雪で埋まってしまうだろうからどこに彼女の名前のプレートがあるのか見つけるのも難しそうだ。

お参りしてから車で角館の武家屋敷通りに連れて行ってもらう。新幹線の時刻までそこを散策した。武家屋敷の石黒家や角館樺細工伝承館などにも三人で鑑賞しに入る。この辺りはいまだに武家屋敷が保存保管されていて、春先になるとしだれ桜が咲き誇って観光客がかなり来る場所らしい。歩いている人の中には海外からの観光客らしい人もかなりの割合でいた。
展示品なんかをそれぞれのペースで進んで見ていく。一人だったら入らないかも知れなかったところに足を踏み入れる。そこにある昔から残っているものの気配とか時間や歴史みたいなものがある。人間は生きても百年だけど、物もやがては朽ちていくとしてもそのぐらいの時間は大切に扱って大事にしていれば形は残る。
昨日の古川さんの講演会での神話と歴史、長い時間で物事を見るということはそういう物たちを見ると感覚としてよりわかってくる気がする。たかだか百年の人生で今目の前にある事柄や状況だけで物事を見ているとその常識や当たり前は数十年後には真逆の意味や否定されるものになるかもしれない。その時間の尺度を感じて知っておくこと、それを考えるときに基準というか物差しにしていないと、今だけの価値観で過去のことを否定しまうこともあるし、形あるものを破壊してしまったりする。そうなってしまうと元には戻らない。
未来の世界から見たらどう見えるのだろうか、今の視座で物事を考えないと何も建設的には進まない。当たり前だけど言葉を扱うこと、歴史を正しく知ることができないと過去に起きたことの背景や理由、そしてそれがどう現在につながっているかわからない。その上で何を残していくのか、残さないといけないことなのか、お金はあらゆる頃にかかるが価値がないと政治や自治体が決めてしまえばいいものではない。
人々の生活に中にあった風習や使ってきた道具だって、かつての資料もなければ聞き取りもしていない地域のものは残っていない、道具も同じように消えた物も多い。そういう生活から始まるもの、文化財だって同じように今の基準からしたら不適切だと一方的に処分したりするのは間違っている。かつて間違っていることを行っているなら、そのことは残さないとなぜそんなことをしたのか、それが起きて何が変わってしまったのか、みたいなことを考えることができなくなるとまた同じようなことを繰り返すし、空白が生まれると人々は都合のいい物語を埋め込んでしまう。

16時前に角館駅に車で送ってもらう。また、お二人が東京に遊びに来られるときにご飯をすることになったので楽しみ。なんだかんだ薬も効いていて扁桃腺が少し腫れているようには感じるが他は問題なくなっていた。
少し遅れて16時30分ぐらいに到着した新幹線に乗車して大宮駅まで二時間半ほどの道のり。朝聴いていた『永野のオールナイトニッポン0』を聴いて、途中からSpotifyの岸たかのポッドキャスト『バナナの天ぷら』の続きを聴いていた。座っているうちに寝るかなって思ったけど、眠気は来なかった。
大宮駅に着いてから埼京線に乗って渋谷駅まで40分ぐらい。20時ぐらいに渋谷駅に着いたのでそのまま電車で最寄り駅まで乗ろうかと思ったけど、日曜日の雑多な人混みで溢れる渋谷を歩いて帰るのもいいなって思って改札を出てスクランブル交差点を渡って道玄坂を上って家の方に歩き出す。
日曜夜だけど人が多いし、旅行者も多いし浮かれ取りますなあって思いつつ、繁華街というか人が集まるところは色々と嫌なこともあるし、邪魔くさいしうるさいけど、人間が生きている感じが濃厚で、嫌いではない。
途中でスーパーに寄ったりしていたら家に帰ったら21時過ぎだったけど、計画通りには行って帰って来れた。洗濯機を回したりシャワーを浴びたりして、我が家だなって、この狭い部屋が東京の僕の居場所だ。

Pubis Angelical(「天使乃恥部」) 

菊地:基本的な世界観はずっと同じです。最新アルバム(『天使乃恥部』)のタイトルにはマニエル・プイグの小説(『天使の恥部』)のイメージ的な癒着がありますが、それは『南米のエリザベス・テイラー』からすでにはじまっていました。ペペ・トルメント・アスカラール名義のアルバムは、『野生の思考』(2006年)、『記憶喪失学』(2008年)、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(2009年)、『戦前と戦後』(2014年)、という流れの中、生演奏のデトロイト・テクノ、奇数拍子のサルサ、戦前歌謡のリモデル、等々、ボキャブラリーは拡張してきましたが、詰まるところ、映画と文学と音楽が夢というフィールドで液状化する、というのがこのバンドのブランディングであり、それは今も揺るぎなく続いています。

 話が少しズレるかもしれませんが、この9月に久々にX(旧Twitter)をやったんですよ。ドワンゴのブロマガをやっていたんですが、サイバー攻撃で出せなくなってしまい、その間、久しぶりにXでもやってみるかと。そのときも当然のように「今の若い人は長文は読みません」「短文のブロックをいくつも作ったほうがいい」「それが若者に対するマーケティングです」みたいなことを言われましたが、やってみたら長ければ長いほど閲覧数平均が上がりました。すべてにおいてそうなんですが、僕がやることに追随する人が大勢出てきて時代が変わる、みたいなことは起きなくて、「俺は好きにやるけどね」というだけなんですよ。何が言いたいかというと、徹底的な個人主義こそが集団主義を活性化させるということ、あと、クリシェは存在するが、絶対ではないということ。

菊地成孔「徹底した個人主義こそが集団主義を活性化させる」 AI・サブスク時代に根付いた“クリシェ”への姿勢

寝転んでスマホを見ていたら菊地さんのインタビューがアップされていた。ニューアルバムのレコ発的な菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのライブというか、コンサートは今月末にあるので非常に楽しみ。アジカンのライブに行けなかったのが悔しすぎたし、今予定されているライブには全部行く、そのために健康でいないと行けない。

 

10月7日
6時過ぎに目が覚めてトイレに行ってベッドに戻ってから、今日のスケジュールを見る。朝のライティングを予定に入れていたが、正直体が疲れているのでまだ寝たい。その欲望に負けて8時に目覚ましをセットし直して寝る。
起きてから朝のルーティンは吹っ飛ばして、リモートワークを始業時間から開始、ポッドキャスト番組『バナナの天ぷら』をBGMがてら流しながら作業を。
二時間ほどしてから飽きてきたので、TVerで『オールスター後夜祭』をもう一度流したりした。この番組は毎回見ているけど、今回は冒頭から「フワちゃん」の名前が出ていたり、やす子が「フワちゃん見てる〜!」と叫ぶなど、芸人さんたちらしい部分と演出をやっている藤井健太郎さんらしさがあった。そもそもこれらの行為を不謹慎だとか言ってるような奴は、そういうお前らが消したのがフワちゃんであり、彼ら芸人がフワちゃんをいなかったことにしたのではなく、世論というか一部のバカなSNSユーザーの声と炎上したことでスポンサーの顔を見るテレビでは使えなくなっていき、結局芸能活動ができなくなってしまった。


昼休憩の時に駅前に出て、蔦屋書店で古川日出男さんノンフィクション『四年後に歩く』を読みたくて『群像』11月号とチャールズ・ブコウスキー著『詩人と女たち』新装版の河出文庫を買う。
ノンフィクション『四年後に歩く』は古川さんの単行本である『ゼロエフ』の装幀デザインと通じる表紙になっていた。2020年夏には歩いて入ることのできなかった帰還困難区域を古川さんが単独で歩いた記録。郡山でご挨拶した際にこれを読むのを楽しみにしてますとお伝えしたので、ゆっくりとじっくり読もうと思う。


上が旧版、下が新装版のチャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『詩人と女たち』の装丁デザイン。


河出文庫で新装版が出た四冊(『くそったれ! 少年時代』『勝手に生きろ!』『詩人と女たち』『死をポケットに入れて』)を並べると少年から老人までの巻き物みたいに繋がっている。『死をポケットに入れて』と『くそったれ! 少年時代』も繋がるので円環の輪になる。
ブコウスキーは死んだけど、詩と小説は今でも読まれ続けている。これは本当にすごいことだ。ただ、亡くなる時が1990年代ぐらいだから、ここで書かれているブコウスキー自身に起きたであろう出来事が尾びれ背びれついているとしても現代の時代では女性蔑視とか差別的だとか、常識的にはアウトになっているものが多いのは事実。
アウトローブコウスキー男のロマンを感じていた上の世代の人たちも多いだろうが、かつてそんな時代があったというのノスタルジーとして楽しむしかない、彼や彼の作品は時代的にアウトだからという理由で否定されることはないし、残ったものはちゃんと今にだって届くものが、響いて誰かを突き動かすような力に満ちている。

