Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年7月1日〜2024年7月15日)

6月下旬の日記(2024年6月16日から6月30日分)


7月1日
昨日23時過ぎからradikoで『爆笑問題の日曜サンデー』(ゲスト:浅草キッド玉袋筋太郎)を聴き始めた。若い頃から浅草キッド爆笑問題はライバル関係だった。色々とあったのは水道橋博士さんの書いたものなどで多少は知っていたけど、お互いに年齢も重ねたことで一緒に戦ってきた人がまだこの業界に居てくれること、一緒に仕事ができるのが嬉しいんだろうなというのが伝わるトークだった。
玉袋さんと博士さんの関係も実際どうなっているのかわからないけど、太田さんがタイタンライブに出て漫才やってよ、と言っていたのが印象に残った。一筋縄ではいかないだろうけど太田さんの誘いが実現するといいな。
タイムフリーで聴いていたら、日付が変わって下半期に突入。6月下旬の日記をはてなブログにアップし、半年前の1月上旬のものをnoteにアップした。


一度目が覚めたので可燃ごみを出しに行った。緑のネットの下にすでに出してあるごみ袋は入っていてカラスからの襲撃は受けていなかった。うちのもネットの奥の方に入れて、ネットを下にかますようにして出した。このまま荒らされずに収集されるといいんだけどなあ。まだ5時にもなっていなかったのでもう一眠り。
朝のルーティンをやってからリモートワーク開始。下半期に入ったからかわからないけど、ゼロになっていた有給が復活していた。
今月末と来月末の私用のために休まないといけなかったのでその二日を有給申請した。残りは多くないけど、年内には使い切ることになると思う

BRUTUS』最新号のSF特集を購入。小川哲さんが「共感を寄せる歴史小説」として挙げていた四冊のうちの一冊が古川日出男著『アラビアの夜の種族』だった。
カルチャーページでランジャタイとgroup_inouが対談していた。国崎さんがYouTubeの企画でZAZEN BOYSの向井さんとトークしていたけど、僕の音楽的な嗜好ってランジャタイ、国崎さんとかぶっているのかなあ、好きなものの系統が近いのは確かだ。しかし、cpの髪型が見慣れなくてすごい違和感があった。

 古川日出男阿部和重も、フォークナー、大江健三郎、ガルシア=マルケスの系譜にあるサーガ的想像力の作家だろう。いずれも東北出身なのは共通するが、作風はかなり異なる。古川は先達の神話性や幻想性を受け継いでおり、特に『おおきな森』(2020年)では、中国東北部に建国された満洲と日本の東北に宮沢賢治が夢見たイーハトーブがつながり、ラテンアメリカ作家を思わせる人物が登場したうえ、『百年の孤独』のエピソードにまで言及する内容だった。奇想が複雑にからみあって繁茂する大作だ。それに比べ阿部の『シンセミア』(2003年)をはじめとする神町サーガは、幻想以上にインターネットの陰謀論や情報の錯綜が現実の確かさを揺るがす今の様子をよく描いている。

筒井康隆大江健三郎村上春樹阿部和重、小川哲……『百年の孤独』が日本文学に与えた絶大なる影響

百年の孤独』に関する記事で古川さんと阿部さんのことがちゃんと書かれていた。小川さんの名前があるのはやはり芥川賞直木賞受賞作家はネームバリュー的にわかりやすいし、挙げられている作家の中でも若い世代ということもあるのだろうか。筒井さんは『百年の孤独』文庫版で解説書いているから外しにくいだろうなとか考えてしまった。

Childish Gambino - Bando Stone & The New World (Official Trailer) 


チャイルディッシュ・ガンビーノ(ドナルド・グローヴァー)の次のアルバムは彼自身が監督&主演を務める映画『Bando Stone & The New World』のサウンドトラックであり、さらにそれがラストアルバムになるらしい。『Bando Stone & The New World』のトレイラーを観るだけでもこの作品がめちゃくちゃおもしろそう。
映像からすると世界が終わった、終わりかけの設定なのだろう。でも、現在の世界にはいなさそうな動物らしきものも、超常現象なのか不思議なレイザーが積み上がっているし、退廃した未来の話なのか、あるいは未知なる存在が地球にやってきた話なのか、それらとも違うのかはわからないけど、映画を観たい、音楽を聴きたいと思わせるものになっている。

リモートが終わってから『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を最後まで読む。連載で読んでいたけど、最後の方は忘れている部分もあったりして、「こんな展開だったっけ?」と多少困惑しながらも人類史であり、火と人間の関係性、いや文明と殺戮の関連性が説かれながら語られて終着地点に辿り着いていた。
この先、古川さんが書くと話されていた時代をいくつも超えて、複数の時代を描く作品への萌芽みたいなものがあった。世界文学へどんどん近づいているような、そんな小説でありドキュメンタリーであり、フィクション&ノンフィクションノベルになっていた。

下半期の執筆スケジュールを遂行すべき、ライティング作業を開始。キャラクター表を作っているのでそれを見ていたら、もう一つの双生児的な作品の登場人物が絡むとおもしろいなと思って、追加してみた。自分でもびっくりしたけど、その人物はこちらで重要な人物と同じ苗字にしていた。ああ、彼らは姉と弟だったんだ。


寝る前にSpotifyポッドキャスト『83 Lightning Catapult』最新回を聴く。スポンサーまだ見つかってないみたいだけど、二人のやりとりも復活してだいぶ前と変わらない感じになってきたような気がする。

 

7月2日
6時前に一度目が覚めたのでペットボトル回収の日だったので出しに行った。朝の爽やかな空気というよりもすでにちょっと湿度があった。
寝る前に聴いていた『空気階段の踊り場』をもう一度聴き返しながら朝のルーティン。岡野さんがゲストで今年も単独ライブ「岡野博覧会」をやると告知していた。去年観たのもあるし、平日の昼間の回があるというのでチケットが取れたら行きたい。
その後、『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴きつつ、読みかけだった木山捷平著『下駄にふる雨|月桂樹|赤い靴下』を最後まで読んだ。この前に読んだ講談社学芸文庫の二冊は地元の笠岡と東京の中央沿線、そして満州でのことを私小説として書いていたが、この文庫に収録されているものは60代とかになった木山の分身のような人物が北海道とか地元ではなく岡山市など他にも旅行に行っているものが多かった。
そういう意味ではチャールズ・ブコウスキーとも共通する点がある。自分の分身的な登場人物を通して描くので私小説ではないけど、限りなく私小説みたいなフィクションになる。
木山の講談社学芸文庫のものは『落葉・回転窓』『長春五馬路』が家にあるが、後者が中編で、彼の作品は基本的には短編が多いみたい。だから、彼の名前を冠した小説新人賞は短編での募集なんだろうな。

晴天の迷いクジラ』は各自それぞれに喪失を抱えた由人、野々花、正子の三人が訪れる場所に迷い込んでいる象徴的なクジラがいる。まるで先祖帰りして陸を目指すかのようなこの巨大な生物の行動は自殺に似ている。三人は「鯨の胎内」に入り再び出てくるという死の世界から戻って来るような通過儀礼の代わりに、その町で(彼らと同じように)大事なものを失った人とある種の偽装的な「家族」のような日々を過ごす。そして、死のベクトルから生のベクトルに向かって行く。それは癒しに似ている生への渇望であり、柔らかな日差しが差し込んで冷えきった体の緊張が解かれるような喜びのようにみえる。
 闇をきちんと見据えた上での光。それは共存し、どちらかがなくなることはない。彼らは死の側(絶望)から生の側(希望)に少しだけ向かいだす。そして、僕たちは出会った人たちとすべて別れて行く。得たものはすべて失ってしまう。あなたも僕もやがて消えて行く存在だ。
 だけど、いつかやって来る喪失と向かい合いながらも諦めずに日々を生きて行くこと。それは、死を見据えながら毎日を生きて行くということだろう。そんなふうに、それでも誰かと生きていきたいと思える小説が『晴天の迷いクジラ』であり、窪美澄という作家の作品の骨格にはあると思う。
 ほんの少しの光や温かさが冷めきった心をわずかばかりに癒す、完全には癒せなくてもそれで少しだけ笑えたら、前に進めたらそれはとても素敵な事だと思うから。
 この文庫化に至るまでに刊行された窪作品や雑誌に掲載されたものを読んだ個人的な感想になるけど、窪さんの作品の核である母娘の関係性は繰り返し語られ、急に誰かがいなくなってしまうことについて小説に書かれている印象がある。
 出て行く者と残される者、あるいは死んでしまった者と生きていく者という関係性はいつだって残された者の問題として残るのだけどそれも窪作品の核だ。
 出て行った者はきっと振り返らないだろう、振り返っても捨ててきた者について考える事はできるだけしないだろう。残された側はずっと考え続けることになる。
 窪さんがこの主題を描くのは窪さんが出て行った者ではなく残された側の人だったというイメージがあるのはそのせいだ。おそらく罪の意識を感じようが出て行った者はこのような小説はまず書けないはずだから。
 残された者が幾度も泣き苦しみ、哀しみの淵に佇んでその想いが愛しさから来るのか憎しみか来るのかがわからなくなるほどの考えた先で見つけようとした人と人の繋がりや隔たりについて考えた人だから書けるのではないか。だからこそ闇をきちんと見据えた上での光がさす方に読者を連れて行くことができるのだろう。そして、いろんな場所にいる残されたすべての人に届き、出て行った人にも届いてしまう。
 『晴天の迷いクジラ』にあるこの主題をさらに発展させてよりその想いを丁寧にさらに丁寧に綴っているのが『別冊 文藝春秋』で連載中の『さよなら、ニルヴァーナ』ではないかと僕は思っている。
 これから何人かの出会った、出会っていく大切な人たちに僕はこの『晴天の迷いクジラ』を薦めるし勝手にプレゼントすることになるだろう。僕の大切な人たちがよわっている時に届く言葉や物語がこの作品にはあるから。僕はそっとこの本を渡して言葉少なげに、再会する時を待ちながらその場を去るだろう。次に会うときのその人の笑顔を想像しながら。

Facebookの思い出の10年前のところで窪美澄著『晴天の迷いクジラ』文庫版発売時に渋谷の大盛堂書店が出していたフリーペーパー「大盛堂通信特別号」に寄稿した文章についてのものがあった。
八重洲ブックセンターの内田さんが僕の書いたものを褒めてくださっているもので、「実はボクは親本のとき、正子のパートと終章は蛇足ではないかと思った。あれがないほうが、もっと冷静で突き放した印象の、上等な物語になるのではないか、と感じたのだ。いま再読して、碇本氏のいう「遺された者の想い」というものが、終章には込められているのだな、とはっきり感じられた。碇本氏がさらに丁寧にそれが語られていると言う「さよなら、ニルヴァーナ」を、ボクがずっと読んできたからかもしれない。」と書かれていた。
上記の引用した文章は10年前に自分がフリーペーパー用に書いたものだが、今よりも小説に真面目に向き合えていたようにも思えるし、自分の物事の捉え方とかはほとんど変わっていないのもわかった。過去が今の自分を照らしている、ような、どこに向かうのか問いかけられているみたい。
先月、昔バイトが一緒だった年下の女の子とSNSでやりとりすることがあって、彼女もコロナパンデミックでいろいろ大変だったことなんかを話してくれたので、この文庫版を年賀状だけやりとりは続いていたのでその住所に送った。読んで感想を送ってくれて、やっぱりこの小説は届くんだなって思った。
何冊なのか十数冊なのかわからないけど、この『晴天の迷いクジラ』文庫版をいろんな人にあげてきた。その時、何か抱えるものがある人や精神的にきついと話している人とか、僕がなんとなくこの小説を読んだらちょっとだけ前を向けそうだなって思える人たちに。窪さんの小説はどれも読者に寄り添う優しさと眼差しがあると思うから読んでほしいし、読み継がれていく小説家になっていくはずだ。

皮膚科の予約を10時にしていたから先に銀行に行ったりして時間を潰した。時間になったので皮膚科クリニックに行って診てもらった。いつも通りの処方箋を出してもらうだけなのですぐに終わった。次回で最後になるといいのだけど


処方箋で塗り薬を調剤薬局でもらってからSpotifyでJAZZ DOMMUNISTERSのアルバムを聴きながら代官山蔦屋書店へ。菊地成孔大谷能生著『たのしむ知識 菊地成孔大谷能生の雑な教養』が数冊置かれていたので、できるだけキレイな状態のものを手に取った。
家に帰って洗濯したり昼ごはん食べてから、『たのしむ知識』を読んでいたらうとうとしたけど、最初の「話せばわかる」のパート部分は読み終えた。

JAZZ DOMMUNISTERSの楽曲を聴きながら歩いている時に急に、今書いている作品に出てくるある登場人物である美夏が手話を使っている風景が浮かんできた。昨日追加したキャラではなく、前からいた彼女がどういう役割なのかあまりわかっていなかった。
美夏は現在大学生で両親は離婚している。父も母も映画関係の仕事をしていて、父の晶は映画専門学校でも教えている。その父親と仕事をしたことのある40代の男性でライターをしている有川真治が主人公の一人だった。美夏は他の登場人物とも多少関わりはあるが、さほど重要な感じでは考えていなかった。
ただ、真治の弟夫婦がやっている料理屋でバイトをしている設定にはしていた。美夏は聾者で手話を使って話してコミュニケーションを取っている。そうであれば、父や母や姉たち家族は手話を使うことができる。もちろん弟夫婦も彼女が働きやすいようにしているし、多少はわかるのだろう。そこの常連たちもそのことを理解している。真治もお店には時折顔を出すので彼女とのやりとりがある。真治は手話はできないが、コミュニケーションはスマホなども使って取っている。
という一連のシーンや関係性が巡った。だとしたら手話を使うことで、声に出せない場面で彼女が真治なのか誰かに手話で伝えるシーンが出てくるかもしれない。あるいはある言葉を手話だとどう表現するのかを教えていて、その人が誰かにその手話を見せるかもしれない、そういう連鎖、イメージが脳内で跳ねていた。
井の頭公園の近くにあるスタバにある用事があって何度か行ったことがある。窓側の外から見える席で仕事をしている(僕が何度かインタビューをさせてもらった)方に僕は挨拶をしようと店内に入る。もちろん、入店する以上は何かを注文すべきだからカウンターに行くと、スタッフさんが聾者であり、私は耳が聞こえないので指差しで注文してくださいと書かれているものがメニューと一緒に置かれている。だから、そこのお客さんたちは彼女、女性のスタッフさんがレジをしている時には声を出しながらでもいいが、メニューを指指して注文している。
知り合いの人が窓側にいて挨拶をしようと店内に入って注文する時にはいつも彼女がレジをしていた。だから、その度に僕は指をさして注文をして、コーヒーを受け取ってその人の横にいって挨拶をしていた。たぶん、その光景があるから僕には美夏が居酒屋で働いていることに違和感がないし、イメージがすぐに湧いた。

火曜日はSpotifyポッドキャスト番組『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:寺下真理子)『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』が配信されるので18時以降はこれらを順番に流しながらライティング作業をした。

 

7月3日
何か夢を見ていたような気がしたけど、その内容はまるっきり覚えていない。
目が覚めてから寝転んだままで『たのしむ知識 菊地成孔大谷能生の雑な教養』の続きを読んだ。
radikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』と『JUNK 爆笑問題カーボーイ』途中までBGM的に流していていたらリモートワークの時間。暑い。冷房つけてないと部屋の中でも汗ばむ、サーキュレーターで室内の風を循環させているけど、夏が本格してくる8月9月が本当に怖い。光熱費が上がるし、つけなきゃつけないで室内で倒れてしまう。
作業中も引き続きradikoをお供に。『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』といつもの水曜日の風景というか聴こえてくる声たち。
先週の粗品との泣きながらの放送の後だったけど、「あのANN0」は生放送ではなく、録音だったこともあってか、わりと冷静に話をしていた。続けてTVerで『あのの電電電波』を流したら、ゲストがAdoだった。番組のパートナーである猫のササキは霜降り明星粗品だし、Adoも去年一年間は「オールナイトニッポン」月曜日一部を担当していたので、画面に出ている三人が「オールナイトニッポン」ブランドに関わりのある人たちだった。
「あのANN0」でも『ロンドンハーツ』の運動会に出た時の話をしていたけど、今回の総合優勝はフワちゃんだった。50メール走では一位がフワちゃん、二位があのちゃんとここでも「ANN0」の月曜日と火曜日担当の勝負になっていた。
Adoは今21歳だと言っていて、将来の夢の一つとしてグラミー賞を受賞することだと言っていた。なんというか「アンファン・テリブル」という単語が浮かんだ。それはジャン・コクトー著『恐るべき子供たち(原題:Les Enfants Terribles)』のことであり、アメリカの小説家のトルーマン・カポーティが19歳の時に『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞した時に「アンファン・テリブル」と評されたということ脳裏でAdoが結ばれた。
そうか、僕は早熟の天才であり、あのちゃんやササキとのトークでもしっかりと自分の考えを持って話しているAdoに何か恐れのようなものを感じたのかもしれない。まるっきり違う存在には畏怖するか、憧憬するか、のどちらかになる、あるいは意図的に無視するかだろう。
曲調や歌声は確かに好きとは言えないが、Adoへの恐れがあるとするとそれが自分の感覚とは違うものが一気に価値観を変えて、新しいものへ移り変わっていくことへの怖さも含まれているのかもしれない。


昼休憩に出たら陽射しがかなり強かった。湿度は昨日ほどではなかったので額に汗をどんどんかくみたいなことにならなかったが、単純に暑さで肌が焼けるような気持ち。
百年の孤独新潮文庫が発売するのに合わせた友田とん著『『百年の孤独』を代わりに読む』が出ていた。勝手に新書だと思っていたけど、文庫だった。発売日に重版が決定というのもSNSで見たし、手に取った一冊がラスイチだった。やっぱり売れてるんだな、すごい。

韓国のバンド・HYUKOH(ヒョゴ)のYouTubeアカウントで新しい曲のMVの公開が予告されていたので気になっていたが、台湾のバンド・Sunset Rollercoasterとのコラボプロジェクトで8曲入りのアルバム『AAA』をリリースするみたい。
ヒョゴ自体は活動を休止というか四年ぶりの復活になる。今はなき新木場のスタジオコーストでのライブはコロナ最中の2020年だったが、たしかワールドツアーの最終になったはず、以降の他の地域はコロナ諸々で中止になった記憶がある。
四人組だが、ドラムがお休みだったので三人とサポートメンバーという体制でのツアーだった。僕が彼らのライブを観たのはその一回だけだけどすごくカッコよかった。
このコラボプロジェクトでもいいし、彼らのソロツアーでもいいからまた日本に来てほしいなあ。ということで昼休憩に出る時から彼らの過去のアルバムを時代順に聴いていた。戻ってからの作業のBGMはHYUKOHで。

[LIVE] 혁오 (HYUKOH) _ New born @ HYUKOH 2020 WORLD TOUR [through love] - SEOUL



昨日夜に全然進んでいなかったライティング仕事のことでちょっとだけ進展があった。ラインをして返信のなかった友達から、抱えていた大きなトラブルが片付いた、というか大きなエンドマークを打てる状態になったという報告があった。その話はずっと聞いていたので、ほっとしたし本当に良かったなって思った。
下半期に入ったことで上半期に起きていたこと、留まっていたことが進み始めたりしているのかもしれない。

リモート作業後は『たのしむ知識 菊地成孔大谷能生の雑な教養』を最後まで読み切った。菊地さんと大谷さんの対談の収録が坂本龍一さんの死去すぐからだったこともあり、最初からYMOという存在に与えられた影響、坂本龍一高橋幸宏というミュージシャンの先輩たちのことを語っていることも興味深い。二人ともジャズミュージシャンだけど、世代的にYMOの影響下にもあったこと、そういうことを改めて知れた。そのあとは自分のライティングを進める。

 

7月4日
起きるがどこか気だるさがある。可燃ごみを出しに行くと緑のネットの内側にちゃんとごみ袋が置かれていて、カラスの襲撃も受けていない。その後、外を出た時も荒らされた形跡はなかった。梅雨といえどこの暑さだし、カラスの子育てのシーズンは終わったから大人しくなった&ネットで諦めたということだろうか。
寝転んだままTVerで『あちこちオードリー』を流しながら朝のルーティン。ゲストのきしたかのの二人が江東区深川出身というのは少し前に深川を調べた時に知っていたが、その話を門前仲町とか近くの出身の若林さんが触れていた。見終わってからSpotifyでヒョゴを聴きながら読書をした。

8時半前に家を出る。もう30℃近い気がするが風はない、湿度はそこまではないので大丈夫かなって思ったけど渋谷を超えて青山墓地に入る頃には汗びっしょりになっていた。
TOHOシネマズ日比谷で11時から上映する『クワイエット・プレイス DAY1』を観に行こうと思っていて、歩いたら二時間かかるかかからないぐらい。この暑さ以上になったら外を歩くのは控えた方が良いレベルになってきたと体感でわかる。
歩きながらradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたが、その中で佐久間さんが急にできた休みの時間で映画『ルックバック』『ホールドオーバーズ』を観ようとウェブでチケットを取ってTOHOシネマズ日比谷に行ったという話をしていた。ちょうどそこに向かっているのですごくリアルタイムというか、シンクロしているような気がしていた。
佐久間さんは『ホールドオーバーズ』を観る時にポップコーンとかコーラを持って、メールについている「2次元コード」を出して入場口から入ろうとしたが反応しなかった。二作品連続でウェブからチケットを取っているのでメールが続いてしまっているのかと思って、見たが作品は間違っていなかった。日付を間違えたわけでもない。どうしてだと思っていたら理由がわかった。
TOHOシネマズ日比谷を選んでウェブでチケットを購入すると実は三つの劇場に分かれている。日比谷ミッドタウン4階にあるTOHOシネマズ日比谷、そのスクリーン12と13だけは東京宝塚ビル地下、さらに近くにあるTOHOシネマズシャンテとなっており、佐久間さんが観ようとした『ホールドオーバーズ』はシャンテだった。別の建物で買ったポップコーンとコーラだがスタッフさんに伝えて持ったままでシャンテに向かってなんとかギリギリ開始に間に合ったらしい。
これわりと「TOHOシネマズ日比谷あるある」とも言えるもので、僕は今のところ間違えたことはないが、そうなっても仕方ないよなってわかるトーク内容だった。
歩きながら前々日に購入していたチケットをTOHOシネマズのアプリで確認しようと「鑑賞前」に作品がなく、「2次元コード」を出そうとしたら出てこなかった。はて? どういうことだと思って鑑賞後の方を見たらそこにあった。一日中間違えてチケット取っていた。
というか4日で取ったつもりが昨日3日で取ってしまっていて、すでに鑑賞後のチケットになっていた。ということはこのまま行くと映画は観れない。その時点で青学近くの場所の青山墓地方面に向かう地点で、家から一時間ちょっと歩いたぐらいだった。ここで引き返すのは、映画に行かないのはきつい。
そもそもTOHOシネマズ日比谷で映画を観ようと思ったのは、メガネの割れたフレームの交換をお願いしていて、届いたと連絡があってから三週間ぐらい経っていたので早めに行かないといけないということと紐づいていた。
歩きながらアプリでもう一度同じ時間で今日のチケットを取った。昨日は水曜日のサービスデーだったので安かったが今日は割引も何もない日で普通に一般料金プラスIMAX鑑賞料金だった。仕方ないし、佐久間さんのミスを笑っていられない、どちらかというと僕の方が失敗としてはひどい。チケットを無駄にしている。



平日の11時台に爆発的に人気があったり、話題作でもない映画をIMAXで観る人は十人もいなかった。マイケル・サルノスキ監督『クワイエット・プレイス DAY1』IMAXで鑑賞。
音に反応して人間を襲う“何か”によって人類が滅亡に危機に瀕した世界で、沈黙を守って生き延びる一家を描いたサバイバルホラークワイエット・プレイス』のシリーズ第三作はニューヨークが舞台となり、前二作品の前に起きた“何か”が地球に襲来した最初の日を描くというものだった。
主人公のサミラは末期ガンとか余命いくばくもない状態であり、ホスピタルで愛猫のフロドと一緒に暮らしている。頻度はわからないがホスピタルのバスに乗ってマンハッタンにある劇場に行くことが楽しみで、その日も人形劇を観ていると劇場の外で異変が起きていた。どんどんと落ちてきている隕石には“何か”が一緒に乗ってきており、悲鳴や車が爆発するたびに音に反応した“何か”が人間を襲っていた。ニューヨークは“何か”による殺戮の舞台となってしまう。なんとかフロドと共に助かったサミラは同じように逃げてきたエリックという男性と共に行動を共にすることになる。
エリックはイギリス人だが法学を学ぶためにアメリカに来ていた。サミラが詩人であり、彼女の父はジュズミュージシャンだったことをエリックは知る。そして、ホスピタルでバスに乗る前にサミラが話していたピザ屋に行ってピザを食べに行くことを、エリックにも彼女は伝える。なぜそのピザ屋に行かないといけなかったのかなどは彼女の個人的なことが関係しており、この物語は余命いくバクもないサミラが最後になるかもしれないマンハッタンでその願いを“何か”から逃げ切って達成するというものになっていた。
最終的には“何か”はどうも泳げないらしいことがわかっており、マンハッタンにあるすべての橋は政府軍によって落とされてしまう。外部から侵入できないが中にいる人たちは閉じ込められてしまった。生き延びた人たちを船に乗せて逃す計画がその中で進んでいく。サミラは自分の願いを叶えてくれたエリックにフロドを託して、彼が“何か”から逃げ切ってその脱出船に乗れるように最後の行動を起こすことになる。

“何か”の正体はわからないが、やはり音を立ててはいけない、というアイデアが非常に活きていた。最初にニューヨークの騒音のレベルはずっと叫び声がずっと聞こえているぐらいと説明文が出てくる。その喧騒が止まらない街が一気に静まりかえってしまう、その光景だけでも見ものである。
生き延びた人たちは逃げるにしろ、目の前で誰かが無惨に殺されても声を出せない、手で押さえてなんとか声が漏れないように彼らに届かないようにしていた。サミラの部屋に二人と一匹が着いた時には外は大雨で雷が鳴っていた。だから、多少の話し声もそれにかき消されていたため、少しだけ音が出せた。
雷の落ちる前の音、それに反応して落ちた瞬間にサミラはずっと耐えていた気持ちを吐き出して叫ぶ、エリックも同様に次に落ちた時に叫んだ。その咆哮が切なく、生きようとする意志だった。あのシーンは悲しいけれど、生きているという証みたいで素晴らしいワンシーンだった。
役者の人たちはほとんど声を発しない、声を出せないので表情や仕草での演技になっていたのですごく難しかっただろう。何かに引っかかった時に立ててしまった音と共に“何か”がすごい勢いで襲いかかってくるのが単純に映像として怖い。“何か”は形状がクモとかに近いエイリアンみたいなんだけど、動きがとんでもなく早いから余計恐怖心が増してくる。大画面で観て正解だった。100分程度の上映時間だけど、ずっと緊張を強いるので体感時間としてはもう少し長いかと思ったけど、ちょうどうまく収まっていた。


さすがに帰りも歩いたら日射病か熱射病になるか、脱水症状になると思ったので銀座線に乗り、途中表参道で乗り換えて池尻大橋駅で降りた。あおい書店に寄ったらSNSで担当編集者の人がアップしていて気になっていた米澤泉著『小泉今日子岡崎京子』が出ていた。
岡崎京子ファンとしては買うしかない、小泉さんは舞台で一度観たいと思っていたけど『阿修羅のごとく』はチケット取れなかったりとかタイミングが合わず観れていない。何度か舞台を観に行った時にお見かけしたことはあるけど、カッコいいお姉さんってイメージがあるぐらい。

↑『水道橋博士のメルマ旬報』連載していた「碇のむきだし」に二回だけ書いてやめてしまった『dance alone(in,out) 〜岡崎京子さんのこと〜』。もう少し筆力があって粘れていたらいいものになったんじゃないかなと思わなくもない。
家に着いてからちょっとだけ横になって『小泉今日子岡崎京子』の最初の章「小泉今日子」の箇所を読んだ。汗もわりとかいたし歩いた距離もそこそこなので一時間ぐらい仮眠したいなと思っていたが眠れずに17時過ぎに家を出てニコラへ。


真鯛の昆布〆め 小夏 モッツァレアと白ワイン(コルデロ・ディ・モンテツェモロ ランゲ・アルネイス 2021)をいただいてから、食後にアルヴァーブレンドを飲みながらタバコを吸って一服。
以前に真鯛の昆布〆めのさくらんぼとクレソンソースを食べたことがあって、すごく美味しかった記憶が甦っていたので食事をするつもりはなかったけど、「真鯛の昆布〆め」という言葉に反応してしまった。一緒に出してもらった北イタリアのワインも食べる前に飲んだ時も美味しかったけど、食べてから飲むとよりまろやかになったように感じられた。
夕方から美味しいものを食べて飲んで、コーヒーとタバコという休日の最高の締めみたいな時間になった。

帰ってからすぐにシャワーを浴びて洗濯機を回した。冷房にしても部屋はそこまで温度が下がらない。
小泉今日子岡崎京子』の続きを読んでから、ライティング作業を。明日は何ヶ月かぶりに出社する日だけど、暑い中朝早い電車に乗るだけで地獄だなあ、と嫌な気持ちになる。
寝る前に『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴きながら読書していたら番組が最後まで行ってしまって『ハライチのターン!』を続けて聴いたら途中で寝落ちした。

 

7月5日
3時ぐらいに寝たのに6時半には目が覚めた。出社する日だったので7時過ぎにはリモートで諸々作業を進めておいてから家を出た。
渋谷まで歩いて半蔵門線九段下駅まで。激混みではないけど、久しぶりに仕事でこの時間に電車に乗ったけど、やっぱり乗りたくない。歩けるならできるだけ好きなラジオや音楽を聴きながら歩きたいと思ってしまう光景だった。
九段下駅東西線で一駅だけど、それも嫌なので歩いて竹橋駅直通ではある会社が入っているパレスサイドビルへ半年ぶりに来た。


10時ぐらいから頼まれていた契約書をスキャンしてデータに名前をつけてフォルダに入れて、シートに記入して紙にもナンバーを振った付箋を貼るということを久しぶりのオフィスでやっていた。
単純なんだけど地味に疲れるやつ、とりあえず区切りがいいところまでできたので17時過ぎに一度会社から出て家に帰ってリモートワークにさせてもらった。18時以降に帰ると渋谷方面に向かう電車になってしまうので避けたかっただけだが。それでも17時台でも電車はそこそこ混んでいた。毎日出社したり通学する人のストレスを考えるだけでゾッとする。リモートワークで基本的には出社しなくてよいのは本当にありがたい。


半年ぶりに出社したので、休憩時間は歩いて10分ちょっとの神保町へ。30℃以上はあるからできるだけ日差しを選んで歩いたけど、暑くてすぐに汗ばんだ。小学館集英社の横を通って駅の方へ。東京堂書店で『新潮』と『群像』最新号を購入。
前者は『百年の孤独』文庫版刊行による特集。菊地成孔さんと古川日出男さんが寄稿しているのでそれが読みたかった。帰りの電車で二人の文章だけは読んだ。
古川さんがラテンアメリカ文学に出会ったきっかけは親友が「日出男はボルヘス読むといいよ」と旅先から送ってきたハガキに書かれていたこと、そしてボルヘスを読んでからラテンアメリカ文学に興味を持ち、そしてマルケスを読むようになっていった。だが、その親友はそのハガキを出してあまり時間が経たないうちに亡くなってしまったということ、彼と一緒に高校時代に演劇をやっていたことが書かれていた。極めて個人的なことだからこそ、届く文章だった。
後者は同じく古川さんによる『うつほ物語』が掲載されていた。公式サイトのブログで手書きで書いていると言われていたのはこの小説だろう。先月は文芸誌を買わなかったので、今月は二冊でもいいやって気持ち。

家に帰ってリモートワークが終わってから、コンビニで買ったアイスコーヒーを飲みながらタバコを吸って一服。『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』の最新回が更新されていたのでのんびりとタバコを吸いながら聴いた。
昨日歩いた時に日焼けもしたのもあるし、今日も暑かったからか皮膚が、体が熱を持っているような感じがする。水風呂にでも入ろうかと思ったけど、シャワーで止めておいた。なんか水風呂で風邪引いたら最悪だなって思ってしまった。出社したのが珍しいことだったのもあるけど、普段とは違う疲れ方をしていた。

 

7月6日
8時半に家を出て渋谷へ。午前中だけどすでに暑い、シネクイントに着く頃にはかなり汗だく。Tシャツの胸元もだいぶ汗で濡れていたが、額からの汗の量がかなり出ていて、着くまでに何度かメガネを外して拭わないといけなかった。帽子をかぶっていない(昔から帽子をかぶるのが苦手だ)頭皮が日光にどんどん照らされて汗が出やすいのだとは思う。
特に午前中には予定を入れていなかったけど、このままだと家にずっといることになると思って、昨日夜に映画館で色々と調べてイーサン・コーエン監督『ドライブアウェイ・ドールズ』を観ることにした。

ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』に引き続き次回作『憐れみの3章』にも出演するマーガレット・クアリーが主演。予告編で見ていて気になっていたがまだ観れていなかった。上映時間も85分とコンパクトなのも観ようと思った理由の一つ。
奔放な生き方をしているレズビアンのジェイミー(マーガレット・クアリー)と友人で生真面目なマリアン(ジェラルディン・ビスワナサン)の二人は行き詰まりを感じている日々の生活から逃げ出したいと思っていた。
そんなある日、二人はマリアンの叔母がいるカリフォルニアのタラハシーへ車の配送をしながらアメリカ横断のドライブに出かけることにした。しかし、配送のために彼女たちが乗り込んだ車は別の人物たちが配送する予定だったものであり、トランクには謎のスーツケースが隠されていた。そのスーツケースを取り戻そうとするギャングたちが二人を追いかけてくることになり、彼女たちは様々なトラブルに巻き込まれていくコメディドラマ。

