Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年8月16日〜2024年8月31日)

8月上旬の日記(2024年8月1日から8月15日分)


8月16日
日付が変わる前に『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をほぼリアルタイムで聴いていて、番組の半分ぐらいで日付が変わった。はてブにこの日記の上旬と半年前の日記をnoteにアップした。寝ようと思ったがなかなか寝付けずに二時過ぎに寝た。雨の音はほとんど聞こえていなかった。


起きてからカンとビンと段ボールの回収日だったので外に空き缶を持っていたが、ちょっと地面が濡れている程度で雨は降ったあとだった。
リモートワークまで少しだけ読書をしてから作業を開始。いつも通りradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を仕事用にBGMとして流した。
仕事中に窓の外で雨がザーザーと降っている時もあったけど、基本的には雨も風に強い印象がなかった。
普通の雨降りの日ぐらいで台風が来て千葉の方だと電車が止まるとか、出社もできるだけしないで家でという話があったけど、我が家ではそこまで台風の凄さはわからなかった。


一旦、雨が止んで傘もいらない時間帯に休憩がてら外に出た。この前芥川賞を受賞した朝比奈秋さんのデビュー作も収録されている『私の盲端』文庫版を駅前のツタヤ書店で買った。
林芙美子文学賞を受賞した『塩の道』よりも表題作になっている人工肛門になってしまった女子大学生が主人公の『私の盲端』はずっと読んでみたかった。
仕事が終わってから読み始めた。すでに読んでいた芥川賞受賞作『サンショウウオの四十九日』や『あなたの燃える左手』と近いのは主人公がいきなりその環境に置かれてしまう。今作では急に倒れて目覚めたら人工肛門になっていた、というようにそういう状況に置かれる際の苦悩や選択はなく、一気にそこから物語は始まる。
主人公は以前とは違った身体になった自分や環境を受け入れたり、四苦八苦していくことになる。『サンショウウオの四十九日』はそれとは少し違うけど、やはり身体性とそこに宿る精神が揺れ動いたり、それをどう受けいれて生きていくかという部分では共通していると思った。


仕事が終わって金曜日のお楽しみなSpotifyポッドキャスト番組『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴いた。配信されているエピソードを全部聴いていることもあるんだろうけど、二人の声を聴くと安心するというか、落ち着く。
やっぱりラジオというか音声コンテンツの強さは内容ももちろんあるけど、好きな声かどうか、慣れて自分にとって違和感のない声になっていく。僕の知り合いでこの番組を聴いているという人は聞いたことがないけど、何回か聴かないとハマらないんだろう。その最初の一歩がなかなか難しい。

『私の盲端』を読み終わってからライティング作業を開始。雨の音はもうしなくなった。明日は急激に気温が上がるというのをニュースサイトで見た。汗だくになってしまうけど、洗濯物がすぐ乾くからいいか、と思う。
申し込んでいたライブの先行チケットも取れたし、問い合わせしていたものの返信メールも来たし、下旬の始まりとしては悪くない。

 

8月17日
8時過ぎにのんびり起きた。radikoで『きしたかののブタピエロ』『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら読書と自分の作業をした。
13時から渋谷で用事があったので準備をしていると友人から連絡があった。僕の住んでいる場所を聞いてきたので、もしやと思ってキャロットタワーにあるパブリックシアターで上演している作品を見たら、役者をやっている彼と一緒にやっていた人たちが関わっている舞台だった。
お昼過ぎにご飯かお茶に行かないと誘ってくれたのだが、13時から渋谷での用事があったので、舞台を観終わったあとぐらいに時間が合えばお茶でも行こうということになった。
渋谷まで歩いていった。もう少し暑いかなと心配していたが、そこまでではなかった。
渋谷への行き来ではradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。パリ五輪の閉会式の話からロス五輪開会式の話へ、二人ともアメリカのエンタメ映画は世代的に観ているし、トークでも作品でもよく出しているので、四年後の開会式にマコーレ・カルキン出るんじゃないとか、パリ五輪のランナーがフードかぶっていたからそこからフードを被っているジュダイからの『スター・ウォーズ』もなんかやりそうという話題になっていた。前のロス五輪での開会式の音楽は『スター・ウォーズ』の音楽をやった人らしく可能性あるぞとかそういうことや、『ラ・ラ・ランド』のオープニングみたいなダンスから始まるんじゃないかと予想していた。
パリ五輪の閉会式にトム・クルーズが出たり、ビリー・アイリッシュレディ・ガガとかが歌ったりするパフォーマンスは次回のロス五輪への橋渡しってことだったんだなと最近ようやくわかった。開会式も閉会式もどの競技も見ていないから、最初はなんで出るんだろうと不思議に思っていた。
昔、安倍元首相がマリオの格好で土管から出てくるみたいなパフォーマンスがあった気がするけど、あれは次の東京五輪やりますよってことだったんだよな、たぶん。それもニュースでしか見たことないからわからないけど。


渋谷で用事が終わってから15時過ぎに家に帰ってきて、ご飯を食べたら眠くなって寝てしまった。16時半前に目が覚めたら友達からメッセージが来ていたので、すぐ着替えて駅前の喫煙所エリアに。
コロナパンデミック前にお茶をしたから6年とか7年ぶりだった。前にも一緒に行ったことあるニコラへ。17時の開店前だったので三階のトワイライライトに行って本を見つつ話をしてオススメしてみたりしていた。
冷えたグラスで飲むビールの一口目が最高においしい。アイスコーヒーも飲んだりして、お互いにタバコを吸いながら近況や最近考えていることなんか、政治とか地域のことも含めてけっこう盛りだくさんな内容の話になった。
彼は地元に戻って自給自足をやりながら役者としても舞台に立っている。その活動を含めて演劇として考えているけど、それがうまく伝わっていないと話していた。自分がやってみたいことや疑問に感じたことは一回自分でやってみて確かめるという行動的な人でもあるので、話を聞いていると面白いし話題が尽きない。人間的な魅力が満載で、年々より自由になっているような気がする。そういう気配が年輪みたいに年々魅力的になっているんじゃないかな。

その友人のコージこと山崎皓司のnote、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の舞台にも主演で立っている。今年は難しいけど来年ぐらいには静岡に遊びにいきたい。静岡って新幹線で通り過ぎるだけで降りたことがない。行ったことのない場所にちょっとでも多く足を運んでみたいなと最近思うようになった。


家に帰ってからほどよい疲れと瓶ビール一本しか飲んでいないけど、軽い酔いがあるようなふわふわした感じになっていたけど、寝る前にちょっと読書を。
少し前に中上健次の未完の遺作『異族』を読了していた。その流れで中上の「路地」サーガの一つでもある『地の果て 至上の時』を読み始めた。それと同時に三島由紀夫著『金閣寺』を再読し始めたのだけど、すぐに読み終わってしまい、次は『異族』にも影響を与えたであろう、三島由紀夫の遺作「豊饒の海」シリーズの再読しようと思った。
シリーズ一冊目となる『春の雪』を買ったのは帯にある映画化された2005年だった。映画のメインの3人で未だに役者をしているのは妻夫木さんだけ、竹内さんは亡くなり、高岡蒼佑は俳優業を引退している。
豊饒の海」シリーズの真の主役は高岡が演じた本多だといえるので、もし「豊饒の海」シリーズを再映像化する際にはいちばん大事なポジションになる(映画化は最初の『春の雪』しかされていない)。シリーズ全部をネトフリ辺りでやればいいのに。大正時代からその後、一作ごとに18年から20年経っていくので、時代背景もあって登場人物たちの衣装や時代ごとの建物とか風俗的なものが違うので、実写でやるとなるとかなりお金がかかるだろう。資金力があり、作品にちゃんとお金を出せるところでないとしょぼい映像になってしまう。


小学生の時に読んでいた大塚英志×田島昭宇『摩陀羅』は「豊饒の海」シリーズ×『どろろ』が元ネタだった(大塚さんが明言している)。大塚英志作品を読んでいくと三島や大江健三郎中上健次に出会う仕掛けがあって、僕はそうやって彼らの作品や作家たちのことを知るきっかけがあった。
もともと小説、純文学とかを読んでいなくて、読むきっかけもなかった人間が小説を読むようになって彼らの作品を違和感なく手に取ったり、読んでみようと思う土台は大塚さんの作品によってもたらされていた。
実際に2005年ぐらいはまだ小説をそこまで読んでいなくて、面白くて読みやすいエンタメ小説は読んでいたけど、純文学はほぼほぼ読んでいなかったし、古川日出男さんの小説も読んでいない。
『春の雪』は映画の原作というのもあって、当時読んだけど難しいなという印象しかなかったが、現在ではいろんな小説を読んできたこともあって、おもしろさやその凄さが前とは違ってはっきりとわかるようになっている。
少し背伸びをして自分がわからないものや、理解できないものも含めて読んでいく、それを続けていると急に読めるようになったり理解できる時が突然くる。他の小説とは関係のない書籍とかを読んでいたりするとそれがある時にいきなり意図していなかったものがふわりと繋がってしまったり、理解の助けにもなっていく。読書のおもしろさはそこであり、要約とかされてもそれはやっぱり別物だし、読めば読むほど読みたいものがどんどん増えてくる。自分なんかよりも読んでいる人たちがたくさんいるのもわかるから、あんまり本を読んでますとは言えないなっていう恥ずかしさを感じるようになる。
人のレコメンドとかでこういう小説があるというのを知ったりして手に取ることもあるけど、正直誰がオススメしているかどうかで手に取るかどうかも変わってしまう。自分が信頼している書き手の人や書評を書いている人、出版関係ではなくても自分の好きなものを強く持っていて、それが僕に響く人なんかだと読もうと思う。そこのラインははっきりとわかれている気がする。そうじゃない人がSNS等でオススメしている書籍ってやっぱり装幀が自分だと金払って買いたいと思えるものではないから、センスや趣味の問題なんだろうか。

Zazen Boys - 乱土〜胸焼けうどんの作り方 Live at 日比谷野音 5.26 2024 

 

8月18日

降板させられたフワちゃんのところのスペシャルウィークは森香澄、この一回でハマったらレギュラーになる可能性はありそう。あのちゃんは単発を三回やって好評だったからレギュラーになった。
もし、森さんがレギュラーになったら「ANN0」枠に元テレ東社員が二人いるという謎なラインナップになる。でも、現在のレギュラー陣はテレ東でレギュラー番組やってる人、やってた人たちばかりだから(月一のヤーレンズはやってないかなあ)パッと見がテレ東ぽい。僕は大好きです、この並びは。

昨日の程よい疲れもあって、ぐっすりと眠れた。深夜にトイレにいきたくなって目が覚めるとかもなく、8時過ぎまでしっかりと寝ていたけど、なんとなく筋肉痛ではないけど体が疲れたんだなって感じさせる鈍い痛みに近い重さみたいなものがあった。


午前中に体を動かしたかったので、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴きながら代官山蔦屋書店へ。アート関連のエリアにイラストが展示されていた。
「KEIICI TANAAMIフェア」というものだったが、見たことある絵だなって思った。最近リリースされてよく聴いている曽我部圭一 VS あらかじめ決められた恋人たちへ『HAZARD DUB』というアルバムのジャケの人だってわかった。アルバムの方のイラストはこのために描き下ろしされたものらしい。

調べたら「田名網敬一 記憶の冒険」という展示が国立新美術館で開催中らしい、ここは青山霊園を越えて乃木坂方面に行く手前にある。サイトを見ているとちょっと行きたくなってきた。『HAZARD DUB』を聴きながら歩いていくのもいいかもしれない。

 

8月19日
にぶい痛み。右肩がだるいような感じがあった。少しだけ喉がいがらっぽいのでうがいをした。
週末の疲れや連日喫煙した影響か、喉がかなり渇いている気がして水をごくごくと飲んだ。起きるのが少し遅かったのですぐにリモートワークを開始。
昨日の『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』は寝る前に聴いていたので、チャイルディッシュ・ガンビーノやザ・ウィークエンドやルイス・コールやロバート・グラスパーなんかのアルバムをSpotifyで流しながら作業をしていた。

昼前に音楽を流していた自分のMacBook Airの接続の調子が悪くなって、開いていたサイトに繋がりませんみたいな状況となり、会社のノートパソコンも同様だった。とりあえず、スマホテザリングしてリモートワークは続けた。
スマホの方でWi-Fiルーターのことを調べていたら、本来は緑色とかに光っている「アクティヴ」という箇所だけが何色にも光っていなくて、モデムとルーターどちらも電源を抜いて、初期化とかもしたがどうもWi-Fiが飛んでこないし、「アクティヴ」は光らなかった。
リモート終わってから渋谷へ。暑さはまだ耐えれるものの、湿気があるのですぐに汗ばむ。夕方すぎてこの暑さ、来週雨が降るので少し涼しくなるみたいだけど、外に出て普通に歩ける気温がいちばんいい。早く夏終わってくれ。
道玄坂下ったところにあるヤマダ電機の五階へ。スマホで検索してみると、どうもルーターは5年ほどの寿命らしい。今使っているMacBook Airの前の機種を買った時に初めて有線LANではなく無線LANにして6年近く使っていた。それが原因であるだろうが、もし買い換えて解決しなかったらめんどくさい、回線の方に問題あるのはかなりきつい。
スタッフの人に聞いて、4000円ちょっとのルーターを購入した。家に帰って設定してみるとMacBook Airスマホもサクサク動き出した。いやあ、今日はこれでいろんなことができなかった。とりあえず、何年か大丈夫だろうけど、いつも使えていたものが急に使えなくなるとちょっとパニックみたいになる。

家に帰ってきて汗だくだったけど、まだ右肩はダルさがある。先月コロナを罹患した後に買っておいた風邪薬を飲んですぐ寝た。
深夜3時ぐらいに目が覚めて、ペットボトルを集積所に持って行った。アリナミンゼリーを飲んでから、薬を飲んでまた寝る。布団に入ってからは『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を流していたがほとんど頭に入らず、でも声を聴いていると安心した。

 

8月20日
6時過ぎに起きて熱をはかったら37℃台、唾を飲み込むと喉が痛い。先月コロナになったばかりなのに、すぐに二回目のコロナになるものなのだろうか。先週末ぐらいはタバコを吸う数が多かったから、それで喉の粘膜が傷ついたりして菌が入ったのかもしれない。
家に置いてある喉スプレーと喉トローチ、ロキソニンの風邪薬を買っていたので、そちらで対処することにした。
昨日夕方にいつもいく内科クリニックの近くを通ったら、現在は夏休みで今週中は診察がなさそうだった。夕方から友達とヤーレンズDr.ハインリッヒのライブに行く予定だったが、もしもコロナだった場合はうつしかねないし、友達は家族と一緒に住んでいるのでお子さんにうつるとかが一番怖いので、朝一でDMを送って症状について伝えて行けなくなったことを謝った。
友人が快く許してくれたので、今日はもう薬を飲んで寝るを繰り返してまだ熱を下げることに集中することにした。そのまま喉の痛みが消えればラッキー。前日ぐらいの肩がだるいというのはこの兆候だったのだろう。なんてついてないんだ。
ライブに行けなくなったので、代わりに21時から配信開始予定の『あちこちオードリーオンライン2024ライブ』の動画視聴チケットを買った。地味に毎年買って見ている。


火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:森達也監督)、『あのと粗品の電電電話』が配信される。『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』は今月の配信は休止になって、9月から国崎さん一人での番組にリニューアルされる。がんばれ国ちゃん!
森達也監督は前回に引き続きの後編、ゴーストライター問題で取り沙汰された佐村河内守さんをドキュメントした『FAKE』や劇映画として制作した『福田村事件』の話なんかがメインになっていたが、平子さんはわりとドキュメンタリー観てるなってわかる。
あのと粗品は温度感低めな感じかなあ、二人とも夏で動き待ってくるとかスケジュールが立て込んでるというのもあるのかも。



夕方過ぎに佐川の人が届けてくれたanoニューシングル『愛してる、なんてね。』だが、曲のMVは枝優花監督で出演は岡山天音らしい。この時点ではだ動画が解禁されていなかったので、楽しみ。

アーティスト・田名網敬一が88歳で逝去

国立新美術館で開催中の「田名網敬一 記憶の冒険」という展示を観たいと思っていたら、この訃報。亡くなったことで来場者が増えることもありそうだけど、平日の午前中に行ってのんびりとサイケデリックな空間に浸ってみたい。

お手伝いしている書籍の校正入り再稿原稿データが送られてきたので最初のやつだけ見ようと思ったが、熱が上がってるなって思ってはかったら38.7℃だった。これは流石にやっちゃってるなと思い、アリナミンゼリー飲んで風邪薬飲んで20時半過ぎまで一旦眠ることにした。熱があっても節々がすごく痛いとかはないし熱だけある感じ。前回とパターンは似ている。

21時前に起きてから『あちこちオードリーオンライン2024ライブ』の配信を視聴。具体的な内容はSNSなどに書かないという約束のもとでやっているので、ここにも書かない。全部で二時間半ぐらいやっていた。見ているうちに自分でもどんどん熱が下がっているのがわかった。あとは喉の痛みだけ。

 

8月21日
6時過ぎに目覚ましをセットしていたので、一度起きてみる。身体のダルさはないし熱もはかっても36℃台と下がった。喉はまだ痛いし、腫れている感じがして唾を飲み込んでも痛いが昨日ほどではない。声を出してみるとかれているのがわかる。喉の痛みと腫れが引くまでは声がかれたままの感じだろう。
風邪薬を飲んでから、横になってのんびりと朝活がてら読書を。

 西江原の隣が井原という町である。井原とはもと後月郡の所在地で、当時町街道が一本素通りしているだけの淋しさであった。今でも大差はない筈である。この井原の横隣に高屋という村がある。この高屋は井伏氏の小説にも度々でてくる。私も幼少の頃、一度だけ行ったことがある。用件は虫封じのハリをしてもらうため、人力車で行き人力車で帰ったが、この高屋は大逆事件の森近運平の出身地である。私は子供の頃、たびたび森近運平の名を親からきかされた。私の村には親類もある。そういうわけで親も顔くらいは知っていたのか、運平は立派な男だとは言わなかったが、決して悪い男だとは言わなかった。肉親のものが無罪を主張していま最高裁判所かどこかで審理中の筈である。
木山捷平著『井伏鱒二 弥次郎兵衛 ななかまど』収録「井伏鱒二」P314より

短編集の最後から二つ目が「太宰治」で最後が「井伏鱒二」という木山捷平と関係性があった作家についてだった。この前のページでは彫刻家の平櫛田中の名前が出てきていて、ここでは僕が生まれ育った高屋町のことが出てくる。
木山は現在の笠岡市出身、井伏は福山市出身で、僕の生まれた井原市も含めて廃藩置県直後の頃は小田県や深津県として同じ地域だった。その後半々になって岡山県広島県に分かれた。それもあって今だに経済圏や文化圏としては福山城福山駅を中心にしているエリアでもある。
幸徳秋水事件とも呼ばれる、一般的には「大逆事件」の際に冤罪で死刑になった人が高屋出身の人がいるのを初めて知った。木山に続けて井伏鱒二作品を読んでみようかな。

読書をしてからいつもの時間になったのでリモートワーク開始。朝起きてからradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をBGMでお供に。
「爆笑カーボーイ」で大学時代の話をしていたけど、「この話何回目だよ」みたいなところから「新しいリスナーだっているんだから」というやりとりは確かにそうだなって思うし、何回も話すことで磨かれている部分もあるんだろう。磨くことで微妙に細部が変わったり、強調する部分も変化したりすることもある。話しているとそのことが当人にはより真実、実際に起きたことだと認識されていくので事実とはズレていくこともある。これが語りのおもしろいところでもあり、難しいというか不穏な部分でもある。
星野源ANN」ではサマソニロバート・グラスパートの話とか、そこはすごく見たかったし実際に現場でライブを観れた人たちがうらやましい。
「あのANN0」では新曲『愛してる、なんてね。』のMVに岡山天音が出ていることも話していた。仲のいい本田翼と出会ったドラマが本田と岡山が主演で、打ち上げの後に脱出ゲームみたいなやつに数人で遊びに行ったことがあるという数年来の関係性らしく、その時の出会いが大事だったんだなとわかるものだった。

昼前に外に出たが風も多少あったし気温もそこまで高くなかったが、仕事が終わる頃になると黒々とした雲が空を覆っていて、家の方は雨が少し降っていたが、ニュースだと新宿とかの方はゲリラ豪雨みたいな大雨で電車も止まっているらしかった。
19時ちょっと過ぎぐらいから世田谷区の方でも大雨が降り出した。猛烈という感じで窓の外から聞こえる雨音が聞いたことないぐらいデカくてちょっと危険だなと思えた。
このところ、天候が急に変わることが多いし、それに伴って交通機関も影響が出ていて色々と余裕を持って行動してないと詰んじゃうというか、どうにもならないことになりそうだなって思う。

水曜日のダウンタウン』は前回のエンディングで次週予告の際にテーマのプレゼンターの小籔さんの声が消されており、最終回ではないかという話がSNS上で出ていた。さらに上記のポストを番組のプロデューサーの藤井健太郎さんがしており、ますます突然の最終回ではないかという疑惑と期待みたいなものが増えていた。
TVerのリアルタイムで視聴。芸人三人に「水曜日のダウンタウンが秋に終わる」と仕掛け人が他の誰にもいうなよと釘を刺して言ってそれがどこまで広がるかという検証。
嘘を教えられた三人が親で、子、孫、ひ孫まで何人に広がるかまでの人数を計測していくという企画だったが、噂に尾びれ背びれがついて広がっていく様を見れたという内容で皮肉でもあるし、現在のSNSでの炎上の広がり方を可視化したようなものだった。
最後に実は番組は本当に終わります、というアナウンスがあるかとちょっと思っていたが、さすがにそれはなかった。

 

8月22日
一度3時過ぎに目が覚めたので可燃ごみを出してから、風邪薬を飲んでからまた寝る。8時前に起きた。何かの夢を見ていたような気がするが、内容を覚えていない。でも、ずっと会っていないか、縁がなくなったような人が出てきたような、よだれを出していたみたいで枕がちょっと濡れていた。
熱はなく、まだ喉に少し痛みが残っているけど、のど飴とか舐めているとなんとかなる程度。やっぱり喉が腫れているみたいだから、扁桃腺が腫れて熱が出たのかもしれない。
先月のコロナ陽性になった時よりも熱が続かなかったし、すぐに下がった。コロナパンデミック期間の時も二度ほど39℃を越えたが扁桃腺の腫れが原因だった。口の中で舌で触れた箇所が何か塊みたいなものがある、たぶん口唇ヘルペスができてきている。月曜日から体力面でやられたから出てきたっぽい。そういえば、先月コロナになった時は出なかった。この違いはなんだろう。

天気予報を見ると昼過ぎにまたゲリラ豪雨みたいな大雨が降るみたいだったので、8時半ぐらいに家を出た。曇り空で気温もまだ高くないが、湿度はあった。日差しが強くないので助かった。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩く。渋谷を越える前ぐらいにやっぱり今日はこれを聴いた方がいいよなって思ってSpotify曽我部恵一 vs あらかじめ失われた恋人たちへ『HAZARD OF DUB』に切り替えた。


六本木通りを途中で骨董通り方面に行って、ブルーノート東京がある道を乃木坂方面へ、いつも日比谷に行くときの道順。10時少し前に国立新美術館に着いた。チケットは事前に購入していたが、その時はまだ田名網敬一さんが亡くなったという報道は出ていなかった。だから、亡くなったというニュースは驚いた。報道よりも前に亡くなってはいるので展示が始まってすぐに亡くなってはいたみたい。
別のフロアでは『CLAMP展』が開催中で開場前だったが多くの人が並んでいた。あと高校生無料観覧期間中らしく、若い世代の女の子もたくさんいたのが印象的だった。流石に僕が行こうとしている田名網さんのは僕の前に中国人のおじさんが一人いたぐらいだった(中に入って中国語の案内の紙をもらっていたから)。亡くなったから一気に人が押し寄せるという感じではないみたい。

近年、急速に再評価が進む日本人アーティスト、田名網敬一。武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、雑誌や広告を主な舞台に日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきました。その一方で、1960年代よりデザイナーとして培った方法論、技術を駆使し、現在に至るまで絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなど、ジャンルや既存のルールに捉われることなく精力的に制作を続け、美術史の文脈にとって重要な爪痕を残してきました。 本展は、現代的アーティスト像のロールモデルとも呼べる田名網の60年以上にわたる創作活動に、初公開の最新作を含む膨大な作品数で迫る、初の大規模回顧展です。

田名網敬一 記憶の冒険』公式サイトより


田名網敬一さんの絵というかイラストで僕が一番最初に認識したのはスーパーカーのアルバム『ANSWER』のジャケットだった。展示は極彩色のサイケデリックな絵のデカいのが「ドドドーン」とあって圧巻。もうドラッグとかアルコールに頼らなくても簡単なトリップができそう、質よりも量ではないけど、質もあるけど量もただすごいというのがわかる展示だった。視覚に暴力的なまでにビビッドで目が回るような絵ばかりだった。
最後のエリアで田名網さんのインタビュー動画が流れていた。幼少期にたぶん目黒に住んでいて戦争中に疎開する前にお母さんに「目黒駅の風景をしっかり目に焼き付けておきなさい」と言われて、終戦後に東京に帰ってきたら駅とかがなくて焼け野原になっていた。街は焼かれているから土も赤く燃えて、赤土になっていた。そして空は真っ青に晴れていたから、青と赤というのが自分の原風景になっていて、それが絵にも出ていると言われていた。言われているように絵を見てみると確かにいろんな色が使われているけど、よく見ると赤色と青色が効果的に使われている。意図的にこの二色は目に引っ掛かるようなところに塗られている。
観終わって展示室の外に出ると国立新美術館のガラス張りの壁の外は昨日夜にも降ったようなゲリラ豪雨みたいな、大きくて数も多い雨粒が見えた。どうにもならないなと諦めてカフェみたいになっているのでアイスコーヒーを頼んでのんびり椅子に座って雨がやまないかなって待っていた。
歩いてきたから歩いて帰るつもりだったけど、このエリアで雨が止むのは13時ぐらいだった。さすがに一時間も待っているのは嫌だなって思って美術館と繋がっている乃木坂駅に向かった。表参道駅半蔵門線に乗り換えて最寄り駅まで。せっかく体調も良くなったし歩ける時間だったのにもったいない。


駅前のTSUTAYA書店で本日発売になった上田岳弘著『多頭獣の話』を購入。上田作品は非常に肌に合うというか、同世代の小説家の中では僕は一番好きかもしれない。ただ、上田さんは村上春樹遺伝子というか影響が大きい気はするから、僕はその辺りは違うんだけど、そっち寄っていたらもっと嫉妬したりしてたのかもしれない。


夕方すぎになってからニコラに行ってアイスコーヒーをいただく。一時間ほどのんびりさせてもらって家に帰った。
お店に行く前に感じていたことだが、口唇ヘルペスが口の中だけではなく、唇にも出てきた。ああ、これはあかん。潰れてから治るまで時間がかなりかかる。やっぱり免疫力が落ちてるんだ。そのサインとして考えれば、出た以上はまずは風邪を治して体力を戻すしかない。

 

8月23日
起きると熱は平熱になっていて、喉の痛みもほとんどない。唾を飲み込むときに多少の違和感はある。6時前だったのでゼリー飲んで風邪薬を飲んでもう一時間ほど寝ることにした。
リモートワークの30分ほどまでに起きる。やっぱり喉は完治というか普段の状態ではないが、熱もないしダルさもないし頭痛もしない、節々も痛くない。ああ、健康って素晴らしい。

標準型というイメージが存在して、そこに適合させるのが〈商品〉である。そして、人びとが平均的なかたちになりたいだとか、なれないでいるから劣等感をおぼえるとか、なるために金と時間を使う、つまり自分だとか自分に関係する人間たち、組織(共同体)にも、に使わせるというのは、要するに人間の〈商品化〉である。どうしてそんなにそんなにそんなに、そんなにも、標準型が恋しいの? どうして生きているのに〈商品〉になりたいの? いや、別になりたいわけじゃないんだと思う。ならないと「駄目だ」と言われてしまうような、そういう負の圧にずっと私たちは囲まれているんだと思う。

負の圧に対抗するものは?