リモートが終わってから、Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』最新回を聴きながら、郡山と秋田に行って帰ってきた日の日記を書くことにした。向こうに行っている間は一文字も書かなかったから。「ライカタ」は前回の下駄を売りに行く話の後編、フリマで売る話の続きだったが、オチが酒井さんらしいなっていうものだったのでほっこりした。
5日と6日の日記は思ったよりも長くなったので、今日は自作のライティングは諦めて寝ることにした。

 

10月8日
朝起きてから読書とかの朝のルーティンもしようという気にならず、土日の疲れが昨日でまだ回復していないので午前中はだらだら。radikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴いたり、出川哲朗さんがゲスト後半回の『あのちゃんねる』を見たりしていた。
あのちゃんがテレビ出始めの頃に出川さんは共演していて、正直クスリやってると思っていた。イジるとヤバいからできるだけ刺激しないようにしていたと懐かしみながら、現在のあのちゃんの状況を成長したなと言っていた。
同時に会った頃から天才だという言い方をしていて、リアクションとかの反応もいわゆるリアクション芸人がするものとはまったく違う行動なんかを絶賛していた。見ながらあのちゃんってある種のトリックスター的な資質がある人なんだろうな、素戔嗚的な。


トイズファクトリーのネット通販で予約していたanoニューシングル『許婚っきゅん』初回限定版が届いた。まあ、普段ラジオとかで楽しませてもらっているのでちゃんとお金は使いたい、まあ来月のツアー追加公演行くしというのもある。
初回限定版には「ano 1st Album Release TOUR 「猫吐極楽つあー ~何&卒よろしゅう~」2024年2月22日 Zepp Haneda(TOKYO)」Blu-rayがついている。まあ、Blu-ray見れる装置がないのだけど、まあ、いつか見るかもしれないし、見ないかもしれないけど。
『許婚っきゅん』はスマッシュヒットして彼女をアーティストとして有名にした『ちゅ、多様性。』を作ったチームが楽曲制作しているので中華ぽさもありつつ、アニメ『らんま1/2』のオープニングなのでどのくらい浸透するのか。


お昼を食べてから昨日買っていた『群像』11月号掲載の古川日出男さんノンフィクション『四年後に歩く』を読み始める。
『四年後を歩く』を読みながら日曜日に訪れた友達が納骨された場所のことと、古川さんが土曜日に講演会で話されていた時間の流れの中で見る、ということが僕の中で一つに繋がってくるような感覚になってきた。
この『あるこうまたあおう』シリーズは前回の第一弾「キカイダー石巻鳥島、福島」 に続く、第二弾は四年前の『ゼロエフ』取材時には帰還困難区域で歩行での立ち入りが禁止されていたエリアを古川さんが単独歩行で完歩した時のノンフィクション。
福島県浪江町幾世橋から大熊町小沢へ」「福島県大熊町小沢から富岡町駅前へ」に二パートで構成されている。そのエリアに以前入った時のことやフクイチや汚染水とアルプスや、境界線はどこで作られるのかということを考えながら、あるいは読者にもそれらのことがわかりやすく説明されながら進んでいく。
今回も素晴らしかった。あの時歩いて入れなかったあの区域の中へ、そこで震災後から現在までに起きている状況や情報がわかりやすく書かれながら、古川さんが肉体を酷使して歩いていたことがしっかりと伝わるものとなっていた。動物たちの死骸や糞というものが放つ生と死、標識(メッセージ)と現在の建物やアルプスのことも目に浮かんくるようだった。
最後に出てくるあの植物と僕が観にいくことができなかったステージがあった場所の風景が沁み入った。僕もそこの風景が見たいと思うし、あの時古川さんたちと一緒に歩いていて、あの区域だけは歩けていないんだなって、6号線のそこだけ抜けているんだなってことがどこか心残りではある。


17時半から講談社の社員で友人Sと打ち合わせだったので16時過ぎに家を出たら小雨だったが、傘はいるぐらいの降り方だった。渋谷駅まで歩いて半蔵門線永田町駅有楽町線に乗り換えて江戸川橋駅で降りる。地上出口すぐの神田川をいつもの位置で写真に撮る。なんかここに来ると撮りたくなる。
そのまま歩いて護国寺駅にある講談社に行って編集者の友達を呼び出して、近所のカフェで二時間ほど打ち合わせがてら近況報告と今後のことをたくさん話す。
窓の外は帰宅する学生や社会人たちがどんどん行き来していて、雨はどんどん強くなっていた。目の前の大きな道路はずっと車が行き来しているのでヘッドライトが照らした道に降っている雨がキラキラとして反射しながら光っていた。
今年に入って停滞していた事柄も今回の打ち合わせで少し進んでいくと思うし、なんとか仕事にしていきながら、お互いにこの状況を改善するために、よくしていくためにやっていこうと前向きな話がこのタイミングでできてよかった。

帰ってから火曜日更新のSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:コムアイ)、『あのと粗品の電電電話』を聴きながら夜にライティング作業を進める。
「しくじり」はゲストのコムアイがめっちゃ高校生ぐらいからすでに今の感じになるような動きをしていたというか、ピースボートの事務所に入り浸りだったり、環境問題とかにもすでに興味があったりとかの10代の頃からしっかりトーク。「水曜日のカンパネルラ」初代ボーカルになったのは成り行きだったりとか、考え方がワールドワイドだし、疑問に思ったことは知りたいという好奇心が旺盛な人で話を聞いていると魅力的な人だなって改めてわかる内容だった。こういう時は平子さんが興味あるんだろうなってわかるぐらい反応がいい。
「あの粗品」は互いにそれぞれのファンクラブのことなんかを話しつつ、やっぱりこの二人のトークの温度感とテンポも好きなので聴いているとうれしい。

寝る前に少しだけ小林秀雄著『作家の顔』の「志賀直哉論」のところを読んだけど、志賀直哉って読んだことたぶんない。
ブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』はというか彼の作品にはチナスキーというブコウスキーの分身が主人公なのでほぼ私小説であるのだけど、日本の作家で一番近かったのは亡くなった西村賢太さんだったなと思う。実際にいたら付き合いたくないもん、怖がりなんだろうけどすごい他者へ攻撃的だし口悪いし、まあ一緒にいたりすると喧嘩もしながらまた会いたいなって思えるんだろうけど、こういうタイプに私小説的なものって今は個人出版のエッセイに移り変わっているのかな、どうだろう。
一緒に併読しているのがJD.サリンジャー著/金原瑞人訳『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年新潮文庫版。前に単行本が出た時に読んだけど、まったく内容覚えてなかった。サリンジャーは世界中で読まれて多くの人に影響を与えた小説家、ジョン・レノン殺害半のマーク・チャップマンは『ライ麦畑でつかまえて』を薦められ、主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいったと言われているし、ジョン・レノンを殺害後に『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいる間に逮捕されている、ということは僕でも知っている。
文学は大抵の場合、多くの人を飛び越えては行けないラインの向こう側に向かわなくさせるが、一部の人を飛び越えさせてしまう何かも秘めている。そういうことは大塚英志さんが言っていたことの受け売りではあるけど、そういうものなのではないかと思うところもある。日付が変わったので『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ちした。夜も冷え込んできた。

 

10月9日
6時過ぎに目が覚める。寒い、部屋の中がすでに寒く感じる。真冬のそれではないけど、秋よりは冬よりな室内の温度感。体調は復調していてもう熱もないので、より寒さが染みる。

 祖母は明らかに喜んでいた。きびしい唇の線が艦み、しかも永年の鬱積がそこに解き放たれて、今の侯爵の代になってからこの邸に澱んだものを、自分の言葉で一挙に打ち払ったような満足感に溢れていた。それはひとり、息子である現侯爵の科のみではなかった。この邸のまわりにあるもの、十重二十重に彼女の晩年を遠巻きにしてやがて押しつぶそうと企らんでいる力への、祖母のこんなしっぺがえしの声は、明らかに、あの、今は忘れられた動乱の時代、下獄や死刑を誰も怖れず、生活のすぐかたわらに死と牢獄の匂いが寄せていたあの時代から響いてきていた。少くとも祖母たちは、屍体の流れてくる川で、おちついて食器を洗っている主婦たちの時代に属していた。それこそは生活というものだった! そしてこの一見柔弱な孫が、ものの見事に、その時代の幻を眼前に蘇らせてくれたのである。祖母の顔にはしばらく酔うような表情が泛んでいたが、あまりのことに返す言葉も知らない侯爵夫妻は、じっと遠くから、侯爵家の母としてはあまり人前に出したくないその野趣に富んだいかつい老婆の顔を、呆然と眺めていた。