レズビアンシスターフッドを描いたロードムービーなのだが、時折サイケデリックな映像が何度か挟み込まれていた。舞台は1999年設定だけど、それらは60年代や70年代ぽさがあり、彼女たちとどうも関係がありそうに見えなかった。実際にジェイミーがレズビアンで、おそらくマリアンもそうなのだろうけど、そのサイケデリックな映像に出てくる女性とかイメージはなんというか男性的な視線みたいなものに感じられていた。実際にそこに出てくるある女性によって作られたものがスーツケースに入っていることが後半にわかったのでとりあえず納得はできた。スーツケースの中身がある大物政治家の運命を握っているということになるのだけど、展開も含めてコメディ的な要素が多くてアップテンポに進んでいった。 
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』にもギャグ的に使われていたディルド(作中ではヌンチャクがてら)が今作でもかなり意図的に扱われていた。
ジェイミーとマリアンは旅の中で恋人関係になっていく。体の関係もあり、それも描かれているが、女性同士の性愛においてディルドを使うのかどうか、あるいはセルフプレジャーとして使うのかはそれぞれの女性によっても違うことも描かれていた。
この映画に出てくるディルドは明らかに「家父長制」の象徴であり、LGBTQが広がっていく中で、その当事者たちがそれぞれの立ち位置とは対照的な「家父長制」をいかに脱するかという問いも含まれているように思えた。
どちらにも出てくるディルドはフニャフニャとは言わないが、シリコンなどでできているため昔作られたような木材なみたいな硬さではない。男性器が勃起して硬いこと、そして射精して女性器の中で受精することで一人の人間の生命が始まる。だが、このようなヘテロセクシャル異性愛者)とは違うLGBTQの人たちにとって、カチコチの男性器は自分たちを受け入れない認めない社会を作り出しているものであり、危険で凶暴なものだろう。
ゆえに映画に出てくるディルドの元になっている人物がどういう人なのかなども皮肉が効いているし、この作品に出てくる男性の登場人物は一応に鈍臭いというか役に立たないし、ほぼほぼ死んだり、いなくなっていくのもすごく象徴的だった。だが、どちらも監督が男性ということを考えると自らに向けた皮肉なのかもしれないし、女性二人を描くならこういう展開にするのが今現在の表現として必要なものだと思ったのかもしれない。
僕は映画としても楽しめたし、マーガレット・クアリーが魅力的な俳優ということも改めてわかったのだけど、ディルドが象徴することについて観終わってから考えてしまった。
「家父長制」ありきな社会で育ってきた僕は、結婚もしていないし子どももいない。今はそういう社会ではなくなっているのもわかる。だが、その新しい価値観が受け入れられて誰もが自分らしく、排除されない社会になるといいなというリベラルな考えをして入る。同時に古くてなくなった方がいい「家父長制」で生まれ育った自分の染みついたものが、どこまで自分を縛っているのか正直なところわからない。
なんか時代ごとに梯子を外されているような被害者意識もあるし、なんとか食らいつこうとしていてもどこかで限界が来てしまうのかもしれないという危機感も持っている。たぶん、多くの同世代の人たちはこの狭間でどうしたらいいか悩んでいると思う、そして息苦しさを感じながらもせめてまともな社会になってほしいけど、自分たちはどうせこぼれ落ちるんじゃないかなと感じているんじゃないかなって歩きながら考えていた。

行き来はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。先週が単独ライブの最終日の広島公演の日だったので録音になっていた。録音があってからの深夜の生放送ということもあり、ラジオの楽しみさを前回で思い出し、テンションも高くテーマメールに送られてきたものからどんどん話題やネタが展開していく、いい時のトークの間合いになっていた。こういう時の「三四郎ANN0」は聴いていると笑ってしまう。歩きながら急に吹き出してしまうヤバいやつになってしまっていた。
番組とコラボをしたディズニープラスで配信中のドラマ『七夕の国』について相田さんが冒頭に出てきた役者さんがテレアポでバイトしている時に一緒にやっていた平原テツさんだったと話していた。
前に観に行った舞台『いつぞやは』で主演だった窪田正孝さんが降板して代わりに出演されていたので一度観たことがあるけど、すごくいい役者さん。

成城石井で冷やし担々麺を手にしてレジ付近に近づいた時にアルコールコーナーでサッポロビール350ml缶を三本買った。今日は『群像』掲載の古川さんの『うつほ物語』とガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』をできるだけ読もうと決めていたので、普段家でビールを飲むことはないけど、お供にビールがいる気がした。

16時半を過ぎた頃から雷鳴が聞こえ始めた。雨はすぐには降らずに大きな雷が時折落ちる音と光が窓の外に見えた。そのくらいの時間から『うつほ物語』を坂本龍一さんの曲をBGMにして読み始めた。最初は『千のナイフ』、それから映画『トニー滝谷』のサウンドトラック、『out of noise』に『async』という順番にしたが、読み始めて最初の方で雷が鳴っているのにうとうとしてしまった。
数分程度寝ていた。起きてからまた読み始めて音楽も聴こえていたが、窓の外の落雷はもっと大きなものとなって、次第に雨が降り始めた。家の中にいても激しくて大粒だろうなと思える雨の音、それに坂本さんのピアノの音色、古川さんが新たに創作して書いた琴の名人一家四代に渡る物語が心地いい。途中まで読んで急激に眠くなったので閉じた。やっぱり今日は『百年の孤独』を読むところまでいかなかった。

 

7月7日
7時ぐらいに目が覚めたが、二日酔いではないがどうも体がダルい、やる気が起きないしすでに室内が暑い。エアコンを冷房ではなくドライにしてサーキュレーターで風をまわす。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を流して聴いていたらまた過ぎに寝落ちしてしまった。起きると9時を過ぎていた。
午前中は特に予定もなく、何も決めていなかったけど、天気予報見ると昼過ぎには酷暑といえる温度になるのがわかったので、散歩に行こうと家を出た。なんか「オードリーANN」な気分ではなかったので、先日一度聴いた『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら代官山蔦屋書店へ。
文芸誌コーナーで『文藝』最新号を手に取り立ち読み。特集1「世界文学は忘却に抵抗する」というものが掲載されていて、古川さんが「文学の時差」という論考を寄稿されていたので全部に目を通した。


帰りにサミット鉢山町店によっておかずを買って、そのまま帰るつもりだったけど、立ち読みして読んだことに引っ掛かりのようなものを覚えていたので、帰りに池尻大橋駅のあおい書店で『文藝』を購入した。
「文学の時差」において古川さんは「どうやったら作家になれるのか?」という問いに答えられるとしたら大量に本を読みなさいと、そしてその大量というは「私はだいぶ大量に本を読んだなと自負できるまで、だ。つまり本当に大量にだ。それから三人の作家、三つの作品を選ぶ。」と書かれていた。

 あなたがちゃんと三冊選べるのか、わからない。しかし選んでほしい。何年かかってもかまわない。三人の作家の、かぶらない三冊。選び了(お)えるとわかるけれどそれらの三冊は一冊だけは「あなたのすべてを満たす」ことがなかったわけだから、補完しあっている。客観的に補完的であるとは自分は言わない。しかしあなたはその三人の、三作の、いずれにも反応した、深く。いずれのことも「凄い」と思った。あとはその三作を、おりおり再読して、三読して、部分的な精読というものもして、そして、あなた自身が書く。書きつづける。たぶんそれだけでいいのだと自分はかんがえる。
『文藝』2024年秋号「文学の時差」P173-174 より

読んだ時に脳裏に浮かんだ作家は「大塚英志」「古川日出男」だった。あと一人は誰だろうか、この二人は間違いようがなく自分に影響を与えている。
もう一人の候補として「伊坂幸太郎」「村上龍」「フィリップ・K・ディック」「レイモンド・カーヴァー」の名前、それぞれに三作品選ぶとすると何があるだろうか、最終的には「村上龍」と「フィリップ・K・ディック」だった。「ディック」は『ヴァリス』『スキャナー・ダークリー』『高い城の男』だろう。そうするとある共通点が導きやすい「村上龍」の方がしっくりときてしまった。


大塚英志『摩陀羅 天使篇』『多重人格探偵サイコ』(角川スニーカー版)『木島日記 もどき開口』

村上龍コインロッカー・ベイビーズ』『ストレンジ・デイズ』『コックサッカーブルース』


古川日出男『サマーバケーションEP』『聖家族』『ドッグマザー』


三人の作家、三作品を選ぶと共通するのも、見えてくるのは中上健次だった。疑いようもなく、やはり中上健次となる。
個人的には阿部和重古川日出男、その前に村上龍村上春樹がいて、中上健次へ結ばれる。そうなれば、中上健次が書いていた小説、紀州サーガからさらに遡れる。


中上健次よりも前に日本文学界に現れて最前線にいた大江健三郎も同時代の人としてラテンアメリカ文学に影響を受けている。中上健次の未完の遺作となった『異族』が刊行されて間もなく、ガブリエル・ガルシア=マルケス百年の孤独』が文庫版となったのは何か因果が、時代性が連なったものがあるように思えてしまう。そして、ここまで名前を出してきた日本の作家たちとマルケスから見出されるのは、


架空の土地であるヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台にした「ヨクナパトーファ・サーガ」を作り上げたウィリアム・フォークナーとなる。
僕が憧れるのは「サーガ」であり、小学生の頃から大塚さんが原作を書いていた漫画『魍魎戦記MADARA』がそういう世界観設定だったこともあって、小学生の頃から影響を受けているとも言えるし、そもそもそのサーガ自体が中上や遡ればフォークナーという文学から大塚さんが持ち込んだものだった。
自明のことだと思っていたけど、古川さんの論考を読みながら自分のことを考えてみると、僕が好きな小説は世界文学的な要素があり(論考は三島由紀夫についても言及している。それについても月末の「夏の文学教室」で「劇的なるものと三島由紀夫」というテーマで話されるので繋がっている)、フォークナーから連なるサーガを描くものだということだった。


Facebookの昔の投稿に関するものを見ていたら、7年前の2017年に当時ブックスルーエにいらした書店員の花本さんが『文藝』2017年秋号の特集「現代文学地図2000→2020」の中の一つのアンケート「来るべき作家たち2020」で僕の名前を挙げてくださっていた。それを知って当時本屋に買いに行ったのだと思う。
映画のノベライズを出した頃だったし、まだなんとかなるという甘い考えだった。時間は経ったが僕は単著すら出せていないし、形にすらできていない。こうやって期待してくれた人たちも何人もいたけど、その期待に僕は一向に応えられていない。だけど、このタイミングで起きていることが形になれば、自分の中で時間がかかってもいいから出せたら、と思う。

昼過ぎに木山捷平『落葉・回転窓』の短編一編、中上健次著『異族』のたぶん一回の連載分にあたるだろう文量を、と読書。夕方過ぎからライティング作業を始めた。
20時過ぎにはすぐにニュース速報で小池百合子現職の都知事選当選確実が流れる。そして、僕が投票した蓮舫さんは、石丸にも負けておそらく三位だということだった。現職も十分ダメだが、無党派層と若者層を石丸が取っていることは単純に怖いと思った。広島で彼がやってきたことや言動的にもプチ橋下感があるし、ひろゆきが支持される嫌な感じにも近いものを感じる。でも、それが現実だということ。
マスメディアだけではなく、SNSなどで完全に分断が起きて、自分が興味あるものや見ているもの以外は「ない」ということになっている。新自由主義に突き進んでも地獄しかないし、公共的なインフラとかが資本に持っていかれたりすることがどんなにヤバいか、後の祭りになって後悔した時はもう手遅れでどうにもならない状況が訪れているのだと思う。しかし、この結果はけっこう堪えるし、きつい。
石丸を支持している層、彼らを取り込んだのはTikTokYouTubeを上手く使ったことがデカかったみたい。そう考えるとやはりひろゆき堀江貴文や成田悠介的な価値観に通じているのだろうし、個人の利益を優先するという意識が強いのだろう。
TikTokや切り抜き動画的な短い動画での動員、それに対応できるのは、そういう人たちに対するために、その威勢の良さへ抗うために必要なものがあるとすれば分厚い小説や長い映画になるだろう。
どんどん短く切り取られた動画だけがインプレッションを稼いで人々の欲望を希求するようになったら、抑止力として飲み込まれないための装置として文学や映画が武器になっていく時代が来るかもしれない。そういうインプレッション地獄から脱出する人、おかしいことに気づいた人がたどり着くツールみたいなものにもなるかもしれない。


若松英輔著『小林秀雄 美しい花』は3年前の発売した時に、田河水泡関連(小林の妹が田河水泡の妻の高見沢潤子)のものとして購入したけどずっと積読していた。
選挙結果が出てからなんとなく手に取って読み始めた。小説家、批評家、詩人は繋がって連なっている。たぶん、そういうことを小林秀雄の評伝でもっと感覚として知りたいんだろうな。そして、田河水泡を描くための資料の一つだから、執筆はそろそろリスタートさせる時期だ。

 

7月8日
6時過ぎに起きて可燃ごみを出しに行くが、すでに暑い。エアコンは寝る時はドライにしているけど、室内は暑くなってきていた。冷房MAXにしてサーキュレーターで空気を回す。
リモートワークが始まるまでちょっとだけ読書をしてから作業を開始。いつも通り一人でやることをやっていく。先週久しぶりに出社したけど、やっぱり人が周りにいない状態で作業をコロナパンデミック以降そうなっているから、人がいるとなんか緊張してしまった。だから、非常に楽ちんな気持ち。

ーー本はいつも本屋さんで買うそうですが、どのように選ぶのでしょう。

江國:私にとっては洋服屋さんや雑貨屋さんと同じなんです。服や食器を見ていると、「絶対これはいいな」と思うものが見つかるじゃないですか。本も同じように、見た目で中身のよさがわかります。もちろん好きな著者の新刊は必ず買います。でも本屋さんに行って素敵なのは、そうじゃない本と出会えるところ。知らない著者なのに何か惹かれるような本と出会えるのが、醍醐味だと思っています。

――手触りなどの感触も大事でしょうか。

江國:そうですね。本は物体ですよね。それは著者だけの力じゃないはずなんです。物語やエッセイなどの中身を信じて、パッケージを作っている人たちがいる。だから、パッケージから中身が想像できる。どんな紙を使っているか。どんな絵が載っているのか。本の厚さはどうか、「丸背」か「角背」なのかとか。そうして中身にふさわしい装いになっている本というものが、好きなんだと思います。

江國香織が振り返る、旅としての読書 「本を読まなければ行けない場所がある」

「パッケージから中身が想像できる」というのは本当にそうで、著者が書いた文章があって、それを担当編集者やデザイナーが装丁をイメージして物体としての紙の本を作っている。中身から外見をどうするかという想像力は、その文章や物語から誘引される。
だから、手に取って見たときに「ダサい」「カッコ悪い」と一瞬でも思った本はどれだけ売れていようが評価が高くても、読んだら合わないかおもしろいと思えないものが大半。まれにこの装丁は最高だって思ったらそうでもないことはある。
著者が好きでずっと読んでいる作家さんだと、たまにこの装丁はないなって思っても買う。その時にはこの出版社でどうもあの編集者だからか、とわかればその人が担当の場合の書籍は基本的に手を出さなくなる。明らかにその人の「いいもの」と僕の「いいもの」は違うから。
書籍に手に取ったら装丁は誰かみたいなことは見るから、担当編集者もちゃんと記載しておいてほしい。そのぐらいの責任はちゃんと取った方がいい。
僕の「いいもの」や「カッコいい」と思える装丁デザインはいわゆる売れているものにはあまりないし、「本屋大賞」とか見ても候補のものでジャケ買いしたと思うのは年々減っていっているし、今年は10作品中1作品ぐらいだった。僕の感覚がそもそも一般的なものとズレているんだろうけど、刊行点数が増えてイラストの表紙が増えていった辺りからダサい装丁が増えてきたと思ってる。


休憩時間に書店で松本直也著『怪獣8号』13巻を購入。主人公の日比野カフカの後輩であり相棒の市川レノのカフカの窮地を救いにきた行動と熱い展開で涙が自然と流れてしまった。今総力戦みたいな展開になっているが、非常に読み応えがある。


その帰りにB&Bに寄って『LIFE HISTORY MIXTAPE 01』を購入。原カントくんさんがストーリーズでアップしていて、前にも見た記憶があったので買っておこうと思った。ラッパーたちの子供の頃の話を集めたインタビュー集。カセットテープをイメージしてデザインしてあるデザインなのも本を開くとわかるのもいい。

菅田将暉『美しい生き物』 


「10年日記」というのをつけている。今のは二冊目で「2022-2032」の期間のものになっていて、この一週間ほど書いていなかったのでGoogleカレンダーを見ながら簡単なことを記入していった。
今月末に野田地図最新作『正三角関係』を観にいくのだけど、一年前の2023年7月3日には野田地図の舞台『兎、波を走る』を観に行っていたことと亡くなった友人と飲んだと書いていた。
僕の中ではこの舞台はもちろん観て、非常に揺さぶられたしすごい作品だったという記憶はあったけど、彼女と観に行ったことをなぜか忘れていた。
去年のブログを見てみると観終わってから焼き鳥屋で飲んでいることが書かれていて、それを読んでお店の場所もしっかりと思い出した。だから、野田地図関連で言えば、『THE BEE』と『兎、波を走る』はその友達と観に行っている。前者の方を観た後は劇場から地下鉄直結部分にあるカフェみたいなお店で感想を言いながら閉店が近かったのでお茶をしたことも思い出した。
たった一年前のことも覚えていない。だから日記とか何かに書いておくことは大事だ。人間は忘れてしまうし、あるいは記憶を違うものに書き換えてしまう。
菅田将暉の『美しい生き物』は新しいアルバム『SPIN』に収録されていて、MVが公開された時に観ながら泣いてしまった。映画監督の大森立嗣監督が手掛けているが、彼が手がけた『タロウのバカ』という映画があった。その作品には菅田将暉と仲野太賀とこれがデビュー作となったYOSHIがメインで出演していた。
YOSHIはOff-Whiteを立ち上げたファッションデザイナーであるヴァージル・アブローと出会ったことで一気にインスタグラムでフォロワー数を伸ばした少年であり、X JAPANYOSHIKIが手掛けるボーイズグループオーディションでも注目されていたが、19歳の若さで大型バイク運転中にトラックに衝突してこの世を去った。彼を見出すことになったヴァージル・アブローもその前年の2021年に癌のために死去している。
YOSHIが16歳の時に公開されたのが『タロウのバカ』であり、年上だが作品で共演して菅田将暉や仲野太賀らとも仲が良かったようで、この曲は大森立嗣が監督しており、映画にも出ている菅田と仲野に奥野瑛太が出演している。また、大森立嗣監督の父である麿赤兒と彼が主宰している「暗黒舞踏集団・大駱駝艦」のメンバーも出ている。この映像時t来がYOSHIへの追悼の曲なのは間違いない。
僕はこの曲を聴きながらその亡くなった友達のことを考えていた。歌詞の中で「スターになって」という箇所があるが、コンビニに行った時にビールが飲みたくなってサッポロビールを買った。このビールは星のマークだ。偶然だろうが、シンクロはしている。

『83 Lightning Catapult』最新回を聴きつつ。この日記を書いた。毎週お馴染みの二人のトーク、いつもとあまり変わらない月曜日だった。

 

7月9日
起きてからradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』と流してライティング作業をする。
「フワちゃんANN0」ではロンドンに行って上白石萌音が主演している舞台『千と千尋の神隠し』を観たこと、『水曜日のダウンタウン』の藤井健太郎プロデューサーと合流して『ABBA Voyage』というABBAアバター(彼らが全盛期の20代の頃の姿)が映し出されてライブをするというものを観たと話していた。
舞台翌日に上白石萌音と一緒にロンドンの図書館に行った話など、今までの海外に行ったトークとはかなり違うものになっていた。友達と一緒に行動しているから感じることも行く場所も違っていて、そのことをトークしていたけど、本当に羨ましくなるほどに良い滞在だったのが伝わってきた。

平岩  浅野さんは漫画制作に積極的にデジタル技術を取り入れたり、イラストや作詞、ファッションブランドとのコラボ、YouTubeでも配信をしていたり、色々なアプローチのアウトプットをしていますよね。その中で、あえて漫画というメディアを選んで創作活動をしているのはなぜですか?

浅野  すごく乱暴な言い方をすると、漫画って映像と小説の中間にあるメディアだと思うんですよね。中途半端でもあるけど、いいとこ取りもできる。たとえば小説は主人公の心理描写が活字になっているけれど、映画でずっとモノローグを使ったら煩いじゃないですか。でも漫画ならそういう表現もできなくはないので、文学的なものをやりたいなら、漫画が向いていると思う。今描いている『MUJINA INTO THE DEEP』みたいなアクション漫画は、漫画よりアニメのほうがずっと良く見せられると思うんですよ。

平岩  浅野さんみたいに漫画を描くのにBlenderUnreal Engineを使っていると、制作に使うツール自体はもうアニメやゲームを作っている人達と同じで、アウトプットの結果が違うだけだったりしますよね。

浅野  そうですね。たしかに、僕が持っている背景の素材やアセットは映像やゲームでも流用可能なものなんです。漫画の原稿ではモノクロになるけど、作っている時はカラーなので別のメディアに展開できる可能性もあると思っています。それでもなぜ漫画を描いているのかと聞かれると、ロマンみたいな話になっちゃうんですけれど、僕はやっぱり「出版」が好きなんですよね。特に小学館は出版社の在り様として、どこか教養というものがベースにあるように感じていて、漫画にしても娯楽一辺倒じゃない付加価値があると認めてくれる気がするので、だから僕はここで描いているみたいな。

浅野  でも、最近流行っている漫画の中でタバコを吸っているシーンがよく出てくるんですけど、今はタバコって世間一般的には嫌われているじゃないですか。ネット上だと喫煙者にすごく当たりが強いけど、大学生とかは意外と吸ってたりするんですよね。ローカルにはネットで言われている絵空事とは違う雰囲気があって、そういうのが漫画にも表れてきている気がします。ネットはネット、みたいにみんな少し目が覚めてきたということかな、と。

平岩  SNSのタイムラインも自分で作っているので、ネットで目にするものって広いようで狭かったりしますよね。

浅野  エコーチェンバー現象というか視野の狭い世界に個々人がいることが常識化したから、ネットに書かれていないことが重要だよね、という空気になってきた気がしますね。徹底して自分の好きなものだけを目にして描くという漫画の作り方もあると思うんですけれど、リアルを求めるならば自分にとって不快指数の高いものも、なるべくフラットに見ないといけないなと思っています。

平岩  明らかに自分とは感性が違うだろうインフルエンサーとか、迷惑系YouTuberみたいな人や、そのフォロワー同士のやりとりを見ると、ものの考え方から言葉使いまで何もかも別世界だったりしますからね……。

浅野いにおが語る、漫画の「今」

浅野いにおさんのロングインタビューを読んで、やっぱり浅野さんは信用に値する漫画家だし表現者だなって改めて思った。
ここで話されている三大出版社(集英社講談社小学館)にそれぞれ明確なイメージを持っている世代は80年代前半で終わっていると思う。そういう分野に育てられたので浅野さんがここで描き続けていること、時代ごとに吸収しながら表現をアップデートしていることを真摯に語られていて、内容としてもすごくいいものだった。

ヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』をオズワルドシアターで試写。去年の『哀れなるものたち』以来のこの試写室だったけど、なんと入場前のスマホの電源落として封筒に入られらるという儀式がなくなっていた! それをやる警備員の人とかがいたから経費削減とかのことが関係しているのだろうか、なんだか残念。
ヨルゴス・ランティモス監督とA24の映画を観ていると彼らは新自由主義グローバリズムが侵食し当たり前になった世界で「新しい神話」を作ろうとしているように思えてくる。それもあって、日本というよりはキリスト教文化圏の方がモチーフや出てくるアイテムや生き物が何を示しているのかわかるだろうし、もっと観た後に残るものも違うということもあるのだとは思う。
神話には性交(生と死)が欠かせない、生まれてくるものがいて死んでいくものがいる、父と子と聖霊の三位一体がある、聖なる(邪な)動物たちがいる、肉体は傷つき損なわれてしまう、聖なる水は溢れる(枯れる)、神秘とはつねに誰かの不幸と悲劇と共に起きる。
前作『哀れなるものたち』的なものを期待していくと完全にハシゴを外される。その辺りもヨルゴス・ランティモス監督と三度目のタッグとなるエマ・ストーンが憎たらしく思えてくる、シュールさとアイロニー満載の、三本立てのコントだと言える。
僕ならこの映画のアンバサダーに東京03にお願いするだろう(10年以上前ならラーメンズだったかもしれない)。出演する役者たちは三つのそれぞれの作品に出演しているが、役柄や関係性が違うので多少混乱はする。受付でもらった資料の表紙には出演した俳優たちの顔がたくさん並べられており、それはどこか仮面のように見える。そう、俳優たちは同じ顔だけどその顔(仮面)ごとを違う役柄に当てはめているということを示唆しているのだろう。
例えば、エマ・ストーンは一作目では脇役的な立ち位置の不思議な女性(リタ)を演じているが、二作目ではある事故に遭って生還した主役的た立ち位置の女性(リズ)を演じ、三作目ではとあるカルト団体に所属していて、仲間の男性と組んで組織が探し求めている女性を探している女性(エミリー)という役どころになっている。それぞれの役名も違うし、別人ということになっている。
一作目では主人公格の男性の妻があることをきっかけにいなくなってしまう。そして、出会うのがエマ・ストーン演じるリタとなっていた。二作目では生還したリズの夫が妻の中身が違う誰かに入れ替わっている、彼女ではないと思うようになっていく。三作目ではエミリーは夫と娘を捨ててある団体に奉仕している(ため、夫からすれば妻は自分の元から去ったと言える)こともあり、どこか村上春樹作品における妻や恋人が主人公の「僕」との生活を捨てることにも近しいものが少し感じられた。
役者がそれぞれ三作品で別の三人の登場人物を演じること、三つがあることで繋がっていることなどもあり、不条理な三本立てのコントを観たような気持ちになった。
ところどころで笑ってしまったけど、まあ万人受けしないだろう。説明を省いているのである人からすれば不親切でわかりにくいと感じるはずだし、そもそも説明されてもたぶん楽しめない人は楽しめないタイプの映像作品になっている。完全に客を選ぶ作品だと思う。その意味で『哀れなるものたち』とは方向性が真逆、でもやりたいことは通じているから、ヨルゴスとエマタッグに拍手したいし、結局あんた最高じゃんって、映画でやりたいこと意識的にしっかりとやりきっている。

持論だけど主要人物が吐くシーンがある映画はいいものが多いと思っている。人間は一本の管だから、口から食べて肛門から排出するが、口も肛門も性交で出し入れされる場所にもなる、男女の凸凹だけでは限らずそれは性別は関係なく使われる部分(器官)でもある。管である人間における穴は性交と結びつく、故に性交を描くことは食べることにも通じていき、それは生きることであり個人の日常となっていく。だからこそ、口から何かを吐き出すことは生理的な違和感であり、日常からの拒否である。こんな世界を受け入れないためでもあり、私を守るために異物を吐き出す、ための吐瀉は生きることを諦めないレジスタンスでもあるように思える。
あのちゃんのファーストアルバムのタイトルが『猫猫吐吐』だった。あのちゃんの描いたマスコットキャラの「にゃんおえ」はまさに猫がゲロを吐いている姿になっており、去年の彼女の今年を象徴する漢字は「吐」だった。
というようにあのちゃんを体現する漢字の一つが「吐」であり、彼女は世界や社会への違和感や嫌悪や怒りを吐き続けているとも言える。ミュージシャンとしては「ano」名義ではポップさを纏いながらも精神的にはパンクだというライブをし続けている。
「吐」という行為と表現について考えるその前段には「詩人と血しぶき」ということを考えている時期があった。体内の血を撒き散らす、それは現実ではできないししたら死んでしまうから、詩人は血である自らの内側から出てきた言葉を声にして文字にして体外に撒き散らして世界を血でもある言葉で染めていく。ということをある映画のレヴューで書いていたことを思い出した。
あのちゃんが吐き出そうとする世界や日常への違和感や怒りがどんどんポピュラーになっていっているのは、さっき書いたようなレジスタンスに通じていて、多くの人が吐き出したいと思っていて彼女に共鳴しているのではないだろうか。

試写で知り合いの映画監督の方とお会いしたので、最寄り駅も同じなので一緒に帰って僕が好きな居酒屋さんでたくさん飲んで感想や他のことを話した。映画を観たあとにしっかり感想が言い合えるのはすごく楽しい。

 

7月10日
昨日ぐらいから背中の左側の腰のあたりに痛みがあって、今日起きてもそこの痛みはまだ残っていた。珍しく連日ビールを飲んだことが原因かもしれないし、あまり長く続くようなら病院に行った方がいいのかなと思いながらググってみる。
いつもの水曜日のルーティンがてらradikoで『アルコ&ピースD .C.GARAGE』を聴きながら朝の読書。
続いて『JUNK 爆笑問題カーボーイ』の途中からリモートワークを開始。その流れで作業中BGMがてら『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を。

「あのANN0」は収録であのちゃんの友達であるメイプル超合金の安藤なつがゲストだったが、二人のやりとりがほのぼのしていたし、安藤なつがあのちゃんをしっかり受け入れている包容力のあることもわかるし、あのちゃんも安藤なつを信用、信頼しているのがとてもよくわかるトークだった。女性同士ということもあるし、気を許せていることもあってかいつもよりも下ネタ関連の話題が多かったが、二人でキャッキャしていてほのぼのしていた。

リモートを一時間早く上がらせてもらって恵比寿へ。リキッドルームで『[GAL presents "PR vol.13] group_inou / パソコン音楽クラブ』のライブを。
スペシャ列伝」で初めてライブを観て気になってから、ファーストアルバム『FAN』以降のアルバムリリースツアーにはほぼ行き、2016年のWWWXでの活動休止ライブを見届けて早8年が経った。そんなgroup_inouがフェスではなくライブハウスでのライブをする、復活する日だったのでなんとしても行こうと思い、ずっと彼らを一緒に見に行っていた友人Aと共にライブを観に来た。彼もめちゃくちゃ興奮してた。
最初はパソコン音楽クラブからだったが、MCでも自分たちの前にgroup_inouがいてくれて道を作ってくれたから自分たちはその轍を歩いていけたという話をしていた。group_inouもMCの時にDJのimaiもコロナパンデミックが収まりかけた頃にライブハウスでパソコン音楽クラブに「group_inouとライブをしたいんです」と休止をずっとしている時に言われたことで心を動かされてこの日があることを話していた。
二組とも最高に楽しかったし、音が何よりも気持ちよかった。休止のライブ以来の『MAYBE』では体を揺らして叫んでいたし、他にも新曲『Happening』以外は僕らがライブに行っていた時に聴いていたものばかりでほぼベストなセトリだった。
フロアが揺れに揺れていて、観客それぞれが気持ちよくて楽しく踊れるダンスフロアが出来上がって、熱狂と共に音と戯れていた。一言、最高だった。

 

7月11日
6時に目覚ましで起きて可燃ごみを出してから昨日帰ってすぐに寝落ちしたので湯船に浸かってちょっと体を休められた。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きつつ、朝の作業をする前に今日が誕生日の古川日出男さんへお祝いのメッセージのメールを書いて送る。夕方過ぎにお返事をもらったのだけど、その文面もうれしかったし、お祝いメール送ってよかった。
この日は古川さんだけでなく、古川さんとも関係性の深い翻訳家の柴田元幸さん、『水道橋博士のメルマ旬報』でもご一緒していた今年公開されて話題になった『辰巳』を監督した小路紘史さん、NEWSの加藤シゲアキさんが同じ誕生日。皆さんおめでとうございます!
古川さんの誕生日を覚えていると他の方々も思い出せるので、誕生日が同じ人が数人いると非常にわかりやすい。

We Live In Time | Official Trailer HD | A24 


昨日の時点でA24のメーリングリストから来ていたけど、アメリカで秋公開予定の『We Live In Time』の予告編が公開されていた。
アンドリュー・ガーフィールド&フローレンス・ピュー主演でめちゃくちゃ期待できそう(号泣してしまいそう)な映画だし、A24らしい座組(アンドリュー・ガーフィールドは『アンダー・ザ・シルバーレイク』主演だし、フローレンス・ピューは『ミッドサマー』主演とA24とも関係が深い)。ちゃんと日本劇場公開してほしい、たぶんするとしても半年ほど遅れるだろうから来年の春ぐらいになるのだろうけど、待ってる。


11時に伊勢丹本館の7階の「うなぎ つきじ宮川本廛」で友達と待ち合わせしていたので早めの昼ごはんでうなぎをいただく。一緒にご飯を食べた友達は一月に亡くなった友達の形見分けを三月に渡した時ぶりだったので、食べてから近況も含めて諸々話をした。
しかし、平日のお昼前なのに伊勢丹とかのレストラン階ってどのお店にもお客さんが開店前から店外にある椅子に座って待っていて、普段目にしない光景だから新鮮だった。
二人で伊勢丹でうなぎ食べてるから、おばさんとおじさんになったねえって話してた。若い時には来ようと思わなかったし、なんだかそういう変化は素直におもしろい。


紀伊国屋書店に寄って、二人で本を見ながらブラブラしていた。『百年の孤独』文庫版は見かけなかったので売り切れているのだと思うけど、マルケスコーナーができていて、海外版のものと日本で昔出ていた判型のものが展示されていた。


群像新人文学賞」を受賞した豊永浩平著『月ぬ走いや、馬ね走い』が気になっていたので購入して、ルノアールでもう少し話をしてから解散した。


家に帰ってきてから洗濯をしたりしてからニコラに行って、アメリカンチェリーとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただいて一服する。


夜はライティング作業をHYUKOH・落日飛車 Sunset Rollercoasterのコラボアルバム『AAA』とtoeのニューアルバム『NOW I SEE THE LIGHT』を交互に聴きつつ進める。

 

7月12日
四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』をradikoでタイムフリーで聴き終えてから寝た。ラジオでは前にゲストだった菅田将暉と一緒に都築が服を買いに行った話をしていた。芸人でオシャレな人もたくさんいるんだろうけど、菅田将暉と一緒に行くというエピソードは他には誰もできないと思う。
都築が服好きなのは前から話していて、Tシャツをズボンがてら履いたり、子供服を帽子みたいに被ったりとなかなか一般人からは理解しにくいことをしている。だからこそ、イジられたりもするけど、オシャレはそれまであった既成概念を突破したり、価値観を壊して再構築することでもあるので彼を笑っているとずっと後になってから、あの時笑ってたことが当たり前になった。あるいはあの時の変容したものがオシャレと言われている、ということは起こりうる。

深夜4時ぐらいに目が覚めたので缶の回収日だったので出しに行った。雨は降っていなかったし、そこまで湿度があるような気はしなかった。この一週間ぐらいで珍しく家でビールを飲む日が続いたので空き缶が出てしまったけど、回収ボックスに同じようなチューハイの空き缶が二十缶ぐらい出されていて、飲む人は家で習慣的に飲んでるんだなって思う。確かに寝酒としてぐっすり寝れる(実際は軽い気絶らしいが)からわからないでもないが、たぶん、今後は家で飲むことはないとは言わないけど習慣づかないなって思う。