正の圧である。

古川日出男の現在地』2024年8月23日 なるべきかたち

古川さんのブログが午前中にアップされていた。標準型になることに違和感がない人、憧れる人はいる。あまりにも異様な環境や人間関係で育ったりしてきた人は仕方ないと思うけど、そうでもない人があえてここでいう〈商品化〉の方へ向かうことをよしとしたりするのは僕は気持ち悪いと思うし、多様とかいうくせにそういうのは許せないみたいな人が多いのもなんだかなって、〈商品化〉から外れる人に石を投げたり、白か黒しかないみたいに味方以外は敵認定で攻撃する人とかの不自由さ、そういう人は客観性を養うしかないのだろうけど、そうなってからはそれを身につけるのが一番難しいんだろう。

作業の前にこの数日の集中豪雨のため洗濯ができていなかったので、たまっていた洗濯物を洗濯機で回す。今日の天気予報を見る限りでは雨は降らない。気温も31℃とかで日差しも危険なほど高くもない。多少酷暑から解放されつつあるのかもしれない。
リモートワークをいつも通り開始して、いつもの作業をルーティン的にこなしていく。来週以降ちょっと急ぎでやらないといけない仕事がありそうだが、この週末が終わるまではそこまで忙しくなく、のんびりと仕事を進められそう。

——40歳を過ぎた“中年”が抱える諸問題についても、本書には対策が書かれています。

佐久間:中年の問題は切実ですよ。実際に僕の周りでも、職を失っている人、いますからね。誰しも中年ゆえの悩みや問題は発生するんだけど、それに対処できる人とできない人の差が激しいんだと思います。対処以前に、中年だからこその有害性、自分のハラスメント気質とかに気づいてない人も多いですし。

——問題に気づいていない、というのはかなり厄介ですね。

佐久間:自らの有害性に気づいていない中年の特徴の一つに、「なんで自分がこんなに我慢しなきゃいけないんだ」と感じている、というのがあります。セクハラにしてもパワハラにしても、ハラスメントをしないことを“我慢”だと思っている。部下や後輩を怒鳴らないことも“我慢”だし、人に気を遣ったり丁寧に接することも“我慢”だと。

テレビプロデューサー佐久間宣行が語る「メンタルケア」と「仕事論」——中年を救うのは「教養と人柄」

自分が40代で中年になっているのもあるし、上の世代見てきているけど中年までに教養と人柄(人望)ない人ってそのあとにそれらを得るのってなかなか難しい。そもそも人望ない人はずっとないし、なんでそうなっているのかが客観的にわかっている人は人望あるだろうし、下から慕われて相談とかされるだろう。
Facebookで上の世代の投稿を見てるとやっぱりしんどいなと思うものがかなりの確率であるし、ある人はそういう投稿ばっかりになっているんだけど、周りも言わないんだろうし、言えないんだろうなって思う時にこの人には人望ないんだろうって思ってしまう。
組織や会社から抜けて個人になっても人望あるような人の方が実際のところ少ないんじゃないかなあ。それがあるかないかがはっきり分かれてしまう部分でもあるのだろう。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年9月号が公開されました。9月は『ナミビアの砂漠』『平家物語 諸行無常セッション』『ぼくのお日さま』『憐れみの3章』を取り上げました。


写真家 阿部裕介×俳優 山中崇「旅対話!」

仕事が終わってから歩いて、代官山蔦屋方面で。作業中にradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』はすでに聴いていたので、なんとなく米津玄師のニューアルバム『LOST CORNER』を聴きながら歩く。曇り空で風が少し出ていて、湿気は思ったよりも少なくて歩くにはちょうどいい気温だった。
イベントはzoomのオンライン配信もしていたけど、3号館のラウンジでのリアルイベントは約60人ぐらいマックスで入れるみたいでほとんど埋まっていた。カメラマンの阿部さんのファンやカメラ関係の人が多いのかなと思ったけど、山中さんのファンらしき女性が四分の三ぐらいいたんじゃないかなあ。
最初はカメラマンと被写体という関係でトークかなと思っていたが、山中さんもカメラでたくさん撮られているので、撮る側の話が多かった。阿部さんもカメラマンとしてどうやったら自然な顔で相手を撮ることができるのかというテクニックとかも話されていて、カメラをやってる人には参考になるものも多かったと思う。
二人ともお互いに話していることをちゃんと受け止めてから話すから、非常に穏やかで耳心地もよかった。山中さんが物腰も柔らかくて、声の感じもそうなんだけど、ちゃんと聞いてから多くではなく少しのことで感じたことや自分の意見を言うのでその会話のキャッチボールがすごく良い雰囲気になっていた。
山中さんが台湾で撮った写真も何枚か阿部さんが紹介されていたが、日常の断片が感じられるもので、撮られていないものや漂っている空気感が好きだなと思えるものだった。山中さんご自身は役者として映画やドラマやいろんな作品に出演されているけど、僕のイメージは華や存在感があるのに、役どころによって華が目立たないように存在感をあまり出さないようにしている。でも、その花の茎や葉っぱみたいなものの輪郭は見る側に伝わってくる。その塩梅も含めて作品の中で登場人物として違和感なく「居る」ということができる役者さんなんじゃないかなと思っている。
僕は自分で小説とか書くときに登場人物表を作ったりするけど、山中さんを脳内キャスティングすることが多い。主役ももちろんだけど、大事なところで居てほしい人物としてイメージすると顔が浮かびやすい。
イベント後には阿部さんとも知り合いの役者の知人も来てたので少し話をさせてもらって、山中さんにはお声がけして挨拶をさせてもらった。で、帰ろうと下に降りたら知人の本や店主とばったりあって少し本を見ながら話をした。なんだか、知り合いにたくさんあったような気になった一日だった。

帰り道はSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら帰った。もう150回を迎えたらしい、めでたいな。毎週楽しませてもらっているので長く続けてほしい。

 

8月24日
6時半に目覚ましをセットしていたが、その前に起きた。
奇妙な夢を見ていた。たぶん『ドラゴンボール』の孫悟空みたいな存在と敵なのか謎の物体がいて、僕は悟空の側で状況を見ていた。悟空の手足が蜘蛛みたいにどんどん伸びていき、ある程度伸びると枝分かれしていき、四本が十六本ぐらいに増えて、どんどん増えると体が見えなくなって手足が曲がっていき球体みたいな形になって浮いていた。元口だったような場所から敵みたいな存在に向けてかめはめ波みたいなエネルギーを放出していた。どういう夢だったのかまったく意味がわからない。
体調はほとんどいつも通りになってきた。もう少しだけ喉が痛い、うっすら腫れている気がする。結局、咳はほとんど出なかったから扁桃腺の腫れが原因だったっぽい。でも、先月同様にコロナだった可能性もゼロではない。今回は味覚と嗅覚がなくなるということもなかった。違いがもうわからない。
9時台のチケットを先日取っていたので、歩いて六本木方面へ。散歩のお供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。フリートーク40分ぐらいを小宮さんのテンションとノリでガンガンやっていくスタイルはたまにあるけど、今回もそれで楽しく聴けた。

テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」の監督・塚原あゆ子と脚本家・野木亜紀子が再タッグを組み、両シリーズと同じ世界線で起きた連続爆破事件の行方を描いたサスペンス映画。

流通業界最大のイベントである11月のブラックフライデー前夜、世界規模のショッピングサイトの関東センターから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生し、やがて日本中を恐怖に陥れる連続爆破事件へと発展する。関東センター長に着任したばかりの舟渡エレナは、チームマネージャーの梨本孔とともに事態の収拾にあたるが……。(映画.comより)

 

『ラストマイル』は令和の『踊る大捜査線』? その達成と課題を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】



『ラストマイル』をTOHOシネマズ六本木にて鑑賞。朝一の回だったけど客入りは多め。男女率は女性の方が多めだったけど、僕みたいに一人で来ているというよりは友達同士や夫婦やカップルみたいな感じで連れ立ってきている人が多かった印象。
作中に出てくる名前は流石に変えているけど、今作ではAmazonと物流の問題をやっているからNetflixドラマ『地面師たち』同様に地上波ではスポンサー的にはできないのだろう。
GAFAM(ガーファム:GoogleAppleFacebookAmazonMicrosoft)という巨大な企業、それは新自由主義グローバリズムが加速したことで国家よりも影響力や人々の暮らしに大きな影響を与えるようになった存在。今作でも扱っている物流の問題もAmazonとの関係性において難しいことが年々増えてきているし、問題点も報道されるようになってきた。その意味でもこの作品は新自由主義グローバリズムが蔓延した世界でどう戦うのか、いや「働く」のかということも大きなテーマとなっている。そして、個人はその大きな企業の歯車であり、いとも簡単に壊されてしまう。しかも、変わりはいくらでもいるから個人が、 その誰かが壊れたり損なわれてもその人の親しい人や友人知人や家族以外には気にしないし、もちろん企業はおかまいなくそのまま新自由主義グローバリズムは止まらない。
GAFAMという存在がなければ、現在の私たちの生活は成り立たない、と思わされている部分もあると思う。どうせどこかが没落しても、代わりの同じような企業が台頭するか、違う国の企業が覇権を握るぐらいかとも思ってしまう。この映画では意図的に大企業のオートメイション化されていく効率的なシステムとおそらくその対極に位置する「個人」という存在のことが描かれている。僕たちはそういうものからもはや逃れることはできないのか、そういうことも観終わってから考えることになる。この作品を他人事だと思える人は、システムに壊されてしまう人になんら感慨も感じない人はもう人間としてあるべき姿をしていないのかもしれない。
塚本あゆ子監督×野木亜紀子脚本コンビのTBSドラマ『アンナチュラル』『MIU404』ファンにはもちろんオススメできる。二作品のメインキャラもカメオ的ではなくわりとちゃんと出演している。二作品のファンならあの人が!みたいな感じで出てくるし、今回の物語とちゃんとリンクする形で登場してくる。
宇野維正さんの上記の動画タイトルにもあるようにドラマ『踊る大捜査線』(&劇場版)を観ているような気になるのは、画(映像やカット)が上記の二作品のテレビドラマとあまり変わらなくて、映画的な画やカットがあまりない。という部分もあると思う。僕はそう感じた。それもあって映画を観ている感じはしなかった。
尺的にはスペシャルドラマなんだけど、スポンサー的に難しくて劇場でやったのかなっていう。最近だとNHKドラマ『岸辺露伴は動かない』の映画版『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』がルーヴル美術館で撮らせてもらったし海外でロケしちゃったからNHKで二時間スペシャルではいけなくて映画でやったんだろうなって思ったのに似ている。ちなみに『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』はおもしろいかと聞かれたらつまんないと言うけど、映像はちゃんとカッコいい。というか『岸辺露伴は動かない』シリーズはあの世界観を表現するために映像も意識的にカッコよく撮られている。
だから、塚原あゆ子監督があえて今作は『アンナチュラル』『MIU404』のドラマファンが観にくるのが前提だからテレビドラマのままの映像にあえてしたのか、あるいは映画的な画が撮れないのか、そういうカメラマンと組むつもりがないのかがわからない。
内容はおもしろいし、ちゃんとヒットはすると思う。やっぱりドラマ二作品のファンはたくさんいるし、その繋がりから観に行く人たちは楽しめるものになっているし、あの世界観が描かれている。
普段映画館で映画を観る人が少なくなっているからあんまり違和感ないかもしれない。映画館で映画をそこそこ観ているとこの作品もっとよくなったんじゃないかなって思えてしまう。でも、一般的な人はそんなことは求めていないだろうし。
映画館で定期的に映画を観ることも、本屋に行って小説を買って読むことも、もう当たり前じゃなくて一般的な人からすれば珍しい側になりつつある。
なんでそうなってしまったのか、といえば「失われた30年」だし、この『ラストマイル』で描かれている大企業だけが利益を重ねていき、下に行くほど「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」状態になったから。
僕はAmazonで基本的には中古のもう手に入らない本ぐらいしか頼まないし、古書店からならパッキングとかちゃんとしてくださるので。新刊とか買っても前みたいにパッキングされないでそのまま入れられているので、カバーや帯、最悪本体すら破れたりしてしまう。僕は好きな作家の小説はカバーも帯もほぼ買ったままの状態で置いているし、最悪破れたりしたら同じ本を買う。だから、書店に行って自分で見て選んで買う。
ウーバーイーツも頼んだことがないのは、自分は運ぶ側だなって思っているので、頼めない。あれを平気で頼める人の神経は僕にはよくわからない。セブンイレブンの弁当工場で上京資金を貯めるためにバイトをしていた時期があったから、あのAmazon的な在庫センターのレーン式の光景はわかる。あそこにいたら心が自然と壊れていく。そうやって便利になっていった先で僕らは失われてしまったものに復讐されているような気がしてしまった。
『ラストマイル』は最終的にはメインの二人がさまざまな問題を少しでもまともしようと動くのだけど、それは彼女や彼が善意的な人間だからこそで、そうではない人間、例えばイーロン・マスクがトップになればどうなるかって言うのは身に染みている。

米津玄師 - がらくた Kenshi Yonezu - Garakuta JUNK 


観終わってからこの曲を改めて聴くと歌詞の意味がすごくわかる。それもネタバレになりそうだから書かないけど、観終わった人は歌詞を読んでみるといいと思う。

12時台に上映が終わったので再び歩きながら帰ったらTシャツがびしょびしょになってしまうほど汗をかいてしまった。家に着くなり、ペットボトルのポカリを一気飲みして、炭酸水とかもガブ飲みしても喉の渇きが満たされないって感じだった。
熱射病とか日射病とかではないと思うが、歩いている時もずっと額に汗が出てきて、頭皮からの汗もどんどん落ちてきてたんだろうけど、何度も手で汗を払ったりTシャツの裾で拭ったりしていた。やっぱり30℃を超えるような時間帯の時はタオルを持っていかないとどうにもならない。


夕方まで寝転んで軽く休んだりしていた。体の熱がなかなか逃げていかない。寝てもまだ少し体に熱が残っていた。
井伏鱒二著『山椒魚』を読み始めたが、昔一度ぐらいは短編『山椒魚』を読んだような気がするが、改めて読んでみるとどこにもいけなくなった山椒魚の世界、やってきた蛙を閉じ込めてどこにもいけなくさせるがそれも虚しいだけ。いつか蛙は隙をついていなくなるかもしれないし、山椒魚よりも先に死ぬかもしれない、結局巣穴代わりの岩の穴から出られなくなった山椒魚は孤独になってしまう。自分と同種の存在と会うことは二度できない、その孤独さ。これは今の孤独死がどんどん増えている現在の方がリアリティを持っているような短編だなと思う。世界に通じる穴はあっても、自分がそこを通り抜けることができない。どうしようもない、そのどうしようもなさ。
併読しているいくつかの本を少しずつ読んでからライティング作業を。一週間近く体調崩してスケジュール通りにできなかったので立て直しできるといいのだけど。

 

8月25日
8時前に起きてスケジュールを確認して朝の散歩へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』をお供にして代官山蔦屋へ。春日さんの妻のお母さんの実家がある群馬に行った時のフリートークがいわゆる田舎のお家の描写というか、あるあると思えるようなものだった。
来週の『星野源オールナイトニッポンスペシャルウィークのゲストはオードリーと佐藤満春さんとファミレストークも今から楽しみだなあ。気温はそこまででもないので昨日ほどは汗だくだくにはならなかった。スーパーでご飯用の食材を買って帰る。新TwitterことXのトレンドに「完熟マンゴーさん」というワードが上がっていたので、

安住紳一郎の日曜天国 | TBSラジオ | 2024/08/25/日 10:00-11:55 

をタイムフリーで聴いた。最初の30分ぐらいで亡くなった番組のリスナーである「完熟マンゴーさん」こと声優の田中敦子さんの話を安住さんがしていて、過去の番組内でのやりとりも放送していた。
そのラジオネームの由来は亡くなった直木賞作家の山本文緒さんの小説『ばにらさま』収録の『20 × 20』の登場人物が名乗っている名前が「いちじくたわわ」というものだったのでそこから考えたものだったという話もあった。

その山本さんが亡くなった際に田中さんが番組にリクエストした曲があって(なぜその曲をリクエストされたかは番組では紹介していなかったらしい)、今回は番組から田中さんへの追悼として流したのも素晴らしかった。
ラジオだからこそできることだろうし、リスナー同士の繋がりとか田中さんの人柄もよくわかるものだった。

黒沢清監督が手がけたオリジナル中編映画『Chime』をずっと観ようと思っていたけどタイミングがなかなか合わずにいた。今日の昼間なら下北沢駅のところにあるK 2シネマで観れると思ってチケットを朝取っていた。
映画館のサイトでちょくちょく観ていたけど一日一回上映だったが、毎回かなり席が埋まっていた。どうも口コミで広がっているらしいというのは聞いていたが、それを見て本当っぽいなと思っていた。
13時半過ぎに家を出て、茶沢通りをまっすぐ下北沢方面に歩いて行こうと思ったら今日は年に一回の通りをサンバが練り歩く日だったみたいで撮影しようというカメラ小僧(ほぼおっさんやじいさんばかりだが)が通りの左右の歩道で待機していた。まだちょうど始まる前だったので歩くのにそこまで不便はなかった。


『Chime』は満席みたいでちゃんと埋まっていた。二十代が多い印象で若者が観にきているなってわかる。
作品自体は料理教室で講師として働いている主人公の松岡。生徒のひとりの男性のちょっと変わっていると思われている田代が、チャイムのような音が聞こえる、先生には聞こえませんかと言い出し、最終的に彼は「自分の脳は半分は機械に入れ替えられている」と言い出してある行動に出る。その後も普通に暮らしていた。松岡だったが、女性の生徒に教えているときに彼にもある変化が起こりだす、というもの。
松岡の家族や家での描写もあるが、それもちょっと不穏な雰囲気がある。妻がたまった空き缶を家の外に捨てに行くのだが、ゴミ袋三つぐらいがすぐにたまっているという感じで、どうも何かがおかしいと思わせる。
実際この作品ではそういう種類の不穏さが至る所にあるが、説明はされない。松岡の周りで異変が起き始めていることもその理由も明かされない。ただ、今まで足りまえだった日常が壊れていく、異常さを持ち始めていくというもので、『CURE』『カリスマ』『回路』あたりの仄暗さだけを煮詰めたような中編となっていた。
リメイクした『蛇の道』は正直おもしろく感じなかったが、今作もそこまで怖いかなと思うぐらいで不穏さや仄暗さは感じたが、物足りなさだけが残った。説明はされなくてもいいんだけど、消化不良だった。


一時間ほどの映画を観終わって家へ帰る。下北沢への行き帰りは現在はYeと名乗っているカニエ・ウエストとタイ・ダラー・サインが組んだ¥$のニューアルバム『Vultures 2』を聴いていた。
三茶に近づいてくるとサンバのリズムがイヤフォン越しに聞こえ始めてきた。そして、通りの左右の歩道が人で埋め尽くされていた。遠回りして帰るのもいいけど、ちょっと見たいというミーハーな気持ちもあり、茶沢通りをサンバが歩いていく方と同じ方向に歩いた。人が多すぎて進まない進まない。ダンサーさんたちが写った画像もあるけど、こういうところには出さない方がいいかなと思ったので自主規制。

朝と昼歩いた分の汗を洗い流すためにシャワーを浴びた。もう、水だけでも冷たくないという謎の現象。水がちょうどいいいぐらいの温度になっている。
ちょっとだけ読書の続きをしてからライティングの作業を。

 

8月26日
6時過ぎに起きて可燃ゴミを出してから朝のルーティンを、と思ったけどなんだかまだ眠いのでプラス一時間ちょっと寝た。
先週の体調を崩した時に比べるとほとんどいつもの状態、わずかに喉のほうは腫れが残っている気がするが、唾を飲み込んでいたいということもない。
昨日のライティング中に浮かんできたアイデアを元に構成を変えてみたが、そっちの方が改めて読んでみてもしっくりくる。東京湾スカイツリーが見える場所を舞台にして、現在の話だけど僕自身が取材というか見たり、足を運んできたものを何か物語に入れ込めるといいなと思った。
もう建物もなくなってしまった晴美埠頭客船ターミナルのこととか、葛西臨海公園から脱走した一羽のペンギンのこととか、僕にとっての東京湾のこと。舞台がスカリツリーが見える場所にしていたけど、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』は好きな作品だったし、なんか影響を受けたものになったりするといいかなと思ってタイトルも彼にちなんだものにした。
今月末までに書き上げる予定だった作品はとある理由で出せないことがわかったので10月末に〆切があるものに出すことにしたので、その前に中編と短編をリハビリがてら書き上げることにした。元々書く予定だったものに出てくる登場人物をメインにしたスピンオフとかだけど、ちょっと設定とか作って書いていると楽しい。

 1994年4月、アメリカのシアトルで27歳で自らの頭をショットガンでぶち抜いてその人生の終始を打ったアーティストがいた。そう「ニルヴァーナ」のカート・コバーンだ。彼の死によりグランジも終わり、新しいムーブメントや若者にとっての「神」であるかのような次世代の新しい指針が必要になった。何かの終わりは新しい何かの始まりでしかないのはいつの世もそうであるように。

 同じく4月、ノエルとリアムのギャラガー兄弟を軸にしたバンド「オアシス」は時代を作り上げたかつての少年、若者のカリスマになってしまったカートが神への供儀として捧げられ、失われた世界で「スーパーソニック」としてデビューを果たす。

 カリスマ自体が時代を作るわけではなく、カリスマは磁石のようなもので、彼らに惹かれるファンや支持者はある種の砂(鉄)として強力な磁場に吸い寄せられていく。その砂の流れが時代と言ってもいいのかもしれない。だからこそ時代の流れができあがった後に新しい磁場が発生すると砂はまた次なる時代の流れに向かっていく。役割を終えたものは自然と回収されるかのように神の元へ帰っていく。

 マイケル・ジャクソンの死による彼の再評価はこの新しいディケイドにポップな散乱銃による色とりどりなものが溢れる前兆として最後に咲き誇ったように僕には思えた。

 「オアシス」は三枚目のシングルとして「ニルヴァーナ」の「I Hate Myself and I Want to Die(自分が嫌いだし死にたい)」への反発として「Live Forever(永遠に生きる)」と歌った。この1994年にデビューアルバム『Definitely Maybe』を発売し英国初登場一位を記録し彼らの歴史が始まった。

 そしてそのデビューから16年の歳月が経った今、2010年に発売された『Time Flies』という彼らの歴代シングルを網羅している作品がリリースされた。バンドのリーダーでありソングライティングをメインで務めていたギャラガー兄弟の兄・ノエルの脱退によってオアシスという時代は終わり実質的にこの作品が最後の「オアシス」作品となるだろう。

 彼らが第一線でロックンロールバンドとして活動していた16年という歳月の中であまりにも大きく世界の流れが変わってしまった。その中でも彼らは言いたい事をいい、暴れてたりケンカをしたりと様々な問題を起こし、ロックンロールの最後の生き様を見せていたように僕には思える。そしてその限界が訪れたのが2010年だったということだろうか。彼らは、リアムやノエルはこれからも音楽を続けて行くだろうし、ビッグマウスは健在だろうが、彼らのようなバンドはもう現れないだろうと収録されている曲を聴きながら思う。

 洋楽ロック不振は海外バンドを呼ぶフェスのラインナップを見てもわかるように客を以前のようには集められない、昔だったら考えられない日本のアーティストを呼ぶ事でなんとか集客を増やそうと努力しているのがわかる。音楽業界自体の落ち込みと若者の洋楽離れがそれにさらに拍車をかけている。

 そう意味でもオアシスというバンドのように日本でも売れるロックバンドというものはこれから少なくなっていくし、彼らの楽曲のように僕らですら口ずさめるようなロックが出てくるのかは疑問だ。

 彼らがこうやってビッグバンドとしての「オアシス」に区切りをつけて終焉したことで次世代のロックが、新しいムーブメントがゼロ年代終わり頃から萌芽しつつ、それらが今のテン年代に入り一気に実ろうとしている事と符号させる。
 しかし、彼らが残した楽曲はこうやって残る。いつしか彼ら自体が「Champagne Supernova」のようになってしまったなと思っていただけにこうやってきちんと終止符を打ったことは嬉しいような哀しいような複雑な気持ちになる。

 ノエルの脱退で浮かんだのは旧約聖書『創世記』に登場するカインとアベルの兄弟の話だった。彼ら兄弟が神ヤハウェに各自の収穫物を捧げた。兄・カインは農耕で取れた収穫物を、弟・アベルは羊を放牧し肥えた羊を。神はアベルの供物には目を留めたがカインの供物は無視(シカト)した。カインはそのことによる嫉妬でアベルを殺してしまったが、アベルの血は神に向かってこのことを訴えた。神ヤハウェはカインにアベルの行方を問うと「私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えた。

 ノエルはリアムを殺さずにすんだ。でも彼らの「オアシス」を殺すことで互いを生かすことを選んだ。そして「オアシス」は完全に僕らの、ファンのものとしてこの16年のロックンロールの記憶として残った。

リモートワークを始める頃に新TwitterことXでオアシス再結成みたいな話題が出ていた。上記の文章は僕が2010年にクッキーシーンwebにOasis『Time Flies...1994-2009』が発売に合わせて寄稿したもの。オアシスの再結成(リユニオン)はノエルとリアムが生きている間にあるだろうと思っていたけど、このニュースを聞いてもそこまで心が踊らない。
僕が初めてライブで観れたのは4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』以降で二度ほどしかない。たぶん、本物のオアシスのリユニオンよりも『ラヴィット!』のニューヨークの嶋佐がコピーしている「嶋佐オアシス」の方が泣ける(もちろん、リクエストのお手紙も含めてだけど)。
日本にもたぶんツアーで回ってくるだろうし、外貨を稼ぐにはもう日本はいい国ではなくなっているけど、ノエルはフジロックとか来てるわけだし日本が嫌いってわけじゃないだろう。かなり大きな箱でやることになるんだろうけど、そういうところには個人的には行きたくはないので日本武道館でやるなら観たい、ビートルズ大好きなギャラガー兄弟だし、すぐに発表しなくても追加で発表したらいいなと妄想する。サードアルバム『Be Here Now』が一番好き。

神経症、ある程度有名な人物へのディスり(読んだ方にはおわかり頂いていると思うけど、全くディスってないけどね。今のSNSの「悪意があるのか?無いのか?」の回答への要求の高さはおぞましいほどだ。悪意が向けられたら死ぬのか。ひょっとしてまだ流行ってんの?デスノートとか?「舞台版」がある、という驚異的な噂は耳にしているけれども)をする老害。で仕舞いだろう笑、なんとまあ酷い世の中になったもんだ笑。

僕は正直、SNSの中に踊るあらゆる数値を信用していない。全くの出鱈目だと言っているのではない。吉本隆明の、僕の世代には有名な「主催者発表」というエッセイがあるが、あれに毛が生えたようなもんだろう。
(中略)
すげえ昔、佐藤くんという天才煽りV監督に「菊地さんTwitterなんて全国のいじめられっ子の集団ですから」と、でっかい海老を食いながら言われたことがあって、こっちもでっかい海老を食ってたから、大変に美味かったと同時に「流石にそこまでじゃないでしょ笑」と言おうとして、「はふがにほほまであないれそ笑」ぐらいで返したものだが、やっぱ佐藤くんは天才で、正しかったのかしらと思った。

菊地成孔の日記 2024年8月24日記す> 

こちらも作業中に自分のMacBook Airの方にメールが来ていたので見たら、復活というかニコ動が再開したことでチャンネルも動き出した菊地さんの日記だった。SNSの数字を信じすぎるという風潮はあるし、なぜか話題もSNSで発信されたものや有名になったものをテレビとかで紹介するみたいな流れになっていて、それは正直おもしろくもないし、新鮮味もない。
個人的にはSNSをいつかやめるだろうな、と思っている。個人出版とか知り合いの人たちがどんどんやっているけど、例えばそういうことを自分が版元みたいなことをするならSNSはやめられないんだろう。営業部と宣伝部とかみたいなことを自分でやらないといけないとなると発信は自分でするしかないから。

作家としての活動期間が積み上がってきたこの頃には、切羽詰まった中で若干負荷をかけて書く時の作法が出来上がっていた。長編連載の場合はニュアンスが伝えづらいので割愛するけれど、短編の場合はわかりやすくて、30枚の短編の場合は4000字×3日、50枚の短編の場合は5000字×4日で書くというものだ。3日間殺法、4日間殺法と後に名付けることになるその技で、僕は「群像」の3号連続のオファーを乗り越えた。そして出来上がったのがYouTuberロボットをはじめとしたYouTuberが出てくる短編「Robots」「Automata」「Clowns」の3篇だ。作者としてはどれも気に入っている。切羽詰まっていたがゆえに、無意識がにじみ出ていて、温めていたYouTuberキャラがその無意識の泥から意図せずに出てきた。

自作のYouTuberが総出演! 無意識から生まれた「神話」がはじまる

ちょうど読んでいる上田岳弘著『多頭獣の話』の著者の上田さんのインタビュー記事。短編を集中して書き上げる技法の話も気になるが、三つの短編で書いた、出てきたYouTuberが今回の長編連作に出てきている、というのは僕が今考えていることとは逆ではあるのだけど、なんとなくそういう積み重ねみたいなもので物語が多層になったりするし、自分でもわからなかった形が把握できるということは確かにある。

Summer Eye - 湾岸 MV 


昼休憩の時も感じたが、リモートが終わってからスーパーへ買い物に歩いていると酷暑からは解き放たれたという空気感になっていて、非常に歩きやすいし風が心地いい。
金曜にロロの新作舞台を観に行くのだけど、音楽はSummer Eyeが手掛けているのでそのモードに寄せようと歩く時のBGMは彼のアルバムとそのリミックスアルバムにした。
寄ってみたBOOKOFF花村萬月著『ゲルマニウムの夜 王国記①』の文庫本があって、ポイント使ったらほぼ100円だったので買った。この表題作の映画化されるよりもだいぶ前に花村作品をわりと読んでいる時期があったはずなんだけど、それがいつだったのか思い出せない。
懐かしいなと思ったのもあるけど、裏に『ゲルマニウムの夜』が第119回芥川賞受賞とあって、「あれ、受賞作だったっけ」ぐらいそのことを忘れていた。忘れている自分にびっくりした。

映画『ルックバック』のポスターデザインを手掛ける大島依提亜の原点はアキ・カウリスマキ

いいなって思う映画のポスターとかが大島依提亜さんだったりすることが多い。
A24作品も初期から観ているけど、日本でも映画好きの中で認知度が上がっていったのは大島さんが手掛けたポスターやパンフもかなり大きかったと思う。ちゃんとオシャレだったり、カッコいいっていうデザインをしているかどうか、これは本当にデカいし重要なことだと思う。
大島さんはたまに書籍の装丁デザインもすることがあるけど、いろんな紙や大きさの違うものを使う映画のパンフレットは個性的で手元に置いておきたい、作品やその作家性をなんとか形にしようという意気込みが感じられるものが多い。

 

8月27日
日付が変わってから放送の『空気階段の踊り場』を radikoで聴いてから寝た。鈴木もぐらが北野武映画、Amazonが作っている作品に出演というのが発表されていたのでその話をするのかなと思ったけど、していなかった気がする。
3時過ぎに目が覚めてしまって、『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を流して目を瞑っていたら寝落ちしていた。
6時過ぎの目覚ましで一回起きたが、どうも頭がしっかりしないというか目覚めが悪いので8時まで寝ることにして起きる時間をセットし直した。
起きると体もいつも通りだし、頭もスッキリしていた。今日は亡くなった友達の月命日で、樹木葬をする日だと彼女のお母さんから聞いていたのでこのことでDMをした。東北の方も昼から雨らしく、降る前に終わるといいなと思った。

午前中は休みにしていたので映画館のサイトをいくつか見るとユーロスペースが火曜日サービスデーだったので、ちょっと気になっていた石井岳龍監督『箱男』を観に行くことにした。安部公房の原作小説を映像化したものだが、二十数年前に確かドイツあたりで映画撮影を始めようとしたら資金不足か何かでダメになったという話を『僕らの時代』で主演の永瀬正敏さんと当時一緒に出演する予定で今作にも出ている佐藤浩一さんが話されていた。
家を出て涼しいなと思っていたら、渋谷に近づいていくと雨が降り始めてそこそこ濡れた。傘が正直欲しいという降り方だったけど、ほとんどユーロスペースには着いていたので諦めて映画館の中に入るのを急いだ。
いつもならラジオを聴きながら歩くんだけど、友達のこともあったのでCreepy Nutsの『のびしろ』と菅田将暉と一緒にやった『サントラ』、星野源の『光の跡』とPUNPEEとのコラボ『さらしもの』をSpotifyで繰り返していた。特に『のびしろ』には隅田川スカイツリーが歌詞の中にも出てきて、彼女の住んでいた場所はどちらにも近かったので、僕の中で結びついている。

サービスデーといっても平日の午前中だからお客さんは10人ぐらい、石井岳龍石井聰亙)監督で主演が永瀬正敏さん、浅野忠信さんと佐藤浩一さんが出演となるとどうしても年齢的には僕かその上の世代になる。
原作小説の『箱男』を読んでいないのもあるのだが、最初の方から段ボール箱に入って世界を覗き見している「わたし(永瀬正敏)」と彼を付け狙っている謎の男(渋川清彦)の対決とかはちょっと笑ってしまった。
もともと「わたし」は別にいた箱男に魅入られて自分が箱男になりたいと思ってなってしまった人物だったが、箱男の存在を乗っ取ろうとするニセ医者(浅野忠信)、箱男を利用しようとしている元軍医(佐藤浩一)、「わたし」を誘惑する謎の女のである葉子(白本彩奈)との関わりを描いていく。
正直よくわからなかったけど、永瀬さんと浅野さんが対決しているシーンは二人が出演していた『ELECTRIC DRAGON 80000V』のことを思い出したりした。箱同士の対決になるとちょっとコントっぽくなってしまう。リアリティラインは放棄しているとは思うんだけど、映像的にやるとなるとあの形しかないのかな、どうなんだろう。
葉子役の白本彩奈さんは劇中でも脱いだりしていて絡みはないけど、スタイルがとてもよくてキレイだなって思った。他が男の役者さんがメインだったから余計に際立つというか印象に残った。

森香澄のオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2024/08/26/月 27:00-28:30 

帰りも映画館から出るとちょっと雨が降っていたけど、道玄坂の方に向かって行き三茶方面に歩き出したら雨雲から抜けたからか、雨は降らなくなって日が照ってきた。
radikoで深夜に放送した『森香澄のオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いた。タレントとして何度か番組で見ていて、彼女のイメージは「あざとい」というものが代名詞になっているけど、元アナウンサーというのもあって甘い感じはするけど聴き心地のいい何をいっているかはっきりとわかる声質だった。
フワちゃんの後枠を巡る冒険、がてら今週は森香澄、来週は渋谷凪咲と発表されている。このまま来年四月までは毎週タレント、俳優、芸人、文化人の女性がトライアルでパーソナリティをやってみて人気と評価の高かった人がレギュラーやればいいのにな、と思う。
騒動前の「ANN0」布陣はしばらく不動なラインナップだと個人的には思っていた。だれかのピンチはだれかのチャンス、奇跡とは常に救いようのない悲劇や絶望に支えられている。

家に帰ってから諸々と自分の作業を開始。夕方までライティングと資料なんかを読んでいた。夕方過ぎてからアイスコーヒーをセブンイレブンに買いに行こうと思って家を出たが、ついでに池尻大橋の駅前にある書店まで散歩した。

燃え殻著『これはただの夏』新潮文庫版が出ていた。燃え殻さんにインタビューさせてもらった時はまだこの作品が『yom yom』で連載中だった。だから、インタビュー中にはこの小説についても聞いているのだけど、記事には反映されていない。
タイトルや作品自体が青羊さんのソロプロジェクト「けもの」の『ただの夏』という曲からのインスパイアによるもの。燃え殻さんにはある映画のワンシーンもこの作品を描く時にイメージというか参考にしたと聞いた記憶がある。
解説が菊地成孔さんなのは「けもの」のプロデューサーだったこと、燃え殻さんが菊地さんのファンということもあって依頼されたと書かれていた。そういうものに個人的にはTBSラジオ的な流れを勝手に感じた。

僕はコロナパンデミックになってからラジオを再び聴くようになったと言っているし、日記にも書いているけど、実際のところ2010年台は聴いてなかったかと言われたら実は聴いていた。しかし、聴いていたのは一つの番組しかなかった。
TBSラジオで放送されていた『菊地成孔の粋な夜電波』だった。放送開始の2011年4月から最終回の2018年12月までほとんど聴いている。最初の頃はリアルタイムで聴いていて、放送時間が何度も変わっていて、半年毎にシーズン1、2、3となっていた。
僕は後半の方の深夜帯はradikoのタイムフリーで聴いていたが、おそらく放送回の90%以上は聴いていたぐらいにはファンだった。そのぐらい聴いているから「粋な夜電波フェス」にも行ったし(そこで初めて「けもの」のライブも観た)、DC/PRGやペペ・トルトメント・アスカラールのライブも行くようになった。だから、菊地成孔関連のライブとかよくいってるなと思われても、7年以上毎週ラジオを聴いていて影響を受けているのだから当然と言えば当然ではある。

夜は昨日夜にSpotifyで配信された『83 Lightning Catapult』と今日火曜日配信の『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:中沢健UMA研究家)、『あのと粗品の電電電話』を聴きながら作業を進める。

 

8月28日
アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ちした。でも、一時間もしないうちに目が覚めたのでトイレに行ってまた横になっていたら、深夜二時過ぎにズドーンとまではいかないけど下から突き上げるような感じの揺れがあった。
神奈川県が震源らしいちょっと嫌な揺れ。そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を途中から流しながら眠った。

喉の痛みもなくなったが、気持ち体が重いようなダルいような気がしなくもない。起きてから朝のルーティンで読書を。今併読しているのは小林秀雄著『Xへの手紙・私小説論』、井伏鱒二著『山椒魚』、三島由紀夫著『春の雪』、中上健次著『地の果て 至上の時』、ガルシア=マルケス著『百年の孤独』、上田岳弘著『多頭獣の話』と上田作品以外は昔のものばかりになっている。
時間になったのでリモートワークを開始。そこまで急ぎのものはないのでいつも通りのんびりと作業を。radikoで『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を流した。
スペシャルウィークということでどちらもゲストが登場で、「星野源ANN」はオードリーの二人と佐藤満春さんと深夜のファミレスでトーク。閉店後のお店を使わせてもらって、という形だが、前に一度やった時に好評だったみたい。
四人ともファミレスでの思い出がたくさんあるので話が盛りだくさんだった。聞きながらいいなって思った。僕はファミレスにはほとんど数えるぐらいしか行ったことないし、深夜に友達とドリンクバーで粘って始発までダベるみたいな思い出がない。そういう青春らしいことをしてないなって。
上京時にした最初のバイトはアパート近くのゲーセンだったが、閉店後はバイトの同年代(だいたい大学生から25歳ぐらいまで)でその頃出たばかりのカードを使ったサッカーゲームWCCF」を自分たちで金を使うならやってもいいみたいな許可を得て、真夜中に「WCCF」や格ゲー好きなメンツは「K.O.F(キング・オブ・ファイターズ)」とかで対戦をしていた。で、朝が近づいたら片付けて帰るみたいなことが多くて、ファミレスもすぐそばにあったはずだが、そこに寄ることもなくそれぞれ近いアパートやマンションに帰って行っていた。たまに飲み屋で飲んだりはすることもあったけど、ファミレスでずっと話すみたいなことはなかった気がする。
ファミレスでどうでもいい話をダラダラとか、何かを真剣に語り明かすみたいなことをやってきていないので四人のファミレスでの思い出トークを聴くと羨ましくなる。まあ、今更やる年齢でもないし、周りの友達も自分も深夜に出ていくような若さもない。そういう時間の無駄使いみたいなものができるのが青春とか二十代という時間なんだろう。
僕はそもそも外食とかをほとんどしないし、文章を書いたりする作業もカフェとか人がいるところだとほとんど集中できないのでやらなかったりするため、どうしてもファミレスに行くというきっかけがなかったというもある。人がいるところでも集中できる人とできない人の差異ってなんなんだろう。
「あのANN0」はあのちゃんがファンであるME:Iのメンバー三人がゲストだったが、いつも毒みたいなものはほぼ出さずにファン目線で愛でている感じのほのぼのとしたものだった。


昼休憩の時に買い物に行こうと外に出たが、やっぱり日差しが柔らかというか酷暑の時の危なさがなくなっている。台風が来ていることもあってか、曇り空だし風もあるけど、このぐらいの気温がちょうどいい。被害がないのが一番だけど、台風が列島を縦断して行ったらまた猛暑とか酷暑に戻るとかは勘弁してほしい。

【フル】2時間特濃プロレス話! ゲスト:柳澤 健!! 豪さんが大絶賛の柳澤さんのアントニオ猪木さんの本から最近「極悪女王」で話題の全女の話まで濃すぎるプロレス話!!