三島由紀夫著『春の雪』P354

リモートワーク開始前に朝のルーティンがてら読書を。『春の雪』も半分は過ぎてこれから悲劇へどんどん突入していく、というところなんだけど、主人公の松枝清顕がやってきたことが父の公爵にバレてしまい、今後の話がされているところで、清顕の祖母についての描写がすごく気になった。こういう描写ができるのは本当にすごいなって思うし、人間が抱える複雑な心境や時代と共にあったものが短いながら書かれているので書き写した。

起きてからはradikoで寝落ちしたので途中から『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いてから、『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』と続けて作業用BGMとして流していた。
リモートワークを開始して午前中は小雨だけど雨が降っていて気温は下がっていた。「爆笑カーボーイ」を聴いていると本当に太田さんは元気だなって毎週思う。仕事は多忙なんだろうけど、人と会うこと、芸人が好きなんだなってことがよくわかる。もちろん、ずっと漫才もやってきてテレビにも出続けているんだけど、ここにきて盛者必衰じゃないけど大きな事務所だからこその綻びみたいなものが出てきているし、大きくなればなるほどに問題は大事になっていく、そこではその当事者よりもたとえば株主のことだとか仕事で付き合いがある人たちの会社のことや世間体が優先されてしまって、ケアもできずにただクビを切るようなことになったりすることがあるんじゃないかなって。太田さんたち自体が大手を辞めて独立した人たちだから、大きな流れの中では翻弄されてきただろうけど、それまでの常識や権威やルールが覆るときにはやっぱり強い。
星野源ANN 」は再来週のスペシャルウイークは「ニセ明のオールナイトニッポン」をやるらしい。僕はいまいち「ニセ明」というキャラクターがわかっていなくて、星野さんのオルターエゴみたいなことでいいんだろうけど、あのキャラちょっと苦手。
「あのANN0」も再来週のスペシャルウイークの話をしていて、ゲストがファーストサマーウイカさんだった。彼女のオールナイトニッポン0も聴いていたけど、フワちゃんがやっていた枠の前がそうだった。元アイドル同士で昔から知っているとか、今はマルチに活躍しているとか共通点が多い二人のトークは楽しみ。


SOPHIA / 街(Official Music Video) 


傘は必要だったけど、外に出てご飯だけ炊いていたのでおかずの惣菜を買ってきたので食べながら『ラヴィット!』をTVerで見ながら食べる。
アルピー酒井さんがソフィアの松岡さんの前で『街』を歌うという前にも爆風スランプの前で歌ったりしたのと同じパターンの謎におもしろいやつ、あとちょっと本当に元気になれる。
この一曲後に松岡さん以外のソフィアのメンバーがサプライズ登場して、ソフィアとして『街』『黒いブーツ』を披露。松岡さん50歳越えてるみたいだけど、フロントマンで人前に立ち続けている(舞台とかも精力的にされている)人は嘘みたいに若い。

夜は「月刊予告編妄想かわら版」の原稿を最後まで一旦仕上げる。これで寝かせて数日後にリライトして出来上がったら送る。
寝る前に明日の予定の確認とかしていた。これでいいのかなと思うけど、明日行ったほうが今後のスケジュール的にもいいと思うのできっとこれでいい。

 

10月10日
朝起きて朝のルーティンがてら読書を少々。土日で福島と秋田に行くことを決めた後にこの木曜日はとりあえず決めていたことがあった。夜は本来なら浅草キッドのお二人が久しぶりに揃うというか、一緒にイベントに出る『キッドリターン アサヒ芸能人トークライブ』というのが浅草の東洋館フランス座で行われる予定でチケットは発売したときに取っていた。
僕はちょっと勘違いしていて浅草キッドのお二人が漫才をするものだと思っていたが、『アサヒ芸能』の誌面でやっている浅草キッド吉田豪さんの対談をトークイベントでやるというものだった。
博士さんが政界進出したこと、所属していたオフィス北野の崩壊、玉袋さんが他のたけし軍団の方と距離をとっているように見えること、そもそもコンビだけど違う事務所で漫才もずっとしていないし、コンビでの仕事もほぼなかったということがあり、浅草キッドのファンの人なら二人が揃うだけで観に行かなければというトークイベントになっていた。
水道橋博士のメルマ旬報』の末席に加えてもらっていたが、僕自身は浅草キッドの漫才を見たことがない。そのぐらい二人は漫才をしていなかったから一度は漫才を観てみたいと思っていた。でも、どうやらトークっぽいなって思ったので無理して行かなくてもいいかなって思うようになっていた。それで知り合いの人でチケットが取れなかったとポストしていた人がいたので自分のチケットを譲ろうかと思ってDMしたが、スケジュールが無理らしく行けなかった。
当日の午前から昼過ぎまでは浅草付近、というか深川とかに行くつもりだった。それでもし夜までかかったら行けばいいやという気になっていた。
僕が立てていたプランは午前中に東京都現代美術館に行き、現在開催中の「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観る。その後、そこから歩いて20分以内、押上方面に歩いたところにある「田河水泡のらくろ館」に行き資料などを見る。そこからスカイツリーのある押上駅方面に北上していくと亡くなった友達が住んでいたマンションがあるのでそこの前を通って駅へ。もし、元気があって余裕があれば押上駅からアサヒグループの本社の上にある金色のうんこと思われているオブジェを横目に吾妻橋を渡って浅草駅に行こうかな、要するにその付近はヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の舞台を見る形になる。

9時を過ぎた頃に家を出る。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷駅へ。半蔵門線に乗って東京現代美術館の最寄駅の清洲白河駅まで。そこから十数分ぐらいの距離だが、前に来た時にも気になっていた途中にあった深川江戸資料館へ入ってみる。入場券を購入して中へ。

江戸時代の深川のことを知りたいというよりも、田河水泡東京府東京市本所区本所林町生まれで、28歳までは深川に住んでいたのでエリア的に知っていてもいいかなって思う程度だった。
田河水泡は漫画を描くようになる前後で中央沿線に引っ越しをして小林秀雄の妹の小林富士子(高見澤潤子)と結婚するので、漫画家になる前、結婚前までは深川付近で過ごしていたということになる。東京湾が近く、隅田川が流れている近くで彼は生まれ育った(実際には引き取って育ててくれた父の姉である伯母とその夫の伯父の家が門前仲町に近い深川だった)ことも肌に感じておきたかった。
深川江戸資料館は江戸時代の深川のまちが再現されていて、スタッフのおじさんが入り口付近では色々と説明をしてくれた。江戸城の周りは武士が住んでいて土地を持っているので、この辺りも開発して町民が住めるようにしていったこととか、火事が多かったのでどういう風に町が作られていていたのかなんかを教えてもらう。一時間ばかり深川江戸資料館で中を観ていた。

東京現代美術館へ歩いて移動。「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」の展示を観る。平日だけどそこそこ人は来ていた。入ってすぐのところは写真撮影NGだったけど、草間彌生さんの作品がたくさん置かれていて、学生運動を得て自身も芸術的な活動をしていた高橋さんが草間彌生さんの作品やパフォーマンスを見て、ものが違う、本物の表現だと思って自分は表現活動をやめて精神科医となったという文言が書かれていたので、その始まりとして草間彌生さんの作品が最初の方に位置していたんだと思う。
個人でこれだけ多様な作品を所有しているということが意味がわからないし、どんだけ金を持っているのか(買っても保管する場所だけでもちょっとお金とか想像つかない)という下世話なことも思いながら中を見て行った。


あまりにも多くの作品群が押し寄せるように展示されていて、観ていて疲れるというか、観疲れモードになってしまったし、お昼を過ぎていたので何かお腹に入れようと思って二階にあるカフェで一息。
秋田に行ったばっかりだったし、亡くなった友達とも一度ここでお茶をしたことがあったので、なんか昼からビールも。喉がめっちゃ乾いていたみたいでビールがあっという間になくなってしまった。