で、目覚ましも鳴らずになんとなく体がちょっと筋肉痛ぽいなと思いながら起きたらリモートワーク開始のちょっと前だった。昨日わりと歩いていたから疲れたのかもしれない。
というわけで仕事を開始。radikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』といつものBGMを流していた。
「ナイナイANN」の冒頭で岡村さんが都知事選のことに触れていたが、やっぱりなんか違和感というか、コロナパンデミックの時の風俗についての時みたいなことではないけど、認識的に今の時代の感覚とはちょっとズレているような言い方が気になってすぐに止めて、「マヂラブANN0」を聴き始めた。
同世代というか矢部さんと同じ年ぐらいのおぎやはぎはそういう常識とか時代感わかっているんだなってトークを聴いたら思うから、その差みたいなものってなんなんだろう。


昼休憩の時には傘がないと出られないぐらいには雨が降っていた。駅前のTSUTAYA書店で佐々木敦著『成熟の喪失 庵野秀明と〝父〟の崩壊』を手に取って目次を見ていたら江藤淳大塚英志の名前があったのでそこをちょっと読んでから購入。

cp 活動を再開したのも、昨年結成20周年だったことに気づいて、せっかくだから何か音源を出そうってなって作り始めて、リリースしたらおのずとライブもやろうかとなって。

imai 全然意図的ではなくて。8年ぐらい経って、なぜか自然な流れで再開した(笑)。そんな感じだから、2人のテンポがハマったときはめちゃくちゃ速い。『HAPPENING』はトラックが1日でできて、「俺、すげえな!」って思いながら得意げにcpに送ったら半日で帰ってきた(笑)。実質2日くらいで作ったんだよね。

cp 活動というよりかは、遊びの延長って感じはあるかも。僕たち、ツアー中の移動の車内でずっとしゃべってて。そうすると、運転手の人が長時間の運転で脳がバグって、ぽろっと面白い言葉を言ったりする(笑)。僕らの周りにいるスタッフの人って、みんながハマるワードを言ってくれる人が多くて、そういう会話の中で生まれた言葉をメモして歌詞に生かすことは多いかな。

音楽も笑いも、グルーヴが必要だ。ランジャタイとgroup_inouアバンギャルドに突き進む2組の初対談

水曜日に復活した8年ぶりのライブを観たgroup_inouとランジャタイの対談。
読みながら漫画の影響も含めて、頷けるものばかりだったし、やっぱり国崎が振り切ってるのがすごい。彼がZAZEN BOYS大好きで向井秀徳さんとYouTubeで話しているのもすごくファンだというのが伝わったし、正直羨ましかったぐらいいい内容だった。

これまでの57年間もずっと本を読んできた。実際には50年間しか読んでいないはずだが。というのも私は小学2年生から「読書」を体験として・経験として・極めてアクティブな営為として意識しはじめたから。しかし読みつづけてわかったのは、自分が求めている本は私に「何かを考えさせる」ということだった。読めば、考える。考えさせられてしまう。そうするとどうなるか? 世間に対して従順にならない。それは自分が(10歳だの20歳だの50歳だのの頭でもって)考えたこととは違うからだ。ということは、どうなるのか? 抵抗する人間になる。私は抗っている。

私はずっとずっと抗っている。

古川日出男の現在地』読む・考える・抗う 2024.06.29 – 2024.07.12 東京・福島・埼玉

古川さんの現在地が更新されていた。「私は抗っている」という言葉は古川さんの小説もだし、そこから広がっていったいろんな小説家たちの作品を読んでいるとわかる、わかるという感覚がある。僕も抗いたい側だし、そういう風になっていったのは古川さんの小説を読むようになったことがやっぱり大きい。

夜は更新された『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴いてからライティング作業と読書。明日から三連休だけど雨っぽいので、できるだけ晴耕雨読

ラシダ・ジョーンズが、相次いで話題作を世に送り出す米制作会社A24と組み、Apple TV+から全世界配信されるドラマの製作総指揮を務めた。自身が主役を演じる物語の舞台は京都だ。町家が並ぶ小道の向こうに五重塔。観光客にもおなじみの風景とともに、銭湯やセックスショップ、さらには60年代の近代建築を代表する国立京都国際会館大谷幸夫設計)も登場し、クールな日本のイメージ満載だ。

同会館の建物は、劇中では電子機器メーカー「イマテック」の社屋という設定。主人公スージーラシダ・ジョーンズ)の夫であるマサ(西島秀俊)の勤め先だ。ただしマサは回想シーンでしか登場しない。息子と旅行に出たきり消息を絶ってしまったのだ。2人を乗せた北海道行きの飛行機が墜落したという。

2人の遺体は見つかっていない。マサの母ノリコ(ジュディ・オング)は墜落機に搭乗していなかった可能性に一縷(いちる)の望みをかけ、気丈に振舞っているが、スージーは淡い期待すら抱けず、悲しみに暮れていた。そんな彼女のところへタナカユウキ(國村隼)と名乗る男が現れる。マサの同僚で、会社からの贈り物を届けに来たと話す。大きな箱の中身は「サニー」。イマテック社製の家庭用ロボットだった。

タナカによると、ロボットはマサが開発した。夫から所属先は冷蔵庫部門だと聞かされていたスージーはとまどい、マサの本当の任務について探り始める。どうやら彼のロボット開発と飛行機事故には何らかのつながりがありそうなのだ。やがて、ロボットのプログラムを書き換える「ダーク・マニュアル」の存在や、その背後に暗躍するヤクザの影が浮かび上がる。ロボット嫌いのスージーだが、サニーの力を借りて謎を解こうと動き出すのだった。

Apple TV+「サニー」:A24が放つ異色の近未来ドラマ 出演者ジュディ・オング國村隼が語る“ロボットと共生する時代”

寝る前にAppleTV +の解約をミスって延長になってしまったのでA24が制作した近未来の日本を舞台にしたドラマ『サニー』第一話を見た。正直一話を見る限りあまり面白くは感じなかった。未来の日本だというのはわかるんだけど、これ十話で面白くなるんだろうか。
毎週一回ずつ更新されていくとなるとあと三ヶ月以上継続しないと最終回まで見れない。これを見るために更新したいという気持ちにはなっていない。最初は三話まで公開されているから、それを見て決めることになるんだろうけど、一話見て二話見たいって思っていないから望み薄い。

 

7月13日
休日で特に予定もないのでのんびりと起きた。とりあえず、土曜日のルーティンとしてTVerで『オールナイトフジコ』を見ようと思って再生したら、なぜかゲストで都知事選に出馬していた石丸伸二が出ていて見る気をなくした。佐久間さんにオズワルド伊藤、休みだったけどさらば青春の光の森田と好きなメンツがMCだから初回から結局見ているけど、初めて見なくていいやって。
radikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら読書をしてから家を出る。天気予報で気温を見たら27℃だった。いつもよりも涼しく感じられて風も多少あったので非常に歩きやすかった。
散歩のお供は『三四郎オールナイトニッポン0』を、『プラダを着た悪魔』の続編が作られるという話題から序盤からトークを持っていっていた。いつも通りとも言える小宮がどんどん展開していき、相田が頷きながら話を促し、リスナーからのメールから渦巻き上に加速していく。三四郎のラジオという感じがちゃんとする回だった。単独ライブも終わったし、通常運転に戻った感じがしてとてもよかった。

家に帰ってからご飯を食べてからライティング作業を開始。アイデアも固まってきたし、登場人物の関係性とかもかなり決まってきたので、キャラクター表をバージョンアップした。そこに自分がイメージする俳優の画像を貼って、脳内でより作品がどんなものなのか考えていく。大枠は決めたのであとはそれぞれの章ごとに決めた日数で書き上げていく。

夕方コンビニ行ってアイスコーヒーを買ってきて一服してからほぼリアルタイムで『川島明 そもそもの話(ゲスト:六角精児)』を聴いた。俳優の六角さんがゲストだったけど、川島さんとの話のテンポもよかったしギャンブルとか借金の話とか昨今の若手芸人よりも芸人みたいな生き方をされていた。
もちろん、『相棒』出演で注目されたこともあって、借金返せたりと売れたからよかったわけだけど、それでもそういう生き方が顔とか雰囲気として纏うことで役柄にも生きているし存在感が増すということはあるんだろう。

中上健次著『異族』を少しずつ読み進めているが、今約930ページ中480ページと半分は越えた。読後感として村上龍著『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』に近いものを感じる。村上龍は中上の影響も受けていたし、六つ上の中上を兄のように慕っていた。同時代を生きる作家同士の連帯感や信頼感もあったのは村上龍が書いてきたものを読むと感じられた。
『異族』は中上の遺作になった作品でその二作品よりも後に書かれているので、村上龍が書いたものに影響をされたのかもしれない、あるいは取り込んだのかもしれない。元々中上健次の中にあった資質みたいなものを村上龍が感じ取って自分の作品に落とし込んでいたということもあるのかな。『異族』を読み終わったら村上龍作品を読み返したくなってきた。
コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』は80年代に発表されていて、『異族』は中上の未完の遺作として90年代に発表されているので、村上龍を読んでいた人間からすると先祖返り的なものもあるのだけど、この二人と関係する長谷川和彦映画監督のことも浮かんできた。
中上健次の小説『蛇淫』は映画『青春の殺人者』になり、村上龍の小説『コインロッカー・ベイビーズ』は元々長谷川和彦監督が撮る映画の脚本として村上が書いていた数本のシナリオのうちの一つが原型になっている。それらは長谷川監督がボツにしたため映像化されず、その後に長谷川監督がアメリカに行った際に知り合ったレナード・シュナイダーと知り合いになって彼が脚本として組んだのが『太陽を盗んだ男』になった。『コインロッカー・ベイビーズ』の原型になった脚本が映像化されていたら、おそらく『太陽を盗んだ男』は生まれなかったと思うと絶妙なラインで運命が動いたのだと思う。『コインロッカー・ベイビーズ』も村上龍を語る上でも欠かせない、日本文学の歴史に名を残す小説になっている。しかし、『異族』に出てくる登場人物の一人が作中ではずっと名前があるのに職業である「シナリオ・ライター」と書かれているから、きっとこういう繋がりのことを思い出すきっかけになったと思う。

 

7月14日
起きてからradikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴きながら目覚めの準備を。ラジオの中で森田さんがウーマンラッシュアワー村本大輔を追ったドキュメンタリー映画『アイアム・ア・コメディアン』を観に行った話をしていた。ちょっと気になっていたので、上映しているユーロスペースのサイトを見たら11時からの回があったのですぐにチケットを取った。

少しずつ読み進めていた古川日出男書き下ろし創作小説『うつほ物語』を最後まで読み終わった。終盤で『アラビアの夜の種族』や単行本『ハル、ハル、ハル』収録の『8ドッグズ』のことと繋がっていく感じがして、ちょっと驚いた。
古川さんがポストしているように『犬王の巻』と対になりというのも確かにわかる。どちらも楽器を演奏すること、芸能が大きな位置を占めているが、それと権力との関係性は真逆と言えるかもしれない。

大統領選に出馬する予定のトランプが演説中に撃たれて耳から血を流しながら右手を観客に突き上げている、あまりにも絵になりすぎな一枚の写真と共にニュース速報が流れてきた。
あまりにも混迷している世界で、日本でも安倍元首相が殺されたことを嫌でも思い出すような事件だった。民主主義における権力の暴走や政治家の偏った思想に対して暴力で、テロで終わらそうとする動きは昔からないわけではない。
トランプも好きではないし、安倍元首相も好きではなかったが、銃撃されて怪我を負う、殺されてしまってはやはり秩序が崩壊して無法地帯になってしまう。それはやっぱり民主主義的な世界から遠いところに行ってしまう。銃撃した殺害犯や加害者たちの苦悩や環境や信仰などもあるとしても、カオスをさらに深めて歯止めが効かなくなることに加担するだけだと思う、法を犯した者は法のもとで裁かれていかなければ、僕たちの生活を支えている土台がなくなって壊れてしまう。それは個人の尊厳と自由を失ってしまうことに通じる。
今回の暗殺未遂でアメリカ大統領選がどうなるのか、どこまで影響するのかはまだわからないが、それは当たり前だが敗戦以降アメリカの属国である日本の政治にも関係するし、生活している僕たち自身にもいずれ影響が出てくる。

日向史有監督『アイアム・ア・コメディアン』をユーロスペースにて鑑賞。三連休の中日、日曜日の午前中だったがお客さんはかなり入っていた。若い人もいたけど、思ったよりも五十代や六十代の人たちも観に来ていた。
政治的な発言をきっかけにテレビから消えたお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔を三年間追いかけたドキュメンタリー作品。作中に村本さんがテレビに出ているのは「タレント」で、俺は「コメディアン」だと言っていたのが印象に残った。
「タレント」は政治的な発言はほぼしない。いや、できない。それはテレビというメディアがスポンサーありきだから、スポンサーがないNHKのことも話していたが大麻についての発言でダメだったという話もしていた。スポンサーや広告業界に逆らうような、気に食わないような発言をする人はテレビには出られないし、出てもすぐに仕事がなくなってしまうという現実がある。
テレビ局員でも志があってもそこには逆らえないし、そういうことに従わないのであれば局をやめてフリーになるか、海外に行くという選択肢になる。日本には言論の自由はあるが、触れてはいけない、公の場所では言わないほうがいい、ことは思いのほかある。そのことについてユーモアを用いてアイロニー満載の笑いはテレビではできない。ことが村本さんをめぐる環境からもよく伝わってきた。
誰かが悪いわけではなく、それぞれがそれぞれの仕事をしていくと不幸になるシステムが完璧に近い形で構築されていて、逆らうことはそのシステムから追い出されるということになる。だから、みんな思っていても言わない、言わないことは思っていないこととされる、それが日本であり、さらには同調圧力もあるから流されてしまう。なあなあのままなら許されるのに、あるときに自分が思ったことや感じたことから組織や状況について意見をすると敵だと排除されてしまう。敵か味方しかないようになぜかなってしまっている、中間層が消えていき、互いに罵り合うだけで会話ができなくなっている。それはネットというかSNSが加速させてしまった。
「芸人とは何か?」という問いを村本さんはずっと抱えているようにも見えた。彼の出身地の福井の地元近くには原発がある。だから、原発マネーのことも知っているし、それによって地元の経済が成り立っていることも知っている。
でも、東日本大震災以降の日本でいろんな被災地にも足を運んで見てきたことや、地元との人と交流したことから原発問題にも在日朝鮮人問題や沖縄の基地問題などについてスタンドアップコメディとして弾丸を連射するごとく高速で話し続けて皮肉も満載のネタをやっていく。笑いとは緊張と緩和であり、観客は現実問題や目をさらしている状況について逃れられないまま、その問題における矛盾や人々の対応やあるいはおかしさをオチに持ってくると笑ってしまう。緩む。高速ジェットコースターに乗っているような、速さ。速さが壁や境界をするりと突き抜ける。
村本さん自体の家族との関係性などもあって、彼の思想や性格が形成されたこともわかる内容になっていた。ここがあるから、彼の発言や行動をおかしいとは思わないし、彼の人生、歴史が積み重なって今に至っていることがわかる。その説得力があることでよりネタの部分で笑える。
アメリカでスタンドアップコメディの挑戦はコロナパンデミックによって順調には進まなかった。テレビには出ないようにはなったがスタンドアップコメディのライブを全国でやっていたことが収入源だったが、それも感染拡大でライブができなくなってしまうなど計画が狂っていく。その中で彼がどう動いていったのか、家族との関わりも含めて芸人としての生き様はカッコよくて響いたし、泣いてしまった。もちろん、ネタでも何度も笑ってしまった。コロナパンデミック以前とその最中の三年間がしっかりと一人の芸人から世界が照射されている素晴らしいドキュメンタリーになっていた。

ヨルゴス・ランティモス×エマ・ストーン最新作『憐れみの3章』本予告│9月27日(金) 全国公開 


試写で観てからちょくちょくこの作品のことを考えている。不条理コント三本立てみたいな言い方はできるし、ヨルゴス・ランティモス作品は純文学書いていた人が、純文学的資質がある人がエンタメ作品に本腰を入れて書いてみたような感じもする。
メインの役者一人ずつ、顔の部分がマスクみたいになっているポスターがある。役者は作品の役柄ごとに自分の顔を顔なしのそれに当てはめるみたいな意味合いなのだろう。三つの作品ごとに役者は違う三役を演じている。
多重人格は一つの身体にいくつかの異なる精神が共存しているけど、役者は一つの精神を異なる役柄それぞれの身体に送り込んで一体化して役が終われば元の肉体に戻ってくるという感じなのだろうか。
マスクみたいに見えるポスターデザインはどこか不気味なんだけど、この作品の精神性を的確に現してると思う。劇場公開したらまた観に行かないとなあ、サーチライト・ピクチャーズのパンフは出来もいいから。


18時になったので家を出て下北沢のボーナストラックへ。茶沢通りを北上している時に見えた下北沢方面の空が黒くてもくもくしているから大雨降りそうだった。歩いて20分ちょっとの距離で鎌倉通りの坂を上っていったが雨は降らなくて風が吹いていたので歩きやすかったが、やはり湿度は高くて汗がつく頃にはだいぶかいていた。
大谷能生×菊地成孔菊地成孔大谷能生の教養としての雑談」『20世紀ジャズ名盤100』(イースト・プレス)『たのしむ知識』(毎日新聞出版)W刊行記念」をB&Bにて。
『たのしむ知識 菊地成孔大谷能生の雑な教養』は発売の時に読んでいたが、満席の会場で読んでいない人が半分以上いたので、菊地さんが発売してだいぶ経ってるよ、読んでないなら本の話しないつもりだったけど、そっちをするかって言いながらも書いてないことの雑談みたいな感じにはなった。
元大統領、で今回の大統領選に出馬しているトランプが撃たれた話から始まったんだけど、二人とも本を出しても読まれているという実感はないってところから本の話になっていった。
あとは菊地さんもラッパーとして出演する湯山玲子が手がけているクラシックとラッパーが共演するサントリーホールの話とかもしていて、本の内容よりは菊地さんと大谷さんのファンが聞きたい二人の雑談という感じだった。まあ、それが聞きたいのでこちらとしては楽しいしおもしろいというトークになっていた。
大谷さんが車のCMのナレーションやっていると話とか菊地さんがアストンマーチン一社提供のラジオやっているので車やタバコに関する仕事のことなんかも話していた。なるほどなあ、確かにそういう仕事はギャラもいいだろうし、デカいんだろうなとか思いつつ、フリーランスがどう生きるか稼ぐか、でもそういうところで声をかけられる人は限られているわけで、知り合いの人たちもちゃんと企業案件とかやっているから成り立っているのは聞いているとわかるので、今後の自分のことも考えつつ聞いていた。
大谷さんは携帯を持たなくなって5年ぐらい経っていて、最後に電話したのがフジロックの出た2019年で深夜の菊地さんのDJを大雨でいけないって言ったのが最後だったという話から、出演者であるミュージシャンだけが苗場のプリンスホテルに泊まれるみたいなのだけど、そこから見える景色の話やある種の優越感みたいなことを二人が大爆笑しながら話していて、それがおもしろすぎた。他のミュージシャンもそんなこと思っていてたぶん口にしないような話だった。
菊地さんはスマホではなくガラケーでどこまで生活ができるのかを実験しているという話をしていた。東京で暮らすには居酒屋でもQRコードを読み込んで注文して会計したりするところも増えたし、タクシーもアプリがないと中々捕まらない(菊地さんは電話して配車してもらっているが、アプリの方が優先されているとのこと)など、スマホがないと都市生活がどんどん不便になっている現状について。
僕はスマホにしてから10年以上経つが、いまだにユーバーイーツとかデリバリーで食事を頼んだこともないし(なんか自分が運ぶ側になるイメージとか、なんか申し訳ない気持ちになって無理)、スマホを使ってSNSとかしているだけだ。スマホを使わない人の生活の不便を正直わかっていないと思う。
都市生活するために最低限必要なものがスマホになっていく、確かに決済も含めて簡潔だしスピーディだ。だけど、そうじゃない(スマホを使えない人、持つことが金銭面も含めて無理な)人をどんどん排除しているという事実はある。そういう人たちに対応できる、対応できる余地はさすがに残しておかないとセーフティネットにすら辿り着けないということになってしまう。それは生存権に抵触してくると思うのだけど。


トークが終わってからサイン会だったので、家にあるのは持ってきていなかったので二冊目を購入して、お二人にサインをしてもらった。
JAZZ DOMMUNISTERSの新しい音源は出ないんですかって聞いたら、タイミングだよねって言われていたので来年とかに出たらいいんだけどなあ。前に読んだのは知り合いの誰かにあげよう。

 

7月15日
6時に目覚めて可燃ごみを出しに行ってから、今日も休みだったと思ってもう一眠り。起きたら10時を過ぎていた。久しぶりにしっかり寝たという充実感があった。
昨日夜に『川島明そもそもの話』『有吉弘行のSUNDAY NIGHTDREAMER』は聴いていたので、Spotifyで『あののオールナイトニッポン0』(ゲスト:安藤なつ)回を流しながら散歩へ。夕方以降にライティングするスケジュールにしていたから、お昼までに外に出ていないと出るきっかけを失うので普段よりは遅い時間だけど外に出た。
気温は30℃にもなっていなくて昨日同様風があったので非常に歩きやすかった。日差しも強くないし、ちょうどいい。暴力的な暑さで日射病や熱射病に気をつけないといけない中で歩くのは怖いし、日焼けもひどいことになるのでこのぐらいが歩くのはちょうどいいから気持ちいい。

代官山蔦屋書店をブラブラして何も買わずに家に戻ってから、近所のトワイライライトに行って前から読みたかった坂口恭平著『生きのびるための事務』を購入して店主の熊谷くんとちょっとおしゃべり。
休日だということもあってかお昼でもお客さんがたくさんいた。どんどんイベントも展示もやっているので、三茶にあまり用事がなかったお客さんからすると三茶=トワイライライトみたいな人も増えているのかもしれない。

Zazen Boys - 永遠少女 Live at 日比谷野音 5.26 2024 


5月の日比谷野音でのライブ映像がアップされていた。今度のLIQUIDROOMアニバーサリーライブ(2013年から毎年ZAZENがやる時は観ている)のあとは日本武道館でのライブ。年に最低でも二回、今年は例年以上で四回ZAZENBOYSのライブを観ることになる。菊地成孔さんのやっている音楽もだけど、音としての気持ちよさ、そして複雑性に惹かれている。大衆的なものではないけど圧倒的にカッコいいものに僕は揺れていたい。

夕方過ぎから読書をしてライティング作業を。昨日B&Bトークでも話に出ていた菊地さんがMCでゲストを迎える番組(ゲスト:菊池武夫)をタイムフリーで聴いて、その後にニッポン放送開局70周年特別番組の三四郎がMCの『三四郎の爆湧きラジオ』をBGMにして進めた。

From Q presented by Aston Martin Ginza 

夕方過ぎから読書をしてライティング作業を。昨日B&Bトークでも話に出ていた菊地さんがMCでゲストを迎える番組(ゲスト:菊池武夫)をタイムフリーで聴いて、その後にニッポン放送開局70周年特別番組の三四郎がMCの『三四郎の爆湧きラジオ』をBGMにして進めた。
タケオキクチのデザイナー出る菊池さんにジャズミュージシャンの菊地成孔さんが『燃えよドラゴン』でメンズビギの服を着ていた理由を聞くという、ファッションと映画での関係についてのトークは結構貴重なのではないかなあ、有名な話なのだろうか。それにしても菊池武夫も85歳だけどいろんなことを覚えていて話されているし。知識もすごい。それに対して菊地成孔さんが補助しつつ、さらに誰が知ってるんだそれぐらいのマニアックなジャズの話をしていて、菊池さんが喜んでいるのもわかる。知とセンスの対話だった。

ニッポン放送開局70周年特別番組「笑顔にナーレ! 三四郎の爆湧きラジオ」

三四郎のラジオにはきしたかのの高野とラブレターズの溜口がゲストだった。きしたかのTBSラジオ三四郎と同じ事務所なのに裏番組を今はやっていて、通常放送にはゲストで来れなくなったこともあって、それで呼ばれたのかなって思ったり。溜口はクイズ出題でテンション高く登場、これは11月もやるだろうな。しかし、この番組一時間は短すぎる。盛り上がりかけて終わってしまった。
番組の10周年記念の日本武道館のイベント開催日は11月24日、あと四ヶ月後。世界はもっとカオスになっているかもしれないし、まともにはなっているとは思えないけど、ちゃんと武道館で二人のトークを聴きたい。夏を生き延びる理由にはなる。

今回はこの曲でおわかれです。
toe - LONELINESS WILL SHINE 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年6月16日〜2024年6月30日)

6月上旬の日記(2024年6月1日から6月15日分)


6月16日
日付が変わってすぐに上旬の日記をこのブログに、半年前の日記をnoteにアップして寝ようとするが、なかなか寝付けずTVerで『ゴッドタン』で四千頭身がゲストの腐り芸人セラピーを見て、昼間に見ていた『夜明けのラヴィット!』をもう一度流しながら目を瞑っていた。
『夜明けのラヴィット!』は『笑っていいとも!増刊号』みたいな月曜日から金曜日までの生放送を凝縮した編集版。相席スタートの山添寛の誕生日は一日の放送全部使ってお祝いをしていた。6月11日火曜日が彼の誕生日でその日の放送分も見ていたが、いろんな人に愛されてるなと思える内容だった。その一ヶ月後は僕が尊敬している人の誕生日だなって思って、さらにそのちょうど一ヶ月後ではないけど8月10日は亡くなった友達の誕生日だなって思いながら当日の放送を見ていた。
僕はほとんど人の誕生日を覚えていなくて、覚えているのも片手ぐらいだから、その中の一人のお祝いを伝えられないのはとても悲しい。

起きてから『オードリーのオールナイトニッポン』を流しながら朝からライティング作業を。昨日夜に構成をもう一度考えたから最初の方に前に書いた短編をうまく組み込めないか試行錯誤。なんとなく東京湾から始めたい気がしたから、その短編をリライトしていった。


10時前には家を出て渋谷方面へ。東急百貨店本店Bunkamura以外はすでに解体されている。この光景になってしばらく経っているけど、Bunkamura自体の解体はもう少し先なのだろうか。いろんな舞台も観たし、マルゼン&ジュンク堂書店に行くのが本当に好きだったし、あの大きな本屋は僕にとって大事な場所だった。


ヒューマントラストシネマ渋谷黒沢清監督『蛇の道』を鑑賞。1998年に黒沢監督が手がけた同名映画をフランスに舞台を移してセルフリメイクしたリベンジサスペンス映画。以前の作品では哀川翔主演だったが、今作では柴咲コウ主演と男女も入れ替わっている。
愛娘が何者かに殺された父親のアルベールが知り合いになった精神科医の新島小夜子(柴咲)の助けを借りながら犯人を突き止めて復讐をしていく。
アルベールの娘はある財団の関係者に拉致されて無惨に殺されていたが、どうやら臓器売買なども関わっているようで、関係者を二人は捕まえて監禁しながら何が起きていたのか真相を暴いていく。冷静沈黙で無駄なことをしない小夜子がなぜアルベールに手を貸すのかは終盤まで明らかにされない。
財団の関係者を追い詰めていき、真相がわかる終盤の方でのアルベールと彼らの銃撃シーンがちょっとしょぼいというか、アルベールもプロでもないけど、相手はもうちょっとちゃんとした護衛とかボディガードつけとけやと思ってしまった。なんかユルユルというか危機意識がないけど、本当に臓器売買とかしてるような財団ですか、これは、という。
序盤から小夜子役の柴咲さん見てたら顔が前よりも中谷美紀さんに似てきたなあって思った。そういえば二人とも音楽もやってたなあ、というか二人ともある時期までの彼女たちが所属している事務所のスターダストプロモーションの主役級女優の顔系統だよなあって。竹内結子さんぐらいから少しラインが変わった気がする。
小夜子がなぜアルベールに手を貸していたのか、それがわかると彼女の行動は納得はできるのだけど、日本にいる夫に対してのやりとりとか諸々含めて、彼女のある復讐自体は終わってない感じになっていた。正直途中ちょっと眠くなった。


帰りにあおい書店に寄って発売された『MONKEY』最新号「ニュー・アメリカン・ホラー」特集号を購入。昨日ポストトークでもお見かけした柴田元幸さんとアメリカの小説家のブライアン・エヴンソン共同編集したもの。
ブライアン・エヴンソンの小説はどこか仄暗い感じがあって、現実と異界や少し異なる世界がシームレスに繋がっていく感じがあってホラー的なものとしても読めるし、柴田さんが共同編集したのもたのしみ。
家についてからとりあえず古川日出男さん連載『百の耳の都市』の最新回「夫婦善哉」を読む。古川さんが第40回織田作之助賞から選考委員になったことで、そのリスペクトを込めた小説になっていた。

ゆらゆら帝国「冷たいギフト」(Official Music Video) 


夕方から作業の続きをしようと思った時にたまたまYouTubeでこの曲が上の方にあったので久しぶりに聴いたら、今の気分ととても合っていたのでSpotifyゆらゆら帝国を流した。

 

6月17日
Creepy Nuts初の東京ドーム公演決定、ニューアルバム制作中 

クリーピー東京ドームでライブやるんだ。すごいなあ。昨日、来週の三四郎の単独ライブに一緒に友達に集合時間とか終わってから飲みにいくお店を連絡していた。
亡くなった友達が生きていたら三四郎単独も一緒に行っただろう(去年の単独の後にその話もしていた)し、クリーピーも一回ライブに行きたいねって話してたから、東京ドームに行こうよって僕がラインをしてただろうなとありえた可能性について思った。
TwitterことXを開いたら三四郎に一緒に行く友達から「クリーピーどうしますか?」ってDMが来ていた。とりあえず取れるかわからないけど応募はしてみようということになった。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』は外れて一緒にライブビューイングした人だし、僕はまだ一度も東京ドームに行ったことがない。

7時前に起きて可燃ごみを出しに行く。ネットがあるので今のところカラスも寄ってきていないし、荒らされていない。
前まではよく聞こえていたカラスたちの鳴き声もしないし、今のところはネットをするようになったこと、あとはカラスの巣立ちの時期が近づいているのでおとなしくなり始めていることなんかの相互作用なのかもしれない。
リモートワークが始まるまでにちょっとライティング作業をして、仕事を開始。やる気はあまりないけど、読まないといけないものがあるのでそれを読みつつメモっていく。

リモート終わってからライティング作業関連で今できているところを全部読んであることに関するアイデア出しをすることになったので、再度読み返す。読んでいる時にはそこまで浮かばないのでちょっと脳内に入れて放置。明日とか明後日ぐらいに何か気になったところをもう一度読んだりしたら、なんかワードが出てきそうな気がする。

テレ東のお昼の時間帯に映画『グーニーズ』が放送されたらしい。左のイラストは記憶にずっとあるし構図も色合いもカッコいいと思っていたけど、日本版だったんだ。右のも見たような記憶はあるけど、『グーニーズ』といえば生頼範義さんが描いた左側のイラストが浮かぶ。
少年たちの中で中国系アメリカ人のリッキー・ワン(データ)を演じたキー・ホイ・クァンは2022年(日本では2023年)公開の『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』でアカデミー賞助演男優賞を受賞する快挙を成し遂げたのも印象深いが、主人公のマイキーの兄であるブランドを演じていたジョシュ・ブローリンが『アベンジャーズ』のラスボスだったサノスを演じていたというのを知ったのが一番の驚きだった。

『83Lightning Catapult』#123 正論が嫌いで 自己肯定感が高いシャバいやつ

イデア出しのために再読していたものが最後まで終わったので月曜夜のお楽しみな「ライカタ」最新回を聴く。
最初に相談を送ってきた人に対して相田&酒井コンビがわりと芯をつくというか直球でぶん殴っていたのでちょっと笑ってしまった。
正論が嫌いと言われてもそれが刺さっている時点で自分にとっての事実だし、それを認められないでそれを言ってくる人をディスるというか敵対心を向けてもロクなことにはならないし、自分の成長を止めるしきっかけを失ってしまう。
周りがそれでも認めてくれるような天才か突き抜けれるならいいけど、と相田さんも言っていたが、世界の99%以上は世界を変えてしまうような天才ではないので、諦めて多少の社会性を身につけながら少しずつ環境や周りを変えていく方が絶対にいい。

 

6月18日
空気階段の踊り場』を聴きながら寝落ちしようと思ったら最後まで。その後の『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら寝落ちした。深夜に入った時点で雨の音がかなり聞こえていた。
起きてからペットボトルの回収日だったので出しに行くと雨粒がかなり大きく強く降っていた。昨日読んだ原稿から出したアイデアを再考しながら『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を流していた。
10時から駅前の皮膚科での検診を予約していたので9時半過ぎに出て、銀行に行って住民税を支払ってきた。裏金議員とそいつらが押す小池都知事の再選はなんとか防ぎたい、そもそも僕は一度も裏金脱税泥棒議員がいる自民党にもそこに所属する議員にも投票したことないし、小池含めて今まで都知事になった人に自分の一票を入れていない。いい加減みんな民主主義を破壊する人たちを当選するのをやめさせないと、本当に終わるし、税金だけ上げられていくだけなのに。
10時前に行って待っていたらすぐに呼ばれて、診断してもらった。今回は処方箋が出なかったので本当に診てもらうだけだった。ピロリ菌の除菌薬による薬疹、アレルギーの原因を調べるための血液検査をしたので、その結果次第で除菌を続けるか、やめるかも決まるんだけど、次の皮膚科の予約はその後ということになった。

皮膚科の前のキャロットタワーに寄ってTSUTAYA書店で新刊で発売日の古川日出男著『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』を購入。
異様にポップなイラストの装丁になっていて、最初これを見た時は驚いた。通称「パンオペ」のこの作品はノンフィクションでありながらもフィクション的な要素が混ざり込んでくる形になっていて、連載で読んでいる時にはノンフィクション『ゼロエフ』における終盤の「ゼロエフ」が出てくるものがさらに発展した小説なんじゃないかなと思っていた。

しかし、大雨、雨雨雨。13時から渋谷で映画の試写があったけど、30分ちょっと歩いて行ったら全身びしょびしょになるから諦めた。もう読書だ、晴耕雨読しかない。

もう少しで読み終わりそうだったものから手をつけていく。フィリップ・K・ディック著『ジャック・イジドアの告白』を最後まで読む。主人公?というかディックがモデルらしき無職で居候の兄がいて、その妹が今でいうサイコパスなのかな、珍しくSFじゃないけど、妹夫婦の関係性や日常がどんどん壊れていく、妹と関わる人たちが壊されていく、みたいな作品。ディック作品の中では異質なんだけど、兄が神秘主義っぽいサークルとの関係性を持ったりする辺りは晩年のディックとも通じるのかもしれない。

