Spiral Fiction Note’s diary

ライター&「monokaki」編集部スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『生きてるだけで、愛。』


 公開初日に、渋谷のヒューマックスシネマで仕事帰りに鑑賞。10人ぐらいのお客さんだったような気がする。小説自体はだいぶ前に読んでいるが、鬱になっている主人公(趣里)と彼女の彼氏(菅田将暉)、彼女のわがままに見える、不器用さやどうしようもなさ、人の優しさが染み込んでくると壊してしまいたくなるのは、自己肯定力のなさやそれに応えることがきっとしんどくなってくるからなのだろう。だが、一緒にいる彼氏、いや恋人や同居人だったら耐えれないとも思う。彼もまたゆっくりと溜まっていたものを最後には爆発させる。彼女の最後の疾走と踊りのような行動は憂鬱の鬱から抜け出す儀式だった。しかし、彼女の行動に胸糞が悪くなるところもある。きっと、今の所自分だったら迷惑をかける側だからだ。しかし、いつ自分が鬱になってしまうかは誰にもわからない。ただ、このメンヘラ的な自意識の問題は本谷有希子さんが演劇で世に出て、小説を書いていくことになるゼロ年代的なものでもあり、いまでもこのことに苦しんだりしている人が多いのも知っている。だが、どこか見慣れてしまった光景でもあるように思えてしまう。もっともっと早く映像化していた方が突き刺さり方は違ったのかもしれない、とは思う。
 本谷有希子原作『生きているだけで、愛。』と山戸結希監督『おとぎ話みたい』の映画の主演が共に趣里が主演で、どちらも劇場で観たが、山戸監督の呪いですらある作品に出てた印象には勝てない。というのが観た印象だ。

『ヴェノム』


TOHOシネマズ新宿にてIMAX 3Dで『ヴェノム』を鑑賞。ヴェノムは完全な悪、凶暴な悪というイメージを予告では感じていたが、まあ、『ど根性ガエル』と『寄生獣』をアメコミが、アメリカでマーベルブランドで使ったらこうなりますよねっていう。わりとヴェノム言うこと聞くし、いろんなことを教えてくれるし、腹が減って生きてる生物を食いたがったりもするけど、いいやつなんじゃねっていう。『ブランクパンサー』が良すぎたのか、比べてしまうと凡作。ただ、バディものとして見るとバランスのいい関係であり、いろんな二次創作や妄想がもう生まれているので、これはこれでいいじゃないだろうか。

『華氏119』


何度も嫌な気持ちになったし悲しすぎて何度も泣きそうになってしまった。トランプ政権が生まれた背景やその前に起きていたことや布石にもうんざりだし、日本でも同じことは起きてるし、安倍政権だけじゃなく、橋下徹の時とも通じてることばかり、マスメディアに関する仕事してる人は観てきちんと絶望した方がいいよ。確かに僕らが持っている希望のせいで、そんなひどいことにはなるはずがない、民主主義が法律がみたいな希望や期待が結局それらを崩壊されている。絶望から始めるっていう希望はあまりにも皮肉すぎるけれど。
https://gaga.ne.jp/kashi119/?fbclid=IwAR2upHlihyaktqavoSeANlONRksiDwO-Fwe6SFR24rAlwtifZ0HAJZTwSUk

『ビブリア古書堂の事件手帖』


 メディアワークス文庫三上延さんが書いた『ビブリア古書堂の事件手帖』の映画化。栞子を黒木華が演じた時点で勝ち、というか企画は成功したのではないかと思わなくもない。
 文庫一巻で書かれたものをうまく二時間にまとめている印象。祖母に怒られたことで活字恐怖症になった大輔を演じた野村周平もよい、小説ではもっとガタイのいいアメフトとかやってそうな長身のイメージだったが、黒木華とのバランスもよかったと思う。
 大輔の祖母の若い頃の絹子を演じた夏帆がかなりいい、色気もあるけど庶民的な感じもあり、彼女の秘めた恋がすべての発端ではあるし、現代に続く事件に繋がっているわけだが。ただ、文庫の最新刊を見ると主人公のふたりのその後を考えると絹子の残した本が彼らを結びつけるわけになるのだから、この作品がヒットするとシリーズで映画化していくのかもな、って思う。
 キーマンである稲垣を演じた成田凌が悪いわけではないが、なにせ登場人物が少ないせいでミステリー的な要素も早々にわかる人にはわかってしまう、声とかさ、でも、大事なのはそこではないのだろうが。
 大輔と稲垣というふたりの男と本のことになったら話すのが止まらない栞子という現代の三角形を形成するのが、過去の絹子と田中(東出昌大)の関係というのはいいなと思う。