東京都現代美術館を出てからは「佐久間宣行ANN0」が聴き終わっていたので、ここからはSpotifyポッドキャスト番組のきしたかのの『バナナの天ぷら』の続きを。きしたかのの二人はコンビどちらとも深川の出身なのでそれも合わせてみた。もうすぐ『バナナの天ぷら』の配信も最後まで辿り着ける、そうするとTBSラジオでこの番組を受ける形で始まった『きしたかののブタピエロ』に入る。
美術館から北方向へ歩いて行き、小名木川を越えて十分ぐらいで田河水泡のらくろ館へ到着。前にここに来たのは何年前だろう、その時から田河さんや妻の潤子さんの書籍も買って読んだりしていたけど、漫画家になるまでの、田河水泡になる前の高見澤仲太郎についてのらくろが語るみたいなテイストで小説にしたいと思ったまま形にできていない。
いろんなことがあるけど、この深川という地域とかも前よりも僕には意味が出てきているから書かなきゃ、という気持ちをもう一度確認、うーむ、書くための準備運動してここに来たかった。
田河水泡のらくろ館の展示自体は変わっていないし、そこまで大きくないのですぐに観終わる。でも、深川で28歳まで住んでいたとか、そういう言葉であったり、彼に漫画を書けばとすすめた講談社の編集者や担当することになった編集者(のちにどちらも『少年倶楽部』編集長になる)の名前はメモしておいた。
漫画家になる前は落語作家だったので、深川に住んでいる時は自分で新作落語を書いていて、漫画家になって連載を始めると中野区に引っ越しをしている。だから、彼の青年期を書くなら深川が舞台になる。


田河水泡のらくろ館からほぼ直線上に真っ直ぐ歩いていくと友達が住んでいたマンションがある。その前を通って、あの部屋にはたぶん新しい住人が住んでいて、その人の気配で満たされているのだろう。
そのマンションから北東に向かっていくとスカイツリーが近づいてきて押上駅方面になってくる。駅付近になると海外からの旅行者もたくさんいるし、曇り空だったけど観光客がたくさん歩いていた。このまま浅草へ、という気にはならず電車に乗って渋谷方面へ。四時間ほど歩いていたので電車の中でうとうとしてしまった。


最寄駅に着いてから、ちくま文庫木山捷平小説集が出て入荷しているかなと思ってトワイライライトへ。まだだったけど、このところ書店に行くたびにないかなと思っていた戌一著『異界夫婦』が入荷していたのでそちらを購入。


家に一度帰ってからちょっと横になっていたら少しだけ寝ていた。17時を過ぎていたのでニコラに行ってアアルトブレンドとアルヴァーブレンドを飲みながらタバコで一服。観るものが多かったせいか、脳がその処理で疲れてるんだろうなって感じがする疲れがある。
夜はこのまま外に再び出ることはしないで、少しだけ読書をして今日見たものや持ち帰りOK だったパンフみたいなものに目を通す。田河水泡についてのもの来月から書くつもりなので、まずは今月中に書き終わらしたいものを進める。

ノーベル文学賞を韓国のハン・ガンさんが受賞したというニュース。村上春樹さんが受賞ならずというものに対しての大塚英志さんの旧TwitterことXでのポストだけど、村上さんの小説での戦争の扱い方みたいなものとハン・ガンさんの小説での扱い方、踏み込み方はその深度が違う。となると彼女が受賞したことで村上さんが今後取ることはないのかなって思う。
ハン・ガンさんが受賞したのはすごくめでたいことだし、この人の小説を読んでいた人たちならいつか受賞するんじゃないかなって思っていたらもう取った!みたいな感じだと思う。実際にXのタイムラインでは僕がフォローしている本読みな人たちは韓国文学も読んでいる人も多いし、ハン・ガン作品を読んでいる人たちも比例して多いのでお祝いのコメントで溢れていて、久しぶりにXのタイムラインが殺伐ともしていない、心地いいものだった。
僕は『菜食主義者』『すべての、白いものたちの』『別れを告げない』しか読んだことがないけど、これでだいぶノーベル文学賞の流れも変わる、若い世代(ハン・ガンさんは53歳)に移行していくのかもしれない。
その後、村上春樹さんの『ノルウェイの森』が新TwitterことXで取り上げられていて、気持ち悪いと思っていたみたいなポストが広がっていて、それにみんなが褒めているからそう言えなかったみたいな賛同するポストが増えていた。『ノルウェイの森』は村上作品の中でも大ヒットして一躍名前が知られるようになった作品ではあるが、あの作品は他の村上作品と比べてもかなり色合いが違う気がする。そもそも、ハン・ガンさん受賞を上げるために村上さんを貶めるというか下げるという行為自体が恥ずかしいし愚かでしかない。
僕は村上春樹作品は苦手だった(だからと言って小説家として尊敬している、してないは別問題である)し、宮崎駿作品も同様だ。理由は今まで書いているので繰り返さないが、村上さんを語るなら『ねじまき鳥クロニクル』とかだと思うし、オウム真理教におけるテロの被害者の人たちに話を聞いた『アンダーグラウンド』という作品がある。そのことだけでも僕は村上春樹という小説家を尊敬している。批判している人たちは読まないだろうけど、読んでほしい。

 

10月11日
6時過ぎに目が覚めて、空き缶を回収箱に出しに行き、再び布団に入っていたらうとうと。気がついたら10時前だった。いつもは9時からリモートワークなので遅刻してしまった。ぐっすり寝てしまったのは、昨日思ったよりも歩いていて疲れが出たのだろう、と言い訳っぽく思いながら作業を開始。
昨日、寝る前聴いていた『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を途中から流して作業用BGMに。年の離れた弟が受験のために学校を転校して、そこに行った時に話をしていた。彼はファッション関連のことも強いけど、家族の話ができるのは大きいし、親近感を感じる部分になっていると思う。キャパ1000人の初のラジオイベントも抽選に落ちまくった人がたくさんいるみたいで、ここからどんな風に「ラジオスター」になっていくのか、もっとラジオ好きにハマっていくのか楽しみではある。

作業自体は溜まっていなかったので最初の二時間ばかり集中したら遅刻分はなんとかなった。その後もradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を休憩終わって15時まで聴いていた。
この時期になると、10月10日が小木さんの結婚記念日でクソメン・くそガール(メガネびいきリスナー呼称)がそれに合わせて結婚報告をしてきて、小木さんが知り合いの同じ日に入籍にしている人に作って渡しているTシャツをくださいメールが殺到する。今年の10月10日は仏滅だったらしい、それで両方がリスナーの夫婦ならいいけど、片方だけだとそのことがネックになって説得したみたいなものも届いていた。
自分が毎日のようにラジオを聴くようになっているから、勘違いしてしまうが世の中の人はそこまでラジオ聴いていないし、聴いていたとしても自分と同じ番組のリスナーというのはかなり少ない。そういうことを時折忘れてしまう。ずっと知り合いの人でラジオ好きで聴いている人はいるけど、初めて会った人に趣味でラジオ聴いているって人ほぼ皆無なんだよなあ。だから、同じラジオ番組を聴いているとわかったら話が盛り上がるっていうのはあるだろうなって思う。

昼休憩の時に小川哲著『スメラミシング』を購入。なんとなく気になっていた短編集、小川さん大好きとは言えない、そもそもデビュー作読んでいないし、『ゲームの王国』はあんまりいいなと思えなかった。
でも、近年刊行された『地図と拳』『君のクイズ』『君が手にするはずだった黄金について』の三冊は面白かったので、直木賞受賞作以降は相性がいいなと思っているのでちょっとこの作品は期待している。

そして臨んだのだ、今週発表した「四年後に歩く」に描いた8月4日の歩行に。ちなみにその前日も、前々日も、福島の浜通りを私はけっこう歩いていた。しかし、それらのことは書かなかった。私は今回、徹底して的を絞り込んで、この「四年後に歩く」という原稿を現在のフォームにしていった。そして、この日の歩行のゴールが福島県富岡町だった、と書いた。その富岡町から、真西に六十キロほど動いたら何があるか?