こちらも残り二編になっていた木山捷平著『白兎|苦いお茶|無門庵』を最後まで読む。先々月発売の『新潮』に掲載された村上春樹著『夏帆』を読んでいた際に、右上にあった木山捷平短編賞募集の広告を見た。
高校で通っていた笠岡市出身の小説家・木山捷平のことをはじめて知って、彼の作品がいくつかまとまって出ている講談社学芸文庫を中古で数冊買って収録されている短編をちょっとずつ読んでいる。
地元の笠岡の少年時代に話や戦争中に疎開したり、戦後に実家付近へ帰ってきたことの話、戦前戦後に住んでいた東京の西荻とか中央沿線付近での話、戦中に木山が行っていた満州での出来事など様々な時代のことが書かれている。
場所は上記のものがほとんどで、私小説だから急に九州とか北関東みたいなところは舞台にならない(あるかもしれないけど、今のところない)。そういうことも含めて四十歳を越えた今の自分だからこの短編たちを楽しめている部分もあるのかなと思う。
市井のユーモアと現実感と人間臭さ(めんどくささ)みたいなものは正直渋いし、落語とは言わないけど趣というか味わいがあって、若い頃にこの魅力に気づけたのかは自信がない。
この『白兎 苦いお茶 無門庵』を読み終えてから、古川さんの『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の第一部まで読もうと開くと序文「ココアかカブトガニか?」がある。笠岡市にはカブトガニ博物館があるから、小さい頃からカブトガニには馴染みがあるから僕の中では繋がっていく。

火曜日はSpotifyで毎週聴いているポッドキャスト(『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』『あのと粗品の電電電話 』『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P ポッドキャスト』)が配信されるので、聴きつつ読書(「パンオペ」)の続きをしてから、昨日読んだ原稿のアイデア出しを送信してから自分の原稿をやる。なんだか異様にダルいというか眠かったのは雨で気圧がおかしかったからとしたら、明日から晴れそうだから大丈夫かな。

 

6月19日
目覚ましが鳴るほんの数秒前に起きる、すぐに目覚まし時計が鳴り出して止める。その瞬間、いや、数秒間の謎の空間というか自分の意識と時間の関係、不思議だけど何かがうまくいっているように思える。体内時計なのか、脳内時計なのか、わからないけど24時間という枠組みをちゃんとわかっている。そのことに少しだけ安堵する。

リモートワーク開始まで寝転んでダラダラ。radikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』を聴き終えて『JUNK 爆笑問題カーボーイ』途中からリモート作業開始、そのあとは『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』といつもの水曜日のルーティン的に深夜ラジオを流す。
「アルピーDC」は平子さんの先週のラウンジに行ったトークからの続きで後輩芸人と呑んで楽しかった話をしていたけど、座組としてありえそうだった。
「爆笑カーボーイ」は鶴光師匠のラジオ番組での替え歌についてニッポン放送が謝罪した件で、太田さんなりの考えを話していた。鶴光師匠といえばエロい話やネタだし、時代にどうこうではないはずなのに、今回なぜ謝罪したのかという視線が太田さんぽかった。
星野源ANN」はラブホで「星野源ANN」を聴いてますというメールが時折リスナーから送られてくることは今まで何度かあった。今回は56歳の主婦の人(夫は60代)がそれをラジオで何度か聴いていて、意を決して「誕生日プレゼントいらないから今夜ラブホ行かない?」「ラブホで星野源さんのオールナイトニッポン聴きたいねん」と(10年レスな)夫に伝えて、今メールしましたという話がとても良かった。
「あのANN0」はツアー初日でライブをやったばかりなのに深夜に生放送をしているあのちゃん、ちょっとすごすぎる。ライブハイになっているのかなって思えるほど、テンションは高くてめちゃくちゃ喋っていた。もうこの人ラジオパーソナリティーとして実力ハンパないんじゃないかな、音楽が一番大事だし芸能界に興味ないからいつでも辞めれるって話しているけど、ライブとラジオは続けてほしい、ほんとに。

最後にイエンタウンバンドの『上海ベイベ』が流れた。番組で流れる楽曲はあのちゃんセレクトなのだけど、曲について解説とかどういう理由で選んだかはほぼ話さないのだけど、最初に流れ出して懐かしいなって思うのと同時にCharaさんが歌ってるとわかっているけど、一瞬あのちゃんとも声質似てるのかもって思った。カバーとかしても良さげ。


リモート中に『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX』のカドカワストア全BOX購入特典【複製原画16枚セット】が届いた。
西園弖虎&犬山犬彦&笹山徹の三人組はこの構図ではないけど同じ三人で同じ車のイラストがコミックの中でカラーになっていて、前にあった個展でポスターを買っていたのでなんかうれしい。
複製原画は元々3月に届くみたいな話が遅れて今になったけど、届いちゃうと「サイコ」本当に終わっちゃったなって気もする。遅れたのは問題ないんだけど、いまだにKADOKAWAのサイトがシステム障害で利用できない状況だけど、解決しないと物流だけでなくて作家さんへの支払いとかすべてが滞っていき、会社としても潰れるんじゃないか、そして、中国とか海外の大きな企業に買われるっていうオチがあるのではないかと思ってしまう。そうならないようにはしてほしいけど、原因を突き止めることができるのだろうか。


仕事が終わってから散歩がてらブックオフに行った帰りに246沿いの前までは大きな駐車場だったところがスーパーになっていて、オープンしてほとんど日が経っていないから一度も入ったことがなかった。どういう作りかを見ようと思って中に入ったらめちゃくちゃ混んでいた。しかし、このスーパーの名前って何て読むんだろう。

もしも、右目で見ているもの(対象物、事象、そして世界の展開)と左目で見ているもの(同じく対象物、事象、そして世界の展開)が完全に等しいのならば、ひとつの目で足りているはずだ、と言ってしまえている。

もしも右目で現在の現実を見ているのならば、左目ではコンマ1遅れの現実を、つまり過去を見てもいいのではないか。あるいはコンマ1早い未来を認識してもいいのでは? 私はどこかで、それこそが〈立体視〉の真実なのだと感じているのだ。

パンデミックそしてオペラ #01 人類はどうして立体視をしているのか

今読み進めている「パンオペ」の著者セルフ解説がアップされていた。これを見る前に明日の予定を決めていて、ここで書かれている〈立体視〉と関係があることだったのでなんという偶然、いや必然なのか、と思いつつも明日入れた予定はたぶん正しいのだろうと確信する。
ライティング作業を進めてから寝落ちするまで「パンオペ」と他に積読している本の続きを。

 

6月20日
深夜3時過ぎに目が覚めたのでとりあえず可燃ごみを出しに行き、そのまま『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をほぼリアルタイムで聴きながら寝る。
7時前に起きるが、カラスの鳴き声はほとんど聞こえていない。最近この付近はカラスがごみを漁って可燃ごみの日はゴミ袋が破られて中が路上に散乱するので、緑のネットを使うところが増えてきている。
カラスの子育てシーズンもそろそろ終わるだろうから、前よりは大人しくなるはずだけど、朝歩いているとゴミが撒き散らされて風でさらに撒き散らされているところもある。こういう場合の対策というのは区役所に言うべきなのか、各家庭やアパートやマンションの管理人がやるべきなのか。
野良猫たちを地域猫という名で生殖を管理したから、路上に野良猫がいなくなった。ここに住み始めた頃はたくさんの野良猫がいたし、放し飼いというか飼い猫だけど外に遊びに出てくる猫たちの交流や交尾があって次の世代が生まれていたが、地域猫として生殖機能を人間側が奪ったからもう子猫は産まれなくなり、残った猫は年老いて次第に死んでほとんど猫を目にすることがなくなってしまった。
猫の数がどんどんいなくなるのに反比例するようにカラスは増えていったし、黒い一族のゴミ漁りはより横暴に見えるほどに貪欲さが増してきたように思える。現在のカラスたちの反乱というかごみが氾濫する原因はやっぱり僕たち人間であることは間違いない。


8時半前に家を出て半蔵門線渋谷駅まで歩いていき、そこから一本で終点少し手前の清澄白河駅まで。目的の東京都現代美術館は駅から10分ちょっとだったけど、思いの外早く着きそうだったので一駅前の水天宮前駅で降りてから美術館を目指した。そうすると30分ちょい、隅田川を清州橋で渡って深川方面へ。この橋を撮っていたら見覚えがあるような気がしたので前に歩いたことがあるかもしれない。
東京都源田美術館に着くと会館の10時を少しだけ過ぎていたのでちょうどぴったりだった。ナイス判断。
行き来の間は最初しか聴いていなかった『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をお供に。佐久間さんがずっと好きだったけどタイミングやバンドが活動をしなくなったりして観に行くことができていなかったライブになんとかスケジュールを調整していった話をしていた。
例外的に何十年も演出をしながら自身も舞台に立つような演出家兼俳優の人や僕が中学生の頃にブレイクしてからずっと第一線にいるようなミュージシャン、彼らよりも前からずっと第一線に何十年といる人たちもいることはいる。でも、それは売れているとか親子で世代を超えてずっと聴かれているとか様々な要因が絡み合った奇跡の結晶でしかない。
当然ながら人はいつか死んでしまうし、それ(演劇とか音楽とかその他諸々のクリエイティブやパフォーマンス)をその人がずっと続けられるという保証はない。急にやめないといけない状況になったり、ジャンル自体が衰退したりとかいろんな危機は起こりうる観客として行くこちら側も結婚出産などの家庭環境の変化だけでなく、自身の体調や健康面のことなども年齢を重ねるたびに起きやすくなるから、行きたくても行けないという状況も生まれる。もちろん、そこには金銭面的な要因も入ってくる。だからこそ、好きなものを主体的に観れる、見に行ける時に行く方がいいよねって話だった。

東京都現代美術館ではこのたび、シンガポールを拠点に活動するアーティスト、ホー・ツーニェンの個展を開催します。ホー・ツーニェンは、東南アジアの歴史的な出来事、思想、個人または集団的な主体性や文化的アイデンティティに独自の視点から切り込む映像やヴィデオ・インスタレーション、パフォーマンスを制作してきました。既存の映像、映画、アーカイブ資料などから引用した素材を再編したイメージとスクリプトは、東南アジアの地政学を織りなす力学や歴史的言説の複層性を抽象的かつ想起的に描き出します。そのようなホーの作品は、これまでに世界各地の文化組織、ビエンナーレなどで展示され、演劇祭や映画祭でも取り上げられてきました。国内でも、当館で開催した「他人の時間」展(2015年)を含めた多くの展覧会に参加し、近年は国際舞台芸術ミーティング in 横浜(2018年、2020年)、あいちトリエンナーレ2019(2019年)、山口情報芸術センターYCAM](2021年)、豊田市美術館(2021年)で新たな作品を発表し話題を呼びました。

東京都現代美術館で開催中の『ホー・ツーニェン エージェントのA』を観にきた。木曜日は仕事する気がない、休みの日で何か映画を観に行こうと思ったけどピンとくるものがなくて美術館とか何かないかなって探していたら、これがあった。
Facebookで知り合いの人がこの展示を観にいきていて、《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》VR体験というのがすごくよかったと言われていたのも覚えていたので、前日にウェブでチケットを取って、このVR体験も一緒に申し込みしておいた。


入り口付近にあった映像のインスタレーション(アルファベットのAからZまで一つずつクリックしていくとそのアルファベットの単語から始まる文字が出てきて、さまざまな映像とナレーションがスクリーンに映し出される&ヘッドフォンから音声が流れてくる)をZまで見て聞いていたら、10時30分過ぎになったので、VR体験予約の集合場所に行って説明を受けて40分まで待っていた。反対側にVRで見ることになる映像も普通に映し出されていた。それが上のもの。実際にVRで見るとまったく違うのでこれはぜひ体験をした方がいい。
僕が申し込んだ時間帯は三人だったのでVR体験する場所へ。それぞれが区切られた畳の上に座布団がある場所に正座してVRのヘッドセットを装着して開始。全部で30分もかからないものとなっていた。
装着して最初に正座してると「大東亜共栄圏建設について考察した京都学派の哲学者たちの対話」している宿の一室のような場所に自分が貴社として同席している場面になる。速記ができるので自分の手を動かすと机に置かれているノートに文字が書ける、その間は哲学者たちが話している言葉が聞こえてくるが、手を止めると会話は聞こえなくなり、彼が感じていた心の声が聞こえてくるという変化がある。
座布団の上で立ち上がるとその一室から体が浮かび上がるように空に向かっていく。わかりやすくいうと幽体離脱したらこんな感じじゃないかなという視線になる。やがて空の上に向かっていくとガンダムのザクのような兵器が何体か飛んでいてある方向に向かっている。自分の手や体を見てみるとどうやら自分もその群の一つの兵器になっているのがわかる。最初空に浮かんでいる時に下に目線を向けるとただの空で少し足がすくんだ。地に足がつかない状態は落ち着かない。
一度哲学者たちのいた場所に正座をして戻る。そこから座位にすると体が畳に沈んでいき、その部屋の下に落ちていくと刑務所が下に見えてきて自分の体が最終的には牢屋の中にいる状態に置かれる。狭くて汚い部屋には太陽が入るわずかな隙間があり、横になっているその地面にはダニやゴキブリのようなものが時折動いているのが見える。居心地は悪い。しかし怖さはあまり感じなかった。おそらく、これは視界以外に嗅覚も刺激するようなシステムがあるとトイレも独房にはあるからおそらく臭いし、より牢屋って感じが増したんじゃないかな。次第に慣れてきたのでまた空に上って行った。今度は足はすくまないので360度のんびりと見渡した。バグなのかそういう仕様なのか、周りの兵器たちがどんどんパーツが緩んでいき離れていった。空の上で破壊されるわけでもなく、一機の機体がそれを成しているパーツに散らばっていくような感じで、自分もそうなっていたのかはよくわからなかった。
その空から部屋へ、さらに地下へもう一度下っていく時に『SPEC』シリーズの劇場版最後での当麻が落ちた無間地獄みたいだった。当麻はいろんな時間軸の中でずっと空から地面へと落ち続けていた。自分が体験している状態はそれに近いのではないかと思った。
そもそも「東南アジア」と呼ぶようになったのはいつか? どうしてそう呼ばれるようになったのか。大東亜共栄圏という思想。戦争と侵略と歴史のインスタレーションだった。


この二つは「時間」をテーマにした映像のインスタレーション、実際には動画なのでずっと動いていて無限感がある。ずっと見ていると目が回るし、時間という概念とかこの身体みたいなものが揺らぐような気持ちになった。
東京都現代美術館に前に来たのは去年の2月に開催されていた『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』展だった。

東京都現代美術館からわりと近いところに住んでいる友人に前からこの日に行くという話をしていたので、一度全部観終わってから展示室から出てから合流して二階のカフェでお茶をした。
二人とも普通にビールを頼んで飲んだこともあって、駅近くでビールでもという話になって美術館を出た。清澄白河駅方面に歩いているとどこかからか薪を焼いているような臭いがしてきた。近所で釜焼きのピザでも焼いてるのかなとか思っていて進んでいると消防車のサイレンの音、右側の方から黒々とした煙が空に昇っていた。火事が起きているようで警察が道路を封鎖していて、サイレンの音も増えていき、立ち止まった人たちが黒い煙にスマホを向けていた。
帰る時にニュースを見たら自動車工場で火事が起きて何度か爆発も起きたとのことだった。人に被害がでてなければいいけど、自動車工場だからガソリンとかオイルと可燃性のものがあるし火の勢いが一気に増すものが多いから一気に火事になったのかもしれないなあ。二人でその黒い煙を見ながら夕方から空いているクラフトビールを出す店を目指して歩いた。

この時一緒に飲みにいった友達のことはここに来る前から頭に浮かんでいた。仕事だろうけど、時間とか作業に余裕があればラインでもしてお茶かまた飲みにいけたらよかった。でも、それはもう叶わない。彼女は1月末に亡くなってしまったから、会いたくても会えない。彼女の形見分けを受け取りに蔵前に行ったのは3月だったから、もう三ヶ月経っている。
時間は思ったよりも早く過ぎていく。職場の人たちみたいに毎日のようにやりとりだとか一緒にいたわけでもないけど、時折舞台を観に行ったり飲んだりしていたから、その場所に行くことや名前を見ると彼女がいなくなったことを嫌でも思い知らされてしまう。ずっと、このままなんだろう、僕の東京の一部はやっぱり永遠にこのまま損なわれたままだ。

【Live】Creepy Nuts - のびしろ 


この曲は一回生で聴いてみたい。歌詞に隅田川が出てくることがやっぱりデカい。


昼過ぎに家に帰ったら思いの外疲れたのか、ご飯食べて横になっていたら寝落ちしていた。夕方過ぎに起きたので、ニコラに行ってガトーショコラとアルヴァーブレンドをいただいてからタバコを三本吸った。
家に帰ってから今日のことを日記に書いてから、「パンオペ」の続きを読んだ。そんな一日、休日、現実逃避。

 

6月21日
金曜日、週末、昨日は休みだったしぐっすり寝れたけど、朝から雨が降っている。夏至なのに雨。日照時間が一年で一番長いのに雨。その後のニュースで今日から梅雨入りしたことを知るが、もうこれだけ雨が降っているから気分は梅雨モードでどんより、気圧の問題もあるのか驚くほどやる気は出ない。
寝る前にradikoで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いていたので、寝転んだまま途中から続きを。そこから『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』とリモート作業に入ってもBGM的に流していた。
そういえば、毎日ラジオを聴いているけど、都知事選の話をしている人が誰もいない、お昼とか帯番組だと政治の話もしているはずだけど、僕が聴いている芸人さんやミュージシャンがやっているものでその話をしている人は皆無だ。書きながら気づいてちょっと驚いている。政治的な話をリスナーが求めていないこともあるだろうし、それで誰を支持するとかしないとか、余計なことを言って炎上されるのは番組としても困るんだろうな、とか思ったり。アメリカ大統領選挙で俳優が自分の支持政党をはっきり表明するみたいなことは日本ではやっぱりないもんなあ。

ヨルゴス・ランティモス×エマ・ストーンの映画「憐れみの3章」予告編は謎がいっぱい 

ヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』の公開日が今月初頭ぐらいに9月27日と発表された頃に三ヶ月ちょっとだから試写会そろそろだなって思ったら来ていたのですぐに申し込んだ。来月の試写がすごくたのしみ。
サーチライト・ピクチャーズは2019年からはウォルト・ディズニー・カンパニー傘下なので、試写は虎ノ門にあるオズワルドシアターになっている。そこは場内に入る前に警備員の前でスマホとかの電源を切るのを見せて、さらにそれを封筒に入れられて封をされる。終わったらまた目の前で開けてもらうということで試写での隠し撮りとかを防いでいる。
そこまでしなくてもと思わなくもないが、実際試写に行くとスマホとかアップルウォッチとかが光っていることは時折あるし(マスコミ試写だからこそ余計にお前何してんねんって思う)、最悪着信音が鳴ったりする。大抵は50代や60代の男性である。
映画館でたまにスマホ依存症なのかスマホで時間やラインとかの着信がないかチェックするバカがいるが、二十代とかなら親の教育とか環境が最悪なので可哀想だなと思うけど、映画館でもそのくらいのおっさんはわりとガキ同様にやらかしてくれる。
というわけでオズワルドシアターでの試写はかなり映画を観る環境としてはありがたい。一月公開だった『哀れなるものたち』は去年ここで試写を見せてもらった。同じくサーチライト・ピクチャーズ関連の宣伝しているところが同じなので、今回の試写状も来たのだと思うのでありがたい。
試写にはいけなかったけど、映画館で観た山田太一著『異人たちとの夏』をイギリスでリメイクした『異人たち』も本当に素晴らしかった。
『哀れなるものたち』『異人たち』は今年観た作品の中でも僕は大好きなので、『憐れみの3章』も出来が良いといいなって、そうするとサーチライト・ピクチャーズの映画は打率がめちゃくちゃいいということにもなる。あとサーチライト・ピクチャーズはパンフが統一されているので集めたくなるし、中身も非常にいい読み物が入っているので、その辺りも非常にレーベルとして応援したい。


昼休憩の時に傘をさして駅前に。TSUTAYA書店でミラン・クンデラ著『緩やかさ』と幸村誠著『ヴィンランド・サガ』28巻が出ていたので購入。
『緩やかさ』は著者のミラン・クンデラが亡くなってから一年経っているが、今作と前に出ている文庫二冊はこのデザインで統一された。ニコラ友達な横山さんが装幀イラストを手掛けているが、これは本当にいいデザインになっていると思う。
ヴィンランド・サガ』はもう28巻なのか、まだ28巻なのか。最初は『週刊少年マガジン』で2005年に連載が始まって、過ぎに『月刊アフタヌーン』で連載が再開されたのだけど、来年で連載開始20年なのでそう考えると28巻は多いとはいい難い。ただ、物語が激動するので気分的には50巻以上続いているんじゃないかなって錯覚している。しかし、毎回新刊を読むためにこの物語の最終地点、クライマックスまであと何年、十数年かかるんだろうと思ってしまう。連載ではなくコミックで追いかけているが、最後まで読みたい数少ない漫画作品。

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール 結成20周年記念アルバム『Pubis Angelica(天使乃恥部)』の詳細が出ていた。CDとかじゃないんだ。USBなんだ、しかも香水とのセット。いいお値段だなあ、音源自体は発売後にサブスク解禁すると菊地さんが新TwitterことXでポストしていたけど、やっぱりブツとしてほしいよなあ。
いくつかのライティング仕事関係で僕がやっていたその先の状況になっていて、いつ出るか進んでいるのかとかわからない感じになっている。それに伴って原稿料とかいつになるかも発売が決まらないとわからないというか決まらない。そういうのがわかるとすぐにでも予約したいのになあ。でも、8月頭まで予約受付中だからその頃にはいろいろわかっているはず。
それにしても関わっていた仕事が結局いつ表に出るとかわからないとかってすごい変なことなんだけど、どうなんだろう。下っ端で権限とかないからどうしようもないんだけど、僕からの信頼は減ってるけどね。

リモートが終わってからSpotifyで『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴いたら、バカバカしくて笑ってしまった。そういうことでストレスもちょっとは減っていたり、癒されているんだろうな。
夜はライティング作業の続きをして、寝る前に「パンオペ」と他に一緒に読んでいる書籍を少しだけ読んだ。

 

6月22日
寝る前に読書していてうとうとしてきたので寝た。目が覚めてぐっすり寝たなと思ったらまだ1時半過ぎだった。自分でも驚くほど時間が経っていなかった。
スマホを見たらちょっと前に一件メールが届いていた。迷惑メールかと思ったら映画の宣伝をしている方からの試写の案内だった。

【10/4 日本公開決定!】2週連続全米1位『CIVIL WAR』(原題)US版90秒予告 


通常の試写だけでなく、グランドシネマサンシャイン池袋の日本最大級のIMAXでの完成披露試写会もあったのでそちらをすぐに申し込んだ。あのサイズで観れるというだけでワクワクする。
アメリカの内戦を描いた作品だが、今回の都知事選の諸々を見ているともうタガが外れてしまったことだけはわかる。アメリカのような銃社会ならすぐに実戦になりかねないが、日本はそれがなくSNSによる助長で断絶と分断が増している。ように見えるが実際それが可視化されているのがネットだけなので実際にどこまで及んでいるのかが一番大きなポイントになってくるんだろう。
そのままradikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』の音量を聞こえるか聞こえないかぐらいにして横になっていたらまた眠っていた。


起きてから昨日夕方には都知事選の投票券が届いていたので、もう蓮舫さん一択で他は入れる人いないので期日前投票をしようと思って茶沢通り沿いにあるいつも投票に行くところに行ったら、そこは30日からだった。昨日からの期日前投票は世田谷区だと世田谷区役所しかまだ始まっていなかった。
家に一度戻って投票券を置いてから渋谷へ向かう。緑道の候補者のポスターが貼られている掲示板はN党には荒らされていなかった。
この後に新TwitterことXで見てリポストしたのが下記のものと東浩紀さんがリポストしたもの今回の掲示板ジャックに関してよくわかるものだった。

前にガーシーが出馬して当選してしまったことが確実に今回の都知事選の掲示板ジャックが起きたことに繋がっている。彼に投票して当選させてしまった人は自分たちが生きる社会の制度を自ら壊すのに加担してしまったことに反省すべきだし、おもしろがるということの恐ろしさはオウム真理教が力を持った歴史を学んだほうがいい。
もっと遡れば選挙をフェスだとか言い出したりしたことがここまで事態を悪化させる最初のトリガーだったとは思う。
地下鉄サリン事件が起きた頃はまだ中学生で岡山の田舎だったのでピンとはきていなかったけど、メディアがオウム真理教や麻原をお笑い枠として持ち上げて消費していた。そして勢いづいた彼らは選挙に立候補するも全員落選し、サリン事件が起きた。そして、彼らは良くも悪くも純粋だったが、「失われた30年」によって貧しくなっていったことで稼いでいる人や数字を取れる人が勝ちだということになってしまった。だから、数字や金を稼げるなら良識なんかいらない、社会的な秩序を壊すという方向に向かってしまった。
僕も中年なので十分大人だけど、こんな社会にしてしまったことを恥じないといけないし、こういう社会をどう少しでもまともな世界にできるか知りたい、考えたい。でも、あまりに混沌してしまった社会では生き延びるだけでも大変で、みんな考えることを放棄したり、余裕がないところでそういう奴らが隙間や余白をハックしてシステム自体をこわしてしまう。もっともっと壊れてしまう、止める方法は何があるんだろうか。


ヒューマントラストシネマ渋谷ヴィム・ヴェンダース監督『アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家』を10時の回。何度か予告編を見ていて気になっていた作品。
ヴィム・ヴェンダース監督と同じ1945年に生まれたアンゼルム・キーファーの生涯と現在を追ったドキュメンタリー映画で、彼は戦後ドイツを代表する芸術家らしい。
この作品は3D対応なので入り口でもらった3Dメガネをかけて鑑賞。90分ちょっとと短くてコンパクトなのだが、開始20分ぐらいで爆睡してしまった。正直どのくらい寝たかわからないけど、起きたらアンゼルム・キーファーの80年代ぐらいになっていて、自分でナチスの敬礼を揶揄する写真を撮っている場面とかだった。戦後生まれということもあって、ドイツのタブーにあえて触れて議論を巻き起こそうとしたりしていたみたい。

行き来で『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴いていた。今日22日から単独ライブが始まるのにその日の午前3時からいつも通り2時間の生放送をやっているのもすごい。来週は広島での単独終わりのため東京に帰れないのでさすがに録音らしい。
今日も録音にしてくれって言っていたけど、二週連続はできないから今日は生放送にするしかなかったっぽい。明日ライブを観に行くので楽しみだけど、色々思うことはある。
映画が終わってからなんか頭がすっきりして渋谷を抜けて家に帰った。それでも家に帰るとまた眠くなってきて夕方まで寝てしまった。もう梅雨に入ったけど春みたいに眠い、頭痛とかはしないけどこの状況は気圧のせいなのかもしれない。

夕方に散歩に出てradikoで『川島明 そもそもの話』(ゲスト:ザ・パンチ)を。「THE SECOND」で戦った東京ダイナマイトハチミツ二郎さんが二人にかけた言葉が粋でカッコよかった。そういう先輩だからこそ慕われているんだろうし、芸人が好きな芸人なんだろうなって。
夜は雨降るみたいだからちょっと曇っていて歩くにはちょうどいい気温だった。夜は「パンオペ」の続きとライティング作業。

 

6月23日
起きてから前日の続きのライティング作業と読書の続きをして10時半前に家を出る。小雨が降っていたが、傘がいるようないらないような微妙な感じだった。
渋谷を越えて青山通りに出てそのまま皇居方面にまっすぐ歩いていく。梅雨入りしたので湿気があるから気温のわりには汗がどんどん出てきていた。


目的地の草月ホールに着いたが、待ち合わせの時間よりも早かったのでそのまま近くの豊川稲荷赤坂別院に。草月ホールに来るとセットみたいに寄ってお参りをしている。
最近は海外の旅行者の人も増えてきたけど、英語表記とか説明ないけど、スマホとかで紹介サイトみたいなものがあって読んできたりしているんだろうか。


三四郎単独ライブ「道徳の日本男児 其ノ玖」の二日目の昼公演に。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のライブビューイングに一緒に行った友達を誘っていたので、入り口で待ち合わせして中へ。
草月ホールはキャパが500人くらいかな、後ろの方の席でも観やすいちょうどいい大きさの箱だと思う。お笑いライブだとやっぱり声が聞こえるかどうか、演者の動きが見えるかというのも大きいので、ここで観るのが僕は好き。
去年の単独から観に来ていて、一緒に観た友達は1月末に亡くなってしまったので今年は一緒に観ることはできなかった。ライブの幕間映像を収録中に相田さんがアキレス腱を断絶してしまったことで、前回のライブは本来予定していた漫才やコントができなくなってしまっていた。松葉杖をついたままの相田さん、ドキュメンタリー的な出来事や要素をうまくネタに入れながらの単独ライブはおもしろかった。亡くなった友達も来年は松葉杖をついていない相田くん観れるかなと言っていた。それもあって、今回はなんとしても行きたかった。
ラジオ好きでお笑い好きな料理関係の仕事をしている友人に話したら、行きましょうということになった。亡くなった彼女の形見分けで譲ってもらった指輪をつけてライブを観ていた。
始まる数分前に前の方に座っていた女性が倒れたみたいで、「誰かお医者さんとかいますか?」と上がった声に「看護師です」という女性が二人前の方に行って対応をされていた。医師の人もいたらしく、一度場内から出た女性を診てくれたらしい。命に別状がなくて本当によかった。
三四郎が最初に出てきて、そのことに触れた後に来週の広島公演に行く人と聞いたら十人ぐらいいた。武道館のチケットを取っている人っていうことに対しては場内の八割近くが手を挙げていた。僕もその一人だった。
正直なことを言うと今回の単独ライブは前回よりもおもしろくはなかった。確かに僕も何度も笑ったしおもしろかったけど、何本も漫才をやったけどあまり出来上がりが良くなかったように思えたし、オチとかも弱かったし練習不足だろうなというのはわかった。周りは大爆笑してた。
僕もそうだが、ラジオのファンクラブに入っている人がほとんどだろうし、場内にいるのはファンがほとんどだ。僕と一緒に観に来た友人もラジオは聴いているがそこまで三四郎の大ファンではない、あとから話をしたら隣の女性が大爆笑していて温度差を感じたと話していた。
もちろん、その女性は三四郎が好きだし、おもしろいから笑っている。単独ライブに来る人は基本的には厳しいことは言わないだろうし、ネタについてもそこまで批評的な視線ではないのではないかと思う。そこにそうでもない人がいると温度差を感じるのは仕方ない。
三四郎が好きで毎週ラジオを楽しみにしていて、嫌な仕事や家事をなんとかこなしてライブに来る時点でハードルは下がっているはずだし、やはり観客自体も優しい。ほとんどの売り切れるようなお笑いの単独ライブやミュージシャンのライブはそうなると思う。また、今は批評性とかが悪口と言われてしまうような時代で、ファンの人は批評を攻撃だと思う人も増えているということも関係しているかもしれない。
カルト化しやすい時代ではあると思うし、ファンビジネスというものは基本的にはそうなる。だからこそ、多少の批評性か客観性があるといいなとは思う。でも、熱狂的になればなるほど、ファンは盲目になってしまうから難しい。
前回はアキレス腱断絶というハプニングがドキュメンタリーとして組み込まれたことでより身内感は増したし、イレギュラーさを三四郎とスタッフが見事に昇華していた部分があった。だから、それと比べてしまったので去年より見劣りした。


去年草月ホールでお笑いライブを観た帰りは青山一丁目駅にある銀座ライオンで感想を言いながらひたすら飲んで話をしていた。今回も一緒に行った友達にそのことを話して、ここにさせてもらった。
ライブは2時間だったが5時間近くここで飲んでいた。ひたすら美味いビールを飲み続けた。同年代でフリーランスで価値観も近くて男同士だから話せることを、実際に会っているからこそ言い合えることを飲みながら話していた。タチウオの炙りが白身だけどプリプリとして非常に美味しかったし、やっぱりビール飲みながらのソーセージとか最高。もう、ビール好きとしては銀座ライオンかキリンシティが一番飲むのは最高の場所だ。

 

6月24日
昨日ひたすらビールを飲んだのに二日酔いにもならずにいつもの時間に目を覚ました。とりあえず、シャワーを浴びた。ビールだけだと二日酔いにならないの不思議。
昨日帰ってすぐに寝てしまったので、radikoで『川島明のねごと』(ゲスト:ダンブラムーチョ)と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をBGMとして聴きつつ少し早めにリモートワークの作業を開始。
午前中には聴き終わってしまったので、YouTubeの『鬼越トマホーク喧嘩チャンネル』で昨日観に行った友人からオススメされていたゲストが囲碁将棋とヤーレンズの回を流していた。夕方までそのまま令和ロマンゲスト回を流して作業、ある程度まで進んだし、メールも送らないといけないところにも送ったし、作業としては思ったより進んだの一安心。

ある編集者が、今年、とは2024年だがその初めに「ふり返ると、あのパンデミックの頃の世界は、まるでSFでした」と私に語った。私も同意した。そして、SFだったということは〈異世界だった〉ということでもあり、それは記録に価するはずなのだけれども、どうも2020年の頭から夏にかけての記録以外、容易には出てこない。私はそれを「もったいない」と思う。異世界異世界として、書物の内側に保存(アーカイブ)したほうがいいと思う。そして、あれほど世界中の人びとが〈死〉と隣り合って生活していた異世界とは、たぶん〈他界〉とも言い換えられる。この現実の社会に持ち込まれる〈他界〉を、私はどんなふうに認識したか? 捕捉したか? 私は「これってオペラだな」と思ったのだ。

パンデミックそしてオペラ #02「土地そのものが〈キャラクター〉であると感じさせる京都」

今読み進めている「パンオペ」について古川さん自身の解説。古川さんの初期作品は「東」京が舞台のものが多かった。それは福島から上京して東京という場所、首都についての物語で、同じく上京したものとしては古川さんの小説を読むことで東京を再発見していった部分がある。
東日本大震災以降には、1000年に一度のと言われたこともあり、1000年前の日本は? 小説家としての大先輩である紫式部が書いた『源氏物語』があり、首都が、皇居が移転する前にずっと日本の中心だった京都について書かれることがより増していった。今回の作品がオペラな理由もここで書かれているようにコロナパンデミック以降に持ち込まれた〈他界〉〈異世界〉であることが大きかったのもすごく納得できた。

夕方前にASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2024「ファン感謝サーキット」 開催決定という知らせを見た。ライブハウスを回るものらしく、なんとリキッドルームでの公演もあったのですぐに先行抽選の申し込みをした。
前に新代田FEVERでライブを観れたのもかなりのレアだったが、リキッドルームは好きな箱だし、アジカンここで観たい。

ASIAN KUNG-FU GENERATION 『生者のマーチ』 


この曲をライブでもう一回聴いてみたい。

 