外から戻ってきて『ラヴィット!』の配信がまだされていなかったので、この吉田豪さんのチャンネルに柳澤さんがゲスト出演している二時間ほどの配信を聴きながらリモート再開。
Netflixで配信される『極悪女王』も全女とかに詳しい二人が褒めていたので期待はできそう。でも、あれは誰かチェックしなかったのかみたいな話もあったり。二人ともプロレスとかに精通しているしライターとしての知識量とか諸々がツーカーみたいな感じだから、会話のテンポもいいし、ちょっとフォローしつつ話がどんどん転がっていくのを聞いているとプロレスとか門外漢だけどおもしろかった(柳澤さんの著作は読んでいるけどね)。

Scene♯1(後編) トーキョー・シネマテック 「アレ、何処に売ってんの?? 真似をした/したくなった映画Fashion(とその仕草)」


夕方過ぎになると「前編」もおもしろかった宇多丸さんと伊賀さんの映画ファッショントークの「後編」がアップされていた。
ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の衣装もやっている伊賀さんが、映画公開時にはカットはされていたけど、平山が落語を寄席に聴きに行くシーンも撮影はしてあるという話もされていた。平山の本棚やカセットテープ収納のところには古今亭志ん生志ん朝の落語本か落語のテープもあるということだった。映画を観た時にそれは発見できなかったのでおそらく映っていないはず。平山は古今亭志ん生志ん朝であって、立川談志ではないだろう、そういう江戸前の感じと彼のノーブル感を出しているということを伊賀さんが言われていた。さすがにヴィム・ヴェンダース監督が落語家を知っているわけもないだろうし、そのセレクションも難しいから日本のスタッフが平山の人物像からその辺りも選んでいるのだろうが、納得でしかない。
平山なら同じ服をどのくらい着ていて、どんなスニーカーを履いているのか(そもそも育ちがいい彼はどういうブランドなのかということも大事)、衣装ケースの大きさによってどのくらいの服を持っているのか、ということも話し合って決めていたという。そもそも平山の日常は基本的にはルーティンになっているので、コインランドリーに行く日とかも決まっているので服も限られてくるというか季節ごとにパターン化している。その辺のジョブズが同じ服を何着も持っていてそれを着ていたという話も昔の映画からの影響ではないかという映画好きじゃないとわからないような指摘も宇多丸さんがしていたりしておもしろかった。
伊賀さんは登場人物の年収とか生活圏とかでどんなブランド持っているか、そもそも買わないとか、どんな小物を持っているかを決める人なので細部までこだわっているヴィム・ヴェンダース監督とは相性が良かったんだろう。このトークScene#1になっているけど、本当にいい対談だと思う。
日本映画における衣装の役割ということに関して言えば、やはり北村道子さんがいる。その次の世代の筆頭株として名前が挙げられる存在が伊賀さんだろう。こういうことはファッション文化でもあるし映画史にも関わるので、ちゃんと書籍にするなりなんなり残しておいたほうがいい。

リモートワークを終えてからセブンイレブンに行ってアイスコーヒーを買ってきて、久しぶりにタバコを吸いながら一服。玄関の窓を開けっぱなしにして吸っているが、少し前までは夕方過ぎても熱を感じる風や気温が高かったからすぐに汗ばんでいたが、今は汗もかかないし、寒くもなくてちょうどいい。
夜は朝の読書の続きをしてから自分の作業を。朝から感じていたが、左目の目尻がなんとなく痛い、眼球やその付近の骨を触っても痛みはない。何かのアレルギーなのか、神経的なものなのか、どこかが治り始めるとどこかが痛みが出てくる。

The Smile - Zero Sum (Official Music Video) 

 

8月29日
いつもは目覚ましが寝る寸前に目が覚める。体内時計なのかそれがたぶん機能している。今日は目覚ましを止めた記憶もなかったし、スマホのアラームが鳴っているのも気づかずにぐっすりと寝ていた。夜は気温も高くなかったので久しぶりに冷房もドライにもせずに寝ていたからか、気がついたらTシャツがうっすら汗ばんでいた。
起きてからすぐにリモートワークを開始。明日有休にしていて普段は働かない木曜日に仕事をするというイレギュラーで体内時計なのかリズムがズレたのかもしれない。
天気予報と雨雲レーダーを見ているとちょこちょこ雨は降るみたいだったが、お昼ぐらいまではそこまで雨量はないみたいだった。夜になってからの方が雨は降るとのことで、仕事している時も窓の外から雨の音は時折聞こえたが、ザーザー降りではなかった。


昼休憩の時に家を出てトワイライライトへ。雨は降っていなかった。昨日、店主の熊谷くんがInstagramかXで朗読の動画をあげていた。その際に読んでいたのが高橋悠治+坂本龍一著『長電話』だった。元々は1984年に出された音楽家の二人の電話を文字化した一冊だったものだが、今回バリューブックスが復刊した。
前に読んだ菊地成孔大谷能生対談集『たのしむ知識 菊地成孔大谷能生の雑な教養』はいくつかの対談本を元ネタというか真似るという形式を取っていて、最初に取り上げたのがこの『長電話』だった。
たぶん坂本龍一さんが亡くなってあまり時間が経っていない時期にその第一回目の対談が行われていて、菊地さんと大谷さんが世代的にも、音楽的な関わりとかも含めてYMOの影響下にあるという話も出ていた。それもあって、気になっていた対談本だったので復刻されると知った時は読もうと思っていた。文字だけの装幀デザインというのもかっこいい。


リモートワークが終わってからニコラに。雨は降っていたので傘を差して向かった。和梨マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。果物の中では梨が一番好きなのでコーヒーだけ飲もうと思っていたけど注文した。和梨は水々しくてほんのり甘くて、マスカルポーネとタルトと一緒に食べるとさらに甘さも増して美味しかった。
朝からちょっと気になっていたけど、唇上にできた口唇ヘルペスの潰れたあとが治りかけていたすぐ近くに違和感があった。この時間ぐらいになるとその箇所が明らかに新しい口唇ヘルペスができていた。まだ、免疫力弱まっているままらしい。早く全快したい。


カウンターで打ち合わせをしていた藤江くんとは僕が帰り際に少し話をした。彼が杉咲花さんと一緒にリーガルリリー -『ムーンライトリバース』Music Videoに出ているのを前日に見ていたのでなんか不思議な気分。藤江くんは前よりももっといい面構えになってきてるなって思う。

 

8月30日
いつものように23時から放送のラジオ『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をエリアフリーで聴いていた。放送の半分が過ぎると日付が変わり、終わりの25時まで聴きながら読書をしていた。なかなか睡魔がやって来なくて、TVerとかでバラエティを流したりしていたけど、結局眠れたのは26時半を過ぎていた。


7時半に目覚ましが鳴ったので起きた。睡眠不足な感じはしておらず、今日は最終金曜日だとスケジュールを見てわかったので傘を差して雨の中近くのセブンイレブンへ。
朝日新聞と朝食のパンを購入して帰る。雨はそこまで強くはなかった。口元にできた口唇ヘルペスが一つ目はほぼ治りかけているけど、その横に新しくできた方が存在感を出してきて、舌を出して右上の唇のその箇所を触ってしまう。潰れてかさぶたになって治るまでだいたい一週間ぐらいかかる。もう次は出てこないでほしい。
古川さんの「文芸時評」は月に一回だけで、この時評に取り上げれらたもので読んでみたいと思う小説に出会えることもあるし、すでに読んでいた小説もそういう見方や捉え方があるんだな、という新しい出会いにもなる。本当にこの連載のためにたくさんの作品を読まれているのがわかるし、スケジュール的にも大変だというのがわかる。書ける人ほどいろんな小説を読んでいるというのはよく聞くことではあるけど、古川さんは書く量もハンパないのでまさにその証明をしている。
radikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をBGMに、少しだけ読書をしてから午前中は自分のライティング作業を進める。スケジュール通りにはなかなか進まないけど、一つずつ一つずつ予定していることを終わらしていきたい、それをちゃんと繰り返せるかが今年残りの目標だし、していかないといけないこと。

ユーロライブで行われているロロの劇と短歌『飽きてから』のお昼からの上演チケットを予約していて、ずっと観るのを楽しみにしていた。あいにくの雨だったが、無事に開催するというアナウンスが午前中には新TwitterことXのロロのアカウントでポストされていたので一安心。
ある時期からロロの舞台があれば一緒に行っている友人Tと受付時間の13時過ぎに待ち合わせ。受付が開始になったので二人のチケット代を払って受け取ってから一階にある普段は「Loft9」をやっている場所で開演までコロナビールを飲みながらトーク
14時前には中段の見やすい座席に着いていた。ここから書くのは演劇とは関係のないことだけど、僕の右隣に友人Tが座り、その右隣二席の横は通路になっていた。その二席には60代ぐらいの夫婦らしき男女が座っていた。
公演中ずっと友人Tの横に座っている夫がなぜ傘袋に入れている傘を床とかに置かずに自分の両足の真ん中に立てていて、ずっとその傘袋を触る音が聞こえ続けていた。ガササみたいな微妙に気になるノイズが気になってしまう。注意した方がいいのかどうか悩んでいて、あとから聞いたら友達もそう思っていたらしかった。
さらには何かのタイミングで話し声というか小声みたいなものが、何を言っているのかは聞こえないが耳に届いていた。友人Tと傘袋ジジイのことを話したら、その話し声はそのジジイの横のババアのものらしく、「何やってるのかわからない」みたいなことを何度か言っていたらしい。それもあってなんかヤバいんんじゃないかと思って、傘袋ジジイを注意できなかったと言っていて、それはそうだなって思った。
公演後にはアフタートークがあった。作・演出の三浦直之さんと出演していた芸人の鈴木ジェロニモさん、ゲストがダウ90000の蓮見翔さんだった。この傘袋夫婦は上演後のアフタートーク前には席を立って帰って行った。
まず謎というか不思議だったのは、「なんであの二人はこの舞台を観にきたのだろうか?」ということだった。関係者の親とかの可能性もゼロではないが、関係者の親であれはなかなか考えにくいし、もしそうだったら最悪すぎる。あとダウ90000のファンでもない、蓮見さん目当てなら残っているからこれも違う。ユーロライブでやっている「渋谷らくご」のファンでなんか間違えてチケット取ってしまった。うーむ、これも中々考えにくい。ユーロライブの箱推しの人でとりあえず若者のライブだと思って観にきた。これもなんだかなあ。あの二人がノイズだったことは舞台の出来とは関係ないけど、明らかなノイズだった。あとは台風の影響で雨が降っていて、濡れたりしていたので冷房がしっかり効いていたので正直寒かった。あの辺りの調整は難しいと思うけど、もうちょっと冷房の温度は高くてもよかったかもしれない。

2023年11月に東京芸術劇場シアターイーストでロロ『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』を同じく友人Tと鑑賞していた。その日のトークゲストが歌人の上坂あゆ美さんだった。この『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』はある物語の断片やある瞬間を切り取っているものを一編ではなく、タイトル通りカタログ的にやっていくものだった。
確かアフタートークの際に三浦さんが上坂さんの短歌が好きで読んでいる時に、短歌みたいな感じで演劇ができないかなって思った、というような話をされていたような気がする。あとは長編を書けないみたいな話もあったかもしれない、だからこそ、まず場面ごとをまずやってみようと思ったみたいなことだったと記憶している。
今回の『飽きてから』はロロの作・演出の三浦直之さんと歌人の上坂あゆ美さんが台詞と短歌を往復しながら戯曲を綴るという新企画だった。
三船青(望月綾乃)と川名雪之(亀島一徳)がマンションのリビングで『笑点』を見ながら、居酒屋で働いている雪之が作ったナポリタンを食べている。二人は付き合っているらしいが、ナポリタンを最後まで食べたいと思わないという雪之の発言から、それが別れ話の流れだと勘違いした青が詰め寄る、「じゃあ、別れようか」「じゃあって何?」みたいなやりとりがある。さらに今日が雪之の誕生日だったが、青はそのことを忘れていたことも発覚する。そんな中、「ただいま〜」と丸山しっぽ(上坂あゆ美)が帰ってくる。ずっと家出をしていたというしっぽは五年以上帰ってきていなかったにも関わらず、雪之に誕生日プレゼントを渡す。というオープニングから物語は始まっていく。
そもそも最初に三人が出会った2017年(前年ぐらいから同じ駅を使ったりしていてお互いの顔を見知るようになり、挨拶程度の関係性になっていくのもシーンをショートカット的にいくつかの時間軸を同じように繰り返すことでわかるようにしていた)のことが描かれる。
雪之としっぽから逃げるように部屋を出ていった青が出会うこともなるノマドワーカー?(住処を持たずにチョコザップなどを点々として生活をしている設定だったかな)な薔薇丸(鈴木ジェロニモ)と、しっぽのかつてのバイト先の社員の頬杖(森本華)とのやりとりが同時に展開されていく。
基本的には現在に至るまでの過去の三人(三船青と川名雪之と丸山しっぽ)のやりとりや関係性がどう変わって行ったのかを現すシーン、現在の三人(三船青と薔薇丸と頬杖)がチョコザップに行ったりする道中などのシーン、過去の三人と頬杖との場面などもあるが、三人が一つは軸になって展開していように見えた。場面ごとに舞台のスクリーンに短歌が映し出される。

作中の人物の心情を表すもののようでもあり、観客にも見覚えのあるようなその気持ちや行動と余韻を感じさせる短歌が物語をより身近なものに引き寄せていた。
観終わった後に友人Tと感想を話したのはセリフによってそれぞれの家庭環境や経済的な価値観の違いなどが出ていたということ。確かに青は大学院生だったりして実家はどうも太そうだった。漫画を描いていたしっぽに対して「漫画を描きなよ」と背中を押すつもりでiPadとiPencilを誕生日でもない日にプレゼントしたりする。青自身は当然ながらわざとやっているわけでもないし、悪気もない。だが、その悪気のなさというが恵まれているものが無意識にやってしまう行動だなって思えなくもない。
また、一度は料理師免許を落ちたことのある雪之に対して「私も調理師免許取ろうかな」みたいなことを気軽に特に考えずに言えてしまうことや、最初のナポリタンを一緒に食べる件では作ってくれてありがとうとかみたいな言葉はなかった気がする。それだけで彼女の育ってきた環境が伝わってくるのもすごいなって話をしていた。
雪之が数年前に働いているお店でパワハラなのか、心的にしんどくなって鬱病になりかけているという状況がかつてあったこともセリフの中で出てくる。そこは深追いせずに今は違う店で働いていおり、それはなんらかの方法で解決したことだけがわかる。
また、家出をしていたと言っていたしっぽだが、頬杖から彼女の岩手の実家で両親がやっている宿が危なくなったので彼女が帰っていた(細部は違うかもしれない)みたいなことが明かされる場面もあった。
雪之としっぽはセリフやエピソードである種の社会性に関することや労働に対することが伝わってくる(彼らが向き合っている世界が僕らの世界と地続きであるのので他人事ではない気になってくる)が、それに対して青はまだ大学院生なのかそれらの部分は薄く、だからこそ対比的になって際立っているように感じた。
しっぽが漫画を描いていたものを読んだ二人は才能があると確信して、描くように彼女に伝えるがその続きは描かれなかった。その続きを雪之が描いたがそれも途中で終わっていて、しっぽもその続きを読みたかったというやりとりがあった。iPadとiPencilの件もそうだけど、他の二人はしっぽに対して無邪気な期待をしていた。青は特にそうであり、知り合いの出版社の編集者に見せたりするなど本人よりも乗り気になっていたりした。だが、しっぽ自身はそれまで漫画をたくさん読んできたわけでもなく、描きたい意欲もさほどなく漫画が大好きでもないと吐露するシーンもある。周りの期待と本人の気持ちのズレが描かれていた。当然ながら漫画なら当人が漫画を描く自由もあるが、描かない自由もある。だが、時として才能豊かな人は本人の意志があまり尊重されず、周りからの圧でそこまでやりたくないことをやることになってしまい、結果とかを出してしまってやめるにやめられなくなるということがある。これはスポーツ選手に多そうな気がするが。今回はその非常にセンシティブな部分に触れているのがすごいなと思った。
また、青と雪之としっぽという三角形、しっぽは二人に「私は家族になりたくない」と言う。ここけっこう大事なことだなって思った。女二人と男一人、そのうちの男女が恋人であり、三人は皆友人でもある。恋人であり、もしかしたら彼らは結婚して夫婦になるかもしれないという男女と一緒に住むことになったりする際に、友人ではなく家族として見られるというのは他の二人の傲慢さにも見えるし、しっぽが望んでいたことでないことに二人が気付けないこと、関係性は変化していくものだからこそ、そういう大事なものを当たり前の日々の中で見失ってもしまうことを描いているようにも見える。
『飽きてから』というタイトルはいろんなことにかかっているし、終わりそうで終わらない、でも終わる時には急に終わるこの日常を生きている僕たちにとって切実な言葉だなと思った。

先ほども書いたように上演後のアフタートークは作・演出の三浦さんと出演している芸人の鈴木ジェロニモさんとゲストがダウ90000の蓮見さんだった。三浦さんと蓮見さんの年齢は少し離れているが日芸日本大学芸術学部)の先輩と後輩にあたるという話があって、蓮見さんが「ロロになりたくてなれなかった人たちを山ほど見てきたんです」「ロロになりたかった」という発言をしていた。20代の頃から青春と恋愛を描いてきたロロが中年(35歳を超えると若者区分ではなくなる)に入ってきた証左だなとも感じた。
蓮見さんたちの世代からすれば上の世代の30代では演劇ではロロが憧れであり、羨望の眼差しで見ていた劇団だったということだろう。「ロロになれなかった人たち」というのは本当にそうなのだろうけど、残酷な現実だなとも思う。そして、今演劇とお笑いの若手の中でも筆頭株に上がっているダウ90000の蓮見さんがそれを言うということは、「ダウになりたくてなれなかった人たちを山ほど見てきたんです」と下の世代の誰かにその後言われることになるだろうと予感させるものだったりもする。そもそも舞台上でトークをするということ自体が「なった」人たちであるという揺るぎない現実がある。セリフのことや物語の作り方などに関しても同じ立場の作・演出の二人だからこそのトークになっていた。
トークに時折ジェロニモさんが入ってきてちゃんと笑いも取りつつも存在感を感じさせた。彼はガタイがいいのもあるけど、舞台映えする存在感があった。あと劇中でカラオケを歌うシーンがあったが歌が異様にうますぎて笑っていいいのか、感心したらいいのかわからない状態になっていたのもおもしろかった。
上坂さんも普通に出演していたが、一緒に観に行った友人Tは終わってから飲み屋で感想を話している時までしっぽが上坂さんが演じていたと思っていなかったらしく、「ロロがまた演技の上手い役者さん連れてきてたんだな」と思っていたみたいでそれを知ってマジで驚いていた。まあ、驚くよね、なんで普通に芝居ができちゃうのっていう不思議。
二人のトークの中で「固有名詞」を出す出さないということも話題になっていた。ロロ、三浦さんは「固有名詞」をそこそこ出していると思う。今回も出ていることもあって、短歌の方は「固有名詞」が使われていない(上坂さんには確認してないとかそういう感じだった)という話があった。その「固有名詞」をどこまで出すかという話で、蓮見さんは自分たちを観てくれる人は同世代が多いので、そこでわかるものよりも少し上の世代のものとかを使うようにしていると話していた。
AKIRA』大判コミックとか、あれはその存在感でしかないし、作品の有名度みたいなものもちょうどいい。もし、知らなくても自分たちを観に来てくれる人たちは大抵検索して後からわかってくれるとも蓮見さんが言っていた。ダウのネタで『AKIRA』コミックを使ったものがあった気がする。各巻ごとに紙の色が違うやつ、ヴィレヴァンで昔よく見かけたあれ、確かに他には代替えが効かないし、使いたくなるのもわかる気がする。
ダウ90000の活動がコロナパンデミックが始まった頃だったこともあり、彼らの活動は演劇やコントをやっても劇場に人をたくさん入れることができず、ひと席ずつ開けるとかやらないといけなかったが、同時に配信をするのが当たり前になった最初の世代だった。だからこそ蓮見さんが観に来た人たちが知らない「固有名詞」を出しても検索してくれると話していたのは、配信で何回も観る人たちがお客さんにいるからこそ、わからない「固有名詞」を出しても知りたい人はちゃんと調べておもしろがってくれるとわかっているからだろう。
「固有名詞」に関しては僕も使っているほうが好きだ。昔の村上龍さんの小説を読んでいたら、登場人物が「パスタって何?」と聞いているセリフがあった。2020年代の僕らからするとなんでそんなことを言っているのかと思うセリフだが、実際「イタめし」ブームがあったのはバブル時代であり、その頃にそれまでスパゲッティと言われたものがパスタとオシャレな言い方に変化して現在に定着している。つまり、そのセリフは当時のリアルさでもある。そこで引っかかるとなんでこんなことを言ったんだろうと「パスタ」が当たり前になった時代を生きている人は思う。
検索すれば「イタめし」ブームがあったことも知れる。当時の風俗がわかることになる。だから、僕は小説とかだと「固有名詞」を使うと時代がわかってしまって後の時代になると古びて感じてしまうという人がいるのもわかるけど、古びたほうがいい。その違和感が当時のことを知ろうというきっかけになる。
個人的には時代やその時のリアルな風俗を描くなら「固有名詞」を出すしかないと思うし、何を選ぶかどれを使うかはそれを使う人のセンスにもなってくる。今回のトークだと「コンビニ」っていうよりは「ローソン」のコーヒーってわかるとその人たちの感覚が出せるみたいなことに結びついていく。ジェロニモさんが短歌だと「コンビニ」と使わずにお店の名前を出すとすると「セブンイレブン」は七文字使っちゃうから、「ローソン」が人気だと言われていた。なるほど、確かにそういう文字数制限で選ばれるとかもあるし、青色をイメージさせるなら「ローソン」か「ミニストップ」みたいな選び方にもなる。
劇中に映画『きみの鳥は歌える』を観に行こうとするシーンがあった気がする。僕も友達と公開初日の舞台挨拶付き上映を観に行ったんだけど、原作の佐藤泰志さんの小説は男二人と女一人の三角形を何度も描いていて、初期の頃からそのパターンは出てきていた。その到達点ではないけど評価されたのが『きみの鳥は歌える』だった。『飽きてから』もメインが女二人と男一人だから、それに合わせる形でこの作品を出したのかなと思ったりした。映画は2018年9月公開で、Googleフォトには一緒に観に行った友達と、舞台挨拶している監督や役者さんの画像が残っていた。
三浦さんと蓮見さんの実作者同士のトークを聞いていると、三浦さんがめちゃくちゃ楽しそうに話しているのが印象的だった。そういう話をできる人をずっと待っていたのかなってぐらい笑って楽しそうに見えた。
ロロは今までにミュージシャンでは曽我部恵一さんが音楽を手掛けたり、舞台にも出演していて、衣装は伊賀大介さんと上の世代とやっていた。今回は音楽はSummer Eye、衣装は伊賀さんの弟子の神田百実さんと彼らの世代に近い人と組んでいた。今作では社会性や労働に関することがちょっとしたセリフから感じられるのも三浦さんの意識的なモードが変わったのかな、と思えた。観終わってから考えることや浮かんでくるセリフやシーンが多くて、ロロの作品の中でも好きなものだろうし、これからもっと観たいと思わせてくれるものだった。


ユーロライブの外に出ると雨は止んでいたので、友人と東横線に乗って祐天寺で降りて、レモンサワー発祥のお店として有名な「もつやき ばん」へ。17時前ぐらいだったけど、すでに気持ちよく酔っ払っている常連さんらしきおじさんたちがいた。
名物のもつ煮込みやレバカツとか色々と頼み、まずは瓶ビールを飲みながら舞台の感想を話して、個々人の今年に入ってからのことなんかを。途中から僕が書いている小説のアイデアについて聞いてもらって、自分の中では思いもつかなかったアイデアを出してもらったのでそれを取り入れることにした。人に話すと自分では思わなかった方向に転んでいくのがおもしろい。でも、こういう風に話ができる人がたくさんいるわけではないので、定期的に舞台と飲みに行って話ができるはありがたいし、約束がいつか途切れるまで続けたい。前に佐久間さんのラジオで言っていたけど、僕らにできるのは気の合う友達や大事な人と次に会う約束をして美味しいものを食べたり飲んだりして話すこと、それをできるだけどちらかが約束を破らないといけなくなるまでひたすら続けていくことだけ。
舞台を観に行って、夕方から美味しいものを食べて酒を飲むという二人とも最高の有給の使い方になった平日金曜日。最後は名物のレモンサワーを頼んだ。すごくさっぱりしていたけど、あれはいくらでも飲めそうだから怖いな、瓶ビールは三本ぐらいだったけど、友達がお子さんを迎えにいく時間になったので祐天寺駅近くで解散。歩いて帰ったけど、思ったよりも湿気があってTシャツがすぐに汗でびしょびしょになった。

 

8月31日
二日酔いにもなっておらず、ちゃんと歩いた分だけ疲れていてぐっすりと眠れた。寝起きもスッキリしていた。
午後から自分の作業用のスケジュールにしていたので、午前中はのんびりしようかなと思っていたが、まだ雨も降りそうにもなかったので散歩がてら家を出た。

三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2024/08/30/金 27:00-29:00 

土曜日の午前中の散歩はいつも『三四郎オールナイトニッポン0』にしている。スペシャルウイークということでゲストにカミナリのたくみ&U字工事の益子が登場。師走恒例でゲストにやってくるなかやまきんに君回みたいな珍味ぽさが多少感じたが、おもしろかった。後半になっていくにつれてバカバカしくもなってきてドライブがどんどんかかっているみたいな、来週にはほとんど内容は忘れてるけどおもしろかったなあと余韻だけが残る三四郎のラジオらしい放送になっていた。
代官山蔦屋書店でこれという新刊も特になく、店内をうろうろしてから帰り際にスーパーでお昼ご飯を買って帰る。傘を念のため持って行ったが一度も開かなかった。

twililight(トワイライライト・三軒茶屋)開放的な店内に芸術から文化人類学まで5500冊 

トワイライライを取材した記事がタイムラインに上がっていた。店主の熊谷くんは同学年で年齢は変わらないが、最近金髪にした。ちょっといいなと思ったり。今は来年の一月末まで喪に服すのもあってヘアドネーションするために伸ばしているので、切ったら一回ぐらい変な色にでも染めようかな、たぶん家系的にはハゲないだろうけど、髪の毛の量は減って行っているしそういうことをするのも今のうちかも。でも、芸能人が金髪にしているのは白髪染めだとわりと毎週とかしないと目立つけど、金髪だとそれが月に一回とかもう少し期間に余裕ができるからって話をしていたから、年取ったほうが金髪にするほうが楽なのかも。

お昼過ぎに昨日の舞台のことなんかの日記部分を書いてから、セブンにレブンのアイスコーヒーを飲みながらタバコを吸って一服。雨は降っていなかったが、玄関を開けてタバコを吸っても寒くもなく暑くもない気温だった。季節の変わり目ごとに体調を崩すので、この後の気温次第では、と思ってしまうので気をつけないといけない。
夜は昨日話をした時にもらったアイデアを書き込んでプロットみたいな簡単なあらすじを修正したり、書けるところはとりあえず進めた。明日から9月に突入、今年もあと四ヶ月、つまり後厄が終わるまで四ヶ月長いような短いような。

今回はこの曲でおわかれです。
Oasis - I Hope, I Think, I Know (Official Video) 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年8月1日〜2024年8月15日)

7月下旬の日記(2024年7月16日から7月31日分)


8月1日
日付が変わり、8月に突入して今年もあと五ヶ月、半分もなくなった。1月末に東京に来てから20年以上友達だった友人が亡くなって7月末で半年が過ぎた。今月は彼女の誕生日があるが、もう年齢を重ねることができない。そういう事実がただ、ただある。
7月下旬の日記をはてブにアップしてから、半年前の2月上旬の日記をnoteに転載したものをアップした。


anoツアー追加公演、豊洲PIT&Zepp Osaka Baysideで開催

7月31日にZepp DiverCityでのツアー最終日ライブが行われた。ツアー初日の渋谷クラブクワトロが取れなくて、最終日もお昼間に舞台を観に行ったりすることになっていたので諦めていた。
おそらく追加があるだろうと思っていた。個人的には次は日本武道館じゃないかなと思っていたが、東京&大阪ということで、東京は豊洲PITだった。あそこは行きやすいし箱の大きさもちょうどいい。
同じく31日には新宿「トー横」のとろこにあるライブハウス「新宿BLAZE」営業の最終日で、菊地成孔とペペ・トルトメント・アスカラールのライブがあった。こちらも同様に行けなかったが、ダンスフロアになっていたみたい。一度だけ行ったことがあるが、その時は菊地さんの最後のバンドということになっている「ラディカルな意志のスタイルズ」のライブだった。音源を出さないでライブのみという活動スタイルだったが、菊地さんの病気や事故でもろもろと予定されていたものがズレており、今年はスパンクハッピーのレトロスペクティヴ関連とペペの新譜とコンサート、「ラディカルな意志のスタイルズ」はおそらく来年から再始動する。
ペペのレコ発ライブが10月にあるというのは聞いていたけど、そちらも先行抽選が始まっていた。なんだかんだ観に行きたいライブが下半期の後半、10月以降にも目白押しでうれしい悩み。取れたら行くけど、ライティング仕事を増やしたいし、自分の作業も計画的にやっていく。