福島県郡山市がある。

私の心と、身体とは、東から西、とスライドするし、また、いつだってスライドし返すだろう。

古川日出男の現在地』郡山脳 2024.09.28 – 2024.10.11 東京・埼玉・福島

仕事が終わってから古川さんのブログ最新回を読む。古川さんが歩いて、歩いて、歩いている。その姿勢は本当に尊敬するし、作品にも落とし込まれている。
実際に『四年後に歩く』のその前、四年前の2020年のあの夏を一緒に歩いて、帰宅困難区域は歩行では入れず車で入ったからそこを古川さんは今回単独で歩いているのだけど、それ以外にあったことをあえて書かなかったことでより『四年後に歩く』というノンフィクションの精度は上がっているし、より響く強度を持つことになったと僕は感じる。

その後はSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回をのんびりと休憩がてら聴く。今回もトム・ブラウンの二人がうるさいというか、どんだけ声出してるんだっていうやりとりがわりと続いていて、このラジオの売りではあるんだけど、ネタとして受け取れるのでおもしろいし楽しい。ただ、いきなりこれだと入りにくい人は多そう。

ano「許婚っきゅん」Music Video 

 

10月12日
7時に起きてradikoで『きしたかののブタピエロ』を聴きながらのんびり覚醒、その後は『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きつつ朝の読書というか資料読み。8時半前には家を出て六本木ヒルズ方面へ歩き出す。
土曜日朝に歩く時は『三四郎オールナイトニッポン0』とほぼ決まっている。再来週のスペシャルウイークのゲストは都築だけは発表されたが、もう一人はまだ未定みたいな感じになった。この番組の武道館ライブまでもう一ヶ月ほど、都築はゲストにラインナップされていないけど、さすがに呼ぶんじゃないかなと思う。この番組での活躍によって彼は一人でのラジオが始まったということもある。


六本木通りを歩いて向かっていたけど、日差しはあまり強くないものの少し前までの気温の低さを感じないからちょっと汗ばんだ。

六本木ヒルズに着いたが、時間が早かったのでパンフレットを買って外で少し読みながら時間を潰す。 TOHOシネマズ六本木は上映までに待つ場所がほとんどなく、下のフロアはフードとパンフなどの売店だけで、後はもうシアターがあるところだけで入ってしまうと電波が悪いから時間を潰すのもしんどい。大きなスクリーンは上の階に三つあるものの客が待つ場所は皆無なので時間が潰せないし、明かりが最小限になっていて暗い。

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』に関する3つの疑問【宇野維正のMOVIE DRIVER】 



前作『ジョーカー』は何度も観に行った。アーサー・フレックという売れないコメディアンがジョーカーという悪の象徴になってしまうという悲しくもあり、ある意味で燻っている人たちの奥底にある憎悪だったり社会への妬み嫉みを爆発する要素がある物語だった。
しかしながら、ジョーカー自体は力を持たない。この映画の世界にはバットマンはいないが、ジョーカーは簡単に殺せてしまう存在であり脆く弱い。ただ、彼のジョーカーとしての資質の一番の部分は人々を感応させてしまう能力だった。
母からの幼い頃からの虐待や売れないコメディアンで社会からバカにされていたという被害妄想や、あるいは教えられていた父のことが嘘だったりと彼のアイデンティティが崩れていく中でジョーカーという存在がどんどん表に出てきて、その悪意などの負の感情は一部の信者を生み出し破壊への欲望と衝動をもたらすことになった。
今回はひとりぼっちだったジョーカー/アーサーの理解者として、もう一人のジョーカーとしてレディ・ガガ演じるリー/ハーレイ・クンゼルが登場する。しかし、彼女との恋愛関係が進んでいく中で、彼の裁判も進んでいき、結局ジョーカーであったアーサーは「ジョーカーなどいない」と語り出してしまう。今作は前回で作り上げたジョーカーという虚像と現象の終わりを描いており、前作とはかなり作品の質やタイプが違うものになっていた。
事前に聞いていたことだけど、前作に熱狂した人ほど賛否の「否」になっているのはわからなくもない。しかし、そういう奴は客観視できずに批評性ないから、とは言えるのかもしれない。だって、終わりかたはあれ以外にない。
熱狂やある種カルト化していくものはその中心人物の存在が大きいけれど、実際にその本人が望んでいないことになっていくことも多い。結局、その組織や信者たちが見たいもの、信じたいことを遂行していく。その時シンボルになった人間は本当のことを言えなくなったり、その道化を演じるづけるしかなくなってしまう。だが、今回の終盤でアーサーは自らが生み出した「ジョーカー」という道化師を消してしまう。そのことで落胆するものたちや離れていくものたちがいる。そして、アーサー自体にも最後が訪れることになる。

カリスマ(象徴)というのは時代を作り上げる強力な磁場を持つ、そして僕らのような一般人や市民は磁石に吸い寄せられる砂鉄のようにカリスマに引き寄せられていく、それが大きければ大きいほどに時代を作り出してカリスマとしてより影響力を強めていく。だが、時代は変わるし終わる。
新しい時代がやってくるとその前の象徴は用済みとなるので、神様がいるのであれば神様に殺されるか、力を失っていき影響力も無くなっていく、ある意味ではカリスマとしては死ぬ。それがひたすら繰り返されている。
ジョーカー/アーサーが死ぬことはその熱狂の終わりであり、新しい何かの始まりでしかない。彼はそのことを本能的に知っていたのかもしれないし、ラストにアーサーに襲いかかるあの人物は自分がやったことの大きさをわかっていない。ジョン・レノン殺害犯のマーク・チャップマンのように名を残すかもしれない。死ぬことでジョーカーはより神聖視されていく、崇拝の対象にはなる。キリスト同様にシンボルは死ぬことで歴史に刻まれる。
今作は前作に比べるとアーサーが置かれたひどさの度合いは低い、監獄に入れられているとしても彼はタバコも吸えるし歌も歌えるしかなり自由に見える。また、リーとの出会いによってその孤独はかなり薄らいでいる。
故に悲惨なラストを迎えるのだろうし、前作と今作で引き続き描かれているアーサーのアイデンティティを巡る物語が、周りがジョーカーを求めれば求めるほどに彼はそれに耐えられなくなっていき、最後には否定するしかなくなる。
ホアキン・フェニックスは前作に続きジョーカーとして画になっているが、今回はリー/ハーレイ・クンゼルを演じたレディ・ガガが出てくるとほとんど彼女が持っていってしまう印象を受けた。この人の画面映えというか出てきたら目を離せない危険な何か、あるいはその意味でシンボルとしての強さを見せつけられる一作でもあった。


六本木から帰ってきて、トワイライライトに前に行った時に発売したら入荷してと頼んでいた木山捷平著/岡崎武志編『駄目も目である──木山捷平小説集』が入荷したというのを前日にInstagramで見ていたので寄る。
五月から講談社学芸文庫で読み始めた木山捷平作品、こういう形でまとめられて手に取りやすい形になるのは作品もだし作家を残すためにも大事なこと。

夜はTVerで『お笑いの日2024』をリアルタイムで流しながら、ライティング作業を開始。今書いているものは序破急というか三章構造にしていて、それで区切った方が最後まで書けそうだなと思ったのもあるし、読みやすくなるかなって。


亡くなった友達と最後に観たのは今年一月の鈴木おさむさんが手がけた朗読劇『美幸』(酒井若菜&浦井のりひろ)だったが、いわゆる単独コントライブはその前月の12月頭のラブレターズだった。
『キング・オブ・コント』に7年ぶりの決勝進出が決まっていたので、僕はもしかしたら優勝するんじゃないかなって思って友達を誘ってチケットを取っていた。結果は芳しくはなく、決勝には進出できなかった。その時の犬のネタは単独ライブで観れた。TVerの生放送で『キング・オブ・コント』を最初から見ていた。最後の結果発表で声が出た。一年も経っていないけど、優勝しちゃったぞ、って友達に言いたくなった。
色々な意見や感想はあると思うけど、彼らが優勝してよかった。「三四郎オールナイトニッポン」ファミリーだしね。長く続けてきた人がこういう時にやりたいことを、このコントを決勝でやりたかったという気持ちで勝ったことが素晴らしいしカッコよかった。

 

10月13日
6時過ぎに起きてから、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴きながら朝のルーティンで読書を。ラジオ終わってからTVerで『ゴッドタン』『さんまのお笑い向上委員会』を流しながら読書の続きをしてから、朝のライティング作業を開始。
お昼過ぎまで続けて昼ごはんを軽く食べてから渋谷へ。

──オードリーさんや南海キャンディーズ山里さんからも応援されていたと思いますが、パワーになった?

塚本:なりました。我々はギリギリで活動していたんですけど、先輩たちがたまにライブに呼んでくれて、そのたびに「まだ(お笑い界に)いていいんですね?」と思えた。

溜口:オードリー春日さんから「おめでトゥース」とLINEがありました。普段は既読スルーが多いんですけど、あちらから自発的に!

──最終決戦後の得点発表までの心境は?

塚本:ファイヤーサンダーロングコートダディも面白かったし、僅差だったので、ずっと心が休まらなかったです。シソンヌ長谷川さんは、冗談交じりかもしれないですけど「あるかもしれない」と言ってくれてました。

溜口:自信はなかったです。最後に並んだときは普段のライブみたいでした。

──大会の最後はどんな気持ちでしたか?