6月25日
目が覚めてから寝転んだままで寝落ちして途中まで聴いていた『空気階段の踊り場』を聴きながら、朝のルーティンを。声優の大塚明夫さんがゲストとして出演して二人のライブ告知の音声録りをしていた。大人の貫禄や色気みたいなものがあるダンディな声だった。
『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら作業の続きをしてから9時前に家を出た。
気温はさほど高いとは思えないが汗がどんどん出てくる。湿気だ。暑いのもしんどいけど湿度が高いとやっぱり歩いて移動するにはちょっと厳しくなってくる。
行き帰りには『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていた。通常回だが指原莉乃がゲストだった。二人本当に仲良いんだろうし、普段から遊んでいるのがわかって、なんかわちゃわちゃしているけどそれが嫌ではなくていい関係だなって思った。大事だよね、こういう関係性、作ろうと思って作れるものでもないし。

10時前に宮益坂下に着いて、ル・シネマのチケット売り場が開くのを待っていた。火曜日はサービスデーで1200円とお得。平日だし内容的にも高齢者が多かったかな、僕の前で売り場が開くのを待っていたご夫妻っぽい人はBunkamuraの株式優待券みたいなのを持ってたし、ル・シネマぽいとも言える。
予告編で観て気になったのと試写で観た人の評判も良かったアレクサンダー・ペイン監督『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を鑑賞。
1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校が舞台。生真面目で皮肉屋で学生や同僚からも嫌われている教師ポールは、クリスマス休暇に家に帰れない学生たちの監督役を務めることになった。母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生のアンガス、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見る一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしたメアリーという、それぞれ立場も異なり、一見すると共通点のない3人が、2週間のクリスマス休暇を疑似家族のように過ごすことになる。
ポールが最後に取る行動で泣いてしまったのだけど、彼は教育者として若者の未来を優先した。だけど、学校という場所は彼のような教育者だけではなく経営者も必要なのもよくわかる。
舞台は1970年、今から50年前の時点で有力者や裕福な家の子供たちがどれほど自分が恵まれているかわからないまま、大人になって親と同じような振る舞いをしていくのが描かれている、その再生産が続いていく。
新世紀になってから、リーマンショック以降から、新自由主義グローバリズムとでそれはさらに加速して金を稼ぐこと数字を取ることが勝ちで正義になってしまった。実家が太いことはそれだけでおそろしく有利に働いていく。親もわかった上で教育を施し投資していく。そこから転げ落ちた人は、最初から裕福ではない人には手は差し伸べられない。そこから這い上がるために手段は選ばなくなる。そういう光景のことも思ってみていた。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年7月号が公開されました。7月は『先生の白い嘘』『お母さんが一緒』『墓泥棒と失われた女神』『デッドプールウルヴァリン』を取り上げました。


帰りに書店を二軒ほど見たがやっぱり発売日が明日なので『百年の孤独』文庫版は入っていなかった。夕方に新潮文庫のアカウントを見てセブンイレブンに行ってプリントアウトした。

火曜日はSpotifyポッドキャスト番組『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』がアップされるので夕方から聴きながら読書&ライティング作業を。

ル・シネマでも知り合いの人が偶然同じ回に観に来ていたので挨拶して始まる前にちょっとお話した。その帰りに三茶でちょこちょこ会うことが増えてきた知り合いの人とばったり会って立ち話をしたし、夕方にセブンイレブンに行った帰りにも知り合いの人に会った。全員僕よりも年上の男性だけど、街中で知り合いの人に会って挨拶すると、ここに住んでるんだなって気持ちになる。
地元に戻っても絶対にこういうことは起きない。そもそも田舎で歩いている人がいない、この年齢で。みんな車に乗ってるし、日中は仕事しているから僕みたいに歩いてフラフラしている人と会うことはない。だからこそ、ここが自分の住んでいる場所だなってより思える。

 

6月26日
昨日は毎週聴いているポッドキャスト渋滞日だったが、日付が変わってからは『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』『BEFORE DAWN』と深夜放送も大渋滞。「アルピー」を聴きながら寝ようと思ったが、「爆笑カーボーイ」冒頭で寝落ち。

起きてから早めにリモートワーク作業を開始。「爆笑カーボーイ」の続きを聴いてから、「星野源ANN」は先週の「ラブホにて」というメールを送ってきた女性から、その後旦那さんからもらった手紙の話という続きが届いていて、それがすごくいい話だった。10年ぶりの営みをするきっかけがラブホで「星野源ANN」を聴くのが流行っているからと誘った奥さんの行動、そのことでこの10年のことを旦那さんが申し訳なかったこと、この先はもっと仲良くしようというものだった。一つのラジオ番組でこのご夫婦はこれから先仲睦まじい状態でいけるんだろうな。


作業を一旦止めて「星野源ANN」を聴きながら自衛隊中央病院へ。先々週にピロリ菌の除菌薬を飲んでいるときに薬疹が出たので、その抗生物質のアレルギー反応について血液検査をしていた。結果は三つとも陰性だった。こうなると二回目をやるかやらないかは正直怖い。
どれかが陽性なら、それを外して違うもので除菌というのはまだ気持ち的にはいけるんだけど、全部陰性だとまた薬疹が出る可能性があるし、今度アナフィラキシーが出たら重症化するかもしれないという話も聞いていたので、二回目はしないことにした。
年に一回、健康診断を受けてはいるので、いつものバリウムではなくピロリ菌がいることを伝えて最初から胃カメラにすることで、胃がんとか諸々の早期発見できるようにするのがベストだろうということになった。
それ以降でまた二回目をやる気が起きたらやってみる。しかし、除菌も簡単ではないんだなあ。

昨日の時点であのちゃんの新TwitterことXのポストが、ライブでのことだったけど写真も良くて文章も彼女らしくて、いいライブだったんだろうなと思えるものだった。

リモート再開後に「あのANN0」を流しながら作業。粗品の初のライブツアー初日の対バン相手があのちゃんのバンドである「I’s」だった。
I'sとanoはA面B面でもなく、ジキルとハイドでもなく、互いに補完しつつも、パンクかポップスかという違いなんだけどアイドルだった過去は活かされているしデスボイスでシャウトするし、稀有なミュージシャンだと思う。I'sがもう少し広がるといいんだけどなあ、カッコいいからね。ただ、この人はいつでもやめそうだし消えそうなざわつきを観客に与えてるし、やめるときはパッといなくなる覚悟で活動していると思う。

2024/06/25 #62 あののオールナイトニッポン0(ZERO) ゲスト:粗品 


radikoで聴いていたら最後のCM明けであのちゃんが号泣していて、何が起きたのかよくわからなかった。その後に17LIVEの動画を見たら、粗品の曲を流している時とCM中に二人が話している時に先に粗品が泣き出して、それをスマホとかで撮っていたはずのあのちゃんが号泣し始めて、CM明けているのに最初気づかずに泣いていた。
今回は最初からあのと粗品がかなり本音で真剣に音楽の話をしていて、『あのと粗品の電電電話』の延長線、熱血版とも言える内容になっていた。
粗品はあのちゃんは音楽だけでなく、他のジャンルでももっと評価されるべきだと熱弁していた。テレビにも出ているから自分で作詞作曲してライブも毎年全国いろいろと回ったりしていても本気でやっていないと思われている、認められていない、誰にもわかってもらえていないと思っていたらしいあのちゃんが粗品の言葉と涙で感情が爆発して号泣していたということだったみたい。
なんだかすごくいい光景で見ながら泣いてしまった。この二人はカプ推し的な扱いとかもされているが、親友であり戦友であり仲間なんだなってよくわかる放送だった。きっと、「あのANN0」の放送回でも屈指の、記憶に残るものになったと思う。
このことに対して批判的な言葉や普段の粗品がいわゆる先輩芸人に対しての言動なんかがあるので、違和感を持つ人はいるんだろう。僕もあのちゃんのファンだから盲目になっているのか、どうだ? 男女の性別とか関係ないところで友達でいれる人がいることってすごいことだから、たぶん自分にも重ねている部分はあったのだろう。そのぐらいは冷静に考えれている。


遅めの昼休憩に出た時に駅前でガブリエル・ガルシア=マルケス著 /鼓直訳『百年の孤独』(新潮文庫)を購入。いい太さ。装幀デザインもいい。タイトルが抜群というのもデカい小説だとは思う。
人間なんてどんだけ生きてもたかだか百年、一世紀、その間出会った人とはすべて別れていく、どんなに大事な人だって嫌いで仕方ない人だって、僕自身も死ぬことから逃れられない、その間の生きる孤独を、誰かと共有できるといいね、できないだろうと思いながらもそんな希望、いや夢を、それが簡単に潰されていく、絶望もしていく、何が起こるのかわかりはしない。それでもその孤独だけが私の生きている実感であり、証拠なのだから。

リモート終わりにニコラでミルリトン・アブリコ(あんずのコンポートとアーモンドのタルト)とアルヴァーブレンドをば。
カウンターに懐かしい人がいて久しぶりに話をさせてもらった。東京ではに場所での生活やご家族のこと、なんだかとてもやわらかな穏やかな空気がそこにはあった。

鈴木:ちなみに「5月のうみ」も、映画からインスパイアされた曲です。よく「五月病」っていうじゃないですか。実際、4月に新生活が始まり、ゴールデンウィークを経て気分が落ち込んでしまっている人が周りにたくさんいたんです。そのことを歌詞にしようと思ったタイミングで、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観たのもあって、そこでインスパイアされたことを一緒にして書いていきました。

──なるほど。歌詞にある〈カメラロール見返し/あの日見た木漏れ日〉は『PERFECT DAYS』を彷彿とさせますね。例えば前作に収録された「R」は、出産されたレイチェルさんのことを歌った曲でした。今回そういうパーソナルな経験、出来事からインスパイアされた曲もありますか?

鈴木:パーソナルという意味では、全体的に日記っぽい歌詞になったなと思います。例えば「紀尾井茶房」という曲も、実際に行ったことのある同名の喫茶店を歌った曲。ニッポン放送でお仕事があった時に空き時間があって、タバコが吸える喫茶店Googleマップで探していたとき、偶然見つけたのが「紀尾井茶房」でした。行ってみたら雰囲気がめちゃくちゃ良くて。店内に小さな本棚があって、そこに並んでいる文庫本は読み放題だったり、会社員の方がお昼休憩でのんびりしていたり。「この雰囲気、曲にできそう」と思ってメモしておいたんです。

鈴木真海子が切り取る日常の情景 心の揺らぎにも向き合った2ndアルバム『mukuge』を語る 

夜は鈴木真海子セカンドアルバム『mukuge』を聴きながら、7月からのスケジュール予定を更新。結局、この半年はやろうと思っていたことがほとんどできなかった。あとやろうとしていたことも全然間に合わなかった。自分が悪いんだけど、せめて下半期はがんばろう、ちょっとはやる気を出したい。

 

6月27日
6時過ぎに起きて可燃ごみを出しに行く。まだごみ袋は溜まっていなかったが、緑のネットから小さな袋を引っ張り出したそこまで大きくはないカラスが袋を破って中身を突いていた。近づくと逃げたので自分のごみ袋をネットの下に入れてから散らかっているごみと破られたごみ袋を足でネットの方に寄せてカラスに悪さされないように奥に押し込んだ。
ゴミの量とか中身を見ると多少わかる。確実にファミリーのものではないとそうなると限られるのだけど、自分がこういう光景を目にしてから「うちのだ」とか思わない限りは直らないのだろうし、そういう時点で直らないというか気にしてないのだろう。こういう些細なことは気にしたくないけど、誰かがやってくれているとかカラスに漁られるみたいな想像力ないやつは仕事できると思ってるけどミスもちょこちょこあるし、誰かが犠牲になっていたりやってくれていることに気づかないだろうな、と思うことにする。

月末までに提出するものややらないといけない作業が急に増えたので普段はリモートワークしない木曜日に作業を開始。水曜日深夜は聴いているラジオが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』しかない。一時間半だからすぐに聴き終わってしまう。
TVerでいくつかチェックしている番組を流すが短いものばかりだったので、あとはYouTubeで『三四郎オールナイトニッポン』のゲストがはんにゃ金田とシズル池田回の詰め合わせを流していた。18年から毎年ごと追加されていて24年までで約8時間あるので長さとしても最適、あと何度聴いても笑える。どんどん噛めば噛むほどに味が出るようなゲスト回だなって思う。



休憩時間に駅前の銀行に行って家賃を振り込んでから書店へ。木爾チレン著『みんな蛍を殺したかった』&田辺青蛙著『致死量の友だち』(共に二見文庫)を購入。
二冊とも単行本で読んでいるけど、同じタイミングで文庫版になったので一緒に買おうと思っていた。お二人ともデビュー作から読んでいるし、著者自身のことも知っているので応援の意味も兼ねて。文庫版になったことでもっと広く読まれるだろうし、届いてほしい読者が触れるきっかけが増えるといい。何気なく手に取ったけど、二人ともペンネームだなあ。

【永野×ルックバック】「コンプレックスの果てが一番面白い」嫉妬や挫折の向こう側にあるものとは?【永野・鷹村の詭弁部、はじめました!#2】 


仕事が終わってからこちらを。一回目は取り上げた作品にあまり興味がなかったのでちゃんと見ていなかったが、今回は映画化に合わせてだと思うが藤本タツキ著『ルックバック』からライバルは必要かというテーマでトーク
出演している永野さんと声優の鷹村さん二人とも引きこもりで天才の京本側だった。おそらくディレクターが求めていた流れではないのだろうが、二人のキャラクターがよくわかるトークになっていた。この組み合わせすごくいいんじゃないかな。

From Q presented by Aston Martin Ginza | 2024/06/23/日 19:00-19:55 

菊地成孔さんがゲストを招いてトークする月に一回のラジオが始まっていて、初回を聴いた。ゲストはテリー伊藤さん。アストンマーチンがスポンサーなのでラグジュアリーな感じにしたいみたい、選曲されている曲も優雅な感じのものだった。月に一回だったら良いんじゃないかな。
ニコニコ動画が止まったままなのでビュロー菊地チャンネルも入ることも聴くこともできないので代わりというか、ちょっとはこのラジオにチャンネルの会員も流れてきそう。しかし、ニコ動がこのまましばらく動かないとなると直木賞芥川賞の受賞の発表と受賞者のスピーチの生放送無理だな。

23時から『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』を聴きながら読書の続きを。先週の菅田将暉ゲスト回が関西では一番の聴取率だったらしく、続きがめちゃくちゃテンション高かった。めっちゃ嬉しいのも伝わってくるし、ちゃんと調子に乗っているのが若さだし、それができるうちは調子に乗っていた方がいい。

 

6月28日
雨の音、強い降り方だなとわかる音で起きる。資源ごみの日なので段ボールを持って出て行く、大きな雨粒がすぐに体を濡らすので急いで部屋に戻る。
『ハライチのターン!』を聴きながらリモートなどの準備をしていた時に、そういえば今日は最終金曜日だと思って、再び家を出てコンビニに。

朝日新聞の朝刊を購入。古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されるのが最終金曜日、二回目か三回目だけ買い逃したがそれ以降は毎月忘れていない。川上弘美著『明日、晴れますように』についての箇所で、

ここでは物語の大部分が二〇一〇年に展開していて、それは当然ながら「東日本大震災の前年」なのであって、自分たちはいま現在震災後の世界を生きているわけだが、これはダム湖にも似ているのだなと体感してしまう。何かが深く沈められ、その水底には汚れのない感性の十歳の子供たちがいる。この子供たちの生きる”世界”をきちんと覗ける。最後に読者は感じるはずだ、後世に何事かを伝えるためには「大人から子供へ」との発想では駄目だ、と。いまは大人になってしまった人間の中にいる”かつての子供”から現在の子供へと受け渡さなければならない。この「子供から子供へ」の連なりこそが真の希望だ。

とあり、他に取り上げた作品にも通じていたのだが、すごく腑に落ちた。いや、何かがカチッとはまるような、わかったように思えた。

今月は雉鳩荘の庭にまだ若そうなアナグマが遊びに来て、お腹を見せてのんびり毛繕いして、なんか股間もあらわで、雄だなーこれーとわかってしまって、そういう野生の観察に感動した。そして今週から私は本格的に長時間の歩行トレーニングに入った。まだ肉体はついていかない。しかし、すでに野生≒自然の観察ははじまっているし、じきに私自身も野性に返るだろう。どんどんと世界は色彩を変える。そんなふうに感じられたり予感を持てたりするのは、どんどんと私が自分にまとう色を変えようとしているからだ。

呪文はたぶん、ひとつしかない。歩こう歩こうずっと歩こう。

歩けるかぎりは。ひとまず、うん、まだいける。

古川日出男の現在地』刊行とお礼参りと校了校了校了と、校了と 2024.06.15 – 2024.06.28 東京・埼玉・京都

こちらはリモート後に読んだブログだが、古川さんはまた歩いていろんなものを見に行くのだろう、そのために必要な歩くための身体と気力、少しずつでも歩けば進める。僕は小説家としての古川日出男という人に出会ったことで、東京を歩くようになった。歩く速度で死ぬまでこの世界を見て感じていたい。

リモートワークを始めても窓の外はずっと雨が降り続けていた。「ハライチ」の後は『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』と作業BGMに。
「ナイナイANN」で岡村さんが仕事をした女優から「インティマシー・コーディネーター」という言葉を聞かされて、初めてその職業や役割を知ったと話していた。コロナパンデミックの時の風俗に関するトークで炎上して、番組から降りていた矢部さんが翌週に駆けつけて怒るということで、なんとか鎮火して二人でナイナイとして復活した背景があるので、そのことを話しているのを聞いていると「なんで知らないんだ?」と正直思ってしまった。
映画やドラマや舞台などではインティマシー・コーディネーターがハラスメントについて演者やスタッフに説明会したり、現場で間に入ることは数年前から日本でも増えてきている。バラエティではさすがにインティマシー・コーディネーターが入るようなことはないのだろうけど、やっぱりそういうことが起きたあとに反省はしても、知ろうとか思わないんだろうし、誰かが教えてあげるとかがないのかなあ。


アメトーーク!』あれから5年…激動の同期芸人(キングコング&山里&ノンスタ&ノブコブ&ダイアン&久保田…ギスギスの同期)

ラジオを聴き終わってから昼ごはんを食べながらこちらを視聴。最後に蛍原さんが「次は4年後、4年以内に」と言ったら、今回から裏番組の関係で初めて参加した山里さんがすぐに周りを見ながら「生きてようなみんな」と言っていたのがとてもよかった。


休憩中に雨だけど傘をさして駅前に言ったら、マーク・フィッシャー著/坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎訳 『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』が出ていたので確保してきた。思いの外分厚かった。
すでに亡くなっているフィッシャーに関する書籍はおそらくこれで最後になるんじゃないだろうか。P-VINEから出ているマーク・フォッシャーの書籍は全部持っているし、最初がジャケ買いみたいな出会だったのもあるけど、こういう装幀は好きだ。前に書いた長編には彼の著書をアイテムとして出したこともあるし、色々と影響は受けている方だと思う。願掛けでもないけど、新しくスケジューリングしたことが成功するために必要なアイテムだと思ったので家に。

ロロの新作公演『飽きてから』詳細が出た。衣装が神田百実さんだった。あのちゃんの衣装やスタリングをしている方だが、伊賀大介さんのお弟子さん。
伊賀さんは前にロロの舞台の衣装をしたこともあったので、師弟でロロの舞台の衣装をやったことになる。なんか知らんが勝手に嬉しい気持ちになった。いつもロロを観に行く友人にラインして行く日時を仮で決めた。あとはチケットをなんとか取るのみ。

リモートが終わった頃に雨が弱くなっていたのでコンビニでアイスコーヒーを買ってきて、玄関を開けっぱなしにして換気扇を回してタバコを吸った。吐き出された紫煙がいつもより白く見えた。
7月からのスケジュールや予定を確認して連絡とか諸々した。半年はあっという間だったし、思ったよりはゆっくりだったような、なんだか時間の進み方が変だった。リスタートとはいかないかもしれないけど、前半がぐうたらだらだらだったので、ちょっと気を引き締める。

本を読んでいたらうとうとし始めたのですぐに閉じて目を瞑った。気がついたら、起きたら一時間も経っていなくて深夜の1時過ぎだったからradikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』の音量を絞って聴こえるか聴こえないぐらいにして目を瞑っていた。途中で寝落ちしていた。

 

6月29日
目覚ましで起きたけど、あまり動きたくないので寝転んだままスマホをいじっていたら、新TwitterことXでこんなポストを見かけた。

第二弾のゲストが発表になっていた。ライザーラモンHGとR-指定だった。RGさんはあるあるを歌いたいライブを一度観に行ったことがあるけどHGさんは初めてだ。R-指定がゲストなのは嬉しいが松永は? 後は松永と菅田将暉がサプライズでもいいから出てくれたら最高だなあ。
9時から上映する映画のチケットを取っていたので8時には外に出る。『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きつつ渋谷に向かうが、天気予想では曇りだったが霧雨のような雨が降っていて10分くらいしたらそこそこ降ってる状態になってきた。ここで傘をコンビニで買うにしてもしばらく先に行かないとお店がない、雨はどんどん強くなっている。雨雲レーダーを見ても歩いている付近は雨が降っていることにはなっていない、なんだこれ。渋谷の道玄坂に近づく頃には雨も止んでいて傘の必要はなくなったが微妙に濡れたままでヒューマントラストシネマ渋谷へ。


『チェーンソーマン』などでも知られる藤本タツキ原作読み切り漫画を映画化した『ルックバック』を鑑賞。元々長い作品ではないので映画自体も一時間と短い。お客さんは朝一だったけど七割方埋まっていた。入場者特典として原作者の藤本タツキの原作ネームを全ページ収録した冊子がもらえた。
小学四年生の藤野は学年新聞で四コマ漫画を連載し、クラスメイトから称賛されていた。ある日、担任から同学年の不登校の京本の描いた四コマを載せたいと言われる。京本の描いた四コマは藤野と比べると圧倒的な画力があり、ショックを受けることになる。卒業式の日に担任から京本へ卒業証書を渡しに行ってほしいと言われた藤野は京本の家に行き、そこで二人は初めて出会う。やがて、二人は一緒に漫画を描くようになり、学生中にプロデビューするのだが、高校を卒業して連載を始めようとするときにずっと藤野に頼っていた京本は自らの画力をもっとあげたいと美大に行きたいと言い出す。正反対な二人が漫画を描くことで繋がっていき、世界と出会う物語だが、終盤にすべてを壊すような悲惨な出来事が起こってしまう。

2021年7月19日
藤本タツキ『ルックバック』

朝起きてFBを開くと数人の知り合いがこの作品について投稿していたので、寝起きすぐで一気に読んだ。確かにこれは『インターステラー』的な要素がある。終わらない日常、からのその繰り返しとフローチャート的なトゥルーエンド探し、あるかもしれなかった現在とは違う可能世界、そういう想像力は当たり前になったというかわかるという所に来たのかな。
叙述トリックじゃないけど、この辺りの表現は映像か絵とかの描写がいちばん強くインパクトがあって、受け手にダイレクトに届いて響くんだろう。ただ、京アニややまゆり事件などを彷彿させるし、このことを指摘している人もいた。その辺りは編集部の判断だろうが、うーむ。

2021年9月3日
「ジャンプ+」で以前読んでいた藤本タツキ著『ルックバック』も出ていたので一緒に購入。ここで書かれている「可能性世界」的な構造は『インターステラー』や浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』にも描かれているのだが、そのことを普通に受け入れることができるようにもなっている。
同時に現在が悲惨で救いがたいから四次元というか多次元に感じられる場所にあるような、ありえたかもしれない未来と過去と現在が同時に存在するようなものをもとめているのかも。

上記は『ルックバック』がジャンプ+に掲載された日とコミックスを買った日に書いた日記より。
『ルックバック』&『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』という今年公開されたアニメ映画はどちらも二人の少女×クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』(あるいは『魔法少女まどか☆マギカ』)的な要素がある物語になっている。悪意(&闇落ち)についての描き方が真逆だと感じた。僕が王道エンタメ(ジャンプとか)にあまりハマらないのはそれがあるんだろうなと思った。

前者は京アニ事件的な要素を入れ込むが創作することで起きてしまう闇落ちには触れないし、おそらく触れられない。事件を彷彿させるが、それによって傷つけられるのは藤野と京本の側である。彼女たちは被害者であり、加害者ではない。
だが、創作というものは諸刃の刃であり、その過程でうまくいかず誰かを妬んだり羨んだり、最悪な場合は精神疾患になって被害妄想にもなりうる。だから、自分の作品を盗んだと被害妄想になってしまった侵入者が現れて悲劇が起きてしまう。
『ルックバック』はそちらへの視線は当然ながらないし、描かない。だが、大きな事件の後に時空や次元を超えるような展開になっていき、もう一つの可能世界を描くことになった。そこでも被害妄想を抱いた男が侵入するものの、漫画を続けていない藤野によって京本は助けられ、二人が一緒に漫画を描くかもしれない可能性を見せることになる。Haruka nakamuraの美しい音楽もあり、感動を呼ぶし泣いてしまう。だが、僕が泣くのは条件反射なので、泣きながらもやっぱり僕はこちら側ではない、と思ってしまった。

後者はある特殊な力を得た小学生の門出が「正義」という美酒に酔い最終的には多くの人を殺してしまい、自ら命を絶ってしまう。それを止められなかったおんたん(凰蘭)は二人が出会う前に現在の最悪な状態を知っている自分の意識を飛ばすことで、門出が命を絶つことを未然に防いでいたことが映画の前章終盤に明らかにされていた。
元々おとなしい自分の意見の言えなかったおんたんは、もう一つの時間軸では明るいなんでも言ってしまう毒舌の性格を作り出して門出を救うことになる。そして、彼女が門出が自ら命を経ってしまう運命を変えたことで、世界の因果が変わってしまった。元いた世界では侵略者の母艦は地球(東京)には来なかったが、こちらの世界ではそのことによって彼らがやってきたことも明かされる。門出を救ったことで終末を呼び寄せてしまった。そんな中で彼女たちは仲良く終わりかけの世界で青春の日々を過ごしているのがこの作品の背景だった。
その意味でも「デデデデ」はセカイ系と言えるし、基本的には「まどマギ」アップデート&原作者の浅野いにおさん作品に見られるアイロニー多めのものとなっていた。こちらはおんたんが罪の意識を持っていることが大きい。

『ルックバック』は藤野&京本という藤本タツキペンネームから取られた二人の少女が共に漫画を描いていくストーリーだが、一度京本を失いながらも、別の時間軸で再び邂逅する展開があるので、再統合された印象を持つ。英雄神話構造にもおそらく当てはめることもできる。そう考えると王道的なストーリーだと言える。だけど、やっぱりあの悪意(&闇堕ち)について触れないというのは、僕にはしっくりこない。
藤本さん自体はそのことを考え抜いているかもしれないが、表現としては描いていない。やっぱりそれがジャンプという漫画の王道であるところで戦い続けていることは関係しているのかもしれない。

藤野の声優を河合優実がしていることも話題の一つになっているが、今年は主演作『あんのこと』もあったし、これから公開される『ナミビアの砂漠』もあるので、まさに「河合優実の年」になっている。あのちゃんを「デデデデ」のおんたんの声優にブレイク前に選んでいるように、ちゃんとヒットする作品はそういう奇跡みたいなうまいタイミングがあうようになっている。それを引き寄せられる人だからこそ売れるんだろうし、表舞台で活躍できる器なのかも知れない。

夕方過ぎになんとなく散歩。radikoで『川島明そもそもの話』(ゲスト:椿鬼奴)を聴きつつブラブラ。陽が落ちるのがだいぶ遅くなってきたから17時過ぎでも明るい、気温は下がらず湿度はあるからすぐに額に汗が浮かんでくるのがわかる。
鬼奴さんはコンビを解散したあとに入ったユニットで芸名の候補を出されて、「鬼」か「泥」の二択になって「鬼」にした。だけど、これだと性別もだしなんだかわからない、先輩である放送作家からの助言もあり、芸名を女性だとわかるように「椿鬼奴」に改名したと話していた。名前の変革も人生、その人が辿ってきた道と共にある。
帰ってご飯を食べて読書の続きをしていたが、何度かうとうとしてしまって、どうも文章に集中ができない。せっかく何も仕事関係のことをしない日にしたのに、諦めて寝た。

 

6月30日

7時過ぎに起きたので最初は『さらば青春のがTaダ、Baカ、Saワギ』を最初に聴いてから、洗濯機回したり朝のルーティンをやった。先週はまだ始まっていなかった家の近くの期日前投票所が本日30日8時半からだったので、『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら向かう。
半になったぐらいで着いたら、最初に来た人が投票箱が本当に空かどうかを確かめるということをやっていて、少し待ちみたいになっていた。十人もいなかったが60代ぐらいのおばさんが「前はこんなことなかった。いつまでかかるの?」とかおじさんもぶつくさ文句を言っていて、管理委員の人が「もう少しお待ちください」って謝っているのを見てすごく嫌な気持ちになった。
こういう奴らが四年前の公約を一つも果たしていない現職に入れてさらにひどい地獄にするんだろうな、利権まみれで関東大震災時における朝鮮人虐殺への追悼文も送らないあの人に投票するのだろう(石原前都知事も最悪だったが、あれでも文学者の端くれだったので追悼文は送っていた。日本の出版業界におけるメディアミックスで成功したのは菊池寛石原慎太郎角川春樹角川歴彦の四人。石原が芥川賞を受賞しなければ芥川賞直木賞はここまでメジャーなものになっていなかった。ただ一つの出版社の賞なのに、日本文学における権威があるものみたいにみんな誤解するようになったのは石原が『太陽の季節』で受賞したことがきっかけになっている。その意味でも芥川賞直木賞を受賞した作家はなんらか政治的なことにちゃんと言及すべきだし、しないといけない。その賞が話題になって大きなニュースになったのは石原慎太郎のおかげ(せい)であり、彼はそこから都知事にまでなってしまった。メディアミックスの恐ろしさもあるが、彼に権力を持たせてしまったきっかけの文学賞だからこそ、後継の人たちはちゃんと政治にコミットしてほしいし、言った方がいい)。
イライラする必要もないところで「待たせるなんておかしい」みたいな厚顔無恥な顔をしている人は、実際にそういうことをしたことがないだろうし、できない。コンビニのレジの人に怒っているおじさんやおばさんはレジ周りの操作とか対応はほぼできないはずだ。僕はコンビニバイト経験あるけど、あの頃と比べても今はやることがありすぎて大変だとわかる。わかっている人はよほどのことがない限りは怒らないし声も荒げることもない、そもそも声を荒げることが下品だ。それに生命とかかかるような時ならわからなくもないが、たかがレジの対応や待たされるぐらいで怒れる下品さ、品のなさは今の日本そのものだ。
漢字を間違えるのも嫌だし、ひらがなでもいいとのことだったのでひらがなで名前を書いて投票を済ませる。利権まみれで自民党とも繋がっていて追悼文も出さないし公約も何一つ実現させていない現職もだし広島で色々とやらかしているプチ橋下徹みたいな人も選ぶわけがないので、選択肢は最初から一人だった。

神宮外苑再開発も晴海埠頭の選手村(現:晴海フラッグ)などの大型の再開発を主導している三井不動産グループに都幹部が天下りしていることもテレビなどではちゃんと報道されない、当然ながらマスコミも広告関係もそれらに加担している。だから、スポンサー対応としてそれらは多くの人は知らないまま投票日が近づいている。
神宮外苑の木々を切るとかってSDGsとか言ってるのに、それを特集するテレビ局は文句言わないの? やっぱりブームに乗るだけで単語を使いたいだけなんだろう、そもそもスポンサーが切る側にいたら言えないよね。そもそも都心部にある樹齢何十年、人間よりも長く生きることになる豊かな緑を破壊するっていうのは何の想像力もないし、バカなんだろうな。利権によって簡単に破壊するとかとんでもない話だけど、そういう奴らが高収入で金持ちでキャンプとか自然豊かなところに行って休暇を楽しむとかちゃんとディストピアだけど。現職が優勢とか報道することで自分たちの守りたいものが透けて見えるし、どうしても今のシステムを壊されると困る人たちがいるんだろうな、素晴らしいね、新自由主義報道の自由度がどんどん落ちていくだけ。
神宮の木々、森のことを考えていたら『通過』の古川さんが朗読しているバージョンが聴きたくなった。

空間現代(Kukangendai) - 通過 [Remixed by 蓮沼執太 / feat. 古川日出男



投票後は家に帰らずにそのまま「オードリーANN」聴きながら代官山蔦屋書店まで行って店内を見て、何も買わずに帰りのスーパーで昼ごはんを買って帰った。散歩しながらラジオを聴いているのが一番自由な気持ちになるし、リラックスできる。
家に帰ってから月に一回の『ヤーレンズオールナイトニッポン0』を聴きながらご飯を食べて「パンオペ」の読書の続きを。
夕方からライティング作業を進める。来月の中ごろ〆切のものを先に手をつける。終わらせそうなものから、ちょっとずつ。後回しにしないようにスケジュールを組み直した。
今日で2024年上半期は終わる。下半期の執筆スケジュールも数日前に立て直したけど、実際のところはどうなるかはわからない。とりあえず、上半期にできなかったことを一つずつでも終わらせていくしかない。

都知事選の期日前投票してきたら、この曲が聴きたくなった。期日前でも投票日でもいいから投票行こうよ。
今回はこの曲でおわかれです。
Gotch - The Age (feat. BASI, Dhira Bongs & Keishi Tanaka) - Music Video 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年6月1日〜2024年6月15日)

5月下旬の日記(2024年5月16日から5月31日分)

6月1日
日付が変わってから5月下旬の日記をアップして、『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら寝落ち。
今日は『三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブin 日本武道館』の「爆湧きステッカー」の配布がニッポン放送のイマジンスタジオでやると先週の放送時に言っていたので午前中の予定を空けておいた。
昨日からちょっとだけ喉が痛かったけど治ってなかった。風邪の引き始めっぽい。この前は喉ちんこが腫れたように大きくなってしまったことがあったけど、それとは違う。ただ、その時も今回もタバコを四本以上吸ったあとになっている。毎日二本ほど吸っている時には喉を痛めていないから、僕の喉へのダメージは三本か四本を越えるとダメなのかもしれない。


5月31日放送分の『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら日比谷方面へ。ニッポン放送の場所を知らなかったけど、調べたらTOHOシネマズ日比谷が入っている日比谷ミッドタウンと目と鼻の先だった。
ステッカーを朝取りに行き、その後になんか映画を観ようとスケジュールを見たらジョージ・ミラー監督『マッドマックス:フュリオサ』が金曜日から公開が始まっていて、日比谷ならIMAXもあるので二日前ほどにチケットは買っておいた。


TOHOシネマズ日比谷にいつも行くルートではあったけど、赤坂から首相官邸方面に登らずに財務省前に六本木通りなのかな、真っ直ぐ進んでいくと国会議事堂がいつもとは違う角度で見えた。