朝起きてから自分のライティング作業をしながら、Netflixドラマ『地面師たち』関連の『ピエール瀧大根仁オールナイトニッポンGOLD』をradikoで聴く。ドラマはすでに全話視聴しているけど、これからもっと観られるだろうし、世界中でもヒットするんじゃないかなって思う出来の作品。
滝さんが電気グルーヴでANNをやっていたのもあるし、大根さんもラジオでパーソナリティーをやられていたみたいで安定しまくっているトーク。主演の綾野剛さんやマキタスポーツさんがゲストで出演したりと豪華な内容だった。
9時過ぎに家を出て、その時は『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷の宮益坂にあるル・シネマへ向かう。気温も歩けないというほど高くもないし、風も多少吹いていて、汗がダクダクという悲惨なことにならずに着いた。


アリーチェ・ロルバケル監督『墓泥棒と失われた女神』を鑑賞。月初の一日なので「映画サービスデー」で1200円、予告編を何度か観ていて気になっていた。
『チャレンジャーズ』でも好演していたジョシュ・オコナーが主演。1980年台のイタリアのトスカーナ地方が舞台になっており、ジョシュ・オコナーは忘れられない恋人の影を追う考古学愛好家の青年アーサーを演じていた。彼には紀元前に繁栄した古代エトルリア人の遺跡をダウジングによって発見できるという不思議な能力があり、それを利用して仲間たちと墓泥棒をしては埋葬品を掘り起こしては売り捌いて日銭を稼いでいた。ある日、希少価値の高い女神像を彼らは発見するが、そのことで闇のアート市場を巻き込む騒動へ巻き込まれていく。
二時間ちょっとあるのだが、気分的には少し長く感じてしまった。アーサーの日常や仲間たちとの関係性、そして忘れられない恋人の母親と、その母親に歌を教わっているイタリアという女性との関係性などが描かれていく。
アーサーはイタリアに言われたことによって、墓泥棒仲間たちを裏切る行為をしてしまう。そして、イタリアと新しい関係性を築くのかと思いきや、他の墓泥棒チームに誘われたことである地下に入ることになるのだが。そこで何度かイメージ映像のように挿入されていた忘れられない恋人とつながるとあるものがあり、ラストはハッピーエンドのようにも見える終わり方をする。
普通に考えれば彼女と再会するということ、そしてアーサーは地下に閉じ込められてしまっていることも含めて、彼は実際には死んだようにも見える。あるいは死にかけた頭の中での幸福なイメージが展開されていたかのようにも見える。どちらでもあるだろうし、観客にそれは委ねているのだろう。
おもしろさと退屈さがちょうどぐらいな感じがして、少し物足りない。もっとテンポ良く進んでも良かったかもしれないけど、監督がやりたいことはそういうことではなく、このスタイルだったんだろう。


映画を観終わってから家に一度帰ってから洗濯機を回した。ドラッグストアで月頭に今月使うであろうシャンプーなどの詰め替えをまとめて買いに行こうと着替えて家を出た。
ドラッグストアに行く前に開店しているトワイライライトに寄って、買おうと思っていた濱口竜介著『他なる映画と 1』を。もう一冊目「2」もあるのだけど、こちらを読んだら買うからと店主の熊谷くんに伝えて、ちょっと立ち話をした。

2024年夏映画の本命!? 懐かしくも新しい『ツイスターズ』の魅力を熱弁 


「宇野維正のMOVIE DRIVER」最新回の『ツイスターズ』についてのものが更新されていた。宇野さんが前から今年観た方がいい映画だと言われているので観ようと思っている。

I's - " 永遠衝動 " LIVE at 渋谷WWW X 


anoとしてのライブの追加が発表された翌日に彼女がメインボーカルであるバンド「I’s」の解散が発表された。僕はこのライブ映像のWWWX でのライブで一度しか観ていないが、パンク精神を感じたしモッシュ&ダイブの祭りで最高のライブだった。年内で解散というのは残念だけど、あのちゃんが四人で話し合って決めたとSNSに書いていた。
フロントマンである彼女を責める人もいるかもしれない。実際にソロとしてもタレント活動も多忙すぎるけど、バンド活動を大事にしているのも伝わってきていた。
バンドはメンバーの関係性と向かうべき方向性、互いに大事にしたいことや価値観がズレてしまえば、いや元々違う人間が一緒に活動するのだから、何かを許容できないレベルに、その線を超えてしまったらどうしても終わってしまう。解散を決めた以上は最後までバンドとして音を鳴らしてほしい。

夕方からちょっとだけタバコを吸って一服してから、読書を。夜はライティング作業の続きを。今月中に書き上げる。

 

8月2日
23時から放送していた『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』をradikoのタイムフリーで聴いていて、前半部分が終わって日付が変わるまでは起きていたが寝落ちしていた。
目が覚めたのは深夜の3時過ぎだった。そのあと寝ようと目を瞑っていたがどうも眠ることができず5時前になってしまった。資源ごみの日だったので空き缶を出してから、寝ることを諦めて自分のライティング作業を始めた。
リモートワークの時間になったのでそちらに移行して仕事を開始。作業BGMがわりにradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』、聴き終わった後は『三四郎オールナイトニッポン バチボコプレミアムリスナー』のアーカイブにアップされていた2018年8月24日放送分を。今週は出勤する月曜日と水曜日に有給を使っていたので、その分溜まっていたものをどんどん終わらしていく。気がつくとお昼になっていた。


お昼ご飯用に惣菜を買おうと東急ストアの地下に行く前にツタヤ書店に寄ったら、増田こうすけ著『ギャグ小説日和 転校生』&『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和GB 8』が出ていた。
知り合いの書店員さんが小説についてプルーフを読んだ感想をSNS にあげていて楽しみにしていたものだった。僕はギャグ漫画はそこまで読んでいないけど、増田さんの「GB」シリーズは大好きで、読んでいてツボにハマって笑いすぎると僕はさんまさんみたいな引き笑いになってしまうのだけど、増田作品でぐらいでしか引き笑いにはならない。

夕方過ぎまで仕事をした。さすがに休憩後にちょっと眠くなってしまったけど、なんとか耐えた。ライティングをする前に朝のルーティンの読書ができなかった分読む。


『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回がアップされていたので、読書のお供に。

 

8月3日
起きてからradikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』『きしたかののブタピエロ』を聴きながらライティング作業。
11時過ぎに家を出て渋谷へ。副都心線新宿三丁目駅で降りて、地下通路を通って紀伊国屋書店本店へ。


文庫の新刊コーナーのところにチャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『死をポケットに入れて』新装版が出ていたので購入。
河出書房新社のサイト見ると『くそったれ! 少年時代』も9月に出るみたいだから、前に出ていた文庫が絶版になっていて、この装丁デザインで揃えて新装版としてリイシューするってことなんだろう。

本屋を後にして歌舞伎町のトー横前にある歌舞伎タワーの六階にあるシアターミラノ座へ。一緒に観劇する友人を待っている間に『死をポケットに入れて』の中川さんの新装版訳者あとがきを読んでいた。そこで本作に出てくるブコウスキーの言葉が引用されていた。

「まだまだ書きたいことはいつでも生まれてくる」
「わたしの中には言葉が詰まっていて、今でもとてもいいかたちで溢れ出てきている」
「生きている間に何をするかが問題なのだ」
「書くことはわたしを現実に立ち向かわせてくれる」
「死ぬ瞬間まで書き続けたい」
「わたしは今も自分が書きたいと思うやり方で、そして自分が書かなければならないと感じたやり方で書き続けている」
「大切なのは次の一行、それに尽きるのだ。そしてもしも次の一行が出てこないのだとしたら、たとえ生きていたとしても、書くという専門的なことに関しては、私は死んでしまったということなのだ」

70歳を過ぎていたブコウスキーの言葉。ブコウスキーレイモンド・カーヴァーブルーカラーの作家たちで、学歴もない僕はシンパシーを感じている。でも、二人が好きなのは彼らが詩人だからだ。
詩があるということ、今読んでいる若松英輔著『小林秀雄 美しい花』でも小林秀雄ランボーを訳したり、中原中也との関係性もあるけど、詩が軸にあり、それが批評に根付いていた。小説家でも詩的なものがあるのかないかで、僕は惹かれるかどうかというのはある。
僕が好きな小説家は詩、ポエジーがある。でも、世の中の小説家はそうじゃない人の方が多い。だから、売れている作品や評価されている作品も読んでみると「そうだろうな」とわかるが惹かれないことが多いのは、彼や彼女たちの小説には文学として詩が感じられないからなんだろう。

家を出てからミラノ座で友達が来るまではradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。先週はパリ五輪の開会式と同時刻に放送していたので、リスナーから開会式の様子のメールが送られてきて、それに関してトークをしていたが、今週も五輪の話をしていた。
個人的には五輪とかW杯を見ないし興味がない人間なので、こういう大きなスポーツの大会があると大抵のラジオとかはその話題がどうしてもトークになってしまうので、ちょっと嫌。それを聴くことでそういう人が活躍したんだとか知ったりもするけど、みんなわりとスポーツ観戦好きだなってこういう時に改めて思い知らされる。

とある病院の怪しい警備員コオロギ(阿部サダヲ)は盲目の妻サカエ(黒木 華)に歪んだ愛情を抱き、サカエはコオロギを献身的に愛していた。そんなある日、コオロギの勤める病院に、薬剤被害で身体障がい児として生まれ、長い間監禁されていたフクスケ(岸井ゆきの)が保護される。彼を監禁していた製薬会社の御曹司ミスミミツヒコ(松尾スズキ)は逃走し行方不明。

エスダヒデイチ(荒川良々)は、精神のバランスを崩してある日行方不明になった妻マス(秋山菜津子)を、14年も探し続けている。知人からマスは歌舞伎町にいるらしい、と情報を得たヒデイチは上京し、歌舞伎町で出会ったホテトル嬢のフタバ(松本穂香)と自称ルポライターのタムラタモツ(皆川猿時)の協力のもと、マスの行方を追う。

裏社会で暗躍するコズマ三姉妹(伊勢志摩・猫背 椿・宍戸美和公)は、食うや食わずの境遇から歌舞伎町の風俗産業で一発当てて、飛ぶ鳥を落とす勢い。ひょんなきっかけでマスと出会い、生み出した<一度死んで生まれなおすゲーム>輪廻転生プレイが大ヒット。裏社会に影響力を持ち、政界にまで進出しようと企んでいる。

彼らの渦巻く情念は、やがて多くの人々と歌舞伎町自体を巻き込み、とんでもない方向に動き出す…

『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』@ THEATER MILANO-Zaで鑑賞。先週の水曜日に野田地図を東京芸術劇場プレイハウスで観劇したばかりなので、一週間のうちに野田秀樹松尾スズキ作品を観るという贅沢な観劇ウイーク。
歌舞伎タワーに新しくできたシアターミラノ座には初めて来た。Bunkamuraが東京百貨店本店の解体とリニューアルのための工事で使えなくなってしまい、シアターコクーンでやっていた舞台ができなくなっていて、その代わりの劇場という感じになっているっぽい。
すでに観劇したことのある人たちからあまりいい話を聞かない劇場で、パッと見はシアターコクーンぽいなと思ったけど、そもそも座席がしょぼい。野田地図と同じく12000円のチケット代だが、東京芸術劇場のどこからでも観やすく、観劇に耐えれる席の作りになっているから、このしょぼい座席でチケ代が同じだと思うと作った人たちが利益しか考えてないんだろうなと思ってしまう。
あと開場時にもちょっと感じたが、観劇後に劇場から出て、歌舞伎タワーを出るまでに異様に混み合う。導線が悪すぎるというのは間違いなくあって、元々劇場を入れるつもりでこの建物は作っていないような気もするし、最初からそう計画しているとしたら観客が入って出ていく導線とかを考えてない人が作ったんだろうなと思った。つまり、舞台を観たい人たちやそういうジャンルの人に話を聞いてないだろうし、作っている人は舞台を観る人ではないのだろう。
個人的には岩井俊二監督の最高傑作は小説『ウォーレスの人魚』だと思っていて、松尾スズキ作品だと舞台作品は何作品しか観ていないので言い切れないが、松尾作品でこれと思い浮かべるのは小説『宗教が往く』だった。その作品にも「フクスケ」という登場人物が出てくるなどリンクしている。というかおそらく初演時の頃のことが自伝的に書かれているし、主人公が松尾さんではなく「フクスケ」なのでそうだと思う。

とっちらかってるし過剰だし、それでもね、それでもね、正邪の行進があってさ、君の穴に、空虚な、満たされない穴に、なにかを埋めようと足掻き続けるピストン運動の先に、先に、君の満たされなさだけ憐れになる、恥ずかしいね、愚かだね、君は目を逸らせない、盲(めくら)になっても変わりはしない、天国の入口はネオンで蛍光色に光り、浮浪者のアカだらけの尻が鈍く光るだけ、君の絶望などペニバンで事足りる。最悪だね、最高だね、脱糞したそれにたかる蝿の僕を糞と一緒に踏み潰せ、君の性器がなめらかに光るのが見えて僕は盲(めくら)になる、絶望とも希望ともいえる性感帯だけ残して。 君の空っぽの穴、知らないよ、空っぽだからね、君の空っぽは僕の夜の静寂(しじま)。

これは観終わって一緒に観に行った友人と帰りに寄った中目黒駅高架下の飲み屋で三軒ほど飲んだ後に歩いて帰っている時にメモみたいに書いた舞台からのインスピレーションで書いたもの。「めくら」というのは今は差別用語とされていて、メディアなどでは使われなくなっている。これで使っている理由は舞台『フクスケ』の中で使われているから、あえて使っている。
休憩を挟んだ二部構成だったが、休憩前まで「フクスケ」をやっているのが誰かわからなくて、パンフを買ってみたら岸井ゆきのだったのでビックリした。チケットを取る前に出演者とか見ていたけど、観ている時にはまったくわからないほど雰囲気が違った。作・演出で出演もしている松尾スズキさんは体調不良のため、稽古場代役を務めていた根本大介が代演していた。
ホテトル嬢のフタバを演じていた松本穂香がすごく良くて後半の方で彼女の内面が吐露されるあたりや、妻のマスを探しに歌舞伎町にやってきた夫のヒデイチとのやりとりもエモーショナルでそこだけちょっと泣いてしまった。
ミュージカルではないけど、歌って踊るシーンが何度かあって、なんか音楽でなんとか場を繋いだり勢いを持続させようとしているのかなと思わなくもなかったけど、物語というか登場人物たちがそれぞれ濃くて、人間の業を背負い過ぎているからこそ過剰で儚く、人間臭くて嫌いになれなくて、もっと昔から松尾さんが露悪的だったり、客に顰蹙を買うようなことも入れていたと思う。でも、四回目で大きな箱でやるということも含めて、再構築してできるだけエンタメの方に寄せているんだろう。その意味ではもっと過激で顰蹙を買うものでもいい気はした。


僕たちが観た翌日の4日が東京公演千秋楽な『フクスケ 2024』ではフクスケを岸井ゆきのが演じ、再演と再々演では阿部サダヲが、1991年のザ・スズナリでの初演は温水洋一だった。大人計画初期メンバーであり、松尾さんと諸々あり劇団を出ていった温水さん。
『宗教が往く』は自伝的な要素含んでいる小説だから、下北沢で舞台をしていた頃の大人計画界隈のことがたくさん出てくる。下北沢が演劇と音楽の町だった頃に若者だった彼らの青春譚。

 

8月4日
日付が変わるぐらいに飲んでいた中目黒から歩いて家に着いて、ポカリを飲んでから寝た。目覚ましは7時過ぎにセットしていて、起きたら気持ち体が筋肉痛だったが家を出て歩いて六本木ヒルズへ。


9時20分から上映のリー・アイザック・チョン監督『ツイスターズ』をTCXで鑑賞。夏映画としてのディザスタームービー、シンプルだけどおもしろかった。95年の『ツイスター』の続編というかリメイクというか、設定を使って新しく撮っている。35ミリフィルムで撮影されていたりと90年代ぐらいのハリウッド映画感のある映像なんだけど、設定とか諸々は20年代の作品にちゃんとなっていた。 
A24制作で『ミナリ』を手がけたリー・アイザック・チョン監督がこういう大作パニック映画を撮れる、撮らそうとするアメリカの映画業界ってまだ夢があるなって思った。
鑑賞前に宇野さんの動画を観て、そこまで興味がなかったけど観ようと思うきっかけになった。
宇野さんの動画でも触れているけど、今までの映画で出てくるYouTuberやインフルエンサーって基本的にはちょい役か敵キャラだったりした。映画業界からすれば客を奪った敵だから、ということもあるのだけど、今作ではそのストームチェイサー兼YouTuberであるタイラー(グレン・パウエル)たちのチームが活躍するし、主人公である気象学者のケイト(デイジーエドガー=ジョーンズ)も最終的にはタイラーと組んで巨大竜巻に挑んでいくことになる。そういうのは新しいなと感じた。
かつての友人のハビから頼まれたケイトは故郷のオクラハマに戻って、巨大竜巻の対策を手伝うことになる。その敵というか対の存在となるのがタイラーたち映像クリエイターで竜巻を追っているチームだった。
パッと見でいうとケイトとハビたちは党派的には民主党ぽいし、カウボーイ的な雰囲気を持つタイラーは共和党ぽいのだけど、物語が進んでいくと実はそれは真逆であるというのもおもしろいし興味深い。だからこそ、主人公のケイトはタイラーたちと組むとも言える。
物語自体も良かったし、昔のハリウッド映画ってこのぐらいシンプルでただおもしろいって感じだったから、そこに懐かしさはどことなく感じられた。夏の良作としてヒットするといいのになあ。

行き来で『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。ちょっとパリ五輪の話が最初の方にあったけど、そのあとはロケに行った話になったので助かった。
さすがに帰りは汗だくだくになってしまった。熱射病とかにならずに済んでいるけど、この暑さはやっぱり外に出ない方がいいと思える気温になってきている。

夜までのんびりしてからライティング作業を開始。外を歩いて汗をたくさんかいたこともあるけど、今日はちょっと水分を摂りすぎてしまった。こうなると腹を下しやすくなってしまう。その辺りの水分の摂り方もバランスが必要だけど、難しい。

 

8月5日
朝起きようと思った時間に起きれず、リモートワーク前に可燃ごみを出してから諸々準備を始める。
TwitterことXを開いたら友達からDMが来ていて、フワちゃんが炎上していることを知る。毎週、フワちゃんのラジオを聴いているけど、今回の炎上に関しては擁護もできないし、相手のファンの人だけでなく、おそらく普段からフワちゃんが嫌いだったり、アンチだった人たちがこのタイミングを逃すものかと過剰に攻撃をしているようにも見える。相手に直接会って謝りたいとポストしていたが、それも難しそうなほどに燃え広がっていた。
月曜日なので、深夜には『フワちゃんのオールナイトニッポン0』が生放送である予定だが、この炎上の仕方、また、彼女がGoogleのCMをやっていることなども含めてネタではないけどポストしている人もたくさんいたし、こういう場合に企業側としてはどうするんですか?というものも見られた。
もちろん、「オールナイトニッポン」のアカウントにも様々な意見が寄せられていた。生放送だから、直接本人の言葉で謝罪するという可能性もあるだろうと思っていたが、このあと夕方を過ぎて夜になってから「フワちゃんANN0」のアカウントが彼女の発言を確認したので本日は中止というポストをしており、それを引用する形で再度フワちゃんが謝罪をしていた。
中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」東京五輪騒動の知られざる真相』を読んだのもあるけど、確かに発せられた、ポストされた言葉は取り消せれないが、それで関係ない人が叩くという構図は悪意の循環と増殖しか生まないし、今後に禍根も残してしまう。
どうしてこの国は、いや日本だけではないが世界中はこんなにも何かをした人を許せなくなってしまい、断罪すること正義を遂行する気持ちよさに捉えられてしまったのか、やっぱり人類にはSNSは早過ぎたと思ってしまう。もう、自分が好きなもののことだけを褒めるか、何か宣伝することがあればそのことだけをポストするなりなんなりしか使い道がなくなってしまったように思える。

昨日の時点でradikoで『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をリアルタイムで聴いていたので、リモートの最中に聴くものがないのでYouTubでダウ90000とか鬼越トマホーク(ゲスト:クロちゃん)の配信とか先週の「あのANN0」や「佐久間宣行ANN0」をSpotifyで流したりしていた。
仕事は急がないといけないものがないのでいつも通りの作業。ただ、家の中にずっといるだけでも冷房かけてないとすぐに室内の温度が上がってきて汗ばんでしまう。部屋の中は温度を下げても18℃までしか冷房の設定温度がないし、サーキュレーターでそれを回しても冷えない。作業をできるけど、やっぱり暑い。


土曜日に紀伊国屋書店本店でブコウスキーの『死をポケットに入れて』河出文庫を買ったのだけど、同じ発売日だとサイトで見ていた佐藤泰志著/福間健二編『もうひとつの朝』は出ていなかった。
今日昼休憩の時に駅前の書店に行くと一冊入っていたので購入。僕はリアルタイムで佐藤泰志作品に触れた読者ではなく、彼の作品が映画化されたことで初めて名前を知って読むようになった。おそらく40代前半の僕がそうだからそれよりも下の世代の人もきっかけは映画だという人が多いだろう。
佐藤泰志は1990年に41歳で自死している。今の42歳の僕よりも若い、だけど、亡くなるまで書き続けていた作品は残って、時代を越えて読まれている。芥川賞候補に五回ノミネートされたが、受賞はできなかった。でも、今もまた新しい読者が出会っている、ということが本当にすごいことだと思う。もちろん、生前に評価された方がいいに決まっている、でも、自分がいない世界でも自分が書いたものが読まれるというのは、肉体や精神がこの世界から消えても魂は残り続けるということに近いのだろう。

ASIAN KUNG-FU GENERATION - 転がる岩、君に朝が降る / THE FIRST TAKE 


10月頭のリキッドルームのライブはチケットが先行で運よく取れたので今から楽しみ。この曲の歌詞が今日の炎上を見ながら聴きたいと思った。

寝る前に送られていたライティング仕事で関わっているものの校正原稿のPDFのチェックのものが来たので最初から最後まで読んだ。やっぱり文量的にはこのぐらいがちょうどいいと思ったし、内容的にも今の時代の経済であったり、世界的な問題についてもわかりやすく解説されているし、著者のパーソナリティーやどういう人生を歩んでこういう人になったのかもカルチャー的なものも含めてわかるものになっていた。
できるだけ多くの人に読まれるといいな。あとはどういう装幀になるかとか、それはもう僕の意見は一つの参考意見にしかならないので、あとは編集さんと著者さんの兼ね合い。

 

8月6日
たしか日付が変わって、radikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら寝たはずだった。あれ、目が覚めたら深夜の3時前だった。とりあえず、『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』をタイムフリーで流して目を閉じていた。
伊集院さんはフワちゃんについても話をしていて、かつて二人も揉めたみたいなことがあってラジオに出て和解していた。彼女の言葉や態度が諸刃の刃になる可能性はあったけど、それが可能性でもあり、今は悪い方に出てしまったと。
あとは僕も思うけど、フワちゃんがポストしたことは最低のことだけど、だけどそれを言った彼女に同じような最低なことをポストしている人ってなんなんだろうなって思うところはある。
生贄にしてもいいですよってなったらどんどん石を投げるし、火を焚べていく、その愚かさというか、醜さみたいなものを感じない、ストレス発散で正義を遂行している気持ちよさに酔っている人たちばかり、自分の行動が最低だと気づけない人とは個人的な付き合いはしたくないし、そういう人だったらそっとミュートする。
そのまま目を閉じていたら空が明るくなり始めてしまったので、ペットボトル回収の日だったので集積所に出しに行った。

6時過ぎたのでもう寝るのは諦めた。中旬に提出する予定の「予告編妄想かわら版」の原稿をやることにした。四作品はすでに選んでいたから、あとは予告編を何度も見て、公式サイトなどに書いている設定とか諸々も読んで、その上で予告編で出てくるものから物語の紹介とラストシーンがどうなるか自分なりに想像してみる。
ラフというか、一回最後まで四作品書こうと思って集中していたら9時を過ぎていた。これなら、ちょっと時間をおいて見直しながら修正したら早めに提出できると思ったので、その日を決めて早めに請求書を作成してセブンイレブンにアイスコーヒーを買いに行った。その時に請求書のデータをコピー機でプリントアウトしてハンコを押す。さらにそれをスキャンしてまたスマホにデータとして取り込んでおく。これであとは提出した日に原稿を仕上げて一緒に送ればいい。
さすがに10時過ぎに少し眠たくなってきた。夕方前にあった予定はこのままだと無理なのでキャンセルの連絡を入れさせてもらった。

Scene♯1(前編) トーキョー・シネマテック 「アレ、何処に売ってんの?? 真似をした/したくなった映画Fashion(とその仕草)」


ライムスター・宇多丸さんとスタイリスト・伊賀大介さんのファッションを軸にした映画についてのトークYouTubeにあったので見てみた。
お二人とも東京生まれ東京育ちでカルチャーを見てきていること、映画に詳しいこともあって、ツーカーな感じであの映画が、あの役者が、あの衣装が、あのブランドが、というとすぐに理解されるのでどんどん話が展開していく、豊穣さを感じる対談だった。これは後編もあるみたいだし、すごく楽しみ。これをメンズファッションブランド「ÉDIFICE(エディフィス)」がやっているのも素晴らしい。
動画の中でも映画の映像を使えないのだろう、二人が話している映画に出ている役者とそのファッションのイラストが出てくるがそれがすごく良くて、このままそれも使ってトークを書籍化したら、ファッションや映画が好きな人もだし、若い人でファッションや映画に興味があったり、学んでいる人にはとてもいいテキストになるはず。どういう文脈でそういうファッションがあったのか、憧れて真似して広まったのかとか基礎教養にもなるんじゃないかな。

とあることで個人的なことで手紙を書こうと思った。便箋がないわけではないが今あるものの枚数が減っていたりしたので、とりあえず渋谷のロフトまで歩いて行った。昨日よりは暑くないし、曇っていて風も吹いているから真夏という感じではなかったので助かった。
便箋をいくつか買ってから家に帰るとちょうどお昼だった。
昨日読んでいた原稿の装幀データの候補が来ていたので、僕が買うならということで選んだ方についてメールを返した。あとは著者さんと編集さんで決めてくれればいい。
ご飯を食べてちょっとだけ横になって20分ぐらいだけど昼寝したら、眠気もまったくなくなってすごくスッキリした気分になっていた。
そこから文面を考えたりしてから、手紙を書いた。普段パソコンで文章を打っているせいか、ボールペンで書いていく自分の文字の汚さが悲しい。なんとか最後まで書いたら夕方になっていたので、そのまま世田谷郵便局まで歩いて行って投函した。

火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:不動産Gメン滝島)、『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』、『あのと粗品の電電電話』が配信される。
「アルピーしくじり」は平子さんが家を買っていることもあって、かなり不動産Gメン滝島さんの話に食いついている感じだった。不動産業界の人しか知らないようなことがたくさん話に出てきて、これは新生活を迎える人や初めて一人暮らしするような人たちには参考になるだろうなという内容だった。
住みたい町を決めて、そこで何十年もやっているような不動産屋で探した方が物件をそこが持っていたりするので話も早いし、敷金礼金とか諸々交渉もしやすいということだった。僕もたまたま今のアパートも前に住んでいたところも地元のボロボロの不動産屋さんで聞いたら、条件とかに合う物件をすぐに案内してくれてスムーズに決めれたので、これは本当だと思う。
「ANN0」月曜がフワちゃんなので、このままだとおそらく終わる。後をやるなら今オールナイトニッポンポッドキャストで人気なアンガールズ、トム・ブラウン、ランジャタイから昇格もありそうだなってランジャタイのトークを聴いて思った。でも、すでに「ANN0」にはマヂラブと三四郎と芸人がいるので、もう一組芸人というのはバランスが悪いかもしれない。あとはあのちゃんと佐久間さんだから、バランスを取れば女性かもしれない。前にもピンチバッターをやった佐藤栞里というのもありそうだし、ポッドキャストで言えばchelmicoもいいかもしれない。でも、個人的は今や大河俳優になってしまったファーストサマーウイカが復帰したらいいなと思う。
「あの粗品」コンビのやりとりはなんだか好きだなと思うし、収録の時期の問題なんだろうけど、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』を粗品が観た時の話をしているのでちょっとタイムラグがある。

 

8月7日
目が覚めてから朝のルーティン、ビタミン剤と一緒にトマトジュース飲んで、自分のライティング作業を少しやっていたら仕事の時間に。
水曜日は前日の深夜帯にやっていたラジオをタイムフリーで流してBGMに。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK爆笑問題カーボーイ』(ゲスト:FUJIWARA)『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を聴きながらリモートワークでの作業。
「爆笑カーボーイ」で太田さんがちょっとだけフワちゃんの炎上に話をしていたが、同じオールナイトニッポンの星野さんもあのちゃんも触れていなかった。今の時期に擁護であろうが、ちゃんとしたことを言おうがどちらにしても炎上の火の粉が飛んでくるかもしれないし、すぐにネットニュースとかになると損をしてしまうということはあるだろう。

昼の休憩の時に駅前のTSUTAYA書店で『新潮』2024年9月号を購入。先週観劇したNODA・MAP『正三角関係』の野田秀樹さんの戯曲が掲載されているので絶対に買おうと思っていた。
『正三角関係』は明後日、8月9日に起きたことが大きな軸としてあるので、このタイミングで舞台をやっていて、戯曲が掲載されることの意味を感じる。
飴屋法水さんに岡田利規さんの対談もあって、今号は非常に演劇色がつよい。最初は詩から始まり、演劇や小説が生まれたはずで、それらはみんな「文学」なのに、それらの作り手も受け手もクロスオーバーしていないように感じる。
舞台を観にいく人が小説をすごく読んでいるようにも、詩集などを手にしているイメージが沸かない。小説をたくさん読んでいても舞台を観にいく人も多くないだろうし、小説読んでいたら詩やいまだと短歌とかに興味はありそうだけど、そういうものがもっと交差していくほうがきっとおもしろいし豊かさだと思う。

飴屋 僕にとって対等で当たり前だと感じるのは、二者間でその パワーバランスみたいなものが対等かどうかというのでなく、とりあえずの神様でもいいんですが、なんかそういうものがあるとして、あるときに、そこからの距離は俳優も演出家もどちらも変わらないではないか。それはそのまま観客からの距離でもあると思うんです。俳優との関係だけでなく、人間以外の生き物全部に対してそうだとも思っていて、みんなそこからは同じ距離にいるだろう、あるだろう、だから二者問ではなく三者間というか、三角形的な「三」の捉え方なんです。それで三というのが、なにか神様を表す数だとも思っています。
 対等といえば、大江さんの話に戻ると、大江さんってルビを多用するじゃないですか。『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』のタイトルもそうですよね。あそこで元になる日本語の言葉とルビには、主従は存在していない。つまり説明としてのルビではない。ただ読者に向けて、ルビを振ることで初めて立ち上がるものがある。これは演劇だと思うんです。俳優と役の関係は、あの言葉とルビの関係に似ていて、主従のない、その二重性、重なりでしかない両方があってようやく立ち上がるものがある。

『新潮』2024年9月号P187-188  飴屋法水+岡田利規「個」と「種」を束ねる想像力

「ルビを振ることで初めて立ち上がるものがある。これは演劇だと思うんです。」という箇所を読んで、ああそっか、古川さんの小説はルビが多用されていることも特徴なんだけど、小説家になる前に演劇をやっていたものがそこに現れているんだろうなと思った。飴屋さんも岡田さんも古川さんと対談していたり、関係性もあるから、鼎談したらもっとその話踏み込めたのかも。

歌を「詠む」とは詠嘆の表現であると共に、「詠」という文字に見られるように言葉を永遠の世界から受け取ることであり、彼方の世界に言葉を送ろうとすることだった。
若松英輔著『小林秀雄 美しい花』P296より

前日に読んでいたものにあって、メモしていた文章。これがあったから、詩から始まったということが脳裏に浮かんできたのだと思う。


仕事が終わって雷が夜空に光っていて、雨がもう直ぐ降りそうだなっていう直前に好きな居酒屋さんへ。定期的に飲んでいる編集者Hさんと飲む約束をしていた。
19時から飲み始めたらすぐにお店の窓ガラスの向こう側に雷が光りまくり大雨が降りまくるという危機一髪みたいな感じで、お店のテレビはパリ五輪が流れていてスケボーかなにかがやっていたが、たまに目が入るものの、それとは関係のない話をしながら三時間ほど楽しく飲んで美味しいものを食べて話して話してみたいないい時間を。


編集Hさんは仕事のメールが来たので家に帰るというので、僕はニコラへ行ったけど、雨が長く降っていたのもあってかお客さんがかなりいた。帰れなくなってそのままみたいな感じがした。ビールを飲んでから、アルヴァーブレンドをお願いして、曽根さんにタバコをもらって一本だけ吸いながら美味しいコーヒーを飲んだ。