塚本:ゴールした感じ。短距離走かと思ったらフルマラソンだったんですけど。

【会見レポート】ラブレターズ優勝会見、キングオブコントと歩んだ芸人人生は「短距離走かと思ったらフルマラソンだった」(写真いっぱい) 

渋谷の行き来はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』をお供に。昨日、『キング・オブ・コント』で優勝したラブレターズの話からで、優勝後のインタビューで春日さんからお祝いのラインが来たというのも読んでいたので、本当にいろんな人に可愛がられているというか、芸歴が長くて嫌われていないということはちゃんと芸人として認められているってことなのだろう。

【STORY】
2004年のバレンタイン。
ジョエルは元恋人のクレメンタインが、自らの記憶を消す手術を受けたと知って動揺し、彼自身もクレメンタインとの記憶を消そうとラクーナ医院へ駆け込む。施術を受け、彼女との日々を追想していくジョエル。ひとつひとつの記憶が消されていき、やがて彼は「この記憶を消したくない」と思い始める。そして最後の記憶が消されようとする瞬間、記憶の中のクレメンタインもまた「忘れないで、また会いに来て」と彼に語り掛けるのであった。次の日、何事もなかったかのように朝を迎えたジョエルは、本当の愛と向き合うこととなる。

失恋の痛みを忘れるため 記憶を消せるとしたら?
そんな「もし」を描いた映画『エターナル・サンシャイン』。2004年に全米公開されると、その魔法のような独創性と、ビターでロマンティックな物語によって共感を集め、第77回アカデミー賞で見事脚本賞を受賞した。あれから20年、『エターナル・サンシャイン』は今年日本公開の話題作『パスト ライブス/再会』の劇中でも言及され、アリアナ・グランデが今年発表したアルバムのタイトルに引用。また、世界的な映画レビューサービス“Letterboxd”が今年5月に発表した「最もファンの多い映画ランキング」では第6位にランクインするなど、多くの人にとってますます「忘れられない」ものとなっている。

13時半からル・シネマ宮益坂下で上映のミシェル・ゴンドリー監督『エターナル・サンシャイン』を鑑賞。製作20周年記念ということで35mmフィルムで特別限定上映が開始されている。当時は映画館で観ていなくてDVDレンタルで観たぐらいなので、映画館で一度観ておきたかった。
お客さんは二十代のカップルとか若い層が多かったが、四十代、五十代のリアルタイムで観た世代もいて全体的にいろんな層が観に来ていて、男女率もそこまで開いていなかったように見えた。
記憶が朧げになっているのもあるし、この作品の熱心なファンでなかったこともあるのか、印象的なシーン以外はほとんど忘れていた。どっちかというとジョエルが記憶を消そうとしてからの部屋での今では有名になっているキルスティン・ダンストマーク・ラファロのやりとりは何にも覚えていなかった。
ひと組のカップルのありふれた、どこでもありそうな特別ではない出会いと別れ、一緒に過ごした日々や感じた体温、交わした会話と一緒に見た景色のことをこのラブストーリーを見ながらかつて別れた誰かのことを思い出す。だからこそ他人事ではないし、忘れられないラブストーリー。
忘れられないこと、忘れていくこと。
不意に思い出す大切だった人との思い出ややりとり、そのことにおける後悔なんかは年齢を重ねて、その時から時間が経てば経つほどにいきなり現れてその時に自分を連れ戻す。どうにもできなかったこと、あの時こうしていたら、何かは変わったのかなと思うけれど、もう時間は戻らない。過去は変えられない、現在しかない。そんな亡霊のような過去を引き連れて人は生きて死んでいく。その時、僕と共にいた亡霊たちがどこにいくのだろう、そんなことを思うことがある。
この映画は記憶が消えていく中で、建物なんかも急に消えていったりするし、ちょっと SFぽさもあって過去改変ではないけど、今となっては新しいものではないが、2004年当時にはその表現は新鮮だっただろうなって、20年あっという間に過ぎた。もう20年と考えるとその速さは一体どのくらいの体感速度になるのだろうか。

マーク・フィッシャー(以下、MF) : 資本主義リアリズムは、信念だと考えることができます。資本主義以外に道はないという信念、あるいはフレドリック・ジェイムソンの言葉でいうと、「資本主義の終わりよりも、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という信念ですね。「それよりも望ましい制度があるかもしれないが、現実的なのは、資本主義だけなんだ」というものです。あるいは、そのような状況に直面したときに生じる、諦めと宿命論の態度だと見なすこともできるでしょう。「私たちにできるのは、資本主義の支配に適応することであって、そのもっとも大きな弊害を封じ込めるために自身の希望を抑えるしかない」というような感覚です。したがって、根本的には左派の病理であって、新労働党はそのもっとも顕著な例だと思います。つまるところ、資本主義リアリズムが意味するのは、左派政治の排除と新自由主義の自然化ということなのです。たしかにここ数年、新自由主義の概念がこのように自然化されてきたことに対して疑問が投げかけられるようになったのですが、今のところ、資本主義リアリズムの終わりを口にするのは、少し早すぎるのではないかと思います。ある意味では、これまで実施された緊縮財政的な措置によって、資本主義リアリズムはさらに強度を高めることになりました。「新自由主義的な資本主義への代案はない」という感覚が広まっていなければ、こうした措置はそもそも導入不可能だったのではないでしょうか。金融危機以降に勃発した闘争の数々は、二〇〇八年以来の恐慌型新自由主義に対する不満の高まりを示してはいますが、それでもまだ、支配的な経済モデルに対する具体的な代案を提示するには至っていない。資本主義リアリズムにおいては、社会的な想像力の枯渇が問題ですし、ある意味では、その問題は今でも続いています。三十年にわたる新自由主義の支配を経験したというのに、私たちはただ、資本主義に対するオルタナティブをやっと想像できるようになりはじめたところです。少なくとも今は、そのような 「代案の想像」についてそもそも想像を巡らすことができるようになったのです。

『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』P79-80

夕方までのんびりしてからライティング作業の続きを始める。途中息抜きで『駄目も目である』と『K-PUNK アシッド・コミュニズム――思索・未来への路線図』の続きを読んだ。

 

10月14日
7時過ぎに起きて半過ぎには家を出る。昨日夜寝る前に『室井慎次 敗れざる者』の TOHOシネマズ渋谷の朝一の回のチケットを取っていたので散歩がてら向かう。
Spotifyポッドキャスト番組のきしたかのの『バナナの天ぷら』の最終回を聴きながら歩く。この後にTBSラジオで『きしたかののブタピエロ』が始まることになるので終わった番組、初回から聴き始めて最終回へ、と言っても最終回も三回に分割されているので三時間近くある。リスナーからのお便り(メール)をどんどん読んでいて、最終回だけど個人でやっていた番組がTBSラジオに昇格と言える終わり方なのでみんな寂しいけど祝福している。
同級生でずっと友達だった二人のグダグダな話や昔の出来事を話している感じは、同じクラスだけどさほど仲良くない友達の会話を聴いているような遠過ぎ近過ぎの感じが心地よいし、このポッドキャストが二年ほどやっていた間に芸人としてのきしたかのがブレイクして、メディアによる出るようになったという成長譚みたいなものをリスナーは聴きながら応援できていたのも大きかったのだろう。

「あの男との約束を果たせなかったーー。」 現場の捜査員のために粉骨し、警察の組織改革に挑むなど、波乱に満ちた警察人生を歩んできた室井慎次
27年前の“青島との約束”を果たせなかったことを悔やみ、警察を辞めて故郷・秋田に帰る。
そこには、かつての想いで、少年たちと一緒に穏やかに暮らす室井の姿がーー 。
そんな中、室井の前に突如現れた謎の少女。彼女の来訪とともに、他殺と思われる死体が発見される。
そして明かされる、少女の名前は…日向杏。
シリーズ最悪の犯人と言われた猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘だという、衝撃の事実が判明する。
「とんでもない死体を見つけましたね、室井さんーー。」
東北の山奥には似つかわしくない、おびただしい数の警察官、ヘリや警察車両ーー 。
「最悪」は何故室井慎次を狙うのか。
穏やかな暮らしを求めた室井のまわりに、再び、事件の影が迫りくるーー 。

踊る大捜査線」シリーズはテレビドラマは全部見ていて、映画化された三作は劇場で鑑賞している。スピンオフ的に作られた他の劇場版は観ていない。そのぐらいのファンというか観ていた視聴者だった。
なぜ今更青島(織田裕二)の話ではなく、青島と敵対しながらいつしか友情を育み、組織を変えようと警察官僚として出世することを望んでいた室井(柳葉敏郎)をメインにした物語で再始動しようと思ったんだろうか、と不思議に思っていた。
ドラマシリーズでもプロデューサーだった亀山千広氏は今作でもプロデューサーを務めており、彼はある時期はフジテレビ代表取締役社長やフジHD取締役を歴任するなどフジテレビという組織の中で上り詰めた人だ。「踊る大捜査線」シリーズを一緒にやってきた本広克弘監督や脚本の君塚良一氏と亀山氏は今作でも組んでいる。彼らは一時代を作り上げたある種レジェンド的な存在であり、今回の主人公が警察官僚で定年前に退職した室井と立場なども近しいと思える、決して青島のような現場の人間ではない、組織を束ねて決定力のある人たちが自分たちを託せる(もう一度物語れる)のは青島ではなく、室井だったのではないかという穿った見方もできる。
また、室井たちが住んでいる家には電波が届かないため、スマホが使えない。この設定すらもスマホがない時代の「踊る大捜査線」シリーズと地続きに、もうすぐ定年を迎える彼らの最後の戦いにすら見える部分がある。
前後編と分かれているのけど、今作は二時間以内にコンパクトにまとまっている。また、意図的だろうが、室井や貴仁や父親が犯罪を犯したためにこの家で育てられている柳町凛久(前山くうが・こうがとクレジットがあるので双子が一人を演じているのだろう)の食事シーンが多いのも印象的だった。「踊る大捜査線」シリーズは警察も一般の会社みたいな組織なんですよっていうカウンターを描いたものだったので、いわゆる「お仕事」ものだった。そうなると個々人のことはあまり描けなかった部分もあるので、今回こうやって観ていると僕には新鮮に思えた。