そこからはいつも通り日比谷公園を横切って大通りに出ると日比谷ミッドタウンが見えてくるが、そのまま帝国劇場方面の信号を渡るとすぐのところにニッポン放送があった。
最初に通ったのは社員専用出口で車が出入りするところだったので、表に向かうとステッカーらしきものを手に取ってスマホで撮っている人たちを見つけた。


地下にあるイマジンスタジオを通ってスタッフさんから「爆湧きステッカー」をもらう。武道館もぜひと言われた。バチボコプレミアムリスナーで最初の先行でアリーナ席はゲットしているので心の中で行きますと言った。つい「ありがとうございます」と返してしまい、それが言えなかった。
混雑もしていないし、ほどよく人がやってきては笑顔で帰っていく。穏やかな休日感があった。スタッフさんは本当にお疲れさまです。

そこから少し引き返してTOHOシネマズ日比谷へ。11時30分からの上映回だったけど10時過ぎには着いていた。『三四郎オールナイトニッポン0』はすでに聴き終えていた。スペシャルウイークのゲストは佐久間宣行さんだった。お互いにイベントをやるし丁々発止なやりとりをしてほしいけど、横アリのチケット先行がトラブったのでイジれなくなったこともあり、その辺りのことで三人が話をするのかな。
二時間ちょっと歩いてきたから、アイスコーヒーを飲んで一休み。土曜日の午前中からで期待作でもある&IMAXなのでかなり席は埋まっていた。
中高生のボンクラ男子が好きそうな内容の映画ではある。バカバカしいし寝落ちもしないで最初から最後まで観れたけど、主人公の復讐に燃えるフュリオサ、そして女性たちが置かれている立場のことを考えると男性としては気まずい部分がある。
男性優位社会に対してのフュリオサの復讐劇であり、車やバイクが砂漠地帯を走り回るのでそういうが好きな人は最高に「ヒヤッホー!」みたいなテンションになるかもしれないけど、僕はそういうものがそもそも好きではないからノレないので、やっぱり犠牲になってきた女性たちの復讐劇でもあると思うと、居心地は悪い。
なんだろうな、わかるんだけどなあって感じ。IMAXの予告をいくつか観たけど、今年は『デッドプールウルヴァリン』『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が残りの大作系作品なのかな。

観終わってからミッドタウンの一階にあるアイヴァンでメガネのフレームにヒビが入っているのでみてもらって、交換のお願いをした。前は左目のフレームだったけど、今回は右目のフレーム。また二時間歩いて帰るのはしんどいので赤坂見附駅まで歩いて電車で帰宅。
喉の痛みは治っていなかったので家で風邪薬を飲んで喉にスプレーして夕方は仮眠しようと思ったけど、鼻水がどんどん出てきて息苦しくて寝るどころではなかった。起きている方が楽だ。
駅前のTSUTAYA書店まで夕方散歩。18時を過ぎていたけど家族連れやカップルや友達同士がたくさん歩いている。この街は生活する場所として過ごしやすいなっていつも思う。チェーン店もあるけど個人経営の飲食店もちゃんとある。下北沢が再開発で駅前が変わってしまったのもあるので、三茶はしばらくこのままを維持してほしい。


水道橋博士のメルマ旬報』でご一緒していた細田昌志さんが「小学館ノンフィクション大賞」を受賞した『力道山未亡人』を購入。
前作『沢村忠に真空を飛ばせた男:昭和のプロモーター・野口修評伝』は第43回「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」を受賞するなど評価も高かったので格闘技マニアやファンの人たちは今作も期待しているだろう。僕は門外漢だけど、前作もすごいおもしろく読めたので今作も楽しみ。

家に戻ってからご飯を食べて薬を飲んで早めに寝た。今日は自分のライティング作業を夜はしようと思っていたけど、無理はしないに限る。

 

6月2日
ダメだ。完全に体調崩した。鼻水がすぐに溜まって鼻で息がしにくい。ただ熱を計ってもいつも通り。股関節が痛くなったりしていないのに、なぜか背中が痛い。
目が覚めてから『オードリーのオールナイトニッポン』をradkoで聴きながら横になっていた。寝たり起きたりをちょっとずつ繰り返していき、10時過ぎに近くのドラッグストアで風邪薬と喉用のドロップを買いに行く。コンビニでおにぎりとスープを買って帰って食べて風邪薬を飲んでまた横になる。
力道山未亡人』を読みながら、時折寝落ちするというサイクル。夕方もコンビニに行ってざるそばを買ってきて食べてから風邪薬を飲んで読書の続き。

力道山未亡人』は力道山夫人だった田中敬子に主軸を置いたノンフィクションだが、彼女の家の話もしっかりとリサーチしているし、力道山界隈の人たちの話も聞いた上で符合するもの、しないものをきちんと選り分けて語られている。戦前・戦後に財を成した一家であったり、それ以前から財閥だったりとか、家の力みたいなものも感じる。
田中さんはお嬢様ではあるが、彼女が影響を受けた人たちとのエピソードを見ていると、明らかに一般人的ではない人たちが出てくる。サザンオールスターズ原由子さんが赤ん坊時代には田中家の二階に間借りしていたり、国際線のスチュワーデスになった際の同期には阿部譲治さんがいたり(阿部さんが搭乗員時代のことをもとに三島由紀夫が小説を書いている)、当時の芸能界や政界や裏稼業などが今と違ってわかりやすくつながっていたこともあり、人間関係が星座のように煌びやかにつながっていた。それを見つけて記すのもノンフィクションライターの腕の見どころだなと思う。
プロローグは力道山の弟子であるアントニオ猪木が亡くなって、安置されている遺体に田中さんが会いに行くところから始まる。この辺りの導入もすごくうまいし、力道山のことを知らない人でも入りやすい工夫がされていると思った。

 長過ぎるこの曲のイントロ、長過ぎるあなたのまつげ、長過ぎるレストランのメニュー、が、 もたらす、長過ぎるセックス。長過ぎる社会主義の、長過ぎる夢、がもたらす、長過ぎる孔雀の羽根。長過ぎるあなたの幸福、長過ぎるアメリカのテレビドラマ、が、もたらす、長過ぎる 灰色の二次曲線。長過ぎる恋愛の休憩時間、長過ぎる哲学の授業、長過ぎたあなたの今週に、 お疲れさまでした。こちら東京港区は赤坂、芸者さんと外車のディーラーが行き交い、力道山が刺されたる街よりお届けしております。
 国民の皆様の、週末の憂鬱を消し去る954キロヘルツ、悲しいクールミントの電波を、帝都随一のラジオ局TBSより。1分間のイントロに続く、90分間の生放送であります。

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇』P182より


菊地成孔の最終バンド<ラディカルな意志のスタイルズ>「反解釈0」より


十年近く前に赤坂見附駅近くのピカソドンキホーテ系列)でバイトをしていたこともあり、『菊地成孔の粋な夜電波』が震災後に放送開始して第一回から聴いていたので、力道山が刺された赤坂ニューランクォーターとかそういう単語は知っていた。

力道山未亡人』を読んでいても、僕よりも何世代か上の人たちが詳しいことのちょっと端の方を知っているから楽しめている部分はあるだろうなと感じる。知らなくてもわかるようにはちゃんと書かれている。

ラディカルな意志のスタイルズは二度ライブに行ったけど、現在は活動休止状態。今年は菊地成孔とペペ・トルトメント・アスカラールをしっかりやる一年と菊地さんも言われていたので、来年以降になればラディカルな意志のスタイルズのライブもまた始まるはず。

 

6月3日
5時過ぎに目が覚めて可燃ごみを出しに行く。外は涼しくてちょうどいい気温だった。もう少し寝ようと横になって二度寝モードに入ってわりとすぐに「緊急地震速報」のアラームが鳴り響いた。
久しぶりだなと思いつつ、大きな揺れに備えていたが部屋は揺れなかった。その後新TwitterことXを見たら能登半島の方で震度5だった。正月の地震の余震なのだと思うが、倒壊した建物はそのままで約半年が過ぎていて、放置されているとも言える状態になっている。政府が対応をしているとは思えないし、政局ややる必要のない大阪万博のせいで後回しにされているだろう。

Xで『ワイドナショー』に出ていた女性タレントの発言が炎上というか広がっていて、自分のTLにも動画が上がってきた。その女性タレントは裏金のことや政局を都知事選に持ち込んでいてうんざりと話していた。
小池都知事反自民と言いつつ前回の都知事選に出馬したのに関わらず、自民とべったりなことを考えれば批判されて当然なのだが、なぜか彼女はすでに出馬届けをしている蓮舫さんに否定的な発言をしていた。彼女と一緒に出ていたのが三四郎の小宮さんで、「蓮舫さんがすごい攻撃的で、あまり政治知らないけど怖い」と話しているのも動画で見た。
小宮さんが政治に関心がないのはラジオ聴いていてわかっている。そして、この発言も彼のキャラを考えればわからなくもないが、個人的にファンとしては『ワイドナショー』には出ない方がいい。
もちろんタレントだからオファーされたら出るだろうし、断る理由がなければ難しいのもわかるが、コメンテーターとしてちゃんと政治的なことやいろんなことを知っていて勉強してる人ならともかく、知らない人が出るとやはりまずい。
小宮さんは東京生まれ東京育ちでそこそこボンボンである。普通に考えたら保守側な思想やそういう環境にいてもおかしくない。この言葉が無意識から出たとしても今の現状ではこういうテレビなどで不用意に発言しない方がいい。そして、どうしてこういう発言で批判されるのかもわからないかもしれない。
テレビ局的にはどういう意図で呼んでいるのかはわからないけど、この手のワイドショー的な番組に専門的な知識がない人を出して、これが市民や一般人の考えですみたいなやり方はプロパガンダだと言われても仕方ない。
いちファンとして小宮さんはこの手の番組はもう出ないでほしいし、せっかくの武道館ライブもあるんだから、変な炎上に巻き込まれないようにしてほしい。元々思想が固まっていたり、強いのであればそれを表で言いたいというのはわかるけど、ない人の方が使う側に意向で利用されてしまう。特に芸人は周りの空気を察して発言するから、一番思想がない人ほどその現場の空気に巻かれてしまうから危険だ。

リモートワークを開始したけど、月初なのでわりとのんびり。朝も曇りだったけど、日が暮れていくにつれてどんどん天候が悪化した。
天気予報を見たらゲリラ豪雨になっているところがあって、それもこちらに流れてくるみたいな状況だった。実際には夕方過ぎにはゲリラ豪雨というほどひどくはなく、普通に傘を刺して歩ける程度の雨だった。


昼間の休憩中に駅前に行って、大塚英志(原作)×山崎峰水(作画)『黒鷺死体宅配便』29巻を購入。今回の各タイトルは大瀧詠一さんの曲名(『おもい『あつさのせい』『水彩画の町』『それはぼくぢゃないよ』『朝寝坊』』から。
気になって本棚から取り出した1巻は上京した2002年発売だった。その間に『松岡國男妖怪退治』『アライアズキ、今宵も小豆を洗う。』『代筆屋中川恭次郎の奇っ怪なる冒険』とかのスピンオフもあったりしたから大塚さんの作品の中では一番長いのかもしれない。高校生編がしばらく続くみたい。

トム・ヨークのライブチケットがS席18000円で高いとか新TwitterことXで見て思った。違うんだよ、もうそれが世界では普通で円安で海外からしたら安いぐらいになる。日本だけが物価が上がったのに給与が上がってないからより高く感じるだけの話だ。
そもそも「失われた三十年」で就職氷河期世代を見殺しにしたじゃん。正社員になれずに派遣やバイトしかなくて精神的にも肉体的にも病んで結婚も子供も諦めた世代がいたでしょ。正社員を取らないから結局給与も底上げしなかった(派遣という名の搾取企業が売り上げを上げていって)から、そのぶり返しで今の大学生が求人倍率1.7倍とかになっている。でも、それでも人がいない。中間管理職世代を取ってないし、育ててないから真ん中がいない。そして物価は上がったが給料は上がっていない。個人の税負担は増え続けているのに、法人税は下げ続けてきた。そんなことしたら個人消費は伸びないとかわかっているはずなのに、政権与党は手を打たないし、経済連からの組織票も欲しいから個人から税金を取ることだけはすぐに法案を通す。
新自由主義が当たり前になってるから若い世代からしたら、僕ら世代の就職してない人たちは努力しなかったとかそういう考えに自然となってしまう。パイがなかったんだから努力以前の問題なところもあったし、その犠牲の上でお前らの父親や母親は正社員だったんだぞとかいう憎悪を抱いている人もいるはずだ。もう僕らは捨て駒にされたしどうにもならないから君らはちゃんとした世界にしてくれよ、邪魔はしないからとしか言えない世代もいるわけだけど、もうそれもきっと届かないんだろうな。とか書いていたら雨が強く降り出した。


『83 Lightning Catapult』が一月に急に休止して、一ヶ月ぐらいで復活するかも、しないかみたいな話をその時に相田さんと酒井さんが話をしていたが、なんか六月になっていきなり復活した。
ただ、トークを聴いていると予算削減もあり半年間はやるけどスポンサーとかがつかないと続かないということを言っていた。ポッドキャストアワードとか取っていたけど、わりと厳しい感じではあった。ポッドキャストが乱立しているし、色々と予算とかも難しい部分があるんだろう。とりあえず、アップされたら聴いていくしかない。
スポンサーつくといいんだけど、でも、『三四郎オールナイトニッポン』が武道館でやるぐらいだから、どっかやってくれるんじゃないかなって楽観的には思ってしまう。

風邪薬も効いたのか咳も止まりかけてきた。ただ、喉がやられているので声が掠れている。とりあえずいつもの体調に戻りかけているので助かる。
ライティングの仕事関係の連絡も来たし、止まっていたものが動き出しそう。20時過ぎから土日で読む予定だった原稿を読見始めたらゲリラ豪雨になって部屋の中にも大きな雨音の連続音が聞こえていた。原稿はとてもおもしろかった。

 

6月4日
6時半の目覚ましで起きる。ペットボトルの回収日なので外に出る。ちょうどいい気温。地面が濡れているが湿気は感じない、空気はひんやりしているが日はちゃんと出ている。
昨日の9時以降は何も食べずできるだけ飲み物も飲まず、ちょっと水は飲んだぐらいだったので起きたら喉がすごく乾いていた。
ピロリ菌の除菌治療から二ヶ月後なので(除菌薬飲み始めて五日後で薬疹出てストップしたけど、一応菌が残ってるか検査はすることになった)8時半から自衛隊中央病院尿素呼気試験検査の予約を取ってもらっていた。このため夜も9時以降は食べないようにしていて、朝食もNGっだった。8時前に家を出て病院に向かう。

予約もしていたし、受付が始まるちょっと待ってから二階の検査できるエリアへ。最初に普通に息を吸って、10秒ほど息を止めたのちに渡された呼気採取バッグに息を吹き込む。その後、渡された錠剤を一つ水で飲み干してから部屋で左側臥位の姿勢で5分、ソファに座って15分したらまた同じように呼気採取バッグに息を吹き込んだら終わり。9時半には会計も終わって外へ。


日曜日にチケットを取っていたけど風邪がしんどくて観れなかった映画のチケットをもう一回取っていたので渋谷へ歩く。劇場が開くまで時間もあるし、お腹も減っていたので道玄坂松屋へ。
牛焼きビビン丼に生野菜をつけたけど、正直丼が美味しくなかった。前に食べたのはキムカル丼だったのか、間違えた。それかネギたっぷり旨辛ネギたま牛めしにすればよかった。失敗。

PARCO渋谷のホワイトシネクイントで富名哲也監督『わたくしどもは。』を鑑賞。予告編で気になった作品だった。明らかに死後の世界というか、志願と彼岸の狭間を描いているような世界観は好きでもあるし、主演の小松菜奈松田龍平も好きなので観たいと思っていた。
お客さんは十人いなかったかな。ほとんど女性ばかりで年齢も高かった印象。その人たちはどこに惹かれて観ようと思ったんだろう、役者のファンなのか、監督なのか、ちょっと掴みにくい。
『わたくしどもは。』は無駄をなくしたドラマ『熱海の捜査官』みたいだなって観ながら感じていた。「熱海」も此岸と彼岸の狭間を舞台にした話だった。場所が熱海から佐渡ヶ島になったという感じだ。実際の地名ではあるが、そこは間のどちらでもない世界である。「熱海」は監督で脚本を書いた三木聡さんによるある種の無駄と過剰さがたのしい(『ツイン・ピークス』オマージュも)作品だった。
観ていると画とか構図はカッコいいんだけど無駄を削ぎ落としすぎていてちょっと純文学チックなところもあり、個人的には無駄が欲しいなって思ってしまった。あと此岸と彼岸の狭間を描く作品はトンネル出がち、どちらにも出てくる。トンネルというのが出入り口があって、輪廻転生に向かうみたいなイメージもあるし、通路という意味でも子宮だったりへその緒のメタファになっている。だから、こういう作品だと出したほうが意図や世界観が伝わるし、この先に別の物語や彼らの物語があるんですという感じも出せるのでやっぱり使うよなって。


家に帰る前に代官山蔦屋書店に寄ってみた。ファッション誌『FRUiTS』のコーナーができていてバックナンバーが豊富に揃っていた。何気なく手に取った一冊が1500円だった。海外からの観光客も多い店だし、神保町の古本屋で90年代のファッション誌が売れているという話も聞いたので需要は国内外であるのだろう。

コロナ禍以前は、中国からの観光客が全身「オフホワイト」とかで原宿あたりを歩いているわけですよ。全身同じブランドで固めるとだいたいサーカスの衣装みたいになるんだけど、「オフホワイト」や「ヴェトモン」の場合は初心者が全身それでそろえてもかっこよく見えて、これはある種のファッション革命じゃないかと。1980年代にも例えば全身「コム・デ・ギャルソン」(以下、「ギャルソン」)みたいな人はいましたが、初心者がやるとダサく見えたので。

1990年代の東京のストリートファッションはどう変化してきたのか 「STREET」「FRUiTS」「TUNE」の青木正一インタビュー前編

青木:そんな雰囲気はありますよね。コロナでファッション的にも欲求不満になっていると思うので。いつも1人か数人の天才的ゲームチェンジャーが大きくファッションを変えてきたので。DCブームは川久保玲さんと山本耀司さんだし、裏原系も藤原ヒロシさんと数人じゃないですか。ファストファッションも2、3社。そこからの脱出はデムナとヴァージルだったり。原宿の天才待ちですかね。

原宿ファッションは復活するのか 「STREET」「FRUiTS」「TUNE」の青木正一インタビュー後編

創刊者の青木さんのインタビューを見つけて読んだらすごくおもしろかった。90年代以降のファッションの一つの流れもわかるし、ファストファッション、そしてコロナパンデミック、中国旅行者などを経てまた新しい流れが来るんだろうなと思えるし、場所性の問題も感じる。
インタビュー記事自体が2022年で2年前だから現状はかなり変わったり、何か新しい動きは出てきているだろう。ここで名前がでてきていたオフホワイトのヴァージル・アブローは21年には亡くなっていたりする。僕でも聞いたことがあるファッションデザイナーだった。僕がファッション詳しくないので知っている人は今どんなものを追いかけているのか、おもしろがっているのかは知りたくなる。

少し前から書店で見かけていて気になっていたジョン・バージャー著/金聖源訳/若林恵訳『第七の男』をとりあえず買ってみた。若林さんが前に出した『さよなら未来』とかすごくよかったという印象が残っているので、たぶんおもしろいだろうなという気持ちで、著者の人についてはまったく知らない。

Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:ディズム)と『ランジャタイの伝説のひとりぼっち集団』のポッドキャストがアップされていたので聴きながら積読している本を数冊読んだ。
ディズムさんはTRPGの配信などで有名な人らしい。トークの中で平子さんが『ストレンジャー・シングス』で主人公たちがやっているゲームがTRPGですかって聞いていて、今だとそれでわかる人が多いんだなってそっちに感心した。
日本だとプレイ模様を文章化して小説にしたのが『ロードス島戦記』であり、ラノベ黎明期の作品で有名だが、そのままラノベに組み込まれてしまったのである時期まではTRPGの遊び方とかプレイを紹介していた文化が途切れて日本ではそこまで広がらなかったんじゃないかなって思う。
『あのと粗品の電電電話』はお休みだった。色々あったから仕切り直しとか、一回休みを入れたのか、単純の本編というかテレビの『あのの電電電波』の収録がなかったり、間が空いていてトークすることがないとかなのかもしれない。

 

6月5日
7時過ぎに起きるが、まだ喉がちょっと痛い。その後咳の回数が増えることになるのだけど、まだ風邪は治っていないらしく、最後に咳にきた感じになった。
まだ無理ができないので朝の自分の作業はしないでリモートワークから開始。水曜日は深夜帯に放送した『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで流しながら仕事をする。

星野源ANN」は先週のことがまるでなかったぐらいにいつも通りの放送になっていた。なんか一安心。「あのANN0」は先週は幾田りらゲストで来週は東野さんだからゲストいない通常回。
当たり前だけど単発の時からレギュラー始まってからも全部聴いているけどあのちゃんの一人話本当に上手くなったと思うし、めちゃくちゃ話せててすごいラジオパーソナリティーになってきたなって思う。
昔、乗っていたタクシーから見えたマンホールに大量のカラスが集まっていて、一緒にいたマネージャーの人に言ったらその人には見えていなかったという話があった。今回もその話を人形とか怖い話で届いたメールからしていたけど、あのちゃんはあれは六次元とか違うところのものが見えちゃってたという言い方をしていて、そのマンホールに大量に集まるカラスはなんとなく僕には『SPEC』の映画の最終決戦の地獄の蓋が開いたものにちょっとイメージが重なる。
見えるけど見えない、あるけどない。みたいなことは次元が違うみたいなものは多少納得ができるし、そんな風に考えているところがある。ただ今の段階では実証できないし、あるであろう四次元や五次元や六次元に僕ら三次元の存在はいけないし届かない。でも、そういうところのものが波長なのか何かが合って見えることはあるんじゃないか、あってもいいんじゃないかと思う。ただ、行き過ぎるとオカルトになったりヤバいから、そんなことがあるかもねぐらいで止めておいた方がいい。

渋谷から電車で2駅の三軒茶屋界隈は、都心の賑わいと住宅街のリラックスした雰囲気が理想的にミックスされている。メインストリートは茶沢通りで、ファミリーマートの屋上から突き出た巨大なゴリラが目印。しかし、この通りにあるのは、象徴的な撮影スポットだけではない。気さくなレストランや居心地の良いカフェ、地元の八百屋や魅力的なパン屋も並ぶ。

2024年、世界で最もクールな30のストリート

記事によると茶沢通りは世界で九番目にクールなストリートらしい。確かにコロナパンデミックが収まってからはこのゴリラビルをスマホで撮っている海外旅行者らしき人を見かけるようにはなった。
下北沢と繋がっているところもデカいんだろうけど、でも、海外の人も来るからと言って資本が入って通りにチェーン店とか増やしても意味がないし、個性がなくなるし、住んでる人も来る人も求めてないし、そういうことをすると土地代とか上がって個人経営のお店が減るからいらんことはしないでほしい。

夕方に下北沢のB&Bに行ってみた。ニコラの曽根さんが書いた小説『死者のテロワール』刊行記念の選書フェアが始まったので棚を見にきた。入り口すぐのところに大きく展開されていた。
僕も昔大盛堂書店さんで選書フェアをやらせてもらったことがあったけど、あのことは何にもわかっていなかったのですごいと思っていなかった。でも、今はわかる。こういうことをしてもらえるのは本当に一部の人だけだし、すごいことなんだよなって。これから一ヶ月フェア開催なのでB&B に寄ったらぜひ。


家に戻ってからリモート再開して終わってからニコラへ。いちじくとマスカルポーネのタルトとアイスコーヒーをば。
選書フェアのこととか曽根さんと話をしたけど、思ったよりも自分の喉がやられていて声がかれていたの早めに帰った。

 

6月6日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを出して部屋に戻る。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら横になっていた。喉がまだ痛い。鼻が詰まって噛むと黄色い鼻水が、うがいして痰を吐き出すと黄色いものになっているのでもうそろそろ治るのだとは思うけど、まだ長引いてる。
カラスが外で鳴いていた。一羽じゃない、数羽の鳴き声。可燃ごみの日はよくごみを漁っている。僕が出しているごみの集積所はカラスよけのネットがないので、袋を嘴で突かれて穴が開けられて食えそうなものを引き摺り出して食べて、それが散らかってしまう。
ごみが置かれているところが道路に面しているが、そこが一軒家の塀の横であり、ネットをつけるならその家の塀につけないといけないのでつけれていない。元々我が家のアパートの横には大家さんのおばあちゃんの家と畑があった。亡くなって土地が売られて一軒家が四戸建った。大家さんの親戚のおじちゃんとかが見てくれてはいるが、ネットに関しては人の家の一部なので言えないと前に言われていた。
カラスの鳴き声というかたぶんトークを遠くに聴きながらまた寝て8時過ぎに起きて、家を出た。集積所はカラスが荒らした後でゴミが散らかっていた。僕はそれを片付ける余裕も時間もないので、申し訳ない気持ちで通り過ぎる。でも、それは僕のやるべきことではない。大家さんの親戚であるおじちゃんが管理人みたいなことをしてくれているので、ごみを持って行った後に掃除をしてくれているのを知っている。でも、それだと根本的な解決にはならないし、味をしめたカラスは可燃ごみの日には喜んでやってくる。
ネットをつけるしかないと思うし、その家の人に相談するしかないと思うのだけど、僕は共益費を払っているからやってもらっているけど、そこには含まれていると思う。四戸の一軒家の人たちは当然買っているのだから、そんなお金は払っていないだろう。だとしたらネットをつけるしかない、でもおそらくこのままだろう。カラスの繁殖期が過ぎて寒くなれば大人しくはなる。それまでの辛抱だと思っているのかもしれない。


ヒューマントラストシネマ渋谷で9時半から『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』を鑑賞。木曜日はTCGカードで1200円だし、もう一回は観ておきたいと思っていた。さすがに平日の朝一ではお客は四人ぐらいだった。
原作である漫画版とはラストが違うものになっている。漫画を描いている原作者である浅野いにおさんが映画版のラストも提案しているので、原作改変ではない。
漫画版がAであれば、映画版はBというありえた可能性の終着というか、漫画を読んでいるとこういうパターンの終わりにしたんだ映画版という感じではある。
公開日に観た時は泣けたのだけど、今回は泣くこともなく普通に観ていた。実際には母艦と呼ばれている東京上空に浮かんでいる宇宙船がこの作品の世界ではいるのだけど、なぜこうなってしまったのかという種明かしがされる。

母艦が来る何年も前に主人公の門出とおんたんが小学生時代に偵察としてやってきた侵略者がいた。その侵略者を助けた二人は彼らの道具を使ってプチ世直しをし始める。おんたんは特には加わらないものの、門出はその正義によっていき世直し的に悪い人間をその道具を使って懲らしめていく。ある政治家すらも殺すし、電車の脱線事故を起こしてしまい多くの人を殺傷してしまう。門出は学校に来なくなり、転校することになる。勇気を振り絞って会いにきたおんたんの前で門出は自宅のマンションから飛び降りて、死ぬ。これがおんたんが最初にいた時間軸である。
侵略者がやってきた最初の時間にポイントのようなものが打たれており、おんたんにそこにいけばそのポイントが打たれている過去に今の自分の意識を飛ばせると教える。この時間軸では門出を蘇らすことはできないことも侵略者に言われていたため、兄のひろしにも協力してもらって侵略者がやってきたある場所に三人で向かうことになる。ひろしは「世界を変えろ」と妹を別の時間軸に送り出すのだった。
そして、この物語は門出が死んだ世界から意識が飛ばされて上書きされたおんたんと死なないですんでいる門出がいる世界だったことがわかる。そして、最初の世界では偵察にやってきた侵略者はこの地球は侵略する価値もないと報告すると話していたので母艦は現れていない。しかし、おんたんがやってきたこの世界では門出も死ななず、二人はずっと親友として成長していく、もちろん宇宙人を見たりすることは共通しているが細部は異なってしまう。そして、母艦に乗ってきた侵略者たちは元々は人類より前に地球に住んでいた生物で一度は離れたものの帰ってきた存在であることも明かされる。
だが、この門出が死なない世界では偵察した侵略者からの報告は届かなかったのか、侵略すべきに変更されたのか、母艦がやってきている。この物語で母艦がやってきたのはおんたんがやってきて門出が死なないようにしたための結果の一つだったことが明かされる。

漫画版ではラストは映画では死んでいる門出の父が侵略者の残したタイムマシンを使って更なる並行世界に飛ぶ。母艦も来ず大惨劇が起きていない世界で大学を卒業した元気な門出やおんたんたちが仲良くやっている別の可能性を見せて物語は終わる。
漫画版でも門出を救うためにおんたんが並行世界からやってきた存在であり、彼女の門出を救いたいという気持ちが世界を終焉に導くというのもので、映画版でも基本的には同じだが、父はすでに亡くなっている。映画版では更なる並行世界には行かず、東京やなど大きな都市が壊滅していく。門出とおんたんと仲良しな友達たちはなんとか生き残っている、世界は終焉しなかったが多くの人が死んだ世界で。セカイ系の果てのような終わり方をする。
そう考えると今回の映画版の方がすんなり受け入れやすい。漫画版はおんたんだけではなく門出の父も並行世界を移動するので、より複雑になっているし置いてけぼりにされたと思った印象がある。
今書いている小説って「デデデデ」を意識したわけではなかったけど、母艦の代わりに違う次元から来た「星の獣」とある一族の話なので、正直あるキャラは並行世界を移動していることがわかるみたいな終わりにしようとは思っていた。このぐらい映像がポップでキャッチーでなんとかわかるけど、文章だけだとどのくらい説得力があるのか、母艦の代わりではないけどカブトガニがちょっとしたきっかけにもなればなって思っている。

映画館までとみ終わってからも佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きつつ歩く。ヒューマントラストシネマ渋谷が入っているココチビルの反対側を原宿方面に歩いているとヴィム・ヴェンダース監督『Perfect days』に出てきたトイレがあった。こんなところ、近くを通っているのに今まで気づいてなかった。

国芳の団扇絵 ―猫と歌舞伎とチャキチャキ娘』

原宿駅近くにある太田記念美術館へ。原宿方面はあまり足を運ばないので色々と風景が変わったなと思うし、海外旅行者がめちゃくちゃいる。
浮世絵専門の美術館で、今まで何度かSNSでも見ていたけどきたことがなかったので、せっかくなので時間もあるので来てみた。
館内は写真禁止。海外の人もわりと来ていたけど、ルールを守っていた。僕も撮影できないことでちゃんと展示されている絵とキャプションを読めたし、多くの美術館とかでも今はSNSで拡散してもらえるから撮影OKになっているところがあるけど、やっぱり撮影させない方がちゃんと集中して観れていい。
もちろん、浮世絵という古いものを展示しているからフラッシュとか光とかもダメそうだしなとも思うけど、しっかり観てくださいという美術館の意思表示がされていてよかった。
江戸時代とかに描かれたものだけど、色彩がカラフルで構図もカッコいい。男女が色気もあるし、歌舞伎役者のものが多いから今でいうライブのグッズみたいな側面もあったんだろうし、それを見て舞台とか観に行けていない人は想像もしたんだろうな。
隅田川とかの風景も多かった。浅草付近とかが舞台の絵とかモチーフもあったりして、今の隅田川テラスとはまったく違う世界が見れるのもなんだかよかった。

帰りに記念に蕎麦をかぶってしまった猫(1873年歌川国政(四代)が描いた『しん板猫のそばや』)のアクスタを買った。前から気になっていた。これもそうだし、猫とか化粧品とか擬人化されたものを描いた絵がたくさんあって、コミカルだしポップだった。

想像してたよりもちゃんとした装幀だ。『百年の孤独』という感じもするし、豪華=永遠ではない感じもする。永遠に続くわけではない、その儚さのようなものを僕は感じた。
ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』初文庫化だから、やっぱりマルケスに影響を与えたフォークナー『響きと怒り』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』辺りは一緒に展開してほしいし、日本だとやっぱり大江健三郎作品、中上健次作品、そして阿部和重作品と古川日出男作品はマジックリアリズムとサーガ的な主題を引き継いでいるのでこの機会に読まれてほしい。

 

6月7日
このところ木曜日から金曜日に日付が変わる時間帯はradikoでほぼリアルタイムで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いている。それだけに集中しているわけではなくて、何か読書しながらBGM的に流しているのでどういう内容だったかを詳しくは語れない。でも、ちょうどいい。テンション高いし声が若いので本来は苦手なのだけど、慣れてきたのもデカそう。慣れるまで聴けるかというのは大きいことだなって思う。
今は数冊併読しながら読んでいるけど、ハン・ガン著『別れを告げない』は読み応えというか、明らかに何かが違っていて音が入ってこなくなる。他の本はエッセイとかもあるんだけど、済州島4・3事件を生き延びた母を持つ女性小説家が主人公であるが、詩ではないが、文章のリズムやセンテンスに詩のようなものも感じながら、歴史と対峙する時に身体や思考にまとわりついてくる黒く重い暴力や悪意みたいなものもあって、ハン・ガンという作家の決意とそれでいて僕のようなそれらの事件などに詳しくない人間にも読み進めれる筆力はやはり素晴らしい。

7時過ぎに起きた。まだ鼻と喉、そして時折咳き込んでしまう。風邪が長引いている。熱はないので日常生活にはさほど問題はないけど、鼻水がたまるがちょっと嫌。変異したコロナという可能性もゼロではない。やっぱり外に出る時にはマスクをした方がいいかもしれない。暑くなってきたからしんどいけど、もしものことを考えると仕方ないかなあ。
リモートワークをいつも通りに開始する。今のところ仕事が立て込んでいるわけでもないし、〆切が近いものも特にないので通常運転。今月で上半期が終わる。あっという間だけど、一年もあっという間に終わる。
下半期にはいくつかリモートワークではない、僕がやっているライティング関連でなんらかの形になったりするものがあるし、来年は去年手伝っていたゲーム関連のお仕事もおそらく形になる。
僕の仕事は一つの部門というかそのためのお手伝いなので僕がやりましたという感じにはならないだろうけど、仕事の枠が広がるためにもちゃんと世に出てほしい。そして、僕自身のことももう少しちゃんとしないとヤバいなという危機感は日々強まっている。


昼の休憩の時に駅前の西友へ。その前にツタヤ書店で寄藤文平著『デザインの仕事』文庫版が出ていたので読みたいと思って購入。
黒鷺死体宅配便』シリーズの装幀デザインをずっとされているし、広告や商業など大きなデザインもされているのでいろんなところで寄藤さんのデザインを見る機会は多い。エッセイとか小説ではないものを気軽に読みつつ、『別れを告げない』のような思い小説を読むのが僕にはバランスがいい。