 

8月8日
二日酔いもなく、目が覚めてから可燃ゴミを出して、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら朝の読書を30分ちょっと。
二日前に書いていた「予告編妄想かわら版」の原稿をもう一度予告編を見て、文字数とかも含めて修正していく。午前中はこれを終わらすつもりだったので、最後までできて編集さんにメールで送ったら10時を少し過ぎていた。12時過ぎには六本木駅に着いていたかったので10時半前に家を出た。


TOHOシネマズ六本木の少しの先に六本木駅があるので、歩くと一時間半ぐらい。朝聴いた「佐久間ANNN0」をもう一度スマホのほうのradikoで聴きながら向かう。家を出た時は30℃ぐらいだからなんとかなるかなって思ったけど、風もあまりなく日差しも強くて、これはタオルとか入れてきた方がよかったかなと思ったけど後の祭り。
すぐに汗をかき出し、セルリアンタワー東急ホテル近くのファミマでタオルを買った。結局、それで顔とか体の汗を何度か拭きながら六本木駅のところにあるアスミック・エース試写室へ。去年の12月に『ボーはおそれている』の試写以来だった。

荻上直子監督×堂本剛主演『まる』試写を。堂本剛さんは『金田一少年の事件簿』の劇場版から27年ぶりの映画主演作。現代美術家のアシスタントとして働いていた沢田(堂本)が職を失ってから、「○」を描いたことで自分の預かり知らぬところで、その「○」が広まっていき、日常が侵食されていくという物語。
隣人の漫画家志望の横山(綾野剛)や沢田と同じくアシスタントをしていた矢島(吉岡里帆)やミャンマー出身のコンビニ店員のモー(森崎ウィン)などとの交流も描かれる。
また、沢田の同級生の嫌味な男の吉村はおいでやす小田さんが演じていて、観ながら映画公開前ぐらいに剛くんが小田さんが出る曜日の『ラヴィット!』のゲストで出て、なんかやりとりとかやりそうだなって、映画に関係あるようなないことを思ったりしていた。
アートと自己顕示欲やビジネス(お金)の話なんかもありつつ、「○」という円という最初と最後がない、終わりのないもの、ちょっと仏教的なモチーフや世界観もあったりする内容で、アート要素も強いのでビジュアルはすごくいいし、絵になっていた。
沢田は巻き込まれ型なところがあり、そこまで自分を出そうとはしていない。だが、横山や矢島はある種の過剰さがある人なので、観ながらコミュニケーションするの大変だなって思ったり、その意味では普通の人があんまりいない映画ともいえるのかもしれない。
そういう過剰な人たちに対する沢田が悟ってるのかというぐらいに揺さぶられない、ブレないとも言えるし他人に興味がないようにも見える。優しい人のようだけど、実は他者にそこまで期待もしてないし興味がない人にも見えなくもない。コンビニ店員のモーぐらいが一番まともな人と言えるかもしれない。
個人的にはもうちょっとアート方向に振り切ってもいいんじゃないかなって気がしたけど、『かもめ食堂』や『めがね』を撮ってきた荻上直子監督らしいと言えばらしい物語になっていた。
アートを扱った映画で言えば、リューベン・オストルンド監督『ザ・スクエア 思いやりの聖域』みたいな作品ぐらい踏み込まないといけないし、ユーモアとアイロニーがないと業界のことは描きにくい。それを思うのは矢島がある主張と行動をするのだけど、それに対しても沢田はこれといった対応や言葉を彼女にはかけない。それはきっと監督自身がアート業界に起きていることを入れ込んではいるが、その現象についてさほど意識的に扱いたいものではなかったのだろうし、踏み込むとそちらに話が寄っていくのを避けたのかもしれない。

観終わってからまた帰りも歩いて帰った。何度もタオルを出して汗を拭いたが、汗だくになってしまった。日差しが強かったのでちゃんとコンビニで水分補給しながら歩いた。
家に帰ってご飯を食べてからちょっと横になって休んでいたら、SNSで宮崎県で震度6弱の大きな地震があったとポストされていた。その後に南海トラフ地震臨時情報が発表された。
今回の地震が前から言われている南海トラフの前兆かもしれず、一週間以内にまた震度6ぐらいの地震が起きる可能性が高いらしい。南海トラフ地震が起きると静岡県から宮崎県にかけて一部では震度7ぐらいのかなり大きな揺れ、それによる広範囲での10mを越える津波も起こるし、多くの地域でも震度6ぐらいの強い揺れになると想定されている。
正月の能登地震でもいまだに復興は進んでいない。これでさらにいろんな地域で大きな被害が出たら手に追えない状態になるだろうし、現政権の能登地震での対応を見ていても期待はまるでできない。大きな災害が来ないことを願うしかないし、起きた際のことを考えておかないと本当に生命の危機に繋がってしまう。
株価とかもそうだけど、日本が抱えている問題が多過ぎて、どうにもならないというか、あらゆるものが機能していないせいで悪循環しかないように見えているので、これ以上カオスなことにはならないでほしい。

午前中に提出した「予告編妄想かわら版」で取り上げていたジョン・ワッツ監督&ジョージ・クルーニー&ブラット・ピッドW主演映画『ウルフズ』の劇場公開が中止になったというアナウンスが出た。差し替えしないといけないので夜にやる予定の作業をやらずに別の作品を選んで修正した原稿を送った。
しかし、このクラスの俳優や「スパイダーマン」シリーズを手掛けている監督の新作が日本で公開されないというのを見ると、本当に日本の映画館って洋画というものが観られなくなってしまったんだなと思ってしまう。
アニメ映画は大ヒットするし客も入っている。結局のところ、今の30代とか20代が洋画を観て育つという機会があまりなかったというのがなんだかんだ影響もしてるんだろう。やっぱりどんなジャンルでも大事なのは観客を育てていくということなんだろう。
平成中期ぐらいまではネットで動画を見るのがまだだったし、テレビの時代だったから洋画劇場みたいな番組がいくつかあったから映画館に行かなかったりしても、レンタルビデオで名作やヒット作が観れていたし、それが共通言語とか共通の体験としてあった。海外、特にアメリカへの憧れがあった世代というのも僕ら40代ぐらいが最後尾なんだろうし、いろいろと映画業界のことを考えさせられる今回の劇場中止という出来事。

 

8月9日
23時からradikoで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いて、半分終わって日付が変わってぐらいで眠りに落ちた。7時前に起きてから残り半分を聴きながら朝のルーティンがてら読書を。
リモートワークを始めて、『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をBGNがてら作業。

昼休憩の時にTSUTAYA書店に行ったら、野木亜紀子著『アンナチュラル完全版シナリオブック』が出ていたので購入。月末に映画『ラストマイル』が公開されるので、その作品とも繋がっていることもあって刊行されたのだと思う。野木脚本作品である『アンナチュラル』『MIU404』と今作『ラストマイル』はシェアード・ユニバースということになっている。
本来だとシェアード・ユニバースは複数の作家が独立して作品を提供し、作品は単独でも成立するが、プロジェクト全体のストーリー、キャラクター、世界設定を共有して一連の創作物からなる架空の世界のことをいう。複数の作家ではないけど、この言い方をしているのは「プロジェクト全体のストーリー、キャラクター、世界設定を共有」しているというのを言いたいということなんだと思う。

休憩から戻ってからはルイス・コールのニューアルバムが配信されていたのでそれを聴きながら仕事。月曜日も休みで三連休なので、もろもろと月曜日にやる予定のことなんかをやっていたりしたらあっという間に時間が過ぎていった。


仕事が終わってからニコラでネクタリンとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをば。お店も明日まで営業で11日から夏休みに入るのでその前にもう一回顔を出したかった。カウンターで曽根さんといろんな話もできたけど、僕は東京にいることでなんとかなっている部分があるんだなと改めて思ったりした。

『フワちゃんのオールナイトニッポン0(ZERO)』について 

個人的には現在の「オールナイトニッポン0(ANN0)」のラインナップ、フワちゃん(月曜)、あの(火曜)、佐久間宣行(水曜)、マヂカルラブリー(木曜)、三四郎(金)は週五の全曜日聴くぐらい好きなので、非常に残念な結果になってしまった。
数日前に書いたけど、やっぱりchelmicoが一番ありえそうな気がする。
今回の件は番組に関係がない事柄ではあるが、調子が良いであろうオールナイトニッポンの綻びの始まりかもしれない。深夜ラジオというある種の解放区が、自分で首を絞めることになる可能性もある。ただ、今回の降板で次にやる人はすごい状況の中でやることになるのだけど、ぶっちゃけ大チャンスにもなる。
さんまさんがブラックデビルになったのは最初にやっていた高田純次さんがおたふく風邪になったことで代わりに演じることになり、好評でそのままだというのは有名な話。
現在、パーソナリティーの佐久間さんもバナナマンの作家であるオークラさんとのノブロックTVサブチャンネルの中のトークで、48系か坂道系のどっちかが「ANN0」から「ANN(一部)」に昇格して枠が空いて、いろんな事務所の関係もあって、どことも関係ない人にちょっとやらせようとして自分にやらせたんじゃないかなと言っていた。そういうチャンスに滑り込む人とか回ってきた人が天下を取っちゃうこともある。

『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら、今日の日記を書いていたら、スマホがすごく嫌な音を立てて緊急地震速報のアラームを鳴らした。うちはそこまで揺れなかったけど、神奈川県西部で震度5弱だった。南海トラフ地震の話が昨日の地震で出ていたけど、それに関係してそうな。ほんとうに怖いし、今年いろいろとロクでもないことしか起こっていない、それが一番怖い。

そして私がある意図に基づいて歩いてしまう時、それは文学的行動だ。
文学は文字だけで産出されるわけではない。これは立ち会った人ならば首肯してくれるかもしれないが、私の(失敗していない範囲での)朗読という行為は〈文学〉だ。文字を書かないでも、文字を発生させて、届けられている限りは〈文学〉だ。ということは、琵琶法師たちが演奏し語った『平家物語』はもちろん〈文学〉だった、と言い切れる根拠になる。
とりあえず私は歩き切った。最高気温が37度を超えるのだとしたら、その〈行動〉はやめる、とは決めていた。しかし超えなかった。先月、その時は38度台の最高気温を2度マークしていて、これは本当に臨死のような可能性もあるなと考えた。しかし私はこの〈行動〉において単独行を決めていたので、いかなる判断も自分自身でできる。瞬時、瞬時、きちんと考えを決めること。それをやって、その日に私は定めていた目標地点には到着した。あとは、それを言葉で書き記す、という出発に向かうことである。出発にとって肝要なのは、この場合は「到着しなければ、(次の)出発はない」とのビジョンだった。

古川日出男の現在地」到着・出発 2024.07.27 – 2024.08.09 東京・埼玉・京都・福島

古川さんのブログが更新されていた。だいぶ前から長距離を歩ける体にするように鍛えられていたので、どこかを歩くのだろうなと思っていたけど、そういうことだったんだとわかる内容だった。
単独で歩かないといけない、見て聞かないといけないものがあった。それはやがて文学として書かれることになるはずで、僕はそれを待つしかない。読みたいと思う。四年前の東京五輪がなくなった2020年に古川さんと田中くんと一緒に国道6号線を歩けたことはずっと僕の誇りとしてある。

 

8月10日
目覚ましが鳴る前に起きてからぼんやりとしていて、TVerで深夜にやった番組を流していたらもう眠くなってきて一時間後に目覚ましをセットし直して寝た。
再度起きてから朝のルーティンをちょこちょことしてから、9時半前に家を出た。風はあまりなかったけど日差しは強くなくて歩くにはちょうどいいぐらい、肌感で30℃ぐらいかなって感じで、35℃を越えてくると手とかの皮膚のヒリヒリ感が全然違う。

環ROY Tamaki Roy - そうそうきょく 


今日は亡くなった友達の誕生日だったので、最初にこの曲が聴きたかったので聴いてから、radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』に移行した。
誕生日が祝えないということ、生きてたら普通にラインでおめでと!ぐらいな感じだとしてもそれができない、もう年齢を重ねることができないということ、それもあって家を出る時に形見分けでもらっていたリングをつけていた。
三四郎ANN0」もフワちゃん騒動には触れずに、この時期に触れて無駄にネットニュースになっても困るだろう。ニッポン放送70周年記念と番組の10周年でやる日本武道館ライブもあるから、余計なことはしないだろうし、彼らもプロだから中途半端にこのことを話題にしない。
パリ五輪が開催中なので番組内で二回メダルを取ったというニュースを小宮さんが読んでいた。2028年のロサンゼルス五輪は四年後だし、時差は16時間だからもし番組が続いていてもおそらくこういう速報を読むというタイミングにはならない。

二村真弘監督『マミー』をイメージフォーラムで鑑賞。1998年に日本中を騒然とさせた和歌山毒物カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー作品。予告編を観ていたこと、この前に『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』を読んでいたこと、そしてフワちゃんの炎上騒動があったこともあり、この映画を観ようと思った部分があった。
この事件時に多くの人が印象に残っているであろう林真須美死刑囚がマスコミに向けて水を撒いたシーン、僕もそのぐらいしか記憶になく、死刑が求刑されたことしか知らなかった。彼女がずっと容疑を否認し続けていることも知らなかった。
もちろんドキュメンタリーだから真実であったり、本当のこととは言えない、編集がある時点で監督の思惑やフレームが入る、そして彼らのいうところの検察側が作った「物語」ができて彼女が犯人ということになって逮捕されて求刑されたことと同様のことが編集ではできる。
人間は信じたいものしか信じない。見たいものしか見ない。
「物語」のおそろしさとはそれを助長することでもある。ゆえに「物語る」ということはなにかを慰撫してくれるが、同時に破滅にも導くことになる。だからこそ、国語や言語というものをちゃんと勉強することが必要なのだけど、と学歴もない僕ですらわかる。
今作はこのままでは死刑囚として死刑が執行されてしまうという状況において、再審要求などを出してすべて否認されているということはおかしくないかと思った二村監督が当時の関係者たちに会って話を聞いていく。最終的には暴走してしまうのだけど。
実は林真須美死刑囚が犯人であるとは言えない状況証拠がいくつかあり、さらには事件で使われてカレーに入れられたヒ素が林家にあったものともまったく同じだというわけではなく、それについてももう一度検証しなければ彼女が犯人かどうかすらわからないという問題をあぶり出している。
今作では林真須美の長男が顔にボカシを入れた上で出演しており、また夫で妻の真須美にヒ素を盛られたとして被害者扱いされていた健治も登場する。
終盤にヒ素を何度か使って障害が起きてお金をもらったと普通に話す健治の証言や当時の保険金詐欺などの問題なども明らかにされていく。問題はあの頃にはあの地域ではシロアリ駆除のためいろんな家にヒ素があったが、林家以外のものは捜査対象になっていない。保険金詐欺や以前にもヒ素をつかった中毒があったなどとマスコミが報じたこと、もちろんその周りの家もメディアを見た人たちも林真須美が犯人だろう、という世論になっていった。

元朝日新聞の記者も登場するが、自分は当事者だからもう一度調べようとしてもバイアスがかかると話している。それはそうなのだろう。だから、縁もゆかりもない二村監督のような部外者の視線で調べていく、話を聞いていくことでわかってくるものがある。
問題なのは、検察が「物語」を作ることで、林真須美を容疑者にしたこと、目撃情報なども含めてもろもろがそちらに加担するような方向に向かっていったことなど、驚くことばかりだった。
最後には事件当時には林家は健治と真須美夫婦に二男二女の家族がいて、映画に出てくる長男以外の子供たちの現状には触れられなかったが、一人の衝撃的な事実も出てくる。もし、彼女が本当に犯人でないとしたらその一人にはそんなことは起きなかったはずだとしか思えない事柄が起きてしまっていた。
シリアスな話だし、実際に四人の死者が出ている事件だが、まあ、この親父というか夫の健治が立川談志師匠が言われていた「人間の業」というものを感じさせる人物であり、観ながら何度か笑ってしまった。なんか人間ってそういうもんだよなって思ったりするし、憎めねえなみたいなところもある。
法という正義を執行する人間側が本当に正しいのかという問題、彼らも組織の一部であること、メディの報道が加熱していくことによる二次被害やずっと続くことになる遺恨、それによる世論の作られ方というものを感じる。これらのことは今も続いているし、SNSの普及によってよりひどくなっている。

小山田圭吾の炎上とフワちゃんの炎上において、当人の責任や言動の問題はあったとして、それに対して誹謗中傷をすることは彼や彼女のやったことを酷いと言いながら同じような、よりひどいことを平気で「正義」という仮面をつけて行っている連中がいる。
本当に心の底から気持ち悪い。生贄がほしいだけで、自分じゃなければいい。そして、犯人だとされる人や加害者とされる人なら攻撃していいという謎の言動がある。心の底から軽蔑する。アカウントを複数作るな、実際に会った時に本人に言えないようなことを世界に開かれているSNSで発するな、としか言いようがない。

ドキュメンタリー映画としては不謹慎かもしれないけど、エンタメになっていてめっぽうおもしろい。僕の行った午前中の回は満席で埋まっていた。まだ上映館はイメージフォーラムとかぐらいで館数は少ないが口コミでどんどん広がって全国でも観られるようになるんじゃないかなと思う。
ただ、こういう作品が公開されて影響が出る前に司法が手を下すという可能性もあるんじゃないかなと心配ではある。
検察とかはもう掘り返されたくないことがいくつかある。時間が経てば関係者たちはどんどん死んでいく、再審も改めての調査も難しくなる。それを待っているようにも思えてしまう。
そして、この映画を観た後はより迷宮に連れて行かれるような気持ちになる。なにが本当なのだろう、と。林真須美が犯人でないとは言い切れない、だが、犯人ではない可能性もある。しかし、解明されていないことやもっと検証しないといけないことは棚上げにされたままだという現実もある。


映画を観終わって外に出たらもう腕の皮膚がちょっとヒリヒリするぐらいの暑さになっていたが、そのまま久しぶりな青山ブックセンター本店に寄った。
「330人が、この夏おすすめする一冊。」フェアというのが店頭近くの特集コーナーで展開していたので観ていたら、ニコラの曽根雅典著『死者のテロワール』が積まれていて、選んだのが窪美澄さんだった。窪さんのコメント部分も撮って曽根さんに画像を送った。

帰る途中に「三四郎ANN0」を聴き終わったので、『令和ロマンのオールナイトニッポン』を聴き始めた。本来は『霜降り明星オールナイトニッポン』だったが、お休みで代打で令和ロマンだったらしいが、新幹線の遅延で二人が東京に帰って来れておらず、代打の代打として霜降りの粗品が二人が着くまでやるという謎の展開になっていた。
相方のせいやとは電話で話していたが、自分には連絡がなかったこと、休みにしてるんだからお前も休めということなど、ちょっと連絡の行き違いもあるのかわりとマジなトーンでのやりとりになっていた。その後、粗品がそれまでやっていたYouTube撮影に出ていた後輩芸人たちも読んでいたのでそれで令和ロマンが来るまでチンチロリンをしながら繋ぐという不思議な回になっていた。

家に帰ったら汗だくになってしまったのでとりあえず着ていたものとか全部洗濯して、ご飯を食べてからちょっと仮眠。
夕方になってから家を出てブックオフとかに顔を出したり、スーパーに寄ったりしてコンビニでアイスコーヒーを買ってきてタバコを吸いながら一服。タバコの紫炎がなんだかお盆の迎え火みたいだなって、昔実家にいたころに祖母がお盆の時期に家の前で迎え火をやっていたのを思い出した。


『死んだ山田と教室』でメフィスト賞受賞してデビューした金子玲介さんの二作目『死んだ石井の大群』を読み始めたらそのまま一気に読了。
白い部屋に閉じ込められた333人の石井。失敗すれば即、首につけられた首輪が爆発して死んでしまうというゲームに強制参加させられる。3つのゲームで生き抜いた一人のみが助かるというのだが…。
良くも悪くもメフィスト賞ぽさを感じる設定とオチであり、最後の方は笑っちゃったけど、きっと怒る人もいるだろう。それこそがメフィスト賞らしさともいえる。タイトルから思い浮かんで設定を作ったのかな、と読みながら思った。設定がありきでもこのタイトルにはできるか、どっちなんだろう。オチから考えた設定かなあ、333人の石井を集めてデスゲームをさせるためにはそのアイデア自身がそもそもオチが決まってないと難しそう。ようするに解決しないといけない事柄が増えるから、333人の石井をどうやって集めたのか、ということ、そしてゲームが行われている理由づけ。
僕はそこまでミステリーをたくさん読んできているわけではないけど、ミステリー好きな人だと探偵事務所にいなくなった333人の石井の中の一人を探しにきた人の件である程度予想できたりするのかな。たぶん、違うけどメフィスト賞系でいうと『六枚のとんかつ』的な要素はある。僕が愛読している漫画に出てくる設定が使われているのもあって、個人的にはコメディ感があったが、あれを読んだりしてない人やあの作品が作られた時期に流行ったもろもろを知らない人の方が笑わずにシリアスなものとして読めるのかもしれない。
デビュー作と今作とも映像化にはすごく向いていると思う。最後には三作目『死んだ木村を上演』の予告もあり、「死んだ+名字」シリーズでしばらく行くみたい。
第63回の受賞者の潮谷験さんから三人続いて、メフィスト賞受賞作家がトリッキーすぎるし設定とかが非常におもしろい。何度目かの黄金期が来そう。

 

8月11日
6時半過ぎに起きて7時半前には家を出て渋谷へ、午前中の早い時間だからそこまで暑さはなかったが、やっぱり日陰のないところだとそれになり肌に痛いような気がするので、できるだけ日陰を選んで歩いたら汗が出るのがいつもよりもだいぶ遅かった。
時間帯によって日陰のできる場所や位置が違うから、時間が違うと日陰が減るエリアもあるし、いつも使える手ではないよなと思いつつ、昨日夜に聴いていたDragon Ashの懐かしい曲をまた聴きつつTOHOシネマズ渋谷まで。

萩原健太郎監督『ブルーピリオド』朝一の8時15分の上映回を鑑賞。さすがにこの早さだからお客さんは十人ほど、親子連れもいたりしたけど、子供が小学生入るか入らないかぐらいの男の子二人だったので、ちょっと内容はわからないだろうなと思ったけど、作中で主人公の矢口八虎(眞栄田郷敦)が東京芸術大学への受験のことで母親に自分がやりたいことだと伝えるシーンとかで、前の列のその親子の両親はこういうこともそのうちあるのかなって思いながら観てるかなと思ったりしていた。
ヒット作である漫画原作があるのに芸大受験まで二時間以内にまとめてるのすごいな、と思ったら脚本が吉田玲子さんだった。吉田さんはアニメシリーズも手掛けているみたいだけど、アニメ映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』も構成力がすごかった。連載が長く続いているような作品を的確にうまくまとめる能力もすごいんだな。
八虎が美大受験のために通っていた美大受験用の予備校で一緒だった橋田を演じた秋谷郁甫さんて俳優はなんか昔の綾野剛さんみたいな魅力があるような。『エルピス』もうそうだったけど、眞栄田郷敦は作品に恵まれてるなと感じる。そういう力もメインどころをやる人の運だし、繋がっていく。
八虎が絵を描く前の人付き合いも器用にこなして勉強もできるけど、何か物足りない、やりたいことがないっていう時期の朝帰り前のラーメン屋を出た時の渋谷の早朝の風景、彼の中に刻まれていくシーン、それが最初に描く絵になっていく辺りの描写や画の感じが素晴らしかった。あそこで説得力を持てるかどうかがこの物語の大事な部分だし、監督のセンスが問われるところだったと思う。
映像や音楽に関してもカッコいいし、テンポよく物語を進めながらもキャラクターの魅力や関係性がわかるので、夏の映画として十代が観るといいんじゃないかなって、心が震えるような作品になりそう。

昼過ぎにランジャタイの伊藤さんが活動休止というニュースを見た。内容を読んでみると相手の女性が年齢を偽っているし、年齢確認をした際にそれも偽造したものを持っていて関係を持ったとあったりして、さすがにそれはどうにもならない気もしたし、いわゆる芸能人や著名人は素人の人に手を出すことがアウトになる。
もちろん、相手の女性にもいろんな思惑や気持ちがあったんだろうけど、伊藤さんの年齢的にも年の離れた異性が向こうから来ても断る以外に守る方法がない。だまされたのであれば、被害者だけどそういう年齢とか未成年とかの問題があると加害者としても言われてしまう。
毎週楽しみにしていたポッドキャスト『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』はとりあえず次回は配信がなし、オールナイトニッポン界隈ちょっとザワザワしすぎじゃないかな。

From Q presented by Aston Martin Ginza | TOKYO FM | 2024/08/11/日 19:00-19:55 

高橋一生さんがゲスト。オリンピックは見てない、いや今までも見たことがない、そもそもスポーツ観戦に興味がないって言われていて、見るぐらいならやったほうがいいって話されていて、一緒だって思った。
僕もサッカー観るぐらいなら下手だけどフットサルとかやったほうがいいし、野球も観るなら(神宮球場で観た時は、ああここはビール飲むのは最高だなって思った。あだち充漫画大好きだけど、野球よりもあだち充が好きなだけだし)下手だけど草野球したい。
個人的に集団で同じユニフォームを着て応援してるのとか見るのが気持ち悪いのもデカいけど、だけどこういうことをそれが好きな人には言えないしダメでしょ、そういうのが気持ちいい人は。そういうのが気持ちいいと思えない人をユニフォーム着れちゃう人たちは理解してくれないしね。
高橋さんは音楽もライブとかではなく、部屋で一人で聴いていたいって言われていて、そこは僕はライブ行く方だから違うんだけど、ユニフォーム的なことでバンTは買わなくなったし、買ってもライブの時はできるだけ着ない。普段着として着ることにしている。
でも、自分が菊地さんのライブとか行くのとか、ZAZEN BOYSとかある時期からずっと行っているのは、彼らの音楽はみんなが同じじゃない、それぞれが好き勝手に各自が音に揺れて踊っているから。僕が今ライブに行くような音楽はそういうもの。
クラップユアハンズとか両手を左右に振ったりしたりとかウェーブやったり、客に歌ってみたいなことをするミュージシャンのライブには行きたくない。あれが気持ちいいのはわかるけど、やっぱり気持ち悪いから、僕はそんな「人類補完計画」みたいな一体化みたいなものを求めてない。

昼過ぎからちょっとだけ読書をして夕方過ぎからライティング作業を。『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』『From Q presented by Aston Martin Ginza』をBGMとして聴きながら。
有吉さんはフワちゃんに関しては一度も名前も出さなかったし直接的には触れなかった。当然だと思う。今擁護しても自分にも飛び火するし、鎮火するかもしれないことがまた火力が強まってしまうことにもなる。今は様子見で触れないこと、火が弱くなるのを待つしかないと思うし、同時に一緒に仕事はしているけど個人的には興味はないかもしれない。一度有吉さん自身もブレイクして落ちていって地獄から戻ってきた人だから、自分で這い上がれと思っているのかもしれない。
フワちゃんは芸能活動を休止するというのを見たけど、これで芸人でありYouTuberのフワちゃんは一度死んだということだと思う。物語に当てはめれば、一度死ぬことを「鯨の胎内」に入るという。実際に死んでしまって黄泉の国やあの世に行くことであったり、肉体は死んでいないが象徴的な死を迎えること、だが、英雄神話構造では「鯨の胎内」に入って帰ってきたものが王となる。
わかりやすい例だと『ドラゴンボール』の悟空が一度死んで海王様のところで修行して復活するなどもあるし、NBAでスリーピート(三連覇)を二度も果たした「バスケの神様」と呼ばれるマイケル・ジョーダンは一度目のスリーピート後に父を殺され、父がかつて望んでいたNBA選手になるためにバスケをやめて3Aからメジャーリーグへ挑戦した。そして、それを得てNBAに復帰して二度目のスリーピートを果たすことになった。この場合だとNBAのトップアスリートが象徴的に一度死んでMLBの世界に行き、再びNBAに戻ってきたと言える。
フワちゃんとしては今回のことで一度死んでいると言えるので、本名の不破遥香としてどんなジャンルなのか仕事なのかわからないけど復活劇があるかもしれない、そのまま炎上していくのはラジオをずっと聴いていたリスナーとして残念すぎる。
叩いていいという空気だから、叩いてもいいという風潮や世間があるならまずそれを否定しないといけない、魔女狩りに参加している人たちは自分や自分の周りの人が同じ状況になってしまうこと、その時に歯止めが効かない状態がいかに恐ろしいのか、という想像力はないのだろうか。確かに彼女の発言はダメだと思う。だけど、自己責任みたいなことを押し付けてなにも責任を取らなくなった政治や社会が求めているのは相互監視と一度の失敗ですべてが終わるというチャンスのない、セーフティネットのない社会でそれでは僕たちはあまりにも生きにくい。それでもみんなはそれをよしとして生きにくさだけが強くなる社会をよしとしていくのだろうか。

 

8月12日
起きてから9時前に家を出る。今日はライティング作業だけなので午前中に体を動かしておこうと思って代官山蔦屋書店まで散歩。最初はそこまで暑さは感じなかったし日陰を選んでいたけど、そこそこ汗をかいた。昨日気づいたけど毛先のほうが気持ち茶色がかっていて、髪の毛も日焼けして黒さがちょっと抜けているっぽい。
お店に着いたけど、特に目ぼしいものもなく、早い時間帯からお客さんはそこそこいた。帰りにサミットで昼ご飯用に冷やしうどんと天ぷらのミニセットを買って帰った。
さすがに汗をかいたのもあって洗濯をする前にシャワーを浴びたが、体も熱を持っていることもあるんだろうし、気温の高さも相まって水でシャワーを出していてもそこまで冷たくはなくて、ひんやりすらしない。
外に出て髪の毛を拭いたりしていたらじんわりと汗が出てくる。洗濯物はすぐに乾くというありがたさはあるけど、やっぱりこの気温は危険だ。部屋にいても冷房とかしないと熱中症になるというのがよくわかる。

ONE PIECE公認ドッキリ】尾田栄一郎先生が原作最終回の原稿をいつも持ち歩いていて、流出しそうになったら!?ラストにまさかの尾田先生ご本人も登場!


昨日、寝る前に一度見た『佐久間宣行のNOBROCK TV』をもう一回見る。『ワンピース』という世界的に人気漫画の公認という強さ、最後に本人が出てしまうというレアさ、尾田さんが「NOBROCK TV」ほとんど見ている大ファンだったこと、前に『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のイベントで、番組で佐久間さんが船長ということになっているのもあって、尾田さんデザインのコラボグッズがあったような気がするけど、ほんとうに尾田さんが佐久間さんのファンなんだろう。
YouTubeでいろんな人が『ワンピース』考察動画とか出してるみたいだけど、本人と直筆原画と本当の担当編集者出てきたらもう勝てない。マヂカルラブリー野田クリスタルが「ANN0」で『ワンピース』考察をよくやっているし、スペシャルゲストでも考察YouTuber呼んだりしてたから、かが屋が尾田さんに本当に会ってるのすごく悔しそうだなって関係ないことを思った。

昼過ぎから今書いている作品を最初に思いついたきっかけになったデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督『アンダー・ザ・シルバーレイク』を何度か目になるかわからないけど、見直し。最初から起きていく出来事をスマホでメモしながら何が起きているのか書き残していく。
作品の時間としては約2時間20分あり、物語が大きく展開していく、次の章やパートに入ったところは時間をチェックしていたが、30分、1時間5分ぐらい、1時間36分ぐらい、次は短くて1時間54分ぐらい、そこからクライマックスに向かっていくという感じのタイムラインだった。知り合いになったサラという美女が急にいなくなってそれを主人公のサムがロサンゼルスのシルバーレイク付近を舞台に探すという物語で、都市伝説的な要素がかなり入っている。
実際にメモしてみるとちょっとずつ新しい要素が出てきて、新しい謎や新しい登場人物が出てきて、いくつかのラインがありながらも主人公としては謎を解いていなくなった彼女を見つけようとする。
実際に最後の方で明らかになる真実はかなり都市伝説みたいな事柄であるが、作品のテイストとしては間違っていないし、大富豪とかがいるロサンゼルスのハリウッドでなくもなさそうじゃないかなって思わせるものでもある。
主人公は物語を通して成長したかと言われると微妙ではある。ただ、探偵的な役割を果たして謎を解くが、それすらに都市伝説みたいなオチではある。だけど、こういうテイストの作品は大好きだし、僕はこういう映画がもっと観たい。小説でもありそうなんだけど、あまり読んだ記憶がない。日本でやるならという妄想から今書いたものは始まった。実際にこの映画みたいなことはできないし、日本を舞台にするとかなり違う方向性になる。ただ、この作品がやっているようなカルチャーや都市性みたいなものは流しこめるんじゃないかなって思ってる。
ただ、今自分が書いているものは何年も考えていたこともあって、最初に思っていたものとはかなり違う話になっている。もうちょっとミステリー的な方向に向かっていたものが最近は恋愛の部分がもうちょっと出てくるほうがより謎とか不思議な事柄が歪になっていくだろうし、そうしたいと思うようになってきた。
というわけで夜は今度のアイデア出しとライティングを進める。

『憐れみの3章』映画界最高峰タッグの軌跡を振り返り&メイキング写真解禁!ランティモス監督×エマ・ストーンの集大成が日本上陸!