映画館で予告編を何度か観ていて、観ようかなと思ったこともあったし、月初に秋田県に行っていたのも観ておこうという気持ちにさせた。実際作品を観てみると室井が引き取った犯罪被害者の子どもである森貴仁(齋藤潤)が通っている高校は角館高校で、大仙市や仙北市なども車に乗せてもらった時に見た地名だった。
ちなみに貴仁の殺された母親役は佐々木希であり、その犯人をミニシアター系映画にたくさん出演しているバイプレイヤーである木村知貴さんを演じていた。佐々木希は秋田出身というのは有名だが、なんとなく木村さんが犯人を演じている時に、ビッグバジェットの大作に出てるのはすごいなと思いつつ、もしかしたら木村さんも秋田県出身なのでは?と思って調べたら秋田県鹿角市というところの出身だった。
主演の柳葉さんもそうだけど、他の出演者の中にも秋田県出身の人がいるのだろうし、そう選んでいるのだろうと思う。なんかそういうことはとてもいいことだと思う。地元の人が観た時にあの役者はどこどこ出身だとか話せるのは演じた彼らにとっても大きいし、そう観客が話せることはある意味で映画からの恩返しみたいなところもあると思うから。
この『室井慎次 敗れざる者』は二部作の前半にあたり、後半が来月公開される『室井慎次 生き続ける者』へと繋がるため、事件の真犯人などは今回ではわからないし、最後に後半へ向けてもう一人重要であろう登場人物が現れて波乱が起きるであろうと思わせて終わる。
犯罪の被害者や加害者の子どもの里親になっている室井はすでに警察を退職していて、東京から秋田へ引っ越してきた家(生家ではなく、生まれ育った町でもない)で野菜を作ったりしながら人と距離をとりながら生活をしている。そのことでその集落の人たちにとって煙たがられて入り、自宅の近くでかつて自分が担当した事件の犯人が殺されて埋められていたことでより彼らの目は厳しくなり、出ていけという集団の圧をかけるようになってくる。
当然だが、田舎だから人に優しいというのは都会で生活したことがある人だけの妄想でしかなく、狭くて小さな集団ほど排他的であり、自分たちのルールを守らないもの、外れているものには平気でひどいことをするものである。村八分という言葉は別に今だって存在しているし、人付き合いは最低限やっていないとどこだって生きにくい。

子どもの一人は高校生の貴仁で演じているのは、『カラオケ行こ!』でもメインどころを張っていた齋藤潤だった。前半における今作では彼は母を殺した男と向き合うことになる。そこでのやりとりは涙腺を刺激するような感動的な場面となっていた。
室井は結婚しておらず、実子がいない。里親になっているが、実際に親としてもまだ一年、二年経たない中で子どもたちとどう向き合うのか悩んでいたり、わからないというシーンがいくつか出てくる。しかし、貴仁はそんな室井の背中を見ながら確実に大人へと成長している。終盤の犯人との向き合うシーンはそんな貴仁が室井から大事なものを継承していることがわかり、おそらく高校卒業後の進路を決めていない彼は後半終盤で室井のような警察官になりたいというのではないだろうか、たぶんそれが一番シンプルでありわかりやすい継承のドラマになるだろう。
秋田に行ったのは亡くなった友達が納骨されている樹木葬をされている場所に参るためだったが、コロナパンデミック前ぐらいに彼女と飲んでいる時に、自分はこのまま結婚もしないだろうし子どもも生まないと思う、だから社会貢献じゃないけど親がいなかったり育てられなかったりする子どもを養子として育てるとかはやるべきなのかなって話をしていたことがあった。そんなことと室井の姿がちょっとだけ重なった。
一緒に何かを食べるその最小単位が(血の繋がりの有無を問わずに)家族であり、社会であるということ、今作において室井が家族を作ろうと四苦八苦しているということを示している。また、途中からそこに入ってくる「踊る大捜査線」シリーズにおける最凶のサイコパスである日向真奈美(小泉今日子)の娘である日向杏(福本莉子)がこの食事風景や成り立っていた家族の関係性を次第に壊していく、不満を出させることなどノイズとなってくる。彼女の父親など謎もあり、実際日向真奈美は獄中にいるが死んでいないようなので、娘の杏などは今回では明かされず、次回に引き継がれている。
過去にシリーズに出ていた人たちも幾人が登場するし、ドラマや映画のシーンも挿入されていてエンドクレジットでは特にそれがうまく機能していた。今作から登場する若手警官の乃木(矢本悠馬)やちょっと青島っぽい雰囲気もある警視庁捜査一課の桜(松下洸平)などもいいスパイスになっていて、後半でどのくらい活躍するのかも楽しみ。矢本さんは非常においしい役どころだったし、二人は実年齢では矢本さんが34歳で松下さんが37歳と三十代、定年前に警察を辞めた室井からすると実際に二十代で結婚していたら子どもに近い年齢ではある。この継承の問題にも通じるが、こういう時にロスジェネ世代はそこに存在はしない。単純な問題でその世代は組織に残る以前に入れていないという現実がある。現実的には警察官僚なら当然いるだろうが、物語に出てくるような存在感のある人物にはならない。

室井たち警察官僚はホワイトカラーのトップ中のトップだ。今年公開されて興行収入が50億を突破した『ラストマイル』でもブルーカラーは働いてもギリギリの生活で何かを訴えるような余力もない、そこで主人公であるエレナたち集配センターの社員であるホワイトカラーの彼女たちが起こす行動でそれは少しばかりマシになる。それでも組織の中にいることの圧力や、さらに下にいる下請けへの態度、利益を上げることでしか守らない役職と立場という難しさを描いていた。その意味ではこの二作品は組織の下部にいる人たちではなく、上位にいる人間がどう判断するか、人間の尊厳を守れるかという戦いの話であり、室井はその戦いに敗れたこと、青島との約束を守れなかったことで退職している。ゆえにその約束をどう果たすのかが後半のメインになるのだろう。
室井がかつて室井の部下だった新城と再開した際に青島の現在のことを聞いており、所属している部署名を告げているので彼は死んでおらず生存していることは情報として出ているので、後半のどこかで出てくる可能性も残している。
何十年も前でもいいし、十数年前でもいいのだけど、ドラマや映画の続編が作られる時にその時に出演していた役者さんがその役柄のまま出演することはすごいことだと思う。作中で昔の映像も出てくるが例えばいかりや長介さんは亡くなっているから出演しようがない、そういう人たちが何人もいるし、他の作品だって時間が経って続編やスピンオフを作る時にはそういうことが関係してくる。
アニメとかでも何十年か後かとの設定で物語が作れるけど、そこに出てくるキャラクターは実際の人間ではない。それがデカい。柳葉敏郎さんが室井であること、かつての映像と現在のそれだけ時間が経って老いた部分も含めてその人でしかない、その時間を生きてきた、生き延びていたということがさらに深みを与える。それは生身の人間でしかできないというか感じさせることはできない質のものだ。
どんなことがあっても生きていたらまた会うことや話せることもあるかもしれない。その可能性が歳を重ねていくごとに奇跡のようになり、起きた時に生きていたことを実感することにもなる。物語も充分楽しめたけど、そういう外部のことも帰りながら考える一作だった。

 谷中の墓地の前の家は狭いし、関西で放浪していた私の兄もやっと立ち直って、作品を書き始め、東京にでて来ることになったので、私たちは一年もたたないうちに田端に引っ越し、兄と母と四人暮しを始めた。
『漫画の罐詰』が出版される前の年、兄は当時の文芸雑誌『改造』に「様々なる意匠」という評論が入選し、ようやく文壇に認められた。当選祝いに私たちは、母と兄と四人で銀座の料理屋に行って楽しく飲み、食べた。帰りに兄は資生堂で私に香水を買ってくれた。結婚式にもでて来られなかった兄が、私にお祝いのつもりだったのであろう。しかしこれは田河の大きな仕事の前祝いにもなったのである。