リモート作業中はradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』といつも通りなプログラム。「ナイナイANN」の横アリにあのちゃん出演するみたい。それもあって、前のスペシャルウイークでゲストで呼んでいたのかなと思ったり。
作業が終わってから今月分の「予告編妄想かわら版」の原稿に手をつける。四作品とりあえず下書きみたいな形で書いておいて明日以降に見直して加筆修正する。今回は四作品すでに予告編がYouTubeにアップされているので早めにできるので助かる。
終わってから、自分の原稿で考えていることをメモしたり、設定で変えないといけないところを修正していった。土日からもう少しこの原稿に時間が使えるようになるはず。

 

6月8日
日付が変わってすぐに寝たと思ったら深夜2時前に目が覚めた。特にトイレに行きたいというわけでもなく、なぜかわからないが短時間で起きてしまった。とりあえず、radikoで『バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら目を瞑って横になっていた。声は聞こえるけど内容はあまり入ってこなかった。番組が終わる頃にはもう一度眠りに落ちていた。
7時過ぎのアラームで起きてからちょっとだけ作業をして8時過ぎには家を出た。TOHOシネマズ六本木までは一時間半弱なので、いつもの散歩がちょっと長くなるぐらいの感じ、『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら歩く。
行き来で「三四郎ANN0」を聴いていて後半部分の最後の方で相田さんのフリートークで、おぎやはぎの小木さんとこの数ヶ月よく会うみたいな話をしていて、小木さんから見かけたら声かけろよと言われて、そのトークの内容がまさに「THE おぎやはぎ」みたいな展開でおもしろかった。来週は佐久間さんゲストだけど、『オールナイトフジコ』が生放送しているから終わり次第来るから、前半ははんにゃの金田がゲストということだった。いや、佐久間さん途中からっていうのはゲストオファーしてる時からわかってたろ、と思うけど、金田は武道館のゲストだから呼ぶのは問題ないか。
先週はニッポン放送のイマジンスタジオに行ってステッカーもらいに行ったんだけど、なんかあっという間に一週間過ぎていった。ちょっと日々が過ぎるのが早すぎる。

昨日から公開が始まったルカ・グァダニーノ監督『チャレンジャーズ』を鑑賞。元々気になっていた作品で主演がゼンデイヤだし、予告編とか観てもテニスの試合とどうやら女1男2の三角関係が繰り広げられるみたいでおもしろそうだなって思っていた。

2024年暫定ベスト1! ルカ・グァダニーノ新作『チャレンジャーズ』が必見である理由【宇野維正のMOVIE DRIVER】


昨日この動画も観ていて期待度はさらに上がっていた。

テニス選手のタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)は誰もが恋する華やかなさと容姿を持ったトッププレイヤーだったが、試合中の怪我で選手生命がたたれてしまう。怪我の前に知り合っていたジュニアテニスでタッグを組んでいたパトリック(ジョシュ・オコナー)とアート(マイク・ファイスト)の二人が自分に好意を寄せていたこともあり、彼らを同時に愛することを新しい生きがいとして見出していく。
怪我の前にはパトリックと交際していたが、怪我後にはアートのコーチになり、やがて結婚して一時をもうける。物語はそんなライバル関係のパトリックとアートが三十代を迎えてのあるトーナメント(チャレンジャー)の決勝戦で戦っている流れの中で、最初の出会い、数年後、現在へと三人の関係がどうなっていったのかを描く。
今年ぶっちぎりでセクシー&クールな作品だった。宇野さんの動画でも言われていたけど、セックス自体の描写はないけど、非常に官能的なものがあり、テニスの試合とかのラリー自体がもうSEXのメタファみたいになっていて、テクノぽい音楽も合わさってどんどん観ているとテンションが上がって高ぶるものがあった。しかし、どうにも所々で笑ってしまうようなファニーさもあった。
人間の性的な部分と関係性におけるものって当事者は真面目なんだけど第三者から見たら間抜けだったりすることがある。そんなものもちゃんとあって、非常にバランスのいいカッコいい映画だった。
今作の脚本を手掛けているジャスティン・クリツケスという人は『パスト・ライブス 再会』のセリーヌ・ソン監督の夫らしい。夫婦揃って三角関係を描いているのもなんだかおもしろい。男女で見える景色や描こうとするものが全然違うので二作品合わせて楽しめるし、今年はこの二作品はマストになっているなと感じた。帰りにパンフは購入した。

日差しは強かったけど歩けないというほどの気温ではなかったのでまた来た道を歩いて帰った。汗だく手前ぐらい、Tシャツがびしょびしょになるということもない、額とかには汗をたくさんかいていたけど、まだ梅雨入りしていない。夏ではないのにこの暑さ。
真夏はたぶん外に出ないほうがいいような酷暑なんだろう。今のうちに外歩いたり散歩しておいたほうがいいのかなって思ったりもする。

帰っている時に友達からラインが届いて、トム・ヨークのソロライブのチケットが取れたので支払い票の画像が添付してあったので家の近所のセブンイレブンで支払いだけ済ませた。
これで11月23日はトム・ヨークのライブを東京ガーデンシアターで観て、翌日は「三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブin 武道館」と今年の終わり近くに大きなイベントが連日続くことになった。
トムというかレディオヘッドを最後に観たのはさいたまスーパーアリーナだったから、2008年。16年前だ。最初に観たのがアルバム『Kid A』『Amnesiac』が出た後のツアーでの日本武道館が2001年、次が2003年の「サマーソニック」だから三回しかないのか。

『Lift』はYouTubeなんかに昔のライブ映像で演奏しているものがアップされているが、セカンド『The Bends』に入るかぐらいだったか見送られた、あるいはサード『OK Computer』辺りに収録されると言われていたらしく、オリジナルアルバムには入っていない名曲と呼ばれている。
『OK Computer』の発売20周年記念で『OK COMPUTER OKNOTOK 1997 2017』という盤でようやく収録された曲。トムのソロでやらないことはわかってるんだけど、セトリも毎日変える可能性もあるしサプライズ的にやってくれないかなと勝手に期待している。もし演奏するとしても自分が行く日にやるかという運も必要だけど。

――吉田さんの思う『デデデデ』という作品のテーマを教えて下さい。

吉田:この作品のテーマは、かなり中川ひろしのセリフに集約されていると思うんです。彼は、真っ当なことを言うだけではなく、その裏に優しさや思いやりが見え隠れして、素敵なキャラクターです。

世の中がどういう状況になったとしても、そこで生きるしかない人たちにとっては、今を大切に生きていくことしかできない。そこが、すごく実感として伝わってきました。

日々を丁寧に生きていく。終末だからって何かを破壊したり、無軌道になったりするのではなく、今まで続けて来た日常をより愛おしく、大切に思って生きていくっていうことを貫いている作品だと思います。

アニメ映画『デデデデ』シリーズ構成・脚本、吉田玲子インタビュー

『デデデデ』は漫画とアニメ映画ではクライマックスがまったく違うものになっていて、原作者である浅野いにおさんが映画でもオリジナルな結末を描いてそれを元にしているので、原作殺し的なことにはなっていない。原作者がしっかりとコミットして作られた幸運な作品でもある。
声優オーディションの際にスタッフ側にいた浅野さんがあのちゃんの声を聞いて凰蘭(おんたん)に決めたことでこのアニメは勝った部分があると思う。実際あのちゃんがブレイク前に決まっているので、YOASOBIの幾田りらは主人公である門出ということは決まっていたとしても、あのの快進撃が進んでから、前章と後章でそれぞれアーティストである二人がコラボする曲ができたのもその副産物に見える。

漫画のラストを読み返してみたのだけど、『デデデデ』の漫画版においては門出の父親が重要な役割を果たしている。それを簡単に言えば「父性」なのだけど、彼が起こした行動でクライマックスは地球滅亡に向かっていた終末感とはぐるりと反転する。
しかし、映画版では原作で描かれた「8.32」と呼ばれるディストピアにはなっておらず、父は「8.31」で亡くなっているので漫画版のようなラストには向かわない。
その違いは漫画版ではあった「父性」が、映画版ではないということだ。どちらのエンディングもある意味では「if もしも」的なありかえるかもしれない可能性の一つだなと思わされるものだが、漫画連載中には鳥飼茜さんと再婚して彼女の子供との関係性も『漫画家入門』というエッセイで浅野さんは書いていた。しかし、映画公開に至る前には離婚しているので、漫画版にあった「父性」というか父的なふるまいから離脱したことで、オリジナルなエンディングに向かったのではないかと思ったりする。

夕方から「予告編妄想かわら版」に手をつける。もう一度文章を見直したり消したり追加したり、とりあえず、明日請求書を作ってから編集さんに送ればいい。


昨日読んでいた寄藤文平著『デザインの仕事』の中で寄藤さんが大塚英志著『多重人格探偵サイコ・フェイク』の装幀は最初はピクトグラムを使ったものにしようと思っていたという話をしていた。僕はこの書籍の写真を使ったデザイン非常に気に入っていてカッコいいと思っているので、全然違うものになる可能性があったんだと思って、久しぶりに棚から取り出してみた。
大塚さんに一人でインタビューに行った帰りに恥ずかしいけどお願いをしてサインしてもらったこともあって、特別な一冊だったりする。久しぶりにめくってみたら各章のタイトルがすごく珍しいというか何かの書籍のタイトルかなと思えるものばかりだった。
大塚さんは大江健三郎中上健次の小説タイトルを「サイコ」のノベライズにおいては章タイトルにしていたこともかつてはあったので、これもそうなのかなって思って検索したが誰かや何かのタイトルとしては出てこなかった。だったら、この章タイトルを今書いている小説に使わせてもらおうと思った。もちろん内容を模倣したりパクるわけではない、設定が違いすぎるからそれも無理なんだけど、影響を受けた人の作品からのオマージュというか、僕なりの遊びであり、何かを継ぎたいという気持ちもあって。
多重人格探偵サイコ・フェイク』をradikoheadのアルバムを『KID A MNESIAC』(『Kid A』『Amnesiac』の20周年盤)から歴代のアルバムを聴きながら読むことにした。

 

6月9日
6時半過ぎに起きてから、「予告編妄想かわら版」の原稿を見直して加筆修正をしてから、請求書を作ってコンビニ行ってプリントしたものに捺印して、さらにスキャンしてスマホにそのデータを流してからGoogleドライブに入れる。
原稿と請求書を編集さんに送ったら8時半前だった。とりあえず今日は特に予定はないけどいつもの散歩がてら家を出る。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。気温は23℃ぐらいかカーディガンを羽織っていたが風もあるのでちょうど良かった。風邪はほとんど治ってきたので鼻水は出ないし喉の痛みもほぼ消えたが、時折出る咳が辛い。咳が出ると咳き込んでしまってちゃんとダメージを受ける。

オープンしたばかりの代官山蔦屋書店だが、すでにお客さんは多かった。家族連れも多いがやはり海外旅行者らしき外国人の姿も多いのがこの店の特徴だと思う。まあ、9時からオープンしている店って代官山付近ではあまりないというのも大きいと思う。あとは犬の散歩がてらスタバに寄ったりとか、いろんなお客さん同士の交流も見える。
でも、小説のエリアは年々小さくなっているし、本が好きな人が集まる場所ではないとも思う。それでもお店を維持するためにいろんなイベントや店内のスペースやエリアを変えている。個人的には海外小説とか人文系の書籍もある程度あるのでなんとかお店を続けてほしいので、気になったものは買うようにしている。
二階の音楽コーナーのエリアが『スター・ウォーズ』の新しいドラマシリーズか何かのポップアップストアになっていた。『スター・ウォーズ』はわかんない、エピソード1,2,3,7,8,9は映画館で観てるけど、オリジナルというか「旧三部作/オリジナル・トロジー」は物語をなんとなく知っているだけで最初から最後まで全部を観ていない。
世代的にも生まれる少し前と幼稚園ぐらいの頃にオリジナルは公開されていて、SFとかにさほど興味がないまま育ったのでストーリーやキャラだけ知っているまま、「旧三部作/オリジナル・トロジー」の前日譚というか親世代の物語である「新三部作/プリクエル・トロジー」は高校生や東京に上京していたりしたので観たし、次世代を描いた「続三部作/シークエル・トロジー」は2010年代後半に公開されたので、映画館で映画観るのが好きな人間としてほとんど興味はなくても、映画のお祭りとして参加したという感じだった。
あと「スター・ウォーズ」のドラマシリーズは「Disney+」で配信されているので、そのチャンネルに加入しているのでそもそも見れない、見るために加入したりと思っていないこともあり、まったく何が起きているのかわからないままだ。この新シリーズ『アコライト』もその三部作と関わっているのか、サーガにおけるどのあたりのものなのかは知らない。
ストリーミングサービスでの配信は興味があれば加入して見るしかないのだけど、興味がないと何も知らないまま終わっていったりする。そのため人気になったり話題になってもごく一部の界隈で盛り上がるだけで、大きく広く届くものになりにくい。『スター・ウォーズ』というビッグタイトルでさえ、もう知らない人や世代にはなんのことかわからなくなっている。細分化していく、共通項が減っていく、もちろん個々人の自由や選択の結果なんだけど、この辺りの塩梅って難しいなって思う。


代官山から帰ってきて、12時近くまで昨日の読書の続きをしてから12時から開店する近くの本屋のトワイライライトへ。宮崎智之著『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』を購入。
数年前に幻冬舎から単行本で出たものを今回ちくま文庫で増補新版としてリユースされたもの。偶然だが読み終えたばかりの寄藤文平著『デザインの仕事』も今月刊行のちくま文庫で、どちらもいい装幀だし中身も興味があるものだった。
一度だけ筑摩書房へは作家さんのインタビューに行ったことがあり、作家さんの写真を隅田川テラスとかで撮影した。今年亡くなった友達の家が蔵前にあったことで、Googleマップを見ていたら、彼女の住んでいたマンションと筑摩書房ってわりかし近い場所だったんだなって思ったことがあった。

Fishmans MELODY



夕方までライティング作業の続きをしてから『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』を読み始めた。一度外に出たが夜から天気が崩れると天気予報にあったように曇り空でTシャツだけだと少し肌寒かった。でも、まだ梅雨入りはしないらしい。
文庫は三時間ほどで読了した。以前単行本で出た際に読んだ部分は懐かしく、コロナのことも書き残すことの意義を強く感じたし、同時に自分が当時のことを忘れてしまっていることに時の早さも感じた。
今回追加されている新章に関しては「35歳問題」を宮崎さんとは同学年として越えたこともあり、もっと読みたかったというのが正直なところだった。帯コメントには吉本ばななさんの言葉があり、W解説として山本貴光さんと吉川浩満さんの解説が入っているのだけど、個人的には帯コメントがばななさんなら解説は彼女の方がいいような気がしたし、W解説も読めば二人と宮崎さんとの関係性もわかるけど、その文章文は新しい章にもう一つか二つエッセイがあった方が僕個人としてはうれしい。なんというか宮崎さん以外の名前や文章がいくつかあるとちょっとノイズぽく感じる。
新章に書かれていることだけど、僕もずっと「寂しい」まま(の状態)で生きているなとこのエッセイを読んで思えたし、「悲しい」は傷や痕として残るというのもすごくわかるものだった。今の自分は「寂しい」よりは「悲しい」状況が続いているなとより自分の輪郭がくっきりした気がした。
また、最後に息子さんとのことで書かれていた「旅行者」というものは、宮崎さんの文章(エッセイ)によって僕や読者は「旅行者」になれるし、誰かの書かれたものを読みたいという気持ちとそれは繋がっていると思う。いろんな人が書いたものをたくさんの人が読むことの豊かさがそこにあることも伝わった。宮崎さん自身が断酒しないといけないほどに飲んでいた時期があり、私生活が破綻した後に立て直して行ったこともわかるし、それは物書きとしても人間としても再生したのも文章から伝わってくる。それが僕にはちょっと眩しすぎる。

 

6月10日
眠気が来たと思ってすぐに横になった。目が覚めたのは深夜の3時過ぎだった。やっぱり長時間睡眠ができない。とりあえず、月曜日は可燃ごみの日なので出しに行くと少し小雨。いつもの集積所のところに緑色のネットが置かれていた。おそらく管理人のおじさんがセットしてくれたのだろう。両端が紐タイプで柵に結んで収集が終わったら片付けられるタイプのものみたい。これはありがたいと思いながらネットを上げて奥にごみ袋を入れてネットを少し袋の下に敷かれるようにして家に戻った。
再び起きたのは7時半ぐらい、カラスの鳴き声は聞こえている。ネットがあるからおそらく被害は減るだろうなと思った。リモートワーク前にコンビニ行こうと部屋を出たら雨が止んでいたが、ネットの端っこにあったごみ袋が引っ張り出されてごみが少しばかり散乱していた。やはりカラス頭がいい。だが、いつもよりはマシだと思える光景だった。敷地内を出ると反対側の駅方面の他の集積所に数羽のカラスが集まっていた。そこにはネットがない。ネットの効果は確かにあったのだとわかった。
夕方過ぎにコンビニに行く時に管理人のおじちゃんが高圧洗浄機でごみが溢れて汚れたところを掃除していた。白い跡のようなものはカラスのフンらしき中々取れないから高圧を使うらしい。ネットはやはりおじちゃんが設置してくれていたが、カラスの被害は出ていたので、二人で子育てのシーズンで餌に対して執着している時期というのもありそうだなということを話した。
いつもよりはごみ袋が破られた数も少ない。正直端っこにごみ袋を入れた住人がもう少しネットの方に押し込んで、ネットを袋の下にかますとかやればカラスもすぐに諦めたと思わなくもない。この辺はおじちゃんも誰かわからないからねえと言っていたが、被害が少なくなっているので、カラスも次第に諦めてここはあまりいい餌場ではないと思わせれば良い結果になりそう。

リモートワークをいつも通り開始して、いつも通りな時間に休憩に入る。家を出る前に洗濯機を回して、銀行に行って通帳記入。帰りにTSUTAYA書店で翻訳家の村井理子著『ある翻訳家の取り憑かれた日常』を購入。村井さんの名前は知っていたが、なんとなく日記らしいので翻訳家の日常はどんなものか読んでみたいと思った。

顔は知っている人が書店の店内にいて、名前が出ない。顔は明らかに知っている。というか前に会った時よりは確実に痩せていて細くなってるけど顔は間違いない、でも、名前が出ない。メディア関係の人だし、ペンネームだから余計にごちゃごちゃする。
スマホを出して調べればキーワードでたぶんわかるけどそれはやりたいくない。結局名前が出ないままその人がお会計した後にお会計して、外に出てしばらくは僕の前を歩いていた。その人が違う方向に行ってから名前を思い出した。でも、あの時わかっていても話しかけてなかった気はする。

リモートワークは忙しくないし、どこかやる気が出ない。悲しいぐらいやる気が出てこない。風邪はほとんど治ってきたが、やはり時折咳き込んでしまう。
沖縄などではコロナの感染拡大が起きており、KP系統の変異株の可能性が示唆されている。SNSなどでもニュースなどにあまりなっていないが、今増え出しているコロナは変異株の可能性があるのではないという人たちもいる。高熱は出ない、咳が続くなどの症状で今までとはどうやら違う。
僕も症状としては熱は出なかったし、喉が痛くなってから鼻水が出てから咳が出るようになってきた。うーむ、ワクチン打ったのだいぶ前だし、変異株ならもう効かないかもしれない。ただ咳が出るぐらいだから、家を出る時はできるだけマスクだけしておく。ぐらいしか対応ができない。

菊地:DC/PRGで、いきなりタイトルだけをいきなり抜いて『構造と力』というアルバム名にした。もっとシンプルなことをわからせたいということだよね。この本が主張してる「力」とは全く違う、というか、はるか後方にある、構造そのものが産む力のことね。要するにエンジンの馬力を生むようなイメージでしかなかったんだけど。「新しい構造(ここではポリリズム)から、新しい力が生まれる」と誤読して、アカデミズムの人にバカなの? 利口なの? わかんねえや、って思われたかったと同時に、アカデミシャンが音楽について、どれだけ分かってないかもそれで浮き彫になるし。
 オレは世間の流行・風俗を唾棄せずに乗っかるんだよね。この本は難しいのにめちゃめちゃ売れたっていう話自体が、もう楽しくてしょうがなくて。みんなわかんないのに持っているっていう。こんなヤバいことあるのかって感じだよね。
(中略)
 だから、浅田さんの著作にも遅効性があった。でも同時に、浅田さんは大スターでピカピカに輝いていて引きがあったんだよ。どんな言葉で説明してもいい。強度でもいいし、キャラ立ちでも何でもいいんだけど、とにかく強みがあって引きがあった。

 だから「訳がわかんないけど、手に取りたくなる」「分かったような気にさせる、なんて生やさしいもんじゃねえ」っていう(笑)。なんか、まばゆ過ぎて目を瞑ってしまうっていうかさ。もちろん、今でもそうですけどね。80年代にはいろんなスターがいたんだけど、普通はスター性自体は遅効性と結びつかない。時代の徒花として結局は消費されて消えていく。だけど『構造と力』は、あとで時限爆弾のように遅効性を発揮していくんだよね。爆発はしないんだけどさ。スター性と遅効性を併せ持つ事例はそんなにないんだけど、浅田さんは間違いなくその一人だと思います。

菊地成孔×荘子it『構造と力』対談 「浅田彰さんはスター性と遅効性を併せ持っていた」

結局、浅田彰さんの『構造と力』文庫版買ったけど読んでないや。この対談読んでちゃんと読まないといけないなと思った。菊地&荘子コンビは一言えば十わかるぐらいの教養や価値観、センスだったりするので永遠に話ができそう。

仕事が終わってからスケジュールとしては自分のライティング作業の時間を入れているのだけど、やる気がまったく起きない。〆切はどんどん近づいているし、余裕は無くなっているのはわかる。自分の執筆スケジュール記入したワードデータを見直したりする。
夏過ぎの予定はたぶん無理なくいける。問題は今月応募しないといけないやつだけだ。
ダメだ、やっぱりスイッチが入らない。諦めて『ある翻訳家の取り憑かれた日常』を読み始める。2023年1月から12月までの一年間の日記。知らない誰かの日常を覗き見、覗き読みする。
翻訳家である村井さんもメンタル的なことで書けない日があったり、読んでいないが亡くなったお兄さんのことで、何年も経っているけど心に澱のようなものを抱えている。今はどうも小説を集中しては読めない、だから書けない気がする。今は昨日の宮崎さんのエッセイもそうだし、ノンフィクションなら読める。この状態から抜け出したい。

【絶品ホルモン】佐久間PとNOBROCKTVスタッフが、ラランドニシダをゲストに招いて、絶品ホルモンを食べながら決起集会してみた


寝る前に佐久間さんのYouTubeのサブチャンネルとして始まった『BSノブロック〜新橋ヘロヘロ団〜』の第一回を見る。おじさんばかりで焼肉を食べながら話をするだけ、ダラダラとしていてなんかちょうどいい。「NOBROCKTV」の裏方である放送作家やスタッフがどんな人かというのもトークの中でわかったりする。この人たちはちゃんと夢とかやりたいことをやってるんだなと羨ましくもなる。
動画を見て誰かと焼肉がっつり食べに行こうぜって感じにはならないけど、月に一回とか二回ぐらい友達と飲んだり、話をする時間は取れているから、僕としてはだいぶ助かっているんだろうな。

 

6月11日
起きてからradikoで『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きつつ掃除したり洗濯機を回したり、ちょっと作業の資料を読んだりする。
8時過ぎに家を出て『フワちゃんのオールナイトニッポン0』(ゲスト・有田哲平)をBGMにして渋谷まで歩く。有田さんがプロレス好きなのもあるし、フワちゃんもプロレスのリングに立っていたのでその話がわりと多かったかな。生放送ではなく録音だったけど、たぶんそれで良かったんじゃないかなと思う内容だった。

10時からの上映回を観にきたが、新宿武蔵野館自体が開くのが9時45分だったので、一度外に出てその付近をブラブラしていた。何度も行くほど通っていないが、あの辺りだとメディア関係の人間がよく打ち合わせをしていた喫茶西武が去年の夏に移転してしまっていてちょっと寂しい。移転先も新宿らしいけど、どこか知らない。そこでロロの三浦さんにインタビューをさせてもらった。そのあと帰ろうとしたら、『水道橋博士のメルマ旬報』でもご一緒していたプロレスラーのスーパーササダンゴマシン(マッスル坂井)が他の席で作業をしていらしたのでちょっとだけ挨拶したら、「お腹減ってる?」と聞かれて分厚いサンドイッチをご馳走してもらった。それだけで坂井さんめっちゃいい人っていう印象が残り続けている。


どのくらいぶりかわからないぐらい来ていなかった新宿武蔵野館入江悠監督×河合優実主演『あんのこと』を鑑賞。座席はほとんど埋まっていた。流石に平日の午前中一番最初の回だから僕よりも明らかに上のシルバー世代が多かった。男女比は半々に近かったかなあ、彼や彼女からすると主人公の杏はおそらく娘というよりは孫世代だと思うのだけど、観終わって日本でもこんな不幸なことがあるんだなって感じなのか、リアリティは感じたのか、ちょっと気になった。
そもそもどういうきっかけでこの映画を知って観にきたのだろう。入江監督のファンって感じでもないし、河合優実がその世代に知られているにはまだ早い気がする。やはり実話を基にしていることが大きいのだろうか。
2022年6月の新聞記事に着想を得て作ったという作品。主人公の香川杏はホステスの母と足の悪い祖母と三人で団地住まいしていた。しかし、杏が小学校を不登校になってから母親から12歳の時に体を売らされてからは、売春をして稼いでくることを強要され、彼女はその時に知り合った男の影響で麻薬を始めてヤク中になっていた。
ある日、杏と一緒にいた男がシャブを打つとオーバードーズで倒れてしまう。それをきっかけに警察で事情聴取を受けることになる。その時の刑事の多々羅(佐藤二朗)は人情味あふれる男で、麻薬中毒者だった人たちを集めた自助サークルをやっており、杏をそこに誘う。小学校の途中から学校に行っていなかった杏は難しい漢字などは読めなかったり書けなかったりする。そんな彼女に多々羅と自助サークルを取材している週刊誌貴社の桐野(稲垣吾郎)は勉強を教えたり、介護施設で働けるように手を貸して社会復帰できるように促していく。杏は毒親と言えるだろう母親の支配から多々羅と桐野の協力によって初めて人の温かさを感じ、人を信じることを知り更生の道を歩み出すのだが、というストーリー。杏の父親の話はまったく出てこなかったのだが、多々羅と桐野が仮初の父というか、彼女にとってはおそらく体を売るようになってからは女として、女(性的な)として見ることなく、接してくれた年上の男性が彼らだった。
杏は介護施設で働き始め、海外から日本にやってきた人たちと一緒に小学校からの勉強を始めていき、次第に明るい未来に希望を見出すようになっていく。しかし、コロナパンデミックによって彼女が手に入れたい場所は奪われていき、彼女は孤立していってしまう。そして、多々羅があることをしているのではないかという疑惑で近づいていた桐野はそのことをスクープし、自助サークルもなくなってしまい、杏が頼りたい、助けを一番求めたい時に多々羅は彼女に手を貸すことはできなくなってしまうことになる。

観ていてとても苦しかった。杏自体だけのことだけでなく、母親との関係性というか母の存在によって彼女の未来は最初に潰されていることが。そして、男にだらしないであろう母の呪縛に彼女は縛られ続けている、母としては産んだのは自分だから、娘の体は自分のものであるという謎の主張をしている。また、母は祖母の世話も杏に押し付けていた。そして、母は杏のことを時折「ママ」と呼んでいた。その依存が娘の人生をひたすら壊していく。
人は孤独でも生きていけるが、孤立したら生きていけない。出入り自由なコミュニティがいくつかあるといいと思う。ある一線を越えないために、あちら側に飛び出さないためのセーフティネットとしてのコミュニティが必要になる。
例えばそれは僕にとって一つはニコラである。誰かにとっては近所のスナックである、というようなコミュニティが絶対にいると思う。そして、一つの場所だけだとそこでの関係性が難しくなったり、無くなったり損なわれてしまうと依存しきっているとかなりヤバい状態になってしまう。だからこそ、リスクを拡散というか、そういう場所がいくつかあるといい。
一つだけだと例えばそこがカリスマ的な存在によって成り立っているとそこにいる人たちは自然と支配されていき、おかしなこともおかしいとやがて言えなくなり隷属してしまう。そう、客観性が失われてしまう。それを避けるためにもいくつかのコミュニティに、出入りが自由なところにいるのが大事だと僕は思う。あるいはいくつかのゆるやかな距離感の友達や知り合いがいることがセーフティネットになる。

河合優実さんは鈍牛倶楽部に所属しているのでスタッフロールでちょっと知っている名前の人たちの名前があった。稲垣さんは週刊誌記者=ジャーナリストという役どころだが、彼が暴くものも関して、僕はいろいろと思ってしまった。
鈍牛倶楽部の方と直接的に付き合いがあったわけではないが、かつて所属していた人に僕はお世話になっていたし、影響も受けてきた。その人は性加害で問題になって表舞台から消えている。僕はもう彼の名前を出せない。被害にあった方々からすれば僕は加害者の側の人間だろう。そういうことが行われていたことを知らなくても、加害に加わっていなくても、彼と関わってそれなりの時間を過ごし、作品にも参加してクレジットもされている。だから、僕は加害者の側だという意識が性加害のニュースが出てからずっとある。だから名前を出すことは二次加害になるので出せない。
そして、稲垣さんがかつて所属していたのは事務所の問題もある。そのことが終盤の方で脳裏をよぎった。この作品における杏の希望を打ち砕く一つの出来事はそういうことを思わせる。このキャスティングも兼ねて、どういう気持ちでこの作品は作られているのだろうか、と思った。鈍牛倶楽部もかつて所属していた人が性加害問題を起こしているわけで、そのことへの事務所としてのアンサーなのだろうか。そのあたりは実際どうだったのだろう。
稲垣さん演じた桐野は彼なりの正義、ジャーナリズムとしての正しさとしてあることを記事にする。そのことで一つのコミュニティは崩壊する。そして、被害にあっていない少女に手を差し伸ばす人物は不在となり、ある悲劇が起きてしまう。
少女に悲しいことが起きてしまった後にその現場に駆けつける桐野は慟哭していた。僕はそのシーンを観ていて正直ムカついてしまった。その程度の覚悟ならば正義を振りかざすな、ジャーナリズムとしての正義を敢行したらどうなるかぐらいの想像力を持っておけよ、甘えるんじゃない。
正義は簡単に人を殺す、ぶちのめす、そんなこともわからない奴がジャーナリストなんかできるのか、年齢的にも20年以上はやっているだろう。そこにリアリティがまったくなかった。だって、わかっていただろう、そうなることもその可能性も。
もちろん杏と多々羅と桐野の三人で楽しく飲んだりご飯を食べたりしていた。だからって自分が行ったことでどうなるかわからないってことあるか、そのぐらいの覚悟なら安い正義は遂行すべきではない、彼女の起きた悲劇は個人的に悲しいのは理解できるしわかる。だけど、その程度の覚悟はやっぱり僕には理解できないというか、ジャーナリストだとは思えなかった。


新宿武蔵野館で映画を観ようと思ったのはもちろん近くで『あんのこと』をしている映画館は他になかったのもあるが、11日なら12日発売予定の書籍も紀伊国屋書店本店ならあるのではないかという気もしていたからだった。
お目当ての講談社学芸文庫の中上健次著『異族』が出ていたの帰りに寄って購入。単行本の時の装丁は菊地信義さんによるものだったらしく、講談社学芸文庫シリーズのデザインも菊地さんによるものだ。菊地さんが亡くなってから弟子筋の水戸部功さんが引き継いでこのシリーズを手掛けているのも個人的にはかなり熱い。『異族』は中上健次が執筆中に亡くなってしまったので未完だが、こちらも未完の漫画原作『南回帰船』と併せて読みたいと思っている。『南回帰船』は大塚英志さんのインタビューを大塚さんの事務所でさせてもらった時に(何回かしている)、インタビューが終わって事務所の本棚を見せてもらった時に「これいいですね。まだ持ってないんですよ」と言ったら大塚さん数冊あった中から一冊お土産がわりにくださった。
僕はある小説の新人賞の座談会で「この人は間接的に中上健次の影響を受けているんじゃないか」と言われたことがある。実際にそれは当たっていた。大塚英志さんと古川日出男さんの影響を受けて小説を書いたら、そうなるのは正しいと自分でも思う。そして、間接的な影響を受けていても何かをぶっちぎるようなものを書いてない限りは需要はない。この人が書いているものを応募できる新人賞はほとんどない、的なことも座談会で言われた。自分でこうやって書いてみるとそれに呪縛されていたのかもしれないと思うし、ぶっちぎるような、こいつヤバいなって小説じゃないから形になっていないのだとわかる。だとしたらやっぱりそこにはちゃんと辿り着きたい。

家に帰ってからご飯を食べてから読みかけだった村井理子著『ある翻訳家の取り憑かれた日常』の続きを。一年の日記を書籍化したものだが、昨日までで10月まで読んでいたのですぐに読み終えてしまった。
最近は小説を集中して読めなくてノンフィクションやエッセイばかり読んでいる。村井さんの日記は人(動物)の匂いが濃厚で、家族のこと地域のこと仕事のこと、全部自分に返ってくるのがどこか心地いい。たぶん、『異族』を読み始めると何か別のフェーズに行く気がしてきた。

【緊急配信】元NGT48中井りかから連絡がきたので、新婚の夫を呼び出して焼き鳥を食べながら不満を聞いてみた


昨日サブチャンネルの一回目が公開されたばかりなのに、第二回が緊急で配信されていた。中井りかの結婚相手が佐久間さんの後輩ということで、たぶんあの人なんだろうなって思ったらそうだった。そして、二人が付き合うことになるきっかけを作ったのは三四郎の相田さんだったが、付き合っていることは言わなかったらしい。誰かに言いそうだから、という理由で。これは金曜深夜の『三四郎オールナイトニッポン0』のスペシャルウイークのゲストが佐久間さんだからこの話題もトークになるんじゃないかな。
佐久間さんが気に入っている新橋のお店で飲みながら話すみたいなゆるいチャンネルみたいだが、今回の件で佐久間さん関連の人が何か発表したいとか公表する時にここで言いたいみたいなことになったり、佐久間さんと美味いものを食べて飲みたいみたいな芸人さんたちが自ら志願してきて飲み食いしながらトークみたいな方向になるかも。ここに出るのが夢とか目標みたいなことになっていくこともありえそう。

『83 Lightning Catapult』 #サウナの主

復活二回目、半年以内にスポンサー見つからないと終わり、という予算削減。前までのスタジオではないと一回目に話してたけど明らかに以前と比べて音質が悪い。音声コンテンツが乱立したからそれが如実にわかるようにもなった。スポンサー見つかるといいな。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #17【ゲスト:しみけん】