今書いている作品は少し前に『憐れみの3章』の試写を観たことに影響されていて、長編というよりも三つのパート、3章がちょっとずつ絡み合うけど独立しているイメージになった。
作品としてはひとつのパッケージになるといい。時間的にも三編をそれぞれ書いていくほうが時間のこともあるけど、最初に考えていた長編を今書き上げる能力はないと思うし、三つが歪になったほうがインパクトはでそう。

 

8月13日
いつもの時間に目覚ましが鳴ったけど、意識が身体にうまく重なるというかスムーズに動けそうな感じがあまりなく、目覚ましを一時間程度遅くしてまた目を閉じた。
リモートワークのちょっと前にもう一回起きたが、そこまでさっきと変わっていない。なんかいつもよりも体が重いというかダルい、でも風邪を引いたりとか体調が悪いというわけではなさそう。
リモートを開始して、そっか昨日が休みで今日が火曜日だからなにか一日ズレていて体内時計というか一週間のリズムの違いになにか自分の中のものが戸惑ったのかな。そこまでセンシティブだとは思わないけど、いつもと違うことをするとやっぱり違和感を感じるぐらいにルーティンが日常を作っている。
リモートワークのBGMはradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を。「空気階段」は学生時代に文化祭を味わうことできなかったもぐらが同志を募集して、文化祭をやろうという話を何週かしているけど、本人からだけではなく推薦人からのメールも必要なのでその内容で人間ドラマみたいなものが見えてくる。そういう部分が空気階段のコントとかにもあって聞き応えがある。「伊集院馬鹿力」は冒頭にラジオができる幸せのことを少しだけ彼女の名前を出さずに言う伊集院さんもいろいろと関係性もあるし共演もしてたからこそ思うことがあるんだろうなという哀愁が感じられた。

古川さんが地元の郡山で10月に公演をするとのポスト。去年の8月頭に「常磐線舞台芸術祭2023」を観に新地町に行ったけど、郡山には2020年に行ったきりだから、タイミングが合えばぜひ行きたい。さすがに夏が終わって涼しくなってくる頃だと思うけど、今年はどのくらいまで暑いんだろう。

仕事が終わってからはSpotifyポッドキャストを聴きつつ、自分のライティング作業を。昨日夜配信されていた『83 Lightning Catapult』と今日配信の『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:森達也監督)『あのと粗品の電電電話』を。伊藤さん謹慎で『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』がないのが寂しい。

作業中に友達から電話がかかってきて、一時間ほど話をした。溜まったものがある時に話す相手が何人かいたほうがいいんだろうなと悩みというか不満に感じていることを聞きながら思ったし、話した。誰にでも本音や思っていることを言えばいいわけではないし、言えるわけでもないけど、数人いるとちょこちょこガス抜きもできるし、精神的にもいいんじゃないなかって。僕は溜まる前にこうやって書いたり、ちょこちょこ人に話しているところがある。

 

8月14日
日付が変わってからradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら寝落ち。平子さんの妻が大ファンで今まで何度か嫉妬の対象的に名前の出ていたBEFIRSTからメンバー二人がゲスト。長く続いている番組ってパーソナリティー自身もだし、周りの影響もあって人気のある人と絡んだり、付き合いができたりする。ということを聞いているのかなと思った。

起きてからちょっとしてからまぶたがちょこちょこ痙攣し始めた。ストレスが溜まるとたいていまぶたが痙攣して口唇ヘルピスができるパターンになる。まだ口唇ヘルペスはできていないので大丈夫かな。
夕方過ぎに予定があるので少し早めにリモートワークを開始。radikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を作業BGMにして進める。
「爆笑カーボーイ」はこの時期恒例の収録だった。もし、収録じゃなかったらきっと太田さんはフワちゃん関連の話をしていたんじゃないかな。
星野源ANN」も収録だったが、次のスペシャルウィークゲストがオードリーとファミレストークだった。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のDVDやBlu-rayが発売になる。当日はライブヴューイングで観覧したけど、ライブには星野さんも出演しているけど、フワちゃんが春日さんとプロレスをしていてかなり見応えがあった。あれどうするんだろう、さすがにあの一連の流れを収録しないということはないと思うけど、これから宣伝する際にも触れずにいくのだろうか。
プロレスのあとに春日家とフワちゃんに誘われて星野さんは春日家に行ってご飯を食べたというトークもあったし、現状だと星野さんもオードリーもフワちゃんには言及ができない感じなんだろうけど、その辺りが今後どうなるんだろうと余計な心配。
「あのANN0」は生放送であのちゃんがちょっと前から夢中になっていたオーディション番組からデビューしたME:Iの話とメンバーの内三人がスペシャルウィークゲストと発表。偶然なんだけど、アルピーの番組に近いものがあって、あちらは男性コンビに男性アイドルが、こちらは女性ミュージシャン兼タレントに女性アイドルがゲストでくるというもので、たぶん同性の方がファンが聴いてもそこまで嫉妬しないとかあったりするのかな、アイドルに疎い人間として思ってしまった。
作業をしている時に今やっている自分のライティングに関してラストのほうで起きる出来事が浮かんできたのでメモだけ取った。そこまでうまく流れができるといいのだけど、今月もあと半分だから、かなりタイトになってきたけどスケジューリングをうまくやってラストまで行きたい。

仕事を少し早めに上がらせてもらって渋谷へ。何年振りかまったく思い出せないほど久しぶりな渋谷クラブクワトロへ。コロナパンデミックの最中の2021年にリリースされたアルバムの3年越しとなるレコ発「U-zhaan × 環ROY × 鎮座DOPENESS」1stアルバム『たのしみ』リリース記念ワンマンライブ」に。
コロナだったこともあるし、出演の鎮座さんもいろいろあったりして、2021年に発売された『たのしみ』リリースライブは行われていなかった。
ソールドアウトでパンパンのクワトロ、小学生低学年とかぐらいのお子さん連れの親子が何組かいて、どうやら知り合いらしい感じだったから親がラップとかタブラ好きだったり関係者なんだろうかと思っていたが、客層はさすがに一緒に行った友人Aや僕ぐらいの40歳以上が多かった印象。まあ、中年が多かった感じかな、若い人もいたけど多くは感じなかった。
環ROYのアルバムのリリースライブでWWWとかで観て以来な気がする環&鎮座のKAKATOコンビのも楽しみだったし、音源では聴いているけどライブでは観たことのなかったU-zhaanの組み合わせ。最初は環ROYだけいなくて他の二人が出てきて、音楽が始まって鎮座が環は捕まってこれないよみたいなラップしてて、自虐がすぎるネタを披露していたら遅れて環がやってきた。トイレに行っている間に二人が舞台に出ていってライブが始まったみたいなことだった。
前日ずっと飲んでいたU-zhaan鎮座DOPENESSコンビ、風邪でにんにく注射を打ってきた環ROYというどうみてもコンディションがよくない感じもあり、それもネタというかラップにしたり、トークにしていてほんわかとしたアルバムらしい雰囲気が溢れていた。
U-zhaanがプロデューサーというか二人をまとめていて、お兄さんみたいな感じでトークとかで物販のこととかレコーディングの時に、環が来ないから代わりに『ギンビス』の歌詞の一番は書いたとか、坂本龍一さんのラジオに呼ばれた時に普通に遅刻した鎮座とか、いろいろと被害に遭っているみたいだった。
ラップもタブラもカッコいいし、踊れて最高になのに三人の関係性というか人間性とかがほのぼのとしているし、アットホームでそのギャップもよくて、昔の夏休みの夕暮れの心地よい風が吹いている時にする花火とか、テレビで野球中継やってて家族でスイカ食べてるみたいな心地さみたいなものがあるライブだった。

U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS / ギンビス 



終わった後にはギンビスのお菓子の詰め合わせを観客全員にプレゼントしてくれた。ギンビスさんありがとう!

 

8月15日
THA BLUE HERB "REQUIEM"【OFFICIAL MV】 


1945年の今日、日本は敗けた。終戦記念日というのはずっと違和感があった。この日は終戦の日であり敗戦の日。なぜ負けたのかということはいつも曖昧にされて、軍部や当時の国民も昭和天皇もいろんな人たちの責任はどこかへ、敗戦という言葉のほうがいいと思うのは負けてしまったこと、途中で辞めることも降参して原爆が落とされるようなこともないということも可能だったけど、それができなかったことを考えることはずっと放棄されてきた。
戦後日本はアメリカの属国として、焼け野原から朝鮮戦争を機に経済復興が起きて経済大国になっていった。その恩恵を僕の両親たち戦後生まれ以降は享受してきた。だからこそ、考えないといけない日でもある。


敗戦の日。ということでピエール・フォルデス監督『めくらやなぎと眠る女』の10時の回をユーロスペースで観ることにした。監督や柴田元幸さん、そして原作者でもある村上春樹さんが登壇した早稲田大学での上映イベントで一度観ているので、二回目。今回も字幕版にした。日本語吹き替え版は上映時間が夕方だったのもあるし、アニメのテイスト的に字幕の方が個人的には違和感がないというのも大きかった。
父親が戦後すぐ生まれで井上順さんと生年月日が一緒で、息子の僕は40歳を過ぎて「35歳問題」の延長線上だから、なんか今日観たいと思った。
村上春樹作の短編六つが連なりながら、一つの長編になっているような作品で、原作小説の要素がうまく噛み合っているのだけど、それを接着させているのは監督の個性や要素だろう。村上さんも上映会の時に自分の作品が映像化される際には短編の方が余白があるので、監督のアイデンティティーや作家性が入り込むことでいいものになっていると言われていた。
実際に濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』も短編集『女がいない男たち』のいくつかの作品の要素が入り込んでいた。イ・チャンドン監督『バーニング』も原作短編『納屋を焼く』を元にしているが、舞台を韓国に移していて話も大幅に変わっているが、村上春樹作品だなと思えるものだった。このアニメも同様で、いなくなった妻や猫などの村上春樹作品にあるものがそれぞれの作品を繋いでいく。その監督の自由な解釈や創造性がとても好きな作品だった。

映画館の行き来でradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。スペシャルウィークゲストは『トークサバイバー3』配信前ということもあって千鳥だった。YouTubeにアップされたワンピースとのコラボ動画の裏側というか、どういう流れでやることになったのか、当日の話なんかをしていた。


夕方すぎにニコラに行って、信濃鶏もも肉スモークと白桃のスパゲティと白ワイン(ドン トーマシ ヤート ルーチド テッレ シチリアーネ 2021)をいただく。毎年この時期に食べているので食べなきゃと思っていた料理。お店の夏休みも昨日までだったので、明日の台風は家から出ないようにしよう、行くなら今日だ!というわけで。
甘過ぎない白桃は皮が残っている箇所の食感もいいし、地鶏もも肉がスモークされているのだけど、肉を噛むとそのスモークの香りが白桃やスパゲティと混ざり合う。白桃の甘さと地鶏のスモークがとても美味しい。一緒に出してもらった白ワインはリンゴの風味と飲み干す時にミネラル感みたいなものがあって料理にすごく合うものだった。来年もまた食べたい、そういう繰り返しを。

伊藤さんが謹慎していて、ポッドキャストが配信されていなかった『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』は番組自体がなくならないみたいで、それはほんとうによかった。9月からオールナイトニッポンポッドキャストではなくなり、国崎さんだけの番組になるらしい。でも、二人でやってる時も基本的には彼がほとんど話していたので、おそらく大丈夫だと思うし、一人で続けていけばまた一緒にやれる場所は残るので応援したいし、配信されたら聴く。

 わたしたちは紙切れのように薄っぺらい存在だ。わたしたちは何割かの確率で訪れる運に頼って一時的に生きているにすぎない。このかりそめだという要素こそ、最良の部分でもあり、最悪の部分でもある。そしてこのことに対して、我々は何ら手出しができない。山の頂上に座って何十年も瞑想に耽ることはできても、それで何かが変わることにはならない。すべてを受け入れられるように自分を変えることもできるが、それもまた間違ったことなのかもしれない。たぶんわたしたちはあれこれと考えすぎている。もっと考えないようにして、もっと感じるのだ。
チャールズ・ブコウスキー著/中川五郎訳『死をポケットに入れて』新装版P121より


今回はこの曲でおわかれです。
折坂悠太 - 正気 (Official Live Video) 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年7月16日〜2024年7月31日)

7月上旬の日記(2024年7月1日から7月15日分)


7月16日
日付が変わって上旬の日記をはてブと半年前の日記をnoteにアップしたがすぐに眠れずに、radikoで『空気階段の踊り場』をほぼリアルタイムで聴き、それでも睡魔がやってこないので『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を音量小さくしたまま目を瞑っていたが、番組が終わりかけの深夜3時近くにようやく落ちた。


先々週に半年ぶりとかに出社したが、今日も出社してやる作業があったので早めに会社に行こうと思って6時半目覚ましをかけていた。こういう時は寝過ごさないタイプなのでちゃんと起きて準備して7時半前には家を出て渋谷へ。半蔵門線九段下駅で降りて竹橋にあるパレスサイドビルへ。

僕の働いているチームがいる座席があるエリアは8時過ぎなので当然誰も出社しておらず、照明やエアコンがついていなかった。そもそもスイッチというかどこでオンにしたら付くのか知らなかったのでそのままちょっと暗いままで作業に必要な書類をロッカーから持ってきて作業を開始。
途中で冷房が入っていないのでどんどん汗が出てきた。他のフロアの配置と似たようなものだろうと思って室内を探したら照明とエアコンの電源を入れるところがあったのでオン。


13時過ぎには頼まれて作業が終わった。昼休憩を使って帰ってリモートワークをすることにした。
パレスサイドビルから九段下駅に向かう途中の皇居の横を歩いていて武道館が見えるのが好きな光景だ。緑に染まっていた。

出社してからは作業BGMとしてradikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いてから、Spotifyで『83 Lightning Catapult』の最新回を。それが聴き終わってからは『アルコ&ピースしくじり学園放送室P』『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』の先週分をもう一度流していた。
知り合いの社員とかバイトの人も周りにいないし、作業に集中するためではあったけど、他の部署の人が普通に電話してるのかなって思うぐらいデカい声だなってイヤフォンしても聞こえるほどだったけど、よく見たらZOOMか何かでやりとりしていた。
家に帰ってからリモートーワークで作業を再開。帰ってきてから雨が強くはないもののずっと降っている感じになっていたので早めに帰ってきていてよかった。

仕事が終わってから、休憩がてら『アルコ&ピースしくじり学園放送室P』(ゲスト:千代田修平)を聴いた。『チ。』などの担当しているマンガ編集者の人がゲストだったが、アルピーというか平子さんの会話の回しとかが絶妙にうまいこともあって、とても素直に緊張もせずに話している印象を受けた。

『あのと粗品の電電電話』は今週お休みで、そういえば深夜の『あののオールナイトニッポン0』も休みで代わりに『ランジャタイのオールナイトニッポン0』が放送される。
配信された『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』最新回を聴きながらアイスコーヒーを飲みながらタバコで一服。リラックスできたので夜のルーティンの読書とライティング作業。そういえば今日は本屋に行かなかった。

Cornelius "MIND TRAIN" 


最近は読書する時にはコーネリアスのこの『MIND TRAIN』という曲とアルバム『Ethereal Essence』をよく聴いているけど、非常に心地よくて坂本龍一さんの曲もいいけど、僕のモードとしてはコーネリアスが合う。

 

7月17日
7時前に目が覚めて、寝起きがてらradikoで『アルこ&ピースD.C.GARAGE』を聴いてから『JUNK 爆笑問題カーボーイ』の途中からリモートワークを開始。
昨日は出社したこともあって、一人だけで自分だけしかいない部屋で作業をするというのは本当に気楽だ。『星野源オールナイトニッポン』では星野さんの「音楽の父」である細野晴臣さんの誕生日会に行った話をしていた。YMOでも最年長の細野さんが存命で音楽活動をされていることが彼に影響を受けたミュージシャンたちの指針になっているのもわかるし、星野さんがほんとうに慕っているのがわかるトーク内容だった。
Spotifyで『あのと粗品の電電電話』がお休みで、TVの『あのちゃんの電電電波』もゲストなしの珍しい番組へ送られてきたイラストを紹介する回で、ツアー中ということもあってお休みを取らせようといろんなところが動いているのだろう。
『あののオールナイトニッポン0』も休みで、「ANN」ポッドキャストをレギュラーでやっているランジャタイが代役がてら『ランジャタイのオールナイトニッポン0』が放送。いつも通りのランジャタイのトーク松本人志の名前をはっきり出している芸人って彼らぐらいじゃないかな、他にもいるんだろうけど、無意識に名前を出している感じもする。
今の「ANN0」は月曜日がフワちゃん、火曜日があのちゃん、水曜日が佐久間信之さん、木曜日がマヂカルラブリー、金曜日が三四郎と鉄壁のメンツになっている。誰かが一部に昇格か辞めない限りは新しいパーソナリティーという感じではなさそう。
ポッドキャストも含めて、トム・ブラウン、ランジャタイ、ヤーレンズ辺りが時期候補だと思うが、すでに二組芸人がいるから難しいだろうし、あのちゃんか佐久間さんが一部に昇格するとか、誰かが何らかの理由で動かない限りはこの布陣で行くと思う。

昼休憩で外に出たら、ちょうど来月のヤーレンズDr.ハインリッヒのライブチケットが先行で取れたと一緒に行こうと話していた友人からDMがあった。どちらも生で観たこともないし、ネタは多少ぐらいなのでどんな温度なのかほとんど初のものを体験できるので夏のお楽しみ。
書店の新刊コーナーで今日は芥川賞直木賞の発表日だなって思ったけど、結局候補作で読んでいるのは朝比奈秋著『サンショウウオの四十九日』だけだった。読んだ感想としては受賞するんじゃないかなって思っていたけど夕方過ぎにはこの作品と松永K三蔵著『バリ山行』の二作品が芥川賞を、直木賞一穂ミチ著『ツミデミック』が受賞したのをSNSで見た。『バリ山行』はちょっと気になっている。

東急の地下のスーパーで買ったとうもろこしと枝豆のかき揚げ、この組み合わせ大好きだが食べているとどうも鼻の奥に何かあるような違和感が出てきて思いっきり鼻を噛んだら咀嚼して潰れた黄色や緑色が飛び出してきた。
他の店舗のものはもう少し小ぶりというかかき揚げの大きさがまとまっている気がする。たぶん、東急のは粒が大きいのだろうか、鼻の奥に詰まった感じのものを一気に排出する、それはとても心地いい。

リモートワークの作業でたくさん読まないといけないものがあったので、ぐったりした。一つの長い作品をずっと読むのは作品にもよるけど心地よい疲労感があるんだけど、短いものをいくつも読んでいくとわりと作品の内容とかにかかわらず何かが急激にすり減っていく。この辺りの塩梅はずっと変わらないし、年齢を重ねていくとより減らされていく気がしている。

東村 ほめられようとか評価してもらおうって気持ち、ホント薄いですもん。編集者さんに「もっと丁寧に描け」とか「こうやらないと売れないぞ」って散々言われてきたけど、言われれば言われるほどもっと雑にしてやれって宮崎人の意地で……。

永野 その自分を客観的に見て笑ってるみたいな。

東村 そうそう。永野さんが世に出てきたとき、同じノリを感じました。破壊衝動とまではいかないんだけど、そういう感覚ですね。

永野 めちゃくちゃわかります。ただ、散々宮崎の話で盛り上がってなんですけど、最近若いひとたちが宮崎芸人としてほがらかに出てきてるじゃないですか。あれはちょっと許せないです。何がマンゴーだ、かぼちゃの県だろみたいな。上京したんだったら、一度は屈折した気持ちでセンター街を歩かないとダメですね。

過剰で異常。東村アキコ×永野、宮崎が生んだ奇才2人の「おもしろ」のルーツと「ど真ん中にいかない」意地

永野さんが編集長として気になる人と対談する企画、宮崎県出身者同士の世代も近いからこその話になっていた。
二人に共通するある種の過剰さみたいなものが話の中でも近しいものであるのもわかる。マンゴーではなくかぼちゃの県だ、という部分に非常にある世代より上で上京してきた人の県民性を感じる内容だった。

毎日、2、30ページぐらい読み続けている『異族』はどんどんおもしろく感じられるようになっているが、着地する方向性がいまいちわからないが青いアザを持つものたちという仲間意識を持っている主人公格の青年たちにさらに同じアザを持つものが加わるという展開。聖痕的なものが特別であるはずの印が実は作られたものなのかもしれない、誰かの手の上で踊らされているのかもしれない、という感じがしてきてより僕は物語に惹かれている。
多重人格探偵サイコ』に出てきた犯罪者たちの瞳にはバーコードがあった。犯罪者たちはそれを特別な印、聖痕のように誇っていたが、バーコードとは作られた工場製品であり特別ではないことが物語が進んでいくと明かされていった。原作者の大塚さんはあえてそうしていたと思うが、聖痕を自らの誇りにすること、他者とは違うという自意識を昂らせる装置にしか過ぎないという批評でもあったのかもしれない。

U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS「たのしみ」リリースライブ、発売から3年4カ月後に開催決定 

夜作業をしていたら友人からナタリーの記事のURLがLINEで送られてきた。U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESSのライブを8月にやるけど、どうするっていうお誘いだった。
このアルバム『たのしみ』もリリース時に購入して聴いていたし、友達とも環ROYのライブに行ったりしていてまた環ROY鎮座DOPENESSのラップ聴きたいねって話をしていたが、コロナ前に観たけど何年も観れていなかった。夏だから祭り感覚で楽しみたい。

 

7月18日
起きて可燃ごみを出してから午前中は予定がなかったので、横になったままradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたら寝てしまった。8時前に目覚ましが鳴ったので、もう一度最初から聴きながら朝の読書などルーティン。関東でも梅雨明けしたらしいとニュースが出た。酷暑の夏が本格化してしまう。

ラジオで佐久間さんが大根仁監督が手がけたドラマ『地面師たち』関連で主演の豊川悦司さんや綾野剛さんとNetflixの宣伝番組をやったという話をしていた。このドラマ気になっているのだけど、大根さんが手がけるとなればきっと伊賀大介さんが衣装なのだろうなと思って調べたらやっぱりそうだった。
佐久間さんのフリートークでは予約していたお店に作家の川上さんと後輩のプロデューサーの祖父江さんと一緒に行って食事をして、次の予約が7ヶ月後になるという話をしていた。その前は3ヶ月後だったのにお店が人気になっていてどんどん予約が取りにくくなっているらしく、もう「良いお年を」とお店の人に言った後にもう一件がてら佐久間さんの仕事部屋で飲みながら大根さんの映画『サニー』を観ていたらしい。
作家の川上さんたちはこの3年ぐらいの間に大病をされていたみたいで急に「この年になると何があるかわかりませんよね。だから、7ヶ月後の予約だって、俺たち何があるかわかりませんよね。佐久間さん祖父江さん僕らにできるのは美味しいごはん屋さんの次の予約だけですよ。楽しい次の約束をしていきましょうよ」と言って佐久間さんちょっと泣いてしまったという話をしていた。
気が許せる人や大切な人とは次に会う約束をしといたほうがいい。その日までなんとかやっていけるから、いつか会えなくなるから、次の約束を守れなくなる日が来るから、だから会う約束をなにかに理由付けて会えるうちに会っておこう、そういうトークだった。
ランジャタイとかが屋のツーマンライブチケットを発売日に取ろうとして取れなかったとラインした数時間前に友達は亡くなっていた。もしかしたら、先行抽選で取れてたら、なにか変わってたのかなと思ったりしたし、変わらなかったのかもしれないとも思ったこともあった。ランジャタイのラジオを聴いて生き延びている僕は毎週笑ってしまう。関係性が続くのは縁と運、あと努力もいる。年齢を重ねるとどんどん難しくなる。

この数日でNetflixで最初の一話しか見ていなかったA24制作のドラマ『BEEF』を一話ずつ寝る前に見ているので、見終わったらちょうど『地面師たち』が始まる感じなので久しぶりにドラマにハマれるかもしれない。
フジテレビで始まった宮藤官九郎脚本ドラマ『新宿野戦病院』はすでに三話まで放送されたがいまだにTVerでも配信されているが一話も見ていない。前作のTBSドラマ『不適切にもほどがある!』は何とか最初から最後まで見たのだけど、こちらはまったく食指が動かない。
「ふてほど」の時にも思っていたけど、僕にとってのクドカン脚本ドラマというのは主演が長瀬智也であることが大事だったということ。長瀬さんは『俺の家の話』の作中で死んでしまう役だった、そうやって彼は芸能界から消えた。引退していった。だから、『新宿野戦病院』も長瀬智也のいないクドカン脚本ドラマ、いや僕らがずっと見続けたクドカンドラマではもはやないのだ。


昨日夜に坂口恭平著『生きのびるための事務』と木山捷平著『落葉・回転窓』を読み終わった。
前者は事務の話でもあるが、坂口さん的なプチ啓発要素もあって生き方や働き方に悩んでる人には響くだろうし、こういう発想だからこそ坂口さんはアーティストなんだなって思えるものだった。
後者は木山の後編の短編を集めたものだが、高齢になってから事故に遭ったり怪我をしたりして治療目的でいろんな温泉などに行っていて、場所ごとの思い出を短編にしている感じだった。
こちらが読み終わったので木山さんが満州にいた時のことを書いた中編『長春五馬路』を読み始めた。最初の一節を読んだが木山の分身である主人公が42歳ぐらいで今の僕とほとんど変わらないけど、中年のおじさんというよりはおじいさんに近い感じになっている。
1940年代の40歳というのは今の60歳ぐらいの感じなのだろうか、その分身が旦那がいなくなった27歳の女性に所帯でも持とうかと軽くいうシーンがある。この辺りの会話のテンポややりとりは市井の人を描いていた彼らしいなと思う。

16時前に家を出て渋谷まで歩いて副都心で池袋駅まで行き、グランドシネマサンシャイン池袋へ。18時から受付で半から日本最大級のIMAXで完成披露試写会だった。この前『オッペンハイマー』を観にいた時も早く並んでいた人たちがグランクラスみたいな上映料金プラス3500円ぐらいの席の前後に案内されていた。受付したら席が示されているチケットを渡されるのでちょっと早めに行っておいた。
オッペンハイマー』の時はちゃんと宣伝会社の人たちが試写にきた人たちを並ばさせて混乱しないようにしていたが、この日はハピネットファントム・スタジオの作品だからそこが仕切ればいいのに全然できていなくてちょっと並んでいる人たちの文句や機嫌の悪さが出ていて嫌だった。
A24の作品は日本だとハピネットファントム・スタジオが取り扱うことになっていて、期待値もある映画なので、その辺を宣伝会社同士でしっかり連携すればいいのになって。ただ立って話しているおじさんやおばさんや若いスタッフも誘導とか下手すぎた。

本国アメリカでは4月に公開されてA24史上最高のオープニング記録を樹立したアレックス・ガーランド監督『シビル・ウォー アメリカ最後の日』をIMAXの大画面と大音量で体験。
テキサスとカリフォルニアの同盟からなる「西部勢力」と政府軍の間で内戦が勃発して、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。
ベテランの戦場カメラマンのリー・スミスキルスティン・ダンスト)と同僚のジャーナリストのジョエル(ヴァグネル・モウラ)は14ヶ月メディアの取材に答えていない大統領に直撃インタビューするためにベテランで二人のメンターであるサミー(スティーヴン・ヘンダーソン)に相談し、バージニア州にある前線となっているシャーロッツビルへ向かう。そんな中、リーに憧れている20代前半の戦場カメラマン志望のジェシーケイリー・スピーニー)も一緒に同行し四人の旅が始まった。

―― 確かに西島さんに何か相談しようとは思わないですね。

西島 ここら辺も僕の作品の弱点だと思います。個性であり最大のウィークポイントです。

―― そういう意味では共感を得ないんですかね。

西島 「共感できなさすぎて逆に共感」とかはあると思うんですけど、それは大多数をなさない。だから女性ファンは少ないですよね。おもてなしの態度、ホスト力が足りない。インソムニア(*)だけは女子人気があったはずなんですけど、彼を使って恒常的なおもてなしの空間が作れていない。

(*)ティムの部下である「ストレイ・ドッグス」の一員。「まどろみを知らないスナイパー」で絶対に眠らないらしい。ロバート・キャパを尊敬しており、彼のようなカメラマンになりたかったが結局諦めた過去がある。ヒカルに対して、「君は優秀なスナイパーになれる」と称賛している。カメラマンとスナイパーという視線の先に対しての行為、戦争での立ち位置として『ディエンビエンフー』シリーズではこの相違関係は非常に大きな存在と批評性を持っている。

分岐した先にあった本当の終わりに向かう漫画『ディエンビエンフー TRUE END』――未完、と二度の打ち切りというバッドエンドからトゥルーエンド、そしてその先に/漫画家・西島大介さんインタビュー(vol.5)

一流のカメラマンは一流のスナイパーになれるというのを『シビル・ウォー』観ながら思ってた。西島大介さんにインタビューした時にそのことに近いことを書いてる。カメラも銃も加害性と暴力性がある。僕たちはスマホで世界を自分や他者をひたすら撃ち殺し続けている。新自由主義グローバリズムによりゾンビになったことに気づかないまま、笑顔で撃ち続けている。

終盤はずっと銃声が響いている状況になっており、大画面で首都ワシントンD.C.ホワイトハウスが銃弾によって破壊していくさまは作り物という感じがしなくて、やけにリアルだった。
リーというベテランの戦場カメラマンから若者であるジェシーへバトンタッチ、継承する物語でもあり、ジェシーはある出来事の後に車内で吐瀉してしまうシーンがあり、前から言っているように吐瀉するシーンがある映画はいい作品が多い。一時体が否定すること、その後に彼女は成長するためにそこを乗り越えていくことになる。
ストーリーとしては二時間もなく、何となく本当は三時間以上あったのを端折ったんじゃないかなって思えなくもない。話の進み方を見てももうちょっと大きな出来事があってもおかしくない展開だった。
前に試写で観た『憐れみの3章』に出演していたジェシー・プレモンスが今作でもちょっとおいしい役所で出演していたが、主演のキルスティン・ダンストと彼は夫婦なので夫婦共演というのも一部の映画好きにはうれしい話題にはなるのかもしれない。
トランプ元大統領の銃撃があったこともあるが、彼が二度目の大統領になったらこんなアメリカになっていても不思議ではないと思えるもので、そういう意味でもアメリカではリアリティが格段に違うんだろう。これがどう日本に伝わるのか、今はもう伝わらないだろうし、アニメ一強になってしまった日本の映画業界では若い観客は海外の実写映画に興味を持っていない。現実逃避にかけては日本はサブカルチャーの進化と発展と共に磨き続けたのが現在だから仕方ないのだけど。


先週も試写でお会いした映画監督のSさんと今回も同じ回を観にきていたので、そのまま一緒に帰ってニコラへ。二週連続会って飲むというのは僕にしてはとても珍しい。

 

7月19日
目が覚めると微妙に体が熱い、体温計で計ってみると37℃台だった。喉もちょっと調子がよろしくない。これはもしかしたら夏に流行するとニュースなどになっているコロナ「KP.3株」に感染しているのかも、と不安に思いつつ朝のルーティンをしようと思ったけど、とりあえず無理はしないで時間まで横になっていた。
いつも通り家でリモートワークなので、仕事を始めた。昼ごはんを食べてから風邪薬を飲んで少しだけ仮眠したが熱は下がっておらず38℃台に入っていた。
この数年でも高熱を何度か出したけど、コロナ検査しても陽性ではなく扁桃腺が腫れたことによるものだった。今回も喉が少し痛いから、コロナよりはそちらの方がまだましだった。
病院に行くかどうか悩みながら作業を続けていると夕方になってしまっていた。近所の病院も閉まっていくし、金曜日だから土日はやっていない。仕事終わりでドラッグストアに行き、風邪薬や経口保水液などを買いに行った。外に出れないというほどではないが、やはり体が熱いので、土日は家から出ないでじっとしていた方がよさそう。もしコロナだったら五日から十日は外出を控えて部屋にいた方がいいみたい。
節々も全身ではなく右肩だったり左足だったり痛いけど痛みが移り変わっていっている。家に帰ってから39℃を越えてきた。風薬を飲んでから首や脇に凍らした保冷剤を挟んで熱を下げて、を何度か繰り返した。熱はちょっと下がってきたので少し楽になった。コロナだと高熱が数日続くみたいだから、朝起きて熱が下がっていたら風邪か扁桃腺が腫れたものだろうし、また熱がぶり返したらコロナの可能性もあるので、それが続くならさすがに病院かなあ。