のらくろ」登場

 田河の最初の漫画本『漫画の罐詰』が出版された頃、『少年倶楽部』の新しい連載漫画の計画がもちあがっていた。当時の『少年倶楽部』の名編集長、加藤謙一さんは「目玉のチビちゃん」を昭和三、四(一九二八、二九)年と二年間連載して、昭和五年は、一年間漫画を連載しなかった。そのせいか売れ行きが少し落ちて来たので、再び何とか人気のでるような連載漫画をのせようと考えた。当時『少年倶楽部』の発行部数は約五十万、しかしその頃の日本は一般に貧しく、子供の雑誌や本はなかなか買ってもらえず、友達から借りて読んでいる貧しい子供がたくさんいた。加藤編集長は、田河が軍隊の経験があることを知っていたので、
「犬に兵隊ごっこをやらせたらどうでしょう」 
 と田河にもちかけた。当時の兵役制度に合わせて二年で満期除隊、めでたし、めでたしと終わればちょうど二年間の連載になるから、と言うのである。田河も兵営生活はいやではあったが、新兵としてさんざんへまをやったり、しくじったりした体験もあった。また親がいなかった淋しい幼い自分の頃を思い、そんな淋しい子供たち、また雑誌も買ってもらえない貧しい子供たちより、もっとかわいそうな野良犬を主人公にしようと考えた。身体が真っ黒で手足の先だけ白い犬は「四つ白」と言って昔から縁起が悪いとされ、生まれるとすぐ捨てられる運命をもっていた。そんな不幸な犬を主人公にしたのである。捨てられた不幸なかわいそうな犬でも、陽気に元気に生き生きと育って行く筋書きにすれば、世間の不幸な子供たちの励ましになるだろうと思ったのである。 
 名前を「野良犬黒吉」、略して「のらくろ」とした。こうして昭和六(一九三一)年の 『少年倶楽部』新年号から「 のらくろ二等卒」の連載が始まった。

田河水泡/高見澤潤子著『のらくろ一代記 田河水泡自助伝』P130-132より

夜のライティング作業前にもう一度『のらくろ一代記』を読み直す。田河水泡こと高見澤仲太郎が漫画家になる手前、『のらくろ』が始まる手前までをのらくろが語る物語、作られたキャラクターが、いわば永遠の魂を持った存在がその作り手を語り直すというイメージである。
数年前に通読していたが、忘れている箇所も多く。落語作家から漫画家になった頃に田河水泡と妻の高見澤潤子(結婚前は小林富士子)と彼女の母、そして兄の小林秀雄が短い時期だが四人で暮らしていたということ、は完全に失念していた。
引用した部分にあるように田河水泡の漫画作品が刊行される前に小林秀雄は文壇に認められ始めているという時期というのも興味深い。田河水泡と高見澤潤子夫妻はその後世田谷区に引っ越しをして内弟子として十代の長谷川町子も同居することになるのは1935年ぐらいの時期だが、この夫妻は兄である小林秀雄とも一緒に住んでいて、『サザエさん』を世に出すことになる長谷川町子とも住んでいたという日本の文壇と漫画界に影響を与える人たちとの生活がある。田河水泡自体が手塚治虫などに影響を与えているので「マンガの神様」の父的な存在でもある。
普通に『ゲゲゲの女房』とか今度やるアンパンマンを生み出したやなせたかしさんを主役した朝ドラみたいに、田河水泡と高見澤潤子をメインにした朝ドラもできなくはないのかなと思わなくもない。
ある意味では捨て子の物語(父の姉である伯母夫婦に育てられているが、実母は仲太郎を産んですぐに亡くなり、父は子供のない姉夫妻に息子を預けてのちに再婚する)でもあり、民俗学の父である柳田國男もそうだし、日本文学の父とも言える夏目漱石もだが、彼らは実の親に一時的であっても捨てられて親戚の家で育つなどの境遇が似ており、明治維新以降の日本の近代における重要な役割を果たす、ある意味で学問となっていく民俗学であったり、小説、漫画の父的な存在になる人たちは捨て子だったというのが僕の印象で、もろに大塚英志さんが書いてきたことの受け売りで考えていたことだけど、田河水泡に興味を持って調べ出したら彼も当てはまったというのが大きい。


Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』や『バナナの天ぷら』最終回を聴きながら『のらくろ一代記』を読んでメモしたりしていたら日付が変わっていた。

 

10月15日
7時前に起きる。久しぶりに出社する日だったので7時半前には家を出る。『バナナの天ぷら』の最終回も聞き終わり、TBSラジオに移行した『きしたかののブタピエロ』初回から聴き始める。
このラジオが始まってから実は初回から聴いていたのだけど、その時はまだきしたかのにハマっていないというか、最近テレビとかに出るようになった芸人さんだというぐらいで聴いているけど、また高野さん騙されてるんだなって思うぐらいだった。そのため、今過去の流れを聴いた上で聴いているとかなりバッグボーンがわかるので二人のやりとりもより楽しい、しかし30分番組になっているので物足りない感じもする。


半蔵門線渋谷駅から九段下駅まで乗って、そこから竹橋駅にあるパレスサイドビルへ。8時半前に着いたら僕の働いているチームの人は誰も来ていなかった。
今日は長年スタッフだった人が来月辞めることもあって、作業の一端を引き継ぐことになったので直接出社して教えてもらうという時間があった。
下手したら今の会社の親会社が変わった際にこのオフィスに来た時に会ってから二年以上会っていなかったスタッフの人と本当に久しぶりに会って話したりした。今のウェブサイトスタッフになってから六年近く経っているので、入った頃にいた社員はほとんど転職していなくなっているし、バイトも派遣も入れ替わっている。そもそも親会社が変わっていたりとコロナパンデミックを挟んで所属しているけど、リモートメインになってやりとりはSlackなので顔と名前が一致しない人が増えた。
昼休憩は歩いて十分ほどの距離にある神保町の東京堂書店へ。最新刊だけでなく、前に刊行された小説もたくさん置かれているので見ているだけで楽しいし、こういう本も読みたいなと思える。
18時までオフィスで作業をしてから帰宅。やっぱりリモートワークだと起きてすぐに仕事を始めても間に合うし、終了したら家だったらすぐに他のことができるんだけど、会社に行って帰るというだけでかなり時間を持っていかれるし、帰ってからすぐに他のことできないのでもったいないなと思ってしまうところもある。でも、たまにオフィスに行って他のスタッフの人と話すのも楽しいけど、朝夕と混み合う電車に乗って行き来すると気が滅入ったりストレスが溜まってしまうから数ヶ月に一回でいいかな。

火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:岸田奈美)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回更新の『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』がアップされる日。
オフィスを出た時点でそれらの最新回がアップされていたので「アルピーしくじり」を聴きながら帰った。岸田さんのエッセイはドラマ化もされていて、僕は著書を読んでいないけど顔も名前も知っているぐらい有名で売れている。トークもガンガンできるし、何よりもバイタリティがすごいなって話を聴いていて思った。
noteが今みたいに多くの人が書くようになる前に書いていたことでブレイクしたことも話されていて、今そこで書いても多くの人が投稿しているから読まれにくいから、そうじゃないところを探すべきだとメールの相談に返していた。確かにレッドオーシャンになったところでがんばるよりはブルーオーシャンでまだ人が多くない、荒らされていない場所で書く方が読まれる可能性は高いのもわかる。僕はたぶん角度は違うのだけど、この日記の最新のものをはてブというかつて流行って書く人も読む人も減っている場所にアップしているのはここはレッドオーシャンではないから。
「あの粗品」は粗品が何らかの病気で休んだりする前に収録されていたのか、その手の話は出ていなかった。ちょっとだけ二人のカップル的な売りを粗品がちょっとやろうとしているところなんかがあったり、体調が悪くなって休む前に素直にあのちゃんに甘えたいというか、何かそういうものを冗談混じりだけど言うことで耐えていたのかなって思ってしまった。
「国崎ひとりぼっち集団」は冒頭からマジでふざけてて、国崎さんじゃなくてどこのおじいさんなの?みたいな人がずっと話してるという謎展開。本当に悪ふざけがすぎる。相方が謹慎というか出れなくなってからより攻めていくっていうこの人の笑いのスタイルはちょっとガチすぎておもしろいけど、人間として強すぎるし笑いのことしか考えてなくてすごい。

 

今回はこの曲でおわかれです。
TESTSET - Sing City (Official Music Video)