前回のカンパニー松尾さんの次がしみけんさんっていうAV業界の有名人が続く。数年前、水道橋博士さんとしみけんさんは一緒にバラエティ番組で共演していて共著も出している。その際のイベントに行って打ち上げに参加した帰りに家の方面が同じだったのでタクシーでしみけんさんと同席させてもらったことがあった。
ものすごく腰の低い丁寧な方だけど、話し出したらめちゃくちゃおもしろい。哲学的なこととエロや下ネタがコンボで発動していて、その知性と好奇心を強く感じさせられた。あとクイズがめちゃくちゃ得意らしいけど、いわゆる表のテレビとかには出れないから地下のクイズ番組とかあったら勝てるのになとも言われていた。裏の世界のことばっかりのクイズ大会なら負けないって言われていた気がする。
アルピーの二人としみけんさんの会話のテンポや話題の理解度やノリ加減とツッコミがちょうどいいから、とてもいい組み合わせだと思う。

夜はもう何も作業しないで、読みかけだった本の続きを読みながらSpotifyで配信されたPodcastを流して聴いていた。『あのと粗品の電電電話』も先週お休みだったけど今週から復活してよかった。明日からちゃんと色々とやろうと思えるぐらいには心にゆとりが持てたのでいい一日だったと思う。口唇ヘルペスが治りかけてきたと思ったらもう一つできたけど。

 

6月12日
6時過ぎに起きてシャワーを浴びて目を覚ます。radikoで『アルこ&ピース D.C.GARAGE』をBGMに早めにリモートワーク作業の準備からスタート。一時間後には『JUNK 爆笑問題カーボーイ』へ。
8時半前に家を出た。目的地までの行き帰りは『星野源オールナイトニッポン』を聴いていた。ゲストは三浦大知さんで、のんびり二人がコーヒーを淹れて飲んだりしながらのトークになっていて、いつものスペシャルウイークとは違う雰囲気というかテンポだった。


先週、ピロリ菌の除去ができたかどうかの検査を受けたのでその結果を聞きに三宿自衛隊中央病院へ。予約をしていたので最初に診察してもらったが、やっぱり除菌できていなかった。五日目で薬疹出て除菌の抗生物質飲めなくなっていたから、ワンチャンできてるかもってことで検査したけどやっぱりダメだった。
飲んでいた抗生物質の何が薬疹を引き起こしたのか調べないと、次にもう一回除菌するにもどれがダメだったかわからないとできないし、二度目の除菌をしなくても抗生物質のどれかにアレルギーが出るか調べないと今後処方箋をもらってそれを飲んでしまうとアナフィラキシーショックが起きてしまう可能性が高い。
担当医がすぐに手配をしてくれて血液検査をすることになった。検査に必要な分の採血をして、結果はまた二週間後ぐらいに。病院には二時間もいなかった。朝一でタイムカード切らずに作業をしていたのは、休憩が一時間なのでオーバーする分は先に作業しておこうと思ったからだったけど、時間的にはちょうどぐらいになった。

帰ってからの作業中には「星野源ANN」を聴き終わってから、『あののオールナイトニッポン0』のゲストが東野幸治さん回を流していた。
あのちゃんがメイプル超合金の安藤なつさんが友達で甘えさせてもらっているという話をしていたが、それを聴いた安藤さんがそのやりとりを新TwitterことXにポストしていた。あのちゃんにとって安藤さんがいるからこそ、乗り越えられたり呼吸ができる瞬間や日々があるんだなって感じるトークだったし、その証拠の写真だなって思える。


リモートワークが夕方過ぎに終わってからニコラへ。ニコラのSNSで鮎入ったとお知らせしていたので、今日行くしかないなってことで、毎年この時期のお楽しみな鮎とズッキーニのスパゲッティーニ きゅうりと肝のソースと白ワインをいただいた。カウンターにはニコラ友達な二人も来ていたので食事をしつつ話もできてよかった。

夜はやっと自分のライティング関係の作業を再開した。
あと夕方に届いていた「特別区民税・都民税・森林環境税通知書」の納税の金額を見て、心の底からムカついたがもちろん払う。だが、裏金とか脱税して法律的にアウトな泥棒の奴らが議員すら辞めずにのう脳としているし、クソみたいな自分たちを守るためだけの法案とかを数の論理で通そうとしているのか心の底から軽蔑するし、マジで逮捕されてほしい。そのためにも自民党が応援する連中が落選する方向でなんとか持っていくしかない。
僕は現都知事に一度も投票したことはない、今回も当然ながらあんな嘘つきには入れない。まだ、マシな人に一票を投じる。大阪の維新も最低だが、東京も現職都知事が最悪だ、基本的に石原慎太郎以降でまともな都知事がいた記憶がないけど、つまり東京都民になってからまともな都知事が就任していたことがない。それでも僕は投票をする。現政権や元都知事がこのままなら僕らの負担だけが大きくなるだけなのだから、絶対に落とすしかない。

ZAZEN BOYS - 自問自答 @ TOUR MATSURI SESSION 


ZAZEN BOYSの武道館ライブの先行抽選の結果が出た。当選していた。新TwitterことXを見ても落選した人皆無なんじゃないかなってぐらいみんな当選していた。まあ、先行は絶対に行きたい人しか申し込まないし、そこである程度は埋まっている方がいいのかもしれないとか思いつつ。
この時のベースの吉田さんが最後のワンマンツアーは観に行っている。その後MIYAさんにベーシストが変わってからも観に行っているけど、武道館サプライズで吉田さんが何かで参加するんじゃないかなとちょっと期待している。

 

6月13日
『あちこちオードリー』を見ながら寝落ちした。目が覚めて時計を見たら深夜の1時半だった。自分でも驚くほどまったく眠れていなかった。可燃ごみを出しに行くとすでにカラスよけのネットが敷かれており、その中にごみ袋を入れて奥に入れて袋の下にネットをかますようにした。このまましばらく眠れないかなと思ったけどすぐに寝れた。
7時前に目覚ましが鳴る前に起きる。まだカラスの鳴き声はしていない。
今日のスケジュールと今月いっぱいどういう感じか確認する。下旬はおそらく忙しくなる。今やっているものとかはじまりそうなものは7月から本格化したり動き出すので準備しないといけなくなるはず。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のゲストがアンジャッシュの渡部さん回を聴きながら朝の読書。やらかしていろんなものを失った渡部さんだったが、徐々に復活の兆しを見せ始めている。千鳥の『トークサバイバー』で当時のことを話したり、佐久間さんのYouTube企画なんかにも出ているので、佐久間さんには恩義を感じているんだろうし、ありがたいという気持ちがあるのが伝わる。
もちろん、失敗してもそのことに対して謝罪したり、やりなおしができる社会の方がいいけど、今は一度の失敗でSNSやいろんなところで追い詰めていく。死刑ではなく、私刑のように匿名の誰かがその個人が執拗に攻撃するのも見る。そんな状況だと失敗したことを認めないでずっと批判されてもそのポジションを取り続ける人も増えている気がする。当人がやってしまったと思っても、その人を支持している人が離れてしまうことを恐れる。お金が集まらなくなるから、誹謗中傷や差別的発言をポジションとして続ける人もいる。
僕が幼かった頃にはまだ政治家は謝っていたし、責任をとって辞任していたが、今はもう謝ることもしないし辞めなくなっている。おそらく失敗が許されない、認めると終わるという社会になったことでそういうことは加速している。
渡部さんは芸人だから、一度自粛をしてからメディアに出ることで禊をすることができる。そのためにはもちろん本人の能力があるからだし、周りの人が何かをしてあげたいと思える人であるとかいろんな要素はあるものの、その点では芸人は何かをやらかしても謝罪して自粛することからもうワンチャン復活できることがある。その寛容さみたいなものがなくなっているから、どんどん相互監視の生きにくい社会になっているなって思う。

第171回直木賞芥川賞候補作が発表された。

候補作十作品の中で唯一読んでいるのは朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』のみだった。
直木賞候補作はどの作品も読んでいない。候補者の名前は知っているし、書店でも作品は見かけているが手がどうも伸びない。自分の小説への興味が薄れているわけではなくて、今売れてるとか評価されてるみたいなことがどうでもよくなっているのかもしれない。もちろん本を売りたいというのはわかるし、他にも本屋大賞とかフェアを展開したりといろいろあるんだけど、それを見ても手を伸ばして読みたいと思えなくなっている。

4月7日
『新潮』2024年5月号に掲載されている朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』を昼過ぎに読み始める。もう半分残っているが、結合双生児を描いた小説。主人公はその双生児の姉妹であり、それぞれの視点で物語っていく形式になっている。彼女たちの叔父と実父との関係が彼女たちの状況よりも先に描かれるのだが、その関係性もかなり特殊なものであり、ちょっとビックリするものになっていた。
朝比奈さんはすでに三島由紀夫賞を受賞しているのだが、今作は芥川賞候補になるだろうし、たぶん取るんじゃないかな、取ろうとしている意欲みたいなものを感じる。
今まで気にはなっていたが朝比奈作品は読んだことがなかった。話に聞いているものだと『あなたの燃える左手で』では移植された人種の違う他人の左手のことを描いていようだし、『私の盲端』では20代で人工肛門となった女子大生の物語だという。もちろん著者が医師であるからこそ描けるものでもあるのだろうけど、今回の「サンショウウオ」も含めて人体に起きたこと(あるいは変化や欠損、それを補うこと)による自分と他者の境界線や、心はどこに宿っているのかということを描こうとしているのかなと思ったりする。

4月9日
起きてから朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』の残り半分を読む。
結合双生児の話だけど、読んでいる時は気づかなかったというか完全に忘れていたけど、萩尾望都さんの『半神』とそれを元にした野田秀樹さんがやっていた「夢の遊民社」の舞台(専門学校の時に授業で見せられた)も同じく結合創成時の物語だったことを少し時間が経ってから思い出した。
朝比奈さんの他の作品のことを聞いている感じと今作を読んでみると、自分の肉体だけど他者や外部性との関わりの中での「自我」についてこの人は書きたいのだろうし、軸というか中心にあるんだろう。

と読んだ感想を日記に書いていた。読んだ時にこれは候補になるだろうし、受賞するんじゃないかなと勝手なことを思ったが、やはり候補にはなった。
自分のこと(身体)なのに、自分ではない、あるいは他者であるのに自分のことである。ということを描いていて、それが精神でないことが医師であることも、時代も関係しているのだと思う。
自分のこと(身体)が(精神)になってしまえば、世紀末にありふれて当たり前になっていった多重人格(解離性障害)を描くことになる。実際にその症状で悩んでいる人も苦しんでいる患者さんはいるのはわかっているが、もはやそれは当たり前のものになった。ソーシャルネットワークの普及と常態化によって、複数アカウントを持つこともSNSごとに違う自分を使い分けたり演じ分けることはさほど珍しいことではなくなった。
解離性障害はカジュアルなものになった。だから、ミステリでもサスペンスでも多重人格は使いにくいものになった。特別なことではない。そもそもフィリップ・K・ディックなどのSF作家たちが描いてきたものはSNSやネットを予見させていたし、さらに多重人格的なものがあった。ディックは双子の妹が生後間もなく亡くなったことで、ありえたかもしれないもう一人の自分というもの、LSD神秘主義が混ざり合ってスピリチュアルなものとSFが混ざり合っていき、現在の社会を予見したようにも見えてしまう。
サンショウウオの四十九日』で描かれたものは、一見すると最初はこれは多重人格的な、内面に違う人格があるかのように思わせるのだけど、実際に結合双生児の話であることがわかる。
精神的な分裂や多重性はもはや僕らにとって驚くべきことではない、だが、身体性における欠損や他者性というのは日本が戦争から遠く離れて、記憶がなくなっていくにつれて驚くべきものになってきたのかもしれない。傷痍軍人とか体の一部が損なわれたりする人を見ることが減っていったし、障害を持っている人を町中でたくさん当たり前のように見かけるわけでもないから。
双子たちと家族の話が、そして彼女たちの身体を想像することになる。それは文学が担っていた他者の悪意などが心の奥底に沁み込んでくる嫌さとは違うのだけど、近しいものがあった。だから、その意味で正統派な純文学だと感じた。あとはまともな装幀にして単行本になればいいと思う。

一度コンビニに出たがいつも集会や飲み会のように集まっていたカラスたちはネットのためいなかったし、どうも鳴き声もしない。やっぱりよく鳴いていたのは餌のありかを伝えていたのかもしれない。コンビニ方面に向かうとネットのない集積所のごみ袋は破られて中が散乱していたし、建物の上の方で二羽のカラスが空中戦を繰り広げていたので縄張り争いなのだろう。だとするとよく鳴いていたのは餌のありかを教えているわけではなかったのかもしれない。
ライティング作業を始める前に昨日届いた悲しい「特別区民税・都民税・森林環境税通知書」のことで担当部署に連絡して、四期での納税をマックスな11ヶ月に分納にしてもらう。
今までも何度も分納にしてもらって納税しているが、担当してくれる人は丁寧でしっかり対応してくれている。脳裏でどこかこの人たちは正社員とかではなく派遣だったりするのかも、と思う。そういうことが増えていろんなものが瓦解して、派遣をするところに金が入るけど、一部の人以外はみんな貧しくなっていった。みんな怒ったりするならちゃんと投票するしかない、権力者はそれすら奪いかねないのだから。しかし、高えよ税金。なんでみんな泥棒している政治家に怒りを向けないのだろう。あいつらがやってるの脱税だぜ。


昨日注文していた大塚英志著『二層文学論 古層の実装』届いた。『昔、ここにいて 今はもういない。』は神保町に買いに行ったが、今回はAmazonで。自主出版の形でKindleにもあるみたいだが、やはり装幀の感じも好きだし紙で揃えたかった。

コロナの影響で心身共に痛んでいた五味栞は、知人の提案で
とある自主映画製作を手伝うため、群馬へと誘われる。
そこには、かつて五味が参加していた撮影現場で罵声や怒号を
日常的に役者やスタッフに放っていた監督、坂根真一の姿があった。
しかし、坂根は名前を変え、別人のように温厚な振る舞いを見せながら監督をしている。
坂根の影響で心に傷を負った五味はその姿を信じない。
過去と現在が混じり、それぞれの思いが交錯していく。
人は本当に変われるのか。  (一部、恫喝や暴力の表現があります)

先日観た『あんのこと』もそうなのだが、ある事柄に関する加害者の存在があり、この舞台でも撮影現場でハラスメントを行ってきた映画監督が、その音声をSNSで暴露され仕事を失ったという設定になっていて、共通しているのは加害者とどう向き合うのか、その人が犯した罪ややってしまったことを許せるのかということがテーマの一つや物語の大きな核になっている。この二作品における加害者となる人物はどうしても僕の中ではある人物を思い出させる。
栞は撮影現場で直接的に暴力を振るわれていないが、存在を認められていなかったりした。また、他の演者やスタッフが監督から暴言や暴力を振るわれることに声をあげたかったか怖くてできなかった。その暴力が振るわれる空間がとても嫌だったし、その環境自体がハラスメントで彼女は病むきっかけになっていく。
作品の中でも彼女に対して監督が、お前になんかしたか?と問うシーンがある。確かに彼女は直接的ではない、間接的な暴力やハラスメントを感じている。その場合どうしたらいいのか? 彼女は怒れなかったことに、止められなかったことに、監督への嫌悪も自分自身への嫌悪を感じていた。
坂根は仕事がなくなり身を潜めていたが、あることで名前を変えて新しい現場で監督を始める。そこにいたスタッフを見て栞は驚く、かつて彼が暴力を振るっていた現場にいた人たちがスタッフとして参加していた。しかし、誰も名前を変えた彼を昔の名前では呼ばず、彼自身も温厚で怒ることもなく、役者にも丁寧に接していく。何かがおかしい状況の中で栞にとってのかつての現場のこと、今の現場のこと、が交差していく。
今作では加害者になったハラスメントを起こした人物は元の職業や業界に帰ることはできるのか、たとえ反省していたとしてもそれを関係者や他者は許すことができるのか、許されていいのか、という問題を扱っていた。
少しだけ最後のシーンが漫画原作で震災後にストーリーが変わり被災地で撮影されたあの映画を彷彿させた。確かに最後に走っていくシーンがある作品は何作かあった。この舞台の最後のシーンでの撮影シーンもちょっと近いメンタルというか気持ちがある気がした。
なぜ日本映画は最後に主人公を走らせるのか、もちろんそこに躍動感とエモーションがあるから、観客が感情を乗せやすいということもわかる。ある映画プロデューサーは映画は最後は主人公を走らせろ、そうすれば観客も感情が乗るという話をしていたと聞いたことがある。めちゃくちゃ正しいと思う。同時にそれに心が動くほどの純粋さはやがて消える。僕にはもうない。
僕はある時期から最後に走らせて無駄にエモーショナルな場面にするのは正直苦手になってきた。逃げとはで言い切れないけど、最後に感情を爆発させる、気持ちを乗せる方が終わり方としても終わった感じがするし、観客をある程度騙される。うまく騙せばいいけど、やっぱり、走った後に疲れて倒れ込んだり、叫び続けたら声が枯れてしまうし、叫び終わった後の静寂を考えるだけで恐ろしい。
この舞台はハラスメントにおける加害者ではなく、被害者とも言えない微妙な立場の人の言葉にできない気持ちをなんとか表現しようとしていてそこが素晴らしいと思ったし、初めてのモダンスイマーズの舞台だったが、要所要所で笑いも起きる話は25年続く人気劇団だと納得もできた。だからこそ、あの終わりだけはちょっと残念だった。

23時からradikoのタイムフリーでラジオ大阪の『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴く。ゲストはなぜきたのか謎な菅田将暉
以前にもCreepy NutsのR-指定と大阪出身者が来ている(作家さんが二人のオールナイトを担当していたこともあるとは思う)けど、「オールナイトニッポン」でのパーソナリティーとしての菅田将暉を数年間は聴いていたの、なんというか声を聴くと安心するし、都築とのトークもところどころ笑ってしまうもので雰囲気もすごく良かった。でも、半分過ぎで寝落ちしてしまった。

 

6月14日
7時前に起きてから「サクラバシ919」の後半部分から聴く。スタッフでミキサーの韓国の人の生歌披露する展開になり、上手すぎて笑ってしまう感じになっていた。なんかすごくいいゲスト回だった。それを聴きながら朝読書、ちょっとずつ読み進めていた第65回メフィスト賞受賞作金子玲介著『死んだ山田と教室』を最後まで読み終わる。

第65回メフィスト賞受賞作『死んだ山田と教室』PV 



表紙の写真モデルの金髪の子が誰かに似てんなって思っていたけど、このPV見たらわかった。菅田将暉の弟の菅生新樹だった。映像で見ると兄弟顔も声もけっこう似ている。
ミステリー作品が多いメフィスト賞だが、今作は青春もの。しかし、主人公である山田は夏休みに交通事故で亡くなっており、クラスの中心だった彼が死んでしまったことで二学期の2年E組の教室は静まり返っていた。担当の花浦が生徒たちに話しかけるが、みんなのアクションはない、そんな時に教室のスピーカーから死んだはずの山田の声が聞こえてきた。どうやら山田の魂はスピーカーに憑依してしまったようで、声だけになった彼と同じクラスの不思議な日々が始まる。という作品。
PVには出てくるが、一年経っても山田はスピーカーに憑依しており、同級生たちは卒業式を迎える。果たして山田はなぜ成仏できないのか、同級生だったクラスメートたちは山田との関係をどうしていくのか、という後半の展開がおもしろかった。その手があったかというある生徒(和久津)の行動が物語をクライマックスへ導いていく。
ミステリーでもサスペンスでもないが、いい意味でタイトルや設定を含めて読者に最後にあっという仕掛けが入っていた。メフィスト賞なの納得という作品だった。
賞金とかはないけど、受賞すれば絶対に書籍化はするし、この前の『ゴリラ裁判の日』からはこんな感じで発売前からPVを作って販促もしてくれているので、その辺りはすごくいいなって思う。

リモートワークを開始してからはそのままradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(ゲスト:オリエンタルラジオ藤森慎吾)、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ゲスト:タカ&トシ)、『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ゲスト:おいでやす小田)を聴きながら作業。
「メガネびいき」は結婚したばかりなのに「不倫を阻止しよう」みたいなノリで呼ばれた藤森さん。一人になってから伸び伸びしている感じもあり、ちゃんと遊んでモテてきたんだろうなと感じさせる。三四郎のラジオに出た時は同世代の距離感だったからもう少しカジュアルさもあったけど、おぎやはぎは先輩だからよりおもちゃにされていた。
「ナイナイANN」はタカ&トシに何も思い入れがないし、彼らの番組もほとんど見てきていないのだけど、声のトーンはわりと好きかもしれない。
「マヂラブANN0」はマヂラブ同様に「M-1グランプリ」で一気に跳ねて売れっ子になったおいでやす小田があまりにも仕事を断らずに休みも取らずに働きまくったことで、迷惑がかかったというマヂラブの二人が、小田に休みを取らせようとする回。
小田さんはブレイクするまで十九年間ずっと休みみたいなものだったから仕事があるだけでありがたいし、休みがいらないということを言っていたようで、それによって同じ事務所だったりすると小田さんあんだけ働いてるんだから、休みくださいって言われても困りますみたいなことがあったのか、そういう雰囲気になっていたらしい。この辺りは正直難しい。小田さんのいうことも確かに納得できるものもある。でも、さすがにもう休みが欲しいと言い出したことで今回の一緒に休もう企画に呼ばれていた。働き方って本当に難しいし、他人と比べるべきではないけど、やりすぎたりやらなすぎると周りとの軋轢が生まれてしまうのでとても厄介。

脱稿して、その少し後に、それから数時間後にも、ほとんど超常現象と呼べるものが雉鳩荘から徒歩10分圏内で、また雉鳩荘内の仕事部屋で生じた。そういうのも久々だった。要するに「俺は、書いている」との実感が俗世的なリアリティ、リアリズムを破壊しながら邁進したわけだ。そして「俺は、書きあげた」との体感はマジカルなリアリティとして噴出して、それはハイパーリアリズムを許容したわけだ。脱稿して、「あ。傑作だ」と感じた。思わず担当編集者のキさんに「傑作になったと思います」とメールをしてしまった。そんなことを自分から書いた経験は、たぶん過去にない。つまり結局のところ、私は過去には書いていなかったし、書けるはずもなかったものが今回書けた、ということだろう。そこでの学びは本当に大きい。

古川日出男の現在地』「ポータブル極楽浄土プレイヤー」2024.05.25 – 2024.06.14 東京・埼玉・神奈川・静岡

仕事が終わってから古川さんの更新されたブログを読む。手書きで書いていた新作の手応えはかなりあるみたいなので、読みたい。どんな物語になっているのか、いやどんな小説なのか読んで味わいたい。
ジャンルに分けて安心するのではなく、混沌としているこの世界で分けれもせずに混沌としている一冊の書物、それを「小説」だと古川さんは言い続けていて、それはずっと読み続けてきたからわかる。すごく心の奥の方で僕は理解できていると思う。

黒沢:そもそも『蛇の道』のリメイクをやる以上、「主役をどうするか」という課題があったわけです。なにしろ、(オリジナル版の)哀川翔という強烈な主人公に代わる人を探さなければいけない。哀川さんのイメージが付きまとうことが避けられない以上、フランス人でよく似た方向性の俳優を探すのではなく、そもそもまったく異なる人物像にしたいと思いました。

小夜子が日本人女性で、復讐に関わる人たちがフランス人男性というだけで、彼女だけが別の地平にいる感じがしますよね。哀川さんが演じたオリジナル版の主人公は、まさに「復讐」というシステムを象徴するような特殊なキャラクターでしたが、小夜子はフランスにいる日本人女性であるというだけで、より得体が知れないし、男たちの外側からシステムを操っているかのような印象もある。

黒沢清はなぜ、『蛇の道』を自らリメイクしたのか? 26年前の復讐譚がフランスで蘇る

来週観に行くつもり黒沢清監督『蛇の道』についての監督インタビューがあったので読んだ。黒沢監督の作品を劇場で最初に観たのは『回路』からで、当時大阪に住んでいたから難波の映画館で観た気がする。それ以降は全部ではないが七割近く劇場で観ているので、新作を楽しみにしている監督の一人。
ビデオで観た『CURE』と上京してから監督のテーチイン付き上映で観た『アカルイミライ』、舞台を映像化した映画のスピンオフ的な『予兆 散歩する侵略者』が好きな作品。今回リメイクした哀川翔さんが主演した『蛇の道』は観たことがないので、オリジナルと今作を比べられないので、フラットで観れそうかなと思う。

夜は自分のライティング作業のために資料を読んでいたらあっという間に時間が過ぎてしまった。でも、読んだことでふわふわしていたものの輪郭が出てきた気がする。でも、書かないとどうにもならない。あと半月で基盤というか形ができるといいんだけど、風邪も治ってきたしなんとかいけるかな。
『異族』を少しずつ読んでいると、こんなにも読みにくいはずの文章が思いの外読める。いろんなものを読んできた集積かもしれないし、自分の読書レベル上がってきたんじゃないかなって。確かにおもしろいし、設定というか登場人物たちが興味深い。名前がなくて「シナリオライター」と表記される人物、物語る人がそこに配置されていることも漫画原作も同時期に書いていた中上さんのシャドウ的なものだったりするのかなと思ったりした。
中上健次の『異族』は古川さんが書かれていた「小説」だ、それは間違いない。こういう作品こそがある種の現実へのテロへとなる表現でもある。そして、古川日出男作品も同様に、だからこそ憧れている。

 

6月15日
深夜4時過ぎに一度目が覚めて、radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』をタイムフリーで追いかけて聴いていたが、ゲストの今や大河俳優になったはんにゃの金田と『オールナイトフジコ』の生放送終わりで駆けつける佐久間さんが出てくる前に寝ていた。

三四郎オールナイトニッポン0(ZERO) | 2024/06/14/金 27:00-29:00 

起きてから『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を流しながら資料読みの続きを8時過ぎまでする。9時オープンの代官山蔦屋書店へ散歩がてら「三四郎ANN0」を聴きつつ向かう。はんにゃ金田が先に登場してトーク、今回は「三四郎ANN0」名物な珍味回になっていった。
一時間過ぎてから佐久間さんが登場し、金田が嘘を織り交ぜてぶっ込んでいくし、それに対する佐久間さんの返しと三四郎の絡みも最高だった。歩きながら何度か声を出して笑ってしまう。
しかし、佐久間さんのYouTubeのサブチャンネルでの後輩のディレクターの三宅さんと元アイドルの中井りかさんの結婚に関して、実は二人を結びつけたのが相田さんなのに、口が軽そうだからと付き合っていることも言われずにいた話をゲストで呼ばれたらしたけど、きっとそういう展開にはならないだろうなと話していたけど、その通りになった。まったくその話題については出なかった。


リソグラフ + 活版印刷の前衛作品 The Avant-Garde of Risograph and Letterpress

ALBATRO DESIGNと竹尾による活版印刷リソグラフの展示が今日から開始だったみたいで、ちょうどいいなって思って見にきた。
菊地成孔さんの新バンド、と言っても音源は出ておらず、ライブも三回ぐらいしかまだやっていない「ラディカルな意志のスタイルズ」のバンドメンバーユニフォームをファッションブランド「HATRA」が手がけていた。「HATRA」では「ALBATRO DESIGN」の実験的なグラフィックをプリントしたデザインの服も販売しており、「ラディカルな意志のスタイルズ」のポストカードセットも「ALBATRO DESIGN」の活版印刷したものがあった。それで知っていたわけだが、まずデザインが非常にかっこいい。


気になったデザインのポストカードを購入した。例えば自分の書籍とか何かを出せることになったら、こういうデザインがいいけど、おそらく商業的にやると難しいしお金もかかりそう。カバー(元々再販のためにある)とかなくて表紙の型紙に活版印刷の押しとデザインがあってもいいけど、そういうのは個人出版とかではあるのは見かける。
もし、商業出版できたら個人でこういうポストカードを作っておいて、イベントとかできてくれた人にプレゼントするとかがいいんじゃないかな。
書店でも最近はサイン入りの書籍が並んでいる。もちろん、著者のサイン入りはその作家好きなら嬉しいし、新刊が出たからといってイベントが毎回あるわけではない。また、サイン入りの書籍は入荷した書店は出版社へ返品ができないので売れなければ在庫になってしまうリスクもある。年々増えているのを見て、なんだか微妙な気持ちにはなる。どっちの気持ちもわかるんだけどさって、感じ。
だから、自分でお金払って作っておいて何かイベントとかがあれば来てくれた人にあげたり、その場で書籍を買ってくれた人にはサインとかナンバリング入れるとかルールを決めておけば、新作が出るたびか何年かごとに新しいデザインのものを作ると集めてくれる人がいるかもしれない。そういうのもおもしろいかもしれない。

昼ごはんを食べて、少しだけライティング作業をしてから家を出る。渋谷の道玄坂を下っていくが人手が多い。暑いし汗が噴き出る。夏としか思えない。副都心線西早稲田駅まで乗ってそこから歩いて早稲田大学へ。
一年の年明けすぐに退学したので、自分が通っていた大学以外で大学に足を運ぶようになったのは2008年以降に小説に興味を持って文学系のイベントとかに行くようになってから。たぶん、古川さんと村上さんの母校でもある早稲田大学が一番回数が多いと思う。次が東大か慶應で、インテリでもない映画専門学校しか出てない自分がこういう所に来るのはとても不思議な気持ちになる。
十代で小説とかにもっと興味を持って、商業高校ではなく進学校に通って六大学とかに入学していたら全然違う人生だったんだろうけど、それはそれで小説とか映画にそこまで興味を持たない人生だったのかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない。
自分がブルーカラーという意識はずっとある。だから、ブコウスキーレイモンド・カーヴァーにはシンパシーを覚えるんだと思うけど、そういう文学みたいなものって僕らぐらいでもギリギリで下の世代に行けばその影響力はあまりないだろうなって思う。で、影響受けていて書ける人は恐ろしく優秀で書ける人たちがいるなって、どちらにも当てはまらない、いつもどこかでハシゴが外されているような気がしている。そういう鬱屈とした気持ちとかはやっぱりYouTubeとかには向かないなあって。

2.ピエール・フォルデス監督作のアニメ映画「めくらやなぎと眠る女」(原作:村上春樹)特別上映会
日時:6 月 15 日(土) 17:00~19:30 (16:15 開場)
場所:早稲田大学大隈記念講堂
上映:17:00~18:50
ポストトーク:19:00~19:30
登壇者:ピエール・フォルデス(オンラインによる登壇→登壇決定)
村上春樹
柴田元幸(モデレーター:早稲田大学特命教授・国際文学館顧問)※追加登壇決定
進行:権 慧(早稲田大学国際文学館助教
※英→日の同時通訳あり。

村上春樹の六つの短編小説(『かえるくん、東京を救う』『バースデイ・ガール』『かいつぶり』『ねじまき鳥と火曜日の女たち』『UFOが釧路に降りる』『めくらやなぎと、眠る女』)をピエール・フォルデス監督が受けたイマジネーションで一つの作品へと昇華したアニメ映画となっていた。
2011年の東日本大震災後の数日後の東京から始まる物語で、六つの短編はそれぞれの登場人物は同一人物ではないが、映画の中ではAの作品の登場人物がDの作品の登場人物でもあるなどの組み合わせによってバラバラで一つずつの短編が有機的に連なって長編と新しく組み上げられていた。
世界でも人気らしい「かえるくん」のインパクトもあるが、終盤に『ねじまき鳥と火曜日の女たち』へと繋がっていく流れも非常に違和感もなく、村上春樹作品感が強く出ていた。
上映後には本当はオンライン参加だったピエール・フォルデス監督が来日してきており登壇することになって、原作者である村上春樹さんも登壇し、翻訳家の柴田元幸さんも追加で登壇するというとても豪華なポストトークになった。
この辺りの詳しいことは何かの記事で出ると思うのだけど、村上さんはこの数年映像化されている『バーニング』『ドライブ・マイ・カー』と今作は非常に満足していると話をされていた。短編はそれだけだと映画にはならないので、どうしても監督が何かを足さないとできない。その想像力や足されるもので新しい作品になっていくのがいいと、長編はどうしても映画にするには長すぎるでカットするところがたくさん出てきてしまうので、監督の継ぎ足す、その人の要素がうまく交わらないので向いていないと思うということも言われていた。実際に『バーニング』『ドライブ・マイ・カー』も一つの短編だけではなく、他の短編の要素も組み合わせているので、今作と創作方法としては近い。
柴田さんから映像化してほしい作品を聞かれると、『アンダーグラウンド』をやってほしいと答えていた。あのままのノンフィクション的なラインなのかフィクションとして再構築するかはわからないけど、あれは映像化してほしいと。内容的にもかなり難しいとは思うけど、誰かが今回の話を聞いて動き出す人はゼロではないかなって思ったりする。
ピエール・フォルデス監督は最初は何かの短編を映像化させてほしいと村上さんに頼んでOKをもらったが、読める短編小説を読めば読むほどにどれもやりたくなっていき、いくつかの作品を映像化してもいいかと再度お願いしてOKしてもらったそう。
今作には六つの作品が選ばれたが、最初はそれぞれを一つずつ映像化しようと思っていたが、映像化するまでに考える時間がたくさんあったことで、一つずつが、そこに出ている登場人物が他の作品の誰かでもあるように結びついていったらしい。その作品ごとの間を埋める作業というか、想像力や監督の個性が村上さんが映像化に求めているものだからこそ、いい作品になったんだと思う。
終わってからカメラを撮っていた方が郡山での『ただようまなびや』でもお世話になった方だったのでご挨拶して少しお話をさせてもらった。僕が初めて村上春樹さんを見たのは『ただようまなびや』だったりする。
外に出ると『新潮』元編集長だった矢野さんがいらしたのでご挨拶、お会いしたのは何年振りかわからないけど、下手したら10年振りぐらいか。お疲れ様でしたと言いたかったのと、最近文庫化されたアンディ・ウィーホル著『ぼくの哲学』の翻訳している方が「落石八月石(オチイシ・オーガストムーン)」という名前の方で、その書籍の担当編集者が矢野さんだったので、僕はオーガストムーンって実は矢野さんなのでは?と疑っていた。聞いたら、違うよって言われた。そりゃそうか。
小雨まで行かないポツリポツリとした雨が降っていたが傘はいらないぐらい、そのままきた道を戻って西早稲田駅まで歩いて、渋谷方面へ。
六つの短編小説を組み合わせていく、そのやり方はとてもいいなって思ったし、それによって監督の個性も出るのに村上春樹作品だっていう感触がより増していくのもおもしろい。

今回はこの曲でおわかれです。
この世界に二人だけ /ano