 

7月20日
夜中に一度目が覚めた時に汗をかいていたので着替えて、買っておいたキューピーコーワαチャージを飲んで風邪薬を飲んですぐに寝た。起きると身体の熱さはほとんどなくなっていて、体温計で計ったら37℃に下がっていた。節々も特に痛くないし、頭痛もしていない、喉の痛みもほぼない、ただ声はちょっとかれているような感じぐらいに落ちついていた。

古川日出男×坂田明×向井秀徳、ライブ映画「平家物語 諸行無常セッション」が9月上映


去年2月に草月ホールで行われた「MATSURI SESSION 古川日出男×向井秀徳」の時にこの映画のチラシが入っていて「2023年初夏公開」と書かれていた。夏を過ぎても何の音沙汰もなく、公開しないのかなって思っていたが、ちゃんと公開されるみたいでよかった。
僕は7年前に竹林寺でこのセッションを観ている。単行本『平家物語 犬王の巻』が出たばかりで『平家物語』も『犬王』もアニメ化されていなかった。
アニメ『平家物語』はオリジナルキャラの語り部である少女「びわ」が、現代語訳をした古川さんに近い立ち位置で脚本と構成が素晴らしかった。アニメ映画『犬王』はグラムロックオペラみたいになっていて、犬王であるアヴちゃんの女王蜂のライブも、竹林寺での『平家物語諸行無常セッション』も観ていたから、どうしても物足りないし、なんでもできるアニメなのになんでそうしたんだろうと思ってしまった。でも、その二作品で古川さんの作品を読む人や興味を持つ人が増えたのが一番良かった。

映画もテレビシリーズも空前の豊作! 2024年年間トップ10【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


昨日寝る前に見ていた宇野さんの動画。トップ10の下位の方はドラマシリーズが多くて、取り上げられているドラマで僕が見ているのは『シュガー』のみだった。この作品に関しては大好きか認めないかのどちらかだと思う。僕はめちゃくちゃ好きなドラマだった。起きてから体調も落ち着いたけど、家にいた方がいいだろうから、自分の観た映画2024年上半期ベスト5を考えてみた。

上半期
1:『哀れなるものたち』
2:『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章&後章』
3:『異人たち All of Us Strangers』
4:『パスト ライブス/再会』
5:『ミッシング』


午前中からお昼にかけて横になったままで、『きしたかのタピエロ』『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いた。
三四郎ANN0」は7月19日放送だったので小宮さんが「ナイク!」と冒頭から言い出して、そこからナイキ、スニーカーの話になってその中でも名前のカッコいいものをあげていく流れになっていった。
リスナーからもカッコいい名前のスニーカーとその名前を盛り上げるようなキャラ付けがされたメールが集まってきた。エルメスなどのブランドものは敵の四天王的な扱いになっていったりした。
前週の『プラダを着た悪魔』続編に関するトークみたいにテンションが高くてまさにラジオスター・三四郎ノリだった。いつも通りのわりとすぐに忘れてしまうけど、聴いている時は最高におもしろいトーク

体自体はだいぶ楽になってきて、喉用のトローチを常時舐めつつ、うとうとし始めたら無理せずに寝るということを繰り返していた。高熱も続かないし、新しい変異株のコロナの症状も出ていないので一安心だけど、無理はしないで部屋にいた。

 

7月21日
8時過ぎに起きて熱を計ると36℃台になっていて、喉もほとんど痛みがなかった。なんとなくいつもの状態が100%だとすると85%ぐらいな気分。完全に治った訳ではないけど、熱が高かった時に比べると節々の痛みもないし日常モードに戻りつつあった。

「ごめんごめん」と事実を認めた佐久間だったが、上杉を番組にオファーしない理由について、「ホントのこと言っていい?」と切り出すと、「番組の司会じゃなくて、バラエティプロデューサーとして思うことね。もちろん、“推しフジコ”にしたから、上杉のことを推そうと思って企画は考えたんだけど、まず1個は、“待ってる”って言ったじゃん。“待ってる”人に仕事は来ない」とズバリ。

 続けて、「もう1個は、半年間上杉の企画を考えた。YouTubeとか。でも上杉は、いろんなところに気を使いすぎて、尖った部分とかいびつな部分がなくなってて、お前の企画が思いつかない」と伝えた。佐久間のストレートな物言いに上杉は思わずうなだれ、話を聞いていたオズワルド・伊藤俊介も「これ、芸人だったら死ぬぞ!」とびっくりだ。

 佐久間は「例えば僕のYouTubeで最近ブレイクした福留光帆さんって方とか、そういう人とか、みんないびつなわけよ。いびつな人の企画はとっかかりがあるから思いつくんだけど、上杉は今、全体的にはすごいキレイな丸になってる分だけとっかかりがなくて、他の人との差がなくなってきちゃってるから、思いつかなくて、今までお声かけてないっていうのが2つ目」。

 さらに佐久間のダメ出しは続き、「最近の上杉は、何をやるにしても制作者と大人の正解を探してるから、ちょっと面白くなくなってきてる。それが俺がバラエティプロデューサーとして、何とか上杉の企画を考えたいが、今まだ思いついてない理由」と話すと、上杉は思わずカメラから目をそらし、涙を流した。

佐久間宣行、女子大生タレントに“ガチでダメ出し”をして泣かせてしまう 「芸人だったら死ぬぞ!」と驚きの声 - クランクイン! 

この土日はもう無理はしないと決めていたので、起きてからTVerで先週は石丸が出ていて見なかった『オールナイトフジコ』を見た。佐久間さんが出演者の女子大生へバラエティプロデューサーとして真面目に話していたことが彼女だけではなく、僕にも見ているいろんな人に響くものだった。
確かに「待っている」人には仕事は来ないよなあ、自分にも当てはまることだった。と思いつつも去年ぐらいから関わっているライター仕事は自分の手を離れていて、他の人たちの領域で進んでいてどうしようもないことばかりでどうしようもない。他の仕事を自分で取りにいくしかないこともわかっている。問題は今年に入ってから声をかけてもらった仕事は諸問題で始める前に進められなくなったものもあるので、今年はなんかタイミングとかが悪いのかなって思わなくもない。それでも動くならどうするか、と考えていた。


夕方まで中上健次著『異族』に続きを読んでいて、「完結篇」というところまで。あと200ページほど、終わり化が近づいてきた。体調もよいし少しは外に出ようと思って駅前のドラッグストアに行くついでにTSUTAYA書店で気になっていたデルモア・シュワルツ著/小澤身和子訳『夢のなかで責任がはじまる』を購入。この作家のことはまったく知らなかったのだけど、小澤さんが訳されているし、SNSでもわりと推している人たちが信頼できる人たちだった。
河出書房新社から刊行されている海外文学の装幀は好きなものが多いしカッコいいものもある。それに対して日本文学のものは僕には刺さらないものばかりなのが不思議だ。いわゆるエモさみたいなものやイラストがメインのものが多いというのもあるけど、その意味で一般的なものからズレてるのが僕の方だろうからもうどうしようもない。

夜はライティング作業の一環で校閲が入ったもののデータが送られてきたので最初から最後まで読んだ。自分のケアレスミスが多くて申し訳ない気持ちになるが、句読点の入れる場所とか単語や言い回しなどチェックされている部分が勉強になる。
ちゃんとした文章になっているし、読みやすい。同時に最初にあったその人独自の言い回しみたいなものはどうしても薄れていくので、その辺りの塩梅が難しいところだった。
この作業に関しては始まったのが今年からなので年内に形になるのでありがたい。去年からやっているものがいつになっても形にならず、原稿のことではない諸事情があるのもわかっているので急かしにくいというか、編集者からなんら連絡がないのでこちらとしては何にもできない。結局、刊行されないと原稿料とかも入らないし、仕事しましたとも言えないからこの辺りのジレンマみたいなものが地味にダメージくらい続ける形になってくる。
編集者からフリーランスの現状が理解されていないと思うのはこの部分で、ずっと塩漬けされ続けている間はこちらには一銭も入らないし、発売が伸びた分だけ原稿料とか執筆料をあげてくれるわけでもない。空白が伸びれば伸びる分だけこちらの生活は圧迫される。

 

7月22日
6時過ぎに起きてニュースサイトを見たらバイデン大統領が大統領選から撤退し、ハリス副大統領が事実上、後継指名されたと知る。黒人初でアジア系初の女性がアメリカ大統領になれば、いろんなものが変わるだろうという期待してしまう。
先日、死に損ないかけたトランプ元大統領と彼女は戦えるのか、その知名度や人気がわからないけど、バイデンのままでいくよりはいいんじゃないかな。日本の政権与党としては安倍元首相とも懇意にしていたトランプが勝ってくれた方がいいのだろうけど、そういうものが全部吹き飛べばいい。

可燃ごみを出しに行って、熱を計ったら36℃台なのでひとまず安心。うがいしたら喉の奥の方から嫌な色した痰が出てきたので治りかけの状態にはなってきたはず。
朝の読書もしないで横になっていたらもう少し眠れそうだったので一時間ほど寝てからリモートワークを開始。いつもの月曜日の作業をこなしていく。
お昼に外にご飯を買いに出たら確かに暑かったが湿気はあまりなくて、まだなんとかなりそうな気温だった。
今週発売の『AERA』のレギュラーコーナー「現代の肖像」で燃え殻さんが取り上げられているというのをSNSで見たので立ち読み。しっかりと取材されていると思える内容だった。知っている編集者Mさんと一緒にデビュー作の小説を作ったことは大きかったんだなと改めて思った。
燃え殻さんの執筆業をやる前のテレビ関係の会社での営業の仕方など結果が出る前でやり続けるのとかはご本人に会って話しているとあまりわからない、普段は見せていない粘り強さだったりして、本が売れない時代に新作を出し続けていける、読者が待っている作家になっている要因の一つではあるのだろうなと頭が下がる内容だった。
家に帰ってからしばらくして微妙に体が熱いかもと思って計ったら37℃を越えていた。ぶり返すと嫌だなって思ったので薬を飲んで横になって仮眠をちょっと取った。それだけでも熱は下がったし、体も違和感なかったのですぐに作業に戻る。

今日は空いている時間にライティング作業関連で止まっているものに関して、連絡して今どこまで進んでいるのか、誰が作業中なのかを確認した。それで何かが急に進むわけではないけど、どこにボールがあるのかがわかっているだけで心持ちが全然違う。

仕事が終わってから熱はなかったけど、少し背中とか右腕の付け根あたりが少しダルい気がしたのでご飯を食べて薬を飲んで横になった。家ではいつもBOSSブランドのクラフトボスブラックというペットボトルのコーヒーを飲んでいる。ずっと机とかの上に置いていて常温になっているのだけど、飲んだら水みたいに感じた。
あれ、味がしてないような? 
他の味がある飲み物を飲んでもどうも味がしていない。これはコロナの後遺症とかで出るというやつなのか、どうなんだろう。タバコを吸ってみたがいつもと違うタバコの匂いもほぼ感じないし、口の中も苦味みたいなものがない。これは味覚と嗅覚がダメになっているのを認めるしかない。やはりコロナに罹患してるんだろうな、と思ったので起きたら近所の内科に行って検査を受けることにした。

『83 Lightning Catapult』最新回が更新されたのでそれを聴きつつ、横になっていたらすぐに寝てしまった。

 

7月23日
深夜の3時に目が覚めた。トイレに行ったりうがいをしたり、熱を計ったりした。ペットボトルのコーヒーを飲んだけどやはり味がしない。
ちょうど放送が始まった『フワちゃんのオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら目を閉じて寝落ちするのを待っていた。上海に行っていたフワちゃんのトークはテンションが高いけど、耳障りにはならず普通に聴いていた。
住んでいるエリアにも最近は海外の旅行者らしき人が増えてきているけど、電車やバスに乗るにもお店で会計するにも海外みたいにクレジットカードやスマホ決済が当たり前ではないので、ちょこちょこトラブルは起きているんだろう。でも、海外に行くときはそのエリアのこと調べていきそうなものだし、現金オンリーみたいな場所があるみたいなことも考えてない人がそこそこいるのかもしれない。
スマホが普及する前なら地球の歩き方みたいなガイドブックを読んでからその国へ渡ったりしていたと思う。その時の方がみんなお金の支払い(昔なら小切手にしたり)とか国ごとで違うのが当たり前だったから前準備していた。スマホが普及するとそういう部分が端折られてしまって、スマホがあれば多少なんとかなるという考えが逆に現地でのトラブルを呼ぶこともあるんだろうな、とフワちゃんの上海滞在記を聞きながら思ったりしていた。

8時過ぎに起きたので、9時前には近所の内科クリニックに。週末に熱が出たこと、すでに熱はないけど昨日から味覚と嗅覚がないのでコロナの検査をしたいことを伝えた。
そんなに待たずに順番が来て、誰もいない部屋で待っていたら抗原検査のキットで鼻の奥に麺棒みたいな細長いものを両穴奥に突っ込まれて、その後20分ぐらい待っていたら最初に問診してくれた先生がやってきた。
陽性のラインが見えるか見えないかぐらいですごく薄く出ていて、ほとんど治りかけだからそこまで気にしなくてもいいという話だった。味覚や嗅覚の方も普通の風邪でもなることはあるし、一週間とか時間経てば戻ると思いますということだった。
コロナ陽性になったのは初めてだったが、症状的には軽症だし深刻ではないので助かった。昨日の夜の時点でたぶんコロナだろうなと思っていたので、今日の昼からだった『ナミビアの砂漠』試写も担当さんに連絡してキャンセルしてもらったし、水曜日の夜に飲みに行く予定だった人にも連絡してキャンセルしてもらった。木曜日の夕方から行く予定の上映会とトークイベントも行かない方が良さげ、場所がそこまで広くないので大事をとって。
今週は基本的にはリモートワークして、外出しないで人にできるだけ会わないようにするウイークになることが決定。

火曜日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:戸田真琴)、『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』、『あのと粗品の電電電話』が配信されるので軽いご飯を食べて横になって聴いた。
「アルピー放送室」は三回に一回ぐらいはアダルトビデオ関係の人がゲストになってきているような、トークイベントとかに出る人も多いだろうし、多くの人が興味ある話だから最後まで聴いてもらえるというのは大きいのかもしれない。戸田さんは書籍を一冊読んだことあるぐらいだけど、デビューがAV女優だったけど、そこから違うジャンルに飛び出していくバイタリティも感じるし聡明な人だと思うので執筆や映画監督としても活躍できそうだなって思ってたけど、前編後編と二回になるぐらい話が尽きないのはやっぱりすごいし魅力的だな。
「ランジャタイひとりぼっち」はPOISON GIRL BANDの阿部さんとの思い出話。やめて今はマグロ漁船に乗っているらしい。POISON GIRL BAND自体は王者になったりはしなかったけど、二人が話すように後輩たちや次世代には多くの影響を与えたコンビだった。芸人の口からそう言われると、腑に落ちるような気持ちになる。実際にPOISON GIRL BANDは「M-1グランプリ」とかで数回しか見たことがないので僕にはそこまで判断できないけど、ミュージシャンズミュージシャンみたいな存在だったんだろう。
「あの粗品」は一週休んで再開。粗品のライブにあののバンド「I`s」が対バンで出た後の収録みたいでバンドや音楽の話をしている。カプ推し的な売り方も「あのANN0」での二人の号泣でやるのもどうだろうね、みたいな距離感で話していて、そういう素直さみたいな部分も好感が持てる。


処方箋をもらいに調剤薬局に行ったついでに書店で大根仁監督によるNetflixドラマ『地面師たち』の新庄耕さんの原作小説を買った。寝る前に60ページほど読み進めたが、『ハゲタカ』同様に社会はエンターテイメント作品だった。これは確かにおもしろい。
先に解説の大根さんの文章を読んだが、テレビ局も映画会社も不動産部門を持っていたり、大手のスポンサーだったりするので企画を各プロデューサーに送っておもしろいと言ってもらえても映像化が、ということを書かれていた。こういう作品はステークホルダーになっていない配信系かNHKぐらいしかないということになる。
モテキ』ドラマ以降、大根作品はずっと伊賀大介さんが衣装を手がけているが、スタッフを調べたら今作も伊賀さんだった。盤石の体制で、ネトフリだからこそできる映像、予告編を見る限り、このドラマはかなりすごいものになりそうだ。

 

7月24日
熱はない、咳も出ていない。体調はいつも通りと言えなくもないほど普通だ。起きてからはradikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いていたら、リモートワークの時間になったので作業開始。
昨日よりはちょっとだけ味覚があるような気がするが、いつも通りでは全然ないのがアイスコーヒーを飲むとわかる。
「爆笑カーボーイ」で太田さんが都知事選に出馬したSF作家の安野貴博さんと番組で共演した際に、ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞してデビュー作となった『サーキット・スイッチャー』を事前に読んでいった話をしていた。安野さんの妻が文藝春秋の編集者という話は聞いたことがあったけど、彼女は太田さんの小説を読んでいてやりとりをしたエピソードを話していた。
太田さんは小説を読まれているし、自分がおもしろいと思った作品についてはラジオなどでかなり熱量をもって話されているので信用できる。音楽とかにしても若い世代が聴いているものもちゃんと聴いた上で好きか嫌いかみたいなことを言われている、その感覚がちゃんと年齢よりも時代にあったものに向いているのもすごい。

作業中は『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。「星野源ANN」でBIMの曲がかかって、すごく気になったのでSpotifyで見つけて何度か繰り返して聴いてみた。この曲すごくいい。

BIM - DNA feat. Kohjiya, PUNPEE 



「あのANN0」は収録回、来週もツアーファイナル近いということで収録みたい。仕方ない。ツアーが終わると通常通りなのだろうかと思わなくもないけど、たぶん予想では追加でデカいところ、武道館とかありえるんじゃないかなって想像している。
今回のツアーは初日の渋谷クワトロが取れなくて諦めたけど、最終日のZepp DiverCityは行けばよかったかもと後悔しているので、追加で初めての武道館ライブをあのちゃんにはやってほしい。

休憩中に外に出たら空がもくもくとした灰色に覆われていて、風も出てきたので暑さはあまりなくて歩くには気持ちいいぐらいになっていた。
中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相 』が出ていたので購入。

夕方ぐらいになってからアイスコーヒーを飲んだら苦味が戻ってきた。やった。匂いも感じるようになってきたので徐々に通常モードに回復しつつある。これで大丈夫だと言いたいけど、感染してから治りかけて後遺症が出たり、肺炎になる人もいるみたいなのでそこを何とか越えて通常モードになれるといいのだけど。今日まではライティング作業はしないことにして、明日から自分の作品の執筆モードに戻していく。
TVerで『水曜日のダウンタウン』をほぼリアルタイムで見ていたが、きしたかのの高野さんが後輩の芸人が楽屋泥棒をしてしまうのをモニターしている時に見てしまって、それが他の芸人たちにもバレてしまうというドッキリ、後輩芸人の裏の顔を見たら先輩芸人はどうするかというドッキリだったが、後輩との関係性もあり付き合いも長い高野は、彼が財布から金を抜いているときに「芸人として終わったな」と小さく口にして、その衝撃から吐きそうになってしまっていた。
最終的にモニターしている時に撮影している映像を楽屋でみんなが確認のために見るときに、抜いている場面が映し出される前に「自分で言え」と彼に言っていたり、バレた瞬間にはその頭をお笑いではなく本気で叩いて引導を渡していた。悲しみで泣いている高野を見ているだけで泣けてしまった。VTRを見ているバカリズムが「いい先輩だな」と言っていたが、本当にそうだと思った。

 

7月25日
6時過ぎに起きて可燃ごみを出して、熱を計るが36℃台で落ち着いているし、アイスコーヒーも味がしている。ちょっとだけ咳は出るがひどいほどではない。
寝転んだまま『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoのタイムフリーで聴いていたら寝てしまっていて、目が覚めたら8時過ぎていた。

9時に開店する代官山蔦屋書店まで散歩へ、そこで途中で寝た『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を最初から聴きながら、もちろんマスクをして。気温は30℃を越えるかどうかぐらいだったと思うけど、多少風があったので酷暑で外無理という状態ではなかった。
「佐久間ANN0」は前番組の乃木坂にゲストで出ていた写真集を出した子とパーソナリティーが冒頭にちょっとゲストみたいな感じで出演。たまにこれあるんだけど、一番いらないというかせっかく佐久間さん秋元康臭消しているのになあと思ったり、アイドルとのトークも盛り上げることもないので番組の外でやってほしいと思ってしまう。
小説の新刊コーナー見ても特に反応するものも出ておらず、帰りにサミットで惣菜を買って帰るだけで人とも話もしないで帰った。

本日からNetflixで配信が始まるドラマ『地面師たち』の原作小説の残りを読み終える。100億円の土地買収の詐欺の最後の方はちょっと端折ったような、気がしたけど、契約にこぎつけるまでのドラマが大事だし、その後の主人公の一人である拓海の実家が火事になった原因である父親が騙された医療ブローカーとハリソン山中の関係性の方にクライマックスは展開していくのでしょうがないと言えばしょうがない。

ドラマが配信始まるのを待っていたが昼過ぎにはまだ配信は始まっていなかったので、昨日買った中原一歩著『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相 』を読み始めた。
著者である中原一歩さんが事件の当事者である小山田さんにインタビューをしているだけでなく、事務所や学生時代の友人などかなりの人数を取材して、炎上した元になったかつての同級生へのイジメがどこまで本当のことで、どこから本当のことではないのかを丹念に洗っている。また、この問題は東京五輪の音楽を手伝ったことで表面化して大きな問題となったが、その前にもこの件に関して表沙汰にしてちゃんと釈明をする機会はあったこと、だが、それがなされてなかったことなど時系列でもわかるようになっている。ミステリー小説を読んだようなバラバラのピースが噛み合っていき、一つの図形や絵になっていくのを見るような快感すらあった。
問題としては小山田さんの過去のイジメ発言の炎上において、それを取り上げたら様々なメディアは当事者たちにすらちゃんと取材をして裏どりすらしていなかったことも明らかになってくる。メディアと言っても大小それぞれあるけれど、ネットのとばし記事ならまだわかるとしても大手の出版社やテレビ局などの媒体ですら小山田圭吾のかつての雑誌での発言の裏どりをしておらず、誌面に書かれた言葉を真実として取り上げて断罪している。
今回の書籍では小山田がなぜ当時そのような発言をしたのかという背景や時代や雑誌社や編集者との関係性、フリッパーズギター解散後の彼の心情などから、当時の関係者に何が本当は起きていたのかちゃんと確認をして事実が明らかにしている。
メディアの問題は大きい、取材して裏どりしていないことを報道して炎上にさらに薪をくべてしまった。そして、その後間違いなどに関しても謝罪も検証もしてない。
ロッキング・オンの当時の小山田へインタビューをしている編集者だった山﨑洋一郎(現・代表取締役社長)は著者からの何度にも渡る取材依頼を断っていて不誠実さしか感じられない。小山田のイジメ発言は調べてみるといくつかの時系列がごちゃごちゃになっており、さらに言っていないことも言ったことになっている。だとすれば当然ながらその文責は彼にある。その意味でも山崎は取材で答えるべきだし、その上で実際に言っていないことを言ったこととして誌面に載せたならば、そのことに対して謝罪なり名誉の回復に努めないとならないが、そのことをまったくしていない。
山﨑洋一郎に影響を受けている人は知り合いにもいたりするが、僕はまったく受けていないので、これを読む限りでは信用できる人ではないと思ってしまった。

本当は夕方から早稲田に行って古川さんの小説を元にした短編アニメーション『とても短い』上映会に行くつもりだったけど、今日でおそらくコロナ発症から一週間で行われる場所も大きいとは言えない劇場なのもあって、行くのを諦めた。
来週有楽町よみうりホールで開催される『夏の文学教室』には時間的には10日以上経っているので行けそうなので、今日は我慢する。

配信ドラマ『地面師たち』は17時ぐらいから公開されたのでとりあえず二話まで視聴。原作小説とは違う要素はいくつかある。刑事の辰(リリー・フランキー)は定年間近で一人で行動していたが、ドラマでは29歳の女性刑事の倉持(池田エライザ)が相棒というか勉強のため一緒に行動をしている。ハッカーというかITやキュリティ関連をパソコンで意のままに操作できるニンベン師の長井(染谷将太)も小説のキャラクターよりはかなり違うキャラクターになっている。
ドラマにする際に起きる変更点はどうしても出てくるし、何を描くのか、それをするために必要な要素は膨らませて、話やエピソード的に切らないと無理がある部分はカットしたりキャラクターの設定などを変える必要がある。それをどこまでうまくできるかでドラマの出来がだいぶ変わってくるし、原作があれば原作との違いが明確になってしまう。
うまく脚色するためにこの物語が何を描いているのか、テーマが監督がはっきりしていればいい。二話までだと違和感はあまりないし、長井と主人公の辻本拓海(綾野剛)の出会いなんかは小説のいいエピソードを描いていると蛇足になってしまうのだろうと思った。あと拓海は仕事が終わると山などに一人で登るという場面が小説にはあったが、ドラマにはない。代わりにハリソン山中(豊川悦司)のハンティングに一緒について行ったりすることで、そちらのエピソードをハンティングに寄せて消化しているように感じた。そちらの方が動物を殺す殺さない、命を奪うかというドラマのテーマに通じる面がわかりやすく映像にできるからだろう。

中上健次著『異族』を読了したので、やっとガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』へ。昔何度か挑戦して最後まで読み終えたことがなかったんだけど、今回驚くぐらい読みやすい。死んだはずの男が普通に現れたり、同じ名前の登場人物が何人出てこようが話はおもしろいし、すごく読みやすい。昔とは確実に何か違う。
文庫版は翻訳自体が変わっているわけではないので、明らかに自分が小説を読む力がついたんだと思う。前に読んでいたのが『異族』だったから、読みにくいというのを経ていることもあるだろうけど、何年か前に読んでいた時よりも多くの小説を読み、批評とかエッセイとかも読んできたから、読者としてのレベルが知らないうちに上がった。そうやって読めるようになる小説は確実に存在していて、たくさん読んでいく中で、どうしても読めないものや読み進められなかった作品がある時期に再挑戦すると驚くほど読めるということが今まで何度かあったが、今回もその驚きに近いものを感じた。
最初の120ページぐらいを一気に読めてしまった。正直めちゃくちゃおもしろい。

BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年8月号が公開されました。8月は『赤羽骨子のボディガード』『ブルーピリオド』『フォールガイ』『ラストマイル』を取り上げました。

 

7月26日
一度、目が覚めたものの、8時過ぎまで寝ようと思ってすぐに目を閉じた。しっかり眠れた。体はもういつも通りと言えるほどに回復している。たまに出る咳も痰が絡んでいないし、肺が痛いということもないのでひどくはなりそうにない。
今日の夜はLIQUIDROOMアニバーサリーの一環として毎年この時期に行われているライブがあった。たぶん2011年ぐらいから毎年このアニバーサリーライブに出ているZAZENBOYSのライブに恒例行事のように来ているのだけど、今日のチケットも取っていた。しかし、熱が出たのが先週の金曜日だし、コロナが発症してから七日から十日は人にうつす可能性があるので、あまり人が多い場所には行かないほうがいいらしい。
LIQUIDROOMに行って二時間ほどのライブを楽しんで帰るというのは思いの外、体力がいる。そして、ソールドアウトしているのでフロアはパンパンだろうから咳が出たりすると感染力は弱まっているとはいえ、やっぱり罪悪感みたいなものが出てしまいそう。だから、夜はライブ行かないことに午前中には決めていた。
来週は舞台も観に行く予定もあるし、それまでに体調が悪化したり、後遺症が出るような行動はしないに限る。今後のために今週は大人しくして我慢する。そう言い聞かせる。

リモートワークを開始。この仕事の形態になってから数年経つが、コロナや体調悪い時には本当に助かるし、他に人がいないから移してしまう危険もないし気兼ねなく作業も進められる。

昼休憩で外に出たのでタイトルと装丁デザインを講談社のサイトで見ていて気になった東辻賢治郎著『地図とその分身たち』を昼休憩の時に駅前のTSUTAYA書店で購入。東辻さんが訳されているレベッカ・ソルニット著『ウォークス』からの流れということもあるけれど。
この書籍もエッセイなのだけど、最近エッセイが以前よりも増えているような気がする。いいエッセイの書籍がたくさん出ているということなのだろうし、こういう大手の出版社ではなく個人出版の人たちが作っている書籍もエッセイが多いから、質も良くなり量も増えているのかもしれない。
いわゆる独立書店、セレクト系の書店では個人出版している人たちの書籍も取り扱っているし、その勢いが知り合いの人たちの文フリなどの参加を見ても感じるのだけど、小説を書く人はあまりいなくてやっぱりエッセイの方に比重が向けられていると感じる。
大きな物語がなくなって、誰かの物語ではなく「私」個人の物語にみんな興味が移っていき、そちらの方がリアリティが持てることと個人的な出来事や日常を描くエッセイと独立書店が増えていることはリンクしているんだろう。あと小説を書いたら、編集者のチェックと確認、さらに校閲者による校閲がないと商品のレベルにまで磨かれないということがあるのだろう。自分で小説を書いてチェックして校閲ができる人はいないだろうし、誰かに頼むにしてもそれはやはり素人がどうこうできるものではないから、自費出版でもどうしてもハードルが上がってしまう。そのことは関係しているように思える。

先週の木曜日(7月18日)に20キロを歩き通せる肉体に戻し、今週の水曜日(7月24日)には最高気温が36度ほどに達するなかでもノンストップで10キロ歩けるように仕上がっていることを確かめた。最近の急冷グッズの進化は凄い。もちろんそうしたグッズに私は助けられるのだけれども、恐いのはゲリラ豪雨だ。私は、あと少しで、計画しつづけた行動に入る予定で、しかし体力だけではクリアできない。雷雨が訪れたら逃げ場のない場所を、私は歩きつづけるだろう。やや恐い。だけれども〈死〉に近い領域に臨む必要があるから、私はそれをやるだろう。

古川日出男の現在地』歩いている、見ている、感じている 2024.07.13 – 2024.07.26 東京・埼玉

仕事が終わってから古川さんのブログがアップされていたので読む。長距離を歩ける体づくりをされているということは、『ゼロエフ』のようにまた長い距離を歩いて取材をされるのだろう。
「あと少しで」とあるが、この酷暑に歩き続けるのは危険だから、9月とかもう少し先だといいんだけどなあと思ったりはするけど、古川さんは決めているスケジュールのために行動をしているので、実際に歩くことが始まる時には少しでも暑さが和らぐ時が続いてほしいなと思う。

毎週金曜日夜のルーティン的になってきたSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴く。
下ネタとか多い番組だが、前にも出てきた女性用セルフプレジャーアイテムのirohaの話をしていた。リスナーの女性たちも持っていて使っているというメールを送ってきたりしていて、スポンサーとかについてくれたりする可能性もゼロじゃない気がする。二人のキャラクターとか人柄がわりとオープンだからこそ、そういうのが言いやすい雰囲気ということもあるんだろうな。

来年2月に東京ドームで開催されるCreepy Nutsのライブのチケットの先行申し込みをしていたものが、僕も一緒に行く予定の友達も取れていた。支払いはお願いして今度チケ代を払うことにしたが、行けるのは決まった。
僕にとって人生初めての東京ドームだ。たぶん、最初で最後になると思う。築地跡地に新しいドームを作るという話も出ているので、おそらくそちらに新しいドームができるだろうから今の東京ドームはこの先何十年もあるというわけではない。
でも、来年2月に予定があるからそれまでは生きれる、というか楽しみがあるからなんとかやっていけそうだなって思う。Creepy Nutsのライブに関しては『のびしろ』と菅田将暉と一緒にやった『サントラ』を聴きたい。

 

7月27日
寝る前にスマホを見ていたら、昨日発売の朝日新聞に古川さんの文芸時評が掲載されていたことを知った。朝日新聞デジタルに有料加入していたらいつでも読めるのだろうけど、入っていないし、毎月最終金曜日にこの時評目当てで買っていたけど忘れてしまっていた。
今までに一度だけ買い忘れて、第二回目か第三回目だけない。今回もそうなっちゃうかと思ったのだけど、朝日新聞を取り扱っている販売店に行けば前日のものなら残っていそうだなと思って家の近所の販売店だけを調べて眠った。
起きてから朝のルーティンをしてから9時前に家を出た。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩いていたが、放送していた深夜にはパリ五輪の開会式があったらしく、生放送でそれが見えない三四郎にラジオをリアタイしながら映像で開会式を見ているリスナーからのメールで近況が伝えられる形になっていた。
TVerでテレビは見れるが、こういう大きなスポーツイベントなどは配信していなかったりする。スポンサーだったり放送権の問題なのだろう、東京五輪は反対だったし見るつもりなかったから開会式も閉会式もどの競技に関しても見ていない。ニュースで時折流れてくるものを見たぐらいだが、なんの感慨も感想もない。今回のパリ五輪も興味はなかったし、見る環境もないので普通に寝ていた。
三四郎の二人は映画『TAXI』や『レオン』などのネタを話しながら開会式でありそうなことを話していたりして、毎回思うのだけど二人はそれなりの十代二十代ぐらいに観た作品を観ているし、いい意味でミーハーというか話題作も観ているからこそ、こういう時にネタにしても多くの人が知っていたりなんとかわかるワードを出せるというのは大きいなって思う。


20分もしないぐらいで販売所に着いたが、最初誰もいなくてどうしたものかなと思って待っていたら配達から帰ってきたスタッフの人が現れたので、前日の朝日新聞をくださいと言って一部売ってもらった。次回以降ももし買い忘れても翌日にここにくればなんとかゲットできることはわかった。
家に帰るとかなりTシャツが汗ばんでいた。往復で40分も歩いていないしまだ午前中だというのにここまで汗だくになるとお昼以降にどこかに出かけたいという気持ちにはならない。


昨日の文芸時評を読んでみた。最後に取り上げられたのが古川さんも選考委員である「群像新人文学賞」を受賞した豊永浩平著『月ぬ走いや、馬ぬ走い』だった。発売した時期に買っていたがまだ読んでいなかった小説だったが、このタイミングで読めという事だろうなと思って、夕方までに読むことにした。
十四章ある構成だが、それぞれの語り部は年齢も性別も時代も違う、だがそれらが重なり合って地層のように沖縄の歴史が膨らみ始めていく。いわゆる多数の語り部による、多数のヴォイスの物語であり、古川さんが現代語訳した『平家物語』にも近しいものを感じた。
平家物語』は琵琶法師たちが弾き語って、語り継いでいったものだが、それぞれの琵琶法師たちは自分なりの源平合戦での逸話や挿話を組み込んでいった。琵琶法師たちは聞き手たち、オーディエンスが求めるものや彼らを惹きつけるようにベーシックなものにそれぞれの味を足していき、語り継いだものたちもさらにそれに自分のヴォイスを重ねていった。最終的にそれが定本として一冊に綴じられることになるが、その時点で複数のヴォイスが入り込んでいた。古川さんは現代語する際にそのことを強く感じたと言われていたし、実際に読んでみるとこの物語には単一ではない、複数の何十、何百人という声があることがわかる。
『月ぬ走いや、馬ぬ走い』にはそういうものと近い複数の声から沖縄を描いている小説であり、著者の声ではなく彼らにある種憑依されるように書かれたようにも感じられる質の小説だと感じられる。
文學界』『新潮』『すばる』『文藝』とほかの文芸誌の新人賞受賞作に近いものがないわけではないけど、読んでいくとすごく『群像』ぽさが漂っていた。なんなんだろうな、この感覚。村上龍に通じるものがある(戦争を描いていること、生と死、そこには理不尽な暴力があり、性的な欲求が朽ちていく肉体の近くに充満している。そういう部分が村上龍の初期の作品に近いと思う部分ではある)が、『群像』から世に出た作家たちの物語にこの作家には呼応するものがあるということなのかもしれないし、時代ごとの編集長でカラーは変わるけれど、何十年と続く媒体に宿るものがその感覚を呼び起こしている気もする。
老舗の店がずっと継ぎ足して使い続けている秘伝のタレみたいに、元々は同じような作り方だったものが、時代を越えて異なる環境の中で他とは違う味わいになる。継ぎ足すことをやめた瞬間それは終わる。文芸誌も休刊や廃刊したらそうなる。出版社の始まりにその文芸誌があるなら、意地でも止められない、やめた瞬間に会社のアイデンティティと歴史がなくなる。

隅田川花火大会2024】伊集院光&佐久間宣行「勝手にテレ東批評」裏生配信! 