『あの頃、君を追いかけた』


仕事帰りにヒューマントラスト渋谷に寄った。TCGカードで千円dayなので、『あの頃、君を追いかけた』をば。
監督の長谷川康夫さんって『つかこうへい正伝』書かれた方だよな。本が出た頃にラカグで水道橋博士×樋口毅宏×長谷川康夫トークイベントに行って、そのまま打ち上げに参加したときにお話をさせていただいた記憶が。
『サニー』といい『あの頃、君を追いかけた』の日本版共に松本穂香出てるね。齋藤飛鳥って乃木坂の人なのね。『あの頃、君を追いかけた』観に行ったら高校生ぐらいの子がたくさんいたのは、そのファンなんだろうな。
台湾のオリジナル版見てないけど、こういう映画なのかなあ、随所随所でおっさんが撮ってるのがもろに出てるけど、アイドル関連は若手に撮らそうよ。オリジナル版はきっといいのだろう、たぶん。
『あの頃、君を追いかけた』を観て35歳問題が発動してる身としては青春まぶしっ!であり、過去のありえたかもしれない可能性に追いたてられ、なにものにもなれないままなら当然ながら鬱になるしかなく、いや、人は生まれながら死に至る病を発症してるから、あまり気にしなくていいのではと思わなくない。

『世界で一番ゴッホを描いた男』


シネマカリテで『世界で一番ゴッホを描いた男』鑑賞。
芸術家か職人か、オリジナルかコピー(orフェイク)かという自意識の問題は僕が二十代の頃にはまだあったような気がする。『多重人格探偵サイコ』や西島さんの『アトモスフィア』はオリジナルとコピー(orフェイク)を巡る物語だった。
最近話題になった『ドラゴンボール』はじめて読んだけど的なネタも、伊藤剛さんのかつての漫画家を若い世代がまったく知らないというツイートは、オリジナルはもはや当たり前の風景になりすぎて認識すらされなくなった状況を認識させるものだと思う。
どんなジャンルにおいても、そう。
サンプリングとオマージュは元ネタという文脈をわかるからこそ、それをする者のセンスや個性を見いだした可能性の先には、インターネットとコピー&ペースト、教養は金がないと繋がらないという本質。それはこの三十年で一気に加速して軌道から逸れてこっぱみじんになった。
この映画の主人公はオランダで本物のゴッホの絵を見る。ある意味彼は覚醒する。守破離の守を二十年以上生活のためにしていた男は、それまで培ってきたもので未来へ爪痕を残そうと破り始めていく。それだけで感動的だが、写真とかを学んでいたであろう監督たちのカメラワークも素晴らしい、一枚の絵画みたいな構図がある。

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』


大根監督『SUNNY 強い気持ち・強い愛』をば。大根作品だし伊賀大介さんスタリストで参加してるし、観ないとなあと思いつつ観てなかった。最後のかつてのサニーのメンバーが斎場で踊るシーンの前に哀しいほどに、彼女たちの現在が浮き彫りになる辺りは辛い。夫たち男性はまるで頼りにならずに金銭的にも追い詰められている数人を救うのは余命一ヶ月で亡くなってしまった芹香であり、現在の根本的なものを突きつけてくる。と同時にその後のエンディングに至るまでのダンスによる高揚感と多幸感でそれを覆い隠しているようにも見えなくない。
ダンスが小学校でも授業に取り入られたのは華やかさに満ちたように見えた90年代が終わった後のゼロ年代以降だったこと、エグザイル的なマイルドヤンキーのような都市部ではなく、地方で幅を利かせるような人たちが好むものが席巻したのは繋がってるんだろう、たぶん。
サニーというかつてのコミュニティが再集結することで、家族や親族には救われない人が救われるというのはたぶんインターネット黎明期にあったような趣味なんかが共通で繋がるゆるやかだけど、信頼がおけたものに近いのかもしれないなあ。
プロデューサーは川村元気さんだが、この作品をリメイクする時に男子版として早見和真著『95』も同時に作ればよかったのに。『95』はタイトルまんまな時代の話で『サニー』同様にいけてる男子高校生グループに主人公が入って仲間に恋に青春もの。野島伸司脚本『未成年』が作中で大きな意味を持つことになる作品でもある。『サニー』と『95』一緒にやって、90年代リバイバルに止めを指してほしかったなあ。
大きな物語を共有できたのが90年代までだし、三浦春馬がレッドウィング履いてるし、とか反応できるのもロスジョネ最後尾まででしょ。
わりと冒頭に主人公の奈美の引きこもりで90年代にエヴァにハマっていた兄貴について、現在の入院中の奈美の母が「あの子は今モー娘。にハマってんねん。なんか原点回帰や!ゆうて」みたいな台詞があって、この二十年近くのサブカルチャーを一言で言わせた大根監督はさすがだな、と思いました。