今年も隅田川花火大会をテレビではテレ東で放送しているが、去年に引き続き僕はYouTubeでの裏配信をリアルタイムで見ていた。
去年は佐久間さんとアルコ&ピースの酒井さんだったが、酒井さんは事務所の先輩の有吉さんとお酒の CMに出ていることもあり、テレ東の隅田川花火大会はアサヒビールがスポンサーなのでその関係で出れないと佐久間さんがラジオで話をしていた。で、今年は『勝手にテレ東批評』に出ている伊集院さんと佐久間さんとテレ東のアナウンサーの池谷さんという組み合わせ。テレ東の本番の方に出ているオードリーの春日さんも途中でゲスト的に出演したり、アットホームな番組で見ていて楽しかった。
僕自身は花火大会というものにほとんど行ったことがなくて、08年か09年ぐらいに『文化系トークラジオLife』関連で隅田川だと思うけど花火大会に行ったような記憶がなんとなくある。たぶん、行ったはず。
それ以外だと2019年の豊洲で開催された「STAR ISLAND」ぐらいだった。誘ってくれたのは亡くなった友達だったけど、なんで行くことになったのか覚えていない。多分、僕がこういう場所には自分からは行かないので、お誘いしてくれたのなら行こうと思ったんだと思うけど、ちょっとバブリーな雰囲気で新鮮だったのを覚えてる。彼女とは豊洲のチームラボプラネットTOKYOにも行ったりと、なんか豊洲隅田川方面という東京湾に近いところでの思い出がある。

【MV】Creepy Nuts - のびしろ(NOBISHIRO) 

 

7月28日
寝る前まで見ていたNetflixドラマ『地面師たち』は最終話の七話に入ったところで停止していたので、起きてから続きを。原作小説を読んでいたし、実際に起きた事件を元に作られているので最後にどうなるかというのはある程度わかっているわけだが、それでもスリリングな場面は見入ってしまう緊張感があった。
映像化して一番違うのはやはり定年間近の刑事である辰の役割だろう。小説ではかつて逮捕はしたものの、証拠不十分で釈放することになった地面師のリーダーであるハリソン山中が事件に関わっていると刑事の勘から独自に動き出していき、拓海の家族の事件なども調べていくことで事件を解明していく手がかりを得ていった。
ドラマ版では辰の部下というか二課に新しく配属されて彼のもとで仕事を覚えていく倉持の役割が大きなものになっていた。辰は作中でハリソンが語る『ダイハード』の逸話になぞられるような展開が起きてしまい、倉持がその意志を引き継ぐ形になっていく。ドラマを見ながら思ったのは大根監督が映像化する際に浮かんだキャスティング、そしてドラマとしての全体像的にこの作品にはほぼほぼ女性がメインどころにいないことを補完する意味でも倉持というキャラクターを作ったんじゃないかなということ。
小説の辰の役割をドラマでは辰と倉持に分けている、性別も違うし年齢も離れている。リリーさんはもちろん役者としても絵になっていたが、池田エライザが倉持という役割をすることで、拓海やハリソンと対峙する時にはより映像的にばえていい画面になっていた。そういうことまで自分で映像化する時には考えられていたんじゃないかな。
小説は続編が新刊コーナーに並べられていたし、正直続編が作れる終わり方をしているので、日本だけでなく世界的に視聴数が増えてヒットすれば続編もまた作られる可能性がある。芸人のアントニーが思いのほかいい役所でちょい役ではなく、最後の方までしっかり出ていていい味を出していた。

ドラマを最後まで見終わってから、読み終わった本を近くのBOOKOFFに持って行って売ってから、昼ごはんを買って洗濯など家事を済ます。先週末に熱が出て火曜日にコロナ陽性判定が出たが、人にうつす可能性もほとんどなくなっているが、今日までは予定を入れずに人に会う約束もキャンセルしていた。時折咳が出ることがあるが、それ以外は健康そのもののと言える状態にまで戻ってきた。
家でradikoのタイムフリーで『オードリーのオールナイトニッポン』『ヤーレンズオールナイトニッポン0』を流しながら、『百年の孤独』の続きを夕方まで読んだ。

セブンイレブンにアイスコーヒーを買いに行って戻ってから、また『百年の孤独』に戻ろうと思ったが、先日中上健次の『異族』も読み終わったし、買っているが読めていない他の作品もこの機会に読み始めようと思って、彼のwikiを見ながら発表順にするか、「路地」シリーズに関係あるものがいいか考えていた。
『岬』『枯木灘』に続く三部作の最後になる『地の果て 至上の時』をこの夏で読むことにした。買ったままでずっと読めていなかったから、このタイミングなら読めると思った。

夜は自分のライティング作業を一週間ぶりに再開。章の構成を変えて、それぞれの章ごとに登場するキャラクターの配置なども整理した。前よりも全体像がわかりやすくなった気がする。

Zazen Boys - チャイコフスキーでよろしく Live at 日比谷野音 5.26 2024 


ZAZEN BOYSの武道館ライブまで三ヶ月を切った。無事に開催されること、それをちゃんとこの目で見て、耳で聴いて、全身で揺れたらいい。

 

7月29日
有給を使っていたのでお休み。6時台に一度起きて可燃ごみを出してから8時過ぎまでもう少し寝る。起きてからちょっとして近所の整骨院に行って体をほぐしてもらう。
先々週の金曜日以降にコロナ陽性になってしまったこともあり、あまり外に出ないで家にいる時間が多くて、散歩に行ったりと体を動かす時間が少なかったので硬い体がいつも以上に硬くなっていた。先生にほぐしてもらいながら、暑いけど体を動かさないといけないなあと思うものの、この暑さはやっぱり外に出るのは危険すぎるのでジレンマ。

昼過ぎまでライティング作業をしてから渋谷へ。暑いけど多少風が吹いていたので助かった。絶対に歩けないというほどではないが、タオルも持参して汗をかいたらできるだけ早く拭いて、Tシャツがびしょびしょにならないようには気をつけた。
半蔵門線永田町駅有楽町線に乗り換えて有楽町駅で降りて、駅前のビッグカメラへ。七階にある読売ホールへ。今年一発目のライブはここでの向井秀徳アコースティック&エレクトリックを観ていた。


「夏の文学教室」に古川日出男さんが講義で出演するというのでこの初日だけ、チケットを取っていた。前にもこの文学教室には来た記憶があったが、開始前にスタッフの人も言っていたがコロナパンデミック期間中は開催されていなくて、2019年から5年ぶりの開催ということらしかった。
お客さんは基本的には初期高齢者ぐらいに見える世代の人が多かった。高校生や大学生ぐらいの若い人たちも来てはいたけど、老人が多いというのは見渡す限りの印象ではそうだった。おそらく僕ぐらいの四十代や三十代の平日のこの時間には働いている人たちがどうしても少ないのは仕方ないというか、当然だろう。

第59回 夏の文学教室〈異文化を問いなおす-、ことばの冒険、ちがいの発見〉

一時間目は『A・ウェイリー源氏物語』を現代語訳している森山恵さんの講義「英語訳『源氏物語』を翻訳して」から。この現代語版訳を読んでいないけど、グスタフ・クリムトの絵を使っている装丁は豪華絢爛な感じで印象的だなと思っていた。森山さんがA・ウェイリーがどういう人なのかを丁寧に話されていたので、僕のようにまったく知らなかった人もなぜ彼が日本の『源氏物語』を英訳することになったのかもわかる話だった。森山さんは話し方はゆっくりで余裕があって、落ち着いている雰囲気でどこか華やかな感じのする人だった。
二時間目は島田雅彦さんによる「転生を促す装置としての小説 安部公房生誕100年に寄せ」の講義。なんというか島田さんが話しているのを直で見たのは初めてだったけど、非常にフラットというか人の関心を集めるのがうまい話し方だし、若い頃にデビューして文壇にいた貴公子らしさ、色気のある人の振る舞いなんだろうなって感じるものがあった。安部公房とも対談して、その後に一緒にお寿司を食べに行ったというエピソードから入ったがまずそれが強すぎる。で、この人は中上健次とかと文壇バーで飲んでケンカとかしているようなかつての若者なので、その手のエピソードの強度が高いし、こういうところに来るような文学好きな初期高齢者的な人たちからすれば羨望の的なのだろう。
安部公房の話やエピソードはおもしろかったけど、(異世界)転生の話が終盤になってしまったのでそこの話をもう少し聞きたかったかな。


三時間目は古川日出男さんによる講義「劇的なるものと三島由紀夫」だった。三島由紀夫が最初に手にした文芸作品はオスカー・ワイルドによる戯曲『サロメ』であり、三島自身が最後に市谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺して最後に介錯されたということから、三島由紀夫という作家の最後と最初にあった「生首」の話と「劇的」なものについて古川さんらしいアプローチだった。
戯曲『サロメ』終盤の古川さんによるセリフ読みも圧巻だった。古川さんの朗読を聴いたり、見たことがない人たちが多いと思うけど、あのパフォーマンス見ちゃうとビビったろうな、やっぱり役者が違いすぎる。なぜ三島由紀夫が『サロメ』に影響を受けたのか、自身の手でその舞台を演出したのかという講義での話に圧倒的な説得力をもたらしていた。
『新潮』2018年10月号に掲載された古川日出男戯曲『ローマ帝国三島由紀夫』は発表時に読んでいたし、岸田國士戯曲賞最終候補にもなった作品だったが、単行本化はされておらず、おそらく受賞していれば新潮社から刊行されたのではないかと思うのだけど、『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞している古川さんはこの戯曲だけでなく、『金閣』というトリュビュート作品も書いているし、三島由紀夫に関する作品も多い。
今回の講義で僕自身は作品で触れていたものが、もう少し立体的に見えてきたし、三島の介錯された後の「生首」と『サロメ』における最後のシーンでの預言者ヨナカーンの「生首」が重なることで、劇作家としての三島由紀夫像が輪郭を僕の中にも強く結ばれた。


三時間目が終わって千枝さんと話をしていたら、『おおきな森』刊行後に古川さんにお話を聞かれていた法政大学の波戸岡景太教授と息子さんがいらして、四人でもろもろ終わった古川さんに挨拶をしにいってちょっと立ち話を。
今日は三島由紀夫についての講義だったこともあり、ちょっと前に刊行された『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』に「二島由紀夫」というキャラクターが出てくるので書籍を持ってきてサインをしてもらおうと思っていた。「nishima」と入れてくれているのも古川さんのにくいサービス精神でありがたい。
そういえば、三島由紀夫のことについて、大江健三郎著『新しい人よ眼ざめよ』に三島の生首についての話があると講義で言われている時に、三島由紀夫大江健三郎も五文字で、古川日出男も五文字という共通点があって、三島と健三郎に「三」が共通しているが、古川日出男という文字を縦ではなく横にして見たら「川」が「三」になるから、自分の名前にも二人同様に「三」という文字が入っているという話もされていた。そういう言葉遊びみたいなものって、けっこう他人から見たらどうでもいいように思えることでも、本人にはかなり大事なことだったり、いい意識というか繋がりを感じるものなんだと思う。そういう話も聞けてよかった。


1日(木曜日)にTOHOシネマズ日比谷で観に行こうと話していた友人が仕事が忙しくてスケジュール的に難しくなってしまったので、帰りにTOHOシネマズ渋谷にてショーン・レヴィ監督『デッドプールウルヴァリン』を鑑賞。
「さよなら20世紀フォックス」みたいな話になっていた。第四の壁を越えてくる存在であるデッドプールが「マルチバースなんか失敗だった!」と露悪的に言うシーンとかは正直笑ってしまった。それでも、デッドプールにとってたった九人の友達を救いたい、それだけが俺の世界なんだ。だから、ウルヴァリンに救い方を教えてくれというところは非常に熱かったし素晴らしい場面だった。
コロナパンデミックやハリウッドのストライキがあり、さらにフェーズ5のヴィラン役の逮捕や降板があったり、スーパーヒーローものの乱立と映画だけではなくドラマシリーズなど多作してしまったことによって飽きられてきたり、などなどMCUは栄光の時代が終わり、少しずつ斜陽に向かっている感じがあった。
今回のデッドプールMCUの参加、かつて20世紀フォックスで作られていた『X-MEN』シリーズの人気ヒーローだったウルヴァリンが彼とバディを組むというサプライズ、この新基軸はMCUシリーズが置かれている状況を打破する一作のように思えるのだが、実際のところこの作品はフェーズのどこかに属しているわけでもなく、来年二月に公開する『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』に繋がっているわけでもない。今年はMCU関連の劇場公開作はこの一作なので中継ぎのようだが、中継ぎ的な物語にはなっていない。
デッドプールが「マルチバースは失敗だった!」というように、多くの人が離れるきっかけにもなってしまっているマルチバースという概念、そこに文句を言えてしまう存在。ある意味でガス抜き的な効果はあると思う。物語としてはマルチバースをうまく使うことで展開している話なので、所々それって辻褄合ってるんだっけ?と思うところもある。
実際にマルチバースをやってしまうと、あらゆる可能性における自分(デッドプール)が登場するのは予想されることであり、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』で観たようなシーンも出てくることになる。また、「20世紀フォックス」時代の『X-MEN』に関係するヒーローたち(出演者たち)も登場するので、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』的なサプライズもある。過去作を観てきた人には充分楽しめる一作だろうし、僕はその辺の作品をまったく観ていないので、知ってる人はニコニコしてるんだろうなってぐらいの気持ちで観ていた。
不死身なデッドプールウルヴァリンのアクションは最初は見どころがあったが、慣れちゃうと「どうせ死なないしなあ」という気持ちがアクションシーンへの関心を薄れさせてしまう。その辺がもったいなかったと思った。でも、マルチバースへの言及も含めて、MCUを延命させたわけではないけど、マーベルへの興味を観客に持続させることはできた作品になったと思う。


家に帰ってきたら『三四郎オールナイトニッポン』公式ファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」オリジナル会員証カードが届いていた。「バチボコプレミアムライブ in 日本武道館」が今年下半期一番のお楽しみ。

この日記を書きながら、Spotifyポッドキャスト『83 Lightning Catapult』最新回を聴いた。リスナーからのメールが「夫の拍手がデカすぎる」という悩みだったのだけど、確かに舞台とか観に行った時に異様にデカい音で拍手してる人いる! 
リスナーの旦那さんはそこで一番デカい音を出したいという自己顕示欲がある人だったが、そういう場所で無意識でバカデカい音だったら気づくはずだろうから、基本的には拍手がデカい奴は自己顕示欲強めのやつってことでいい気がする。
いい音は出したいけど、デカい音出したいとは思わないから、そういう人って傍目から見たら普通なんだけど、どっかズレているというかこだわりが変な方向に向かってるんだろうな。

 

7月30日
普段はリモートワークしていない火曜日だけど、昨日お休みにしてもらったので今日は出勤というか朝からリモートワークを開始。
昨日、川島さんと有吉さんのラジオも聴いちゃっていたので、作業用に流すもので聴くものがない。Spotifyで音源を流していたりしていたが、途中でYouTubeフジロック24に出演していたSyrup16gの動画があったのでそれを大きめの音にして聴いた。
五十嵐さんちょっとふっくらした感じ、ベースのキタダマキさんがいぶし銀みたいな渋さが増していた。ドラムの中畑さんは若く感じるけど、メンバー全員50歳越えてると思うとなんだか不思議な気持ちになる。
ロックを続けていくこと、聴き続けること、僕が20代から聴いているわけで、三人が50代に入っているのも当然なんだけど、精神と肉体の乖離は30代後半ぐらいから始まった気がする。どこかで若いと思っているけど、もう中年だしおっさんでしかない、そのギャップや「35歳問題」のように未来がどんどんなくなっていき、ありえたかもしれない可能性について考えてしまう。だからこそ、マルチバースは人ごとではないということもある。

作業自体多くないので、いつ通りに作業をして仕事を終えてから、Spotifyで火曜日配信の『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:戸田真琴)、『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』、『あのと粗品の電電電話』を聴く。
戸田さんゲスト回は後編で、前回の続きだった。彼女が書いた文章は読んだことがあるので、映画とかどんな映像を撮っているのか気になる内容だった。でも、声の質なのか笑い方なのか、エロい話をしていてもそこまでエロさが際立たない、なんか丸みを帯びているように感じられた。それがいいのか悪いのかはわからないけど。
「ランジャタイ」はいつも通りで集中していないとなんの話をしているかわからない、でもラジオぽさはあるし、もう一回聞き返したくなるタイプのトーク
「あの粗品」は対バンした後の話の続きでもあるが、ネットニュースに対して言っていないことを書かれたりすること、ヤフコメを持ってきてニュースソースに使っていることなんかに対して怒っていた。確かにネット記事は新TwitterことXとかSNSYouTubeなどの発言を持ってきて作っているものが多いし、クリックさせるために内容とは真逆だったり、本人が言っていないことをタイトルに持ってきていたりする。それも炎上しそうな方がクリック数が増えるから、余計に事実ではないことを大きな文字にする。クリックしない人や実際の元になったSNSやラジオでもYouTubeでもいいけど、読んだり見たりしないから嘘の見出しが事実のように受け取ってかくにんしない人も多い。そのためデマだけが広がっていく、そのなんの苦労もなく嘘をついているだけになっているネット記事が儲けるという最悪なことが起きているのも事実。
当事者であるあのちゃんや粗品が文句を言うのは当然だろう。そんなものを信じてる奴はロクでもないし、簡単に嘘に騙されてしまう自分ということを意識した方がいいし、知り合いなら指摘してあげるしかない、それで聞かなかったら縁を切るしかない。そんなものを信じる人と関わってもロクなことにはならないから。

 

7月31日
今日も有給を使っていたのでのんびり7時過ぎに起きた。朝のルーティンしながらradikoで『アルコ&ピースD.C.GAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いた後に、燃え殻さんの『BEFORE DAWN』(ゲスト:「けもの」の青羊)を。来月、燃え殻さんの『それはただの夏』が文庫版になるのだが、その小説のインスパイア元が青羊さんの『ただの夏』だったこともあって、ゲストという流れだった。

BEFORE DAWN | J-WAVE | 2024/07/30/火 26:00-27:00 

燃え殻さんにインタビューしたのが2020年で、その頃はまだ『それはただの夏』は『yomyom』で連載中だった。インタビューには掲載していないが、この小説についても聞かせてもらった。その後、単行本が2021年に出た際には献本してもらったりしていた。その小説がもう文庫になるというと月日経つの「はやっ」と思うし、ニコラで開催した燃え殻さんと青羊さんも一緒に出たイベント以来ということだったので、コロナパンデミックになってから会っていなかったみたい。『それはただの夏』にインスパイアされた青羊さんの新曲も初オンエアされていたし、二人だからこその会話の流れだしテンポで耳に優しい放送だった。

昼前に家を出て『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら、渋谷へ。副都心線池袋駅で降りてそのまま地下通路で東京芸術劇場の地下一階に。置いてあるイスがほぼ埋まっていた。おそらく今日の当日券を求めてやってきた人たちなのだろう、平日の14時からの舞台なので当然ながら年齢層が高くなるのは仕方ないが、毎年観ている者としては明らかに客層の雰囲気が違った。
僕も以前の公演の時に当日券を取ろうとして五時間ほど並んだことがあったが、今回は先着順ではなく、抽選券を渡されて当たった人のみが当日券を変えるというシステムになっていた。そのため、当日券を取ろうとする人の人数が増えているという面もあったのかもしれない。

NODA・MAP 第27回公演『正三角関係』を東京芸術劇場プレイハウスにて鑑賞。 
2007年の妻夫木聡広末涼子主演だった第13回公演『キル』をNODA・MAP (野田地図)では初めて鑑賞して、間が空いて2015年の第19回公演『エッグ』、2016年の第20回公演『逆鱗』、2017年の第21回公演『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』、2019年の第23回公演『『Q』:A Night At The Kabuki』、2021年の番外公演『THE BEE』、2023年の第26回公演『兎、波を走る』と今回で八回目となる舞台。

今回の舞台の発表とともに主演が嵐の松本潤だとわかった瞬間に「これは終わった」と思った。嵐ファンが死に物狂いになるのは目に見えているのでチケット争奪戦になるだろうと。野田地図はメール登録で無料会員になれて、毎回の舞台開始前に会員先行があり大抵それで取れる。というか今までチケットが外れたことがなかった。『フェイクスピア』は取れたけど、チケットの支払いを忘れてミスって観れなかった。
何年も前に上演された蜷川幸雄演出&古川日出男戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』の主演がKAT-TUN上田竜也だった際にも、なんとか一枚取れたけど、旧ジャニー関係が出演するとチケットが恐ろしく取れにくくなることは身に染みて分かっていた。
しかも嵐の松本潤となれば、倍率どうなっちゃうのよと思ったけど、いつも通り普通に会員先行で友達の分も合わせて取れたのでホッとしていた。

以下はネタバレを含むので、これから鑑賞予定のある人は見ない方がいいかも。来月発売の『新潮』に戯曲『正三角関係』掲載されるので(これもいつもの野田地図舞台公演する時のパターンだが)、読めばネタバレも何もないのだけど。


今作のメインは松本潤長澤まさみ永山瑛太であり、長澤まさみは番外編『THE BEE』で、永山瑛太は『逆鱗』で観ており、二人は野田地図の舞台は今回で二回目だった。
エンターテイナーである松本潤が主演ということなら、Queenの楽曲をモチーフにした『Q』のような路線かと思ったが、実際に観てみたら『エッグ』『逆鱗』『兎、波を渡る』の系統だった。
『エッグ』は架空の「エッグ」というスポーツを描きながらも、実はそれは戦時下の満州における人体実験だったことがわかる内容だった。
『逆鱗』は人魚がいる水族館の話として展開していくが、その人魚とは実は人間魚雷であり、水族館のスタッフ=兵士たちは行きだけの燃料しかない人魚に乗ってアメリカへ向かっていく、しかし、その時戦争が終わったことがわかるがもう引き返せないということが最後に明かされる内容だった。
『兎、波を渡る』はある脱兎とアリスという娘が行方不明になってしまったことで彼女を探す母親がメインであり、母親が娘を探しにやってきた遊園地で物語は展開されていく。脱兎は38度線を越えてきた特殊工作員であり、本当の名前を「安明進」と名乗る。アリスとは北朝鮮に拉致された日本の少女であり、母親は拉致された娘を探し続けていたことが明かされるという内容だった。
これらは一見すればエンタメに見るが、そこには戦争(戦時下、戦後)と日本で起きた事件や事柄がその裏側にあり、物語としても二層になっている。俳優たちはその二つの物語を行き来しながら、やがて物語はそれらが混ざり合った世界で観客にある種の現実の光景を見せつけてくる。ほら、あなたたちが目を逸らしてきたことだよ、と言わんばかりに。

今作はドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』に物語がなぞられており、花火師の家系である唐松三兄弟が物語の軸になっている。それぞれ母親が違う三兄弟、長男の唐松富太郎(松本潤)は花火師、次男の唐松威蕃(いわん:永山瑛太)は物理学者、三男の唐松在良(ありよし:長澤まさみ)は教会の料理番(キリスト教徒であり聖職者に近い立場)という風に職業も違うが仲は良い。長澤まさみは唐松在良だけでなく、唐松富太郎と父の唐松兵頭(竹中直人)が奪い合う「グルーシェニカ」という花街の遊女の二役を演じていた。彼女が(聖≒性)職に関する役割を担っているのもこの作品の大きなポイントになっていた。
花火師は自分の作った花火玉にその時自分が一番好きな女の名前をつけるという話が出てくる。物語では空襲サイレンが時折鳴り、みんなが避難するシーンが何度かあり戦時下だということがわかる。それもあって花火師にとって大事な火薬は軍に取り上げられている。そのため花火を作ることができない状態である。そんな中、父の兵頭が隠し持っている火薬の名前が「グルーシェニカ」であり、息子の富太郎が求めている火薬でもあった。
冒頭近くの裁判シーンでは、火薬に女の名前をつけているのはある種の比喩的なニュアンスだとされていたが、実際に「グルーシェニカ」という女性は存在していた。
父と息子が奪い合うのは花火=「グルーシェニカ」という女性である。ここがかなり観ていてややこしい、最初は比喩かなと思っていたら、実際にその女性がいる。さらにずっと地味な宗教的な雰囲気を感じさせる服装をしていた在良である長澤まさみが一瞬で服装を変えて艶やかな遊女となる、そう「グルーシェニカ」が現出する。
また、物理学者の次男である威蕃はソ連のある組織と一緒に新型爆弾を作っていた。戦争を終わらすために、それをニューヨークのマンハッタンに落とす計画があった。だが、作中で8月6日に広島に新型爆弾が落とされたことが伝えられるが、それは自分たちが作っているものとは違う爆弾という嘘がつかれる。威蕃が作っていた新型爆弾の着火装置を花火師である兄の富太郎に作らそうとしていた。そのためには父殺しの罪に問われている兄を無罪にしなければならない状態に置かれており、裁判官たちもお国の命令であり無罪にしようと動き出すものたちもいたのだが…。そして8月9日を物語は迎える。

火薬を用いる花火師、火薬は花火であれば夜空を彩るものになるが、使い方によって武器になって多くの人々の命を奪う。物語が進んでいくうちに舞台は長崎であるということ、唐松在良が働いている教会は浦上天主堂だということがわかってくる。その瞬間に鳥肌が立つ。確実にこの物語のクライマックスで長崎に原爆が落とされることになるのがわかってしまう。
唐松富太郎が父・唐松兵頭を殺したかどうかという裁判をメインにしながらも、神を信じるもの信じないもの、宗教と科学などのモチーフが絡み合いながら、野田秀樹特有の言葉遊び、ダジャレがやがて大きな意味と展開を連れてくる。
空を見上げると満開に咲き誇る花火を作ってきた男、あの日長崎の空を見上げていたものたちが見た景色、野田秀樹らしいといえば野田秀樹らしい、野田地図がずっとやってきたことでもある。
二層にも見える物語を役者たちがどんどん移動しながら、やがて大きな結末を迎える。あまりにも舞台だとしかいえない演出も見所であり、ラストの全てが黒になってしまう世界へ変わる場面なども舞台的な装置と観客の想像力でそう見えるようにしている。
また、二役を演じる長澤まさみの早着替えとも言える聖者であり性者が一瞬で入れ替わる衣装チェンジも素晴らしい。『THE BEE』でも観たが、長澤まさみは異常なまでに舞台映えする俳優だった。背もありスタイルもいい、手足が長いので遊女の華やかな姿も見入ってしまう。圧倒的なものを持っている。
そして、驚くほど安定感のある永山瑛太は三人の中ではどこか地味な役割であるが、物理学者としての彼の計算式などが舞台上に出てくる辺り、そこからファットマンが出てくる流れになくてはならない存在となっていた。
第一線でずっとアイドルをやってきた人間にしかないというか、トップアイドルの持つ華やかさと色気というものを改めて感じさせる松本潤の佇まい。役所としてはワイルドさが際立つのだが、純粋さがないと難しそうだった。そういう絶妙なバランスがある人なんだなって観ながら感じた。目が離せないというか、どうしても目で追ってしまう存在感というのは天性のものなんだろうし、中村勘三郎さんとの繋がりもあってずっと野田秀樹舞台に出たかったことが叶ったからこその責任感も座長としてあったんだろう。
松本潤が唐松富太郎という花火師を演じるということ、花火は夜空に咲く。しかし、普段そこに浮かんで光り輝いているのは星々である。つまりスター、松本潤はスターだろう、これは間違いない。しかし、その彼が夜空に打ち上げる花火を作る花火師をやるということ、彼が求める「グルーシェニカ」とは火薬であり愛しい女性である。今作では唐松富太郎の作った花火は打ち上がらない、しかし、岡山行きの列車に乗ったはずの彼が戻ってきた浦上天主堂で黒焦げになってしまった弟のロザリオを見つける。神に祈っても祈りは届かない、しかし、弟の祈りは確かに存在したことを知る。

脇役で言うと池谷のぶえさんがめちゃくちゃおいしい役所だったし、野田秀樹さんと竹中直人さん村岡希美さん小松和重さんとベテラン勢もそれぞれ見所があった。
そして、アンサンブルとして出演している多くの若手俳優たち、昔のパンフでアンサンブルに参加している人を見ると今や映画やドラマで主役級になっている俳優さんもいたりする(例えば石橋静河)。今回もそういう人が出てくるかもしれないと思わせるものがあった。


NODA・MAPのパンフは毎回同じ判型なので鑑賞のたびに集めたくなるし、内容もビジュアルも素晴らしい。最後のページには実は次回公演の情報が毎回掲載されていて、“2025年夏「」”、“NODA・MAP次回公演2026年 春 新作”とあった。
来年の舞台は今までやったものの再演なのかもしれない。実際に『Q』は初演の3年後には再演している。なんだろうな、『フェイクスピア』あたりだと観れてないからうれしいのだけど。


帰りに一緒に鑑賞した友達とニコラへ。コロナ陽性になってしまって二週間ほどこれていなかったので久しぶりだった。
お子さんを迎えに行った友達が帰った後におかわりしてタバコを吸いながら一服していたら、雨が降り出した。

今回はこの曲でおわかれです。
曽我部恵一 & Junes K - Breath [Official Video]